朝食はテレビを消して話しながらとる。 「朝の食卓」の話題は近所の中島公園、健康、そして札幌シニアネット(SSN)、カラオケ、歩こう会など。
新年にあたり今年の抱負を語りたい。後期高齢者(略してコーキ)の1年目だから、それに相応しいことがいいと思う。結論から言うと英語の歌を覚えたい。

習うのではなく、自分で勝手に練習して適当に歌うだけ。それには理由がある。音痴で英語力も無い、オマケに口が回らない。ここを直せば好くなるとか言われても直せないのだ。居直りではなく、現実を認めつつ楽しみたいと思っている。

その様な悪条件下でも英語で歌いたいのは若い時、英語が大好きだったからだ。ただ好きなだけで学校で習ったわけでもない。洋画を観て、このセリフは格好いいとか思って、一人でつぶやいているだけだった。憧れと言うか、そんな感じである。

有難いことに私が所属している札幌シニアネットのカラオケクラブでYowKaraもやってくれることになった。「洋楽カラオケ」の略だそうだ。こんな機会は一生に一度しか回って来ないので一生懸命やりたいと思う。英語の歌と言うのは格好いいセリフの塊だから歌えれば気分がいいだろう。多分。

歌に関しては辛い思いが2回あった。ひとつは小学校の学芸会の合唱で、口だけ動かして声を出すなと先生に言われたとき。いわゆる口パクの強制である。もう一つは40歳くらのとき、同僚から「歌えと言われても歌うな。断れ」と言われたとき。皆が歌っているのに私だけが断ったら場の雰囲気を悪くするとか考えたのが間違いのようだった。逆だと言うのだから嫌になる。涙がホロり。

「そんな思いをしたのに、よく歌う気になるな」
「根が好きなもんですから」
「そうかい。そりゃあ御気の毒様」
「私の音痴を知っている人が、下手同士3人でカラオケやろうと誘ってくれました」
「下手でも好きな人って居るもんだな」
「歌うのが嫌いな人なんていませんよ」
「カラオケ嫌いなんて掃いて捨てるほどいるぞ」
「周囲の人たちが寄ってたかって嫌いにさせただけです」
「なるほど、何でも人のせいにすれば気は楽だ」
「退職してからですが、シニアネットを含めて4回も好い機会に恵まれました」

ところが最高のチャンスがやって来た。去年の秋、Yowkaraの案内メールが流された。そこには「洋楽に興味のある方なら、どなたでも大歓迎」と書いてあるではないか。あるある大いにある。さっそく遠慮なく参加させてもらったが、やはり歌うのは難しかった。それなのに何故か歌いたい想いが募って来た。

思い返せば半世紀も前のことだが、英語も多少関連する職に就くと、大好きだったのが次第に嫌いになり、5年もたつと大嫌いになった。研修中は出来る人だったのに実務に就くと、いつの間にか一番出来ない人になっていた。向いていなかったのだ。結局一人で洋画のセリフをつぶやいていた時が一番楽しかった。しかし、それでは飯が食えない。首にならない為に必死に頑張っていたら更に嫌いになった。

「音痴な人は英語もダメなんですね」
「そりゃそうだ。それなのに何で? 今更英語の歌なんか……」
「心の片隅にあった若気の心に火が点いたのです」
「そりゃあ危ない」
「若いとき一人でつぶやいていた英語のセリフを今度は皆のまえで歌いたく……」
「ちょっと待った、音痴の上に英語を重ねるのか。それじゃあ恥の上塗りになるぞ」
「点いた火を消すのは容易なことではありません」
「だから水を差して上げたんだよ」

65歳になってカラオケを始めた。社会的にも高齢者と認められる年になったからだ。若い時は下手な歌を歌えば恥をかくだけだが、高齢者になると健康にいいから大いにやりなさいと言ってくれる人もいる。好きだから歌っているだけだが、その流れにはシッカリと乗せてもらっている。ひょっとして健康にいいかも知れない?

