「そんなものよ」と言われれば、分からないまま肯いてしまう。 私は人間のことをよく知らない。心と心が触れ合う、人としての会話をしたことがないからだ。
「いつも話し相手になって上げてるじゃない」と、QPは不満顔。
「赤だけを知っていても、色を知っていることにはならないのです」
「私が赤だというの。バカだと言いたいんじゃない」
「いえいえ、あなたは立派な人です」
「何だか皮肉みたいだね」
「とんでもない、『堂々としているさま』の女性と言いたいだけです」
「褒めてんの、けなしてんの。どっちよ!」
どちらでもない。辞書には立派とは「堂々としているさま」と書いてある。 QPは他所ではともかく、家の中では堂々としているから、立派なものである。
ところで、退職してからはサークルなどで、女性と話す機会が増え、ときには無駄話をすることもある。 初めてのことなので新鮮で、興味深く感じた。
普通の人にとっては何でもないことでも、私にとっては「未知との遭遇」。 珍しくもあり、面白くもある。しかも、人生勉強にもなるのだ。

中島公園菖蒲池は12月になると凍結し、鴨もいなくなる。11月24日撮影。
こんなこともあった。10人程度で、ある会の懇親会を開いたときのことである。 珍しい人が参加した。元会員のAさんだ。
実に3年ぶりの再会である。 いつまでも若さを保っているのは、趣味のダンスのせいかも知れない。 しかしなぜ、3年ぶりに参加する気になったのだろう。
話の輪に入るのも楽しいが、新しい発見は女性同士の会話の中にある。 宴もたけなわのころ。「私、貴女にね。叱られたのよ」と、AさんがBさんに言った。
「えっ! そんなことないでしょう。貴女のことは大好きなんだから」
Bさんは、グループのリーダー格で、はきはきものを言うタイプだが、このときばかりは、少しうろたえている感じだ。
「みんなで一泊旅行に行ったとき、私が貴女の意見に反対したら、『そんなこと言うんなら、あんた一人で帰りなさい!』って言ったでしょう。旅先でよ。ちょっと、ひどいんじゃない(笑)」
「あらぁ、そ~お。全然覚えていないの~。ごめんなさ~い(笑)」
話は続くが、終始にこやかに楽しそうだ。 3年ぶりに再会して1時間もたたないのに、過去の諍いを蒸し返すような話が出来る。 しかも、楽しそうに…。
私にとっては驚きである。 それだけではない。意外な展開が待っていた。 Cさんと帰る方向が同じなので話しながら歩いた。
「Bさんもビックリしたでしょうね。 3年前のことを、今更いわれてもね~、面食らってましたね」
「えっ? 何の話」
「聞いていたでしょう。旅行中のケンカですよ。突然言われて、さすがのBさんも、うろたえていたでしょ。 気がつきませんでした」
「あっ、あれね。トボケちゃってね。Bさんはちゃんと覚えているのよ。前から『あの人くるの?』と言って気にしていたんだから…」
「何ですかそれ? 貴女だって驚いたような顔していたでしょう」
「そうするもんよ」
思わず、どんなものだか分からないまま肯いてしまった。
3年ぶりに参加した元会員Aさんは、一体なんのつもりだろうか。 非難されてもトボケテ笑っているリーダー格のBさんは、果たして、どんな気持ちだったのだろう。
友人であるAさんを誘った懇親会幹事のCさんは、親切なのか策士なのか?
