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朝食はテレビを消して話しながらとる。 「朝の食卓」の話題は近所の中島公園、健康、そして札幌シニアネット(SSN)、カラオケ、歩こう会など。
2010年12月10日付北海道新聞「朝の食卓」掲載
10月末のことだが、新聞の見出しを見てビックリした。「ANK機異常降下」「初歩的ミスあわや大惨事」|。以前、私が航空管制官として働いていた職場で起きたことなので、退職して10年たつとはいえ、よそ事とは思えなかった。嫌でも当時のことを思い出す。一瞬で判断し、素早い対応を求められる管制官としての職務は、過酷なものだった。

管制の指示は「上昇せよ」「降下せよ」「右に曲がれ」「左に曲がれ」と、一つひとつは極めて単純だが、いろいろ組み合わされて複雑な状況が作られる。一部分を切り取れば全てが初歩的ミスになる。優秀な人も、真面目な人もミスをする。ミスを減らすことはできても、絶対にゼロにはならない。

その翌日の新聞には、航空事故に関する裁判の記事が載っていた。2001年に静岡県沖上空で発生したニアミス事故について、管制官の刑事責任が確定されるそうだ。2人の被告は失職するだろう。

しかし、それで解決と言えるのか。ヒューマンエラーが事故に結びつかないような管制システムの構築こそ大切と思う。ハードとソフトの両面から整備する必要がある。在職時代を振り返れば、ハードのみが先行して、要員・訓練・運用などのソフト面が追いつかない印象がある。今はどうなのだろうか。

2010年10月31日北海道新聞「朝の食卓」掲載

先日、札幌・中島公園の「見どころ探訪ツアー」に参加した。興味深い内容だったが、ガイドさんから「来年は中島公園100周年」と聞き違和感を感じた。来年は中島公園と称して100年目なのだが、中島遊園地時代を含めると今年で122年目にあたるからだ。

中島公園の歴史は札幌の歴史そのものと言われている。札幌の発展に合わせて、その姿をいろいろと変えてきた。例えば、NHK札幌放送局、中島球場、子供の国等、多くの施設が中島公園から市内各地に移設されている。

一方、同じ場所に70年間もありながら世間の目から、見えたり見えなくなったりしたものもある。公園内の「木下成太郎像」である。政治家らしく台座の裏を見ると発起人として、時の首相を始め、有力者の氏名がズラリと並んでいる。立派な像だが終戦後は、まったく目立たない存在だった。

終戦により、中島公園内に設置された旧陸軍第五方面軍憲兵司令部が米進駐軍に接収されたことが関連していると思う。当時の日本人が像を守るため、意図的に無視したのではないだろうか? それが、最近になって、にわかに重要な芸術文化遺産とし再認識されることになった。この像は、建立当時と同じ場所にありながら、日が差したり陰ったりしているのである。

2010年9月18日北海道新聞「朝の食卓」掲載

秋は文化祭のシーズンだ。私の所属する「札幌シニアネット」(会員537人)でも開催する運びとなり、会員からキャッチコピーを募集した。これまで応募された作品を見せてもらうと、「青春」「シニア」という言葉がやけに多い。これは違うなと思い、この二つの言葉を排除して応募することにした。

青春といえば、私たち高齢者は「青春とは人生のある期間を言うのではなく心の様相を言うのだ」で始まる、サミエル・ウルマンの『青春の詩』が大好きだ。特に定年退職した身は自由で、気持ちとしては学生と共通するものがある。だから、青春を謳歌する気持ちはよく分かる。しかし、キャッチコピーは一般市民向けだ。平均年齢69歳の団体が青春を標榜したら、違和感を覚えられるだろう。

次にシニアだが、「年上の、上級の、高級の」とか、いずれも敬意を表す意味がこめられていると思う。例えば、シニア・バイス・プレジデント(SVP)なら上席副社長というように。こんな思いもあって、自ら名乗るのは気が引けるので「シニア」も排除した。

