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朝食はテレビを消して話しながらとる。 「朝の食卓」の話題は近所の中島公園、健康、そして札幌シニアネット(SSN)、カラオケ、歩こう会など。
「私の恐怖体験を聞いてもらえますか?」
「アメリカ兵に捕まって叩かれた話は聞いたよ」 ← あの人に会いたい
「もっと怖い話です。鉄パイプ持ったアメリカの少年に襲われたのです」
「そうかい。無事で好かったナァ」

「信じないの? 酒場で大暴れしてSPに逮捕されたことだってあるんですよ」
「SPって何だよ?」
「よく分かりませんが、憲兵(MP)のようなものとの印象です。海軍だからSPかも?」
「50年前だからといって、嘘ついちゃあいけないよ」
「55年前です」

嘘ではない。 当時私は17歳、英語とアメリカ人が大好きな英ちゃんは、18歳の若者だった。 いつも一緒に遊んでいた。 英ちゃんはダンスが得意だが私は踊れない。 それでも英ちゃんの行く所は、どこへでもついて行ったものだ。

当時の飲食店は未成年の飲酒・喫煙には寛容だった。お金を払えば誰でもお客さんなのだ。 英ちゃんは水兵がいっぱい居る軍港の街が大好きだ。
一生懸命英会話の勉強しているのに、話す機会はここでしかないのだ。 
英ちゃんが盛り場で、たまたま話しかけたのは水兵服のアメリカ人。
英語も通じたようでご機嫌だった。

「レッツゴー、フォーローミイ」とか言っている。こんな英語でいいのかな。
私も何処に行くか分からないままついて行った。
そこは大きなカウンターのあるトリスバーだった。
  
英ちゃんは、水兵との英会話を楽しんでいるようだった。 
私は手持ち無沙汰なので一服しながらチビチビ飲んでいた。
静かに流れるジャズの調べが心地よい。

突然、グラスが飛んできてビックリしてカウンターから飛び退いた。
何を血迷ったか水兵が大暴れしている。
ビン、グラス、灰皿、氷などカウンター上のものを全部吹っ飛ばすと、
立ち上がって何やら叫んでいる。

私は何が何だか分からなかったが、不思議なことに怖くはなかった。
なぜか現実感が乏しく危険と思えないのだ。酔っていたのかもしれない。
記憶は定かでないが、しばらくするとSPの腕章をつけた米海軍憲兵2名が日本人通訳を連れて入ってきた。店の者が憲兵隊に通報したのだろう。

英ちゃんが、それとなく寄ってきて耳元で囁いた。
「お前の分も払ってきたからな。ずらかるぞ!」
店を出ようとすると通訳に制止された。
「ちょっと待ちなさい! 兵隊さんはアンタらに連れられて来たと言ってるよ」
「知らないよ。俺たちは二人で来たんだから」。英ちゃんはとぼける。

「ちょっと、待ちなよ!」と今度は女性の声。
「三人で入って来たでしょう。一緒に飲んでいたじゃない」。店のママさんだ。
証人まで現れては万事休すだ。
おとなしく海軍憲兵のお縄を頂戴することにした。

ジープに乗せられて、なぜか嬉しかった。なんといったって憧れのジープだ。
しかもSPの腕章をした格好いい海軍憲兵の護衛付だ。
容疑者の立場を忘れて誇りさえ感じてしまった。

米軍の取調べはどうやるのかも興味津々。
それほど、私の米軍に対する信頼は厚かったのだ。 
英ちゃんは落ち着かない様子だったが、私自身は傍観者の気分だ。

突然、ジープは交番の前で止まり、私達は降ろされた。
身柄を日本の警察に移されたのだ。 
警官は「アメちゃんとなんか飲むんじゃないよ」と言って、
お咎めなしで釈放してくれた。

ところで、私の顔は真っ赤なのに歳も聞かない。
未成年の飲酒なんかには興味がない様だ。めんどくさいのだろう。
軍港の街は犯罪が多い。警官も疲れている。わざわざ仕事を作ったりしない。

基地に連行された水兵も、おそらくは弁償さえすれば、お咎めなしだろう。
1ドル360円の時代だから、弁償といってもドルに換算すれが大した額でもない。

米軍当局が穏便にことを収めようと思えば、我々二人は邪魔になる。
「邪魔物は降ろせ!」と言うことになったのだろう。 
不本意ながら私達は、不都合なお荷物となってしまったのだ。

