行方不明の小学2年生が無事に見つかり快復し退院した。その姿を見て胸がいっぱいになった。とても嬉しい。テレビニュースでこれほど感動したことはない。食料を持っていなかったと言うことなので、ギリギリのところで助かったのだ。
まさに天の助けと思う。たまたま用事でA君が迷い込んだ小屋に来た自衛隊員に発見された。この偶然がもっと早く来れば苦しみも少なかったはず。全ては運だと思う。なぜ6日間も見つからなかったか深く考えさせられた出来事だった。
この件に関する私の知識は、テレビと新聞で得た情報だけだった。しかし「躾」という大切な言葉が軽々しく、しかも言い訳として使われていることに違和感を覚えた。
事実関係を掴んでいないので、あくまでも「そうだとすると」と言う仮定の上の話だが、親が山菜取りと嘘をついたと聞いて驚いた。捜索のために最も重要な位置情報に関わることが嘘では困る。捜索範囲が大幅に変わってくるではないか。つまり一人っきりの小学2年生が行きそうもない場所を重点的に探すことになる。結果として、家族が捜索活動をかく乱し、妨害をしたことになるだろう。
「だだいまから行方不明のA君の捜索を行う。捜索範囲は山菜の採れそうな森の中」
と隊長が臨時編成の捜索隊員に命令を下す。
「小学生が一人で山菜取りですか?」と隊員の一人。
「家族と一緒に行ってはぐれたんだ。行った場所は家族から聞いている」
「その辺りを大声をだしながら、探せば簡単に見つかりますね」
「大声を出すだけじゃだめだ。子供が応える声に耳を傾けることが大切だ」
しばらくして隊員から報告、「隊長、山菜を採った跡が見つかりません」。
隊長は家族に訪ねた。「採った山菜を見せて下さい」。
「採ろうとしてアチコチ歩いている内に子供が居ないことに気づきました」
「足跡が手掛かりになるでしょう。安心してください。直ぐ見つけます」
以上は想像だが、これからも想像だ。なにぶん分からないことばかりなので。
一人残された小学生は、どう考えるだろうか。家族に会いたいと思うに決まっている。家族は車で移動している。道路以外の所に行くはずがない。森に入ることは考えられないのだ。人気のない森は小学生でも大人でも怖い。好んで入る場所ではない(山菜取りなら話は別だが)。
自分が放置されたらどうするか想像してみた。とにかく人気のある場所に行きたい。絶対に森の中などに行きたくない。真っ暗になる前に人に会いたい。自分が何処にいるか分からなくなったら人に聞くより助かる道がない。都会育ちだからそう思った。
隊長は再び家族に訪ねる。
「足跡も見つからないし何の手掛かりも無いのです。場所を間違えていませんか?」
「実は、……山菜取りは嘘でした」
「嘘をつかれたら見つけることはできません。どこで行方不明になったのですか」
「道路です?」
「なぜ?」
「しつけです」
「しつけ? 捜索の為には正しい情報が必要です」
「車から降ろして道路に置き去りにしました」
「なぜそのことを最初に言わないのです」
「言えばDV(家庭内暴力)と思われるでしょう」
「子供さんを見つけることと、自分が悪く思われないこととドッチが大切ですか」
「子供の命です」
「では何で嘘をつくのですか!」
「両方とも上手く行くと思ったんですよ」
フィクションです。最近起こった児童行方不明事件とは全く関係がありません。
まさに天の助けと思う。たまたま用事でA君が迷い込んだ小屋に来た自衛隊員に発見された。この偶然がもっと早く来れば苦しみも少なかったはず。全ては運だと思う。なぜ6日間も見つからなかったか深く考えさせられた出来事だった。
この件に関する私の知識は、テレビと新聞で得た情報だけだった。しかし「躾」という大切な言葉が軽々しく、しかも言い訳として使われていることに違和感を覚えた。
事実関係を掴んでいないので、あくまでも「そうだとすると」と言う仮定の上の話だが、親が山菜取りと嘘をついたと聞いて驚いた。捜索のために最も重要な位置情報に関わることが嘘では困る。捜索範囲が大幅に変わってくるではないか。つまり一人っきりの小学2年生が行きそうもない場所を重点的に探すことになる。結果として、家族が捜索活動をかく乱し、妨害をしたことになるだろう。
「だだいまから行方不明のA君の捜索を行う。捜索範囲は山菜の採れそうな森の中」
と隊長が臨時編成の捜索隊員に命令を下す。
「小学生が一人で山菜取りですか?」と隊員の一人。
「家族と一緒に行ってはぐれたんだ。行った場所は家族から聞いている」
「その辺りを大声をだしながら、探せば簡単に見つかりますね」
「大声を出すだけじゃだめだ。子供が応える声に耳を傾けることが大切だ」
しばらくして隊員から報告、「隊長、山菜を採った跡が見つかりません」。
隊長は家族に訪ねた。「採った山菜を見せて下さい」。
「採ろうとしてアチコチ歩いている内に子供が居ないことに気づきました」
「足跡が手掛かりになるでしょう。安心してください。直ぐ見つけます」
以上は想像だが、これからも想像だ。なにぶん分からないことばかりなので。
一人残された小学生は、どう考えるだろうか。家族に会いたいと思うに決まっている。家族は車で移動している。道路以外の所に行くはずがない。森に入ることは考えられないのだ。人気のない森は小学生でも大人でも怖い。好んで入る場所ではない(山菜取りなら話は別だが)。
自分が放置されたらどうするか想像してみた。とにかく人気のある場所に行きたい。絶対に森の中などに行きたくない。真っ暗になる前に人に会いたい。自分が何処にいるか分からなくなったら人に聞くより助かる道がない。都会育ちだからそう思った。
隊長は再び家族に訪ねる。
「足跡も見つからないし何の手掛かりも無いのです。場所を間違えていませんか?」
「実は、……山菜取りは嘘でした」
「嘘をつかれたら見つけることはできません。どこで行方不明になったのですか」
