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朝食はテレビを消して話しながらとる。 「朝の食卓」の話題は近所の中島公園、健康、そして札幌シニアネット(SSN)、カラオケ、歩こう会など。
焼け跡闇市派を自認する野坂昭如氏が亡くなった。戦争を知る人を次々と失い寂しい、と言うよりも次第に不安が募ってくる。終戦当時は子供だった。闇市で物を買う余裕のない私は、ただの焼け跡派。しかも異常に長すぎた焼け跡暮らしだった。

周りは復興して住宅建設ラッシュが続いているのに、我が家だけが復興から取り残されれ、相変わらずのバラック暮らしだった。安普請とは言え新しい住宅や商店が並んでいる。戦後5年もたつのに私は「焼け跡の子」のまま。近所で唯一のバラックに住んでいることが、とても恥ずかしかった。

多くの人は焼け跡の生活は苦しかったと言うが、近所が復興したのにバラックの子として暮らすのはもっと苦しい。と思ったのは後になってからだ。10歳だった私は、目の前の現実を乗り越えるのに精いっぱいだった。食い物を得ること、危険を避けること、恥ずかしい現実を隠すこと等、直面する問題が山ほどあった。

バラックとは兵舎の意味もあるが仮小屋のこと。終戦直後のバラックは空襲で焼野原となった跡地に建てられた。焼け跡に残った焼トタンや、燃え切らなかった木材などが建材だ。主に焼トタンで出来ているので夏は暑くて冬は寒い。しかも狭い。素人の手作りだから大きいのは無理だ。6人家族で6畳に住んでいた。

横浜で生まれたが戦争が激しくなると疎開で田舎を転々。5歳で東京都S区に転居したが、その頃は皆がバラックに住んでいた。それから4年ほどたつと殆どが新しく家を建て、我が家のある一角だけが得体の知れない人達が住むバラック横丁として残った。ところが、台風が来て他のバラックはペシャンコにつぶれてしまい、幸か不幸か我家だけが残った。

当時、バラック住まいは無気力・無能力を証明するものと思われていた。空襲で焼かれたところまでは皆一緒。普通の人は子供達も含めて一家全員で必死に働き食事まで切り詰めて家を建てた。5年もたってバラックに住んでいる人でまともな人は居ない。そこに住むのは焼け跡の敗残者達。復興競争に敗れた惨めな人々。

差別された記憶はないが、私自身はバラックと親と自分のことを恥じていた。ところで、1950年ごろだが、家から1kmくらいの所のガード下にもう一軒のバラックがあった。そこに同級生が住んでいた。Yという名の女生徒はクラスの仲間外れだった。臭いとか言って誰も近寄らないから、いつも一人ぼっちなのだ。

私も距離をとっていたが、はたから見れば私たち二人は同類で同じ臭気を放っていたと思う。長い間風呂に入らず同じものを着ていれば誰でも臭くなる。だからと言って苛められた記憶はない。私が勝手に恥と思いバラックの子であることを必死になって隠していた。後で考えれば皆知っていたと思う。無駄な努力をしたものだ。

あれから10年たって私も20歳になった。気まぐれな友人Sに誘われてダンスホールに行った。ダンスの得意なSは相手を見つけて踊りまくっている。一人残されて居心地が悪かったが、友人と言うよりSの子分の様な私は怖くて帰ることも出来ない。

ウェディングドレスを簡略化したような白いワンピースを着た女性が一人で立っていた。何となく寂しそう。私にすれば声をかけやすい感じだ。どこかで見たことがある。10年前小学校で同級だった悪臭プンプンのYさんだ。身なりは変わったが顔に当時の面影が残っている。相変わらず孤独で不幸な雰囲気を漂わせている。

声をかけると黙って組んで来た。しかもダンスが上手な人のようにピッタリとだ。私は何も話さないし、Yさんも黙ってステップを踏んでいる。思わず彼女はどのような人生を歩んできたのだろうとか考えてしまった。

