朝食はテレビを消して話しながらとる。 「朝の食卓」の話題は近所の中島公園、健康、そして札幌シニアネット(SSN)、カラオケ、歩こう会など。
なんとなく清々しい朝だ。いつものように景色を見ながら朝食をとっていた。雪が少し残っている手稲山を見て、あそこはゲレンデだったのかなとか考えていた。そんな時QPが話しかけてきた。左手にコーヒーカップを持っている。

「人間は皆すばらしいんだって。アンタもそうなんだよ」
QPにしては珍しいことを言うものだ。
「私なんかダメですよ。いいところなんか何もありません」
「そんなことないよ。どんな人でも世界に一人しかいないし、過去にも居なかったし、えーとー、何だったかな? とにかく何かいいこと言ってたよ」
「将来生まれる可能性もないただ一人の人。今朝のラジオで話していましたね」
「なんだ聴いていたのかい。だから人は皆素晴らしいんだよ」

それは分かるけれど、ラジオで話す識者の受け売りだけでは頂けない。少しは自分の考えも付け加えてほしと思い、冷かしてみたくなった。
「アリンコもゴキブリも皆すばらしいですね。世界どころか宇宙で一つの命です」
「……………………」
この長い沈黙が怖い。しまった!と思ったがもう遅い。

この間合いはいったいなんだろう。癪に障ったから反撃の準備をしているのに違いない。こんな時QPはあらゆる知恵を働かせ、あらゆる方面から攻めて来るから恐ろしい。どの方向からどんな攻撃がくるか全く予測できないのだ。

人を怒らせて好いことなど何ひとつない。だから何時もQPを怒らせないように気をつけている。それなのに口が滑って失敗してしまった。今年はまだ一度も怒られていないので気が緩んでいたのかも知れない。

天災は忘れたころにやって来ると言われている。これは単に時間の長さを言っているのではなく、備えを忘れた頃にやってくることを意味していると思う。常在戦場、油断大敵だ。敵は私の心の中に居た。沈黙が長いほど怒りは大きく育っていくだろう。

「あのねー」
QPがようやく口を開いたので緊張し、ドキドキと脈拍は上がり、心臓から頭へかっと血がのぼって行くように感じた。思わず頭を低くして身構えた。
「人間にはね。個性があるから素晴らしいんだよ。アンタは沢山の蟻を見てどれが誰だか区別がつくのかい」
とか言っている。静かに話しているが薄笑いが不気味だ。

一瞬会話は途切れた。嵐の前の静けさとはこんなものだろう。返答次第では激しい攻撃を受けるかも知れない。真面目に慎重に答えることにした。全てを肯定し皮肉めいたことは厳に慎まなければならない。

「そうですね。蟻は皆同じに見えて区別がつきません」
「そうだよ。蟻には個性がないから皆同じに見えるんだ。人には一人ひとり皆個性があるよね。だから素晴らしいんだよ。分かったかい」
「はい、分かりました。だけどずいぶん時間がかかりましたね」
意外にもQPが冷静なのでホッとした。つい気が緩み口が滑ってしまった。時間がかかったとか言うんじゃなかった。千慮の一失だ。怒りに火が点くかも知れない。

「考えていたんだよ。アンタは常識がないからね。どう説明するれば分かってもらえるのか難しいんだよ」。いつもと違って冷静なのでホッとした。むしろ教え諭すことに喜びを感じているようだ。私は間違っていたかも知れない。

知力、即ち誤魔化しと騙しのテクニックでQPを意のままに操り、我が家を実効支配していると思っていた。しかし、これは勘違い。私はポチ、そして自室は犬小屋と思えばピッタリだ。「ご飯だよ」と声をかけられれば直ちに犬小屋を飛び出し食卓につき、「掃除だよ」と言われば外に出る。そして主人の顔色をいつも伺っている。

無職なのに家事は一切しない。ただし言われたことは(出来ることなら)忠実にやる。これはポチとして生きているに過ぎないのではないか。しかし今までの人生で一番幸せを感じていることは確かだ。人間として生きようと思っていた時は、少年時代も、職業時代も、定年後でさえ辛く苦しかった。

私は幸せに暮らし楽しい人生を送っている。しかし人間であることを主張すれば角が立ち、辛苦に満ちた厳しい人生に暗転する。人間とはなんだろう。いつも不思議に思っている。だけど、こんなことを何人にも縛られずに自由に考えられる人生は素晴らしい。やはり幸せとしか言いようがない。素晴らしきかな人生。

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【2015/05/23 00:00】 | 愚かな私
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