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朝食はテレビを消して話しながらとる。 「朝の食卓」の話題は近所の中島公園、健康、そして札幌シニアネット(SSN)、カラオケ、歩こう会など。
これまで拙い雑文を読んで頂き有難うございます。体調の都合で少しお休みします。実は14日の夕方から腰が痛くて立てなくなりました。17日にタクシーに乗って、やっと医院に行きました。レントゲン撮ったりして調べましたら何ともないと言われました。

歩けるようになったから診てもらいに行ったのですから何ともなくて当然です。しかし立てないということは思った以上に不便です。最初に困るのがトイレ、これはかなり大変です。尿瓶などあっても使えません。痛くて姿勢を変えられないのですから。飲食はたいしたことありません。三日ぐらいは水だけで充分。食欲もわきません。

前にもあったし、次に起こると困ります。しかし何ともないのですから医療で直すことはできません。だからと言って立てないと何もできません。それで自分で工夫することにしました。リハビリとかいろいろありますが、ここには、このブログに関することだけを書きます。

当分、このブログの更新を休みます。パソコンの前に座って居る時間を減らすのが目的です。他にもいろいろありますが、対策の一つです。どんな小さなことでも立つことに役に立つのならばやります。立てなければ歩けませんからね。お医者さんから見れば三日で立てる人は病人ではないようです。

一方私は、やりたいことが山ほどあります。どれもこれも大したことではありません。例えば英語で歌いたいとか、そんなレベルの話ばかりです。だけど三日立てないのは大損害です。絶対に常に立って歩きたいのです。毎日ですよ。例外無し!

このような訳で、このブログの更新は体調が完全に快復するまで休みます。何よりも立って歩くことを優先します。たとえ三日でも寝たきりにはなりたくないのです。今まで読んで頂き有難うございます。快復すれば再開します。勝手ですが、その節はよろしくお願い致します。

7月2日加筆 セカンド・オピニオン
ブログを止めても痛いのは治りません。レントゲンを見ても異常ありません。何ともありませんと言われても痛いところは痛いままです。良いことを考えつきました。今流行のセカンド・オピニオンです。

別の病院で診てもらうとMRIを撮って見せてくれました。腰椎間板ヘルニアが原因の座骨神経痛と説明してくれました。この薬を飲めば2か月で完治するとも言ってくれました。MRIとは素晴らしいですね。レントゲンよさらばです。

霧が晴れてきました。やっとこ明るさが見えてきたのです。状況によって痛むけれど避ける方法を見出しているし、ゆっくりなら歩けるので日常生活に支障はありません。もともと家事など何もしていなかったので外出が減るだけです。世の中何が役に立つか分かりません。口だけは達者だから食えるし喋れるしカラオケも出来るのです。カンラカラカラ、下手の横好きに救われました。

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【2016/06/25 00:00】 | 照る日曇る日
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再開お待ちしています
朱庵
何時も楽しく拝読しておりますが、お辛いことは、痛いほど(経験者なので)わかります。
ご自分の納得されるようなさるのが一番。
その上での再開、心からお待ちしています。


有難うございました
PP
長い間、拙い駄文を読んでくださり有難うございました。
お陰様で書くことを楽しむことができました。
しかし、これも健康あっての話しだなと思いました。
体調に悩みがあると書こうという勢いがなくなってしまいます。
休んでいる内にエネルギーが溜まってくるかも知れません。
その節はよろしくお願い致します。

霧が晴れて良かった!
路傍の石
ブログのお休み、ビックリしました。

セカンド・オピニオン受けて正解でしたね。
時間はかかっても薬で完治するご様子、良かったです。

気長に療養され、その間に引出しを満たし、
またユーモア溢れるエッセイで笑わせて下さい。

お待ちしています。

有難うございます
PP
病院変えて好かったです。
1年近くもも無駄なリハビリしていたものだと思いました。
もちろん一生懸命だったリハビリの先生には感謝しています。
お医者さんにも感謝しています。MRIもないのに仕方ないです。
5年くらい前に受けていて異常なしだったので、
受けても仕方ないと勝手に判断していました。
5年の間に身体が変化というか、悪くなっていたのですね。

このブログは書きたくなったら又、書きたいと思います。
その時はよろしくお願い致します。



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みっともないことは思い出したくないから歌と英語の話はしたことがない。ところがある出来事がきっかけでタガが外れた。それからは折に触れて話題にしている。幼児と高齢者は下手の横好きも許されるかも知れない。幼児は成長の為、高齢者は健康の為になる。理屈はともかく、どんなことでも自由に話せれば楽しい。

最近になって洋楽カラオケを始めたが私の場合は、英語も日本語(カタカナ)も変だ。残念ながら修正不可能なので気にしないことにしている。歌も英語もスポーツも体内における情報伝達の役割を担う神経の影響が大きいと思う。多分その辺に問題があるのだろう。簡単に言えば反射神経が鈍いのだ。

若い時の話だが肉体労働ではやって行けなくなったので「趣味の英語」で転職できないかと、航空管制官試験を受けたら運よく合格した。当時は東京オリンピック目前だから英語の出来る人には職がいっぱいあり、待遇の悪い管制官の試験などを受ける人は少なかった。お蔭で辛い労働から解放されてホッとした。

羽田(東京)での教育訓練中に、この仕事は難しすぎると思った。口が回らず反射神経も鈍い、オマケに英語教育も受けていない。それでも止めようとは思わないのは、肉体労働がいかに辛いかは骨身に染みていたからだ。どこか私でも働ける場所がある筈だと一所懸命調べたらあった。それは北の都のO空港。空港とは名ばかりで実質的には陸上自衛隊第X飛行隊が使用する飛行場である。

民間機は日本国内航空の定期便等がホンの少し、残りの90%は陸上自衛隊の軽飛行機とヘリコプターだ。パイロットは99%日本人、しかも90%はO空港を本拠地とする陸上自衛隊機である。だから苦手な英語は必要ないのだ。英語を簡略化した管制用語だけで仕事はできる。複雑なことは日本語で話せばすむのだから何の不安もない。

陸自機は殆どが同じ飛行隊に属す軽飛行機だから秩序正しく飛んでくれる。しかもユックリと。こんな有難い職場は日本中でここ一つしかない。あっても自衛官しか勤務出来ないから航空局の職員では行くことが出来ない。一生、ここに居ようかと思ったが、そうは行かなかった。穏やかな暮らしは1年半で終わった。普通の管制施設に転勤になったのだ。もちろん英語も敏捷性も必要だ。しかも忙しい。

虚弱体質だから肉体労働は出来ないし転職する為に必要な技術もない。止められない以上は真面目にコツコツと努力するしかない。疲れる、ノロマ、出来ないは禁句。真面目な人と評価された。しかし敏捷性が求められる仕事だから認められることはない。野球に例えれば万年二軍の状態だ。退職の日を夢見て真面目に勤め、全力で頑張った。本当は楽をしたい怠け者なのに、不本意ながら仕事一筋?

退職して気分がとても楽になった。ある時に初めて「私はノロマだ」と言ってみたら、気分がとても楽になり、それを言うのが癖になってしまった。次は「虚弱体質宣言」、この二つの言葉を発したら心が解放された。何となく幸せを感じて嬉しかった。苦手なことを出来るふりする偽りの人生は終わったのだ。

2009年のことだが、北海道新聞から『朝の食卓』と言うコラムを書くことを頼まれた。その時、執筆者略歴に必要なので職業を知らせるように言われた。公務員と書いたら職種を問われたので航空管制官と書いた。退職後、元の職業を言ったのは初めてだった。これがキッカケとなり過去に関する拘りから解放された。

拘りとは情けない過去を完全に葬ることだった。退職を人生のスタートとする為に、過去を忘却することに拘っていたのだと思う。10年ひと昔と言うが本当だと思う。今は何の拘りも無い。一切の拘りが無くなり、自分に素直になれた。

何だか子供の頃に戻った様な気がする。少年時代の些細な出来事まで脳裏に浮かぶ。記憶は定かでないが、アメリカ民謡で「峠の我が家」と言う曲だったろうか? 英語で歌いたいからカナふってくれと、兄に頼んだら、「カタカナは日本語だ」と断られた。こんなことさえ懐かしく思い出だす。

今も同じようなことをしている。否、もっと悪いかも知れない。在職中に一生懸命英語らしくしようと思って回らない口を無理に回したので、日本語(カタカナ)でも英語でもない妙な発音になってしまった。40年もかけてついた悪い癖は修正不可能だ。こうなったら何もかも今のままでいいと思うより他はない。年を取ることは有難い。自分を含め、誰でも何でも肯定できるようになる。 これでいいのだ!! 天才バカポン

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【2016/06/04 00:00】 | 照る日曇る日
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路傍の石
「趣味の英語」で生涯の職を得たのですから、
「下手の横好き」と仰るのはきっと謙遜なのでしょう。

自分がとても気にしていることを、他人はそれ程気にしていないってこと、
ありますよね。

>兄に頼んだら、「カタカナは日本語だ」と断られた。

思わず 「フフフ」・・・
PPさんの文章は楽しい!



お陰様で趣味の世界に戻れました
PP
英語も一人で好きだ、趣味だと言っている内は楽しかったのです。
仕事に就いたら全く向いていないことが分かりました。
それからは真面目一筋、ふざける余裕はありません。

お陰様で好きだ趣味だ、の世界に戻ることが出来ました。
思わず 「フフフ」・・・は嬉しいですね。
笑ってもらいたくて書いていますから。


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身体にいいことしてますか? そんなこと全く気にかけない私だが、結果的に身体にいいことをしてしまった。その代り、自分が本当にやりたいと思っていたことは何一つ出来るようにはならなかった。

それは何かというとパソコンの習得であり、もう一つは人並みに歌えるようになることである。両方とも本来の目的は達成できなかった。しかし、その副産物は極めて大きかった。私は知らず知らずのうちに健康に凄くよいことをやっていたのだ。

恥ずかしながら、カラオケをやり始めた。下手な横好き、もっと言えば音痴の横好きである。ところが健康の為にとても良いことが、後になって分かった。恐る恐る歌う私に、ある人が健康にいいから思い切り歌いなさいと言った。半信半疑の私はネットで調べてみたら、その効用があらゆる分野に及ぶのでビックリした。

ダイエット、ストレス軽減、消化機能、冷え性、腰痛、精神の安定、脳の活性化、認知症の防止、高血圧の改善、さらに小顔効果まであると言うのだから驚きだ。

「小顔効果って何だよ」
「歌う時に表情筋といわれる多くの筋肉が働くのです」
「表情筋って何だ」
「口輪筋、頬筋や眼輪筋、前頭筋などです」
「そうかい」
「歌いながら顔全体を動かせば小顔体操になるのです」
「顔が小さくね~?」
「しっかりと口を開けて歌うことが大切です」
「ホ~」っと、感心するのを見て思わずどや顔になる。
「でかいツラするな!」

75歳の後期高齢者だが認知症、高血圧、腰痛等、健康上の悩みが全て解消されるのだ。残念ながら音痴が治るとは書いていない。まあいいか、大したことではない。

ところでパソコンの習得だが、始めたの1980年のことだった。値段は当時の月給の二倍以上した。「新しい物好き」だから無理をして買ったのだ。あれから36年、今ではパソコンのことはサッパリ分からない。その代り健康の為に大きな役割を果たしてくれた。今、生きているのはパソコンのお蔭と思っている。

当時の職場では100人ぐらいが一緒に働いていた。その中で酒に弱いのに飲み過ぎる者が三人いた。一人は酒で命を失い、もう一人は遠くに行って禁酒した。残った私は「札幌もいわ断酒会」への入会を検討していた。

そんな時に仙台空港の近くにある航空保安大学校岩沼分校への転勤の打診があった。もちろん渡りに船とばかりに喜んで応じた。酒を断つには環境を変えるのが一番と思ったからだ。

先ず、夕方になったら酒を飲むという習慣を断ち切らなければならない。酒に弱いから2時間程度で泥酔状態に陥り、意識を失ってから昏睡をするような感じで寝る毎日だった。酔いが脳内に染み渡ると何も見えなくなり全てを忘れ、何とも言えない好い気持になった。そうなると酔いが脳まで達しないと満足できなくなる。

酒が切れても手が震えないからアルコール依存症ではないと思っていた。しかし、その一歩手前の様に感じるのだ。「朝っぱらからいい臭いしてるな」と、いつも皮肉混じりに言われていた。二日酔いを気にして夜10時には寝るのに酒が残るのだ。

転勤先の航空保安大学校には、当時珍しいパソコンがあったが誰も使う人が居ない。もったいないから、それを使って操作方法の練習をした。しばらくすると自由に使いこなす為には自分で持つ必要があると思うようになった。

1980年代はパソコンを買った人の6割は、習得を諦めたと言われている。安月給の私は月給の二倍もしたパソコンを埃をかぶったままにしておく訳にも行かない。夕食時の酒はビール小瓶1本に制限し、夕食後はパソコン習得の時間とした。

紆余曲折はあったが15年くらいすると、職場で使う統計作業を自動化することが出来るようになった。電卓と帳面で丸一日かかる作業を5分で出来るようにした。例外処理が多いのでシステム化は困難と言われていた作業だった。

しかし、そこがピークだった。素人がプログラむを組む時代ではなくなったのだ。プロが作ったソフトをメニューを見ながら操作する時代になったのである。2000年あたりから徐々にパソコンが分からなくなり、数年後には何も分からなくなった。今ではおっかなびっくり腫れ物に触るようにしてパソコンと付き合っている状態だ。

だが大きな成果を残してくれた。夕食後の深酒を止めてパソコン習得に精を出したお蔭で酒を飲む習慣から完全に開放された。家では特別な行事を除き一滴も飲まない。外では付き合い酒だけ。カラオケでは「恥忘れ薬」として少量飲んでいる。

不思議なものでパソコンの習得と言う本来の目的は、果たせなかったが、深酒の習慣を完全に断ち切ることが出来た。これは私の人生において最高の成果である。今、生きているのはパソコンのお蔭と感謝している。虚弱体質だが倒れずに暮らしが成り立っている。それで充分だ。

昔はパソコンに命を救われた。そして今は、カラオケで余命を延ばしている。パソコンも歌も苦手だが、しっかりと役に立っている。両方とも出来るようにはならなかったが、身体の為に良い結果をもたらしてくれる。

生きることは実に面白い。この先どんなことがあるか楽しみだ。楽しみの種をアチコチに蒔いているが一体どれが芽生えるか。それも楽しみ。生老病死のうち残りは病と死だけ。せめて病に至るまでは皆と一緒に楽しく過ごしたい。

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【2016/05/28 00:00】 | 照る日曇る日
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そよ風
今迄書かれていたブログを少しずつ読ませて頂いています。
カラオケの方は歌をお聴きした事がないので音痴かどうか判りませんが、パソコンの方は文章も写真もお上手だし中々堪能でいらっしゃいますよ。
自信を持って下さい。
カラオケって色んな効能?があるんですね。
初めて知りました。
私も早速カラオケを始めましょうか。

読み書きソロバン
PP
ブログを読んでくれて有難うございます。
カラオケは私も知らなかったのですが、いろいろ効能がありますね。
効き目、感じてますよ。始めましょう。
パソコンは道具ですから苦手なりに付き合います。
昔で言えば読み書きソロバンですから仕方ないです。
励ましのお言葉有難うございます。



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東京砂漠と言う言葉があるのなら、私が育った渋谷区金王町はオアシスかも知れない。緑いっぱいで水も豊かだった。しかし、育ったころは終戦直後、極端な食糧不足で子供たちの多くは栄養不良でやせていた。焼け跡にもいろいろあって山の手と下町とは違う。渋谷、特に青山周辺は緑が豊かだった。

焼夷弾による空襲で地表は焼き尽くされてはいたが、地面の下は無傷のようだった。つまり水道管のほとんどが残っていたのだ。こんな訳で水と緑には不自由しなかった。一方、食べられるものは緑のホンの一部であることを思い知らされた。

住民の住むバラックの一つひとつに水道を引く余裕はない。無事だった水道を付近の人が共同で使う。だから水道は必ず外にある。それを家までバケツで運ぶのだ。食器洗いや洗濯などは水道のそばでするので、主婦たちの井戸端会議の場となった。当時は食料不足なのに水が豊富だから「水っ腹」という言葉が流行っていた。

「前回に荷馬車の話をしましたが、馬だけじゃありません。山羊もウサギもいましたよ。ニワトリなんか、ほとんどの家で飼っていました」
「それでも食料不足か。信じられんな」
「人口の急増です。戦争が終わったら途端に2倍以上。考えられますか?」
「食べ物が無いのに何で来るんだ」
「満州とか外地から帰る人、疎開先から帰る人、何も知らないで東京に行けば何とかなると思っている人」
「そんな人が居たのか」
「我家がそうでした」

敗戦での混乱のなかでは、正確な情報など入って来ない。渋谷区の人口は1945年6月には空襲等の影響で4万6千人までに減っていたが、終戦後の翌春には10万人を超えている。1年もたたない内に人口は2倍以上に激増したのだ。当然一人当たりの食料は激減。私は不思議に思っている。子供時代は死の恐怖に怯えていたのに、なぜ年を取った今、ノンキに暮らせるのだろう。

ある日家の前に大きなリュックを背負った髭面の復員兵が立っていた。その人は母を見ると「叔母さん」と言ったきり声をつまらせて泣いた。母は「フミオさん無事だったのね」と言って抱きついた。後で母の姉の長男だと言うことを知った。「姉さんまだ満州から帰って来ないんだよ」と母。その後何を話していたかは覚えていない。

リュックの中には食料がいっぱい入っている様だ。その日は乾パンと金平糖を腹いっぱい食べて寝た。夜中に目が覚めると話し声が聞こえた。母とフミオさんだ。
「姉さんが満州から帰るまでウチで待ってたら」
「狭くて寝る場所がないでしょう」
「建て増しすれば寝床くらい作れるから」と母は一生懸命引き留めている。

増築と言ってもホームレスが仮小屋を作るようなもので、寝場所を作るだけだった。同室の5人家族が期待しながら二人の話の成り行きに聞き耳を立てていた。少なくとも食料の入ったリュックが空になるまでは居て欲しいのだ。残念ながらフミオさんは翌朝家を出た。家族6人の食いっぷりに恐れをなしたのだろう。特に男の子三人が凄かった。感激の対面もあっけなく終わった。現実はドラマとは違う。

金王町を含む青山7丁目付近は焼野原になったが、広大な敷地に建つ青山学院は一部破壊されただけだった。近所の梨本宮邸跡地は荒れ放題だが子供たちの冒険広場と化していた。一度だけだが変な小父さんが現れて拳銃をを見せてくれたりして子供たちの冒険心を煽った。ただ凄いと思っただけで疑問はわかなかった。

当時の子供たちの名誉のために付け加えるが、全員が家の仕事を手伝っていた。周辺は大工、鳶、建具屋、ペンキ屋等の職人の町だが酒屋、魚屋等の商店もあった。スマホもテレビもない時代には働いていても遊ぶ時間をちゃんと作れたのだ。

広大な敷地の長井邸はスケールが桁外れな庭を持つ豪邸だった。後で知ったことだが、土地面積は現在の渋谷2丁目の半分近くに及んでいたそうだ。子供たちは持ち主が住んでいることも気にしないで庭に侵入して遊んでいた。時々白髪の老人に見つかり叱られたが懲りずに遊んでいた。

その他、明治神宮、外苑、金王八幡神社、氷川神社等、緑がいっぱいあった。それだけではない。焼け跡に小さなバラックしか建てられない被災者は空き地の全てを畑にした。もちろん食料目当てだが花も咲いてくれる。

所々に大きな麦畑があった。子供たちは麦の実を取ってチューインガムの様なものを作って遊んだ。長く噛んでいるともみ殻とガムに別れて来るので、水道水でもみ殻の部分を流し落とすガムが出来上がる。噛んでいる内に粘りが出てくるのが面白かった。

食料事情は最悪だったので空地の全てが畑になった。よそ様の土地を無断で畑にしても文句を言われない世の中だった。我が家は向かいの空き地で野菜などを作っていた。2,3年たつと所有者が塀で囲ったので入れなくなった。このようにして食糧事情の改善に応じて畑は少しずつ減って行った。

卵は最も貴重な栄養源だったのでニワトリを飼い卵を当にしていたが、なかなか生んでくれない。暮らしが少し楽になると、たまにしか卵を生まないニワトリを飼うのが面倒になって来た。結局、畑を取り上げられニワトリを処分して我が家の戦後は終わった。浮いたり沈んだりを繰り返しながらも暮らしはだんだん楽になった。

「我が家にはニワトリをさばける人が居ないので近所の小母さんに頼みました」
「食べたいのに殺せない?」
「小母さんは首をキュッと締めました」
「そうかい」
「締めるとき可哀そうと言ったんですよ」
「小母さんカンカンになって怒ったろう」
「よく分かりますね」
「その話は前にも聞いたよ」

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【2016/01/16 00:00】 | 照る日曇る日
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水道水が使えて良かったです
路傍の石

戦中、戦後を思うと、食べ物は大切にしなければいけませんね。
作り過ぎて、食べ飽きたから捨てるなんて、
言語道断!

麦の実からチューインガム様のものが出来るなんて、
初めて知りました。
試してみたい気がします。

チューインガム
PP
無ければ無いで、いろいろ考えるものですね。
麦のチューインガムは誰が始めたか知りませんが、
学校中で流行りました。
塵も積もれば山となると言いますから、
皆でやれば量もバカになりません。
今、考えると麦畑の所有者は怒っていたでしょうね。

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私にとってワシントンハイツとは戦後に突如として現れたアメリカン・ドリームの世界。それは渋谷区代々木に建設された合衆国空軍ワシントンハイツ団地のこと。そこには今のNHK放送センター、代々木公園、国立代々木競技場等の風景を全て飲み込む巨大米軍施設があった。明治神宮内苑に隣接したアメリカ村は、終戦1年後の1946年に建設され東京オリンピック開催の1964年に返還された。

歴史的には私が6歳のとき完成したのだが、その存在に気づき、憧れるようになったのは10歳の頃と思う。金網のフェンスの外から中を見て、カラフルな夢の世界に圧倒された。そこでは金髪が印象的な米人家族が夢のような暮らしをしていた。その風景に感化されたのか、私はいつの間にか洋画ファンになっていた。現実には絶対に体験できない世界を映画の中に求めていたのだろう。

少年時代の繁華街のイメージは華やかな銀座、新しい新宿、古の浅草、そして場末の渋谷だった。区民は復興から取り残された自らの居住地を卑下し、そう呼んでいた。それがワシントンハイツの返還をきっかけに急速に発展した。今ではそこに、私にとってはテレビでしか見たことのない華やかな渋谷がある。振り返って考えれば、米軍施設が渋谷の復興を妨げていたのだと思う。

「渋谷は焼け跡の中の田舎という感じでしたね」
「焼け跡に田舎も都会もないだろう」
「それがあるんですよ。通学のときは荷馬車の後ろにぶら下がるんですよ。御者の小父さんに怒られても懲りずにやりました。楽だし面白いからね」
「危ないから注意するんだな」
「馬が疲れるからですよ」
「ほ~ぉ」
「凄い剣幕ですよ」
「小父さんは後ろに目があるのか」
「荷を積んでいるから馬も大変なんですよ。一馬力でしょう。馬の動きで直ぐ分かるんですよ。多分」

結局は怒る小父さんの怒号と形相にに恐れをなして止めた。戦後3年くらいまでは、殆どの人が食うや食わずだった。馬が死ねば自分も食えなくなる。馬は大切な財産だから怒る。子等の安全の為ではない自分の生存を脅かさられるから全身で怒るのだ。子供になめられるようでは大人も生きていけない世の中だった。

暮らしがが安定して世の中が平和になると、「昔の大人は叱ってくれた」とか懐かしそうに言う人が出て来た。確かにそのような教育的指導をする大人も居たのだろう。ドラマにはよく出て来るので、それも一つの事実と考える。私の体験とは違うが。

ごく稀なことだが、中学の先生からその様な教育的指導を二回ほど受けた記憶がある。熱い気持ちが伝わり感動したので今でも覚えている。しかしそれは例外に過ぎない。小中学校の先生を含め、ほとんどの大人は怖いだけの存在だった。毎日の「仕事」は怖い大人からの攻撃をかわすこと。それに尽きた。そうしなければ弱い子は潰されてしまう。これも生活の知恵だ。

「お前は確か東京渋谷の育ちとか言ってたな」
「そうですよ。5歳から15歳まで、その後は23歳まで東京から出たり入ったりです」
「そして25歳からはほとんど北海道」
「途中、2回ほど転勤で離れただけです」
「渋谷時代の話だが、嘘もほどほどにしろよ」
「大筋において事実を書いているつもりです」
「何で電車やトラックが走っている渋谷に馬車が居るんだよ」

戦争は何もかも破壊する。燃料も食料も極端に不足し、戦後の一時期は荷馬車も再登場した。坂道になると乗客が降りてバスを押す世の中だ。前世紀の遺物が登場しても不思議ではない。使えるものは何でも利用した。

当時の木炭バスは力が弱く坂では難儀した。その一方ではアメリカの乗用車が颯爽として走っていた。渋谷は最先端の文明と明治時代の貧しい部分が共存していた。今になって考えると、広大な敷地に造られたワシントンハイツの存在が10歳の私の成長に大きな影響を与えたと思う。手に取ることの出来ない夢の世界だが。

金髪をなびかせた女性が運転する赤いキャディラックが走り、同じ道路をパカパカ歩く荷馬車も通る。否応なくその差を見せつけられた。オマケに住んでいるのは焼けトタンの粗末なバラックだ。楽しみは街をぶらつくくらいだ。宮益坂を歩いて下り右折すると渋谷区役所があり、その近くからワシントンハイツが広がっていた。

渋谷公会堂で無料の浪曲を聞き、ワシントンハイツに行く。そして金網の中を見ると、そこは浪曲とはガラリと違う夢の世界だ。グリーンの芝生にしゃれた住宅、赤、白、グリーンの乗用車、子供たちが模型飛行機を飛ばして遊んでいる。禁断の場所は文明の国、アメリカのショーウインドのようだった。遠い異国に憧れた私に出来ることはワシントンハイツの金網にへばりつくことと洋画を観ることだけだった。

「憧れとは不思議ですね。現実感がまるでないのです」
「いいなあと思っても別世界」
「そうなんですよ。もし行けるとしたら夢の中」
「何にもならんな」
「そうでもないですよ」
「なんで?」
「空想するにもネタが無いとできません」
「そりゃそうだ。小説家じゃあないからな」
「ワシントンハイツとアメリカ映画が絶好のネタになってくれましたよ」
「空きっ腹かかえて空想か」
「全てはです色即是空、空即是色(しきそくぜくう、くうそくぜしき)
「何でも食いたい。全てを食うだろう」

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【2016/01/09 00:00】 | 照る日曇る日
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焼け跡闇市派を自認する野坂昭如氏が亡くなった。戦争を知る人を次々と失い寂しい、と言うよりも次第に不安が募ってくる。終戦当時は子供だった。闇市で物を買う余裕のない私は、ただの焼け跡派。しかも異常に長すぎた焼け跡暮らしだった。

周りは復興して住宅建設ラッシュが続いているのに、我が家だけが復興から取り残されれ、相変わらずのバラック暮らしだった。安普請とは言え新しい住宅や商店が並んでいる。戦後5年もたつのに私は「焼け跡の子」のまま。近所で唯一のバラックに住んでいることが、とても恥ずかしかった。

多くの人は焼け跡の生活は苦しかったと言うが、近所が復興したのにバラックの子として暮らすのはもっと苦しい。と思ったのは後になってからだ。10歳だった私は、目の前の現実を乗り越えるのに精いっぱいだった。食い物を得ること、危険を避けること、恥ずかしい現実を隠すこと等、直面する問題が山ほどあった。

バラックとは兵舎の意味もあるが仮小屋のこと。終戦直後のバラックは空襲で焼野原となった跡地に建てられた。焼け跡に残った焼トタンや、燃え切らなかった木材などが建材だ。主に焼トタンで出来ているので夏は暑くて冬は寒い。しかも狭い。素人の手作りだから大きいのは無理だ。6人家族で6畳に住んでいた。

横浜で生まれたが戦争が激しくなると疎開で田舎を転々。5歳で東京都S区に転居したが、その頃は皆がバラックに住んでいた。それから4年ほどたつと殆どが新しく家を建て、我が家のある一角だけが得体の知れない人達が住むバラック横丁として残った。ところが、台風が来て他のバラックはペシャンコにつぶれてしまい、幸か不幸か我家だけが残った。

当時、バラック住まいは無気力・無能力を証明するものと思われていた。空襲で焼かれたところまでは皆一緒。普通の人は子供達も含めて一家全員で必死に働き食事まで切り詰めて家を建てた。5年もたってバラックに住んでいる人でまともな人は居ない。そこに住むのは焼け跡の敗残者達。復興競争に敗れた惨めな人々。

差別された記憶はないが、私自身はバラックと親と自分のことを恥じていた。ところで、1950年ごろだが、家から1kmくらいの所のガード下にもう一軒のバラックがあった。そこに同級生が住んでいた。Yという名の女生徒はクラスの仲間外れだった。臭いとか言って誰も近寄らないから、いつも一人ぼっちなのだ。

私も距離をとっていたが、はたから見れば私たち二人は同類で同じ臭気を放っていたと思う。長い間風呂に入らず同じものを着ていれば誰でも臭くなる。だからと言って苛められた記憶はない。私が勝手に恥と思いバラックの子であることを必死になって隠していた。後で考えれば皆知っていたと思う。無駄な努力をしたものだ。

あれから10年たって私も20歳になった。気まぐれな友人Sに誘われてダンスホールに行った。ダンスの得意なSは相手を見つけて踊りまくっている。一人残されて居心地が悪かったが、友人と言うよりSの子分の様な私は怖くて帰ることも出来ない。

ウェディングドレスを簡略化したような白いワンピースを着た女性が一人で立っていた。何となく寂しそう。私にすれば声をかけやすい感じだ。どこかで見たことがある。10年前小学校で同級だった悪臭プンプンのYさんだ。身なりは変わったが顔に当時の面影が残っている。相変わらず孤独で不幸な雰囲気を漂わせている。

声をかけると黙って組んで来た。しかもダンスが上手な人のようにピッタリとだ。私は何も話さないし、Yさんも黙ってステップを踏んでいる。思わず彼女はどのような人生を歩んできたのだろうとか考えてしまった。

孤独で苦しい10年の果が今の姿。東京都S区のダウンタウンにあるダンスホールの片隅に一人っきりで立っていた。昔と違ってサッパリした身なりで、かすかに香水の香りがする。だけど清潔な感じはしないし、ダンスを楽しんでいる様にも見えない。

二人とも知り過ぎていて何も話さない。知っていることは話題として楽しくないことばかりなので話す気がしない。振り返ってみれば小学校も中学も一緒なのに話したことがない。又、Yさんが同級生と話している姿も見たことがない。

ひょっとして障がいで話すことが出来ないのかも知れない。そんなことまで知らないのだ。共通点はただ一つ、戦後5年もたっているのに、二人だけがバラックの子だということ。それだけで何もかも分かったような気がした。恐らくYさんも……。

先日、テレビで観たことだが、硫黄島の戦闘で悲惨な体験をした元米兵の話が印象的だった。彼はこう言っていた。「父が硫黄島はどうだったと聞くので地獄だったと答えると、父は『ニューヨークだって地獄だったよ。物不足で大変だった』と応じた。私は何も話す気がしなくなった」。

人並み外れた悲惨な体験をした人は、そのことを誰にも話せない。理解できる聞き手がいないからだ。子供でも悲惨な体験はする。Yさんが無口なのは自分のことは誰も分かってくれないと諦め切っているからだ。

昔も今も世の中は想像を絶する悲惨な体験をした人の口が封じられ、無意味な成功談で満ち溢れている。それらが悲惨体験をした人々の口に蓋をする役目も果たしているのではないだろうか。

私は時々考える。Yさんは自分のことを誰にも聞いてもらうことなく、あの世に向かって旅立つのだろうか、あるいは既に逝ってしまったのか。人並み外れた悲惨な体験をした人々は何も語らずに逝ってしまう。貴重な体験が身体と共に消え去って行くのがもったいなくて仕方がない。

世の中を良くする多くのヒントが人知れず失われて行くのが残念だ。真実をくみ取る仕組みが欲しい。それが無いのは、世の中が為政者にとっての「不都合な真実」で溢れているからだろうか。

「考え過ぎでしょうか」
「ひねくれてるね」
「似たような人が体操選手に…」
「いるもんか」
「いますよ」
「だれ?」
「ひねくれ王子」

【2015/12/19 00:00】 | 照る日曇る日
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子供たちが希望を持てる世の中に。
路傍の石

戦争を体験していない私に、軽々な事は言えませんが、
人間の身体も心も破壊してしまう戦争は、
二度とあってはなりません。

今の政治が果たして国民の幸せに向かっているのか、
考え始めると怖くなってきます。

まったく同感です
PP
まったく同感です。
子供たちが希望を持てる世の中なら、大人も幸せです。
この20年で顕著なのは大金持ちが増えたこと。
そして、貧乏人が大幅に増えたことです。
選挙で選ばれた人たちがこの世の中をつくったのです。
お金万能の世界は怖い。マネーゲームの横行は怖いです。
良く考えて一票を行使することが大切と思います。

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早朝に目を覚ましたら時計を見る。4時頃だとラッキーと思う。ラジオ深夜便「明日へのことば」の時間だからだ。私が一番好きな番組だが聞けるときだけに聴く。決して録音したり、そのために目覚ましをセットしたりはしない。

ときどき琴線に触れる言葉に出会うのが嬉しい。先日、聞き取ったのは「不自由は発明の母」。どなたが話したかは覚えていないが、私にぴったりの言葉だなと思い記憶に残った。身体の動きが不自由な私だから沢山のことを発明した。参考の為、その中の一つを披露したいと思う。ただし普通の人には何の役にも立たない。

もし私に似た人が居たとしたら役に立つかも知れないと思いブログに書くことにした。読んでくれる人は少ないが、一応不特定多数を対象に発信しているつもりだ。

私は遊びの不自由人、音痴でオマケに運動音痴。そんな私が一人前の仕事ができるはずがない。在職中は我慢に我慢を重ねて真面目に働いた。本当は自由が大好きな怠け者だから辛かった。この問題は15年前に定年退職して全面的に解決した。めでたくハッピーリタイアメントを迎えることが出来たが新たな問題に遭遇した。

「私は仕事人間。全て仕事中心の暮らしをしてきました」
「バリバリの仕事人間か?」
「ヨタヨタかな。ヨボヨボかも知れません」
「そりゃあそうだよな」
「仕事に全力投球、疲れ切って家に帰り、休日は家でゴロゴロ」
「皆そんなもんだよ」
「私の同僚は違います。テニス、ゴルフ、釣りにドライブなどスポーツとレジャーで大忙し。テニスで国体に出た人もいるし、勉強して弁護士に転職した人も……」
「分かったわかった。随分ヒマそうな職場だな」

自由で開放的で技量が何よりも尊重される職場だったが、私はそこで肝心要の技量が伴わなかった。知力、体力、能力に劣る私は、仕事を辞めては食っていけない。必死に働き、家ではゴロゴロしていた。QPだって私の様子は分かるから何も言わずに支えてくれた。私が食えなくなれば一緒に食えなくなる。気の毒だが仕方がない。私だって辛いのだ。あの頃は職場では奴隷、家では文字通り「主人」だった。

だから定年は私にとっては最高の福音、それだけで充分幸せなはずだった。しかし仕事から解放されたら気持ちに余裕ができて欲が出て来た。何となく遊びたくなったのだ。と言ってもスポーツから囲碁将棋・マージャンに至るまで何もできないのだから大変だ。「遊ぼう」と言ってもだれも「うん」とは言わない。必ず「〇〇でもやりましょうか」と返してくる。その〇〇ができないのが問題なのだ。

一人寂しく暮らして居るとネコもカラスも暇なときは遊んでいる様に見える。遊びを知らないのだから私専用の遊びを発明しなければならなかった。楽じゃないけれど仕方がない。必要は発明の母だそうだ、遊びを知らなければ作ればいいのだ。