熟慮の末、私が書いたコピーは
「みんなニコニコ、元気でGO!GO!」である。 
自信を持って応募した。結果ですか? 「排除」されました。

2010年8月4日北海道新聞「朝の食卓」掲載

中島公園の変遷は札幌の歴史そのものなので、ときには意外な発見もある。「木下成太郎像」も、その一つだ。菖蒲池東側のひっそりとした林の中に鎮座するブロンズ像が、日本美術史上極めて貴重な作品とは夢にも思わなかった。

およそ3年前、その像が、日本を代表する彫刻家朝倉文夫(1883年~1964年)の作品と聞いたときはビックリした。 基壇は傷み、石と石のすき間から雑草がボウボウ生えたまま放置されていたからだ。

日本だけで310万人もの犠牲者を出した第二次世界大戦が終結して65年たつ。 日本は戦争で人だけでなく、多くの美術品をも犠牲にしたが、日本美術界の重鎮であった朝倉のブロンズ像400点余も、戦時中の金属供出のためにつぶされた。 そして大砲などにされ、そのほとんどが失われた。

この様な状況の中で、朝倉の作品が台座と基壇と共に、残されたことは、奇跡と言ってもよいと思う。3年前から「札幌彫刻美術館友の会(橋本信夫会長)」の呼びかけで中島公園の野外彫刻清掃運動が始まり、老若男女が参加する幅広い市民運動へと発展して行った。

去年の秋、札幌市がこのブロンズ像の基壇等を補修、整備した。基壇のすき間はなくなり、見えにくい文字も鮮明になった。 市民の地道な活動が市当局を動かしたのだろうか。

2010年6月23日北海道新聞「朝の食卓」掲載

自分はカラオケ嫌いと思っていたが、偶然歌ったことがきっかけで、大好きなことが分かった。そもそも歌うことが嫌いな人などいないからカラオケ嫌いは周囲の人によって作られるのだと思う。

30年ほど前、場末のカラオケパブで、職場の懇親会があった。経験のない私は歌わないつもりだったが、おせっかいな人のせいで舞台に立つはめになった。「僕が応援してあげよう」とか言って、私の手をぐいぐい引くのだ。ところが、歌いだすと気が変わり、3番までしっかりと歌ってしまった。 後日、上司から注意された。「おまえは下手なんだから歌うな」と繰り返し言うのだ。

こうしてカラオケ嫌いになったが、それが最近、仲間内のカラオケ会に偶然参加したことがきっかけで変わった。最初はもちろん断ったが、2人がかりで両腕をとられステージまで強制連行されたのだ。 30年前と同じ状況で、またもや伴奏が始まると歌う気になってしまった。

ただ、結果は大きく違い、初めて歌う私を歓迎する温かい気持ちが伝わってきた。 誘われるままに次の例会にも出て歌うと「うまくなったね」と言われうれしくなった。カラオケは好きになるも嫌いになるも、周り次第だと思った。好きな歌を人前で歌うことは、やっぱり楽しい

2010年5月15日北海道新聞「朝の食卓」掲載

JR札幌駅から中島公園まで、約2Kmの駅前通を真っすぐ南に歩いてみよう。新しい街から古い街へと、札幌の歴史をさかのぼるような気がして楽しい。超高層ビルJRタワーのある札幌駅前の地下に降りると、工事中の地下通路をガラス越しに見ることが出来る。後1年足らずで巨大な地下都市が誕生する。

大通公園を過ぎて5分も歩けば、明治初期からの歴史がある狸小路商店街だ。5丁目には「狸神社」と呼ばれる本陣狸大明神社がある。さらに南に行くと歓楽街ススキノだが、南7条では東に新栄寺、西に豊川稲荷が見える。この辺りは寺が多い。

駅前通の終点は中島公園だ。ここには移設された国指定重要文化財がある。江戸時代の茶室八窓庵と貴賓用ホテルとして明治13年に建築された豊平館である。最近注目されているのが東側の林の中に鎮座する「木下成太郎先生像」だ。作者の朝倉文夫は東洋のロダンと称される彫刻家だが、戦時中の金属供出のために400点余の彫像はほとんどが失われた。ブロンズ像として残された作品は珍しい。

