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朝食はテレビを消して話しながらとる。 「朝の食卓」の話題は近所の中島公園、健康、そして札幌シニアネット(SSN)、カラオケ、歩こう会など。
地下鉄でのことだが、席がないので棒に掴まって立っていた。若者がカバンを横に置いて二人分の席を占有している。その前に立っているお婆さんが「あなた、カバンを膝に乗せて頂けません」と言った。

いい度胸しているなと感心した。一方、若者の方はどうしたかと言うと。何かに気付いたように、ニッコリ笑うと「すみません」と言って立ってしまった。手には重そうなカバンを下げている。

お婆さんは座らない。若者は立ったまま。こんな状況では「座りたい病」の私でも座ることに躊躇する。一瞬のことだが、二人分の空席のそばに、ヨボヨボの老人二人、重いカバンを持った若者が立つことになった。これは異常事態だ。

ところが、お婆さんは私の向かってニッコリ笑いかけ、「どうぞ、お座りください」と優しい声で言うではないか。席は二人分だから、「有難うございます」と関係者二人に礼を言って座った。もちろんお婆さんも一緒に座るものと思っていた。

意外にもお婆さんは座らない。と言うことは、私の為に若者に注意したのかな? つまりヨボヨボな老人の為にひと肌ぬいだ元気な女性なのだろうか。私より年上に見えるのだが。全ては3秒間以内で起こった一瞬の出来事だが何故かしっくりしない。

座りながらいろいろ考えた。疑り深い私はシナリオが書き替えられたと思った。彼女の描いた筋書きは若者がカバンを膝に乗せ、自分がそこに座るという単純なものに違いない。ところが若者が立ったので筋書きに狂いが生じたのだ。

彼女は急きょ気の毒な老人を助けるシナリオに書き換えたのではないか。なんと頭の回転が早いことだろう。座っている私はフーテンの寅さんのセリフを思い出した。「見上げたもんだよ屋根屋のフンドシ」。書けば長いが全て3秒以内の出来事だ。

「お婆様こそお座りになって下さい」とか言ってやればよかった。
とか思ったがもう遅い。二人分の席が空いたのだから二人とも座るのが当然と思い込んでいた私がバカだった。人の心は複雑なのだ。

疲れた老人に見えない様に、外出する時はサッパリした身なりと正しい姿勢を心掛けているつもりだ。しかも座りたくないフリをして席の前を避けて立っていた。にも拘わらず座りたがっている老人と思われた。いかにしたら年寄と見破られないか。何かいい方法はないものだろうか。

ピーピーの法則:年寄と見破られない方法はない。なぜなら年寄だからだ。

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【2016/05/07 00:00】 | 愚かな私
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そよ風
たまたま、このブログを目にした者ですが、席に座るのは
必ずしも老人ばかりではないと思います。
若者でも座りたい時はある筈です。
例えば徹夜で仕事をして疲れきった時など、優先座席でも空席だともう座りたい!と言う気持ちになるのです。

もし席を譲られた場合は見栄を張らないで素直に座って下さい。


コメント有難うございます
PP
そよ風様、はじめまして。
コメント有難うございます。
仰る通りと思います。思いが至りませんでした。
人様の親切は有難くお受けしたいと思います。

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ある種のコンプレックスは人間をつくる。私の場合は頭に劣等感を持っていた。そのお陰でこのような穏やかで控えめな人になれたのだ。しかし、周囲で同じ様な頭の人が増えるに連れて化けの皮が徐々に剥がれて来た。本来の派手好きで目立ちたがり屋の部分で出て来てしまうのだ。困ったものだ。私はどうなるのだろうか。

「良いニュースと悪いニュースがある。どっちを先……」
「どっちでもいいですよ。先輩も私もヒマなんですから」
「実はな、アメリカの偉い科学者が、5年以内にハゲを無くすと言ってるんだよ」
「5年と言うと私は80歳ですね」
「もうちょっと早く出ればよかったな」
「そうですね。40年くらい前とか……」

週刊ポスト2016年2且26日号の新聞広告にこう書いてあった。「話題沸騰!! 謎はすべて解けた。あと5年で『ハゲはすべて治る』米『サイエンス』誌の注目論文」。

記事を信じるとしても、金もかかるだろうし、髪の手入れも必要だ。しかも肝心な命がいくら残っているかも分からない。皆がやらない限り、絶対にやりたくない。しかし周りの皆がやり出したらどうしよう。私一人がハゲというのも楽じゃない。

今から30年くらい前は、私一人ハゲていて辛かった。最近になって漸く周囲に同じような人が増えて気が楽になったのだ。今更解決すると言われても嬉しくもない。80歳になって頭が黒々してくる自分を想像できない。何となく不自然だ。

「毛生え薬の話は昔からあるけれど、未だに解決されていません」
「昔っていつだ?」
「先輩も生まれていない明治時代の話です」
「チョンマゲが終わったら早速ハゲの心配か」
「日本人も欧米人並にハゲが目立つようになったのです」
「そうか、チョンマゲはハゲ隠しになっていたんだな。昔の日本人は頭が良かった」
「アメリカの医学博士が画期的な『毛生液』を開発したと言う話があったのです」
「日本でも売っていたのか」
「日本産ですよ。明治から大正にかけて洋風イメージで売っていたそうです」

中国の毛生え薬も評判だったが、今度は世界で特に権威がある学術雑誌の一つとされているアメリカの「サイエンス」誌の話だ。今度こそとは思うけれど、もう遅い。

「毛生え薬は狼少年ですね」
「そうだそうだ。発明、発見も聞き飽きた」
「興味もなくなりました」
「俺たちは、ついに時間切れだな」

「生まれ変わったらハゲが居ません」
「寂しいな~」
「短足もデブもいないのです」
「なんだと?」
「ハゲを克服した人類が、他の問題を解決できないはずはないでしょう」
「なるほど」

「スタイルのいい綺麗な人ばかりになってしまいます」
「結構なことじゃあないか」
「誰が誰だか分からなくなりますよ」
「それは大変だ」
「そうでしょう」
「面と向かってオレオレ詐欺をやられちゃうよ」

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困ったことに情け深くなってしまった。食事後の洗い物の山を見ると、QPが気の毒で洗ってやりたくなる。しかし面倒くさいという思いに負けてしまう。

そんな時は、育児休暇と不祥事でマスコミを賑わしたミヤザキ国会議員(当時)の言葉を思い出す。不倫に関する軽率な行動の理由を問われ「未熟な人間としての『欲』が勝ってしまった」と言ったそうだ。

まるでゲームの勝敗を伝えているような感じだ。勝ったのは「未熟人間欲チーム」だから、負けたのは理性ある成熟チームに違いない。そしてミヤザキさんご自身は観客のような感じだ。流石は国会議員、上手いことを言うものだと感心した。何処の誰もが、どんな状況でも使える極めて便利な言葉である。

怠け者の私がこれに注目しないはずがない。さっそく使わせてもらうことにした。先ずは練習、一人でつぶやいてみた。「家事をしないのは未熟な人間としての『欲』が勝ったからです」。何となくよそ事の様な気がして楽になった。

自分の中にある面倒くさいという思いに負けてしまうのだが、ミヤザキ流に言うと、未熟な人間としての「欲」が勝ったのだ。何だか別人のような気がするから有難い。台所にある洗い物の山を見て悩んでいたが、余計な心配だった。私は勝ったのだ。未熟な部分でも私の分身である。これでいいじゃないか。

ミヤザキさんは無敵だ。ゲームには全て勝つだろう。今回勝ったのはミヤザキさんの未熟部分だが、成熟部分は何時勝つのだろうか。今後の活躍分野を考えてみたら、ミヤザキさんには子育てと言う大切な仕事があったのだ。

せっかくのイケメンなんだから、今後はイクメンとしても頑張って欲しい。内なる敵、未熟な人間としての「欲」に勝ってほしいのだ。ミヤザキさんの「欲」は史上最強ゴジラ並みの強さだから勝つと言っても容易ではない。

これに対抗できるのは可愛い赤ちゃんしかいない。今後は専業主夫として子育てに専念してほしい。国会議員として初めて育児休暇を取っのだから子育てに対する意気込みも並々ならぬものがあると思う。 

頑張れ子育て! 目指せ赤ちゃん大会優勝!!




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【2016/03/19 00:00】 | 愚かな私
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ガンバレ赤ちゃん!!
路傍の石
「未熟な人間としての『欲』が勝ってしまった」と公言して憚らない人が
国会議員・・・情けないです。

日本の未来がホント心配!

ガンバレ赤ちゃん!!
欲に負ける人を見習っちゃダメよ~。

どうしちゃったんでしょうか
PP
そうですね。困ったことです。
赤ちゃんを見習ってほしいですね。
いつも精一杯、力一杯、生きています。
近頃は続々と困った政治家が出てきます。
どうしちゃったんでしょうか。

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最近は満員電車も乗らないので他人様に触れることもない。人形劇場に初めて入った私は、想定外の超満員でビックリした。とにかく見知らぬ人と身体を触れ合っての観劇は初めてだ。お尻を、後ろの座席の人に、足でコチョコチョやられるとくすぐったいというよりも、気持ちが悪い。

だから、狭いとはいえ前席の女性の尻に足が触らない様に注意しなければならない。しかし超満員では不可能だ。触っても動かしてはならない。これが腰痛持ちの私にとっては大変辛いことだった。

私のお尻辺りでは大きな足がモゾモゾしている。外国の大男らしい。振り向くわけにも行かないので見ていない。英語を話しているのが聞こえるからそう思ったのだ。日本人の女生と何やら話している。突然女性の大きな声、「すみません。この方、腰が痛いそうです。後ろのベンチに座らせて上げてください」。

う~ん、やられた。先手を取られた。私も腰痛持ちなのだ。この姿勢を1時間もやっていたら腰痛が出そうだと心配していた。二つのベンチは満席だ、やりくりして座らせるのだろう。こんな状況で2番目はない。いずれにしろ厳しい観劇になりそうだ。

この劇場は階段式になっている。ざっと見ると50人くらいが限度な感じだ。しかし子供だけなら、もっと入るだろう。今回は大人が3分の2以上を占めている。一体何人入ったのだろう。ともかく人と人が触れ合わなければならない程入っていた。

なんでこんな風になってしまったのだろう。入場すると観客は前の2列に座っているだけだった。自由席なのに後ろの方はがら空きだ。その辺りに座ろうとすると案内係に注意された。

「前から順番に詰めてください」
なるほど、これで前の2列だけが埋まっている訳が分かった。私は人形が小さいので、よく見えるように前の方に陣取って居るのだと思っていた。実は詰めさせられていたのだ。もちろん、私も指示には素直に従った。

「もう一段詰めてください」と言われてビックリした。
「足の置き場がないのですが」
「お尻の横に足を入れてください」

やっと状況が飲み込めた。丸い尻と尻の間にできる僅かな空間に足先を入れろと言うことだ。つまり人を鮨詰めにするつもりなのだ。そうしなければ入り切れない程の人たちが押し寄せて来るのだろう。大変な所に来てしまったと思ったが、もう遅い。

腰痛だから無理な姿勢は止めて立とうとしたが、無理だった。私は前から三列目、鮨詰め状態では最後列から順番に一人ずつ抜けて後ろの人全部が動いてくれない限り出て行けない。しかも出て言っても立つ場所があるかどうかも分からない。

しかし、係りの人も如何にして待っている人を座席に着けさせるか苦労している。私は一生懸命働いている人たちを批判する気持ちは一つもない。狭い場所で前後左右の人たちと触れ合いながら腰を守っていた。いざとなれば人様の迷惑は考えないで立つ覚悟だ。私だって一生懸命なのだ。開演すると劇に引き込まれ腰のことは忘れてしまった。この次は空いている時に行ってのんびりと楽しみたいと思う。

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【2016/03/12 00:00】 | 愚かな私
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大人も楽しめる人形劇っていいね!
路傍の石
せっかくの観劇、大変でしたね。
その後 腰は痛くなりませんでしたか。

人形劇場なら入場者は子供が多いと思っていましたが、
大人が3分の2以上とは珍しい。

子供一人に両親が付き添い?
そんな事ありませんよね。

大人も楽しめる内容でした
PP
1週間に一度はリハビリに行っています、
そのせいか腰痛は起きませんでした。
親子より大人どおしが多かったです。
予想外でした。いろいろ予想外でしたね。
大人も楽しめる内容でした。

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落語は楽しいと思っていたが怖い落語もある。笑わなくては叱られると思い怖くなるのだ。そんな経験をしたことがる。ところで、二人の会話は楽しいけれど、ときには噛み合わせが悪く。気分が悪くなることもある。それでも謝ればほぼ一瞬で解決する。謝罪は心の特効薬、使いすぎても副作用のない無料の薬だ。考え甘いかな?

QPは医学が大好きだ。先生はテレビ、最近は学ぶ機会が増えている。
「レントゲン写真を見た医者が、心臓が右にあるって言うんだから困ったもんだね」
「心臓が右? 困ったどころか深刻な問題ですよ」
「心臓は左に決まっているでしょ」
「内臓逆位の人は心臓も右でしょう」
「そんな人いる訳ないじゃない」

「5000人一人くらいは居るそうですよ」
「嘘に決まっているでしょ。みんな笑っていたよ」
「笑い事ではありません。ほとんどの医師は診療経験がないのです」
「医者が皆で失敗の話をしてたんだよ」
「失敗? 大変な話ですよ。診療や手術などが困難です。心臓が右にある人を診療した経験のある医師は極めて少ないのです」

「テレビ番組の失敗談ででみんなが大笑いしていたんだよ」
「少しも可笑しくありませんが、どこが失敗なのですか」
「レントゲン写真を裏側から見ていたんだって。可笑しいよね」
「直ぐに気がついて表から見るでしょう」
「気付かないから右にあると言ったんだよ」
「直ちに上に報告すべきでしょ。笑っている場合じゃないですよ」

「裏から見ただけなんだよ」
「医師が右と診断したのなら、間違いに気付くまでは医療上の重大事案でしょう」
「素直じゃないねぇ」
「なにがですか?」
「皆が冗談言って笑ってんだから笑えばいいんだよ」
「ごめんなさい。そうですね。えへへへ

控えめに笑ってはみたものの腹の虫が治まらない。笑うのは好きだが自由に笑いたい。人から笑いを強制されるのは、少しでも嫌なのだ。以前こんなことがあった。

素人の落語発表会に行った。小学生から高齢者までいろいろな人が出ては話した。皆一生懸命だから面白い。小さい子が失敗して自分のホッペを叩く仕草も可愛くて可笑しい。お爺さんが突然黙り込んだ。間を取っているのかなと思ったらセリフを忘れたらしい。これも面白く笑いを誘われた。とにかくよく笑い心から楽しんでいた。

最後にプロの落語家が話した。特別出演らしい。このとき初めて、笑う苦労を味わった。狭い会場の前列に座っていたから、落語家は面と向かって話している様な感じだった。彼は話しながら場内を見渡している。どうやら客席の反応を探っているらしい。席が近いものだから目と目がピッタリと合ってしまう。

笑わなければならない義務を感じた。表情豊かに熱演しながら私の方を見るのだ。顔はユデダコの様なのに黒く焼けている。目はギョロギョロと大きい。笑え笑えと催促されているような圧力を感じた。絶体絶命、何が何でもに笑わなければいけないと思った。このときは本当に辛かった。だけど笑った。

いつの間にか笑わないと叱られるような気分になっていた。笑いは健康にいいというが、笑わない自由だけは奪われたくない。しかし、ユデダコ落語家に簡単に奪われてしまった。彼は怒っていたのだと思う。私の作り笑いがバレていたのかも知れない。

笑わないと叱られる、と思って一生懸命に笑ったのが間違いの元と思う。もっと素直でよかったのだ。逆にギョロリと睨まれてしまったではないか。落語は本当に怖い。世渡りの教科書には「休暇は前期、パンは中列、整列は後列」と書いてあるが、落語も後列と付け加えたい。

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自分が何処にいるのか分からなくて恐怖を感じたことがある。その時バスは高速道路をノンストップで走り続けていたが、何処に行くのか分からなくなってしまったのだ。まあ、こんなことで怖いと言えば笑われるかも知れないが。

息子が誕生祝にと白老の温泉一泊旅行をプレゼントしてくれた。QP同行だが有難く頂いた。今更「それほど仲は好くないのです」とも言えないからね。プレゼントは情報だけだから手に取ることができない。

メールにはホテル名と乗るバスと降りる停留所名、料金は払ってあること、登別でバスを降りればお迎えの車が待っていることが書いてあった。至れり尽くせりだ。私がやるべきことは11時30分に室蘭行きのバスに乗り、登別で降りるだけ。後はお任せと簡単に考えていた。後で考えるとこれが間違いの元だった。

乗り慣れている快速電車は発車前に必ず、行き先と停車駅を知らせてくれる。しかし高速バスは「発車します」と言ったきりだ。乗れば分かると思っていた私が愚かだった。気付いたときは高速道路の上でシートベルトをしていて身動きも出来ない状態だった。無口な運転手だが「席を立たないで下さい」と人を縛り付けるアナウンスだけはチャンとした。

困ったな、何か手がかりがないかと乗車前に買ったバスの往復切符を見た。なんと行き先が「幌別」となっているではないか。思いもよらぬ展開でビックリした。買う時に「登別駅でもなく登別温泉でもない、ただの登別です」と、間違いが無いように念を押したのだ。幌別なんて聞いたこともない。買った切符を確認しなかったのは迂闊だった。人間は時々間違えるから嫌だ。その点コンピューターはいい。間違えたら間違え続ける。だから改修することができる。しかし人間は……?

ともかく運転手に聞いてみたい。走っているときは動けないから誰かが降りるのを待つことにした。運転席左上の表示は次の停留所の示している筈だが、「高速恵庭」になっている。だいぶ時間がたっているのに変だ。道路標識を見ると苫小牧辺りらしい。もうじき白老ではないか。心配になったのでQPに声をかけた。

「もう苫小牧ですよ」
「なに?」
三つ離れた席に座っているので声が届かないようだ。左の窓側から私、空席、空席、右の窓側にQPの順。広々とのんびりできるのだが、こんな時はちょっと困る。

高速恵庭だった表示が別の地名に変わりだしたが知らない地名ばかりだ。降りる人は誰もいないので運転手に聞くチャンスもない。だんだん不安が増していく。道路標識には白老と書いてあるので通り過ぎるのではないかと心配になって来た。泊まるホテルは白老にあるのだ。

「もう白老ですよ。一体どこまで行くのでしょうか?」
QPも不安を感じたらしい。先ほどの私の様に切符を見ている。
「幌別と書いてあるよ。登別でしょ。確認しなけりゃダメじゃない」
お互いに声は次第に大きくなって行く。非難の声は他人様にも聞かれるだろう。

高速バスは白老標識を後にしてどんどん進んで行く。運転手は1時間以上も無言のままだ。なにが何だかさっぱり分からない。斜め前方三つくらい先の席に若い女性が座っているのが見えた。「すみません」と何回も声かけたが何の反応もない。

自分が何処に居るのか分からない。しかしバスは高速で走り続けている。運転手も乗客も知らんぷり、私は座席にシートで縛り付けられている。いったいこれは何だろう。苛め、シカト、それとも祟り?

こうなったら仕方がない。パスを止めて運転手に聞くことにした。「高速××」とか知らない地名が表示されているが「降車ボタン」を押した。念のため腰を上げて前席を覗くと、ここにも若い女性が座っていた。大騒ぎしたがこんな近いところに人が居たとは知らなかった。知らんぷりされたら、もう後はないので耳元でハッキリと言った。

「すみませんが、このバスは登別を通りますか?」
「とおります」

女性は突然の大声にビックリしていた。軽く肩でも叩けば好かったかも知れない。ともかくビックリしながら嘘をつく人もいないだろう。女性の返答を信じることにした。不安を抱えて1時間半、ようやくこのバスが登別を通過することが分かった。

切符に書いてある「幌別」は知らないが、登別を通ればそれでいい。降りればホテルの車が待っているはずだ。しかし、これにて一件落着ではない。「高速××」では降りないことを運転手に伝えなければならない。皆無口で静かな車内なのだからいきなり大声を出すのも気が引ける。先ずは中声で試すとにした。

「高速××では降りません。登別で降ります」
「はいはい」と運転手。
なんだ? 聞こえているではないか。ふと都会の孤独とはこんな感じかな、との思いがよぎった。

バス停登別は高速道路を出て直ぐの所にあった。結局、バスの中で喋りまくったのは私だけ。関係者は必要以外のことは一言も発しなかった。登別で降りたのは私たち二人だけだった。出発して1時間40分間、誰も乗らない降りない、喋らないバスに乗って調子がすっかり狂ってしまった。

バス停の近くにホテル白老の乗用車が迎えに来ていた。
「ここは白老から随分遠いのですね」
「ここも白老ですよ。白老の町は横に長いのです」

何も知らないとは恐ろしいことだ。高速を出ると直ぐに登別であることも、ここがJR白老駅から6駅目であることも知らなかった。幌別は登別の次のバス停であることも知らなかった。全てはこれを書くのにグーグルマップを見て分かったことである。

先に見るべきものを後で見るなんて、後悔先に立たずだ。何の役にも立たない。しかし白老町は横に長すぎる。白老駅から6つも先の駅まで白老町内とは恐れ入る。まいったな。札幌から一歩でも外にでると、こんなに怖い思いをするのだ。まったく夢にも思わなかったよ。やっぱり世界中で札幌が一番いい。

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【2015/10/17 00:00】 | 愚かな私
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初めてのおつかい?
路傍の石

この話を読み進めていくうちに、
PPさんとQPさんは「初めてのおつかい」という
テレビ番組に出ているような錯覚を覚えました。
ゴメンナサイ。

ホテルのお迎えの車を目にした時、どんなにホッとされたことでしょう。

親孝行の息子さんがいらして、PPさんご夫婦は幸せですね。

ホントですね
PP
なるほど、「初めてのおつかい」にピッタリですね。
私もテレビを見ました。自分で考えてもホントに似ています。
年齢には関係なく思わぬ状況に遭うと焦りますね。


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「刑事やっているAちゃんのご主人がね、オレオレ詐欺担当になったんだって」
「そうですか。大変ですね」
「アンタ、気をつけてよ」
「何をですか?」
「親類が引っかかったらAちゃんのご主人が恥をかくでしょ」

QPは私には何も気を遣わないくせに他人様のことになると、こんな細かいことにまで気を配る。ジョークではなく本気なのだからやりきれない。

ところが数日後、知らない人から電話がかかって来た。気持ちが悪いので取らなかった。念のためネットで、その番号をキーワードにして検索したらビックりした。「新着口コミ」として沢山の書き込みがあったのだ。

この電話番号は日本中をかけ回っているに違いない。一体どこの電話番号だろうか。興味本位で新着口コミを読んでみた。中には「一応株式会社と言ってましたが名簿は20代、30代の男性という条件で名簿業者から入手した」と言うのもあった。私を若者と勘違いしてかけてきたのだろうか?

「オレオレ詐欺の電話が私の所にも来ましたよ」
「何を嬉しそうな顔してるんだよ。笑っている場合じゃないでしょ」
「ネットで調べたのですが若者と思われているようですね」
「そんなはずないよ。どこから見ても年寄じゃない」
「論より証拠、こちらを見てもらいましょう」

と言ってネットの該当ページを開いて見せると、私が勘違いしていることが分かった。検索はかなり広い範囲を対象としているのだ。電話番号には局番の次に中間番号と加入者番号とあるが、局番と中間番号が一致したものを全部検索対象にしていたのだ。それなら口コミが沢山あって当然だ。しかし大網でイワシを大量に獲るような検索に何の意味があるのだろうか。

「もしもし」
「はいはい」
「オレオレ」
「ウチにはオレオレと言う子供はいません」
「夫です」
ガチャン

「いきなり切らないで下さい」
「忙しいんだよ」
「急に雨が降られました。地下鉄駅まで傘を持って来てください」
「嫌だよ。忙しいと言ってるでしょ!」
「ケーキ買って来たのですよ」
「走ってくれば3分で着くよ」
「ケーキですが……」
「分かったから早く帰ってきなさい」

市内有名菓子店で買い、最寄りの地下鉄駅まで割れ物を扱うように慎重に持って来たのだ。人にぶつからないように細心の注意を払いながらここまで運んで来た。それなのに大雨の中を走らなければならない。柔らかいショートケーキがどうなるのか心配になった。しかし、ずぶ濡れにもなりたくない。考え抜いた結果全速力で走ることにした。

「ただいま。ケーキ買って来ました。美味しいケーキですよ」
「なにこれ? グチャグチャじゃない」
「ショートケーキです。1個450円ですが小さいので四つ買いました。二人分です」
「グチャグチャなのに、どうやって食べるの?」
「大丈夫ですよ」
「美味しそうだね」
「茶碗に盛ってスプーンで食べましょう」
「口に入れれば、どうせグチャグチャ」
「そうなんですよ。走りながら考えついたのです。コロンブスの卵ですね」
「タクシーに乗れば好かったのに」
考えつきませんでした



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【2015/10/10 00:00】 | 愚かな私
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詐欺は許せない!
路傍の石
「もしもし、元気?」
「あぁ~Aさん、お久しぶり。あれっ!風邪でもひいたの?」
相手の声がいつものAさんの声と微妙に違う。
二言三言話して「これはオレオレ詐欺だナ」と気付き、
「この会話、録音してありますよ」と言うとガチャンと電話は切れました。
十年近くも前に我が家にかかってきた電話です。
諸々の詐欺には十分気を付けたいものです。

せっかくのケーキ、チョッピリ残念でしたね。
ケーキはやはり目で楽しみ、味わいたい気がしますが・・・・・
でもPPさんの優しい気持ちは、
QPさんにはしっかりと伝わっているのではないでしょうか。





貴重な経験です
PP
そうなのですか。オレオレさんと実際に話したのですか。
貴重な経験です。
かかって来たら録音していますと言えばいいんですね。
やってみます。録音できるかも録音の仕方も分かりませんが、
録音してますと言うことはできます。

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会話とは不思議なものだ。初対面なのに理解し合えるような気分になる時もあるし、何十年も一緒に暮らして居ても何も通じない場合がある。QPとは一緒に暮らして半世紀にもなるのに依然として話が通じない。それなのに、自分の聞きたいことを何の前触れもなくポツリと一言で聞き、丁寧な説明を拒否するのだから癪に障る

「台風は上陸したら、そこに留まるのかい?」
「そういうことも稀にあります」
「留まるの、動くの、どっち!」
「台風は北半球では反時計回りの渦を巻きながら北、あるいは北東方向へ……」
「分かった。もういいよ」

まだ話し終わっていないのだから分かるはずがない。QPは不満なようだ。その理由は後で分かったが、ハッキリした答えが必要だったのだ。情報をいっぱい持っている気象予報士だって外れることがあるのに、テレビと新聞だけに頼っている私に分かる訳がない。どっちと言われても戸惑うばかりだ。

「沖縄に上陸したんだって」
「そうですか」
「上陸したら留まるんじゃないの」
「そうですね。旅行でも移民でも戦争でも、長いか短いかはともかく、上陸したらそこに留まるのが普通ですね」。QPの顔を立て上陸と言う意味に関して同意する。
「だから台風はどうかと聞いているんだよ」
「台風に興味があるのですか?」
「お天気は大切だからね」

気象に興味を持ってくれたのなら結構なことだ。朝の食卓での話題が一つ増える。噂と事件とファイターズだけでは間が持たない。会話がきっかけで喧嘩になることもあるが、お天気なら大丈夫。一番無難な話題として世の中で認められている。私も安心して話すことができるのだ。

ところで、二人暮しのことだが実際には、一日の内ほとんどの時間を別々に暮らして居る。家の中の領地は二つに分かれているが、私の領地はPP寝室だけ。ここに私の持ち物全てが押し込まれている。下の画像をよく見ればテレビの左側に椅子がある。白い三角形はベッドの一部。椅子をどかさないとテレビが見えない。パソコンをする時は椅子を移動して座る。狭いから何かを移動しないと何かを使えないのだ。
150920hirosi.jpg

一方、QPの領地は居間+QP寝室+台所、その他もろもろと広い。別に私が虐げられている訳ではない。QPが全面的に家事を担当しているので、そうなっている。家の中での働きが大きいほど大きな領地を持つが、領地は小さい方が楽だ。通行は自由だがQPの領地に留まることは遠慮している。どこかで聞いたような話だが”QP元気で留守がいい”と思っている。居ない時は家中全部私の領地となる。居場所を替えて気分転換ができるのでとても楽しい。
150920ima.jpg

24時間別々に暮らして居るが食事の時だけは一緒だ。そして何時も一緒なのが朝食だから、テレビを消して話しながらとる。「昼ご飯は要らない」「帰りは何時」とか暮らしの上で必要な話もするが無駄話の方が多い。だからブログのタイトルも「朝の食卓」としている。なぜならネタになるような出来事は主として朝の食卓で起こるからだ。話をすれば誤解も生じるし考えの違いも表面化してケンカになることもある。

「そうですね。台風は南洋で発生し北から北東の範囲で移動しながら勢力を弱めながら消滅するのが普通です。ただし、相反する位置にある台風の勢力が拮抗したり、あるいは何らかの理由で停滞することが稀にあります。そのようなことが起これば大変です。想像を超えた集中豪雨になり……」

「もういいよ。留まるかどうか分かればいいんだから」
「気象は奥が深いから、これからが面白いのですよ」
「興味ないね。5日後にハイキングの約束があるから聞いているだけ。分かった!」
「前日になれば天気予報で分かるでしょ」
「早く分かった方がいいじゃない」

いつも成り行きで暮らして居るのに約束とは言え、なぜ5日も先のことをアレコレ心配するのだろう。5日もたてば台風などは消えることもあるし、札幌までは来ないかも知れないのだ。気象に興味を持ったと思い喜んだ私がバカだった。

「台風の予測針路なんか早くからは分かりません」
「アンタノロマだからね」
「関係ないでしょう」
「知ったかぶりばかりするから話が長くなるんだよ」
「予測は近づけば近づくほど正確になるものです」
「アンタもだいぶ近づいているから用心した方がいいよ」
「台風ですか?」
「平均寿命だよ」

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先ず、面識のない方々の為に容姿について簡単に紹介させて頂くことにした。74歳、背がやや低く短足、不本意ながらハゲている。くじけそうになる心に鞭を打って書いている。話題関連なので省略できないのだ。読み終ったらお忘れ願いたい。

元々服装には無頓着だが高齢になってから気になりだした。未練がましくもこれ以上汚くなりたくないのだ。年取ってから初めたカラオケ同様、服装でも音痴だ。簡単に言えばお洒落じゃないけれど気にしている、我ながら可哀そうな人である。

今日はQPと一緒に外出だ。出かける寸前にシャツやズボンを替えろとか言われても困るので、できるだけいい恰好をした。外圧によるお洒落でも、新しいシャツに新しいズボンを身に付けると気分が好い。

QPのチェックにも合格して一安心。気分も若々しくなり、胸を張って歩いた。良い姿勢で歩けば10歳は若返ると信じているからだ。日常生活では歳を意識したことはないのだが、真新しい服を着ると気分が変わり、何となく若々しく振舞いたくなるのだから困る。肝心の中身が変わらないのにね。

