朝食はテレビを消して話しながらとる。 「朝の食卓」の話題は近所の中島公園、健康、そして札幌シニアネット(SSN)、カラオケ、歩こう会など。
「病気と貧乏はうつるから傍によるんじゃないよ」とよく言われましたが、ホントですね。養父が肺病になり、それが兄にうつり、貧乏は家族全員にうつることになりました。病気のせいで家を建てる為の金も、食う為の金も全て失いました。

敗戦後4年目のA市は復興めざましく、新築の木造住宅街がほぼ完成しました。その中で焼けトタンのバラックは嫌でも目立ちます。今でもA市A2丁目に行って、当時住んでいた年寄りに聞けばこのバラックのことは覚えていると思います。 しかし、「Dの知り合いなら貸した金かえせ~」と言われるかも知れません。聞かない方が無難でしょう。

私は「上流社会」の人が好きです。貧乏人は自分より貧乏な極貧人をバカにして苛めるのですが、良家のご子息は違います。小学3年のときですが、同級生のM君がお屋敷のような家に招待してくれました。優しそうなお母さんがお菓子を出して歓待してくれました。

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何回か遊びに行くうちに、「君の家に遊びに行きたい」と言われ、困ってしまいました。あの惨めなバラックを見られるのかと思うと、ぞ~っとします。あのバラックこそ極貧の象徴。あんなもの見られたら恥ずかしくて合わせる顔もありません。

何とか断ろうと、いろいろ理由をつけてみましたが、本当のことを言えないので、説得力がありません。 何とか思い止まってもらおうと、「遠いよ、野良犬もいるし、危ないんだ」とか言って説得に努めましたが、「君だって僕の家に来たのだから」と言われては、ノーとはいえません。

足が重くのろのろと家に向って歩いたことを今でも覚えています。バラックの家の前に連れて行くのは、どうしても嫌なので、家の見える高台に連れて行き「あすこ」と指をさしました。 

M君は一瞬の内に全てを理解したようです。そしてこう言ったのです。「君の方が恵まれているよ。僕の家なんか借りものだよ」

焼けトタンのバラックは冬は隙間風で寒く、夏はトタンが焼けて暑く、居住環境として最悪です。北海道に来ても、はこんな寒い思いをしたことはありません。 

それでも暑さ寒さはなんとか我慢できますが、一番辛いのはこのバラックに住んでいることを知られると、仲間はずれにされることです。そのときはM君の一言でホッとしました。「大丈夫だった、嫌われなかった」と安心したのです。

M君は小学3年で既に紳士です。驚きですね。あの優しそうなお母さんの教育のせいかも知れません。私はこんな立派な子供に育てる、「上流社会」の人が大好きです。

社会全体が混沌とし、弱肉強食はびこる時代でしたが、反面博愛主義的な生き方を信条とする人も少なくなかったと思います。

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【2009/03/08 19:05】 | 照る日曇る日
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