札幌駅から中島公園への散歩は小さな旅だが、123年をたどる長い歴史の旅でもある。大通公園以北は未来の街、狸小路以南は歴史ある街、そんな印象を与えてくれる駅前通歴史散歩である。

2010年3月29日北海道新聞「朝の食卓」掲載

「日本語ボランティア『窓』」は、在日外国人の日本語学習を支援する団体である。その勉強会にお手伝いで参加したことがあるその日は、3人のモンゴル人女性留学生を受け持った。勉強する態度は真剣だ。日本語を一日も早く身に付けたいという、切実な気持ちが私の心に伝わってくる。

学習は順調に進んだが、うろ覚えの日本語文法でつまずき始めた。「助詞ノアトニ助詞デヨイデスカ?」と聞かれても、よく分からない。純真な六つの目が私を見つめている。緊張して口が渇いてきた。助けを求めに待合室に行ったものの、待機しているほかのボランティアの先生は一人もいない。偶然、「窓」の代表の姿を見受けたので、思い切ってお願いした。見習いの小僧が、親方に指図するようなものだが、この際仕方がなかった。

私はモンゴルの少女たちに、よい印象を持って故国に帰ってほしいと願っていたし、代表も同じ気持ちに違いない。待合室から隠れるようにして教室をのぞくと、留学生3人が代表を囲んで熱心に勉強している姿が見え、ひと安心した。真剣に学ぶ外国人と、それを支援するボランティア。私も日本語指導法を勉強して再挑戦したいと思う。

2010年2月17日北海道新聞「朝の食卓」掲載

7年前、札幌・中島公園の魅力を紹介するホームページ(HP)「中島パフェ」を開設したとき、大勢の人にメールで知らせたら、「HPの基本がなっていない!」と厳しい反応もあった。そんなとき、テレビ報道で「札幌シニアネット(SSN)」のことを知った。 シニア世代の学習会、クラブ活動など多彩なメニューがある。教えあいが基本なので講師も会員。受講料などの負担も実費のみだ。早速、入会し、HP作成の勉強を始めた。

20人の教室で学び始め、最初はサッパリ分からず悩んでいたら、「復習会をしませんか」と、メールが来た。渡りに船と思い、4人の勉強会に参加した。 「難しくてついて行けません」と言うと、ほかの会員から「実は、私もそうなのです。分からない所を教えあいましょう」と言われホッとした。皆さんの笑顔で気持ちも楽になり、勉強する意欲もわいてきた。

会の理念「学び合い 支え合い 助け合い」のとおりに運営されていることが素晴らしい。それが会員の生き甲斐となり、経費の節約にもなるのだから、一石二鳥だ。そのころ、政府が545億円もかけた「IT(情報技術)講習会」にも参加したが、実にもったいないと思った。そこでは得るものはあまりなかったが、SSN学習会で学んだことは今もHPの情報発信に役立っている。

2010年1月24日北海道新聞「朝の食卓」掲載

「禍を転じて福となす」というが、Yさんとの出会いは、まさにそのようなケースだった。酒席で、酔った男性から「あんたのラジオはつまらないから止めろ」と言われて深く傷ついた。気持ちがなえたまま、放送日を迎え、思わず「止めようかな」とか言ってしまった。

すぐに、メールが届いた。「止めないで下さい。私は聴くのを楽しみにしています」と書いてあった。意外にもオーストラリアからの発信だ。一瞬、「どうやって?」と思ったが、インターネットで番組ブログの録音を聴いてくれたそうだ。 

そのメールの主、Yさんは札幌市出身で中島公園の近くで育ち、20年前に縁あってオーストラリアに移住した女性。インターネットで中島公園の魅力を紹介するホームページ「中島パフェ」と出会い、私がラジオで話していることを知ったという。メールの交換を始めて半年後、うれしい知らせが届いた。 大学生の娘さんと一緒に、中島公園に遊び来てくれるというのだ。

公園内の菖蒲池で、愛らしい親子ガモが泳ぐ夏のひととき。初対面の3人はすぐに打ち解け、北海道の味覚も楽しんだ。ホームページやコミュニティーラジオにかかわり、さまざまな人と出会う。定年後の暮らしは、思いのほか充実している。

