8月6日は広島原爆忌・広島平和記念日、この歴史的悲劇から目をそむけてはならない日だ。それなのに私は目をそむけてしまうダメな人間である。
8月6日になると毎年テレビで見る光景がある。元安川とそれに面した原爆ドームである。被爆者たちが水を求めてここまで来て果てた悲劇の川。元安川では毎年、平和への祈りをこめて犠牲者をしのぶ灯籠流しが行われている。
だから、元安川を見て思いを馳せるのは原爆の悲劇でなければならない。それなのに私は少年時代に遭った屈辱的なボート転覆事故を思い出してしまう。余りにも軽く極めて小さなな出来事だが、私にとっても悲劇の川……。
これは恥の上塗りの話。大勢の人前でボートを転覆させるという不始末を仕出かしてしまい、とても恥ずかしかった。ボート屋のオバサンがボートを漕いで救助に来るのを見て更に恥ずかしくなった。私たち3人は橋げたに居て、橋の上は見物人で鈴なりなのだ。皆で私の不始末の一部始終を見守っていた。
「なにやってんだ!」とオバサンに一喝されて恥ずかしさは頂点に達した。プライドもずたずたに傷つけられて謝罪もできず、ただうなだれているだけだった。こんなことを原爆の日が来るごとに思い出している。

画像は中島公園菖蒲池で波止場と呼ばれているボート乗り場。
ところでボートが浮かぶ中島公園菖蒲池は絵になると思う。このボートに一度乗ってみたいと思っているが、まだ果たせないでいる。
思い起こせば55年前、グループ旅行で広島に行ったとき、川で営業している貸ボートに3人で乗った。しばらくすると、こぎ手を交代しようということなった。ボートは狭いので立ち上がらないと交代できない。今考えるとはうようにして交代してもよかったのだが、立ち上がってしまった。
そのときはボートにゆっくりと水が入ってくる感じだった。まるで映画のスローモーションのようだった。気が付くと水の中にいた。

参考画像は中島公園菖蒲池で沈みかけているボート。
立ち泳ぎしながらボートを探すと、大事な身分証明書の入った定期入れが浮かんでいる。川の流れが早いのでどんどん離れていく。
これは大変だと思って、泳いで定期入れを追いかけた。そうしたら「泳いでいる。泳いでいる」という人声が聞こえた。見上げると橋の上は野次馬でいっぱいだ。このときは流れ行く定期入れを必死に追っていたので恥ずかしさは感じない。
ようやく定期入れに追いついた。ひとまずホッとしたが、このまま泳いでボート乗り場に帰るわけにには行かない。難破船の船長じゃあないけれどボートを放棄して手ぶらで帰る気にはなれないのだ。
一先ず近くの橋げたに乗って今後の対策を考えていると、ボート屋のおばさんがボートをこいで救助に来た。
「何やってんの! ボートの上で立っちゃあダメじゃない」。と先ず一喝。
「………」。ただうなだれるだけ。
「何でこんなとこで泳いで遊んでいるのよ」
間髪入れずにもう一喝だ。
こんな意味のことを広島弁でまくしたてられた。もう恥ずかしくって仕方がない。穴が会ったら入りたいが、そこにはただ川が流れているだけ。
あの時は確か春先だったと思う。すごく寒かった。街の中では服を脱ぐこともできないので濡れたまま着ていた。風に吹かれて寒さに震えたことを覚えている。帯広の零下30℃よりもっと寒く感じた。
話し変わって数年前、某テレビ局から「豊平川花火の穴場、中島公園」というテーマで取材を受けることになった。
よせばいいのに「花火を見るにはボートからが一番ですよ」とか言ってしまった。リポーターさんに「じゃあボートに乗りましょう」といわれてモジモジしてしまった。
「怖いんですか?」と問うような顔をして私を見ている。怖いわけがない。海と違って潮の流れもないし、流れが早い川でもない。オマケに水深が極めて浅いことを知っていたのだ。

菖蒲池で水抜き。鯉を保護のため回収。画像は「中島パフェ」訪問者の提供。
上の画像を見れば分かるように背の立つような浅い池だが、ボートに関しては恥ずかしい思い出がある。しかし今度は漕げないことが恥ずかしい。例の転覆事故がトラウマになって、あれ以来ボートに乗ったことがない。蚊の鳴くような声で「漕げないのです」といったら、「いいですよ。私が漕ぎますから」と言ってくれた。
本来ならば中島公園の案内役である私が、ボートを漕いで花火鑑賞スポットを案内すべきである。中島公園パーフェクトガイドを開設している私にとってはとても恥ずかしいこと。「どこが完璧だ」と言われても返す言葉もない。
こんな気分ではあったが半世紀ぶりにボートに乗る機会に恵まれた。乗ってみると楽しい。中島公園が違うアングルから見れるのだ。