そんな気分のまま地下鉄に乗った。何分私は若い気分だからもの欲しそうに座席の前に立ったりはしない。QPが一番端の座席の前に立ち、その横のドア側に立った。習性とは恐ろしいものだ。それでも空いている席はないかなと思いながら、目の玉だけを動かして探していた。自然にそうなってしまうのだ。

その時、意外なことが起こった。QPの前に座っていた女性が「どうぞ」と言って立ち上がったのだ。お礼を言って座ればいいのに座らない。知らんぷりとは失礼だ。何をしているだろう、さっさと座ればいいのにと思った。しかしこれは勘違い。なんと、女性はQPを飛び越して私に対して「どうぞ」と呼びかけているではないか。

座りたいと思っていたことが見破られて恥ずかしくなった。私は姿勢を正して若ぶっていたつもりだった。それなのに、なぜ分かったのだろうという疑問が入り混じり、複雑な笑いを発してしまった。エヘヘヘてな感じの卑屈な笑いだ。我に返り「すみません。失礼しました。有難うございま」とか言いながら座ったような気がする。心の中は恥ずかしさで一杯なので記憶は曖昧だ。

大通駅で大勢の人が降りたので空席ができ、QPが私の横に座った。
「先ほどの女性は凄い洞察力ですね。心が見透かされて恥ずかしかったです」
「洞察力って、なに?」
「確かに空席を探していましたが、人に悟られないように目の玉だけ動かして、顔もそのまま、体も前を向いたままですよ」
「座りたいのが見え見えだったよ。みっともないったらありゃしない」
「なぜ教えてくれなかったのですか。あの方が親切にしてくれたのに、二人とも知らんぷりしていたら失礼でしょう」
「恥ずかしいからね」
「あなたが恥ずかしがることないでしょう」
「アンタがあたしの連れだとバレちゃうよ。それが恥ずかしいの。わかった!」

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私は優柔不断の人だから迷ってばかりいる。人間力が弱いと書こうとして、「だが待てよ」と思い直した。言葉の使い方が間違っているのではないかと恐れたのだ。早速いつものように「人間力とは」と検索した。

なんだか難しいことがいっぱい書いてあって読むのが嫌になって来た。やはり私の独自解釈で行くことにした。つまり、人間力が高い人が優れた人で低い人が劣った人と単純化したのだ。愚かな私が困った挙句の結論だから何の根拠もない。

最初に戻るが私は人間力が弱いから何をやってもダメなのだ。勉強もスポーツも出来ないし、囲碁将棋麻雀もできない。もちろん歌うのも下手だし文章もお粗末。それどころか冗談も言えないので、不本意ながら真面目な人とか言われている。

私の正反対の位置にスポーツ界で活躍する選手がいる。彼らはスポーツは勿論、何でも出来る。こういう人たちを人間力の強い人と思っている。やれば勉強も一流のはずだ。だからインタビューの受け答えもしっかりしているし、歌まで上手いのだから嫌になる。全部私の正反対ではないか。

そこで思い出すのがマー君(田中将大投手)と佑ちゃん(斎藤佑樹投手)の高卒後の野球人生だ。マー君はその後、日本人最高額契約金を獲得した大リーガー。一方、裕ちゃんはほとんど二軍暮らしで収入も大したことないと思う。早稲田大学の4年間は無駄な回り道ではなかったのか。

もし裕ちゃんが高卒でプロ野球に入っていれば今頃一軍で大活躍していたと思う。大学に行きたければ選手人生の峠を過ぎた30歳半ばくらいで行けばいい。一流のプロ野球選手なら頭脳も一流と思う。人間力とは総合的なものだから。残念ながら世の中は不公平、出来る人は何でもできるし、出来ない人は何をやってもダメだ。

「別にひがんでいる訳ではありませんよ」
「ひがめばいいじゃない」と、QPは突き放す。
「学問、スポーツ、芸術の評価が一定方向に傾き過ぎているのです」
「はいはい、自分がダメなのは社会が悪いからでしょ」
「多様な人間を一つの物差しで測っているような気がします」
「何にもできないくせに自尊心ばかり強いんだから……」

QPは自尊心を文字通り自分を尊敬する心と捉えている。自惚れと同一視しているのかな。私に自惚れる余裕などないのに何故そう見えるのか不思議でならない。身内だから買いかぶってくれているのかも知れない。それならそれで有難い。

裕ちゃんの話しに戻るが、もし高卒でプロに入れば17年は活躍できるだろう。人生80年の時代なら35歳はまだ若い、それから大学に行った方が好かったと思う。野球で頂点を極めた経験は、あらゆる分野に通用すると思う。ものの見方が深くなるし、徹底的に突き詰める力がつくからである。

プロ野球の経験を積み金を稼いでから大学に行く方が、落ち着いて勉強できるし理解力も深まるはずだ。裕ちゃんは顔もいいし話も上手い。なりたければテレビに出るような人気教授にもなれるだろう。しかし今からでは遅い。17年間一軍でガッポリ稼ぎ、大学では金の心配などしないで学習と研究に打ち込むことが前提である。

二人で食事をしているのにQP黙々と食べている。
「体の具合でも悪いのですか?」
「夫源病、あんたがストレスなんだよ」
最近テレビで言われている夫が原因の病気に罹っているようだ。私が原因なら治してあげたい。QPが大好きなお金の話でもして機嫌を取ってやろう。

「マー君の契約金161億でしたが、手元にいくら残ったと思いますか」
「私の金じゃあないからどうでもいいよ」
「68億です」
「たったそれだけ」
「大金です。1年で1億ずつ使っても68年かかる。何でもできますよ」
「右肘が悪くなって投げられなくなったら御仕舞いじゃない」
「全額もらえます。球団が保険をかけているのです」

あれだけの記録を残したマー君は人間力が桁外れに強いから何でも出来る、もちろん勉強も出来る。投げられなくなって野球から解放されれば可能性が限りなく広がる。社長でも学者でも、はたまた俳優でも好きな職業が選り取り見取りだ。万一故障でクビになったとしても依然として前途洋々である。

「野球ばかりやって来たんだから無理!」と、QPは上から目線で言い切る。
「必要な教育を受ければいいのです。野球と同じ様に頑張れば彼に出来ないことなどありません。運動神経が良い人は頭もよいのです」
「自分の頭が悪いのを運動神経のせいにするんじゃないよ」
「そんなことありません。マー君の話をしているのです」
「怪我して出世した野球選手なんて誰も居ないよ」
「契約金161億円の選手もいませんよ」

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【2015/08/08 00:00】 | 愚かな私
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人生いろいろ
路傍の石

今は両極端にいるマー君と佑ちゃん。

普通に暮らせるだけのお金があれば
心豊かな人生を送ることができます。

今の佑ちゃんの自分との戦いは、
これからの彼の人生の大きな財産となるでしょう。

マー君はこれからも更なる努力で、活躍して欲しいですね。

若い人はいろんな可能性を秘めています。

野球一直線の二人ですが
PP
高校時代の両雄は、その後明暗を分けています。
マー君の方も順風満帆とは行かず躓いた感じもします。
しかし、二人とも若いのでこれからの活躍を期待しています。
両君とも今は野球一直線でやっていますが、
他の分野でも活躍できる人材と思い、期待しています。
その後の成長が楽しみです。

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世界は広いと思う。それなのに私は8畳足らずの狭い部屋の中で殆どの時間を過ごして居る。「ご飯だよ」と言われて食べに出る、「お風呂いいよ」と言われて浴室に行く。自主的に行くのはトイレくらいかな。外出は中島公園と札幌市内だけだ。それでも満足して自分は幸せ者と思っている。

こんな私がもっと広い世界を知ったらどうなるだろう。少し怖いような気がする。自分が井の中の蛙であると自覚するかも知れない。そんなことはあってはならない。幸せと思っているから閉じこもっていられるのだ。もし不幸と感じるなら動き回わらなければならないだろう。そんなことはごめんだ。広い世界など見たくない。

QPが3泊4日の旅に出た。これは私が4日間の自由を与えられたことを意味する。この間、我が家は独り占め、私の世界が10倍に広がるのだ。これは一種の異常事態だ。なぜなら、二人とも旅行をしないので滅多に一人になることはない。10年くらい前から何となくそうなった。

二人暮らしは総じて楽しいが我慢も必要だ。例えば、いつでもテレビを観れる自由とか、トイレを開けっ放しにする自由がない。待てば海路の日和あり、自由を満喫する為のチャンスに恵まれた。飛んだり跳ねたりして喜びを表したいところだが、ここは共同住宅である。出来ない私はふるえながら静かに歩き回っていた。

日常生活で不必要なものとしてトイレのドアがある。換気も好く臭い対策は万全だから臭くもない。それに暴飲暴食をして胃腸を苛めない限りウンチは臭くならない。悪臭は大食いに対する胃腸の復讐だ。嫌がらないで自らを反省すべきである。

ついでにうんちくを一言、「ウンチは天地の恵みが身体に染み込んだ、その証しのお便りなんだよ」とか申す人がいる。ウンチ様がお出ましになったら「神様、大きなお便りをありがとう」と感謝すべきと言う。汚いとか思って神様の大切なお便りを卑しめてはいけない。罰が当たるそうだ。

QPが習字を習っていて真面目に練習するのは好いことと思う。しかし家中のアチコチに自分の書いたモノを張り付けるのはいかがなものか。玄関には「愛」、廊下には「和」そして、トイレには前述の「大きなお便りありがとう」などだ。因みに小さなお便りはオシッコ。多分著名な方が書いた文章の丸写しと思う。

話しは戻るが、もしトイレにドアがなければドラマの途中で出したくなっても、音声を聴きながら出すことができる。テレビの向きを変えれば観ることさえ出来るのだ。終わった後も不衛生なドアノブなど握る必要もない。設備の整った清潔な洗面所に行って手を洗う方が気持ちがいいだろう。

考えてみれば、生活の利便性以外にプライバシーや躾の問題もある。お客様が来たり、子供が居たり、三世代で住んでたり、いろいろな状況に対応する為には、ドアそのものは必要と思う。しかし、必要がないのに閉めるのは行き過ぎと思う。

せめて、一人暮らしの時だけでもトイレを開けっ放しにして解放感を楽しみたい。豪邸でも建てない限り叶わぬ夢が、一人暮らしになれば叶うのだ。閉めっ放しにしておくなんて勿体ない。今の私にはQPが泊りがけで出かけた時くらいしかチャンスがない。

せっかく自由になったのだ。他に何か好いことないだろうかと思って調べると、たった86㎡の我が家だがバス・トイレ・玄関を含めると9部屋もあることが分かった。窓だって7ヵ所もある。外を眺めながら家の中で散歩が出来るのだから素晴らしい。

それに引き換え、QPとの二人暮らしはどうだろう。与えられているのは8畳足らずの部屋と窓一つ。ずいぶん狭い所に押し込まれていたものだ。狭いながらも楽しい我家と思っていたが、4日間の自由な暮らしで、少しばかり広い世界を知ってしまった。危険地帯に一歩ふみ込んだのかも知れない。

留守番で家中を歩るき回って散歩するのも二日で厭きた。自室に閉じこもるのが一番いい。部屋が狭ければ狭いほど自分が大きく感じられる。ちっぽけな人間になどになりたくない。今年で後期高齢者、状況が変われば楽しみも変わる。今は何となく偉くなったような錯覚を楽しんでいる。カネなし知恵なし力なし、だけど幸せ。


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私は愚かで見栄っ張りの困った人だ。おまけに大したことでもないことを自慢したがる。もし賢ければこんなことは自慢に値しないと分かるだろう。見栄っ張りでなかったら書く気もしない。……でも、私は書きたい。

何でこんな人になってしまったのだろう。愚痴るし、言い訳ばかりするのに屁理屈をこねるのが大好きだ。嫌われると分かっているのに、自慢したがってふるえている。こんな性格は生まれ変わらない限り治らないと諦めた。

長い間生きていると、時には不思議なことが起こるものだ。市税務事務所から思いもよらぬ郵便物をもらってしまった。50枚もあるだろうか。分厚いので読む気もしないので電話した。

「税金のことでお伺いしたいことがあるのですが……」。係の対応は懇切丁寧で、話していても気持ちがいい。ぜひ税金を払いたいという気持ちが自然にわいてくる。

「新聞社から原稿料もらったのに申告していませんね」
「税金は差し引かれていましたが……」
「あれは国税でして、こちらは市税の関係です」
「そうなのですか。知りませんでした。どうしましょうか」
「書類を提出してください。税金は掛からないと思いますよ」
と、経費のことなどを詳しく説明してくれた。だけど書類は分厚いので書くのは面倒だ。第一読む気がしない。仮に読んだとしても理解できないだろう

「書かないとどうなりますか?」
「税金を納めてもらうことになります」
「その場合、私は何をすればいいのですか?」
「何もしなくて結構です。1万7千円程度ですが自動的に引き落とされます」

何もしなくてよい。これで決まりだ。心から納得して諒解した。苦手な書類作りから解放されてホッとした。1万7千なら安いものだ。3万円もらってもしたくない。私にとって書類を書くということは、芥川賞をもらうことと同じくらい大変なことなのだ。

考えてみれば、原稿料をもらって税金を納めるなんて素晴らしい。無学で字も満足に書けない私が、駄文を書いて金をもらうなんて夢のようだ。全部税金として納めても惜しくないのに、10%しか取られない。こんな有難い話はない。

と思ったのもつかの間、なぜか税金を納めた後になって愚痴りたくなった。我ながら煮えきらなくて嫌になる。改めて市からの受領文書を読むと、そこには次のように書いてあった。「……その他の所得(収入から必要経費等を引いた残り)が20万円を超える場合は、確定申告が必要となります」。

あれれっ! もらった原稿料は17万足らず、もともと申告などする必要がなかったのだ。突然ケチな私に戻って金が惜しくなった。役所からの文書はもの凄く分かり難い。だから読みたくない。一部を読んで勘違いしたのかも知れないが、済んだことなので諦めた。今度こそ本当に諦めたぞ。これからは淡泊に生きるのだ。

「いずれにしろ後の祭りでした」
「全部税金でいいと言ったろう。今更なんだ」と先輩は相変わらず手厳しい。
「口が滑ったのですよ。なんだか損したような気がしてきました」
「ホントにそれだけか……? まあいいや」
「話し始めたら途中で止めないでください!」
「そうかい。それなら言ってやろう」
「どうぞ」
「本当は自慢したくなったのじゃあないか」
「あれっ、心が読めるのですか?」
「顔に書いてあるよ。鼻がふくらんで自慢タラタラだ」
「タラタラは鼻水ですよ。風邪をひきました。ハックション」

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【2015/07/25 00:00】 | 愚かな私
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ふるえのネタ
路傍の石

その後、風邪の具合は如何でしょうか?

○○は風邪をひかないと言いますから、風邪をひいたPPさん、
これも 「自慢のふるえ」 のネタになりそうですね。


原稿料とかその税金とか、
フツーの人には全く縁のない話に、PPさんは悩まされている。

素晴らしい悩みじゃありませんか!

風邪はちょうど治ったところです
PP
有難うございます。風邪は丁度治ったところです。
昨日までは薬を飲んでいました。
自慢じゃないのですが風邪はよくひいています(笑)。

税金の話は最初は全てをぼかして書いたのですが、
読み返してみると誤魔化しそこねて悔しがっている感じでした。
それで、原稿料を含めた事実をそのまま書くことにしました。
今度は自慢話みたいに感じたので少し脚色しました。
一生で一度の思い出なので書かせて頂きました。

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「オトコなんて哀れなもんだね。女房の出すもの黙って食ってさ、文句ひとつ言えないんだから」。女性同士の雑談が耳に入ったとき、自分が言われている様な気がした。三食昼寝付の私はまさに楽ちん人生だが、たまには我慢も必要になる。

「この肉、大き過ぎて食べにくいのですが……」
「そんなら、自分で切りなさい」
ということがきっかけでナイフを使って食事をとることになった。

ナイフとフォークを使うと食事が楽で楽しい。しかしテーブルマナーは何も知らない。家では何の問題もないのだが、外で食べるときは気になるときがある。思わぬ注意をされてドキッとした。「ナイフで野菜を切るもではないよ」と、イギリスの家庭で何ヵ月か暮らしたことのある人から言われた。

ナイフは自分が食べたい大きさに切れる便利な道具として使っている。使用法をあれこれ注意されては折角のご馳走がが不味くなる。まったく余計なことを言ってくれるものだ。ジャガイモやニンジンが大き過ぎて私の口に合わない場合が多い。口の大きさに合わせて何でも切って食べる。

切るなといわれると困惑する。何の為に右手にナイフを持っているか分からなくて混乱してしまうのだ。フォークの背にライスを乗せると、「そんなことをしている西洋人はいない」とか言われる。これには困ってしまう。右手にはナイフを持っているから左手はフォークが便利だ。いちいち持ち替えるのは面倒くさい。

フォークは肉などを刺すために、常に背が上になっている。そのままご飯を乗せるのが一番便利な使い方だ。もちろん持ち替えてもいいのだが私は無精者だから少しでも面倒なことはしたくない。だからライスがボロボロなら、乗りにくいので持ち替える。しかし、美味しいライスなら粘りがあるからボロボロになることは滅多にない。

普通の食堂でもナイフとフォークを出してくれれば有難いが頼んだことはない。正確に言うと1度だけナイフをくださいと言ったことがある。ハンバーグが想像を超すような硬さで箸では千切れない。おまけにバカでかくて箸で挟むのも難しい。あれには参った。固くてでかいハンバーグを前にして途方にくれてしまった。

ナイフをくださいとはなかなか言えない。安いランチを注文したのに、気取った人だと思われるような気がしてしまうのだ。他の人はどうやって食べているのだろうと周りを見渡した。ハンバーグを食べている人は誰も居なかった。思い切って立ち上がり、ウエイトレスのそばに行って小さな声で「ナイフ貸してもらえますか」と言った。

この話はべつとして、私はマナーを知らなくても困ったことがない。先ず、マナーがうるさそうな高級な店などには入る機会もない。しかし、それらしい雰囲気を出そうとしているレストランには行くこともある。分からないことは料理を運んできたら直ぐに聞くことにしている。映画のように指をパチンと鳴らして「ウエイター」とか呼ぶことはできない。そんなことをして誰も来てくれなかったら恥ずかしい。

「幸いテーブルマナーを知らなくて困ったことはありません」
「周りの人が迷惑するんだよ」
「そう言えばあったような気がします」
「なに?」
「ホテルの宴会でですが大きな皿に同じものが幾つも乗っていて……」
「まさか二つ食べたんではないでしょうね」
「あれもマナー違反でしょうか」
「窃盗だね。人の食べちゃたんだから。被害者は怒ってるよ」

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【2015/07/04 00:00】 | 愚かな私
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窃盗は大袈裟だけれど・・・
路傍の石
日本人の馴染みは、やはり箸でしょう。
私は一口大に切って、箸で口へ運ぶのが
一番らくです。


>「まさか二つ食べたんではないでしょうね」
「あれもマナー違反でしょうか」

食べ物の恨みは恐ろしいといいますから、
その料理食べ損ねた人は、いまだにPPさんを
恨んでいるかも~。

恐ろしや~~ですぞ!

反省しています
PP
我が罪ながら本当に恐ろしいですよ。
顔も覚えているのです。今でもうなされています。
8年も前のことを覚えていて反芻しています。


ナイフの使い方
alice
>「ナイフで野菜を切るもではないよ」
え~っ!そうなのですか?初耳です。例えばアスパラだって、海外では太くて長いのが出てくるでしょう。
まあ、気にしないで小さく切って食べましょう。この年齢では嚥下障害気味ですから、命に係わりますので(笑)

aliceさん、はじめまして
PP
aliceさん、はじめまして
私も初めて聞いてうろたえた次第です。
しかし、気にする必要ありません。
仰るとおり、小さい方がなにかと食べやすいです。
自由に食べるのが一番健康によいと思います。

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「お前の自慢話なんか読みたくないんだよ」
と、長い付き合いの先輩は遠慮なく言った。
「なんのことでしょう?」
かけがえのない友人だがら誤解があれば解いておきたい。
「テレビに出たとか新聞に書かれたとか書いたろう」
「ああ、あれですか…。あの頃はバカだったと言ったつもりです」
「可哀想なヤツと思うから読んでやっているんだよ」

そう言えば昔から対等の友人ではなかった。良く言えば私の保護者。悪く言えばいろいろあるが止めて置こう。長く付き合ってくれただけでも有難い。しかも、たった一人の古い友人だ。

ところでQPのことだが、外出時の挨拶で今までと変わったことがある。
「散歩に行って来ます」と言うと、
「オシッコしたかい」と必ず聞くのだ。
「しましたよ」と、答えるが実際にはしていない。

これには深い訳がある。高齢になるとトイレが近くなるので出来るだけ我慢する。例えば寝る前とか外出前とかの理由では行かないことにした。必ず限界に達してから行く。中島公園には沢山のトイレがあるので予め行く必要はないのだ。

中島公園のサイトを開設しているが、「札幌まつり」のページに限ると、祭りの三日間はアクセスが普段の百倍以上になる。だからお祭り初日の6月14日は朝から晩まで写真を撮りサイトを更新する。又、先輩に自慢するなと叱られそうだが、これを書かなければ何故重大なミスを犯したかの説明がつかないのだ。

逆に言うと普段のアクセスは祭りの日の百分の一もないのだ。そんなときに更新を重ねても見る人は殆どいない。だから祭り初日は朝昼晩と撮影に行き、その合間にサイトの更新を重ねることになる。当然QPの機嫌は悪い。

「散歩に行って来ます」
私が散歩と言えば中島公園と決まっている。恥ずかしくて取材とは言えない。
「又かい。何度行けば気が済むの。オシッコしたのかい」
「はい、大丈夫です」

「大事件」の序章はこのようにして始まった。しかし終わりは酷かった。夜の祭りはラッシュアワーのホームのような雑踏だ。駅と違って皆ゆっくり歩いている。これでは全体を見ることも出来ないし、混雑の中では写真も撮れない。

露店の裏側を通り、要所で園路に出ることを繰り返えす。書けば簡単だが雑踏から離れてもいけないし近づき過ぎてもいけない。「正解のない人ごみ探検」には知恵も度胸も必要で、とてもじゃないけれどトイレの心配などしていられない。

忙しくしていても尿意は突然込み上げてくる。売店近くの公衆トイレに目をやると行列ができていた。ここは人通りが多いからダメだ。近くに仮設トイレがあったが好きではないのでパスした。通り道にホテルがあるから敢えて行く必要もない。しかしホテルの前にくるとドアマンに気持ちが見透かされているような気がして躊躇した。

豊水通に殆ど使われていないトイレがあるじゃないか。あすこならいくら祭りでも空いているだろう。行ってビックリそこにも行列ができていた。皮肉にも中島公園についての豊富な知識が行動の妨げになっていた。いつまでたっても、まだ他にもあると思ってしまうのだ。まさに「まだはもうなり」状態に陥ってしまったのである。

土壇場になって家に急いで帰る決心をした。祭りの雑踏も考えずに急げば間に合うと根拠もなく思い込んだのだ。実はもっと大切なことを忘れていた。夜の暗闇なら直ぐ近くに、人が近づかない林がある。その辺りは熟知していたはずなのに、すっかり忘れていた。と、言うよりも緊急性を感じていなかったのだ。その時までは……。

家から3分くらいの中洲橋を越えたころ凄くしたくなった。家まで100mくらいになったら堪らず走りだした。マンションのオートロックを開けるため鍵を回そうとしても焦って上手く回らない。3回目にやっと開錠に成功、エレベーターに向かって突進。あれれ! 5階で止まっている。我家は4階だからエレベーターに乗るか駆け上がるか迷ってしまった。一秒を争う時にとんでもない時間の浪費だ。

エレベーター内でちびったような気がした。ドアを開けて玄関を開けると気が緩んだのか、タラタラタラと温かいものが降りていく感じがした。風船のように膨らんでいた緊張が、一挙に破裂した。温もりが足元まで伝わって行くのが心地よい。全てが終わったような気がした。命を失う瞬間はこんな風に気持ちが好いのかも知れない。

いつまでも幸せ気分に浸ることは出来ない。後始末はかなり大変だ。ズボンから靴下までの全てが洗濯の対象となる。風呂場に行って身も服もシャワーを浴びて、洗濯に使うためのバケツを探していたらQPが来た。夜の8時台はテレビを見ているはずなのに何故だろう。目論見が外れてガッカリした。落ち着いてから「汚れたから洗濯しました」と、何気なく言うつもりだった。

「アンタ! 漏らしたでしょう。玄関がずぶ濡れだよ」
と凄い剣幕だ。漏らしてずぶ濡れとは随分大げさで嫌味だなと思った。仕方がないから見に行った。玄関はともかく靴が濡れている。仕事がまた増えた。

「やることがいっぱいあるから順番にやりますね。テレビでも見ていて下さい」
「エレベーターが汚れていたらどうするの」
何故か手に雑巾持ってウロウロしている。頼んだ覚えはないのに。

「エレベーターは見てきますからテレビを見ていて下さい」
QPは好きなドラマを見れなくてイライラしているらしい。なぜ見ないのだろう。やってもらうことは何もない。とても忙しいのにエレベーター点検という不必要な仕事まで押し付けられた。まったくうんざりだ。

何が楽しくて騒ぎ立てるのだろうか。ドラマを見終った頃には清潔な我が家に戻り、身支度を整えた私がいるだけである。変わったところは風呂場に洗濯ものが並んで干してあるだけではないか。

なんで小さな出来事を「大事件」にしたがるのだろう。しかも手に雑巾まで持って参加したがっている。QPにとっては起こりえないことが起こったのかも知れない。それと、もう一つ肝心なことがある。

それは1年前の「小事件」のこと。そのときは気づいていながらテレビドラマを優先した。しかし、QPの心の中では終わったら文句を言ってやろうと思っていたに違いない。しかしドラマを見ている内に忘れてしまった。それなのに私が粗相の後始末のために内緒で洗濯をしていたことだけは覚えていた。つまり、文句を言い残したことが悔しくて2年分を纏めて言ったのだ。

去年言い忘れた小言を何時か言ってやろうと心に決めていたのだ。それが証拠に、外出の挨拶が「いっといで」から「オシッコしたかい」に代わっていたではないか。なんとも執念深いことである。

「大事件とは大げさだな。看板に偽りありだ」と、相変わらず先輩は厳しい。
「そうですね。QPが大げさに騒ぐもんだから、つい……」
「そんなことではない」
「と、申しますと?」
「漏らしたのも小。ジャージャー流したのも小。大がないじゃないか」

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朝食はテレビを消して話しながら食べている。ノロマの私は食事中なのに食べ終わったQPは新聞を読みながら話しかけてくる。
「悪質な自転車は安全講習が義務化だって」

そうですか、と言いながら福岡のアーケード商店街を歩いていた時の自転車事故被害を思い出した。後ろから来た自転車にぶつけられて、転んで倒れて、逃げられたことである。それがきっかけで6年前のことが頭に浮かんだ。今朝と同じように朝の食卓での雑談だ。おぼろげながら次のように記憶している

「前方の歩道を年配女性三人が並んで歩いていました。後ろから来た自転車のお母さんがチリンと軽くベルを鳴らした瞬間です。女性の一人が振り向き『偉そうにならすんじゃない!車道を走んなさいよ』とすごいけんまく。車道は交通量が多く自転車では危険でした。少しだけ寄ってもらいたかったようです。以下略(北海道新聞2009年5月18日夕刊はいはい道新より抜粋)」

「横いっぱいに並んで歩いたら迷惑だよ」と、QPが口を尖がらせて新聞を見せた。
「避けて欲しいからとベルを鳴らすのは間違いです」と、読んだ私はつぶやいた。
「じゃあどうするの? 自転車が通れないんだよ」
「通れなければ止まるのです」
「バカ言ってんじゃないよ。止まってばかりなら歩いた方がましでしょ」

私は極めて真面目に話しているつもりだ。後で道路交通法で確認したが「自転車が歩道を通行する場合、(中略)歩行者の通行を妨げるような場合は一時停止しなければならない」と記されていた。そこが歩道上であることがポイントだ。

「横並びで歩くなんて通行妨害だよ。迷惑でしょ」
「止まってから通してくださいと言えばいいのです」
「だからベルをチンと鳴らしたんじゃない。どこが悪いの」
「そのチンが悪かったのです」

道交法では次のように定めている。
「自転車のベルは、警音器であり、自動車のクラクションに相当するものである。『警笛鳴らせ』の道路標識がある場所では、ベルを鳴らさなければならない。それ以外には、危険を防止するためやむを得ない場合を除き、ベルを鳴らしてはならない」

新聞の話からは、マナーの悪い歩行者に思えるが、これは見た人の主観。すごいけんまくとか感情的な表現を割り引いて読めば、その女性の発言は大筋において正しい。道路交通法が求めているのは自転車の一時停止である。

「分かりましたか。後ろからチンと鳴らすと言うことは、背中にナイフを突きつけ、どかないと刺すぞと脅かす様なものですよ」と、つい調子に乗って喋ってしまった。今度こそはギャフンと言わしたぞ、と思ってしまったのだ。
「軽くチンと鳴らして知らせて上げただけじゃない。どこが悪いんだよ!
と、一喝されてタジタジとなる。
「ごめんなさい。言いすぎました。背中にナイフは取り消します」

6年前の言い争いは、こんな風に終わったと記憶している。私はQPにメシを食わせてもらっている身だから、自己主張もこの辺りが精いっぱいだ。さっさと矛を収めた。

働いている時は私が給料を運びQPが家事をすると言う分業が成り立っていた。無職になってバランスが崩れたのに、家事を分担しようとする気持ちが全く湧いてこない。甘えて、楽して、ときどき威張りたがる。我ながら困った人間だ。

ところでここまでは6年前の記憶をまとめたもの。再び今朝の食卓に戻ることにする。私がデザートを食べている頃、QPは「悪質自転車問題」記事を読み終ったようだ。

「歩道では歩行者優先だから自転車は止まらなければいけないんだよ。分かった?」
「人が邪魔で前に進めないときは、どうするのですか」
「すみません。通して頂けますかと、お願いすればいいんだよ」
「そんなに丁寧に頼むのですか」
「当たり前じゃない。横並び歩きとか、そこを通してもらうことはマナーの問題だから丁寧で当たり前だよ。一時停止は法律の問題だから何も考えずに止まればいいの」
「こんな話、以前しましたね」
「初めてに決まってるでしょ。今朝の新聞で読んだんだから」

仕方がないから「そうですね」と言った。6年も前のことをネチネチと覚えていて反芻している私がこだわり過ぎなのだ。QPにしてみれば忘却の彼方。時効である。

私説(社説の真似事)
自転車の歩道通行が「例外処置」として認められたのは1970年。急増する交通事故対策として一時的な措置のはずだった。しかし、いつの間にか歩道走行が一般化し、暴走行為までが放置されていた。道交法の趣旨は歩道における歩行者優先だが顧みられることはなかったのだ。

