朝食はテレビを消して話しながらとる。 「朝の食卓」の話題は近所の中島公園、健康、そして札幌シニアネット(SSN)、カラオケ、歩こう会など。
定年退職した私は、札幌市中島公園の近くに転居した。これからは地域の為に頑張ろうと、初めて参加したのが、町内会が主催する鴨々川清掃である。
「男性は川の中のゴミ拾い。女性は周辺のゴミ拾い」と世話役から指示されて、長靴を履いていない私は戸惑ってしまった。浅い川だが運動靴では入れない。だからと言って女性たちと一緒に岸でゴミ拾いをするのも憚れる。

知らない人たちの中で右往左往していると見知らぬ男に声をかけられた。私同様、年金暮らしの新住民のようだ。彼も長靴を履いていない。
「東京から来たんだけど、北海道では長靴が必需品ですね」
私も東京育ちなので話は弾んだ。昔が懐かしくなり隠していた事まで話してしまった。

私が十歳の頃は東京でもよく雪が降ったが、長靴を持っていないので下駄履きだ。雪道は滑りやすいので転んだ拍子に鼻緒が切れたりする。寒いのに下駄を脱いで裸足で歩くのは冷たく辛い。

長靴が欲しいけれど父は肺病だし、4人の食べ盛りの子供を抱えて生活は苦しい。そんなとき、事情をよく知っている近所の小父さんが「ウチで働いてみないか」と誘ってくれた。私は嬉しくなった。働けば長靴も買えるし飯も腹いっぱい食えるだろう。

作業所では十人くらいが働いていた。私の仕事は、山積みにされた煙草の吸殻をほぐして煙草の葉と紙に分けること。ここでは吸殻と使用済みの空き箱を使って、紙巻煙草の再生産をしている。人が捨てたもので新品まがいの煙草を作るのだ。「煙草も買えない人がいるのだ。人助けだよ」と優しそうな小父さんが言った。私は意味も分からず肯いた。ともかくここで働ければお金をもらえる。それで十分だ。

小父さんの仕事は列車清掃業、そして裏の仕事はタバコ再製造を含む闇屋である。彼は必要な指示を皆に与えると、公式の仕事現場である国鉄品川客車区に行く。そこで全国から集まる列車の清掃を請け負っているのだ。

一方、作業所の仕事は極めて単調だが小父さんが居なくても手を抜くわけには行かない。出来高払いなのだ。その代り口はよく動く。簡単な仕事だから、話しながらやる方がはかどるのかも知れない。現に隣の二人も話し込んでいる。話題が小父さんのことに及ぶと、私は聞き耳をたてた。

「オヤジさんは満州では羽振りのいい請負師だったがソ連軍に捕まってよー。シベリアの捕虜収容所では苦労したらしいな」
「苦労人だから目の付け所が違う。品川には全国の列車が集まる。一等車のゴミなんか手つかずの弁当もある。進駐軍専用列車なんかゴミと言っても豪華なものよ」
飢餓の時代でも一等車に乗る金持ちも居た。アメリカ人専用列車も品川に来る。生活水準に雲泥の差がある場合、一方のゴミは一方の生活必需品となる。

「だけど、そんな物を持ち帰るのを国鉄の監督に見つかったら首になるぞ」
「賄賂を握らせているから大丈夫」
賄賂をスムースに渡すには知恵と度胸と人望が必要だ。小父さんは全てを兼ね備えていた。一番大切なのは相互の信頼関係。この関係が崩れれば収賄側、贈賄側の双方が破滅する。

「オヤジさんにはまいっちゃうよ。監督が来ると急に厳しくなって怒鳴り散らすんだよ。監督には揉み手でペコペコするのにね」
「分かるわかる。俺も品川の列車掃除に行ってたからね。監督を手なずけるつもりなんだよ。後でお前に謝ったろう」
「謝るどころか、ラッキーストライクくれたよ」
当時の若者の憧れはラッキーストライクを口にくわえジッポーのライターで火をつけることだ。自分がどうかは別として、これは絵になると皆が思っていた。自分を格好よく見せる小道具だ。

小父さんは優しい人も強い男も演じられるなかなかの役者だ。つまり、作業員を怒鳴りつけて強いところを見せて置いて監督にはペコペコする。こんな単純で見え透いたやり方でも繰り返せば監督の信頼を得ることが出来るのだ。強い男にペコペコされればオベンチャラと分かっていても気分がいいものだ。

次は賄賂だが「いいもの拾いました勿体ないですね」とか言って、新品のアメリカタバコを届けることから始める。拾い物は次第に高価なものになり、ドル紙幣になったりもする。最後は言うまでもなく現金の賄賂。明るみに出れば事件になる程の金額だ。ここまでくれば鉄道員の監督は海千山千の小父さんのポチになるしかないだろう。

