何時も昼頃から行く中島公園散歩だが、今日は朝から行った。天気予報によるご午後から落雷があるかも知れないと言うからだ。土曜日にもかかわらず人出は、午後に比べれば少なかった。5月半ばから現れた親子のマガモは居なかった。
少し足を延ばして中島公園を出てみた。鴨々川沿いに薄野に向かって歩いていると、藻山橋手前の人道橋に観光客らしき人が見えた。下を見ると綺麗なコイが沢山泳いでいた。
少し足を延ばして中島公園を出てみた。鴨々川沿いに薄野に向かって歩いていると、藻山橋手前の人道橋に観光客らしき人が見えた。下を見ると綺麗なコイが沢山泳いでいた。
2003年6月20日 菖蒲池で泳いだ若者
去年の夜は凄かった。徒歩暴走族と機動隊がキタラへの道路を挟んで対峙し、一触即発の物々しい雰囲気でした。今年はそんな物騒なのはなかったけれど、菖蒲池に飛び込む若者がいました。橋の上から「目立ってるぞ!もっと泳げと!」と嗾ける人もいました。
道路の真ん中で車座になって酒を酌み交わす若者もいました。警官もそばにいましたが、とくに注意することもありません。それで良いと思います。お祭りなのですから。行儀の良いお祭りでは様になりません。羽目を外してお祭り気分、やり過ぎない頃合いが難しいかも知れません。
2019年5月1日に思ったこと
今考えると昔のお祭りは、羽目を外すことが多かった。今はだいぶ上品に楽しむ人が多くなった。徒歩暴走族も見ないし、菖蒲池に飛び込む人もいないし、園路の真ん中で車座になって酒を酌み交わす若者も居ない。しかし、変わったのは私かも知れない。夜のお祭りに行かなくなってしまったのだ。夜に出かければいろいろ怪しげなことがあるのかも知れない。
去年の夜は凄かった。徒歩暴走族と機動隊がキタラへの道路を挟んで対峙し、一触即発の物々しい雰囲気でした。今年はそんな物騒なのはなかったけれど、菖蒲池に飛び込む若者がいました。橋の上から「目立ってるぞ!もっと泳げと!」と嗾ける人もいました。
道路の真ん中で車座になって酒を酌み交わす若者もいました。警官もそばにいましたが、とくに注意することもありません。それで良いと思います。お祭りなのですから。行儀の良いお祭りでは様になりません。羽目を外してお祭り気分、やり過ぎない頃合いが難しいかも知れません。
2019年5月1日に思ったこと
今考えると昔のお祭りは、羽目を外すことが多かった。今はだいぶ上品に楽しむ人が多くなった。徒歩暴走族も見ないし、菖蒲池に飛び込む人もいないし、園路の真ん中で車座になって酒を酌み交わす若者も居ない。しかし、変わったのは私かも知れない。夜のお祭りに行かなくなってしまったのだ。夜に出かければいろいろ怪しげなことがあるのかも知れない。
2003年6月13日 弱者に優しい公園だが困ったことも
中島公園は札幌で一番弱者に優しい公園です。お年寄りは勿論のこと、杖をついた人も車椅子の人も、それぞれの体力に応じて散歩を楽しんでいます。23ヘクタールという都市公園としても小さな公園ですが、その殆どが平面で縦横に遊歩道が整備されています。
しかも、7箇所(身障者用6)に公衆トイレ、その他コンサートホール等の施設内にも利用できるトイレ(身障者用併設)が要所要所にあります。身障者やトイレの近いお年寄りでも安心して散歩が楽しめる公園です。
しかし、困った問題もあります。それはカラスと暴走自転車です。いずれも自転車通行のマナー、ゴミだしのマナーを守ることで、人が解決できる問題です。都市ではカラスが食べられる生ゴミの量とカラスの数は比例すると言われています。
2019年3月31日になって思ったこと
カラスについては状況は変わっていない。この10年くらいの間に中島公園にたいする注目度は上がり続けていると思う。カラス問題は出来るだけ早く解決しなければならないと思う。周辺の住宅、特にマンションではゴミの集積場に鍵を掛けたりしてカラスが入れない構造に変わっているが、公園内にはゴミ箱はない。公園内に放置されたゴミが見られるが減っていると思う。マナーの問題は完璧には行かない。暴走自転車は減っている感じだが、ハッとさせられる場合はある。
中島公園は札幌で一番弱者に優しい公園です。お年寄りは勿論のこと、杖をついた人も車椅子の人も、それぞれの体力に応じて散歩を楽しんでいます。23ヘクタールという都市公園としても小さな公園ですが、その殆どが平面で縦横に遊歩道が整備されています。
しかも、7箇所(身障者用6)に公衆トイレ、その他コンサートホール等の施設内にも利用できるトイレ(身障者用併設)が要所要所にあります。身障者やトイレの近いお年寄りでも安心して散歩が楽しめる公園です。
しかし、困った問題もあります。それはカラスと暴走自転車です。いずれも自転車通行のマナー、ゴミだしのマナーを守ることで、人が解決できる問題です。都市ではカラスが食べられる生ゴミの量とカラスの数は比例すると言われています。
2019年3月31日になって思ったこと
カラスについては状況は変わっていない。この10年くらいの間に中島公園にたいする注目度は上がり続けていると思う。カラス問題は出来るだけ早く解決しなければならないと思う。周辺の住宅、特にマンションではゴミの集積場に鍵を掛けたりしてカラスが入れない構造に変わっているが、公園内にはゴミ箱はない。公園内に放置されたゴミが見られるが減っていると思う。マナーの問題は完璧には行かない。暴走自転車は減っている感じだが、ハッとさせられる場合はある。
中島パフェ」を開設したばかりの16年前はこんなことを考えていた。
2003年5月30日 毎朝、園内でラジオ体操
公園内の二箇所で毎朝ラジオ体操をしています。6時25分頃、豊平館前と公園南側鴨々川周辺でラジオが鳴り始めると、あちこちから集まってきます。主催者がどなたなのか未だに分りません。ただ何となく集まり、体操をして何となく帰ります。運動場と違って、川あり、芝生あり、道路あり、いろいろなので、それぞれ、好きな場所で体操しています。そろぞれの場所は決まっていて、他の人がそこに入ることは滅多にありません。
中央の部分で体操している人たちはお互いに挨拶し、お喋りもしますが外側の人たちは黙って体操だけします。更に外側の人は30メートルくらい間隔を取って一人づつ散らばって体操しています。ほとんどが高齢者ですが、夏になると、子供さんも少し、参加します。ラジオ体操は真冬でもやっていると思います。窓をあけるとラジオ体操の音楽が聞こえるので、そう思いました。今年の冬は確認に行くつもりです。
今、思うこと
今でもラジオ体操は続いている。私も4年くらい続けて参加したが、体調を崩して入院し、退院後は早朝のラジオ体操には参加しない。その代り個人的に毎日欠かさずラジオ体操をしている。これが健康状態のバロメーターになっている。出来ない時は何らかの異常があるときだ。毎日体操ができることが現在の目標となっている。幸い90%以上の日々、実行できている。体調を崩した時はラジオ体操が出来る日を心待ちにしている。
2003年5月30日 毎朝、園内でラジオ体操
公園内の二箇所で毎朝ラジオ体操をしています。6時25分頃、豊平館前と公園南側鴨々川周辺でラジオが鳴り始めると、あちこちから集まってきます。主催者がどなたなのか未だに分りません。ただ何となく集まり、体操をして何となく帰ります。運動場と違って、川あり、芝生あり、道路あり、いろいろなので、それぞれ、好きな場所で体操しています。そろぞれの場所は決まっていて、他の人がそこに入ることは滅多にありません。
中央の部分で体操している人たちはお互いに挨拶し、お喋りもしますが外側の人たちは黙って体操だけします。更に外側の人は30メートルくらい間隔を取って一人づつ散らばって体操しています。ほとんどが高齢者ですが、夏になると、子供さんも少し、参加します。ラジオ体操は真冬でもやっていると思います。窓をあけるとラジオ体操の音楽が聞こえるので、そう思いました。今年の冬は確認に行くつもりです。
今、思うこと
今でもラジオ体操は続いている。私も4年くらい続けて参加したが、体調を崩して入院し、退院後は早朝のラジオ体操には参加しない。その代り個人的に毎日欠かさずラジオ体操をしている。これが健康状態のバロメーターになっている。出来ない時は何らかの異常があるときだ。毎日体操ができることが現在の目標となっている。幸い90%以上の日々、実行できている。体調を崩した時はラジオ体操が出来る日を心待ちにしている。
「中島パフェ」を開設したばかりの16年前はこんなことを考えていた。
2003年5月23日 園内を猛スピードで走り抜ける自転車
公園にはいろいろな人が訪れます。行楽、散歩、犬の散歩などですが、意外に多いのが通行人です。周りにマンション等の住宅が密集しているので、通勤、通学、買物などで公園内を通行する人がかなり多いのです。
自転車で通行する人も多いのですが、中には公園内を猛スピードで通り抜けていく自転車もあります。たいてい若い人が乗っています。公園で脅かされるのはカラスぐらいにして欲しいものです。自転車の方は言葉が通じる人間が運転しているのですから何とかならないものでしょうか。
今思うこと
中島公園はこの16年間でいろいろ変わったが、これだけは変わらない。最近は少し少なくなったような気がするが、単に慣れてしまっただけかも知れない。車は通行禁止なので自転車は公園の王様だ。王様はゆったりとあるくもの、走ってはいけない。
2003年5月23日 園内を猛スピードで走り抜ける自転車
公園にはいろいろな人が訪れます。行楽、散歩、犬の散歩などですが、意外に多いのが通行人です。周りにマンション等の住宅が密集しているので、通勤、通学、買物などで公園内を通行する人がかなり多いのです。
自転車で通行する人も多いのですが、中には公園内を猛スピードで通り抜けていく自転車もあります。たいてい若い人が乗っています。公園で脅かされるのはカラスぐらいにして欲しいものです。自転車の方は言葉が通じる人間が運転しているのですから何とかならないものでしょうか。
今思うこと
中島公園はこの16年間でいろいろ変わったが、これだけは変わらない。最近は少し少なくなったような気がするが、単に慣れてしまっただけかも知れない。車は通行禁止なので自転車は公園の王様だ。王様はゆったりとあるくもの、走ってはいけない。
2003年5月9日 都市公園にはごみ箱は必要
中島公園は遠目には綺麗な公園ですが、足元を見れば所々にゴミが目に付きます。ほとんどは行楽弁当のゴミです。カラスに突っつかれて汚らしい状態になっていることもあります。園内の清掃は始終行われていますが、追いつかないのが現状です。
行楽客のモラルの問題もありますが、主な原因は園内にごみ箱が一つもないことだと思います。「ゴミは持ち帰り下さい。」と言われても街に寄ったり、地下鉄に乗ったり、その間ゴミを持ちながら歩くのは面倒なものです。
カラスや分別の問題もあるのでごみ箱といっても工夫が必要なので昔のようにあちこちに置くわけにはいかないと思いますが、南北東西4箇所くらいは必要と思います。
2018年12月30日に考えたこと
あらから15年たったが、中島公園に限らず、ゴミ箱はずいぶん少なくなった。以前はテロ騒ぎもあったし、ゴミの分別も大変。結局管理が難しくなってしまった。プラスチックごみが世界的な問題となっている。便利な生活は多くのゴミ予備群に支えられている。根本的に考え直すべきと思う。便利優先から環境優先に変えるべきと思う。
中島公園は遠目には綺麗な公園ですが、足元を見れば所々にゴミが目に付きます。ほとんどは行楽弁当のゴミです。カラスに突っつかれて汚らしい状態になっていることもあります。園内の清掃は始終行われていますが、追いつかないのが現状です。
行楽客のモラルの問題もありますが、主な原因は園内にごみ箱が一つもないことだと思います。「ゴミは持ち帰り下さい。」と言われても街に寄ったり、地下鉄に乗ったり、その間ゴミを持ちながら歩くのは面倒なものです。
カラスや分別の問題もあるのでごみ箱といっても工夫が必要なので昔のようにあちこちに置くわけにはいかないと思いますが、南北東西4箇所くらいは必要と思います。
2018年12月30日に考えたこと
あらから15年たったが、中島公園に限らず、ゴミ箱はずいぶん少なくなった。以前はテロ騒ぎもあったし、ゴミの分別も大変。結局管理が難しくなってしまった。プラスチックごみが世界的な問題となっている。便利な生活は多くのゴミ予備群に支えられている。根本的に考え直すべきと思う。便利優先から環境優先に変えるべきと思う。
2003年5月2日 園内にごみ箱がありません
中島公園内にはごみ箱が一つもありません。そのせいか、園内のあちこちに弁当を食べた後のゴミが捨ててあります。気になるので拾おうとは思うのですが、これが以外に大変なのです。ほとんどのゴミはポリ袋に入ったプラスチック容器、カン、食べ残しです。拾ってもごみ箱が無いので家まで持ち帰らなければなりません。そして、燃えるゴミ、燃やせないゴミ、資源ごみに分類して、それぞれ指定された曜日まで保管してから捨てなければなりません。
2018年11月30日 今、思うこと
15年前には、そんなことを考えていたが、今は公園にゴミ箱がない方が多くなってきた。その後不審物とか分別とかゴミの管理は次第に難しくなってきたのだ。昔に比べて使い捨ても多いし、纏めて処理しようとしても費用が掛かりすぎると考える。もう余程の理由と覚悟がない限り公園にゴミ箱を設置することは出来ない。今でもアチコチにゴミが捨てられているのが見受けられる。ゴミを持ち帰る文化を隅々まで普及する必要があると思う。
中島公園内にはごみ箱が一つもありません。そのせいか、園内のあちこちに弁当を食べた後のゴミが捨ててあります。気になるので拾おうとは思うのですが、これが以外に大変なのです。ほとんどのゴミはポリ袋に入ったプラスチック容器、カン、食べ残しです。拾ってもごみ箱が無いので家まで持ち帰らなければなりません。そして、燃えるゴミ、燃やせないゴミ、資源ごみに分類して、それぞれ指定された曜日まで保管してから捨てなければなりません。
2018年11月30日 今、思うこと
15年前には、そんなことを考えていたが、今は公園にゴミ箱がない方が多くなってきた。その後不審物とか分別とかゴミの管理は次第に難しくなってきたのだ。昔に比べて使い捨ても多いし、纏めて処理しようとしても費用が掛かりすぎると考える。もう余程の理由と覚悟がない限り公園にゴミ箱を設置することは出来ない。今でもアチコチにゴミが捨てられているのが見受けられる。ゴミを持ち帰る文化を隅々まで普及する必要があると思う。
2003年4月25日に感じたこと
「最近ちょっと気になることがあります。カラスが多いのは相変わらずですが、カモが減ってカモメが増えています。去年はたまにしか見なかったカモメが今年は毎日のように来ています。しかも、去年は2,3羽でしたが、最近は5,6羽まとまっていることがあります。徐々にカモメが勢力を拡大している感じです。最近都心部でカモメが増えています。原因は市場で落とされた魚がエサになっていることだと聞いています。カモメは大きくて強いので生態系に大きな変化がおきるのではないかと懸念されています」。
今から15年前に書いたのだが、現状とさほど変わらない。一時は次第に増えて行ったのだが、何らかの対策が取られたのかも知れない。その後の報道で薄野のビル屋上にカモメの巣があることを知った。これからは増えるのではないかと心配したが、そうでもなかった。
カモメ(オオセグロカモメ)の数はハト、カラス、スズメ、マガモよりは少ない。カモメに中島公園が占領される危機はひとまず無くなった。今ぐらいの数なら居た方が楽しいと思う。最近はカワアイサもカワウもサッパリ見なくなった。オナガガモも来ていないような気がする。私が見ていないだけの話ならいいのだが、いろいろな野鳥が来てくれれば楽しいと思う。
「最近ちょっと気になることがあります。カラスが多いのは相変わらずですが、カモが減ってカモメが増えています。去年はたまにしか見なかったカモメが今年は毎日のように来ています。しかも、去年は2,3羽でしたが、最近は5,6羽まとまっていることがあります。徐々にカモメが勢力を拡大している感じです。最近都心部でカモメが増えています。原因は市場で落とされた魚がエサになっていることだと聞いています。カモメは大きくて強いので生態系に大きな変化がおきるのではないかと懸念されています」。
今から15年前に書いたのだが、現状とさほど変わらない。一時は次第に増えて行ったのだが、何らかの対策が取られたのかも知れない。その後の報道で薄野のビル屋上にカモメの巣があることを知った。これからは増えるのではないかと心配したが、そうでもなかった。
カモメ(オオセグロカモメ)の数はハト、カラス、スズメ、マガモよりは少ない。カモメに中島公園が占領される危機はひとまず無くなった。今ぐらいの数なら居た方が楽しいと思う。最近はカワアイサもカワウもサッパリ見なくなった。オナガガモも来ていないような気がする。私が見ていないだけの話ならいいのだが、いろいろな野鳥が来てくれれば楽しいと思う。
2003年4月25日に感じたこと
「最近ちょっと気になることがあります。カラスが多いのは相変わらずですが、カモが減ってカモメが増えています。去年はたまにしか見なかったカモメが今年は毎日のように来ています。しかも、去年は2,3羽でしたが、最近は5,6羽まとまっていることがあります。徐々にカモメが勢力を拡大している感じです。最近都心部でカモメが増えています。原因は市場で落とされた魚がエサになっていることだと聞いています。カモメは大きくて強いので生態系に大きな変化がおきるのではないかと懸念されています」。
今から15年前に書いたのだが、現状とさほど変わらない。一時は次第に増えて行ったのだが、何らかの対策が取られたのかも知れない。その後の報道で薄野のビル屋上にカモメの巣があることを知った。これからは増えるのではないかと心配したが、そうでもなかった。
ハト、カラス、スズメ、マガモよりは少ない。カモメ、つまりオオセグロカモメに中島公園を占領される危機はひとまず無くなった。今ぐらいの数なら居た方が楽しいと思う。最近はカワアイサもカワウもサッパリ見なくなった。オナガガモも来ていないような気がする。私が見ていないだけの話ならいいのだが、いろいろな野鳥が来て欲しい。
「最近ちょっと気になることがあります。カラスが多いのは相変わらずですが、カモが減ってカモメが増えています。去年はたまにしか見なかったカモメが今年は毎日のように来ています。しかも、去年は2,3羽でしたが、最近は5,6羽まとまっていることがあります。徐々にカモメが勢力を拡大している感じです。最近都心部でカモメが増えています。原因は市場で落とされた魚がエサになっていることだと聞いています。カモメは大きくて強いので生態系に大きな変化がおきるのではないかと懸念されています」。
今から15年前に書いたのだが、現状とさほど変わらない。一時は次第に増えて行ったのだが、何らかの対策が取られたのかも知れない。その後の報道で薄野のビル屋上にカモメの巣があることを知った。これからは増えるのではないかと心配したが、そうでもなかった。
ハト、カラス、スズメ、マガモよりは少ない。カモメ、つまりオオセグロカモメに中島公園を占領される危機はひとまず無くなった。今ぐらいの数なら居た方が楽しいと思う。最近はカワアイサもカワウもサッパリ見なくなった。オナガガモも来ていないような気がする。私が見ていないだけの話ならいいのだが、いろいろな野鳥が来て欲しい。
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2003年4月18日に感じたこと
「駅を降りて1番口階段登れば林の緑と草花が迎えてくれます。今はクロッカスが咲いています。2番口から出れば鴨々川の鴨や林の小鳥が迎えてくれます。幌平橋駅周辺はコンビニもラーメン屋も何もない珍しい駅です。あるのは豊平川と中島公園だけです」。
およそ15年前のことだが、幌平橋駅は子供のころ住んでいた渋谷のことを思い出させてくれた。まるで山手線の原宿駅のようだ。1950年頃は明治神宮があるだけの地味な駅だった。幌平橋駅も中島公園の入口の過ぎない駅。近所には店が何もない。あるのは当時の原宿駅と同じように緑だけだ。半世紀以上行ったことはないので原宿の今はどうなっているか知らないけれど、テレビなどで見るとエラく派手になったような気がする。
15年前に「中島パフェ」を開設し、雑感を書いた。今でも懐かしい。このブログも自分だけの趣味の世界に入ってしまったようだ。過去には行けないから思い出して楽しんでいる。
「駅を降りて1番口階段登れば林の緑と草花が迎えてくれます。今はクロッカスが咲いています。2番口から出れば鴨々川の鴨や林の小鳥が迎えてくれます。幌平橋駅周辺はコンビニもラーメン屋も何もない珍しい駅です。あるのは豊平川と中島公園だけです」。
およそ15年前のことだが、幌平橋駅は子供のころ住んでいた渋谷のことを思い出させてくれた。まるで山手線の原宿駅のようだ。1950年頃は明治神宮があるだけの地味な駅だった。幌平橋駅も中島公園の入口の過ぎない駅。近所には店が何もない。あるのは当時の原宿駅と同じように緑だけだ。半世紀以上行ったことはないので原宿の今はどうなっているか知らないけれど、テレビなどで見るとエラく派手になったような気がする。
15年前に「中島パフェ」を開設し、雑感を書いた。今でも懐かしい。このブログも自分だけの趣味の世界に入ってしまったようだ。過去には行けないから思い出して楽しんでいる。
今年は北海道と命名して150年、そして「中島パフェ」開設15年。当時を振り返ってみたい。そのころ中島公園雑感を書き始めた。
2003年4月4日のタイトルは「春一番に咲くクロッカス」。内容は短いが、転居したころの素直な感想が書かれている。「地下鉄幌平橋駅前広場にクロッカスの芽が出ています。去年の春は早く、この時期にもう花が咲いていました。豊平館前の道はすっかり雪がなくなっていますが、前の池は未だ凍結しています」。
あれから15年たつが毎年同じことが繰り返されている。幌平橋駅前広場のクロッカスは当時より減っている。豊平館前の池は相変わらず融けるのが遅い。水の流れが少ないからだと思う。
2003年4月4日のタイトルは「春一番に咲くクロッカス」。内容は短いが、転居したころの素直な感想が書かれている。「地下鉄幌平橋駅前広場にクロッカスの芽が出ています。去年の春は早く、この時期にもう花が咲いていました。豊平館前の道はすっかり雪がなくなっていますが、前の池は未だ凍結しています」。
あれから15年たつが毎年同じことが繰り返されている。幌平橋駅前広場のクロッカスは当時より減っている。豊平館前の池は相変わらず融けるのが遅い。水の流れが少ないからだと思う。
株のことはよく知らないが、中島公園は穴株と思っている。その条件とは第一にあまり知られていないこと。第二に良い株(公園)であること。転勤で本州や九州に住んで分かったことは中島公園がいかに知られていないかと言うことだ。たまに知っている人に会ったかと思うと、かって札幌に住んでいた人だったりする。
2003年に中島公園に関するウェブサイトを開設した。とりあえず情報収集と言うことで中島公園をキーワードにして検索したが、専門のサイトは一つもなかった。穴株としての第一条件は、この二つの事実でクリアできたと思う。
次に第二条件だが、サイトを開設してから中島公園について調べると、その歴史は、まるで札幌の歴史をなぞるようにして変化してきたことが分かった。競馬場、麻生球場、札幌学院大学、NHK放送局、きたえーる、ウィンタースポーツミュージアム等、ルーツが中島公園にある施設は山ほどある。しかも菖蒲池、鴨々川等、極めて重要な歴史的資産がある。これで穴株としての第二条件もクリアしたと思っている。
人気はないが良い株、これが穴株の条件だが今の中島公園株は目をつぶって買いだと思う。人気観光地と違って材料が出尽くしていないところが良い。つまり観光地として大化けする可能性を秘めているのだ。旬の材料としては「木下成太郎像」がある。株に例えれば業績を急伸させる新製品開発のようなものである。
木下像について知ったのは2005年11月、「中島パフェ」掲示板への投稿がきっかけだった。内容は「銅像の主の名前を教えてください」という簡単な質問、ネットで氏名をキーワードにして検索したらすぐに答えが出た。
「明治から昭和にかけて活躍した政治家。教育家の側面ももっています。大東文化大学、武蔵野美術大学の創設者。彫刻家・朝倉文夫の作です」と答えながらも関心は薄かった。何故なら銅像は鳥の糞で汚れ、基壇の割れ目から雑草が伸び放題だったからだ。美術の知識のない私には放置された過去の遺物にしか見えなかった。
その価値を知ったのは札幌彫刻美術館友の会の橋本会長に教えられたからだ。2008年春から友の会では彫刻の調査・清掃・解説などを継続的に行い、その活動は関係者に少しずつ知られることになった。三段跳びに例えると助走からホップの段階に入り飛び始めた感じだ。友の会が細々とやっていた清掃運動を札幌市が知ることになり、とりあえず荒れ果てた基壇と台座の補修をしてくれた。

2009年10月21日、札幌市と友の会が木下成太郎像等の野外彫刻調査を実施。木下像は市が補修をして基壇の隙間が無くなり台座の字も読めるようになった。
活動を通じて歴史・美術的価値を知ってからは、個人サイト「中島パフェ」に書きまくり、2010年8月4日付け北海道新聞のコラム「朝の食卓」にも書いた。友の会の活動を応援しているつもりだが心の奥底には、これは絶対に当たるという感が働いていた。
三段跳びに例えればホップの次のステップに当たる時が来た。2010年10月17日に札幌パークホテルで開催されたシンポジウム2010「北の彫刻」である。基調講演の為に武蔵野美術大学造形学部彫刻学科の黒川弘毅教授が訪れた。教授は講演に先立ち木下成太郎像の調査を行い問題のある箇所を把握した。これでいよいよと思ったが、門外漢の私には何の情報も届かない。当が外れた感じだが、それでこそ「穴株」だ。目を離して動意づくのを静かに待つことが肝心だ。
穴から飛び出すのが早いか遅いかは時の運。眠っているように見えても水面下では動いているものだ。木下像については5年目に動意づいた。つまり動きが誰の目にも見えるようになった。いよいよ仕上げのジャンプが始まろうとしている。
2015年10月4日シンポジウム「野外彫刻を創る・守る」が道立近代美術館講堂で開催された。5年前と違って今回は友の会と、「研究者、学芸員、保存の専門家等が参加する全国組織:屋外彫刻調査保存研究会(東京)」との共催となり調査保存運動は新たな段階へとジャンプした。運動が全国レベルに広がったのである。
シンポジウムに先立ち専門家による調査、特に木下像の固定箇所が綿密に調べられた。野外彫刻問題を含めた詳細は11月19日の北海道新聞に掲載されている。見出しは「札幌・中島公園の『木下成太郎像』 巨匠・朝倉文夫 戦時下の仕事」「美術史的価値を広め保存を」。執筆は武蔵野美術大学の黒川弘毅教授。
記事内容は友の会公式サイト参照→「木下繁太郎像」美術史的価値広め保存を

2015年10月3日、黒川教授による再調査、次は内視鏡調査も予定。結果しだいでは部品交換も検討。永久保存への道は着々と進んでいる。
道新記事を読むと木下像は全く知られていない存在だったようだ。今回改めて美術的価値が認められ、補修に関する具体的な取り組みもなされていることを知り、意を強くした。豊平館、八窓庵と共に歴史遺産として一般市民に認知される日も近いかも知れない。このようにして三段跳びのホップ・ステップ・ジャンプの形は出来た。あとは距離がどこまで伸びるかだ。だんだん楽しみになって来た。
個人的には2005年に木下像の存在を認識し、2007年に友の会会長に教えられて、その価値を知る。2010年8月に、10月のシンポジウムに先立ち道新コラムに関連記事を執筆。そして2015年10月のシンポジウムに先立ち、9月末に鴨々川ノスタルジア公式ムック『ぼけっと2』に中島公園秘話として書かせてもらった。オリンピックではないけれど参加することに意義を感じている。

豊平館・八窓庵に次ぐ、第三のお宝になるかもと期待を込めて書いてみた。
QPは新聞が好きで朝夕欠かさず読む。それなのに私の書いたブログは読まない。それはいいのだが、たまにしか載らない印刷物くらいは読んで欲しい。身内の好というものがあるだろう。そんな思いで『ぼけっと2』を見せようとしたら……、
「アンタの書いたものなんか詰まらなそうで読む気がしないんだよ」
「書いたのはたった1ページだけですから新聞を読むより楽です」
「何だそれだけかい。それならどっちでもいいじゃない」
「あなたが大好きな乾ルカさんも短編を書いていますよ。道新のエッセイをいつも読んでいるでしょう」
「ホント! ちょっと見せて」
「あなたは中島公園近所の住民でしょう」
「それがどうしたの?」
「鴨々川と中島公園を取り上げて毎年発行する雑誌なんか他にありませんよ」
「だからそれがどうしたと言うの」
「郷土とその歴史を知らない人に居場所はありません」
「せっかくだけどアンタの屁理屈は聞き飽きているんだよ」
「私は横浜生まれですが、そこに居場所はありません。横浜と私はお互いに何も知らないのです。寂しいものですよ」
「アタシの居場所はここだよ。ちゃんとあるから心配しないで」
なるほど、居場所のないのは私だった。鴨々川や中島公園の未来を考えることが自分の居場所づくりに繋がるかもかも知れない。故郷がなければ、ここを故郷にすれがいい。先ず、界隈の歴史を知ることから始めたいと思っている。
2003年に中島公園に関するウェブサイトを開設した。とりあえず情報収集と言うことで中島公園をキーワードにして検索したが、専門のサイトは一つもなかった。穴株としての第一条件は、この二つの事実でクリアできたと思う。
次に第二条件だが、サイトを開設してから中島公園について調べると、その歴史は、まるで札幌の歴史をなぞるようにして変化してきたことが分かった。競馬場、麻生球場、札幌学院大学、NHK放送局、きたえーる、ウィンタースポーツミュージアム等、ルーツが中島公園にある施設は山ほどある。しかも菖蒲池、鴨々川等、極めて重要な歴史的資産がある。これで穴株としての第二条件もクリアしたと思っている。
人気はないが良い株、これが穴株の条件だが今の中島公園株は目をつぶって買いだと思う。人気観光地と違って材料が出尽くしていないところが良い。つまり観光地として大化けする可能性を秘めているのだ。旬の材料としては「木下成太郎像」がある。株に例えれば業績を急伸させる新製品開発のようなものである。
木下像について知ったのは2005年11月、「中島パフェ」掲示板への投稿がきっかけだった。内容は「銅像の主の名前を教えてください」という簡単な質問、ネットで氏名をキーワードにして検索したらすぐに答えが出た。
「明治から昭和にかけて活躍した政治家。教育家の側面ももっています。大東文化大学、武蔵野美術大学の創設者。彫刻家・朝倉文夫の作です」と答えながらも関心は薄かった。何故なら銅像は鳥の糞で汚れ、基壇の割れ目から雑草が伸び放題だったからだ。美術の知識のない私には放置された過去の遺物にしか見えなかった。
その価値を知ったのは札幌彫刻美術館友の会の橋本会長に教えられたからだ。2008年春から友の会では彫刻の調査・清掃・解説などを継続的に行い、その活動は関係者に少しずつ知られることになった。三段跳びに例えると助走からホップの段階に入り飛び始めた感じだ。友の会が細々とやっていた清掃運動を札幌市が知ることになり、とりあえず荒れ果てた基壇と台座の補修をしてくれた。

2009年10月21日、札幌市と友の会が木下成太郎像等の野外彫刻調査を実施。木下像は市が補修をして基壇の隙間が無くなり台座の字も読めるようになった。
活動を通じて歴史・美術的価値を知ってからは、個人サイト「中島パフェ」に書きまくり、2010年8月4日付け北海道新聞のコラム「朝の食卓」にも書いた。友の会の活動を応援しているつもりだが心の奥底には、これは絶対に当たるという感が働いていた。
三段跳びに例えればホップの次のステップに当たる時が来た。2010年10月17日に札幌パークホテルで開催されたシンポジウム2010「北の彫刻」である。基調講演の為に武蔵野美術大学造形学部彫刻学科の黒川弘毅教授が訪れた。教授は講演に先立ち木下成太郎像の調査を行い問題のある箇所を把握した。これでいよいよと思ったが、門外漢の私には何の情報も届かない。当が外れた感じだが、それでこそ「穴株」だ。目を離して動意づくのを静かに待つことが肝心だ。
穴から飛び出すのが早いか遅いかは時の運。眠っているように見えても水面下では動いているものだ。木下像については5年目に動意づいた。つまり動きが誰の目にも見えるようになった。いよいよ仕上げのジャンプが始まろうとしている。
2015年10月4日シンポジウム「野外彫刻を創る・守る」が道立近代美術館講堂で開催された。5年前と違って今回は友の会と、「研究者、学芸員、保存の専門家等が参加する全国組織:屋外彫刻調査保存研究会(東京)」との共催となり調査保存運動は新たな段階へとジャンプした。運動が全国レベルに広がったのである。
シンポジウムに先立ち専門家による調査、特に木下像の固定箇所が綿密に調べられた。野外彫刻問題を含めた詳細は11月19日の北海道新聞に掲載されている。見出しは「札幌・中島公園の『木下成太郎像』 巨匠・朝倉文夫 戦時下の仕事」「美術史的価値を広め保存を」。執筆は武蔵野美術大学の黒川弘毅教授。
記事内容は友の会公式サイト参照→「木下繁太郎像」美術史的価値広め保存を

2015年10月3日、黒川教授による再調査、次は内視鏡調査も予定。結果しだいでは部品交換も検討。永久保存への道は着々と進んでいる。
道新記事を読むと木下像は全く知られていない存在だったようだ。今回改めて美術的価値が認められ、補修に関する具体的な取り組みもなされていることを知り、意を強くした。豊平館、八窓庵と共に歴史遺産として一般市民に認知される日も近いかも知れない。このようにして三段跳びのホップ・ステップ・ジャンプの形は出来た。あとは距離がどこまで伸びるかだ。だんだん楽しみになって来た。
個人的には2005年に木下像の存在を認識し、2007年に友の会会長に教えられて、その価値を知る。2010年8月に、10月のシンポジウムに先立ち道新コラムに関連記事を執筆。そして2015年10月のシンポジウムに先立ち、9月末に鴨々川ノスタルジア公式ムック『ぼけっと2』に中島公園秘話として書かせてもらった。オリンピックではないけれど参加することに意義を感じている。

豊平館・八窓庵に次ぐ、第三のお宝になるかもと期待を込めて書いてみた。
QPは新聞が好きで朝夕欠かさず読む。それなのに私の書いたブログは読まない。それはいいのだが、たまにしか載らない印刷物くらいは読んで欲しい。身内の好というものがあるだろう。そんな思いで『ぼけっと2』を見せようとしたら……、
「アンタの書いたものなんか詰まらなそうで読む気がしないんだよ」
「書いたのはたった1ページだけですから新聞を読むより楽です」
「何だそれだけかい。それならどっちでもいいじゃない」
「あなたが大好きな乾ルカさんも短編を書いていますよ。道新のエッセイをいつも読んでいるでしょう」
「ホント! ちょっと見せて」
「あなたは中島公園近所の住民でしょう」
「それがどうしたの?」
「鴨々川と中島公園を取り上げて毎年発行する雑誌なんか他にありませんよ」
「だからそれがどうしたと言うの」
「郷土とその歴史を知らない人に居場所はありません」
「せっかくだけどアンタの屁理屈は聞き飽きているんだよ」
「私は横浜生まれですが、そこに居場所はありません。横浜と私はお互いに何も知らないのです。寂しいものですよ」
「アタシの居場所はここだよ。ちゃんとあるから心配しないで」
なるほど、居場所のないのは私だった。鴨々川や中島公園の未来を考えることが自分の居場所づくりに繋がるかもかも知れない。故郷がなければ、ここを故郷にすれがいい。先ず、界隈の歴史を知ることから始めたいと思っている。
2015年の秋、近代美術館で開かれるシンポジウムのお手伝いに行った。何時ものようにただウロウロしているだけで全く役には立たない私だが、好いこともあった。
一応お手伝いのつもりだから朝早く美術館が開く前に行くと、玄関前に若い男性が立っていた。スラリとして眼鏡をかけている。、一見アーティストと言うよりも研究者風。どこかで見たような気がする。思い出した。昨日中島公園で行われた野外彫刻調査に来ていた人だ。
「おはようございます。昨日中島公園でお会いしましたね」
「おはようございます。え~と~……」
無視と言う感じではなく何かを思い出そうとしているみたいだ。こういう時は間髪入れず名刺を渡す。
「ああ、PPさんですか。雑誌の記事も読みましたよ」
こう言われると急に親しみがわいて距離が10mから1mくらいまで縮んでしまう。
もらった名刺には「M美術大学 芸術文化制作コース 院1年 砂糖B作」と書いてある。前日に調査団の一員として木下成太郎像の調査をしているところを見ていたので、昨日から疑問に思っていることを質問をさせてもらった。
「木下像の下の方、台座に近い所に穴がありますが、あれの処理は……?」
懇切丁寧に教えてくれたが専門用語が多く何も分からない。こんな時はいつものように「フムフムなるほど」と言いながら一生懸命に聴く。そうすれば頭には入らなくても心に染み込んで来る。私にとって勉強は気分。雰囲気が好きなのだ。
開館時刻が近づくとシンポジウム関係者が続々と集まって来る。Bさんの知り合いも来たようなので、残念ながら二人の話はおしまいだ。手持無沙汰になったので美術館の前庭を散歩した。ぶらぶらしていたら動くものが見えた。よく見るとリスだ。こんな所にリスとは意外だ。急いでカメラを向けたが撮れたかどうかは分からなかった。
玄関に向かって歩いて行くと、先ほどのBさんに出会った。
「リスがいましたよ」と世間話のつもりだったが、
「何処ですか? 見たいです」と意外な反応に喜び勇んだ。
よし絶対見つけるぞとの思いで一緒に行ったがダメだった。
「野生のリスは見たことないのです」とBさん。
「円山では普通に見れるのですが、近代美術館に居るとは思いませんでした。森でもないのに不思議ですね」
家に帰り写真を見ると何とかリスと分かるように写っていたので、Bさんにメールで送った。直ぐに返信があった。「居ますねリス! クルミを食べているようです」と短いメールだけど喜びが伝わって来た。

左下に北海道立近代美術館との文字、右上にリスが止まっている。

拡大するとリスが木にとまっていることが分かる。
ところで、中島公園でリスを見たことがある。そのことを公園に詳しい友人に話すと、「中島公園でリスは棲息できないよ」とあっさり否定された。
「それが居るのですよ。これが証拠です」と写真をみせると、
「ああ、これねぇ」と言って驚く風でもない。リスが小さすぎて道路に棒切れが転がっているようにも見える。
「拡大しましょうか」
「いや、確かにリスだ」。何かを思い出したような表情をしている。

