定年退職して1年後に老人福祉センターの講座に参加した。そこでは小学校の学芸会のようなことをしていた。およそ18年前くらいのことだった。
「12月25日はクリスマス音楽祭です。男性は黒いスーツに蝶ネクタイをして下さい」と先生は言った。ここは高齢者対象の「ヒヨコ英語教室」。 市内に5つある教室が1年に1回、合同でホールを借りきってイベントよやろうという趣向だ。
毎年開いているそうだが、私にとっては初めての音楽祭だ。 正直言って、これはエライことになったと思った。小学校の学芸会以来、舞台など上がったことがないのだ。
唯一の例外があのカラオケだが、私にとって最悪の結果になってしまった。今度は蝶ネクタイまでするのだからやりきれない気持だ。普通なら教室の片隅で大人しくしているところだが、こんな理不尽な要求を突きつけられて、黙ってはいられない。間髪入れず異議を唱えた。
「蝶ネクタイは持っていませんが…」。私にとっては精一杯の抵抗だ。
「ご心配いりません。百円ショップで売ってます」と、軽くかわされてしまった。
この教室には分別のありそうなシニアが28人もいる。私が口火を切りさえすれば、「嫌だ。嫌よ」の大合唱が始まると期待したのだが…。
「一人ひとり買いに行くのも能がないので、私が取りまとめて買ってきましょう」と仰る方まで現れた。これも確かに分別だ。 それだけではない。事態は私の思惑に反する方向に、どんどん進んで行った。
「先生、女性は白いブラウスに黒のスカートがいいと思いますが…」
「胸に赤いバラをつけるのはどうでしょう」
「男性もつけてもいいですか?」
一体どうしたことだ! ここでは私の所属していた社会とはまったく違う常識が支配している。 変わらなければならないのは私なのか? 信じたくはないが そうらしい。
こんな苦労までして「ヒヨコ英語教室」にしがみつくのには訳がある。今まで参加したサークルは幾つもあるが、すべて三日以内に止めている。今度ばかりは1年は続けようと固く誓ったのだ。
こうして音楽祭は始まった。意外なことに、ほとんどの方々が、歌うときも見るときも、楽しそうに生き生きしている。しかし、考えてみれば当然だ。嫌な人は来なくていいのだから。
音楽祭には、4年で4回参加した。「英語教室」といっても年末の音楽祭に備えて半分くらいは歌の練習だ。ただ歌うだけで特別な指導があるわけでない。だから4年間も続けられたのだと思う。隣でAさんが、きれいな声で歌っているのが聞こえる。聞き耳を立てながら、小さな声で合わせたつもりで歌ってみるとなかなか気分がいい。こんなことを4年間も続けてきた。
Aさんと知り合って5年後、カラオケに誘ってくれた。Aさん達は私の「カラオケ禁止事件」を知っている。不本意だろうが、4年も一緒に同じ歌を歌ってきた仲だ。長い付き合いなので、下手もオンチも承知のはずだ。その上でのお誘いなので喜んで応じた。
楽しめるには、ちゃんとした理由がある。上手いも下手も、パチパチもない。ひたすら順番がきたら歌うだけだが、これがなかなかいいのだ。評価も指導まがいの口出しもない。 どだい、そんなこと出来るわけがない。お喋りに夢中で私の歌など聞いてないのだから。すべてが自然だ。自分達がやりたい様にしていたら、楽しいカラオケ会になってしまった。
「12月25日はクリスマス音楽祭です。男性は黒いスーツに蝶ネクタイをして下さい」と先生は言った。ここは高齢者対象の「ヒヨコ英語教室」。 市内に5つある教室が1年に1回、合同でホールを借りきってイベントよやろうという趣向だ。
毎年開いているそうだが、私にとっては初めての音楽祭だ。 正直言って、これはエライことになったと思った。小学校の学芸会以来、舞台など上がったことがないのだ。
唯一の例外があのカラオケだが、私にとって最悪の結果になってしまった。今度は蝶ネクタイまでするのだからやりきれない気持だ。普通なら教室の片隅で大人しくしているところだが、こんな理不尽な要求を突きつけられて、黙ってはいられない。間髪入れず異議を唱えた。
「蝶ネクタイは持っていませんが…」。私にとっては精一杯の抵抗だ。
「ご心配いりません。百円ショップで売ってます」と、軽くかわされてしまった。
この教室には分別のありそうなシニアが28人もいる。私が口火を切りさえすれば、「嫌だ。嫌よ」の大合唱が始まると期待したのだが…。
「一人ひとり買いに行くのも能がないので、私が取りまとめて買ってきましょう」と仰る方まで現れた。これも確かに分別だ。 それだけではない。事態は私の思惑に反する方向に、どんどん進んで行った。
「先生、女性は白いブラウスに黒のスカートがいいと思いますが…」
「胸に赤いバラをつけるのはどうでしょう」
「男性もつけてもいいですか?」
一体どうしたことだ! ここでは私の所属していた社会とはまったく違う常識が支配している。 変わらなければならないのは私なのか? 信じたくはないが そうらしい。
こんな苦労までして「ヒヨコ英語教室」にしがみつくのには訳がある。今まで参加したサークルは幾つもあるが、すべて三日以内に止めている。今度ばかりは1年は続けようと固く誓ったのだ。
こうして音楽祭は始まった。意外なことに、ほとんどの方々が、歌うときも見るときも、楽しそうに生き生きしている。しかし、考えてみれば当然だ。嫌な人は来なくていいのだから。
音楽祭には、4年で4回参加した。「英語教室」といっても年末の音楽祭に備えて半分くらいは歌の練習だ。ただ歌うだけで特別な指導があるわけでない。だから4年間も続けられたのだと思う。隣でAさんが、きれいな声で歌っているのが聞こえる。聞き耳を立てながら、小さな声で合わせたつもりで歌ってみるとなかなか気分がいい。こんなことを4年間も続けてきた。
Aさんと知り合って5年後、カラオケに誘ってくれた。Aさん達は私の「カラオケ禁止事件」を知っている。不本意だろうが、4年も一緒に同じ歌を歌ってきた仲だ。長い付き合いなので、下手もオンチも承知のはずだ。その上でのお誘いなので喜んで応じた。
楽しめるには、ちゃんとした理由がある。上手いも下手も、パチパチもない。ひたすら順番がきたら歌うだけだが、これがなかなかいいのだ。評価も指導まがいの口出しもない。 どだい、そんなこと出来るわけがない。お喋りに夢中で私の歌など聞いてないのだから。すべてが自然だ。自分達がやりたい様にしていたら、楽しいカラオケ会になってしまった。
| ホーム |