悪質な自転車運転者に安全講習を義務付ける制度が6月1日から始まる。14項目の悪質運転危険行為には「歩行者用道路での徐行違反」「歩道での歩行者妨害」等の歩行者優先規定も含まれている。

やっと歩道における歩行者の安全にも目を向けてくれた。遅すぎた対応だが一歩前進には違いない。(QPとの論争に敗れた)6年前に比べれば新しい制度は歩道上の安全に一歩踏み込んだ形だ。不可解なのは一時的な措置だったはずの「例外処置」が40年以上も続いていることである。これでは法はあっても無いのと同じだ。なぜ長期間にわたりこんな不都合な状態が放置されていたのだろうか。疑問は尽きないが将来を見据えてしっかりと取り組んでほしい。

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なんとなく清々しい朝だ。いつものように景色を見ながら朝食をとっていた。雪が少し残っている手稲山を見て、あそこはゲレンデだったのかなとか考えていた。そんな時QPが話しかけてきた。左手にコーヒーカップを持っている。

「人間は皆すばらしいんだって。アンタもそうなんだよ」
QPにしては珍しいことを言うものだ。
「私なんかダメですよ。いいところなんか何もありません」
「そんなことないよ。どんな人でも世界に一人しかいないし、過去にも居なかったし、えーとー、何だったかな? とにかく何かいいこと言ってたよ」
「将来生まれる可能性もないただ一人の人。今朝のラジオで話していましたね」
「なんだ聴いていたのかい。だから人は皆素晴らしいんだよ」

それは分かるけれど、ラジオで話す識者の受け売りだけでは頂けない。少しは自分の考えも付け加えてほしと思い、冷かしてみたくなった。
「アリンコもゴキブリも皆すばらしいですね。世界どころか宇宙で一つの命です」
「……………………」
この長い沈黙が怖い。しまった!と思ったがもう遅い。

この間合いはいったいなんだろう。癪に障ったから反撃の準備をしているのに違いない。こんな時QPはあらゆる知恵を働かせ、あらゆる方面から攻めて来るから恐ろしい。どの方向からどんな攻撃がくるか全く予測できないのだ。

人を怒らせて好いことなど何ひとつない。だから何時もQPを怒らせないように気をつけている。それなのに口が滑って失敗してしまった。今年はまだ一度も怒られていないので気が緩んでいたのかも知れない。

天災は忘れたころにやって来ると言われている。これは単に時間の長さを言っているのではなく、備えを忘れた頃にやってくることを意味していると思う。常在戦場、油断大敵だ。敵は私の心の中に居た。沈黙が長いほど怒りは大きく育っていくだろう。

「あのねー」
QPがようやく口を開いたので緊張し、ドキドキと脈拍は上がり、心臓から頭へかっと血がのぼって行くように感じた。思わず頭を低くして身構えた。
「人間にはね。個性があるから素晴らしいんだよ。アンタは沢山の蟻を見てどれが誰だか区別がつくのかい」
とか言っている。静かに話しているが薄笑いが不気味だ。

一瞬会話は途切れた。嵐の前の静けさとはこんなものだろう。返答次第では激しい攻撃を受けるかも知れない。真面目に慎重に答えることにした。全てを肯定し皮肉めいたことは厳に慎まなければならない。

「そうですね。蟻は皆同じに見えて区別がつきません」
「そうだよ。蟻には個性がないから皆同じに見えるんだ。人には一人ひとり皆個性があるよね。だから素晴らしいんだよ。分かったかい」
「はい、分かりました。だけどずいぶん時間がかかりましたね」
意外にもQPが冷静なのでホッとした。つい気が緩み口が滑ってしまった。時間がかかったとか言うんじゃなかった。千慮の一失だ。怒りに火が点くかも知れない。

「考えていたんだよ。アンタは常識がないからね。どう説明するれば分かってもらえるのか難しいんだよ」。いつもと違って冷静なのでホッとした。むしろ教え諭すことに喜びを感じているようだ。私は間違っていたかも知れない。

知力、即ち誤魔化しと騙しのテクニックでQPを意のままに操り、我が家を実効支配していると思っていた。しかし、これは勘違い。私はポチ、そして自室は犬小屋と思えばピッタリだ。「ご飯だよ」と声をかけられれば直ちに犬小屋を飛び出し食卓につき、「掃除だよ」と言われば外に出る。そして主人の顔色をいつも伺っている。

無職なのに家事は一切しない。ただし言われたことは(出来ることなら)忠実にやる。これはポチとして生きているに過ぎないのではないか。しかし今までの人生で一番幸せを感じていることは確かだ。人間として生きようと思っていた時は、少年時代も、職業時代も、定年後でさえ辛く苦しかった。

私は幸せに暮らし楽しい人生を送っている。しかし人間であることを主張すれば角が立ち、辛苦に満ちた厳しい人生に暗転する。人間とはなんだろう。いつも不思議に思っている。だけど、こんなことを何人にも縛られずに自由に考えられる人生は素晴らしい。やはり幸せとしか言いようがない。素晴らしきかな人生。

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若いときは「お前はノロマだからこみやられるのだ」と、よく言われた。「こみやられる」とは「先をこされる」とか「遅れをとる」とかの意味らしい。年をとっても家の中で、相変わらずこみやられている。

トイレで用を足していると、電燈がパッと消えて真っ暗になった。考え事をしていたので特に驚きはなかった。ビックリしたのはその直後である。扉が開き、明るくなると同時にQPの怒号が飛び込んで来たのだ。
「ビックリするじゃない。何で電気を点けないんだよ!」

なんと理不尽なことだ。私は暗闇で用を足す、怪しげなバケモノのような人と思われたのだ。このトイレは窓がなく、ドアには明り取りもない暗闇だ。そんな環境で用を足せる訳がない。ここはトイレであって野原や砂漠とは違うのだ。

突然開けられてビックリするのは、こっちだ。私が同じことをすれば、「これは失礼、ごめんなさい」というような言葉が自然に出てくる。何でモンクを言われなければならないのだ。歩道で自転車にぶつけられ、「気を付けろ!」と怒鳴られた感じだ。

それに、電燈を消したのはQPではないか。おそらく点けたつもりで押したのだろう。スイッチには点灯中を示すライトがない。点いているかどうかはドア下の隙間から光が漏れていることで分かる。私はいつもそれで確認している。

こちらから言いたいことは山ほどあるが、ドアはバタンと直ちに閉められた。「ライトはあなたが消したのでしょう」と、言うことさえできなかった。考え事も木端微塵に砕かれ、出るものも出なくなってしまったのだ。大損害である。

凄く悔しいが直ぐには出られない。トイレを出るには一連の手順が必要だ。お尻を洗浄器で洗い、トイレットペーパーで拭き、水を流し、手を洗い、そして手を拭き、身支度までしなくては出られないのだ。

やっとトイレを出て文句を言おうとしたら、今度はQPが入れ替わりに入りバタンと閉めた。まるで一切の会話を拒否するかのように……。QPは私と同じように便座に座って、出して拭いて、流して手を洗い身支度をするのだろう。こうして、一言の抗弁もできないまま、時間ばかりが過ぎて行ったのである。

最早、タイミングを完全に失い何も言えない状態におちいった。これは一種の時効ではないか。余りにも不当だ。またしてもQPに、こみやられてしまった。本当に情けない。全ては私がノロマだからいけないのだ。最初に「入ってるぞ!」と一喝すればすむ話なのに、いったい何を大騒ぎしていたのだろうか。

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【2015/05/16 00:00】 | 愚かな私
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カギは?
路傍の石

「こみやられる」という言葉、初めて知りました。

今回の騒動は、
鍵を掛ける事が カギだったのではないでしょうか。

時まさに5月。
心地よく吹く薫風のように、
爽やかに水に流すという訳には・・・・・
やはり腹の虫がおさまりませんか?

爽やかに水に流しましょう
PP
そうですね。カギをかけて一件落着ですね。
爽やかに水に流すことに致しましょう。
とは言え、トイレにカギをかけないのは40年来の我が家の悪臭。
失礼、悪習の誤変換でした。
この辺で臭いものに蓋。重ねて失礼致しました。

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「名ばかり管理職」が問題になったことがあるが私は「名ばかり父さん」だった。法的にも世間的にも父だが、らしいことは何もしなかった。もちろん夫らしきこともしない。自分のことばかり心配しながら暮らしている情けない人間だった。

ところでニュースと言うには古すぎる話だが、ビックリしたので記憶に残っていることがある。報道によれば、オーストラリアの東部海岸でサーフィンをしていた男性がサメに襲われ死亡した。男性はサーフボードの上に座っていたところ、脚のあたりをサメに襲われたそうだ。なんとも悲惨な話で心が痛む。

QPと朝食中に何故かこんな話を思い出した。会話が途切れたからだろうか。それとも潜在的な必然性があったのだろうか。当の私には分からない。

「サメに襲われた人がいましたね」
「知ってるよ。ジャ、ジャ、ジャ、とか音がしないから気がつかないんだよ」
「なんですか? ジャ、ジャ、ジャって」
「サメが来るとき何時もそんな音がするでしょ」
「そんな音しませんよ」
「だから、気づかなかったんだよ」
「サメがそんな声だして鳴くわけないでしょう」
「ジャ、ジャ、ジャって言うんだよ。アンタだって聞いたでしょ」
「聞いてませんよ」
「タケちゃんと三人でジョーズを観に行ったでしょ。忘れっぽいんだから」

何のことかと思ったら映画の話か。よく覚えているものだ。今45歳の息子が10歳頃の話だ。映画は覚えているが、ジャ、ジャ、ジャを聞いた覚えはない。こんな時はネットで検索するに限る。

ユーチューブに「ジョーズ」の予告篇があった。一応URLを表示して置く。
https://www.youtube.com/watch?v=aGMpCa_xpos
確かに、ジョーズ(サメ)が現れる少し前からジャ、ジャ、ジャの繰り返し音が流れる。

考えてみれは親子三人で映画を観に行ったのはこの1回だけだ。QPにとっては忘れられぬ思い出と思う。それで細かいところまで覚えていたのだろう。

私にも息子についての忘れられぬ思い出がある。たった1回のことだから覚えていられるのだ。子育てや介護の経験のある人なら日常茶飯事のことだから一つひとつは覚えていないだろう。

話というのはこうゆうことだ。友達の家に行ったはずの息子が1時間もしない内に帰ってきた。招かざる客だったのだろうか。小学高学年ともなれば誕生パーティもやるし招待もする。たまには手違いもあるだろう。

留守番をしていたが玄関のドアを閉める音がしたので見に行った。息子は泣きそうな顔をして強烈な臭いを発していた。これが何を意味するかは私でも分かる。

子育てはQPに任せっぱなしでオシメも替えたことがない。想定外の重大問題に直面してうろたえた。突然大人並のウンコの始末という重責を負ってしまったのだ。踏み台から飛び降りたこともないのに落下傘降下をするようなものではないか。

こんな時は腹も立たないし可哀想とも思わない。ただ何とかしなければならないという思いだけが先に立つ。しかし臭い、凄く臭い。大人と同じものを食べているのだから当然だ。それに腹を壊しているので悪臭は更に深まる。風呂場に連れて行って何とかしたが何をしたのかは忘れ、強烈な臭いだけを覚えている。

親子三人で映画に行ったのは1回だけ、未だに子離れしないQPが細かいところまで覚えているのもごく自然なことだ。子供の世話もたった1回だけだが、強烈な臭気と共に記憶に残った。考えてみれば心の中は自分のことばかりで、家族のことは何も考えていなかった。そうこうしているうちに子供は成人になった。

大人になった息子にこんなことを言われた。「よその親は、子供のことをいろいろ考えてくれるし、子供の為にいろいろしてくれるのだよ」と。そう言われても何も感じない。なるほどと思うだけのろくでもない父である。

息子はこんな言葉も付け加えてくれた。「何もしてくれないけど気楽でよかったよ。親にいろいろやってもらうのも大変みたいだ。お父さんで好かった」。何も教えないのに良い評価を与えられた先生のような気恥ずかしさを覚えた。親は無くても子は育つとは本当だな。「名ばかり父さん」はそう思った。

【2015/05/02 00:00】 | 愚かな私
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花筏

メシ、風呂、寝る、から イクメン へ。
時代は変わってきました。

PPさんの時代は メシ・・・とイクメンの中間くらいでしょうか。

その頃は女性は家庭を守り、男性は外で仕事が一般的だったでしょうから、
PPさんが特別 自己中心的だったとは思いません。

今は男性の退職と共に妻も専業主婦退職願望の女性が多いと思います。

家事も夫婦で分担が理想かもしれませんね。



いろいろ反省しています
PP
私も自由の身ですから、家事全般を分担するのが当然と思っています。
しかし、実際にはほとんど何もやっていません。
少しはやったこともあるのですが喜ばないと言うか、
QP自身は自分でやる方を気に入っているようです。
それをいいことにして、積極的に手を出さない私は、
やはり、無責任なろくでなしですね。


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最近はほとんど本を読んでいない。それなのに文学館で開かれた特別展「小檜山博の文学 」には行ってきた。うたい文句は「野性よ 退化する現代を撃て」とか、凄く勇ましい。なんだか小檜山さんらしくないなと思った。パンフにはニューヨーク・マンハッタンを裸足で歩く彼の雄姿が載っていた。これもらしくない。

どちらも私が読んだエッセイとは印象が違うので、そう思ったのだ。文中に先生と呼ばれるのも嫌いと書いてあった。それで失礼ながら小檜山さんと書かせて頂いている。ところで私は、どちらかと言えば文学は苦手だ。申し訳ないけれど小檜山さんの小説も読んだことがない。

だからエッセイに書いてあることが小檜山さんの全てと、無意識に思い込んでしまったのだ。エッセイには自分の人生が貧弱とか、中身が空っぽで、でたらめで不誠実人間とか書いてあり、「人々は外見も中身も薄っぺらで愚かなぼくの正体を見抜けずに買いかぶってくれたからありがたい」とも書いてあった。

文字通り薄っぺらで愚かな私は深い意味も考えずそのまま信じてしまった。ところで、『花新聞』に連載された小檜山さんのエッセイを第1回から第362回まで飛び飛びに読んだことがある。再読することもたびたびある。なんとなく文章が私の身体に、スーっと入ってきて心地よいのだ。

「私だってあんたと同じ人間だよ」と、優しく言われている様な気がする。小檜山さんはエッセイの中で、自分のことを「容貌もよくない、貧相な自分、猿か狸みたいな容姿の男、顔も悪すぎた」とか書いている。

だから特別展にも自分と同じような小檜山さんに会いに行くような気持ちで行った。私のように彼も若いときは女性にモテなくて苦労したのだとか勝手に思いながら。

「開けてビックリ玉手箱」とはこのことだ。若いときの小檜山さんはまれに見る美男子だった。展示された子供の時から現在に至るまでの写真を見てそう思ったのだ。エッセイには、「顔もみられたものでなく、次々と女を好きになって振られた」とか書いてあった。ほとんどは片思いで相手は想われていることさえ知らなかっただろうとも。

そのことを自分になぞらえて、同じような経験をしたと思っていた私が愚かだった。実はモテモテなのだ。噂では500人の女を知っているとか? 一体なにをもって自分のことを持てない男と決めつけているのだろうか。多分、雲の上に居る人と地べたにへばり付いている私とでは、比較する対象が違うのだ。

好男子の小檜山さんでさえ、日本一の美男子に比べれば「猿か狸みたいな容姿の男」に違いない。決して嘘を書いているのではない。自分に重ね合わせて考えた私が馬鹿だった。しかし、そう思わせる文章を書く才能は素晴らしい。何もできず劣等感まみれでモテない私を励ましてくれた小檜山さんに改めて感謝!

最近はほとんど本を読まない私だが文学館で開かれた特別展「小檜山博の文学 」に触発されて、俄かにファンになってしまった。小説も読んでみようかな。

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【2015/04/25 00:00】 | 愚かな私
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人間は 長所あり 短所あり ですね・・・
路傍の石

人間、自分自身を評価するのは難しい。

自分を過大評価している人をみていると、
「あの人馬鹿か?」と思っちゃうし、
過小評価している人には、
「そんなにへりくだらなくても」と思っちゃう。

読んでいて心がホコッと温かくなる本、
心の迷いに道筋を見いだせる本。

本はこの世に必要な物ですね。

へりくだる訳
PP
そうなのです。小檜山さんのエッセイを読んでいると、
「そんなにへりくだらなくても」と思ってしまいます。
しかし、単なるへりくだりではなく小檜山さん個人に関する、
深い訳があるように思っています。
人は少し傷があった方が味があるような気がします。

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年度替わりなので簡単に自己紹介をさせて頂きます。QP(妻)と二人暮らし。今年で75歳になるショボクレた老人です。スポーツ、ゲーム、勝負事など何をやっても上手く行きません。オマケに勉強も嫌いです。

けれども毎日幸せに暮らしています。50年間抱いていた子供時代からの夢が叶ったからです。それは「遊んで暮らす」ことです。ところで幸せで満足している人には娯楽なんか必要ないと思っていませんか? それは大間違いですよ。

と、言うことでで始めたのが書くことと歌うことです。これなら勝も負けもありません。一人で楽しむことが出来るのです。だから一人で歌い、日記でも書いていればいいのですが、それが出来ない私はホントに困った人です。

聞いてくれる人が居ないと歌う気がしないので、カラオケ会に参加しています。それから読んで欲しいのでブログで発表するのは良いとしても、多数が参加するメーリングリストで「読んでくださ~い」とか呼びかけてしまうのです。読む価値があればいいのですが、今この時点で価値がないことがバレていますね。これが問題です。

去年の暮れ「誰でも書ける易しい掌編小説講座」に行きました。友人が「程度が低くてつまらないから止めちゃった」と言うので、私でもついて行けるかも知れないと思ったのです。なにぶん私は初心者よりももっと酷い何も知らない人です。

甘かったですね。小説は難しいです。私の手には負えないと思い、止めてしまいました。せっかく書いたのに勿体ないと思い、1月~3月の間に、その講座で書いた「小説モドキ」をこのブログに載せてしまいました。恥知らずでごめんなさい。

これからはエッセイを書きたいと思っています。決して「文化教室」などに習いに行ったりはしません。行けば、こんなのエッセイでないと、自分で分かってしまいます。スポーツ、ゲームなど何をやっても結論は「やっぱりダメでした」です。

物事を続けるためには、ダメと思わないことが肝心と思います。自分を知らなければ、幾らでも楽しんで続けることが出来る筈。幸せな誤解です。これは私が半生をかけて発見した心理。念のためですが真理ではなく、私個人の心理状態ですね。

エッセイについては何も知りません。繰り返しになりますが、こんなのエッセイでないと分かるのが怖くて調べられません。「小説」で懲りましたから。こんなことで読んでもらえるのか? と言う疑問は残りますが、困ったことに止められません。愚か者につける薬はないようですね。現世ではこのままと諦めています。

蛇足ですが、カラオケは「聞き苦しいから歌うな」と言われるまで続けるつもりです。実は35年くらい前に言われたことあります。それから30年くらい歌わなかったのです。今度言われたら20年間お休みにします。これが限界。またもや30年なら105歳になってしまいます。アチラ様のお迎えが来るのではないでしょうか。心配です。
以上、自己紹介でした。毎週土曜更新、よろしくお願い致します。

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すべては餅が原因だった。いや原因ではなく、きっかけかも知れない。私は無職でQPと二人暮らし。65歳にもなるのに、大きな福などに巡り合ったことがない。それなのに大福モチで躓くとは何ともやりきれない。思い余って二歳年上の先輩に相談した。事態は深刻だが、彼は人の悩みを聞くのが大好きだから気楽に話せるのだ。

「悩み? 聞こうじゃないか」
「QPの正体が分かったのです。いっそうのこと別れようかと……」
「結論を急ぐな。ともかく順序立てて話してみろ」

一週間前のことだが書斎にこもり、掌編小説「巨悪を叩く」の執筆に没頭していた。疲れたので気分を変えようとして居間に行くと、買物を頼まれてしまった。
「パソコンばかりやっていると又肺炎になるよ。気晴らしに買い物にでも行ってちょうだい。歩くと健康にいいからね」

滅多に家事はしないけれど頼まれれば断らない。手渡された買物リストを読みもしないでポケットに入れ、電停「中島公園通」前のスーパーSに向かった。牛乳、卵、リンゴ、ジャガイモ、玉葱、人参と買物は順調に進んだ。

最後に「モチ二コ」と書いてある。これはいったい何だろう? ともかく頼まれたからには買わなければならない。店員に聞くと、少し戸惑っている様子だったが案内してくれた。そして「申し訳ありません。今はこれしかないのです」と言った。

そこには袋に入った餅が無造作に積まれていた。「サトウの切り餅徳用1.1Kg」と書いてある。重そうだが引き受けた以上は仕方がない。それにしても重いものばかり頼まれる。少々不満には思ったが、たまにしか行かない買い物だから仕方がない。

「ただいま! 重かったですよ。ああ疲れた」
「正月でもないのに、なによ、これ?」と、サトウの切り餅を指差した。
ねぎらいの言葉を期待していたのに、いきなり文句を言われて頭に来た。
「一生懸命探したんですよ。店員に聞いたらモチはこれしかないと言うんです!」

「何でこんなにいっぱい買ってくるのよ」
「モチ2個と書いたでしょ。だから二つ買ったんですよ。餅はこれしか無いんだから」
「スーパーSのモチと言えば、アンコの入ったモチに決まっているでしょ」
「はぁ?」

なんとQPは大福をモチと言い張るのだ。何処の誰に話したところで通用しないことを堂々と主張する。屁理屈にもならない戯言だが、一旦口にした以上取り消されることはないだろう。なにしろ間違いを認めたことのない人なのだから。

確かにあのアンの入ったモチは好物だ。外出のついでにたびたび買って来たが、QPが買ってきたことはない。しかもあれは大福というもので、断じてモチではない。
「大福と書いてくれれば良かったのですが…」
「言い方なんかどうでもいいの。考えて買い物すれば分かるはずだよ」

お使いを頼まれたら買う物をメモに書いてもらって行くだけだ。買った物の使い道など考えたこともない。ひたすらメモされた品を探し、書いてあるものは一つ残らず買って来る。分からなければ店員に聞いて買う。これが私のスタンスだ。

大福とモチの違いについて丁寧に説明したのだが、「スーパーSでモチといえば、あのモチに決まっているの」の一点張りで押し切られた。もはや私に勝ち目はない。いくら正しい主張をしても、ここには裁判官の役目をする第三者はいない。大福を餅と言われようが、黒を白と言われようが、このケンカは私が負けない限り終らないのだ。負けるが勝ちだ。あきらめよう。

しかし悔しい。こんな風には終わらしたくない。どうしよう? 次回は「PPの逆襲」。

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【2015/03/21 00:00】 | 愚かな私
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今回も寄り切られましたね
路傍の石

重たい品々の買い物、お疲れ様でした。

「サトウの切り餅」も「大福餅」も確かにモチですよね。
モチの中に何かが入っているかいないかの違い。

しかし「モチニコ」で離婚話にまで発展するとは・・・

そもそもQPさんがPPさんにとって大きな福であって、
いつも傍にいてくれるから、福の存在に気付いていないのでは?

両方ともモチなのですね
PP
両方ともモチに違いないのですか。
この問題は私が考えていたより微妙なのですね。
黒白がはっきりしてないからケンカになるのでしょう。
自分なりに反省しますが、QPには弱みは見せられません。
なんとか工夫してギャフンと言わしたいのです。
出来るものなら上に立ちたいと思っていますよ(笑)。


尊敬します!
シンシア
上に立たなくても、尻に敷かれている風/旦那PP様の実態は人物的に優れ且つスケールが大きい方と想像しております。平和で羨ましい限りQP様。このブログに出会った幸せに感謝している・にわか愛読者ですが、いつも陰ながらPP様を応援しております!
しかし公平な立場でみると「モチ二コ」はやはり「二こ」で、二袋でなくて、二個ですね〜〜〜!!


二個であり二袋ではないですね
PP
温かいコメント有難うございます。
やはりニコは二個であり二袋ではないですね。
私の勘違いです。反省します。
少し言い訳をさせて頂きますと、

多分買い物を嫌々やっているから内容を考えないのですね。
中にアンが入っていてもモチは餅とか幅広く考えなければいけません。
それなのに、大福は私の頭の中で排除されていました。
モチを買って帰らなければならないという義務感だけはあるのです。

店員さんは棚の整理などで忙しそうでした。
わざわざモチの所まで案内してくれたのです。
手ぶらでは帰れないしモチはないし悩みましたね。

大福がモチの一種と分かれば好かったのですが愚かな私です。
くだらない言い訳をクドクドとすみません。
一緒に暮らすQPが気の毒です(笑)。


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「好きこそ物の上手なれ」と言われているが、例外もある。私は音痴なのに歌うのが大好きだ。世間様から見れば困った人間である。先日、結婚式の余興で親戚の一人として歌うことを頼まれた。普通なら断るところだが好きだから断れない。「歌いたいけれもどオンチ、どうしよう、どうしよう」と、もがいてしまう。

「そうだ!練習しよう」と突然ひらめく。.こうして悩みからは簡単に解放されたが問題もある。練習のためにカラオケには行きたいが、一人では行きたくないのだ。ダメで元々と思いながらQPに声をかけると、あっさりとOKしてくれたのでビックリした。どういう風の吹き回しだろう。ひょっとして「隠れカラオケ団」の一味かも知れない。

QPとは妻のこと。私の屈折した思いが込められた蔑称である。昔あったセルロイドのキューピー人形のように中身が空っぽと言いたいのだ。陰口専門の表現だから本人は知らない。ただの蔑称ではなく安全網の役目を果たしている。万一このブログを読まれたら「QPは貴女ではありません」と言う。小説の体をなしていないのに、小説とうたっているのも安全の為。「嘘っぱちです。小説ですよ」とか言える。

在職時代を振り返ってみると、ノロマの私にとって航空管制官という仕事は過酷だった。50歳を過ぎたころから定年退職が唯一の夢となった。カレンダー代わりのパソコンに退職日までの日数を表示させ、数が減るのを励みとして働いた。パソコンを立ち上げると「退職まで後113日。頑張ろう!」と、PC画面の真ん中に元気の出る書体でデンと表示されるように細工したのだ。

こんな状態だから退職時の解放感は忘れられない。しかし、3ヶ月もすると私を悩ます存在が突然目の前に現れた。それはQPである。「男は外に出れば七人の敵がいる」と言われているが、家の中でもこんな強敵が粛々と育っていたとは夢にも思わなかった。もはや別人としか言いようがない。だからQPなのである。

先ず嫌味を言うようになり、次に外出の勧め。それも単なる外出ではなく、文化教室の様に曜日が定められていなければならない。つまり、カレンダーに印を付けられるものでなくてはならないのだ。QPはその日を自分の「定休日」に当てたいらしい。

ここまでは序の口で、大変なのはこの後だ。我家は外で働いている間にQPに占領されてしまったのだ。全てはQP式に整えられ、運営されている。そこから一歩でもはみ出せば猛烈な攻撃に遭う。引き分けのない喧嘩は私の負けで終る。相手は押しの一手だから話し合いの余地もない。在職中に描いた退職後の夢は瞬く間に破たんした。家でのんびり暮らせると思い込んでいた私が愚かだった。

退職したら家でのんびりは、私にとって究極の夢。何人であれこの夢をつぶす権利はない。しかしQPは強敵だ。ケンカすれば連敗の私に未来はあるのだろうか。 
次回はPPの逆襲。乞う御期待。念のため付け加えると、PPとは私のことである。

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【2015/03/07 00:00】 | 愚かな私
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路傍の石

「退職まで後△日。頑張ろう!」と、PC画面に細工されたところ、
PPさんの胸中がひしひしと伝わってきます。

七人の敵よりも手強いQPさん。
一般の家庭でも案外そんなものかもしれませんよ。
相手が押しの一手なら、土俵際で頑張らなきゃ!
(自分の事ではないから、簡単に言っちゃいました)

いつも読ませてもらっています。
更新楽しみにしています。




がんばります!
PP
土俵際で頑張るというと土壇場で逆転。うっちゃりですね。次回はそれで行きます。
何といったって「小説」ですから、ヒーローは私。ドラマのように最後は勝つのです。
読んでくださり、コメントまで頂いてありがとうございます。

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すべては雪のせいだ。あの雪さえなかったら今ごろは楽しく暮らしていたはずなのに、1センチにも満たない薄い積雪のために、私の人生は狂わされてしまった。今にして思えばあの頃は幸せだった。

一歳年下の妻、陽子は頼みもしないのに三度の食事の世話をしてくれる。夫婦二人暮らしなのに温かい母子家庭のようだった。「母」は小うるさいけれど何もかも私本位に考えてくれる。その中で私は、ぬくぬくと楽に暮らしていた。

事の起こりは三年前。初詣の帰りに陽子は滑って転んだ。外出する時はいつも「年を取って転べば命取りになるからね」と、注意してくれたのに自分で転んでしまったのだ。私は足元に転がっている陽子をボケっと見ていた。なぜ転んだのだろうか?

この疑問は是非解いてみたいと思った。ここは人が転ぶべき場所ではない。その時彼女は私の前を歩いていた。歩道の雪は丁度いい具合にしまっていて、歩くたびにキュキュと音を立てた。もちろん陽子は滑りづらい冬靴を履いている。それなのに何故だろう?