建物は行啓通からキタラに入る道路の横にあるトイレ。
リスが棲息するには一定の森の大きさが必要だそうだ。極たまに中島公園でリスを見るのは、円山で捕まえて中島で放す人がいるからだと言う。私はそれを偶然見たのかも知れない。考えて見れば中島公園を14年も散策しているのに、見たのはその1回だけである。棲息しているのなら幾ら少なくても数回は見ている筈だ。
近代美術館のリスもやはり円山で拉致されたものだろうか。拉致されれば二度と円山には帰れない。そうでないことを願わずにはいられない。私は地理を含めてあの辺のことをよく知らない。知事公館はどうなのだろう。植物園は遠すぎるかな。
リース リース どこから来たのかリース 誰かリスを知らないか
一応お手伝いのつもりだから朝早く美術館が開く前に行くと、玄関前に若い男性が立っていた。スラリとして眼鏡をかけている。、一見アーティストと言うよりも研究者風。どこかで見たような気がする。思い出した。昨日中島公園で行われた野外彫刻調査に来ていた人だ。
「おはようございます。昨日中島公園でお会いしましたね」
「おはようございます。え~と~……」
無視と言う感じではなく何かを思い出そうとしているみたいだ。こういう時は間髪入れず名刺を渡す。
「ああ、PPさんですか。雑誌の記事も読みましたよ」
こう言われると急に親しみがわいて距離が10mから1mくらいまで縮んでしまう。
もらった名刺には「M美術大学 芸術文化制作コース 院1年 砂糖B作」と書いてある。前日に調査団の一員として木下成太郎像の調査をしているところを見ていたので、昨日から疑問に思っていることを質問をさせてもらった。
「木下像の下の方、台座に近い所に穴がありますが、あれの処理は……?」
懇切丁寧に教えてくれたが専門用語が多く何も分からない。こんな時はいつものように「フムフムなるほど」と言いながら一生懸命に聴く。そうすれば頭には入らなくても心に染み込んで来る。私にとって勉強は気分。雰囲気が好きなのだ。
開館時刻が近づくとシンポジウム関係者が続々と集まって来る。Bさんの知り合いも来たようなので、残念ながら二人の話はおしまいだ。手持無沙汰になったので美術館の前庭を散歩した。ぶらぶらしていたら動くものが見えた。よく見るとリスだ。こんな所にリスとは意外だ。急いでカメラを向けたが撮れたかどうかは分からなかった。
玄関に向かって歩いて行くと、先ほどのBさんに出会った。
「リスがいましたよ」と世間話のつもりだったが、
「何処ですか? 見たいです」と意外な反応に喜び勇んだ。
よし絶対見つけるぞとの思いで一緒に行ったがダメだった。
「野生のリスは見たことないのです」とBさん。
「円山では普通に見れるのですが、近代美術館に居るとは思いませんでした。森でもないのに不思議ですね」
家に帰り写真を見ると何とかリスと分かるように写っていたので、Bさんにメールで送った。直ぐに返信があった。「居ますねリス! クルミを食べているようです」と短いメールだけど喜びが伝わって来た。

左下に北海道立近代美術館との文字、右上にリスが止まっている。

拡大するとリスが木にとまっていることが分かる。
ところで、中島公園でリスを見たことがある。そのことを公園に詳しい友人に話すと、「中島公園でリスは棲息できないよ」とあっさり否定された。
「それが居るのですよ。これが証拠です」と写真をみせると、
「ああ、これねぇ」と言って驚く風でもない。リスが小さすぎて道路に棒切れが転がっているようにも見える。
「拡大しましょうか」
「いや、確かにリスだ」。何かを思い出したような表情をしている。

建物は行啓通からキタラに入る道路の横にあるトイレ。
リスが棲息するには一定の森の大きさが必要だそうだ。極たまに中島公園でリスを見るのは、円山で捕まえて中島で放す人がいるからだと言う。私はそれを偶然見たのかも知れない。考えて見れば中島公園を14年も散策しているのに、見たのはその1回だけである。棲息しているのなら幾ら少なくても数回は見ている筈だ。
近代美術館のリスもやはり円山で拉致されたものだろうか。拉致されれば二度と円山には帰れない。そうでないことを願わずにはいられない。私は地理を含めてあの辺のことをよく知らない。知事公館はどうなのだろう。植物園は遠すぎるかな。
リース リース どこから来たのかリース 誰かリスを知らないか
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つぶらな瞳のリースさん
路傍の石 文才溢れるPPさんには、あちらこちらから執筆依頼があるのですね。
得意分野があるのは幸せです。
♪どこから来たのかリース ♪
拉致されて来たのなら故郷に帰してあげたいけれど、
それは至難の業でしょう。
今も彼の地で元気に過ごしていて欲しいです。
環境が大切ですね。
PP たまにしか頼まれないので書かせてもらって大喜びしています。
中島公園にリスが居たらいいなという気持ちは分かりますが、
人間を砂漠の中に置いて来るようなものではないでしょうか。
金魚を海に放すとどうなるのかな?
路傍の石 文才溢れるPPさんには、あちらこちらから執筆依頼があるのですね。
得意分野があるのは幸せです。
♪どこから来たのかリース ♪
拉致されて来たのなら故郷に帰してあげたいけれど、
それは至難の業でしょう。
今も彼の地で元気に過ごしていて欲しいです。
環境が大切ですね。
PP たまにしか頼まれないので書かせてもらって大喜びしています。
中島公園にリスが居たらいいなという気持ちは分かりますが、
人間を砂漠の中に置いて来るようなものではないでしょうか。
金魚を海に放すとどうなるのかな?
2015年6月6日に11羽を連れた母オシドリを見てビックリした。中島公園を毎日の様に歩いて13年以上になるがこんなことは初めてだ。さぞかし驚くだろうと思って、所属している札幌シニアネット(SSN)のメーリングリストに流した。
「そしたらね。一人もビックリしないんですよ。600人も居るのにね」
「世間は広いの。札幌だけが世界じゃないんだよ、まして中島公園なんて…」
「夕張にも行って来ましたよ。お土産にメロン買ってきたでしょう。お忘れですか」
「まだ熟れないとか言って三日間も摩ったり臭いをかんだり、呆れたね」
結局QPも驚かない。どなたかこの驚きと喜びを共有してくれないかと思っていたら、いいことを思いついた。新聞社に知らせよう。「善は急げ悪事はゆっくり慎重に」と言うではないか。即実行、メールで知らせた。
若い女性記者がカメラマンと一緒にやって来た。そのカメラマンが凄かった。しゃがんでは撮る寝ては撮る。親子オシドリの行動を予測し、先回りしては撮る。全部で千枚以上は撮ったと思う。私でさえ130枚も撮ったのだ。

その時、10羽の子を持つ親子オシドリは親組(親+子4羽)と6羽組(子6羽)に分かれてしまった。最初は全部一緒に日本庭園に居たのだが、親組が徐々に庭園から離れ二組に別れたのだ。
記者たちが取材に来たころ、親組は庭園を出て藤棚橋(仮称)をくぐり、更に菖蒲池に出て、沖合の南島(南側の島)に行ってしまった。庭園には6羽の子だけが留まることになった。やはり親子は一緒でなければ絵にならない。見えないのは分かっているのに、つい目が遠くの島へ行ってしまう。
島を見つめて30分もしただろうか。「島に上がったようですね」と言いながらカメラマンがモニターで見せてくれた。さすがプロの持つカメラは凄い。オシドリ親子がはっきり見えた。彼は写真を撮り続けたが、私のデジカメでは遠くは撮れない。何となしに記者と無駄話をした。
「PPさんは航空管制官だったのですね」
この一言でオシドリの行動に関して、ある言葉を思い出した。
「ランデブーって聞いたことありますか」
「ありませんが……」と若い記者は言った。
「昔デートの意味で使う人は多かったのですが、アメリカ空軍では戦闘機と空中給油機との会合という意味で、よく使われていました」
「空は広いからランデブーも難しいでしょうね」
「別れ別れになったオシドリを見て思い出しました。早く一緒になって欲しいです」
オシドリの会合は半分諦めていた。しかしカメラマンは諦めないで菖蒲池を見つめている。すでに取材を開始して1時間以上たって居る。彼は親子組が上陸した南島よりはるか離れた池の北側に場所を移してカメラを構えていた。
「オシドリ来ましたよ」と嬉しそうな声。
「マガモの親子じゃないですか」と私は疑り深い。
何組かのマガモ親子の存在を知っているからだ。オシドリ親子が南島からぐるりと回って北岸に来るとは予想できなかった。日本庭園に帰るにしても遠回りだ。
しかしカメラマンは正しかった。案内人のつもりの私はうろたえた。考えてみれば望遠で見ている人が間違えるはずがない。残念ながら装備で負けた。
オシドリ親組は北岸に沿って泳ぎ、庭園橋(仮称)をくぐり日本庭園に上陸した。一方オシドリ6羽組は庭園の池のそばで寝ていた。帰って来た親組が徐々に近づく。私は感激の対面を期待した。
しかし親組は少し近づいては草を食み、寝そべったりしている。一方、6羽組も目を覚ましたようだが駆け寄る気配もない。休んだり食ったりしながら徐々に近づき、最終的には池に入って一緒になった。

親子鴨はいつも一緒に行動するものと思っていたので私にとっては新発見となった。初めて親子鴨(オシドリはカモ目カモ科)の離散・会合を見て感動した。1時間30分のオシドリのランデブー劇場を楽しんだ。二人に挨拶をして帰ったが、記者とカメラマンは取材を続けていた。そして翌朝の新聞に「オシドリ親子池スイスイ」と載った。
「そしたらね。一人もビックリしないんですよ。600人も居るのにね」
「世間は広いの。札幌だけが世界じゃないんだよ、まして中島公園なんて…」
「夕張にも行って来ましたよ。お土産にメロン買ってきたでしょう。お忘れですか」
「まだ熟れないとか言って三日間も摩ったり臭いをかんだり、呆れたね」
結局QPも驚かない。どなたかこの驚きと喜びを共有してくれないかと思っていたら、いいことを思いついた。新聞社に知らせよう。「善は急げ悪事はゆっくり慎重に」と言うではないか。即実行、メールで知らせた。
若い女性記者がカメラマンと一緒にやって来た。そのカメラマンが凄かった。しゃがんでは撮る寝ては撮る。親子オシドリの行動を予測し、先回りしては撮る。全部で千枚以上は撮ったと思う。私でさえ130枚も撮ったのだ。

その時、10羽の子を持つ親子オシドリは親組(親+子4羽)と6羽組(子6羽)に分かれてしまった。最初は全部一緒に日本庭園に居たのだが、親組が徐々に庭園から離れ二組に別れたのだ。
記者たちが取材に来たころ、親組は庭園を出て藤棚橋(仮称)をくぐり、更に菖蒲池に出て、沖合の南島(南側の島)に行ってしまった。庭園には6羽の子だけが留まることになった。やはり親子は一緒でなければ絵にならない。見えないのは分かっているのに、つい目が遠くの島へ行ってしまう。
島を見つめて30分もしただろうか。「島に上がったようですね」と言いながらカメラマンがモニターで見せてくれた。さすがプロの持つカメラは凄い。オシドリ親子がはっきり見えた。彼は写真を撮り続けたが、私のデジカメでは遠くは撮れない。何となしに記者と無駄話をした。
「PPさんは航空管制官だったのですね」
この一言でオシドリの行動に関して、ある言葉を思い出した。
「ランデブーって聞いたことありますか」
「ありませんが……」と若い記者は言った。
「昔デートの意味で使う人は多かったのですが、アメリカ空軍では戦闘機と空中給油機との会合という意味で、よく使われていました」
「空は広いからランデブーも難しいでしょうね」
「別れ別れになったオシドリを見て思い出しました。早く一緒になって欲しいです」
オシドリの会合は半分諦めていた。しかしカメラマンは諦めないで菖蒲池を見つめている。すでに取材を開始して1時間以上たって居る。彼は親子組が上陸した南島よりはるか離れた池の北側に場所を移してカメラを構えていた。
「オシドリ来ましたよ」と嬉しそうな声。
「マガモの親子じゃないですか」と私は疑り深い。
何組かのマガモ親子の存在を知っているからだ。オシドリ親子が南島からぐるりと回って北岸に来るとは予想できなかった。日本庭園に帰るにしても遠回りだ。
しかしカメラマンは正しかった。案内人のつもりの私はうろたえた。考えてみれば望遠で見ている人が間違えるはずがない。残念ながら装備で負けた。
オシドリ親組は北岸に沿って泳ぎ、庭園橋(仮称)をくぐり日本庭園に上陸した。一方オシドリ6羽組は庭園の池のそばで寝ていた。帰って来た親組が徐々に近づく。私は感激の対面を期待した。
しかし親組は少し近づいては草を食み、寝そべったりしている。一方、6羽組も目を覚ましたようだが駆け寄る気配もない。休んだり食ったりしながら徐々に近づき、最終的には池に入って一緒になった。

親子鴨はいつも一緒に行動するものと思っていたので私にとっては新発見となった。初めて親子鴨(オシドリはカモ目カモ科)の離散・会合を見て感動した。1時間30分のオシドリのランデブー劇場を楽しんだ。二人に挨拶をして帰ったが、記者とカメラマンは取材を続けていた。そして翌朝の新聞に「オシドリ親子池スイスイ」と載った。
10年以上前のことだが、忘れたいのに忘れられない出来事がある。確か「札幌まつり」の夜だった。心の奥に深く刻まれていて、何時までたっても消え去らない。悪夢のような出来事が起こる前には幾つかの伏線があった。これもその一つだ。
「散歩に行って来ます」
「また行くの?」と、QPは気にいらないようだ。
近所の公園に関するホームページを開設して3年目。新聞やテレビの取材のお蔭か、アクセスも徐々に増えてきた。そんなことは単なる偶然で大したことでもないのに、今よりもっとバカだったから張り切っていた。
6月からは可愛い親子鴨が中島公園に現れる。公園に現れる親子の全てを把握して記事にしたらアクセスが増えるのではないかとか、愚かなことを考えていた。当然、散歩も頻繁になる。私としては取材のつもりだが、子供の頃に遊んだ「汽車ごっこ」の様なもの。定年後に「記者ごっこ」に代わっただけである。普通の散歩とは勢いが違うから往々にしてやり過ぎる。
「ホームページとかやったって誰も見やしないよ。記者ごっこなんか止めなよ」
とQPは相変わらず私のやることにケチを付ける。
「そんなことありません! カメラマンごっこも、ツアコンごっこの人も沢山います。北海道中、日本中、それどころか世界中を駆け回っている人さえいるのです」
「丈夫で金持ちならいいけどアンタはダメ!」
「中島公園くらい歩き回ったって高が知れているでしょう」
とは言ったものの私は虚弱体質。体調を崩してゴロゴロ寝ていることも多い。密かに反省はしているがQPには言われたくない。ろくでもない暇つぶしと思っている人には、何も言われたくないのだ。
公園が一番賑わう札幌まつりは終わったが、親子鴨のシーズンは8月ごろまで続く。可愛い鴨の赤ちゃんを撮り終わり、家に帰ろうとすると藤棚橋(仮称)辺りに人だかりがしている。これは要注目、人々の視線の先には必ず珍しいものがあるものだ。
興味津々の私は、さっそく見物人の輪に入る。迂闊なことに、これが私自身の生理を著しく狂わせる原因になるとは夢にも思わなかった。高齢の私にとって、帰宅時間とはトイレタイム、絶対に侵してはならない天から下される至上命令である。
「親子鴨は毎年現れるけれど、オシドリの親子は初めてだね」とか言って、見ている人たちは声を潜めながらも興奮して囁きあっている。これは特ダネ中の特ダネ、絶対に撮らなければと思っていたら肝心なトイレタイムを忘れてしまった。自律神経だから忘れていることさえ気がつかないのだ。
それでも溜まるものは時間の経過に応じて溜まる。撮り終って家路につくと突然尿意を感じた。家まで5分くらいだから我慢することにした。しかし2分くらい手前で凄くしたくなり、マンションのオートロックの鍵を開けホッとしたが、まだまだ気は抜けない。緊張の糸が切れれば、瞬く間に人間としての尊厳を失うだろう。
我慢も限界に達しているのに、エレベーターは15階で止まっていた。降りて来るのにかなりの時間を要するだろう。万事休すだ。出来ることは一生懸命前を押さえるだけだった。押さえて止めて勝つ。これが私の使命、結果が全てである。
エレベーターに乗って玄関を開けるまでの時間が、とても長く感じた。クツを脱ぎ捨てトイレに突進した。その後については、野球に例えればホームペースにに滑り込んでタッチアウト。後始末に没頭していたらQPが来た。
「玄関に靴が脱ぎっぱなしだよ」
こちらは、それどころじゃないけれど、
「急いで下着の洗濯をします。靴はその後ですね」と、落ち着いたフリをする。
意外にもQPは何も言わずにその場を去った。
どうやら居間に帰ってテレビドラマの続きを見るつもりらしい。気付かれなくて好かったとホッとしたが、それは大間違い。ドラマの続きを見たかっただけで、私の状況は全て把握していたのだ。そのことは1年後の「大事件」で知ることになる。
切ないことに2年越しのトイレタイム騒動になってしまった。次回にご期待下さいと書きたいのはやまやまだが気が引ける。10年以上前のことだからご容赦願いたい。
「散歩に行って来ます」
「また行くの?」と、QPは気にいらないようだ。
近所の公園に関するホームページを開設して3年目。新聞やテレビの取材のお蔭か、アクセスも徐々に増えてきた。そんなことは単なる偶然で大したことでもないのに、今よりもっとバカだったから張り切っていた。
6月からは可愛い親子鴨が中島公園に現れる。公園に現れる親子の全てを把握して記事にしたらアクセスが増えるのではないかとか、愚かなことを考えていた。当然、散歩も頻繁になる。私としては取材のつもりだが、子供の頃に遊んだ「汽車ごっこ」の様なもの。定年後に「記者ごっこ」に代わっただけである。普通の散歩とは勢いが違うから往々にしてやり過ぎる。
「ホームページとかやったって誰も見やしないよ。記者ごっこなんか止めなよ」
とQPは相変わらず私のやることにケチを付ける。
「そんなことありません! カメラマンごっこも、ツアコンごっこの人も沢山います。北海道中、日本中、それどころか世界中を駆け回っている人さえいるのです」
「丈夫で金持ちならいいけどアンタはダメ!」
「中島公園くらい歩き回ったって高が知れているでしょう」
とは言ったものの私は虚弱体質。体調を崩してゴロゴロ寝ていることも多い。密かに反省はしているがQPには言われたくない。ろくでもない暇つぶしと思っている人には、何も言われたくないのだ。
公園が一番賑わう札幌まつりは終わったが、親子鴨のシーズンは8月ごろまで続く。可愛い鴨の赤ちゃんを撮り終わり、家に帰ろうとすると藤棚橋(仮称)辺りに人だかりがしている。これは要注目、人々の視線の先には必ず珍しいものがあるものだ。
興味津々の私は、さっそく見物人の輪に入る。迂闊なことに、これが私自身の生理を著しく狂わせる原因になるとは夢にも思わなかった。高齢の私にとって、帰宅時間とはトイレタイム、絶対に侵してはならない天から下される至上命令である。
「親子鴨は毎年現れるけれど、オシドリの親子は初めてだね」とか言って、見ている人たちは声を潜めながらも興奮して囁きあっている。これは特ダネ中の特ダネ、絶対に撮らなければと思っていたら肝心なトイレタイムを忘れてしまった。自律神経だから忘れていることさえ気がつかないのだ。
それでも溜まるものは時間の経過に応じて溜まる。撮り終って家路につくと突然尿意を感じた。家まで5分くらいだから我慢することにした。しかし2分くらい手前で凄くしたくなり、マンションのオートロックの鍵を開けホッとしたが、まだまだ気は抜けない。緊張の糸が切れれば、瞬く間に人間としての尊厳を失うだろう。
我慢も限界に達しているのに、エレベーターは15階で止まっていた。降りて来るのにかなりの時間を要するだろう。万事休すだ。出来ることは一生懸命前を押さえるだけだった。押さえて止めて勝つ。これが私の使命、結果が全てである。
エレベーターに乗って玄関を開けるまでの時間が、とても長く感じた。クツを脱ぎ捨てトイレに突進した。その後については、野球に例えればホームペースにに滑り込んでタッチアウト。後始末に没頭していたらQPが来た。
「玄関に靴が脱ぎっぱなしだよ」
こちらは、それどころじゃないけれど、
「急いで下着の洗濯をします。靴はその後ですね」と、落ち着いたフリをする。
意外にもQPは何も言わずにその場を去った。
どうやら居間に帰ってテレビドラマの続きを見るつもりらしい。気付かれなくて好かったとホッとしたが、それは大間違い。ドラマの続きを見たかっただけで、私の状況は全て把握していたのだ。そのことは1年後の「大事件」で知ることになる。
切ないことに2年越しのトイレタイム騒動になってしまった。次回にご期待下さいと書きたいのはやまやまだが気が引ける。10年以上前のことだからご容赦願いたい。
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素朴な疑問
路傍の石
PPさんはエライ!
QPさんの手を煩わせず、
自分の事は自分で始末をするなんて。
でも思うんですよね~。
そういう人のための建物が
公園の中にだってあるでしょうに。
「何がなんでも家まで戻らなけりゃ」という一途な思いに、
失礼ながら笑っちゃいました。
おっしゃるとおりです
PP おっしゃるとおりです。公園内には公衆トイレだけでも7カ所あります。
どこに居ても4分以内にトイレに行けます。
家に帰るのも4分、公衆トイレに行くのも3分と言う位置が難しいです。
なかなか後ろに引き返せない、どうしても家に向かってしまうのです。
これが失敗の原因ですね。
路傍の石
PPさんはエライ!
QPさんの手を煩わせず、
自分の事は自分で始末をするなんて。
でも思うんですよね~。
そういう人のための建物が
公園の中にだってあるでしょうに。
「何がなんでも家まで戻らなけりゃ」という一途な思いに、
失礼ながら笑っちゃいました。
おっしゃるとおりです
PP おっしゃるとおりです。公園内には公衆トイレだけでも7カ所あります。
どこに居ても4分以内にトイレに行けます。
家に帰るのも4分、公衆トイレに行くのも3分と言う位置が難しいです。
なかなか後ろに引き返せない、どうしても家に向かってしまうのです。
これが失敗の原因ですね。
自分が何が出来るかいつも考えている。スポーツ、アート、ゲーム等、何をやってもダメ。おまけに虚弱体質でちょっと無理をすれば直ぐ倒れる。それでも自分がダメな人間と思ったことは一度もない。いつも自分が何を出来るか考えている。つまり往生際の悪い人間である。
今考えているのは中島公園データペース。先ずはデータの収集だ。対象は21世紀のデータ。たまたま2001年に中島公園の近くに転居したのでそういうことにした。その後、中島公園を歩き回り、写真を撮っている。この目で見たことを年月日と写真付きで記録して置くことにしたのだ。
例えば「護国神社から中島公園に向かうリスを見た」とか他愛のないこと。そんなことでも一つのデータとして集積し続ければ立派な資料になる。あとは郷土史、都市公園、データ解析等の専門家に任せればよい。素人の私はひたすら自分の足と目を使ってデータを集積する。
データは誰でも持っている。そのほとんどは個人の頭の中にあって寿命と共に墓場に入ってしまう。これでは勿体ない。それにデータは蓄積できる。つまり無駄になることが無い。しかし情報化社会以前だったらデータが多すぎたら解析できない。これからは違う。大きいからと言って持て余すことはなくなるだろう。情報化社会が続く限りデータを残せば有効に使ってもらえるのだ。私はこう考えている。
何の役に立つとか考えるのは将来の人。その必要性を感じるのも将来の人であって私が考えることではない。ただ将来必ず役に立つと信じて蓄積し続けることにした。これが私の出来ることである。もちろん信じ込むにはそれなりの根拠がある。それについては別の機会に書きたいと思う。
毎月第二及び第四土曜は「小説モドキ」の更新です。
次は2月14日(土)です。よろしくお願い致します。
今考えているのは中島公園データペース。先ずはデータの収集だ。対象は21世紀のデータ。たまたま2001年に中島公園の近くに転居したのでそういうことにした。その後、中島公園を歩き回り、写真を撮っている。この目で見たことを年月日と写真付きで記録して置くことにしたのだ。
例えば「護国神社から中島公園に向かうリスを見た」とか他愛のないこと。そんなことでも一つのデータとして集積し続ければ立派な資料になる。あとは郷土史、都市公園、データ解析等の専門家に任せればよい。素人の私はひたすら自分の足と目を使ってデータを集積する。
データは誰でも持っている。そのほとんどは個人の頭の中にあって寿命と共に墓場に入ってしまう。これでは勿体ない。それにデータは蓄積できる。つまり無駄になることが無い。しかし情報化社会以前だったらデータが多すぎたら解析できない。これからは違う。大きいからと言って持て余すことはなくなるだろう。情報化社会が続く限りデータを残せば有効に使ってもらえるのだ。私はこう考えている。
何の役に立つとか考えるのは将来の人。その必要性を感じるのも将来の人であって私が考えることではない。ただ将来必ず役に立つと信じて蓄積し続けることにした。これが私の出来ることである。もちろん信じ込むにはそれなりの根拠がある。それについては別の機会に書きたいと思う。
毎月第二及び第四土曜は「小説モドキ」の更新です。
次は2月14日(土)です。よろしくお願い致します。
「昨日の講演どうだった」
「こども達の姿って見ているだけで癒されますね」

「中島公園の歴史の話でしょ。子供なんて来ているわけないでしょ」
「鴨の子もいたのですよ」

「なに、この写真?」
「鴨の親子を観ている人たちです。ヒマなんですね」

「中島公園の話どうだったか聞いてるの」
「大成功ですよ」
「まさか! シンジラレナイ」
「楽しく元気に勘違い」
「なにそれ?」
「勘違い力使いました」
先日、札幌シニアネットの交流会で含蓄のある話を聞かせて頂いたが、こんな風に使えばいいのかな。
「こども達の姿って見ているだけで癒されますね」

「中島公園の歴史の話でしょ。子供なんて来ているわけないでしょ」
「鴨の子もいたのですよ」

「なに、この写真?」
「鴨の親子を観ている人たちです。ヒマなんですね」

「中島公園の話どうだったか聞いてるの」
「大成功ですよ」
「まさか! シンジラレナイ」
「楽しく元気に勘違い」
「なにそれ?」
「勘違い力使いました」
先日、札幌シニアネットの交流会で含蓄のある話を聞かせて頂いたが、こんな風に使えばいいのかな。
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のん子 まぁ、講演されたのですね!
お近くでしたら聞きに行きたかったです(^^)
この鴨の親子のお話も出たのでしょうか?
ひょっとして名前とか付いてます?
きっと楽しい講演会だったと。
お疲れさまでした。
うちの老人会の早朝ウォーキングの近くの池にはサギ?とアヒルが住みついていて、夫婦だとか親子だとか皆が勝手なことを言ってます(^^ゞ
名前を付けていました
pp 恥ずかしながらやりました。
一生懸命準備したのですが難しいですね。口下手ですから。
親子鴨の話なら得意だったのですが。
以前は、グループごとに名前を付けていました。
親子鴨は子の数と大きさで違いがわかるのです。
この話すれば好かったですね。
近くの池にはサギはよく来たのですが最近来ません。
早朝散歩と野鳥の話題は、そちらと同じ様にやってます。
「明日、25日は講演があるので準備のため休みます」
「勝手に書いているんだら勝手に休めばいいでしょ」
「滅多にないことだから書いてみたかったのです」

「はしゃぎ過ぎだよ」
「73にもなって初めて先生と呼ばれるのですよ。嬉しくて当たり前でしょう」
「先生なんて、誰も呼ぶわけない!」
「実は打ち合わせのとき言われましてね。ドキドキわくわくでした」
「失敗したら恥ずかしいでしょ」
「恥ずかしくありません」
「そう…」
「せっかく来てくれたのにすまないと思います」
「案外、余裕あるんだね」
「あせってる時は恥ずかしく感じないものですよ」
「分かる分かる。最悪だね」
「嬉しそうですね」
「だから止めろって言ったでしょ」
「来ませんか?」
「行けるわけないじゃない。今日はマージャン、約束したんだから」
「休んでもいいじゃないですか」
「そんなわけにいかないの! 私が行かなくちゃ面子が揃わないの。わかる!」
「分かりません。私の面子はどうなるんですか」
「勝手に書いているんだら勝手に休めばいいでしょ」
「滅多にないことだから書いてみたかったのです」

「はしゃぎ過ぎだよ」
「73にもなって初めて先生と呼ばれるのですよ。嬉しくて当たり前でしょう」
「先生なんて、誰も呼ぶわけない!」
「実は打ち合わせのとき言われましてね。ドキドキわくわくでした」
「失敗したら恥ずかしいでしょ」
「恥ずかしくありません」
「そう…」
「せっかく来てくれたのにすまないと思います」
「案外、余裕あるんだね」
「あせってる時は恥ずかしく感じないものですよ」
「分かる分かる。最悪だね」
「嬉しそうですね」
「だから止めろって言ったでしょ」
「来ませんか?」
「行けるわけないじゃない。今日はマージャン、約束したんだから」
「休んでもいいじゃないですか」
「そんなわけにいかないの! 私が行かなくちゃ面子が揃わないの。わかる!」
「分かりません。私の面子はどうなるんですか」
約40年前に放映された石原裕次郎主演の「太陽にほえろ!」は、当時としては型破りの刑事ドラマだった。そこで私も従来の殻を破って刑事モノに挑戦。一枚の写真が犯人を自白に追い込む物語である。
ある日の中波警察署取調室
「3月26日の午後2時ごろ、貴方はどこにいましたか?」
刑事nakapaが容疑者のアリバイを追求している。
「ヒマなもんだから中島公園をブラブラしてたよ」
やくざ風の若者がめんどくさそうに答える。
「ノンビリ散歩ですか?」
「うるせえな~。どこに行こうと俺の勝手だ」
「ノンビリね~」
「のんびりしてどこが悪い!」
「実はあの日は、私も中島公園に行ったんですが滑って転びましたよ。 道路が凍結してツルツルでした。ノンビリどころか緊張しながら歩いたもんです」
「そりゃあアンタが年だからさ。俺なんかツルツル道路をスイースイーっとスケート遊びよ。ノ・ン・ビ・リ・とな!」
「ゴリさん、あれを出してださい」とnakapaは同僚刑事に声をかける。
容疑者はキョロキョロして落ち着かない。
机の上にデーンと一枚の写真を置く。

「何だよ、これ?」容疑者はそわそわしだす。
「クリックしてください」
そこにはツルツル道路は写っていない。 ツルツルの路面も26日には凍結が崩れザラメ状になっている。春の道路状況はたった一日で様変わりするのだ。名刑事nakapaは容疑者をはめる為にカマをかけたのだ。
アリバイは脆くも崩れ「恐れ入りました」と容疑者は白状。場所を特定した写真に年月日が付けば事件の証拠になるのだ。これにて一件落着。
写真で取調べも出来るのだから、小学生の絵日記など簡単だ。

2004年6月20日撮影
「6月20日(日)晴れ、天気が好いので中島公園へ遊びに行きました。 池には黄色い花がいっぱい咲いていました。ふと見ると赤ちゃんカモが5羽、お母さんカモについて泳いでいました。一列でなく何故かかたまっています。 とても可愛らしいカモの赤ちゃんでした」
写真に年月日が付いているので、見たままを絵に描いて文章を付ければ絵日記になる。決してズルを奨励している訳ではない。刑事ドラマと宿題しか思いつかなかったのだ。皆様の自由な発想に期待している。
話題は再び「nakapaの取調べ」に戻る。
「年月日など付けたって幾らでも改ざんできるだろう」
「出来るものならやってみて下さい」
「アンタがブログ管理人だから書き換えられるのだ。つまりnakapa刑事がよ~」
「nakapaは真実一路。正直に生きてきました。容疑者は黒!」
「そして、あんたはムショク」
「無色? それを言うなら白でしょう」
「すっかり刑事になりきっちゃってるね~。アンタは無職だヨ~ン」
ォ㌔ヽ(`Д´)ノォ㌔ 目を覚ませぇ! nakapaよ起きろ目を覚ませ!!
ある日の中波警察署取調室
「3月26日の午後2時ごろ、貴方はどこにいましたか?」
刑事nakapaが容疑者のアリバイを追求している。
「ヒマなもんだから中島公園をブラブラしてたよ」
やくざ風の若者がめんどくさそうに答える。
「ノンビリ散歩ですか?」
「うるせえな~。どこに行こうと俺の勝手だ」
「ノンビリね~」
「のんびりしてどこが悪い!」
「実はあの日は、私も中島公園に行ったんですが滑って転びましたよ。 道路が凍結してツルツルでした。ノンビリどころか緊張しながら歩いたもんです」
「そりゃあアンタが年だからさ。俺なんかツルツル道路をスイースイーっとスケート遊びよ。ノ・ン・ビ・リ・とな!」
「ゴリさん、あれを出してださい」とnakapaは同僚刑事に声をかける。
容疑者はキョロキョロして落ち着かない。
机の上にデーンと一枚の写真を置く。

「何だよ、これ?」容疑者はそわそわしだす。
「クリックしてください」
そこにはツルツル道路は写っていない。 ツルツルの路面も26日には凍結が崩れザラメ状になっている。春の道路状況はたった一日で様変わりするのだ。名刑事nakapaは容疑者をはめる為にカマをかけたのだ。
アリバイは脆くも崩れ「恐れ入りました」と容疑者は白状。場所を特定した写真に年月日が付けば事件の証拠になるのだ。これにて一件落着。
写真で取調べも出来るのだから、小学生の絵日記など簡単だ。