「道路です?」
「なぜ?」
「しつけです」
「しつけ? 捜索の為には正しい情報が必要です」
「車から降ろして道路に置き去りにしました」
「なぜそのことを最初に言わないのです」
「言えばDV(家庭内暴力)と思われるでしょう」
「子供さんを見つけることと、自分が悪く思われないこととドッチが大切ですか」
「子供の命です」
「では何で嘘をつくのですか!」
「両方とも上手く行くと思ったんですよ」
フィクションです。最近起こった児童行方不明事件とは全く関係がありません。
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そよ風 今回のニュース、めでたしめでたしで終わって良かったですね。
父親の記者会見を見て涙が出ました。
最初に嘘をついた事は確かに悪いと思いますが、直ぐに見つかると思っていたのでしょう。
子供を置き去りにして5分後には現地に戻っています。
子供が車や人様に対して石を投げたので躾として車から降ろしたと言ってましたが、その事で世間を騒がせるなんて父親としては思ってもいなかったでしょうね。
海外のメディアまで広がったんですもの…
子供が悪い事をしたら躾も大事ですが、今回はちょっと行き過ぎましたね。
父親も深く反省していたので許してあげましょうよ。
私は父親に対して、そんなに悪印象は持っていません。
お父様も大変でしたね
PP 本当に助かって好かったです。
テレビでですが無事な姿を見て我がことのように嬉しかったです。
人が水だけで生きるのは7日くらいと聞いていました。
やつれてはいましたが、意外に元気そうだったのでホッとしました。
6昼夜一人で空腹をかかえて過ごすのは想像を絶する苦しみです。
小学2年生がテレビ写りでは平静に見えたので感動しました。
お父様も大変でしたね。皆様の幸せを祈っています。
子供の頃は貧乏だったのでお金持ちに憧れた。別世界と感じていたので自分がなれるとも、なりたいとも思わない。単なる夢の世界として憧れていた。しかし、今は富豪になりたくないし憧れてもいない。富豪になったら今より幸せになれるとも思っていない。今のお金持ちは大変だと思うのだ。
富豪になったつもりで将来を考えてみた。そこに見えたのは人類滅亡へのシナリオだった。現在の世界は「62人=36億人」の世界だそうだ。新聞にそう書いてあった。10年後には「2人=36億人」という試算もある。その概略は次のとおり。
「世界の最も豊かな層のたった62人が所有する総資産が、世界の貧しい方50%の36億人が所有する総資産と同じ、という意味だ」そうだ。そして、
「2010年では貧しい方50%の総資産が388人の富豪の総資産に相当していた」。
更に、「このままの趨勢が続くと次の5年で10人、さらに10年先には2人となってしまう!」と続く。1人になる日も近い。1人=36億人。さてその後は?
括弧内は5月14日付け道新(総合研究大学院大名誉教授池内了氏執筆)より抜粋。
日本を含む世界中で格差が進み、このままの趨勢が続けば、遠からず世界経済は破綻する。私の想像では、「パナマ文書」問題が明るみに出たのは、富豪筋のリークによるものである。もちろん、この経済破綻を避ける方策の一つとしてだ。
富豪たちが各界の有力者を動かして自分達だけが儲かる仕組みを作ったものの、あまりにも上手く行き過ぎて恐ろしくなったのだと思う。富豪とはいえ我々と同じ人間だから、度が過ぎるほど極端な格差拡大に危機感を抱いている人もいるだろう。
仮に自分が富豪と思って考えてみた。そうしたら死ぬほど恐ろしくなった。世界中が飢餓寸前の貧乏人で埋め尽くされて居るのに自分だけが超大金持ち。これは一種の地獄ではないか。昔そのような絵を見た様な気がする。
今から数年前の2010年では世界の富の半分を握るのは388人だった。もし私がその中の一人だったら、何とかして財産を減らせないかと考える。それなのに儲かる仕組みが出来上がっているから、不本意ながら資産はどんどん増えて行ってしまう。
これは凄く怖いことだ。戦争、テロ、強盗の標的にされてしまう。富豪の人たちは今より財産が集中しても心配の種が増えるばかりだ。どうしたもんだろうかと悩んでいるに違いない。
この悩みを世界の人々に知ってもらう必要がある。その為に国際協力団体のNGO、オックスファムの力を借りて、極端過ぎる経済格差を調査して世界中に知らせているのだと思う。このような背景の中で「62人=36億人」が公表されたのだろう。
ところが世界の人々は大した関心も示さない。「大金持ちはもっと貧乏人に金をよこせ」という声が世界中の至る所から盛り上がって来るかと思ったのに当てが外れた。困った富豪たちは最後の賭けに出た。これが「パナマ文書」リークだと考える。
今度こそは国際世論を動かせるだろうと富豪たちは期待している。そうでなければ、10年後は二人で世界の富の半分を持つことになってしまう。あるいは二人の中に入れない。いずれにしても大変なことで生きた心地がしないだろう。
一体この格差拡大は何時まで続くのだろう。世界経済が破綻するまで続くのだろうか。こんなことは世界総資産の2分の1を持つ富豪でさえ望まないと思う。金持ちがもっと金持ちになる仕組みが暴走しているのだ。
一旦できた仕組みは、作った人の意図に反して独り歩きする。制限なしの集金ロボットの登場だ。その先はもっと恐ろしい。独りぼっちの大富豪、まさに孤独の極限だ。どんな人でも財産を捨てて一般人の仲間入りをしたくなるだろう。
今、富豪たちは恐れ慄いているのではないだろうか。パナマ文書は匿名者からの流出だそうだ。匿名者とは富豪の内部通報者、これが私の推理だが証明する力がない。世界の貧しい方50%の36億人の中の一人である私はこう考えた。62人の富豪の話も聞きたい。幸せですか? 怖くないですか? 仲良くしてますか?