「それで、何を発明した」
「世間で通用する遊びはできないから一人遊びですね」
「遊びである以上面白くなくては意味はない」
「そうなんですよ。そこが一番難しいですね。結局書いて遊ぶことにしました」
「そんなこと昔から誰でもやっているじゃないか」
「スポーツもゲームも誰でもやっているけれど私にはできません」
「なるほど、日本人なら誰でも書ける。しかし、それだけでは発明にはならないぞ」
「ゲーム化しました。名付けて『書いてゴーゴー』です」

手順はこうだ。書いたらこのブログで公開する。そしてアクセス解析を読み、1ヶ月に50回以上読んだ人が50人以上居れば合格とした。世間にはアクセスが月1万以上はザラに居る。それは分かるが一先ず横に置いて、物差しを自分に合わせたのだ。因みにこの6ヶ月間の成績は、47人、57人、56人、54人、54人、62人。私には応分なな数値と思い満足している。

ゲームだから負けもあるし退場もある。26人以下になったら負けと判断し、退場するつもりだ。具体的に言えば書くのを止めるのだ。何故26人かと言うとニゲローの語呂合わせのつもり。ゲームだからブログから退場する時も、できるだけ楽しくやりたい。

「退場して寂しくないのか」
「いろいろ発明しましたからね。書くのもその一つ。他にもいろいろあります」
「ともかく退場も楽しくだな。それを聞いて安心したよ」
「ところで、このブログ面白いよ~とか言って、お友達に知らせてくれませんか」
「俺はウソとお節介は嫌いだ。楽しく退場できればいいじゃないか」
「そこを何とか」
「何とかとはなんだ!」
「何とかとは……、エートー、なんとかです」
「分かった。まかしとけ」

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【2015/12/12 00:00】 | 照る日曇る日
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まかせとけ!
花筏

如何にもPPさんらしいです。
ブログをやめる時も 
「逃げろ~」で、楽しく締めくくる。

でも逃げる時はやって来ませんよ。
読んでいて、どこかで必ず
「クスッ」と笑えるところがある限り。

「そこを何とか」→了解! まかせとけ~。

「まかせとけ~」のお蔭
PP
コメント有難うございます。とても励まされます。
お陰様で今のところ退場する数値ほど遠い状態です。
「まかせとけ~」のお蔭と思い感謝しています。

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断捨離は私にとって困難な作業だ。いざとなると何も捨てられない。その一つが写真である。訳があって写真を捨てることができない。少年時代の写真を全て失ってしまったことに、拘りがあるからだと思う

50年ほど前のことだが止むを得ない事情でアルバムを含む殆ど全ての、家財とも言えないような荷物を東京の人に預かって頂いた。何の義理もないのに、困り果てている私を見て同情して預かってくれたのだ。その恩を荷物と共に忘れ去り、遥か彼方の北海道へと旅立って行った。昔の私は今よりもっと常識外れのろくでなしだった。

預けられた人にとっては迷惑千万な話である。東京都大田区の小さな建具屋さんの家で、1階は仕事部屋と夫婦が住む部屋、2階は子供部屋と貸間。暮らし向きは貧しく6畳一間の家賃6000円を生活費のたしにしていたようだ。

若い時だが兄と二人で借り、3000円ずつ負担していた。私の月給は1万円余りだから食うのに精いっぱいだった。それなのに兄は家を出た。何の前触れもなくある日突然いなくなり何の連絡もない。もちろん家賃も払って行かない。

にっちもさっちも行かなくなり6畳一間の同僚の部屋に転がり込んだ。僅かな荷物は大家さんに一時預かりをお願いした。
「家は狭いから直ぐに取に来てくれよ」と本業は建具職人の大家さん。
「出来るだけ早く取りに来ます」
とか何とか言ったと思う。50年以上前のことだから忘れてしまった。

その後は荷物を預けていることさえ忘れていた。後から考えると大家さんには多大な迷惑をかけたと思う。間借り人が二人そろって、何の価値もない荷物を置いて出て行ってしまったのだ。おまけに預けっぱなしで何の連絡もない。一方私は生きて行くのに精いっぱいで人様のことを考える余裕を失っていた。

何回か転勤を重ね札幌で所帯を持つと、昔を懐かしむ余裕がでてきた。それで思い出したのが大家さんに預けたアルバムのことだ。しかし一言の連絡もしないで20年以上も放置している。今更ノコノコと行ける訳がない。第一住所氏名も電話番号も知らない。一生懸命探して見つけたとしても、荷物は処分された可能性が高い。

こんな訳で十代までの写真を全て失ってしまった。だから二十代以後の写真は大切に保管している。子供の時どんな顔していたか分からない。これは案外辛いことだ。大人になってからの写真なんて詰まらないのに、と思いながらも捨てられない。

私が唯一持っているのがこの写真。兄二人と一緒に母に抱っこされた私が写っている。一歳くらいかな。当時は横浜の同潤会に住んでいたと亡き母は懐かしんでいた。
410000kazoku.jpg

1枚しかないから何回も見ている。そして過去にブログでも公開したことがある。「私は誰でしょう?」と世間に問いかけているつもりだ。多分反応はないと思う。しかし失ってはならないたった一枚の写真だ。ネットにばら撒いておけば絶対に無くなることはない。1941年、太平洋戦争開始前の撮影と思う。

断捨離を始めると必ずそれを妨害する事態に遭遇する。その一つが思い出だ。写真の場合もあるし思いでの品でもあったりする。値打ちのある物なら遺品として残せばいい。しかしそうでないものが多いから困る。家族にとってゴミであるべきものが私にとって宝なら、どう扱ったらいいのだろうか。途方に暮れて長引く断捨離……。

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【2015/11/14 00:00】 | 照る日曇る日
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路傍の石
「整理を妨害するもの、それは思い出。」
PPさんの仰る事、よ~くわかります。

写真や、子供が小さい頃書いた絵や字、
父の日、母の日、誕生日等に贈ってくれた手紙や折り紙。
私にとってはキラキラ光る宝物。

ついついそれらに見入ってしまい、時間はどんどん過ぎていく。
そして捨てられず、また元の場所に収めてしまう。

断捨離とは、自分との闘いですね。



お宝発見
PP
全くおっしゃる通りです。
片付かなくて困っているけれどやりますよ。
整理していると失せ物が見つかることがあります。
お宝発見です。これは嬉しいですね。

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定年退職した私は、札幌市中島公園の近くに転居した。これからは地域の為に頑張ろうと、初めて参加したのが、町内会が主催する鴨々川清掃である。
「男性は川の中のゴミ拾い。女性は周辺のゴミ拾い」と世話役から指示されて、長靴を履いていない私は戸惑ってしまった。浅い川だが運動靴では入れない。だからと言って女性たちと一緒に岸でゴミ拾いをするのも憚れる。

知らない人たちの中で右往左往していると見知らぬ男に声をかけられた。私同様、年金暮らしの新住民のようだ。彼も長靴を履いていない。
「東京から来たんだけど、北海道では長靴が必需品ですね」
私も東京育ちなので話は弾んだ。昔が懐かしくなり隠していた事まで話してしまった。

私が十歳の頃は東京でもよく雪が降ったが、長靴を持っていないので下駄履きだ。雪道は滑りやすいので転んだ拍子に鼻緒が切れたりする。寒いのに下駄を脱いで裸足で歩くのは冷たく辛い。

長靴が欲しいけれど父は肺病だし、4人の食べ盛りの子供を抱えて生活は苦しい。そんなとき、事情をよく知っている近所の小父さんが「ウチで働いてみないか」と誘ってくれた。私は嬉しくなった。働けば長靴も買えるし飯も腹いっぱい食えるだろう。

作業所では十人くらいが働いていた。私の仕事は、山積みにされた煙草の吸殻をほぐして煙草の葉と紙に分けること。ここでは吸殻と使用済みの空き箱を使って、紙巻煙草の再生産をしている。人が捨てたもので新品まがいの煙草を作るのだ。「煙草も買えない人がいるのだ。人助けだよ」と優しそうな小父さんが言った。私は意味も分からず肯いた。ともかくここで働ければお金をもらえる。それで十分だ。

小父さんの仕事は列車清掃業、そして裏の仕事はタバコ再製造を含む闇屋である。彼は必要な指示を皆に与えると、公式の仕事現場である国鉄品川客車区に行く。そこで全国から集まる列車の清掃を請け負っているのだ。

一方、作業所の仕事は極めて単調だが小父さんが居なくても手を抜くわけには行かない。出来高払いなのだ。その代り口はよく動く。簡単な仕事だから、話しながらやる方がはかどるのかも知れない。現に隣の二人も話し込んでいる。話題が小父さんのことに及ぶと、私は聞き耳をたてた。

「オヤジさんは満州では羽振りのいい請負師だったがソ連軍に捕まってよー。シベリアの捕虜収容所では苦労したらしいな」
「苦労人だから目の付け所が違う。品川には全国の列車が集まる。一等車のゴミなんか手つかずの弁当もある。進駐軍専用列車なんかゴミと言っても豪華なものよ」
飢餓の時代でも一等車に乗る金持ちも居た。アメリカ人専用列車も品川に来る。生活水準に雲泥の差がある場合、一方のゴミは一方の生活必需品となる。

「だけど、そんな物を持ち帰るのを国鉄の監督に見つかったら首になるぞ」
「賄賂を握らせているから大丈夫」
賄賂をスムースに渡すには知恵と度胸と人望が必要だ。小父さんは全てを兼ね備えていた。一番大切なのは相互の信頼関係。この関係が崩れれば収賄側、贈賄側の双方が破滅する。

「オヤジさんにはまいっちゃうよ。監督が来ると急に厳しくなって怒鳴り散らすんだよ。監督には揉み手でペコペコするのにね」
「分かるわかる。俺も品川の列車掃除に行ってたからね。監督を手なずけるつもりなんだよ。後でお前に謝ったろう」
「謝るどころか、ラッキーストライクくれたよ」
当時の若者の憧れはラッキーストライクを口にくわえジッポーのライターで火をつけることだ。自分がどうかは別として、これは絵になると皆が思っていた。自分を格好よく見せる小道具だ。

小父さんは優しい人も強い男も演じられるなかなかの役者だ。つまり、作業員を怒鳴りつけて強いところを見せて置いて監督にはペコペコする。こんな単純で見え透いたやり方でも繰り返せば監督の信頼を得ることが出来るのだ。強い男にペコペコされればオベンチャラと分かっていても気分がいいものだ。

次は賄賂だが「いいもの拾いました勿体ないですね」とか言って、新品のアメリカタバコを届けることから始める。拾い物は次第に高価なものになり、ドル紙幣になったりもする。最後は言うまでもなく現金の賄賂。明るみに出れば事件になる程の金額だ。ここまでくれば鉄道員の監督は海千山千の小父さんのポチになるしかないだろう。

仕事をしながらこんなことも話題になる。しかしこれは必要なこと。無駄話のようにみえるが教育のようなものだ。現実を知らなければ、いざと言う時に自分たちの擁護者である小父さんを守ることもできない。それは生きる為の糧を失うことを意味する。

「いざと言う時とはなんだよ?」
「ガサ入れよー。俺たちは闇屋の片棒を担いでいるんだ。証拠となるものは全部隠さなければならない。警察が動けば、その筋の者から通報が来る。それからが俺たちの仕事だ。頑張ろーぜ。生活かかってるんだからな」
「誰が警察に知らせるんだ。金持ちも有力者もオヤジさんの味方だ。闇の牛肉がなければスキヤキも食えない。貧乏人は仕事が欲しいし安い煙草もないと困る」
「真面目でちょっとマシな貧乏人がやっかむんだよ。煙草も吸わないケチな奴よ」

大人たちの話を聞いて恐ろしくなった。警察に捕まるのだけは絶対に嫌だったので辞めてしまった。十歳の私は牢屋に入れられるよりはマシと考えた。子供は別な法律で保護されることを知ったのは、かなり後になってのことだ。あれほど欲しかった長靴も諦めた。とにかくこんな怖い場所には二度と来たくない。逃げ出したいと思った。

小父さんは私が仕事を辞めてからも親切だった。長靴もくれたし、面倒も見てくれた。もともと我家の窮状を見かねて母や私に仕事を与えてくれたのだ。女子供を使って儲けようという気持ちは全くない。彼は利益を度外視して貧しい人にも買える値段でタバコを売り、仕事を与えた。誤解がないように一言付け加えるが、当時のタバコは精神安定剤の様なもの。貧しい者にとって唯一の救い、安らぎの一服だった。

小父さんの主たる収入源は進駐軍専用列車内に放置された肉等の余剰物資、吸われないまま残されている新品同様のアメリカタバコ、それに忘れ物だった。私にくれた長靴もその一つと思う。因みに、私たちが住んでいた渋谷にはワシントンハイツと呼ばれる広大な米軍家族用居住区があった。列車内に子供用長靴があったとしても不思議ではない。

鴨々川の清掃も終わったようだが、仲間外れの私たちはベンチに座って話し続けた。
「苦労話は好きですか」
「嫌いだね」
「聞いてくれたじゃないですか」
「私も空襲で何もかも失い、焼け跡で空きっ腹を抱えていたからね」
「今まで話せなかったことを話せてすっきりしましたよ」
「そりゃあ好かったけど……」
「何を考えているのですか?」
「長靴はどうしようか?」
「地下鉄駅前に住んでいたら要りませんよ。川の清掃に来なければね」

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【2015/02/28 00:00】 | 照る日曇る日
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隣人
更新を楽しみにしてます。
QPさんの言動があまりにも私に似ているので、親しみがわきます。
特に冷蔵庫の残り物の話は我が家のことかと思いましたw



コメントありがとうございます。
PP
コメントありがとうございます。
小説モドキを後2回やったら、エッセイに戻りたいと思っています。
相変わらず苛められていますが、そろそろQPが懐かしくなって来ました。


名無しさん
小説というのは基本的にフィクションで、嘘なんですけど…
技術的にうまく作り上げても、それが読者に感銘を与えることもあまりありません。

書くことは案外、本当のことしか書けないんです。
自分の中にないものはなかなか書けないものです。
人に伝わるのは、やはり本当の言葉です。
それが書けるか書けていないかの違いじゃないかと思います。

気に入った部分です。
>私同様、年金暮らしの新住民のようだ。彼も長靴を履いていない。
>「東京から来たんだけど、北海道では長靴が必需品ですね」
>私も東京育ちなので話は弾んだ。
>昔が懐かしくなり隠していた事まで話してしまった。
>あの頃は、みんな貧乏でしたねぇ。
>当時のタバコは精神安定剤の様なもの。貧しい者にとって唯一の救い、安らぎの一服だった。

何気ないことばの中に真実味があり、読者を引き付ける小説の心の詩と感じました。



感想を有難うございました。
PP
とても為になる感想をありがとうございます。
小説を書く初歩の講座をちょっと覗いてみたら、難しくて手に負えないと思いました。
もちろん直ぐに辞めました。
確かに本当のことしか書けません。嘘を書くことが凄く難しいことが分かりました。
気に入った部分を書いて下さり有難うございました。とても励みになります。
老人になって始めたことですから、一人で書いて一人で読めばいいのですが、
他人様にも読んで欲しくなります。困ったものですね。
妻子は決して読みません(笑)。

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短足で腕まで短い冴えない男。おまけに頭も禿げている。こんな私でも退職後は自由を満喫して楽しく暮らしている。今日はネットで知り合ったシニア仲間と東北旅行だ。出発までの待ち時間を空港内でブラブラして過ごしていた。
相変わらず空は青く雲は白い、日本中どこに行っても同じ空。おまけに何処の空港も似たり寄ったりの造りだ。団体旅行だが、皆から離れて一人で散歩していた。
仙台空港も時流に乗ってタワーを建て替えたようだ。後になって分かったことだが、そう思ったのは私の錯覚だった。

およそ三十年前のことだが、サングラスをかけた長身の男が小型機から降りてきた。フライトジャケットに身を包み足早に歩く姿も格好いい。ここは北国市郊外に位置する北国空港。北海道では二番目の規模をもつ空港である。
「伊吹一郎です。北国空港航空管制官を命ぜられ着任しました」
「赴任地まで自分で操縦か。派手なことするなよ。田舎の人は僻みっぽいからな」
「はぁ、気を付けます」

忙しい空港で仕事ができることが管制官の誇りだが、38歳の伊吹は超繁忙の東京国際空港からやってきた。地元の管制官はそれなりの敬意をもって迎えようとしたのだが、歓迎会での一言が彼らを著しく傷つけた。
「そろそろ田舎でノンビリしようと思ってね」 
「何がノンビリだ、北国をなめるなよ」と心の中で言った。皆同じ思いだ。

突然の吹雪は空港を大混乱に陥らす。除雪のため一時的に閉鎖されれば、多数の着陸機がぐるぐる回りながら空中待機する。出発を待つ航空機が列をなす。それぞれが一秒でも早い管制指示を待ってうずうずしている。
この時のプレッシャーは経験しなければ分からない。着陸できない航空機が北国上空に集中すれば、思いもよらない複雑な状況が作られる。それが三次元の世界の恐ろしさだ。誰もが遭遇したことのない困難な事態に直面し、口が渇き脈拍が上がる。状況は千差万別で、積み重ねた経験でさえ役には立たない。

仕事はチームワークだから、感情を表すことは避けなければならない。管制官は常に淡々と仕事をこなしているように見えるが、一旦現場を離れれば心の中に渦巻いている不満が噴き出して来る。時には関係ないところまで飛び火する。伊吹はさっそく不満解消のターゲットにされた。

酒席での陰口は無責任でどこまで本当か分からない。「伊吹はケチだ。自宅のトイレを使わないで空港でする。水道代をケチるんだよ。トイレットペーパーも持ち帰って家で鼻をかんでいるぞ」「伊吹は小型機の操縦を教えて儲けている。国家公務員法違反だ」とかいろいろ言い立てるが全ては単なる噂。北国に来てからはそんな気配は全くない。

むしろ私には親切な人としか思えない。住んでいるアパートが一緒なので、いつも車に便乗させてくれた。運転は極めて慎重だった。確かに事業用操縦士と操縦教育証明を持っている。資格を生かして休日にはアマチュア訓練生の教官役をやっていたがボランティアだ。フライトが趣味の伊吹は無料で乗れるだけで満足していた。

だが、以前の職場での評判は良くなかった。休暇をまとめて取り、アメリカに行っては飛行訓練を受けた。事業用操縦士と操縦教育証明を取るために何回もアメリカに行った。若いときは生活をギリギリまで切り詰めて操縦訓練の費用を捻出しなければならなかったのだ。しかしそれは昔の話、今では所帯も持って普通に暮らしている。

ちょうどその頃、出張で仙台空港に近い航空保安大学校に行った。帰りがけに仙台タワーに寄ることにした。「仙台は忙しいぞ。行くんじゃなかった」と、自慢げに嘆いている友人がそこで働いているのだ。管制室に入ったが、やけに静かだ。
「ヒマだなぁ、これが狂ったように忙しい仙台空港かよ」
「今、事故が起きたのだ。機体は片付けたが、警察で捜査中よ。滑走路閉鎖中 だ」
小型機が着陸に失敗したらしい。

この事故で伊吹が命を落としたことを知ったのは、北国市に帰ってからである。新聞には乗員二名死亡と書かれていた。無口な奥さんの顔を思い出した。いつか彼がこんなことを言ったからだ。 
「金を貯めて女房にボタン屋をさせるのだ。ボタンは腐らないから素人でも出来る。あらゆるボタンをそろえて置けば、そこそこの商売になるのじゃないかな。そうすれば年金の足しまいになるだろう」。38歳にしては生活設計も慎重だ。スマートで慎重な伊吹が事故を起こすなんて信じられない思いだ。およそ30年前の出来事だった。

タワーを見ながら物思いにふけっていると、
シニア東北旅行の世話役さんに声をかけられた。
「あら、山田さんじゃない。こんな所で何しているの。もうじき出発ですよ」
出発? 東北旅行、仙台。私の脳はやっと現実と繋がった。千歳空港を歩いている内に起きた錯覚だった。空港には個性がない。千歳にいながら仙台に居ると思い込むほど個性がない。いずこも同じ青い空と白っぽい建物。

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【2015/02/14 00:00】 | 照る日曇る日
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小説など書けないのですが、自称「小説」ということにしました。それは極めて後ろ向きな理由によるものです。何もかも正直に書くのが難しくなりました。もう限界です。 そんな時、小説なら嘘を書いてもいいと聞き、救われたような気がしました。

勘違いかもしれませんが仕方ありません。私はスポーツも囲碁将棋麻雀その他、何も出来ることがないのです。遅まきながら老後の楽しみは書くことと決めました。書けても書けなくても一人でやるのですから差支えないと思いまして…。これも勘違いかも知れませんね。

暑いのは苦手なので東京以南への転勤は避けていました。しかし冷房の普及で世の中も変わったと考え福岡に行ってみたのです。住んでいたのは福岡市東区で、海ノ中道から 志賀島を含む地域です。定山渓が札幌市南区なのと似ていますね。

両方とも市街地を離れた観光地です。動物の生息環境に影響を及ぼさない為に照明を設備しない森中道路があっても当然ですね。動物を保護するために作った仕組みの中に、ヒトである私が知らずに入ってしまいました。とても怖かったですね。
これはホント。

実はその付近で野犬グループが列をなして歩いていたのを見たことがあるのです。見たのは海岸ですから、森には来ないかも知れませんが、墨を流したような漆黒の闇では悪いことばかり思い浮かびます。あとで考えると月夜って明るいのですね。

毎月第二及び第四土曜は「小説モドキ」の更新です。
次は24日です。よろしくお願い致します。

【2015/01/17 00:00】 | 照る日曇る日
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のん子
遅ればせながら、今年もよろしくお願い致します。

「夜明け」読ませて頂きました。
暗い夜道を自転車で走る所は、ドキドキしました。
御無事で良かったです(^^)

私もマンネリになって、と言うか愛国心に目覚めて?政治ネタが多くなって、反対派の人と喧嘩になりました(笑)
女はどうも感情が先に立つみたいで反省しきりです。

QPさんと政治談議とかは、されますか?

ありがとうございます
PP
「夜明け」読んでくださり有難うございます。
QPと話すのは殆ど食事時です。
その他は別行動になるのです。昔からそんな習慣です。
だから、「頂きます」で始まり「ごちそうさま」で終わり、
真ん中は大抵、「これ美味しいですね」とかです。
後はお互いの趣味を勝手に喋り、
お互いに聞いていても聞かなくてもフムフムと肯きます。
けっこう、楽しいですよ。

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「お父さん、来て見なさい。朝日がとても綺麗だよ」と言われても手が離せない。私は74歳、一歳年下のQPと二人暮らし。退職後は公園に面した見晴らしのよいマンションに転居した。

戸建てに住んでいた頃は、向かいの家が大き過ぎて何も見えなかった。そのせいか二人とも窓から風景を見るのが大好きだ。
「まだ暗いでしょう。朝日はまだですよ」と嫌々返事をする。
「ほら、地平線が明るくなって来たでしょ。もうじき夜明けだよ」

夜明けと聞いてドキドキするような怖い出来事を思い出してしまった。およそ20年前、札幌から福岡へ転勤のために転居した時のことである。仕事も住居も落ち着いた頃、自転車に乗って近くの景勝地に行くことにした。

「翌日は仕事だから日帰りにしましょう」
「日帰りなんて落ち着かないよ。5時半にホテルを出れば仕事に間に合うでしょう」
早起きには慣れているが朝帰りで仕事では楽ではない。それに絶対に遅れてはならない事情もある。しかしQPが一旦、泊まりと言ったからには逆らっても無駄だ。

新しい観光道路は歩道が広く坂も緩やかで自転車で走るのに快適だった。この辺りは国定公園なので紅葉も鮮やかで鳥のさえずりも聞こえてくる。のんびりと移り変わる風景に見とれていた。これが翌朝の大失敗に繋がるとは夢にも思わなかった。

「おはよう。素晴らしい景色だったね。楽しかったよ」
5時半出発で5時起きだ。それから仕事じゃ楽じゃない。だけど喜んでくれたから、まあいいかと思っていた。ところが辺りは真っ暗気。なんだか嫌な予感がする。この時刻になっても明けない夜が不気味だ。

「アンタ、真っ暗じゃない」。  そら来た! お日様が出ないのも私のせいか?
「5時半にホテルを出ようと言ったのは貴女でしょ」
「真っ暗だよ。そんなこと言うはずないじゃない。暗闇で自転車なんか嫌だよ」

都合の悪いことは全部忘れる人だから、いまさら「言った、言わない」を蒸し返してもどうにもならない。幸い国道の方は真昼の様に明るい。道路照明灯が歩道を煌々と照らしているのだ。立派な道路で良かったと思ったが、その光こそ私を苦難の道へと誘い込んだ張本人なのである。

あれれっ、前方が暗い? こんなに豪華な照明が突然途切れるなんて信じられない。一本道だから道を間違えるはずもない。一体どうしたことだろう。思わぬ展開に迷子になった子供のようにうろたえた 

「アンタ、真っ暗じゃない。どうするのよ」と言われても、困っているのは私の方だ。まだ走り出して5分もたっていない。ホテルに引き返して夜明けを待ちたいところだが、仕事があるのでそうも行かない。それから、1分もしないのに墨を流したような真っ暗な世界に入ってしまった。後ろから声が聞こえる。部下に命令するような冷たく事務的な声だ。

「私は引き返すよ。明るくなるまでホテルで待った方がいいからね。仕事に遅れないように気を付けて行くんだよ。冷蔵庫にご飯とおかずがあるからチンして食べなさい。 行きはよいよい帰りは怖いとはこのことだねぇ。 あ~ぁ、嫌になっちゃうよ」。 QPは、こんな捨て台詞まで残してホテルへと去って行った。

怖い目に遭うのは私ではないか。だから日帰りにしようと言ったのに、QPの「日帰りなんて落ち着かないよ」の一言でひっくり返されてしまった。貧乏くじを引かされるのは何時も私だ。迂闊にも札幌と福岡とでは1時間くらいの日の出時間差があることを忘れていた。

前照灯は足元だけしか照らさない。月も出ない真っ暗闇では先が全く見えないからスピードも出せない。一寸先も見えない暗闇の世界が、こんなに怖いとは知らなかった。無理にでもQPを連れてくれば好かった。ブツブツ文句を言われていれば恐怖感が紛れるだろう。未だに目の前は真っ暗だ。今は後ろを向いても光が見えない。恐ろしいほど静かだ。自転車に付けた発電機の発するモーター音だけが聞こえる。

ただ一つの望みは、この道を10分間も進めば必ず灯りのある場所に出るという確信である。しかし暗闇が続くと確信は揺らぎ不安が増してくる。こんな時は自分勝手なQPでも居ないよりはマシなのだが、今ごろはホテルで夜明けのコーヒーでも飲んでいることだろう。

過ぎてみれば10分程度だが、先が見えないということが、こんなに怖いとは知らなかった。10分が1時間以上とも感じる孤独と恐怖の暗黒世界である。怪しい動物が暗闇から突然襲ってくるような気もする。このような黒一色の世界でもがき喘いだことは、20年たった今でも忘れられない。

後で聞いた話だが国道の一部は動物の生息環境に影響を及ぼさない為に照明を設備しなかったそうだ。往路では絶景に気を取られていて全く気が付かなかったが、何らかの注意書きはあったと思う。

「福岡でのサイクリングをを思い出すね」と日の出を見ながらQPが言う。
「真っ暗闇の道路のことですか」と、新聞を読みながら生返事をする。
「あの時は寂しかったな」
「はあ?」
「もう忘れたの。アンタが私を置いて、さっさと行ってしまったでしょう。仕方がないからホテルで夜が明けるのを一人で待っていたんだよ。本当に冷たい人なんだから」

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【2015/01/10 00:00】 | 照る日曇る日
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freesia
QPさんとのやりとりは、何時読んでも面白いですね。
今年も楽しみにしています。

ありがとうございます
PP
freesia さん、コメントありがとうございます。
楽しんで書いていますが人様がどう思うかは分かりません。
面白いと言って頂ければ嬉しいですね。励みになります。。


tom66
明けましておめでとうございます。

ブログの再開を楽しみにしていました。
オリジナル小説、拝読しました。

>「自己満足の小説を書くのです」
短くても、嘘っぱちでいいのですから書いてください。
シニアはその開き直りで行き(生き)ましょう。

http://blogs.yahoo.co.jp/nisiho0261/16956343.html#16956343


ありがとうございます
PP
tom66さん、読んでくれて有難うございます。
嘘を書くのも難しいものだと思っています。
書いているう内にだんだん本当に近づいてしまいます。
それでも楽しみながら1ヶ月2回くらいのペースで更新するつもりです。

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明けましておめでとうございます。
2015年1月よりブログを再開します。
毎月第2及び第4土曜、月2回の更新。再開の第1回目は1月10日土曜です。
よろしくお願いいたします。

再開前に休み中の3ヶ月について一言……。
ある文化教室で「初歩の掌編小説」講座を受けてきました。
「ようこそ小説講座へ! 皆さんはエッセイを書いていますね。そして今、行き詰っているでしょう。それで当たり前です。普通の人が体験を書いても面白い事が次から次へと起こるはずはありません。短くてもいいから小説を書きましょう。嘘っぱちでいいのですから、いくらでも書けますよ」

先生の言葉を真に受けて「これだ!」と思い、道が開けたような気がしました。しかしこれが大間違い。嘘を書くことは本当のことを書くよりず~っと難しいことが分かりました。バカは死ななきゃ治らないと言いますが本当ですね。愚かな私でも何とかならないかと一生懸命考えています。

「それで……、何とかなるのか?」
「なりました! 自己満足の小説を書くのです」
「なるほど、そりゃ簡単だ。アホでも書ける」
「愚かな私だからこそ満足し、楽しめるのです」
「ナルホドそうかい。身の丈にあっている。 それで~、いったい誰が読むんだ」
「う~ん……」
「忙しいから早く言えよ」
「あなたです!」


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【2015/01/01 00:00】 | 照る日曇る日
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こまどり
「夜明け」読みましたよ。いつもですが、短編うまいですねー。
いつもQPが面白いです。QPがお利口さんだ面白くないんでしょね。
日常の、さりげないことが大好きです。
これからも楽しみにしております。

ありがたいコメントです
PP
過分なコメント有難うございます。
文化教室の掌編小説講座を受講してみました。
ずいぶん難しいもんだなと思い、書けないと思いました。
それでモドキとして登場です(笑)。
私は早くも脱落しました。他の人たちは次に進むようです。

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謎と思っていたことも分かってみれば、あまりにも単純なことで、読んでる皆さんがガッカリするのではないかと、今になって心配している。

AさんがBさんに話しているのを偶然耳にして謎が解けたのだ。10年間の疑問も一瞬の内に解けてしまった。言いたいことはいっぱいあるが、喉に刺さった小骨が取れたような気がしてスッキリした。

ところで、毎月1回、4人でカラオケを楽しんでいる。メンバーは世話役のAさんと彼女にに誘われた3人の男性。私が一番若いと言えばどんな雰囲気のグループか想像が付くだろう。12時にランチを食べて2時間歌い、合い間に雑談もする。

AさんがBさんと話しているのが私にも聞こえてきた。それで10年にわたる謎が解けたのだから不思議なことがあるものだ。一体なんであんなことを疑問に思っていたのだろう。悩んだ私がバカだった。

「貴方ね~、せっかくパソコンあるんだからインターネットやらなきゃだめだよ」
とAさんはBさんに言った。
「………」。Bさんの声は聞こえない。Aさんの声はよく通る。
「PPさんと知り合ったのだってインターネットをやっていたからだよ。人の輪も広がるんだから……」

ナニナニPP、私のこと? ここまでは好かったが、その後がアレレッ! だ。
「ホームページ(HP)作ったから、子供とか友達に知らせたのよ。喜んでくれたから毎月知らせたんだけどね。だんだん反応が減って、1年もたったら皆知らん振りなのよ。メンドクサイから止めちゃった」.。HPとはあの『ペラペラクラブ』に違いない。

よそ様どうしの話だから私が口を挟む余地はない。しかも、10年前のことにはイチャモンは付けられない。本人だって正確には覚えていないだろう。現にAさんがHPを作ったというのは少し違う。本人がそう思い込んでいるだけである。

AさんがHP作ろうと言うから、私は「やさしい英会話」教室のサイト「ペラペラクラブ」を開設した。大袈裟に言えばオフィシャル・サイトのつもりで取り組んでいた。

ところがAさんにとっては家族と友人に見せるためのもの。そんなことは全然聞いていない。10年たった今、初めて知ったことだ。遅まきながら消極的になってきたことも、突然席を替えたいと思った理由も、全て分かった。

なるほど、その為の席替えか。結局皆が一つずつ席をズラして空けてくれたので今までと同様Aさんの隣に座ることになった。しかもAさんは今までと同じ様に親しげだ。

表面的には何も変わらないのに、私は強引に割り込んだような気がして恥ずかしかった。そう思うとアチラコチラで話していることも私へ陰口のように思えて来るから嫌になる。

皆さんはHPに関しては全く無関心だから、ただ私が闇雲にAさんの横に座りたがっていると思ったに違いない。座ってしまった私は何も言うことが出来ない。しかも先生が教室にお入りになって授業も始まった。

ちょうどその頃、近所の公園のHP「公園パフェ」を開設したので、「ペラペラクラブ」の更新は私にとっては重荷だった。しかし、1ヶ月一度の更新はきちっと守るつもりでいた。ところがAさんは、HP作成に興味を失いつつあったことが今になって分かった。

そのことを深く隠して、やる気のあるフリをしていたのが気に入らない。当のAさんは目の前に居るのに10年たったらモンクも言えない。たとえ勇気を出して言ったところで何のことか理解できないだろう。つらいな~。

何も知らずに謎と思っていた方がましだった。こんな理不尽なことを黙っちゃ居られない。だから私はここに書き棄てる。私の心は狭いけれどネットは広いのだ。誰か「分かるわかるワカルヨー」とか言ってくれないかな~。

当初、Aさんが積極的だったのは家族・友人の反応が好かったからだ。それなのに私は「やさしい英会話」教室のイメージアップの為に、ボランティアとして頑張っている。何とか支えてやりたいと思っていた。

Aさんにしてみれば、最初は隣に座って居てHPの相談するのに便利だったが、興味がなくなると隣から「もうじき締め切り」とか、「これでいいですか?」とかいちいち聞かれるのが鬱陶しくなったのだ。

謎と思っていた出来事も10年後に分かってみれば極めて単純なことだ。先ず、Aさんのやる気がモリモリ出て頂点に達し、その頃は教室では隣に座ってと勧められ、バスに乗っても隣席を勧めらた。時には公園に呼び出されたりして次第に距離が近くなって行くような気がしていた。

そしてHPについてAさんの子供たちの関心が薄れるに従って、興味を失しない、それに比例するかのように距離が遠くなっていった。それが席取り事件に繋がったのだ。嫌なら嫌と言ってくれれば私は嫌な思いをしないですんだのだ。

私だってHP「公園パフェ」を開設して「ペラペラクラブ」は負担に思っていた。言いたくないけれど、Aさんの為にやっていたようなものだ。やりたくないのにやる気のあるフリをするほど迷惑なことはない。ズケズケ言う人なのに肝心なことは言わない。

しかしよく考えてみると、AさんもPPが一生懸命やっているから、止めようとは言い出せなかったのかも知れない。しかも「やさしい英会話」教室の皆さんは無関心。一体何ゆえのHP「ペラペラクラブ」ぞ。

一つだけハッキリしていることがある。私は「ペラペラクラブ」の開設がキッカケで、HP「公園パフェ」を開設した。そして11年も休まず更新し続け、今では生甲斐にもなっている。これもAさんのお陰かな? そう思いたくはないのだが…。

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【2014/08/16 00:00】 | 照る日曇る日
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のん子
ほんと、共同って難しいです。
人の興味の対象も変わって行くでしょうし。
始めは良いんですけどね。
これ、共同経営の会社でも同じことが起こって来るでしょうね。

うちの娘はバンド(音楽)グループ活動をしているんですが、どれだけ解散の憂き目に遭ったか。。。
音楽性の違いで上手く行かないのです。

Aさんの場合は異性と言うこともあり、意思の疎通が足りなかったんでしょうね。
でも彼女もやる気がなくなったなら、ハッキリと言うべきだったと思いますね。
良い子ぶって卑怯です!
同性ですが多いんですよ、こんな人。
私が代わりに謝っておきますm(__)m



一粒で二度美味しい
pp
仕事で毎日顔を合わせていてもお互いの思惑が違うことがあります。
1週間に1度しか顔を合わせることしかないのだから、
今、考えれば当然の成り行きです。
意思の疎通が足りないというか、無いというべきですね。
たとえ10年後でも事実がわかって好かったと思います。
のん子さんが、代わりに謝ってくれて、更にスッキリ。
昔「一粒で二度美味しい」とかCMがありましたが、
そんな心境です。


カスミ草
そうでしたか。
HP立ち上げはクラブの為ではなく、Aさんの心を満たすためのものだったんですね。

そのためにPPさんはいろんな犠牲を払われた。

それでも温厚なPPさんは、今でもAさんとカラオケを楽しんでいる。

私なら「人をバカにするのもいい加減にして!」と、サッサと彼女から離れて行きますね。

>私の心は狭いけれどネットは広いのだ。誰か「分かるわかるワカルヨー」とか言ってくれないかな~。・・・・・私には絶対分らない、PPさんの世界です。

でもAさんのお陰で11年も続けて来た、そしてこれからも続くであろう
生き甲斐を見つけられたのですから、結果オーライかな?