2004年6月20日撮影
「6月20日(日)晴れ、天気が好いので中島公園へ遊びに行きました。 池には黄色い花がいっぱい咲いていました。ふと見ると赤ちゃんカモが5羽、お母さんカモについて泳いでいました。一列でなく何故かかたまっています。 とても可愛らしいカモの赤ちゃんでした」
写真に年月日が付いているので、見たままを絵に描いて文章を付ければ絵日記になる。決してズルを奨励している訳ではない。刑事ドラマと宿題しか思いつかなかったのだ。皆様の自由な発想に期待している。
話題は再び「nakapaの取調べ」に戻る。
「年月日など付けたって幾らでも改ざんできるだろう」
「出来るものならやってみて下さい」
「アンタがブログ管理人だから書き換えられるのだ。つまりnakapa刑事がよ~」
「nakapaは真実一路。正直に生きてきました。容疑者は黒!」
「そして、あんたはムショク」
「無色? それを言うなら白でしょう」
「すっかり刑事になりきっちゃってるね~。アンタは無職だヨ~ン」
ォ㌔ヽ(`Д´)ノォ㌔ 目を覚ませぇ! nakapaよ起きろ目を覚ませ!!
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のん子 わぁ面白い♪刑事ドラマになっている(^^)
そうそう、大事なのは自供と証拠です!
上手く引っ掛けましたね(^^)/
で、犯人の罪状は何だったんでしょう?
カモの親子、可愛いですね。
ストーリーありません
nakapa >のん子さん
罪状ですか? 申し訳ありません。そこまで考えが至りませんでした。
「私の写真は全部、年月日が付いているから証拠にもなるんだぞ」
と言いたくて、ただそれだけを言いたくて書いたのです。
ストーリーはありません(笑)。ごめんなさい。
ちゃちゃ nakapaさ~ん、
楽しいですねえ。
楽しいことを考えていれば、
これからの人生は安泰!
上を向いて、転ばないように歩きましょう!
もう上を向いて歩けます
nakapa >ちゃちゃさん
ようやく春になりました。
公園の中ではまだ雪が積もっていますが、一般道路は無くなりました。
冬中、ツルツル道路で悩まされ、下ばかり見て歩いていました。
もう上を向いて歩けます。もちろん転ばないように気をつけますよ。
でも・・春眠暁を・・ですから
朱庵 >ォ㌔ヽ(`Д´)ノォ㌔ 目を覚ませぇ! nakapaよ起きろ目を覚ませ!!
若者してますねぇ! 顔文字いつ覚えるのですか?
受けてSubjectですから(爆)
年のことは忘れそうです
nakapa > 朱庵さん
ほとんど一人で居るから、年のことは忘れてしまいます。
比べるものがないと、なかなか年を感じることはできないですね。
いいことか悪いことか分かりませんが(笑)。
顔文字は覚えていません。
「顔文字 起きろ」で検索しました。
hama 文才がおありですね。
楽しく拝見しましたよ。
想像も夢も自由に楽しめるところが良いです。
雪道って一日で変わるのですね。
それも住んでみないと分からない事です。
やっと春の気配が見えてきて楽しみですね。
公園の画僧何時も拝見していますよ。
凍結道路の崩れ方
nakapa >hamaさん
いつも「中島パフェ」を見てくれてありがとうございます。
時と場合ですが、雪道が1日で変わることがあります。
雪が解けて凍ってツルツル道路になり、それが温まって、
そこを大勢の人が歩くと、氷が崩れてザラメ状になります。
写真の道はコンサートホールに行く道なので、人がよく通ります。
空見 こんばんは。
nakapaさんがコメントを呉れると、更新したんだな~と思って、ウキウキワクワクしつつ楽しく読ませていただいてます。
nakapa刑事の口調が丁寧なので、きっと殿下のイメージですね♪
オチの「ムショク」に拍手です!容疑の事件内容をこれから何か?考えて作ってくださいね、中波警察署シリーズ化を希望します。
容疑の事件内容を考える
nakapa >空見さん
nakapa殿下とは嬉しいですね。
似ても似つかないですがネットですから許してもらいます(笑)。
容疑の内容ですか。難しいですね。
真実一路に生きてきたので悪事は苦手です。
いい人でも運命の悪戯で犯罪者になることもありますね。
いろいろ考えたら益々難しくなりました。
お陰様で「中島パフェ」は開設10周年を迎えました。
http://nakajimapark.info/
2013年3月25日のことです。これからもよろしくお願いいたします。
「スポンサー広告」の代わりにマイ・ホームページの広告を入れました。
念のためですがコメントは出来ません。広告ですから(笑)。
http://nakajimapark.info/
2013年3月25日のことです。これからもよろしくお願いいたします。
「スポンサー広告」の代わりにマイ・ホームページの広告を入れました。
念のためですがコメントは出来ません。広告ですから(笑)。
半日だけ、先生と呼ばれて先生になった。資格もなく何の教育も受けていないのに先生と呼ばれるのは恥ずかしいけれど素直に先生になれてしまった。
相当昔のことだが、先生と呼ばれて恥ずかしかったのでnakapaさんと呼んでくださいと注文をつけて、「先生は先生らしくしないとダメ!」とキツク叱られた。
それ以来、これは芝居の役のようなものと思うことにした。
指名されたら四の五の言わずに役になりきればいいのだ。
S学園から中島公園についての講義依頼があったので、
いつもの様に有難く応じてしまった。
中島公園のことを話したり書いたりする依頼を断ったことがないのだ。
出来るか出来ないか一切考えないで受けてしまう。
それから出来る限りの準備をして一生懸命書いたり話したりする。
全力で取り組むので後悔することもない。
もう一度チャンスが与えられたら、こうしようとか前向きな反省もするが,
役に立ったこともない。
ところで、喜び勇んで行ったものだから、
1時間以上前に会場となる公民館に着いてしまった。
まだ担当者も来ていないので入り口近くの椅子に座って待つことにした。
目の前には各種講座の教室使用スケジュールが書いてある。
私が担当する講座名も書いてあるではないか。凄く嬉しい。
3階研修室で定員80名と聞いている。大きな教室だ。
隣に年配の女性が座っているのに黙っているのも落ち着かない。
ごく自然に話しかけることになった。
「暑いですね。これからですか?」
「午前の部が終わったから、友達を待っているの」
ひょっとしたら受講生? との思いもあって話しかけたので少し落胆。
しばらくすると初対面の担当者が来られたので挨拶と簡単な打ち合わせをした。
「受講者は75名です」
「それでは平均年齢も75歳なんちゃって」
冗談のつもりで言ったら当たってしまった。
「節電で冷房停止です。熱中症になるといけないので、
気分が悪くなった方の退席は自由にしています」。これは有り難い配慮だ。
退席する人がいても話がつまらないからと思わなくてもいいのだ。
この日のために1ヶ月かけて作った資料は万全だ。プロジェクターで画像を映し、説明文を読めば講義になってしまうのだ。準備万端整っている。
しかしながら、アクシデントは思わぬ形でやって来る。
話している内に口の中が乾燥してパサパサになって来た。
次第に声を出すのが辛くなってくるのだ。 一体これはどうしたことか?
思い出したぞ。朝方喉が痛かったので薬を飲んだのがいけなかった。
大したことないのに、万全の準備のつもりでしたことが裏目に出てしまった。
こうなったら仕方が無い。まな板の鯉になって成り行き任せだ。
結局、1時間の内に3回ばかり水を飲んでしのいだ。
そして、待ちに待った10分間休憩に入ることができた。
さっそく、持参した龍角散を一さじ口に含んでホッと一息。
様子を見ていた担当者が「ホームページを使って説明されては如何ですか」
とアドバイスしてくれた。
考えてみれば、この日のために作った資料には「遊び」というものがない。
効率的にドンドン進むように出来ていて休むところがないのだ。
こんなことなら「ここで冗談」「ここでダンマリ」「ここで教室を見渡し反応を探る」
とか書いておけば好かった。不慣れな私はシナリオに休みがないと休めない。
しかし、ホームページなら、目的の画像を表示する時はクリックするし、
必要に応じて更にクリックする場合もある。非効率だが間が取れるのだ。
やってみると、話をしない時間が多くなり楽になった。
私は初めてでも、サポートする担当者は経験豊かなベテランだ。
慣れない私の気分をほぐし、講義についても的確なアドバイスをしてくれる。
たいしたものだと感心したが、私のなが~い人生は一体なんだったのだろう?
「あなたの人生は、ものごとが右から左に通り抜けただけよ」
「何も身についていないというのですか」
「そうよ」
「上から下だったら好かったんですが…」
「どっちだって同じでしょう」
「食べたものが全部身について、尻から出なかったら大変でしょう」
「何いってんのよ。もうはなさないで!」
「もうはなさないよ~」
ムギュ~
「なにしてんの! はなしてよ!!」
「はなさないでと言ったでしょう」
ムギュ~ムギュ~ ムギュ~
相当昔のことだが、先生と呼ばれて恥ずかしかったのでnakapaさんと呼んでくださいと注文をつけて、「先生は先生らしくしないとダメ!」とキツク叱られた。
それ以来、これは芝居の役のようなものと思うことにした。
指名されたら四の五の言わずに役になりきればいいのだ。
S学園から中島公園についての講義依頼があったので、
いつもの様に有難く応じてしまった。
中島公園のことを話したり書いたりする依頼を断ったことがないのだ。
出来るか出来ないか一切考えないで受けてしまう。
それから出来る限りの準備をして一生懸命書いたり話したりする。
全力で取り組むので後悔することもない。
もう一度チャンスが与えられたら、こうしようとか前向きな反省もするが,
役に立ったこともない。
ところで、喜び勇んで行ったものだから、
1時間以上前に会場となる公民館に着いてしまった。
まだ担当者も来ていないので入り口近くの椅子に座って待つことにした。
目の前には各種講座の教室使用スケジュールが書いてある。
私が担当する講座名も書いてあるではないか。凄く嬉しい。
3階研修室で定員80名と聞いている。大きな教室だ。
隣に年配の女性が座っているのに黙っているのも落ち着かない。
ごく自然に話しかけることになった。
「暑いですね。これからですか?」
「午前の部が終わったから、友達を待っているの」
ひょっとしたら受講生? との思いもあって話しかけたので少し落胆。
しばらくすると初対面の担当者が来られたので挨拶と簡単な打ち合わせをした。
「受講者は75名です」
「それでは平均年齢も75歳なんちゃって」
冗談のつもりで言ったら当たってしまった。
「節電で冷房停止です。熱中症になるといけないので、
気分が悪くなった方の退席は自由にしています」。これは有り難い配慮だ。
退席する人がいても話がつまらないからと思わなくてもいいのだ。
この日のために1ヶ月かけて作った資料は万全だ。プロジェクターで画像を映し、説明文を読めば講義になってしまうのだ。準備万端整っている。
しかしながら、アクシデントは思わぬ形でやって来る。
話している内に口の中が乾燥してパサパサになって来た。
次第に声を出すのが辛くなってくるのだ。 一体これはどうしたことか?
思い出したぞ。朝方喉が痛かったので薬を飲んだのがいけなかった。
大したことないのに、万全の準備のつもりでしたことが裏目に出てしまった。
こうなったら仕方が無い。まな板の鯉になって成り行き任せだ。
結局、1時間の内に3回ばかり水を飲んでしのいだ。
そして、待ちに待った10分間休憩に入ることができた。
さっそく、持参した龍角散を一さじ口に含んでホッと一息。
様子を見ていた担当者が「ホームページを使って説明されては如何ですか」
とアドバイスしてくれた。
考えてみれば、この日のために作った資料には「遊び」というものがない。
効率的にドンドン進むように出来ていて休むところがないのだ。
こんなことなら「ここで冗談」「ここでダンマリ」「ここで教室を見渡し反応を探る」
とか書いておけば好かった。不慣れな私はシナリオに休みがないと休めない。
しかし、ホームページなら、目的の画像を表示する時はクリックするし、
必要に応じて更にクリックする場合もある。非効率だが間が取れるのだ。
やってみると、話をしない時間が多くなり楽になった。
私は初めてでも、サポートする担当者は経験豊かなベテランだ。
慣れない私の気分をほぐし、講義についても的確なアドバイスをしてくれる。
たいしたものだと感心したが、私のなが~い人生は一体なんだったのだろう?
「あなたの人生は、ものごとが右から左に通り抜けただけよ」
「何も身についていないというのですか」
「そうよ」
「上から下だったら好かったんですが…」
「どっちだって同じでしょう」
「食べたものが全部身について、尻から出なかったら大変でしょう」
「何いってんのよ。もうはなさないで!」
「もうはなさないよ~」
ムギュ~
「なにしてんの! はなしてよ!!」
「はなさないでと言ったでしょう」
ムギュ~ムギュ~ ムギュ~
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nakapa先生!
朱庵 あっはっはっは〜〜! 案と楽しいんでしょう!
最後のオチは・・・!!!
>ムギュ~ムギュ~ ムギュ~
>はなさないでと言ったでしょう!
たまらないわ!
たいていの場合は、終わってから、こうしたらもっとよかった・・・
何故気がつかなかったんだろう?
なんて、反省ばかりが増幅されるものだと思います。
いろんなト書きはメモの大事な要素だと私は考えているので、
本文無くても不思議と思い出せるんですよね。うふふふ・・・です。
楽しいエントリー、またお願いいたします!
朱庵さんへ
nakapa ジョークを考えるのが大好きです。笑ってもらえると嬉しいですね。
ところで、大勢の前で話すのが上手なので、いつも感心していました。
いろいろな経験をなさった上で、今の朱庵さんが
あるのだなとも思います。
初めての私は、「一人練習」とはだいぶ違うなと思いました。
あがることはないのです。こんなはずじゃないとか冷静に考えています。
誰か退屈して寝ている人はいないかとか見渡したりもします。
それでもちゃんと失敗しますから、経験は大切ですね。
しかし、私には役立たせるチャンスは来ないでしょう。残念ながら…。
のん子 あらら、この暑いのに熱い抱擁ですか~(^_-)-☆
75人の方の前で喋られたんですね。
スゴイです!
私は子どものPTAの報告会で喋った経験しかないのですが、殆どメモ読みでした。
皆さんの目ばかり印象に残りました。
後で友達から合い図してたのに~って笑われました。
役員さんに秘訣を伺ったら「慣れよ~慣れ慣れ」って軽く流されましたが(^^ゞ
コマクサ nakapaさんのブログは面白いです。
ムギュ~ムギュ~ ムギュ~「もうはなさないよ~」最後に笑いました。
ところでnakapa先生講義でしたか、お疲れ様でした。
中島公園のHPは内容豊富ですから皆さん楽しみましたでしょうね。
のん子さんへ
nakapa その日は本当に暑かったですね。
講座の主催者は熱中症を心配していました。
私もこんな大勢の前で話をしたのは初めてです。
これからもないでしょうから、一生慣れることはないでしょう。
定年後は自由ですから、何でも気楽に出来ることがいいですね。
失敗したって恥をかくだけですみます。
仕事とは大いに違いますね。
コマクサさんへ
nakapa 拙いジョークですが、面白いと思ってくれれば嬉しいですね。
主催者側の人が、偶然会った酒席で「面白かったよ」と言ってくれたので、
「ありがとう」というと、後は別の話題。
これは多分、「つまらなかった」と言うことだと思いますよ(笑)。
私の蒔いた種ですが…。
ちゃちゃ nakapa 節に乾杯!
いいですねえ、こういう文章!
好きです。
中島公園にたいする愛情かな…。
自分の学んできたことを
構成に伝えられることは、
嬉しいですね。
ちゃちゃさんへ
nakapa 乾杯ありがとうございます。それでは乾杯!
中島公園は私にとってはなくてはならない存在です。
公園のお陰で、多くの人たちと出会いがありました。
私自身は中島公園教の信者のようなものです。
凝り固まってはいませんよ(笑)。
優しい信者のつもりです。
管理人は閲覧できました
nakapa 有難うございます。
管理人は閲覧できたので、
個人メールで返信しました。
空見 こんにちは。
オチが決まりましたね!もうそろそろハナしてあげてくださいね(笑)
朱庵 あっはっはっは〜〜! 案と楽しいんでしょう!
最後のオチは・・・!!!
>ムギュ~ムギュ~ ムギュ~
>はなさないでと言ったでしょう!
たまらないわ!
たいていの場合は、終わってから、こうしたらもっとよかった・・・
何故気がつかなかったんだろう?
なんて、反省ばかりが増幅されるものだと思います。
いろんなト書きはメモの大事な要素だと私は考えているので、
本文無くても不思議と思い出せるんですよね。うふふふ・・・です。
楽しいエントリー、またお願いいたします!
朱庵さんへ
nakapa ジョークを考えるのが大好きです。笑ってもらえると嬉しいですね。
ところで、大勢の前で話すのが上手なので、いつも感心していました。
いろいろな経験をなさった上で、今の朱庵さんが
あるのだなとも思います。
初めての私は、「一人練習」とはだいぶ違うなと思いました。
あがることはないのです。こんなはずじゃないとか冷静に考えています。
誰か退屈して寝ている人はいないかとか見渡したりもします。
それでもちゃんと失敗しますから、経験は大切ですね。
しかし、私には役立たせるチャンスは来ないでしょう。残念ながら…。
のん子 あらら、この暑いのに熱い抱擁ですか~(^_-)-☆
75人の方の前で喋られたんですね。
スゴイです!
私は子どものPTAの報告会で喋った経験しかないのですが、殆どメモ読みでした。
皆さんの目ばかり印象に残りました。
後で友達から合い図してたのに~って笑われました。
役員さんに秘訣を伺ったら「慣れよ~慣れ慣れ」って軽く流されましたが(^^ゞ
コマクサ nakapaさんのブログは面白いです。
ムギュ~ムギュ~ ムギュ~「もうはなさないよ~」最後に笑いました。
ところでnakapa先生講義でしたか、お疲れ様でした。
中島公園のHPは内容豊富ですから皆さん楽しみましたでしょうね。
のん子さんへ
nakapa その日は本当に暑かったですね。
講座の主催者は熱中症を心配していました。
私もこんな大勢の前で話をしたのは初めてです。
これからもないでしょうから、一生慣れることはないでしょう。
定年後は自由ですから、何でも気楽に出来ることがいいですね。
失敗したって恥をかくだけですみます。
仕事とは大いに違いますね。
コマクサさんへ
nakapa 拙いジョークですが、面白いと思ってくれれば嬉しいですね。
主催者側の人が、偶然会った酒席で「面白かったよ」と言ってくれたので、
「ありがとう」というと、後は別の話題。
これは多分、「つまらなかった」と言うことだと思いますよ(笑)。
私の蒔いた種ですが…。
ちゃちゃ nakapa 節に乾杯!
いいですねえ、こういう文章!
好きです。
中島公園にたいする愛情かな…。
自分の学んできたことを
構成に伝えられることは、
嬉しいですね。
ちゃちゃさんへ
nakapa 乾杯ありがとうございます。それでは乾杯!
中島公園は私にとってはなくてはならない存在です。
公園のお陰で、多くの人たちと出会いがありました。
私自身は中島公園教の信者のようなものです。
凝り固まってはいませんよ(笑)。
優しい信者のつもりです。
管理人は閲覧できました
nakapa 有難うございます。
管理人は閲覧できたので、
個人メールで返信しました。
空見 こんにちは。
オチが決まりましたね!もうそろそろハナしてあげてくださいね(笑)
何もかも忘れてホームページ・リニューアルに専念しようと思っていたが、
不本意ながら、妄想と夢想の日々となってしまった。
「私は文学界に新しいジャンルを築きたいのです」
「ほ~ぉ……」
「聞いてますか!」
「うるさい。デカイ声だすな!」
「中島公園小説の作家になりたいのです」
「そうかい。俺は読まないよ」
「貴方に読んで欲しいのではありません」
「そりゃ好かった。アリガトさん9」
私が目指すのは、ワールドワイドな超ローカル小説である。
「中島公園小説」を書いてネットに流せば、そういうことになるだろう。
読者として想定している数は100人。これくらい居ないと張り合いがない。
ターゲットは中島公園が大好きで、中島公園のことが書いてあれば何でも読む人。 一言でいえば私のような人だ。 世界中で1,000人は居るはずだ。
10人に一人、私の書いた中島公園小説の存在を知らせれば100人になる。
彼らが知れば読んでくれる。なにしろ何でも読んでくれる人達なのだから。
「アンタ、そんなに小説家になりたいのか」
「私のことはどうでもよいのです」
「今更格好つけるんじゃないよ」
「中島公園のことをもっと知ってほしいのです」
「知ってるよ。キタラ、豊平館、日本庭園のある水と緑の公園。これで全部だ」
これだから困る。 中島公園は歴史の公園でもあり、魅力はもっと深いところにあるのだ。 ここで皆さんに問題を出したいと思う。どちらが本当か当ててほしい。
日本で初めて冬季オリンピック大会のスケート競技会場に決まったのは、
中島公園か真駒内か、さてドッチがホント!
正解のヒントは、こちらをクリック! → The 5th. Olympic Winter Games
不本意ながら、妄想と夢想の日々となってしまった。
「私は文学界に新しいジャンルを築きたいのです」
「ほ~ぉ……」
「聞いてますか!」
「うるさい。デカイ声だすな!」
「中島公園小説の作家になりたいのです」
「そうかい。俺は読まないよ」
「貴方に読んで欲しいのではありません」
「そりゃ好かった。アリガトさん9」
私が目指すのは、ワールドワイドな超ローカル小説である。
「中島公園小説」を書いてネットに流せば、そういうことになるだろう。
読者として想定している数は100人。これくらい居ないと張り合いがない。
ターゲットは中島公園が大好きで、中島公園のことが書いてあれば何でも読む人。 一言でいえば私のような人だ。 世界中で1,000人は居るはずだ。
10人に一人、私の書いた中島公園小説の存在を知らせれば100人になる。
彼らが知れば読んでくれる。なにしろ何でも読んでくれる人達なのだから。
「アンタ、そんなに小説家になりたいのか」
「私のことはどうでもよいのです」
「今更格好つけるんじゃないよ」
「中島公園のことをもっと知ってほしいのです」
「知ってるよ。キタラ、豊平館、日本庭園のある水と緑の公園。これで全部だ」
これだから困る。 中島公園は歴史の公園でもあり、魅力はもっと深いところにあるのだ。 ここで皆さんに問題を出したいと思う。どちらが本当か当ててほしい。
日本で初めて冬季オリンピック大会のスケート競技会場に決まったのは、
中島公園か真駒内か、さてドッチがホント!
正解のヒントは、こちらをクリック! → The 5th. Olympic Winter Games
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どっちがほんと?
朱庵 リンクいいですね!いいですね!
nakapaさんのヒント、本文もとより楽しいリンク先の写真に見入りました。
札幌五輪の開会式のとき、聖火を持って一回りした可愛い女の子、のお父様は中島中学の教師でした!
なんて、知ってましたか?
同級生だった友人から電話で知らされ、そのことを皆で話して盛り上がったことを思い出しました!
何かを読んだことから記憶にリンク・・これって嬉しいことじゃあありませんか!
中島公園小説家!作家ではなく小説家、としたところがミソですね♪
>中島公園は歴史の公園でもあり、魅力はもっと深いところにあるのだ
小説家の思いひしひしと伝わります♪
そして記憶へのリンク、嬉しかった、ありがとうデス。
朱庵さんへ
nakapa 札幌五輪の開会式、聖火の少女については残念ながら知りませんでした。
朱庵さんの縁のある人がいろいろな場面で活躍していますね。
中島公園の歴史は以前から興味があったのですが、
写真が無いので手を付けかねていました。
最近になって文化資料室から提供してもらえるようになったので、
いろいろやってみたいと思っています。よろしくお願いします。
のん子 全然知りませんでした。
今はネットの時代ですからブログに載せたら、あっと言う間に広がりそうですが?
私は参加していませんがシニア人気ブログみたいな所に参加して上位になれば、かなりの読者が増えるみたいですよ。
私はそこの60~70代の方にコメントを入れて、のん子としてのネット友達を作りました。
そのお友達へのコメント時にUrlを入れますから、その流れからか私のようなブログでも日に200人前後のアクセスがあります。
でもコメントとなると激減ですけどね(^_^;
あれ、でも私がnakapaさんのブログにはどうして辿りつけたのかは忘れてしまいましたが?(汗)
のん子さんへ
nakapa いいですね。日に200くらいあると、張り合いがあります。
いい話聞きました。私もやってみようと思います。
このブログでなくホームページ「中島パフェ」の方でです。
今の所、リニューアル中ですから、完成したらやってみます。
1年後くらいですが、楽しみですね。
のん子さんが、このブログにどうやって辿り付いたかは不思議です。
私が所属している地元のシニアネットの方とばかり思っていました。
それがブログを見ると遠くの方でした。どうしてでしょう?
のん子 リンクを見て思い出しました。
ほろ酔い気分のひよどりさんが以前、top10に入って居られたかと?(私はコメントをいれたことはないのですが)
そこへnakapaさんがコメントを入れて居られたのでは?
覗いて見たらご夫婦の会話が面白かったのでファンになりました。
のん子さんへ
nakapa そうだったのですか。
そんなことばかり書いている時期もありましたね。
私は「こぼし屋」なんです。
最近は私の方がすっかり大人しくなってしまったので、
ケンカの種もありません。
ホントは勿論・・・
コマクサ リンクして見ました。
中島公園の歴史は懐かしくもあり面白いです。
サラッと見ましたので後でゆっくり見ますが
nakapaのHPも楽しみです。
中島公園の奥深さにはまりワクワクして書く事が
楽しみでしょう。
あの池でスケートの練習が思い出されました。
コマクサさんへ
nakapa 菖蒲池でスケートしたのですか。
私は残念ながら、池ではやったことありません。
スケート始めたときは、中島球場がリンクでした。
そこで、1,2回でしょうか。すべった記憶があります。
中島公園は、知れば知るほど奥が深いです。
ますます興味が増してきました。
ちゃちゃ nakapa さん、
ここにも読者がいますよ!
101人目の読者になりま~す!
ところで、「Vはなんだろう」とありましたが、
「第五回」を意味しているのではないでしょうか。
それにしても、中島公園って、
奥が深いですねえ。
雪が溶けたら、表敬訪問に行かなくってはね…。
ちゃちゃさんへ
nakapa 手を挙げてくれてありがとうございます。
今のところ101でなく1番です(笑)。
ありがとうございます。そうですね。V は確かに第5回でしょう。
これで、謎は後一つになりました。WINTIRです。
これは難しそう。うっかり結論をだすと無教養丸出しになりそうです。
ところで、来春の中島公園訪問を楽しみにしています。
朱庵 リンクいいですね!いいですね!
nakapaさんのヒント、本文もとより楽しいリンク先の写真に見入りました。
札幌五輪の開会式のとき、聖火を持って一回りした可愛い女の子、のお父様は中島中学の教師でした!
なんて、知ってましたか?
同級生だった友人から電話で知らされ、そのことを皆で話して盛り上がったことを思い出しました!
何かを読んだことから記憶にリンク・・これって嬉しいことじゃあありませんか!
中島公園小説家!作家ではなく小説家、としたところがミソですね♪
>中島公園は歴史の公園でもあり、魅力はもっと深いところにあるのだ
小説家の思いひしひしと伝わります♪
そして記憶へのリンク、嬉しかった、ありがとうデス。
朱庵さんへ
nakapa 札幌五輪の開会式、聖火の少女については残念ながら知りませんでした。
朱庵さんの縁のある人がいろいろな場面で活躍していますね。
中島公園の歴史は以前から興味があったのですが、
写真が無いので手を付けかねていました。
最近になって文化資料室から提供してもらえるようになったので、
いろいろやってみたいと思っています。よろしくお願いします。
のん子 全然知りませんでした。
今はネットの時代ですからブログに載せたら、あっと言う間に広がりそうですが?
私は参加していませんがシニア人気ブログみたいな所に参加して上位になれば、かなりの読者が増えるみたいですよ。
私はそこの60~70代の方にコメントを入れて、のん子としてのネット友達を作りました。
そのお友達へのコメント時にUrlを入れますから、その流れからか私のようなブログでも日に200人前後のアクセスがあります。
でもコメントとなると激減ですけどね(^_^;
あれ、でも私がnakapaさんのブログにはどうして辿りつけたのかは忘れてしまいましたが?(汗)
のん子さんへ
nakapa いいですね。日に200くらいあると、張り合いがあります。
いい話聞きました。私もやってみようと思います。
このブログでなくホームページ「中島パフェ」の方でです。
今の所、リニューアル中ですから、完成したらやってみます。
1年後くらいですが、楽しみですね。
のん子さんが、このブログにどうやって辿り付いたかは不思議です。
私が所属している地元のシニアネットの方とばかり思っていました。
それがブログを見ると遠くの方でした。どうしてでしょう?
のん子 リンクを見て思い出しました。
ほろ酔い気分のひよどりさんが以前、top10に入って居られたかと?(私はコメントをいれたことはないのですが)
そこへnakapaさんがコメントを入れて居られたのでは?
覗いて見たらご夫婦の会話が面白かったのでファンになりました。
のん子さんへ
nakapa そうだったのですか。
そんなことばかり書いている時期もありましたね。
私は「こぼし屋」なんです。
最近は私の方がすっかり大人しくなってしまったので、
ケンカの種もありません。
ホントは勿論・・・
コマクサ リンクして見ました。
中島公園の歴史は懐かしくもあり面白いです。
サラッと見ましたので後でゆっくり見ますが
nakapaのHPも楽しみです。
中島公園の奥深さにはまりワクワクして書く事が
楽しみでしょう。
あの池でスケートの練習が思い出されました。
コマクサさんへ
nakapa 菖蒲池でスケートしたのですか。
私は残念ながら、池ではやったことありません。
スケート始めたときは、中島球場がリンクでした。
そこで、1,2回でしょうか。すべった記憶があります。
中島公園は、知れば知るほど奥が深いです。
ますます興味が増してきました。
ちゃちゃ nakapa さん、
ここにも読者がいますよ!
101人目の読者になりま~す!
ところで、「Vはなんだろう」とありましたが、
「第五回」を意味しているのではないでしょうか。
それにしても、中島公園って、
奥が深いですねえ。
雪が溶けたら、表敬訪問に行かなくってはね…。
ちゃちゃさんへ
nakapa 手を挙げてくれてありがとうございます。
今のところ101でなく1番です(笑)。
ありがとうございます。そうですね。V は確かに第5回でしょう。
これで、謎は後一つになりました。WINTIRです。
これは難しそう。うっかり結論をだすと無教養丸出しになりそうです。
ところで、来春の中島公園訪問を楽しみにしています。
~2011年10月22日 中島公園シンポジウム~
「中島公園の資産と今後の活用について考える」シンポジウム
2011年10月22日午前と午後。
水と緑の中島公園と言われているが、「歴史と芸術の公園」でもある。
中島公園の魅力は、その歴史にある。
ただ、重層的に積み重ねられた中島公園史は分かり難いので、
正当に評価されない面もある。
今ある資産を洗い直し活用しようという視点を中心に意見を交換する。
詳細 → 中島公園の資産と今後の活用について考える1pdf
詳細 → 中島公園の資産と今後の活用について考える2pdf
このプログの管理人nakapaもパネラーとして参加します
ブログで恥かき シンポで恥かき 心配だな~ シンポだな。
「中島公園の資産と今後の活用について考える」シンポジウム
2011年10月22日午前と午後。
水と緑の中島公園と言われているが、「歴史と芸術の公園」でもある。
中島公園の魅力は、その歴史にある。
ただ、重層的に積み重ねられた中島公園史は分かり難いので、
正当に評価されない面もある。
今ある資産を洗い直し活用しようという視点を中心に意見を交換する。
詳細 → 中島公園の資産と今後の活用について考える1pdf
詳細 → 中島公園の資産と今後の活用について考える2pdf
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ブログで恥かき シンポで恥かき 心配だな~ シンポだな。
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管理人あて投稿について
nakapa 投稿有難うございました。
個人宛メールで返信しました。
中島公園の紅葉は見事!
朱庵 こんにちは。
一週間前ですが中島公園の紅葉を愛でに行ってきました。
素晴らしかったです!
雨の後でしたので色彩が鮮やかで、入り口の大銀杏、保田 侃さんの作品と共にしっとり美しかったです。
池への映りこみも見惚れました。
ぐるりと一巡りしましたが、この公園を愛してやまないnakapaさんのこと思い浮かべながらの散策でした。
季節の移ろい、街中でこんな素適な場所があること
市民として嬉しいですね。
朱庵さんへ
nakapa 中島公園を素敵な場所と思ってくれて有難うございます。
しかし、中島公園の人気はいまひとつです。9月29日の北海道新聞に載っていたのですが、観光客に聞いた都心で行きたい観光スポットの第一位は、大通公園なのに中島公園は見当たりません。
因みに2位ラーメン横丁、以下、時計台、二条一場、道庁赤レンガと続きます。 5位までしか出ていません。 都心周辺部かもしれないと、そこを見たのですが、そこにもありません。
やはり、中島公園の魅力は分かり難く、充分伝わって居ないと思います。
私から見ればPRしがいのある将来が楽しみな公園です。
nakapa 投稿有難うございました。
個人宛メールで返信しました。
中島公園の紅葉は見事!
朱庵 こんにちは。
一週間前ですが中島公園の紅葉を愛でに行ってきました。
素晴らしかったです!
雨の後でしたので色彩が鮮やかで、入り口の大銀杏、保田 侃さんの作品と共にしっとり美しかったです。
池への映りこみも見惚れました。
ぐるりと一巡りしましたが、この公園を愛してやまないnakapaさんのこと思い浮かべながらの散策でした。
季節の移ろい、街中でこんな素適な場所があること
市民として嬉しいですね。
朱庵さんへ
nakapa 中島公園を素敵な場所と思ってくれて有難うございます。
しかし、中島公園の人気はいまひとつです。9月29日の北海道新聞に載っていたのですが、観光客に聞いた都心で行きたい観光スポットの第一位は、大通公園なのに中島公園は見当たりません。
因みに2位ラーメン横丁、以下、時計台、二条一場、道庁赤レンガと続きます。 5位までしか出ていません。 都心周辺部かもしれないと、そこを見たのですが、そこにもありません。
やはり、中島公園の魅力は分かり難く、充分伝わって居ないと思います。
私から見ればPRしがいのある将来が楽しみな公園です。
名刺は遊びか道楽か。それとも自己顕示欲?
ビジネスマンなら、こんな疑問は抱かれない。しかし、私は無職。
それでも名刺を作りたいので注文に出した。3日後に出来ることになっている。
とても楽しみだ。早く手にしたい。
世の中は何が起こるか分からないから面白い。 知らない人から「分からないのに書いているのか!」と叱られてしまった。 しかし、これは私の思い込み。
相手の方にしてみれば、別な言い分があるだろう。
お互い知らない者同士だから、どんな誤解があっても不思議ではない。
嫌なヤツだが、相手からみれば私が嫌なヤツ。
彼はそう感じているのか? 知りたいような、知りたくないような気がする。
信頼できる方から、A社のb記者に写真を送るようにメールで頼まれた。
直ぐに送ってしばらくすると電話があった。お礼ではなく質問だった。
質問内容がよく分からないので「分かりません」と言ったら、
「自分で書いて分からないのか」と文句を言われてしまった。
順序立てて話すと次のような経過だ。
中島公園には山内壮夫の「猫とハーモニカ」という彫刻がある。
以前からギリシャ神話の「牧神パンの笛」ではないかと言われている。
よく見れば胸の辺りも猫らしくないし、ハーモニカにしては大きすぎる。
ただ、どの本にも「猫とハーモニカ」と書いてあるので、その名前で定着している。 偶然だが、その疑問に火をつけるような出来事が起こった。
ある日、「パンの笛」演奏家が中島公園に現れた。
四国から来られたCさんである。 そして、彫刻「猫とハーモニカ」を見るなり
「これはパンの笛です。ハーモニカではありません」と断言してくれた。
ならば、吹いているのも猫ではなく、牧神(半獣人)パンでなくてはならない。
「猫とハーモニカ」の謎は深まるばかりだ。 果たして彫刻名の由来は?
詳細はこちらをクリック! → 猫とハーモニカの像には耳がある
ある団体の依頼でCさんは、噂の像の前で演奏会を開くことに同意した。
それでA新聞社による紹介記事の取材ということになったのだろう。
ちなみに演奏会当日は、大手新聞社2社が取材に来てくれた。

「パンの笛」コンサート。「猫とハーモニカ」像前。2011年9月18日撮影。
話は戻るが、信頼できる人からのメールには「b記者は、貴方のHPに載っている写真を新聞に掲載したいと言っているので送ってあげて欲しい」と書いてあった。
中島公園でイベントをやるなら賑ってほしいので、喜んで協力することにした。
明日の朝刊に間に合わせる為には12時までに送らなければならない。
今は11時18分。ギリギリにメール添付で写真を送り、ホッとしたら眠くなった。
どの写真を送っていいか分からないが、急ぎのことなので6枚ほどみつくろって送った。 これで一仕事終わったような気がして寝てしまった。
ところが、熟睡中に電話で起こされた。 半分寝ている感じだが例の記者だと分かった。 送ったメールに電話番号を書いて置いたことを思い出したのだ。
添付した写真が希望通りの写真でないかも知れないので、念のための連絡用に知らせたのである。 この時点で私の頭には写真のことしか無い。
寝起きのボンヤリ頭でも記者が「写真は1枚だけ」と言っていることは分かった。 しかし、それに続く話がサッパリ分からない。
どうも、ある字の読み方が分からないから教えてくれと言ってるらしい。
記者はものを書くのが仕事なのに、なぜ素人の私に聞くのだろう?
そう思っても、初対面の人にそうは言えないので躊躇していると、
「『猫とハーモニカの謎』を書いたのは貴方でしょう」とか言っている。
思わず「読んでくれて有難う」と言いそうになる。
慌ててパソコンを操作して、自分で書いた「猫とハーモニカ」を表示した。
とりあえず、どこに書いてあるのか知らなければならないと思ったのだ。
「自分で書いているのに分からないのですか!」とイライラした声。
記者の勢いに押されて何も言えなかった。
ひたすら、どこに書いたのだろう。
どこを見れば分かるのだろうと一生懸命探した。
ようやく、どの字の読み方を教えてほしいのか分かった。
ところで、記者が教えてくれと言った部分は引用部分。
私が分からないからCさんに質問してメールで教えてもらった部分だった。
もちろん、引用する以上は、内容は私なりに理解したつもりだ。
しかし、文章を仕事にしている新聞記者に、読み方を教えるほどではない。
このことをキッカケに、取材するにもされるにも名刺の交換は必要と思うようになった。 立場も顔も知らない者同士が自己紹介抜きで具体的な話し合いはできない。 「善は急げ!」とばかりに、さっそく注文してしまった。
100枚で約2500円、枚数が多ければ割安だが、これで10年は大丈夫。
名刺を交換しなければならない状況は、年に数回だから……。
そう思えば費用も気にならないので、贅沢仕様にしてしまった。
これは遊び心かな、それとも道楽?


ビジネスマンなら、こんな疑問は抱かれない。しかし、私は無職。
それでも名刺を作りたいので注文に出した。3日後に出来ることになっている。
とても楽しみだ。早く手にしたい。
世の中は何が起こるか分からないから面白い。 知らない人から「分からないのに書いているのか!」と叱られてしまった。 しかし、これは私の思い込み。
相手の方にしてみれば、別な言い分があるだろう。
お互い知らない者同士だから、どんな誤解があっても不思議ではない。
嫌なヤツだが、相手からみれば私が嫌なヤツ。
彼はそう感じているのか? 知りたいような、知りたくないような気がする。
信頼できる方から、A社のb記者に写真を送るようにメールで頼まれた。
直ぐに送ってしばらくすると電話があった。お礼ではなく質問だった。
質問内容がよく分からないので「分かりません」と言ったら、
「自分で書いて分からないのか」と文句を言われてしまった。
順序立てて話すと次のような経過だ。
中島公園には山内壮夫の「猫とハーモニカ」という彫刻がある。
以前からギリシャ神話の「牧神パンの笛」ではないかと言われている。
よく見れば胸の辺りも猫らしくないし、ハーモニカにしては大きすぎる。
ただ、どの本にも「猫とハーモニカ」と書いてあるので、その名前で定着している。 偶然だが、その疑問に火をつけるような出来事が起こった。
ある日、「パンの笛」演奏家が中島公園に現れた。
四国から来られたCさんである。 そして、彫刻「猫とハーモニカ」を見るなり
「これはパンの笛です。ハーモニカではありません」と断言してくれた。
ならば、吹いているのも猫ではなく、牧神(半獣人)パンでなくてはならない。
「猫とハーモニカ」の謎は深まるばかりだ。 果たして彫刻名の由来は?
詳細はこちらをクリック! → 猫とハーモニカの像には耳がある
ある団体の依頼でCさんは、噂の像の前で演奏会を開くことに同意した。
それでA新聞社による紹介記事の取材ということになったのだろう。
ちなみに演奏会当日は、大手新聞社2社が取材に来てくれた。

「パンの笛」コンサート。「猫とハーモニカ」像前。2011年9月18日撮影。
話は戻るが、信頼できる人からのメールには「b記者は、貴方のHPに載っている写真を新聞に掲載したいと言っているので送ってあげて欲しい」と書いてあった。
中島公園でイベントをやるなら賑ってほしいので、喜んで協力することにした。
明日の朝刊に間に合わせる為には12時までに送らなければならない。
今は11時18分。ギリギリにメール添付で写真を送り、ホッとしたら眠くなった。
どの写真を送っていいか分からないが、急ぎのことなので6枚ほどみつくろって送った。 これで一仕事終わったような気がして寝てしまった。
ところが、熟睡中に電話で起こされた。 半分寝ている感じだが例の記者だと分かった。 送ったメールに電話番号を書いて置いたことを思い出したのだ。
添付した写真が希望通りの写真でないかも知れないので、念のための連絡用に知らせたのである。 この時点で私の頭には写真のことしか無い。
寝起きのボンヤリ頭でも記者が「写真は1枚だけ」と言っていることは分かった。 しかし、それに続く話がサッパリ分からない。
どうも、ある字の読み方が分からないから教えてくれと言ってるらしい。
記者はものを書くのが仕事なのに、なぜ素人の私に聞くのだろう?
そう思っても、初対面の人にそうは言えないので躊躇していると、
「『猫とハーモニカの謎』を書いたのは貴方でしょう」とか言っている。
思わず「読んでくれて有難う」と言いそうになる。
慌ててパソコンを操作して、自分で書いた「猫とハーモニカ」を表示した。
とりあえず、どこに書いてあるのか知らなければならないと思ったのだ。
「自分で書いているのに分からないのですか!」とイライラした声。
記者の勢いに押されて何も言えなかった。
ひたすら、どこに書いたのだろう。
どこを見れば分かるのだろうと一生懸命探した。
ようやく、どの字の読み方を教えてほしいのか分かった。
ところで、記者が教えてくれと言った部分は引用部分。
私が分からないからCさんに質問してメールで教えてもらった部分だった。
もちろん、引用する以上は、内容は私なりに理解したつもりだ。
しかし、文章を仕事にしている新聞記者に、読み方を教えるほどではない。
このことをキッカケに、取材するにもされるにも名刺の交換は必要と思うようになった。 立場も顔も知らない者同士が自己紹介抜きで具体的な話し合いはできない。 「善は急げ!」とばかりに、さっそく注文してしまった。
100枚で約2500円、枚数が多ければ割安だが、これで10年は大丈夫。
名刺を交換しなければならない状況は、年に数回だから……。
そう思えば費用も気にならないので、贅沢仕様にしてしまった。
これは遊び心かな、それとも道楽?


