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朝食はテレビを消して話しながらとる。 「朝の食卓」の話題は近所の中島公園、健康、そして札幌シニアネット(SSN)、カラオケ、歩こう会など。
最近はほとんど本を読んでいない。それなのに文学館で開かれた特別展「小檜山博の文学 」には行ってきた。うたい文句は「野性よ 退化する現代を撃て」とか、凄く勇ましい。なんだか小檜山さんらしくないなと思った。パンフにはニューヨーク・マンハッタンを裸足で歩く彼の雄姿が載っていた。これもらしくない。

どちらも私が読んだエッセイとは印象が違うので、そう思ったのだ。文中に先生と呼ばれるのも嫌いと書いてあった。それで失礼ながら小檜山さんと書かせて頂いている。ところで私は、どちらかと言えば文学は苦手だ。申し訳ないけれど小檜山さんの小説も読んだことがない。

だからエッセイに書いてあることが小檜山さんの全てと、無意識に思い込んでしまったのだ。エッセイには自分の人生が貧弱とか、中身が空っぽで、でたらめで不誠実人間とか書いてあり、「人々は外見も中身も薄っぺらで愚かなぼくの正体を見抜けずに買いかぶってくれたからありがたい」とも書いてあった。

文字通り薄っぺらで愚かな私は深い意味も考えずそのまま信じてしまった。ところで、『花新聞』に連載された小檜山さんのエッセイを第1回から第362回まで飛び飛びに読んだことがある。再読することもたびたびある。なんとなく文章が私の身体に、スーっと入ってきて心地よいのだ。

「私だってあんたと同じ人間だよ」と、優しく言われている様な気がする。小檜山さんはエッセイの中で、自分のことを「容貌もよくない、貧相な自分、猿か狸みたいな容姿の男、顔も悪すぎた」とか書いている。

だから特別展にも自分と同じような小檜山さんに会いに行くような気持ちで行った。私のように彼も若いときは女性にモテなくて苦労したのだとか勝手に思いながら。

「開けてビックリ玉手箱」とはこのことだ。若いときの小檜山さんはまれに見る美男子だった。展示された子供の時から現在に至るまでの写真を見てそう思ったのだ。エッセイには、「顔もみられたものでなく、次々と女を好きになって振られた」とか書いてあった。ほとんどは片思いで相手は想われていることさえ知らなかっただろうとも。

そのことを自分になぞらえて、同じような経験をしたと思っていた私が愚かだった。実はモテモテなのだ。噂では500人の女を知っているとか? 一体なにをもって自分のことを持てない男と決めつけているのだろうか。多分、雲の上に居る人と地べたにへばり付いている私とでは、比較する対象が違うのだ。

好男子の小檜山さんでさえ、日本一の美男子に比べれば「猿か狸みたいな容姿の男」に違いない。決して嘘を書いているのではない。自分に重ね合わせて考えた私が馬鹿だった。しかし、そう思わせる文章を書く才能は素晴らしい。何もできず劣等感まみれでモテない私を励ましてくれた小檜山さんに改めて感謝!

最近はほとんど本を読まない私だが文学館で開かれた特別展「小檜山博の文学 」に触発されて、俄かにファンになってしまった。小説も読んでみようかな。

FC2blog テーマ:エッセイ - ジャンル:小説・文学

【2015/04/25 00:00】 | 愚かな私
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人間は 長所あり 短所あり ですね・・・
路傍の石

人間、自分自身を評価するのは難しい。

自分を過大評価している人をみていると、
「あの人馬鹿か?」と思っちゃうし、
過小評価している人には、
「そんなにへりくだらなくても」と思っちゃう。

読んでいて心がホコッと温かくなる本、
心の迷いに道筋を見いだせる本。

本はこの世に必要な物ですね。

へりくだる訳
PP
そうなのです。小檜山さんのエッセイを読んでいると、
「そんなにへりくだらなくても」と思ってしまいます。
しかし、単なるへりくだりではなく小檜山さん個人に関する、
深い訳があるように思っています。
人は少し傷があった方が味があるような気がします。

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