先ず、転んだ現場を詳細に見た。滑った場所は横断歩道。白い雪の中に黒っぽい線がある。 よく見ると氷の上に薄らと新雪が積もっていることが分かった。 なるほど、これは最も滑りやすい状態だ。この黒っぽい線は陽子が滑った跡に違いない。

声がするので気がつくと、陽子は私の方に手を差し伸べている。こんな所で一体何を考えているのだろう。新婚時代を含めて手をつないだことなど一度もない。私が傍観者のように見ていると、よろよろしながら立ち上がり、今度は肩を貸してくれと言う。

次から次へと要求される無理難題に辟易としたが、仕方がないので肩を貸した。家まで約150メートルもある。よろよろと歩いたが、行き交う人は気にもしない。不本意ながら屠蘇の飲みすぎと思われたに違いない。この日は元旦だった。

陽子は私の肩にすがって不安を感じないのだろうか。楽観的なのか、それともそれほど痛くもないのかも知れない。私の経験では本当に痛みが強いときは人の肩など当にはできない。まして未経験者のお世話など怖いだけだ。本当に痛いのなら「ここをこう支えろ」とか具体的に頼む筈である。単に肩を借りて済む話ではない。

何かやってくれれば甘え、何か頼まれれば疑り深くなる。 我ながら困った性分だ。 まだ家まで100メートルもある。この肩は貸す必要があるのか無いのかと、考えながらのヨロヨロ歩きは本当にくたびれる。第一、年寄二人が絡み合ってよろけながら歩いたら返って危ないのではないか。

後になって陽子が骨折をしていることを知った。入院し手術をして退院後の生活は180度転換してしまった。全ては雪のせいだ。あの氷の上に薄く積もった少しばかりの雪。そんな些細なもので人生を狂わされてしまった。

人一倍元気だった陽子は骨折をきっかけに持病を悪化させ、次第に生気を失い寝たり、起きたりの暮らしになった。不本意ながら不器用で虚弱体質の私が、我家の暮らしを守ることになった。

あれから3年たった。あのアクシデントさえなければ平穏で幸せな暮らしが続いたはずなのに、今は外出もままならない始末だ。そんなときに先輩の蛭田さんが何処から何を聞きつけたか知らないが来てくれた。 
               
「大変だな」
「そのうち良くなりますよ」
「そうだな、きっと好くなるよ。だけど困ったことがあれば言ってくれ」
「有難うございます。しかし困ったことは起こらないと思いますよ」
「そりゃそうだ。絶対に起こらない。でも万一ということもあるだろう」
「嫌なことは考えないことにしています」

すべてはあの雪のせいだ。私は人生最大のピンチを迎えた。こんな時は、「すべて良くなる・困ったことは起こらない・嫌なことは考えない」。こう唱えるより他に道はない。

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【2015/01/24 00:00】 | 愚かな私
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稀に見る悪筆なのでワープロが出たころは、これぞ神の助けと思い人一倍早く飛びつきました。それ以来30年以上、文章を手書きしたことはありません。それなのにある講座を受けることになり、人中で字を書くはめに、なってしまいました。

困ったことに、すべての手続きをおわり受講料を払ってから、そのことを聞かされたのです。気が付いたときは手遅れ、後は野となれ山となれの心境です。

突然ですが、このブログ「朝の食卓」は10月より休むことにしました。次回は9月27日なので、その時にお休みのご挨拶をさせて頂くことにして、今回はなぜ休むことになったか、そのいきさつについて述べたいと思います。

実は、3ヶ月間、文章修業の旅に出ることにしたのです。と言っても札幌市内某所で計7回の講座を受けるだけ。新聞広告に「教室で仕上げる掌編小説 ~ほんとうに知りたかった創作のヒミツ~」と出ていたので、まんまとうまい話に乗せられてしまいました。我ながらマヌケです。

その「創作のヒミツ」というのを知りたくて行くことにしたのですが、文化教室の受付で聞いてビックリしたことがあるのです。辞書と原稿用紙と筆記具を持ってきて下さいとのことでした。

世間的には常識かも知れませんが私は知りません。軽量のパソコンを持って行くつもりでした。辞書もついています。オマケにとても便利な検索機能も付いているのです。これなしで文章など書けません。

趣味でブログを書いていますが、その「創作のヒミツ」とやらを密かに教えてもらおうと思ったのが間違いの元でした。今更いうのも憚れるのですが、小説は原稿用紙に書くものなのですね。私はぜんぜん知りませんでした。

昔の人が、そうしていることは知っていました。しかし、30年間キーをたたいて文章を書いて来た私が、原稿用紙を使うなんて難しすぎます。古文で書けと言われたような気分です。

とんでもない所に首を突っ込んでしまったようですね。さっそく百円ショップに原稿用紙を買いに行っら無いのです。別にケチっている訳ではありませんが、原稿用紙で作文するのは一般的でないような気がします。ともかくその講座を申し込んだのは、他ならぬ私ですから仕方ないですね。

辞書は20年前に子供が置いていったのがあるのですが字が小さくて読みにくいですね。ともかく原稿用紙以前の問題として字が書けないのです。悪筆なので昔からワープロを使っています。書ける字など読める字の百分の一もない始末です。うかつにも小説が手書きとは知りませんでした。

それはさておき、内容を確かめもしないで受講料を払ってしまった私がバカでした。 しかし私はケチです。転んでもただで起きるつもりはありません。払ってしまった以上は何かを掴んでから起き上がるつもりです。

かようなわけで、3ヶ月間はワープロで作文するのは止めて、原稿用紙に字を書くことに専念したいと思います。新しい経験をすれば新しい発想も生まれて来るかも知れません。嫌々やっても何も得られないけれど、積極的に取り組めば、必ず何か得るものがあると思うのです。

最後は取って付けたような前向き発言になりましたが、相変わらずのボヤキです。次回はお休み前の最終回なので、きちんとご挨拶いたします。本日は失礼致しました。

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【2014/09/20 00:00】 | 愚かな私
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常々「この世は舞台、人は皆役者」と思っている。長い間そう考えていたので、自分のオリジナルと思い込んでいた。念の為これをキーワードにグーグル検索をしてみると、一言一句同じサイトが1,530件も出てきた。大まかな検索なら31万件もある。

前置きはこのくらいにして、私の役は何だろうかと自問自答。「ずる賢い小心者」ではないだろうか。もちろんQP&PP劇場での話、広い世間に出れば私など単なる愚か者。何をやっても賢い皆様には敵わない。ずるさでも敵わないかも知れない小心者だ。

ところで、友人の言葉で気にかかることがある。数人でランチをしている時に何気なく発した一言だが、「男なんて気の毒なもんだね。女房が作ったモノを黙って食ってさ、文句一つ言えないんだから」と言っていた。

男でもいろいろある。料理を作る人、料理に注文を付ける人、黙って食べない人。私はまさに友人のいう気の毒な男、「黙って食べる人」である。それだけはない、時々「これ美味しいですね」とかオベンチャラを言わないと落ち着かない小心者。三食昼寝付だから気が引けるのだ。 だから…、QPが外出した時くらいは自由に食べたい。

「昼食は自分で作ってもいいですか」
「ああ、いいよ。肉も魚も冷蔵庫だよ」
「冷蔵庫にあるもので食べてはいけないものがありますか」
以前、美味しそうなタラコを食べて叱られたので念のために確認。
「そんなものあるわけないじゃない。勝手に作って食べなさい」

QPは3年前に自分が言ったことをすっかり忘れている。ともかく何でも使って自由に作れる御墨付をもらえたことは有難い。肉だの魚だのはメンドクサイから使わない。私が食べたいのは普段食べていないもの。しかも食器や道具を使わないもの。これが前提になる。

あったあった、卵、納豆、梅干、ネギ、この中で道具が必要なのはネギだけだが、鋏を使って切ればよい。まな板も包丁も汚さないで済む。私の得意料理は生卵入りネギ納豆、プラス梅干しである。

先ず、レシピを紹介しよう。材料は生卵1個、納豆一人分、ネギ5cm、梅干し1個、冷ごはん一人分、以下省略。レンジで温めたご飯の上に生卵入りネギ納豆をかけ、頂上に梅干を一つ載せて完成だ。

好きずきだから、これが世界中で一番美味しいとは言わない。但し動かし難い事実がある。省エネ小労力である。食器はドンブリとフォークだけだから洗う水も少なくて済む。エネルギーは電子レンジで3分、しかも手間も最少。それでもこんなに美味しいものが食えるのだ。幸せだな~と感じる、楽しい留守番のひと時である。

ところで何か物足りない。突然、生野菜が食べたくなった。冷蔵庫を探すとレタスがあった。おおスライスチーズが2枚残っている、ラッキー。いずれもそのまま食べられる省エネ食材。さっそくレタスのチーズ巻きを作った。しかし、このことがケンカの元となるとは夢にも思わなかった。あの御墨付は一体なんだったんだ!

「どうだった。美味しい料理できたかい」
QPはすこぶるご機嫌な気分で帰ってきた。
「ええ、まあ、なんとか食べられました」
間違っても自分が作った方が美味しいとは言ってはいけない。

翌朝、いきなりイチャモンを付けられた。
「チーズが無いじゃない。アンタ食べたね。今朝のトーストに使うから取っておいたんだよ。黙って食べちゃー駄目じゃない」
「何でも食べていいって言ったでしょう」
「そんなこと言ってないよ!」

食べてはいけないものがあるかと聞いたら、QPは無いと言った。しかし私だって「スライスチーズを食べていいですか」とか前もって聞けるわけがない。突然食べたくなったのだ。考えてみれば、これは極めて微妙な問題だ。つまり黒白をハッキリ付けにくいのだ。お互いに自分が正しいと主張できる根拠を持っている。

言いたいことはいっぱいあるが、ここはQPに理解を示すことにした。原因は私が突然生野菜を食べたくなったことにある。チーズ消失はQPにとって予想外のこと。私が食べるのは納豆、卵、梅干、ネギ、豆腐に決まっている。いつだってそうなのだ。

スライスチーズトースト用のチーズが無くなるなんて決してあってはならないことだが、突然食いたくなった。その結果、QPが計画した朝食作りを妨害したことになる。悪いのは私、弁解の余地もない。

一方、私は間違っていない私は正しいと言いたい気持ちもある。QPは確かに何でも食べていいと言ったからチーズも食べたのだ。QPだって自分の言葉に責任を持つべきである。しかし、これを言ったら御仕舞いだ。なぜならQPは自分が言ったことを忘れている。悔しいね~、忘れた者勝ちなんて理不尽だ。

思わず独り言、
「羨ましいですね。愚痴を聞いてくれる友だちがいる人は。いない私はブログに書くのです。申し訳ないけれど心の憂さの捨てどころ。愚痴を最後まで読んでくれてありがとう。心が軽くなりました」

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【2014/09/13 00:00】 | 愚かな私
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ずるさなんて、捨てっちゃえ!
カスミ草

ずるさでも誰にもかなわない・・・大いに結構じゃないですか。
ずるさを武器に人を押しのけても、他人は心の中で笑っているんですよ。
「かわいそうな人だよな~」って。

生卵入りネギ納豆+梅干し、私も挑戦してみようかしら。
レンジでチンより、炊き立てご飯のほうが美味しそう。

愚痴を聞いてくれる友達数人いるより、ブログに書いたほうが
読んでくださる人のほうが、各段に多いとおもいませんか?


まぁ~勝ち負けの問題ではないかもしれないけれど、
多くの人に知って貰うという点では、PPさんが有利でしょうね。

そう思って、心を落ち着けましょうよ。

美味しく作るにはちょっとしたコツ
PP
ずるさで負けて大いに結構とカスミ草さんから褒められているのに
恐縮ですが、我がQP&PP劇場では勝っているのです。
表面は負けた形にしてQPに花を持たせているのでご容赦ください。
生卵入りネギ納豆+梅干し、ぜひお試し下さい。
レシピは本文に書いてあるので参考にしてください(笑)。
美味しく作るにはちょっとしたコツがあるのですが公開できません。
機会がありましたらコッソリと伝授します。


のん子
なるほどね~(笑)
いろいろな夫婦パターンがあるもんですね。

確かに何使っても良いんだったらppさんに理がありますが、QPさんにすれば朝食用以外の食材って思いも解かります。
私なら、次回は朝食の材料以外って言わなくちゃ~って文句は言いません。
夫だったら「何、使うてもええ言うたやないか!」って険悪な雰囲気になること間違いないからです。
私は女友達に「この間、こんなことがあってね~」って
愚痴を聞いて貰ってストレス解消でしょうね(^^ゞ

因みに私は納豆が食べられないので、このレシピはパスさせて頂きます(汗)


pp
のん子さんのように愚痴を聞いてくれるお友達が、
居られるといいですね。
不満を相手に直接言ったらケンカになります。
お互いに言い分があることなど分かっているし、
静かにノンビリ暮らしたいです。
しかし、我慢して腹に貯めてばかりいる訳にはまいりません。
ガス抜きが必要ですから、愚痴を聞いてくれる人が欲しいですね。
簡単なようで難しいです。
運動して汗を流すのも好いと言いますが苦手です。

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朝食を美味しく食べられることは幸せなことだ。 10年前も今と同様、テレビを消して二人で話しながら食べていた。ただ話題はちょっと違う。その頃は80歳は遥か彼方と思って、こんな話をしていた。

「早く80歳になりたいですね」
「分かる分かる。60半ばじゃ中途半端。爺さんと言われたくないのに若くもない」
「人間として、もっと成長したいのです」
「成長もいいけど、ボケないでよ」

考えてみれば、ずいぶん狭い社会で暮らして来たものだ。転勤していろんな土地で過ごしたが、何処に行っても職場中心の暮らしだ。地域住民と馴染むことは一切なかった。世間のことは何も知らない。このままで一生を終わるのかと思うと心細くなった。 

「世間を知るとは人を知ること」と思う。先ずは身近なところから始めてみたが……。退職したからと言って、掌返すように「さあ、これからは地域と共に」と言ったところで、上手く行くはずがない。地域の壁は厚かった。

「そりゃそうだよ。近所づきあいも何もしてこないのに無理、絶対ムリ」
「60歳のラブレターって、ご存知ですか?」
「何んだよ急に気色悪い。いい年して何いってんの」
「本になるのですから、本当の気持は書けないでしょうね」
「『私は一生あなたに首ったけ』とか書いてあったよ。ホンマかいな」

「もし、私にラブレター来たら、どうしたらいいでしょうか?」
「無い、ない、絶対ない。よけいな心配するからハゲるんだよ」
「しかし、亡くなった方への想いには心打たれるものがありますね」
「うんうん、分かるわかる」

38年間の職業生活で身についたのは我慢だけだった。しかし、退職後の解放感はまだ続いている。毎日が楽しい。この6年間で在職時代の百倍以上笑ったと思う。 新しい友達も沢山できた。友達未満かも知れないが、何処に行っても笑顔に出会えるのが嬉しい。こんな楽しい経験は生まれて初めてのことである。

残り少なくなったが60代では、何でも幅広く吸収したい。出来るだけ多くの人たちと接して、自分自身の幅を広げたい。失われた38年間をとり戻したいのだ。人生ってなんだろう。仕事って何だろう? 自由を奪われて奴隷のように感じていたが…。

辞める自由があるのに辞められない。家族の大反対が怖くて続けていたようなものだ。家族って何だろう?? 上から押さえつける漬物石のようなものかも知れない。しっかり漬かって幸せな人間になれたのだから文句はないが感謝するほどでもない。

「とり戻して、どうするの?」
「普通の人になりたいですね。みんな普通にふるまって仲良くしているでしょ」
「そう言えばアンタ、どこか無理をしているように見えるよ。何か不自然だね」
「これでもだいぶ素直になったのですよ。過去を振り返る余裕もできました」

孔子さまの言葉に「七十にして心の欲するところに従って、矩(のり)を踰(こ)えず」とある。70歳になったら、自分の思い通りにふるまっても道に外れることがないような人になりたい。当時60代の私はそう思っていた。

その為に、修行をしていたつもりだ。修行中は表に出せる顔はない。だから仮面を付けていた。70歳になったら、この仮面を脱いで自分の人生を堂々と歩みたいと思っていた。孔子様が言うように、思い通りにふるまっても道に外れることがない人間になりたかったのだ。

「70過ぎて3年たちましたが、堂々と歩んでいるような気がしません」
「最近、なんだかヨロヨロしているね」
「未だに道に外れることもあるのです」
「フラフラしているからでしょ」
「孔子様の話ですが、なかなか……」
「なかなか真っ直ぐ歩けないのは姿勢が歪んでるからだよ」

ドクタークラブ五省
1、姿勢に歪みなかりしか
1、言語にもつれなかりしか
1、記憶に欠くるなかりしか
1、QPに恨みなかりしか
1、不精の出腹なかりしか
ブログ「仙台ドクタークラブ」より抜粋、一部改ざんお許しください。

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【2014/07/05 00:00】 | 愚かな私
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のん子
私も年金が頂ける齢までは仕事(パート的でしたが)をしていました。
早く辞めたかったのですが経済的理由で。
ですから、自由時間が一番嬉しかったですね。
海外旅行にも、いろいろお稽古事もして、ほぼ満足でした。
今は余り過ぎた人生、どうしましょう?って感じです(^^ゞ

やはり、出来るだけ健康で、明るく前向きに生きたいですね(^^)/


自由はいいですね
pp
やはり、お金持ちでもない限り、どなたも経済には縛られますね。
一人ひとり、いろいろ違いますから、人それぞれと思いますが、
自由はいいですね。
自由になれば、有意義な人生を歩もうとか、
前向きな考えが自然に生まれてきます。
自分が楽しければ、周りの人への気遣いなど自然に出来るようになります。
とても有り難く思い、感謝しながら暮らしています。



カスミ草
私の幸せって何かな?と考えました。
3食しっかり頂けて、住む家もあって、たまには旅行も楽しむお友達もいて。
でも もっと幸せな何かがありそう・・・と思ってしまう。
まだまだ人生修業が足りないんですね。

もし私にラブレターがきたら(そんな事あり得ないけれど)・・・「私には愛する人がおりますので」これで即解決。

でもそれが天国へのラブレターでしたら、涙を誘われますし、そういう人に出会えた方の人生って、とても幸せだったでしょうね。



私でいいのだろうか?
pp
>「私には愛する人がおりますので」これで即解決。

それはごちそうさまでした。
そのような返信なら簡単なのですが、もったいないでしょう。
もったいない。もったいないと悩むのです。
幸か不幸か、あるいは当然か、そんな可能性はゼロ。
だから悩むんですよ。
総理大臣やってくれと言われたような感じで悩みます。
私でいいのだろうか? 
とか、いろいろ悩みは深まりますね(笑)。


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私のようなオンチは、歌わないのが普通だ。しかし後期高齢者に近づけば話は別である。健康にいいからと言えば、何人も止めることは出来ない。

「批判さえ出来ないのです」
「それは良いことだとか言っちゃてね」
「黄門様の印籠みたいですね。地べたに頭をつけてハハーっという感じですから」
「いい気になるんじゃないよ。ドラマだって印籠は最後に1回だけなんだからね」

健康維持ならカラオケより栄養豊かな食事、早寝早起き、ラジオ体操の方がいいに決まっている。しかし「オンチなのに何で歌うの?」と聞かれれば、「健康にいいからです」というより他はない。正直な私は嘘をつくたびに心苦しく感じている。

すべて良くなる。困ったことは起こらないと念じていたら、嫌なことを考えなくてもすむようになった。同じ思いをしている三人でカラオケをすることになったのだ。これなら何の遠慮も要らない。まさに救いの神である。

早いもので、同世代の3人でカラオケに行くようになって5年たった。共通点と言えば、未だにカラオケ初心者ということだけだ。1ヶ月に1回、キチンと行っていたが、先月は3人の都合がつかず中止になってしまった。

私達のカラオケは3人で休みなしの3時間だから相当なものだ。ついに私の身体の中に月1回、歌いまくるリズムが染み付いてしまった。こうなると中止は辛い。

ダメで元々と思いながらQPに声をかけると、あっさりとOKした。私のやることなすこと何でも反対するくせに一体どうゆう風の吹き回しだろうか。ひょっとして「隠れカラオケ」かも知れない。長年一緒に暮らしていても分からない事があるものだ。これでは仲良くなれるはずがない。

「この日がいいね」と言うので、予定表を兼ねているカレンダーに「フタカラ」と書き込んだ。二人でカラオケのつもりだ。お互いにカレンダーを見ながら、それぞれの予定を知らせる習慣になっている。

さて、明日はいよいよ始めての「フタカラ」だなと思って、カレンダーを見ると、「フタカラ」の字に重ねて、二本の線が引いてあるではないか。

「何ですか。この二本線は?」
「さっき、Aさんからマージャンしよって電話があったんだよ」
「約束破るなら、ひと言いって下さい」
「アンタだって、黙って書くじゃない」
「書きこむのはいいけど、消す時は断るものです」
「そんなこと誰が決めたの。書くのも消すのも一緒じゃない!」

ここでケンカをすればお仕舞いだ。つまり私が負けるまで続くのだ。二人の世界には仲裁が入らない。勝ちたいと強く思う方が勝つ。無駄な時間を使いたくない者は必ず負ける。

そう思いつつ新聞を手に取ると書籍の広告が目に入った。●どんな環境でも、今ここを「心静かな場所」にする。

今まさに考えていることがキャッチコピーになっている。こんな風に思っている人は五万と居るだろう。否、50万も500万も居るかも知れない。売れる本というものは案外ありきたりのことが書いてあるものだ。共感を呼ぶためかな?

住んでいる家は心静かに安らげる場所でなければならない。過ぎたことは仕方がない。時と場所を改めて楽しめばよい。QPにはジャラジャラ、ロンポンを楽しんでもらおう。これでいいのだ。

「そうは言っても私ばかりが我慢するなんて不公平ですよ」
「いいじゃないか。黄門様だってそうなんだから」
「懲らしめてやりなさいとか言って、バッタバッタと切っているじゃないですか」
「その後が肝心さ」
「はあ?」
静まれーぃ! っと叫ぶだろう」
この印籠が目に入らぬか! (`へ’) (^m^) (-_- )

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【2014/06/07 00:00】 | 愚かな私
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PPさんは、やはり優しい
カスミ草
●どんな環境でも、今ここを「心静かな場所」にする。・・・

あぁ~私もこんな術を身につけたい!
そうしたら少しはストレスも減るでしょうね。

QPさんに「ジャラジャラ、ロンポンを楽しんでもらおう」と思うPPさんは、やはり優しい旦那さまですね。





今ここを「心静かな場所」にする
pp
PPは絶対に優しくないですよ。腹黒いです。
私はPPと名乗っているけれどPPではありません。
事情があって名乗る訳にはいかないのです。
今ここを「心静かな場所」にする術を身につけたいけれど、
どうすればいいのかな~。


のん子
そう言えば夫婦でカラオケって余り聞かないですね。

カラオケって言うか、歌を歌うことはボケ防止にもなり、腹筋を使うので体にも良いって聞いていますよ。
でもカラオケ教室等では殆どが演歌なのでイヤになってしまいます(私が嫌いなだけですが^^)

だから友達と行く時でも教室に通っている人は誘いません。
せめて歌謡曲が好きな人です。
私は唱歌風の歌しか歌えませんし(^^ゞ

2~3カ月に1度位、4~5人でです。
知ってる歌だと斉唱になります。
こんなグループは珍しいかと思いますが。

ppさんのオハコの歌って?


好きな歌
pp
はい、身体に良いと思って一生懸命歌っています。
私も演歌は苦手ですが、カラオケ会で誰かが歌えば、
「いいな~」と思いながら聴いています。
やっぱり、顔見知りの方の歌は、ジャンルを問わず
聴いていて楽しいものですね。

好きな歌ですが、よくぞ聞いてくださいました。
「東京午前三時」に
「上海がえりのリル」を
「俺はまってるぜ」

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朝食はテレビを消して話しながら食べるが、興味のある話題は何回も繰り返される。それは私が蒸し返すからだ。それに何を話したか一々覚えてはいられない。

「チョンマゲの話ですが……」
「アンタまだ拘ってるの、その話はもう終わったの」
「肝心なことを忘れていました」
「ハゲのことなどさっさと忘れなよ」

説明不足で誤解されたような気がする。私の真意をぜひ理解して欲しい。昔、『猿の惑星』という映画が大ヒットしたのを覚えているだろうか。次のようなダジャレ・クイズが流行ったくらい評判になったのである。「犬と猿と猫がおならをした。一番臭いのはどれ?」もちろん正解は猿、「サルノワクセイ」。

映画の中では猿が地球を支配し、人間は家畜になっていた。地球上には猿の思想と文化がはびこり、そこで愛を語るのは人間ではなく猿だった。「愛してる」とか「君を抱きしめたい」とか言っているのは猿なのだ。人間は檻のなかで「ウォー」とか叫んでいるだけである。こんな映画を観て1時間もたつと、自分が猿になったような気がして来るから不思議だ。そして人間が動物の一種に見えて来るのだ。

「文化とは模倣、サルとヒトが入れ替わっても慣れるもんですね」
「映画なんかに影響されて情けないねえ」
「私たちは欧米文化の真似をしているだけではないでしょうか」
「アタシは真似なんかしてないよ。欧米文化って何さ?」
「分かりません。あるといいですね。ひとくくりにできれば便利です」

終戦直後、東京の焼跡で育った私にとって欧米、特にアメリカは夢の世界だ。洋画を観るのが大好きだった。白黒の邦画など見向きもしない小学4年生がいた。それが私と歯医者の息子、貧乏人と金持ちとの違いはあったが趣味だけが一致していた。

平日に二人で映画を観に行って警察に補導された事もある。総天然色のアメリカ映画が大好で、貧乏臭い邦画をお金を払って観る気がしなかった。

その後、洋画の影響を強く受けている日活アクション路線に切替えた。石原裕次郎の、「夜霧よ今夜も有難う」は「カサブランカ」の邦画版。小林旭の「渡り鳥シリーズ」は「シェーン」の影響を受けているようだ。赤木圭一郎の「霧笛が俺を呼んでいる」はまるで「第三の男」のリメイクだ。以前観た洋画と比較するのが好きだった。

こうゆう状況の中で「愛してる」と言って似合う人のイメージが、私の頭の中で固まってきたのだ。だから、もし私らの様な風采の人が、お互いに「愛してる」とか言ってたら、凄い違和感を抱き恥ずかしくて観ちゃいられない。

しかし『猿の惑星』を観て考えが変わった。チンパンジーの雌雄が愛を語り合い、抱き合いチューをする。最初こそ軽い違和感を覚えたものの次第に慣れて来て、猿たちが愛し合う男と女に観えてくるから不思議だ。それに反比例するかのように人間が家畜か野獣のように見えてきた。

「人間がわざわざ作り出したものを文化と言う」そうだ。それならば美観も好き嫌いも文化と思う。大きな力を持ってすれば文化をもコントロールすることが出来るかも知れない。必要な力さえあれば何事も意図的に変えることが出来るだろう。

例えば、QPの様な人ををヒロインにして、PPの様な人がヒーローになる恋愛映画を作って、3年くらい大ヒットさせる。そうすれば、数え切れないほどの人々が、QP&PPが演ずるラブシーンを観ることになる。そして、慣れてしまえば、それが恋愛シーンのスタンダードとなるだろう。「猿の惑星」を観て、私はこう確信した。

「そんなこと出来るわけないでしょ」
「何億という人を一斉に右を向かせる力のある人なら出来ます」
「あんた、ホントにバカだね~、そんな人いる訳ないよ」

私は居ると思っている。グーグルはどうだろうか? 億単位のページが検索され易いように作られている。それはグーグルの意向に沿った形でページ作りがなされていることを意味している。グーグルが右を向けと言ったら何億ページもが一斉に右を向くのだ。もちろんグーグル検索で上位に表示されたいからである。

マイクロソフトはどうだろうか。ウィンドウズXPが使えなくなればパソコンを買い替えなければならない。世界中で使われているから膨大な数だろう。買いたい人が買うのではない。大きな力には逆らえないから買うのだ。

両者とももっともらしい理由をつけているが、私たちと対等の立場ではない。圧倒的な情報を持ち圧倒的な力を持っている。私たちに分かるのは公表された事実のみだ。彼らの本心を見極める手立てがない。流行をつくろうと思えば作れるだろう。

「世間に知られていない隠れた部分に商売の旨みがあると思うのです」
「アンタって本当に捻くれているね。パソコンなんか買わなきゃいいでしょう」
「使わないと損です……」
「私は持ってないけど損してないよ」
なるほど、損と思わなければ損ではない。しかも堂々と生きている。

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【2014/04/19 00:00】 | 愚かな私
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益々可愛いQPさん
蝦夷地の人
またしてもQPさんの・・・と書いていて、あれ待てよ・・・もしかして此のブログはPPさんがあれこれ書くけれど、つまるところは(隠れたところは)QPさんの自慢じゃないでしょうか?  ピンポーン!!
なんて今気がつきましたよ!あぁなんと鈍いワタクシ、そう思い直して読みましたら、全文これQPさんへのラブコールに埋め尽くされているようですね!
QPさんの可愛さ、おおらかで、屈託が無くて、ドーンとしていて、私も大好き。ファンです。

TVではごちそうさんという番組がずいぶん流行ったそうですが、ここもちょっと違う意味で、御馳走さん、ですねぇ。ウフフふふ。

(猿の惑星は、ラストの砂に埋まった自由の女神像の頭が印象に残っています。)



「猿の惑星」意外な結末
pp
「ごちそうさん」ですか、それに応える言葉は確か「お粗末さま」でしょうか。
そうでしたらQP&PPにぴったりですね(笑)。
二人は外ではともかく家の中では勝手し放題ですよ。
「猿の惑星」のラストシーンは衝撃的ですね。
「ラストシーンは誰にも絶対に言わないでください!」と案内がありました。
自分でも知ろうとしないで分からないまま鑑賞しました。
まさに意外な結末でした。考えさせられました。


カスミ草
猿の愛、PP&QPさんの愛、
でも最後に顔を覗かせるのは やはりパソコン。

QPさんとパソコンが、PPさんにとっては必要不可欠なようですね。

パソコンが絶対必要なPPさんと、
パソコンに全く興味を示さないQPさんの対比も、
失礼ながら面白く感じます。



気になるパソコン
pp
やはり気になるパソコンですね。XPはネットから切断しました。
買いたくないけれど買わなければならないのです。辛いですね。
自費出版「中島パフェ」とは行きません。お金かかりすぎです。
泣く泣くパソコンを買うつもりです。なるべく安いのを。


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用事があって地下鉄に乗って街に行った。目的の駅に着いたので自動改札機を通ろうとしたら、ピーピーとなりビタッと閉めて私を通さない。何だコリャと思ってやり直しても同じこと。メンドクサイから強行突破しようと思ったが……、

「私はジェントルマンですから止めました」
「当たり前じゃない! 誰もそんなことしないよ」とQPはにべもない。
「若い女性が何事もないように堂々と通り抜けて行くのを見ましたよ」
「ダメなものはダメ! アンタのそういうとこが嫌いなんだよ」

実行はしなかったが思っただけで叱られた。ただの話なのに面白くない人だ。ところで、カードは確かに千円以上の残額があったはず。運賃は200円、しかも何回もやり直している。果たして機械は万全で、常に人間のミスが100%なのだろうか?
070412kaisatu.jpg
改札機備え付けのマイクを通じて駅員さんを呼んだ。返事はあったがなかなか来ないのでイライラしながら待っていた。

「遅いじゃないですか。機械が人間を通せんぼなんて失礼ですよ」
「すみません。どうなされましたか?」
「カードを入れても通れないのですよ」
「もしかして、もう1枚カードを持っていませんか?」
「カードは何時も1枚しか持っていません」
「おかしいですね。カバンの中やポケットを探してみてください」

駅員さんはカードを2枚持っていると決め付けている。確かに忘れっぽくなってはいるが、1枚しか必要がないものを2枚も3枚も持ち歩くほどでもない。失礼千万、全く腹立たしい。

「カードは1枚しか持っていないのです」
既に我慢は限界に達している。静かにこう答えるのが精一杯だ。本当は5枚持っている。しかし持ち歩くのは必ず1枚だから大筋に於いて正直に話しているつもりだ。

駅員さんは「おかしいですね~」とつぶやきながら、マシンの蓋を開けて必要な操作をしていた。私は次第に”あなたはおかしい”と言われているような気がして来た。 

「これで通れますよ。どうぞ」
「ありがとうございます」とは言ったものの釈然としない。「乗った駅では一番右側の改札機から入ったのですが…」と駅員さんに伝えたが何の反応も示さない。恐らく何も調べないつもりだろう。100%私のミスと決めつけているのだ。

彼の見解を要約すると、「正常に一枚のカードを使っていれば必ず通れる。乗る時と降りる時と違うカードを使っている。2枚のカードを持っているはずだ」というものだ。

一般に、このような不具合は人間のミスにより起こる場合が多い。それは分かるがカードや改札機に原因がある可能性もゼロではないだろう。情報を受けたのだから、真摯に対応すべきと思う。

駅員さんは忙しいのだろうか?  もしそうならば、改札を強行突破しても追いかける余裕はないだろう。前述の改札を強行突破した女性は事情通だったかも知れない。真似をするつもりはないが、これは改札システムの盲点と思う。

私はカードか改札機のせいだと思っているので、どの改札機を使ったかを知らせた。もちろん原因調査の一助になればと思ってのことである。一方、駅員さんは「おかしいですね」を繰り返すばかり。私は認知症の初期かもしれない。しかし、そう判断し病院に行って診断してもらうのは私の「仕事」。駅員さんに判断してもらうつもりはない。

ともかく用事があって街に出たのだ。プリンタのインクを買って帰らなければならない。ビッグカメラのポイントカードはどこかなとポケットを探る。ポケットが多すぎてなかなか見つからない。おやおや、これは何だろう? ポイントカードにしては柔すぎる。何となく不吉な予感?