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コマクサ こんばんは。
何時も楽しいエッセーありがとう!
名刺差し上げる方がいらして人生楽しいですよね。
退職してからは必要でないと思っていましたが
私も時には交換する場合がありますので何時も持ち歩いています。
自分で20枚も印刷すると暫く使えますがnakapaさんは
100枚ですか「中島パフェ」に相応しい樹木のイメージで素敵な名刺です。
「猫とハーモニカ」リンクして以前に読ませていただきましたが、今日も改めて読みました。
懐かしく、そして楽しいひと時です、ありがとうございます。
コマクサさんへ
nakapa そうですね。上げる人はたまにしかいませんが、もらうのは好きです。
それで、こちらも用意します。実用的でもありますね。
私は100枚つくったら、一生もちます(笑)。
注文して作ってもらうので、最小単位が100枚なのです。
「猫とハーモニカ」2回も読んでくれて、ありがとうございます。
hama 素敵な名刺が出来て良かったですね。
仕事リタイヤされた方も ホームページやブログ 又写真を趣味にされている方は殆どの方が持って居られます。
とてもお洒落な名刺で 御自分で撮られたお気に入りの写真付で ホームページ名にURL アドレス ニックネーム 又所属写真クラブ名も入っています。
特別趣味を持ってない方も住所氏名アドレスの名刺を旅行中に頂いたりします。
nakapaさんのように取材されたりなら尚必要だと思いますよ。
私も聞かれるとメモして渡していますので 名刺作ろうかな・・と思ってます。
のん子 記者さんでもいろいろでしょうが、記事のためには他人の迷惑省みずなんでしょうか?
深夜の電話の前に、こんな時間にすみませんの一言も言えないんでしょうかね?
名刺、良いのが出来ましたね♪
私も緑は大好きです!
私の名刺、昔簡単なのを作りましたが殆ど渡せませんでした(^_^;
hamaさんへ
nakapa 私は電話番号も住所もない、似顔絵を書いた名刺モドキを作り、
知らない人の写真を撮る時、HP掲載許可をもらう為に使っていました。
これでは、正式な名刺交換に使えないので作ることにしました。
今までは「すみません。無職なので名刺ありません」と失礼を詫びていました。
最近になって交換したほうが自然と思うようになりました。
のん子さんへ
nakapa すみません。昼寝でした。
最近、この2,3年ですが、パソコンやっていると、やたらに眠くなります。
今までは我慢していたのですが、眠いと全く頭が働かなくなるので、寝て治すことにしました。
5分も眠ると不思議なほど頭がハッキリするのです。
それが、1時間も2時間にもなってしまうことがあるのです。
今は、寝て治す以外に方法はないと諦めています。
名刺作りはお任せです。テンプレートの中から選びました。
いま 記者魂はどこへ
朱庵 こういう話を身近で聞くようになった昨今、先輩から教えられないまま育った記者さんたちの行く末を考えてしまいます。私が考えても仕方のないことですけど・・・。
でも、結果、素適な名刺作成になりましたね.
中島公園の緑のイメージがとっても素適的!
「猫とハーモニカ」の題名は本当に不思議でした。
でもこのころはまだ、パンフルートの呼び名を分かっている人が少ない時代だったのではないかしら?
小学生の頃プラスティック製でしたが、パンフルートのような楽器で遊びましたよね。名前は思い出せませんが。簡単な曲しか吹けませんでしたが、金属製のハーモニカとは違う柔らかい音だったことを思い出しています。今もあるのかどうか?
先日ちょっとだけお目にかかれましたね、ゆっくりお逢いできなくて残念でしたが、とてもお元気そうにお見受けし嬉しかったです♪
今度お逢いした時はぜひともこの素適なお名刺を下さいませんか。(って、図々しいお願いですが・・・ペコリ)
以前の名刺を使いきってしまって以来、名無しのまま現在に至っているので、交換できないことが残念です。トホホホ・・・。
朱庵さんへ
nakapa 記者は私が、ただの公園爺さんだと分からないで聞いたのだと思います。
先ず相手が誰か確かめるのが基本でしょうね。
漢字の読みを確認する為に聞いたのですから、
私がその道のオーソリティーと思ったのでしょう。
有難すぎて訳が分からない誤解です(笑)。
朱庵さんは、さすがにパンフルートのことを知っていたのですね。
アートに詳しい人は知っているようですが、
一般には知られていないと思います。
もちろん、私は初めて知りました。
名刺は、もらってくれるなら有難いくらいです。
これからは持って歩くことにします。
空見 nakapaさんこんばんは。
漢字の読みを訊いて来たのですか?よほど難しい字だったんでしょうか・・。
名刺なんてすごいです!私はただの主婦なので名刺に縁がありませんでしたが、写真の趣味の人に名刺をいただきまして。
「あなたは?名刺持ってないの?」と訊かれましたが、そんなもんあるわけないですよワタシ。
何かのカメラ展に一度でも入賞すると、肩書きに「写真家」と入れる人がいるそうです。
その人も「まったく厚かましいよ」と言ってましたが、皆似たり寄ったり(爆)
nakapaさんの記事を拝見して、こんなにステキなら名刺も良いかも~なんて思いました(=^・^=)
空見さん
nakapa 普通の字なのですが、改めて読みを教えてくれと言われても答えられないです。
相手は文章を書くことを仕事にしている人ですから、
意外な読みがあるのかも知れません。
名刺作ってしまいました。手にしてみると嬉しいです。
主婦には及ばない無職ですが、昨日は4人に渡しました。
一人には断られてしまいました。皆よく知っている昔からの友人です。
要らないと言われても当たり前です。
他の4人はどうして受け取ったのでしょうか?
やはり、デザインを気に入ってくれたのかもしれませんね(笑)。
私に10歳の子になったつもりで考えろと言っても無理だ。 気持ちだけとしても、せいぜい55ぐらいにしかなれない。 どうしたらいいのだろう?
以前ある事件をきっかけに、「不審者」という言葉が新聞などを賑わした時期があった。 一方、悪いことをしている子には大人が注意しなければいけないという声もある。
子供にとって知らない人は、全て不審者である。 注意したら子供は逃げるだろう。 大人しく最後まで聞いてくれるとは思えない。
積極的に声をかけて知りあいになり、コミュニケーションをとる必要がある。
しかし、不審者と思われるから声はかけられない。
この難問をどう解けというのだろか。
ある日の夕方、薄野から自宅に向って歩いていた。中島公園を通り抜けて帰るつもりだった。 たまたま10歳くらいの4人連れの後ろを歩いていたが、仲良く楽しそうに歩いている姿が可愛らしかった。
「坊や! 中島公園に可愛いカモの赤ちゃんがいるぞ。オジサンが連れてってやろう」とか言いたいのはやまやまだが、不審者と思われる。 話しかける代わりに、一人で歌ってみたら面白い反応があった。
岸洋子が大好きだから、夕方なのに「夜明けのうた」だ。 子供は好奇心が強いので知らないものが大好きだ。 孫もなく子供との付き合いの全くない私は、こう愚考した。
歌声に気付くと、子供達はちょっとだけ走って逃げ、振り返っては私を見て笑った。 これを飽きずに繰り返す仕草が可愛い。
中島公園に入って少し歩くと、先ほどの子供達が園路の脇で話し合っている。 「不審者じゃないよ…」「よいオジサン……」とか漏れ聞こえた。
子供達の反応に気分をよくして「こんにちは」と声をかけたら、元気よく「こんにちは」と応えてくれた。
この10年間で子供と口をきいたのは、この一言だけだ。 それなのに、ある人から「10歳の子供の気持ちになって考えてよ」と言われ困惑した。
なんでも、小学生と幼児を対象に「中島公園彫刻クイズラリー」をやるので手伝ってくれと言うのだ。
それはいいけれど、子供の気持ちになって問題を考えてくれと言われても困るばかりで、何も浮かんでこない。 私にとって、極めて難しい課題を気軽に与えられて恨めしく思った。
孫もいないし、子どもとの接点は何もない。 公園で遊んでいる子に声をかければ不審者と思われる。 一体どうしたらいいのだろう。 こんな気持ちで迎えた「中島公園彫刻クイズラリー」だった。
内容についても紹介したいのですが、長くなるのでここでは止めます。

知りたい方は、こちらをクリック! → 「中島公園彫刻クイズラリー」
以前ある事件をきっかけに、「不審者」という言葉が新聞などを賑わした時期があった。 一方、悪いことをしている子には大人が注意しなければいけないという声もある。
子供にとって知らない人は、全て不審者である。 注意したら子供は逃げるだろう。 大人しく最後まで聞いてくれるとは思えない。
積極的に声をかけて知りあいになり、コミュニケーションをとる必要がある。
しかし、不審者と思われるから声はかけられない。
この難問をどう解けというのだろか。
ある日の夕方、薄野から自宅に向って歩いていた。中島公園を通り抜けて帰るつもりだった。 たまたま10歳くらいの4人連れの後ろを歩いていたが、仲良く楽しそうに歩いている姿が可愛らしかった。
「坊や! 中島公園に可愛いカモの赤ちゃんがいるぞ。オジサンが連れてってやろう」とか言いたいのはやまやまだが、不審者と思われる。 話しかける代わりに、一人で歌ってみたら面白い反応があった。
岸洋子が大好きだから、夕方なのに「夜明けのうた」だ。 子供は好奇心が強いので知らないものが大好きだ。 孫もなく子供との付き合いの全くない私は、こう愚考した。
歌声に気付くと、子供達はちょっとだけ走って逃げ、振り返っては私を見て笑った。 これを飽きずに繰り返す仕草が可愛い。
中島公園に入って少し歩くと、先ほどの子供達が園路の脇で話し合っている。 「不審者じゃないよ…」「よいオジサン……」とか漏れ聞こえた。
子供達の反応に気分をよくして「こんにちは」と声をかけたら、元気よく「こんにちは」と応えてくれた。
この10年間で子供と口をきいたのは、この一言だけだ。 それなのに、ある人から「10歳の子供の気持ちになって考えてよ」と言われ困惑した。
なんでも、小学生と幼児を対象に「中島公園彫刻クイズラリー」をやるので手伝ってくれと言うのだ。
それはいいけれど、子供の気持ちになって問題を考えてくれと言われても困るばかりで、何も浮かんでこない。 私にとって、極めて難しい課題を気軽に与えられて恨めしく思った。
孫もいないし、子どもとの接点は何もない。 公園で遊んでいる子に声をかければ不審者と思われる。 一体どうしたらいいのだろう。 こんな気持ちで迎えた「中島公園彫刻クイズラリー」だった。
内容についても紹介したいのですが、長くなるのでここでは止めます。

知りたい方は、こちらをクリック! → 「中島公園彫刻クイズラリー」
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子供は可愛いね
コマクサ nakapa さんは子供が好きなんですね。
「不審者じゃないよ…」「よいオジサン……」とか
聞こえたときには、嬉しかったのでは?
クイズラリーは以前に拝見していますが子供は可愛いですね。
彫刻を見ている真剣な目の輝きが思い出すでしょう!
のん子 今時は声掛けが難しいですね。
マンション内での通路、エレベーターでは大人が挨拶しますので子ども達もやりますが。
私は今、月1で小学生達の下校見守りボランティアをしているのですが、10人に2人位は声掛けしても無視されます(笑)
グループで帰る子達は大体、喋り返してくれます。
何とも難しい問題・・・
朱庵 こんにちは。やっと雨が上がったようです。
このまま台風が消滅してくれるといいのですが・・・。
10歳の子供の気持ち・・・これは難問!
戸惑うのはnakapaさんだけではないと思います。子育てはしましたが今おなじこといわれたら、nakapaさんと同じ気持ちになりますよ。
楽しい問題できるといいですね。
下校時のボランテァ、nakapaさんの優しい笑顔は子供たちに隠れた評判だったりして…!
そうに違いないと思いますよ♪
hama 子供への挨拶は難しくなりましたが 当地の小中学生は「おはようございます こんにちは」とすれ違う時に必ず挨拶してくれます。
一人で自転車で下校の生徒もです。
学校で教えられているんでしょうね。
コミニケーションは挨拶からでしょうが 私も不審者と思われるかも・・と自分からは挨拶が出来ません。
残念ですが・・
でも挨拶されるととても嬉しい気持ちになって此方も笑顔で挨拶します。
コマクサさんへ
nakapa >「不審者じゃないよ…」「よいオジサン……」とか
>聞こえたときには……
↑
とりあえず、合格したような気がして嬉しかったです。
「彫刻クイズラリー」のページをみてくれて有難うございます。
イベントを実行する会員は準備とかいろいろ大変なので、
一般の皆様にも知って欲しいと思ってホームページにアップしました。
こちらで出来ることは、そのくらいしかないものですから。
のん子 さんへ
nakapa 私の住んでるマンションも、住民どおし挨拶をするので子供もします。
もちろん、例外もありますが。
のん子さんは、いろいろボランティアをやっていらっしゃるのですね。
「下校見守り」お疲れ様です。車など、いろいろ気を使うでしょう。
朱庵さんへ
nakapa 台風はなんとかそれたようですね。しかし、南の方では被害甚大でした。
朱庵さんなら、10歳の気持ちにもなれると思いましたが、やはり難しいですか。
何歳にしろ人の気持ちになるのは難しいです。
分かるのは自分の気持だけ。困ったものです。
hamaさんへ
nakapa 小中学生が挨拶してくれるのはいいですね。土地柄でしょうか。
学校の教育も大きいと思います。
皆が挨拶する街は、ドロボーが嫌う街だそうです。
彼らは挨拶が嫌いだそうです。
アチコチで挨拶されたら、仕事がやり辛いのでしょうね(笑)。
空見 こんばんは。
子どもとのコミニュケーション、私も苦手です。
でも挨拶は必ずしますよ、初めからそっぽを向いているようならしませんけど。
挨拶しながら近づいてなれなれしくすると不審者と思われますから、爽やかに挨拶だけしてそのままスッと離れることをオススメします(笑)
空見さんへ
nakapa アドバイス有難うございます。
「こんにちわ」と言ったら、スーと消えていくのですね。
「オジサンがいい所に連れてってやろう」は最悪。
間違いなく、不審者と思われるでしょう。肝に銘じます。
コマクサ nakapa さんは子供が好きなんですね。
「不審者じゃないよ…」「よいオジサン……」とか
聞こえたときには、嬉しかったのでは?
クイズラリーは以前に拝見していますが子供は可愛いですね。
彫刻を見ている真剣な目の輝きが思い出すでしょう!
のん子 今時は声掛けが難しいですね。
マンション内での通路、エレベーターでは大人が挨拶しますので子ども達もやりますが。
私は今、月1で小学生達の下校見守りボランティアをしているのですが、10人に2人位は声掛けしても無視されます(笑)
グループで帰る子達は大体、喋り返してくれます。
何とも難しい問題・・・
朱庵 こんにちは。やっと雨が上がったようです。
このまま台風が消滅してくれるといいのですが・・・。
10歳の子供の気持ち・・・これは難問!
戸惑うのはnakapaさんだけではないと思います。子育てはしましたが今おなじこといわれたら、nakapaさんと同じ気持ちになりますよ。
楽しい問題できるといいですね。
下校時のボランテァ、nakapaさんの優しい笑顔は子供たちに隠れた評判だったりして…!
そうに違いないと思いますよ♪
hama 子供への挨拶は難しくなりましたが 当地の小中学生は「おはようございます こんにちは」とすれ違う時に必ず挨拶してくれます。
一人で自転車で下校の生徒もです。
学校で教えられているんでしょうね。
コミニケーションは挨拶からでしょうが 私も不審者と思われるかも・・と自分からは挨拶が出来ません。
残念ですが・・
でも挨拶されるととても嬉しい気持ちになって此方も笑顔で挨拶します。
コマクサさんへ
nakapa >「不審者じゃないよ…」「よいオジサン……」とか
>聞こえたときには……
↑
とりあえず、合格したような気がして嬉しかったです。
「彫刻クイズラリー」のページをみてくれて有難うございます。
イベントを実行する会員は準備とかいろいろ大変なので、
一般の皆様にも知って欲しいと思ってホームページにアップしました。
こちらで出来ることは、そのくらいしかないものですから。
のん子 さんへ
nakapa 私の住んでるマンションも、住民どおし挨拶をするので子供もします。
もちろん、例外もありますが。
のん子さんは、いろいろボランティアをやっていらっしゃるのですね。
「下校見守り」お疲れ様です。車など、いろいろ気を使うでしょう。
朱庵さんへ
nakapa 台風はなんとかそれたようですね。しかし、南の方では被害甚大でした。
朱庵さんなら、10歳の気持ちにもなれると思いましたが、やはり難しいですか。
何歳にしろ人の気持ちになるのは難しいです。
分かるのは自分の気持だけ。困ったものです。
hamaさんへ
nakapa 小中学生が挨拶してくれるのはいいですね。土地柄でしょうか。
学校の教育も大きいと思います。
皆が挨拶する街は、ドロボーが嫌う街だそうです。
彼らは挨拶が嫌いだそうです。
アチコチで挨拶されたら、仕事がやり辛いのでしょうね(笑)。
空見 こんばんは。
子どもとのコミニュケーション、私も苦手です。
でも挨拶は必ずしますよ、初めからそっぽを向いているようならしませんけど。
挨拶しながら近づいてなれなれしくすると不審者と思われますから、爽やかに挨拶だけしてそのままスッと離れることをオススメします(笑)
空見さんへ
nakapa アドバイス有難うございます。
「こんにちわ」と言ったら、スーと消えていくのですね。
「オジサンがいい所に連れてってやろう」は最悪。
間違いなく、不審者と思われるでしょう。肝に銘じます。
札幌市中島公園で私も所属している「札幌彫刻美術館友の会」主催で「彫刻クイズラリー」を行いました。 初めての催しで世話役の皆さんは大変努力をされました。
小学生、幼稚園児が対象ですが、近くの中学生(美術部員)が30名くらい応援に来てくれました。幼児の保護者に、私たち会員を合計すると、100名近くが参加する、大行事?になってしまいました。
その様子はこのブログに書きました → 彫刻クイズ・ラリー
小学生、幼稚園児が対象ですが、近くの中学生(美術部員)が30名くらい応援に来てくれました。幼児の保護者に、私たち会員を合計すると、100名近くが参加する、大行事?になってしまいました。
その様子はこのブログに書きました → 彫刻クイズ・ラリー
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ちゃちゃ クイズ・ラリー、楽しそうですね。
子どもたちが参加できるイベントは、
微笑ましいし、大人も嬉しくなります。
きっと大好評で、来年もあるのでしょう。
いいねえ!
ちゃちゃさんへ
nakapa 「彫刻クイズラリー」のブログを読んでくれて有難うございます。
孫もなく子供達と接する機会がないせいか、特に楽しく感じます。
それに、未来を担う子供達が興味をもってくれることが、何よりも嬉しいです。
コマクサ 子供達が夏休み中に企画されたのでしょうが
難しい問題ですね、私も分かりませんがどの様な
結果が出ましたか?
「HP作成はアート」読ませていただきましたが
面白いです。
nakapaさんの所へ来ると刺激になりますよ。
私のHPはさっぱり更新していませんから、駄目ですね。
新しいHP完成しましたら是非訪問致しますので
楽しみにしています。
コマクサさんへ
nakapa そうです。子どもたちの夏休みに合わせた企画です。
「札幌彫刻美術館友の会」の主として女性達が企画し、準備しました。
「HP作成はアート」も読んでくれてありがとうございました。
新しいHPは、完成はしていないのですが、アップしてしまいました。
URLをクリックすると表示されると思います。
とりあえず、アップしてから修正を重ねることにしました。
ノボテル札幌の美味しいパフェ、「中島パフェ」は5月15日をもって、しばしのお別れとなりました。 終了ではなく「お休み」だそうです。
今日は最終日なので、別れを惜しみ食べに行きました。 春バージョンはとても美味しく止めてしまうのは、もったいないと思いました。
しかし、これは私の勝手な思い込み。 止めるについては、そうしなければならない事情があるのでしょう。 仕方ないことですね。
2009年7月より、約2年間、春夏秋冬バージョン8種類を記録しました。 同名のホームページ「中島パフェ」を運営する管理人としては、大変ありがたく思っています。


もちろん、パフェ好きの私としては寂しくも感じますが、今まで2年間も、いろいろな美味しいパフェを食べさせたくれたことへの感謝の気持ちの方が強いです。
今日は最終日なので、別れを惜しみ食べに行きました。 春バージョンはとても美味しく止めてしまうのは、もったいないと思いました。
しかし、これは私の勝手な思い込み。 止めるについては、そうしなければならない事情があるのでしょう。 仕方ないことですね。
2009年7月より、約2年間、春夏秋冬バージョン8種類を記録しました。 同名のホームページ「中島パフェ」を運営する管理人としては、大変ありがたく思っています。


もちろん、パフェ好きの私としては寂しくも感じますが、今まで2年間も、いろいろな美味しいパフェを食べさせたくれたことへの感謝の気持ちの方が強いです。
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のん子 あら~美味しそうなのがいっぱいですね!
しかも皆、凝ってますね~(^o^)/
全部、召しあがられたんでしょうか?
上に載ってるのは全部、食べられるんですか?
私も食べてみたかったですが北海道ではね~(汗)
お知らせが遅れましたが私のブログのコメントの画像認証が解り難いので違う所に引っ越しさせて頂きました。
今後共、よろしくお願い致します。
空見 こんばんは~
あら、中島パフェってこんなに種類があったのですか?いつか一ヶ月かけて全部食べてみたいです。
nakapaさんその節はお願いしますね、なんちゃって~(笑)
nakapaさんはお一人でこれ一つ食べ切れますか、甘党なんですね♪
のん子さんへ
nakapa もちろん全部食べましたよ。 最初の中島パフェは7回も食べに行きました。
その内、1回は21名のお仲間と一緒に食べました。
だんだん一緒に食べてくれる人も減り、最後は最終日の5月15日ですが、
二人でひっそりと、しかも楽しく食べました。
これが、一番美味しく感じましたね。
空見さんへ
nakapa 最初は夏バージョンで、次に秋と言うことなので、
全部食べるのに、2年弱かかりました。
残念ですが、2年で終了しました。一緒に食べたかったですね~。
遠くからも食べに来てくれました、最初の夏バージョンは、
オーストラリアから母子二人で来てくれました。
4番目の冬バージョンは東京から3名のグループです。
いずれの方々も、ブログを読んで来てくれました。
もちろん、旅行のついでですが、私にとっては忘れられない思い出です。
春ヴァージョン 残念!
朱庵 本当に残念でなりませんでした。
並んだお写真を見ていると最初の感激がわき出してきます!美味しかったですものね!
ぁ~、春モデル!行きたかったです。
この想い必ずや次期の新メニューに・・・と期待します。
お休みなのですから、お待ちしましょう!
今日も中島公園入り口の爛漫のサトザクラを愛でながら行事に参加してきましたよ♪
朱庵さんへ
nakapa 私も最初の感激を思い出しました。
朱庵さんのお陰で大勢の人に中島パフェ誕生を祝ってもらえました。
わが生涯最良の日ですね。
一応、「おやすみ」と聞いているので、再会を楽しみにしています。
nonko-mn 随分沢山出ていたのですね。
また再開した時まで待ちましょう。
楽しみにしてます。
nonko-mn さんへ
nakapa そうなんですよ。全8種です。もちろん全部食べました。
これでお仕舞いかと思うと、先日食べた春バージョンが一番美味しかったです。
それで、もう1回、最終日の5月15日に食べました。
ちゃちゃ 「春バージョン」、食べたかったなあ。
何年かの休みの後に、
「お客様のご要望が多くて…」と、
再開されることを願います。
そしたら、札幌に行こうかな!
ちゃちゃさんへ
nakapa その節はありがとうございました。
私も再会を期待して、こんなに美味しいパフェがありました。
という様なPRを続けたいと思っています。
再会されたら、このページで真っ先にお知らせします。
北海道新聞「読者のページ」にこんな投稿があった。
「何を思ったか、夫が6月からヒゲを伸ばし始めた」と書いてあった。
自由人のようになって朝夕、中島公園を散歩しているそうだ。
投稿者はS.T子さん。 夫のSさんはヒゲの力で、自分を変えたそうだ。
ヒゲを伸ばしたくらいで自由人になれるSさんが羨ましい。
私もあやかりたいものだ。
そう思うと、私はSさんに会ってみたくなった。 中島公園を朝夕、毎日散歩していると言う。 中島公園近所の住人である私も、知らずに何処かで会っていたかも知れない。

冬支度の中島公園。陸揚げされたボートにはブルーシートが被せてある。
先ずは何方がSさんか識別する必要がある。 手がかりは四つだ。
男性、年齢、ヒゲ、頭のてっぺん。
(頭のてっぺんがどうかは、投稿には書いてあったが、ここには書かない)
私は頭の状態を表す○○の2文字は大嫌いなので、このブログでは禁止用語と定めている。 皆様も心得ていてほしい。
「男性とヒゲはすぐ分かるのですが、問題は頭のてっぺんですね」
「なんで?」
「公園を散歩する男性の殆どは、帽子を被っています」
「初対面の人に脱いで下さいと頼めないよね」
「そこで相談なんですが、先ず私から『おはようございます』と声をかけ、帽子を脱いでお辞儀をするのはどうでしょう?」
「うん、それは好い考えだね」
Aとは、全く気が合わないが、珍しく意見が一致して嬉しかった。
たとえ気が合わなくても、同居している以上は穏やかに暮らしたいものだ。
初対面のSさんに礼を尽くして、帽子を脱いで挨拶をすれば、それに応じて、
帽子を脱いで挨拶を返してくれるだろう。 我ながらいい考えだ。
「嬉しいですね。貴女もそう思いますか」
「アンタが脱げば、安心するでしょ」
「安心?」
「『俺の方が多い』とかね」
「何を思ったか、夫が6月からヒゲを伸ばし始めた」と書いてあった。
自由人のようになって朝夕、中島公園を散歩しているそうだ。
投稿者はS.T子さん。 夫のSさんはヒゲの力で、自分を変えたそうだ。
ヒゲを伸ばしたくらいで自由人になれるSさんが羨ましい。
私もあやかりたいものだ。
そう思うと、私はSさんに会ってみたくなった。 中島公園を朝夕、毎日散歩していると言う。 中島公園近所の住人である私も、知らずに何処かで会っていたかも知れない。

冬支度の中島公園。陸揚げされたボートにはブルーシートが被せてある。
先ずは何方がSさんか識別する必要がある。 手がかりは四つだ。
男性、年齢、ヒゲ、頭のてっぺん。
(頭のてっぺんがどうかは、投稿には書いてあったが、ここには書かない)
私は頭の状態を表す○○の2文字は大嫌いなので、このブログでは禁止用語と定めている。 皆様も心得ていてほしい。
「男性とヒゲはすぐ分かるのですが、問題は頭のてっぺんですね」
「なんで?」
「公園を散歩する男性の殆どは、帽子を被っています」
「初対面の人に脱いで下さいと頼めないよね」
「そこで相談なんですが、先ず私から『おはようございます』と声をかけ、帽子を脱いでお辞儀をするのはどうでしょう?」
「うん、それは好い考えだね」
Aとは、全く気が合わないが、珍しく意見が一致して嬉しかった。
たとえ気が合わなくても、同居している以上は穏やかに暮らしたいものだ。
初対面のSさんに礼を尽くして、帽子を脱いで挨拶をすれば、それに応じて、
帽子を脱いで挨拶を返してくれるだろう。 我ながらいい考えだ。
「嬉しいですね。貴女もそう思いますか」
「アンタが脱げば、安心するでしょ」
「安心?」
「『俺の方が多い』とかね」
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ちゃちゃ Aさん、再登場!拍手!拍手!
「脱げばいいとは…」すばらしいアイデア!
これにも拍手!拍手!
Sさんに会えますよう、そして、
Sさんと仲良くなれますように…。
ちゃちゃさんへ
nakapa 拍手、ありがとうございます。
Sさんは、投稿者の奥様から類推して60代半ば、顎鬚を伸ばして4か月です。
多分帽子は被っているから、脱がすのが決めてですね。
頑張ります!
朱庵 ひょんなことからご縁が出来るのも、人生の愉しみ!
いい出会いが生まれますように♪
意外と予想外で、ストレートにバッタリお会いできるとか・・・♪
なんだかわくわくしてきます。楽しいい想像しています。
朱庵さんへ
nakapa 公園はいいですね。 歩いている人は、ほとんど気晴らしの散歩ですから。
誰に話しかけても笑顔で答えてもらえます。声をかけられる場合もあります。
たいていは、アオサギが居たとかオシドリが来たとか言う他愛のない話です。
ですから、バッタリということもありますね。
郵便受けにAさんからの投稿が入っていた。
以前、道新「朝の食卓」に載せてくれないかと頼まれたことがある。
「それは出来ないけれど、ブログなら自由に載せられますよ」と答えたら、
今までに2回ばかり手書きの原稿を手渡された。
以前、手渡されたのはチラシの裏だったが、今回は破いた帳面に書いてあった。 手渡しから郵便受けへ、チラシから帳面へ、こらからどう進化するのだろう。 先が楽しみだ。
不思議なことにインターネットを見ている気配はない。 ご本人はパソコンの心得もなさそうだ。 家族からネットで見せてもらっている気配もない。
そのため、私は気楽に書けるからありがたい。
赤マル母さん
赤マル母さんはお腹の部分が白、背中が赤のたいそう子育て上手な母猫です。
それ故、年に2回お産をします。 それが困る原因なのです。
自家用車にひっかきキズをつけたり、民家の周りをウロついたりするので、困った住民がお役所に談判に行ったのです。
そして、とうとう避妊手術をさせられる事になりました。 捕獲器にとらわれの身になった赤マル母さんは、悲しげにミャーミャー泣きわめいていました。
ゴメンネ、赤マル母さん。 無力な私をどうぞ許して下さい。
図らずも「猫三題」となってしまった。 この三つの共通点は、筆者の猫への愛である。 猫へのエサやりは、非難する人も少なくない。
捨てられた猫はどうしたら良いのだろう。 やはり、「捨てる人あらば、救う人あり」ではないか。 拾えと言われても、なかなか難しい。

参考の為、今までのAさんの投稿を載せます。
子猫のピースケ君
中島公園の片隅で、そのトラ猫はひっそりと生きていました。
ノラ猫の子に生まれたことを恨むでもなく、夜は星空の下、
昼は草の匂いをかぎながら、
あわれに思う人や通りすがりの人から食べ物をもらうその日暮しの生活でした。
頭をなぜても逃げないし、物静かなオス猫でした。
星になったのか風になったのか、今はもういません。
ある日こつ然と消えました。
心に穴があくとは、こういう事でしょうか。
ピースケ君、君がいない毎日は淋しい。
捨て猫トラ子の最後
中島公園の近くに古びたアパートがありました。 ある時、取り壊すことになり、その時の住人が捨てて行ったメス猫がトラ猫のトラ子でした。
やがて春になり自分と同じトラ柄の可愛い子猫を2匹産みました。 授乳がそろそろ終わりかけた頃、親切な人が見かねて不妊手術をしてくれました。
麻酔が効き過ぎたのか、体力がなかったのか、トラ子は二度と目を覚まさなかったのです。
ゴメンネ、トラ子。
トラ子のためを思ってした事が、こんなことになって、どうか恨まないでね」
木下成太郎像(朝倉文夫作)~「北の彫刻」シンポジュウム2010~
以前、道新「朝の食卓」に載せてくれないかと頼まれたことがある。
「それは出来ないけれど、ブログなら自由に載せられますよ」と答えたら、
今までに2回ばかり手書きの原稿を手渡された。
以前、手渡されたのはチラシの裏だったが、今回は破いた帳面に書いてあった。 手渡しから郵便受けへ、チラシから帳面へ、こらからどう進化するのだろう。 先が楽しみだ。
不思議なことにインターネットを見ている気配はない。 ご本人はパソコンの心得もなさそうだ。 家族からネットで見せてもらっている気配もない。
そのため、私は気楽に書けるからありがたい。
赤マル母さん
赤マル母さんはお腹の部分が白、背中が赤のたいそう子育て上手な母猫です。
それ故、年に2回お産をします。 それが困る原因なのです。
自家用車にひっかきキズをつけたり、民家の周りをウロついたりするので、困った住民がお役所に談判に行ったのです。
そして、とうとう避妊手術をさせられる事になりました。 捕獲器にとらわれの身になった赤マル母さんは、悲しげにミャーミャー泣きわめいていました。
ゴメンネ、赤マル母さん。 無力な私をどうぞ許して下さい。
図らずも「猫三題」となってしまった。 この三つの共通点は、筆者の猫への愛である。 猫へのエサやりは、非難する人も少なくない。
捨てられた猫はどうしたら良いのだろう。 やはり、「捨てる人あらば、救う人あり」ではないか。 拾えと言われても、なかなか難しい。

参考の為、今までのAさんの投稿を載せます。
子猫のピースケ君
中島公園の片隅で、そのトラ猫はひっそりと生きていました。
ノラ猫の子に生まれたことを恨むでもなく、夜は星空の下、
昼は草の匂いをかぎながら、
あわれに思う人や通りすがりの人から食べ物をもらうその日暮しの生活でした。
頭をなぜても逃げないし、物静かなオス猫でした。
星になったのか風になったのか、今はもういません。
ある日こつ然と消えました。
心に穴があくとは、こういう事でしょうか。
ピースケ君、君がいない毎日は淋しい。
捨て猫トラ子の最後
中島公園の近くに古びたアパートがありました。 ある時、取り壊すことになり、その時の住人が捨てて行ったメス猫がトラ猫のトラ子でした。
やがて春になり自分と同じトラ柄の可愛い子猫を2匹産みました。 授乳がそろそろ終わりかけた頃、親切な人が見かねて不妊手術をしてくれました。
麻酔が効き過ぎたのか、体力がなかったのか、トラ子は二度と目を覚まさなかったのです。
ゴメンネ、トラ子。
トラ子のためを思ってした事が、こんなことになって、どうか恨まないでね」
木下成太郎像(朝倉文夫作)~「北の彫刻」シンポジュウム2010~
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なんとまあ~
朱庵 実は今日お訪ねしたのは、nakapaさんへお知らせが一つあったのです。
それがなんと~~~上に書いてある、あの木下成太郎像 のことなのです。あまりのタイミングに驚いています。
昨日いつもの散歩の途中に資料館によりました。
水彩画展の案内を玄関で観て、部屋を訪れました。
全く知らない方達のですが、中島公園をスケッチしたのが多く出ていました。
その中の一枚・・・!
なんと!この木下像を正面から描いているのがありました!
こんなこともあるのですね!
ご縁もnakapaさんが取り持て下さったのだと思っているので、ご報告です。
シンポ、出来たら参加したいなぁ~♪
猫ちゃんの投稿のこと、勿論読んでいます。
>捨てられた猫はどうしたら良いのだろう。 やはり、「捨てる人あらば、救う人あり」ではないか。 拾えと言われても、なかなか難しい。
ノラ猫は自分の居場所を、人間の側からの勝手で放りだされていることを、伝える手段は持ちませんよね・・・。
朱庵さんへ
nakapa 資料館の木下成太郎像の水彩画、ぜひ観てみたいです。ありがとうございます。
まだ、いちどもあの像を描いた絵を見たことがありません。
木下成太郎像を描いているところは、見たことがあります。
ヒューマン・アカデミーの学生さんでした。およそ3年前のことです。
先日、東京から来られた4名の観光のお客様を、このブロンズ像に御案内しました。
木下成太郎の創設した武蔵野美術大学は、近所の人たちにムサビと呼ばれ、
親しまれていることを知り嬉しく思いました。
朱庵 実は今日お訪ねしたのは、nakapaさんへお知らせが一つあったのです。
それがなんと~~~上に書いてある、あの木下成太郎像 のことなのです。あまりのタイミングに驚いています。
昨日いつもの散歩の途中に資料館によりました。
水彩画展の案内を玄関で観て、部屋を訪れました。
全く知らない方達のですが、中島公園をスケッチしたのが多く出ていました。
その中の一枚・・・!
なんと!この木下像を正面から描いているのがありました!
こんなこともあるのですね!
ご縁もnakapaさんが取り持て下さったのだと思っているので、ご報告です。
シンポ、出来たら参加したいなぁ~♪
猫ちゃんの投稿のこと、勿論読んでいます。
>捨てられた猫はどうしたら良いのだろう。 やはり、「捨てる人あらば、救う人あり」ではないか。 拾えと言われても、なかなか難しい。
ノラ猫は自分の居場所を、人間の側からの勝手で放りだされていることを、伝える手段は持ちませんよね・・・。
朱庵さんへ
nakapa 資料館の木下成太郎像の水彩画、ぜひ観てみたいです。ありがとうございます。
まだ、いちどもあの像を描いた絵を見たことがありません。
木下成太郎像を描いているところは、見たことがあります。
ヒューマン・アカデミーの学生さんでした。およそ3年前のことです。
先日、東京から来られた4名の観光のお客様を、このブロンズ像に御案内しました。
木下成太郎の創設した武蔵野美術大学は、近所の人たちにムサビと呼ばれ、
親しまれていることを知り嬉しく思いました。
ホンモノの記者は大変と思うが「記者ごっこ」は楽しい。 先ず締め切りが無い。 時間があって書きたいときに書きたいだけ書けばよい。
嫌いな取材はしなくてよい。 ということは嫌いな人には会わなくていいのだ。
こう思って、ある公園の情報発信をするホームページを開設した。
しかし、7年もホームページを運営してくると状況も変わってくる。 先ず最初に、こんな態度で情報発信をしていても誰も読んでくれないことを知る。
次に、読んでもらえるホームページをどう作るか考えるようになる。 結論として、読んでいて面白いか役に立つか、どちらかが、なければならないと思う。
私に面白いものなど書けるわけがない。
どうしても役に立つホームページにしなければならない。
そうなると、必要な情報を集めて、タイムリーに発信しなくてはならない。
締め切りもあるし、嫌いな取材も必要ならしなければならないのだ。
これでは仕事とたいして変わらない。 非営利で運営していくためには、
自分を鼓舞する使命感が必要になって来る。
「という訳で、この公園を良好な状態に維持して、次世代に引き継ぐことを自分の使命と考えることにしました」
「後から、目的を考えるとは本末転倒だな」
「違います」
「どこが違う?」
「本末転倒とは根本の大切なことと、枝葉末節のつまらないことを、取り違えることです」
「それで?」
「記者ごっこと言うつまらないことから始めて、大切なことにたどり着きました」
「そうかい。そう思えるアンタは幸せ者」
「幸せなら手をたたこ♪ パチパチ」
嫌いな取材はしなくてよい。 ということは嫌いな人には会わなくていいのだ。
こう思って、ある公園の情報発信をするホームページを開設した。
しかし、7年もホームページを運営してくると状況も変わってくる。 先ず最初に、こんな態度で情報発信をしていても誰も読んでくれないことを知る。
次に、読んでもらえるホームページをどう作るか考えるようになる。 結論として、読んでいて面白いか役に立つか、どちらかが、なければならないと思う。
私に面白いものなど書けるわけがない。
どうしても役に立つホームページにしなければならない。
そうなると、必要な情報を集めて、タイムリーに発信しなくてはならない。
締め切りもあるし、嫌いな取材も必要ならしなければならないのだ。
これでは仕事とたいして変わらない。 非営利で運営していくためには、
自分を鼓舞する使命感が必要になって来る。
「という訳で、この公園を良好な状態に維持して、次世代に引き継ぐことを自分の使命と考えることにしました」
「後から、目的を考えるとは本末転倒だな」
「違います」
「どこが違う?」
「本末転倒とは根本の大切なことと、枝葉末節のつまらないことを、取り違えることです」
「それで?」
「記者ごっこと言うつまらないことから始めて、大切なことにたどり着きました」
「そうかい。そう思えるアンタは幸せ者」
「幸せなら手をたたこ♪ パチパチ」
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ちゃちゃ nakapa さま、
幸せなら手をたたこう!
パチパチ!
私も手をたたきます!
ちゃちゃさんへ
nakapa 幸せなら 態度でしめそうよ♪
ほら みんなで 手をたたこう♪
早々と、一名様に手をたたいて頂きました。
ありがとうございます。
hama ホームページは6年くらい前から拝見しています。
あの頃は若かったな~(^-^*)
6年も経つと色々な事があります。
おばあちゃんにもお陰様でなれたし・・
未〇〇にもなっちゃったし・・
でも今もこうして伺えるのは縁ですかね。
パチパチパチ!
hamaさんへ
nakapa 長い間、有難うございます。ご縁が続くよう念じています。
そうですね。6年前は若いです。年月が風のように走りすぎて行きます。
いろいろありましたね。 私の方は、特別なこともなく相変わらずです。
フラダン ホームページを開設して、もう7年にもなった事に
先ずはパチパチです。訪問したくなるかならないか
は、読者側ですから、どうしても長くなると、
マンネリ化して、先が読めちゃうという事もあるけど
でもこうして、リピターが居るという事だけでも
ハッピーでパチパチよ、ヽ(^o^)丿
のん子 HPでもブログでもコメント数の何十倍、いやもっとかもの読者が居るものです。
我市でも私新聞発行の方が居て、マンションに移ってから、その新聞を配布して欲しいとの希望が多く現在は配布されています。
市政に対する批判が面白いのです。
無料なのは、お店の宣伝もいろいろ入れているからと思いますが。
フラダンさんへ
nakapa はい、7年すぎまして。マンネリです。
だんだん、追われるような感じになって来ました。
リピーターさんには感謝しています。
先日、豊平館前の池でオシドリの幼鳥に出会いました。
かわいいですね。
のん子さんへ
nakapa 無料の新聞ですか。面白くて無料とは羨ましいですね。
広告とれるような新聞なら大したものです。
市政に関する批判は身近なだけに面白そうですね。
そんな新聞こちらにもあればいいと思います。
忘れていた歌
朱庵 その昔 何度大きな声で歌ったことでしょう。
「幸せなら手をたたこう」
しばらく忘れていました。
大きな声で歌いたくなりました。
幸せなら手をたたこう ぱちぱち!!!
nakapaさん ありがとう ぱちぱち!!!
朱庵さんへ
nakapa 現実を忘れると幸せな気分になれます。
幸いなことに差し迫った苦しい現実もありません。
とりあえず、今は幸せなので、手をたたかせてもらいます。
「ぱちぱち!!!」合わせてくれて、ありがとうございます。
世の中は不思議なものだ。 中島公園の近くに住む識者Aさんから、「中島公園にある木下成太郎像は大したものだ」と聞いた。
さっそく、話を聞いて資料をもらった。 ネットで調べて、自分なりに裏を取った。「木下成太郎像」は、当時東洋のロダンと称された大彫刻家、朝倉文夫の作品であることが分かった。
戦前に活躍していた彫刻家なので、戦中の金属回収令で、ほとんどのブロンズ像(銅像)は政府に取り上げられたそうだ。 無謀な戦争で資源が枯渇していた。 金属と言えば鍋カマに至るまで潰して、大砲とかの兵器にしていたのだ。
朝倉作品もほとんど失われ、400点余りのブロンズ像の内、基壇・台座と共に残されたのは中島公園の木下成太郎像だけかも知れない。
こう書いたのは3年前だが、2年間なんの注目もされなかった。 ところが、去年の秋、札幌市が事態の重要性に気付き、木下成太郎像の基壇・台座等を補修したことで事態は急展開した。 Aさんは忙しく、そこらじゅう駆け回ることになり、それにつられて、私も少しだけ忙しくなってきた。
「なに考えているの?」
「新聞社のインタビューにどう答えたら、格好いいかと思いましてね」
「何で、インタビューよ?」
「重要な芸術文化遺産の発見者としてですね」
「ないない! そんなこと絶対にない!!」
「どうしてですか?」
「人の話聞いて、自分のブログに書いただけでしょ」
「そうですか。とりあえず、下のリンクをクリックしてください」
「リンクって何? なにをクリック……?」
木下成太郎像(朝倉文夫作)~シンポジュウム2010「北の彫刻」~
さっそく、話を聞いて資料をもらった。 ネットで調べて、自分なりに裏を取った。「木下成太郎像」は、当時東洋のロダンと称された大彫刻家、朝倉文夫の作品であることが分かった。
戦前に活躍していた彫刻家なので、戦中の金属回収令で、ほとんどのブロンズ像(銅像)は政府に取り上げられたそうだ。 無謀な戦争で資源が枯渇していた。 金属と言えば鍋カマに至るまで潰して、大砲とかの兵器にしていたのだ。
朝倉作品もほとんど失われ、400点余りのブロンズ像の内、基壇・台座と共に残されたのは中島公園の木下成太郎像だけかも知れない。
こう書いたのは3年前だが、2年間なんの注目もされなかった。 ところが、去年の秋、札幌市が事態の重要性に気付き、木下成太郎像の基壇・台座等を補修したことで事態は急展開した。 Aさんは忙しく、そこらじゅう駆け回ることになり、それにつられて、私も少しだけ忙しくなってきた。
「なに考えているの?」
「新聞社のインタビューにどう答えたら、格好いいかと思いましてね」
「何で、インタビューよ?」
「重要な芸術文化遺産の発見者としてですね」
「ないない! そんなこと絶対にない!!」
「どうしてですか?」
「人の話聞いて、自分のブログに書いただけでしょ」
「そうですか。とりあえず、下のリンクをクリックしてください」
「リンクって何? なにをクリック……?」
木下成太郎像(朝倉文夫作)~シンポジュウム2010「北の彫刻」~
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のん子 広い公園なんですね。
彫刻がたくさん有るなんて良いですね~(^_^)
近ければ私も参加してみたいです。
うちの近くの公園はお花の植え替え等のボランティアを募集していました。
のん子さんへ
nakapa 彫刻清掃の件、お気持ちだけでも有難うございます。
先日、宇部市長さんご一行3名様が彫刻を観にきてくれました。
宇部市は「緑と花と彫刻のまち」だそうです。
nakapaさんと木下成太郎像の関係!
朱庵 こんにちは!
タイトルで?と思われたでしょうね。
昨年、nakapaさんのあの衝撃的な「中島パフェ」誕生の折、たくさんの方々と美味しい時間を共有したことがありましね。
終わってから、参加のH氏のご好意で、公園内にある彫刻のご案内とご丁寧なご説明をお聴きする機会に恵まれました。
見慣れている彫刻といいましても、あの時のご説明で、朝倉文夫の作品だと知ることが出来たのです。
更にその距離は近まり、とっても愉しい時間になったのです。
ですから、、nakapaさんがご縁を取り持ってくださったわけです♪
彫刻の清掃作業は地道なボランティア活動だけに、本当にご苦労様です。
特にこの夏の暑さ、大変でしたね。
朱庵さんへ
nakapa はい、タイトルは「?」でした。
「nakapaさんと石原裕次郎さんの関係」と同じですからね。
個人的には何の関係もありません。
去年はカフェ・セゾン「中島パフェ」では、お世話になりました。
そのせいか、「中島パフェ」はいまだに続いています。
彫刻清掃は広報ばかりで、あまり働いていないので恐縮です。
フラダン 彫刻清掃活動いつもお疲れ様です。「朝の食卓」でも
読み、影でこんな活動してる方によって札幌の
彫刻は守られている事を知り、何気なく見ていた、
彫刻も意識をするようになりました、やってる事は、
何であれ、ズート続ける事はとても素晴らしい事ですね
そんな方沢山知ってますので、日本もそう捨てた所では
無いと思って居ります。ありがとう~<m(__)m>
フラダンさんへ
nakapa 「朝の食卓」を読んでくれて有難うございます。
私も、影で作業に汗を流している方々の為になればと思い、PRに励んでいます。
なにぶん虚弱体質なので、私自身は、大した働きもできないものですから。
野外彫刻に少しでも興味をもってもらえば、有難いと思っています。
空見 こんばんは(=^・^=)
木下成太郎像のことは前にも教えていただいたので、覚えておりました。
あれ?nakapaさん同じ事書いてる?と思ったら、ハナシの導入でしたね。
徐々にnakapaさんの発見!が実を結んでいきそうです、地道な努力というものは素晴らしいです(笑)
金力もいいけど、これからは筋力も貯めないといけませんが、脂肪だけは勝手に溜りますね、全く堪りませんデス。
空見さんへ
nakapa こんばんは
すみませんが、「木下成太郎像」についてはPR中なのでアチコチに書いています。
書きすぎたかなと反省しつつ、PRしています。
「発見」は勝手な思い込みで事実と違います。
「人の話聞いて、自分のブログに書いただけでしょ」。これが事実です。
ごめんなさい。
ちゃちゃ えっ!きれいになるのですか?
楽しみです。
中島公園もますます、栄えますね。
ちゃちゃさんへ
nakapa ええ、きれいになりました。
もっとも、以前の荒れた状態と比較してです。
初めて、見れば普通です(笑)。
「おはよう」と、声をかけられた。
2週間前、子猫のピースケ君(行方不明の猫)についての想いをブログに書いてくれと言っていたおばさんだ。 大きなリュックを背負っている
「おはようございます。 お出かけですか。 いい天気でよかったですね」
「ピースケ君のこと書いてくれた?」
「書きましたよ。コメントが二つ付きました」
「コメントってなに?」
「あなたが書いた『ピースケ君』を読んでくれた人の感想です」
「何て書いてあった?」
「東京でピースケ君に似た猫を見たと…」
「うそ~! ピースケの顔しらないくせに」
「私が写真を載せて上げました」
「アンタだって知らないでしょう」
「中島公園で撮った猫を5枚ばかり載せましたから、その中にピースケ君もいると思いまして…」
「全く、いいかげんだね~。 もう一つ書いてくれない」
「いいですよ。 いい加減でよければ…」
リュックの中を探して、折り目の擦り切れそうな紙を取り出して読み始めた。
「トラ子
中島公園の近くに古びたアパートがありました。 ある時、取り壊すことになり、その時の住人が捨てて行ったメス猫がトラ猫のトラ子でした。
やがて春になり自分と同じトラ柄の可愛い子猫を2匹産みました。 授乳がそろそろ終わりかけた頃、親切な人が見かねて不妊手術をしてくれました。
麻酔が効き過ぎたのか、体力がなかったのか、トラ子は二度と目を覚まさなかったのです。
ゴメンネ、トラ子。
トラ子のためを思ってした事が、こんなことになって、どうか恨まないでね」
読み終わると、小母さんは目に涙を浮かべていた。
「悲しいですね」
「トラ子を捨てて引越すなんてホントに悪いヤツだ。 私ゃ許さないからね!」
捨てた猫を守る人、猫にエサをやるなと怒る人。どちらがどうとも言えない。
ハッキリしているのは、猫を捨てた元愛猫家が中島公園にケンカのタネを蒔いて、どこかに行ってしまったことだ。 今ごろどうしているのだろう。