富豪になったつもりで将来を考えてみた。そこに見えたのは人類滅亡へのシナリオだった。現在の世界は「62人=36億人」の世界だそうだ。新聞にそう書いてあった。10年後には「2人=36億人」という試算もある。その概略は次のとおり。
「世界の最も豊かな層のたった62人が所有する総資産が、世界の貧しい方50%の36億人が所有する総資産と同じ、という意味だ」そうだ。そして、
「2010年では貧しい方50%の総資産が388人の富豪の総資産に相当していた」。
更に、「このままの趨勢が続くと次の5年で10人、さらに10年先には2人となってしまう!」と続く。1人になる日も近い。1人=36億人。さてその後は?
括弧内は5月14日付け道新(総合研究大学院大名誉教授池内了氏執筆)より抜粋。
日本を含む世界中で格差が進み、このままの趨勢が続けば、遠からず世界経済は破綻する。私の想像では、「パナマ文書」問題が明るみに出たのは、富豪筋のリークによるものである。もちろん、この経済破綻を避ける方策の一つとしてだ。
富豪たちが各界の有力者を動かして自分達だけが儲かる仕組みを作ったものの、あまりにも上手く行き過ぎて恐ろしくなったのだと思う。富豪とはいえ我々と同じ人間だから、度が過ぎるほど極端な格差拡大に危機感を抱いている人もいるだろう。
仮に自分が富豪と思って考えてみた。そうしたら死ぬほど恐ろしくなった。世界中が飢餓寸前の貧乏人で埋め尽くされて居るのに自分だけが超大金持ち。これは一種の地獄ではないか。昔そのような絵を見た様な気がする。
今から数年前の2010年では世界の富の半分を握るのは388人だった。もし私がその中の一人だったら、何とかして財産を減らせないかと考える。それなのに儲かる仕組みが出来上がっているから、不本意ながら資産はどんどん増えて行ってしまう。
これは凄く怖いことだ。戦争、テロ、強盗の標的にされてしまう。富豪の人たちは今より財産が集中しても心配の種が増えるばかりだ。どうしたもんだろうかと悩んでいるに違いない。
この悩みを世界の人々に知ってもらう必要がある。その為に国際協力団体のNGO、オックスファムの力を借りて、極端過ぎる経済格差を調査して世界中に知らせているのだと思う。このような背景の中で「62人=36億人」が公表されたのだろう。
ところが世界の人々は大した関心も示さない。「大金持ちはもっと貧乏人に金をよこせ」という声が世界中の至る所から盛り上がって来るかと思ったのに当てが外れた。困った富豪たちは最後の賭けに出た。これが「パナマ文書」リークだと考える。
今度こそは国際世論を動かせるだろうと富豪たちは期待している。そうでなければ、10年後は二人で世界の富の半分を持つことになってしまう。あるいは二人の中に入れない。いずれにしても大変なことで生きた心地がしないだろう。
一体この格差拡大は何時まで続くのだろう。世界経済が破綻するまで続くのだろうか。こんなことは世界総資産の2分の1を持つ富豪でさえ望まないと思う。金持ちがもっと金持ちになる仕組みが暴走しているのだ。
一旦できた仕組みは、作った人の意図に反して独り歩きする。制限なしの集金ロボットの登場だ。その先はもっと恐ろしい。独りぼっちの大富豪、まさに孤独の極限だ。どんな人でも財産を捨てて一般人の仲間入りをしたくなるだろう。
今、富豪たちは恐れ慄いているのではないだろうか。パナマ文書は匿名者からの流出だそうだ。匿名者とは富豪の内部通報者、これが私の推理だが証明する力がない。世界の貧しい方50%の36億人の中の一人である私はこう考えた。62人の富豪の話も聞きたい。幸せですか? 怖くないですか? 仲良くしてますか?
「運動音痴のお前がな~。野球を書くとはビックリポンだよ。暇つぶしのテレビ観戦で分かったと思ったら大間違だぞ」
「カラオケもやってますよ」
「それがどうした」
「スーパー音痴です」
「なるほど。音痴でも歌う。無知蒙昧でも書ける」
「そうなんですよ。あなたには読まない自由があるのです」
「今更ナンダ! タイトルに騙されてクリックしちゃったぞ」
断捨離シリーズのはずだったが、寄り道3回になってしまった。気になることがあると、どうしても書きたくなるのだ。少し古いニュースだが、世界野球「プレミア12」の準決勝で日本が、韓国に3対4で逆転負けしたことが今でも気になっている。9回の表に4点も取られたのだから情けない。訳の分からない投手交代で負けてしまった。
大谷が7回まで1安打11奪三振零封。押さえられて意気消沈していた韓国チームは思わぬプレゼントをもらって勢いづいた。敵から塩をもらった様なもの。彼らはこれで行けるぞとばかりに大喜び。なんでこんなことになるのだろう?