いつかボートを漕ぐ練習をして、ボート上から中島公園を撮ってみたいと思っているが未だに実現していない。精神的外傷とはシツッコイものだ。
8月6日になると毎年テレビで見る光景がある。元安川とそれに面した原爆ドームである。被爆者たちが水を求めてここまで来て果てた悲劇の川。元安川では毎年、平和への祈りをこめて犠牲者をしのぶ灯籠流しが行われている。
だから、元安川を見て思いを馳せるのは原爆の悲劇でなければならない。それなのに私は少年時代に遭った屈辱的なボート転覆事故を思い出してしまう。余りにも軽く極めて小さなな出来事だが、私にとっても悲劇の川……。
これは恥の上塗りの話。大勢の人前でボートを転覆させるという不始末を仕出かしてしまい、とても恥ずかしかった。ボート屋のオバサンがボートを漕いで救助に来るのを見て更に恥ずかしくなった。私たち3人は橋げたに居て、橋の上は見物人で鈴なりなのだ。皆で私の不始末の一部始終を見守っていた。
「なにやってんだ!」とオバサンに一喝されて恥ずかしさは頂点に達した。プライドもずたずたに傷つけられて謝罪もできず、ただうなだれているだけだった。こんなことを原爆の日が来るごとに思い出している。

画像は中島公園菖蒲池で波止場と呼ばれているボート乗り場。
ところでボートが浮かぶ中島公園菖蒲池は絵になると思う。このボートに一度乗ってみたいと思っているが、まだ果たせないでいる。
思い起こせば55年前、グループ旅行で広島に行ったとき、川で営業している貸ボートに3人で乗った。しばらくすると、こぎ手を交代しようということなった。ボートは狭いので立ち上がらないと交代できない。今考えるとはうようにして交代してもよかったのだが、立ち上がってしまった。
そのときはボートにゆっくりと水が入ってくる感じだった。まるで映画のスローモーションのようだった。気が付くと水の中にいた。

参考画像は中島公園菖蒲池で沈みかけているボート。
立ち泳ぎしながらボートを探すと、大事な身分証明書の入った定期入れが浮かんでいる。川の流れが早いのでどんどん離れていく。
これは大変だと思って、泳いで定期入れを追いかけた。そうしたら「泳いでいる。泳いでいる」という人声が聞こえた。見上げると橋の上は野次馬でいっぱいだ。このときは流れ行く定期入れを必死に追っていたので恥ずかしさは感じない。
ようやく定期入れに追いついた。ひとまずホッとしたが、このまま泳いでボート乗り場に帰るわけにには行かない。難破船の船長じゃあないけれどボートを放棄して手ぶらで帰る気にはなれないのだ。
一先ず近くの橋げたに乗って今後の対策を考えていると、ボート屋のおばさんがボートをこいで救助に来た。
「何やってんの! ボートの上で立っちゃあダメじゃない」。と先ず一喝。
「………」。ただうなだれるだけ。
「何でこんなとこで泳いで遊んでいるのよ」
間髪入れずにもう一喝だ。
こんな意味のことを広島弁でまくしたてられた。もう恥ずかしくって仕方がない。穴が会ったら入りたいが、そこにはただ川が流れているだけ。
あの時は確か春先だったと思う。すごく寒かった。街の中では服を脱ぐこともできないので濡れたまま着ていた。風に吹かれて寒さに震えたことを覚えている。帯広の零下30℃よりもっと寒く感じた。
話し変わって数年前、某テレビ局から「豊平川花火の穴場、中島公園」というテーマで取材を受けることになった。
よせばいいのに「花火を見るにはボートからが一番ですよ」とか言ってしまった。リポーターさんに「じゃあボートに乗りましょう」といわれてモジモジしてしまった。
「怖いんですか?」と問うような顔をして私を見ている。怖いわけがない。海と違って潮の流れもないし、流れが早い川でもない。オマケに水深が極めて浅いことを知っていたのだ。

