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朝食はテレビを消して話しながらとる。 「朝の食卓」の話題は近所の中島公園、健康、そして札幌シニアネット(SSN)、カラオケ、歩こう会など。
株のことはよく知らないが、中島公園は穴株と思っている。その条件とは第一にあまり知られていないこと。第二に良い株(公園)であること。転勤で本州や九州に住んで分かったことは中島公園がいかに知られていないかと言うことだ。たまに知っている人に会ったかと思うと、かって札幌に住んでいた人だったりする。

2003年に中島公園に関するウェブサイトを開設した。とりあえず情報収集と言うことで中島公園をキーワードにして検索したが、専門のサイトは一つもなかった。穴株としての第一条件は、この二つの事実でクリアできたと思う。

次に第二条件だが、サイトを開設してから中島公園について調べると、その歴史は、まるで札幌の歴史をなぞるようにして変化してきたことが分かった。競馬場、麻生球場、札幌学院大学、NHK放送局、きたえーる、ウィンタースポーツミュージアム等、ルーツが中島公園にある施設は山ほどある。しかも菖蒲池、鴨々川等、極めて重要な歴史的資産がある。これで穴株としての第二条件もクリアしたと思っている。

人気はないが良い株、これが穴株の条件だが今の中島公園株は目をつぶって買いだと思う。人気観光地と違って材料が出尽くしていないところが良い。つまり観光地として大化けする可能性を秘めているのだ。旬の材料としては「木下成太郎像」がある。株に例えれば業績を急伸させる新製品開発のようなものである。

木下像について知ったのは2005年11月、「中島パフェ」掲示板への投稿がきっかけだった。内容は「銅像の主の名前を教えてください」という簡単な質問、ネットで氏名をキーワードにして検索したらすぐに答えが出た。

「明治から昭和にかけて活躍した政治家。教育家の側面ももっています。大東文化大学、武蔵野美術大学の創設者。彫刻家・朝倉文夫の作です」と答えながらも関心は薄かった。何故なら銅像は鳥の糞で汚れ、基壇の割れ目から雑草が伸び放題だったからだ。美術の知識のない私には放置された過去の遺物にしか見えなかった。

その価値を知ったのは札幌彫刻美術館友の会の橋本会長に教えられたからだ。2008年春から友の会では彫刻の調査・清掃・解説などを継続的に行い、その活動は関係者に少しずつ知られることになった。三段跳びに例えると助走からホップの段階に入り飛び始めた感じだ。友の会が細々とやっていた清掃運動を札幌市が知ることになり、とりあえず荒れ果てた基壇と台座の補修をしてくれた。
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2009年10月21日、札幌市と友の会が木下成太郎像等の野外彫刻調査を実施。木下像は市が補修をして基壇の隙間が無くなり台座の字も読めるようになった。

活動を通じて歴史・美術的価値を知ってからは、個人サイト「中島パフェ」に書きまくり、2010年8月4日付け北海道新聞のコラム「朝の食卓」にも書いた。友の会の活動を応援しているつもりだが心の奥底には、これは絶対に当たるという感が働いていた。

三段跳びに例えればホップの次のステップに当たる時が来た。2010年10月17日に札幌パークホテルで開催されたシンポジウム2010「北の彫刻」である。基調講演の為に武蔵野美術大学造形学部彫刻学科の黒川弘毅教授が訪れた。教授は講演に先立ち木下成太郎像の調査を行い問題のある箇所を把握した。これでいよいよと思ったが、門外漢の私には何の情報も届かない。当が外れた感じだが、それでこそ「穴株」だ。目を離して動意づくのを静かに待つことが肝心だ。

穴から飛び出すのが早いか遅いかは時の運。眠っているように見えても水面下では動いているものだ。木下像については5年目に動意づいた。つまり動きが誰の目にも見えるようになった。いよいよ仕上げのジャンプが始まろうとしている。

2015年10月4日シンポジウム「野外彫刻を創る・守る」が道立近代美術館講堂で開催された。5年前と違って今回は友の会と、「研究者、学芸員、保存の専門家等が参加する全国組織:屋外彫刻調査保存研究会(東京)」との共催となり調査保存運動は新たな段階へとジャンプした。運動が全国レベルに広がったのである。

シンポジウムに先立ち専門家による調査、特に木下像の固定箇所が綿密に調べられた。野外彫刻問題を含めた詳細は11月19日の北海道新聞に掲載されている。見出しは「札幌・中島公園の『木下成太郎像』 巨匠・朝倉文夫 戦時下の仕事」「美術史的価値を広め保存を」。執筆は武蔵野美術大学の黒川弘毅教授。
記事内容は友の会公式サイト参照→「木下繁太郎像」美術史的価値広め保存を

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2015年10月3日、黒川教授による再調査、次は内視鏡調査も予定。結果しだいでは部品交換も検討。永久保存への道は着々と進んでいる。

道新記事を読むと木下像は全く知られていない存在だったようだ。今回改めて美術的価値が認められ、補修に関する具体的な取り組みもなされていることを知り、意を強くした。豊平館、八窓庵と共に歴史遺産として一般市民に認知される日も近いかも知れない。このようにして三段跳びのホップ・ステップ・ジャンプの形は出来た。あとは距離がどこまで伸びるかだ。だんだん楽しみになって来た。

個人的には2005年に木下像の存在を認識し、2007年に友の会会長に教えられて、その価値を知る。2010年8月に、10月のシンポジウムに先立ち道新コラムに関連記事を執筆。そして2015年10月のシンポジウムに先立ち、9月末に鴨々川ノスタルジア公式ムック『ぼけっと2』に中島公園秘話として書かせてもらった。オリンピックではないけれど参加することに意義を感じている。

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豊平館・八窓庵に次ぐ、第三のお宝になるかもと期待を込めて書いてみた。 

QPは新聞が好きで朝夕欠かさず読む。それなのに私の書いたブログは読まない。それはいいのだが、たまにしか載らない印刷物くらいは読んで欲しい。身内の好というものがあるだろう。そんな思いで『ぼけっと2』を見せようとしたら……、

「アンタの書いたものなんか詰まらなそうで読む気がしないんだよ」
「書いたのはたった1ページだけですから新聞を読むより楽です」
「何だそれだけかい。それならどっちでもいいじゃない」
「あなたが大好きな乾ルカさんも短編を書いていますよ。道新のエッセイをいつも読んでいるでしょう」
「ホント! ちょっと見せて」

「あなたは中島公園近所の住民でしょう」
「それがどうしたの?」
「鴨々川と中島公園を取り上げて毎年発行する雑誌なんか他にありませんよ」
「だからそれがどうしたと言うの」
「郷土とその歴史を知らない人に居場所はありません」
「せっかくだけどアンタの屁理屈は聞き飽きているんだよ」
「私は横浜生まれですが、そこに居場所はありません。横浜と私はお互いに何も知らないのです。寂しいものですよ」
「アタシの居場所はここだよ。ちゃんとあるから心配しないで」

なるほど、居場所のないのは私だった。鴨々川や中島公園の未来を考えることが自分の居場所づくりに繋がるかもかも知れない。故郷がなければ、ここを故郷にすれがいい。先ず、界隈の歴史を知ることから始めたいと思っている。


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