プレゼントとは85球を投げて余力を残している大谷を交代させたこと。意外な投手交代にテレビの前で唖然とした。随分気前のいい人だ。ど素人の私などには理解できない深い訳があったに違いない。あの日は愛ちゃんの誕生日とか何やかやと。
ひょっとして調子の好い大谷の力を決勝戦の為に残して置きたかったのだろうか。言うまでもなく決勝戦を確実に勝ち世界一になる為だ。しかし、それは無いと思う。準決勝に勝たなければ決勝戦には絶対に進めないのだから。
多分、小久保監督は大谷でなくても残りの投手陣で絶対に勝てると確信したから交代させたのだ。その確信こそ間違いだと考える。五戦全勝には運よく勝ちを拾った試合も含くまれている。勝って兜の緒を締めよ。
目標は世界一と言ったはずだ。負ければ反省する機会が与えられるが勝ち続けたのが運の尽きだった。野球は球体であるボールを丸いバットで打つ。同じ力でも少しでもズレれば、ホームランと思っても内野フライになってしまう。極めて運が左右するゲームと思う。絶対はあり得ないのでミスする確率は少しでも下げなければならない。好投している投手を替えればミスの確率は高まるだろう。
グループB五戦の内、メキシコ戦とベネズエラ戦は5対6の僅差で、どちらが勝ってもおかしくはなかった。両方とも勝ってしまったので根拠のない確信をもったとすれば、お粗末な話だ。監督は采配ミスを認めたものの独り善がりの勝ちパターンに拘り、臨機応変の処置が取れなかった。新聞に載った監督のコメントからそう感じた。
「なんでナンデと疑問を持つのはお前の悪い癖だよ」
「勝ち過ぎがいけなかったでしょうか?」
「実力7分運3分」
「運が良すぎたのでしょうか?」
「肝心なときに見放されたな。運は何人にも平等に与えられる」
「そうですね。運だけはお金で買えませんから公平です」
勝ちが続けばどうしても驕りが出てしまう。その驕りが準決勝の時に変な余裕を与えてしまったようだ。だから試合中に、あるかないか分からない東京ドームでの決勝戦のことまで考えてしまうのだ。
一つ先のことに気を取られれば無意識に今の戦いが疎かになる。何だか監督自身が長い間戦って来たリーグ戦の癖が出た様な気がする。ど素人のわたしはそう考えた。ゲームに絶対は無いが交代は大谷が危なくなってからにして欲しかった。絶対に勝たなければならない試合では好投している投手を替えてはいけない。
2015年12月13日(予定)中島公園 都会の野鳥観察会

午前8時から90分程度、参加費無料、定員12名(先着順)
申し込み等詳細 → 中島公園都会の野鳥観察会
「カラオケもやってますよ」
「それがどうした」
「スーパー音痴です」
「なるほど。音痴でも歌う。無知蒙昧でも書ける」
「そうなんですよ。あなたには読まない自由があるのです」
「今更ナンダ! タイトルに騙されてクリックしちゃったぞ」
断捨離シリーズのはずだったが、寄り道3回になってしまった。気になることがあると、どうしても書きたくなるのだ。少し古いニュースだが、世界野球「プレミア12」の準決勝で日本が、韓国に3対4で逆転負けしたことが今でも気になっている。9回の表に4点も取られたのだから情けない。訳の分からない投手交代で負けてしまった。
大谷が7回まで1安打11奪三振零封。押さえられて意気消沈していた韓国チームは思わぬプレゼントをもらって勢いづいた。敵から塩をもらった様なもの。彼らはこれで行けるぞとばかりに大喜び。なんでこんなことになるのだろう?
プレゼントとは85球を投げて余力を残している大谷を交代させたこと。意外な投手交代にテレビの前で唖然とした。随分気前のいい人だ。ど素人の私などには理解できない深い訳があったに違いない。あの日は愛ちゃんの誕生日とか何やかやと。
ひょっとして調子の好い大谷の力を決勝戦の為に残して置きたかったのだろうか。言うまでもなく決勝戦を確実に勝ち世界一になる為だ。しかし、それは無いと思う。準決勝に勝たなければ決勝戦には絶対に進めないのだから。
多分、小久保監督は大谷でなくても残りの投手陣で絶対に勝てると確信したから交代させたのだ。その確信こそ間違いだと考える。五戦全勝には運よく勝ちを拾った試合も含くまれている。勝って兜の緒を締めよ。
目標は世界一と言ったはずだ。負ければ反省する機会が与えられるが勝ち続けたのが運の尽きだった。野球は球体であるボールを丸いバットで打つ。同じ力でも少しでもズレれば、ホームランと思っても内野フライになってしまう。極めて運が左右するゲームと思う。絶対はあり得ないのでミスする確率は少しでも下げなければならない。好投している投手を替えればミスの確率は高まるだろう。
グループB五戦の内、メキシコ戦とベネズエラ戦は5対6の僅差で、どちらが勝ってもおかしくはなかった。両方とも勝ってしまったので根拠のない確信をもったとすれば、お粗末な話だ。監督は采配ミスを認めたものの独り善がりの勝ちパターンに拘り、臨機応変の処置が取れなかった。新聞に載った監督のコメントからそう感じた。
「なんでナンデと疑問を持つのはお前の悪い癖だよ」
「勝ち過ぎがいけなかったでしょうか?」
「実力7分運3分」
「運が良すぎたのでしょうか?」
「肝心なときに見放されたな。運は何人にも平等に与えられる」
「そうですね。運だけはお金で買えませんから公平です」
勝ちが続けばどうしても驕りが出てしまう。その驕りが準決勝の時に変な余裕を与えてしまったようだ。だから試合中に、あるかないか分からない東京ドームでの決勝戦のことまで考えてしまうのだ。
一つ先のことに気を取られれば無意識に今の戦いが疎かになる。何だか監督自身が長い間戦って来たリーグ戦の癖が出た様な気がする。ど素人のわたしはそう考えた。ゲームに絶対は無いが交代は大谷が危なくなってからにして欲しかった。絶対に勝たなければならない試合では好投している投手を替えてはいけない。
2015年12月13日(予定)中島公園 都会の野鳥観察会

午前8時から90分程度、参加費無料、定員12名(先着順)
申し込み等詳細 → 中島公園都会の野鳥観察会
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選手交代のタイミングは大切
路傍の石 リーグ戦でもたまに今回のような例がありますね。
応援しているチームが0封されていて、
8~9回辺りで好投の相手投手が突然交代。
ヤッタ~! これで打つチャンスが訪れそう!!
