fc2ブログ
朝食はテレビを消して話しながらとる。 「朝の食卓」の話題は近所の中島公園、健康、そして札幌シニアネット(SSN)、カラオケ、歩こう会など。
カラオケボックスに迷い込んだ一匹のハエの為に、危うく別れ別れで帰ることになるところだった。私はトボトボ歩いて、Aさんは車で、左と右に泣き別れ。ひょっとしたら永遠の別れになったかもしれない。お互い先は短いのにね。

「なにも殺さなくていいのに、拾って外に出せばすむことでしょう」
「なに言ってんのよ。手が汚れるじゃない」
「靴がよごれましたね。25万円の靴が泣いてますよ」
それは足を折って入院したときに、おねえさんからもらった100万円の見舞金で買った、Aさん自慢の靴である。

毎月開かれるカラオケ会の出だしは惨憺たるものだったが、ようやく始まり私の番が来た。腹に一物あって選んだ曲が「あじさいの雨」。
「弱いからだに~ かさねた無理を~♪」
と歌いだすと、とたんにAさんが横やりを入れた。
「弱い女がそんなに好きかい!」言い方にトゲがあるから冗談には聞こえない。

次の歌詞を聞かせたいのだ。今のAさんにピッタリではないか。
「かくしていたのか 濃いめの化粧~♪」
奇麗と思っていたが、ハエの一件の後ではそのようにしか見えない。感情の変化で同じ顔が違って見えるから不思議だ。

「強い女は嫌いかい!」
少しは静かにしてほしい。ハエを一匹殺したくらいでそんなに強がることはない。バカらしい。私は熱唱中だから、口答えもできやしない。

「いくども色を 変えながら 枯れて淋しく 散ってゆく~♪」 どうだ、まいったか。と心の中で叫んだ。私だって皮肉の一つも言ってやりたい。直接は言えないから、精一杯感情を込めて歌ってやった。 

カラオケ店は家からバスで30分くらいだが、帰りはAさんが最寄の地下鉄駅まで送ってくれるいつもなら「乗って行かない」と声をかけてくれるのだが、今日は違う。 ハエの一件が尾を引いているようだ。 

「バス何時?」とAさん。
「まだ42分ありますね」
そばにいたBさんが口を出す。
「歩いて行けばいいじゃない。真っすぐ行けば豊平川。後は簡単よ」。確かに道順は簡単だが、1時間以上もかかりそうだ。

今日はバスで帰るつもりだったが、Bさんに歩けと言われて気が変わった。
「乗せてくれない」と、Aさんに頼んだ。 
意外にもこころよく乗せてくれた。車の中でAさんがいった。

「歩くの嫌なの?」
「嫌じゃないけど、お名残惜しいでしょ」
「そう。私もお茶でも飲もうかと思ったのよ」
それで、バスの時刻を聞いていたのだと分かって、ホッとした。

「ハエをぶっつぶせ」と怒ったのは本気だ。だから、それを引きずって帰りたくなかったのだと思う。長い付き合いだが、言葉だけでもお茶に誘われたのは初めてだ。Aさんは決して謝らない。その代わり命令を下す。「いろいろありましたが、丸ごとひっくるめて付き合ってください」と、メールが届いていた。
080608

今日は楽しい3人カラオケ。いつもの時間に、いつもの場所で1か月ぶりの再会を楽しみにしていた。しかし、カラオケボックスに入ったトタンに嬉しい気分も吹き飛ぶような「事件」が起こった。原因は1匹の小さなハエ。 あちらこちらに飛んだあげく入口の近くにポッと止まった。 「うるさいな。追い出してやろう」と思ってドアを開け、止まっているハエを帽子であおった。 

ハエは開けたドアから出ないで反対方向に飛んで行ってしまった。そのとき「なんでぶっつぶさないのよ」と、険のある声がした。振り向くとAさんが目をつり上げて、私をにらんでいる。今まで見たことがないような怖い顔をしている。こんなことで怒らなくてもいいのにと不快に思った。

わが家では無意味な殺生はしない。虫が入ってくるとティッシュで軽く包んでティッシュごとベランダに棄てる。虫が出て行ったのを見届けてテッシュだけを回収、ゴミ箱に棄てることにしている。

ハエはAさん側の壁に止まった。「そちらに行きましたよ」というと、Aさんは情け容赦がない。その辺にあった紙を丸めて思いっきりたたいた。わずかに外れたが、ハエは床に落ちた。「まだ動いていますよ」というと、「ぶっ殺してやる!」と言いながら思いっきり踏んづけた。