トラ子は、もういない。画像提供、平川さん。
8月14日豊平館で無料コンサート 詳細は→ 豊平館サマーコンサート
2週間前、子猫のピースケ君(行方不明の猫)についての想いをブログに書いてくれと言っていたおばさんだ。 大きなリュックを背負っている
「おはようございます。 お出かけですか。 いい天気でよかったですね」
「ピースケ君のこと書いてくれた?」
「書きましたよ。コメントが二つ付きました」
「コメントってなに?」
「あなたが書いた『ピースケ君』を読んでくれた人の感想です」
「何て書いてあった?」
「東京でピースケ君に似た猫を見たと…」
「うそ~! ピースケの顔しらないくせに」
「私が写真を載せて上げました」
「アンタだって知らないでしょう」
「中島公園で撮った猫を5枚ばかり載せましたから、その中にピースケ君もいると思いまして…」
「全く、いいかげんだね~。 もう一つ書いてくれない」
「いいですよ。 いい加減でよければ…」
リュックの中を探して、折り目の擦り切れそうな紙を取り出して読み始めた。
「トラ子
中島公園の近くに古びたアパートがありました。 ある時、取り壊すことになり、その時の住人が捨てて行ったメス猫がトラ猫のトラ子でした。
やがて春になり自分と同じトラ柄の可愛い子猫を2匹産みました。 授乳がそろそろ終わりかけた頃、親切な人が見かねて不妊手術をしてくれました。
麻酔が効き過ぎたのか、体力がなかったのか、トラ子は二度と目を覚まさなかったのです。
ゴメンネ、トラ子。
トラ子のためを思ってした事が、こんなことになって、どうか恨まないでね」
読み終わると、小母さんは目に涙を浮かべていた。
「悲しいですね」
「トラ子を捨てて引越すなんてホントに悪いヤツだ。 私ゃ許さないからね!」
捨てた猫を守る人、猫にエサをやるなと怒る人。どちらがどうとも言えない。
ハッキリしているのは、猫を捨てた元愛猫家が中島公園にケンカのタネを蒔いて、どこかに行ってしまったことだ。 今ごろどうしているのだろう。

トラ子は、もういない。画像提供、平川さん。
8月14日豊平館で無料コンサート 詳細は→ 豊平館サマーコンサート
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名無しさん 前回も、今回も猫ちゃんの事を読んで、胸が痛くなりました、
飼った以上は、責任を持って最後まで面倒見て欲しいです!(腹立)
不妊手術で帰らぬ猫に、涙、でも、、、その親切な方を攻める
気にはなりません、むしろなかなか出来る事ではありませんから、
ペットの一生は飼う人に委ねられてます、飼う方のモラルで、
幸か、不幸かが決まります、命の重さをもっと感じて欲しいです!
写真の猫チャン達可愛いというより私には痛々しくしか思えませんでした。
優しい、名無しさんへ
nakapa 本当に胸が痛くなりますね。
可愛いと思って飼った猫なら、いつまでもその気持ちを持ち続けて欲しいです。
動物を虐待すると「器物破損罪」にあたりますね。
もちろん動物愛護法違反でも問われます
しかし、人間社会のどこかにペットを物と考える習慣があるのではないでしょうか。
命あるも同士という考えを基本にほしいと思います。
空見 nakapaさん、こんにちは♪
今日は先日コピーさせて頂いた、「洞の中の猫ちゃん」の画像を、’愚痴ブログ’で使わせていただきました。
事後報告に、事後承諾をよろしくお願いいたします。もし問題がなければ、記事中にリンクのお許しもいただきたいのですが・・。
ご検討くださいませ。いつもありがとうございます<(_ _)>
ちゃちゃ nakapaさん、今晩は!
人間の都合でペットを捨てることはいけない。
親の都合で子どもも人生を左右することは
もっといけない!
そう思わせる事件があまりにも多いです。
心が寂しくなったときには
nakapa さんのブログを訪問すればいいのですね。
空見さんへ
nakapa 「洞の中の猫ちゃん」の画像を使ってくれたのですか。 こちらこそ有難う。
リンクもしてくれるのですか。それも大歓迎です。
ブログの輪はドンドン繋がった方がいいとおもっているので有難く思っています。
ちゃちゃさんへ
nakapa 最近は子供にとって悲惨なニュースが多くなりました。
私も気になっています。
人から優しさがなくなったら何が残るのでしょうか。
「優しくなければ生きる資格がない」
という言葉を思い出しています。
私の好きな言葉は「真理もいいが、幸福はさらにいい」
7月23日は札幌市民待望の「豊平川花火大会」だが、あいにくの雨だった。
にもかかわらず、河川敷は傘と人でいっぱいだ。
中島公園も今までで一番混んでいた。
原因の一つは、今年から花火大会が、道新・UHBの一回になってしまったこと。 しかし、それだけではないと思う。
1年前にUHBテレビ「のりゆきのトークde北海道」に、私が運営するウェブサイト「中島パフェ」が取り上げられたことも影響していると思いたい。
5年前に「豊平川花火大会は中島公園で見よう!」のページを作ったが、特に中島公園で花火を観る人が増えたようには感じなかった。
それが、テレビで取り上げられた2009年の花火大会では、中島公園で花火を観る人が目に見えて増えた。 今年は更に増え、見え易い場所は人で溢れていていた。 テレビ報道の影響力を再認識した次第だ。
ところで、このブログは毎日曜日更新としてきたが、これからは随時更新とすることにした。ブログは毎日更新の日記方式で始めたが、1年後は週一更新に変わり、ついに随時更新になってしまった。
書きたいときに書けば内容が良くなるかも知れないと思ってのことだが、
果たして結果は?
にもかかわらず、河川敷は傘と人でいっぱいだ。
中島公園も今までで一番混んでいた。
原因の一つは、今年から花火大会が、道新・UHBの一回になってしまったこと。 しかし、それだけではないと思う。
1年前にUHBテレビ「のりゆきのトークde北海道」に、私が運営するウェブサイト「中島パフェ」が取り上げられたことも影響していると思いたい。
5年前に「豊平川花火大会は中島公園で見よう!」のページを作ったが、特に中島公園で花火を観る人が増えたようには感じなかった。
それが、テレビで取り上げられた2009年の花火大会では、中島公園で花火を観る人が目に見えて増えた。 今年は更に増え、見え易い場所は人で溢れていていた。 テレビ報道の影響力を再認識した次第だ。
ところで、このブログは毎日曜日更新としてきたが、これからは随時更新とすることにした。ブログは毎日更新の日記方式で始めたが、1年後は週一更新に変わり、ついに随時更新になってしまった。
書きたいときに書けば内容が良くなるかも知れないと思ってのことだが、
果たして結果は?
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のん子 ブログは皆さん、そんな感じで変えて行かれる方が多いようです。
私はもう書きたいことがなくなった感がして一旦閉じたのですが、他の方のブログにコメントさせて頂く時に名刺代わりに要る必要性を感じて再開、今は書きたいことを探すこともなく思いついた時に自由に書いて快適ですよ(^_^)
のん子さんへ
nakap なるほど、皆さんの辿る道を、私も行くことになりました。
果たして、書きたくなるのかいつの日か?
今日は書いたばかりだから、けっこうですが、
その内、また書きたくなるのでしょうね。
コメントありがとうございました。
自由な心で自由に更新を!
朱庵 ブログ(日記)ということに拘ることはないと思います♪
縛られることなく、自由更新でいいんじゃありませんか?
その日にまた書きたくなったら、新たに更新でもよいし、編集から記事の追加でもいいと思います。
読む人を意識しすぎると、つまらなくなりますもの。
訪問者は敏感にそれを感じ取りますから。
あくまでも自然体でいいのではないでしょうか?
管理者の魅力に惹かれて訪れる人が多いのはそういうことだと思いますよ。
nakapaさんの魅力に惹かれていつも読ませていただいています。
次の更新をいつも楽しみにしています♪
朱庵さんへ
nakapa ありがとうございます。 何事にもこだわらず自由にします。
ようやく自然体になりたい。それがいいと思えるようになりました。
ブログに限らず、なんでも自然体で行きたいと思います。
ちゃちゃ nakapa さん、
日曜日更新の nakapa さんのブログは、
ダラダラ暮らしをている私にとって時計のようなものでした。
「ああ、もう一週間が過ぎていったのか…」と。
決めておくと、更新することにしばられます。
B型人間の気ままにまかせて、のんびり更新を!
そこにはまた、楽しい文章が…、と期待いたします。
ちゃちゃさんへ
nakapa 仰るとおりです。
B型人間の私としては、何も決めないでテキトーに書くのがいいと思います。
人に縛られるのが嫌なのに自分で縛っては何にもなりませんね。
反省しています。
フラダン ブログ再開おめでとう~~
見るほうは、まったく気ままですから、
書くほうも自由で良いと思います。
一方的に手ぶらでの訪問で、なんだか
悪いなぁ~と思いながら、、、
フラダンさんへ
nakapa かわらぬ温かいコメントを有難うございます。
退職して自由になったら、いろいろやってみたくなりました。
その結果、自分を縛る規則も自由に作ってしまいました。
原点に戻り、再び自由になります。
一応、新しい旅立ちのつもりです(笑)。
「nakapaさん、おはよう」
「おはようございます。いいお天気ですね。おでかけですか」
「ちょっと相談したいことがあるんですよ」
「なんでしょうか?」
「悪いけど、そこに座って。 読んでみてくれない」
チラシの裏に字を書いたものを渡された。 意外に奇麗な字だ。
タイトルが「ピースケ君」となっている。さっそく読んでみた。
『中島公園の片隅で、そのトラ猫はひっそりと生きていました。
ノラ猫の子に生まれたことを恨むでもなく、夜は星空の下、
昼は草の匂いをかぎながら、
あわれに思う人や通りすがりの人から食べ物をもらうその日暮しの生活でした。
頭をなぜても逃げないし、物静かなオス猫でした。
星になったのか風になったのか、今はもういません。
ある日こつ然と消えました。
心に穴があくとは、こういう事でしょうか。
ピースケ君、君がいない毎日は淋しい』
「ピースケ君はどこに行ったのでしょう。淋しいですよね」
「『朝の食卓』に載せてくれない。私の名前をだしちゃあダメだよ」
「新聞だから、字数が決まっているのです。 素晴らしい文章ですが、新聞社の規格に合わないような気がします。 せっかく書いてくれたのに残念です」
「nakapaさんが、たしまいしてもいいよ。私、気にしないから」
「それは悪いですよ。遠慮します」
「ピースケのために、何か書いて上げたいのよ」
「私のブログに書きましょうか。『楽しい食卓、朝の食卓』というのです」
「ブログ?」
「インターネットのブログです。道新は北海道の人だけしか読めないけれど、
ブログは世界中の人が読むことができるのですよ」
「凄いね。英語で書かなくてもいいのかい?」
「世界は広いです。 まあ、日本語を読める人もいるんじゃないでしょうか」

泳ぎの苦手なピースケ君は、川に落ちて流されたのかな?

それとも、ボートに乗って遠くに行ったのかもしれない。

春になって池の氷が融けて、どこにも行けなくなったのかな?

木に登って洞に入ったのかも知れない。 ピースケ君にしては小さいね。

「これがピースケ君でしょ。もらわれたんですよ」
「どうかな~」
「風にも星にもなっていないでしょう。幸せに暮らしてますよ」
「そうかな~。淋しいねぇ」
「淋しいですね」
「おはようございます。いいお天気ですね。おでかけですか」
「ちょっと相談したいことがあるんですよ」
「なんでしょうか?」
「悪いけど、そこに座って。 読んでみてくれない」
チラシの裏に字を書いたものを渡された。 意外に奇麗な字だ。
タイトルが「ピースケ君」となっている。さっそく読んでみた。
『中島公園の片隅で、そのトラ猫はひっそりと生きていました。
ノラ猫の子に生まれたことを恨むでもなく、夜は星空の下、
昼は草の匂いをかぎながら、
あわれに思う人や通りすがりの人から食べ物をもらうその日暮しの生活でした。
頭をなぜても逃げないし、物静かなオス猫でした。
星になったのか風になったのか、今はもういません。
ある日こつ然と消えました。
心に穴があくとは、こういう事でしょうか。
ピースケ君、君がいない毎日は淋しい』
「ピースケ君はどこに行ったのでしょう。淋しいですよね」
「『朝の食卓』に載せてくれない。私の名前をだしちゃあダメだよ」
「新聞だから、字数が決まっているのです。 素晴らしい文章ですが、新聞社の規格に合わないような気がします。 せっかく書いてくれたのに残念です」
「nakapaさんが、たしまいしてもいいよ。私、気にしないから」
「それは悪いですよ。遠慮します」
「ピースケのために、何か書いて上げたいのよ」
「私のブログに書きましょうか。『楽しい食卓、朝の食卓』というのです」
「ブログ?」
「インターネットのブログです。道新は北海道の人だけしか読めないけれど、
ブログは世界中の人が読むことができるのですよ」
「凄いね。英語で書かなくてもいいのかい?」
「世界は広いです。 まあ、日本語を読める人もいるんじゃないでしょうか」

泳ぎの苦手なピースケ君は、川に落ちて流されたのかな?

それとも、ボートに乗って遠くに行ったのかもしれない。

春になって池の氷が融けて、どこにも行けなくなったのかな?

木に登って洞に入ったのかも知れない。 ピースケ君にしては小さいね。

「これがピースケ君でしょ。もらわれたんですよ」
「どうかな~」
「風にも星にもなっていないでしょう。幸せに暮らしてますよ」
「そうかな~。淋しいねぇ」
「淋しいですね」
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ちゃちゃ nakapa さん、
近くの公園のベンチの下にピースケ君に良く似たネコさんがいましたよ。
風に乗って、全国行脚に出たのでしょうか。今度であったら、
「ピースケ!」って呼んでみましょう!
ちゃちゃさんへ
nakapa そうですね。呼んでみたらいいと思います。
知らない猫でも呼べば、こちらを向いてくれるから可愛いですね。
ホントにピースケはどこへ行ったやら。 私も淋しいですよ。
家猫さんになったのかしら?
朱庵 中島公園の野良ちゃんたちをナカパさんはたくさん写真撮っているのですね!
ナカパさんの優しい視線から、「ピースケ君」への思いが伝わってきました♪
今頃きっと家猫さんになってかわいがられているのではないでしょうか?と思いたいです。
猫を捨てるのも人間、救い上げるのも人間・・・
人間って勝手な生き物ですよね。
朱庵さんへ
nakapa 多分、誰かに飼われていると思います。
そうは思っても、自分が面倒見てなついていた猫が
突然いなくなるのは淋しいですね。
星になったと思いたい気持ちは分かります。
4m以上ある木の洞で育つ子猫には驚きました。
親が木登りしてエサを運んでいるそうです。
空見 nakapaさん、ゴブサタでした<(_ _)>
ピースケちゃん?どれがピーチャンなの~どれも可愛いらしい写真で、目移りがします(笑)
ラスト2枚が特に気に入りました。模様が同じだけど、木の祠の仔猫が大きくなって、その下のようになった?と見えてしまいます。判定を!
余りに可愛いので、お写真をいただきたいくらいですわ、プロマイドに♪祠の仔猫は価値があります。
うちに居るのは旅ちゃんという、三毛です。顔は {{ (>_<;) }}コワイ!!ですが、只一人のトモダチなんです。
空見さんへ
nakapa お久しぶりです。
投稿の小母さんにピースケ君を教えてもらっていないので分かりません。
それらしい、中島公園内で撮った写真を並べてみました。
よろしかったら、コピーしてください。
猫を飼っていらっしゃるのですね。可愛いでしょう。
コンサートのことだが、私は自由席が嫌いだ。 必ず席取り合戦が起こるからだ。 しかし、友だちが取っていてくれれば有難く座ってしまう、いい加減な人だ。
席取りを頼んだ覚えはないが、人の親切を無にすることは出来ない。
私は、ある行為を非難しながら、その果実だけはシッカリ頂いてしまう悪い人だ。 こういう人には席を取って上げない方がいいと思う。
ベートーベンの第九交響曲は自由席だった。 喘息もちなので、入口近くの端の席に座った。 こうすれば発作が起きても直ぐに席を立てるので安心だ。
楽しみにしていたコンサートだが、嫌なことが次々に起こった。
先ず、扉近くにいるレセプショニスト(会場案内係→会場係)が気になった。
前後の椅子間が狭いので、人が来たら座席シートを上げて立つことにした。
端に座っているので、人が来るたびに立たなければならないが、承知の上だから、それはそれでよい。
気に入らないのは、扉の近くに立っている会場係の態度だ。
人の動きを見極めないで、間違った指示を連発するのだから嫌になる。
開演前の楽しい気分が台無しだ。
私の横で立っている女性がいたが、ただ立っているだけで座る気配がない。
会場係は遠くから見て、私が彼女の通行を妨害していると誤解したらしい。
ツカツカと足早に寄ってきて、高飛車に言う。「通してあげて下さい」
人にものを言う前に、なぜ状況を確かめないのだろう。
当の女性に聞けば簡単に分かることだ。
通るとは思わないが、一応「どうぞ」と言って通れるように席を立つ。
私の予想通り女性は動かない。
「席を取ってあるので探しているの」と言ってキョロキョロしている。
その間、私は立ちっぱなしだ。
女性に通る意思がないと分かると、会場係は黙ってその場を離れてしまった。
なぜ注意しないのだろう。 ここは自由席、「とってある席」などないはずだ。
「自由席では、先着順に座って下さい」とか、最低限の指導はするべきだ。
一体、何を考えているのだろう。 どんな教育を受けているのだろうか?

園路の右側が札幌コンサートホール・キタラ。クロッカスは盛りを過ぎた。4/29
端の席に座っているときに、前を通る人が来たときは、席を立って通路に出ることにしている。 その方が通りやすいし、私も気持ちがいい。
今度は男性が来た。 小さな声で「すみません」といいながら近寄ってきた。
「通路に出ますね。その方が通り易いですから」と私。
「そうですか。有難うございます。少しよけますね」
とか話をしていると、先ほどの会場係がこちらを見て足早にやって来た。
こんどは何をやらかすつもりだろう。 悪い予感がした。
「通して上げて下さい」と言う。 狭い場内だ。立つ位置を考えてほしい。
男性は私を通路に出す為に、下がろうとしても後ろに彼女がいるから下がれない。 ここで叉、三つ巴のモタモタが始まった。 全く邪魔な人だ。
男性は体をかわして彼女を避けながら通路に下がり、私が通路に出易いようにしてくれた。 彼女には演奏が始まる前に2回も文句言われて、うんざりだ。
迷惑な会場係は、私たちの動きの邪魔をしたことに全く気が付かないようだ。
意気揚々と引き上げて行った。
自分が注意したから、私が立ち、男性が通れるようになったと思っているらしい。一仕事した満足感が態度に表れている。
この人は制服は着ているが本当にコンサートホールのレセプショニストだろうか?
どうして今回はこうなのだろう。 いつもは感じのいい人ばかりなのに。
この後にも、今までのコンサートで経験したことのない奇妙なことが次々と起こった。 演奏中に堂々とステージの前を歩く一風変わった、中年の女性がいた。
演奏が盛り上がってくると、こんどは、シートの背中をトントンとやられた。
何回もやられた。どうやら、靴で私の座席を蹴って拍子をとっているようだ。
極めつけは、合唱で一番盛り上がっているときに、私の前をコジ通る3人組のおばさんだ。 クライマックスの演奏がぶち壊しになった。
一体、何しにコンサートに来ているのだろうか?
演奏が佳境に入った頃に、帰る人がいるとは想像もしていなかったので、ビックリした。 もちろん、無言で座っている人の膝を押しながら通るのだ。
これが、一流のコンサートホールで、しかも地元では一番名の知られた交響楽団の演奏会でのことだとは、信じがたい。 演奏会は、数え切れないほど行ったが、こんなことは初めての経験だ。
次の日、友人に聞かれた。「第九どうだった?」
「散々でしたよ。こんなことは初めてです」と答えて、一部始終を話した。
「それは観客が悪いんだよ」
「私はなにも……」
友人は私を制して言った。
「観客が最悪だよ。それで係りの人はピリピリしているのさ」
「私は別に……」
「あんたが言ってたじゃないか。 演奏中にステージの前を歩く人はいる、演奏中に立ち上がってゾロゾロ帰る人はいる、座席を叩く人がいるとね。
他にもいろいろあったんじゃないの。 係りの人も忙しかったと思うよ」
なるほど。そうかも知れない。
席取りを頼んだ覚えはないが、人の親切を無にすることは出来ない。
私は、ある行為を非難しながら、その果実だけはシッカリ頂いてしまう悪い人だ。 こういう人には席を取って上げない方がいいと思う。
ベートーベンの第九交響曲は自由席だった。 喘息もちなので、入口近くの端の席に座った。 こうすれば発作が起きても直ぐに席を立てるので安心だ。
楽しみにしていたコンサートだが、嫌なことが次々に起こった。
先ず、扉近くにいるレセプショニスト(会場案内係→会場係)が気になった。
前後の椅子間が狭いので、人が来たら座席シートを上げて立つことにした。
端に座っているので、人が来るたびに立たなければならないが、承知の上だから、それはそれでよい。
気に入らないのは、扉の近くに立っている会場係の態度だ。
人の動きを見極めないで、間違った指示を連発するのだから嫌になる。
開演前の楽しい気分が台無しだ。
私の横で立っている女性がいたが、ただ立っているだけで座る気配がない。
会場係は遠くから見て、私が彼女の通行を妨害していると誤解したらしい。
ツカツカと足早に寄ってきて、高飛車に言う。「通してあげて下さい」
人にものを言う前に、なぜ状況を確かめないのだろう。
当の女性に聞けば簡単に分かることだ。
通るとは思わないが、一応「どうぞ」と言って通れるように席を立つ。
私の予想通り女性は動かない。
「席を取ってあるので探しているの」と言ってキョロキョロしている。
その間、私は立ちっぱなしだ。
女性に通る意思がないと分かると、会場係は黙ってその場を離れてしまった。
なぜ注意しないのだろう。 ここは自由席、「とってある席」などないはずだ。
「自由席では、先着順に座って下さい」とか、最低限の指導はするべきだ。
一体、何を考えているのだろう。 どんな教育を受けているのだろうか?

園路の右側が札幌コンサートホール・キタラ。クロッカスは盛りを過ぎた。4/29
端の席に座っているときに、前を通る人が来たときは、席を立って通路に出ることにしている。 その方が通りやすいし、私も気持ちがいい。
今度は男性が来た。 小さな声で「すみません」といいながら近寄ってきた。
「通路に出ますね。その方が通り易いですから」と私。
「そうですか。有難うございます。少しよけますね」
とか話をしていると、先ほどの会場係がこちらを見て足早にやって来た。
こんどは何をやらかすつもりだろう。 悪い予感がした。
「通して上げて下さい」と言う。 狭い場内だ。立つ位置を考えてほしい。
男性は私を通路に出す為に、下がろうとしても後ろに彼女がいるから下がれない。 ここで叉、三つ巴のモタモタが始まった。 全く邪魔な人だ。
男性は体をかわして彼女を避けながら通路に下がり、私が通路に出易いようにしてくれた。 彼女には演奏が始まる前に2回も文句言われて、うんざりだ。
迷惑な会場係は、私たちの動きの邪魔をしたことに全く気が付かないようだ。
意気揚々と引き上げて行った。
自分が注意したから、私が立ち、男性が通れるようになったと思っているらしい。一仕事した満足感が態度に表れている。
この人は制服は着ているが本当にコンサートホールのレセプショニストだろうか?
どうして今回はこうなのだろう。 いつもは感じのいい人ばかりなのに。
この後にも、今までのコンサートで経験したことのない奇妙なことが次々と起こった。 演奏中に堂々とステージの前を歩く一風変わった、中年の女性がいた。
演奏が盛り上がってくると、こんどは、シートの背中をトントンとやられた。
何回もやられた。どうやら、靴で私の座席を蹴って拍子をとっているようだ。
極めつけは、合唱で一番盛り上がっているときに、私の前をコジ通る3人組のおばさんだ。 クライマックスの演奏がぶち壊しになった。
一体、何しにコンサートに来ているのだろうか?
演奏が佳境に入った頃に、帰る人がいるとは想像もしていなかったので、ビックリした。 もちろん、無言で座っている人の膝を押しながら通るのだ。
これが、一流のコンサートホールで、しかも地元では一番名の知られた交響楽団の演奏会でのことだとは、信じがたい。 演奏会は、数え切れないほど行ったが、こんなことは初めての経験だ。
次の日、友人に聞かれた。「第九どうだった?」
「散々でしたよ。こんなことは初めてです」と答えて、一部始終を話した。
「それは観客が悪いんだよ」
「私はなにも……」
友人は私を制して言った。
「観客が最悪だよ。それで係りの人はピリピリしているのさ」
「私は別に……」
「あんたが言ってたじゃないか。 演奏中にステージの前を歩く人はいる、演奏中に立ち上がってゾロゾロ帰る人はいる、座席を叩く人がいるとね。
他にもいろいろあったんじゃないの。 係りの人も忙しかったと思うよ」
なるほど。そうかも知れない。
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こまどり そうでしたか~、折角のコンサートが散々でしたね。私も、「席とり」は好きではないんですよ。
その、係員に文句をいって、叱りとばしてやりたいですね。多分、アルバイトか、若い奴なんでしょうね。
公衆道徳
匿名希望のH お久し振りです、まだ生きておりました。(^_-)-☆
まず会場係は、全般を見渡して適切な指示をする能力に欠けていたのでしょう。無能な人間に腹を立てず、上から目線で我慢しましょう!
次に、公衆道徳は世界各国に比して日本は最悪です。
「他人にされて不愉快に感じることはするな!」これが守られていない。
原因は教育でしょう?特に、家庭での躾教育が欠落しているからでしょう?
アメリカの心理学者は、「叱らずに褒めよ!」と言う。しかし、哲学者ニーチエは、「愛するが故にののしる!」とも言ってます。私は後者を支持します。
ちゃちゃ nakapaさん、おはようございます。
東京は気持ちいの良い朝です。連休中はこのような五月らしいお天気が続くようです。
私も指定席が好きです。開演の十分前くらいに会場に着いて、トイレを済まし、席に着けばいいのですから。希望が通るときは通路側にします。奥の人のために立つことはいといません。
自由席で友人が「席とってあるわよ」といってくれても、丁寧に断り、自分の好みの席に座ります。
基本的に、お芝居やコンサートは一人がいいです。休憩時間の「おしゃべり」は気分を壊します。
私はわがままでしょうかねえ。
受身の功罪
気ままな人 功罪などと書くほど大袈裟なことではないのですが・・・
嘆く前に、思い込み激しい会場係りさんに、お伝えしてみるのはいかが?
あなたの状況を。
話さなければ伝わらないことって、多いですよね。
一言話しただけで、伝わることもありますよね。
優しさの受身から、相互理解の受身も時にはあってもいいかな?
でもお金を払ってコンサートをいい環境で聴くために出かけられているのですものね・・・。
会場のフロアマスターに、改善を促すことも・・・。
演奏中の聴衆の態度、後ろの方へ、振り向いてちょっと手で合図なさるだけでも、きっと、止まると思いますよ♪
と、其の場にいない、気ままな人の呟きです。
こまどりさんへ
nakapa はい、散々でした。
こんなことは今までなかったし、これからも無いと思います。
いろいろなことが一度に起こり、ただ驚いていました。
匿名希望のHさんへ
nakapa お久しぶりですが、いつも鋭いご意見ありがとうございます。
そのときは我慢するのですが、後のなってクドクド書く私の性格も悪いです。
いつの世でも、教育が一番大切ですね。子供の頃の教育が特に大切と思います。
家庭でも厳しい躾教育が足りません。実は私も厳しくなかったです。反省します。
ちゃちゃさんへ
nakapa おはようございます。札幌も久しぶりで暖かい爽やかな朝です。
本当に音楽や観劇を楽しむなら、一人で行く方がいいと思います。
いつも連れ立って行くことが多いのですが、この日は一人で行きました。
コンサートホールの近くに住んでいるので、よく行くのですが、こんなことは初めてでした。
いつもと雰囲気が違うことは、入る前から感じていました。
しかし、思ったよりひどかったですね。
気ままな人さんへ
nakapa このような経験は初めてなので、そのときは驚いたり、腹が立ったり、
心の中で、うごめいているだけでした。
後になってだんだん悔しくなって書きたくなりました。情けないですね。
私はブログを心のうさの捨て所のように、使っているところがあります。
公害ならぬ口害をばら撒いているような気がします。
しかし、これでストレスは完全解消。いつも優しい気持ちで暮らせます。
ご迷惑をかけた皆様にお詫びし、感謝します。
時々、こぴっどく叱られることもありますので、カンベンしてください。
フラダン 不愉快な気持ち、良く判ります。私も同じような経験した事があります、
後ろの席で公演中にペチャクチャおしやべりするご婦人に、
最初はそのうちに止むだろうと思っていたがいっこうに止むどころか、
ハミング迄しだして「スミマセン、静かにしていただけませんか、、?」と
耐え切れずに注意したらピタッと止まりましたよ、会場係りさんも、
自分の仕事に一生懸命で、状況判断してないと思いますので、
チャンと意思を伝えるべきと思います、ナカパさんは損してます。
のん子 自由席、私もキライです。
もう2度と行かないと決めたところも有ります(笑)
映画館でも前の席を蹴らないで、とか、お喋りはしないで、とか常識の範囲内のことを注意しています。
日本の社会全体に常識のない方が増えているんだと思います。
差別するつもりはないのですが、昔はクラシックコンサートはお行儀良くしなければって思いもあって、それなりに覚悟もしつつ聞きに行ったものですが、今は出入り自由な歌謡コンサート並みになっているような?
こう言う行為は止めましょうと、しつこく放送しなければならないのかも知れません(汗)
ものごとは踏み出しが肝心だ。これを間違えれば、その先が上手く行くはずがない。 ニャンコ救出大作戦の「ニャンコ助け隊長」は、これを間違えてしまった。
彼は島に残された親子猫2匹が、餓死するものと考え、万難を排してボートで救出することを決意した。 愚かにも、猫は泳げないと断定したのだ。
しかし、これは大きな誤算だった。 猫の親子は隊長の心配をよそに、泳いで島を出て行ってしまった。 隊長のニャンコへの愛は報われなかった。
ニャンコの気持ちの「北島のニャンコ」の言うとおりになってしまった。 人間の浅はかな知恵は、当事者である猫の本能に遠く及ばない。 「必死の救出劇」も、当の猫にとっては、ありがた大迷惑だったのである。
私なら、隊長の気持ちを有難く受け止め、お別れの挨拶ぐらいはして行くのだが、義理も人情もないニャンコどもだ。
9月の初旬、「北島」は草刈り作業で丸坊主になった。 そこには2匹いるはずの猫の姿がない。 保健所に連れて行かれたのかも知れない。 心配だ。

「草刈機で刈ったのでしょう。猫は音に驚いて逃げたはずよ」
猫に詳しいHさんは言った。
「泳げるのですか?」
「危険が迫れば、必死になって泳ぐわよ。まず親猫が飛び込めば、子猫は必ずついて行くの…」
なるほどと思った。 作業員は草を刈るのが仕事だから、猫の保護など考えないだろう。 逃げる猫を捕まえるのは大仕事だ。
さっそく裏を取るための聞き込みを始めると、次のことが分かった。 8月の下旬に猫が泳いで島を脱出したのを、見た人がいる。
草刈作業が入った頃は、島は既にもぬけの殻だった。 その後猫は、親子で森の中でひっそりと暮らすことになった。 親は黒、子は茶色だ。 どなたが作ってくれたのか、発泡スチロール製の猫小屋も用意されている。