ありがたいコメントです
pp
私は人間が好きだから、人のことを書いています。
それほど好かれていないから人に対する片想いですね。
長所も欠点もあって人間と思っています。
はい、今でもカラオケ一緒に楽しんでいます。
個性の強い人には嫌な思いをさせられますが、
それ以上にいい思いもさせてくれます。
だけど悔しいから書くのです。私も複雑な人間です(笑)。
「分かる分かる」とはカスミ草さんにも言ってもらえませんが、
ありがたいコメントです。
結果オーらいだけど、Aさんに感謝する必要はないですね。
そうでしょう。違うかな?

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まったく世の中はままならない。事態は私が知らない方向にどんどん進んで行く。まるでハンドルのない車に乗っているみたいだ。走り出しても方向が定まらない。
♪オイラはしらねぇから車に聞いてくれ、ハハノンキダネー♪

実際にホームページ(HP)を作成しているのは私だから、どうしても、事実上の責任者であるAさんに相談したいことが出てくる。私には勝手に作って公開する度胸がない。どこかAさんのパワーを頼っているところがある。

当初はHP更新に関してはAさんが積極的で、私は引きずられているような感じだった。それが次第に消極的になって来た。それでも私が相談を持ちかけると、「はいはいどうぞ」と気軽に乗ってくれた。

その様な親しみある態度は全く変わらないのだが、だんだん捉まえにくくなって来たのだ。例えば、休憩時間は他の人と喋っている。教室が終われば、山の仲間と「この次はどこの山に行こう」とか相談をしている。

「それはねアンタとは話したくないと言うことだよ」
Aさんは家にも来たことがあるのでQPも面識がある。
「そんな筈ありません。嫌な顔一つしないのですから」
「バカだね~。逃げてるだけだよ」
「HPを1ヶ月に一度作ろうと約束したのですよ。嫌なら止めたと言えばすむことです。一人ではやらないと言うのが私の条件ですから」

不本意ながら山登りの相談が終わるのを待ってHP更新について話し合うことになってしまった。ところがその日は山登りの仲間と話しながら教室を出て行ってしまった。HPと一緒に私の存在も忘れ去られたようだ。寂しいな~。

仕方がない、家でページを作って次の週に更新ページを印刷して持って行こう。教室が始まる前に、休憩時間に話し合いをすることを伝えて置かなければならない。ともかく締め切りが迫っているのだ。

「やさしい英会話」教室は黒板を正面にしてコの字型に机を並べている。つまり、端から端まで繋がっているのだ。早く来た人から自由に座ればよいことになっている。私がAさんの横に座るのは、いつもそこが空いているからである。

教室に入ったら、私の席にBさんが座っている。そしてAさんから一番遠い席が空席になっている。1年間も隣に座っていたのに何の前触れもない席替えだった。意表を突かれて呆然とした。

席順は決まっているわけではないから仕方がない。とにかく、休憩時間に話し合う必要があることだけは伝えなければならない。締め切りが迫っているのである。

「締め切りと言ったてアンタが勝手に決めただけでしょ」
「二人で決めたのです」
「Aさんはやる気ないよ」
「そんなことありません。いつも前向きに話し合っています」

「だけど、なかなか捉まらないんでしょう」
「人気者だから忙しいのですよ」
「避けてるだけだよ。まだ分からないの。情けないねぇ」
「HPを止めたいと言えば私も止める。これも約束ですから逃げる必要はないのです」

「察してあげなきゃダメじゃない」
「テキパキ決める人です。察する余地はありません。止めたければそう言う筈です」
「分かった分かった、10年前のことなんかどうでもいいじゃない。しつっこいね~」
「言い訳したいことに締め切りはないのです」
「ワタシゃ聞きたくないからブログとやらに書けば…」

この件に関しては10年たって言い訳すべき材料が出てきたのだ。私自身「そうだったのか~」と、やっとAさんの気持ちが分かった。ヒントになったのは先日聞いたAさんの話。なぜその時話さないで10年もたって喋るのだ。まったくやりきれない。

その時話してくれれば私は無駄な努力をする必要もなかったし、誤解もされなかったし恥もかかなかった。Aさんだって逃げ回る必要がなかったのだ。

「動物に例えればAさんはトラで私はウサギです」
「Aさんってそんなに強いのかい」
「トラがウサギを恐れて逃げ回るなんて考えられないですよ」
「分かる分かるよ~」
「何がですか?」
「アンタってねぇ、メンドクサイんだよ。アタシだって逃げたいわ」

10年前の誤解を解くのは本当に難しい。たとえ新事実が出てきたとしても難しい。本人にとって重大なことも周囲の人にとっては些細なこと。覚えているはずがない。実際に聞いて見たら、その場に居た5人が覚えていないといった。
それでも私の言い訳は続く……。

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【2014/08/09 00:00】 | 照る日曇る日
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カスミ草

>私には勝手に作って公開する度胸がない。

女は愛嬌 男は度胸。
PPさん男でしょう!

Aさんが相談にのってくれないなら、「私一人の判断で公開します!」って、
啖呵をきれば胸がス~っとしたでしょうに。
でもそうできない事情があったのでしょうネ(きっと)

アタシだって逃げたいとQPさんに言われ、
仲間5人も覚えていないという事態に延々と言い訳を続ける、「その結末」とは。

どんな オチ が待っているのでしょう。
楽しみにしています。

最後までいい訳
pp
「こんな~ 酒場の片隅で~ 寝てるフリして泣くなんて~ 
男でしょ アナタは海の男でしょ♪」
昔はこんな歌がありました。映画「男はつらいよ」もヒットしていましたね。
このブログも、ささやかな啖呵をきるつもりで書いているのですよ(笑)。
ですからオチはありません。最後までいい訳で終わりそうです。


のん子
その頃は携帯はなかったのでしょうか?(^^ゞ
自宅の電話はあったんでしょうね?
何か理由があったにしても、約束は守るべきって思いますけどね。

私なら切れてるでしょう(笑)
HPをどうするつもりなのか、他の人が居ても、「ちょっと事務連絡の話がありますので」って強引に話に割り込みますが?

強引に座り込む結果に…
pp
10年前だから、携帯を持っている高齢者は少なかったです。
それに1週間に1回は会うのですから、
その時に片付けようと思えば片付くのです。
つまり片付ける意思があるかないかの問題ですが、
その辺にギャップがありました。
私もそのつもりで立っていたのですが行きがかり上、
話ではなく私自身が強引に座り込む結果になりました(笑)。

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皆様にとってはありふれた話と思うが、孤独で幸せ薄い私にとっては素晴らしい夢のようなエピソードを紹介したい。ある日のお昼過ぎに電話がかかってきた。
「私、分かる?」
「Aさんですか」
「今、貴方の公園のベンチに座っているの。来れない?」

公園は私の住居に隣接しているので急いで行ってみた。ほぼ中央の芝生の広場にベンチが並んでいる。その辺りを見渡したがAさんの姿は見えない。

一人でベンチに座ってタバコを吹かしている女性が居る。しかしAさんではないだろう。つば広の帽子を被りサングラスをかけ足を組んでいる。一瞬Aさんかなと思ったが彼女ならタバコは吸わない。

ここまで来て手ぶらでは帰れない。ダメで元々と思いながら近寄ってみると、なんとAさんではないか。
「私ねぇ、フランス映画みたいにタバコを吸いながらオトコを待ってみたかったのよ」

なるほど、芝居をしていたのか。そういえば昔観たフランス映画のワン・シーンに似ている。何をやっても役にはまる人だと感心した。相手役がヨボヨボで気の毒だが仕方がない。Aさんだって上から目線で扱える私だから堂々と芝居を打てるのだ。ともかく楽しく世間話ができ、少し親しくなったような気がして嬉しかった。

こんなこともあって、「やさしい英会話」教室では並んで座ることになった。ホームページ(HP)作成の相談があるので、その必要もあったし、誰からみても自然の流れだろうと思っていた。しかし、これも勘違い。

「アンタは木を見て森を見ないからダメなんだよ」とQP。
「そうかも知れませんね」
「その場の空気も読めなくちゃダメだよ」
「ダメな人と一緒に暮らして辛くないですか?」
「アタシは関係ないよ」

当時の私は初めてのHP「ペラペラクラブ」作成に挑戦し失敗し、勉強のため札幌シニアネット(SSN)に入りHP作成に再挑戦している最中だった。頭の中はHP作成のことでいっぱいだ。

ところが、教室の皆さんはどうかというと。インターネット環境がある人はAさんと私、そして先生が息子さんに見せてもらっているだけである。その他の人は見られないのだから興味がなくて当たり前。私は全力でHP作成に取り組んでいたので、こんな当たり前の事にも気がつかなかったのだ。

ともかく、Aさんは熱心に記事を集めてくれた。当然、HPにするための相談ごとも多くなる。Aさんだって必要性を感じて私に隣に座るように勧めたのだ。もちろん私に異存があるはずもない。そうするのが当然と考えていた。こうして、先生、Aさん、私の三人体制でHP作成を続けることになって1年経過した。

2年目になると、いつの間にか私一人で写真を撮り記事を書き、HPを作成をする様になってしまった。これはこれでいいけれど、最終的には編集長であるAさんに点検してもらう必要がある。

当初からの約束で、コンテンツ(内容)は編集長、HP作成はPPと言うことでやっている。相変わらず私は孤独な状態だから内容についてイチャモンをつけられたら対応できない。どうしてもAさんの力が必要なのだ。

一年もたつとAさんの点検もだいぶ雑になってきた。少し気がかりだが、私も慣れてきたので安心して任せられていると前向きに捉えることにした。しかしこれは間違いであることが後になって分かった。孤立していると情報不足に陥り、自分の側からの一方的な解釈しか出来なくなるのだ。

こうして、誤解が誤解を生み「私が強引にAさんの横に座る事件」に発展してしまったのだ。ある日、教室に入ると28人が座っていて一つの席が空いていた。Aさんに用事があったので、その席には座らずクルリと回って、Aさんの後ろに立った。

先生はまだ来ていない。私がいつも座っていた席にはBさんが座っていた。AさんとBさんはお喋りに夢中なので、その場に立って話が途切れるのを待っていた。ただそれだけの話なのに何故あのような「事件」になってしまったのだろう。私にはさっぱり分からない。

確かにその時は何も分からなかった。しばらくして皆さんがトンデモナイ誤解をしていることに気がつき、動揺して動けなくなった。私はそうゆうタイプなのだ。例えば車にぶつかりそうになった時、回避しないで立ち止まってしまう。

私が動かないので皆が動くことになってしまった。そして10年たってやっと真相にたどり着いた。意外と言えば意外だが、当然と言えば当然。ヒントは「家族」と言っても何のことかサッパリ分からないと思う。いい訳は本当に難しい。しかし始めた以上途中で止めたくもない。申し訳ないけれど続けます。

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【2014/08/02 00:00】 | 照る日曇る日
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のん子
うちの夫も弁解出来ないタイプですって言うか、大体が会話が少ないんですが。
私に多少の関係があることなら、代わりに弁解することもありますが、関係のないことなら放っておきます。
何事も人生経験です(^^ゞ

私は誤解されたらイヤな方なので、それまでに自分の味方を作っておきます。
何かあったら自分は勿論ですが、友達の力も最大限に駆使してことに当たりますよ(^^)/

そのAさん、此処をご覧になってますか?(汗)

10年後に分かった事実
pp
のん子さんの作戦はなかなかいいですね。孤独の私では真似はできませんが。
その時、まったく分からなかったことが、ご本人の話で誤解であることが判明したのです。
10年後の話で分かりました。今更言い訳しても関係者が読むはずないし、
内容も忘却の彼方です。
自分では勘違いが10年後に分かり、面白いと思いました。
Aさんはこのブログは読まないと信じています。
かれこれ12年の付き合いですがブログの話は一度も出たことがありません。


カスミ草
言い訳ですか・・・

私は言い訳するのは嫌いで、白黒つけてスッキリするのが好き。

でも人生、灰色が必要な時もありますよね。

白、黒、灰色の使い分け、難しいです。

語るに落ちる言い訳
pp
我ながらですが、言い訳好きはダメな人ですね。
カスミ草さんの様に白黒をハッキリする人の方が好きです。
恋に落ちるとか言いますが、語るに落ちる言い訳です。
好きだからするのでなく、陥ってしまうのです。
言い訳はこれでお仕舞いにします。
その分念入りにやるつもりです。ゴメン(笑)。

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2ヶ月間の試行錯誤の末、2003年4月1日、待望のホームページ(HP)が開設された。教室にパソコンは無いので、家で作って画面を印刷して持参した。「やさしい英会話」の先生はとても喜んでくれた。

「皆さん、ペラペラクラブのHPができました。いよいよ世界に向けて発信です」
と先生の言葉は相変わらず威勢がいい。一方私は初心者ですからお粗末ですがと、一応謙遜して見せたものの得意満面のさまを覆い隠すことができただろうか。

次の日は市内バス旅行。Aさんのご機嫌も好く、「ここに座りなさい」と隣の席を勧めてくれた。チョッと窮屈だが心地よいロマンスシート。
「キリマンジャロって知っている」
「知ってますよ。キリマンジャロの雪とか…」
「それは映画でしょ。私は登ったのよ。ゴールドの登頂証明書もらったよ」
「あのアフリカ最高峰のキリマンジャロですか!」
「シルバーは途中までの登頂。ゴールドは頂上。同じ証明書でも格が違うのよ」

象に乗って密林を超えベンガルトラの生息地にを行く話、標高5千メートルのエベレスト・トレッキング等、私の全く知らない世界の果てをこともなげに話してくれた。最後にホームページ有難うと言われ、とても嬉しかった。

後になって考えてみれば得意になって喜んだのはホンの一瞬だった。もともと得意なものなど何もない。ストンと落とされても元の位置に戻るだけの話。いつだってそうなのだ。慣れているはずだが今回だけは、なぜか哀しい。

次の英語の日に、Aさんが「HPを見せたら、こんなメールをもらっちゃた」と印刷されたメールを見せてくれた。「こんな酷いHPは見たことない」とあり、具体例が幾つも示されていた。IT(情報技術)関係に勤めている息子さんから母君へのメールは、容赦ない酷評の羅列で溢れていた。遠慮の無い母子間のメールは私の心をズタズタに切り裂いた。

パソコンを一人でやって来た私にとって、何とか動けば成功。しかし、それでは世間に通用しない。指摘されたことは、一つひとつ思い当たることばかりだ。元々なにも分からない中で追っ付け仕事的にやっていただけ。そして何とか動いた。それだけの話。パソコンなど何も知らない人の中でしか通用しないママゴトの様なものだった。

「テレビで観たんだけど、シニアネットと言うパソコンを勉強している団体があるんだって。アンタも行ってみない」とQPが言った。

別に私の窮状を察しての話ではない。もう少し、私の居ない時間を増やしたいだけだ。 しかし私は、これだっ! と思った。まさにタイミングのいい救いの神の出現だ。さっそく「札幌シニアネット(SSN)」で検索し、SSNHPにアクセス。そして入会した。

SSNに入ると迷わずホームページクラブに入った。言うまでもなくHP「ぺらぺらクラブ」のリニューアルのためである。入会目的はHP作成の勉強。一生懸命学んだ結果、Aさんもご子息が「好くなったね」と言ってくれたと喜んでいた。もちろん私は大喜び。人生の晩年になって、ようやく木漏れ日のような明るさが射して来たたような気がしたのだが…。

このままで済むはずはない。一見静かな空気の中で誤解の芽はすくすくと育っていたのだ。だから世の中ままならない。今の私の立場なら、恥ずかしいという感覚さえなくせば楽にノンビリ生きられるのだが、なかなか思い切れない。

誤解は誰の心の中で育っているのだろうか。皆さんか、Aさんか、はたまた私か?

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【2014/07/26 00:00】 | 照る日曇る日
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鬼藤千春の小説
「鬼藤千春の小説」のブログへ訪問いただきまして、有り難うございます。今後ともよろしくお願い致します。

どういたしまして
pp
どういたしまして。
前向きで好感のもてる小説と感じました。
これからも頑張ってください。


カスミ草
Aさんの息子さんの酷評にメゲズ、SSNなる会を知るや迷わず入会、
即ホームページクラブで勉強するなんぞ、PPさんの向上心は天晴れですね。

結果「木漏れ日のような明るさ」が射して、良かったですね。

「静かな空気の中でスクスク育つ誤解の芽」とは何ぞや?
no4はどんな展開となるのでしょう。

一生懸命が好きです
pp
やはり、自分のやりたい事を一生懸命やるといいですね。
批判されても、それを力に替えることが出来るのです。
PPを褒めてくれて有難う。フィクションですから立ち直りも早いのです。
私はぜんぜんダメですよ(笑)。

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愚痴を聞いてもらおうと思うならコーヒーの一杯も奢るべきだろう。その点ネットはいい、無料で言いたい放題だ。しかし誰も読まないかも知れない。空に向かって空砲を撃っているようなものだな。空しいといえば空しい。

ことの顛末は後で話すこととして、私は悔しくて悔しくて仕方がなかった。この誤解を何とかして解きたい。それには「ある人」との出会いから語らなければならない。これを書かなければ完璧な言い訳にならないのだ。辛いな~。

ある人の名はAさん、同年輩だが育った環境は全く違うから話していて面白い。例えば車の話。20歳で運転免許取って外車を買ってもらい、ドライブを楽しんでいたそうだ。1950年代だから日本製の乗用車など売ってない。免許はトラック助手などが仕事をする為に取る時代だった。

「ハタチの女学生が何で免許が要るんだなんてね。男なんて心が狭いね~」
「昔から頑張りやなんですね」
「昔ってなによ!」
「凄いな~って、感動したのです」
言葉って難しいものだ。気をつかって話していているつもりでも反発を食らう。

「最初はフォードを買ったんだけど、道が狭くて通れないのよ」
「確か、貴女の故郷は千年の古都。趣のある道も多いですね」
「ヒルマンの小型車に替えて、神戸とか琵琶湖にドライブしたの」
「あの時代に自家用車とはゴージャスですね」
「それより凄いのが私。女性ドライバー誕生とか新聞に出たよ」

再び現在に戻るがAさんとはおよそ12年前、老人福祉センターの「やさしい英会話」教室で出会った。受講者は30人くらいだが、インターネットをやっているのはAさんと私しか居ないようだった。

Aさんにペラペラクラブのホームページ(HP)を作ろうと持ち掛けられて賛成した。別に自信があったわけではない。それどころかHPなんか作ったこともない。「何とかなるさ」と思っただけだ。ところでペラペラクラブとは「やさしい英会話」の通称である。

もちろんAさんだって何も知らない。私を当てにしていたのだろう。賛成したから出来るはずと思ったらしい。さっそくAさんは教室で呼びかけた。

「皆さん、ペラペラクラブのHPを作ることにしました。ご協力お願いします」
「………」
皆さんは肯いたような、そうでもない様なよく分からない反応。
「分かりましたか~」
「………」
「記事が集まったら、PPさんがホームページにしてくれます」
アレレ? 一緒に勉強しようという話なのに、直ぐにでも出来る話になっている。
「………」
静かに肯いている。損にも得にもならない話と理解し、とりあえず肯いたのだろう。

こうしてペラペラクラブのホームページ作成が危なげにスタートした。一緒に勉強しようと言っていたAさんは全く勉強をしない。結局Aさんが記事を集め私がページを作るハメになってしまった。それでも何とかなるさと思っていた。

しかし嫌々やっている訳ではない。一つのグループに所属していれば、一人ぼっちは楽じゃない。その中で一定の役割を果たすことができることは良いことだ。居場所ができたような気がしてホッとした。

HP作成を二人でやっているのだから、当然調整しなければならないことが山ほどある。いつの間にかAさんと二人で、教室の片隅でで話し合うことが多くなった。これが皆さんの誤解を生み出す第一楽章になるとは夢にも思わなかった。

私は孤立しているから情報が入らない。皆さんも私に無関心だから、私に関する情報はもっていない。こんな状況の中ではどんな誤解が生じても不思議ではない。AさんとはHPをどう作るか話し合っているだけだ。

相変わらず私は一人で浮いている存在だ。私の思惑に反してAさんとの交流も横には広がらなかった。考えて見れがHP作成に興味のある人が居ないのだから人の輪が広がる筈がない。

「もう10ヶ月もたったから三日坊主じゃないですよね」
「約束だから止めたらダメ!」と、QPは相変わらず厳しい。
「行ったフリして図書館でも行くかな…」
「それでもいいよ」。 アレレ、なんで急に変わるの。
「はぁ? 人の輪に入りなさい。孤独はいけないと言ってたでしょう」
「どうでもいいよ」
「人と交わらないとボケるとも言ってたじゃない」
「出かけてくれればいいの。アンタが居たら休んでる気がしないんだよ。分かった!」

春じゃない。 まさに人生の秋なのに誤解の芽だけは順調に伸びていく。

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【2014/07/19 00:00】 | 照る日曇る日
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カスミ草
PPさんの膨大な量のホームページ「中島パフェ」の基は、
若かりし頃の凄いお嬢様との関わりがあったればこそ・・・だったんですね。

そんな素敵なお嬢様と噂をたてられたら、
世の男性は有頂天になるものとばかり思っていましたが、
PPさんは違ったんですか?

疑惑を晴らす
pp
9ヶ月間、教室の片隅で一人でダンマリは、けっこうキツイものです。
HPでも何でもいいから話しかけてくれる人はあり難い人です。
カスミ草さんが思っているように話ならいいのですが、完全な誤解です。
3年前なら、このことに触れるのも嫌だったのですが、10年たった今は大丈夫。
やっと誤解を解くと言うか、疑惑を晴らす時が来たのです。
「言い訳に締め切りはない!」と言いたいですね(笑)。


のん子
何でも共同作業って大変です。
ブログは簡単ですが、HPでのゴタゴタは私もイヤほど・・・。
私より先にpc購入された方が、ご自分のHPを完成。
自信が出来たのか親切からか、友達のHPも作り出したんです。
それって、その人の支部みたいなHPって解かります?(^^ゞ
自分の好のみが全然反映されなくて、とうとう衝突、絶交状態が続いています(笑)

公のHPなら、自分の色は出せない覚悟は必要でしょうね。

共同はしんどいです
pp
ブログはもちろん、ホームページも一人でやるものですね。
共同はしんどいです。それに思惑もそれぞれ違うのです。
絶交状態も何となく気持ち分かります。
のん子さん、ご指摘のように自分の色を出してこそのHPです。
「やさしい英会話」教室のですから、あえて公私に分ければ公です。
ところが、後で考えれば私、私、私、私でした(笑)。


鬼藤千春の小説
はじめまして!あるブログを拝見していたら、このブログに出会いました。私もブログを開設しています。「鬼藤千春の小説」で検索できます。一度訪問してみて下さい。

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およそ10年前のことだが、私にとっては人格を全否定されるような大事件が起こった。しかし周りの人たちは、極めて些細な出来事として無視しようとした。本当に取るに足りないことなら、それでいいのだが絶対に誤解していると思う。

皆さんは私が余りにも哀れ、あるいは滑稽だから気が付かないフリをした。そして忘れたフリをしているのだ。善意のつもりかも知れないが、私にとっては迷惑千万。小さな親切大きなお世話とは、まさにこのことだ!

誤解されるような行動をしたのは私だが、それには深い訳があった。 と言うか単に礼儀作法上良かれと思ってしたことだ。しかし、知らないフリをされたら言い訳をするチャンスさえない。つまり誤解されっぱなしだ。

不運なことに私の行為は、皆さんの腹の中にクスクス笑える陰口の種として納まってしまったのだ。人の陰口より面白いものはないそうだ。しかも意外性があればあるほど面白いと言うではないか。例えばモテない男が美人に惚れたとか…。

「私は当たり前のことをしただけです。完璧な誤解ですよ」
「そう思ったらちゃんと言えばいいでしょう」と、QPはにべもない。
「『やさしい英会話』教室でのことですよ。28人全員に言える訳ないでしょう」
「関係のある人だけに話せばいいでしょ」
「全部関係者です。なにしろ授業開始を妨げたのですから」
「そりゃあ、目立ちすぎちゃったね。ウッフッフー」
「笑い事じゃあないですよ。いつも静かにしているのに、勘違いされて目立っちゃうのですから全く嫌になります」

実際には私は何もしていないし何も言っていない。後で考えればそれが誤解を与える最大の原因だ。教室に入ると28人が座っていて一つの席が空いていた。ある人に用事があったので、その席には座らずクルリと回って、その人の後ろに立った。

「ある人って誰よ」
「それが簡単には言えないのです」
「言いたくなければいいんだよ。別に興味もないんだから」
「困ったことに、ある人の説明をキチンとできないと誤解は解けないのです」
「誤解もろっかいもないよ。第一アタシには関係ない!」

「15分程度、時間をください」
「どうしても喋りたいの?」
「お願いですから聞いてください」
「はいはい、15分なら1500円でいいよ」
「何ですか? それ」
「時は金なりというでしょ」

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【2014/07/12 00:00】 | 照る日曇る日
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カスミ草
この文中とはあまり関係のない事ですが、
意外性という面では「モテない男が美人に惚れた」より
その逆(美人がモテない男に惚れた)のほうが、
もっと意外性に富んでいますよ。
ゴメンナサイ、PPさんの考えにケチを付けたかも<(_ _)>

パートで働く人の賃金、駐車場料金、幼児の一時預かりetc・・・
確かに「時は金なり」ですね。

直接金銭に関係はないけれど、
この一瞬一瞬を有意義に生きて行きたいですね。

複雑な事情がありまして
pp
>意外性という面では「モテない男が美人に惚れた」より
>その逆(美人がモテない男に惚れた)のほうが、
>もっと意外性に富んでいますよ。

フムフム、ナルホド。さすがです。
(美人がモテない男に惚れた)ほうが絶対にいいです。
インパクトもあるし意外性もあります。
替えたいのは山々ですが我慢します。
実はいろいろ複雑な事情がありまして……。
マサルもヒサシも吉川も祐ちゃんも木佐貫さんもどうしたのでしょうか?


のん子
15分で¥1,500って、めっちゃ美味しいです~。
私なら喜んで、あること、ない事?喋っちゃいますよ(笑)

女性は「此処だけの話」で1~2日で全員に広める自信はあります♪

思い切って1515円!
pp
のん子さん、ありがとうございます。
「此処だけの話」で1~2日で全員に広めるなんて素晴らしい力ですね。
28人の誤解を素早く解いてくれるなんて1500円では安すぎます。
思い切って、一割増し!
1515円上げちゃいます。
計算は苦手ですから細かいミスは許してください。

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私が今は幸せと思うのは退職直後の自分自身と比べての話。在職中と比べても意味がない置かれている立場が全く違うのだから。まして他人様と比較など不可能だ。頭も心も別々なんだからどうにもならない。ヒトとネコを比べるようなものだ。

「時々昔のことを思い出して幸せをかみしめています」
「そりゃ好かったね。あたしゃ、ストレスでいっぱいだよ」
「困りましたね。どうしたんですか?」
「アンタがストレス。何にもしないでメシだけ食ってさ。あ~あっ、ストレス溜まるな~」
「そうなんですか。私ガンバリます。何でも言い付けてください」
「いいよ。メンドクサイから」
今日のガス抜きも簡単に終了。”幸せだな~、僕は君と居るときが一番幸せだよ”

再び昔に戻るが、大勢の中で一人浮いている状態は楽じゃない。相談できる仲間が居る人にとっては何でもないことでも、浮いている私にとっては重大問題。悩みの種などそこらじゅうに転がっているのだ。

こんな苦労までして「やさしい英会話」にしがみつくのには訳がある。 今まで参加したサークルは幾つもあるが、すべて三日以内に止めている。今度ばかりは1年は続けようと固く誓ったのだ。言いたくないがQPに誓わされたのである。

誓ったからと言って三日坊主のときと状況が変わった訳ではない。相変わらず孤独で浮いている。苦労があっても辞められなくなっただけである。シンドイなあ。

「半年もたったから友達もできたでしょう」とQP。
「いいえ、まだです」
「アンタ暗いからねぇ」
「私じゃなくて周りが真っ暗です」
「そうやって何でも周りのせいにするからダメなんだよ」

話し相手が居ないから寂しいのは仕方ないが、情報がまったく入らないのは恐ろしい。闇夜を一人で歩いているようなものだ。何に躓くか分からないので何時もビクビクしている。

音楽祭には私だけが暗闇の中を手探りで参加する。同じ舞台で、未知の人たちと声を合わせて歌うのだから怖い。失敗して袋叩きに遭うに決まっている。他人は怖い。

仮病を使って休むという手もある。しかし、そんなこと私には出来ない。仮病を使ったら、いつかそれがバレル日が来るだろう。それが怖いのだ。それに本当に弱い人は、弱いことを隠して置きたいものだ。仮病などもっての外である。

恐れていたクリスマス音楽祭の日がやってきた。意外なことに、ほとんどの方々が、歌うときも観るときも、楽しそうに生き生きしている。しかし、考えてみれば当然だ。仕事じゃないから嫌な人は来ていない。例外は私一人だろうか? 

ところで、ステージに上がってみると恥ずかしい気持ちもどこかに吹っ飛んでしまった。こっちの方がよっぽど不思議だ。あれほど恥ずかしがっていたのに何故? 
気分なんていい加減なものだ。パソコンの部品みたいに交換可能だったのだ。

クリスマス音楽祭には、4年で4回参加した。「英会話」といっても年末の音楽祭に備えて半分くらいは歌の練習だ。ただ歌うだけで特別な指導があるわけでない。だから4年間も続けられたのだと思う。

隣でAさんが、きれいな声で歌っているのが聞こえる。聞き耳を立てながら、小さな声で合わせるように歌ってみるとなかなか気分がいい。こんなことを4年間も続けてきた。徐々に皆が仲間のような気がしてきてビクビクしなくなった。

ある日、Aさんがカラオケに誘ってくれた。Aさん達は私の「カラオケ禁止事件」を知っている。不本意とは思うがが、4年も一緒に同じ歌を歌ってきた仲だ。長い付き合いなので、下手もオンチも承知のはずだ。その上でのお誘いなので喜んで応じた。

「Aさんって、親切な人だね」とQP。
「そうでもないですよ。ご自分の都合と思います」
「素直じゃないね~。そんなこと言ってるから友達できないんだよ」
「カラオケの練習したいけど、一人じゃ行きたくないんだって」
「アンタらと一緒じゃあ練習どころか下手になるだけでしょ」
「上から目線の方ですから私たちの影響など受け付けません」
「そんな人と一緒で楽しいの?」
「楽しいですよ。ウチに居るときと一緒です。貴女だって上から目線でしょ」

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【2014/06/28 00:00】 | 照る日曇る日
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結局は楽しい舞台だったのですね
カスミ草
蝶ネクタイが嫌、舞台に上がるのが恥ずかしいと言いつつ、
4年間も歌ったんですか。

4年も舞台に立つと、初めの頃の抵抗が信じられないくらい堂々と、
楽しく歌えたのではないでしょうか。

笑っちゃ悪いと思いつつ、最終行の会話
「楽しいですよ。ウチに居るときと一緒です。貴女だって上から目線でしょ」
には、吹き出しちゃいました。
(QPさん、ごめんなさい)

それなりに楽しんでいました
pp
カスミ草さん、こんばんは。
堂々とはしていませんが、それなりに楽しんでいました。
今ではそれも過去のこと、かれこれ8年もたちました。
今はカルチャーショックもなくなりドップリと高齢社会に馴染んでいます。
「笑っちゃいました」か。有り難うございます。
正直に言うと笑って欲しくて書いています。



のん子
理由、経過は何であれ、同じ会に長期間居られる方は尊敬に値します。
どの集団でも、いろいろあるもので、時には反対主張もし、妥協も必要です。
寛容心も忍耐力も求められます。

うちの老人会もいろいろあるのですが、私も立派な一員?になっています。
(人からは何と言われてるか知りませんが^^)

我ながら長持ちしたものです
pp
「やさしい英会話」時代を含めると12年目のお付き合いになります。
我ながら長持ちしたものです。一部のメンバーで辞めた後も会おう
と言うことになったのですが、10人の内2名が何となく来なくなり、
1名が亡くなって7名になり5年くらいになります。
もう誰か倒れるまで減る気配はないですよ。
人の運命は分からないもので、亡くなった方は一番元気な男性でした。

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退職しても悩みは尽きない。大きな悩みが無くなれば、小さな悩みが、今度はオレの番だとばかりに首をもたげて来る。何でこんなことに悩まなければならないのだ。悩みの質が低下している。こんな小さなことで悩む自分が情けない。

「12月25日はクリスマス音楽祭です。男性は黒いスーツに蝶ネクタイをして下さい」と、先生は言った。ここは高齢者対象の「やさしい英会話」教室。市内に5つある教室が1年に1回、合同で大ホールを借りきってイベントよやろうと張り切っている。

退職後最大の試練に遭遇して愕然とした。いい年して蝶ネクタイで舞台に立って歌うなんて恥ずかしい。穴があったら入りたいよ。

「どうしてもやらなければならないのなら、私の為に穴を一つ用意して欲しいですよ」
「相変わらず自分さえ好ければいいんだね」と、QPは厳しい。
「いったい誰のための音楽祭でしょうか」
「そりゃ、アンタがた暇人のためでしょう」
「私は嫌ですよ」

「行かなきゃダメだよ。アンタは完璧なヒマ人なんだからね」
「やることがいっぱいあるのですよ」
「やらなきゃならないこと一つもないじゃない!」
「暇つぶしなら好きな事をやらせてください」
「ダメ! 好きな事だけやったから偏屈になったんでしょ。絶対だめ」

毎年開いているそうだが、私にとっては初めての音楽祭だ。正直言って、これはエライことになったと思った。小学校の学芸会以来、舞台など上がったことがないのだ。 1回だけ上がったが口パクだ。先生が声を出さずに口だけ開けろと言うのだ。

蝶ネクタイまでするのだからやりきれない気持だ。普通なら教室の片隅で大人しくしているところだが、こんな理不尽な要求を突きつけられて、黙ってはいられない。間髪入れず異議を唱えた。

「蝶ネクタイは持っていませんが…」。気の小さい私にしては精一杯の抵抗だ。
「ご心配いりません。百円ショップで売ってます」と、軽くかわされてしまった。

この教室には分別のありそうなシニアが28人もいる。私が口火を切りさえすれば、「嫌だ。嫌よ」の大合唱が始まると期待したのだが、予想もできない反応に驚いた。

「一人ひとり買いに行くのも能がないので、私が取りまとめて買ってきましょう」と仰る方まで現れた。これも確かに分別だ。それだけではない。事態は私の思惑に反する方向に、どんどん進んで行った。

「先生、女性は白いブラウスに黒のスカートがいいと思いますが…」
「胸に赤いバラをつけるのはどうでしょうか」
「男性もつけてもいいですか?」

一体どうしたことだ! ここでは私の所属していた社会とはまったく違う常識が支配している。変わらなければならないのは私なのだろうか?