結果、応援チームの勝利。
監督の考えやチーム事情など、いろいろあるのでしょう。
でもプロは勝って幾らの世界ですから、
目の前の勝ちを逃すのは、惜しいですね。
もっと早く増井投手を
PP そうですね。応援チームが打ちあぐれているときに投手が交代すると嬉しいです。
リーグ戦なら戦力温存も分かるのですが勝たなくては次が無いトーナメントです。
9回にノーアウトで塁に二人目を出したときが、肝と思いました。
負ける可能性が出たときの判断に誤りがあったと思っています。
あの場面は増井投手と交代させればよかったのにと今でも思っています。
ヨタヨタと危なげな時でも4点は取られないのが増井投手です。
路傍の石 リーグ戦でもたまに今回のような例がありますね。
応援しているチームが0封されていて、
8~9回辺りで好投の相手投手が突然交代。
ヤッタ~! これで打つチャンスが訪れそう!!
結果、応援チームの勝利。
監督の考えやチーム事情など、いろいろあるのでしょう。
でもプロは勝って幾らの世界ですから、
目の前の勝ちを逃すのは、惜しいですね。
もっと早く増井投手を
PP そうですね。応援チームが打ちあぐれているときに投手が交代すると嬉しいです。
リーグ戦なら戦力温存も分かるのですが勝たなくては次が無いトーナメントです。
9回にノーアウトで塁に二人目を出したときが、肝と思いました。
負ける可能性が出たときの判断に誤りがあったと思っています。
あの場面は増井投手と交代させればよかったのにと今でも思っています。
ヨタヨタと危なげな時でも4点は取られないのが増井投手です。
フィクション恐怖の歩道
ここは日本警察七曲署殺人課、ボスがゴリさんに命令を下す。
「ゴリ、ご苦労だが内閣府最高交通安全会議に行ってくれ」
当時の東京は交通事故数がうなぎ上り、一方殺人事件は七曲署の猛者が悪者を全部退治してしまったので仕事は何もない。こうした状況でゴリさんの出番となった。
1970年当時の課題は増え続ける交通事故の減少だった。そしてやり玉に挙がったのが車道の自転車である。道路交通法の決まり通りの車道走行だが何故か問題になっていた。第1回最高会議は1970年4月開催。委員は豊日自動車副社長と警察のゴリさんを含め約5名。
「予想外の交通事故急増で車が売れなくなり困っています。なんとかしてください」
と豊日自動車の副社長が口火を切った。
「殺人事件をゼロにしました。交通事故も任せてください」とゴリさんは頼もしい。
「車椅子で移動し易いように歩道の段差を解消してバリアフリーにしたいのです」
「賛成!優しい気持ちで交通事故を減らしましょう」
と、気が優しくて力持ちのゴリさんはもろ手を挙げて大賛成。てな感じで第一回会議は和やかな雰囲気を残して終了。
「ゴリ、会議はどうだった」と、煙草をくわえコーヒーカップを片手にボスが聞く。
「心洗われる思いです。コロシ(殺人)はもう沢山。 命をかけて交通安全!」
あれから1年後、最高会議で副社長が新たな提案。
「車道をフラフラ走って危険だから自転車の歩道走行を認めてほしい」
「ダメです。段差がなくなったから自転車が暴走して、歩道が危険になります。障がい者の為のバリアフリーなのに車椅子に乗るのが怖くなる。絶対に認められません」
ゴリさんは、例外的に自転車の歩道走行を認めるのならば、自転車専用道路が出来までとか期限を決めること。それまでの間は歩道走行取締体制を強化することを強く要求し続けた。そして1年たったら委員を首になった。
代わって登場したのが警察のエライさん。早速記者会見を開いた。
先ずA新聞のB記者が質問。
「暴走自転車が横行して歩道を歩いていても恐怖を感じることがあります。自転車には歩行者を守る為、徐行や一時停止の義務がありますが守られていません。なぜしっかりと取り締まらないのですか?」
「えーと、取り締まりを強化すれば新たな暴力団の資金源になる恐れがあります」
と、警察のエライさんは小さな声で言い難そうに答えた。
「なんですかそれ?」
「自転車への当たり屋です。つまり自転車にわざとぶつかって怪我をしたふりをして『訴えるぞ』と脅して金品を要求するのです。車の当たり屋に比べて安全に稼げるので、これから流行ると思います」
「そうなんですか」
「分かりましたか」
「全然分かりません。本当は取り締まりを強化すると自転車が車道に戻ってしまうからでしょう。それが嫌なんじゃないですか。車の邪魔ですからね」
「そんなことありません」
「自転車に車道を走って欲しくない人が居るんでしょう」
「事故を心配する人は多いです。ドライバーは嫌がるでしょうね。」
「車の売り上げに影響しますね」
「売上より人の命が大切です」
「1970年頃に20%程度だった自家用車の世帯普及率は1990年頃には80%に達しています。この間にほとんどの歩道から段差が消えました。歩道の段差解消が進むにしたがって車の売り上げが急上昇しています。この事実をどう考えますか?」
「たまたまでしょう」
「歩道に暴走自転車が増えたのは段差を解消したからでしょう」
「そうですね。段差あっては走れません」
「なぜ取り締まらないのですか?」
「……。えーと、自転車の人は歩行者でもあるので何とか譲り合い……」
