カラオケボックスに迷い込んだ一匹のハエの為に、危うく別れ別れで帰ることになるところだった。私はトボトボ歩いて、Aさんは車で、左と右に泣き別れ。ひょっとしたら永遠の別れになったかもしれない。お互い先は短いのにね。
「なにも殺さなくていいのに、拾って外に出せばすむことでしょう」
「なに言ってんのよ。手が汚れるじゃない」
「靴がよごれましたね。25万円の靴が泣いてますよ」
それは足を折って入院したときに、おねえさんからもらった100万円の見舞金で買った、Aさん自慢の靴である。
毎月開かれるカラオケ会の出だしは惨憺たるものだったが、ようやく始まり私の番が来た。腹に一物あって選んだ曲が「あじさいの雨」。
「弱いからだに~ かさねた無理を~♪」
と歌いだすと、とたんにAさんが横やりを入れた。
「弱い女がそんなに好きかい!」言い方にトゲがあるから冗談には聞こえない。
次の歌詞を聞かせたいのだ。今のAさんにピッタリではないか。
「かくしていたのか 濃いめの化粧~♪」
奇麗と思っていたが、ハエの一件の後ではそのようにしか見えない。感情の変化で同じ顔が違って見えるから不思議だ。
「強い女は嫌いかい!」
少しは静かにしてほしい。ハエを一匹殺したくらいでそんなに強がることはない。バカらしい。私は熱唱中だから、口答えもできやしない。
「いくども色を 変えながら 枯れて淋しく 散ってゆく~♪」 どうだ、まいったか。と心の中で叫んだ。私だって皮肉の一つも言ってやりたい。直接は言えないから、精一杯感情を込めて歌ってやった。
カラオケ店は家からバスで30分くらいだが、帰りはAさんが最寄の地下鉄駅まで送ってくれるいつもなら「乗って行かない」と声をかけてくれるのだが、今日は違う。 ハエの一件が尾を引いているようだ。
「バス何時?」とAさん。
「まだ42分ありますね」
そばにいたBさんが口を出す。
「歩いて行けばいいじゃない。真っすぐ行けば豊平川。後は簡単よ」。確かに道順は簡単だが、1時間以上もかかりそうだ。
今日はバスで帰るつもりだったが、Bさんに歩けと言われて気が変わった。
「乗せてくれない」と、Aさんに頼んだ。
意外にもこころよく乗せてくれた。車の中でAさんがいった。
「歩くの嫌なの?」
「嫌じゃないけど、お名残惜しいでしょ」
「そう。私もお茶でも飲もうかと思ったのよ」
それで、バスの時刻を聞いていたのだと分かって、ホッとした。
「ハエをぶっつぶせ」と怒ったのは本気だ。だから、それを引きずって帰りたくなかったのだと思う。長い付き合いだが、言葉だけでもお茶に誘われたのは初めてだ。Aさんは決して謝らない。その代わり命令を下す。「いろいろありましたが、丸ごとひっくるめて付き合ってください」と、メールが届いていた。
080608
「なにも殺さなくていいのに、拾って外に出せばすむことでしょう」
「なに言ってんのよ。手が汚れるじゃない」
「靴がよごれましたね。25万円の靴が泣いてますよ」
それは足を折って入院したときに、おねえさんからもらった100万円の見舞金で買った、Aさん自慢の靴である。
毎月開かれるカラオケ会の出だしは惨憺たるものだったが、ようやく始まり私の番が来た。腹に一物あって選んだ曲が「あじさいの雨」。
「弱いからだに~ かさねた無理を~♪」
と歌いだすと、とたんにAさんが横やりを入れた。
「弱い女がそんなに好きかい!」言い方にトゲがあるから冗談には聞こえない。
次の歌詞を聞かせたいのだ。今のAさんにピッタリではないか。
「かくしていたのか 濃いめの化粧~♪」
奇麗と思っていたが、ハエの一件の後ではそのようにしか見えない。感情の変化で同じ顔が違って見えるから不思議だ。
「強い女は嫌いかい!」
少しは静かにしてほしい。ハエを一匹殺したくらいでそんなに強がることはない。バカらしい。私は熱唱中だから、口答えもできやしない。
「いくども色を 変えながら 枯れて淋しく 散ってゆく~♪」 どうだ、まいったか。と心の中で叫んだ。私だって皮肉の一つも言ってやりたい。直接は言えないから、精一杯感情を込めて歌ってやった。
カラオケ店は家からバスで30分くらいだが、帰りはAさんが最寄の地下鉄駅まで送ってくれるいつもなら「乗って行かない」と声をかけてくれるのだが、今日は違う。 ハエの一件が尾を引いているようだ。
「バス何時?」とAさん。
「まだ42分ありますね」
そばにいたBさんが口を出す。
「歩いて行けばいいじゃない。真っすぐ行けば豊平川。後は簡単よ」。確かに道順は簡単だが、1時間以上もかかりそうだ。
今日はバスで帰るつもりだったが、Bさんに歩けと言われて気が変わった。
「乗せてくれない」と、Aさんに頼んだ。
意外にもこころよく乗せてくれた。車の中でAさんがいった。
「歩くの嫌なの?」
「嫌じゃないけど、お名残惜しいでしょ」
「そう。私もお茶でも飲もうかと思ったのよ」
それで、バスの時刻を聞いていたのだと分かって、ホッとした。
「ハエをぶっつぶせ」と怒ったのは本気だ。だから、それを引きずって帰りたくなかったのだと思う。長い付き合いだが、言葉だけでもお茶に誘われたのは初めてだ。Aさんは決して謝らない。その代わり命令を下す。「いろいろありましたが、丸ごとひっくるめて付き合ってください」と、メールが届いていた。
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