(続きは次週)

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【2014/06/21 00:00】 | 照る日曇る日
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シニアの蝶ネクタイ姿、ステキですよ。
カスミ草
PPさん、蝶ネクタイするのに年齢なんて関係ないと思いますよ。
しかもPPさんはこの事態を「退職後最大の試練」と仰る。
試練の意味、本当に分かっていらっしゃる?PPさん!!
(ご無礼な発言、お許しを)

精一杯の抵抗も百円ショップに負けてしまって、ショックだったでしょう。
でも何だか可愛いくて、クスッ・・・

次週を楽しみに待っています。

舞台にもいろいろあるんですね
pp
世間様に申し訳ないけれど、正真正銘の「退職後最大の試練」です。
今の私に悩みなどまったく無いのでsu。.蝶ネクタイはともかく、
舞台に上って人前で歌うなんて絶え難い試練ですよ。
結局、舞台にもいろいろあることが分かりまして、何で悩んでいたんだろう?
と言うことになりましたが、終わってみないと分からないものですね。
笑っている場合ではないですよ。穴は奥が深くて、不可解なものです(笑)。


カスミ草
二度目の登場、お目障りでしょうがお許しください。

穴に入りたい理由は、蝶ネクタイより舞台で歌う事のほうが主だったのですね。

私の読解力不足を証明したようで、こちらこそ
「穴があったらはいりたい」気持ちになりました。







穴に入るの止めましょう
pp
「同じ穴の狢(ムジナ)」じゃ不味いし、穴が二つ要るかと思ったら、
「人を呪わば穴二つ」では余計わるいですね。
お互い穴に入るのはやめましょう。青空の下で明るく生きましょうね。


のん子
英会話教室で歌ですか?
28人いらっしゃるんでしたら斉唱でしょうか?
多分2列位で並ぶんでしょうし、後列の端をgetすれば、そんなに目立たないかと?

お客さんも身内みたいなものでしょうし(^^ゞそんなに真剣にならなくても、お遊び感覚で良いのでは?

大体、何処のクラブでも発表会めいたものはありますよ。
どうしてもお嫌なら当日、病気でドタキャンも有りでしょうが、何でも経験と思って楽しんで下さいませ。
案ずるよりも産むが易しとか?(^^)/



笑い話のつもりでした
pp
のん子さん、今考えると何でもないことなんですが、
当時は相当なカルチャーショックがありました。
周りは知らない人ばかりで身内と思える人は一人もいません。
住む世界がまったく違ってしまったのです。
働いて居た時の社会と退職後の社会はまったく違って、
後から考えると、笑っちゃうのです。
笑い話として書いたつもりでした。


空見
こんにちは~(=^・^=)
ははぁ、自分が常識と思っていることが、他人には常識じゃなかったんですね^^;
要するに単なる思い込みなんですが、私もそんなこと多々あります。皆がいかにも嫌そうな顔で「いやねぇ・・」なんて言う場合、私は面白いと思っていますから、皆のそんな様子が逆に分らないんです。あんたは病気だと言われれば、ちょっと反論できませんが・・。
俳句の先生で藤田湘子という方が、「俳句を提出する段になって、やたら緊張するのは、実力以上に皆に褒められたいと思うためで、それはよくよく欲が深いからだ」と、本に書いていました。なるほどなぁ、と思いましたよ。
もしとんでもなく不出来なら、他人もろとも自分も一緒に笑えばいいのか。うんうん、そうだね、ただそうは言ってもですね、なまら「緊張感」という敵はなかなか去ってはくれませんけども。


なんじゃこれっ!
pp
空見さん、こんばんは~。
退職してはじめて老人福祉センターに行ったときは
驚くことがいろいろありました。
今になってみれば何ともないことですが、文化の違いですね。
それまでの世界では舞台に立って歌う人は
誰が見ても上手な人に決まっています。
下手な私が蝶ネクタイとか一人前の格好して舞台に上がるなど論外です。
今考えると可笑しいですが、ホントに悩みましたね。
まったく「なんじゃこれっ!」っていう感じですよ。

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体力も精神力も年を重ねるごとに弱ってきたが心配は要らない。それに反比例したかのように鈍感力が順調に育っているのだ。最近は書いては恥を書き、歌っても恥をかく。しかし、「それがどうした」という気分だ。鈍感力よ有難う。

ところで、永遠の初心者三人のカラオケは、まだ続いている。気楽で楽しいから終わりそうもない。メンバーは4人になったが、「下手の横好き」であることに変わりはない。そう思っているのは私だけかも知れない。オンチだから上手下手も分からない。

「いつまでも迷ってないで、さっさと曲選んで…、あんたが先よ。一番若いんだから」。そうなのだ、ここでは私が一番若い。こうして月1回のカラオケは続いている。4人で3時間、休み無しの4交替である。歌の話も拍手もない。もちろん進歩もない。

考えてみれば、私は歌を禁じられていた身だ。酔っ払いのたわ言だから理屈もへったくれもない。ただ「お前は歌うな」の一点張りで禁止されてしまった。ことの起こりは、およそ30年前、場末のキャバレー風大型飲み屋。酔いがまわった頃、誰が言うでもなく交替で歌おうということになった。

カラオケなどやったことが無いので「嫌だ」といったら、お節介なのが出て来て「俺が一緒に歌ってやろう」とか言って、私の腕をグイグイ引っ張って無理やり舞台に上げられた。ところが歌い始めると気が変わり、どんな風に歌ったか覚えてはいないが、3番まで気持ちよく歌ってしまった。これが後で問題になるとは夢にも思わなかった。

それから、およそ半年後、同僚3人で飲んでいたら、酔っ払った一人が絡んできた。
「お前はなぁ~、下手なくせになんで歌うんだ!」
「順番だから歌えと言うから、仕方なく…」
「お前はなっ! 歌えと言われても歌ったらダメなんだ」

首を振るな、傾げるな、声震わせるな、腰くねらすな、気分出すな、その他もろもろ、よくもこんなに覚えていたものだ。私は呆気にとられて何もいえない。自分の姿は見えないし歌も聞こえてこなかったのだ。私は何も知らない。多分人違いだろう。

酔っ払っているから、同じことをなんども繰り返えす。家に帰ったら午前2時を回っていた。絡んだ同僚はカラオケが得意でで、私の熱唱?を許せなかったのだろう。酔って自分を失って無意識に出てきた言葉が「お前は歌うな」だ。世の中でこれほど真実な叫びはない。以後、私は30年間人前で歌ったことがない。

「禁止されたのに、どうして歌い始めたのだ」
「ひょんなことで人前で歌うことになりまして…」
「ひょんなとこってドンナとこ」
「SSN(札幌シニアネット)のカラオケですよ」
「みんな優しいからね」

「優しさだけでは立ち直れません。なにしろ苦節30年です」
「それからどうした」
「鈍感力使いましたよ。鈍感パワーもね」
「力とパワーとどこが違うんだ」
「まあ、難しいことは抜きにして楽しみましょう」
「なるほど、それが鈍感力というものか」

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【2014/06/14 00:00】 | 照る日曇る日
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鈍感力≒老人力?
カスミ草
鈍感力とは少し違うかもしれませんが、歳を重ねてもあまり気にならない事が
あります。

女性は殆どの人が、朝と夜洗顔をします。
顔を上げるといやでも目の前の鏡に、自分の顔が。

そのような状況の時は勿論メガネなどしていません。
それで素直に「アラ、私って以外と皺、シミが少ないのね」なんて
気分を良くしてルンルン気分(^o^)。

出かける前お化粧して、メガネを掛けチェックすると9360
ルンルン気分は一気に吹っ飛ぶのですがね・・・

でも寝る前に多少でも気持ち良くさせてくれる老人力、
まったく無駄とは言いきれないような~。


カスミ草
ごめんなさい。

コメント中の数字 「9360」 はコメントとは全く無関係です。


謎の9360
pp
謎の9360と思い、この謎を何とか解こうと考えたりしていました。
老人力は 赤瀬川原平氏でしたね。加齢による衰えを、
肯定的に捕らえる言葉だそうですね。
鈍感力はある所に、こんな風に書いてありました。
「敏感に周りに反応した後、その情報が今の自分に必要かどうかを
検討して不必要と思ったらバッサリ切り捨てること」とありました。
私は勘違いしていました。ただの鈍感と違うのです。
大したもんなのですね。老人力に訂正します。

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定年後は山あり谷ありの人生を繰り返している。
「どこに山があったのよ。一人でハシャイでいただけでしょ」
「それで体調を崩して寝込んだところが谷です」
「もう面倒見てやんないからね」
言われなくても分かっている。出来ない年になったのだ。恨みっこなしにしよう。

札幌シニアネット(SSN)のお陰で愉しいシニアライフを送っている。しかし、ここまで来るには紆余曲折があった。あっちへ行ったりコッチに着たり、出たり入ったり寝ていたり。そんな自分の原点を振り返ってみた。

その頃は、せっかく仕事を止めたのだから家でノンビリ暮らそうと思っていた。しかし、そうは問屋が卸さない。退職して1年もしない内に、QPに邪魔にされ、無理やり「老人福祉センター」に連れて行かれた。

「あんたは、何処に行っても三日坊主だね。 今度は易しいところにしたから、1年間は止めたらダメだよ」ときつく言い渡された。

今度こそは押し込んでやろうというQPの意気込みに、押されるようにして入ったのが「やさしい英会話」教室である。これが残りの人生を変えることになろうとは、夢にも思わなかった。

「やさしい」と歌っているだけあって、ちょこっと行った川柳・ヨガ・手話に比べて、確かに易しいと思った。しかし、ここでも私はお客さん、教室の片隅で暗い顔してじっとして、黙って座っているだけだった。

人並みに横の男性に話しかけたりするのだが、旅行しない・山登れない、カラオケ・パークゴルフ・囲碁将棋出来ない、オマケに車も持っていないとなると話も続かない。

9ヶ月目にやっと話し相手に恵まれた。たまたま横に座ったA子さんが話しかけてくれたのである。 まさに地獄に仏だ。一人でダンマリも楽でない。

金曜の朝は憂鬱だ。「今日は英語だよ」と言ってQPが尻を押す。どうして、こんなにお節介になってしまったのだろう。控えめな人と思っていたのに。昔の話はもうよそう。現実を認めなければならない。

家を出ても、このまま図書館にでも行こうかと思ったことが、何回もある。しかし、仕事人間の習性もまだ残っていて嫌々ながらでも足が「英会話」の方に向いてしまう。 

A子さんは親分肌で教室中、全部自分の友人にしないと気がすまないようだ。お陰様で引っ込み思案の私も、晴れて友人の一人に加えさせてもらえた。

「いつも一人で寂しそうだから、声をかけて上げたのよ」と恩着せがましいのだが、大勢の中で一人ダンマリも、楽じゃないので有難かった。これがきっかけで皆さんとも打ち解けるようになった。その後感じたことだが、世の中のいろいろな場所に人と人を繋ぐ、接着剤みたいな人がいる。 

「その様な役目を果たす人は大切ですね」
「じゃあ、なればいいでしょう」
「では、さっそく」
「いいよいいよ、忙しいから」

人慣れしてくると、長年やっているパソコンを利用できるグループにも入りたくなった。こうしてSSNに入ると更に楽しくなり、そしてハシャギ過ぎ、体調を崩し入院する羽目になった。退会、再入会。

皆さん元気に活動しているから私も出来ると勘違いした。勘違いもいいことばかりではない。あの「楽しく元気に勘違い」を唱える先生にも教えて上げたい。

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【2014/05/31 00:00】 | 照る日曇る日
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カスミ草
「親分肌の人」と一言に言ってはみても、性格はいろいろ。
スカッとしていて、傍から見ていても気持ちの良い人。
逆に「俺の言う事を聞かないと、痛い目に会うゼ!」みたいな
嫌みったらしい人。

PPさんが知り合った人は、きっと気持ちの良い親分肌の人なのでしょう。

去年は容易にできていた事が、今年は休み休みやっと・・・体力、気力の保持って、難しい。

シニアの宝は心身の健康ですね!




のん子
新入生は何処でも歓迎されます。
「仲良くしてあげて下さい」
そのクラブの部長さんが声掛けされますしね。

私も一回は声掛けします。
すぐ打ち解けて下さる方もいらっしゃいますが、「はい」「いいえ」だけみたいな方は、それ以上は堪忍して下さいってなります(^^ゞ

趣味がなくても、お天気の話でも、食べ物の話でも持病の話(笑)でも良いんですよ。
誰々さんも、そうですよ的に輪が広がります(^^)

宝は心身の健康
pp
カスミ草さん、私の「親分肌の人」はドッチだったかな。
よく分からないけれど嫌みったらしい人ではなかったです。
そうですよ。シニアの宝は心身の健康。肝に銘じましょう。
三日くらいボケーとすれば、やる気は自然に出てくると思います。
気楽に生きるも健康にいいと思いますよ。

話がはずめば楽しいですね。
pp
のん子さんの馴染みのクラブは雰囲気がよさそうですね。
お天気でも持病でも話がはずめば楽しいですね。
女性同士は、すぐに楽しそうにお喋りするので羨ましいです。
男性どうしは、共通の趣味がないと、なかなか難しいです。
それでも徐々に慣れました。お陰様で今では楽しく過ごしています。

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8月6日は広島原爆忌・広島平和記念日、この歴史的悲劇から目をそむけてはならない日だ。それなのに私は目をそむけてしまうダメな人間である。

8月6日になると毎年テレビで見る光景がある。元安川とそれに面した原爆ドームである。被爆者たちが水を求めてここまで来て果てた悲劇の川。元安川では毎年、平和への祈りをこめて犠牲者をしのぶ灯籠流しが行われている。

だから、元安川を見て思いを馳せるのは原爆の悲劇でなければならない。それなのに私は少年時代に遭った屈辱的なボート転覆事故を思い出してしまう。余りにも軽く極めて小さなな出来事だが、私にとっても悲劇の川……。

これは恥の上塗りの話。大勢の人前でボートを転覆させるという不始末を仕出かしてしまい、とても恥ずかしかった。ボート屋のオバサンがボートを漕いで救助に来るのを見て更に恥ずかしくなった。私たち3人は橋げたに居て、橋の上は見物人で鈴なりなのだ。皆で私の不始末の一部始終を見守っていた。

「なにやってんだ!」とオバサンに一喝されて恥ずかしさは頂点に達した。プライドもずたずたに傷つけられて謝罪もできず、ただうなだれているだけだった。こんなことを原爆の日が来るごとに思い出している。
030616boatnoriba.jpg
画像は中島公園菖蒲池で波止場と呼ばれているボート乗り場。

ところでボートが浮かぶ中島公園菖蒲池は絵になると思う。このボートに一度乗ってみたいと思っているが、まだ果たせないでいる。

思い起こせば55年前、グループ旅行で広島に行ったとき、川で営業している貸ボートに3人で乗った。しばらくすると、こぎ手を交代しようということなった。ボートは狭いので立ち上がらないと交代できない。今考えるとはうようにして交代してもよかったのだが、立ち上がってしまった。

そのときはボートにゆっくりと水が入ってくる感じだった。まるで映画のスローモーションのようだった。気が付くと水の中にいた。
040418tenpuku.jpg
参考画像は中島公園菖蒲池で沈みかけているボート。

立ち泳ぎしながらボートを探すと、大事な身分証明書の入った定期入れが浮かんでいる。川の流れが早いのでどんどん離れていく。

これは大変だと思って、泳いで定期入れを追いかけた。そうしたら「泳いでいる。泳いでいる」という人声が聞こえた。見上げると橋の上は野次馬でいっぱいだ。このときは流れ行く定期入れを必死に追っていたので恥ずかしさは感じない。

ようやく定期入れに追いついた。ひとまずホッとしたが、このまま泳いでボート乗り場に帰るわけにには行かない。難破船の船長じゃあないけれどボートを放棄して手ぶらで帰る気にはなれないのだ。

一先ず近くの橋げたに乗って今後の対策を考えていると、ボート屋のおばさんがボートをこいで救助に来た。
「何やってんの! ボートの上で立っちゃあダメじゃない」。と先ず一喝。
「………」。ただうなだれるだけ。
「何でこんなとこで泳いで遊んでいるのよ」
間髪入れずにもう一喝だ。

こんな意味のことを広島弁でまくしたてられた。もう恥ずかしくって仕方がない。穴が会ったら入りたいが、そこにはただ川が流れているだけ。

あの時は確か春先だったと思う。すごく寒かった。街の中では服を脱ぐこともできないので濡れたまま着ていた。風に吹かれて寒さに震えたことを覚えている。帯広の零下30℃よりもっと寒く感じた。

話し変わって数年前、某テレビ局から「豊平川花火の穴場、中島公園」というテーマで取材を受けることになった。

よせばいいのに「花火を見るにはボートからが一番ですよ」とか言ってしまった。リポーターさんに「じゃあボートに乗りましょう」といわれてモジモジしてしまった。

「怖いんですか?」と問うような顔をして私を見ている。怖いわけがない。海と違って潮の流れもないし、流れが早い川でもない。オマケに水深が極めて浅いことを知っていたのだ。

980903mizunuki.jpg
菖蒲池で水抜き。鯉を保護のため回収。画像は「中島パフェ」訪問者の提供。

上の画像を見れば分かるように背の立つような浅い池だが、ボートに関しては恥ずかしい思い出がある。しかし今度は漕げないことが恥ずかしい。例の転覆事故がトラウマになって、あれ以来ボートに乗ったことがない。蚊の鳴くような声で「漕げないのです」といったら、「いいですよ。私が漕ぎますから」と言ってくれた。

本来ならば中島公園の案内役である私が、ボートを漕いで花火鑑賞スポットを案内すべきである。中島公園パーフェクトガイドを開設している私にとってはとても恥ずかしいこと。「どこが完璧だ」と言われても返す言葉もない。

こんな気分ではあったが半世紀ぶりにボートに乗る機会に恵まれた。乗ってみると楽しい。中島公園が違うアングルから見れるのだ。

090724tvonme.jpg


いつかボートを漕ぐ練習をして、ボート上から中島公園を撮ってみたいと思っているが未だに実現していない。精神的外傷とはシツッコイものだ。

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【2013/10/05 00:00】 | 照る日曇る日
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momo
それは災難でしたね~
昔は私もよく乗って漕ぎましたが今は漕ぐ体力があるかどうか・・それにやっぱり怖いです。
旅行先である女性の方が ボートから下りる時に失敗して桟橋で腰まで水に浸かって泣いて居られました。
その後佐渡でたらい舟にのりましたが 怖かったです。
そう ボートから見る風景は又違うでしょうね。
千鳥ヶ淵の桜をボートから見てみたいですが 勇気がなくて・・


朱庵
傷つきやすい年頃の、負の思い出はトラウマになりますよね。私も似たような事あります。今思い出しても、気持ちがしぼむので、なるべく思い出さないようにしますが、それが突然思い出したりして、あぁ〜、と、がっかりしたりの繰り返しで今まできました。
ナカパさんだけではないですよ。
でも楽しくボートを漕げるようになって、新しい思いで作りにトライしてください。



自慢話でごめんなさい
nakapa
>momoさん
佐渡でたらい舟にまで乗ったのですか。それはいい体験になりましたね。
私の場合は災難には違いないのですが、一種の自慢話です。
そういう話をする年になりました(笑)。

懐かしい思い出?
nakapa
> 朱庵さん
確かに思い出したくないこともありますね。
しかし、元安川とそれに面した原爆ドームはテレビ・新聞等で
見る機会が多いので、どうしても思い出してしまいます。
ただ、恥ずかしい思い出から、懐かしいへ、さらに楽しい想い出に
変わりつつあります。


ちゃちゃ
今晩は、nakapaさん
私も中島公園のボートに乗りたいのです
冬だったり、時間がなかったり…
そのうち、三度目の正直といきたいものです
腕力をつけておかなくてはね…

鬼も笑う来年の話
nakapa
>ちゃちゃさん
おはようございます。
そうですね。来年の夏にでも乗ってみたいです。
それまでに練習しておきます。
今までと違ったアングルから写真を撮ったりしてみます。
休憩を兼ねてですね。

私も同じ経験が
コマクサ
私は十代の頃茨戸川で友人3人とボート乗せてもらいました。
二回目なので何の心配もなくボート楽しみ岸に付き
降りようと立った時に傾き3人とも水の中泳げない
私は溺れそうになった怖い思い出があります。
今ならプールで泳ぎを覚えましたから怖くはないでしょう?

やはり十代ですね
nakapa
>コマクサさん
そうなんですか。やはり失敗するのは十代ですね。
泳げないとなると恐怖でしょう。
中島公園の池なら浅いから泳げなくても大丈夫です。
しかし、今は泳げるのですね。失礼しました。



空見
こんばんは。
歳月は、悲惨な話も笑い話に変化させてくれますね、良いことです。
私もこれからそんな風に「自慢話」をしてみようかな?(笑)
泳げないので、今ならボートはちょっと・・と思いますが、やはり若い頃は向こう見ずなので一、二度乗ったこともありました。なぜか漕ぐのも好きです。
子供の頃、川を渡るのは手漕ぎの小舟でした。見よう見まねですが、何とか進みますね、そんな昔のこと懐かしく思い出しました、ありがとうございます (^▽^)エヘ


恥ずかしいことも後になれば笑えます
nakapa
恥ずかしい出来事でも、何十年も経つと懐かしい笑い話になります。
苦しいことは笑えませんが恥ずかしいことは後になれば自分でも笑えます。
懐かしい気分も手伝って書くのも楽しいです。

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伊丹十三監督の『大病人』という映画があるが、私もある意味では大病人だ。大きな病院のマニュアルを変えてしまったのだから、病人としては大モノかも知れない。小人である私は密かに誇りに思っている。

古い話で恐縮だが、朝一番で血液検査の為に大病院に行った。いつもの様に検査室の前では、大勢の患者が呼ばれるのを待っている。まるで子羊のように従順に待っているのだ。 ああ、それなのに!

まだまだ先だなと思って本を読んでいると、突然「石川ひろしさーん」と呼ばれたので慌てて本とメガネをしまい検査室に入ろうとした。 

すると後ろの方から声が聞こえる。「オレの番だ」とブツブツ言っているのだ。低い声だが怒りがこもっている。恐る恐る名前を聞くと、「石川きよし」と名乗った。どうやら私の聞き違えらしい。

検査室に入ってもまだ怒っている。大きな声で看護師さんに、文句を言っているのが聞こえた。「間違えちゃあダメだよ。2回目じゃないか。しっかりしろよ」。聞き違えたのは私だから遠くにいても肩身が狭い。看護師さんごめんなさい。

だが待てよ、石川きよし? この名前どこかで聞いたような気がするが思い出せない。しばらくすると私の名がよばれた。こんどこそ間違いない。

ふとあることを思い出した。3か月前検査に来たとき、この石川きよしさんと間違えられて、「24時間ホルダー心電図」を装着されそうになったのだ。彼の言う「2回目」とはこのことに違いない。

採血のとき看護師さんにその事を言った。
「私、あの人と間違えられて24時間ホルダーを付けられるところでしたよ」
「えッ、あなただったの! 病院中大騒ぎになったのよ」

看護師長さんから注意があったと聞いてホッとした。長年通っている病院を信頼できると確信できたからだ。患者を間違えても騒ぎにならないような病院なら、通い続けてもいいものかと、考え込んでしまうだろう。

そういえば、今回の本人確認手順はやけに念入りになっている。名前と生年月日を言わされ、「採血容器」に貼った氏名の確認。さらに採血を依頼した医師名の確認もあった。

驚きの確認手順だ。図らずも私は大病院の業務処理マニュアルを改訂させてしまったのかも知れない。これは凄いことだ! 

あのとき私は、間違えられた相手の人に会いたいと思った。理由はないが一体どんな人と間違がわれたか知りたかった。できれば話もしたいと思っていた。

それが2回目の聞き違いで偶然会うことになったが、色の黒い暗い感じのヨボヨボな人だ。私が「石川ひろしですが…」と話しかけたときも、ウンでもスンでもなく黙ったまま、まるで病人のようだった。

021003manekin.jpg
「この美人はだれ?」
「彼女です」
「まさか! 聞き違いかな?聞き違いだよね」
「みんなの彼女です」
「名前は?」
「座りマネキンと申します」


ここで「なぜ間違われたか」の概略を説明したいと思う。いかなる状況下で人は他人と間違えられるか。どうしたら避けられるか、参考になるかもしれない。

3ヶ月くらい前の話だが採血をしてから診察することになっていた。看護師さんから「二診に行ってください」と指示されて行ってみると、いつもと違う場所に「第二診察室」と書いてある。 

確認のため看護師さんに聞くと、「表示が変わっただけです。その場所でいいですよ」と答えてくれた。軽い違和感を覚えたが信じてしまった。

名前を呼ばれたので診察室に入ると医師がパソコンをじっと見ている。初対面だが最近はよく医師が変わるので「またか」と思っただけだった。

「検査の結果では血糖値がうんぬん…」と先生。
「一時的なものではないでしょうか。1か月入院して、退院しても家でゴロゴロしていたものですから悪い数値が出ているのです。それで今日再検査に来ました」
私は交代した医師に今までの経過を説明したつもりだが、医師は嫌な顔をした。診たてに意義を唱えたと思ったらしい。

「一時的じゃあないよ。今日だって悪いし」と、パソコンの数値を見ながら言った。
「あれっ!もう結果が出たのですか?」
検査には1時間はかかる筈なのに受けてから30分もたっていない。それなのに結果が出たとは何故だろう? 疑問には思ったが確認はしなかった。

「出てるよ。なにか心配事でも?」
出ていると断定されると、急に心配事の方が気になってきた。
「ときどきクラッと来るのですが、今までなかったことなので心配です」
「○○の数値も悪いし、24時間携帯の心電図で検査しなさい」

訳が分からないが、心配だから心電図検査を受けるけることにした。診察が終わったが、いつもと違って待っていてもなかなか看護師さんが説明にこない。

「石川ひろしさーん」。遠くの方から私を呼ぶ声が聞こえたが、あちらから呼ばれるはずがないので無視した。

遠くの方から看護師さんが走ってきた。「石川ひろしさんですね。八診に来てください。二診の後、八診と言われているでしょ」と非難するように言うが、私には何のことか訳が分からない。

「24時間心電図の予約したでしょ」と、さらに厳しい声で言いながら予約票を私の前に突き出した。
「あれっ! これ別の人ですね。私はひろし、こちらはきよし、人違いと思います。確認してください」

看護師さんの顔色が変わった。「ちょっと待ってください」と、慌てた様子で診察室に駆け込んだまま出て来ない。 

なかなか出てこないので別の年配の看護師さんに、一部始終を話したら、その看護師さんも室にはいったまま、なかなか出て来ない。

しばらくすると責任者らしい看護師さんが先ほどの看護師さんを従えて来た。「ほかの人と間違えたようです。私たちも気をつけますが、患者さんも気をつけてください」と、能面の様な顔をして責任者は言った。

「名前を呼ばれたから診察を受けたのです。自分の氏名を見るチャンスもなかったのですよ。どう気をつければいいのですか?」と聞くと、黙って行ってしまった。 

<患者どうしの雑談>
「先生は誰だか分からなくても診察できるんですか?」
「検査の数値があるからな」
「人は、要らないのですか?」
「人はいなきゃダメだよ」
「ダメですよね」
「いなけりゃ、血が採れないよ」

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【2013/09/07 00:00】 | 照る日曇る日
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ひろしときよし!
朱庵
今日はどんなお話かしら?と楽しみにしていました。
なんとドラマティック!凄い経験されたのですね!
病院の患者名前間違いって、少し前まではどこの病院でもある事だったらしいですが、実際に経験されていたとは。
ひろしときよし、語尾が同じだけなのに耳に入る時その語尾がきこえやすいのですよね。特に呼ぶ時は語尾に力入りますから。
よくよく考えたらこわ〜いお話です。
ナカパさんの当然の抗議に、能面看護師の無言の態度・・。
この感じよーくわかりますよ。
一生病院と縁が切れない私は名前が珍しい事もあり呼び間違えられる事はありませんが、患者と医師、看護師の関係には同じ思いしています。
ところで一ヶ月のご入院だったのですか、日々どうぞお大事になさってくださいね。
これからも、フィクション、ノンフィクション、楽しみにお待ちしていま〜す。

私も不注意でした
nakapa
>朱庵さん
私も間違えられたのは、この1回だけです。
後で考えると自分で気付くチャンスは3回くらいありましたが、
確認もしないで間違えられました。
確かに患者として気をつけていれば間違われることはなかったと思います。
いつも優しいコメント有難うございます。


ちゃちゃ
お久しぶりです、nakapa さ~ん!
私も月一の検診日には必ず血液検査です。
注射器に自分の血が吸い込まれていくのを見るのが好きです。
あ~あ、今日も生きているのだ!と感じます。

ホントにお久しぶりですね!
nakapa
ホントにお久しぶりですね!
ひょんなことから、その大病院で陰の有名人になりました。
終わってみれば何でも笑い話にするのが好きです。
笑ってすまない深刻な事態もあると思いますが、
幸運にも今のところ遭遇していません。

いや~驚きました
コマクサ
大病院でもそんな間違いがあるのですか。
看護師さんも真っ青でしたね。
私は先月年一度の、とくとく検診に行って来ました。
各検診の度に名前の確認がされました。
nakapaさんの様な間違いがあっては困りますよね。

気がつかない私もおバカさん
nakapa
>コマクサさん
そうなんですよ。たいへん困ります。
大病院だからでしょうね。とにかく待っている人が多くて。
お医者さんはパソコンとにらめっこです。
気がつかない私もバカですが…。
後から考えると3回は気付くチャンスがありました。


空見
nakapaさんこんばんは~
医者はあまり患者を見てないですね、パソコンのデーターしか見てないようです。
大量の人をこなすための時間がないんでしょうね、ワタシは怪しいなぁと思う時には、不審な点を訊きます、相手はメーワクそうな顔していますがね・・こちらも背に腹は替えられない。
まぁその手の、マジであっけにとられる病院話は多いです。
今回の記事は最高に面白く拝見しました。各人物描写も際立っていましたよ(拍手)




nakapa
>空見さん
確かにそうですね。その先生は顔をほとんど見ていません。
いつものの先生は顔を見て「おはようございます」とか挨拶をしてくれます。
これを含めて4回くら確かめるチャンスがありましたが見過ごしました。
反省しています。
ところで、空見さんの一言にはいつも励まされます。
このブログは読む人も少ないしやめようかな?とか思うこともあります。
お陰様で何とか続けています。

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恥をさらすようだが書くことにした。図らずも数人の会員の中で唯一の男性会員となってしまった。しかも、そうなってから3年もたっている。

会の名はBJ会、簡単に言えばお喋りを楽しむ為に月に1回、場所を変えて会っているだけのこと。それが11年も続いているところが値打ちもの。しかも、世の中の為に何の役にもたっていないところが凄い!

「しかも、しかも…」
「分かっているよ。しかもアンタはグループの中でも何の役にも立ってない」
「はい、ただ居るだけの人です」

最初に4人居た男性も次々に去って二人になってしまった。そうなると一人残して辞めるのも悪いような気がする。そこうしているうちに、その男性が急逝し一人になってしまったのだ。

私たちのような年齢になると、直接的なものの言い方はしない。つまり、この人には辞めて欲しいと思っても絶対に口には出さない。だから気を利かせなければいけないのだ。気のきかない野暮にはなりたくない。

これまでのなが~い人生で、これだけ気楽なグループに出会ったことはない。できれば辞めたくない。しかし、嫌がられるくらいなら辞めた方がましだ。野暮天には絶対なりたくない。そこで探りを入れることにした。

「長い間お世話になりました。今年いっぱいでBJ会を辞めたいと思います」
「辞める?」
”女性だけで気楽に楽しんで欲しいのです”とは言わなくても分かるだろう。
「体調が悪く外出が億劫になったのです」
「そんな時は休めばいいでしょう。皆そうなんだから」
「男性は私一人ですよ」
「それがどうしたの?」

どう答えていいか分からないときは、往々にして本題から外れてしまうものだ。
「一泊旅行のとき私だけ一人部屋になっちゃうでしょう」と思わず言ってしまった。
一人部屋は高いのだ。 ふと見るとAさんの眉間にしわがよっている。
”しまった! 言うんじゃなかった”と思ったがもう遅い。
「ケチケチしないでよ。オトコなんでしょ」
ああ、また言われてしまった。情けない。

あれから1年たった。年末になったから今度もお伺いを立てなければいけない。別に辞めたい訳ではない。これは私の義務みたいなものだ。いわゆる進退伺いである。今度こそハッキリと理由を言おう!

「ハッキリ言って女性だけの方がお喋りも盛り上がると思うし、私もそんなことに気をつかうのは嫌なのです。やはりBJ会を辞めます」
「会費もないし会則もないんだから辞めるもクソもないでしょう。嫌なら来なけりゃいいだけ。それが続けばお仕舞いということ。皆そうしてるよ」

AさんはBJ会の名付け親。他の人ならいざ知らず、彼女からそんな話は聞きたくない。入会したと思ったから気になるのだ。
「あなたがBJ会を立ち上げたんでしょ」
「予定はいろいろあるからね。カレンダーに書くとき名前がないと不便なのよ」

そうなのか。ケジメが不要ならそれもいいだろう。BJ会は11年も続いているので誰とでも気楽に話せてアットホーム感覚で付き合える。お邪魔でなければ何時までもご一緒することにしよう。これでいいのだ。

ところで、2年越し2回にわたる脱会騒ぎでは思わぬ収穫があった。図らずも私の存在をアッピールすることになってしまったのだ。 
これからはただ居るだけのオレじゃないオレをなめるなオレに従え
nakapa破れかぶれの短歌 見えちゃったかな? 冗談です。ゴメン!

捨て身の作戦大成功! 
か、どうかは今後の展開しだいだが…。

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【2013/03/02 00:00】 | 照る日曇る日
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ちゃちゃ
見えちゃいましたよ!
拍手三つの短歌です。
都合のつかない時は静かに休める。
そういう会でないと年配者は続きません。
nakapa さんのいない時は
いるときと違う話にもなり、
それが、また、いいのでは!

うふふ・・見えていますねぇ!
朱庵
何でも物事にはっきり区切りをつけることは難しいですね♩
どっちの側にも許容量がかぶっているのはシニアのいいところでしょうか?
と自分に都合の良いように、最近特にそう思うことにしていますよ♫
愉しい時間はある時は気になりませんが、無いととっても寂しくなるのよ・・・
nakapaさんは今は十分に楽しまれていますね!