「ホントのところは自転車が車道にもどると交通事故が増えるからでしょ」
「それも一理あります」
「交通事故が増えれば車が売れなくなりますね」
「それはまだ検証されていません」
「癒着しているんではないですか?」
私が癒着を感じたのは、福岡市で遭った当て逃げ事件がきっかけだった。歩いていいると後ろから何かがぶつかり路上に倒れた。痛みを堪えて起き上がると、自転車が猛スピードで逃げていくのが見えた。悔しいから道路交通法を読むと歩道では歩行者に絶対的な優先権があることが分かった。
その頃私は、自転車を便利に使っていた。もちろん歩道走行に何の疑問も抱いていなかった。しかし道交法の歩行者保護優先規定を知ってしまったので、守らなければならないと思うようになった。被害者の私としては踏んだり蹴ったりだ。
自転車に乗っている時、これほど不便な決まりはない。歩行者を抜く時は徐行しなければならないし、歩行者が邪魔で通れなければ一時停止しなければならない。これでは自転車に乗っていても走れないから、乗るのを止めた。
歩道の段差が無くなって走り易くなったと思ったら、私の心の中に心理的な段差ができて走れない。「知らぬが仏」というけれど、記憶力が好くて、知らない状態には戻れなかった。忘れっぽくなりたいな~と思ったら、望みは叶ったが嬉しくもない。もう自転車に乗らなくなって10年以上になる。
私説(社説の真似事)
ところで前回「悪質自転車に講習義務化」(北海道新聞2009年5月18日夕刊はいはい道新より抜粋)」の以下略の部分には次の様に書いてある。「……。以来怖くて自分が自転車で歩行者のそばを通る時は降り、ベルを鳴らしません。互いに少しの譲り合いの心があれば、と思いました」
そしてこの記事のタイトルは「気になる」だった。これを読んでとても気になってしまった。歩行者用道路での徐行違反、歩道での歩行者妨害等の行為が法律でなく心の問題にすり替わってしまっているのだ。
このことは、当局が自転車の歩道走行を例外的に認めた時に、国民にたいする広報をまったくしていなかったことを意味している。そして30年以上も放置すれば法律を無視した常識が形成されても不思議ではない。癒着の悪影響は恐ろしい。
ここは日本警察七曲署殺人課、ボスがゴリさんに命令を下す。
「ゴリ、ご苦労だが内閣府最高交通安全会議に行ってくれ」
当時の東京は交通事故数がうなぎ上り、一方殺人事件は七曲署の猛者が悪者を全部退治してしまったので仕事は何もない。こうした状況でゴリさんの出番となった。
1970年当時の課題は増え続ける交通事故の減少だった。そしてやり玉に挙がったのが車道の自転車である。道路交通法の決まり通りの車道走行だが何故か問題になっていた。第1回最高会議は1970年4月開催。委員は豊日自動車副社長と警察のゴリさんを含め約5名。
「予想外の交通事故急増で車が売れなくなり困っています。なんとかしてください」
と豊日自動車の副社長が口火を切った。
「殺人事件をゼロにしました。交通事故も任せてください」とゴリさんは頼もしい。
「車椅子で移動し易いように歩道の段差を解消してバリアフリーにしたいのです」
「賛成!優しい気持ちで交通事故を減らしましょう」
と、気が優しくて力持ちのゴリさんはもろ手を挙げて大賛成。てな感じで第一回会議は和やかな雰囲気を残して終了。
「ゴリ、会議はどうだった」と、煙草をくわえコーヒーカップを片手にボスが聞く。
「心洗われる思いです。コロシ(殺人)はもう沢山。 命をかけて交通安全!」
あれから1年後、最高会議で副社長が新たな提案。
「車道をフラフラ走って危険だから自転車の歩道走行を認めてほしい」
「ダメです。段差がなくなったから自転車が暴走して、歩道が危険になります。障がい者の為のバリアフリーなのに車椅子に乗るのが怖くなる。絶対に認められません」
ゴリさんは、例外的に自転車の歩道走行を認めるのならば、自転車専用道路が出来までとか期限を決めること。それまでの間は歩道走行取締体制を強化することを強く要求し続けた。そして1年たったら委員を首になった。
代わって登場したのが警察のエライさん。早速記者会見を開いた。
先ずA新聞のB記者が質問。
「暴走自転車が横行して歩道を歩いていても恐怖を感じることがあります。自転車には歩行者を守る為、徐行や一時停止の義務がありますが守られていません。なぜしっかりと取り締まらないのですか?」
「えーと、取り締まりを強化すれば新たな暴力団の資金源になる恐れがあります」
と、警察のエライさんは小さな声で言い難そうに答えた。
「なんですかそれ?」
「自転車への当たり屋です。つまり自転車にわざとぶつかって怪我をしたふりをして『訴えるぞ』と脅して金品を要求するのです。車の当たり屋に比べて安全に稼げるので、これから流行ると思います」
「そうなんですか」
「分かりましたか」
「全然分かりません。本当は取り締まりを強化すると自転車が車道に戻ってしまうからでしょう。それが嫌なんじゃないですか。車の邪魔ですからね」
「そんなことありません」
「自転車に車道を走って欲しくない人が居るんでしょう」
「事故を心配する人は多いです。ドライバーは嫌がるでしょうね。」
