朝食はテレビを消して話しながらとる。 「朝の食卓」の話題は近所の中島公園、健康、そして札幌シニアネット(SSN)、カラオケ、歩こう会など。
すべては雪のせいだ。あの雪さえなかったら今ごろは楽しく暮らしていたはずなのに、1センチにも満たない薄い積雪のために、私の人生は狂わされてしまった。今にして思えばあの頃は幸せだった。

一歳年下の妻、陽子は頼みもしないのに三度の食事の世話をしてくれる。夫婦二人暮らしなのに温かい母子家庭のようだった。「母」は小うるさいけれど何もかも私本位に考えてくれる。その中で私は、ぬくぬくと楽に暮らしていた。

事の起こりは三年前。初詣の帰りに陽子は滑って転んだ。外出する時はいつも「年を取って転べば命取りになるからね」と、注意してくれたのに自分で転んでしまったのだ。私は足元に転がっている陽子をボケっと見ていた。なぜ転んだのだろうか?

この疑問は是非解いてみたいと思った。ここは人が転ぶべき場所ではない。その時彼女は私の前を歩いていた。歩道の雪は丁度いい具合にしまっていて、歩くたびにキュキュと音を立てた。もちろん陽子は滑りづらい冬靴を履いている。それなのに何故だろう?

先ず、転んだ現場を詳細に見た。滑った場所は横断歩道。白い雪の中に黒っぽい線がある。 よく見ると氷の上に薄らと新雪が積もっていることが分かった。 なるほど、これは最も滑りやすい状態だ。この黒っぽい線は陽子が滑った跡に違いない。

声がするので気がつくと、陽子は私の方に手を差し伸べている。こんな所で一体何を考えているのだろう。新婚時代を含めて手をつないだことなど一度もない。私が傍観者のように見ていると、よろよろしながら立ち上がり、今度は肩を貸してくれと言う。

次から次へと要求される無理難題に辟易としたが、仕方がないので肩を貸した。家まで約150メートルもある。よろよろと歩いたが、行き交う人は気にもしない。不本意ながら屠蘇の飲みすぎと思われたに違いない。この日は元旦だった。

陽子は私の肩にすがって不安を感じないのだろうか。楽観的なのか、それともそれほど痛くもないのかも知れない。私の経験では本当に痛みが強いときは人の肩など当にはできない。まして未経験者のお世話など怖いだけだ。本当に痛いのなら「ここをこう支えろ」とか具体的に頼む筈である。単に肩を借りて済む話ではない。

何かやってくれれば甘え、何か頼まれれば疑り深くなる。 我ながら困った性分だ。 まだ家まで100メートルもある。この肩は貸す必要があるのか無いのかと、考えながらのヨロヨロ歩きは本当にくたびれる。第一、年寄二人が絡み合ってよろけながら歩いたら返って危ないのではないか。

後になって陽子が骨折をしていることを知った。入院し手術をして退院後の生活は180度転換してしまった。全ては雪のせいだ。あの氷の上に薄く積もった少しばかりの雪。そんな些細なもので人生を狂わされてしまった。

人一倍元気だった陽子は骨折をきっかけに持病を悪化させ、次第に生気を失い寝たり、起きたりの暮らしになった。不本意ながら不器用で虚弱体質の私が、我家の暮らしを守ることになった。

あれから3年たった。あのアクシデントさえなければ平穏で幸せな暮らしが続いたはずなのに、今は外出もままならない始末だ。そんなときに先輩の蛭田さんが何処から何を聞きつけたか知らないが来てくれた。 
               
「大変だな」
「そのうち良くなりますよ」
「そうだな、きっと好くなるよ。だけど困ったことがあれば言ってくれ」
「有難うございます。しかし困ったことは起こらないと思いますよ」
「そりゃそうだ。絶対に起こらない。でも万一ということもあるだろう」
「嫌なことは考えないことにしています」

すべてはあの雪のせいだ。私は人生最大のピンチを迎えた。こんな時は、「すべて良くなる・困ったことは起こらない・嫌なことは考えない」。こう唱えるより他に道はない。

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【2015/01/24 00:00】 | 愚かな私
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