一体どこに真(まこと)があるのだろう。 私にはさっぱり分からない。
常々「この世は舞台、人は皆役者」と思っている。 例えば、ニューギニア高地人の舞台はニューギニア奥地、中央部の山岳地帯である。
もし、彼らが都市に働きに出れば、舞台は都市に変わり、セリフ(言語)を覚え、役(仕事)をこなさなければならない。
日本人は、日本語を話し、共同体の一員としての役割を果たしている。 世界中、何処に行っても同じこと、それぞれの場面で必要なセリフがあり役がある。
この世は舞台、それぞれの人生がある。 観ていて楽しい人生劇場である。
私自身も、そこそこに演じているつもりだ。
しかし、退職後に出合った多くの人たちと比べてみれば、私は遠く及ばない。
やはり役者が違うんだなぁ。
「いつも話し相手になって上げてるじゃない」と、QPは不満顔。
「赤だけを知っていても、色を知っていることにはならないのです」
「私が赤だというの。バカだと言いたいんじゃない」
「いえいえ、あなたは立派な人です」
「何だか皮肉みたいだね」
「とんでもない、『堂々としているさま』の女性と言いたいだけです」
「褒めてんの、けなしてんの。どっちよ!」
どちらでもない。辞書には立派とは「堂々としているさま」と書いてある。 QPは他所ではともかく、家の中では堂々としているから、立派なものである。
ところで、退職してからはサークルなどで、女性と話す機会が増え、ときには無駄話をすることもある。 初めてのことなので新鮮で、興味深く感じた。
普通の人にとっては何でもないことでも、私にとっては「未知との遭遇」。 珍しくもあり、面白くもある。しかも、人生勉強にもなるのだ。

中島公園菖蒲池は12月になると凍結し、鴨もいなくなる。11月24日撮影。
こんなこともあった。10人程度で、ある会の懇親会を開いたときのことである。 珍しい人が参加した。元会員のAさんだ。
実に3年ぶりの再会である。 いつまでも若さを保っているのは、趣味のダンスのせいかも知れない。 しかしなぜ、3年ぶりに参加する気になったのだろう。
話の輪に入るのも楽しいが、新しい発見は女性同士の会話の中にある。 宴もたけなわのころ。「私、貴女にね。叱られたのよ」と、AさんがBさんに言った。
「えっ! そんなことないでしょう。貴女のことは大好きなんだから」
Bさんは、グループのリーダー格で、はきはきものを言うタイプだが、このときばかりは、少しうろたえている感じだ。
「みんなで一泊旅行に行ったとき、私が貴女の意見に反対したら、『そんなこと言うんなら、あんた一人で帰りなさい!』って言ったでしょう。旅先でよ。ちょっと、ひどいんじゃない(笑)」
「あらぁ、そ~お。全然覚えていないの~。ごめんなさ~い(笑)」
話は続くが、終始にこやかに楽しそうだ。 3年ぶりに再会して1時間もたたないのに、過去の諍いを蒸し返すような話が出来る。 しかも、楽しそうに…。
私にとっては驚きである。 それだけではない。意外な展開が待っていた。 Cさんと帰る方向が同じなので話しながら歩いた。
「Bさんもビックリしたでしょうね。 3年前のことを、今更いわれてもね~、面食らってましたね」
「えっ? 何の話」
「聞いていたでしょう。旅行中のケンカですよ。突然言われて、さすがのBさんも、うろたえていたでしょ。 気がつきませんでした」
「あっ、あれね。トボケちゃってね。Bさんはちゃんと覚えているのよ。前から『あの人くるの?』と言って気にしていたんだから…」
「何ですかそれ? 貴女だって驚いたような顔していたでしょう」
「そうするもんよ」
思わず、どんなものだか分からないまま肯いてしまった。
3年ぶりに参加した元会員Aさんは、一体なんのつもりだろうか。 非難されてもトボケテ笑っているリーダー格のBさんは、果たして、どんな気持ちだったのだろう。
友人であるAさんを誘った懇親会幹事のCさんは、親切なのか策士なのか?