直接より陰口の方がいいです
nakapa
>ちゃちゃさん
見えちゃいましたか。やっぱりそうでしょうね。
あまり大きな声では言えないので、陰口のつもりで薄くしました。
それに短歌モドキも恥ずかしいから小さい声にしました。
いない人の陰口は私も好きですね。悪いとこ良いとこあって人間です。
陰口言われるのも言うのも気にしていません(笑)。
もう直接言って欲しくないです。知らぬが仏。

のんびり暮らせたらいいですね
nakapa
> 朱庵さん
隠したつもりですが、見えちゃったら仕方ありません。
これは陰口のつもりですが、BJ会の人の目には入らないでしょう(笑)。
そうですね。言葉は自分に都合がいいように解釈した方がいいですね。
人生の最終楽章はのんびり暮らしたいものです。


hama
nakapaさんの優しい繊細な性格が見えます。
良い方なんですね~
男性ひとり・・女性って余り気にしてないと思います。
私なら全然気にしないです。
「とうとうひとりになってしまった」ってね。

私も今ある講座でだんだん会員が減って 私まで辞めたら潰れます。
自分が出来ないの棚に上げて先生のせいにする人が多くて・・
こうなったら最後までいようと決めました。

以前ある講座では20年間 講座始まってから先生がご病気で辞められるまでついていきました。
最後まで残った一期性は私ひとりでした。
頑張るつもりはなかったけど居心地が良かったん
でしょうね。


のん子
私達の年代になって来ると遠慮ってしなくなります。
nakapaさんがご迷惑なら全員欠席で意思表示をしますから大丈夫なんだと思いますよ(^^ゞ

私は今、反対の立場で、あるグループから抜けるべく、都合が悪いって言い続け、その友達に伝わっても良いように悪口言ってるのに解かろうとしない男性がいます。
直接言うしかないかと、もう一人の友達と相談中です(汗)

11年続いたので大事にしたいです
nakapa
>hamaさん
私も男性の中に女性が一人でも気にならないのですが、
逆はなんとなくダメかなと思っていました。
しかし、話してみると余り気にしていないことが分かりました。
11年と言うと定年後の9割以上ですから一番長い付き合いです。
気楽で浅い付き合いですが大事にしたいと思っています。

居心地がいいです
nakapa
>のん子さん
アドバイス有難うございます。
私もだんだん大丈夫のような気がして来ています。
勉強するわけでもなし、社会貢献する訳でもないグループは居心地がいいです。
ジタバタするのはお仕舞いにして成り行きに任せようと思います。

良い会ですね
コマクサ
肩の凝らない会ですから長くお付き合いできるのでしょう!
そんな会は滅多にありませんから・・・
私がnakapaさんの立場なら同じ様にして大事にするでしょうね。
陰口ね~云われるのは厭だけど、直接云われても
傷つきますし難しいです。
世情に通じずわきまえない人もいます(野暮)
自身が気が付かなければ駄目ですね、私気を付けます。

有り難いですね
nakapa
>コマクサさん
そうですね。確かに肩がこらないノンビリしたグループだから、
長続きしたと思います。
何の価値もないようで、あるような感じです。
不動のメンバーですから歳も11歳増えました。
以前の私なら考えられないことですが、
考えてみれば有り難いことですね。

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「私の恐怖体験を聞いてもらえますか?」
「アメリカ兵に捕まって叩かれた話は聞いたよ」 ← あの人に会いたい
「もっと怖い話です。鉄パイプ持ったアメリカの少年に襲われたのです」
「そうかい。無事で好かったナァ」

「信じないの? 酒場で大暴れしてSPに逮捕されたことだってあるんですよ」
「SPって何だよ?」
「よく分かりませんが、憲兵(MP)のようなものとの印象です。海軍だからSPかも?」
「50年前だからといって、嘘ついちゃあいけないよ」
「55年前です」

嘘ではない。 当時私は17歳、英語とアメリカ人が大好きな英ちゃんは、18歳の若者だった。 いつも一緒に遊んでいた。 英ちゃんはダンスが得意だが私は踊れない。 それでも英ちゃんの行く所は、どこへでもついて行ったものだ。

当時の飲食店は未成年の飲酒・喫煙には寛容だった。お金を払えば誰でもお客さんなのだ。 英ちゃんは水兵がいっぱい居る軍港の街が大好きだ。
一生懸命英会話の勉強しているのに、話す機会はここでしかないのだ。 
英ちゃんが盛り場で、たまたま話しかけたのは水兵服のアメリカ人。
英語も通じたようでご機嫌だった。

「レッツゴー、フォーローミイ」とか言っている。こんな英語でいいのかな。
私も何処に行くか分からないままついて行った。
そこは大きなカウンターのあるトリスバーだった。
  
英ちゃんは、水兵との英会話を楽しんでいるようだった。 
私は手持ち無沙汰なので一服しながらチビチビ飲んでいた。
静かに流れるジャズの調べが心地よい。

突然、グラスが飛んできてビックリしてカウンターから飛び退いた。
何を血迷ったか水兵が大暴れしている。
ビン、グラス、灰皿、氷などカウンター上のものを全部吹っ飛ばすと、
立ち上がって何やら叫んでいる。

私は何が何だか分からなかったが、不思議なことに怖くはなかった。
なぜか現実感が乏しく危険と思えないのだ。酔っていたのかもしれない。
記憶は定かでないが、しばらくするとSPの腕章をつけた米海軍憲兵2名が日本人通訳を連れて入ってきた。店の者が憲兵隊に通報したのだろう。

英ちゃんが、それとなく寄ってきて耳元で囁いた。
「お前の分も払ってきたからな。ずらかるぞ!」
店を出ようとすると通訳に制止された。
「ちょっと待ちなさい! 兵隊さんはアンタらに連れられて来たと言ってるよ」
「知らないよ。俺たちは二人で来たんだから」。英ちゃんはとぼける。

「ちょっと、待ちなよ!」と今度は女性の声。
「三人で入って来たでしょう。一緒に飲んでいたじゃない」。店のママさんだ。
証人まで現れては万事休すだ。
おとなしく海軍憲兵のお縄を頂戴することにした。

ジープに乗せられて、なぜか嬉しかった。なんといったって憧れのジープだ。
しかもSPの腕章をした格好いい海軍憲兵の護衛付だ。
容疑者の立場を忘れて誇りさえ感じてしまった。

米軍の取調べはどうやるのかも興味津々。
それほど、私の米軍に対する信頼は厚かったのだ。 
英ちゃんは落ち着かない様子だったが、私自身は傍観者の気分だ。

突然、ジープは交番の前で止まり、私達は降ろされた。
身柄を日本の警察に移されたのだ。 
警官は「アメちゃんとなんか飲むんじゃないよ」と言って、
お咎めなしで釈放してくれた。

ところで、私の顔は真っ赤なのに歳も聞かない。
未成年の飲酒なんかには興味がない様だ。めんどくさいのだろう。
軍港の街は犯罪が多い。警官も疲れている。わざわざ仕事を作ったりしない。

基地に連行された水兵も、おそらくは弁償さえすれば、お咎めなしだろう。
1ドル360円の時代だから、弁償といってもドルに換算すれが大した額でもない。

米軍当局が穏便にことを収めようと思えば、我々二人は邪魔になる。
「邪魔物は降ろせ!」と言うことになったのだろう。 
不本意ながら私達は、不都合なお荷物となってしまったのだ。

ホッとした英ちゃん。残念だった私。
もっとジープに乗りたかったヨー。
一晩泊まって米軍レーション食べたかったヨー。

レーション (ration) は、本来は食料などの配給品(特に期間を区切って支給されるもの)であるが、一般的には軍隊において軍事行動中に各兵員に配給される食糧(コンバット・レーション)を指すことが多い。(ウィキペディアより)

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【2012/09/06 00:00】 | 照る日曇る日
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ちゃちゃ
待ってましたの第一土曜日!
こんな経験なさっているなんて、
驚き桃の木山椒の木!
ノンフィクション部分を多少除いたって
そりゃあ、もう、すごい!
我らがnakapa さんは偉大なり!
だから、その文章も
すごい!

ほぼノンフィクションです
nakapa
>ちゃちゃさんへ
朝一番に読んでくれてありがとうございます。
今回はほとんど事実です。
ただ、怖かったという印象がないのです。
なぜ恐怖を感じなかったについては覚えていません。
今、考えるとこんなことだろうと思って書きました。

16進数って
朱庵
長い事続いた1ドル360円時代! SPとMP、
そして・・・F2歳とF3歳・・・ですか!
国破れて・・ではありませんが、それでも夢を持てたnakapaさんに正直すごいなぁとしか言葉がありません。

nakapaさんの穏やかなはにかむような笑顔の中に、向こう見ずな少年の瞳が、キラリ!みえてしまいます。
映画のワンシーンですよ!

それにしても16進数って、日頃は色辞典でお世話になるだけでしたので、一覧表、探したじゃありませんか!(爆)
おまけに、コンバット・レーションだって!!!
ひねりも落ちも、参りました!

残念でしたね、F2歳のnakaoaさん!



momo
そういう時代だったんですね。
それにしても当時から60数年? 今の変わりようは想像出来なかったでしょうね。
私自身がパソコンする時代になるなんて・・
良くも悪くも忘れられない時代なんですね。



憧れの米軍レーション
nakapa
>朱庵さんへ
米軍の豪華弁当は驚きでしたね。
子供のころ父親が一つもらってきて、家族6人で分けてたべました。
ココナッツチョコレートまで入っていました。
そんなチョコはしらないので、砂糖大根と思っていたのです。
チョコの代用食と思っていたのですから笑ってしまいますね。
それでも、桁外れに豪華な弁当でした。
これがレーションの思い出です。

変化の激しい時代
nakapa
>momoさんへ
まったく同感です。変化の激しい時代を生きて来たものです。
若いときは変化が楽しみだし、これが進歩というものだと喜んでいました。
最近は、この辺で落ち着いてほしいと思っています。



のん子
もうドキドキしながら読みましたって!
大事に至らなくって良かったです(汗)
でも、1泊出来たら確かに面白かったかもですね?(笑)
私は1ドル360円以外は解らない言葉だらけです。
spって警護の人にも使いますね?

考えてみると一泊は無理ですね
nakapa
>のん子さん
やはり、器物破損事件のそばに居たくらいでは一泊はさせてもらえません。
米軍としては交番に置いてくるのがマニュアルどおりの処理でしょうね。
捕まってジープに乗せられたときは、基地の留置場に連れて行かれると
思い心配しました。 考えてみると20歳以降の人生は平凡でした。



空見
nakapaさんこんばんは。
いつ見ても面白いノンフィクション、楽しませていただいております。
ジープに乗れたのは僥倖でしたが、交番に預けられるとは・・残念でした。
コンバット・レーション、見たこともないですが、当時の日本人にしたら大変なご馳走ですね、これも本当に惜しかったですね^^; 食い物のウラミは後を引く(笑)
原爆を落とされる前に、特攻の片道飛行機を飛ばす前に、戦争を止めて欲しかったですけど・・。後で気がつく戦艦大和(涙)

幻の米軍レーション
nakapa
>空見さん
レーションは1回しか食べたことないし、一つを家族6人で分けたのです。
もう、弁当と言うより、考えられないほど豪華な携行食です。
覚えているのはココナッツチョコと煙草が入っていたことくらいです。
皆が不幸になる戦争は始めないのが一番ですが、間違えて、
始めたら出来るだけ早く止めるべきですね。

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中島公園の隣は山鼻地区。 
山鼻には高級住宅街もあるが、やや破壊された部分もある。 
そこには私が育った、敗戦後の東京渋谷と似た雰囲気があり、
懐かしさを感じる。例えば、渋谷の円山付近に松涛があるように、
薄野の近くには山鼻がある。

今どき珍しい泥道。雨が降ると水溜りが出来る。
砂利道にしては砂利が少なすぎる。
細くなったり太くなったり突き当たったりする不規則な道。
子供の頃、こうゆう道をよく歩いた。
235yamahana1.jpg

ここはお屋敷と古いアパートと中高層マンションが混在している地域。
所々に倒れそうな家がある。
長い間、雪の重さに耐えて来たのだから、しっかりした作りに違いない。 
空き家もあるが、殆どは人が住んでいる。
235yamahana2.jpg

最後に札幌らしい建物を紹介。 いかにも山鼻の旧家という感じだ。 
山鼻は札幌で最も古い住宅地である。
235yamahana3.jpg

とっくの昔に山鼻と言う地名は無くなっているのだが、
慣例としてこのあたりを山鼻と今でも呼んでいる。 
したがって、どの地域をしめすのか明確なものはない。薄野も同様である。
ちなみに、私が住んでいた渋谷区金王町も、とっくに昔になくなった。
渋谷2丁目に変わったが、山鼻のように今でも金王と呼ばれているだろうか?

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【2012/07/16 23:16】 | 照る日曇る日
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古い町並の郷愁
朱庵
今回もまたなんと嬉しいエントリーでしょう!
札幌に戻って来て以来、暇さえあれば近所を撮り歩いています。
歩かなければ見えない場所っていっぱいありますよね。
山鼻界隈の古い住宅 いいですね!
二階建ての住宅はいかにも古き良き時代の札幌らしい!
いまは芸森や開拓の村に保存されている、有島武郎が住んでいた住宅に何となく似ています。
我が家の近所にもこういう感じの家があり、やっぱり撮ってしまいます。
二枚目の空家・・あちこち目につくようになりました。
でも年々雪害のために取り壊されるのも多く、更地になってしまっているのも近所の実情です。
nakapaさん、残っているうちにどんどん撮り歩きましょう。


朱庵さんへ
nakapa
コメントありがとうございます。
11年前に転居してビックリしました。
以前住んで居た新興住宅街厚別は整然とした街です。
それに比べた山鼻の惨状にです。
話しによると、権利関係が複雑でいじれないとか。
しばらくすると、とても気に入ってきました。
なぜか生活感があるのです。
それに珍しいです。一生懸命撮りました。
二軒とも今はありません。撮っておいてよかったです。



momo
風情のある街並みですね。
こんな路地を歩くのは好きです。
朽ちた家は地震がきたらちょっと怖いですね。
その後ろのマンションとは対照的でとても魅力的な写真になっているような・・
山鼻の旧家・・本当に札幌らしくて永久保存したいほど素敵な家ですね。



momoさんへ
nakapa
今まで住んでいたのが新興住宅街で、
全てが画一的で整然としていたのと対照的です。
転居したばかりの時は、札幌にもこんな裏ぶれた所があるのかと
ビックリしました。
そして次第に懐かしく感じるようになって来たのです。
幼少の頃に私が住んでいた所と似ていると思いました。
一枚目の画像の一角で数年前に火事があり、跡地は駐車場になってます。



フラダン
2連チャンで懐かしい写真とお話に、、、
年々古い町並みも家も壊され真新しい環境に
変わって行きますが、歳をとるごとに、昔の
面影が懐かしく感じます、特に子供の頃育った
所は、幾つになっても、脳裏に浮かんで来ます。

フラダンさんへ
nakapa
そうなんです。今更懐かしんでいます。
実はこの3枚は、今になっては貴重な写真です。
一番上は、一部火事で焼失し、今と少し違います。
2枚目と3枚目は壊して更地になってしまいました。
写真に撮っておかないとドンドン無くなってしまいます。


空見
こんにちは。
昔なつかしい路地裏風景、今はもう記憶の中にしか存在しませんが。
それでも北海道でも郡部の方へ行くと見られるかもしれませんね。
整然とした美しい家、街並、かつては憧れたものでしたが、あまり面白くないものだと気づきました。
かといって、昔のバラックのような家に住めますか?と言われると住めないけれど(汗)

空見さんへ
nakapa
まったく同感です。快適な生活に慣れた身としては、昔には戻れません。
ただ、懐かしんでいるだけです。なぜでしょうか。よく分かりません。
我ながら勝手なものだと思っています。困ったもんですね。

札幌にもこういう街並みがあるとは
はるママ
歩かないとわかりませんねー。この雰囲気、とても素敵です。
・・・でもきっと私には歩いても魅力がわかっていなかったかも?こうした街の良さは、切り取ってくれる人がいて、はじめてわかるものなのかも?
主婦としては、特に2番目の家に住むことに躊躇が・・・。

先日パソコンが壊れて、もちろん、お気に入りも消失。
積極的に復元するというよりは、浜辺で貝殻を拾うようにデータをたてなおし中です。
またお気に入りに追加できました。また来ます。

はるママ さんへ
nakapa
11年前に中島公園近所に転居する前は、
整然とした厚別の新興住宅地に住んでいました。
その時は札幌にまだ、こんな所があるのかとビックリしました。
事情通の話では、権利関係が複雑で手が付けれないとのことです。
パソコン壊れると大変ですね。
心中お察しします。

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幼少のころ渋谷で育ったので、故郷のように思うときがあります。 しかし、そのころの渋谷は、もうそこにはありません。 東京オリンピック以後の変化は凄まじく、久しぶりに渋谷に帰ったら迷子になってしまいました。

ところで、当時の渋谷に似た所を札幌で見つけました。市電もあるし、あばら家も路地もあります。

札幌の市電は地下鉄に変わり残ったのは古い町を走る一路線のみです。 電停「行啓通」は家から徒歩2分です。 この距離は昔、東京に住んでいたころの、家から都電「青山車庫前」電停までと同じです。電車通に「ほねつぎ」があるところまで同じなので、懐かしく感じ、この町に住むことにしました。

電車通と行啓通は、いずれも昔栄えた商店街です。今では閉店した店と空き地が目立つ寂れた町になってしまいました。 これもまた、終戦直後の破壊された空き地の目立つ渋谷の外れと、雰囲気がとてもよく似ていて気に入ってしまいました。 私としては失われた故郷を北の大地で見つけた気分です。

写真は電車通です。奥に見えるビルが高層マンションで左側の白い建物が
「ほねつぎ」で、右側が市電の電停です。
232dentei.jpg

下の写真が「行啓通」です。この日はお祭で歩行者天国になっています。
これが精一杯の賑わいです。
232gyoukei.jpg

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【2012/07/13 10:19】 | 照る日曇る日
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見つけた時・感じたとき!
朱庵
nakapaさん

いいお話ですね。
そうでしたか・・遠く北海道に住むことになって、でも思い出すのはふるさと・・のこと・・・
同じでなくてもいいのですよね、その感覚が懐かしい場所へと誘ってくれる、そんな場所を見つけたのですから。
ここは私もよく歩きます。
中島中学時代仲良し三人組と学校→中島公園からずーっと回り道をして歩いたところです。
どこの地域も今は子供も少なくなって、町内会の世話人もやる人が皆年寄りになったりで、同じような様子だと思います。

ご報告・・なんとこの中島中学時代の教師だった方とある話をしていてそれが判明し、在校していた時代が少しかぶっていたのです!!!
最近5年も一緒のところにいたのにそんな話しはしたことがなく、つい先日知れたばかり、互いの消息を喜び合いました。
相手は教師、私は生徒です。ホント、ウソのようなほんとの話です。
懐かしさつながりで書いてしまいました。

朱庵さんへ
nakapa
偶然の出会いにしては、面白いですね。
初めて知った先生と生徒の関係、実は5年も前から同じ所に。
その話が出なければ、一生そのことが分からなかったかもしれない。
いろいろな偶然が人生を豊かにしてくれますね。
もっとも、テレビドラマは偶然の連続で成り立っていますが…。
「過ぎたるは及ばざるのごとし」何事もほどほどでしょうか。

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宴会は大嫌いだった。定年退職して一番嬉しかったことは、
「もう宴会に出なくてよい」ことだ。こんな幸せなことはない。

「酒が嫌いなのか」
「大好きですよ。弱いですが」
「なるほど、ワリカン負けするからだな。ケチな奴だ」
「私、ワリカン要員なんですよ」
「なんじゃそりゃ」

これには説明が必要だろう。つまりこういう事だ。
地方では中央からエライさんが出張して来ると懇親会をする。
そんな時、中央から来たお客さんに会費を払えとは言えないだろう。
それは会費に上乗せされる。参加者が多くないと出た人が困るのだ。
お客さんが多いときは更に大変。ワリカン要員を集めなければならない。

本音を言えば出たくないが、それがそうも行かないのだ。
ほとんどの同僚が嫌々参加しているのに自分だけ逃げるわけには行かない。

「また宴会ですかぁ」と私。
「あんた今月3回しか出てないだろう。俺なんか6回だぞ」と幹事さん。
「仕方ないですね。ワリカン要員になりますよ」
「分ってりゃいいんだよ」

しかし、宴会が好きな人もいる。飲むことが無条件で好きな人。
そして、中央から来たエライさんと仲良くなろうとする人。

しかし7割は嫌々参加、割り前さえ払えば浮世の義理は果たしたと思っている。
お客さんのことなど眼中にない。ひたすら食って飲んで騒いでいる。
ワリカン負けしないように頑張っているのだ。なんの為の懇親会だろう。

それでもお客さんに擦り寄って行く人は次々と現れるから心配ない。
「札幌の人は明るくていいですね。元気もらいました」
とか言って満足して帰る。ワリカン要員も雰囲気作りに貢献しているのだ。

「何でいきなり昔の話を……」
「福岡市長のお達しですよ」
「1ヶ月間、外で酒飲むなというやつか」
「宴会なくなりますからね。喜ぶ人が多いと思いますよ」

市長は自宅以外の飲酒を1ヶ月間控えるように全職員に要請したという。
こんな上司が居てくれたらワリカン要員もお役御免になる。
なんと言ったって、職場の宴会は嫌々出ている人の方が多いのだから。

「実は得をするワリカン要員もいるのです」
「酒飲みのことだろう」
「違います。友だちと飲んだ方がよっぽど楽しいですよ」
「分った。中央のエライさんと仲良くしたい人」
「それもそうですが、もっと得する人がいます」
「だれだそれ?」
「ウチのエライさん。このときばかりはワリカン要員になりきっています」
「月給は高いが会費は平等。中央のエライさんをお安くおもてなしかぁ」

若い福岡市長の英断に触発されて昔のことを思い出した。
因習にとらわれず思い切ったことを実行する姿勢が素晴らしい。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

「酔っ払いは散々人に迷惑をかけながら全く覚えてないから困りものです」
「酷いもんだよ。言ってやらなきゃクセになるよ」
「吐いて汚して迷惑かけているのも覚えていないんですからね」
「片付ける者の苦労も知らないんだ」
「そうなんです。意識不明で担がれて帰ったのですが、時々意識が戻りましてね」
「なんだと? 誰だそいつは!」

「 ボ ク …… 」
「聞こえないぞ。もっと大きな声で言え!」
「このブログは声が出ないのです。18ポイント、ゴシゴシ太字でいかがですか?」
「お前、酔ってるのか!」

      「よってません。真ん中です。 左によせましょうか?」
           「ありゃりゃ、俺までよっちゃった」

120630kuizucm.jpg
彫刻を愛するボランテイア団体「札幌彫刻美術館友の会」が主催。
札幌市が後援、中島公園周辺ホテル、企業等が協賛。
内容は彫刻クイズラリーとミニコンサート。 こどもも大人も歓迎!
詳細はこちらをクリック! → 第2回彫刻クイズラリー in 中島公園
申込先はチラシ下段に明記。 → 彫刻クイズラリーのチラシ

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【2012/06/08 00:00】 | 照る日曇る日
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ちゃちゃ
nakapa さん、おはようございます。
飲み会の会費って、お給料が多い人ほど高いのではないですか。私のいたところはそうでした。
新入社員が千円だとしたら、課長は3倍、部長は5倍とか…。一律っていうのはおかしいよね。
実は私も飲み会嫌々組です。楽しい仲間とすこ~しいただくのはOKです。
nakapa さんとも飲みたいねえ!


ちゃちゃさんへ
nakapa
北海道、東北、九州で働きましたが、全部こんなもんでした。
私の働いていた職場は、見習いと一人前の差別はありましたが、その他は平等でした。
私も私的な飲み会は好きです。酒は弱いけど楽しいですね。
機会がありましたら飲みたいですね~。



フラダン
可笑しかった(^。^)y-.。でも真面目に同感です!
私もお勤めしてる時は、宴会は嫌いでした、
その頃はアルコール類は苦手なのと、主婦ですから
早く家に帰ってしなければならない事が一杯ありましたから、
解放された今は楽しい仲間との美味しいお酒は、
時々しかないので嫌いではありません。



フラダンさんへ
nakapa
私も定年退職後の飲み会は楽しみですが、何時も一次会だけです。
家に帰ってパソコンやる余裕だけは残して置きたいのです。
タバコだけは苦手ですが、吸う人が少ないから助かります。
楽しいことでも強制的な感じになると、とたんに嫌になっちゃうものですね。


ワリカン要員
朱庵
サラリーマンの切ないやりくり、ワリカン要員・・・しみじみ。

楽しいオチに吹き出しました!
「18ポイント、ゴシゴシ太字、真ん中、左よせ、

もう、nalapaさんったら!!!

タイトル変わったのですね!
朱庵
「楽しい食卓、朝の食卓」のタイトルが変わったのですね!

中島パフェではまだ前と同じなので気がつきませんでした。

渋谷が故郷・・でしたか・・。

実はお詫び、↑ のコメで、nakapaさんと書くところ入力ミスで失礼しました。ごめんなさい。



朱庵さんへ
nakapa
故郷恋しくて、タイトルにしてみましたが、今のところ反応なしです。
nalapaさんにはクスッと笑えたのでユーモアかと思いました。いいと思いますよ。
「宴会嫌い」だけでは、面白くないので文字装飾について加えてみました。
笑ってもらえると嬉しいです。




hama
仕事だけでなくお付き合いがあるので大変ですね。
夫は飲む機会があれば喜んで参加する人だったかな・・
何より酒が好きで・・でも会社でどうゆう生活や御付き合いをしていたのかな・・
今更気にしても仕方ないけど・・
若い人達は昔ほどお付き合いを重要視してないかもね。
毎週水曜日は定時で帰る事になっているし・・
夫の時代は会社とお付き合い優先でしたからね。
母子家庭みたいなものでしたよ。
色々思い出しました。

hamaさんへ
nakapa
こと宴会に限って言えば昔より今の方が好くなりました。
昔だったら福岡市長の達しなど総スカンだと思います。
今は議論の対象になっています。進歩しましたね。
もちろん、現在は別の問題があると思います。
ものごとはいろいろ変わりますね。


のん子
私も宴会大嫌い人間です。
お酒も飲めません。
例の会(老人会)で何時も問題になるのは、会食時のお酒です。
適当にお酒何本かって、同じ会費なのに損です(笑)
で、文句を言うと次の年は平等にビールとジュースとかになりますが次の年には又逆戻りです(汗)
余分に飲みたい人は自費でどうぞって言いたいです(^^ゞ

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世の中は不思議なものだ、虐待を受けているのに「あの人が好き」と言う人がいる。 広島、長崎に原爆を落とされ、日本各地を無差別爆撃されても、アメリカが好きだと言う人もいっぱいいる。

「子供のときアメリカ兵に叩かれました。これは虐待じゃあないですか?」
「そうかい」
「あの時の恐怖を忘れることができないのです」
「嘘を付け! ちょっと撫ぜてもらっただけだろ」
「叩かれましたよ。思いっきり三発です」

「それで反米になったのか」
「アメリカは大好きですよ。映画もジャズも」
「そうかい」
「英語だって大好きです」
「ヒネルトジャーデル(水道)、オーストアンデル(あんぱん)は聞き飽きたよ」

叩かれたのは終戦から2年後の1947年。まだ米兵は怖いと思っていた頃だ。 
その後アメリカ人にまつわる恐ろしい事件に相次いで遭遇するが、
その話は次回に譲るとして先に進もう。

事件はこうして起こった。
ある夏の夕暮れ時、6年生のタケちゃんが下級生数人を従えて美竹公園(東京都渋谷区)に行った。 1年生の私は何も知らないまま付いて行った。

美竹公園に着くとタケちゃんは「お前達はここに残れ、俺はチョット様子を見て来る」と言い残して、更に奥へ進んだ。

何故か一部の上級生がニヤニヤしている。 
私は意味の分からないまま草むらに寝転び、暇つぶしに星を見ていた。 
暗くなってきたが、皆と一緒だから怖くはない。

しばらくすると、遠くの方から女性の声が聞こえる。 続いて英語の怒鳴り声が聞こえた。 好からぬ気配を察した子供たちは、お喋りを止めそわそわしだした。

タケちゃんが走って来た。「逃げろー逃げろー、見つかったー、逃げろー」と叫びながら全速力で走って来た。ビール瓶が飛んで来た、石も飛んできたし棒も飛んできた。

皆いっせいに走り出した。私も走った。恐怖心に駆られて懸命に走っていると、突然身体が宙に浮いたように感じた。

「捕まった殺される」と思いパニック状態になった。
後のことは何も覚えていない。 
ただ、お尻をパンパンと何回か叩かれたことだけは覚えている。

ここまで話すと、思い出話を黙って聞いていた友人が異議を唱えた。
「何で暗がりから飛んできたのがビール瓶と分かるんだ。パニックなんだろう」
「繰り返し話題になったからです」

「何でアメリカ兵が怒って子供を追っかけるんだ」
「後で分ったことですが、タケちゃんがデートの現場を覗いたからです」
「ずいぶんマセタ子だな」
「頭がいいから早熟なんです。W大学を出てジャーナリストになりましたよ」


界隈は空襲で焼け野原になったので住宅事情は最悪だった。3畳一間に9人寝ている家族もあった。 極端に狭い家に居ると一人でも少ない方がいいので、子供の夜遊びは親にも歓迎されていた。

子供たちは夕飯後は外に出て路地や空き地に集まってお喋りするのを楽しみにしていた。 話題の中心は、集団学童疎開先の苦労話と空襲の恐怖体験なので、幼い私に出番はない。 
 
しかし、この「米兵お尻パンパン事件」以降は状況が変わった。 
皆で共有した恐怖体験だが、捕まって叩かれたのは私一人。
この話題では最年少の私が、突然ヒーローになったのだ。
今風に言えば「路上ちびっ子お喋り会デビュー」である。
一人前になった様な気がして嬉しかった。

幼い時の体験なので、何処までが私の記憶で、どこからが人から聞いた話なのか、今となってはサッパリ分からない。誰かがビール瓶が飛んで来たと言えば、それは私の記憶の中で事実となった。

実は、上級生の一人が建設中の渋谷小学校に隠れ、私を見守ってくれていたのだ。 上級生とは言え小学5年、勇気と義侠心のある少年である。 

助けるチャンスを探りながら一部始終を見ていてくれたのだから、今考えると頭が下がる。 私の記憶は彼の話に基づく部分が大きいと思う。

叩かれたときは、まさに恐怖のどん底だったが、大人になって思い起こすと、
お尻を叩いたのは幼児に対する米兵の愛かもしれない。
「悪いことをしたら、お尻ピンピンですよ」程度のメッセージとも解釈できる。

彼も私のことを覚えているだろう。ご存命なら80代後半くらいと思う。
会えるものならお会いしたい気持ちもある。

「中島パフェ」管理人が中島公園さくら開花を独自予想!
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【2012/04/07 00:00】 | 照る日曇る日
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朱庵
>「ヒネルトジャーデル(水道)、オーストアンデル(あんぱん)
初めて聞きました♪
ある後進国の要人が日本へきたとき、水がジャージャーでている水道の蛇口を見て【あれが欲しい・・・】という話がありましたね。
その国の、水の切実さに思いが伝わり忘れられません

恐い体験は それを見守る子供達の連帯感に支えら得てもいるのですね! 
ジーンときました。

今の子供達・・ゲーム機に夢中、ケータイに夢中!
人間同士の連帯感なんて 理解できない状況は 大人の売らんかな主義が生み出してもいるんですね・・。
そんなこと漠然とですが考えてしまいました。




朱庵さんへ
nakapa
いつも早々とコメントありがとうございます。
子供の頃は終戦後の英語ブームで流行っていましたね。
ヒネルトジャーネルとか、曜日を覚えるのに「金魚の天ぷらフライデー」
とか言ってました。
私より大きい子は、学童疎開とか空襲とかで大変苦労していました。
悲惨な話をジョークにして発散しているような感じで、よく聞かされました。


のん子
小1ならお尻ペンペンの部類でしょうね。
男の子ってそんな遊びをしていたのですね(笑)

私が子どもの時の記憶では外国人は少なくてガイジンって呼んで珍しかったような気がします。

のん子さんへ
nakapa
まさに、お尻ピンピンですね。
兄が二人いまして、どこに行くのも金魚の糞みたいについて歩きました。
その為、騒動に巻き込まれてしまったのです。

子供のころのお話面白いね
コマクサ
nakapaさんのエッセイ面白いですね。
私も子供のころ進駐軍見ましたが怖かったので隠れたことがあります。
中学の先生のお話も面白かったです。
中島公園さくら開花情報リンク見ました。
早く暖かくなってお花見が楽しみです。


hama
エッセイ拝見して
この4月からNHKの朝ドラの「梅ちゃん先生」の映像がダブって見えました。
終戦直後の焼け跡の東京ってあんなんだったんですね。
でも子供達が元気だったのが救いですね。
子供同士の上下関係など面白いです。

コマクサさんへ
nakapa
ありがとうございます。面白いと言ってもらうと嬉しいですね。
>私も子供のころ進駐軍見ましたが怖かったので隠れたことがあります。

それでは、追っかけられたり叩かれたりしたら、
もっと怖いと分ってもらえますね。
この後に遭遇した別の事件は、もっと怖かったし本質的に危険でした。
次に書こうと思っています。この際、恐怖体験はみんな書き捨てます。

hamaさんへ
nakapa
私も「梅ちゃん先生」、懐かしく感じながら観ています。
ただ、ちょっと違うところは当時は空き地は全て畑にしていました。
よそ様の土地でも囲いがしていない限り畑にしました。
どんな狭い土地でも空いている限り畑です。


ちゃちゃ
へ~え、1947年に小一だったのですかあ…。
計算あいますね。
ということは、そのときデートしていた女性は、
20歳としても、今はもう85歳のおばあちゃん。
あわない方がいいかもねえ。
きっと、きれいな女性だったのでしょう。

ちゃちゃさんへ
nakapa
おはようございます。
そうですね。女性は男性も、今となっては御爺ちゃん御婆ちゃんです。
会いたいと思ったのは御爺ちゃんの方ですが、
何処の誰とも分かりませんから無理でしょうね。
私が米兵に叩かれた事件は繰り返し話題になったので、
正確かどうかは別としてハッキリと覚えています。

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中学に入るとリセットされて新しい人間関係が生じる。 
楽しみにしていたが、期待に反して又もや悪戯三人組になってしまった。 
類は類を呼ぶといわれているが、三人三様性格もバラバラの寄せ集めだ。 
共通点はただ一つ、中学生にしては異常に背伸びしていることである。

米屋の息子はませている、中学生の知らない大人の世界を知っているのだ。
唐辛子屋の息子は自己顕示欲が強すぎる。
物事が上手く行かないとトンデモナイ悪戯をしでかす。
この二人は、息子を省略して「米屋」「唐辛子屋」と呼ぶことにする。

私は貧し過ぎた。不本意ながら行動は不良生徒と同じになってしまう。
木工所で働いていたが、そこには遊ぶ金が欲しい中学生も沢山来ていた。
米屋もその一人だ。そんなことだからアルバイト=不良というイメージを
先生方に印象付けてしまうのだ。

実際、アルバイト中学生は遊ぶことばかり考えている。
時には手を休めて、年上の女工さんにモーションかけたりしているのだ。
中学生、しかも1年の分際でホントに腹が立つ。
こちらは働かなければ食って行けないのだ。

話は変わるが、中学には若くて美しい女の先生が二人いた。 
一人は明るく朗らかな音楽の先生。 
もう一人は正直で生真面目な国語の先生である。
便宜上、朗らか先生、真面目先生と呼ぶことにする。

その日は校外学習だった。電車での往復だが帰りは先生方も疲れてくる。
しかし先生は決して座らない。先生にとっては厳しい校外学習である 
生徒を優先的に座らせるのが中学の方針らしい。  

座席に座って辺りを見ていると「朗らか先生」が、こちらに向って歩いてくる。
私の前で立ち止まると「ああ疲れた。座らせてね」と、言うが早いか私の膝の上に「ドッコイショ」と座ってしまった。

最初はビックリしたが、じわじわと先生の暖かさが伝わって来た。 
先生は私の事情を理解しているのだ。日頃の行動は不良生徒と同じだが、
そうしなければならない事情を理解して、それとなく伝えに来てくれたのだ。
”分ってるよ先生は味方だからね”と言われたような気がして心が和む。

禁止されているアルバイトに行くのは昼食や学費の為、休んだり無断早退するのはアルバイトの為だ。 しかし、表面的に見れば、遊ぶ金欲しさにアルバイトしたり、遊びたいから休む不良中学生と一緒だ。 

その他、様々な辛い事情を理解してくれていると思い、心から感謝した。 
これからは「朗らか先生」の前では無理をしてでも、規則に従い言うことも聞こうと決心した。
 
ところで朗らか先生のことは横に置いて、後で「真面目先生」が遭遇する、不幸な事件の話をしよう。 唐辛子屋が企てた「授業妨害テロ」の話である。

勉強は好き嫌いがハッキリしていた。真面目先生の国語は大好きだ。
朗読などは聴き惚れてしまう。 その日もいつもの様に先生の授業に集中していたが、なにか後ろの方がザワザワして来た。ハクション・クションとアチコチでクシャミが聞こえる。 その内に私の鼻もツンツンしだした。

振り返ると一番後ろの席に座った唐辛子屋が下敷きをバタバタさせている。
父親の工場から持って来た大量の胡椒を蒔いて下敷きで扇いでいるのだ。 
もう教室中で席を立ったり窓を開けたりの大騒ぎ。明らかに授業妨害テロだ。

騒ぎが収まると先生は唐辛子屋を前に呼びつけて叱ったが、先生の顔が青ざめている。 唐辛子屋の方は先生の前に立ち、なぜかニヤニヤしている。
ちょっとした実験のつもりかもしれない。彼は化学が大好きな実験マニアだ。 

先生はかっとなって手を上げた。上げたというよりも平手打ちをする構えだ。
振り上げた手は唐辛子屋のホッペを叩きに行った。 
まさにその瞬間、唐辛子屋はボクサーの様に体をかわした。
可哀想に先生の平手は空を切ってしまった。
 
面子を失った「真面目先生」は両手で顔を覆い泣きだした。
こうして唐辛子屋は不良生徒のレッテルを貼られることになった。
当然のことだ。

東京の学校では郊外学習でよく電車を使う。また同じような状況になった。
生徒が優先的に座り、先生が立っているのだ。

ありゃりゃ? 唐辛子屋の膝に「朗らか先生」が座っているではないか。
なんと言うことだ! 信じていたものが音をたてて崩れていくような気がした。

「優しい先生と信じていたのにカイジュウなんですよ」
「先生が怪獣?」
「懐柔なんですよっ!」
「そうか問題児に対する懐柔策か。先生も苦労するねぇ」

2012年3月22日更新情報 2011シンポジウムを易しく解説
ここから「報告書」にリンク →中島公園の資産活用「かんたん解説」


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【2012/03/10 00:00】 | 照る日曇る日
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朗らか 先生・真面目先生
朱庵
よき時代でしたね。
いたずら中学生、生意気中学生の男の子達!
それにしても、生徒の膝に座ってしまう 朗らか先生!ほんわりnakapaさんの心持も伝わってきました♪かわいいですね~!