2009年12月6日北海道新聞「朝の食卓」掲載

知られていないが、札幌の中島公園には安田侃、小田襄ら著名な彫刻家の作品14点が点在しており、鑑賞しながら散策するのも楽しい。しかし、その価値が正当に評価され、大切に扱われているとは思えない。2007年6月、彫刻家山内壮夫(たけお)(1907~1975年)の「母と子の像」が何者かに倒され、さらに目を花火で焼かれる事件があった。

あまりに悪質で、いたずらというには度を超している。ただ、多くの彫刻が腐食や鳥のふんなどで汚れたままになっていることが、いたずらを誘発したのかもしれない。この事件をきっかけに野外彫刻をきれいにしようという機運が高まり、その年の12月、付近の住民と彫刻ファンによるボランティア団体「中島公園モニュメント研究会」が発足。私もメンバーで、年2回の彫刻の清掃を行っている。

今年9月の清掃には、近隣ホテルの従業員も加わり、約30人が3時間にわたって作品を磨いた。活動を始めてからは、いたずらはなくなっている。地道な取り組みが、人々の間に芸術作品を大切にする心を育てているのかもしれない。都市化の波にのまれかねない中島公園を、何とか良好な状態のまま次世代に引き継ぎたい。今後、その役割を担うのは、こうしたボランティアたちかもしれない。

2009年11月12日北海道新聞「朝の食卓」掲載

昨年の夏、近くの小学校で、南極の氷を触らせてもらった。南極観測船「しらせ」が持ち帰ったものだった。高さ20センチ、幅20センチ、奥行き14センチ。既に大勢が触った後だったので、角は丸くなり、白っぽい色をしていた。しばらく触っていると、中の空気が弾ける「プチッ」という音がする。3万年前の空気かと思うと、何となくロマンを感じた。

ある先生は「この氷でウイスキーのオン・ザ・ロックが飲みたいな」と言った。児童全員が触るまでは、じっと我慢だ。 ただ、児童300人が触った後、氷は、どのくらい残るのだろうか。しかも、みんながベタベタと触った氷で、大丈夫だろうか。そんなことを考えていたら、誰かが「ウイスキーでアルコール消毒されるから、大丈夫だよ」。

子どもたちは、南極の氷に、どんな夢を感じたことだろう。 北海道新聞朝刊に連載中の小説「氷山の南」を興味深く読んでいる。南極にある氷山を運び出し、世界の水不足対策、さらには農業用水として食糧対策につなげようという氷山えい航プロジェクトの話だ。まさに地球上のさまざまな問題を一挙に解決する夢物語だ。 あの氷の感触を思い出しながら、きょうも朝刊を楽しみに待っている。

2009年10月1日北海道新聞「朝の食卓」掲載

2年前の今ごろのことだった。札幌市の中島公園近くに住むHさんから、川に泳ぐサクラマスの写真を添えた一通のメールが届いた。「こんな小さな川に産卵に来るなんて、とても神秘的に思えてなりません」。こう結んであった。中島公園を流れる鴨々川にサクラマスが遡上(そじょう)してきたというのだ。まさかと驚いた。

新聞で報道されてからは、鴨々川で写真を撮る人の姿が絶えなかった。そのころ恒例の「クリーン鴨々川清掃運動」があり、主催者も「私たちの河川清掃運動が実を結んだ」と胸を張った。

都心近くの公園で、自然界と同じような営みの中で、新たな命が生まれる。まるで夢を見ているようだ。しかし、事実は違った。原因は、豊平川から鴨々川へ流れる水量を最高5倍まで増やす河川工事のせいだった。水の流れが強くなり、豊平川を遡上するサクラマスが、取水口から吸い込まれ、中島公園を流れる鴨々川に迷い込んだのである。

河川工事をしたのは人。遡上と勘違いして喜んだのも人。保護のため、捕まえて豊平川に戻したのは、豊平川さけ科学館の人。 サクラマスにとって人とは何だろうか。 環境問題を考えさせられた出来事だった。