「車の売り上げに影響しますね」
「売上より人の命が大切です」
「1970年頃に20%程度だった自家用車の世帯普及率は1990年頃には80%に達しています。この間にほとんどの歩道から段差が消えました。歩道の段差解消が進むにしたがって車の売り上げが急上昇しています。この事実をどう考えますか?」
「たまたまでしょう」
「歩道に暴走自転車が増えたのは段差を解消したからでしょう」
「そうですね。段差あっては走れません」
「なぜ取り締まらないのですか?」
「……。えーと、自転車の人は歩行者でもあるので何とか譲り合い……」
「ホントのところは自転車が車道にもどると交通事故が増えるからでしょ」
「それも一理あります」
「交通事故が増えれば車が売れなくなりますね」
「それはまだ検証されていません」
「癒着しているんではないですか?」
私が癒着を感じたのは、福岡市で遭った当て逃げ事件がきっかけだった。歩いていいると後ろから何かがぶつかり路上に倒れた。痛みを堪えて起き上がると、自転車が猛スピードで逃げていくのが見えた。悔しいから道路交通法を読むと歩道では歩行者に絶対的な優先権があることが分かった。
その頃私は、自転車を便利に使っていた。もちろん歩道走行に何の疑問も抱いていなかった。しかし道交法の歩行者保護優先規定を知ってしまったので、守らなければならないと思うようになった。被害者の私としては踏んだり蹴ったりだ。
自転車に乗っている時、これほど不便な決まりはない。歩行者を抜く時は徐行しなければならないし、歩行者が邪魔で通れなければ一時停止しなければならない。これでは自転車に乗っていても走れないから、乗るのを止めた。
歩道の段差が無くなって走り易くなったと思ったら、私の心の中に心理的な段差ができて走れない。「知らぬが仏」というけれど、記憶力が好くて、知らない状態には戻れなかった。忘れっぽくなりたいな~と思ったら、望みは叶ったが嬉しくもない。もう自転車に乗らなくなって10年以上になる。
私説(社説の真似事)
ところで前回「悪質自転車に講習義務化」(北海道新聞2009年5月18日夕刊はいはい道新より抜粋)」の以下略の部分には次の様に書いてある。「……。以来怖くて自分が自転車で歩行者のそばを通る時は降り、ベルを鳴らしません。互いに少しの譲り合いの心があれば、と思いました」
そしてこの記事のタイトルは「気になる」だった。これを読んでとても気になってしまった。歩行者用道路での徐行違反、歩道での歩行者妨害等の行為が法律でなく心の問題にすり替わってしまっているのだ。
このことは、当局が自転車の歩道走行を例外的に認めた時に、国民にたいする広報をまったくしていなかったことを意味している。そして30年以上も放置すれば法律を無視した常識が形成されても不思議ではない。癒着の悪影響は恐ろしい。
皆様の多くは「ナッツ事件」についてはご存知のことと思う。それに私自身も前々回のブログに「大韓航空ナッツリターン」というタイトルで書いている。そんな訳で経緯は省略、ついでにもう一つ省略したいのは前副社長の「前」の字。お許しを。
航空機を操縦する資格も権限もない大韓航空副社長が航空保安法上の航空機航路変更の罪で懲役1年を言い渡された。運航妨害、衝突の危険があったからだと言う。航空機の運航に関しては機長に権限と責任があると思っていた私はビックリした。
日本のマスコミ報道では、「副社長に権限がある」というような雰囲気が漂っていた。疑問はあったが裁判になれば話は別だろうと予想していた。機内では副社長が機長に命令できる立場ではないと思っていたからだ。
第一、客室サービス責任者を降ろして、どうするつもりなのだろう。一旦緊急事態が生じれば最も重要な役目を果たす保安要員の一人ではないか。しかし、暴言を吐き暴行の疑いのある副社長なら機から降ろす権限は機長にある。その上、航空機の運航にも差支えがない。
この事件の一番の謎は機長は何故客室サービス責任者を降ろす為に搭乗ゲートに戻ったのか。次なる疑問は管制塔には戻る理由を何といったのか。更なる疑問は副社長に法律違反だから戻れないとか説明しなかったのかである。
操縦しているのはパイロットだから副社長が何と言おうと、機長に戻る意思がなければ戻れない。その意思が謎なのだ。裁判の中でどう扱われたのだろうか? 情報をマスコミだけに頼っている私には分からない。
副社長は罰せられて当然と思うが、実際に航空機を動かした機長がお咎めなしとは驚きだ。まさかとは思うが、こんなことを考えた。副社長が魔術を使って機長を思いのままに操り航路を変更させた。つまり一時的に責任能力を喪失させたのだ。魔術を使った罪で懲役1年かもしれない。
世にも不思議な物語を聞かせれて唖然とした。もともとゲートに戻らなければ、この事件は単に副社長が激怒しただけの話。なんでこんなに大きくなったのだろうか。あまりにも疑問が多すぎる。なにが何だか分からなくて戸惑っている。
「本当に戸惑っているのか?」
「う~ん。……」
「喜んでいるようにしか見えないぞ」
「興味深いですね」
「疑問が多いからか」
「隠れた事実がいっぱいあるような気がするのです」
「やっぱり、喜んでいるじゃあないか」