一体どこに真(まこと)があるのだろう。 私にはさっぱり分からない。
常々「この世は舞台、人は皆役者」と思っている。 例えば、ニューギニア高地人の舞台はニューギニア奥地、中央部の山岳地帯である。
もし、彼らが都市に働きに出れば、舞台は都市に変わり、セリフ(言語)を覚え、役(仕事)をこなさなければならない。
日本人は、日本語を話し、共同体の一員としての役割を果たしている。 世界中、何処に行っても同じこと、それぞれの場面で必要なセリフがあり役がある。
この世は舞台、それぞれの人生がある。 観ていて楽しい人生劇場である。
私自身も、そこそこに演じているつもりだ。
しかし、退職後に出合った多くの人たちと比べてみれば、私は遠く及ばない。
やはり役者が違うんだなぁ。
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ちゃちゃ なかぱさん、
バード・ウォッチングならぬ、マン・ウォッチング!私も大好きです。電車の中や、駅で人を待っていう時など、通り過ぎる人たちを観察します。着ているもの、手の組み方、ファッション、特に途切れ途切れに聞こえてくる会話には興味津々です。全く知らない人たちの息吹の中に、人生が見えてくるような気がします。人生の大劇場、ここにあり!ですかな?
こまどり そう、この世は人生劇場としてみるとおもしろいですよねー。いろんな役があって。nakapaさんの役はQPさんの主役があるから名脇役で引き立っているんですねー。おもしろい、お芝居ですよー。
きょうの女性たちは うわ手のそのまたうわ手がいることに驚く芝居でした。nakapaさん芝居を見る目が深いですね。
朝のブログ
賢爺 おはようございます。 役者が違うお話を拝読しました。 色々な方とお付き合いしていると、役者が一枚も二枚も上に抜きん出ている方が多い。 こちらは何時も負けそうな気になります。
ところで、ブログの中にニューギニア高知人とありますが、高地?耕地?後置?
ちゃちゃさんへ
nakapa 私もウォッチングは大好きです。近所の中島公園のウォッチングもやっています。
もちろん、人のいる所、必ずウォッチングです。鴨やカラスのウォッチングもします。
ちゃちゃさんが仰るように、この世はウォッチングの大劇場ですね。
こまどりさんへ
nakapa そうです。私は脇役、外でももちろん脇役。むしろエキストラのようなものです。
見られるより観る方が好きです。映画とかDVDとかですね。
もともと男社会にいたので、女性を画一的に捉えていたのでしょうね。無意識に…。
人間は全て、個性があって魅力的と再認識した次第です。
賢爺さんへ
nakapa おはようございます。読んで頂いて有難うございます。
すみません。間違えました。これではニューギニアに住む高知県人会みたいですね。
ご指摘の通り「高地人」です。半世紀前まで、石器時代の暮らしをしていました。
若い頃、朝日新聞、本田勝一記者の連載を読み、大変興味深く感じました。
のん子 女性でも?プライドの高い人って多いですからね~
Bさんは謝るきっかけを失ってしまったんだと。
Cさんは両方から話を聞いていて、仲直りの場を設定したのではありませんか?
A,B,Cさん、私の周りでも思い浮かびますよ(^^ゞ
フラダン う~ん、、いつものナカパさんの笑える話題とは
チョット違って考えちゃいました。(苦笑)
この歳まで生きていたら、役者も観客も目が肥えて
来ます、それでも許しあって、生きていく事が
一番楽と思います、完璧な人はおりませんから、、
のん子さんへ
nakapa さすが! これで謎が解けました。これなら、仲良く話しているわけも分かります。
私は、出入り自由の会なのに、何故これっきりと不思議に思っていましたが、
Aさんが来た、謎も解けました。 そして、CさんがAさんを呼んだ謎も解けたのです。
私はCさんが両方の人と仲良しなのを思い出しました。
懸案の謎が解けるとホントに気持ちいいですね。有難うございました。
おーりーおばさん 女性のほうが男性より役者としては上手ですから。
年とともに演技もうまくなってくるし。
最近「気にしない」というようなタイトルの本が
あるようですが、気にしないで生きていくのが
この世を楽しく生きていく術のように思います。