2009年8月9日北海道新聞「朝の食卓」掲載

「中島パフェ」という私が運営するホームページ(HP)と同名の、札幌の中島公園をイメージした本物のパフェが誕生した。バニラやピスタチオのアイスクリームに、クリームチーズのクリーム、イチゴを使ったソース。チョコレートで木や音符も表現している。 早速味わったが、実においしかった。

もともとパフェが大好きだった。「パフェ」は仏語で「完ぺきな」を意味する。約6年前、自宅そばの中島公園の魅力を紹介するHPを開設することになり、タイトルを「中島パフェ」とした。そのうち「どこかで、そんな名のパフェを作ってくれれないかな」と思っていたら、奇跡が起こった。

今年の5月、メールが届いた。「中島パフェ誕生! ぜひ第1号としてご試食を…」。中島公園に隣接するホテル「ノボテル札幌」からだった。ノボテルのスタッフとは、中島公園の良さをアピールするために何をしたらよいかを話し合ってきた。ボランティア清掃でも、ともに汗を流すこともあった。中島公園を愛する共通の思いが誕生につながった。こんなにうれしいことはない。

パフェは8月末までの期間限定で1杯840円。1階のカフェ・セゾンで午前11時~午後6時に提供されている。よろしかったら、ご賞味あれ。

2009年7月14日北海道新聞「朝の食卓」掲載

今月中旬から道内でも各地で花火大会が行われる。去年のことだが、札幌市の豊平川で行われる花火大会に出掛けた。すごい迫力だ。花火が上がる度に観客の歓声が響く。夜空にパッと咲く大輪の花を見て、久しぶりに興奮した。

ところが、打ち上げの合間に「怖いよー、帰ろうよー」と幼児の泣き声が聞こえた。なるほど、この迫力も幼い子にとっては恐ろしいものなのだ。

しばらくすると、トイレに行きたくなった。我慢も限界に達した。見物をあきらめ、隣接する中島公園に急いだ。ここには公衆トイレもたくさんある。トイレから出て、あたりを見回すと、あちこちで花火見物をしている人がいた。花火はやや遠目になるが、音も小さく聞こえるので、幼児もここなら大丈夫だろう。

観客でぎっしりと埋まった河川敷と違って、人もまばらで、立ったり、座ったり、寝転んだり、と見方はいろいろ。皆リラックスした感じで花火を楽しんでいる。菖蒲池のボートに乗って見るカップル、豊平館前で開かれていた野外喫茶ではビールを飲みながら。ここを花火見物の穴場を知って、やって来た人も結構いるのだろう。

打ち上げを目の前で見て、光と音の迫力を楽しむのもいいが、自分なりに見物の穴場を見つけて花火を楽しむのも、これまたいい。

2009年6月4日北海道新聞「朝の食卓」掲載

もうすぐ北海道神宮の例祭(札幌まつり)だ。去年のまつりのことだが、約40年ぶりに「お化け屋敷」に入った。中島公園の魅力を紹介するインターネットのホームページを運営する立場として、「見ておかねば」と思った。 ところが、友人や家族を誘っても「年だから」と同意を得られず、一人で行くことになった。

お化け屋敷に入って歩くと、外に出たり、中に入ったりする。 これには二つの理由があるようだ。 一つは外にいる見物人に、中のにぎわいと興奮ぶりを見せること。 もう一つは、明るい所に客を出して目をくらませ、内部をより暗く見せることだ。なかなかよく考えられていると感心する。

再び中に入ると、子どもが、お化けに驚かされて逃げ回っている。 私の番になったが、お化けはじっと立ったままだ。「驚かさないの」と聞くと、うつむいてしまった。さらに行くと、また外に出た。目の前には見物人がたくさんいて恥ずかしい。 慌てて中に入って迷ってしまった。どうしても出られないのでお化けに聞いた。 「出口どこ?」。お化けは黙って指を指した。口をきいてはいけないらしい。