いつも、おしゃれして愛だの恋だの優しさなどを歌っているのに、こんな一面もあったのだ。だから人生は複雑で面白い。いろいろあって好いんだな。

1.記者ごっこ
シニアは楽しい、好きなことが出来るからだ。カラオケ、ダンス、マージャンにゴルフと、楽しんでいる人も多い。できれば私も楽しみたいが、それは無理。人には得不得手がある。若いころなら「やればできるから、頑張りなさい」と言われればその気になる。しかし、この歳になると、生まれつきそうなのだから仕方がないとあきらめる。そもそも楽しむ為に頑張るなんて矛盾している。

そこで私が選んだ遊びは「記者ごっこ」。しかし、しょせんは遊び。自ら進んで取材などはしない。そのかわり、誘われればどこにでも行ってしまう。今日は苦手なカラオケだ。果たしてどうなることやら。

2.ホテルで盛大にカラオケ
ホテルのラウンジに40人くらい集まったが、いつもと違う華やかさがある。特に女性が美しい。同じシニアネットの仲間なのになぜこうも違うのだろうか? 少し考えてみた。原因はパソコンだ。パソコンを背負っていないからお洒落ができるのだ。勉強会の後でも、みんなそろってホテルへランチに行くことがある。重そうなリュックサックを背負った集団を、ホテルマンは何者と見ただろうか。登山でもない。旅行者でもなさそうだ。さては新手の行商人か? 

カラオケクラブ例会は新任のO部長の引き語りで始まった。実にうまい。うまいはずだ。往年の人気テレビ番組「ザ・ヒットパレード」でレギュラーとして歌っていた経歴があるのだ。私が担当する地元のラジオ番組「山鼻、あしたもいい天気!」に、Oさんにゲストとして出演をお願いした。放送の前にOさんの歌も、ぜひお聴きしたいとの思いもあって、このカラオケ例会に参加させてもらった。

3.カラオケ部長がラジオで音楽などを語る(予定)
ラジオでの話題は「音楽と写真と中島公園」としたいと思う。Oさんがドン・ホーの歌を4曲くらい選んでくれることになっている。ハワイ公演、テレビ出演などの思い出話なども楽しみにしている。Oさんの得意技は音楽だけではない、写真の腕も素晴らしい。実は、中島公園の写真が2枚も北海道新聞に掲載されたことがあるのだ。国指定重要文化財豊平館と札幌コンサートホール・キタラを撮ったものである。中島公園の話題もあるのではないかと期待している。

4.オンチでもカラオケは楽しい、ただし…
オンチなので歌わないつもりだったが、どなたかの情け深い配慮により歌うことになった。人が歌っているときに口ずさむのを見て、ホントは歌わせてほしいのに遠慮していると思われたようだ。しかし、これは嬉しい思い違い。月に一回下手どうし3人でカラオケに行っている。評価なしで、一人が勝手に歌い、二人がおしゃべりするスタイルだ。しゃべることがなければ口ずさむ。これが癖になっていて出ただけである。 

それぞれが下手と自覚しているので、「おじょうず」と言われても困る。わざわざ下手とも言われたくない。ここを直したらもっと良くなると言われても直せない。こんな3人がカラオケを楽しんでいる。
080526

sunaonawakamono_20210331134232526.jpg
ホワイトロック(札幌シティ・ジャズ)で出合った 素直な若者

ある夏の話だが、「中島公園をジャズの公園に」というイベントが行われた。内外から一流ミュージシャンを呼んで、このテントの中で、音楽を聴いたり食事をしたりして楽しもうという趣向だ。
なんでも国内初の試みだという。先ず、上の写真を見てほしい。「主役」はこの若者である。

「オジサン、おれの写真を撮ったな」
「入っちゃったね~。削除しようか」
「いいよ」
「ホームページ作っているんだ」と言いながら名刺を渡す。
「オジサンは凄いんだな」

若者の素直な反応に、何か後ろめたい気持ちになった。 一瞬 「肩書詐称」という思いが、浮かんでは消えた。名刺には「ラジオなかぱ 番組担当」と麗々しく書いてある。 うそではないが、何か勘違いさせるような内容だ。

一瞬のたじろぎ、一瞬の反省の後に出たのは次の言葉。
「無職だから、いろいろ暇つぶしにやっているんですよ」
「……」
素直じゃないね~。まったく。 
2008/5/4

「やっと80歳になれました。とても嬉しいです」
「分かる分かる。半分だけ元気も 楽じゃない。早く枯れたいよね」
「人間として、もっと成長したいのです」
「なにっ! もう遅いから、あきらめろ」

考えてみれば、ずいぶん狭い社会で暮らして来たものだ。いろいろ転勤もしたが、何処に行っても職場中心の暮らしだ。地域住民と馴染むことはほとんどなかった。言われるまでもなく「井の中の蛙」だ。世間のことは何も知らない。このままで一生を終わるのかなと思ったら心細くなった。 

「世間を知るとは人を知ること」と思う。先ずは身近なところから始めてみたが…。退職したからと言って、掌返すように「さあ、これからは地域と共に」と言ったところで、上手く行くはずがない。地域の壁は厚かった。