孤独で苦しい10年の果が今の姿。東京都S区のダウンタウンにあるダンスホールの片隅に一人っきりで立っていた。昔と違ってサッパリした身なりで、かすかに香水の香りがする。だけど清潔な感じはしないし、ダンスを楽しんでいる様にも見えない。

二人とも知り過ぎていて何も話さない。知っていることは話題として楽しくないことばかりなので話す気がしない。振り返ってみれば小学校も中学も一緒なのに話したことがない。又、Yさんが同級生と話している姿も見たことがない。

ひょっとして障がいで話すことが出来ないのかも知れない。そんなことまで知らないのだ。共通点はただ一つ、戦後5年もたっているのに、二人だけがバラックの子だということ。それだけで何もかも分かったような気がした。恐らくYさんも……。

先日、テレビで観たことだが、硫黄島の戦闘で悲惨な体験をした元米兵の話が印象的だった。彼はこう言っていた。「父が硫黄島はどうだったと聞くので地獄だったと答えると、父は『ニューヨークだって地獄だったよ。物不足で大変だった』と応じた。私は何も話す気がしなくなった」。

人並み外れた悲惨な体験をした人は、そのことを誰にも話せない。理解できる聞き手がいないからだ。子供でも悲惨な体験はする。Yさんが無口なのは自分のことは誰も分かってくれないと諦め切っているからだ。

昔も今も世の中は想像を絶する悲惨な体験をした人の口が封じられ、無意味な成功談で満ち溢れている。それらが悲惨体験をした人々の口に蓋をする役目も果たしているのではないだろうか。

私は時々考える。Yさんは自分のことを誰にも聞いてもらうことなく、あの世に向かって旅立つのだろうか、あるいは既に逝ってしまったのか。人並み外れた悲惨な体験をした人々は何も語らずに逝ってしまう。貴重な体験が身体と共に消え去って行くのがもったいなくて仕方がない。

世の中を良くする多くのヒントが人知れず失われて行くのが残念だ。真実をくみ取る仕組みが欲しい。それが無いのは、世の中が為政者にとっての「不都合な真実」で溢れているからだろうか。

「考え過ぎでしょうか」
「ひねくれてるね」
「似たような人が体操選手に…」
「いるもんか」
「いますよ」
「だれ?」
「ひねくれ王子」

【2015/12/19 00:00】 | 照る日曇る日
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子供たちが希望を持てる世の中に。
路傍の石

戦争を体験していない私に、軽々な事は言えませんが、
人間の身体も心も破壊してしまう戦争は、
二度とあってはなりません。

今の政治が果たして国民の幸せに向かっているのか、
考え始めると怖くなってきます。

まったく同感です
PP
まったく同感です。
子供たちが希望を持てる世の中なら、大人も幸せです。
この20年で顕著なのは大金持ちが増えたこと。
そして、貧乏人が大幅に増えたことです。
選挙で選ばれた人たちがこの世の中をつくったのです。
お金万能の世界は怖い。マネーゲームの横行は怖いです。
良く考えて一票を行使することが大切と思います。

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この記事へのコメント
子供たちが希望を持てる世の中に。

戦争を体験していない私に、軽々な事は言えませんが、
人間の身体も心も破壊してしまう戦争は、
二度とあってはなりません。

今の政治が果たして国民の幸せに向かっているのか、
考え始めると怖くなってきます。
2015/12/23(Wed) 18:48 | URL  | 路傍の石 #-[ 編集]
まったく同感です
まったく同感です。
子供たちが希望を持てる世の中なら、大人も幸せです。
この20年で顕著なのは大金持ちが増えたこと。
そして、貧乏人が大幅に増えたことです。
選挙で選ばれた人たちがこの世の中をつくったのです。
お金万能の世界は怖い。マネーゲームの横行は怖いです。
良く考えて一票を行使することが大切と思います。
2015/12/23(Wed) 21:02 | URL  | PP #kEawCMz.[ 編集]
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