「ありゃりゃ、ありゃ何だこりゃ! もう一枚の地下鉄カードではないか」。こんなはずはない。1枚しか持って歩かないことに決めているのだ。決まりを破ったのは誰だ!  もう一人の自分に違いない。納得はできないが結果がそれを示している。

カードは乗って降りて初めて完結するのだから、これは使えない。このカードを使えるようにする唯一の方法は、駅員さんに事情を話して、手入力をしてもらうことである。もし対応するのが彼だったら頭の一つも下げなくてはなるまい。だけど下げたくない。
まだ9800円分も残っているはずだ。もったいない、どうしよう。 (´_`。) グスン

私は今、どっちの道を選らぼうか迷っている。一つは9800円分を捨ててプライドを守る「名誉の道」。もう一つは恥を忍んで全てを話し、駅員さんにカードを使えるようにしてもらう「実利の道」である。

どちらに行こうかなぁ。ノンビリ暮らしている様に見えても悩みは尽きないのだ。さて、あなたならどうする?

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【2014/04/12 00:00】 | 愚かな私
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♪ あなたな~ら どうする ♪
カスミ草
「武士は食わねど高楊枝」 私ならそんな見栄張らないで、素直に「済みませんでした」を選びますね。

私のそそっかしさは、PPさんの遥か上を行きます。
PPさんと同じように地下鉄の自動改札機にカードを入れたら ピーピーピー。金額はまだ十分に残っている筈。なぜ? 何故? 
ピョンと戻ってきたカード、見るとそれは 何と! JRの回数券・・・
おお、なんという失態。
私は苦笑、回りのおきゃくさんは爆笑!!
穴があったら入りたかった・・・

駅員さんのお世話になるまでもない、お粗末な一件でした。

もう一人の自分!
蝦夷地の人
>もう一人の自分に違いない
最近これでおし通す事ありますねぇ(><;)
自分以外にも、いらっしゃる事が判りほっとしました。
残高無くなり2枚持ち、無しのカードを入れてしまい、ピーッ、焦ります。頭では分かっているのに・・です。
しかも敬老優待カードですから、誰も見ていなくても言い訳したくなりますよ。トホホ・・です。



蝦夷地の人
すみません、追記させてください。

お答えは「勿論実利!」の私です。ウフフです。


カスミ草さんのミスは可愛い
pp
もともと素直でなかったから、今更素直になりにくいですね。
駅員さんが私のミスと見なしていることに腹を立てていたのです。
どうしても態度に表れますね。こんな結果になるなんて体裁悪いですよ。
カスミ草さんのミスは可愛いから明るく笑っておしまいです。
私の「自分は正しい」という態度は憎たらしいと思いますよ。
自分が2枚もっているとは知らなかったのでカードの汚れかな?
と思っていました。

信じられない記憶
pp
蝦夷地の人さんは「実利」ですか。実は私もそうです。
捨てちゃおうは一瞬の迷いです。
なにぶん私と駅員さんは腹の中で喧嘩していましたからね。
言葉は丁寧にしていたつもりですが、お互いに相手の主張を無視していました。
そして私が負けました。恥ずかしい限りです。
一瞬、「このカード使えないから捨てちゃおう」とか思ってしまいました。
我に返れば話は別です。
ともかく最近、自分が信じられない記憶が多くなりました。

ご無沙汰致しました
のん子
久し振りにお邪魔したらHN、nakapaさんからppさんに替えられたんですね。
今時の1万近くのお金は貴重ですよ!

私は老人会に入っておりますから、勘違い行動なんて皆さん当たり前ですから、堂々と説明して使えるようにして頂きます。
で、ブログネタにします(^^)

↓のpcでの夫、家族の悪口も同じですよ(^^ゞ

一瞬の心の迷い
pp
のん子さんお久しぶりです。
この間に2回リニューアルしました。依然試行錯誤中です。
nakapaは真面目な人なのでPPに変えました。
私も9800円捨てるつもりはありません。ホンの一瞬の心の迷いです。
だけど駅員さんにやってもらうのは先延ばしするつもりです。
自分の中でほとぼりが冷めるのを待ちます。

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ブログをリニューアルしたので簡単に自己紹介。私はPP、定年退職してQPと二人暮らし。朝食はテレビを消して話しながらとる。1日に1回くらいは話をしようという趣旨だが、困った事に会話は喧嘩の種にもなる。

ところで、本当の話ほど詰まらないものはないと言う。 プロの物書きは面白い事実を求めて世界の果てまで飛んで行く。それなのに私は、家の中でじっとして、せいぜい中島公園を散歩するくらいだ。面白い事実に遭遇するはずがない。

やむを得ず、一昔前にタイムスリップすることにした。そこは愛と正義が通用しない非情の世界だった。と言っても「情け無用の暗黒街」ではなく総面積85平方mの我が家のことである。定年退職して24時間一緒に住むようになると、二人だけの家庭は喧嘩が絶えない弱肉強食の世界であることが分かった。

口喧嘩だから大抵は私が負けて黙り込む。一緒にいるのは不愉快なのでプイッと外に出る。共同住宅だからベランダまでだ。そうしたら鍵をかけられてしまった。寒くて仕方がないので隣まで聞こえるように窓をバンバン叩いて開けさせた。

こんなことをやっていたら近所迷惑なのでベランダは止めた。私の行き場所は僅か7.8畳の自室だけになってしまった。退職したら家でノンビリしたいという長年の夢はたった3ヶ月で破れてしまった。恥ずかしながらQPとPPの二人暮しは、こんな具合にスタートした。

そのころは体調も最悪でだった。とにかくあちこち痛い。整形外科に行っても埒があかないので、マッサージ治療を受けることにした。担当のマッサージ師は目の不自由な若い女性で、S先生と呼ばれていた。マッサージは上手だが、とにかくよく喋りよく笑う。「暗いね~。あんた暗いね~」と言いながら笑うのだ。

先生はマッサージをしながら、耳だけを傾けてくれそうな気がして、とても話しやすい。それに、私のことを水も滴るいい男と思ってくれるかも知れない。なんたって頭と顔のマッサージはないのだから。いつも先生から「暗いね~」と言われては慰められている。例えばこんな具合だ。

「喧嘩したのね。それで、どうしたの?」とS先生。
「自分の部屋に入って鍵をかけたんですよ」と私。
「QPさんから逃げたのね」
「怖くはないけれど、中で何をやっているのか見られたくなかったのです」
「見られたくないって、何をさ?」

ちょっと答えを躊躇した。患者は私一人だが、院長先生も、可愛い受付さんもいる。 他の人には聞かれたくない。それで、小さな声でボゾボソと答えると。
「えっえ~!パソコンでQPさんの悪口書いているって~! あんた暗いね~。ホントに暗いね~。アッハッ、ハッ、ハ~」
020819jisitu.jpg
PPのDVシェルター? 喧嘩に負けたら此処でPCに慰めてもらう。2002年8月19日

私の配慮もS先生には通じない。豪快に笑い飛ばされてしまった。これを聞いた受付の若い子は一体どう思っただろうか。帰りに会計しなければならないのだから気になって仕方がない。 それにしても、なんて明るい先生だろう。多分、温かい家族や友人から良い影響を受けて育ったのだろう。

自室にこもりパソコンで悪口を書くことが、そんなに暗いだろうか。私は名案と思っていた。聞く耳もたないQPと口で喧嘩するなど愚かなことだ。いくら口で反撃しても耳が無いのだからどうしようもない。だからと言って黙っているのも悔しい。

どこの世界にも意見の対立はある。だけど順序立てて説明し、二三の裏づけになる証明さえすれば、大抵の場合は「君の言うことは分かる。しかし……」ということになるものだ。

ところが、QPの場合は全く違う。「それは違う。悪いのはあんた」の一点張り。何回も説明して、例を挙げて証明してみせたところで同じことである。「男は外に出れば7人の敵がいる」と言われるが、家の中でこんな強敵が粛々と育っていたとは夢にも思わなかった。 

「まさに突然変異ですね」
「突然ではなく『用不用説』じゃない」と、学のあるS先生は進化論を持ち出す。
「私は不要なんですか?」
「必要のないものは退化して消滅するんだって、突然でなく次第にね。気にしなくていいんだよ。PPさんのことじゃあないんだから」

二人っきりの喧嘩は仲裁が入らないので、限りなく続く。私は「説明と証明」。 一方、QPは「あんたが悪い」の一点張り。両者のエネルギー消費量を考えれば勝敗の帰趨は明らかである。

「苛められて悩んでいるときはパソコンに語しかけると、答えを出してくれるんですよ」
「暗いね~。パソちゃんは何て言ってたの?」
「ワタシノ胸ニ飛ビコンデ、思イノタケヲ話シナサイと言ってくれました」
「本当かな~、怪しいぞ?」
「キット貴方ハ癒サレルデショウとも言ってくれましたよ」
 
信じてくれたかどうか分からないけれど、S先生は微笑んでいる。
「だいぶ明るくなったじゃない。嬉しそうな顔して」
「えっ! 先生は見えるんですか」
「見えますよ。はっきりと。QPさんの勝ち誇った顔が」

訪問ありがとうございました。次の更新は4月12日(土)です。
それ以後については、毎週土曜日更新です。またのお越しをお待ちします。

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【2014/04/01 00:00】 | 愚かな私
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そそっかしいので土曜日・・・
蝦夷地の人
ちゃんと但し書きがあるのに、土曜日は更新されていると思い込んでしまいました。
リニューアルされると、以前の記事も全部リニューアルされてしまうのですね。
前の、猫ちゃんの体裁も大好きでした。
特に「こずるい猫ちゃん・・・」かわいかったですよ。
ぐっと変わってクールなデザイン、愉しんでいらっしゃいますね。
12日楽しみにお待ちしています。
これからもますます楽しい記事で埋めてくださいませ。
(コメント欄ちょっと見つけづらかったです)


読み易いのを選びました
pp
ニャンコもそれぞれ個性があって気に入っていたのですが、
変更してしまいました。ちょっと残念な気もしています。
いろいろ探しましたが、いずれも一長一短でした。
結局、これが一番読みやすいような気がして決めました。
これからもよろしくお願い致します。


カスミ草
リニューアルされたブログ。

青い空に白い雲、PPさん好みの写真のようですね。
花はなんでしょう。
私にはコスモスに見えますが、×それとも○?

PPさんを閉め出す、それもベランダへ。
油断大敵でしたね。

それにしてもQPさん、なかなかやりますね~。
女房はだんだん強くなるんですよ、PPさん!!

読みやすいデザイン
pp
トップの画像はコスモスに似ているけれど、そうじゃない様な気もします。
実は画像のことはよく分からないのです。
一番読みやすいデザインはどれか、だけ考えました。
QPは大人しい人と思っていたのですが、いつの間にか強力になっていました。
うかつにも退職して家に居るようになってから気付きました。


花筏
朝食は話をしながら和やかに。
なんと幸せそうな風景でしょう。

読み進むうちにエッ!
ガラス戸一枚隔てて、寒いベランダにPPさん、
暖かい室内にQPさん。
なんと無常な展開を。
きっとQPさんの虫のいどころが悪かったのでしょうね。

ベランダ締め出しは意外でした
pp
家に居るときは、ほぼ自室にこもりきりなので、
せめて朝食は話しながらと思いました。
それに、朝に一日の予定を話した方がいいと思ったのです。

ベランダ締め出しは意外でした。
しばらく外の空気を吸ったら明けてもらえると思っていたのです。
近所迷惑になるくらい騒がないと明けないとはね(笑)。
でも昔の話です。今はノンビリ暮らしています。

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北海道新聞に「子ばなし」というコーナーがある。時々読んで微笑んでいる。無邪気な子供の話は思わぬ発見があって面白い。それに気持ちが温かくなる。

kobanasi2.jpg
人形劇場こぐま座の前にある遊戯広場。札幌市中島公園

「今日とっても笑える話があったのですよ」と後輩のA子さん。
「ぜひ聞かせて下さい。どんな話でしょうか」
「孫のCちゃんの話です」
真面目すぎるA子さんから初めて面白い話を聞かせてもらえるのだ。こんな嬉しいことはない。だが待てよ、笑えなかったらどうしよう。ヒネクリストの私は素直な話では笑えない。

「娘のB子に赤ちゃんができたようなんです」
「好かったですね。おめでとうございます」
何としても笑って上げたいが、まだ早いかな?

「三番目の出産なんですよ。まだ誰にも話してないんです。内緒ですよ」
「分かりました。拷問されない限り絶対にしゃべりません」
おやおや、A子さんが笑っている。笑わなきゃならないのは私なのに困ったものだ。

「B子は仕事があるので私がCちゃんを学童保育に連れて行ったのです」
「お孫さんの送り迎えですね。それはご苦労様です」
状況は分かったがまだ笑うタイミングではない。ともかく一生懸命聴いていれば笑える時が来るだろう。

「Cちゃんが先生に『お正月東京に行けなかったの』って言ったんですって。すると先生に『どうして行かなかったの。お母さん赤ちゃん産まれるの?』って聞かれたんですって。先生、勘がいいよね」
おやおや、A子さん笑っている。これから面白い話になるのだな。黙って聴こう。笑うのはその後だ。

「その答えが面白いんです。『ううん違うよ、ママのお腹に赤ちゃんいないよ。だってママがまだ誰にも言っちゃダメって言ったもの』。先生、困ったでしょうね。Cちゃんからこの話を聞いて、もう大笑い! 娘も怒るのを忘れてお腹抱えて笑っていました」
「そうですか。可愛いですね(⌒_⌒)ニコ 」

「まだ赤ちゃんの心音も聞こえないし、週数からいっても赤ちゃんが小さすぎるので、安心できる状態になるまで、親としてはあまり人に言いたくなかったらしいんです。 それで子供達にも口止めをしていたんです。でも子供に嘘をつかせるのも可哀そうですよね」
「大丈夫ですよ。Cちゃんは嘘をついていません」
「ホント?」

「誰にも言っちゃダメと言うことは、お腹に赤ちゃんは居ないということです」
「そうですね。心音も聞こえないし」
「可哀想でもないし、嘘もついていません。ただ可愛いだけですよ」
「そうです、そうだよ、可愛い,カッワイイッ! ワーイワーイ」
「ハッハハハー、ワッハハ~ワッハハ~」
「可笑しいでしょう」
「お昼はオニギリですか?」
「はぁ?」
「歯にベッタリ海苔がついますよ。ハッハハー」

ともかく笑えてホッとした。

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【2014/03/08 00:00】 | 愚かな私
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小噺
カスミ草

子ばなしから小噺の世界へ・・・ですね。
子供は純粋で可愛いです。
Cちゃんの戸惑いの心に同情しながらも、ウフフフ と
笑ってしまいました。
我が家の隣家でも半月ほど前に第3子が誕生しました。
少子化の時代に3人目のお子さんとは、嬉しいことですね。

それにしても海苔で昼食がばれたのは、
いつも紳士のPPさん? 真面目すぎるA子さん?
(まぁ~、これは大した問題じゃありませんネ)

可愛くて微笑ましい
PP
コメント有り難うございます。しかし、Cちゃんは戸惑っていないのではないでしょうか。
自信をもって「ママのお腹に赤ちゃんいないよ」と言ったと思います。
ですから可愛くて微笑ましいのです。書いていて温かい気持ちになりました。
ワーイワーイと大きく口を開けたら歯に海苔がベッタリ、思わず笑ってしまいました。

ヒネクリストさんへ改名!いかが?
蝦夷地の人
こんにちは。
まず「ヒネクリスト」の呼称にうふふです(^^)
いいですねぇ、この呼び名。とても気に入りました。
前記事のレトリックも愉しく読みましたが、何時も意外性でアッ、と感じさせるって素晴らしい事です。
表現者たる所以だと思います。(物書き(尊敬をこめて)も表現者、でしょ)
子達への視線にヒネクリストさんの慈愛を感じるのは私だけでしょうか?
心から慈しんでいるご様子が見え隠れです。

高い所は苦手です
PP
蝦夷地の人さん、こんばんは。
ヒネクリストに改称したいけど、もうダメです。
だけど気に入ってくれて有り難うございます。
豚もおだてれば木に登るといいますが、これもダメ。高い所は苦手です。
心から慈しんでいるのは確かですよ。
残念ながらよその人の娘さんの子です。でも可愛いですね。

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QPとは48年連れ添ったが理解し合っている訳でもない。それでも何とかやって行けるから有り難い。前にも書いたが家の中における私の立場は子供みたいなものだ。そう思えばいくら威張られても腹が立たない。

家に居る時は殆ど「勉強部屋」にこもり、「掃除だよ」と言われれば外に出て、「ご飯だよ」と言われれば居間に食べに行く。楽と言えば楽だが反発したくなるときもある。子供とはそういうものだろう。

つい先日のことである。朝、病院に行こうとすると、QPの「服装チェック」が始まった。毎度のことだが、もうウンザリだ。出かけようとすると私の姿を上から下までジロリと見てケチを付けるのだ。
「病院にいくときはズボン替えて行ってよ」

今日は整形外科だから菌をもらってくる心配はないと思う。こんなときにでもチェックが入るのだから嫌になる。しかしこれも自業自得、2年がかりでQPを「お母さん」に造り変えたのは私だ。小まめに働き小うるさいのが母というものだろう。
 
あ~ぁ、叉かと思いながらも素直に従う。朝から揉め事はゴメンだ。とりあえず、ズボンを脱いでモモヒキ姿となる。架空の子供から現実のジイサンへの早変わり。ノロマのくせにこれだけは早い。
「何よ!その格好」
「このままでは外には行けないでしょ。こうすれば替え忘れる心配はないのです」

「そんな、みっともない格好して、誰か来たらどうするの。時間がないから先に出かけるからね」
(相変わらずの要らぬ心配。誰も来るわけ無い。もし来たら寝たふりすればすむ話)
「はいはい、行ってらっしゃい」
続いて、小さな声で独り言「せいせいするわい」。これが聞こえてしまったようだ。
厳しい言葉が返ってきた。「病院に行ったら、もう帰って来なくていいからね!」

簡単に言うけれど、病院に行ったきり帰れないとすると何処に行ったらいいのかな。焼き場へ直行、それとも蒸発? こんな意味不明な言葉を残して出かけるQPの気が知れない。

大学医学部の地下には「ホルマリンプール」があるそうだ。QPは知っているのだろうか? 行き先のない人は、そこに運ばれると聞いたことがある。運ばれた遺体は人体解剖用にプールの底に保存されるとの噂だ。
ひょんな調子で浮き上がるとアルバイトの監視人に棒で突っつかれ、打ち所が悪いとバラバラに壊れてしまうのだと…。ああ恐ろしい。因みにこのアルバイトはかなり高額な時給。大学への問い合わせも多いと聞く。

「バカ言ってんじゃないよ。ホルマリンプールなんてあるわけないよ」
「医大病院の地下にあるそうです」
「ホルマリンは怖いぞ。中毒で死ぬこともあるんだ。誰がそんな所で働くか!」
「薄めて消毒に使っているでしょ」
「ホルマリンプールなんて絶対に無い」
「聞いた話ですが、浮き上がってきたら監視人が棒で突いて沈めるそうです」
「遺体を棒で突っついたらダメ!」
「失敗したらバラバラになるそうです」
「だからダメといったろう!」
「そんな法律あるんですか?」
「あるっ!!」

なぜか今日の先輩は自信たっぷりだ。

    ↓
    ↓
    ↓

なるほどこちらを読んだのか。

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【2014/02/22 00:00】 | 愚かな私
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No title
カスミ草

PPさんのところはあと2年で金婚式なんですね。
そりゃ半世紀の間にはいろんな事があったでしょうが、今もってPPさんの
センスに関心を寄せてくれるQPさんは、優しいですね。

>続いて、小さな声で独り言「せいせいするわい」。
・・・フフフ、せめてもの、可愛い反抗ですか?

後半はちょっと怖くて言葉が出ない・・・。

都市で伝わるお化け話です
PP
優しいのだか煩いのかよく分かりません。私が2年間文句一つ言わずに我慢したら、
そういう人になってしまいました。我が家の独裁者です(笑)。
倍返し覚悟でないと反抗などできませんよ~。ムムムム~
ホルマリンプールで脅かしてごめんなさい。ジョークのつもりでした。
都市で伝わるお化け話で、そんな事実はありません。安心してください。


No title
空見
こんばんは。
さしずめQPさんは「いちゃもん姫」ですね、PPさんに何かいちゃもんをつけて注意しないと気がすまない。
うちの宿六もいちいちそんな感じ、要するにあるのは悪意だけ?^^; スリッパの音をたてて歩くな、とか、いまさら私に忍者になれと?(笑)まさに箸の上げ下ろしまで煩いウルサイ。黙っているといつまでも言い募るので、反撃すると素知らぬ顔に、その手の平返しがまた腹立ちますのよ。
ほんと、PPさんの仰るように、昔は優しい人でしたのにね、いよいよ本性を現したというか・・たぶんそんな人だったのを見抜けなかったこちらのミスなんですけどね~年とると人間もおそろしい動物ですね (;^_^A アセアセ・・




こんばんは
PP
そうなんですよ。空見さんの仰るとおりです。もっとも姫ではなく「いちゃもんばーば」。
一応気を使って「ー」の部分をずらしました(笑)。
ダンナ様は男らしい方のようですね。いっそうのこと「お父様」に祭り上げたらどうでしょうか。
可愛がってもらえると思いますよ。文句言ったら「パパなんて大キライ」と一喝するのは如何でしょうか?

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今回のテーマは家の中の宝探し。そしてその結末は思いもよらぬものだった。私は家宝、果報者? 
初夢の影響がまだ残っているようだ。

ところで、我が家の料理担当はQP。そして私は平和担当である。
「なんだ、その平和担当というのは?」と、いつものように先輩の突っ込みが入る。
「我が家の平和を守るのが私の仕事です」
「強盗が入ったら戦うとでも言うのかね!?」
「受け持ちは家庭内に限ります。外敵は警察がやってくれますよねぇ」

「家庭内? テキはQPさん一人かい」
「味方も私一人。1対1はこじれやすいのです。平和を守るとは争いを避けることに尽きますね」
「どうやって」
「我慢です。毎日が我慢の連続と思うと、仕事と思わなければやって行けません」
 
我慢が腹に溜まり過ぎると爆発する。それを避けるには少しずつ外に出すことが必要。私のガス抜きはブログに書くことだが正月早々、QPの悪口では品がない。

かような訳で今回だけは二人で力を合わせて頑張ったことを書きたいと思う。私たちはあるものを捜し求めた。それは生き甲斐などという抽象的なものでなく、ズバリ! お宝である。

「なんでも鑑定団」とかいう番組を観たことがある。長い間、物置の片隅に放置されていた壷が百万円もしたりして、驚いたり羨ましがったりしたのもだ。テレビの影響でウチにも宝物が何処かに奥深く埋もれているのではないかと気になってしまったのだ。

「家の中で、家宝になりそうな物ありますか?」
「家宝というと安くないよね」
「価値のあるものですから、高いですね」
「ウチで一番高いのはテレビだよ。テレビが家宝!」

「そういうのではなく高価なツボとか、掛け軸だとか……」
「そんなものあるわけないじゃない」
「貴女がタンスの中に大切にしまっているのは何ですか?」
「あれっ! あった~。オリンピックの記念メダル。あれこそ我が家の家宝だね」

早速、ネットで調べてみる。
「テレビに比べたら安すぎますよ~。せいぜいウン万円ですね」
「あっ、そうだ。飛び切り高いもの思いついた。 家でしょう。家が家宝!」
「家は家宝の入れ物だからダメですよ」
「………じゃー、お金」
「お金もダメ。結局、何も思いつかないと言うことですね」

「家宝って古いものだよね」
「たいていの場合そうですね」
「分かった!」
「なんですか?」
「この家で一番古いのは人間!」

なるほど、二人とも親からもらったものは命だけ。この家で一番古いものは人間だ。
更に言えば私の方が古い! 私が家宝。

「先輩、ちょっと聞いてください」
「なんだね、藪から棒に」
「QPったら私のことを家宝って言うんですよ」
「果報者かよ。アンタがね~?」
「そうなんですよ、私が家宝。灯台下暗しですね」
「ナルホドそうだな。アンタならただ暗闇に立っているだけで人間灯台かもね。ウッフフ、ワッハッハ~

腹が立ったので歌で逆襲!
「なぜ笑う別に気にすることでない頭ハゲても心の錦」
しかし先輩は優しく〆てくれた。心の広い人だ。
「どんな~花よりきれいだぜ~♪」
「センパ~イ、有り難うございます。ジーン...(≧ω≦。)」

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【2014/01/11 00:00】 | 愚かな私
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素晴らしい家宝
カスミ草
PPさん、今年も楽しいお話で笑わせて下さい。宜しくお願い致します。

「家は家宝の入れ物」なるほどね・・・。
となると、PPさん宅にはもう家宝があるではありませんか。
PPさんに必死に平和を守ってもらっているQPさん。これぞまさしく、
PPさん以上の果報者と思いますよ。クスリと笑えるお話、楽しく読ませていただきました。

家中全部家宝
PP
カスミ草さん、今年もよろしくお願いします。
QPも果報、私もカホウ、我が家の物は全部家宝ですから捨てられません。
なんとか、この考えを捨てないと家中お宝で埋まってしまいます。
「捨てる技術」という本を買ったのですが、とっくの昔に捨ててしまいました。
残ったのは家宝の山です。

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QPが3年ぶりに帰って来た。
「ただいま」
「お帰りなさい。遅かったですね。どこに行ってたのですか?」
「宇宙だよ」
「それはお疲れ様でした。お風呂にしますか、それともご飯?」

話を聞いていた先輩がイチャモンをつけた。いきなり出てきて申し訳ないが小うるさい人は、何の前触れもなく突然現れるものだ。

「嘘を書いちゃあお仕舞いだな。ネタぎれかぁ」
「疑り深い人もいるかと思って、証拠写真を用意しました」

で~ん!
uchu3.jpg
恐れ入ったか!!

「なんじゃ、この青いのは?」
「地球は青いのです。宇宙飛行士は皆そう言ってますよ」
「寝ているのは誰だ」
「装着している宇宙服が目に入らないのですか?」
「横にあるのはコタツじゃないか」

「宇宙から帰還したQPが、全力で地球の重力に耐えているのです」
「こんなに寒いのにコタツも使わせないで寝袋か。これは虐待だぞ」
「その様な事実はございません。丁重にオモテナシをしていますが、何か問題でも?」
「座布団を枕にして寝る宇宙飛行士がどこにいる!」

状況は厳しい。 そうだ!プレゼントでも上げて機嫌をとろう。
「QPからのお土産です。兎がついたモチで作った月餅だそうです」
とか言いつつ厳かに進呈。先輩は包装を解くなり…、
「なんだ『サトウの切り餅』じゃあないか!いい加減にしろ

打つ手が次々と見破られている。もはや手の施しようがない。こんな時はアサッテ攻撃をかけて身をかわすに限る。これは話題を思いもよらない方向に導く攻撃法である。昔、QPから散々やられて身についた手法だ。

「先輩からもらったメールですが、ウイルス付いてましたよ」
「なっ、なに! 何で早く知らせないんだ。感染したらどっ、どうする!」
「対策してあるので大丈夫です」
「アンタが好くても他の人が迷惑するじゃないか。う~、困ったな~」

先輩、アサッテ攻撃を受けてうろたえている。宇宙飛行士疑惑問題をスッカリ忘れているようだ。完璧な勝利である。もちろんウイルスメールはデッチ上げ、誰も困りはしない。可哀想に先輩は泣いている。

勝負には勝ったが心の中は虚しさでいっぱいだ。ウソを本当だと言いくるめても、空しさだけが残る。崖っぷちで逆転しても充実感がまったくない。大切なものを失ったような気がして落ち込んでしまった。
 
その時とつぜん草葉の陰から優しい声が聞こえてきた。「*く・じ・け・な・い・で」。

そうなのだ、くじけてはいけない。QPが3年ぶりに帰ってきたのである。この喜びを表すのに劇的な登場があってもいいじゃないか。 新年の夢、それが初夢だ。 春がくればエイプリルフールもあるぞ。
楽しみ楽しみ。ウフフフ

元旦や夢は初ゆめ四月バカ面白いのは夢とウソかな

「なんじゃこりゃ」
ありゃりゃ先輩、もう元気を取り戻している。立ち直りの早い人だ。
「短歌らしくするために無理やり字数だけ合わせました」
「そりゃ、大変だったな」
凄い、私をねぎらう余裕さえ見せている。
「合わせるだけなら簡単です。ケンカする方が大変ですよ」

と、言うことで夢はおしまい。明日からは二人暮らしの現実が待っている。二人で仲良くとは、煎じ詰めればケンカを避けることに尽きる。

「今年も穏やかにガンバロー。ときには優しく時にはズルく、
面と向かえば素直でニコニコ、陰で悪口、ブログに書くぞ~。
巧みに操る夫婦舟、兄弟舟もよろしくね」
と歌えば、

「おめでとう宇宙船だよおっかさん♪月の月餅おいしかったよ」
と応えてくれる兄のような先輩。
「兄貴! 有り難うございます。ジーン...(≧ω≦。)」

以上、『巧みに操る夫婦舟 The Return of QP』の第一話。
第二話は1月11日(土)の予定。以後、毎週土曜日更新です。
今年もよろしくお願い致します。

*「くじけないで」100歳の詩人柴田トヨ 1911年(明治44年)6月 - 2013年(平成25年)1月。

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【2014/01/01 00:00】 | 愚かな私
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弾けるたのしさ
蝦夷地の人
一応お正月なので「明けましておめでとうございます」とご挨拶させていたきます。にやり・・猫が笑った顔を想像してくださいまっせ!