でも「朗らか先生」の生徒達への平等な慈愛精神にnakapaさんの
>なんと言うことだ! 信じていたものが音をたてて崩れていくような気がした。

その音までも聴こえてきそう・・・です(空耳かしら?・うふふ)

豊かな思い出いっぱいのワンパクいたずら中学生三人組、のお話まだまだ書いてくださいませ。

朱庵さんへ
nakapa
いつも暖かい感想をありがとうございます。
生徒の膝に座るのも一種のボディランゲージでしょうか?
効き目はありますね。
「ああ疲れた。座らせてね」と、言われたら
「どうぞ」と言って立つのは普通ですね。
立つのを躊躇する。立つ間を与えない。
「あうん」の呼吸です(笑)。


のん子
ええ~っ今だったらセクハラで訴えられそう~(爆)
中学生の男の子って女の先生にほのかな恋心を抱くんじゃないですか?
nakapaさんにとって初恋じゃなかったんでしょうか?(^_-)-☆
でも自分だけじゃなくて残念でしたね~(^^ゞ

のん子さんへ
nakapa
まだ、終戦後の混乱を引きずっている時代ですから、学校も荒れていました。
「朗らか先生」は膝に腰掛けることで一人ひとり悪ガキを懐柔しました。
セリフもいつも同じです「先生は悪戯する人の方が好きなの」
生徒同士の陰口で分かります。
それでもダメな場合は体育の先生に訴えて、生徒を反省させるのです。
その後、二人は結婚しました。これホントの話です。


ちゃちゃ
当時の様子が手に取るように浮かんできます。
これも、もちろん、nakapaさんの文才によるものです。何だか、涙が出てきてしまうような、切なく、悲しい時代の背景が見えても来ます。
皆さまと同じく、続編に期待しています。


ちゃちゃさんへ
nakapa
文才なんてとんでもないです。ただ昔を懐かしがっているだけです。
今はとても幸せです。正直言って幸せな生活は楽ですね。
日常的なことを楽しみながら、休み休み暮らしています。
全力を振り絞って生きていたときが懐かしく思い出されます。
線香花火のように、終わり近くなるとパッと明るくなって、
それから消えるのでしょうね。
暗くてどうもすみません。


ちゃちゃ
いいですねえ。
平々凡々に暮らしていることを
幸せだと思い、
急がず、休み休み暮らすなんて
いいなあ!
私もそういう暮らしをしたいな!


フラダン
とても面白かった!どちらの先生も私は好きです、
大人になっても、誰かの膝に座ろうとする、
懐柔さを持ち合わせた方がおりますが、大体は、
誰にでもしてるような気がします、、、
子供の心は純粋ですから、ナカパさんの気持ちが
良く判ります、でも朗らか先生は問題児を上手に
扱うすべを心得ていた、なかなかの方の様ですね




ちゃちゃさんへ
nakapa
確かに、今はノンビリ楽しく暮らしています。
5年前には、想像できないほど楽な生活です。
しかし、一番苦しい仕事がまだ残っています。
誰もが迎えなければならない、あの時です。
またまた、暗い話をして、すみません。

フラダンさんへ
nakapa
60年も前のことで、陰口をするのも悪いのですが、
「朗らか先生」はズルイのです。
生徒の苛めに遭って泣くまでは「真面目先生」と一緒ですが、
その後が違うのです。
教室を飛び出して、屈強な体育の先生を連れてくるのです。
そして、私たち純真な生徒は整列ビンタを食うのですよ。
その後、しばらくして体育先生と「ほがらか先生」は結婚しました。
これはホント。これだけでなく皆ホントです。

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「事件? 発射実験じゃないのか」
「そうそう、発射実験です。中学生の私たちが一生懸命取組みました」
「そんなら事件だ。どうせろくなことではないだろう」

「月世界征服(米1950年)」という映画を観て興奮したのは中学生のころ。 
宇宙に憧れた同級生3人で、ロケットを作ろうとした。 
製作メンバーは米屋の息子と唐辛子屋の息子、そして経師屋の息子である私。
科学も技術も関係ない家庭で育ったイタズラ三人組が、初めてマトモなことに挑戦したのである。

「子供がロケット打ち上げなんてマトモじゃないよ」
「勉強しましたよ。宇宙旅行協会の指導を受けたのです」
「なんの勉強?」
「ロケットの作り方です。設計図とか…。目玉は燃料の亜鉛火薬ですね。」
「亜鉛で火薬?」
「そうなんですよ。亜鉛と硫黄を調合するのです。苦労しました」

枚方市にある「宇宙旅行協会」に入会し会費を払うと、毎月ガリ版刷りの会誌を送ってくる。それにロケットと火薬の作り方が書いてある。

発射実験場は幅の広い大きな道路工事現場に決めた。近くには作業員休憩所があった。 発射時刻は12時30分。 12時になると作業員は食事の為に休憩所に行くので無人になる。 

12時29分45秒にカウントダウンと決めた。 「スリー、ツー、ワン、発射!」と映画のようにカウントして導火線に火をつけたが、ロケットまで届かないうちに消えてしまう。 実験だからこんなこともあろうと思い、準備はしてある。 

予備の導火線を使ってやり直すとロケットまでは届いたが、今度は燃料に点火しない。 トラブル続きであせってしまう。 見つかったら大変なことになる。 
1時には荒くれ作業員たちが戻ってくるのだ。 とにかく時間がない。 

万策尽きて、ロケットを上に向けて立てて、その周りで焚き火をすることにした。 曲がりなりにも燃料に点火すればロケットは発射するだろう。

焚き火の勢いが強くなった。危険を避けるため50m離れた物陰に隠れ首だけを出して見守った。 ロケットがドッチに飛ぶか分からないからだ。 

ここまで来た以上、何がなんでも燃料に点火して発射してほしかった。 
贅沢は言っていられない。 どの方向でもいいから、とにかく飛んでほしいのだ。

突然の大音響にビックリしてロケットを見るのも忘れてしまった。
どこに飛んだかも分からない。
 
慌てて火を消し辺りを見渡すと、休憩所から作業員が飛び出すのが見えた。
こちらに向って走って来るではないか。 数十人の荒くれ男だ。
「見つかったぞ! 逃げろ~」とは言ったものの足がすくんで動けない。
3人でオロオロしている始末だ。

恐怖におののいたのはつかの間だった。 遠くから「おーい大丈夫か~」
と心配そうな声が聞こえる。どうやら逃げなくてもいいらしい。

「おい大丈夫か! 怪我はないか!」
捕まえに来たのではないと分かると、ちょっと自慢したくなった。
「ロケットの打ち上げをしていたのです。 燃料点火までは確認できたのですが、飛行方向の制御が難しかったですね…ペチャクチャペチャクチャ…」

「すげー音でビックリしたぞ。よかったよかった。怪我なくてよかったな~」
と、大勢の人が口々に言った。私の話など誰も聞いていなかった。

その「ロケット」は人を殺傷する力を持っている。 爆発音からして誰でもそう推測できる。 それなのに叱りもせず、ただ僕達が怪我もなく無事であることを喜んでくれている。

学校名も聞かれなかったので、後で先生から叱られる心配もない。
つまりお咎めなしだ。 ろくろく反省もしないで世の中は不思議だと思った。

挨拶しないとか、横入りしたとか、細かいことでは年がら年中文句を言われるのに、こんな大きな不始末をしても誰も文句を言わない。

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【2012/02/04 00:00】 | 照る日曇る日
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経師屋・唐辛子屋・米屋の息子達
朱庵
nakapaさんはなんと楽しい少年時代を経ているのでしょう!
夢を見るだけでなく即実践する行動力のある子供だったのですね!

導火線が消える様子、めげずに繰り返す様子、目に浮かんできました!

宇宙に憬れる中学三人組み、まだまだ埋もれた楽しいお話あるのでしょう!
掘り出して是非ご披露お願いします。
以前拙ブログへコメントくださった、愉快なお話!思い出して、にんまりしています。

いまどきの子供、経師屋・・・読める子もわかる子も少ないというか、いないかもですね・・・
唐辛子屋・・いいなぁ・・・
朝から楽しい時間をありがとう。

朱庵さんへ
nakapa
家は経師屋(きょうじや)と言っても終戦後は仕事がなくて大変でした。
店も焼かれてバラック暮らしです。
ブログにコメントしたとき「書いてみたら」とか言われたような気がします。
それを思い出しながら書いてみました。
少年時代は何をやるにも一生懸命だったので、書いてみたいですね。
しかし、読んで面白いかとなると難しいです。


空見
nakapaさんこんにちは。
「僕たちの七日間戦争」みたいで面白かったです。
それだけのことをして、よくオトガメがなかったデスね~良き時代だったのかな?昔は今と違い、けっこう子供も無茶をして遊んでましたよね(汗)
許された時代の楽しいお話、冒険の物語など、どんどん書いてください~(^人^)


空見さんへ
nakapa
こんばんは。
考えてみれば、テレビが普及する前の子供時代は、
集まっては無駄話ばかりしていました。
無駄話のネタも始終作っていたような感じです。
今は喋れないからブログに書いてみました。
なんだか叉喋りたくなりました。無駄話の喋りっぱなしです。


のん子
ほんと、お怪我がなくて何よりでしたね。
でもnakapaさんってスゴイです!
私、科学とか物理ってチンプンカンプンですもの(汗)
その応用で花火とかも作れるんじゃないですか?
私、花火観るのって大好きです(^^)


のん子さんへ
nakapa
私も科学とか物理とか苦手です。ただ、科学的なフンイキが好きです。
真剣な目をして実験する科学者とか格好いいですね。
フンイキだけですから、本物の花火作りは無理です。
映画とかで科学者の役などできたら嬉しいですね。
禿頭ですが、返って科学者のフンイキでるのではないでしょうか。


フラダン
試行錯誤しながらの発射実験一応成功したのですね
nakapaが、そんないたずら少年だったとは意外です
でも、さすが悪戯もインテリぽいです(笑い)
大事に至らなくて何よりでしたが、叱られると
思ったのに叱られずに気を良くして自分達の
高度な実験を、認めても貰う為に一生懸命言い訳
して居る様子が可笑しかったです、あの時代は
おおらかで大人も叱る分別をチャンと知っていたの
ですね。。。

フラダンさんへ
nakapa
残念ながら成功したとは言えません。爆発音を聞いただけですから。
後は驚いてオロオロしていただけです。
ただ叱られなかったのが不思議で、今でも覚えているのです。
本当は感謝したり、有りがたく思わなければいけませんね。
こんなイタズラをしたのも、自慢したい一心です。
このあたりは今も変わりません。
お恥ずかしい限りです。

好奇心旺盛
コマクサ
「飛行方向の制御が難しかったですね…」とは
後に難しい事を選ばれたのですね。
読んで行くうちに宇宙が空が好きなんだ~~と一人納得しています。
今では考えられない事が経験したのは宝です。

コマクサさんへ
nakapa
「飛行方向の制御」とは、何んとも恥ずかしい限りです。
垂直安定版を付けただけの話です。
最期は焚き火でメチャクチャですから、あっても無くても同じことでしたが…
大きな爆発音と休憩所から飛び出して来た作業員にビックリしました。
それが強く印象に残っているので忘れられないのです。

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今年も拙いブログを読んで頂きありがとうございました。 
書いていると、自分のことが少しずつ分かってきます。 
ですから、誰も読んでくれなくても、書くことには意義があります。

しかし、読んでもらえれば百倍も百万倍も嬉しいです。 
この「意義ある仕事」も、誰も読んでくれないと止めたくなるでしょう。 
続けられるのは皆さんのお陰と感謝しています。

しばらく、外出を控え冬ごもりします。 どうせなら楽しく篭りたいですね。
部屋の壁に観光ポスターでも貼ってハワイ風にしたらどうでしょう。 
窓から見える白い雪もワイキキビーチの白い砂浜の様です。
ベランダに沈む夕陽をぶら下げれば、ホントのハワイみたいですね。
さそかし、楽しいことと思います。

ところで、来年の目標が決まりました。「十病息災、全試合出場」です。
目標達成も楽ではありません。さっそく、うるさい人から異議がありました。

「十病とは大袈裟だな。仮病と怠け病も入っているんじゃないか」
「とんでもないです。一病息災ならともかく、十病となるとホントにビョーキです」
「まぁいいや。病弱なのに、何の選手をやっているんだ?」
「それを言われると、ちょっとつらいです」

野球の選手が、よく「今年の目標は全試合出場です」とか言いますね。 
病弱な私も、今年の目標は全試合出場です。 
つまり、試合とは日々の暮らしのことです。 
床に臥していては、試合に出られませんからね。 

「飯を食ったり、トイレに行ったりするのが試合かよ?」
「大切なことです。 それさえ出来れば楽しみなど、いくらでも見つけられます」
「情けないね~。俺と同じ歳なのに、寝込むにはまだ早いぞ」

「ところで、いつ風邪を引きましたか?」
「そんな昔のことは忘れたな」
「いつ立たなくなりますか?」
「そんな先のことは解らないよ」
「お元気でなによりです」

芸術の秋も深まる頃ですが、私はお仲間50人と一緒に名画「カサブランカ」を鑑賞しました。 楽しかったですよ。 

美しい女性と格好いい男の交わすセリフがいいですね。 私の憧れです。 
こんな会話がしたいのですが、チャンスに恵まれません。 

101123eigakai.jpg
上映前の映画会の様子。名付けて「サロン映画館」です。

イボンヌ「きのうの夜はどこにいたの」… Were you last night ?
リック 「そんな昔のことは忘れた」That's so long ago, I don't remember.
イボンヌ「今晩会えるかしら」 Will I see you tonight ?
リック 「そんな先のことは分からないよ」 I never make plans that far ahead.

イングリット・バーグマンやハンフリー・ボガードになったつもりで、
感情こめて読んでみたら、とても楽しかったですよ。
あなたもやって、みませんか。二人でやれば、なお楽し。

<お知らせ>
事情があって暫く冬ごもりします。 行事・会議、撮影・取材等、外出を伴う活動は休みます。
HP「中島パフェ」や、このブログは続けます。
拙い写真でしたが「今の中島公園」がウリなので撮りためた写真を使うのは残念です。 
支離滅裂になってしまったHPを再構築するには、いい機会だと前向きに考えています。 
来年もよろしくお願いします。

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【2010/12/27 19:14】 | 照る日曇る日
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朱庵
今年も楽しく読ませていただきましてありがとうございました。
nakapaさんのユーモアに富んだお話は読んでいてとても楽しくて、いつも心待ちにしていました。
冬篭りとのこと・・、ゆっくり籠るのもまた愉しき哉。どうぞ心豊かなる冬篭りとなりますように。
この映画会、実は私も籠っておりましたので(笑)参加できず、大すきな映画ですので、とても残念でした。
しゃれた会話、一人二役で楽しみます♪ウフフ。
どうぞよきお年をお迎え下さいませ。
ありがとうございました。

朱庵さんへ
nakapa
今年もコメントありがとうございました。
定年後はせっかく自由になったのだから、60代は何でもやってやろうと思っていました。
過ぎてしまえば、早いものです。アッというまでした。
映画の会話は私も一人二役で楽しんでいます。
よいお年を迎えて下さい。


ちゃちゃ
冬籠り、いいですね。
そうする勇気が欲しいです。
来年の予定は容赦なく飛び込んできます。
えっ、このスケジュール表って誰のだろう!と、
2011年の手帳を開き、反省しています。
ほどほどにしたいものです。


のん子
私は生意気なのか男性ブロガーさんとはすぐ喧嘩になってしまうのでnakapaさんは優しい方だってことが良く解ります。
でも異性だからこその考えも読ませて頂いて勉強になります(笑)
ご自分の、相手の考えを会話風になさっているのは、とても面白いです。
何時も更新を楽しみにしていましたよ。
来年もどうぞよろしくお願い致します。


ちゃちゃさんへ
nakapa
ご理解下さり、ありがとうございます。
仰るとおり冬ごもりは勇気がいるのです。私もやっと決心しました。
なかなか、ほとほどには出来ないのです。
アチラ立てれば、コチラも立てなければなりません。
ちゃちゃさんの苦労は分かります。よい年を迎えて下さい。

のん子さんへ
nakapa
ホントは優しくないのですが、そう言ってもらえれば、とても嬉しいです。
はい、これでも異性でございます。いろいろ煩悩もあります。
文章を正確に書くのが難しいので、一部会話風にしています。
「」の中は少々間違っていても許されると勝手に思い込んでいます。
来年もよろしくお願いします。


おーりーおばさん
なかぱさん

ご無沙汰しています。
春先の風邪でブログをお休みして引越し関連で
忙しくなりブログそのままに・・・・・

春先に山梨県の小淵沢に移ります。
信州とのほとんど県境です。
森の中で暮らします。

娘がパン屋を始めるので手伝います。

お元気で良いお年をお迎えください。

おーりーおばさん へ
nakapa
ホントにお久しぶりです。
山梨県の小淵沢に引越されたのですか。
それは、いろいろお忙しいことと思います。
娘さんと、ご一緒にパン屋さんとはいいですね。
仕事となると大変とは思いますが、なんとなくロマンチックに感じます。
よいお年をお迎え下さい。


フラダン
「冬篭り」ですか、、? うふふ。。。
あんまり篭って、四季篭り(引きこもり)には
ならないでね、HP「中島パフェ」、これからも
楽しみに見させて頂きます。

フラダンさんへ
nakapa
東京育ちの人は飛行機を、「しこうき」と言うそうです。
ハマ育ちは、もっと凄いですね。 引きこもりは、「しきこもり」でしょう(笑)。
あと三つ寝るとお正月ですね。 よい年をお迎え下さい。

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12月14日は楽しみにしていた「カラオケ忘年会」である。 
ご案内メールには、ダンスが出来る充分なフロアスペースがあると書いてある。 
さっそくダンスの練習だ。といっても畳の上で一人で足踏みするだけだ。
スロースロー、クッ…、クッ…と調子をとってね。

この日は、北海道新聞コラム「朝の食卓」忘年会と重なってしまった。 
残念ながら、16時にはカラオケ会場を出なければならない。
それなのに、15時30分になってもダンスの方は、全く盛り上がらない。

混雑に紛れて踊ってしまえば下手でも目立たないと思っていたのに、当てが外れてしまった。 よく考えてみれば、こんな早い時間に盛り上がるはずがない。
私の計画が甘すぎた。  

そうは言っても、残された時間は30分しかない。 
せっかくのスロスロ、クックッの練習がムダになろうとしている。

曲がりなりにも、予定通りダンスを楽しんだので、次の「朝の食卓」忘年会場に向った。 宴もたけなわの頃、執筆者と編集者の自己紹介が始まった。

K国総領事は「面白クナイカモ知レナイケレド、親善ノタメニ書イテマス」と言った。 いかにも行動的な感じの若い人は「何回も断ったが、ようやく余裕ができたので書くことにした」そうだ。

私なんか、執筆を頼まれた時は大喜びしたものだが、凄い人がいるのもだと感心した。 ところが、もっと凄い人がいた。 お医者さんだそうだが「今日は手術の予定が2件あったが、やらないで来た」とか言っていた。私の聞き違いかもしれない。

文は人なりと言うが、3人の女性は、コラムを読んだときの印象そのものだった。 Aさんはスラリとして聡明な感じ。 Bさんは明るく親しみ易い方。 Cさんは身体にハンディをもちながら、明るく頑張っている。 それぞれが知性溢れる美しい人だった。

エライ人がいっぱいいるので、安心していたら、最年長ということで閉めの乾杯を頼まれた。 何を言っていいか分からないのでオドオドしていたら、そわそわしだしたBさんの姿が目に入った。
 
明るくお喋りなBさんが、急に無口になり、そわそわしだしたのだ。 9時の列車に乗らないと、最終的に家に帰ることができないと言うのだ。

これぞ天の助けだ。「帰りの列車に間に合わない方も居られますので、簡単に致します。ありがとうございました。よろしくお願いします。乾杯!」

道内各地から来られた16人のユニークな人たちとの交流はとても楽しく、アッと言う間の5時間だった。 身内のカラオケ忘年会、初対面どおしの忘年会、それぞれ持ち味が違い楽しかった。 11月30日から始まった忘年会シリーズだが、
後いくつ重ねたら、新年を迎えられるのだろうか。

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【2010/12/17 19:09】 | 照る日曇る日
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フラダン
虚弱体質のナカパさん、忘年会のハシゴが出来るのですから、まだまだ大丈夫ネ、
一生懸命練習した、ダンスのステップもお役に立った様で良かったですね(笑い)
執筆者同士の交流も持てて又人の、輪が広がりましたね。
「問題は金 沈黙は金」のコメントで、名無しの権平になってしまってゴメンナサイね、
だんだん失敗が多くなりました、、、

フラダンさんへ
nakapa
忘年会のハシゴね~。確かにそのときだけは元気です。
問題は、その後ですね。若いときからそうでした。
いろいろタイプはあると思いますが、私は後に引くタイプです。
以前の「名無しさん」はフラダンさんでしたか。
気がつかなくて失礼しました。


朱庵
各種忘年会(なんだか変な呼び名ですが♪)
どこの集りもそれぞれの特徴があって楽しそうですね!
カラオケで楽しむことを覚えたというnakapaさんのお話、いいなぁ!とお聴きしていました。
ダンスの練習もなさって参加ですか!すごいなぁ!
でも楽しむことはチャントそれができるともっと楽しむことできるのですから、nakapaさんのやり方は大正解!
「朝の食卓」の皆さんとの交流の楽しかったこと、筆のあちこちに見え隠れしていますね!
新聞で二年間楽しませていただきました。
ありがとうございました。

ところでnakapaさん、お次は何をご用意していらっしゃるのでしょう?楽しみにしておりますよ♪

朱庵さんへ
nakapa
今は、子供と老人は何をやっても、許されるという感じで楽しんでいます。
期待されない人間像の特権です。今ごろになって歌って踊って楽しんでいます。
もちろん、文字通り真似事やって一人で喜んでいるだけです。
書く方は「朝の食卓」が双六の上がりのようなものです。これでお仕舞いです。


のん子
忘年会、楽しそうですね(^_^)
うちも夫はしょっちょう参加してるのに私は一件もないんですよ~(泣)
まぁハイキングと体操部だからかもですが(笑)

でも、お酒とかも入っていそうだし会費が重なると大変じゃないですか?(汗)


のん子さんへ
nakapa
私たちは、「貧乏ヒマあり」ですから、昼の場合も多いです。
やはり、夜の部は負担感じます。あまり行きません。
ハイキングはともかく、体操部とは凄いですね!


空見
nakapaさんこんばんは。
忘年会・・なかなか充実していて楽しそうじゃないですか!
こちらは人気のない寒くて寂しいところを歩くだけですよ、ただそれが好きなんですけどね~(笑)
じつはダンスは嫌いです、人間同士があまりに接近しすぎるのが、ちと {{ (>_<;) }}コワイかも。
ダメですね~非社交的で人間嫌い、今後はnakapaさんを目標にしないと (^^ゞ

空見さんへ
nakap
私も歩くのは大好きです。ただ、車も無いし遠くには行き難いので近場ばかりです。
そうですね。ダンス近づき過ぎますね。私は皆さんと一緒に足ふみしてるだけです。
ダンスとは言えません。一種のジョークです。

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10年前、定年退職したときは何ともいえない開放感を感じていた。 静かな喜びに包まれていたと言ってもよい。 しばらくすると、せっかく自由になったのだから、60代は何でもやってやろうという気になった。 
 
札幌市の老舗公園(中島公園)の魅力を紹介するホームページ「中島パフェ」を開設して、1年たつと、地元の新聞、地元のラジオなど、いろいろな方面から声がかかるようになった。

新聞テレビ、情報紙などの取材には積極的に応じた。中には記事にならないものも沢山あったが、まったく気にしなかった。記者の取材に協力することは勉強になるからだ。 

個人で出来ることは頼まれれば断らないことにした。 ごみ拾いから川の掃除、彫刻清掃など、出来ることは何でもやった。 好き嫌いを考えずに、何にでも手を付けた。

3年くらいすると、知らずに疲労が溜まっていたらしい。腰痛で立てなくなり入院。 それから2年後、疲労が原因で肺炎になり入院、病院のベッドでアレコレ考えて方針変更した。 これからは、「業務縮小」を基本にしようと決心したのだ。

20くらいの内、半分くらいは止めることにしたが、気が小さいので断るのが大変だった。 けっこうストレス溜まるものだと思った。 断り切れずに引きずってしまったものもある。 

人様に比べて活動的であったわけではない。 問題は私が虚弱体質であることだ。 見栄を張っても仕方がないので、そのことを宣言することにした。

しかし、シニアのボランティアの世界では、虚弱体質と自覚している人は多く、
「身体の調子が…」と言ったところで、「調子は皆わるいのよ」と言われれば、
それまでだ。

今年の10月、ついに70歳になった。古希である。 ここまで生きる人は稀だと言われる年になったのだ。 そのせいか2010年早々、帯状疱疹に罹った。 疲労による免疫力低下が原因だそうだ。 しかし、同じことをしていても他の人は罹らない。 言うまでもなく個人的体力差の問題である。

ところで、来年は壊れかかっているホームページ(HP)のリニューアルに取り掛からなければならない。 今までは、やろうとしても時間がなくて出来なかったことだ。 もはや待ったなしの状態に陥っている。

グーグル・ページランクというのがある。10月まではランク4で、一応人気HPの末席を汚していたが、今はゼロへと急落している。 

以前は「中島公園」をキーワードに検索すると全ての検索エンジンでトップに表示されていたが、これも軒並みダウン、今は見る影もない。 HP「中島パフェ」の改修に手を抜いていた咎めが、ここに来て一挙に表面化してしまった。

体力は人によって違うのだから、比べてみても仕方がないが、一升枡には一升しか入らない。 それなのに人並みに動こうとしたのが間違いの元と思う。

私の枡に入る量はHPをまともに維持して運営するくらいの量と分かった。 いろいろ辞めて、最後に残ったのが札幌のシニアネットだが、これだけは辞めたくない。 どういう形で残るか思案中である。

ところで、在職中は仕事に差し支えるので風邪薬は休みの日しか飲まなかった。 そのため鼻と喉には、年がら年中悩まされていた。 

退職してからは自由に飲んでいるが、10年もたつと心配になり、医者に聞くと
「2か月ごとに検査をしているけれど、特に異常がないので大丈夫でしょう」
と言うことだった。 

今では、喉が痛いことも鼻が詰まることも滅多にない。本当に薬は有難い。 
それに大丈夫と太鼓判を押してくれる、お医者さんも有難い。感謝。

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1971年、運輸省(当時)はアメリカ連邦航空局に日本の航空管制の診断を要請したが、「管制システムがアメリカに比べ10年遅れている」と指摘された。

航空界が急速に発展している時代のことだから、10年の差はとてつもなく大きい。 今で言えば、「あなたのパソコンは10年古い」と言われたようなものだ。

70年代後半になると、日本の管制システムは急速に発展しだしたが、それはハードだけ。 教育訓練、運用などのソフト面では、ハードの発展に追い付かない状態が続いていた。 今はどうなのだろう? 残念ながら退職して10年もたった私には分からない。

空港の一番高い所にある管制塔で働いているのが航空管制官であることは、よく知られている。 しかし、航空路を担当する航空交通管制部の仕事は、一般にはほとんど知られていない。

先日旭川空港周辺で管制官が関わる航空機の異常降下があったと報道された。 その航空機の管制を担当していたのが札幌航空交通管制部だ。 旭川周辺の航空機の管制を、なぜ札幌でと疑問に思った方も多いと思う。

航空機は空港から出発して空港に到着するが、線路と同じように網の目の様な航空路がある。 そこを担当するのが航空路管制官である。

航空機を目で見ながら管制する管制塔での仕事はほとんど変わっていないが、航空路管制は、ノンレーダーからレーダー管制、更にレーダー情報処理システムによる管制へと大幅に変化した。

現在は言うまでもなくデジタル時代、レーダースコープ上にはデジタル化された航空機シンボルに便名、高度、進路、速度などが付随して動いている。

ノンレーダー管制とはなんだろう? これを一言で説明することは難しい。 実際にはレーダーを使う管制と使わない管制は混在しているからだ。  

当時、欧米ではレーダーが普及していた。 先進国では日本だけが「レーダーを使用しない管制」を基本とした航空路管制を実施していた。 タワー(管制塔)と違って目視はできないのだから大変だ。

レーダーも無いコンピュータも無い、あるのは無線・有線電話、紙と鉛筆だけだ。 運航票と称する20センチ幅の細長い横長紙片に便名、高度、速度等あらゆる情報を鉛筆で書いていた。書いては消しての情報更新だ。

沢山の運航票を航空機とみなして、これらを上下左右に並べて航空路管制を行っていた。 必要な情報は運航票と呼ばれる紙片に書き足して行く。
紙片はプラスチックのホルダーに挟んで使う。

レーダーの代わりに紙片とにらめっこしながら、無線電話で航空機に指示を出す。 指示を出せば紙に書き、高度が変われば紙に書き、何でもかんでも紙に書く。 レーダーが無いから航空機の動きも紙にメモする。

その紙片は航空機の動きに合わせて上に上げたり下に下げたり、ときには放り投げたり捨てたりする。 管制官は紙片に書いてある数字を見て位置関係を確認する。空間把握は頭の中でやらなければならない。

「網の目の様な航空路を飛んでいる沢山の飛行機をレーダー無しで把握するのは大変でしょう」と記者が言う。
「紙に書いてある数値から推測するのです」と答える管制官。
「まさに神技ですね」と、記者はお世辞を言ったつもり。
「そうなんですよ。私たちはカミワザシなんです」
「神技師? そんなに自分を褒めちゃっていいんですか」
「違います! 自嘲してカミワザシです」
「じちょう?」
「レーダーもなく、紙と鉛筆だけで仕事をしているので、ペーパーの紙技師です」
「なるほど、自嘲ですね」
「アメリカの管制システムと比べて10年は遅れていました」
「航空界の進歩は著しいから、10年は大差ですね」
「はい、電探と竹槍くらいの差があります」

電探とは電波探知機の略。皆さんご存知のレーダーのこと。 レーダーは戦後アメリカで、早くから航空管制システムに導入された。 1972年当時、紙と鉛筆で行う日本の航空路管制とは雲泥の差だった。

しかし、紙と鉛筆の仕事にも大きなメリットがあった。当時、そんな言葉はなかったが今考えると、それはまさに省エネなのだ!  レーダーと電算機を備えた、新管制部は旧管制部の30倍くらいの大きさになってしまった。

<レーダー(電波探知機)>
海上戦闘でも、サボ島沖海戦やビラ・スタンモーア夜戦で、アメリカ海軍がレーダーを活用して日本海軍を相手に勝利をおさめた。補給路を脅かす潜水艦に対してもレーダーは有効に働き、連合軍の海上輸送路の防衛に大きな役割を果たした。こうして、レーダーは戦略上重要な兵器であることを実証した(ウィキペディア)。

<竹槍>
明治に入ると廃れていたが、第二次世界大戦の日本では本土決戦に備えた国民義勇隊の主要装備のひとつとされ、学生や主婦など民間人の間で竹槍の製造と訓練が行われた(ウィキペディア)。

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【2010/11/14 00:45】 | 照る日曇る日
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ちゃちゃ
難しいことはよくわからいけれど、
空港での飛行機の発着を見るたびに、
よくぶつからないなと思ってしまいます。
管制官の方々の地道な努力があるのですね。
脱帽です。


朱庵
カミワザ・・・神業・神技・はたまた紙業!紙技!
凄い時代に鍛えられたのですね!

なんだか映画の一場面を見ているような現場の動きのすごさ!
まさしく、技以上の業の世界、ごくごく少数の人しか経験していないことですね!
経験しなければ書けない内容、nakapaさん、真面目に小説書きませんか!
これ凄すぎます!是非書いてくださいませ~~~~!!
面白すぎます!

ちゃちゃさんへ
nakapa
「あわや大惨事」といっても実際の事故ではないので、
そちらの報道は少ないと思います。
北海道新聞では連日取り上げられ、
半月たった今日も社会面で大きく取り上げれれています。
札幌管制部は私が3回の勤務で30年近く勤めていたところです。
それで他人事とも思えず書いてしまいました。

朱庵さんへ
nakapa
間違えてしまいました。 神業では神様屋さんの様ですね。
お陰さまで間違いに気が付き、書き直すことができました。
ありがとうございました。
古いことなので、他にも間違いを見つけました。
かなり、修正して何とか読んでもらえる水準に達したと思います。
私が思うだけですが……。

はじめまして
bongo
nakapa様、初めまして。
私は今は霞ヶ関で働いていますが、管制官のかけ出しは札幌管制部でした。当時はもうFDPシステムが動いていて、ストリップは離陸時間を打ち込むことで自動的に出てきましたが、まだまだ不安定な頃で、よくシステムが停止し、先輩が「JALXXX,エアボーン,XXXX」というのを聞いて、経路はスタンプ、FIX通過時間を頭で計算してストリップに書いてわたしていたことを思い出しました。
それが今や電子ストリップ。
進歩が速いのか、遅いのか・・・
いずれにせよ、最後は人間頼み。それを忘れずにこれからも仕事を続けて行きます。
お店は中島公園にあるのですか?
今後札幌に行ったおりには、必ずよらせていただきます。

航空機事故に対する考え方
北海のトラ
日本では、飛行機事故が起こると業務上過失致死の疑いでパイロットを拘束したり管制官から事情聴取をしたりする。当事者は、自分の罪を軽くするため自分に不利な事はなるべく言わないようにする。
アメリカでは、今後の事故防止に役立てるために事実を究明する。そして、事故にかかわったパイロットも整備士も罪を問われず刑事罰も課せられない。但し、社内規定で運行に従事する事を禁止又は制限されるらしい。アメリカの方が正論ですね!


bongoさんへ
nakapa
初めまして。
スタンプは懐かしいですね。経路を全部書くのは大変だからゴム印を用意しました。
紙のストリップに馴染んでいると、電子ストリップは怖いですね。
紙の内に退職できて好かったです。
私は札幌管制部に合計30年近くいましたから、お会いしているはずですね。
申し訳ないのですが、お店は持っていないのです。
完璧な中島公園のホームページを目指して「中島パフェ」というタイトルにしました。
パーフェクトでは長いので、フランス語のパフェからとりました。
今、霞ヶ関ですか。大変ですね。お身体大切にしてください。



フラダン
難しい事は私には良く判りませんが、命を預けて
飛行機に乗れたのは、ナカパさん達の様な
裏方の皆様の尽力があってこそですね、便利になれば
メリットもあれば、デメリットもありますね、
どんな時代になっても、神技の持ち主が存在したから
です、紙技のナカパさんに敬意を、、、改めて!