察するところ、母猫は子猫が安全に泳ぎ渡れるようになるまで待っていたのだろう。 泳ぎきるには、それなりの体力が必要だ。
元気に育てるための餌は、おばちゃんに頼っていたようだ。 可愛いニャンコの為に一生懸命、島に向って餌を投げた。
おばちゃんの投げた餌が、島まで届かないで池にポチャンと落ちてしまう。
それを見かねたおじちゃんが、代わりに投げてやる。
そんな二人がベンチでささやくようになったとしても不思議ではない。
「北島の猫」の取材中に出合った小さなドラマ。
夜空に星あり、片隅の人生にもオマケあり。
「フィクションと言ってたのに、今さら実録とはなんだ!」
と、友人Aさんは不満顔だ。
「気が変わりました。事実として公開します」
「そんないい加減なことでいいのか」
「これが民主主義国家のルールです」
「困ると、直ぐ屁理屈いうんだな」。 酔ったのか、言うことがキツイ。
「秘匿が必要な外交文書でさえ、年月がたてば公開しなければなりません」
「そんな法律どこにある?」
「アメリカには一定の基準があります」
「ここは日本だぞ」
「政権も変わったことだし、良いことは見習うべきです」
「思い出した。アメリカでも、30年たたなきゃ公開しちゃあダメとか、テレビで言ってたよ。 あんたのフィクションは、2か月しかたってないじゃないか。 早すぎるぞ!」
「秘密には段階があるのです。高い順に機密、極秘、秘、部外秘です。この件は部外秘に当たります。 秘匿度が高ければ、守秘期間は長くなり、逆に低ければ短くなるのです……」。飲むと、つい饒舌になる私。
「そうかい」と、Aさんはそっけない。
「守秘義務と情報公開……」
「歌おうか」
「カラオケですか。いいですね」
「…有楽町であいましょう♪」。 おおっ! これぞ秘密の合言葉。
「いい歌ですね。そのワンフレーズが部外秘なのです」
「しつっこいぞ。 その話はおしまいだ」
「どうぞ、歌って下さい」
「…あなたと私の合言葉~♪ 有楽町であいましょう♪」
「その合言葉こそ部外秘です。秘匿期間は短く、婚約発表までですね」
「分かったよ。二人の仲は婚約発表までは秘密なんだろう」
「二人だけの秘密。これは部外秘の一種。秘匿期間は短かくていいのです」
「だからどうした」
「ですから、 私の書いたフィクションなど、好きな時に実録に変えてもいいのです」
「相変わらず、いい加減だな」
「ぬる燗です。 どうぞ」と、酌をする。
「おっ、とっとっと…」
「良い加減になっています。熱くも冷たくもありません。」
彼は島に残された親子猫2匹が、餓死するものと考え、万難を排してボートで救出することを決意した。 愚かにも、猫は泳げないと断定したのだ。
しかし、これは大きな誤算だった。 猫の親子は隊長の心配をよそに、泳いで島を出て行ってしまった。 隊長のニャンコへの愛は報われなかった。
ニャンコの気持ちの「北島のニャンコ」の言うとおりになってしまった。 人間の浅はかな知恵は、当事者である猫の本能に遠く及ばない。 「必死の救出劇」も、当の猫にとっては、ありがた大迷惑だったのである。
私なら、隊長の気持ちを有難く受け止め、お別れの挨拶ぐらいはして行くのだが、義理も人情もないニャンコどもだ。
9月の初旬、「北島」は草刈り作業で丸坊主になった。 そこには2匹いるはずの猫の姿がない。 保健所に連れて行かれたのかも知れない。 心配だ。

「草刈機で刈ったのでしょう。猫は音に驚いて逃げたはずよ」
猫に詳しいHさんは言った。
「泳げるのですか?」
「危険が迫れば、必死になって泳ぐわよ。まず親猫が飛び込めば、子猫は必ずついて行くの…」
なるほどと思った。 作業員は草を刈るのが仕事だから、猫の保護など考えないだろう。 逃げる猫を捕まえるのは大仕事だ。
さっそく裏を取るための聞き込みを始めると、次のことが分かった。 8月の下旬に猫が泳いで島を脱出したのを、見た人がいる。
草刈作業が入った頃は、島は既にもぬけの殻だった。 その後猫は、親子で森の中でひっそりと暮らすことになった。 親は黒、子は茶色だ。 どなたが作ってくれたのか、発泡スチロール製の猫小屋も用意されている。

察するところ、母猫は子猫が安全に泳ぎ渡れるようになるまで待っていたのだろう。 泳ぎきるには、それなりの体力が必要だ。
元気に育てるための餌は、おばちゃんに頼っていたようだ。 可愛いニャンコの為に一生懸命、島に向って餌を投げた。
おばちゃんの投げた餌が、島まで届かないで池にポチャンと落ちてしまう。
それを見かねたおじちゃんが、代わりに投げてやる。
そんな二人がベンチでささやくようになったとしても不思議ではない。
「北島の猫」の取材中に出合った小さなドラマ。
夜空に星あり、片隅の人生にもオマケあり。
「フィクションと言ってたのに、今さら実録とはなんだ!」
と、友人Aさんは不満顔だ。
「気が変わりました。事実として公開します」
「そんないい加減なことでいいのか」
「これが民主主義国家のルールです」
「困ると、直ぐ屁理屈いうんだな」。 酔ったのか、言うことがキツイ。
「秘匿が必要な外交文書でさえ、年月がたてば公開しなければなりません」
「そんな法律どこにある?」
「アメリカには一定の基準があります」
「ここは日本だぞ」
「政権も変わったことだし、良いことは見習うべきです」
「思い出した。アメリカでも、30年たたなきゃ公開しちゃあダメとか、テレビで言ってたよ。 あんたのフィクションは、2か月しかたってないじゃないか。 早すぎるぞ!」
「秘密には段階があるのです。高い順に機密、極秘、秘、部外秘です。この件は部外秘に当たります。 秘匿度が高ければ、守秘期間は長くなり、逆に低ければ短くなるのです……」。飲むと、つい饒舌になる私。
「そうかい」と、Aさんはそっけない。
「守秘義務と情報公開……」
「歌おうか」
「カラオケですか。いいですね」
「…有楽町であいましょう♪」。 おおっ! これぞ秘密の合言葉。
「いい歌ですね。そのワンフレーズが部外秘なのです」
「しつっこいぞ。 その話はおしまいだ」
「どうぞ、歌って下さい」
「…あなたと私の合言葉~♪ 有楽町であいましょう♪」
「その合言葉こそ部外秘です。秘匿期間は短く、婚約発表までですね」
「分かったよ。二人の仲は婚約発表までは秘密なんだろう」
「二人だけの秘密。これは部外秘の一種。秘匿期間は短かくていいのです」
「だからどうした」
「ですから、 私の書いたフィクションなど、好きな時に実録に変えてもいいのです」
「相変わらず、いい加減だな」
「ぬる燗です。 どうぞ」と、酌をする。
「おっ、とっとっと…」
「良い加減になっています。熱くも冷たくもありません。」
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ちゃちゃ 待っていました、nakapa さん!
舞ってしまいました、ちゃちゃばあば!
フィクションというのは、実録も含めていいのです。が、ノンフィクションは実録だけでなくてはいけないのです。そして、フィクションの中の実録は事実でなくてもいいのです。そう思います。
ネコの第三話も待ち遠しいですが、「ベンチでささやく二人」のその後の話の方がもっと気になります。もちろん、フィクションでいいのですが…。
のん子 ニャンコ物語、良いお話でした~♪
私も事実でもフィクションでも、どちらでも構いません
小説でも事実を膨らませていると思われますし。
秘匿期間が有ったなんて知りませんでした(汗)
でもアメリカが公開してるのに日本が拒否してるのは可笑しなものです
何でも情報公開して良いものでもないでしょうが、騙されてたって余り気持ちの良いものでも・・・
イチゴとリンゴの館 相変わらず平和なお話しに吸い込まれて読みましたよ
猫ちゃん幸せですね!
皆さんにこんなに愛されて・・・黒猫だったんですか~
私 黒猫を拾って18年間共に過ごしました・・・
黒猫は福を呼ぶそうですよ!私?福を沢山貰いました・・・(^_-)-☆
ちゃちゃさんへ
nakapa そうなんですか。勉強になりました。フィクションと実録、それにノンフィクション。
「ベンチでささやく二人さん」の男性の方から、情報をもらっています。
聞いたら直ぐ、写真を撮りに現場に行って、他の人の話を聞いて、大分たってから、
元の場所に帰ったら、まだ二人で話をしているのです。それから鴨に餌を
やっている女性と片羽のない子鴨の話を聞いて、家に帰ろうとすると、
まだ、お二人さんは話中です。 それで、余計なことを考えてしまいました。
のん子さんへ
nakapa 良いお話でしたか、有難うございます。 私もほんわかとしたものを
感じながら書きました。
外交交渉などは、どうしても秘密にしなければならないことがあります。
しかし、永久に秘密のままでは闇に葬ったのと同じです。
30年とか、ある期間を過ぎたら明らかにすることは重要と思います。
交渉当事者も明らかにすることによって、その後の推移を勘案しながら
自分の正しさを証明できるのです。
イチゴとリンゴの館さんへ
nakapa 中島公園のニャンコは幸せですね。みんなに面倒みてもらっているし、
島に残されたと言って、大騒ぎ。 SSNの人までボートに乗って救出にに行く
とか言ってましたよ。
黒は多いですね。ここの猫を支配しているのは「ボスグロ」と呼ばれている黒猫です。
その血統とかいう噂です。皆で福をもらえるといいですね。
フラダン 猫ちゃんのお話、凄くホッとして読みました。
「夜空に星あり、片隅の人生にオマケあり」には笑えました!
グリーンの部分は「ウンーなるほどなるほど」でした、熱くもなく、冷たくもなく、
良い加減の文章です、、、結構可笑しくって、、、(^o^)丿
おーりーおばさん ネコちゃんのお話、心があったかくなりました。
ネコの世界でも親の愛情は深いですね。
中島公園の紅葉が始まっていることでしょう。
北国の紅葉は一段ときれいですね。
信州も紅葉が始まりました。
これからしばらく秋を楽しめると思うと
幸せです。
フラダンさんへ
nakapa 私もホッとしましたね。ともかく無事に新居に移ったのですから。
今回、猫は泳げると聞いたので、公園でいつも顔を見る人や、ヒマそうな人
にいろいろ聞いて回りました。その結果をブログに書きました。
他人から見たら、公園をうろついて話しかける私が、一番ヒマそうに見えたでしょうね。
おーりーおばさん へ
nakapa 動物の世界では、母親の愛情は絶対ですね。
よく知らないのですが、そう感じるのです。
鴨も母となると、猫にも向っていくし、
子を守るためには、恐れを知らないように見えます。
札幌は平地でも紅葉が始まりました。秋は私の一番好きな季節です。

20杯の「中島パフェ」。 並べて見れば壮観ですね。
不器用だから、ものを作るのが苦手だ。 ホームページ(HP)「中島パフェ」も私の代わりに誰かに作ってもらいたかったが、そうは行かなかった。
しかし、美味しい「中島パフェ」は、中島公園に隣接するホテル、ノボテル札幌で作ってもらえた。 私にとっては夢のような出来事である。
パフェのことは後回しにして、先ずは、未だに実現していないこと。HP「中島パフェ」を、他人様に作ってもらおうと言う、厚かましい話から始めたい。
ホームページ作成の苦労話
10年以上ウェブサイトを運営しているAさんは言う、「ホームページはコンテンツが全て。 それと更新が大切だ。 デザインなんかは、分かるように書いてあればそれでよい」。
「デザインは大切でしょう!」と反駁すると。
「大切だから、あんたがやったらダメなんだ」と言われては、返す言葉もない。
「そりゃあそうですが、外注するお金はありません」
「金は要らんのだ。 コンテンツさえ良ければ、誰かが作らせて下さいと、言ってくるものだ」
「誰かって、だれですか?」
「ウェブデザイナーを目指して勉強中の学生だ。 実際のホームページを作成して、運営してみたいと思っている人もいるのだ」
「なるほど」
「作りたいけどコンテンツがない学生も多いんだよ」
「その気持ち、なんとなく分かります」
「実績にしたいので、誰もがコンテンツの良いものを狙っているんだ」
「そして、デザインの悪いもの」
「当たり!」
言うだけあって、Aさんのホームページのデザインは稚拙だが、内容は素晴らしい。 そのホームページ・デザインが、ある日突然豹変したのだ。
まるでプロが作ったようなページだ。「Aさん、ついにやったな」と思った。
コンテンツに惚れて、代わりに作ってくれる人が現れたのだ。
なるほど、「情報の内容」が大切なのだな。それと更新をこまめにやることだ。 自分なりの方針が立ったような気がした。 しかし、結果は思わしくなかった。
良質のコンテンツなど、口で言えば一言だが、手に入れるのは至難の技だ。 私には不可能のように感じた。 結局、更新を頻繁に繰り返すことになった。
結果としてページ数が増え、それに比例して修正すべき、間違いが増えてしまった。 今では修正の為の更新に追われている始末だ。 これでは本末転倒である。
甘いか辛いかパフェの評価
一方、美味しい「中島パフェ」の方はどうなったかというと、こちらは大成功。
私さえ手を出さなければ、何事もうまく行くのだ。
優しく美しく親切な人が、「『中島パフェ』を楽しむ会」を開いて下さった。 私は何もしないで、ちょこんと座っていればいいと言うのだ。
ここが肝心だ。 私が動けば、ろくなことはない。 しかし、写真だけは撮らせてもらった。 ここに載せるためだ。

カフェ・セゾンの一角を埋め尽くした「中島パフェ」を食べる会の20人。
「中島パフェを楽しむ会」には20名も参加してくれた。 このパフェが20個並ぶチャンスは、今を除いて一生ないと思う。 撮らなければならないのだ。
宴もたけなわの頃、私が二言三言話すと、席を立ち上がる人も出て、流れ解散の方向に動き出した。
「ちょこんと座っていればいい」という一言を思い出したが、もう遅い。 流れ出した水は止まらない。 やはり、私は何もしない方がいいのだ。
「中島パフェ」の感想を最初に書いてくれたのはficoさんだった。ドリムズカムツルーのコメントの最後の方に、こう書いてあった。
「いやぁ~、とろりんピスタッチオアイスクリームとチーズクリームと
フランボワズのソースのおいしいこと。
底のフレークチョコレートソースからめの部分は、フレンチローストのコーヒーで・・・。 おかげさまで、ひっさびさにパフェ堪能いたしました」

こんな列がもう一つあり、20人が一度に「中島パフェ」を食べた。
とても美味しいということだろうと思うが、外国語が分からない。 しかし、目の前で食べているお仲間の感想は、すぐに理解できた。 フムフム、なるほど、みんな私が悪いのだと反省した。
「アンコが無いじゃない」
底の方を食べながら「これアンコじゃないじゃないわ」。
こんな話が飛び出すのは、私が「ドリムズカムツルー」に書いた小倉パフェの感想が、誤解を与えたのだと思う。
「札幌駅地下にあるパーラーの『小倉パフェ』が大好きだった。
アンコとカステラが入っているのが特徴だ。ボリュームもたっぷりある。
アンコを食べ終わると、カステラが出てくる、それを食べ終わって、
もっとアンコがほしいと思っていると、最後にちゃんとアンコが入っているのだ」
ところで、このパーラーの「小倉パフェ」は、もう売っていない。 こうして、私の一番好きなパフェは、「中島パフェ」になったのである。
もはや、一杯で二度美味しいアンコの小倉パフェはない。 申し訳ないけれど、アンコのことは諦めてほしい。
パフェだけに、あま~い感想が多かったが、このような辛いのも少しはある。 お汁粉の中の塩のようなものだ。 ますます美味しくなるだろう。
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フラダン 「中島パフェ」のホームページ素晴らしいです!、
あれだけの物を更新するのですから、それなりのご苦労もおありと思います、
本物の「中島パフェ」も美味しかったですよ、パフエが引き寄せた集いに意味があるのです
楽しい事はよりいっそう美味しいのです!ナカパさんお勧めの『小倉パフェ』
もう無いなんて残念です!
OSS025 都合で参加できなくて残念です。
OSSで利用している施設の近くにファミリーレストランがあって、よく誘い合って大勢で行くのですが、全員がパフェを注文します。
この時とばかりに男性も堂々とパフェを食べられます。
沢山のパフェのオンパレードは壮観です。
でもこの20個の中島パフェには到底及びません。
写真では、男性の姿が見られませんね。
フラダンさんへ
nakapa 有難うございました。
「パフエが引き寄せた集いに意味があるのです 」
私も、そう思って皆さんには感謝しています。
よつ葉の小倉パフェは、しばらく食べていないので、札幌駅に行った
ついでに、寄ってみたら無くなっていました。
係りの話では「抹茶パフェに進化したそうです」
OSS025さんへ
nakapa コメント有難うございます。
OSSさんではパフェを食べによく行かれるのですか、それはいいですね。
男性のパフェファンは、結構多いのです。「男パフェ」とか「パフェ推進委員会」
あるいは「ジャンボパフェ制覇」とか、いろいろあります。
変わり種は「トンカツパフェ」「納豆パフェ」など、ファンはきりがありません。
今回の男性の参加は、私を含め2名のみ、いずれも中島公園近所の住民です。
おーりーおばさん 20個の中島パフェの写真、壮観です。
あ~食べた~い。いろどりも見事です。
ホームページは今、奮闘中です。
自分で作れるようになったらどんなに楽しいでしょう。かっこよくなくてもいいから作れるようになりたい。
デザインがある日豹変!わたしもそんな日を夢みて
がんばろう。
イチゴとリンゴの館 こんにちは~「中島パフェ」おいしそう・・・(^_-)-☆
考えましたんですよ・・・小樽から~どうしょう?
20個の写真凄いですね~アートですね。
それにしてもなかぱさん凄い~「中島パフェ」まで
作っちゃうんですね・・・\(◎o◎)/!
hama 当時・・もう5年以上になりますかね。
その時から立派なホームページだと感心しています。
中島パフェは本当に美味しそうです。
良いお仲間さんに恵まれていらっしゃるんですね。
それにしても女性は何時も元気ですね~
食べてお喋りは私も最良の気分転換と健康の源になっています。
おーりーおばさん へ
nakapa >デザインがある日豹変!わたしもそんな日を夢みて
これにつきましては、後日談があります。
ある日、叉ホームページデザインが豹変したのです。こんどは悪い方に変わりました。
聞いてみると、一方的に止められてしまったそうです。 その後、ホームページには戻れず、
現在はブログでやっています。
イチゴとリンゴの館さんへ
nakapa お気持ちだけで十分です。 小樽は遠いですからね。
実は、私も小樽のイベントに何回も行きたく思ったことあるのですが、
遠いなと思って未だに参加しないでいます。
「中島パフェ」は、そろそろパフェをやってみようか。という気運が
ホテル側にあったようです。タイミングが好かったのだと思います。
hamaさんへ
nakapa 開設からは6年たちました。 「中島パフェ」はホントに美味しかったです。
私も、よい仲間と出会えたと思っています。 男性の方がちょっとだけ多いのですが、
今回はパフェということで、男性の参加は中島公園近所の住民だけに留まりました。
と言っても、私を含め二人だけです。
女性はホントに元気です。 今回も女性の世話役さんにすっかりお世話になってしまいました。
<前編> こちらをクリック→ニャンコ救出大作戦
<後編> ニャンコの気持ち
北島に取り残されネコの救出活動に全力を尽くす「ニャンコ助け隊長」に、
思わぬ試練が…、
「隊長! 大変です」
「なんだ。 朝っぱらから騒々しいな」
「北島のニャンコが文句言ってます」
「なんだと、ネコの分際で口をきくとは生意気な」
「メールが来たんです」
「なに! ニャンコが携帯?」
「パソコンです。プリントアウトして持ってきました」
「よ~し、読め」
「北島のニャンコより、 私たちを助けるという迷惑救出隊長に告ぐ!
大和市武蔵公園に捨てられた私たちは、池の北島に生活の場を見付けた。 北国の厳しい冬を越せたのも、島の大木の洞と餌になるドブネズミのお陰だ。
最近は猫好きのおばちゃん達の食料の支援も受けて、快適とはいえないけれど、なんとか子猫を産み育てるようにもなった。
ところが、ニャンコ救出隊という有難迷惑な人間たちが現われて、我々を北島から追い出す行動に出ている。 我々にとって北島は苦心して見付けた生活の場である。
人間が我々を飼うなどの、生活保障なしに、救出などという追い出し行動をしないでほしい。
我々は泳ぎは好きではないけれど、泳げないわけではない。 北島を脱出したければ、子猫も大きくなった事だし、いつでも実行出来る。
最近は対岸から餌を投げ込んでくれる人もいて、北島には餌を包むビニール袋が散乱してゴミの島みたいになっている。
捨てられた我々は、静かに細々と暮らしている。 憐れんで支援してくれる気持ちはうれしいが、これ以上騒ぎ立てて暮らしにくくして欲しくないものだ。
そのうちに行政が我々を捕獲しに来るかも知れない。 恐怖さえ感じるようになってしまった」(「中島パフェ」掲示板より転載、投稿:北島のニャンコ)

以上の論点を整理し、対立点などを書き出すと次の通り。
現状認識
隊長:ネコは意思に反して北島に閉じ込められた。
ネコ:新天地を求めて北島に渡って来たのだ。
食料
隊長:北島にネコ2匹分の食料はないので、いずれ餓死する。
ネコ:好物のドブネズミを食べている。おばちゃんたちの食料支援も届いている。
住居
隊長:ダンボールが必要。
ネコ:大木の洞で越冬し、子育てもした。心配無用である。
救出活動
隊長:飢餓の北島より救出することがネコたちを救う唯一の道。
ネコ:隊長は生活の場である北島から、私たちを追い出そうとしている。
生活保障
隊長:緊急の課題は、ネコを飢餓の北島より救出すること。
ネコ:飼い主を確保するなど、生活保障とセットでなければ島を出ない。
泳げるか?
隊長:ネコは泳げない。島に取り残された。
ネコ:好きではないが、泳げる。 北島を脱出したければ、いつでも出来る。子猫も大きくなっている。
エサ投げ作戦
隊長:とりあえずの、食料補給。命のエサだ。
ネコ:ビニールが散乱し、ゴミの島になってしまった。
ニャンコ救出支援要請
隊長:ネコ救出の為には多くのボランティアの支援が必要。
ネコ:人に知られれば知られるほど、暮らし難くなっている。 行政に知られたら、捕獲にくるのではないかと、恐怖を感じている。
<以上、論点・対立点>
隊長とニャンコの意見が真っ向から対立している。 騒ぎ立てて世間の注目を浴びれば、行政に知られ捕獲されるというニャンコの気持ちは分かる。
しかし、広く世間に知られたため、飼い主が見つかったり、処分されなかったりする例も多い。 情報公開した方が生きる可能性が高くなるのではないだろうか。
<お粗末ですが、コントです>
「ネコがメールを書けるわけないじゃないか」
「一概にそうとは言えないと思います」
「なんで」
「例えば、胃の検査するとき、内視鏡を使いますね。 胃袋に入るのは内視鏡ですが、診る医者は外にいます」
「地球上のネコが手足で、それを制御している、頭のいいネコが宇宙にいると言うんだな」
「そうなんです。 ネコの司令塔から情報が走り回っているのです」
「クロネコヤマトのメール便のようにか?」
<後編> ニャンコの気持ち
北島に取り残されネコの救出活動に全力を尽くす「ニャンコ助け隊長」に、
思わぬ試練が…、
「隊長! 大変です」
「なんだ。 朝っぱらから騒々しいな」
「北島のニャンコが文句言ってます」
「なんだと、ネコの分際で口をきくとは生意気な」
「メールが来たんです」
「なに! ニャンコが携帯?」
「パソコンです。プリントアウトして持ってきました」
「よ~し、読め」
「北島のニャンコより、 私たちを助けるという迷惑救出隊長に告ぐ!
大和市武蔵公園に捨てられた私たちは、池の北島に生活の場を見付けた。 北国の厳しい冬を越せたのも、島の大木の洞と餌になるドブネズミのお陰だ。
最近は猫好きのおばちゃん達の食料の支援も受けて、快適とはいえないけれど、なんとか子猫を産み育てるようにもなった。
ところが、ニャンコ救出隊という有難迷惑な人間たちが現われて、我々を北島から追い出す行動に出ている。 我々にとって北島は苦心して見付けた生活の場である。
人間が我々を飼うなどの、生活保障なしに、救出などという追い出し行動をしないでほしい。
我々は泳ぎは好きではないけれど、泳げないわけではない。 北島を脱出したければ、子猫も大きくなった事だし、いつでも実行出来る。
最近は対岸から餌を投げ込んでくれる人もいて、北島には餌を包むビニール袋が散乱してゴミの島みたいになっている。
捨てられた我々は、静かに細々と暮らしている。 憐れんで支援してくれる気持ちはうれしいが、これ以上騒ぎ立てて暮らしにくくして欲しくないものだ。
そのうちに行政が我々を捕獲しに来るかも知れない。 恐怖さえ感じるようになってしまった」(「中島パフェ」掲示板より転載、投稿:北島のニャンコ)

以上の論点を整理し、対立点などを書き出すと次の通り。
現状認識
隊長:ネコは意思に反して北島に閉じ込められた。
ネコ:新天地を求めて北島に渡って来たのだ。
食料
隊長:北島にネコ2匹分の食料はないので、いずれ餓死する。
ネコ:好物のドブネズミを食べている。おばちゃんたちの食料支援も届いている。
住居
隊長:ダンボールが必要。
ネコ:大木の洞で越冬し、子育てもした。心配無用である。
救出活動
隊長:飢餓の北島より救出することがネコたちを救う唯一の道。
ネコ:隊長は生活の場である北島から、私たちを追い出そうとしている。
生活保障
隊長:緊急の課題は、ネコを飢餓の北島より救出すること。
ネコ:飼い主を確保するなど、生活保障とセットでなければ島を出ない。
泳げるか?
隊長:ネコは泳げない。島に取り残された。
ネコ:好きではないが、泳げる。 北島を脱出したければ、いつでも出来る。子猫も大きくなっている。
エサ投げ作戦
隊長:とりあえずの、食料補給。命のエサだ。
ネコ:ビニールが散乱し、ゴミの島になってしまった。
ニャンコ救出支援要請
隊長:ネコ救出の為には多くのボランティアの支援が必要。
ネコ:人に知られれば知られるほど、暮らし難くなっている。 行政に知られたら、捕獲にくるのではないかと、恐怖を感じている。
<以上、論点・対立点>
隊長とニャンコの意見が真っ向から対立している。 騒ぎ立てて世間の注目を浴びれば、行政に知られ捕獲されるというニャンコの気持ちは分かる。
しかし、広く世間に知られたため、飼い主が見つかったり、処分されなかったりする例も多い。 情報公開した方が生きる可能性が高くなるのではないだろうか。
<お粗末ですが、コントです>
「ネコがメールを書けるわけないじゃないか」
「一概にそうとは言えないと思います」
「なんで」
「例えば、胃の検査するとき、内視鏡を使いますね。 胃袋に入るのは内視鏡ですが、診る医者は外にいます」
「地球上のネコが手足で、それを制御している、頭のいいネコが宇宙にいると言うんだな」
「そうなんです。 ネコの司令塔から情報が走り回っているのです」
「クロネコヤマトのメール便のようにか?」
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フラダン 人の気持ちを推し量る事は難しいですね、、、ア!そうです、、猫の気持ちもです、目は口ほどに
物を言うというけど、動物はあまり目を見られるのは、得意じゃないみたいね、
やっぱり泣き声で判断するしかないのかなぁ~、でも猫なで声出してないから
救出は望んでないのかも知れませんね、「クロネコヤマトのメール便」にはこけました。(笑い)
こまどり 猫の気持ちおもしろ~いでした。我輩は猫であるの 2弾めですねー。またまた、最後のクロネコヤマトで 落ちをつけるところなど、心憎いぐらい、うまいですね。
nonko-mn ウ~ン唸りますなぁ~~。
内視鏡まで出て来ますか・・・字は書けなくても目で訴える・・・成る程成る程。
飼い猫はそうですけれど・・・ノラちゃんもそうなんですねぇ。
凄い観察力・・・・。
ちゃちゃ なかぱさま
待ってましたの第二章!ネコの司令塔、信じます。毎夜、全国で猫会議を開くのだって、司令塔いる総司令官からの指令によるものです。しかるべくは、自然のせつりに従うのが一番ということもその司令官は良くご存知かと思っています。さあ、第三章はいかにか、期待して待ちましょう。
おーりーおばさん ネコがしゃべれたらなんというでしょうか。
動物と人の関係は難しいですね。
きっとよかれと思ってやっていることが、動物に
とって迷惑なこと、たくさんあるのでしょうね。
イチゴとリンゴの館 猫の気持ち・・・と人間の救出作戦とかみ合わないかも・・・ね~
猫ちゃん可愛そうだけど・・・どっちが幸せか?
分かりませ~ん(@^^)/~~~
フラダンさんへ
nakapa クロネコさんは個人情報集めの名ネコだと思うのです。
一つ運ぶだけで、送り主、配達先、住居、住んでいる人の顔、
その他、情報をいっぱい集められるんです。
それを集積できるのですから、ネコの情報量はバカになりません。
クロネコ恐るべし、ですよ(笑)。
こまどりさんへ
nakapa コメント読んで有頂天です。 天まで昇って地上に帰れなくなったら
大変ですから、少し喜ぶ程度にしますね。
「北島のニャンコさん」はネコじゃないかと思うんですよ。
私なんか、こりゃ大変だ助けなければと
思ってしまいました。 これが浅はかなヒトの考えです。
nonko-mn さんへ
nakapa 胃袋の中が内視鏡で、外からでも見えるなら、
北島のネコの行動も天のネコにも見えるのだと思います。
どうゆう見え方か、伝達の方法など、はいずれ時間をかけて、
解明することになります。
こちらには「北島のニャンコ」からのメールがあるのです。これが動かぬ証拠です。
ちゃちゃさんへ
nakapa 信じてくれて有難うございます。 自然の摂理ですね。
人間のお節介は無用です。 ネコの親方様に任せましょう。
ところで、第三章は「北島のニャンコ」様しだいです。
ニャンコ様からメールをもらわないと、書きようがありません。
~ドリームズ・カム・トゥルー(DREAMS COME TRUE)~
札幌駅地下にあるパーラーの「小倉パフェ」が大好きだった。
アンコとカステラが入っているのが特徴だ。ボリュームもたっぷりある。
アンコを食べ終わると、カステラが出てくる、それを食べ終わって、もっとアンコがほしいと思っていると、最後にちゃんとアンコが入っているのだ。
そのことに感動して、パーラーに行ったときは必ず「小倉パフェ」を注文した。
そんなこともあって、初めてのホームページ開設したとき、
タイトルを「中島パフェ」とした。
開設したばかりのころは、とても楽しい。
朝から晩までホームページ「中島パフェ」のことばかり考えている。
朝食は二人で話しながらとるが、そのときも「中島パフェ」のことを考えていた。
「珍しいわね。黙り込んだりして」とQP。
「マスコミがインタビューに来たら何を話そうか、考えています」
「来るわけないでしょ。ホームページ作ったくらいで」
ところが、読売新聞(記者)が来てしまった。 私は、中島公園の未来、現状、自然、環境、その他、あるだけの知識を一生懸命披露した。
後で新聞を読むと「中島公園にほれ込んだ人」として紹介されていた。
私の熱弁は記者の頭の中にインプットされると、「ほれ込んだ人」という、
ホンの一言になって紙面に出力された。
あれから数年。 相変わらず、朝食は二人で話しながらとっている。
「ご近所のホテルか喫茶で『中島パフェ』というパフェを作ってくれるといいですね」
「そんなこと言うんじゃないよ。遊んでるのは、あんただけなんだから」
「そうですね。 みんな真剣に働いています」
私だって真面目に生きているつもりだ。 しかし、笑いながら楽しく暮らしたい気持ちも半分くらいはある。
こんな想像をして一人で楽しんでいる。
ある日、しゃれたカフェに入る。「中島パフェ下さい」。
「かしこまりました。甘く爽やかな『中島パフェ』ですね」
「そうです。森の緑と音符をあしらった、中島公園のようなパフェを下さい」
「ミルクとビスタチオのアイスに、苺のソースをたっぷりかけてありますよ」
「とても美味しそうです。夏は冷たいパフェに限りますね」
「小倉パフェがあるなら『中島パフェ』があってもいいじゃあないか」と、
思い続けて3年。 それが実現したのだから、こんな嬉しいことはない。
まさに、ドリームズ・カム・トゥルー(DREAMS COME TRUE)!

ことの次第はこうだった。 5月の中ごろ、ノボテル札幌24階の「和乃八窓庵」で料理を味わいながら、中島公園の良さをアッピールするための話し合いをした。
「市民の憩いの場である中島公園をより多くの方に知っていただけるよう、これからも色々な試みを行っていきたいのです」と、ノボテルさんは言った。
私からは、最近の話題のつもりで、「札幌彫刻美術館友の会」の方が中心になって、中島公園の野外彫刻清掃に取組んでいる話をした。
「それは良いことですね。私たちもお手伝いしましょう」と即、言ってくれた。中島公園を大切にしよう」という点で気持ちが一致したような気がして、とても嬉しく思った。
こんなこともあって清掃当日は、札幌パークホテルとノボテル札幌のの若い人が沢山参加してくれて、一段と有意義で楽しい中島公園野外彫刻清掃になった。

約30人のボランティアが中島公園野外彫刻清掃に参加。 およそ半数が近隣のホテルからの参加で、文字通り老若男女が協力しての清掃作業となった。

清掃して、きれいになった「木下成太郎先生像」と、ノボテル札幌の皆様。
ところで、ノボテルさんとは、初対面なのに気楽な雰囲気で話し合うことができた。 中島公園を大切に思う共通理解があるからだろう。
「中島パフェという名の、美味しいパフェがあってもいいような気がするのですが…」
3年来、考えていることを遠慮気味に言ってみた。
「いいかもしれませんね。パティシエに相談してみましょう」
「本当ですか! 有難うございます」
「きっと、美味しいパフェができるでしょう。楽しみにしていてください」
こうした経緯で、ラウンジ「カフェ・セゾン」のメニューに「中島パフェ」が加わることになった。
思いがけない展開に、喜び勇んで家に帰り、QPに報告した。
「いつか話していた『中島パフェ』が、ついに作ってもらえることになりました」
「そう」
「喜んでくれないのですか?」
「いいんじゃない」
「私の夢が実現したのです! 『中島パフェ』という、ホンマモノのパフェを中島公園を愛する人と一緒に食べることができるのです」
「愛する人と?」
「いえ、中島公園 をです」
「愛は、いらないの?」
「いりますよ」
「やっぱしね」
「アイスがなければパフェとは言えません!」
<参考>
パフェはフランス語でparfait 完ぺきなものを意味します。
ウェブサイト「中島パフェ」は完ぺきな「中島公園ガイド」を目指しています。
試食のときノボテルさんから頂いたチラシを写真にとりました。

クリック → 大きい画像
札幌駅地下にあるパーラーの「小倉パフェ」が大好きだった。
アンコとカステラが入っているのが特徴だ。ボリュームもたっぷりある。
アンコを食べ終わると、カステラが出てくる、それを食べ終わって、もっとアンコがほしいと思っていると、最後にちゃんとアンコが入っているのだ。
そのことに感動して、パーラーに行ったときは必ず「小倉パフェ」を注文した。
そんなこともあって、初めてのホームページ開設したとき、
タイトルを「中島パフェ」とした。
開設したばかりのころは、とても楽しい。
朝から晩までホームページ「中島パフェ」のことばかり考えている。
朝食は二人で話しながらとるが、そのときも「中島パフェ」のことを考えていた。
「珍しいわね。黙り込んだりして」とQP。
「マスコミがインタビューに来たら何を話そうか、考えています」
「来るわけないでしょ。ホームページ作ったくらいで」
ところが、読売新聞(記者)が来てしまった。 私は、中島公園の未来、現状、自然、環境、その他、あるだけの知識を一生懸命披露した。
後で新聞を読むと「中島公園にほれ込んだ人」として紹介されていた。
私の熱弁は記者の頭の中にインプットされると、「ほれ込んだ人」という、
ホンの一言になって紙面に出力された。
あれから数年。 相変わらず、朝食は二人で話しながらとっている。
「ご近所のホテルか喫茶で『中島パフェ』というパフェを作ってくれるといいですね」
「そんなこと言うんじゃないよ。遊んでるのは、あんただけなんだから」
「そうですね。 みんな真剣に働いています」
私だって真面目に生きているつもりだ。 しかし、笑いながら楽しく暮らしたい気持ちも半分くらいはある。
こんな想像をして一人で楽しんでいる。
ある日、しゃれたカフェに入る。「中島パフェ下さい」。
「かしこまりました。甘く爽やかな『中島パフェ』ですね」
「そうです。森の緑と音符をあしらった、中島公園のようなパフェを下さい」
「ミルクとビスタチオのアイスに、苺のソースをたっぷりかけてありますよ」
「とても美味しそうです。夏は冷たいパフェに限りますね」
「小倉パフェがあるなら『中島パフェ』があってもいいじゃあないか」と、
思い続けて3年。 それが実現したのだから、こんな嬉しいことはない。
まさに、ドリームズ・カム・トゥルー(DREAMS COME TRUE)!