怖いもの見たさにお化け屋敷に行ってみたが、想定外の60代の一人客に、お化けは相当に戸惑っているようだった。

2009年4月25日北海道新聞「朝の食卓」掲載

「会社を退職したら、肩書を外した付き合いを」と言われるが、肩書がないというのは案外大変だ。 その夜、自宅近くの札幌・中島公園でジャズコンサートが開かれ、会場そばの幻想的な照明の中で、若者が踊っていた。 インターネットで中島公園のホームページ(HP)を開設している私は「これは絵になるな。グッドタイミングだ」と、持っていたデジカメでシャッターを切った。 

「おっさん!おれを撮ったな」。気づいた若者が、こう言いながら近づいてきた。一瞬、緊張が走った。 私は「中島公園のHPを運営しています。撮った写真を載せてもいいですか?」と言いながら、慌てて名刺を渡した。名刺といっても、2カ月に1回出演するコミュニティーFMの番組を少しでもPRをしようと自分で作ったものだ。名前の横にラジオ番組名と「担当」と書いてある。

若者の態度が穏やかになった。「おじさん、すごいんだな」と言われてホッとした。だが、「すごい」とは一体何のことだろう? NHKや大きな民放局の番組と勘違いさせたのかもしれない。とはいえ、苦し紛れで作った名刺に救われた。肩書を外した付き合いは世界も広がって実に楽しいが、一方で、こんなつらさもある。

2009年3月15日北海道新聞「朝の食卓」掲載
第2回「ボクシング作戦」
識者と言われる人は、口々に「老後は人の輪に入りなさい」と言う。その言葉を信じたが、それだけでは成果が上がらない。 創意も工夫も必要なことが分かった。そこで、1年をボクシングのように12ラウンドに分け、自分なりの創意と工夫を試してみることにした。 リングには高齢者向けの「やさしい英会話」教室を選んだ。

最初は、あえて人の輪に入らないで人々を観察した。教室の隅にジッと座って9カ月が過ぎた。アウトボクシングのつもりだ。必殺パンチは得意の「パソコン」。慎重にタイミングを計ることにした。年明けにチャンスが到来した。教室の新年会だ。ボクシングだと第9ラウンドあたり。そろそろ仕掛けよう。宴席で何げなく女性のAさんの横に座った。インターネットに興味があることを知っていたからだ。

「趣味は?」と聞かれた。「パソコンを少々」と答え、「教室仲間のホームページを作らない?」と持ちかけると、話はとんとん拍子に進んだ。こうしてホームページ作成を軸に人の輪が広がっていった。「ボクシング作戦」は大成功だ。

しかし、そう思ったのは私だけだったらしい。 ある日、別のメンバーが言った。「Aさんは、あなたが、いつも一人で寂しそうだから声をかけてあげたんだって」

2009年 1月9日北海道新聞「朝の食卓」掲載
第1回「まだ小学生」
「話し方がイマイチだねえ」。地元のコミュニティーFM局に初めて出演した時、番組を聞いた友人に言われた。ラジオで話すのは初めてだ。思うように口も動かないし、頭も働かない。 こう考えることにした。私自身をリセットし、退職時を小学校入学時と考えればいいのだ。不評には「まだ、小学生だからね」と応じればいい。

退職して約8年になるが、生活は期待以上に充実している。ものを書き、ラジオで話し、自由に情報発信できることが何より楽しい。「書くことは恥をかく」と言われるが、私は話しても恥をかく。それでもやってしまうのは、なぜだろう?

それは経験がないからだ。もし、若いころに経験があれば、難しさも分かるので躊躇(ちゅうちょ)する。 あるいは、今さら勉強しても当時の水準に戻すことはできないと思い、やる気が出ないのではないか。

経験がないから未知の世界に出会うことが楽しく、新鮮に感じるのだろう。何のことはない、子どもの世界に戻ったようなものだ。退職当時は「ぬれ落ち葉」とか「粗大ごみ」とか、定年退職者をやゆする言葉がはやっていた。多少不安を抱いていたが、多くの人との出会いが解消してくれた。

「友だちが百人できたよ」と私。冗談めかして妻は言った。
「良かったね。小学生のおじいちゃん」