朝食はテレビを消して話しながらとる。 「朝の食卓」の話題は近所の中島公園、健康、そして札幌シニアネット(SSN)、カラオケ、歩こう会など。
世の中は不思議なものだ、虐待を受けているのに「あの人が好き」と言う人がいる。 広島、長崎に原爆を落とされ、日本各地を無差別爆撃されても、アメリカが好きだと言う人もいっぱいいる。

「子供のときアメリカ兵に叩かれました。これは虐待じゃあないですか?」
「そうかい」
「あの時の恐怖を忘れることができないのです」
「嘘を付け! ちょっと撫ぜてもらっただけだろ」
「叩かれましたよ。思いっきり三発です」

「それで反米になったのか」
「アメリカは大好きですよ。映画もジャズも」
「そうかい」
「英語だって大好きです」
「ヒネルトジャーデル(水道)、オーストアンデル(あんぱん)は聞き飽きたよ」

叩かれたのは終戦から2年後の1947年。まだ米兵は怖いと思っていた頃だ。 
その後アメリカ人にまつわる恐ろしい事件に相次いで遭遇するが、
その話は次回に譲るとして先に進もう。

事件はこうして起こった。
ある夏の夕暮れ時、6年生のタケちゃんが下級生数人を従えて美竹公園(東京都渋谷区)に行った。 1年生の私は何も知らないまま付いて行った。

美竹公園に着くとタケちゃんは「お前達はここに残れ、俺はチョット様子を見て来る」と言い残して、更に奥へ進んだ。

何故か一部の上級生がニヤニヤしている。 
私は意味の分からないまま草むらに寝転び、暇つぶしに星を見ていた。 
暗くなってきたが、皆と一緒だから怖くはない。

しばらくすると、遠くの方から女性の声が聞こえる。 続いて英語の怒鳴り声が聞こえた。 好からぬ気配を察した子供たちは、お喋りを止めそわそわしだした。

タケちゃんが走って来た。「逃げろー逃げろー、見つかったー、逃げろー」と叫びながら全速力で走って来た。ビール瓶が飛んで来た、石も飛んできたし棒も飛んできた。

皆いっせいに走り出した。私も走った。恐怖心に駆られて懸命に走っていると、突然身体が宙に浮いたように感じた。

「捕まった殺される」と思いパニック状態になった。
後のことは何も覚えていない。 
ただ、お尻をパンパンと何回か叩かれたことだけは覚えている。

ここまで話すと、思い出話を黙って聞いていた友人が異議を唱えた。
「何で暗がりから飛んできたのがビール瓶と分かるんだ。パニックなんだろう」
「繰り返し話題になったからです」

「何でアメリカ兵が怒って子供を追っかけるんだ」
「後で分ったことですが、タケちゃんがデートの現場を覗いたからです」
「ずいぶんマセタ子だな」
「頭がいいから早熟なんです。W大学を出てジャーナリストになりましたよ」


界隈は空襲で焼け野原になったので住宅事情は最悪だった。3畳一間に9人寝ている家族もあった。 極端に狭い家に居ると一人でも少ない方がいいので、子供の夜遊びは親にも歓迎されていた。

子供たちは夕飯後は外に出て路地や空き地に集まってお喋りするのを楽しみにしていた。 話題の中心は、集団学童疎開先の苦労話と空襲の恐怖体験なので、幼い私に出番はない。 
 
しかし、この「米兵お尻パンパン事件」以降は状況が変わった。 
皆で共有した恐怖体験だが、捕まって叩かれたのは私一人。
この話題では最年少の私が、突然ヒーローになったのだ。
今風に言えば「路上ちびっ子お喋り会デビュー」である。
一人前になった様な気がして嬉しかった。

幼い時の体験なので、何処までが私の記憶で、どこからが人から聞いた話なのか、今となってはサッパリ分からない。誰かがビール瓶が飛んで来たと言えば、それは私の記憶の中で事実となった。