ことの次第はこうだった。 5月の中ごろ、ノボテル札幌24階の「和乃八窓庵」で料理を味わいながら、中島公園の良さをアッピールするための話し合いをした。
「市民の憩いの場である中島公園をより多くの方に知っていただけるよう、これからも色々な試みを行っていきたいのです」と、ノボテルさんは言った。
私からは、最近の話題のつもりで、「札幌彫刻美術館友の会」の方が中心になって、中島公園の野外彫刻清掃に取組んでいる話をした。
「それは良いことですね。私たちもお手伝いしましょう」と即、言ってくれた。中島公園を大切にしよう」という点で気持ちが一致したような気がして、とても嬉しく思った。
こんなこともあって清掃当日は、札幌パークホテルとノボテル札幌のの若い人が沢山参加してくれて、一段と有意義で楽しい中島公園野外彫刻清掃になった。

約30人のボランティアが中島公園野外彫刻清掃に参加。 およそ半数が近隣のホテルからの参加で、文字通り老若男女が協力しての清掃作業となった。

清掃して、きれいになった「木下成太郎先生像」と、ノボテル札幌の皆様。
ところで、ノボテルさんとは、初対面なのに気楽な雰囲気で話し合うことができた。 中島公園を大切に思う共通理解があるからだろう。
「中島パフェという名の、美味しいパフェがあってもいいような気がするのですが…」
3年来、考えていることを遠慮気味に言ってみた。
「いいかもしれませんね。パティシエに相談してみましょう」
「本当ですか! 有難うございます」
「きっと、美味しいパフェができるでしょう。楽しみにしていてください」
こうした経緯で、ラウンジ「カフェ・セゾン」のメニューに「中島パフェ」が加わることになった。
思いがけない展開に、喜び勇んで家に帰り、QPに報告した。
「いつか話していた『中島パフェ』が、ついに作ってもらえることになりました」
「そう」
「喜んでくれないのですか?」
「いいんじゃない」
「私の夢が実現したのです! 『中島パフェ』という、ホンマモノのパフェを中島公園を愛する人と一緒に食べることができるのです」
「愛する人と?」
「いえ、中島公園 をです」
「愛は、いらないの?」
「いりますよ」
「やっぱしね」
「アイスがなければパフェとは言えません!」
<参考>
パフェはフランス語でparfait 完ぺきなものを意味します。
ウェブサイト「中島パフェ」は完ぺきな「中島公園ガイド」を目指しています。
試食のときノボテルさんから頂いたチラシを写真にとりました。

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略して「ナカパフェ」誕生!
鶴子 7,8月限定ですか。
思い描いているだけでなく、言ってみるものですね。 手が込んだパフェで少し高めのお値段も
納得です。 まずは願いが叶っておめでとうございます。
夢はかなえるもの・・・素晴しい!!!!!
ウフフの小母はん 夢の「中島パフェ」!!
夢って、見るものではなく叶えるものなのですね!!!!!
やりましたねっ!
お話をお聞きし、新聞のホテル案内に載ったときから心待ちしておりました♪
ご本家「中島パフェ」HPにもアップですね。
もっと大々的にご案内があってもよいのではありませんか?
ご自分のHPのお名前がついたパフェを作っていただけることなど、一般人には絶対といっていいほど機会がありませんから!これは凄い出来事です。
さあこの指とーまれ!開始しましょう!
いろんな意味で、希望と勇気をありがとうございます。励まされました。
nonko-mn 良かったですね素敵な可愛いパフエが完成ですね。一度ノボテルホテルに行かなくちゃ成りませんね。なかぱさんの熱意がアチラに伝わったのでしょう。だっても7年位になりますよねHPを立ち上げてから・・・。私のように更新もしないのが話にもなんにもなりませんもの。名か派さんは色々とニュースを集めラジオにも出演し・・・猛烈なる努力となんだろう・・。ニュースを探し続ける努力凄い事だと想う。
こう言うのには叙勲って出ないの???
QPさんも多分判っているのよ。デモ夫婦って言うのはどちらかかが消えなきゃ認めない
特に日本人は。
こまどり nakapaさん、ブラボー!!
ほんと、実現したんですね。
nakapaさんの努力とお人柄は相手につたわるんですよね。すぐ食べにいきま~す。
おーりーおばさん なかぱさん
おめでとうございます♪
夢は実現するのですね!
ホントに中島パフェができたんだ~
北海道に行く楽しみがまたひとつ増えました。
わたしも夢を実現させよう。
勇気をいただきました(*^。^*)
ちゃちゃ おめでとう!7・8月限定なのですね。でもそれは様子を見るためであって、きっとファンの要望が多くなり、通年のメニューとなること請け合いです。でも、でも、食べたいな。だって、ピスタチオのアイスっていうのは私の大好物!まるで、私のためのパフェです。ようし!夏に札幌に行けたら、内科の先生に止められようが、どうしようが、三食「中島パフェ」だぞ!新ツァー企画「札幌に中島パフェを食べに行き隊」!いかが?
フラダン おはようございます、そしてオメデトウございます
「パンパカパ~~ン!!」とうとうやりましたね!
念願の「中嶋パフェ」誕生、嬉しそうなナカパさん
のお顔が目に浮かんできます、一途な想いと
中嶋公園をこよなく愛するナカパさんに乾杯!
おめでとうございます
コマクサ 「中島パフェ」誕生バンザーイ
なかぱさんの熱意が伝わったのでしょう。
良くパフェと間違われていましたが、これで言い訳しなくても
大丈夫になりましたね。
ノボテル札幌の皆様が彫刻清掃に参加したりで良いお話です。
是非「中島パフェ」食べに行きますよ。
鶴子さんへ
nakapa ありがとうございます。
心に思ってもなかなか言えないことですね。
いろいろ話しているうちに、つい口から出てしまいました。
私の話を、真面目に受け取ってくれたノボテルさんに
感謝しています。
ウフフの小母さまへ
nakapa 「さあこの指とーまれ!開始しましょう!」
有難うございます。 ホンマモノの「中島パフェ」を皆さんと
ご一緒に食べることができれば、これにすぐる喜びはありません。
「中島パフェ」というパフェを一流ホテルで作ってもらうことは
私の夢ですが、実現することはないと思っていました。
夢をかなえてくれたノボテルさんにはとても感謝しています。
鶴子 7,8月限定ですか。
思い描いているだけでなく、言ってみるものですね。 手が込んだパフェで少し高めのお値段も
納得です。 まずは願いが叶っておめでとうございます。
夢はかなえるもの・・・素晴しい!!!!!
ウフフの小母はん 夢の「中島パフェ」!!
夢って、見るものではなく叶えるものなのですね!!!!!
やりましたねっ!
お話をお聞きし、新聞のホテル案内に載ったときから心待ちしておりました♪
ご本家「中島パフェ」HPにもアップですね。
もっと大々的にご案内があってもよいのではありませんか?
ご自分のHPのお名前がついたパフェを作っていただけることなど、一般人には絶対といっていいほど機会がありませんから!これは凄い出来事です。
さあこの指とーまれ!開始しましょう!
いろんな意味で、希望と勇気をありがとうございます。励まされました。
nonko-mn 良かったですね素敵な可愛いパフエが完成ですね。一度ノボテルホテルに行かなくちゃ成りませんね。なかぱさんの熱意がアチラに伝わったのでしょう。だっても7年位になりますよねHPを立ち上げてから・・・。私のように更新もしないのが話にもなんにもなりませんもの。名か派さんは色々とニュースを集めラジオにも出演し・・・猛烈なる努力となんだろう・・。ニュースを探し続ける努力凄い事だと想う。
こう言うのには叙勲って出ないの???
QPさんも多分判っているのよ。デモ夫婦って言うのはどちらかかが消えなきゃ認めない
特に日本人は。
こまどり nakapaさん、ブラボー!!
ほんと、実現したんですね。
nakapaさんの努力とお人柄は相手につたわるんですよね。すぐ食べにいきま~す。
おーりーおばさん なかぱさん
おめでとうございます♪
夢は実現するのですね!
ホントに中島パフェができたんだ~
北海道に行く楽しみがまたひとつ増えました。
わたしも夢を実現させよう。
勇気をいただきました(*^。^*)
ちゃちゃ おめでとう!7・8月限定なのですね。でもそれは様子を見るためであって、きっとファンの要望が多くなり、通年のメニューとなること請け合いです。でも、でも、食べたいな。だって、ピスタチオのアイスっていうのは私の大好物!まるで、私のためのパフェです。ようし!夏に札幌に行けたら、内科の先生に止められようが、どうしようが、三食「中島パフェ」だぞ!新ツァー企画「札幌に中島パフェを食べに行き隊」!いかが?
フラダン おはようございます、そしてオメデトウございます
「パンパカパ~~ン!!」とうとうやりましたね!
念願の「中嶋パフェ」誕生、嬉しそうなナカパさん
のお顔が目に浮かんできます、一途な想いと
中嶋公園をこよなく愛するナカパさんに乾杯!
おめでとうございます
コマクサ 「中島パフェ」誕生バンザーイ

なかぱさんの熱意が伝わったのでしょう。
良くパフェと間違われていましたが、これで言い訳しなくても
大丈夫になりましたね。
ノボテル札幌の皆様が彫刻清掃に参加したりで良いお話です。
是非「中島パフェ」食べに行きますよ。
鶴子さんへ
nakapa ありがとうございます。
心に思ってもなかなか言えないことですね。
いろいろ話しているうちに、つい口から出てしまいました。
私の話を、真面目に受け取ってくれたノボテルさんに
感謝しています。
ウフフの小母さまへ
nakapa 「さあこの指とーまれ!開始しましょう!」
有難うございます。 ホンマモノの「中島パフェ」を皆さんと
ご一緒に食べることができれば、これにすぐる喜びはありません。
「中島パフェ」というパフェを一流ホテルで作ってもらうことは
私の夢ですが、実現することはないと思っていました。
夢をかなえてくれたノボテルさんにはとても感謝しています。
フィクションです。事実ではありません。しかし、池と島があり、
そこに、ニャンコがいる限り、どこでも起こりうることです。
大和市武蔵公園には大きな池があり、その中に三つの小さな島がある。
北島、中島、南島である。
「隊長、大変です!」
「お前の大変は聞き飽きた。 こんどは何だ、言ってみろ」
「北島で猫1匹と子猫3匹を発見しました」
「そりゃ大変だ!」
「ニャンコ助け隊長」の顔色が変わった。 猫は泳げない。小さな北島に閉じ込められた猫に未来はない。餓死するだけだ。 しかし、泳げない猫がなぜ北島に…。
多分猫が知らずに凍結した池を歩いて、島に渡ったのだろう。 氷が融けて帰れなくなってしまったのだと思う。

「よし、ニャンコちゃんを助けるぞ。救助艇出動!」
「ラジャー」
「ニャンコ助け隊」といっても、近所のおじさん、おばさんの寄せ集めだ。 予算もないし、船もない。 幸いこの池では貸しボートが営業されている。
「借り賃は40分600円だから、一人200円でいいな。割り勘で行こう」
相談は直ちにまとまり、3人のニャンコ・レスキューが「救助艇」に乗り組んだ。 北島への往復に、10分かかるので救助に使える時間は30分しかない。 厳しい時間との戦いになった。
30分は、ニャンコと信頼関係を築くには、あまりにも短い。 強制連行しか手がない。 島内を逃げ回るニャンコを捕まえるのは至難の業だ。
「隊長、子猫2匹、救助しましたが、これ以上は無理です」
「よし、分かった。 とりあえず、エサと『猫小屋用』のダンボールを届けてやれ」
「叉ですか、ボートの借り賃払って下さいよ」
隊長から600円巻き上げ、ボートを借りて、救助物資を陸揚げしたが、この後が大変だった。
「隊長、大変です」
「大変はいいから、中身を報告しろ」
「ボート屋のオヤジがカンカンに怒っています」
「なんだと?」
「島に上がってはいかん! もうボートは貸さない。と言うのです」
貸しボートのオヤジさんが怒るのも無理はない。 元々ボートは波止場以外、乗り降りしてはいけないものだ。
それなのに、夜になると無断でボートに乗って池岸のアチコチにボートを乗り付けて上陸してしまう狼藉者が後を絶たない。
盛り場に近いので酔っ払いの仕業かもしれない。 静かな池だから、ボートは水に手を入れてオールの代わりに使えば動くのだ。
ともかく、オジサンの朝一番の仕事は放置ボートの回収だ。 「さて、仕事しようか」と思ってボート乗場に着くと、係留していたはずのボートが池のアチコチに散らばっている。
こんな腹が立つことはない。 貸し出し準備に忙しいときに余分な仕事をさせられるのだ。 数艘のボートを繋いで漕ぐオジサンの姿を、朝の散歩でよく見かける。

「よし、こうなったら非常手段だ。 夜襲をかけるぞ!」
「やしゅう…?」
「夜になったらボート乗場は無人だ。 オールは収納するが、ボートはそのまま繋いである。 かっぱらって、手漕ぎで行くぞ~!」
「隊長、落ち着いて下さい。 隊の目的は猫を救うこと。 隊のモットーは法令を遵守し、人に迷惑をかけない。 そうでしょう!」
「…………」
「隊長! しっかりしてください」
冷静さを取り戻し、隊長は考えた。 島から岸まで10メートルくらいだから、エサを投げることが出来る。 「分かった。 エサ投げ作戦開始だ」
ニャンコを救うため我を忘れた隊長だが、直ぐに正気に返って、臨機応変の処置が取れるのだから大したものだ。
しかし、事態は思わぬ方向に展開した。 北島に置いて、猫小屋にしているダンボールを見た人が、警察に通報したのだ
「もしもし、一市民ですが、武蔵公園の北島に不審物があります」
「よし、分かった。爆発したら大変だから、武蔵公園を立入禁止にせよ!」
「あの~、一市民ですが…」
「そんなことはどうでもよい。 緊急出動だ。緊急立入禁止だ~!」
直ちに、警官隊が出動して、猫小屋を撤去してしまった。
と言うわけで、流石の「ニャンコ助け隊長」も万策尽きて、相談に来たのだ。
「ニャンコの命が危険にさらされています。 なんとか助けてやって下さい」
「公園の管理者にお願いしたらどうでしょうか」
「だめです! 保健所に知らされて処分されます」
「しかし、隊長が助けられないものを、どうやって?」
「この事実を、あなたのブログに書いて、世間に知らしめて下さい。救出ボランティアを募ってほしいのです」
「あの~、ボランティアは現れないと~思いますが…」
「2千万人がブログを読んでいるのですよ」
「私のブログはホンの少しです」
「見ず知らずの私も、読んでいるのです。出し惜しみしないで下さい!」
買いかぶってくれるのはいいが、現実が分かってから責められるのは私なのだ。
だが、待てよ。 これはフィクションだ。 隊長にとって、「お望みの結末」なら、それでいいじゃないか。
「分かりました。全面的に協力しましょう! きっとニャンコは救われます」
「ありがとうございます」
「大船に乗った気でいて下さい」
「大船? ボートより大きいですよね」
「ええ、まぁ…」
隊長は、ニャンコ助け隊、全員に向って叫んだ。
「ボート屋に勝ったぞ~! 大船に乗ってニャンコ救出だ~」
そこに、ニャンコがいる限り、どこでも起こりうることです。
大和市武蔵公園には大きな池があり、その中に三つの小さな島がある。
北島、中島、南島である。
「隊長、大変です!」
「お前の大変は聞き飽きた。 こんどは何だ、言ってみろ」
「北島で猫1匹と子猫3匹を発見しました」
「そりゃ大変だ!」
「ニャンコ助け隊長」の顔色が変わった。 猫は泳げない。小さな北島に閉じ込められた猫に未来はない。餓死するだけだ。 しかし、泳げない猫がなぜ北島に…。
多分猫が知らずに凍結した池を歩いて、島に渡ったのだろう。 氷が融けて帰れなくなってしまったのだと思う。

「よし、ニャンコちゃんを助けるぞ。救助艇出動!」
「ラジャー」
「ニャンコ助け隊」といっても、近所のおじさん、おばさんの寄せ集めだ。 予算もないし、船もない。 幸いこの池では貸しボートが営業されている。
「借り賃は40分600円だから、一人200円でいいな。割り勘で行こう」
相談は直ちにまとまり、3人のニャンコ・レスキューが「救助艇」に乗り組んだ。 北島への往復に、10分かかるので救助に使える時間は30分しかない。 厳しい時間との戦いになった。
30分は、ニャンコと信頼関係を築くには、あまりにも短い。 強制連行しか手がない。 島内を逃げ回るニャンコを捕まえるのは至難の業だ。
「隊長、子猫2匹、救助しましたが、これ以上は無理です」
「よし、分かった。 とりあえず、エサと『猫小屋用』のダンボールを届けてやれ」
「叉ですか、ボートの借り賃払って下さいよ」
隊長から600円巻き上げ、ボートを借りて、救助物資を陸揚げしたが、この後が大変だった。
「隊長、大変です」
「大変はいいから、中身を報告しろ」
「ボート屋のオヤジがカンカンに怒っています」
「なんだと?」
「島に上がってはいかん! もうボートは貸さない。と言うのです」
貸しボートのオヤジさんが怒るのも無理はない。 元々ボートは波止場以外、乗り降りしてはいけないものだ。
それなのに、夜になると無断でボートに乗って池岸のアチコチにボートを乗り付けて上陸してしまう狼藉者が後を絶たない。
盛り場に近いので酔っ払いの仕業かもしれない。 静かな池だから、ボートは水に手を入れてオールの代わりに使えば動くのだ。
ともかく、オジサンの朝一番の仕事は放置ボートの回収だ。 「さて、仕事しようか」と思ってボート乗場に着くと、係留していたはずのボートが池のアチコチに散らばっている。
こんな腹が立つことはない。 貸し出し準備に忙しいときに余分な仕事をさせられるのだ。 数艘のボートを繋いで漕ぐオジサンの姿を、朝の散歩でよく見かける。

「よし、こうなったら非常手段だ。 夜襲をかけるぞ!」
「やしゅう…?」
「夜になったらボート乗場は無人だ。 オールは収納するが、ボートはそのまま繋いである。 かっぱらって、手漕ぎで行くぞ~!」
「隊長、落ち着いて下さい。 隊の目的は猫を救うこと。 隊のモットーは法令を遵守し、人に迷惑をかけない。 そうでしょう!」
「…………」
「隊長! しっかりしてください」
冷静さを取り戻し、隊長は考えた。 島から岸まで10メートルくらいだから、エサを投げることが出来る。 「分かった。 エサ投げ作戦開始だ」
ニャンコを救うため我を忘れた隊長だが、直ぐに正気に返って、臨機応変の処置が取れるのだから大したものだ。
しかし、事態は思わぬ方向に展開した。 北島に置いて、猫小屋にしているダンボールを見た人が、警察に通報したのだ
「もしもし、一市民ですが、武蔵公園の北島に不審物があります」
「よし、分かった。爆発したら大変だから、武蔵公園を立入禁止にせよ!」
「あの~、一市民ですが…」
「そんなことはどうでもよい。 緊急出動だ。緊急立入禁止だ~!」
直ちに、警官隊が出動して、猫小屋を撤去してしまった。
と言うわけで、流石の「ニャンコ助け隊長」も万策尽きて、相談に来たのだ。
「ニャンコの命が危険にさらされています。 なんとか助けてやって下さい」
「公園の管理者にお願いしたらどうでしょうか」
「だめです! 保健所に知らされて処分されます」
「しかし、隊長が助けられないものを、どうやって?」
「この事実を、あなたのブログに書いて、世間に知らしめて下さい。救出ボランティアを募ってほしいのです」
「あの~、ボランティアは現れないと~思いますが…」
「2千万人がブログを読んでいるのですよ」
「私のブログはホンの少しです」
「見ず知らずの私も、読んでいるのです。出し惜しみしないで下さい!」
買いかぶってくれるのはいいが、現実が分かってから責められるのは私なのだ。
だが、待てよ。 これはフィクションだ。 隊長にとって、「お望みの結末」なら、それでいいじゃないか。
「分かりました。全面的に協力しましょう! きっとニャンコは救われます」
「ありがとうございます」
「大船に乗った気でいて下さい」
「大船? ボートより大きいですよね」
「ええ、まぁ…」
隊長は、ニャンコ助け隊、全員に向って叫んだ。
「ボート屋に勝ったぞ~! 大船に乗ってニャンコ救出だ~」
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こまどり また、また、にゃんこレスキュー隊の おもしろいこと。創作がおもしろいですね。
そして、また最後の落ちがおかしくて なるほどー
うまくもっていった、 大船にはわらってしまいました。
ちゃちゃ こういうの大好き!フィクションというも、なかぱさんの中島公園に対する暖かい思いが全般に散りばめられているような気がします。続編を待ちます。助けられたニャンコたちには名前がつけられ、公園のアイドルのなり、それを目当ての全国からの観光客が増えたりすることでしょう。「公園でニャンコに会えたら、その日はラッキー!」ということで、TVの取材もきますよ、きっと。
救出ボランティアにも名乗りをあげたく。そうすれば中島公園まで飛んでいく理由が出来ます。ただ、太目のおばさんは重たいのでボートが沈むと困ります。陸上での任務を希望したく、その旨、どうぞ隊長にお伝えくださいませ。
おーりーおばさん フィクションかノンフィクションかわからなくなりました(笑)
大船なら安心ですね!
わたしは助け舟を求めている人に泥舟を差し出した
ことがあります(爆)
暦 創作短編、楽しく読ませてもらいました。
生き物への優しい心遣いが
出ていますね。
mitchi-jul サロンで、素敵なシャンソンを聴いた後
ちょつと寄り道をして、隊長(?)さまを探しましたが姿が見えず
トボ~とボート乗り場の様子を偵察しながらバラの花園を通り
ニャンコ救出のお手伝いは叶いませんでした。
こまどり さんへ
nakapa オチがおかしかったですか。ありがとうございます。
一番、努力したところを笑われて、こんな嬉しいことはありません。
「こんなところで努力してどうする」と言われそうですが、
努力しながら、笑っています。
ちゃちゃさんへ
nakapa 続編ですか。ありがとうございます。隊長オジサンに聞いてきます。
よく、公園に来ています。しかし、2匹を救出するのに時間がかかると思います……
と、思っていたら、ちゃちゃさんに書かれてしまいました。
>TVの取材もきます。 の後に「めでたしめでたし」と書いて、続編おわりです。
救出ボランティアにも名乗ってくれて有難うございます。隊長は大船をもらったつもりでいますから、人様の重さなど気にしないと思います。
おーりーおばさん へ
nakapa 公園で聞いた話を面白いと思いました。
大筋において、そのまま書いたつもりです。
事実に束縛されないで書くのは楽しいものですね。
嘘つきになりそうです(笑)。
暦さんへ
nakapa 私は公園で初めて会った、おじさん(隊長)の話が面白いと思いました。
隊員はいたかどうか分かりませんが、いろいろニャンコの面倒を看ている人はいます。
そのことを嫌う人もいるので難しいですね。
mitchi-julさんへ
nakapa シャンソン、とても好かったですね。暑さを忘れました。
私は隊長じゃあないですよ。公園の近所の方から、話を伺いました。
とても興味深い話でした。 正確なことが分からないのでフィクションとして書きました。
彫刻のある芝生の広場のバラも奇麗に咲きましたね。
「木下成太郎先生像」のことをご存知でしょうか? 「東洋のロダン」と称された、日本を代表する彫刻家 朝倉文夫の作品です。 そして、台座の上に鎮座する木下成太郎先生は、武蔵野美術大学の創設者でもあります。

烏の糞で汚れた 「木下成太郎先生像」水をかけ、乾拭きすれば奇麗になる。
水と緑の中島公園は、歴史と芸術の公園でもあります。 国指定重要文化財豊平館は、あの有名な鹿鳴館より古いのです。 そして、同じく重文八窓庵は、江戸時代に建てられた茶室で、滋賀県より移築されたものです。
それらに加えて、中島公園第三のお宝として、再認識されると期待されているのが、朝倉文夫作の「木下成太郎先生像」です。 今は森の片隅にひっそりと置かれた感じです。
一人で、話し方の練習をしていると、突然QPが口をはさんできた。
「アンタ、いつから美術が好きになったのよ」
「はい、つい最近のことです」
「すぐ、知ったかぶりするんだね」
「中島公園のことになると、つい熱くなります」
「少しはアタマを冷やしなさい」
「分かりました」
「知らない人が聞いたら、本気にするからね!」
「はいはい」
と言う訳ですから、書いている私は正確を期しているつもりですが、間違い、勘違いなどあると思います。あらかじめお詫び申し上げます。
中島公園で特に貴重な野外彫刻の一つとして、朝倉文夫 作の「木下成太郎先生像」を挙げなければなりません。 質の高い一級品と言われています。 札幌の至宝というよりも日本の宝と言うべきではないでしょうか。
朝倉文夫という、当時の日本彫刻界をリードする大人物の作品が中島公園だけに残されたのです。 まさに奇跡です。 戦時中、物資不足のため、朝倉文夫のブロンズ像が400点も潰されて大砲にされました。
その中で、この作品だけが生き残り、非常に貴重なものになってしまいました。 しかも朝倉文夫が一番力のこもっている頃の作品で、質も非常に高いのです。
「木下成太郎先生像」は、武蔵野美術大学 校友会関係者にも注目されています。 美を愛し武蔵美(ムサビ)で学んだ方々の間でも、知られるところとなったのです。
「だからといって、あんたが威張ることないでしょ」
「立派な銅像ですが、森の片隅で寂しそうです」
「前に、テレビに出たよ。一緒に観たでしょ」
「刑事ドラマの殺人現場じゃあないですか。あんな扱いじゃダメです」
TVドラマのタイトルは忘れましたが、札幌市内の寂しい場所として、ドラマに使われたことを覚えています。 横たわる死体の側にある銅像が不気味に見えました。こんなことではいけません。
ところで、2年前のことですが、「札幌まつり」最終日の夜、山内壮夫の「母と子の像」が、転がされて地面に横倒しになりました。 数日後、真っ黒な目をした母子像を見て、暗澹とした思いに駆られたことを、今でも覚えています。 多分、火の付いた花火を目に刺されたのでしょう。

郷土出身の日本を代表する彫刻家の作品を、こんな風に粗末に扱って良いのでしょうか。 美術品として正当に扱われるべきと思います。
この「事件」がきっかけで、「中島公園モニュメント研究会」(代表、札幌彫刻美術館友の会 橋本信夫会長)が結成され、私もお手伝いすることになりました。
同研究会では、中島公園内に設置されている野外彫刻の勉強、清掃、調査などを行っています。 3回目の今年は、こう呼びかけています。
みんなで 彫刻にそっと、触れて見ませんか。
誰でもできるお掃除です。小さなお子様も おじいちゃんおばあちゃんも大歓迎です。

ここまで書いたり、声を出して読んだりしていると、叉QPが口をはさむ。
「掃除なんかに誘ったって、誰も来ないよ」
「やらなければ、ならないのです」
「家の掃除、やったことないでしょう」
「彫刻が汚れているのです!」
「私がやんなきゃ、家だって汚れてるんだよ!」
「やらねば、ならぬのじゃ~」
「はぁ?」
ヒュルリー ヒュルリーと風の音 すがるQP振り切る私
「止めて下さるなQP殿、落ちぶれ果ててもnakapaは武士じゃ~!」
「武士? あっ、宮仕え だったことね」
「さようでござる」
「無職だからって、ひがまないでね」
「素浪人でござる」
「ホントだね。 あんたはノロマのスロー人。 お掃除は素早くやるんだよ」
参加の方法は簡単です
6月20日(土)8時30分参加の受付開始、場所は中島公園文学館前です。
参加費 一人50円(保険料)、高校生以下は無料です。雑巾・歯ブラシご持参下さい。 彫刻清掃作業は9時から12時までの予定です。
どなたでも、お気軽に参加してください。
では、20日9時 中島公園文学館前でお待ちします。
(「中島公園モニュメント研究会会員・「中島パフェ」管理人nakapa)
詳しくは、こちらをクリック→ 中島公園野外彫刻美化・保全運動
注)緑色文字の部分はフィクションです。

水と緑の中島公園は、歴史と芸術の公園でもあります。 国指定重要文化財豊平館は、あの有名な鹿鳴館より古いのです。 そして、同じく重文八窓庵は、江戸時代に建てられた茶室で、滋賀県より移築されたものです。
それらに加えて、中島公園第三のお宝として、再認識されると期待されているのが、朝倉文夫作の「木下成太郎先生像」です。 今は森の片隅にひっそりと置かれた感じです。
一人で、話し方の練習をしていると、突然QPが口をはさんできた。
「アンタ、いつから美術が好きになったのよ」
「はい、つい最近のことです」
「すぐ、知ったかぶりするんだね」
「中島公園のことになると、つい熱くなります」
「少しはアタマを冷やしなさい」
「分かりました」
「知らない人が聞いたら、本気にするからね!」
「はいはい」
と言う訳ですから、書いている私は正確を期しているつもりですが、間違い、勘違いなどあると思います。あらかじめお詫び申し上げます。
中島公園で特に貴重な野外彫刻の一つとして、朝倉文夫 作の「木下成太郎先生像」を挙げなければなりません。 質の高い一級品と言われています。 札幌の至宝というよりも日本の宝と言うべきではないでしょうか。
朝倉文夫という、当時の日本彫刻界をリードする大人物の作品が中島公園だけに残されたのです。 まさに奇跡です。 戦時中、物資不足のため、朝倉文夫のブロンズ像が400点も潰されて大砲にされました。
その中で、この作品だけが生き残り、非常に貴重なものになってしまいました。 しかも朝倉文夫が一番力のこもっている頃の作品で、質も非常に高いのです。
「木下成太郎先生像」は、武蔵野美術大学 校友会関係者にも注目されています。 美を愛し武蔵美(ムサビ)で学んだ方々の間でも、知られるところとなったのです。
「だからといって、あんたが威張ることないでしょ」
「立派な銅像ですが、森の片隅で寂しそうです」
「前に、テレビに出たよ。一緒に観たでしょ」
「刑事ドラマの殺人現場じゃあないですか。あんな扱いじゃダメです」
TVドラマのタイトルは忘れましたが、札幌市内の寂しい場所として、ドラマに使われたことを覚えています。 横たわる死体の側にある銅像が不気味に見えました。こんなことではいけません。
ところで、2年前のことですが、「札幌まつり」最終日の夜、山内壮夫の「母と子の像」が、転がされて地面に横倒しになりました。 数日後、真っ黒な目をした母子像を見て、暗澹とした思いに駆られたことを、今でも覚えています。 多分、火の付いた花火を目に刺されたのでしょう。

郷土出身の日本を代表する彫刻家の作品を、こんな風に粗末に扱って良いのでしょうか。 美術品として正当に扱われるべきと思います。
この「事件」がきっかけで、「中島公園モニュメント研究会」(代表、札幌彫刻美術館友の会 橋本信夫会長)が結成され、私もお手伝いすることになりました。
同研究会では、中島公園内に設置されている野外彫刻の勉強、清掃、調査などを行っています。 3回目の今年は、こう呼びかけています。
みんなで 彫刻にそっと、触れて見ませんか。
誰でもできるお掃除です。小さなお子様も おじいちゃんおばあちゃんも大歓迎です。

ここまで書いたり、声を出して読んだりしていると、叉QPが口をはさむ。
「掃除なんかに誘ったって、誰も来ないよ」
「やらなければ、ならないのです」
「家の掃除、やったことないでしょう」
「彫刻が汚れているのです!」
「私がやんなきゃ、家だって汚れてるんだよ!」
「やらねば、ならぬのじゃ~」
「はぁ?」
ヒュルリー ヒュルリーと風の音 すがるQP振り切る私
「止めて下さるなQP殿、落ちぶれ果ててもnakapaは武士じゃ~!」
「武士? あっ、宮仕え だったことね」
「さようでござる」
「無職だからって、ひがまないでね」
「素浪人でござる」
「ホントだね。 あんたはノロマのスロー人。 お掃除は素早くやるんだよ」
参加の方法は簡単です
6月20日(土)8時30分参加の受付開始、場所は中島公園文学館前です。
参加費 一人50円(保険料)、高校生以下は無料です。雑巾・歯ブラシご持参下さい。 彫刻清掃作業は9時から12時までの予定です。
どなたでも、お気軽に参加してください。
では、20日9時 中島公園文学館前でお待ちします。
(「中島公園モニュメント研究会会員・「中島パフェ」管理人nakapa)
詳しくは、こちらをクリック→ 中島公園野外彫刻美化・保全運動
注)緑色文字の部分はフィクションです。
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ちゃちゃ さあ、今週も日曜日がやってきました。歩き疲れて、早寝をしてしまった私は2時過ぎにすっきりと目が覚めてしまいました。いつものことです。
さて、緑色文字の部分が一番楽しいと思ってしまう私です。nakapa さんとQPさんのお二人の様子が目の前に浮かんできます。私の家にいるQPはセルロイドの何もいわない背丈30cmあまりの子です。いつも裸です。来週の nakapa vs QPさんの会話を楽しみにまっています。
さきほど、中島パフェに行ってコーヒーを飲んできました。おいしかったですよ!中島パフェ」には「完璧 Nakajima Park Perfect Guide 」という意味が込められたのですね。あらためて、中島公園へ行ってみたくなりました。お掃除にも参加したいのですが、ちょっとばかり遠く、その日が晴れますよう願っています。えっ!北海道には梅雨はないんですって!
ちゃちゃ PSです。nakapa さんは書かれた文章を口に出して読まれているのですね。私もそれに近いですが、聞いてくれる人が無言のQPしかいないので、音を出さずに読みながら、文章の調子とかリズムとかを考えています。自分も含め、最初から最後まで飽きずに読み続けられるようにと願っているのですが。私のブログの一回の量はだいたいPC画面一枚分と決めていますので、とくに文調を大事にしたいと思っています。また、いろいろとお教えくださいませ。
こまどり なんたって、QPさんとの会話がさいこうに面白くて楽しいですね。
最後のところは 落語のおちで 拍手喝さい!!
彫刻の清掃、お手伝いにいけませんが ご苦労さまです。ありがとう!
フラダン 彫刻美術の知識は殆どありません、何となく「いいなあ~」と思って見てるだけです、
でも無惨に扱われてる、ブロンズ像を見ると、心が痛みます、SSNのメンバーでもある
橋本信夫様初めナカパさんの様な、沢山のボランテァさんに守られて保存されてる事に感謝
せずには居られません、お疲れ様です。先日雨で延期になった町内会の行事が20日になった為、
今回は参加してみょうかなぁ~と思って居た彫刻清掃に参加出来なくなりました。ゴメンナサイ_(_^_)_
QPさんとのやり取り相変わらず面白いですねぇ~~(^o^)丿
ちゃちゃさんへ
nakapa 緑色、面白かったですか。ありがとうございます。
あすこだけフィクションです。すみません。
ちゃちゃさんはアメリカ生まれのセルロイドと
ご一緒ですか。文句言わないからいいですね。
中島公園に来られることがありましたら、
連絡下さい。旬の情報をお届けします。
梅雨は無いのですが、雨が降っています。これは一体なんでしょうね。
札幌まつり もヨサコイソーラン祭りも雨に祟られていますよ。
口に出して読むと、引っかかる所が分かるような木がして小学生のようにやっています。
「文章の調子とかリズムとかを考えています」
なるほど、そうゆうことでしたか。だから ちゃちゃさんの
文章は流れるように読みやすいのですね。
こまどりさんへ
nakapa ありがとうございます。励みになります。
考えてみれば、私はウソ付きですね。緑の部分はフィクションです。
中島公園の彫刻清掃だけは、任せて下さい。ご心配無用です。
フラダンさんへ
nakapa 彫刻清掃をやるようになってから、悪戯は一件もないです。
学校でも話し合って生徒に注意したそうです。アルバイト先の先生の話です。
中島公園の彫刻が日本を代表する作家の作品であることを知らない人が多いのです。
私も、「母と子の像」が悪戯に遭うまで知りませんでした。
彫刻清掃はお任せ下さい。お気持ちだけで十分有難いです。それに私は近所ですから。
おーりーおばさん またまた彫刻のお掃除のシーズンがやってきましたね。中島公園の美しさが保たれているのはボランティアの力が大きいですね。
すばらしい作品が大砲にされてしまったのは損失です。一作品だけでも残ったのはまだ救いでしたね。
金目のものを・・!
空見 こんにちは。
つい、大砲にしたバカヤロウに腹が立ってしまって(爆
あ、先日はちゃちゃさんにお誘いいただきまして、ありがとうございました、はいダイジョウブですw(^人^)
いえね、緑色がフィクションということは?他の会話はノンフィクションなのかと・・。あぁ悩みまする~(笑
なかぱさんは丁寧語、QPさんはイヤミな上司口調、何かが微妙に出てません~?うんうん(≧∇≦)/ ハハ ではまたね~♬
OSS025 ボランティアとして、こうした活動を地道にされている方々には頭がさがります。
やり終えた後の爽快感は、格別と思います。
参加された皆さんとの連帯感も生まれ、次回活動への弾みにもなりますね。
OSSとSSN関係で精一杯の現状ですが、いつか参加させていただけたらと思います。
QPさんの突っ込みにタジタジのなかぱさんが面白いです。
当日のお天気晴れるといいですね。
「アンタのラジオ、ちっとも面白くないね」と、
あまり話したこともない、最近知り合った人から言われた。
”聞かなきゃいいだろう!”と陰の声で反論してやった。 そうしたら、
”お前が聞いてくれと言うから、聞いて上げたんだ!!”と、相手の陰の声が倍になって返ってきた。
こりゃいかん、そんな記憶もおぼろげながらある。 ひとまず、休戦することにした。 陰の休戦だから、実際には一瞬の沈黙があっただけだった。
「ええ、そうかも知れません」と、しぶしぶ同意した。
「意味がないから、直ぐに止めろよ」。まるで親友のような口ぶりだ。
そう言われても、そうは行かない。 聞いてくれている人も少しだけいるし、止めるにしても、ものごとには順序というものがある。
害毒を流しているから止めろと言うのなら、ともかく、「つまらない、意味がない」と言う理由だけではうなずけない。 たまには面白いと言ってくれる人もいる。
しかし、そんなことがあれば、心はしぼむ。 こんな気持ちで、ゲストさんを迎えるわけにも行かない。 とりあえず、規模を縮小して一人で放送することにした。
私としては、意味があるからやっている。 その意味については放送の中で毎回、手を変え品を変え言っている。 いつも同じようなことを言っているから、つまらないのかも知れない。
「あなたはどう思いますか」と、QPに聞いた。
「最初から聞かないって、言ったでしょ」
「そうでしたね。ウッカリしていました」

ところで、「捨てる神あれば拾う神あり」とは本当だ。 太平洋の彼方からラジオ局ににメールが入った。 インターネットで録音を聴いたそうだ。
札幌市内しかカバーしていないコミュニティFM放送だが、録音をブログで聴けるようにしているので、世界中、どこでも聴くことができる。
「……。反応がない! ということで、少し意外でしたが、楽しみで聴いている者も少なからずいるので、これからも ぜひぜひ続けていただきたくメールしました。……」
どうせなら、「たくさんの人が聴いている」と言ってほしいところだが…。
だが待てよ。 「少なからず」というところに真(まこと)がある。
「捨てる神」は市内の居酒屋に現れたが、「拾う神」は、はるか遠く海の彼方に現れた。 ところで、ノーベル賞の田中さんは無名の会社員だったな。
『おくりびと』も海外でアカデミー賞をとったら再上映は、超満員が続いたな。
とか、いろいろ連想された。 お陰さまで続ける元気だけは出てきた。
この次の放送は6月11日(木)夜8時から9時、FMラジオカロス・サッポロ
78.1MHz 「山鼻、あしたもいい天気!」の「ラジオなかぱ」です。
札幌市内なら聴こえます。 よろしかったら、お聴き下さい。
つまらないかもしれませんが…。 スイッチ切れば黙りますから、
怒らないでくださいね。
あまり話したこともない、最近知り合った人から言われた。
”聞かなきゃいいだろう!”と陰の声で反論してやった。 そうしたら、
”お前が聞いてくれと言うから、聞いて上げたんだ!!”と、相手の陰の声が倍になって返ってきた。
こりゃいかん、そんな記憶もおぼろげながらある。 ひとまず、休戦することにした。 陰の休戦だから、実際には一瞬の沈黙があっただけだった。
「ええ、そうかも知れません」と、しぶしぶ同意した。
「意味がないから、直ぐに止めろよ」。まるで親友のような口ぶりだ。
そう言われても、そうは行かない。 聞いてくれている人も少しだけいるし、止めるにしても、ものごとには順序というものがある。
害毒を流しているから止めろと言うのなら、ともかく、「つまらない、意味がない」と言う理由だけではうなずけない。 たまには面白いと言ってくれる人もいる。
しかし、そんなことがあれば、心はしぼむ。 こんな気持ちで、ゲストさんを迎えるわけにも行かない。 とりあえず、規模を縮小して一人で放送することにした。
私としては、意味があるからやっている。 その意味については放送の中で毎回、手を変え品を変え言っている。 いつも同じようなことを言っているから、つまらないのかも知れない。
「あなたはどう思いますか」と、QPに聞いた。
「最初から聞かないって、言ったでしょ」
「そうでしたね。ウッカリしていました」

