朝食はテレビを消して話しながらとる。 「朝の食卓」の話題は近所の中島公園、健康、そして札幌シニアネット(SSN)、カラオケ、歩こう会など。
時々私は、嘘ばかりついている悪い人間だと思うことがある。だが正直だった時はどうだっただろうか。思い返せば争いごとの絶えない地獄だった。正義と正義はは対立する。そして言い争いになり、嫌になった方が黙るまで続く。しかし、黙った方も負けたとは思わない。話を聞かない人に何を言っても無駄と思っただけだ。

だから争いの種はそのまま残り、時間だけが浪費される。よくもこんな無駄で不毛で劣悪なバカバカしいことを長年して来たものだ。負けた形の私は屈辱感というオマケまで付くのだだから嫌になる。

二人暮しは仲裁役が居ないから争い事を起こしたら延々と続き厄介だ。その代り裁判官もいないから嘘もつき放題。このメリット・デメリットがハッキリと分かったのは数年前のことと思う。それから3年くらいで偽りの人生術を身に付けた。

不完全な私は常に完全を求めている。正義を主張するなら完全に主張し遂げたい。偽りの人生なら完全に偽りたくなる。困ったことに正義の戦いには完敗だったが、ズルイ戦いでは連戦連勝になってしまった。私は生まれつきズルいのかも知れない。

戦法は面従腹背、虐げられた民が強欲で乱暴な支配者に対処してきた古典的な方法だ。これだけはやりたくないと思っていたが、やってみたら実に面白い。QPには面従だけが見えて腹背が見えない。つまり物事や人間の裏側を見られない人なのだ。私が服従するのは自分の説得が効いたからだと誤解している。

人は喧嘩をして理解が深まるというが、私の場合は従うフリをして理解が深まった。黙って服従してきた結果、QPが表裏のない正直な人と、心から思えるようになった。良い面を理解できて好かったと思っている。

しかし困難な事態に遭遇した時にどうなるかは見当もつかない。ケンカは止めたけれど本当に理解し合ったわけではない。本来なら休戦と言うべきだが、先が短いので、もう一度開戦する気にもなれない。

もうケンカは止めよう。QP対策は面従腹背だけで充分だ。負け過ぎてはいけないが勝ち過ぎてもいけない。その辺りの手加減は私に任されている。つまり面従は変わらないが、腹背については自由自在に調整可能なのである。

例えば、具合が悪いとか言って自室に引きこもる。そこは私専用の娯楽室の様なものだから、あらゆる遊び道具と隠匿菓子で溢れている。気が済むまで遊んで気分転換したら「ご迷惑おかけしました」とか言って姿を現せばよい。

正義の戦争より偽りの平和の方がいい。正義は国、宗教、立場により違いがあってややっこしい。その点、平和は分かり易い。ズバリ戦争のない状態である。屁理屈も嘘も国の都合も入る余地がない。しかし平和平和と言っても平和は来ない。ではどうするか? ケンカは止めよう。どんな小さなケンカでも。

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【2016/04/30 00:00】 | 夫婦喧嘩
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大きな器になりたいけれど・・・
路傍の石
こんな内容のコマーシャルがあります。
「瀬戸物と瀬戸物がぶつかると壊れてしまうけれど、
片方が柔らかいと壊れない」

確かにどちらかが柔らかければよいのでしょうが、
私はそんな大きな器は一生持てそうにありません。

でもPPさんは、QPさんの長所 「裏表のない正直な人」 に
気付いたのですから、ケンカも満更ではないかもしれません。
「 ケンカするほど仲が良い」とも言いますから!


のんびり暮らしています
PP
やわらかいこころをもちましょう
のCMはいいですね。
私はケンカすると必ず負けるから嫌です。
勝つ自信があれば別ですが、ダメでしょうね。
のんびり暮らしたいです。
気持ちいいですから。

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