正月早々、福笑いをいただきました。^^/  弾けていますね、ノリノリですね!!!
今年一年、巧みぶりもさぞ上がる事でしょう!期待度120%です。

我々庶民のウソなんて可愛いもんです!
どこかのお国のお偉いさんたちのカバのように厚ーいツラの皮のほんの少し・・いやいやこんなものは要りません。
モッと大事なものを私たちは持っていますから(威張って言います)要らないのです。
あらぁ、すぐ影響される私、管理人さんにすっかり嵌ってしまったようです。
新年早々妄言・妄想ごめん遊ばせ。

次回の更新、あぁ〜待ち遠しい。


明けましておめでとうございます
PP
>蝦夷地の人さん
猫が笑った顔を想像してみましたが、神秘的だと思います。
自己満足ですが、パソコンの画面上で文字をいじるのが好きです。
文字をいじっていると、いろいろ連想できて面白いのです。
過分な感想をありがとうございます。自信がないので励まされます。
自分の楽しみで書いていますが、笑ってもらえれば嬉しいです。

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今日は楽しいランチ会。私ではないWFのだ。もちろん私も楽しい。留守の間に好きなものを勝手に食べることができるからだ。「元気で留守がいい」のはお互い様である。

以前一人で留守番のとき、冷蔵庫の奥に隠れている筋子を見つけて食べたことがある。WFはカンカンになって怒った。お客さん用に買って置いたものらしい。美味しいものは見た目で分かる。これでもなかなかの食通のつもりだ。

それからというものは、私を置いて外出するときは、食べるものをアレコレ指示をして行く様になった。余計なお世話だが後で叱られるよりはましだ。

今日も昼食の指示はあったが、それは無視をして好きなものを食べることにした。メイン・メニューはお粥と梅干である。凄く楽しみだ。

私が作るお粥は特に美味しい。ブランド米にブランド梅干。これらがお粥を美味しくする。水分を多く含んだサラサラした重湯に近いお粥が好きだ。内緒で作るのが少し辛いところだが、これには訳がある。 

実はこのメニュー、私が作ってWFに勧めたことがある。テーブルの上のお粥と梅干を見るなり、「私は病人じゃないよ」と言って、冷蔵庫から、いろいろ出してレンジでチンチンやりだした。手抜き料理と誤解したらしい。

内緒でお粥を食べたからといって「なにも隠すことはない」と、思うかもしれないが、それは第三者の考えである。私にとっては重大問題だ。 

美味しいと思って食べているお粥にケチを付けられたら不味くなってしまう。それに隠れて食べれば美味しさも倍増するのだ。ワカルカナ

だから、WFが帰る前に鍋や食器をを片付けて、お粥の痕跡を消さなければならない。それに指示通りに肉じゃがを食べることも忘れてはならない。しかし食べ過ぎてもいけない。後で分かったことだが量についても細心の注意が必要だ。

3時過ぎにWFがルンルン気分で帰って来た。それでも冷蔵庫のチェックは怠らない。まさか、梅干が一個減っていることには気がつくまい。私は落ち着いて「ランチは楽しかったですか」と聞いた。

「なによ、このご飯、食べなかったの?」  
しまった! ラップに包んだ冷ご飯の始末を忘れた。
WFの指示は”冷ご飯と肉じゃが”だった。千慮の一失だ。 
「ダイエットですよ」
「ダイエット? 昨日、体重が減ったと言ったでしょ」と相変わらず疑り深い。
 
「減らすときは徹底的に減らす。これが私流のダイエットです」
「あっ! 肉じゃががずいぶん減っているじゃない。アンタご飯の代わりに食べたでしょ。おかずばっかり食べてもダメなんだよ」

とんでもない言いがかりだ。好物の肉じゃがをたらふく食べたと疑っている。私にとってはお粥がメインで肉じゃがはホンの少しつまんだだけである。

最初から鍋に半分しかなかったのだ。自分が忘れっぽいくせに人の言うことを信じようとしない。この性格にはいつまでたっても慣れない。修行が足りないのかな。

「お粥隠蔽工作の代償は意外に大きかったですね」
「いんぺい?」と先輩のAさんは首を傾げている。
「お粥を食べたことを白状しない限り、肉じゃがの疑いは晴れないのです」
「そうかい」
「無実の罪を着せられて、とても悔しいのです」
「なるほど」

「投げやりですね。困ったことがあったら俺に相談しろと言ったじゃないですか」
「うんうん」
「何とかしてください!」
「その手は桑名の焼きハマグリ。敵もサルもの引っ掻くもの」
「ジョークに付き合う気持ちにはなれません!」
「おっと、オイラも付き合えきれねぇ」
「そりゃ又どうして?」
「夫婦喧嘩は犬も食わない。俺も食えない」

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【2013/12/28 00:00】 | 愚かな私
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momo
さらさらの御粥と梅干美味しそう・・食べたくなりました。
今夜は私だけこれにしようかな・・
たまには胃の負担を軽くしてあげないとね。
胃下垂なんだし・・
良いお年をお迎えくださいませ。


蝦夷地の人
ちゃんとQPさんに楽しむヒントを残しておく・・・!なかなかできる事ではありません。(ウッフッフ)
年の瀬も押し迫った時にこんなにたのしいお話を読めてニコニコしています。
今年もバラエティーに富んだお話の数々ありがとうございました。
どうぞ良いお年をお迎えくださいませ。
外は荒れ模様、ここはほっかほっか!


モチも好きです
PP
>momoさん
最近特に、サッパリしたものが食べたくなりました。
オニギリとかお粥が好きですが、オニギリはご飯を固めに炊いて
柔らかく握ぎると美味しいですね。
具は梅干が一番好きです。
よいお年をお迎えください。モチも好きです。

ブログをリニューアル
PP
> 蝦夷地の人さん
今年も優しいコメントを沢山有り難うございました。
時がたつのは早いものですね。アッという間に年末です。
来年はブログをリニューアルするつもりですが、よろしくお願い致します。
よい年をお迎えください。


カスミ草
お粥は重湯に近いほど水分が多く、おにぎりは硬めのご飯を柔らかく握るのが好きなんですね。
食べ物の好みは人それぞれですが、私はお粥もお握りも柔らかめがすきです。
梅は好きですよ。今年漬けた梅干し、そろそろ瓶から出してみようと思っています。この瞬間、緊張します。今年の出来どうだろう、美味しいかな?それとも・・・って。よいお年をお迎えくださいませ。

美味しいものは誰が食べても美味しい
PP
>カスミ草さん
梅を漬けているんですか。おいしそうですね。
昔はラーメン評論家で今はお粥とオニギリです。
世界の高級グルメは食べたことないだけでなく名前も知りません。
一度で好いから、そうゆものも食べてみたいですね。
私に味が分かるかな?それとも美味しいものは誰が食べても美味しい?

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相変わらず波風立たない静かな日々を送っている。こんな日常では細かいことが気になるものだ。例えば、テーブルの上に落ちたパンくずのこと。食後にキレイにすればすむことだが、私は暇人。今すぐしないと気がすまない。

ところで朝食はテレビを消して二人で話しながらとっている。1日に1回くらいは用事がなくても会話をもった方がいいと思うからだ。私は食べるのが遅いので、先に食べ終わったWFは私の目の前で新聞を読み始める。

食事中だが、何となくテーブルの上に落ちているパンくずが気になってきた。とりあえずテッシュを広げて、一つひとつパンくずを拾うことにした。

まったく根気のいる作業だ。細かすぎて掴みにくいのだ。全部テッシュの上に載せるのに7分くらいかかったと思う。もちろんパンを食べながらの作業である。

それでもテーブルがキレイになり気持ちが好かった。朝食も最終段階だがこれで気持ちよく食べられる。一仕事終わったような爽快な気分だ。 

そのとき突然風が吹き、パンくずを載せていたテッシュがヒラリと飛び上がり、パンくずがそこらじゅうに飛び散った。テーブルや床、服の上などがパンくずだらけになってしまった。

「あれれ、わ~っ!」と、私。
「なにやってんのよ。パンくずだらけじゃない」
何という濡れ衣だろう。WFが新聞をめくったから風が吹きティッシュと、その上のパンくずが飛んだのだ。
 
「新聞めくったでしょ」
「当たり前じゃない。読んでいるんだから」
「拾うの大変なんですよ」
「だったら、こぼさなけりゃ、いいじゃない」
「新聞めくったでしょ」
だから、何よ!

新聞をめくって風を起こしたWFが悪いのか、テッシュの上にパンくずを乗せた私が悪いのか。こんなことを争っても仕方ないと諦めた。

「何かニュースありましたか?」
「三浦友和と山口百恵夫妻が7年連続で首位を獲得したんだって」
「そうですか。今日は11月22日『いい夫婦の日』ですね」

そうなのさ何時だってそうなのさ、悪いのは私。そして静かな暮らしが続くのさ。

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【2013/12/14 00:00】 | 愚かな私
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カスミ草
パンくずを一つひとつ指先でつまむ。この作業って以外と脳を刺激して、老化防止(失礼!)になるかもしれません。でもね、食べながらの作業じゃ、つかむ数より、落とす数のほうが多かったりして・・・
何れにしましても三浦夫妻に負けず劣らずの、PP&QP夫妻の「いい夫婦」のご様子、何よりのお幸せと思います。


momo
平和な日常が流れているって感じでいいですね。
朝食はパンですか?
我が家は結婚当時からずっと和食で味噌汁 目玉焼き 納豆 人参ジュースに 食後にヨーグルトです。
結構食べますよ。その割には太らないですが・・


片付けながら食べてます
PP
>カスミ草さん
なぜか食卓の上はキレイになっているのが好きです。
パンくずも拾いたいし、食べ終わった食器は片付けたくなります。
食事中は立ったり座ったりしています。お膳ではこんなこと出来ません。
食卓テーブルは便利ですね。

食事が一番楽しいです
PP
>momoさん
ええ、朝食はパンです。
若いときは和食でしたが退職後はパンの方が好きになりました。
もちろん、ご飯も好きです。
食後にヨーグルトだけは一緒ですね。
ともかく、食事が一番楽しいです。


空見
こんばんは。
せっかく拾ったパン屑、オジャンでしたね。
食卓で新聞を読む、QPさんの方がオジサン化しているようです。
実はワタシも新聞や雑誌を読みますが、食事中は読むな!と注意されてから読んでいません。貧乏ゆすりもするな!と注意されてからはしていません。
一方オットはTVしか見ません人で、食事中でもオナラをやめませんし。そのうえ活字がなくても一生生きて行ける人、すごいな、と思うほど本を読みませんです。



私はベットで新聞
PP
>空見さん
想像しますと、逞しくて素敵な旦那さんです。
私の出来ないことが何でもできる様ですね。羨ましいです。
食卓で新聞読むのはオジサンですよね。
私はベットで新聞。病人みたいですね(笑)。

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人生は一人芝居。私以外の人はみんな観客だ。私は人生劇場の舞台で主役を演じている。役柄は優しい人だが一人芝居だから脇役はいない。その代わり私の創った幻の脇役がいる。WFもその一人だ。

私は便宜上「ケンカしないこと」に決めている。いつもニコニコのつもりだが、陰でコソコソということにもなるだろう。いつバレるか分からないから、それなりの緊張感を伴うものだ。健康にいい適度のストレスの範囲に収めよう。これが大切!

「お陰様で静かな1年でした。来年もケンカしないようにしましょうね」
「今年も旅行に行かなかったね。静か過ぎるよ」

何気ない一言だが、言い方にトゲがある。せっかく仲良く暮らそうと言っているのに困った人だ。と心の中で思っても私の役は優しい人。決して口にはしない。

「旅行なら、いつでもお付き合いしますよ。計画立てて下さい」
「お付き合いじゃダメ! たまにはどこかに連れてってよ」

ついて来る気などないくせに、連れてってとかよく言うもんだ。昔の話だが、WFがついて来ると思い込み、大失敗したことがある。

後ろから来る筈のWFが振り返っても見えない。雑踏で見失ったようだ。仕方がないので一人で家に帰ったら、カンカンになって怒っていた。それからと言うものは、二人で歩いていると後ろが気になってしょうがない。疲れるからWFの後を歩くことにした。

「旅行に連れて行くのはいいけれど、どうせついて来ないでしょう」
「アンタがあっちに行ったり、チョロチョロするからダメなんだよ」
「そうだったんですか」
「何で、そう落ち着きがないんだろうね」
「私がいけなかったのですね。ごめんなさい」

身についた習慣とは恐ろしいものだ。30年前のことも思わず謝ってしまう。こんなセリフがサラリと出ないようでは優しい人は演じられない。

いつもWFには、押し切られている。「お昼何にする」と聞くので、「鰻丼」と答えると、「ラーメンにしよう」と言うのだ。だったら最初から聞かなければいいではないか。も~、ホントに腹が立つ。しかし、優しい人としては我慢しなければならない。

旅行だろうと何だろうと、ついて行くのは何時も私だ。たとえ私が自分の意思を押し通したとしても、WFは仏頂面してモノも言わずについて来るだけだ。オマケに勝手に迷子になって人を責める。面白くも楽しくもない。

それでも自分が不幸だと思ったことはない。「WFのお供時間」以外に自由時間がたっぷりある。実はWFの為に潰されている時間などホンのチョッピリなのだ。一方「こんなことでいいのだろうか」と疑問に思う気持ちもある。

すっかり飼いならされているではないか。自己主張というものが全くない。
一体私は何をしたいのだろう? 私は誰?ここは何処? 
そうだ、自分探しの旅に出よう!

出かけようとすると、さっそくWFに呼び止められた。
「何処に行くの」。全くいちいちうるさい人だ。
「旅に出るのです」
「アタシも連れてってよ」。冗談じゃない!
「自分を探す旅に出るんです」
「そこにいるじゃない! わざわざ探さなくても……」

 ”おいおい、それは私の抜け殻だよ”と、つぶやくPP。
ハンドルネームですが、今回よりnakapa改め、PP(ピーピー)とします。

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【2013/12/07 00:00】 | 愚かな私
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QPさんご帰還と新HNのPPさん
蝦夷地の人
久々のQPさんのお名前に懐かしさがこみ上げました(笑)
勿論一面識すらないのですが、親しみを込めた呼び名のQPさんが好きでした。その行動も物言いも、幻だろうと私は好きでした。
さて、HNも一新してのこれからのお話、またまた楽しませていただきますね!
「キューピー&ピーピー」(あえてカタカナで)期待感120%。
あっ、私もついでにHN代えたりして・・・。

キューピー&ピーピー
PP
>蝦夷地の人さん
お互いにHNを変更して再出発になりましたね。
ちょっと閉塞感を感じていたので、
あらゆる面で自由に書くことにしました。
QPより一つ上のPPです。
これからもよろしくお願いします。



カスミ草
「鰻丼」美味しいですよね。

>「お昼何にする」と聞くので、「鰻丼」と答えると、「ラーメンにしよう」と言うのだ。だったら最初から聞かなければいいではないか・・・QPさんの気持ち、分かる、分かる。PPさん もう少し庶民的なお昼をお願いすると良かったのに。それとも「鰻丼」を庶民的と思わないのは私が貧乏性だから?だとしたらPPさんごめんなさい。

本当は「うどん」でした
PP
>カスミ草さん
そういえば今年まだ1回も鰻を食べていません。
本当は「鰻丼」のところは「うどん」でしたが、
インパクトがないと思って脚色したのです。
見栄を張ってごめんなさい。
今度こそ正直に書くつもりです。

私も同じ事が
コマクサ
HNはPPに変更したのね。
それもQPさんの一つ上とはなるほど・・・
本当に面白い、笑ってしまいました私も同じことがあって。
昨日中島公園へ行きまして撮影しながらPPさんの事思い出していました。
寒かったです、キタラに入り又撮影しながら温まり
帰宅です。誰も居ない初冬の公園でしたよ。
旅は良いですね~大好きですが?


中島公園撮影ありがとう
PP
>コマクサさん
何処も同じ冬の寒空ですね。
誰も居ない中島公園で写真撮影有り難うございました。
昨日は私も寒いから家に引き篭もっていました。
中島公園の写真見るの楽しみにしています。
「コマクサ劇場」は綺麗な写真でいっぱいですからね。


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今回は二人暮らしの同居人、Aから見た私について書く、これは初めての挑戦! 立派な人の気持ちは分からないが、出来損ないの気持ちならよく分かる。何といったって同類なんだから良く分かるのだ。
 
以下、Aから見た私。ただし、書いたのは私。ややっこしくてゴメン。
同居人の紹介に当たり仮名をつけることにした。何がいいだろうか?そうだ!PP(ピーピー)がいい。響きが彼にピッタリだ。 

「貧乏自慢のピーピー」、ドンピシャだ。テレビで「おしん」をやっていた時も「オレのほうが、もっとピーピーの貧乏だった」と自慢していた。

「今度生まれ変わったら、パンダになるんだ。大事にされて、楽してモテるんだ。こんないいことはない」と、耳にタコが出来るほど聞かされた。パンダ名はピンピンにしよう。PPの憧れだから。 

PPは私がご飯の支度をしているときに、ノンビリと新聞を読んでいる。仕事をしているときならともかく、退職してまでこれじゃあたまらない。 手伝わせてはみたものの全然使いものにならない。不器用なのは仕方がないが、まったくやる気がない。邪魔になるだけだから何も頼まないことにした。

ピンピンコロリと行ってくれればいいが、私が先に行ったらどうするつもりだろう。 
「お父さんがころがりこんできた。自立できない人になったのは、お母さんのせいだ」とか、あの世に行った後までも息子に非難されては、たまらない。

早飯早糞芸の内とは言うけれど、こんな遅い人は見たことない。いつまでたっても片付かない。なんにも出来ないくせに屁理屈ばかりは一人前、否、そんなもんじゃない百人前だ。知らないことまで知ったかぶって口を出すから鬱陶しい。

お使いに出せば風邪ひいて帰ってくる。荷物の片付けを頼めば腰痛になって寝込む。パソコンの前に座りっぱなしで勝手に痔を患っている。

何をやってんだか部屋に閉じこもる。そのくせ「ご飯だよ」と言えば直ぐ出てきてテーブルに座る。いったい私はPPの何なのさ。我慢に我慢を重ねているが堪忍袋の緒が切れそうだ。

だれか助けてくれと言いたいが、そこにはただPPが居るだけだ。二人暮らしは切ないな~。以上、同居人Aが語る私の人間像をAに成り代わり紹介した。

「そこまで分かっているのなら助けてやれよ」
「ご飯も作って上げたのですが、気に入らないようでした」
「後片付けでもすればいいだろう」
「それも気に入らないようでした」
「堪忍袋の緒が切れたら大変だよ。アンタに出来ること何かないの?」
「ありますよ」

「なにが?」
「我慢できます」
「我慢と我慢か。暗いね~」
「光がほしいですね」
「あるじゃないか。頭を使えよ」
「そうですね。よく考えてみます」
「そこじゃなくてよ。光るもんがあるじゃないか」
「はぁ?」

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【2013/11/18 10:42】 | 愚かな私
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カスミ草
貧乏自慢のピーピーだから、「PP」さんとは愉快な発想ですね。観察眼の鋭いPPさんと思いますが、Aさんの心や如何に? 暗いから光が欲しい・・・これから年末に向かって、色とりどりのイルミネーションがピカピカ綺麗にひかりますよ~。

イルミネーション
nakapa
窓から見た晩秋の景色がいいですね。
ケチなPPでもイルミネーションならただで楽しめます。
中島公園でもパークホテル、ホテルノボテル、
札幌コンサートホール・キタラ等でイルミネーションをやっています。

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T電力が大変なことになっている。こんなことになろうとは夢にも思わなかった。 Aさんの息子さんは47歳、大学卒業後T電に就職、21年目に東日本大震災に遭遇。因果関係は不明だが結婚話も壊れてしまい未だに独身だ。 「私は公務員がいいと言ったのに、主人が反対した」とAさんは今になって夫を責める。

当時はバブルの狂乱を謳歌していた時代。一流大学出身者の就職は、より取り見取りだった。なろうと思えば公務員になるのは容易い。しかし、公務員であるAさんの夫は大反対。

夫君の時代は民間会社との給与の差は大きく、民間を落ちた人が公務員になるのが相場だった。民間に入れるのにわざわざ公務員になることはない。これが民間会社を落ちた夫君の信念だ。

一方私は、息子が学生のころは就職のことなど全く考えなかった。何と言ったって少子高齢化社会だ。若者は貴重だし大切にされると楽観していた。就職のことなど全く心配していなかった。

正規雇用が激減し若者が失業したり、アルバイトで食い繋いで行く社会になるとは思ってもみなかった。気がついてみたら何時の間にかそうなっていたのだ。私自身は変化する仕事に翻弄され、今日明日を無事に過ごすことしか考えていなかった。

当時51歳だった私が予想したのはこんな社会ではない。若者にとっては暮らし易い社会。一方、高齢者にとっては厳しい社会の到来である。いの一番に切り捨てられるのは、ウジャウジャいる私を含めた高齢者達と考えていた。

ところで朝食の後でリンゴにヨーグルトをかけて食べている。最近になって自分は幸せ者だとつくづく思う。フルーツにヨーグルトをかけて食べるのは、我が家の新婚時代なら客用のデザート。子供の頃なら想像も出来ない程のご馳走だ。それを毎朝食べている。なんでもないかのように平然として……。

「毎日が幸せです。子供の頃の夢は100%叶いました」
「そりゃ好かったね。夢ってなんだい?」
「楽をすることです」
「ありゃりゃ! 筋金入りの怠け者だな」
「でも不思議なんです」
「いいじゃないか幸せなんだから」

「根拠のない幸せは突然崩れるような気がして不安です」
「心配するな。そのうち安倍バブルが弾けるよ」
「それは困ります」
「幸せはいつも不安と同居しているもんだよ」
「そして不幸も不安と同居してますね」

「同じ不安なら踊らにゃ損々」
「賛成! さんせ~い、大賛成」
「さーさ、オネイちゃんオニイちゃん、踊らにゃソンソン」
「ジイちゃんは踊っちゃダメなんですか!」
「アンタがね~。まあいいや、踊りたけりゃ踊んな」
いいですよ。別に…
「ひがむんじゃないよ。『いじけないで』と柴田トヨさんも書いてたろう」

ここから先は、私とあなたとの会話です。
「最後の会話に間違いがあります。気付くかどうかで脳年齢が分かるのです」
「すぐ分かったよ。私の脳はまだまだ若い。頭も足もピンピンしてるよ」
「残念でした。あなたの脳年齢は88歳で~す」
「バカいってんじゃないよ」
「若い人は柴田トヨさんを知りませ~ん」
(正しくは『くじけないで』100歳の詩人柴田トヨさんの作品)

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【2013/05/04 00:00】 | 愚かな私
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「幸せはいつも不安と同居しているもんだよ」
朱庵
>「幸せはいつも不安と同居しているもんだよ」

nakapa語録にとどめます!
きりきりと深く感じます・・・

そういえば、今年に入ってまもなくでしたね、柴田トヨさんが亡くなられたのは・・・。101歳のご長寿のありようは人々の心に響きましたね。
誰もが100歳を生き抜くことは難しいですが、世の中は確実に後期高齢者が多くなりつつある現実。
さてさてこれからどうする? 私の乾涸びた脳みそは自問繰り返しても答え出ず、です。

新しい時代の幕開け
nakapa
>朱庵さん
黒田夏子さんの芥川賞とか最近高齢者の活躍が目立ち、将来が楽しみですね。
柴田トヨさんは倒れるまで執筆活動をしていたのでしょうか。
凄いですね。まるで新しい時代の幕開けのようです。
私は相変わらずのんきに楽しく暮らしています。
次の目標は「絶対に怒らない人」になることです。


のん子
確かに、こんな世の中になるとは想像していませんでした。
一昔前なら、真面目に仕事さえしてれば定年まで安泰が普通でしたもんね。
実力主義と言えば聞こえは良いですが、大会社でも少し景気が悪くなれば平気でリストラします。
でも、そんな世の中になってしまったのだから、それなりに精神力だけでも負けないように生きて行くしかないですよね。

私の考える理想社会
nakapa
>のん子さん
真面目に定年まで働くのが理想的ですね。
貧しいけれど自然豊な国を先人の犠牲と努力で豊かな国にしてくれました。
ですから皆で仲良く楽しく平和に暮らしたいと思います。
そして、そのような暮らしと日本の文化を次世代に引き継ぎたい。
これが皆の願いになることが私の考える理想社会です。
アメリカの真似をすればアメリカと同じようになります。
日本らしくありたいと願っています。


hama
nakapaさんのおっしゃる通りの事を私も思っていました。
何処が良くてどんな選択が良かったかは最後まで分かりませんね。
本当に何時の間にこんな社会になったのでしょう。
あっと言う間でしたね。
私は今は健康で細々と暮らしているけど この生活がずつと続く保証はないし・・
せめて若者が夢を持って正規雇用で安心して働ける社会が来る事を願うばかりです。

倹約が一番ですね
nakapa
>hamaさん
日本が貧乏国であった子供のころは、「衣食足りて礼節を知る」。
豊かな時代が来れば、アメリカのホームドラマにあるような暮らしになる。
そう思っていたのになりませんでした。お手本のアメリカも今は格差社会。
難しいものですね。30年前に戻れば世界一の福祉国家にもなれたでしょう。
しかも、世界平和に貢献する日本になることも可能だったと思います。
思えば無駄遣いをしたものですね。こうなったら倹約が一番です。
生きていれば心の栄養になることは、いくらでも見つけられると思います。


空見
「いじけないで」これは笑いました、なかなかこういう発想はできません、nakapaさんは天才かも。
人間万事塞翁が馬、ということと理解しております私は、何事もね (^▽^)エヘ



ダジャレが大好き
nakapa
>空見さん
「人間万事塞翁が馬」、よく見る言葉ですが意味が分かりません。
「天才」としてはぜひ知りたいのでネットで調べました。
簡単に言うと、「幸福や不幸は予想のしようのない事」とありました。
ホントにネットは有り難いですね。お陰で「わたしもてんさいになれました」。
漢字を入れると「私も転載に慣れました」てな感じです(笑)。

人知を越えて
shochan
いくら考えても、どうにもならないとき? こういうとき、人知を越えていると言っていいのかぁ。死ぬのが怖いと言っていた兄85歳も、今年死んでしまいました。兄の喜怒哀楽は、どこへ行ってしまったのか分かりません。兄も生前は、一生懸命、悩んでいたず。

分からないことばかりです
nakapa
>shochanさん
お兄様の喜怒哀楽、どこに行ったのでしょうか。不思議でなりません。
人間はどうして死ぬのでしょう。いくら考えても分かりません。
「知らぬが仏」とは 知らないから仏のように平静でいられるのでしょうか?
この世はわからないことばかりです。


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「主人なんか放っとけばいいんだよ。一人が大好きなんだから」とか聞こえる。 
私のことを言っているらしい。 友達との電話とはいえ、
そばに居るんだから少しは気をつかってほしい。
 
それでも私は主人と呼ばれている。主人とは何だろう、辞書を引いてみた。
一番の意味は「家の長、一家の主」二番の意味は「自分の仕える人」。
三番になると、やっと「妻が他人に対して夫をさしていう語」と書いてある。
なるほど、私は一番二番抜きの三番専門の主人なのだ。

「これでいいのでしょうか?」
「いいじゃないか。皆そう言ってるよ」
「日本語の使い方として間違っていると思うのです」
「夫だから主人でいいんだよ」
「家長とかの意味は、全くなくてもいいのですか」
「そんなこと言っているから主人らしくなれないんだよ」

そうかもしれない。しかし私は、主人と聞けば無意識に奴隷を連想してしまう。
そして主人か奴隷かと自問すれば奴隷と思ってしまうのだ。
少なくとも家の中には自由がない。

テーブルの上に、鉛筆一本置く自由もないのだ。まさに奴隷的ではないか。 
ご飯の時間以外に、ものを食べる自由がない。食は最高の楽しみなのに。
それどころではない、トイレを自由に使うことさえ禁じられているのだ!

「トイレもか? それはちょっとひどいな」
「そうなんですよ。ドアを閉めろとか文句言うのです」
「当たり前だ! 臭いじゃないか」
「小ですよ。ドア閉めたら聞こえなくなるじゃないですか」
「なに聞いてんだ?」
「ドラマの途中なんですよ」
「なんだと!?」

ドラマでは一言のセリフで感動させる場合がある。観る以上は一言も聞き逃したくない。 感動する為に観ているのだ。決して暇つぶしではない。 トイレに入っても、せめてセリフくらいは聞きたいではないか。切れた感動は繋がらないのだから。

ところで、最近いい方法を発見した。 
と言っても大したことでもない、DVDをレンタルしてくるのだ。 
1時間のドラマを40分で観れるし、CMが入らないのでドラマに集中できる。 
途切れることなく感動を持続できるのだ。こんな素晴らしいことはない。

時間も選べるので、誰にも邪魔されることなく一人で心ゆくまで楽しめる。
笑い放題泣き放題の40分、つまらなかったら途中で止めるのも自由。
それだから、観ている以上は常に感動、常に楽しい。 
あらゆる悩みから開放される、心温まる至福のひと時である。

「ドラマばかりダラダラ観てるとボケるぞ」
「大丈夫です。歯止めがありますから」
「分かった! あんたケチだからな」
「レンタル料と思ってるんでしょ」
「違うか?」
「体力ですよ。大きな感動を受け止めるには大きな力が必要なんです」
「体力? ドラマでねぇ」

「泣いて笑って感動して、興奮してドキドキですよ。40分が限界ですね」
「ほう~っ」
「嘘だと思ったらやってごらんなさい。楽しいですよ~」
「俺は別にいいよ」
「そんなこと言わないで人生を楽しんでください」

「競馬、マージャン、スキーに登山。ドキドキする事いっぱいあらー」
「そうなんですかぁ」
「アクティブに生きるんだよ。ドラマだけじゃぁね~」
そうなんですかぁ……
「未だに青春! 彼女だっているんだぞ」

 しょボーーー ( ̄Ω ̄)

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【2013/02/02 00:00】 | 愚かな私
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朱庵
お約束の日を心待ちしていました。♫
「主人」って呼び方、女性が夫をそう呼んでいるのを聞くと、未だにnakapaさんと同じように思えてしまいます。まぁ会話上は、黙って聞いていますが・・。
大好きなことに夢中になれること、こんな愉しいことはありませんよね!あの智慧この智慧で楽しまれているご様子、微笑ましいです。
トイレの話、吹き出してしまいました。nakapaさんって楽しい!
ところでTVの朝ドラ、夜遅くやっているのを観ましたよ!


いつもありがとう
nakapa
>朱庵さん
「主人」はなんとなく馴染めない言葉です。
家族が使えば不自然な感じですが、
他人様が使えば普通に聞こえる不思議な言葉です。
家庭の実情を知らないからでしょうね(笑)。
いつもコメントありがとうございます。


のん子
主人って言葉、キライなんですよ(^^ゞ
ブログでは夫で通していますが、話す時は皆さん、主人って言われるので合わしています。
パパでは父になりますしね(爆)
nakapaさんは話すときには奥さまのことはどう表現されてますか?