あれから10年、恐れ多くもYowKaraに挑戦。普通ならリングに上がった途端にバタッと倒れノックアウトだが、私はコーキ。何をやっても「ジイサンだからしょうがない」と周りが諦めてくれる。高齢化の流れがグイグイ私の背中を押してくれるのだ。

カラオケクラブでは新曲を聴くことがよくある。歌える人が羨ましいとは思うけれど音痴だから覚えられない。昔の歌だけで精いっぱいだ。

「その点、ヨウカラはいいですね。米国懐メロ一覧と言う感じです」
「英語で歌えるのか?」
「カタカナも一緒に出てきますよ」
「自己満足だな」
「いえいえそれは違います。もっと上のレベルです」
「なんだと?」
「自己解放ですよ」

高齢者と呼ばれる65歳の時、カラオケを始めた、そしてコーキになってYowKaraを始めようとしている。この間、10年、さて次の10年後、85歳になったら何を始めているだろうか。未来を予測する為には歴史を知らなければならない。

仮にタイムマシンに乗って11年前に戻っとしたら、その時の私は1年後にカラオケを始めて、その10年後にYowKaraを始めることを予想できない。だとすれば、今から10年後には思いもよらない楽しいことが待っているに違いない。

私のお勉強「トム・ドゥーリー」
勉強と言っても歌詞とその背景を知りたいだけのこと。例えばキングストン・トリオの「トム・ドゥーリー」が私の耳に心地よく響く。しかし、ヘダント・ヘッタン・ドゥーリー、ヘダント・ヘーアン・クライとしか聞こえない。歌詞を読むとこうだ。Hang down your head, Tom Dooley Hang down your head and cry 何となく不気味だ。

訳詞を読むと、トムは縛り首(絞首刑)にされて明日は死ぬ身と書いてある。フィアンセを殺した罪で刑が執行されるのだ。このような歌詞が、あの美しいメロディーに乗せて淡々と流れる。曲のヒットがきっかけで、ノースカロライナにあるトムの墓は新しく建て直されたそうだ。トムは元南軍の兵士だが、フィアンセの他に恋人も居た。

トムは裁判で自分の犯行を否定したものの、「自分は罰を受けるに値する」として、自ら進んで首を差し出した。これは1886年に起きた殺人事件である。多くの謎を残したまま忘れ去られそうになったが、曲のヒットでよみがえる。真犯人はトムのもう一人の恋人だったという説もある。何となく肯ける。

想うことはいろいろあるが、このような残虐且つ不可解で痛ましい事件が美しいメロデーに乗せて淡々と歌われていることが凄いと思った。少なくともこの種の日本歌謡曲を聞いたことがない。だからYowKaraは面白い。歌えても歌えなくても。

昔は何も知らずに心の中でヘダント・ヘッタン・ドゥーリーとつぶやいていた。美しいメロデーが半世紀以上にわたり私の心にひびいている。それなのに歌えないから不思議だ。ヘタデモイイカラ・ドゥーリー、ウタッテミタイヨ・クラーイ♪

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【2016/01/02 00:00】 | 札幌シニアネットssn
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今年も楽しいエッセイを。
路傍の石

新年おめでとうございます。
今年も笑えるオチ、楽しみにしています。

「現実を認めつつ楽しみたい」→清々しい言葉ですね。
PPさんの素直さが表れているみたい。

歌えても歌えなくても、出来ても出来なくても、
チャレンジすることは大切だし、楽しい。

♪ヘタデモイイカラ、PPサン・ウタッテチョウダイ、ヘ~イ♪
 (ごめんなさい、本当は上手なんでしょ、PPさんは。)

ウタッテチョウダイ、ヘ~イ
PP
新年おめでとうございます。
一度でいいからウタッテチョウダイ、ヘ~イ♪
と言って欲しい。という願いが早々と叶いました。
有難うございます。
歌うのは健康にいいそうです。
そう言われると堂々と歌えるので助かります。

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この記事へのコメント
今年も楽しいエッセイを。

新年おめでとうございます。
今年も笑えるオチ、楽しみにしています。

「現実を認めつつ楽しみたい」→清々しい言葉ですね。
PPさんの素直さが表れているみたい。

歌えても歌えなくても、出来ても出来なくても、
チャレンジすることは大切だし、楽しい。

♪ヘタデモイイカラ、PPサン・ウタッテチョウダイ、ヘ~イ♪
 (ごめんなさい、本当は上手なんでしょ、PPさんは。)
2016/01/04(Mon) 17:59 | URL  | 路傍の石 #-[ 編集]
ウタッテチョウダイ、ヘ~イ
新年おめでとうございます。
一度でいいからウタッテチョウダイ、ヘ~イ♪
と言って欲しい。という願いが早々と叶いました。
有難うございます。
歌うのは健康にいいそうです。
そう言われると堂々と歌えるので助かります。
2016/01/04(Mon) 18:55 | URL  | PP #kEawCMz.[ 編集]
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