私はケチな人が嫌い。だからケチとは思われたくない。しかし自分が人と比べてケチかどうかは分からない。困ったことにある日突然、自分が世界一のケチであることに気づいてしまった。
「世界一とは大げさだよ」
「断捨離をしようとして世界一のケチと分かったのです」
「結局、何も捨てられなかったんだ」
「そうなんです。世界に人が何十億いようともゼロはゼロですね」
「ホントだ。捨てる物がゼロなら世界一。それより下はないのだから」
断捨離と言う言葉が流行りだしたころ、時流に乗せられ易い私は、「捨てる技術」とかいう本を買って、徹底的断捨離に挑んだ。その結果、自分は何一つ捨てられない人であることが分かった。よく己を知れとか言うけれど、こんなことは知らなない方が好かった。自分をケチと思ったら人生がつまらないではないか。
役に立たない本は直ぐに捨てれば好いのだがが、それが出来ないから何時までもケチのままなのだ。捨てる代わりに「大変役に立つ本です」とか言って友人Aに差し上げた。Aも又捨てられない人なのだ。長年の夢を果たして豪邸を建てたのはいいのだが、古い家具を全部持ち込み、それに加えて新しい家具を買い揃えたものから立派な居間が台無しだ。中古・新品両方扱う家具屋みたいになってしまったのだ。
「Aさんは転勤しないから物を捨てたことがないんだよ」
「新築祝いに無理して買って贈った絵が、かすんでいましたね」
「だから観葉植物がいいといったのに」
「ダメです。置く所がありません。古い家具はウチにくれればいいのです」
「そうだね。古くても立派だよ。あれさえ無ければ広くて見栄えがするのにね」
「『捨てる技術』の本を上げたのですが効き目あるでしょうか?」
「バカだね。捨てられちゃったら勿体ないでしょ」
「贈った絵を見て私のことを思い出して欲しいのです」
こんな姑息な企みが成功するはずがない。絵は家具に囲まれ、かろうじて壁に張り付いていた。どこから見ても、せいぜい半分くらいしか見えない。ところで問題は私の断捨離だ。始めたのは3年前だが、整理は腰を使うので三日目で腰痛になり途中で中止した。治ってから何度か試みたが、その度に腰痛が出て中止した。そんなことを繰り返している内に三年たってしまった。
断捨離を試みて、自分が捨てられない人であることが分かったので方針を変えた。先ず不用品の仕分けをする、分けたら不用品を押入れの奥に仕舞い、将来の断捨離に備える。つまり処分の先延ばしである。長年患っているケチ病が治ってから捨てても遅くはない。こう考えたら気持ちがスッキリしたが部屋の中はグタグタだ。

「何だ、どこが片付いているのだ」
「押入れです。やっとカラにしました」
「一体どこを歩いているんだ」
「歩くほど広くはないのですが、あえて言えばベッドの上です」
「こんな状態でパソコンは使えるのか?」
「床に置くものは軽いものだけですから足で簡単に寄せられます。それに、椅子にはキャスターも付いているのですよ」
「いちいち面倒だな」
「大丈夫です。ベッドの上でタブレットも使えます」
今回は押入れを空っぽにしたところでおしまい。整理は何時まで続くやら。
「世界一とは大げさだよ」
「断捨離をしようとして世界一のケチと分かったのです」
「結局、何も捨てられなかったんだ」
「そうなんです。世界に人が何十億いようともゼロはゼロですね」
「ホントだ。捨てる物がゼロなら世界一。それより下はないのだから」
断捨離と言う言葉が流行りだしたころ、時流に乗せられ易い私は、「捨てる技術」とかいう本を買って、徹底的断捨離に挑んだ。その結果、自分は何一つ捨てられない人であることが分かった。よく己を知れとか言うけれど、こんなことは知らなない方が好かった。自分をケチと思ったら人生がつまらないではないか。
役に立たない本は直ぐに捨てれば好いのだがが、それが出来ないから何時までもケチのままなのだ。捨てる代わりに「大変役に立つ本です」とか言って友人Aに差し上げた。Aも又捨てられない人なのだ。長年の夢を果たして豪邸を建てたのはいいのだが、古い家具を全部持ち込み、それに加えて新しい家具を買い揃えたものから立派な居間が台無しだ。中古・新品両方扱う家具屋みたいになってしまったのだ。
「Aさんは転勤しないから物を捨てたことがないんだよ」
「新築祝いに無理して買って贈った絵が、かすんでいましたね」
「だから観葉植物がいいといったのに」
「ダメです。置く所がありません。古い家具はウチにくれればいいのです」
「そうだね。古くても立派だよ。あれさえ無ければ広くて見栄えがするのにね」
「『捨てる技術』の本を上げたのですが効き目あるでしょうか?」
「バカだね。捨てられちゃったら勿体ないでしょ」
「贈った絵を見て私のことを思い出して欲しいのです」
こんな姑息な企みが成功するはずがない。絵は家具に囲まれ、かろうじて壁に張り付いていた。どこから見ても、せいぜい半分くらいしか見えない。ところで問題は私の断捨離だ。始めたのは3年前だが、整理は腰を使うので三日目で腰痛になり途中で中止した。治ってから何度か試みたが、その度に腰痛が出て中止した。そんなことを繰り返している内に三年たってしまった。
断捨離を試みて、自分が捨てられない人であることが分かったので方針を変えた。先ず不用品の仕分けをする、分けたら不用品を押入れの奥に仕舞い、将来の断捨離に備える。つまり処分の先延ばしである。長年患っているケチ病が治ってから捨てても遅くはない。こう考えたら気持ちがスッキリしたが部屋の中はグタグタだ。

「何だ、どこが片付いているのだ」
「押入れです。やっとカラにしました」
「一体どこを歩いているんだ」
「歩くほど広くはないのですが、あえて言えばベッドの上です」
「こんな状態でパソコンは使えるのか?」
「床に置くものは軽いものだけですから足で簡単に寄せられます。それに、椅子にはキャスターも付いているのですよ」
「いちいち面倒だな」
「大丈夫です。ベッドの上でタブレットも使えます」
今回は押入れを空っぽにしたところでおしまい。整理は何時まで続くやら。
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捨てる勇気を持って!
花筏 捨てる事は結構な決断力が必要な事は分かります。
自分の手元から離れていくのでも、
誰かに貰ってもらい、そこで役に立つと思えば、
なんの未練もなく手放せられるのですがね。
♪線路は続くよどこまでも~♪という歌がありますが、
♪整理は続くよどこまでも~♪にしたくはありませんネ。
治るまで断捨離を楽しむ
PP 残念ながら整理は何処まで行っても続きそうです。
しかし楽しみながらやっています。
決断力がないから捨てられないでいますが、
ケチは病気ですから治ったらバンバン捨てます。
だけど治るまでは断捨離を楽しませてください。
よく言うでしょ。治らない病気なら楽しみなさいと。
花筏 捨てる事は結構な決断力が必要な事は分かります。
自分の手元から離れていくのでも、
誰かに貰ってもらい、そこで役に立つと思えば、
なんの未練もなく手放せられるのですがね。
♪線路は続くよどこまでも~♪という歌がありますが、
♪整理は続くよどこまでも~♪にしたくはありませんネ。
治るまで断捨離を楽しむ
PP 残念ながら整理は何処まで行っても続きそうです。
しかし楽しみながらやっています。
決断力がないから捨てられないでいますが、
ケチは病気ですから治ったらバンバン捨てます。
だけど治るまでは断捨離を楽しませてください。
よく言うでしょ。治らない病気なら楽しみなさいと。