ところで、「捨てる神あれば拾う神あり」とは本当だ。 太平洋の彼方からラジオ局ににメールが入った。 インターネットで録音を聴いたそうだ。
札幌市内しかカバーしていないコミュニティFM放送だが、録音をブログで聴けるようにしているので、世界中、どこでも聴くことができる。
「……。反応がない! ということで、少し意外でしたが、楽しみで聴いている者も少なからずいるので、これからも ぜひぜひ続けていただきたくメールしました。……」
どうせなら、「たくさんの人が聴いている」と言ってほしいところだが…。
だが待てよ。 「少なからず」というところに真(まこと)がある。
「捨てる神」は市内の居酒屋に現れたが、「拾う神」は、はるか遠く海の彼方に現れた。 ところで、ノーベル賞の田中さんは無名の会社員だったな。
『おくりびと』も海外でアカデミー賞をとったら再上映は、超満員が続いたな。
とか、いろいろ連想された。 お陰さまで続ける元気だけは出てきた。
この次の放送は6月11日(木)夜8時から9時、FMラジオカロス・サッポロ
78.1MHz 「山鼻、あしたもいい天気!」の「ラジオなかぱ」です。
札幌市内なら聴こえます。 よろしかったら、お聴き下さい。
つまらないかもしれませんが…。 スイッチ切れば黙りますから、
怒らないでくださいね。
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ちゃちゃ 私もできたら聴いてみたいなあ。どうすれば聴けるのでしょうかねえ。
ところで、私はB型・中途半端の nakaba さんだと思っていましたが、中島パフェの nakapa さんであらせられるのですね。おーりーおばさんから教えてもらいました。これも衰え始めた視力のせい!ということで、お許しくださいませ、なかぱさま!
露湖ボーイ そうですか~当分の間ゲストなしで・・・
一部分でも参加させていただいた私としては残念です。
以前かかわっていたコミュニティFM(インターネットで視聴可能)のオーナーは、「いやなら聞くな!」が口癖でした
そういうタイトルの番組で絶えずON・AIRしていました
今頃何処で何をしているやら
其の頃一緒にやっていた仲間が若くしてなくなってしまいました。不摂生がたたったのでしょう。
mitchi-jul 2・3年前に「マツサージのS先生」を
FMラジオカロスで放送されましたね。
2年間、第九の合唱に不参加でS先生に、お会いしていません。
同一人物ではないまでも、名前とお仕事が同じでしたね。
ひよどり 残念ながら聴いておりません。
だから感想を申し述べることはできませんが、
nakapaさんの語り口から推測すれば、誠実でユーモラスな放送ではないかと思います。
引き続きのご活躍を大いに期待します。
ちゃちゃさんへ
nakapa 「山鼻、あしたもいい天気!」と言う番組名です。
「中島パフェ」トップページ、右側メニューの
上から3番目をクリックすると関係ブログが表示
されます。札幌市中島公園をPRする番組です。
中島公園ファンでないと、つまらないかも知れません。
「中途半端の nakaba 」とは面白いですね。当たっています。
こちらこそよろしくお願いします。
露湖ボーイ さんへ
nakapa あの節はお世話になり、ありがとうございました。
お陰様で楽しい放送になりました。
このような形になり、申し訳ありません。
心が萎んでしまったので、開くのに時間がかかりそうです。
嫌なら聞かないのが常識ですから、
わざわざ、「つまらない」と言ってくる人がいるとは想定外(笑)でした。
「聞いてくれ」とか言ったのが間違いと、反省すべきは反省しています(笑)。
mitchi-julさんへ
nakapa そうですね。S先生はよく笑う楽しい人でした。
声もいいし、第九の合唱にはピッタシと思います。
もう2年も、第九の方はお休みですか。再開を期待しています。
歓喜の歌はいいですね。健康にもいいとおもいますよ。
ひよどりさんへ
nakapa 遠くから、エールをありがとうございます。
「ご近所の人によるご近所の為の放送」です。
海外からエールを送ってくれた方も、実は、元ご近所さんです。
話すのは苦手なのですが、いろいろ事情があって、やっています。
おーりーおばさん 「スイッチ切れば黙りますから」には笑いました。
インターネットの威力は今更ながらすごいですね。
捨てる神様より拾う神様にたくさん出会いたいものです。
ちゃちゃ 見ました!見ました!なかぱさんのお姿!
聴きました!聴きました!なかぱさんのお声!
ブログに書かれているエッセイから想像してました雰囲気がそこはかとなく感じられ、より親しみを持ちました。今週は偶数月の二週目、中島公園のどんな話が展開されるのか、楽しみにしていますよ、いしかわさん!それにしてもPCってすごい!遠く離れた北海道のFMが聴けちゃうんだもの!帽子を被ってなくても脱帽!です。
新しい肩書が欲しくなったが、無職だから自分でつけないと、誰もつけてくれない。 その代わりいいこともある。自分で好きなようにつけられるのだ。
「それで、憧れの肩書は何てつけた」
「聞いて驚かないで下さい」
「もったいつけるな」
「じゃ~ん、中島パフェ代表です」
「なんじゃ、それ?」
異口同音「なんじゃ、それ?」 言い方は違っても、みんな同じことを言う。
「私、パフェ大好きよ」
「それはそれは、ありがとうございます」
「チョコレートパフェが一番すき」
「はぁ」
「二番目に好きなのが小倉パフェ」
「中島パフェはいかがですか?」
「なによそれ。聞いたことないよ」
そりゃあそうだ。 私だって、ダメだと思っていた。 だから対策はちゃんと練っていた。”中島公園ガイド「中島パフェ」代表”と変更したのだ。 これならちゃんと分かってくれるだろう。 公園の二文字が入っているんだから誰でも分かる。
ところがそうは行かなかった。 ある日中島公園を散歩していると、観光客から道を尋ねられた。 その案内をしたときのことである。
道々、野鳥の話などをして、お互いに盛り上がった。 インターネットをしていることも分かったので、名刺を渡して、「ホームページをよろしく」とお願いした。
「中島公園ガイドですか?」
「はい」
「素晴らしいことですね」
「ありがとうございます。頑張ります!」
「公園に専門のガイドさんが居るとは、素晴らしいことですよ。ここだけかも知れませんね」
ああ、これもダメだった。 自由に肩書を付けられると喜んだのは間違いだった。 自由とは苦しいものだ。 主任とか、係長とか勝手に付けてもらった方が、よほど楽だ。
今更、こぼしても仕方がない。ポジティブ・シンキングだ。 誤解を与えない肩書とは何か、一生懸命考えた。
私は何者か? ボランティアである。
何をしているのか? 中島公園のPRをしている。
決まったぞ!こんどこそ完璧だ。 肩書は「中島公園PRボランティア」とした。 これで決定。 これなら誰にも誤解されることはないだろう。
ということで、名刺を200枚印刷した。自宅のプリンタじゃない。今回は本格的に、印刷屋に頼んだのだ。
「この間、美術関係の懇親会が豪華なホテルでありましてね」
「あんたが美術? 関係ねぇだろう」
「野外彫刻の、お掃除しましたよ」
「ああ、そうかい」
「宴席で、名刺の交換をしましてね」
「肩書は、中島公園PRボランティアとつけたんだって。大丈夫なのかい」
今度こそはと思ったが、やはりダメだった。 自分のしていることを数文字で表すのは本当に難しい。
ところで、もらった名刺には、あの有名な「XータリーXラブXX地区会長」と書いてあった。 白髪の上品な紳士だ。 ニッコリ笑ってこう言った。
「中島公園にはPRのためのボランティアがいらっしゃるのですか」
おや? こんな解釈もありえるのかと戸惑った。
「いえ、その…」
「観光ボランティアなら聞いたことあるのですが、PRボランティアとは珍しいですね。結構なことと思いますよ。 これからはボランティアの時代です。 私も微力ながら協力したいと思います」
「まあ、なんと申しましょうか…」と 冷や汗タラリ。
「ご苦労様です。ところで、何人くらいのグループでしょうか?」
先方は、ただの世間話のつもりかも知れないが、こうなると「私一人」とは、なかなか言いにくいものだ。 そして書きにくい。 この後の展開は、なんとか行間を読んでほしい。

中島公園ほぼ中央の彫刻と薔薇に囲まれた芝生の広場。4月19日撮影
ところで、「艱難、汝を玉にす」というが、このことわざには真実があると思う。 苦しみを超えて新しい発想が生まれたのだ。 こんどこそは完璧である。
「相変わらず、言うことが大袈裟だねぇ」
「人生はドラマです」
「役者がいないぞ」
「新しい肩書が、ようやく決まりました。 こんどこそ完璧です」
「そうかい」
「中島公園近所の住民です」
「それが肩書かい?」
「これほど、私の立場を明確に示したものは、他にありません」
「そりゃあそうだが、オレ知らないよ」
「よく、『肩書がものをいう』とか言うでしょう」
「それがどうした」
「中島公園近所の住民がモノを言うのですよ。 ピッタシでしょう」
「なんか勘違いしてないか」
「それで、憧れの肩書は何てつけた」
「聞いて驚かないで下さい」
「もったいつけるな」
「じゃ~ん、中島パフェ代表です」
「なんじゃ、それ?」
異口同音「なんじゃ、それ?」 言い方は違っても、みんな同じことを言う。
「私、パフェ大好きよ」
「それはそれは、ありがとうございます」
「チョコレートパフェが一番すき」
「はぁ」
「二番目に好きなのが小倉パフェ」
「中島パフェはいかがですか?」
「なによそれ。聞いたことないよ」
そりゃあそうだ。 私だって、ダメだと思っていた。 だから対策はちゃんと練っていた。”中島公園ガイド「中島パフェ」代表”と変更したのだ。 これならちゃんと分かってくれるだろう。 公園の二文字が入っているんだから誰でも分かる。
ところがそうは行かなかった。 ある日中島公園を散歩していると、観光客から道を尋ねられた。 その案内をしたときのことである。
道々、野鳥の話などをして、お互いに盛り上がった。 インターネットをしていることも分かったので、名刺を渡して、「ホームページをよろしく」とお願いした。
「中島公園ガイドですか?」
「はい」
「素晴らしいことですね」
「ありがとうございます。頑張ります!」
「公園に専門のガイドさんが居るとは、素晴らしいことですよ。ここだけかも知れませんね」
ああ、これもダメだった。 自由に肩書を付けられると喜んだのは間違いだった。 自由とは苦しいものだ。 主任とか、係長とか勝手に付けてもらった方が、よほど楽だ。
今更、こぼしても仕方がない。ポジティブ・シンキングだ。 誤解を与えない肩書とは何か、一生懸命考えた。
私は何者か? ボランティアである。
何をしているのか? 中島公園のPRをしている。
決まったぞ!こんどこそ完璧だ。 肩書は「中島公園PRボランティア」とした。 これで決定。 これなら誰にも誤解されることはないだろう。
ということで、名刺を200枚印刷した。自宅のプリンタじゃない。今回は本格的に、印刷屋に頼んだのだ。
「この間、美術関係の懇親会が豪華なホテルでありましてね」
「あんたが美術? 関係ねぇだろう」
「野外彫刻の、お掃除しましたよ」
「ああ、そうかい」
「宴席で、名刺の交換をしましてね」
「肩書は、中島公園PRボランティアとつけたんだって。大丈夫なのかい」
今度こそはと思ったが、やはりダメだった。 自分のしていることを数文字で表すのは本当に難しい。
ところで、もらった名刺には、あの有名な「XータリーXラブXX地区会長」と書いてあった。 白髪の上品な紳士だ。 ニッコリ笑ってこう言った。
「中島公園にはPRのためのボランティアがいらっしゃるのですか」
おや? こんな解釈もありえるのかと戸惑った。
「いえ、その…」
「観光ボランティアなら聞いたことあるのですが、PRボランティアとは珍しいですね。結構なことと思いますよ。 これからはボランティアの時代です。 私も微力ながら協力したいと思います」
「まあ、なんと申しましょうか…」と 冷や汗タラリ。
「ご苦労様です。ところで、何人くらいのグループでしょうか?」
先方は、ただの世間話のつもりかも知れないが、こうなると「私一人」とは、なかなか言いにくいものだ。 そして書きにくい。 この後の展開は、なんとか行間を読んでほしい。

中島公園ほぼ中央の彫刻と薔薇に囲まれた芝生の広場。4月19日撮影
ところで、「艱難、汝を玉にす」というが、このことわざには真実があると思う。 苦しみを超えて新しい発想が生まれたのだ。 こんどこそは完璧である。
「相変わらず、言うことが大袈裟だねぇ」
「人生はドラマです」
「役者がいないぞ」
「新しい肩書が、ようやく決まりました。 こんどこそ完璧です」
「そうかい」
「中島公園近所の住民です」
「それが肩書かい?」
「これほど、私の立場を明確に示したものは、他にありません」
「そりゃあそうだが、オレ知らないよ」
「よく、『肩書がものをいう』とか言うでしょう」
「それがどうした」
「中島公園近所の住民がモノを言うのですよ。 ピッタシでしょう」
「なんか勘違いしてないか」
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暦 う~~ん、肩書きって難しいのですね。
肝腎の人名よりも、
肩書きでその人を見てしまいますからね。
こんな私でも、PCで名刺を作りたくなった時、
どんな肩書きにしようか、
今を表現するために考えちゃいます。
何十年も浪人だったのに。笑
ウフフの小母はん うふふ・・・(平仮名が意味深でしょ?)
男の視点に、ニヤリ !
男の思考にウフフ・・・!
そういえば、タイトル・・・懐かしい、思い出しました。
100倍たのしむ○○とか、もっと完璧○○とか、色々つけて、MLで楽しいメールが飛び交ったことありましたね。
小母はんもその一人でしたが。
新聞の食卓も、こちらの食卓も、たのしむ小母はんです。
イチゴとリンゴの館 いや~「朝の食卓」も面白かったけど、今朝のメールもとてもおかしくて笑っちゃいました。
なかぱさんの人柄がそのまま文章に出ていて楽しい
男性はどうして肩書きにこだわるんだろう・・と
いつも考えますが、縦社会の中で長年生きて来たんだから仕方がないか・・・?何て思っちゃいますが
中々取り除くのには時間が掛かるのですね~
あぁ~男性に生まれなくて良かった~(*^。^*)
暦さんへ
なかぱ はい、肩書は難しいです。特に私のような立場の人間は難しいです。
正確にしないと勘違いされやすいのです。例えば管理事務所の人と間違われます。
ホームページはわざわざ”個人ウェブサイト「中島パフェ」”と個人を明示しています。
考えちゃいますね。
ウフフの小母はん へ
なかぱ 「うふふ・・・」 意味深いです。
「これで完璧Photoshop Elements2.0」でしょう?
ウチの本棚でホコリかぶっています。要らないけれど捨て難い本です。
「肩書」と「これで完璧私の肩書」読んでくれてありがとうございます。
肩書がほしくなったときにお役に立てば幸いです(笑)。
イチゴとリンゴの館さんへ
なかぱ 「肩書」も「これで完璧私の肩書」も笑ってくれてありがとうございます。
失敗を重ねても、正しい肩書のつけかたを研究し続ける覚悟です。
女性はもちろんですが、身近の男性は、肩書には全然こだわっていないと思います。
こだわっているのは私だけです。みなさんが笑ってくれる限りこだわり続けます。
おーりーおばさん 肩書きには男性はこだわるようですね。
女性は肩書きにはこだわりません。
(わたしだけかな?)
肩書きにはしばられたくない気持ちです。
名刺もおもしろ~いものを作ってみたい。
男の料理のおともだちブログに勝手に
リンクを貼らせていただきました。
nonko-mn 何していらっしゃいますか???
から始まる会話そうなると名刺が必要になってくる・・・難しいね。
女は自分自身は要らないけれど、「貴女のご主人何していらっしゃる方」此れにはムッと来る私は「私と付き合う時主人の職業も必要ですか」って反論した事がこの何十年のうち結構有ったわ。
こう言う時は何を期待してるんだろう。
「私の友達に北海道役場の知事婦人が居るのよ」って言うためなの???って思ったことある。
へそ曲りノンコでした~ぎゃははははははは _(__)ノ彡☆ばんばん!
おーりーおばさん へ
なかぱ リンクありがとうございます。
退職した人で肩書にこだわるのは私くらいと思います。
名刺の肩書を4回変えました。まだまだ適当なのが分かりません。
これからも、探し続けるつもりです。
探し続けて一人さまようのも楽しいですよ。
nonko-mn さんへ
なかぱ 名刺は自分の為でなく、受け取る相手の為に作るのですから、それに付ける
肩書には苦労します。
相手と言っても不特定ですが、相手の気持になって作らなければなりません。
「相手に情報を下さい」と頼む場合、どんな人がどんな目的で使か
端的に伝える役目が名刺にあります。
肩書一発で分かれば相手が安心してくれます。話した言葉は忘れられますが、
名刺は残ります。
ところが、無職なものだから自分で肩書を作らなければなりません。
自分が意図したように、相手にはなかなか伝わらない。 ここが悩みです。
3月11日の中島公園です。 人気もなく静かな公園ですが、小さなドラマもあります。 お話ですから、悪い人も出てきます。 本当は良い人かもしれません。 きっと、事情があったのでしょう。 話を短かく纏めるために悪役になってもらいました。
中島公園が大好きな小父さんは毎日、散歩に来ていました。 ある日、「この公園の為になることをしよう」と思い立ちました。 地下鉄駅付近の園路に自転車が乱雑に置かれているのを見て、これを奇麗に並べることにしました。

小父さんの大好きな景色は池越しに観える藻岩山です。
自転車の整理を始めて、しばらくすると「小父さん、おはよう。いつもありがとう」と声をかけてくれる人も現れました。 小父さんは嬉しくなって、一日に何回も整理するようになりました。 乱雑に置く人は多く、一回だけでは間に合わないのです。
雨の日も風の日も、雪の日でさえ、そこに自転車がある限り、キチンと並べなくては気がすまなくなりました。 驚くことに、一日も休まず14年間も続けたのです。
小父さんには二つの楽しみがありました。 一つは自転車がキチンと並びきれいになった中島公園を観ること。 もう一つは、「おはよう」「ありがとう」「元気?」と声をかけてくれる人たちとのふれあいです。これがあるから14年間も続けることができました。
「小父さん、大変だね。オレもキチンと置くから」と言われると、「いいですよ。私の健康の為だから」と顔をほころばせて応えます。 しかし、小父さんの心を深く傷つけることが起こってしまいました。 世の中には心のない人もいるものです。
ある朝、小父さんが自転車を整頓していると、自転車を乗り捨てるように置きっ放しにして行こうとする人がいました。 小父さんはたまりかねて注意しました。
「ちょっと、すみません。そこは通り道ですよ」
「アンタだれ?」と、凄味のある目でにらまれました。
小さな声で「ポランティアです」。
「なに、それ? 何の権利があって文句言うのよ!」
「通り道に置いたら迷惑しますから…」
「うるさいわね! ワタしゃアンタみたいな暇人じゃないのよ」

画像右側、並木の横に立て看板と木に貼った「注意書き」
自転車を整頓する小父さんの姿が見えなくなって半年たちました。 乱雑に置かれた自転車の横には、「ここに自転車を置いてはいけません」と書かれた看板が立っています。
中島公園が大好きな小父さんは毎日、散歩に来ていました。 ある日、「この公園の為になることをしよう」と思い立ちました。 地下鉄駅付近の園路に自転車が乱雑に置かれているのを見て、これを奇麗に並べることにしました。

小父さんの大好きな景色は池越しに観える藻岩山です。
自転車の整理を始めて、しばらくすると「小父さん、おはよう。いつもありがとう」と声をかけてくれる人も現れました。 小父さんは嬉しくなって、一日に何回も整理するようになりました。 乱雑に置く人は多く、一回だけでは間に合わないのです。
雨の日も風の日も、雪の日でさえ、そこに自転車がある限り、キチンと並べなくては気がすまなくなりました。 驚くことに、一日も休まず14年間も続けたのです。
小父さんには二つの楽しみがありました。 一つは自転車がキチンと並びきれいになった中島公園を観ること。 もう一つは、「おはよう」「ありがとう」「元気?」と声をかけてくれる人たちとのふれあいです。これがあるから14年間も続けることができました。
「小父さん、大変だね。オレもキチンと置くから」と言われると、「いいですよ。私の健康の為だから」と顔をほころばせて応えます。 しかし、小父さんの心を深く傷つけることが起こってしまいました。 世の中には心のない人もいるものです。
ある朝、小父さんが自転車を整頓していると、自転車を乗り捨てるように置きっ放しにして行こうとする人がいました。 小父さんはたまりかねて注意しました。
「ちょっと、すみません。そこは通り道ですよ」
「アンタだれ?」と、凄味のある目でにらまれました。
小さな声で「ポランティアです」。
「なに、それ? 何の権利があって文句言うのよ!」
「通り道に置いたら迷惑しますから…」
「うるさいわね! ワタしゃアンタみたいな暇人じゃないのよ」

画像右側、並木の横に立て看板と木に貼った「注意書き」
自転車を整頓する小父さんの姿が見えなくなって半年たちました。 乱雑に置かれた自転車の横には、「ここに自転車を置いてはいけません」と書かれた看板が立っています。
久しぶりに友人Aさんに会ったので最近の出来事を話してあげた。
中島公園では毎朝6時30分になると、三々五々に集まり、ラジオ体操を始める。雨が降っても雪が降っても…。
それぞれの人が好きな場所で勝手に体操をする。 中には犬を連れた人もいる。

「デジカメ持って散歩していると、犬を連れたオジサンがラジオ体操をしていたんです。 可愛い犬でしたよ」
「そうかい」
「ワンちゃんに、写真撮っていいですか~?と聞いたら、ハ~イと答えてくれました」
「犬がハ~イと言うわけないだろう」
「黙って撮るわけにも行かないでしょう。 答えたのは飼い主のオジサンですよ。 ラジオ体操していたので、短い返事しかできなかったのです」
「体操しながら、ハイと言ってくれたんだな」
「それで、犬にカメラ向けて笑って笑ってと言ったのですよ。 黙って撮るのも失礼かと思いまして」
「飼い主にに失礼ということだな。笑ったかい」
「それがなかなか笑わないのです」
「オジサンが?」
「犬」
「そりゃそうだろう」
「最初は大人しかったのですが、2回目に笑ってもらえました」
「ほう~。犬がね~?」
「ワンワン」
中島公園では毎朝6時30分になると、三々五々に集まり、ラジオ体操を始める。雨が降っても雪が降っても…。
それぞれの人が好きな場所で勝手に体操をする。 中には犬を連れた人もいる。

「デジカメ持って散歩していると、犬を連れたオジサンがラジオ体操をしていたんです。 可愛い犬でしたよ」
「そうかい」
「ワンちゃんに、写真撮っていいですか~?と聞いたら、ハ~イと答えてくれました」
「犬がハ~イと言うわけないだろう」
「黙って撮るわけにも行かないでしょう。 答えたのは飼い主のオジサンですよ。 ラジオ体操していたので、短い返事しかできなかったのです」
「体操しながら、ハイと言ってくれたんだな」
「それで、犬にカメラ向けて笑って笑ってと言ったのですよ。 黙って撮るのも失礼かと思いまして」
「飼い主にに失礼ということだな。笑ったかい」
「それがなかなか笑わないのです」
「オジサンが?」
「犬」
「そりゃそうだろう」
「最初は大人しかったのですが、2回目に笑ってもらえました」
「ほう~。犬がね~?」
「ワンワン」
「すすきの祭り」にいってきました。主な目的は花魁道中の写真を撮ることです。 花魁ご一行は豊川稲荷神社前を19時40分に出発しました。
豊川稲荷神社は薄野遊郭の娼妓達を供養し、その陰にある水子と現代の水子(見ず子)の霊を慰める目的で建立されました。
提灯に「薄野祭り」と書いてありますね。

一番後ろの人はカメラマンです。

花魁の履物を見て下さい。ずいぶん高いですね。歩き方が面白いですよ。男性の肩を借りないと歩けないようです。

今年の花魁道中は以前と比べると、少し寂しいような気がしたのは私だけでしょうか。 4年前見たときは札幌の中心三越前出発と記憶しています。現在は薄野娼婦、縁の地ではありますが、薄野のはずれの豊川稲荷神社出発です。
新聞の前宣伝が何もないのです、薄野観光協会に電話をかけて花魁道中の出発時間を聞くありさまでした。ネットでも探せなかったです。
翌日の新聞を読んでも、「すすきの祭り」に北海道知事が参列したことは書いてありますが、花魁道中の記事は一行もありません。
ちなみに見出しは「夏の夜はビール! すすきの祭り開幕」でした。 やはり「女性差別問題」が尾を引いているのでしょうか。
豊川稲荷神社は薄野遊郭の娼妓達を供養し、その陰にある水子と現代の水子(見ず子)の霊を慰める目的で建立されました。
提灯に「薄野祭り」と書いてありますね。

一番後ろの人はカメラマンです。

花魁の履物を見て下さい。ずいぶん高いですね。歩き方が面白いですよ。男性の肩を借りないと歩けないようです。

今年の花魁道中は以前と比べると、少し寂しいような気がしたのは私だけでしょうか。 4年前見たときは札幌の中心三越前出発と記憶しています。現在は薄野娼婦、縁の地ではありますが、薄野のはずれの豊川稲荷神社出発です。
新聞の前宣伝が何もないのです、薄野観光協会に電話をかけて花魁道中の出発時間を聞くありさまでした。ネットでも探せなかったです。
翌日の新聞を読んでも、「すすきの祭り」に北海道知事が参列したことは書いてありますが、花魁道中の記事は一行もありません。
ちなみに見出しは「夏の夜はビール! すすきの祭り開幕」でした。 やはり「女性差別問題」が尾を引いているのでしょうか。
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はじめまして
さくさくる 懐かしく思い検索していたら辿り着きました。
確か1988年前後。私が子供の頃、見に行った花魁道中はお稲荷様出発でした。年によって、三越だったりするんですかね?
さくさくるさんへ
nakapa はじめまして、訪問有難うございます。
よくぞ検索して下さいました。実は私も、2回しか花魁道中を見たことありません。
そのときは出発が三越前と記憶しています。今回は4年ぶりに見て、
さみしいなあと思いました。
さくさくる 懐かしく思い検索していたら辿り着きました。
確か1988年前後。私が子供の頃、見に行った花魁道中はお稲荷様出発でした。年によって、三越だったりするんですかね?
さくさくるさんへ
nakapa はじめまして、訪問有難うございます。
よくぞ検索して下さいました。実は私も、2回しか花魁道中を見たことありません。
そのときは出発が三越前と記憶しています。今回は4年ぶりに見て、
さみしいなあと思いました。
中島公園近所に転居したのは2001年9月のことです。 転居して1年目は本当によく事件が起きました。 全国版のテレビでも報道されましたが、高齢の元暴力団組長が銃撃されて亡くなったのも近所です。
また、徒歩2分のところに電停がありますが、そこでもお爺さんが亡くなりましたが、これは交通事故です。家の前の火事では90歳のお婆さんが亡くなりました。 何しろ隣の地区は「薄野」で暴力団事務所が30軒もあると言われています。分かりやすく言えば、渋谷の盛り場の外れが円山の色町でその隣が松涛の住宅街ですね。
それと同じように札幌の中心街の南が「薄野」でその外れが私たちが住んでいる「山鼻」と呼ばれる札幌で最も古い住宅街なのです。 薄野に近いので、子どもを育てるには環境がいまひとつということで、長い間家族で住むには相応しくないと思われてきました。
しかし、最近はずいぶん変わってきました。 家族用住宅(マンション)も増えました。 11年前に、札幌コンサートホール・キタラができたことも環境改善の大きな助けになっていると思います。

札幌コンサートホール・キタラのロビー
中島公園の近くに転居してとても好かったと思っています。 まさに「残り物に福あり」の感じです。
また、徒歩2分のところに電停がありますが、そこでもお爺さんが亡くなりましたが、これは交通事故です。家の前の火事では90歳のお婆さんが亡くなりました。 何しろ隣の地区は「薄野」で暴力団事務所が30軒もあると言われています。分かりやすく言えば、渋谷の盛り場の外れが円山の色町でその隣が松涛の住宅街ですね。
それと同じように札幌の中心街の南が「薄野」でその外れが私たちが住んでいる「山鼻」と呼ばれる札幌で最も古い住宅街なのです。 薄野に近いので、子どもを育てるには環境がいまひとつということで、長い間家族で住むには相応しくないと思われてきました。
しかし、最近はずいぶん変わってきました。 家族用住宅(マンション)も増えました。 11年前に、札幌コンサートホール・キタラができたことも環境改善の大きな助けになっていると思います。

札幌コンサートホール・キタラのロビー
中島公園の近くに転居してとても好かったと思っています。 まさに「残り物に福あり」の感じです。
中島公園の景観を残すことは、札幌の歴史を残すことと同じと思います。中島公園は明治時代の公園としては非常に珍しく、地元住民の意思で造園されました。
菖蒲池の向こうに望む藻岩山の景観は絶景です。札幌の父なる山、藻岩山あっての中島公園です。その藻岩山連峰が最近、高層ビルの建設で徐々に隠れ始めています。

北海道遺産という制度がありますが、首尾よく中島公園が北海道遺産に選ばれれば、景観を守ろうと言う札幌市民の意識も高まり、地域住民の協力も期待しやすくなるでしょう。
中島公園に移築された国の重要文化財である、豊平館や八窓庵は、古き良き札幌の景観とともにあって、移築の正当性を主張できると考えます。 ビルの谷間に隠れてしまうのなら、元の場所にあったほうがいいでしょう。
中島公園の隣は薄野です。夜の街として知られていますが、もう一つの顔は寺町です。中島公園周辺から薄野にかけて寺や神社が数多くあります。 その他、札幌の古い部分が残されています。 札幌も900年すれば千年の古都であることを忘れてはなりません。
札幌駅前の発展が著しく感じる今日この頃ですが、気にかけることはありません。 幸い、薄野を含めた中島公園周辺には札幌の古い部分が残っています。 新しいものを作るより古いものを残すほうが重要です。少なくとも札幌南部については「歴史ある街」を目指すべきと思います。
中島公園の北海道遺産指定は、その第一歩です。藻岩山を含む中島公園の景観を残すことは、札幌の歴史を残すことと同じではないでしょうか。
菖蒲池の向こうに望む藻岩山の景観は絶景です。札幌の父なる山、藻岩山あっての中島公園です。その藻岩山連峰が最近、高層ビルの建設で徐々に隠れ始めています。

北海道遺産という制度がありますが、首尾よく中島公園が北海道遺産に選ばれれば、景観を守ろうと言う札幌市民の意識も高まり、地域住民の協力も期待しやすくなるでしょう。
中島公園に移築された国の重要文化財である、豊平館や八窓庵は、古き良き札幌の景観とともにあって、移築の正当性を主張できると考えます。 ビルの谷間に隠れてしまうのなら、元の場所にあったほうがいいでしょう。
中島公園の隣は薄野です。夜の街として知られていますが、もう一つの顔は寺町です。中島公園周辺から薄野にかけて寺や神社が数多くあります。 その他、札幌の古い部分が残されています。 札幌も900年すれば千年の古都であることを忘れてはなりません。
札幌駅前の発展が著しく感じる今日この頃ですが、気にかけることはありません。 幸い、薄野を含めた中島公園周辺には札幌の古い部分が残っています。 新しいものを作るより古いものを残すほうが重要です。少なくとも札幌南部については「歴史ある街」を目指すべきと思います。
中島公園の北海道遺産指定は、その第一歩です。藻岩山を含む中島公園の景観を残すことは、札幌の歴史を残すことと同じではないでしょうか。
どこの誰とは言わないが、経済観念がまったくない。 気前がよいわけでもない。 メンドウな事が嫌いで、ただ楽をしたいだけの若者である。 およそ6年前、荷物を全部置いて身体一つで家を出た。 ときどき帰ってくるので、家出ではない。
誰に似たのか不精なのだ。やたらに手間を惜しむ。「部屋は借りたいが引越し作業は嫌だ」。ただそれだけの話。 身の回りの物だけを持って出て行ってしまった。 いずれ荷物は取りにくると思っていたがいまだに置いたままである。
1年たったとき、荷物は拾得物として処理することにした。 整理したらいろいろ出てきた。 大きい物ではエレキギター&アンプ、パソコン、プリンタ、カメラ、スキャナなど沢山。細かいものではクーポン券、切手、紙、封筒、その他文房具がいっぱい。 切手はかなりあり、6年間使ってもまだ残っている。
しかし、事務用品はどうしようかと悩んだ。 もったいないから何かに使えないかと考えたが、無職だから使う機会がない。 それで思いついたのが東京の親戚への「近況報告」。 単なる手紙ではない。パソコンの練習を兼ねて新聞のスタイルをまねてみた。
それが、いわゆる「情報発信」の始まりだった。 その後、ホームページを開設し、昨年末にはブログを公開した。 「近況報告新聞」もホームページやブログも主な記事は全部中島公園をテーマにした。

5年前の中島公園、地下鉄幌平橋駅裏

2004年9月8日の台風18号の後、同じ場所
約100年かけて造られた中島公園が以前の姿に戻るのはいつだろうか。
誰に似たのか不精なのだ。やたらに手間を惜しむ。「部屋は借りたいが引越し作業は嫌だ」。ただそれだけの話。 身の回りの物だけを持って出て行ってしまった。 いずれ荷物は取りにくると思っていたがいまだに置いたままである。
1年たったとき、荷物は拾得物として処理することにした。 整理したらいろいろ出てきた。 大きい物ではエレキギター&アンプ、パソコン、プリンタ、カメラ、スキャナなど沢山。細かいものではクーポン券、切手、紙、封筒、その他文房具がいっぱい。 切手はかなりあり、6年間使ってもまだ残っている。
しかし、事務用品はどうしようかと悩んだ。 もったいないから何かに使えないかと考えたが、無職だから使う機会がない。 それで思いついたのが東京の親戚への「近況報告」。 単なる手紙ではない。パソコンの練習を兼ねて新聞のスタイルをまねてみた。
それが、いわゆる「情報発信」の始まりだった。 その後、ホームページを開設し、昨年末にはブログを公開した。 「近況報告新聞」もホームページやブログも主な記事は全部中島公園をテーマにした。

5年前の中島公園、地下鉄幌平橋駅裏

2004年9月8日の台風18号の後、同じ場所
約100年かけて造られた中島公園が以前の姿に戻るのはいつだろうか。
およそ6年前にホームページ作成の為にデジカメを購入。その後、偶然の機会にプロのカメラマンと話すことがあった。 彼はいろいろ写真の撮り方を教えてくれたが、私はその方面には無関心だったので、「写真は記録や情報の伝達の為に撮っています」と生意気なことを言ってしまった。
当時は中島公園のウェブサイト「中島パフェ」を開設して2年を経過。 Yahoo!Japanカテゴリにも掲載され、それなりの手ごたえを感じていた。 テレビにも台風後の中島公園を撮った写真が4枚も紹介され、新聞にも「難儀する鴨」の写真が2枚掲載された。
他に同様なサイトがないのだから当たり前のことだが、少しいい気持ちになっていたように思う。 そのことを話すと、「それはたまたま、その場に居たから撮れただけ。そんな偶然が続くわけがない。写真を記録や情報の伝達に使いたいなら、文章をキチンと書けなけりゃダメだ」
と言われ、これは大変なことになったと思った。文章など仕事でも趣味でも書いたことがないのだ。 とりあえず、「中島パフェ」の更新のときに説明文を、少し書くようにした。練習の為だ。 不思議なもので、書いている内にだんだん面白くなってきたのである。
気がついてみると「中島パフェ」のアチコチに中島公園と関係ない雑文が書かれている状態になってしまっていた。 「中島パフェ」運営の目的は中島公園を知ってもらうことにある。中島公園と関係のないことや、自分の思い込みなどが、あちこちに書いたあってはうまくないと思うようになってきた。
そう思って開設したのが、「中島公園deエッセイsay!」である。 このブログには、自分の書きたいことを綴っている。 中島公園、ジョーク、人生感、その他屁理屈まで書いてある。 エッセイと称する駄文も事実に基づいて書いている。 事実のみではどうしても、世間をはばかり、人を恐れ真実に迫れない。 事実を想像という形で補完して自分の「想い」を書いているつもりである。
その他、書きたいことは何でも書いているので、雑然として統一が取れていないことは否めない。書きながら一定の方向を模索したいと思っている。
当時は中島公園のウェブサイト「中島パフェ」を開設して2年を経過。 Yahoo!Japanカテゴリにも掲載され、それなりの手ごたえを感じていた。 テレビにも台風後の中島公園を撮った写真が4枚も紹介され、新聞にも「難儀する鴨」の写真が2枚掲載された。
他に同様なサイトがないのだから当たり前のことだが、少しいい気持ちになっていたように思う。 そのことを話すと、「それはたまたま、その場に居たから撮れただけ。そんな偶然が続くわけがない。写真を記録や情報の伝達に使いたいなら、文章をキチンと書けなけりゃダメだ」
と言われ、これは大変なことになったと思った。文章など仕事でも趣味でも書いたことがないのだ。 とりあえず、「中島パフェ」の更新のときに説明文を、少し書くようにした。練習の為だ。 不思議なもので、書いている内にだんだん面白くなってきたのである。
気がついてみると「中島パフェ」のアチコチに中島公園と関係ない雑文が書かれている状態になってしまっていた。 「中島パフェ」運営の目的は中島公園を知ってもらうことにある。中島公園と関係のないことや、自分の思い込みなどが、あちこちに書いたあってはうまくないと思うようになってきた。
そう思って開設したのが、「中島公園deエッセイsay!」である。 このブログには、自分の書きたいことを綴っている。 中島公園、ジョーク、人生感、その他屁理屈まで書いてある。 エッセイと称する駄文も事実に基づいて書いている。 事実のみではどうしても、世間をはばかり、人を恐れ真実に迫れない。 事実を想像という形で補完して自分の「想い」を書いているつもりである。
その他、書きたいことは何でも書いているので、雑然として統一が取れていないことは否めない。書きながら一定の方向を模索したいと思っている。
以前、北海道新聞で、ススキノの魅力アップのため官民で取り組む「クリーン薄野活性化連絡協議会」設立総会の記事を読みました。 札幌駅前が発展する中で、少し寂しさを感じるススキノのために大変タイムリーな企画と思いました。

具体的に話が進むなら、一つ提案があります。ススキノを夜の繁華街だけと見ないで、由緒ある札幌の下町と位置づけてほしいのです。
かって「寺町」と呼ばれ、現在でも寺が多い土地柄です。隣接する中島公園は「歴史と芸術、水と緑の公園」として独特の個性があり、周囲には由緒ある神社が3社あります。 これらの地域特性を有効に活用し、個性を伸ばす方向での街づくりが大切と思います。
具体的に言えば古い建物は保存し、新しく建てる場合は古いものとの調和を図り、ススキノを中心とする札幌南部を歴史ゾーンとして発展させることです。
未来の街、札幌駅前。そして、歴史の街、ススキノという風に、南北の地域に特性をもたせ、多様性のある札幌を目指し、その中でススキノの活性化を図るべきと思います。

具体的に話が進むなら、一つ提案があります。ススキノを夜の繁華街だけと見ないで、由緒ある札幌の下町と位置づけてほしいのです。
かって「寺町」と呼ばれ、現在でも寺が多い土地柄です。隣接する中島公園は「歴史と芸術、水と緑の公園」として独特の個性があり、周囲には由緒ある神社が3社あります。 これらの地域特性を有効に活用し、個性を伸ばす方向での街づくりが大切と思います。
具体的に言えば古い建物は保存し、新しく建てる場合は古いものとの調和を図り、ススキノを中心とする札幌南部を歴史ゾーンとして発展させることです。
未来の街、札幌駅前。そして、歴史の街、ススキノという風に、南北の地域に特性をもたせ、多様性のある札幌を目指し、その中でススキノの活性化を図るべきと思います。