北海のトラ さんへ
nakapa
「フウテンの寅です」とか、寅さんファンの私は、
つい言いたくなってしまいます。
航空システム運用の中で起きた一個人の過失を事故原因の全てとするのは間違いです。
もともと刑事事件の捜査には向いていないと思います。
厳密な事故調査の為には、刑事免責は必要です。
弁護士(被告)と検察の攻防にしたら、原因調査の妨げになるのは明らかです。
不思議ですね。こんな状態が長年続いているのは。
ひょっとして、警察や検察が仕事を手放したくないのかと勘繰りたくなります。

フラダンさんへ
nakapa
ノロマの私は、紙技も、その他の技も一切ありません。 
敬意とか言われたら穴があったら入りたくなります。
ノロマで不真面目では何処の社会でも爪弾きにされます。
ですから、真面目に仕事に取組んだことは確かです。自己防衛です。
その代わり仕事止めてからは、その反動が出ました。
やたらにノロマで、やたらにへらへらして不真面目です。
困ったことに、私自身は幸せを感じています。

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10月29日の新聞に管制ミスに関する二つの記事が載っていた。一つは旭川周辺での航空機異常降下、もう一つはニアミス事故で航空管制官の刑事責任が問われた裁判についてである。

一つは私自身が長年働いていた職場で起こったことなので、否が応でも在職時代のことを思い出す。 一瞬の内に判断し、素早い対応を求められる仕事は、私にとっては、過酷なものだった。

よく言えば慎重、亀のようにノロマな私には向かない仕事だが、虚弱体質で、なんの技能も持たないので、職を選べる状況にはなかった。 資格を取って現場で仕事を始めたとき、私がこの仕事に向いてないことが分かった。

それ以来、何をするにも人一倍努力した。 努力に努力を重ねて、やっと人並みの仕事をした。 虚弱体質の私は、肉体労働が如何に辛いかは充分経験していた。 管制の仕事を止めたら生きる道はないと思っていたので、仕事には全力を尽くした。

久しぶりに元同僚のAさんにあったとき、私たちの元職場で起こった航空機異常降下についても話題になった。 あってはならないことだけど、ミスは誰もがする。

優秀な人も、真面目な人もミスをする。それなのに新聞など読むと、アホか不真面目な管制官がミスをしたような印象を受けるから不思議だ。 

新聞の見出しに書いてある「初歩的ミス」。 これもピンとこない。 管制の指示は「上昇せよ」「降下せよ」「右に曲がれ」「左に曲がれ」と、一つひとつは極めて単純だが、いろいろ組み合わされて複雑な状況が作られる。 一部分を切り取れば全て初歩的ミスになる。

「同じ仕事を、叉やれと言われたら絶対にやりたくないね」とAさんは言った。 
私も同じ思いだ。

定年退職をした時の開放感は今でも忘れられない。道を歩いているだけでも幸せを感じたものだ。 もっと楽しいこともある。それは、何でも自由に話せることである。 

在職中は絶対に言えなかった言葉があった。そんなことを言ったら一緒に働いてくれる人が居なくなるからだ。 今では年がら年中言って楽しんでいる。 
その言葉とは「私、ノロマですから」。

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【2010/11/06 23:53】 | 照る日曇る日
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朱庵
「私、ノロマですから」
って、あらまぁ私もよく言ってます(笑)
特に最近口にしています。
言ってみても、それが解消される訳ではないのも自分では知っているので、益々口に出てしまいます。

>道を歩いているだけでも幸せを感じたものだ。 もっと楽しいこともある。それは、何でも自由に話せることである

実感こもっていますね~!ジ~ンときました。
たくさん楽しんでください!



朱庵さんへ
nakapa
自由に話せるようになっても、話相手がいなければ宝の持ち腐れですね。
こうして楽しく暮らせるのも、皆さんとの出会いがあればこそです。
このことにも感謝しなければなりませんね。


のん子
大変なお仕事をなさっていたのですね。
人の命に関わるお仕事、医者、看護師、パイロット、運転手さん等、日々のストレスは想像を絶するものだと。
私は初歩の子ども達にピアノを自宅で教えていたのですが兄弟で来られた場合(親は送迎のみ)一人を教えている間に一人がじっとしていないので怪我でもされたらとレッスンどころでなかったことも(汗)
帰宅時間になっても帰らないと親から報告を受けて真っ青になったことも(本人の寄り道)
やはり仕事を辞めた時の解放感はたまりませんでしたね(^^)/

のん子さんへ
nakapa
小さな子は可愛い反面、何するか分からないので心配が尽きませんね。
ご苦労、お察しします。 皆さん仕事ではいろいろ苦労なさっていることと思います。
全ての人に開放感を味わって欲しいものです。それにはサムマネーが必要ですね。
老後くらいは、ゆっくりノンビリ暮らせる余裕があるといいと思います。


フラダン
大変責任の重い仕事をなさっていたのですから、
退職し、ホットなさったお気持ちは、良く判ります
長い間お疲れ様でした、でもナカパさんは、その後の人生
とても有意義に楽しく過ごしてるではありませんか!
「のろま」とおっしゃっておりますが、心はとても
進歩的で時代の先端を行って居ると思います。

フラダンさんへ
nakapa
そうですね。その後の人生は有意義というか、楽しんでいます。
考え方は前向きですが、行動はノロイですね。
同じことをやるにも、早くやれば苦しいのに、ゆっくりやれば楽ですね。
スローライフをたのしんでいます。


ちゃちゃ
あら、まあ、
そういう種の仕事に就かれていらしたのですか。
突っ走るのはよくありません。
何事にも、ゆっくり、じっくりと対しましょ!
「ノロマ」結構!結構!最高です。
私なんぞ、最近は歩く速さも遅くなり、
きっとこれはこれからの人生の時間を
大切にしているのだと思うことにしています。


ちゃちゃさんへ
nakapa
仰るとおりです。年をとったら否が応でも時間が過ぎるのが早いですからね。
せいぜい、時間は延ばし延ばし、ゆっくりと使おうと思います。
特に食事はゆっくりとりたいですね。食いしん坊だから、沢山楽しみたいです。


空見
こんばんは♪
ストレスの多いお仕事?颯爽として仕事のできるイメージですけど^^;
それで退職後はノンビリとされたかったんですね、納得。
お食事はゆっくり楽しく気分良くしたいものですね、同感です。nakapaさんのように素敵な旦那様なら、床の間に飾って大事にするのに・・私ならば(笑)

空見さんへ
nakapa
ええ、ノンビリ大好きです。ノロマですから性に合っているのです。
退職して、やっと本来の自分になれた様な気がして、楽しくて仕方ないです。
みんなでランチ食べても私が一番遅いのですよ。長い時間楽しめるのです。

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何とか楽しんで来たと思った二泊三日の船旅だが、余韻を楽しむ間もなく
意外な感想を言われてガックリ来た。
「旅に出たら、本性現れるってホントだね。小うるさくて、やんなっちゃったよ」

私が堪えに堪えていたことを、相手に先に言われてしまったのだ。 
今更「私こそ!」と言っても、もう遅い。 こういうことは先手必勝だ。

思い当たることが一つある。 船内見学に行く途中のことだ、何かイベントがあるようで、人だかりがして見物人が廊下まではみ出していた。 

「そんな所に立ち止まらないで下さい。ここは廊下ですよ」
「みんな廊下で観てるでしょう」
「ここで止まったら、誰も歩けなくなります」

ようやく、前に歩き出したが、不満そうに膨れっ面をしていた。 
このことを根にもっているのだ。他に小言をいった覚えはない。

私こそ、小うるさいことを一々言われて頭にきていたのだ。 
部屋を出ようとすると「何処にいくの?」 
酒を飲もうとすると「赤くなるからみっともない」
トイレに入ろうとすると「うるさいから我慢してよ」。
(確かに船のトイレは水の倹約の為、圧力を使っているのでうるさい)
「食べ過ぎるな」「着替えろ」「船酔い薬飲むな」とか、何とも小うるさい。 

gouka1.jpg

こんな訳で、ヒマになるとデッキに出て海ばかり見ていた。 同居人はテレビだ。 家で毎日観ている様な番組を船に乗っても観ているのだ。 

ホンノちょっぴりでいいから、お金持ちの真似をしようと思って乗った船なのに、
一体なにをしているのだろう。 もったいない!

だが待てよ。 考えてみれば余裕綽々ではないか。 船に乗っても家の中と同じ生活をしている。 それに比べて私はどうか。 (私にとって)大金を払ったんだからと思い、家では出来ないことをやろうとしている。

gouka2.jpg

必死に海を観ていたのだ。思い起こしてみればガツガツしていて情けない。 
「三つ子の魂百まで」と、昔から言われているが本当だ。

およそ30年前のバブル景気で中流になったと思っていたが、貧乏症は治らない。 私は不治の病に罹っていたのだ。

小林旭のように、ズボンのポケットに左手を入れて高らかに歌いたくなった。
♪……いつになったら この淋しさが 消える日があろ 今日も今日も旅行く♪
(作詞:西沢爽「さすらい」より)

「豪華客船の思い出」はフィクションです。

木下成太郎像(朝倉文夫作)~シンポジュウム2010「北の彫刻」~

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【2010/10/03 08:51】 | 照る日曇る日
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ちゃちゃ
nakapa さん、おはようございます。
わかります、わかります!
私も非日常を楽しまなくっちゃと
船内のイベントをくまなく調べて
アチコチとウロウロするでしょう
でも、悲しいことに
豪華客船の旅なんて
夢のまた夢!
いつの日か船上の人となれるでしょうか


のん子
どの夫婦でも似たようなことは思い、言っているような?(笑)
大阪弁に直せば、もう~一々煩いなぁ、あんたかて一緒やん! それもそうかぁ(うちの夫は言いませんが)
そのことが夫婦間で何時までも残っている例は少ないような?
相手によりけりかもですが、その場で言い返す(お笑いになるように)にしてます。
私的には部屋を出て行く時は言って欲しいです。だって何時までも帰って来なければ何処へ探しに行けば良いのか解りません。
後は何で~って理由を聞きますが?
面白い答えが返って来るかもですし(^_^)


ちゃちゃさんへ
nakapa
おはようございます。
分かってくれてありがとうございます。
2泊3日はお試し参加ですね。
本番あっての、お試しなのに、
それこそ本番(100日くらいかな)は夢の夢。
お験しの必要はなかったようです。

のん子さんへ
nakapa
私は小うるさいこと、言われてばかりいるのに、
1回言えば、小うるさいと言われるのです。カウンター付けてほしいです。
お笑いで言い返せればいいのですが、ウチの人は笑いません。
出かけるときは、帰る時間を言っているのですが、何処に行くか知りたいようです。
それでも探せませんね。やっぱし悪いかもしれません。


ポアロやマープルのように♪
朱庵
このところ、ポアロやマープルの面白いTVを観たせいかもしれませんが、この素晴らしいASUKAでも何か事件が起きなかったのかしら?なんて空想して愉しんでいました。
(ごめんなさい!)
でも海をずーっとお友達として過ごした時間、nakapaさんにとって、秘かに楽しんだこといっぱいおありだったのだと、推察しております(^^)



フラダン
えっ!どうして?自分のコメントを見てみたら
やっぱり管理人のみ閲覧になってる??
どうしてかしら、又試してみたのだけど
今度はどうかしら、、?

朱庵さんへ
nakapa
事件と言えば、「無料と思って飲んだら、請求書が来た」とかくらいです。
それとキャビンとデッキの部屋内別居ですね。
私は海を見たり、行き交う船をみるのは好きです。 ノンビリします。


フラダン
ウフフ。。。久振りにナカパ節が出ましたね。
どこの夫婦だって同じような物ですよ~
他人だったら我慢出来る事も気心知れた仲ですから
つい互いに我がままも出ます、喧嘩するほど
仲が良いと昔から言うでしょう~
前回のコメント何故か名無しになっちゃって
ゴメンナサイ、、、ミスちやった様です。



フラダンさんへ
nakapa
エッヘヘ……、軽い「ウラミ節」です。知らぬが仏。お陰さまで平穏無事です。
”「豪華客船の思い出」はフィクションです”←新対策?
前回のコメントもありがとうございます。


hama
夫婦って旅行すると必ず揉めますね。
我が家でもそうでした。
家にいる時より性格がもろに出ますね。
夫は食べる事飲むことが優先 私は見ること優先・・私はゆっくりのんびり 夫は早く早くと次の目的地へ急ぐ・・等々
今思えば懐かしい思い出で苦笑する事ばかりです。

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「お金持ちの真似をしたかった」と、答えた乗客がいた。 客船「飛鳥Ⅱ」には、
テレビの取材クルーも乗っていたので、そのインタビューに答えていたのだ。

しかし、なかなかお金持ちの気分にはなれないものだと、つくづく感じた。 
生まれ変わらい限り、絶対になれないと自覚させられた出来事があったのだ。
悔しくて、悔しくて一週間たっても、まだ覚えていることが……。

一日目のディナーは、ドレスコード、インフォーマルと言うことで、新調したスーツを着て行った。 スーツは20年前のしか持っていないので、仕方がなく買ったのだ。

ボーイがメニューをもって来て、なにやら言っていたが、何を選んでよいかサッパリ分からないので、何でもはいはいと肯いた。 最後に「ワインにしますか、ビールにしますか?」と聞かれたので「ビール」と答えた。

しばらくして請求書が来てビックリした。 「えっ! なんで? 有料なの??」
と思い、ヒッカケられた様な気がして不愉快だった。

確かに、ソフトドリンクは無料で、アルコールは有料と聞いている。 
それなら「ワインかビールか、とか聞くな」と言いたい。 
私はディナーに付いていると勘違いしてビールと答えたのだ。

今では、少しでも売り上げを上げようとしてヒッカケたのだと確信している。 
こう思ったのは私だけではない。 

これに懲りて、何が有料で何が無料かシッカリと調べた。 その場ではなかなか聞きにくいものだ。 なにぶん私たちは「お金持ちになったつもり」なのだから。

翌日、広々とした海の見えるラウンジでケーキを食べながらコーヒーを飲んでいると、珍妙な会話が聞こえて来た。 

rounge.jpg

乗客に外国人ウエイトレスが、「コーヒーはいかがですか?」と聞いている。
「無料ですか?」と、乗客が確認した。 私と同じような苦労をしたのだろう。 
お仲間がいたと思いホッとした。

「ムニョウ?」
これには驚いた。ウエイトレスには、この大切な言葉が通じないのだ。 
他ならぬ料金のことだ。知っておくべき業務用語と思う。

「只ですか?」と聞き方を変えたが、それでも分からない。 事前の説明会では、外国人でも日本語でOKと聞いていた。 全然、OKでない。 無料か有料かという、客としては一番重要な部分が通じないのだから困る。

最終的には、ウエイトレスが日本人スタッフに聞きに行き、乗客は無料でコーヒーを飲むことが出来た。 しかし、お金持ち気分は吹っ飛んだに違いない。

この有料、無料の仕分けがハッキリしない部分が一部にあったが、船旅は楽しいものだった。 改善するとしたら、この部分くらいかなと思った。

因みに二泊三日の料金は一部屋二人分で22万から90万円。 もし103日間世界一周なら、一部屋二人分で870万から2,5000万円。やはり、金持ち気分を味わおうと思ったら千万は必要だ。 

私はノンビリできれば貧乏旅行でいい! 
しかし、2泊じゃ足りない。 3泊はしたいと思う。

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【2010/09/24 11:06】 | 照る日曇る日
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のん子
よ~く解ります、その気持ち!(笑)
うちは舅の遺産が入った時に何回か海外に出かけ、飲み物代が別って知りました。
只、関空出発ですから大阪人が多く、お金には細かく何時も誰かが仕切ってくれて、ビールが大体一番安く、注文しなくても良いってことも知りました。何人かで分けたり飲めない人は無理にジュースとか注文しなくなった時も(^_^)
後、チップとかもややこしかったですよ。
土産物店に無理に連れて行かれてってことはなかったですか?

のん子さんへ
nakapa
お土産店は、無理にとは思いませんが、500円2時間の新潟観光がありました。
申し訳程度の観光と、大きなお土産店に連れられました。
船内では無料・有料の仕分けが分からず悩んだ点はありましたが、船旅は楽しかったです。



名無しさん
忙しくて暫くお伺いしてなかったら、いつの間にか
リッチな船旅を楽しんで居たのね!いいなぁ~
外国人ウエイトレスの「ムニョウ?」には思わず
笑ってしまいましたが、ほんとに肝心な事を
はっきり判る様にして欲しいですよね!でも楽しい
旅でよかったですね!


ちゃちゃ
私はお金持ちではないので、無料か有料かということには非常に気をつけます。
国内でもそうですが、注文を取る」ボーイさんたちは必ず「お飲み物は?」と聞いてきます。
必要にないときは「お水を…」といいますが、その水さえ有料のことがあります。
ボーイさんたちはお金を払ってくれません。お金を払うのは飲んだ人なのですからね。


朱庵
旅に出て、色んな収穫を得て、又日常に戻る、そして更に日々の暮らしが豊かになる!
人生の思い出に彩を添えるASUKAで過ごした得がたい時間、私にはそのことが素晴らしいと思えるのです。
有料・無料、有形・無形の色々なお話、愉しみにしていますので、色んなお話も続きでお願いします!

名無しさんへ
nakapa
2泊三日ですから、見学のようなもので、リッチとはほど遠いです。
乗客のほとんどは、私のような初めての人です。
私同様、いろいろ戸惑っていました。
お験しで夢を見に行った様なものです。そういう意味で楽しかったです。

ちゃちゃさんへ
nakapa
私も、分からないときは、必ず有料かどうか聞きます。
しかし、今回だけは雰囲気に押されて何となく聞けなかったのです。
情けないですね。なれない場所では、なかなか普段どおり行きません。

朱庵さんへ
nakapa
初めてのことは、戸惑うこともありますが、楽しい想い出にもなります。
確かに、非日常体験には得難いものがあります。
日常の暮らしと離れていれば、離れているほど収穫があるように思えました。
ありがとうございます。続きも一つやってみたくなりました。


hama
まあ~さすが船旅はお高いですね~
一番安いのでも 海外旅行8泊9日分のお値段ですよ。
nakapaさんはやっぱりお金持ちです。
したくても出来ない人はいっぱいいますから・・
無料か有料かは 誰でも気になるものです。
たとえお金持ちでも。
人には誰でも倹約の遺伝子が備わっているものだと聞きました。



hamaさんへ
nakapa
お金持ちなどとトンデモナイです。私はほとんど旅行はしません。
今度の旅行も15年ぶりです。定年後初めての旅行です。
冠婚葬祭で旅行することはありました。
私の旅行は全て「お付き合い」でするので楽な方がいいです。
家から徒歩3分の中島公園内旅行で満足しています。
小さな旅行で、毎日小さな幸せもらっています。


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二人で旅行は15年ぶりだから、行きたくないけれど仕方がない。 皆もっと行っていると言われれば断れない。 二泊三日の海の旅だから楽そうだし、5万トンを超える大きな船だから船酔いの心配もなさそうだ。

乗船中、アルコール以外は食べ飲み放題だから有難い。 食っちゃ寝、食っちゃ寝の旅は私には向いている。 三食の他に、朝の6時から夜の12時までいろいろな、飲食コーナーが開いている。

それに、ショー、音楽、映画なども自由に観れるし聴ける。 何の能もない私にはピッタシだ。 乗客750人に、乗組員500人とは凄い。 そこらじゅう人だらけで寂しくない。 不精で虚弱体質の私でも問題なさそうだ。 自分なりに楽しめるような気がした。

asukaII.jpg
う~んでかい! ホテルより客室が一杯ある。 これだけ大きければ揺れないだろう。 船に弱い私には、大きいことは安心に繋がる。 しかし、750人の乗り降りには40分も時間がかかる。 船の前には送迎バスが20台以上も並んでいた。

rouka.jpg
ただの廊下だが、これだけ長いのは見たことない。 珍しいから写真に撮った。
私のデジカメでは、奥の奥までは撮れない。ホントはもっと長い。

shukkou.jpg
高校生の吹奏楽で見送ってくれた。 乗客は沢山、見送りは少しだからテープを受ける人は大変だ。 以前、沢山のテープを受けすぎて、テープが身体に絡まり出航する船に引きずられる珍事があったそうだ。 海に落ちたか、どうかは定かではない。

sentou.jpg
船の先頭に近いラウンジ。 ここでもコーヒーが飲めるし、ケーキも食える。

dekki.jpg
私の連れは客室でテレビをガンガンかける。 やれ菅がどうした、小沢がどうしたと喧しい。 騒音に耐え切れずデッキに出たが、ここがたいそう居心地がいい。 
部屋にいるときはほとんど、このベランダのような場所に出て、潮風に当たりながら海を眺めていた。

dekki2.jpg
テレビなんか家でも観れるではないか。 せっかく船に乗ったのだから、家では出来ないことをしたい。 そう思いながら、何時間も海を見ていた。 
潮風、波の音、それにPod!の音楽が心地よい。 行き交う船を見るのも楽しい。 ここまで来てテレビを観ている人の気が知れない。

パンフ→ 木下成太郎像(朝倉文夫作)シンポジュウム2010「北の彫刻」

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【2010/09/20 16:58】 | 照る日曇る日
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ちゃちゃ
いいですねえ。ASUKAの旅ができるなんて!
チョコチョコ旅行をしないで、豪華旅行をなさるなんて、
これも nakapa 流ですかね。
いつか、私もASUKAに乗りたい!
次の15年後はどこにいかれるのでしょうか


朱庵
憬れの 船旅!
それも ASUKA
素晴らしいですね♪

思う存分の時間、心から愉しまれた事と存じます。
お写真で楽しみのお福わけいただいております。

ちゃちゃさんへ
nakapa
ASUKAといっても二泊三日ですから、お試し参加の様なものです。
帰りがけにやっと船内の地理が分かるようになった程度です。
旅行は、お供と割り切っているので、短いほどいいです。

朱庵さんへ
nakapa
ありがとうございます。
映画、ショーなど観るのと食べるのが好きなので私には、向いているようでした。
それに、海を見るのが大好きです。船が揺れなくて助かりました。


hama
豪華客船の旅とは素晴らしいですね。
飲み放題もいいですね。
今は短い日程でイヤというほど忙しくいちこち回るツアーが多いですが 船でゆったりは最高です。
私は船と飛行機だけは酔い止めを飲みますが 揺れは無かったですか?

hamaさんへ
nakapa
幸い、天候に恵まれ、船は揺れませんでした。
私も船酔いするたちなので、酔い止め薬は飲みましたが、
寝る前の睡眠剤代わりです。
朝食と言っても7時から9時30分まであるので、和食を食べて、
1時間くらい休んでから洋食バイキングに行って、果物食べたり、
コーヒー飲んだりしていました。 
食べすぎで太りましたね(笑)。


のん子
私も船旅は大好きです。
このベランダ付きの客室は一番高いんですよ。
安いのは窓の外が通路になっていてカーテンが開けられません(笑)
朝日の昇る時、夕日が海上に沈む時は壮大な眺めだったと思います。
陸地観光は何処だったのでしょう?
一番初めの船旅、英語しか通じなくて劇場で観客が何で笑っているかが解らなくて二回目は日本語が通じるのにしました(汗)

のん子さんへ
nakapa
二泊三日で苫小牧から新潟往復ですから、見学程度です。
これで外国に行ったら、さぞかし高いだろうなと思いました。
乗客も750名いましたが、ほとんどが私たちのような、初めての人です。
雲っていて、朝日も夕陽もチョッピリでした。雨も降っていました。
何よりの救いは船が揺れなかったことです。


空見
こんにちは~
こういう短い乗船、憧れていました♪
前に調べたことがありましたが、けっこうなお値段ですよね。
家人と一緒では、せっかくの爽やかな気分もぶち壊しになりますから~いつか娘らと行ってみたいです。
日がな一日、のんびりと飽かず海を眺めて・・。食べる方は少食ですので、ショーとかもチラリと眺めるくらいでよろしいの。
前から思っていましたが、nakapaさんとはすごく気が合います、今生で出会えなくて残念です~、気が合いそうな人(考え方の似通う人)っているんですね、安心しました良かった~(笑)


空見さんへ
nakapa
波の音とか自然が発する音はいいですね。
エンジン音なども混ざっているようですが、気になりません。
知り合いの方が母子3人で乗っていましたが、楽しそうでした。
娘さんと一緒はお薦めですね。 
私も空見さんとは波長が合うので、気が合うといってもらえて嬉しいです。

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9年前に定年退職して、中島公園の近くに転居した。 職場中心の暮らしを止めて、さあ!これからは地域貢献と意気込んだが、結果は悲惨だった。

さっそく町内会の鴨々川清掃に参加してみたが、知らない人の中で右往左往するばかりだ。 長靴を履いていなかったので、川にも入れない役立たずになり、
惨めな気分だった。

地域の新聞をボランティアとしてお手伝いしたが、これと言った経験もなく、出来ることは新聞配達くらいだ。 しかし、マンションの前の「チラシ配布お断り」の掲示に怖気づいて止めてしまった。

失敗に懲りて方針転換。 7年前に、自己紹介代わりと思って、近所の人に親しまれている中島公園のホームページ(HP)を開設した。 それからはHPを介してボチボチ知り合いができるようになった。

3年前に、近所に住む「札幌彫刻美術館友の会」会長と出合った。 それからは、とんとん拍子。 情報提供のHPから脱皮して、取材して行動するHPへと進化した。

彫刻清掃と調査のボランティア活動の中で、林の中に放置されている銅像が、郷土史上でも重要な芸術文化遺産であることを知らされた。 

さっそく、HP「中島パフェ」に特ダネ記事として載せたが、何の反響もない。 
誰も驚かないし、中島公園近所の住民も全く無関心のままだ。 
少なくとも私の耳には聞こえて来ない。

あれから3年たった。 
”木下成太郎像(朝倉文夫作)~シンポジュウム2010「北の彫刻」~”
が2010年10月17日、札幌パークホテルで開催されることになった。

世の中は不思議なものだ。3年間鳴かず飛ばずの「木下成太郎像」だが、
ここに来て、大ブレイクしてしまった。喜びを通り越して、ただ驚いている。 

主催:札幌彫刻美術館友の会 共催:武蔵野美術大学、大東文化大学
後援:観光情報学会、北海道芸術学会、札幌市、NHK、STV、道新、他
協賛:札幌パークホテル、ノボテル札幌、キタホテル、キリンビール、他

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【2010/09/14 10:24】 | 照る日曇る日
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ちゃちゃ
木下成太郎像、地域の方々の心をつかみましたね。
鳴かず飛ばすの三年間にも
多くの人たちが静かに「中島パフェ」に立ち寄っていたのでしょう。
私の住む東京の小平市はまさに武蔵野美術大学のあるところで、
こちらでは「ムサビ」と呼ばれ親しまれています。
また、近くには女子美術大学もあり、
こちらは「ジョシビ」と通称されています。
何かの縁を感じます。

ちゃちゃさんへ
nakapa
ムサビの名は遠く北海道でも美術ファンの間で、親しまれています。
木下成太郎像の価値は、希少価値と思います。
戦時中の金属供出令で朝倉文夫の作品はほとんど回収され、残っていません。
オリジナルが残っていることが、注目されている原因と思います。
彼の作品の多くは、戦後、石膏の原型より作られたものと聞いています。


朱庵
このエントリーを読み、なんだかとっても嬉しくなっています♪ nakapaさんのお喜びが素直に伝わってきます。お人柄ですね。

当日はどんなお話を聴けるのでしょうね、とっても楽しみです。出かける予定で心待ちにしています。

小さなご縁が繋がりあうって、いいですね♪




朱庵さんへ
nakapa
一緒によろこんでくれて、ありがとうございます。
このシンポジウムは私も、とても楽しみにしています。
どんな、話が飛び出してくるか、とても期待しています。
これから、中島公園の野外彫刻の清掃をする上で、
参考になる話が、きっとあると思います。
私の場合は、花より団子。 芸術より、お掃除です(笑)。


フラダン
ボランティアさんの地道な努力で、成果が出たのですね、ゴミが捨てられた所には、
ドンドン、ゴミが捨てられるのと同じで、汚れたままや痛んだまま放置していたら、悪戯もされますが、
大事に扱ってる物には意識が変わってくるのでしょうね、ご苦労様です!
あんまりなじみの無かった、中島公園の事を、色々知る事が出来たのもナカパさんのHPのお蔭です。
私の町内公園の名も無い彫刻も地域の人に守られ綺麗ですよ~春、秋の町内会大掃除には
必ず磨いて居ります。

フラダンさんへ
nakapa
フラダンさんの町内の彫刻が、地域の人たちにより奇麗に保たれている
ことを聞いてとても嬉しく思いました。 彫刻を奇麗にすることは、
周囲も奇麗にすることと思います。 
この様な地域の活動が美しく安全な町を作って行くのではないでしょうか。

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恥ずかしい出来事は、折に触れて思い出すので、忘れることができない。
しかも、この件は誤解だ。 それなのに弁解するチャンスも無い。

7人のランチ会で、私が端に座ろうとすると、幹事のBさんが
「nakapaさんはAさんの隣!」と命令するように言った。
気を利かせているつもりらしい。 それが、そもそも誤解なのだ。

ふと7年前のことを思い出した。シニアの優しい英会話サークル(ABCクラブ)でのことである。 席が決まっているわけではないが、いつもAさんの隣に座っていた。 

Aさんは明るく活発なサークルのリーダー格。奇麗でお洒落な人だ。 一方私は、おどおどした暗い人。  その「事件」は、ABCクラブに入って1年目に起こった。

お洒落なAさんの隣でラッキーとは思っていたが、空いているから座っているだけ。 自分の指定席と思ったことはない。

ところが、教室の28人は、私が強引にAさんの隣に座り込んでいると思っているらしい。 うすうす感じてはいても、気弱な私は言い訳も出来ない。 

皆が、そう思うには訳がある。 少し難しいが、同じ教室のCさんの視点で書いてみた。  私はこんな風に見られていたに違いない。

授業開始10分前になってもnakapaさんは、まだ来ない。
「先生、席替えてもいいですか?」と、Aさんが聞いた。
「皆さんの自由ですよ。 あ~、nakapaさんが来てないようですが…」
「いいのよ。 あんなの」
席は変わったが、なぜかAさんは同じ席のままだ。隣の人だけ換えたいらしい。

nakapaさんは、いつものように5分前に教室に入ってきて、一瞬立ち止まった。 戸惑っている様なので「席はこっち」と指をさして、変わったことを教えて上げた。

驚いたことに、nakapaさんは、「はい」と言うなり、血相を変えて元の席に向って突進して行った。

「どうしたんだろうね」
「Aさんの隣に座りたいんじゃない」
「意外にしつっこいんだね」
アララ! Aさんに文句言ってるよ」

あの大人しいnakapaさんが、エライ剣幕だ。 仕方がないから元にもどそう。 
私が何とかして、Aさんの隣に座らせてあげよう。一つずつズラせばすむことだ。

「私、新しいnakapaさんの席にズレるからね」
「そんなことしたら、沢山の人がズレなきゃならないよ」
「仕方ないでしょ。 ちょっと見てよ。むきになってAさんに詰め寄っているじゃない」
「ずいぶんご執心ね」

ともかく、大急ぎでnakapaさんを元の席に座らせて上げた。 
全く世話のやける人だ。 無口だから何を考えているか分かりゃしない。


当時の状況をCさんの身になって考えてみた。 
私の推測だが、他のほとんどの人も、このように思っていただろう。

joyfulstaff3.jpg
2003年当時作成しホームページの一部。初めてだから良くない見本?

<7年後の弁解>
実は、AさんからABCクラブのホームページ(HP)を作ることを持ちかけられていた。 私は、そのとき一つだけ条件を付けた。 

「責任者は先生、編集長は貴女がなって下さい」
「分かったわ。記事は私が書くから、貴方がホームページにしてちょうだい」
Aさんは、気軽に言ったが書いてくれない。 仕方がないから私が書いた。
しかし、最終的なチェックはAさんの仕事だ。これだけは約束してもらった。

いつも忙しそうにしていて、さっぱりチェックしてくれない。 今日という今日は何がなんでも見てもらおうと思っていた。

教室に入ると、いつもと様子が違う。 Cさんが「席はこっち」と言った。 
席替えだなと、状況は理解したが、予定が大幅に狂ってしまった。
下手すると今月の更新は間に合わない。

私の席はAさんの隣だから今日こそ、ゆっくり見てもらえると思っていたが、すっかり当てが外れてしまった。 あんなに遠くの席では、近づくのも容易ではない。

時間がほとんど無い。 こうしてはいられない。 Aさんのそばに急いで行った。 
何がなんでも、休み時間に見てもらう約束だけは、してもらわなければならない。

なにぶん気まぐれな人だから、しっかりと分かってもらわなくてはならないのだ。 
ほとんど時間がないので焦っていた。顔がほてっているのが自分でも分かった。

Aさんは私の方を見てキョトンとしている。 私は一気にまくしたてた。
ともかく時間がないのだ。 一生懸命説明して、やっと分かってもらった。 

ホッとして、辺りを見渡すと、教室の中がザワザワしていて落ち着きがない。
これから英会話のレッスンをしようという雰囲気ではないのだ。

何はともあれ、向こう側の「新しい私の席」に行こうとすると、
なんと! Cさんが座っているではないか。 一体どうゆうことだ?
なぜか笑っているが、ニッコリというよりも嘲笑に近い。 

アチコチに立って移動している人がいる。 だんだん近くの人も立ち始めた。 
そして、一つずつズレて行った。

Dさんがヘラヘラ笑いながら私に近づいてきて、小さな声で言った。
「Aさんの隣が空きましたよ~。 どうぞ」

ようやく、私は皆さんが何をしているか気が付いたが、今更どうしようもない。 
Aさんは「好かったわ、叉一緒ね」と言って、何事もなかったような素振りだ。

あれから7年もたったのに、Bさんは「nakapaさんはAさんの隣」と指示する。 
この件に時効はないのか! 不本意な出来事だが、真相は誰も知らない。

私だけが、折りに触れて思い出す。
こんな間尺に合わないことはないから、思い切ってぶちまけることにした。

「7年も、よく覚えていたもんだよ」
「ホントですね。 私もビックリしました」
「アンタのことだよ」

”Bさんじゃあないの~。”

ああいやだ 誤解はつづくよ どこまでも♪

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【2010/03/28 00:00】 | 照る日曇る日
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ちゃちゃ
Aloha! nakapa さん、
2003年にハワイに行かれたのですね。
私、ワイキキ界隈、大好き人間です。
花のきれいな6月に行きたいものです。
島のどこもかしこもが花で溢れています。
細かいことは忘れたふりをして、目をつぶり、
ワイキキの浜辺を思いだしましょ!
では、今晩はこれで、Mahalo!