この歳になっても「お母さん」
nakapa
> のん子さん
主人というのは何となく現状に合ってないと言うか違和感があります。
私は妻と話すときは「お母さん」と言わされています。外向きでは家内です
名前があるんだから名前にしましょうと言ったのですが断られました。
子供が大きくなったので「お母さん」と呼ぶのに違和感をもったのです。
という訳で、この歳になっても不本意ながら「お母さん」です。


ちゃちゃ
今月も楽しく読みました。
私もどこが隷属的な感じが嫌いで、
「うちの主人が…」とは使いませんでした。
他に何かいい言葉ないのでしょうか?
「うちのが…」、「つれあいが…」、
「パートナーが…」、「宿六が…」[古いね!)、
名前を直に言う人も多いです。
でも、目上の人には通じないし
今の私には考えなくていいこと!
それも、

生き返った主人?
nakapa
> ちゃちゃさん
考えてみると、夫のことを主人と呼ぶのは不思議ですね。
なぜこうなったのか、何となく封建的な雰囲気の中で生まれたような気がします。
それより、戦後にこの表現が残ったのが不思議です。
生き返ったのかな? 
因みに母が父のことを主人と言っているのを聞いた記憶はありません。


コマクサ
トイレの話吹き出してしまった~面白いね、でもその気持解るよ。
DVDの話私は借りて来ませんが、録画再生の時には良く早送りして時間短縮し見ることがあります。
8日から中島公園雪あかりが始まりますね、楽しみにして見に行きます。

DVDレンタルも健康法
nakapa
>コマクサさん
分かってくださいましたか。有難うございます。
DVDレンタルを利用するのは健康法の一つです。
私は家にこもりがちなので気分転換のため、外に出る用事を作っています。
「ゆきあかりin中島公園」では、お手伝いしたり写真撮ったりして、
ブラブラしています。遭遇するかもしれませんね。


空見
こんばんは。
ワタシも家庭の事情?で「主人」とは言いません。
母が父を「主人」などと言ったことも無いし、夫婦が主従関係のようで嫌ですね。
変な勧誘電話が来たときだけ「主人が・・」と、わざと使うことはあります(笑)
ううむ、鉛筆1本テーブルに置く自由も無い、涙を誘いますね・・(((((^_^;


hama
主人という言い方つい使ってますね。
夫という言い方に慣れてないだけと思いますが・・
特に深く考えなくて・・
夫は私の事を 家内が・・と外で言ってましたね。
この言われ方は好きじゃなかったです。
じゃぁどう呼ばれたいか・・妻が・・が良いですね。
夫も家で緊張してたのかな・・でも夫も妻も本当は何処に居るより我が家が一番なんですよね。
少々煩くてもね 我が家に勝る場所はないですね。

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「物置に行くのに随分時間がかかるんだね。まったくノロマなんだから」
「エレベーターの運転に失敗しました」
「なに言ってんの、ボタン押すだけじゃない」
「地階のボタンを押したら15階に行っちゃったんですよ」
「そんな訳ないでしょ」
「困ったもんですね」

自業自得だが、私にとっては何とも生きにくい世の中だ。
生きると言うことは、常に右か左かの決断を迫られているような気がする。
瞬時に適切な判断ができないから、このような結果を招くのだ。

15階建ての共同住宅に住んでいるが、私の部屋は4階で物置は地階にある。
物置に行く為にエレベーターの前で待っていたのだが、なかなか降りて来ない。
12階で止まり、9階、7階、6階で止まるのだからイライラする。

満員かも知れない。歩いて行こうかと思ったが、両手に荷物を持っている。
行こうか待とうか、迷っているうちに来てしまった。
エレベーターはほぼ満員、躊躇していると顔見知りの奥さんがニッコリ笑って
「どうぞどうぞ」と言うものだから、つい乗ってしまった。
 
混雑しているので、荷物を気にしながら乗っているだけで精一杯。
乗らなきゃ好かったと思ってももう遅い。
こんな状態だから地階のボタンを押すことなんかスッカリ忘れていた。
やっとの思いで1階に着いたが、新たな困難に遭遇した。
私が降りないと他の人たちが降りられないのだ。

仕方がないので一旦降りて、皆さんが出てから再び乗り地階ボタンを押すと、
あらら! エレペーターは上がって行くではないか。 
パネルを見ると15階のボタンが点いている。
15階の住人がノロマの私より早くボタンを押したのだ。

後で考えると、2階で降りて歩いて地下まで行く手もあったが、
迷って居る内に15階に着いてしまった。
青年がものも言わずに乗り込んで来た。私に不信感を持っているようだ。
「おはようございます。地下に行こうと思ったのですが来てしまいました」
「………」。ジロッと私の顔を見たが沈黙。

この人と狭い箱の中に二人でいるのは気が重い。
一つ下の14階で降りようと思ったが、いかにもわざとらしいので躊躇した。
1階に着くまでの時間が長いこと。エレベーターの降下速度が遅く感じた。 

1階で同乗の青年が降りて、やっと一人になれたとホッとするのもつかぬ間、
今度はオバサンが乗り込んできた。
「地下に行くのですが、下ですよ。下がりま~す」
「………」又、沈黙の人だ。今日はホントについてない。

あれ! なんで下に行くのよ」。オバサンは突然叫んだ。
”おいおい、人の注意はちゃんと聞いてくれよ”と心の中でぼやいた。
今日はなんで無口な人ばかりと出会うのだろう。ホントに嫌になる。

ここでは、たとえ初対面でも住民同士は挨拶する習慣がある。
廊下やエレベーターで会っても挨拶を交わすのが普通だ。
それなのに何故だろう?

ひょっとしてドロボーかな。ドロボーは挨拶が嫌いだと言われている。
仕事がやりにくいそうだ。 

「挨拶しないからドロボーとは失礼だろう」と先輩のAさん。
「防犯一口メモを思い出したのです」
「なんだと?」
「泥棒は人目を嫌う。知らない人に対しても挨拶するなど、声をかけましょう」
「そう書いてあったのか」
「地域に連帯感があると思わせることで抑止効果が生まれるそうです」

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【2012/11/03 00:00】 | 愚かな私
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エレベター 上下の確認忘れます
朱庵
おはようございます。美しい朝です。
日の出が遅くなって早起きの私はこの時間帯が一番能率よく出来ます、エレベーターも今は専用なります(笑)からゴミ出しもスイスイ。
皆と同じ時間帯は待つしかないですね。うちは9階が最上階なので待ってもそれほどでもありませんが、15階ですとね。
でも同じこと昨日会場のエレベーターでやってしまいました。上下のボタンをよく見ないで乗ってしまいいらぬ往復でした(笑)
泥棒は挨拶が嫌い・・覚えておきます!有益な情報有り難う・ニコニコ♫

11年前マンションに泥棒
nakapa
>朱庵さん
居住のマンションは11年前、玄関・ロビーなど
共有スペースに泥棒が入りました。
その時、対策についていろいろ話し合いがあり、
その一つが「泥棒は挨拶が嫌い」と言うことでした。


フラダン
そうですか、泥棒は挨拶が嫌いなのですか、、?でも一概に言えませんよ~
私の家に3年前の夏に、泥棒が入りました。鍵をかけ忘れたベランダーからの浸入で、
被害はテーブルに置いていた私の安物の時計と引き出しの中の小銭入れだけでしたが
気持ちが悪いので、警察に届けました、なんと!驚いたのは向かいのアパートに住む
愛想の良いオジサンでした。会うといつも丁寧にご挨拶をしてくれてましたので
ショックでした。エレベターの失敗は良くあります、上下を確認しないで、乗ったり、
流れに乗って降りる階でも無いのに一緒に降りたりとか、、、、














う~ん、まいった!
nakapa
>フラダンさん
う~ん、まいった! 挨拶の好きなドロボーには参りました。
人は見かけによらないものですね。ドロボーらしくないですよ。
う~ん、まいった! 
これでは、「人を見たら泥棒と思え」になってしまいます。
泥棒に入られて大変だったですね。
しかも、丁寧に挨拶する愛想のよいオジサンとか。
私だったら裏切られた気分になりますね。


ちゃちゃ
楽しいねえ~、nakapa さん、
こんなことしょっちゅう、
アタリキシャリキノなんとか、かんとか…
驚くことはないのです。
でも、物置があるっていいですね。
当方、小さな部屋が物置同然になっています。

アタリキシャリキ
nakapa
>ちゃちゃさん
そうなんですか。アタリキシャリキ。
私って案外マトモなんですね。
エレベーターでこんなにオチョクラレタのは初めてですよ。
確かに地下の物置は有り難いです。狭い部屋ですから助かります。


hama
私も以前マンション生活に憧れてました。
便利でいいでが 共同で使用するものもあるのでルールは必要なんでしょうね。
草取りもないし年取ったら都会のど真ん中で暮らしたいな~
でも娘のマンションへ一週間もいて帰ってくると目の前に土や花木が見えるのも落ち着いてほっとします。
どちらにしても連帯感は必要でしょうね。
私もご近所さんとは仲良くを心掛けています。

顔の知らない人との挨拶は新鮮な体験
nakapa
11年前、マンションに住んで一番変わったことは、顔の知らない人でも
MS及びその敷地内では挨拶を交わすことです。
これは郊外の一戸建てに住んでいるときは経験しなかったことです。
女性はいろいろ近所付き合いもあると思いますが、私はこうでした。
顔の知らない人との挨拶は新鮮な体験でした。


のん子
うちもマンション住まいなので毎日のようにエレベーターは使います。
偶に挨拶しない人って居ますよ。
私は口がきけないか認知症の方かもって思うようにしてます。
子どもは可愛いんですが、今時、愛想が良すぎるのって、危ないかもって思ってしまいますが(汗)

若年性認知症
nakapa
>のん子さん
そうですね、認知症と思えばいいのです。
若年性認知症と言うのもありますよね。
なにぶん息子よりもっと若いようですから。
エレベーターのように狭い箱は苦手です。
エスカレーターがある場所なら、必ずそれに乗ります。

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優れた若者にとっては取るに足らないことでも、
高齢で無職の私にとっては、大きな希望になることもある。

能力の低い人間だから、スポーツ、芸事、歌うも踊るも全部ダメ。 書くのは好きだが、これもダメ。 本は読まないし書く勉強もしないのだからダメで当たり前。 
だから、こんなことで悲観したことはない。

そんな私でも得意技があるのだ。それは「根拠がなくても希望を持つ」技である。 今まで秘密にして来たことだが、もはやその必要もなくなった。 
堂々と主張する偉い人が出たからだ。

北海道新聞日曜版2011年6月26日、脳科学者茂木健一郎先生は、インタビューでこう勧めた。『根拠がなくても希望を持て』。
先生は『東日本大震災に心を痛め、何度も被災地に足を運んだ』そうだ。

未曾有の大災害に関しての、偉い先生のお言葉だから、文言は同じでも重みはぜんぜん違う。 しかし、私にはもう一つ優れた点があるのだ。

「ほ~。アンタの優れた点ね~。 あるんだったら聞いてやるよ」
「実はですね。先生は48歳……」
「分かった分かった、そしてアンタは70歳。人生経験が豊富だと言うんだろう」
「人が話しているときは遮らないでください!」
「そりゃあまあ、スマンことでした」
「実は私、新聞に出たのです」
北海道新聞マイ・クリップ
(大きくなるから、禿頭症が苦手の方はクリックしないでください)

「すげえな一面トップじゃないか」
「いえいえ、それほどでもないですよ」
なんだこりゃ! インチキじゃあないか。マイクリップってなんだ?」
「インチキなんてとんでもない。 新聞社の正当なサービスです」
(詳細はこちら → 北海道新聞マイ・クリップ

「3年も前の記事じゃないか。いつまでも過去の栄光にすがっているんじゃないよ」
「栄光だなんて……。 嫌ですよ栄光なんていっちゃあ。 栄光だなんて……」
「アンタはヒマ過ぎるんだよ。『小人閑居して不善をなす』って言うだろう」

不善とは言い過ぎだ。別に悪いことをしたわけではない。それに私は、過去のこととも思っていないのだ。 あの記事から3年たったということは、2年足らずでホームページを開設して10年でいはないか。 ここがポイントだ。

「つまり『こつこつ発信10周年』とか書いて欲しいのか」
「当りっ! 欲しいです。欲しいですよ~。書いてほしいですよ~」
「『柳の下にいつもどじょうはおらぬ』と言うから諦めろ!」

そんなことは百も承知だ。これからが私の本当の回答。 
既に質問を忘れてしまった人の為に繰り返すことにしよう。

確か「私にも優れた点が一つある」と言った。 それは、人が下らないと思っていることを目標として掲げ、集中して頑張ることが出来ることだ。

「恐れ入りましたか。凄いでしょう」 
「それはアンタがオメデタイと言うことだ」
「茂木先生は『勉強することで脳が喜びを感じる』と仰っています」
「勉強ね~?」
「目標があるから勉強できるのですよ。 脳を喜ばせて上げるのです」
「そして、こつこつ……」
「ちょっと待ってください。 もう、こつこつはどうでもいいのです」
「何だと? オレが話しているのに遮るな!」

『脳が喜ぶのは、他人にほめられたり認められる時』だと言う。『目標をゲーム化し、達成の喜びを味わうことでも、同じ効果が得られる』そうだ。 

脳が喜びだしたら、努力など必要ない。 脳が勝手にやってくれるのだ。 
本体である私がやることはただ一つ、脳が疲れてきたら休ませて上げること。 
具体的に言えば昼寝をすること。朝寝でも夕寝でもOKだ。

「根拠がなくても希望を持つことが大切ですね」
「それはアンタにとって大事なことだな」
「よくぞ分かってくださいました」
「感謝感激雨あられか?」
「そこまでは言いませんが、嬉しいですね」
「元々アンタは根拠のある希望など持てない!」
「何もそこまで言わなくても……」
「無い無い、絶対に無い」
「ですから、根拠がなくても希望を持つことが大切だと言ってるでしょ」

「それはアンタにとって大事なことだな」と続き無限ループにハマル愚かな二人。

この話 いつまでたっても 終わらない 何がどうして こうなったやら
(nakapaボヤキの短歌)

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【2011/07/02 00:00】 | 愚かな私
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フラダン
『根拠がなくても希望を持て』脳科学者の有名な
先生が言うと、なんか説得力があるね、根拠が無いと
直ぐに諦めてしまう私は、ヤッパ凄く小さいわ、、、
その点ナカパさんは、何でもコツコツ根気良く
取り組んでしかも楽しみながら成功させるから
凄いと思う、HPだって順調に改善に進んでるしね
見てますよ~ただ紹介のH20年5/30(土)の
新聞記事知らなかったの、、?大体は落とさずに
読んでる(特にナカパさんのは、、)つもりだけど
どうしてかしら?!もしかしたら、土曜日なので
孫の所に行ってたかなぁ~、いい顔で載ってるね!

フラダンさんへ
nakapa
2年後に新聞に出たくて、3年前から実現の為に努力する人を私は知りません。
そんな人を見たら「他にやることないの?」と聞きたくなります。
意外なことに、そんな人が居ました。他ならぬ私です。
自分を客観視すると、ずいぶんオメデタイ人だと思います。
しかし本人は、マジメに努力しています。しかも張り切っています。 
HPは順調に更新中。馬鹿力です(笑)。
フラダンさんに記事を見て頂いて嬉しく思います。

夢幻ループ
朱庵
お久し振りです。
いいですね~~~!マイ・クリップ!
そして無限(私には夢幻)ループ!

CMのマネではありませんが、みかたをかえれば・・・

で勝手に夢幻ループ。こじつけもいいとこですが、
根拠も何もなくても夢を見続けたいこの頃。

ループはメビウスを連想します。コンピューターの用語は難しくて余り理解できないのですが、nakapaさんの楽しいお話、「ボヤキの短歌」にnakapaさん健在なり!
嬉しいご健在ぶりに、ウフフ・・・です。

朱庵さんへ
nakapa
夢幻ループ、いいですね~。
そんなループに入って見たいです。
限りなく幻想的で美しい世界があるといいですね。
疲れた身体をそこで癒すのです。 そんな世界があるといいですね。
はい、ボヤキも健在です?


ちゃちゃ
いい写真ですね。
北海道新聞さん、ちゃんと世間を見てますね。
わたしゃ等、B型族は、
「根拠がなくても希望を持つ」ことが
生来の得意技なのです。
決して脳天気とは違いますが…。
何事も前向きに考えますよね。
それでいいのでしょう!

ちゃちゃさんへ
nakapa
そうですね。私もB型、何でも前向きに考えます。
根拠はなくても、いつも心に希望を抱いています。
若いときは必ずしもそうではなかったのですが、
希望が必要な歳になったのだと思います。
必要なものは次々に用意されると信じています。
これも、根拠のない希望ですね。


のん子
おめでとうございます!
文面からは、もっと厳しい表情をされてるのかと想像しておりましたが、穏やかなイケメンさんだったのですね(^_^)
うちの老人会なら人気一人占め(女性会員から)されること間違いなしです。
でも愛妻がいらっしゃるんでしたね(^_^;
私、褒めたら伸びる人なんです、この言葉大好きです♪


のん子さんへ
nakapa
ホントですか? そちらに転居したくなりました。
しかし、私は現実を知っています。
100人にアンケートをしたら
「髪の毛の薄い人が好き」と答えた人は一人も居なかったのです。
これが現実です。 更に驚いたことに…。
「どちらかと言えば好き」と「気にしない」を合わせてもゼロ! 
これには、大ショックです。
今は一人でコツコツ、ホームページ更新に取組んでいます。


hama
nakapaさんともう一人内のnakapaさんとの会話調の文で本題を謙虚に柔らかくされてますね。
新聞の写真も記事も読ませて頂きました。
nakapaさんのHPで多くの方が必要な情報を得ていらっしゃる訳ですから 素晴らしい事で大きな貢献だと思います。
nakapaさんのお顔は随分前から存知あげてますが 改めてとても良いお顔されています。
こういう感じの方は周囲の方に好かれると思いますよ。

hamaさんへ
nakapa
温かいコメントありがとうございます。
このように書いてもらってホッとしています。
私自身はホームページのPRであって、自分のPRではないと思っています。
しかし、考えてみれば同じことですね。自己PRは難しいです。
逆効果になる場合も多いのですが、これも一つの挑戦ですね(笑)。

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「食卓に塩を置いてもらったくらいで大革命とはね~。まったく笑っちゃうよ。 
アンタ、nakapa家のなんなのさ。 まさか、ご主人ではないでしょうね(笑)」

ここまで言われては、私も黙ってはいられない。 
何もかもこのブログでぶちまけることにした。 
お聞き苦しいところもあるかもしれないが、読んで頂ければありがたい。

WFが骨折して2ヶ月間入院することになった。 最初は面倒なことになり、
困ったものだと思ったが、しばらくすると別の考えがわいてきた。

これはチャンスかもしれない。 私が40年間働いている間に、我が家はWFの占領下に入ってしまった。 定年退職した私の居場所がないのだ。 
こんな理不尽なことがあっていいのだろうか。

だが待てよ。よく考えてみれば、入院ということは、家に根を張ってしまった鬱陶しい人が、根こそぎ病院に移されること。 
天が薄幸な私に与えてくれた最高のチャンスではないか。 ムダには出来ない。

「それで決心しました。名付けて『食文化大革命』です」
「相変わらず、大袈裟だな」
「テキは40年かけて、家に根を張ってしまったのです。
生半可な覚悟では、太刀打ちできません」
「そうかい」

「短期決戦ですから、多くのことは望めません。
改革のテーマを一点に絞りました」
「もったいつけないで言ってみな」
「食、一本に絞ったのです」
「はいはい、了解」

WFは作ったものをそのまま食べろと言う。醤油をかけてはいけない。
ましてや、お湯で薄めることなど、もっての他とばかりに許さない。 
これでは「食べ手」の私はたまらない。

2ヶ月の自炊生活で、料理の真髄は塩加減であることを発見した。 
薄すぎても濃すぎてもいけないのだ。 ところが、人の味覚はそれぞれだ。 
その上、同じ人間でも、働いて汗を流した後と、テレビ観ながらごろ寝した後では大きく違ってくる。

だから、外食すれば、醤油、香辛料などが必要に応じて置いてある。
ところが我が家のテーブルの上には何もない。

「お分かりと思いますが、我が家の食卓は改善されなければなりません」
「ほう、張り切ってるね」
「2か月間の自炊経験に裏打ちされた真摯な意見です。
今までの私とは違うのです」
「たった2か月か。 俺なんか単身赴任で10年の経験だぞ」

「長いだけじゃダメです。料理はアートです。創造性が必要ですね」
「それで、アンタのいう大改革の成果はなんだい」
「食文化大革命です」
「分かった、わかった。それで勝ち取った成果は?」
「食卓に塩を置かせました」

「なんだ、それだけか」
「醤油じゃあないんですよ!」
「どっちだって同じだろう」
「違います! ワンソースマルチユースという最新の技術です」
「なに? ソースが何だと??」
「塩を使えば、味噌汁からお汁粉まで、多様な料理に対応できるのです。
考えてみて下さい。お汁粉に醤油をかけられますか?」

ワンソースマルチユース(Onesource Multiuse)とは、一つのデータ(情報)を複数の目的やメディアで利用すること。 例えば、音楽データをカラオケや着メロで活用するといった使い方に展開すること。複数のメディアで利用可能なデータ形式の確立や権利関係の整理などが課題。(解説コンピタント株式会社)

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【2011/04/09 15:30】 | 愚かな私
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のん子
何か面白くなってきましたね(笑)
食卓塩、うちも置いてませんよ。
何故なら二人共高血圧で抗圧剤を飲んでいるからです。
さて、nakapaさんは?
大丈夫なら堂々と主張して下さいませ。

のん子さんへ
nakapa
WFは入院2か月で優しくなって帰ってくるかと思いましたが、当てが外れました。
変わったところが、一つあります。入院前はしょっぱいもの好きでした。
しょっぱい物は血圧が上がるので、同じものを食べるのに躊躇していました。
それが、退院してからは、すっかり「薄味人間」になってしまいました。
ものには程度というものがあります。それで食卓塩を買ってきました。


ちゃちゃ
いいですね。
やっと、皆さまのブログを訪問する余裕がでてきました。
私にとって、久しぶりの nakapa 節。
嬉しいです。
何事も、「塩梅」ですよね。

ちゃちゃさんへ
nakapa
お久しぶりです。
遅まきながら、ご快復おめでとうございます。
私の方も状況が変わりまして、札幌シニアネットも辞めました。
8年間続けて来た、ホームページがエライことになってしまいました。
1年がかりで再構築するつもりです。
今は完全にフリーになってHPリニューアルに専念しています。
ブログは月1回にしましたが、よろしくお願いします。


nonko-mn
一つ改革できてよかったですね。
今の家に嫁いで来て始めは(@_@;)でしたが今は自分もそうしています事が一つ煮豆を作る時(汁粉も含めて)塩じゃなくて醤油を使うんです。
塩より角がないからいいそうです姑が言うにはね。
本当かどうかは判らないけど・・・・

nonko-mn さんへ
nakapa
なるほど、お汁粉にも醤油を使うのですか。 その方が美味しいわけですね。
分かりました。 こんどお汁粉食べるときはWFの前で醤油かけて食べます。
何と言うか楽しみです。 もちろん、味も期待しています。

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WFが足の手術をして退院したころ、昼食の支度は私が受け持つことにした。 
台所での立ち働きを減らすために決めたことだ。
買物から後片付けまで、全て私に任せてもらい張り切っていた。
しかし、この役割分担は直ぐに破綻した。

WFと私では食事についての考え方がまるで違う。 
今、分かったことだが、WFは自分流の料理法を私に伝授したいのだ。 
つまり、自分流の料理が自動的に出来上がる仕組みを作りたいのである。 
食べたい料理を、私というボタンを押して目の前に出そうとしているのだ。 

一方、私の考えはまるで違う。 料理はアートと思っている。 
クリエイティブでなくてはやる気が起きない。 
料理を作るなら、買物から後片付けまで全て私に任せてもらいたい。 
この場合、WFは鑑賞者でなければならない。 

テーブルに座って食べるだけにしてもらいたい。それ以外のことはしないでほしい。 
口出しは絶対にしてはいけない。 アーティストは神経質なのだ。 
人の意見をいちいち聞きながら作品を作るアーティストがどこに居る! 

私はトーフの味噌汁が大好きだ。一昨日の味噌汁は味が薄くて失敗した。 
昨日は同じ失敗をしたくないので濃いめにした。 
しかし、しょっぱ過ぎてしまった。

「味噌汁は体調によって味が変わります。運動不足だと濃く感じます」
ボットにお湯をいれて、一緒にだした。
「お好みに応じて、これを入れると美味しくなりますよ」
WFは一日中、家に居るのだから運動不足を自覚しているはずだ。 
状況を利用して、この場は何とかつくろうことができた。 

今日で三日目のトーフの味噌汁だ。今度こそ絶対に成功しなければならない。 
待った無しである。 市販のダシを使わないでダシから作ることにした。

朝から昆布をうるかして昼食に備えた。 これに鰹節を入れて美味しいダシを作れば、味が薄めでも美味しい味噌汁をつくれるに違いない。 
三度目の正直、もう失敗は許されない。

私は全力を尽くして3度目の味噌汁に挑戦していた。 後ろに人の気配がした。 
「味噌は、そのスプーンなら2杯で充分だよ」。 私が一番嫌う口出しだ!
「調味料の量は料理人である私の舌が決めることです!」 
私は毅然として言い放った。 ブラブラしているときは優しいが、仕事をしているときは厳しいのだ。 

そして、翌日。
「今日から昼ご飯、作らなくていいから」 
なるほどクビか。 それなら私にも考えがある。
「そうですか。 足は大丈夫ですか?」 
一応、快復途上の足を気遣うフリをした。
「トーフの味噌汁ばかりじゃねぇ。 もう飽きたんだよ」
「それじゃあ、別の形であなたを支えたいと思います。 私にやって欲しいことが、あったら何でも言ってください。 何でもやりますよ」

そして、その翌日。
「茶碗洗ってくれない」
「ハイ分かりました」

しばらくして
「何よこれ洗ってないじゃない」
「茶碗は洗いました。 それは皿やお鍋です」
「何言ってんの! 全部洗うに決まっているじゃない」
「決まっていません。 約束は言われたことは何でもやることです」

外で働いた経験のないWFは、言われたことだけしかやらない人を知らない。
彼らが、いかにやっかいな存在か分かってないのだ。

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【2011/03/25 10:39】 | 愚かな私
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空見
nakapaさんこんばんは!

アーチストですね、大笑いしました。あ~本当になんて面白いブログなんでしょう。
もしも私が貴方のWFなら、これはばら色の生活と思うのですが、世の中はうまく行きませんね。
神経質なアーチストの亭主・・喉から手が出るほどほしいデス(笑)


朱庵
料理人・nakapaさん!

面目躍如!の事の次第。
なかなかやりますねぇ♪

最後のオチは・・・強烈です!

毎回の更新、楽しみにお待ちしています。

空見さんへ
nakapa
空見さんの所の季節は、札幌より1ヶ月ほど進んでいますね。
福寿草など、春の花が奇麗に咲いているのが見えました。
私は食事の支度も、家事も嫌いなので、なんとか屁理屈いって避けようとします。
今のところ何とか成功しています。自慢にはならないのですが、怠け者です。

朱庵さんへ
nakapa
料理人と言われると、穴があったら入りたくなります。
トーフの味噌汁で悪戦苦闘している始末ですから。
オチにコメントがつくと嬉しいですね。
最初にオチがあって、後でアレコレ、オチに導くように書いています。
ですから、嬉しいのです。有難うございます。



hama
奥様が2ヶ月も入院されていたとは 知らなくて失礼しました。
大変でしたね。
入院なさる方も勿論ですが nakapaさんもです。
お料理もご苦労様です。
我が家では味噌汁は朝食でつくります。
以前から家族には評判良かったです。
食 味って長年して来た人には敵わないかも・・ですね。


hamaさんへ
nakapa
どういたしまして、入院と言っても骨折ですから、あまり心配はしませんでした。
当人も同室の人とお喋りを楽しんでいるようでした。
私も一人だから、自由にテレビが観れました。
我が家では、朝はパンなのです。味噌汁は他に出来るものがないので作りました。
後は缶詰とか刺身などで間に合いますから。


幸せなWFさん羨ましい!
コマクサ
料理は脳の活性化になると言われています。
nakapaさんは、これから頑張りますと保障されますね。
私は足の怪我は、ないけれど家事交代してほわ・・・
WFさんが羨ましいです。
面白い小説、次回楽しみにしていますよ。



のん子
私は結婚後、夫に食事を作って貰ったことがありませんので、そうなれば多分、奥さまと同じようにやりそうで冷や汗かきました(笑)
お茶碗洗って!ではなく全部洗ってって言うんですね(爆)
う~ん、どうしましょう?
ぐっと我慢して一切文句言わないか、椅子に座って調理するか二者択一になりそうです(汗)

コマクサさんへ
nakapa
私の脳は全然活性化していないので、料理は無理です。
昼ご飯だけでも作ろうと思いましたが、気にいらないようですから、辞めました。
たまに好きなモノでも作ってみようと思います。

のん子さんへ
nakapa
私はご飯の支度や後片付けなどは苦手です。どうも上手くいきません。
言われたことだけしかしないと言うのは一種のストライキですね。
自分で言うのも憚れますが、いいことではありません。
三度の食事を長年つくり続けることは大変ですね。頭が下がります。

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「ブログにつまんないこと書くなよ。退屈したぞ」
「HPRNシリーズのことですか?」
「書きたいのなら、自分の帳面にでも書いときな」
「失礼しました。そうします」
「ところで、ケンカ止めたそうだな。これからは静かにくらすとか…」
「面目ないです」
「……?」


悪い予想はよく当たる。 恐れていたことが本当に起こってしまった。
WFが2か月ぶりに帰って来た。 
入院中は食事、掃除、洗濯等家事一切を私がしてきた。 
入院当初は毎日見舞いに行き、出来ないことを代わりにやった。
WFの下着まで洗濯したのだ。 

必要なことをしたまでで褒めてもらおうとは思わない。 
しかし、帰る早々文句を言われるとも考えていなかった。 
退院前に掃除も徹底的にしたのだ。

「鍋の底を焦がしたね。 これなかなか取れないんだよ」冷たい言葉に唖然とした。 ”ご苦労さん”とか他に言うことは無いのだろうか? 

毎日自炊していたので、小さな鍋でいろいろなものを作る。 
2か月間の内に、たまたま間違った使用をしてしまったこともあった。 
私も気になって丁寧に洗ったのだが、どうしても落ちなかったのだ。 

予想通りの文句をいわれてガックリ来た。 
調べが始まる前に自白しておけばよかった。 
あれこれ考えていると、退院前に気合を入れて作った一句を思い出した。

気を抜くな恐妻リターン掃除せよ!

