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朝食はテレビを消して話しながらとる。 「朝の食卓」の話題は近所の中島公園、健康、そして札幌シニアネット(SSN)、カラオケ、歩こう会など。
「やっと80歳になれました。とても嬉しいです」
「分かる分かる。半分だけ元気も 楽じゃない。早く枯れたいよね」
「人間として、もっと成長したいのです」
「なにっ! もう遅いから、あきらめろ」

考えてみれば、ずいぶん狭い社会で暮らして来たものだ。いろいろ転勤もしたが、何処に行っても職場中心の暮らしだ。地域住民と馴染むことはほとんどなかった。言われるまでもなく「井の中の蛙」だ。世間のことは何も知らない。このままで一生を終わるのかなと思ったら心細くなった。 

「世間を知るとは人を知ること」と思う。先ずは身近なところから始めてみたが…。退職したからと言って、掌返すように「さあ、これからは地域と共に」と言ったところで、上手く行くはずがない。地域の壁は厚かった。

「そりゃそうだよ『井の中の蛙』に出る幕はない。どこにもないよ」
「60歳のラブレターって、ご存知ですか?」
「何んだ急に! 気色悪いぞ。いい年して」
「本になるのですから、本当の気持は書けないでしょうね」
「『私は一生あなたに首ったけ』とか書いてあったな。ホンマかいな」
「もし、私にラブレター来たら、どうしたらいいでしょうか?」
「あんたは、よけいな心配するからハゲるんだぞ」
「しかし、亡くなった方への想いには心打たれるものがありますね」
「うん」

38年間の職業生活で身についたのは我慢だけだった。しかし、退職後の解放感はまだ続いている。毎日が楽しい。退職してからは在職時代の100倍以上笑ったと思う。 新しい友達も沢山できた。客観的には友達未満かも知れないが、何処に行っても笑顔に出会えるのが嬉しい。こんな楽しい経験は生まれて初めてのことである。

喜んでばかりはいられない。まだやり残したことがある。しかし、これだけは誰にも言うことは出来ない。心の深淵をさらけだしても、喜ぶ人はいない。 今までの人生では今が一番充実している。しかし、こう言い切ってしまっていいのだろうか。いかにつまらない人生を歩んできたか、告白するようなものだ。

70歳までは、何でも幅広く吸収したいと思っていた。出来るだけ多くの人たちと接して、自分自身の幅を広げたい。失われた38年間をとり戻してみたかった。

「とり戻して、どうなる」
「普通の人になりたいのですね。みんな普通にふるまって仲良くしているではないですか」
「そう言えばあんたは、どこか無理をしているように見えるな。何か不自然だぞ」
「仮面をつけています。『行って参ります』と言って仮面とつけ、『ただいま』と言って外すのです」
080131

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