実は、上級生の一人が建設中の渋谷小学校に隠れ、私を見守ってくれていたのだ。 上級生とは言え小学5年、勇気と義侠心のある少年である。 

助けるチャンスを探りながら一部始終を見ていてくれたのだから、今考えると頭が下がる。 私の記憶は彼の話に基づく部分が大きいと思う。

叩かれたときは、まさに恐怖のどん底だったが、大人になって思い起こすと、
お尻を叩いたのは幼児に対する米兵の愛かもしれない。
「悪いことをしたら、お尻ピンピンですよ」程度のメッセージとも解釈できる。

彼も私のことを覚えているだろう。ご存命なら80代後半くらいと思う。
会えるものならお会いしたい気持ちもある。

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【2012/04/07 00:00】 | 照る日曇る日
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朱庵
>「ヒネルトジャーデル(水道)、オーストアンデル(あんぱん)
初めて聞きました♪
ある後進国の要人が日本へきたとき、水がジャージャーでている水道の蛇口を見て【あれが欲しい・・・】という話がありましたね。
その国の、水の切実さに思いが伝わり忘れられません

恐い体験は それを見守る子供達の連帯感に支えら得てもいるのですね! 
ジーンときました。

今の子供達・・ゲーム機に夢中、ケータイに夢中!
人間同士の連帯感なんて 理解できない状況は 大人の売らんかな主義が生み出してもいるんですね・・。
そんなこと漠然とですが考えてしまいました。




朱庵さんへ
nakapa
いつも早々とコメントありがとうございます。
子供の頃は終戦後の英語ブームで流行っていましたね。
ヒネルトジャーネルとか、曜日を覚えるのに「金魚の天ぷらフライデー」
とか言ってました。
私より大きい子は、学童疎開とか空襲とかで大変苦労していました。
悲惨な話をジョークにして発散しているような感じで、よく聞かされました。


のん子
小1ならお尻ペンペンの部類でしょうね。
男の子ってそんな遊びをしていたのですね(笑)

私が子どもの時の記憶では外国人は少なくてガイジンって呼んで珍しかったような気がします。

のん子さんへ
nakapa
まさに、お尻ピンピンですね。
兄が二人いまして、どこに行くのも金魚の糞みたいについて歩きました。
その為、騒動に巻き込まれてしまったのです。

子供のころのお話面白いね
コマクサ
nakapaさんのエッセイ面白いですね。
私も子供のころ進駐軍見ましたが怖かったので隠れたことがあります。
中学の先生のお話も面白かったです。
中島公園さくら開花情報リンク見ました。
早く暖かくなってお花見が楽しみです。


hama
エッセイ拝見して
この4月からNHKの朝ドラの「梅ちゃん先生」の映像がダブって見えました。
終戦直後の焼け跡の東京ってあんなんだったんですね。
でも子供達が元気だったのが救いですね。
子供同士の上下関係など面白いです。

コマクサさんへ
nakapa
ありがとうございます。面白いと言ってもらうと嬉しいですね。
>私も子供のころ進駐軍見ましたが怖かったので隠れたことがあります。

それでは、追っかけられたり叩かれたりしたら、
もっと怖いと分ってもらえますね。
この後に遭遇した別の事件は、もっと怖かったし本質的に危険でした。
次に書こうと思っています。この際、恐怖体験はみんな書き捨てます。

hamaさんへ
nakapa
私も「梅ちゃん先生」、懐かしく感じながら観ています。
ただ、ちょっと違うところは当時は空き地は全て畑にしていました。
よそ様の土地でも囲いがしていない限り畑にしました。
どんな狭い土地でも空いている限り畑です。


ちゃちゃ
へ~え、1947年に小一だったのですかあ…。
計算あいますね。
ということは、そのときデートしていた女性は、
20歳としても、今はもう85歳のおばあちゃん。
あわない方がいいかもねえ。
きっと、きれいな女性だったのでしょう。

ちゃちゃさんへ
nakapa
おはようございます。
そうですね。女性は男性も、今となっては御爺ちゃん御婆ちゃんです。
会いたいと思ったのは御爺ちゃんの方ですが、
何処の誰とも分かりませんから無理でしょうね。
私が米兵に叩かれた事件は繰り返し話題になったので、
正確かどうかは別としてハッキリと覚えています。

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