菖蒲池で水抜き。鯉を保護のため回収。画像は「中島パフェ」訪問者の提供。
上の画像を見れば分かるように背の立つような浅い池だが、ボートに関しては恥ずかしい思い出がある。しかし今度は漕げないことが恥ずかしい。例の転覆事故がトラウマになって、あれ以来ボートに乗ったことがない。蚊の鳴くような声で「漕げないのです」といったら、「いいですよ。私が漕ぎますから」と言ってくれた。
本来ならば中島公園の案内役である私が、ボートを漕いで花火鑑賞スポットを案内すべきである。中島公園パーフェクトガイドを開設している私にとってはとても恥ずかしいこと。「どこが完璧だ」と言われても返す言葉もない。
こんな気分ではあったが半世紀ぶりにボートに乗る機会に恵まれた。乗ってみると楽しい。中島公園が違うアングルから見れるのだ。

いつかボートを漕ぐ練習をして、ボート上から中島公園を撮ってみたいと思っているが未だに実現していない。精神的外傷とはシツッコイものだ。
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momo それは災難でしたね~
昔は私もよく乗って漕ぎましたが今は漕ぐ体力があるかどうか・・それにやっぱり怖いです。
旅行先である女性の方が ボートから下りる時に失敗して桟橋で腰まで水に浸かって泣いて居られました。
その後佐渡でたらい舟にのりましたが 怖かったです。
そう ボートから見る風景は又違うでしょうね。
千鳥ヶ淵の桜をボートから見てみたいですが 勇気がなくて・・
朱庵 傷つきやすい年頃の、負の思い出はトラウマになりますよね。私も似たような事あります。今思い出しても、気持ちがしぼむので、なるべく思い出さないようにしますが、それが突然思い出したりして、あぁ〜、と、がっかりしたりの繰り返しで今まできました。
ナカパさんだけではないですよ。
でも楽しくボートを漕げるようになって、新しい思いで作りにトライしてください。
自慢話でごめんなさい
nakapa >momoさん
佐渡でたらい舟にまで乗ったのですか。それはいい体験になりましたね。
私の場合は災難には違いないのですが、一種の自慢話です。
そういう話をする年になりました(笑)。
懐かしい思い出?
nakapa > 朱庵さん
確かに思い出したくないこともありますね。
しかし、元安川とそれに面した原爆ドームはテレビ・新聞等で
見る機会が多いので、どうしても思い出してしまいます。
ただ、恥ずかしい思い出から、懐かしいへ、さらに楽しい想い出に
変わりつつあります。
ちゃちゃ 今晩は、nakapaさん
私も中島公園のボートに乗りたいのです
冬だったり、時間がなかったり…
そのうち、三度目の正直といきたいものです
腕力をつけておかなくてはね…
鬼も笑う来年の話
nakapa >ちゃちゃさん
おはようございます。
そうですね。来年の夏にでも乗ってみたいです。
それまでに練習しておきます。
今までと違ったアングルから写真を撮ったりしてみます。
休憩を兼ねてですね。
私も同じ経験が
コマクサ 私は十代の頃茨戸川で友人3人とボート乗せてもらいました。
二回目なので何の心配もなくボート楽しみ岸に付き
降りようと立った時に傾き3人とも水の中泳げない
私は溺れそうになった怖い思い出があります。
今ならプールで泳ぎを覚えましたから怖くはないでしょう?
やはり十代ですね
nakapa >コマクサさん
そうなんですか。やはり失敗するのは十代ですね。
泳げないとなると恐怖でしょう。
中島公園の池なら浅いから泳げなくても大丈夫です。
しかし、今は泳げるのですね。失礼しました。
空見 こんばんは。
歳月は、悲惨な話も笑い話に変化させてくれますね、良いことです。
私もこれからそんな風に「自慢話」をしてみようかな?(笑)
泳げないので、今ならボートはちょっと・・と思いますが、やはり若い頃は向こう見ずなので一、二度乗ったこともありました。なぜか漕ぐのも好きです。
子供の頃、川を渡るのは手漕ぎの小舟でした。見よう見まねですが、何とか進みますね、そんな昔のこと懐かしく思い出しました、ありがとうございます (^▽^)エヘ
恥ずかしいことも後になれば笑えます
nakapa 恥ずかしい出来事でも、何十年も経つと懐かしい笑い話になります。
苦しいことは笑えませんが恥ずかしいことは後になれば自分でも笑えます。
懐かしい気分も手伝って書くのも楽しいです。
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