「そりゃそうだよ『井の中の蛙』に出る幕はない。どこにもないよ」
「60歳のラブレターって、ご存知ですか?」
「何んだ急に! 気色悪いぞ。いい年して」
「本になるのですから、本当の気持は書けないでしょうね」
「『私は一生あなたに首ったけ』とか書いてあったな。ホンマかいな」
「もし、私にラブレター来たら、どうしたらいいでしょうか?」
「あんたは、よけいな心配するからハゲるんだぞ」
「しかし、亡くなった方への想いには心打たれるものがありますね」
「うん」

38年間の職業生活で身についたのは我慢だけだった。しかし、退職後の解放感はまだ続いている。毎日が楽しい。退職してからは在職時代の100倍以上笑ったと思う。 新しい友達も沢山できた。客観的には友達未満かも知れないが、何処に行っても笑顔に出会えるのが嬉しい。こんな楽しい経験は生まれて初めてのことである。

喜んでばかりはいられない。まだやり残したことがある。しかし、これだけは誰にも言うことは出来ない。心の深淵をさらけだしても、喜ぶ人はいない。 今までの人生では今が一番充実している。しかし、こう言い切ってしまっていいのだろうか。いかにつまらない人生を歩んできたか、告白するようなものだ。

70歳までは、何でも幅広く吸収したいと思っていた。出来るだけ多くの人たちと接して、自分自身の幅を広げたい。失われた38年間をとり戻してみたかった。

「とり戻して、どうなる」
「普通の人になりたいのですね。みんな普通にふるまって仲良くしているではないですか」
「そう言えばあんたは、どこか無理をしているように見えるな。何か不自然だぞ」
「仮面をつけています。『行って参ります』と言って仮面とつけ、『ただいま』と言って外すのです」
080131

早いもので、同世代の3人でカラオケに行くようになって1年たった。共通点と言えば、カラオケ初心者ということだけだ。1ヶ月に1回、キチンと行っていたが、12月は3人の都合がつかず中止になってしまった。

私達のカラオケは3人で休みなしの3時間だから相当なものだ。身体に染み付かないはずはない。私の身体の中に月に1回、歌いまくるリズムが出来上がってしまった。

「他の人と行けばいいじゃないか。 オレが行ってやろうか」
「実は、事情があって、他人様に私の歌を聴かせるわけには行かないのです」
「なん~だ、オンチか。オレはいいよ。お前の歌なんか聞いてないから」

これには深い訳があるのだが、長くなるので別の機会に譲ろう。ダメで元々と思いながら、D子に声をかけてみると、あっさりとOKした。 もちろん、D子は私の「深い訳」を知っている。全て承知の上のOKだ。何の懸念もない。

「この日がいいね」と言うので、予定表を兼ねているカレンダーの12月7日の欄に「フタカラ」と書き込んだ。 お互いにカレンダーを見ながら、それぞれの予定をたてる習慣になっている。

さて、明日はいよいよ始めての「フタカラ」だなと思って、カレンダーを見ると、「フタカラ」の字に重ねて、二本の線が引いてあることに気が付いた。

「何ですか。この二本線は?」
「さっき、Yさんから電話があって食事に誘われたので、消したの」
「約束破るなら、ひと言いって下さい」
「あら! アンタだって、黙って書くじゃない」
「予定を書き入れるのはいいけれど、消すときはひと言断るのが普通でしょう」
「書くのも、消すのも同じじゃない!」

一度「同じ」と言ったら、いくら説明しても「違う」とは決して言わない。最高裁判所の判決のようなもので、決してひっくり返ることは無い。不本意ながら、黙ってしまった。

「アンタこの人、知ってる。落語家なのよ」
「… … …」
「手が震える病気になったんだって、鳩に豆やろうとして、手のひらに豆のっけたら、手が震えて豆が左右に動くもんだから、鳩が困ってしまったんだって、アハハハハ~」
「… … …」
「面白いね。アハハハハ~」

私が傷ついているのに気が付かない。なんて鈍い人だろう。仕返ししてやろうと思った。私はその落語家の真似をして、手のひらに豆を置いた形で、D子の前に突き出して、手が震える真似をしてやった。

左右に激しく振ってみた。 どうやら反応次第では、ただではすまないと理解したようだ。D子は困った鳩の真似をして、一生懸命首を左右に振った。 
「アハハハハ~」
「ワハハハハ~」

こうして、一触即発の状態は直前に回避された。 
さて、「ノーベル平和賞」はどっちだ!

「どっちもどっちじゃないか」
「そんなことありません。一人で耐えて来た私が受けるべきでしょう。」
「どっちにしてもオレは悪者。その手はくわないよ」
「手は食わないで、豆だけ食べて下さい」
071222