仕事をしながらこんなことも話題になる。しかしこれは必要なこと。無駄話のようにみえるが教育のようなものだ。現実を知らなければ、いざと言う時に自分たちの擁護者である小父さんを守ることもできない。それは生きる為の糧を失うことを意味する。

「いざと言う時とはなんだよ?」
「ガサ入れよー。俺たちは闇屋の片棒を担いでいるんだ。証拠となるものは全部隠さなければならない。警察が動けば、その筋の者から通報が来る。それからが俺たちの仕事だ。頑張ろーぜ。生活かかってるんだからな」
「誰が警察に知らせるんだ。金持ちも有力者もオヤジさんの味方だ。闇の牛肉がなければスキヤキも食えない。貧乏人は仕事が欲しいし安い煙草もないと困る」
「真面目でちょっとマシな貧乏人がやっかむんだよ。煙草も吸わないケチな奴よ」

大人たちの話を聞いて恐ろしくなった。警察に捕まるのだけは絶対に嫌だったので辞めてしまった。十歳の私は牢屋に入れられるよりはマシと考えた。子供は別な法律で保護されることを知ったのは、かなり後になってのことだ。あれほど欲しかった長靴も諦めた。とにかくこんな怖い場所には二度と来たくない。逃げ出したいと思った。

小父さんは私が仕事を辞めてからも親切だった。長靴もくれたし、面倒も見てくれた。もともと我家の窮状を見かねて母や私に仕事を与えてくれたのだ。女子供を使って儲けようという気持ちは全くない。彼は利益を度外視して貧しい人にも買える値段でタバコを売り、仕事を与えた。誤解がないように一言付け加えるが、当時のタバコは精神安定剤の様なもの。貧しい者にとって唯一の救い、安らぎの一服だった。

小父さんの主たる収入源は進駐軍専用列車内に放置された肉等の余剰物資、吸われないまま残されている新品同様のアメリカタバコ、それに忘れ物だった。私にくれた長靴もその一つと思う。因みに、私たちが住んでいた渋谷にはワシントンハイツと呼ばれる広大な米軍家族用居住区があった。列車内に子供用長靴があったとしても不思議ではない。

鴨々川の清掃も終わったようだが、仲間外れの私たちはベンチに座って話し続けた。
「苦労話は好きですか」
「嫌いだね」
「聞いてくれたじゃないですか」
「私も空襲で何もかも失い、焼け跡で空きっ腹を抱えていたからね」
「今まで話せなかったことを話せてすっきりしましたよ」
「そりゃあ好かったけど……」
「何を考えているのですか?」
「長靴はどうしようか?」
「地下鉄駅前に住んでいたら要りませんよ。川の清掃に来なければね」

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【2015/02/28 00:00】 | 照る日曇る日
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隣人
更新を楽しみにしてます。
QPさんの言動があまりにも私に似ているので、親しみがわきます。
特に冷蔵庫の残り物の話は我が家のことかと思いましたw



コメントありがとうございます。
PP
コメントありがとうございます。
小説モドキを後2回やったら、エッセイに戻りたいと思っています。
相変わらず苛められていますが、そろそろQPが懐かしくなって来ました。


名無しさん
小説というのは基本的にフィクションで、嘘なんですけど…
技術的にうまく作り上げても、それが読者に感銘を与えることもあまりありません。

書くことは案外、本当のことしか書けないんです。
自分の中にないものはなかなか書けないものです。
人に伝わるのは、やはり本当の言葉です。
それが書けるか書けていないかの違いじゃないかと思います。

気に入った部分です。
>私同様、年金暮らしの新住民のようだ。彼も長靴を履いていない。
>「東京から来たんだけど、北海道では長靴が必需品ですね」
>私も東京育ちなので話は弾んだ。
>昔が懐かしくなり隠していた事まで話してしまった。
>あの頃は、みんな貧乏でしたねぇ。
>当時のタバコは精神安定剤の様なもの。貧しい者にとって唯一の救い、安らぎの一服だった。

何気ないことばの中に真実味があり、読者を引き付ける小説の心の詩と感じました。



感想を有難うございました。
PP
とても為になる感想をありがとうございます。
小説を書く初歩の講座をちょっと覗いてみたら、難しくて手に負えないと思いました。
もちろん直ぐに辞めました。
確かに本当のことしか書けません。嘘を書くことが凄く難しいことが分かりました。
気に入った部分を書いて下さり有難うございました。とても励みになります。
老人になって始めたことですから、一人で書いて一人で読めばいいのですが、
他人様にも読んで欲しくなります。困ったものですね。
妻子は決して読みません(笑)。

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