ホッとした英ちゃん。残念だった私。
もっとジープに乗りたかったヨー。
一晩泊まって米軍レーション食べたかったヨー。

レーション (ration) は、本来は食料などの配給品(特に期間を区切って支給されるもの)であるが、一般的には軍隊において軍事行動中に各兵員に配給される食糧(コンバット・レーション)を指すことが多い。(ウィキペディアより)

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【2012/09/06 00:00】 | 照る日曇る日
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ちゃちゃ
待ってましたの第一土曜日!
こんな経験なさっているなんて、
驚き桃の木山椒の木!
ノンフィクション部分を多少除いたって
そりゃあ、もう、すごい!
我らがnakapa さんは偉大なり!
だから、その文章も
すごい!

ほぼノンフィクションです
nakapa
>ちゃちゃさんへ
朝一番に読んでくれてありがとうございます。
今回はほとんど事実です。
ただ、怖かったという印象がないのです。
なぜ恐怖を感じなかったについては覚えていません。
今、考えるとこんなことだろうと思って書きました。

16進数って
朱庵
長い事続いた1ドル360円時代! SPとMP、
そして・・・F2歳とF3歳・・・ですか!
国破れて・・ではありませんが、それでも夢を持てたnakapaさんに正直すごいなぁとしか言葉がありません。

nakapaさんの穏やかなはにかむような笑顔の中に、向こう見ずな少年の瞳が、キラリ!みえてしまいます。
映画のワンシーンですよ!

それにしても16進数って、日頃は色辞典でお世話になるだけでしたので、一覧表、探したじゃありませんか!(爆)
おまけに、コンバット・レーションだって!!!
ひねりも落ちも、参りました!

残念でしたね、F2歳のnakaoaさん!



momo
そういう時代だったんですね。
それにしても当時から60数年? 今の変わりようは想像出来なかったでしょうね。
私自身がパソコンする時代になるなんて・・
良くも悪くも忘れられない時代なんですね。



憧れの米軍レーション
nakapa
>朱庵さんへ
米軍の豪華弁当は驚きでしたね。
子供のころ父親が一つもらってきて、家族6人で分けてたべました。
ココナッツチョコレートまで入っていました。
そんなチョコはしらないので、砂糖大根と思っていたのです。
チョコの代用食と思っていたのですから笑ってしまいますね。
それでも、桁外れに豪華な弁当でした。
これがレーションの思い出です。

変化の激しい時代
nakapa
>momoさんへ
まったく同感です。変化の激しい時代を生きて来たものです。
若いときは変化が楽しみだし、これが進歩というものだと喜んでいました。
最近は、この辺で落ち着いてほしいと思っています。



のん子
もうドキドキしながら読みましたって!
大事に至らなくって良かったです(汗)
でも、1泊出来たら確かに面白かったかもですね?(笑)
私は1ドル360円以外は解らない言葉だらけです。
spって警護の人にも使いますね?

考えてみると一泊は無理ですね
nakapa
>のん子さん
やはり、器物破損事件のそばに居たくらいでは一泊はさせてもらえません。
米軍としては交番に置いてくるのがマニュアルどおりの処理でしょうね。
捕まってジープに乗せられたときは、基地の留置場に連れて行かれると
思い心配しました。 考えてみると20歳以降の人生は平凡でした。



空見
nakapaさんこんばんは。
いつ見ても面白いノンフィクション、楽しませていただいております。
ジープに乗れたのは僥倖でしたが、交番に預けられるとは・・残念でした。
コンバット・レーション、見たこともないですが、当時の日本人にしたら大変なご馳走ですね、これも本当に惜しかったですね^^; 食い物のウラミは後を引く(笑)
原爆を落とされる前に、特攻の片道飛行機を飛ばす前に、戦争を止めて欲しかったですけど・・。後で気がつく戦艦大和(涙)

幻の米軍レーション
nakapa
>空見さん
レーションは1回しか食べたことないし、一つを家族6人で分けたのです。
もう、弁当と言うより、考えられないほど豪華な携行食です。
覚えているのはココナッツチョコと煙草が入っていたことくらいです。
皆が不幸になる戦争は始めないのが一番ですが、間違えて、
始めたら出来るだけ早く止めるべきですね。

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