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朝食はテレビを消して話しながらとる。 「朝の食卓」の話題は近所の中島公園、健康、そして札幌シニアネット(SSN)、カラオケ、歩こう会など。
あのころ私は67歳、シニアネットのお陰で豊かで愉しいシニアライフを送っていた。この喜びを友人にも、お裾分けしてやろうと思い、入会を勧めたら「仕事でもないのに人の中に入って気を使うのはゴメンだね」と断られてしまった。

「おやっ?どこかで聞いたようなことを」と思ったら、5年ほど前の、私自身のセリフではないか。その頃は、せっかく仕事を止めたのだから家でノンビリ暮らそうと思っていた。しかし、そうは問屋が卸さなかった。1年もしない内に、D子に邪魔にされ、無理やり「老人福祉センター」に連れて行かれた。

「あんたは、何処に行っても三日坊主だね。今度は易しいところにしたから、1年間は止めたらダメだよ」ときつく言い渡された。今度こそは押し込んでやろうというD子の意気込みに、押されるようにして入ったのが「ヒヨコ英会話」教室である。これが残りの人生を変えることになろうとは、夢にも思わなかった。

「ヒヨコ」とうたっているだけあって、ちょこっと行った川柳・ヨガ・手話に比べて、確かに易しいと思った。しかし、ここでも私はお客さん。教室の片隅で暗い顔してじっと座っているだけだった。人並みに横のオジサンに話しかけたりするのだが、「旅行しない・山登れない、カラオケ・釣り・パークゴルフ・囲碁将棋出来ない」ことが分かると、それ以上話が続かないのだ。

9ヶ月目にやっと話し相手に恵まれた。たまたま横に座ったAさんが話しかけてくれたのである。まさに地獄に仏だ。一人でダンマリも楽でない。金曜の朝は憂鬱だ。「今日は英語だよ」と言ってD子が尻を押す。 どうして、こんなにお節介になってしまったのだろう。控えめな人と思っていたのに。家を出てもこのまま図書館にでも行こうかと思ったことが、何回もある。しかし、仕事人間の習性もまだ残っていて嫌々ながらでも足が「英会話」の方に向いてしまう。 

Aさんは親分肌で教室中、全部自分の友人にしないと気がすまないようだ。お陰様で引っ込み思案の私も、晴れて友人の一人に加えさせてもらえた。「いつも一人で寂しそうだから、声をかけて上げたのよ」と恩着せがましいのだが、大勢の中で一人ダンマリも、楽じゃないので有難かった。 これがきっかけで皆さんとも打ち解けるようになり、1年後にはハワイ旅行にも参加した。そして、これが生涯一番の楽しい想い出になったのである。

その後感じたことだが、世の中のいろいろな場所に人と人を繋ぐ、接着剤みたいな人が配置されている。私は一つの素材となって接着剤で繋いでもらうことを覚えた。最近ではどこに顔を出しても親しく話せる仲間がいるような気がしている。人慣れしてくると、長年趣味としてやってきたパソコンのグループにも入りたくなった。こうして入ったのが、現在所属しているシニアネットである。

最初はパソコンの勉強をしようと意気込んでいたが、生まれつき緻密なことと、素早い処理は苦手だ。3年間試行錯誤した末、ついにパソコンの勉強は諦めてしまった。 今では私自身が人と人を繋ぐ接着剤の役目を果たいと思っている。引っ込み思案の私には、所詮ムリな「仕事」だが、できるだけのことはやってみたい。 人生の秋は、人として生きて行きたいからである。それから13年たって80歳、すべての活動を止めてノンビリ暮らしている。これはこれでいいもんだ。

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