弁解
賢爺
nakapaさん
おはようございます。弁解のブログを興味深く拝読いたしました。ブログは何時も深夜に執筆されておられるようですが、眠くありませんか。
小生は、午前2時頃からラジオ深夜便を聴いておりますが、半分以上は夢の中が多いようです。


フラダン
「誤解はつづくよ どこまでも~♪」ウフッフ。。。
そう言う物です、、私もこれに似た様な経験があります
でも弁解したからって誤解が解けるとは限りません
人は自分の考えが正しいと思い込んでいるものです
悔しいけどそんな事どうでもイイと思うしかありません
真実は自分が一番知ってるのですから、、、



ちゃちゃさんへ
nakapa
ハワイはなかなか楽しかったです。
カラスがいないのが不思議だったですね。
札幌、特に中島公園付近はカラスでいっぱいですから。
そういえば、今回は細かいことに目くじらたてました。
自分では結構、面白がっているのです。すみません。



賢爺 さんへ
nakapa
私もラジオ深夜便はよく聞きます。寝たり聞いたりの状態です。
ブログは深夜に書くこともあるし、朝の場合もあります。
なにかやっていても、眠くなると全然、機能しなくなるので、寝たいときは直ぐ寝ます。
ですから、夜中も起きていることがあるし、昼寝もしょっちゅうです。


フラダンさんへ
nakapa
そうなんです。誤解は永遠に続くのです。それも面白いかなと思っています。
同じ一つの出来事でも、人によって解釈が違うことが面白いのです。
『神坂四郎の犯罪』という映画が面白かったので、少し真似してみました。
映画は深い意図があるかも知れませんが、一つの事実を、
それぞれの人が自分に都合がいいように、解釈しているのが面白かったです。
昔の映画です。 


名無しさん
「誤解はつづくよ・どこまでも♪」は
「線路はつづくよ・どこまでも」童謡だったでしょうか?・・想い出します。
自分の中に自分が好まない要素が1点(もっと?)は、ありますね。反省を繰り返しながら、静かに
なだめながら、残りの時間を大切にしましょう。

「誤解はつづくよ・どこまでも♪」は ……
nakapa
「誤解はつづくよ・どこまでも♪」は
童謡として親しまれているアメリカ民謡から、お借りしました。
私もどこまでも続く線路に乗っています。「誤解」も道づれですが、楽しいですね。
誤解と誤解が織り成すドラマに興味深いものを感じています。


こういうことありますね
アツガーリン
ひょっとすると、こういうこと誰にもあるかもと思いながら、微苦笑しつつ読みました。
Aさん、こういう女性いますね。悪げはないが、お嬢さん育ちというか、、。それでいて魅力がある。
上手く纏めれば「掌編小説」になりそうですね

誤解はイヤですね
ひよどり
誤解されるのはイヤですね。
それを解こうとして、さらに誤解を強めてしまうこともあります。
私は耐えられなくなると、やめてしまいます。
仕事なら仕方がありませんが、そうでないならアッサリと欠席か退会します。
つまり遁走するのです。
弱虫かもしれません。
その点、nakapaさんはお見事です。

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日曜日がやって来た。このブログの更新の日だ。
いつも、書いて発表するのを楽しみにしてきたが、今回は少し気が重い。
書きたい気持ちはあるけれど、事情があって「お笑い」を書く気にはなれない。

ブログを公開する前に、自分で「笑いチェック」をする。
自分で笑えなかったものは公開しない。 人様が笑ってくれるはずが無いからだ。
記事を書くときも、ときには笑いながら書いている。
それにしてはつまらない。ちっとも笑えないと思うかもしれない。

そう思われても仕方がない。 実は、書くことは、私にとっては修行なのだ。 
何の修行かと言えば、ジョークを言える人になる為の修行だ。
悲しいかな、誰でも出来ることが、私は修行をしないと出来ないのだ。

お察しの通り私は、くら~い人間。5年前まで、冗談一つ言えない人だった。
その頃の私を知っている人は「変わったね。明るくなったよ」と言ってくれる。
私を明るくしてくれたブログ様様だが、今回だけは笑える記事が書けない。
書く気がしないのだ。

皆さんのせいではない。全く個人的な事情である。
具体的には言えないが、今回ばかりは笑っていられない。 
そんな心境だから、笑いながら書くことはできない。
もちろん、「笑いチェック」もできないし、更新して笑ってもらうこともできない。

こんなとき、お笑いのプロはどうするのだろうか?
つい、余計なことを考えてしまう。 
気持ちだけはシッカリと「お笑い」になりきっている。

笑えない ノーコメントで ごめんなさい 
お粗末ですが川柳のつもりです。

こちらは、日曜日ごとに定期更新の「お笑いブログ」です。
今ごろになって、ようやく気が付いたことがあります。
ときには、笑ってはいけない場合もあるのですね。
とはいうものの、日曜日には何か書きたくなります。
そんなときは、ひとり静かに心の赴くままに書いてみたいものです。
それで「ひとり言」カテゴリーを新たに設定しました。

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ダンス、カラオケ、麻雀、ゴルフ、その他、面白そうなことは何も出来ない。 
だからと言って悲観することもない。 出来ないということは、好いことでも悪いことでもなく、一つの事実だと、私は思うのだ。

面白い遊びができないのなら、他のことをやるまでだ。 日本語ボランティアは「普段使っている日本語を利用して、外国人の支援が出来るのだから有難い」。 誰でも出来ると思っていたが、甘かった。 できないものが、もう一つ増えそうだ。

札幌市内のある所で「日本語勉強会」を開いている。 そこで「日本語ボランティア」を始めて1年になるが、登録しただけでほとんど活動していない。 それでも「受付当番」だけは回ってくる。 会員登録をしているのだから当然だ。

「ボランティアが足りないので、(先生役を)やってもらえますか?」
「いいですよ」と、軽く答えてしまったが、やがて後悔することになる。
「こちらの3人の方です」

可愛らしい3人の少女が立っていた。 おやっ、日本人じゃないのかな。 
顔も服装も日本人のように見える。 目のパッチリした少女が答えてくれた。 
「日本語学校デ 勉強シテイル モンゴル人留学生デス」 

勉強する態度は昔の高校生のように真剣で真面目だ。 希望にあふれ若さいっぱいの姿は、見ているだけでも清清しい。 日本語を一日でも早く身に付けたいという気持ちが、全身に漲っている。 

これはエライことになったと思った。 私はといえば、勉強を教える準備が全くできていないのだ。 まさか受付当番に来て「先生役」をするとは思わなかった。 

それだけではない。私たちの席の近くには、メガネをかけた日本語指導の
ベテラン、H女史が陣取っているのだ。 

彼女は、他の外国人の指導をしているのだが、私のグループに目を光らせているような気がしてならない。 自信がない私の ひがみ だろう。

1年前に見学に行ったとき、受付当番からH女史を紹介された。 
「女史」と言うような男女を区別する表現は嫌いだが、Hさんにはビッタシだ。

「あなたは、日本語指導講習を受けましたか?」
メガネのフレームを右手で触りながら尋ねる。 厳しそうな感じだ。
「はあ、入会時講習を一回だけ……」と、答えたが、不満のようだった。 

純真で学習意欲満々の3人の留学生、真面目で厳しそうなベテラン女史、偶然巻き込まれてしまったマヌケな私。 悲喜劇の舞台を構成するに十分な陣容だろう。

最初の15分くらいは、教科書を読んだり、発音を訂正したり、順調に進んで行く。 モンゴル3人娘の目がキラキラと輝いている。 それが私への尊敬の眼差しに見えてしまうのだ。 まさに至福のひとときである。

ページが進んで、文法のところになると、躓き始めた。 私の態度が次第にオドオドしてきたことが、自分でも分かる。 困ったことに、日本語文法など、苦手な英文法より、もっとひどい。 まったく分からない。 緊張して口が渇いてきた。

何か言うごとに、私の無知が露呈していくようだ。 3人娘が次第に不安になって行く様子が見て取れた。 日本語以外は話してはいけないことになっているのに、母国語でヒソヒソやりだした。 

「助詞ノアトニ助詞デ、ヨイデスカ?」。 う~ん、参った。全然分からない。 
純真な六つの目が私を見つめている。 近くで外国人を指導しているH女史が、こちらの様子を伺っているように見えるのは気のせいだろう。 

生き甲斐を求めてボランティアをしているのに、何でこんな目に遭うのだろう。 
皆さんの日本語の勉強を支援するために、私は今ここに居る。 しかし、足を引っ張っているようだ。 どうしたらいいだろう?

090514kitaramiti.jpg
2009年5月札幌市中島公園

ここまで話すと、QPが、
「日本人だから日本語教えられると思ったら大間違いだよ」
と、余計なひと言。 言われなくても、身にしみて感じていることだ。
「喜怒哀楽を表現する言葉をバラバラにして分類するようなことには、
どうしても興味が持てないのです」
「興味がないなら、早いとこ止めなよ」

「遠くから勉強に来た外国人の為に役に立ちたいのです」
「アンタみたいのを いいフリこき と言うんだよ」
「留学生は、せっかく日本語学校で習っても話す機会がないと嘆いています」
「だからと言って、何ができるのさ」
「それを今、探っているところです」
「できないくせに手を出すと、周りが迷惑するんだよ」

不本意ながら、その通りになってしまった。 しかし、後講釈なら誰にもできる。 「それは大変だったね」とか、少しは同情してしてくれても良さそうなものだ。 

QPには関係ないのだから、「うんうん、そうだね」と、無責任に同意してくれれば、それでいいのだ。 反省は自分一人でするから、反省のお手伝いなど要らない! 
相変わらず気の利かない人だ。

ところで、助けを求めに待合室に行ったものの、先生役のボランティアは一人も居ない。 よく見れば、私にとって雲の上の人である「会の代表」がおられる。 

考えてみれば、彼こそボランティアの代表であり、日本語指導のベテランでもある。 迷わず交代を求めた。 見習いの小僧が、親方に指図するようなものだが、この際仕方がない。

私はモンゴルの少女たちに、よい印象を持って故国に帰ってほしいと思っている。 代表だって同じ考えのはずだ。 その為に、私に出来る最良の方法を選んだのである。 褒めてもらってもおかしくない。
 
そう思おうとしても、はやり気になる。 隠れるようにして教室を覗いてみると、モンゴル3人娘が、代表を囲んで熱心に勉強する姿が見えて、一安心。 

そして、指導に集中しているH女史の凛とした姿も見える。 私さえ教室から消えれば、全ては丸く治まるのだ。 いつものように教室には真剣に勉強する留学生と、それを支援するボランティアがいる。
 
みんな静かに、それぞれの役目を果たしている。 私ばかりが大騒ぎ。 
「悲しいドラマ」は私の心の中にしか存在しない。

「すっかり、勉強意欲を失いました」
「勤労意欲もね」と、QP。
「虚弱体質に、脳老化症が加わったような気がします」
「そうね」

「あなたが病気になっても、介護する自信がありません」
「いいのよ。 そんなこと気にしなくて」
「………」
思わず目頭が熱くなって言葉にならない。


090514osidori.jpg
2009年5月札幌市中島公園

「私だって、しないんだから」

えっ! なんだって。 目的語は、なんだ。 ちゃんと日本語しゃべれ!! 

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【2009/05/31 09:25】 | 照る日曇る日
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ちゃちゃ
おはようございます。日曜日の朝はなかばさんのブログ訪問を楽しみにしてPCを開きます。折々の中島公園の様子も嬉しいです。毎週、北海道に行っている気分になれます。
 日本語学校の教師、私も興味を持ったことがありました。が完璧にできる外国語がないこと、日本の文化・歴史等に対する教養が乏しいことなどに気がつき、断念しました。時代が進み、今、外国の人たちは自国で日本語を勉強してくるようになりました。私より正しい書き順で漢字を書け、四字熟語をよく知っていたり、わらべ歌を唄えたり、驚くばかりです。先日も電車の中で隣で日本語学習のテキストを勉強している人に質問され、しどろもどろでそれに対応しました。
 北京へ旅行した時の現地ガイドは、北京大学・日本語学科の出身でした。日本語はもちろん、地理や歴史に詳しく、かつ、日本には行ったことがないという言葉に、オバサン連は口々に「日本に来た時には家においでよ!」とラブ・コール。中国のすごさをここでも実感しました。
 


ウフフの小母はん
お早うございます。
リラ冷えの朝になりましたね。藻岩山の中腹まで雲が上がるのを見ながら、読んでいます。

なかぱさんのボランティア精神は、ここでもまた発揮されて、留学生に日本語を教えるという、難しいことに挑戦しているのですね!
モンゴルのお嬢さんたちの熱い眼差しに囲まれて、これぞ至福のひと時・・・時間が例え短かったにせよ(ウフフ・・)そのような稀な経験をなさっていることを、素晴しいことと思います。

QPさんとの愉快な会話についつい噴出してしまい、さすがによくわかり合っていらっしゃるお二人なのだと、その絶妙さに楽しませていただいています。
もうこのオチには・・・なかぱさん!
あぁ~小母さんも、言われてしまいます、
>ちゃんと日本語しゃべれ!! 


おーりーおばさん
最近は日本語の能力が怪しい日本人が増えてきて
いますから。日本人よりも日本語が上手な外国人に
あまり驚かなくなりました。
日本の文化や歴史を日本人よりきっちり熱心に
勉強しているから、こちらが教わりたいくらい。
札幌の新緑きれいでしょうね。
海外旅行をするよりも、北海道に長期滞在したいです。

管理人のみ閲覧できます
-


ちゃちゃさんへ
なかぱ
おはようございます。
毎週読んで頂いてありがとうございます。
中島公園の近所に住んでいるので、折に触れてPRしています。
反応があると嬉しいですね。日本語ボランティアについては甘く考え過ぎました。
いろいろ雑用もあるので、その方面のお手伝いだけにしようと思います。
北京への旅行のときの話、興味深く読ませてもらいました。
テレビに写る外国人も最近は日本語ペラペラの人が多いですね。

ウフフの小母様へ
なかぱ
おはようございます。
ブログ読んでくれてありがとうございます。 挑戦などトンでもないことです。
たちまちギブアップです。今後は雑用などをして、陰から支えたいと思います。
「至福のひととき」は、大袈裟でないですよ。みんなそう言ってます。
家ではいつも、目的語がなかったり、主語がなかったり、お互い、いい加減な会話を
しています。自分のセリフだけきれいに直すのです。役得ですね(笑)。

おーりーおばさん へ
なかぱ
そうですね。日本の文学賞も外国人に取られたりしています。
テレビには、日本人よりきれいに話すビジネスマンが毎日のように登場します。
日本人ばかりが下手になったとつくづく思います。
北海道は食料自給率198%ですから、自給派のおーりーさんにはピッタシですよ。
長期滞在、いかがですか。


なかぱ
コメントありがとうございました。管理人は、ありがたく閲覧しました。


nonko-mn
お疲れ様。
ウ~ンヤッパリ私には出来ないボランティアだわ
留守番くらいならでも無理だ。・・・
大変ですね。
QPさんとの会話・・・特に最後の落ちが良い笑ってしまったわ。
大丈夫よそんなことを言う人はチャント最後まで見てくれるんですよ。
QPさんの愛情イッパイでよゴチソウサマヾ(@°▽°@)ノヾ(@°▽°@)ノo(^-^o)


フラダン
ナカパさんにとって深刻な問題を歯切れよく指摘するQPさんとの会話が
何ともいやはや、小気味良く愉快で、妙に納得します(笑い)
日本語ボランティアのお勉強して、ボランティアしてもらえませんか?
と以前にお誘いを受けた事ありました、チョッと興味を持ちましたが
充分な時間が持てなく辞退しましたが、今思うと正解でしたね、、
最後の落ちがなかなか、、、( ^^) _U~、
中島公園の桜と緑の路、青い空、白い雲、鴨の写真に清々しさ 倍増です!


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 皆さん、奈良時代の前は何時代かご存知ですか? もちろん飛鳥時代です。 こんなことも知らないで、外国人に日本語教えている困った人がいるんですよ。 どこの誰とは申しませんが、あなた方もご存知の、あの人です。

 「あ、そう」 
 「いえいえ、麻生さんではありません。 もっと、ビンボーな人です」


 去年の5月から外国人に日本語を教えるボランティアをしています。 ヒマなときだけ来ればよいと言うので、気軽に入会しました。 もうじき1年もたつと言うのに、たった3回の参加とは寂しいですね。 外国人と、未知の世界について話すのは、とても楽しみです。 

 しかし、勉強中の日本語は聞き取りに骨が折れるし、こちらの話を分かってもらうのも、楽ではありません。 ときには、「日本人なら分かって当然」と思いこんで、私の知らないことを聞いてくることもあるのです。 これは少々つらいですね。

 「センセイハ京都とト奈良、ドチラ スキデスカ?」
と聞かれても、修学旅行以来いったことがないのです。 しかし、ここは会話の勉強の場ですから、正確な日本語で答えられれば、それで十分です。
「私は京都より奈良の方が好きです」
「ソウデスカー。 トコロデ…エー……」

 「ところで」と、おっしゃいました。 一体なにを言いたいのでしょうか? 若いころ、アメリカ人の前で、「…バイザウエイ、アー…アー」と言ったきり、後が続かず黙り込んだことを思い出しました。 

 あの時は恥ずかしかったですね。 「江戸の敵は長崎で」というわけではありませんが、助け舟は出しませんよ。 何も言わずに、一休みすることにしました。のども渇いたし、水も飲みたいのです。

 ペットボトルを口に当てると「センセイ、奈良時代ノ マエハ何ジダイ デスカ?」と、突然の質問。 まったく間の悪いときに嫌な質問をするものです。 だいたいボランティアなのに先生と呼ばれるのも気に入りません。 私は何回も自分の名前を教えているのに、覚える気が、まったくないらしいです。

 ここの日本語練習は「お見合い方式」です。 外国人と日本人ボランティアは、別々に受付に申し込み、受付は来た順番に、外国人一人につき、日本人一人を「先生役」として指定します。 外国人にしてみると、「先生」はいつも変わるので、名前を覚えても、次の時には役に立たちません。それで「センセイ」と呼ぶのだと思います。

「日本はアメリカと戦争をして負けました。 日本のことは何でも悪い。 アメリカのことは何でも正しい。 私はそんな雰囲気のときに小学校に入りました」
「センソウ…、フンイキ?……ナニ?」
ナニと言われても分からないのです。 こうなると、正確な日本語を話すことなど、すっかり忘れてしまいました。 自分の言いたいことを言ってしまいます。

「特に歴史はダメですね。 アメリカの歴史なら習いましたよ。 コロンブス、メイフラワー号、ピューリタン、独立戦争、南北戦争、…」
「ナンポク?」
「シビル・ウォーですよ。 そうそう皆、アメリカ映画が大好きでしたよ」
「ドンナ映画デスカ?」
「もちろん西部劇ですよ。 『リオグランデの砦』とか『黄色いリボン』『赤い河』とか、西部劇の黄金時代でしたね」
「ジョン・ウェイン ネ」

 映画は大好きです。 もう、こうなると日本語の練習なんかどうでもよくなってしまいます。 困ったものです。
「ジョン・ウェインも人気ありましたが、子ども達が一番好きなのは、ランドルフ・スコットです。 西部劇にしか出ない役者でね。ダントツの人気でした。 『オクラホマ無宿』なんか、クラスのほとんどが観に行きました。 男の子は全員ですよ。 

教室の中では、ラストシーンの真似をよくしましたね。 ギャング団の首領ドゥーリンが保安官に撃たれて倒れるシーンなんですよ。 格好よかったですね。 保安官じゃあないですよ。 ドーリンがです。  
保安官が後ろから『ドゥーリン』と呼ぶ。 ドーリンは振り返りざまに拳銃を向ける。だが撃たない。 撃たないのです。 なぜでしょうね。拳銃の故障でしょうか? 保安官がドーリンを撃つ。 バーン 崩れるように倒れるドーリン…。 こんな具合ですね。(倒れる真似をする) 

ドーリンは名うての早撃ちですからね。保安官に負けるはずはないんですよ。 ドーリンは拳銃は抜いても撃たないのです。分かりますかこの気持……」

「ワカリマセン、ハヤスギテ、ワカリマセン。 センセイ奈良ジダイ ノ マエハ?」
せっかく、アメリカの話をして上げているのに、困ったアメリカ人です。 少しは身を入れて聞いほしいと思います。 奈良時代の前なんかネットで調べれば直ぐに分かるじゃありませんか。

 彼はアメリカの大学を卒業しています。 こちらの日本語学校で2年間勉強した後、イギリスの大学院に行くそうです。 私は少しでも日本語勉強のお手伝いをしたいと思い一生懸命やっているのですが、なかなか思いが通じないのです。 

090327hitosuji.jpg

 雲間から「天使の梯子」が降りてきています。 昔、天使が梯子を上がり降りする姿を見た人がいたそうです。 そんなことが信じられる世の中は楽しいですね。 今日、お会いしたアメリカ人も雲の上から降りてきました。 天使の梯子の代わりに、飛行機を使いましたが…。

 ところで、ビル・ドゥーリンはなぜ、死を望んだか分かりますか? 愛する妻、
エレインに逃亡者の苦しみをなめさせるよりは、自らの死を選ぶことを潔しとしたのです。 

「外国人の為の日本語会話練習のはずなのに、あなたばかり話していますね」
「反省します」
「奈良時代の前は飛鳥時代ですね」
「そうですが…」
「アメリカ人に聞かれたとき、分からなかったのでしょ」
「フムフム」
「困った日本人とは、あなたのことですね」
「私は常識をわきまえていますよ」
「常識を…?」
「つまり、他人様の悪口など書けないのです」


このブログ「楽しい食卓、朝の食卓」は週一回、日曜日更新です。

【2009/03/29 18:44】 | 照る日曇る日
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ウフフの小母はん
こんな夜中に独りウフフしています。
君(気味)が悪いなんていわないでください。
困った日本人が悪いのです(爆)
何時に変わらず、楽しませていただき御礼申し上げます。


露湖ボーイ
v-218こんなボランティアなら何時でも参加してみたいです
ある意味、give and take になりますよね

悪くない・ワルクナイ。
レラ
ちょっとコメント方法にビビリマシタが・・・
外国人に日本語を教えるボランティアを宮崎の友人もやっていて、いつも感心していました。
nakapaさんのお人柄もいろいろな場面でライトアップ?されていますね。 尊敬!です。
エッセイも楽しく、時にはニヤリ、ときにはプッ!
と吹いています。
日本人同士の会話もかみ合わない昨今、どうぞお気張りくださいませ。応援しています。

ウフフの小母はん へ
なかぱ
楽しいコメント有難うございます。
ノロマで口で冗談言えないものですから、書いています。
実は私も一人で冗談書いて、一人で笑っているのです。
気味悪いですか(笑)。

露湖ボーイ さんへ
なかぱ
入会は歓迎されます。手弁当ボランティアです。
ちょうど募集は5月です。ただ、勉強中は日本語のみです。
ものによっては英語で話した方が通じ易いと思いますが、
辛抱強く日本語で説明します。やってみると、案外くたびれます。

レラさんへ
なかぱ
コメント入力、ややっこしくてすみません。
スパム書き込み被害により「掲示板」一つ閉鎖したので、認証方式にしました。
応援有難うございます。笑ってもらって、応援してもらえば勇気百倍です。
虚弱体質ですが、パワーもらって、長生きできそうです。


フラフラダンサ〜
日本語教師のボランティアもしてらっしゃるの
ですか、、ナカパさんのライフフスタイルが
だんだん見えて来ました。口下手と云ってますが、
謙遜ですね(^^ゞ他国の方と向き合うなんて、
そう簡単に出来るものではありませんもの
困ったどころか、とてもユニークな日本人で
可笑しかった( ^)o(^ )



イチゴとリンゴの館
なんだカンダ言ってなかぱさんの方が楽しんでいる
様で、一度見学に行きたくなりましたよ(^○^)
色々な人種と会話できて素敵ですよ。

よくやれますねえ
ひよどり
日本語教師、よくやれていますねえ。
たしかに質問の範囲は広いでしょうから、対応が大変。
教師はオールマイテイーを求められます。
西部劇へ逃げるところ、とても愉快です。
私ならそれも出来ず、きっと立ち往生でしょう。


mitchi-jul
ボランティアですが、相手から、どんな質問を
受けるのか体当たりですね。
適切に返答できない場合は、どう対応するの
ですか? 笑みがこぼれそう・・

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「Aさんは人生には上り坂下り坂、それに『まさか』がある。
と、よく言ってましたね」
「そして、あの素晴らしいシャンソン・リサイタル!」
「私も、その『まさか』なんですよ!」
「ほう、嬉しそうだな」
「道新『朝の食卓』に書かせてもらいました」
「まさか?」

退職後の人生は、予想外に楽しくエキサイティングだ。 新しい出会いが毎日あるような気がする。 今年は北海道新聞のコラム、「朝の食卓」の執筆を頼まれた。 私にとっては驚きである。もちろん、初めての経験だ。

先日の道新「読者の声」にこう書いてあった。「定年までが人生のリハーサルとすると、その後の時間こそが本番で、人生の収穫期に当たる」。 まさにその通りと思っている。私にとって、定年後の人生こそ本番のような気がする。振り返ってみれば、それまでの人生は、あまりにも受動的だった。

仕事に誇りをもっていたし、喜びを感じることもあった。 しかし、私にとって仕事とは、ひたすら義務を果たすことだった。 与えられた仕事は神経をすり減らすだけで、創造性のかけらもなかった。 ミスするかも知れないという不安感は、退職するまで消えなかった。

それ故に、「退職してからが本番であり、収穫期である」という考えには素直にうなずけた。 本番の人生は予想をはるかに超えて、楽しくて有意義なものとなった。世間に通用する経験も知識も無いことが、なんの障害とも感じない。興味を感じたことには、何にでも手が出せるようになった。 

いつの間にか「楽しい気分」が「恥ずかしい気分」に勝ってしまっていた。 何のことはない、子どもに戻ったようなものだ。今では苦手なカラオケまで楽しんでいる。 「お前みたいな下手なヤツは、歌えと言われても歌うな」と言われたことなど忘れ去ってしまった。

「そんなの関係ねえ」と言う感じで「カラオケクラブ」で歌っている。 もし、六大学野球には東大が入ってなかったら面白くないかもしれない。この例えは分かり難いかも知れないが、ここまでしか言えない。

楽しめるのは、まわりの人たちの優しさ、温かさのお陰と思う。 たまには、パラパラと拍手までして、励ましてくれるからありがたい。しかし、これはやり過ぎ。評価無しで歌わしてくれるだけで十分楽しめる。「ここを直せば、もっと良くなる」と言われても直せない状態だ。 

そんなことで叉、新しい発見をしてしまった。
「子どもとシニアは下手でも許される」

子どもの場合はこれからの成長に期待が出来るので当然だが、シニアについては こう考えたらどうだろう。 励まして元気にして「寝たきり」にさせないのが、社会の為だ。 このように、都合よく解釈して、遠慮なく励ましてもらうことにした。 

ブログに駄文を綴っても一部の心優しき人は面白いと言って励ましてくれる。 感謝! 退職後の人生は、健康と人に恵まれ、日々新しい発見がある。 こんな思いを1月9日の「朝の食卓」書いてみた。

気がつけば、活字となった拙文を見て、うっとりとしている自分が居る。 「まだ小学生」と言いながら、しっかりと「老人力」を身につけている。

用語解説:老人力
赤瀬川原平著 1998年流行語大賞。
加齢による衰えを肯定的に捉える言葉。使用例:
「そんなことを言って、恥ずかしくないのか!」
「老人力がついたんだ」
その他、何でも肯定できる、老人にとって便利な言葉。 
使いすぎに注意! 良薬は劇薬?

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【2009/03/15 14:11】 | 照る日曇る日
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ヤスさんと呼ばれる、やーさんみたいな友人がいました。長い付き合いですが、やはり少しは怖いのです。

かなり昔のことですが、その怖さを見せ付けるような出来事がありました。混雑する地下鉄のホームでのことです。

ヤスさんは粋な男だから、割り込むような無粋な真似はご法度です。人ごみを歩くときは、「ごめんなすって」と右肩を引きながら、スイスイと通り抜けます。

しかし、大抵の場合は「お先にどうぞ」と譲ってしまうのです。これはヤスさんが粋と感じている「江戸しぐさ」と信じているからです。

こともあろうに、こんなとき「さっさと歩け!」と非難の声があがったから大変です。ヤスさんは振り向きざまに、ドスの利いた声で怒鳴りつけました「てめぇ、もう一度言ってみろ!」このど迫力に周りの人もビックリ、当の若者は直立したままブルブル震えている始末です。

パチンコ、競馬、マージャン何れもプロ級といわれているのに、なぜかボトルシップに凝っています。作っているところを見たことありますが、瓶の中で細い棒を巧みに操って組み立てて行くのです。難しく根気のいる作業に思えました。

botoruship.jpg

ヤスさんは転勤の挨拶に自分の作品である「船宿のボトルシップ」をもって来てくれました。なにぶん強面のやくざっぽい人ですから、少し緊張して、丁寧に応対しました。「こんな素晴らしい贈り物を有難うございます。大変な技ですね。我家の宝にします」

こちらが丁寧に出れば、更に丁寧に出るのがヤスさん流です。
「大変な技なんて、とんでもございません。貴方様が暗闇で御棒を巧みにあやつり、奥様のお腹の中に可愛いお坊ちゃんをお作りになるのに比べれば、ほんの子供だまし。お恥ずかしい限りです」
「あのぉ、どうゆう意味でしょうか?」

ヤスさんの態度がガラリと変わりました。洒落の分からない野暮天は大嫌いなのです。
「そうかい。まあ、いいや。世話になったなぁ。元気に暮らせよ」
「新任地でのご活躍を祈ります」と言うのが精一杯でした。

 *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

「あのころは、私も若くて堅かった。少しは修行しましたよ」
「お互い歳を重ねて、やわくなったもんだな」とヤスさん。

ヤスさんは私の心の中に沢山の想い出を残して、59歳の若さで急逝しました。

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【2009/03/14 08:20】 | 照る日曇る日
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~男はつらいよ女は強いよ~
「女性はなぜ長生きか?」。 この答を病院の中で見つけた。 
素直が一番。 自分の気持を正直に伝えられるからだ。

太平洋戦争中の潜水艦の水中速力は輸送船より遅い。従って潜水艦作戦は、敵が来そうな場所で待機する「待ち伏せ作戦」が基本だ。

入院中、居場所はベッド一つの私にとって、広い食堂は太平洋のようなものだ。自動給茶機があるので、人の寄るルートにもなっている。夜の夜長は潜水艦のように、ここで静かに待ち伏せ作戦をすることにした。

同室のA君が献立表を見に来た。確認するように見ては直ぐ帰るのだ。こんど来たら笑わしてやろうと、待ち構えていた。 

私はノロマだから冗談が言えない。思いついた頃には話題が先に進んでしまうのだ。 しかし、今回は違うぞ。考える時間がたっぷりある。

A君はたしか「ブタのレバーが嫌い」と言っていたな。 ブタとレバーの二つをキーワードにしよう。 歌にして節をつけたらもっと面白いだろう。 

やはり来た。彼の頭の中は食事のことでいっぱいだ。いつもそうなのだ。 A君、献立表を見て、「ちぇ。レバーか」と、さっきと同じようにつぶやいた。

待ってましたとばかりに節をつけて歌ってみた、「なんかい見ても いっしょです~♪ レバーはレバー ブタはブタ~♪」。 A君ニコリともしない。 これは辛いし、腹も立つ。 

自分が機嫌いい時は、つまらない噂話をペラペラ喋るくせに、人がゴキゲンなときは知らん振り。四十過ぎたというのに、まるで子供だ。こんな勝手な人とは思わなかった。

かなり流行った「美貌の都」だが、ちょっと古かったかも知れない。 1957年映画の主題歌で宝田明が歌っていた。

「すったもんだと 言ったとて~♪ 嫌いは嫌い 好きは好き~♪ ……」字数を合わせるのに、かなり苦労した。 A君まだ生まれていなかったし、分かりにくかったかも知れない。

「あんたホントにアホやな」。 牢名主と自称する長期入院のBさん。
「何でですか! 古かったかも知れないと反省してるじゃないですか」
「ヤッコさんはな、間違いであってほしい。と期待して見に行くんだよ」
「そうだったのですか」

「どうかレバーじゃないようにと念じながら、献立表を確認するのだ」
「悪うございました。A君に秘蔵の梅干を上げて、機嫌直してもらいます」

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コッコッと足音がするので反射的に顔を向けると目があってしまった。 ニッコリ笑って「こんばんは」と言った。 これがキッカケで年配の女性とお話をすることになった。

「私、何の為に一人でガンパッテきたのでしょうね」
彼女は定年まで働いて、その後は新築のマンションを買って一人暮らしをしていたそうだ。

「主人は64歳で亡くなったけれど、貴方に似て前ハゲなの。何だか懐かしいのよ」
「そうですか」
こんな頭でも人様の役に立つことがあるのかと、少しは見直した。

「この歳で初めて入院したの。上と下が悪くてね」
「上と下ですか?」
「吐き気と下痢よ。こんなにやせちゃった」
「大変ですね」

「昨日甥が来て、車で篠路の方に連れて行かれたの。老人ホームみたいな所なのよ」
「一緒に歩いていた方ですね。 お子さんかと思いました」
「子供はいないし、迷惑かけられないからね。入らなければならないと思ってるの」
「気が進まないようですね」

「今まで一人で頑張って来たからね」
「せっかく築いた自分の城を明け渡すようなものですね」
「寂しいよね」
「寂しいですね」

「何か書いていたのでしょ。 邪魔して悪かったね」
「いいんですよ。暇つぶしですから」
「話したら、なんだか気が晴れたわ。ありがとね」
「それは良かったですね。叉、話しましょう」

「あらっ! なに書いてるの。ちょっと見せてよ」
「嫌ですよ! 日記ですから」
おばあさんには敵わない。断ったのに、近寄ってのぞいた。

「書きなれているじゃない」
「下手です。字なんか書いたことありません。いつもワードを使っています」
「この字違っているよ。 直してあげる」
「いいですよ。後でワードが直してくれるから」
「ワダさん?」

タイミングよく、食堂に年配の女性が入って来た。
「お友達みたいですよ」
「あの人、夕べ廊下に立っていて、入院したばかりで、話し相手がいないのと言うのよ」
「そうですか」

「話し終わると、話してくれてありがと。とお礼を言うの」と、言うが早いか私を置いて、お喋りに行ってしまった。昨日会ったばかりというのに、まるで10年来の親友のようだ。

*     *     *
       
「女性は素直に自分の気持を言えるから羨ましいですね」
「あんたもそうすればいいじゃないか」
「『ボク、話し相手がいないから 寂しいの』。なんて言えませんよ」
「それもそうだな、男はつらいな」

「廊下に立って、歩いている人を捉まえて言うんです」
「あんたにもか?」
「いえ、私は見ていただけです。 直ぐに話相手できましたよ」
「凄いね。ちょっと立ちんぼしただけで……」

「私なんか食堂の片隅で15日もですよ」
「例の待ち伏せ作戦か。叉、何か名前付けたんだろう」
「オペレーション・サブマリンです」と、胸をはる。
「潜水艦作戦のつもりかい。あいかわらず好きだね」

「私が潜水艦でね。給水にくる輸送船を待ち伏せするんですよ」
「つまり、食堂にお茶を飲みに来る人を待っているわけだな」
「一人でですよ。 潜水艦ですから」

「もっと気軽に『こんばんは、寒いですね』とか言えんのかい」
「食堂は暖かいですよ」

「それなら『調子はどうですか』とか聞けばいいじゃないか」
「調子はみんな悪いんです」
「みんな?」
「病人ですからね」

2008/3/11

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【2009/03/12 13:47】 | 照る日曇る日
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 「先ず、『何々は何々に似ている』と書いて、続けて理由も書いてください」と、文章教室の先生から問題を与えられました。 宿題ならいいのですが、「今、ここでやりなさい」と言われても焦せるばかりです。 一瞬、頭の回転が止まりました。 一生懸命、最近の出来事を思い出そうとしました。
 
 最初に思い出したのは、温かい雰囲気の「カラオケクラブ」のことです。 歌っても、叱られないし、嫌な顔もされません。 それどころか、拍手をしたりして励ましてくれます。
 昔のことを思い起こせば、在職中は違います。 「お前のような下手なヤツは歌えと言われても歌うな」と、叱られました。 それ以来カラオケは止めました。

 あれから28年たちましたが、練習して上手くなったわけではありません。 あんなこと言われたらカラオケなんかやる気しませんからね。 ただ、年をとっただけです。 
 理由は分かりませんが、歌っても叱られないのだと、ホッとしました。 そこで連想したのが、私と幼児との共通点です。 「幼児も老人も歌が下手でも叱られないな」と思い。更に次のように連想しました。
 老人は幼児に似ている。→ 働かなくても叱られない。
 現在の社会情勢を考えると、不謹慎で申し訳ありません。

 次に、先日行った葬式を思い出しました。 そして、「結婚は人生の墓場」という言葉が思い浮かびました。 これは外国の詩人の言葉の誤訳ではないかと言われています。
 「墓場のある教会で、身体を清めてから結婚しなさい」→「恋愛は人生の墓場」→ 「結婚は人生の墓場」
 本来の意味からだんだん遠のいて行ってしまったようです。
 結婚は葬式に似ている。→ ともに墓場に行く。

 結婚から「夫婦」を連想しました。 終わりに至るまでは誤解や煩悶もあるかと思いますが、「終わり」そのものは一瞬ですね。
 夫婦は人生に似ている。→ 
 長かろうと、短かろうと、終わるときは一瞬。
 

 急に考えろと言われたら、こんなことしか思いつきません。 なんで楽しいことがポンポン出てこないのでしょうか。 黙って座っていれば、真面目な人。 口を開けば暗い話ばかり。 冗談一つ言えないのです。 
 やはり、ジョークはゆっくり考えて書くのが楽しいですね。 ご飯食べるのも歩くのも楽しいけれど、急かされては苦しいですね。 家でゆっくり考えながら書くのが一番いいのです。

「何のために?」
「自己満足です」

 というわけで、5回で終了予定の「自己満足の文章講座」は、一回でマスターしたので、お休みです(笑)。 
その代わりに「お雛まつり会」に行きました。 これも生まれて初めてです。 楽しかったですよ。

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【2009/03/10 13:20】 | 照る日曇る日
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