転んで足を折って入院して苦労したら、少しは丸くなって帰ってくると期待していた。 そう思っていたが甘かった。 

台所に入ると、水道の蛇口に近い所を見ながら、
「ここは、いつも私がピカピカにしてたんだけどね、ずいぶん汚くしたもんだね。 
あっ、あの隅も汚れているじゃない」
少しはムカついたが、”悪いところがそれだけなら99点だな”と
心の中で自分を褒めて励ました。
 
「そうですね。気が付きませんでした」
「やったことないから分かんないんだよ。主婦は大変なんだから」
「大変ですね。 私も2か月間、自炊してよく分かりました」
「台所掃除も自炊の内なんだよ。ただ作って食べるだけじゃダメだよ」

言いたいことは山ほどあるが、口答えすれば、後が面倒なので黙っていた。 
言っても分かる人ではない。

翌日、台所で後片付けをしていると、後ろから声が聞こえる。
「その、水道の所が汚くてね、ほら、アッチも。私がピカピカにしたからキレイでしょ」

ケンカはエネルギーばかり使って、何も得るものがないのでやらない。
これが私の基本方針だが、ついに堪忍袋の緒がキレテしまった。

「2か月間、見舞いに行って手伝って、家では家事一切をやって来たのに、言いたいことはそれだけですか」
「汚いから汚いと言っただけだよ。どこが悪いの!」
「キレイになった所は、一つも見つけられなかったのですか」

実際、家事をやってみると、隅にゴミが溜まっていたり、ヌルヌルしている所があったりしたので奇麗にしておいた。 人が変われば見つける場所も違うのだ。 全体としては入院前より奇麗になった筈だ。

「特にないね。普通でしょ」。自分が見て普通ならキレイと感じてもいいはずだ。
「留守中に汚れた所は、マメに掃除してキレイにしたのに、一つも見つけられないのですか」
「キレイになった所、どこだか教えてよ」

あ~あ、何も言うんじゃなかった。 何か言えば延々と続く、私が黙るまで続くのだから、この辺で切り上げることにした。 退院前に祈るようにして作った一句を思い出した。

治ったら優しくなって帰って来い

少しは変わると思ったが、治ったのは足だけだった。 
整形外科だから、それで当たり前。 考えてみれば虚しい期待をしたものだ。 

「小説なら、嘘を書いてもいいんでしょう」
「読む人居なくてもいいのかい」
「張り合いないですね」
「読んで面白い嘘など、素人には書けないよ」
「ケンカに負けて鬱憤を晴らしたいのですが…」
「この嘘、ホントか?」
「……。 小説です」

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【2011/03/08 09:46】 | 愚かな私
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ご馳走様です!
朱庵
書きたくてうずうずしていたのですね!
嬉しくてたまらないご様子が手にとるようにわかります。

ご馳走様!

ともあれ、ご退院おめでとうございます。
きっと久し振りの我が家、嬉しさの余り、小言幸兵衛になっちゃった~!というところでしょうか。
小説続けてくださいませ!


朱庵さんへ
nakapa
よく分かりましたね。うずうずしていました。
「おぼしき事言わぬは腹ふくるるわざ」です。
久しぶりにぶちまけてスーッとしました。
しかし、「小説」ですよ。 
嘘書いてもいいんですよね、小説だから。
逃げ道だけは、しっかりと用意しなければ身の破滅です(笑)。


フラダン
ウッフフ可笑しかったわ。。。
入院中はお疲れ様でした、主婦も主夫も結構
大変なんですよね、一度は経験してみるのも
させて見るのも良いかもね、、、心の中では
結構感謝してる物ですよ~
「川柳」が可笑しかった。

フラダンさんへ
nakapa
エッヘヘ可笑しいですか。有難うございます。
「川柳モドキ」ですが、例の「かわやなぎ大会」で落選したのを復活させました。
実は、文化祭でもフラダンさんの「素敵な出会い」に敗れたキャッチコピーを
「朝の食卓」に載せました。 私はシツッコイのでございます(笑)。

良かったですね
コマクサ
退院おめでとうございます。
2カ月も永い間お疲れさまでした。
女性の心理上手く使いましたね、面白い小説でした。
怪我が良いとは言いませんが、この度の事でお互いに
素晴らしい経験になりましたね。


コマクサさんへ
nakapa
ありがとうございます。よい経験をさせてもらいました。
自炊などする気は無かったのですが、元旦の怪我なので、正月用食材を、
いっぱい残したままの入院です。
もったいないので一生懸命作りました。
そうしたら、だんだん料理が好きになって来ました。
ホントによい経験でした。


のん子
うちの姑も舅も入院して退院後は我儘になっていて困りました。
看護師さん、優しいのは良いんですが、家でも同じようにして貰えて当たり前って思われるんで家の者は大変です。
小説のご主人さんのお気持ち、よ~く解ります。

のん子さんへ
nakapa
地震が大変なことになっていますが、そちらは大丈夫ですか。
札幌は地震も津波も大丈夫でしたが、先のことは分かりません。
小説のご主人は気が弱くて何も言えないようです。
気持ち分かって上げて有難うございます。
ご主人に成り代わって、お礼申し上げます。


のん子
地震、関西方面の家族、親族は無事。
東京に居る娘が会社から家まで徒歩で3時間かかって無事到着したそうです。
都内の道路は牛歩並み、飲食店は行列だったそうです。
気仙沼が大火災状態です!

のん子さんへ
nakapa
返信有難うございます。 東京も大変なのですね。
3年ばかり仙台空港の近くに勤めていましたが、全体が水浸しです。

首都圏が被害に遭うと、影響は日本全体に及びます。
とにかく、被災者を救援する為にも、これ以上拡大しないで、
治まって欲しいものです。


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「亭主なんて可哀想なもんだね。 人の出したもの黙って食ってさ、
文句も言えないだから」

調理師で栄養士、4人の子供を立派に育てたAさんが言うんだから説得力がある。 ご主人のことを話しているのだと思うが、今の私にピッタリだ。

世の中思わぬことが起こるものだ。 元旦の初詣の帰りに、WFが滑って転んで足が痛いと言ってタクシーで病院に行った。 湿布でもして帰ってくるかと思ったら、そのまんま入院してしまった。 

「餅はともかく、野菜、魚、肉、果物などが沢山残っているのです」
「お客さん来ると思って用意していたんだな」
「そうなんですよ。捨てるわけにもいかないしね~」
「もらってやるぞ」
「そうは行きませんよ」
「ケチだからな。 腐って食べられなくなっても知らんぞ」

こうして始まった「にわかカジメン」。 単身赴任の経験もないので、実に44年ぶりの自炊生活だ。 食材を使い切るまでは、コンビニにも行かないし、外食もしないことにした。 腐る前に食べちゃうことにしたのだ。

意外なことに、経験44年のWFが作ったものより、自分で作った方が美味しいことが分かった。 なるほど、これが手前味噌というものか。

計量など一切しないで、いろいろな調味料を少しずつ加えて、好きな味になるまで何回も味をみた。 44年前にやっていたことを、そのままやるだけだ。 それでもWFの作るものに比べると凄く美味い。 

自炊生活を始めて18日後、ある新年会がホテルで開かれた。 自分の味に慣れてしまった私は、やはり自分で味付けした食事の方が美味い。

「さすがはAさん」との思いを新たにした。 私は可哀想な亭主だったのだ。
「亭主なんて可哀想。人の出したもの黙って食ってさ、文句も言えないだから」
まさに、そのとおりである。

「そりゃ好かった。退院したら作ってやるんだね」
「それは絶対にダメです」
「なんで?」
「私の味付けは嫌いですから」

楽しいカジメン生活も、あと3週間で終わりそうだ。 出されたもの黙って食べるのも楽じゃない。 皆さんはどう対応しているのだろう? 

「食べなきゃ、いいだろう」
「そうは行きません」
「なんで?」
「二人とも捨てられない性格です」

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【2011/01/24 10:32】 | 愚かな私
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のん子
あらあら、順調な滑り出しって思ったら成程ね~。
そりゃご自分で味付けとなれば自分が好きな味付けになりますよね~(笑)
妻の立場からはそんな発想は及ばなかったです。
濃いい汁物は片方がお湯を足すとか、薄味ベースで片方が食卓塩とか食卓香辛料ふりかけるとか?


朱庵
44年間も奥様は作り続け、nakapaさんは召し上がる人!
それだけでも、もう凄いこととしか言いようがありません!

でも今nakapaさんは、お料理の楽しみを自ら味わっていらっしゃること、本当によかったですね!

のん子さんへ
nakapa
私にとっても思いもよらぬ事でした。 
毎日食べている食事は美味しいけれど、少しもの足りないと思っていました。
まさに、好きな味の大発見です。嬉しいけれど退院したら元通りです。
それはそれで、結構なことと思っています。

朱庵さんへ
nakapa
自炊も意外に楽しいことが分かって好かったです。
朝昼晩それそれ1時間半くらいかけて食べています。
食べながら作り、一つひとつ後片付けをするのです。
食べ終わったときはキレイになっているので気持ちいいですね。
作る、食べる、片付けるの同時進行です。

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「『冬のソナタ』20篇、一挙に観てしまいました。涙と感動の連続ですね」
「今更、ヨン様かよ~」
「日本映画のエッセンスが凝縮されています」
「韓国のドラマだぞ?」
「文化開放政策の賜物です」
「なに!?」
「韓国は日本の映画やTVドラマを徹底的に研究しました」
「なるほど。日本に輸出して稼ごうという訳だな」
「有難いことです」
「ありがたい?」
「『冬ソナ』一本で、日本ドラマのエッセンス、全てが分かるのです」
「アンタの好きな手抜き術。ところで、エッセンスとはなんだ」
「美しい風景と心地好いBGM。主役は女性、肝心なところはすれ違い。 
ヒロインに課せられたトンデモナイ試練。記憶喪失、出生の秘密などですね」
「まだまだあるぞ、三角関係」

西部劇のような活劇は好きだが、あのノー天気のハッピーエンドには、いつも違和感をもっていた。 敵をバタバタやっつけるのはいいとしても、味方にも多くの犠牲者が出る。 

それなのにヒーローとヒロインが抱き合って、チュッとやってハッピーエンドだ。 
「君たちは、犠牲になった忠実な子分や『罪なき人々』をどう思っているのだ」と言ってやりたい。

その点、「冬のソナタ」のラストはなかなかいいと思う。 愛を貫いた二人は、周りの人たちに沢山の迷惑をかけた。 その結果かどうか分からないけれど、ヨン様は目が見えなくなってしまった。 

ヒロインが、愛をもってヨン様を支えて行こうとする姿をを暗示して終わる。 
「陰を含んだハッピーエンド」が気に入った。

ところで、1998年、小渕首相と金大中大統領の時代の頃だが、日韓パートナーシップ共同宣言以降、映画・ドラマ等の大衆文化交流が盛んになった。

特に韓国側の動きが積極的だった。 日本の映画・ドラマを徹底的に研究したと言われている。 日本人の泣き所をしっかりと抑えたのだ。 

2004年当時、アラフォー世代の日本女性に的を絞った映画作りが、見事に成功したのだから大したものだ。 日本は、お返しに何をしたのだろうか?

以上の話は最近になって聞いたのだが、当時は見向きもしなかった「冬のソナタ」に、俄然、興味をもってしまった。 
日本進出の尖兵となった韓国ドラマ「冬ソナ」を観たいという気持が、にわかに湧いてきたのだ。

レンタルで7枚のDVDに20篇収まっていた。 感想は、古い日本映画のエキスがぎっしりと詰まっているという印象だ。 「君の名は」のすれ違い、大映ドラマの血。その他いろいろである。

10歳のときからアメリカ映画を観ていた。貧乏人の憧れはアメリカにあった。 
何となく貧乏臭い日本の映画は、金を払って観る気がしなかった。
日本の映画は夏の夜、小学校の校庭で観た。立ち見だが、運動場にスクリーンを張って無料で観せてくれるのだ。

あんなにアメリカ映画が好きだったのに、アメリカ流のハッピーエンドには、いつまでたっても馴染めなかった。 それなのに、たった1回しか観ていない韓国ドラマのラストは、すんなりと私の心に入ってきた。 

「陰を含んだハッピーエンドはいいですね。 こういう私も日本人です」
「何を気取ってるんだ。当たり前じゃ、ないか」
「そういえば西部劇作るのに、日本の映画研究などしていませんよね」
「『荒野の7人』は、『7人の侍』のリメイクだぞ」
「アメリカは変わりましたね」
「韓国も変ったぞ」
「日本はどうなんでしょう?」
「変わらされたな。 先ず、奥様方から…」
「隣国として、仲良しになるキッカケとなってくれるといいですね」
「何をノンキなこと言ってるんだ。日韓米軍事同盟の地ならしにもなるんだぞ」
「陰を含んでいても、ハッピーエンドになるといいですね」
「日本は、ヨン様みたいに目が見えなくなってもいいと言うのか!」
「愛で支えましょうよ」

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【2010/12/23 09:34】 | 愚かな私
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ちゃちゃ
韓国ドラマにはさしての興味もなく、まだ観たことはありませんが、私の周囲のおばさんたちはかなりはまっています。韓国に行くために韓国語を勉強したり、大変です。
子ども頃、やはり校庭にスクリーンが張られ、無料の映画会がありました。ご近所総出で早くから敷物を持って陣取りました。(座って観ました!)この日だけは子どもの夜間外出が許され、映画そっちのけで校庭で遊びンだ記憶があります。半世紀以上前の懐かしい思い出です。


朱庵
7枚もご覧になるって、ずいぶん時間がかかりましたでしょう!その熱意に拍手!
TVの無い生活をしていましたがヨン様は噂話と新聞の週刊誌の見出しで知っていました。
これをヨンで(爆)、観たくなりましたが、あっ、再生装置未だにありません ^^;
子供のころ、近所の広場での映画会は、薬物撃退キャンペーンでした(◎◎; 恐い思い出です。
その頃月一で小学校では映画館へ映画を観にいったのですよ!ディズニーの漫画でした。ディズニーおじさんへみんなでお手紙も書きましたよ。勿論授業でです。
アメリカ占領国へのおべっかだったのでは?と今だから思いますが、子供はそんなこと知らず、みんなで喜んで書いた記憶があります。
混沌とした時代でしたね。


のん子
冬ソナの最終回はそんな終わり方だったんですね(^_^;
私は初めの頃は観ていたんですが、すれ違いにイライラし、第一ヨン様はタイプでなかったし(笑)婚約者の方が好きだったのでヒロインの気持ちが共感出来ずに観るのを止めてしまいました。
でも風景や音楽は好きでしたよ。
その後、ネット友の影響でイ・ビョンホンが好きになりアイリス(テレビドラマ)は最後まで観ました。
でも作品そのものは幼稚すぎて笑ってしまいましたが。
アクション物でその他大勢で殺される人、お話と解っていても良い感じはしません(>_<)

訂正お詫び
朱庵
何せ昔のことを思い出したので、小学校時代、授業として映画館へ歩いて観に行ったこと、回数は年に数回だったのかもしれません。
月一くらいに感じていた楽しい思い出だったので、書いてしまいましてごめんなさいね。

ちゃちゃさんへ
nakapa
そうですね。当時のことを思い出しました。
前の方はゴザ敷いて観てましたね。 
私は自由に歩ける方がいいので、立って後ろや、横から観てました。
よく、蚊に刺されたのも思い出してしまいました。
子供達の社交場みたいな感じもありました。
昔話ばかりで失礼しました。

朱庵さんへ
nakapa
いろいろ思い出しました。
「映画会は、薬物撃退キャンペーン」であることも思い出しましたよ。
ヒロポンの映画は何回も観ました。
今、振り返ってみると、あの映画会は薬物撃退キャンペーンだったのですね。
古いヨン様がキッカケで、もっともっと古い映画会のことを思い出しました。
訂正、ご丁寧に、ありがとうございました。

のん子さんへ
nakapa
そうなんです。私お気に入りの「陰のあるハッピーエンド」です。
すれ違いは、やりすぎだったかも知れません。 
出生の秘密も、二転三転して、やりすぎです。
同年輩で観た人は、ヨン様よりヒロインの婚約者に好感を持っていますね。
ところで、「今はヨン様じゃないの、ソンスンホンよ」
とか言われてドラマを観たけれど、とてもつまらなかったです。


空見
こんばんは。
今年一年、何かとお世話になりました。また来年も宜しくお願いいたします<(_ _)>
ブログは年末年始、特に休みを設けずに、時間的に余裕があれば更新したいと思っています^^;

いまさらヨン様、悪くないですね。
私にとっては「いまでもヨン様」になりますが(笑)
感想はどうあれ、とにかく「冬のソナタ」を見ていただけて嬉しいです。
春夏秋冬シリーズは全部見ましたが、「冬ソナ」に匹敵するものはありませんでした。
ソン・スンホンは美形なだけで、特に(;^_^A アセアセ・・
イ・ビョンホンもビョン様とか言われて、根強い人気がありますが好みではなくヽ(▽ ̄三 ̄▽)ノ
ま、韓流が特にスキってこともないみたいです(笑)ありがとうございました。


空見さんへ
nakapa
今更ヨン様といわれていますが、私は今からヨン様です。
正確に言うと、今から「冬ソナ」です。ドラマとしての、あの感じ大好きです。
あんな感じの音楽が好きです。 韓国語の響きも心地よいです。
ソン・スンホンは友人が好きで、勧められて「エデンの東」を見たのですが、
つまらなかったです。何だかよく分からないのです。

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既にお読みの皆様、前回投稿の「客引きにも敬意を…」に不適切な表現があり、不快な思いをさせてしまい、申し訳ありません。
 
該当部分は伏字の○○○に訂正し「○○○買いませんか」にしました。 ○○○が何かについては、自分で禁止している表現ですから、ここには書かないことにします。

この段は読んだ人しか分かりませんが、私は○○○と言ったり、書いたりしたことはありません。 これは私の頭の中に禁止用語としてハッキリと覚えているので、書くことがないのです。 今回は、客引きの言った言葉を、そのまま書いたものが、自己チェックで気がつかないまま公開してしまいました。

書いているのは私ですから、誰の言葉にしろ不適切な表現があれば、私に責任があることは重々承知しています。 書くときは聞いたことをそのまま書きます。
書いた後で不適切な言葉がないか、チェックしています。

言い訳をさせて頂くと、会話体を多用しているので、どうしても会話の表現チェックが甘くなります。 会話のなかで、間違いや思い込みは日常茶飯事なので、「 」の中は、私の意識の中ではフリーになってしまい、自分自身がブログの管理人であることを忘れがちになります。

もっと言ってしまうと、私は間違いだろうと思い込みであろうと、自由に書ける会話体が大好きです。 これも勝手な思い込みかも知れませんが…。

しかし、今回のような不適切な表現は私自身禁止しています。それが自己チェックを通り抜けてポロッと出るのは、加齢によるチェック能力の低下と思っています。

こう書くと「腹にあるものが、出ただけじゃない。ボケのせいにしないで」と思うかもしれません。 それなら、白状しますが、私の腹の内には自分で決めた禁止用語がたくさんあり、○○○もその一つです。 それを外に出さないようにすることが、自己チェックの主要な目的です。

○○○については、相当深いところにあり潜在意識に近いものです。日常生活ではスッカリ忘れている、自分自身では気がつかないほど深くて遠い存在です。 人に言われるまで全く気がつきませんでした。

「笑ってもらうことと、顰蹙をかうことは紙一重ですね。 難しいです」
「だったら、書かなきゃいいじゃない」
「笑い8年泣き3年と言いますからね~」
「そんなこと言うの、10年早いよ」
「10年ですか~」
「なに考えてるのよ」
「それに笑いの8年を足すと88ですね」
「それがどうしたの?」
「米寿のお祝いには胡蝶蘭が一番だそうです」

<胡蝶蘭の花言葉>
「幸せが飛んでくる」「あなたを尊敬します」
というように縁起が良く、そして相手の方を尊重する素敵な言葉だそうです。

【2010/11/26 09:40】 | 愚かな私
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空見
こんにちは。
あら、何かあったんですか?私は今来たので何がなにやら・・^^;
まぁそんなにキツク取り締まらなくても(笑)
nakapaさんは我慢強いうえに真面目なんですね、笑いの求道者は負けないでください~ (^▽^)エヘ

空見さんへ
nakapa
○○○という、私が決めた禁止用語が、こともあろうに、
私のチェックをすり抜けアップされてしまいました。
自分で自分を監視するのは楽じゃないです。
私、最近ボケてますから、おおらかな空見さんは、期待してください。
これからは、何が飛び出すか分かりませんよ。


のん子
あららん?
私も初めの記事は読まなかったのですが、別に伏せ字にするほどでもって思ってしまいましたが、他人の言葉でもnakapaさんにとっては禁止用語だったのですね。
でも女性に対して思いやりのある方なんだって嬉しくなりました(^_^)
昔、私のブログで、女性の方が温泉で女性用のを男性用から覗ける仕組みの所が有るって話の時にネット友の男性が自分も覗きたいって冗談で?仰ったんですが女性の方が憤慨されて大騒ぎになったことが。
私はその男性に謝って欲しいってメールを送ったのですが、言葉の遊びなんだからって謝罪されなかったんで、縁切りした苦い思いがあります。
大体、男性って謝る人って少ないですよ(笑)

のん子さんへ
nakapa
前の記事読まなかったのですか。それは好かったです。私も読まれたくないです。
他人の話はとりあえず、そのまま書いて、アップする前に修正しています。
普通の言葉なので、気がつきませんでした。しかし、「買いませんか」がつくと、
普通でなくなってしまいます。
言葉は微妙ですね。


フラダン
う~ん考えちゃいますネ、(~_~;)
私は読んでませんでしたが次の、「ミルクも出ます」で想像出来、
思わず、笑っちゃいましたが、ブラックジョウクと思える人と、そうで無い人との
違いでですね、人それぞれですから、私個人としては、言葉の遊びも、
それを言う人に許せる人と、そうで無い人が居ます、すべて人格の問題です!
ナカパさんなら、全然、平気ですけどね、、、
しかもご自分の云った言葉でないにしろ、潜在意識の中に、、、
「無いわけでは、無い、、、」なんて、正直で良いですよ。

フラダンさんへ
nakapa
私は街育ちで、社会の底辺で育った者だから、
心情的に底辺の人の立場に立ってしまいます。
薄野の通行人は、普通遊んでいる人です。
一方客引きは生活をかけて働いている人です。
真剣さが違うのだから、刺激するような態度はとらないことにしています。
ジョークはオマケのつもりでしたが、そこで躓いては世話ないですね(笑)。

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「弱い男はダメだね~。男はケンカが強くないとね」
と、友人Aさんは言う。友人というより親分みたいな存在だ。
「誰か強い人知ってるのですか」
「亭主がね、若い頃ボクシングやってたから、直ぐケンカするのよ~」
「ほ~ぉ、強いご主人でよかったですね」」
「強いと思っているだけなのよ、いつも負けているの。あざ作って帰って来るからね」
「ほ~ぉ、そんなご主人が可愛いんでしょ」
「ホー、ホーってフクロウみたいだね、アンタも何か強いとこあるのっ!」
「強いとこね~」
「ありそうもないね~」
「ありましたっ!」
「まさか?」
「我慢強いです」

私はかなり我慢強い方だが、ときには切れてしまうこともある。
WFの留守中に、栗饅頭を一つ、無断で食べたら文句を言われた。
「食べていいって言わなかったでしょう」
「許可がなければ、食べたらいけないのですか」
「クッキーを2枚上げるつもりだったのに……」
「2枚?」
「アタシは1枚だよ。アンタ男だから2枚にして上げたのよ」

クッキー1枚くらいで恩を着せられてはたまらないから、隠し貯蔵庫を持っている。 書斎のファイル入れが食料庫だ。そこにチョコレート、飴、煎餅、それにウイスキーの小瓶等を隠してある。

元々私に家の菓子などを食べる理由は全くない。わが貯蔵庫に好物がいっぱい入っているのだ。 それなのに何故、家の菓子を摘んだかというと、訳がある。

連続して、お客さんが来たので、お土産の菓子が溜まってしまったのだ。 それでお菓子を賞味期限の近い順に並べたのだ。 これはWFと2人でした作業だ。 賞味期限切れ寸前の栗マン食べて、マサカ文句を言われるとは思わなかった。

「ついに私も、切れてしまいました」
「ほ~ぉっ! 珍しいね」
「三日間ごろ寝、ふて寝ですよ」
「よく退屈しないね」
「我慢強いですから」

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【2010/11/19 15:12】 | 愚かな私
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お久し振りに
コマクサ
ご無沙汰していました。
ず~っと訪問していませんでしたが久し振りに面白い
エッセイ読ませて頂き一人で、にやにや笑いながら
楽しませていただきました。

コマクサさんへ
nakapa
ご無沙汰はお互い様ですね。すみません。
笑ってもらえば、嬉しいですね。
なんと言っても、ラッキーカモカモですから。
古い歌を思い出しました。


フラダン
ナカパさんたら、、、ウッフフ。。。
凄く可笑しかった!

フラダンさんへ
nakapa
アッハハ……
フラダンさんたら、、、ウッフフ。。。
無断コピーです。


のん子
ふふ(笑)
栗饅頭一つでね~幸せな風景です。
うちも大体のカロリー計算はしているのですが、頂き物って重なるんですよね。
勝手に食べられると内心チっと思いながら次の食事でカロリー減らしです(笑)



のん子さんへ
nakapa
普段は決して、家の菓子には手を出さないのですが、
もらい物で有り余り、好物の栗マンが日切れ寸前になっていたので食べました。
日切れ食品の片付けに協力したつもりでした。
まぁ、ムキになることもないのですが……(笑)。


空見
こんばんは♪
栗饅頭は私も好きです、見ればたぶん手を出したくなりますね*^^*
食品は賞味期限の近いものからどんどん片付けなければいけません、ある意味プレッシャーですよね。
nakapaさんは一つ片付けてあげたのだから、文句を言われてはたまりません、細かい人が家にいるとストレスが・・(笑)
うちは夫が細かいです。先ほども、カレンダーに(私が書いた)「出張」というメモをしていたのを見たらしく、「ちょう」の字が間違っていると言われました。
私もメモした時、ちょっと変だなとは思っていたのですが、あいにく漢字を思い出せなかったのでした(笑)
また面白い話をお願いします(*゚▽゚ノノ゙☆

空見さんへ
nakapa
そうなんですよ。プレッシャーなんです。
賞味期限に近いものは食べなければなりません。
クッキーなど、いつ食べてもいいのです。
片付けて上げたのだから感謝して欲しいです。
しかし、我家の栗マン人気は大したものですよ。


ちゃちゃ
エッセイとは言え、
いいですねえ!
温かさが伝わってきます!

ちゃちゃさんへ
nakapa
う~ん、温かいですか~。まだ修行が足りません。
悔しさが伝わらなかったようです(笑)。
『涙の栗マン』

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定年退職して半年くらいしたら、ゴミを出すのが私の「仕事」になってしまった。 今はスッカリ慣れたゴミ出しだが、最初は辛かった。  
 
朝の8時頃のことである。 出勤する人が多い時間だ。 
この時間帯はゴミ袋を持っているサラリーマンが多い。

「ゴミ投げてきてね」
「後で行きます」と私。
「さっさと行きなさいよ。ヒマなくせに!」
「まだ早いでしょう。清掃車きませんよ」

まったく、せっかちで嫌になる。ゴミ収集車は、午後にならないと来ないのだ。 
ゴミを出す時間くらい「ゴミ出し係」の私に任せてほしい。

「家に置いといても仕方ないでしょ。仕事は早く済ました方が気持ちがいいんだよ。 いつまでも家の中にゴミ置いとくことないでしょ!」
相変わらず口数が多い。だから何も言いたくないのだ。

「今行くと人に沢山会うんですよ」
「会ったっていいじゃない」
「恥ずかしいですよ」
「何が恥ずかしいのよ。子供じゃあるまいし」
「子供じゃないから恥ずかしいのです」

今なら何ともないことだが、当時は無職であることに引け目を感じていた。 
退職直後は、開放感に浸っていたから、何も感じなかったが、半年もたつと、人の目が気になってくる。

「何が恥ずかしいの?」
「遊んでるからです」
「だから、ゴミくらい投げた方がいいんだよ」
そういう意味ではないのだが、何で分かってくれないのだろう。

「みんな出勤のついでに、ゴミを出すんですよ」
「それがどうしたの」
「私だけですよ。ゴミ置いて家に帰ってくるのは…」

「あら、そう」
「そうなんですよ」(やっと分かってくれたかと、一安心)
「そんなら、スーツ着てネクタイして、ゴミ投げたら、アンタの大好きな中島公園を一周して帰ってくればいいじゃない。 どうせヒマなんでしょ!」

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【2010/10/31 10:12】 | 愚かな私
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朱庵
うちもそうでしたよ♪(今はまた私の仕事ですが)
なんですか、定年後、生活圏で初めてやることが面白いと見えて、分別もせっせとしていました♪
勿論私はありがたいので、多少のことには眼をつぶっておりましたが(笑)
帰省する子供達もみなゴミ出しは手伝ってくれます。
いまどきの子達は、共働きのせいか全く区別無いようですね。

朱庵さんへ
nakapa
一般に出勤前のサラリーマンは愛想もよくないです。
中には挨拶しても返事もしない人も居ます。
いろいろ事情もあることは分かります。
この現象は朝の通勤時刻だけに起こります。
できれば、避けたい時間帯ですね。


フラダン
スーツ着てネクタイして中島公園一周には笑えました、敵もなかなか云うわネェ~〔笑〕
私の地区では8:30までに出しておく決まりになってますが、そちらは?、収集車の来る迄なら、
いつでも出していいの? ゴミ出しも、そのうち慣れれば何んて事なくなりますよ、
意外と他人は人様の事など気に掛けてないものですから、
「Uちゃんの北海道体験レポート」見させて頂きました、
方向音痴の私にはナビ的存在になりそうです。

フラダンさんへ
nakapa
こちらは地区というより、マンションごとに管理しています。
収集車が来る前なら、いつでもいいみたいです。
今ではスッカリ慣れました。転居したばかりのことを思い出して書きました。
「Uちゃんの北海道体験レポート」を読んでくれて有難うございます。


空見
こんばんは♪
ゴミだし、今はどこでもご主人さんがやっているようです。
うちは雨の日とか、草取りや枝の剪定などで大袋が幾つもあるときは頼んだりしますが、それ以外は私が(笑)
あ、うちの方は夜ステーションに出して置けます。
朝というのは何となく嫌ですね、マンションなら何時でもいいのに・・なかぱさんにその時間に出して来い!というのはちょっとひどいですよね。一種のイジワルなのかなぁ、その方、私の3倍くらいイジワルですね(笑)
背広着て公園一周だなんて、普通そこまで言いませんでしょう?私が夫なら耐えられませんです(;^_^A アセアセ・・
耐えているなかぱさんはエライ!でももうその後は慣れて平気になったのですね、それもエライ!


空見さんへ
nakapa
家中のいろいろな場所にあるゴミを纏めるのが、ゴミの日の朝です。
纏めて一つになったゴミを出しに行くのが私の役目です。
纏めたから「ゴミ投げてきてね」と言う感じです。
耐えるも耐えられぬも、私は言われたことをするだけです。
それもホンのチョッピリです。 どちらかと言えば怠け者です。


のん子
う~ん、嫌がってる事を強要って普通出来ないような気もしますが?
うちの夫は平気みたいなんで頼む時も有りますが(笑)
前の家では道路に出していましたので収集車の直前に出さないとネコとカラス対策が大変でしたよ。



のん子さんへ
nakapa
ゴミだしについては、納得しているのですが、
時間だけは自分で選びたいと思いました。
マンションのゴミステーションは檻のようなもので、鍵がかかります。
猫、カラスだけでなく、人間も鍵がなくては入れません。
こうしないと、犬の糞を放り込んでいく人が多いのです。
最近になったて対策しました。 時代はここまで来たのです(笑)。

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