「これから謎が一つ一つ解けて行くと思うのです」
「人の不幸を楽しむもんじゃないよ」
「皆には幸せになって欲しいです」
「いったい何を考えているんだ!」
「副社長と客室サービス責任者が抱き合って涙を流すシーンを見たいのです」
「ふ~ん」
「泣けますよ。絶対感動しますね」
毎月第二及び第四土曜は「小説モドキ」の更新です。
次は2月28日(土)です。よろしくお願い致します。
航空機を操縦する資格も権限もない大韓航空副社長が航空保安法上の航空機航路変更の罪で懲役1年を言い渡された。運航妨害、衝突の危険があったからだと言う。航空機の運航に関しては機長に権限と責任があると思っていた私はビックリした。
日本のマスコミ報道では、「副社長に権限がある」というような雰囲気が漂っていた。疑問はあったが裁判になれば話は別だろうと予想していた。機内では副社長が機長に命令できる立場ではないと思っていたからだ。
第一、客室サービス責任者を降ろして、どうするつもりなのだろう。一旦緊急事態が生じれば最も重要な役目を果たす保安要員の一人ではないか。しかし、暴言を吐き暴行の疑いのある副社長なら機から降ろす権限は機長にある。その上、航空機の運航にも差支えがない。
この事件の一番の謎は機長は何故客室サービス責任者を降ろす為に搭乗ゲートに戻ったのか。次なる疑問は管制塔には戻る理由を何といったのか。更なる疑問は副社長に法律違反だから戻れないとか説明しなかったのかである。
操縦しているのはパイロットだから副社長が何と言おうと、機長に戻る意思がなければ戻れない。その意思が謎なのだ。裁判の中でどう扱われたのだろうか? 情報をマスコミだけに頼っている私には分からない。
副社長は罰せられて当然と思うが、実際に航空機を動かした機長がお咎めなしとは驚きだ。まさかとは思うが、こんなことを考えた。副社長が魔術を使って機長を思いのままに操り航路を変更させた。つまり一時的に責任能力を喪失させたのだ。魔術を使った罪で懲役1年かもしれない。
世にも不思議な物語を聞かせれて唖然とした。もともとゲートに戻らなければ、この事件は単に副社長が激怒しただけの話。なんでこんなに大きくなったのだろうか。あまりにも疑問が多すぎる。なにが何だか分からなくて戸惑っている。
「本当に戸惑っているのか?」
「う~ん。……」
「喜んでいるようにしか見えないぞ」
「興味深いですね」
「疑問が多いからか」
「隠れた事実がいっぱいあるような気がするのです」
「やっぱり、喜んでいるじゃあないか」
「これから謎が一つ一つ解けて行くと思うのです」
「人の不幸を楽しむもんじゃないよ」
「皆には幸せになって欲しいです」
「いったい何を考えているんだ!」
「副社長と客室サービス責任者が抱き合って涙を流すシーンを見たいのです」
「ふ~ん」
「泣けますよ。絶対感動しますね」
毎月第二及び第四土曜は「小説モドキ」の更新です。
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客室乗務員のナッツの出し方が悪いと怒った副社長が居た。乗務員を罵倒し、暴行の疑いもあるという。いわゆる「大韓航空ナッツ事件」。マスコミ報道もいろいろあったと思うが機長がどういう対応をしたかは、寡聞にして私の耳目に入らない。
乗務員を降ろすために搭乗ゲートに戻るには、理由を付けて管制の許可を求めなければならないと思う。搭乗ゲートに戻る「ランプリターン」の理由を何と言ったのだろうか。新聞を一紙しか読まない私にはさっぱり分からない。ワイドショーを観れば分かるかもしれないが私は観ない。
聞いた話だが、ランプリターンとは、天候上の理由、機体トラブル、航空機の整備、持ち主のいない荷物の存在、乗客の安全に問題が生じた場合、滑走路へ向かっている航空機が管制官の許可を受けて、途中からランプ(航空機駐機区域)に引き返すことを言うそうだ。
航空保安法上の航空機航路変更の罪が問われているのに操縦するパイロットのことが、何も書いてない。不思議で仕方がないのでネットを覗いてみたら少しだけ書いてあった。「航空機内の指揮権は機長にあり、副社長とはいえ越権行為だ」と非難されると、副社長は引き返しは機長がやったと答えたそうだ。懲りない彼女の責任転嫁と思うが事実には違いない。
副社長は散々叩かれて最早副社長ではなく容疑者に過ぎない。不思議なのはやはり機長だ。言いたいことはないのだろうか? まさか唯唯諾諾と「命令」に従った訳ではあるまい。動き出している航空機の運航に関しては副社長が指示する余地はないと思うのだが如何なものだろうか?
「勤務中の乗務員を降ろす為のランプリターンは出来ません。ただ機内での暴言暴行等の事実があれば、安全に関わることですから加害者を降ろす為に戻ることは可能です。先ず加害者を確認するので協力してください」と言えば済むことだと思う。
いかに我儘な人としても仮にも副社長、機長の対応にイチャモンをつけることは出来ないだろう。しかしそれでは何も無かったことになってしまうし、航空機を降りた後が怖い。だから裏があるような気がしてならないのだ。
「裏とはなんだ」
「何やかんやですよ。いろいろあるでしょ」
「ナンヤカンヤとはなんだ?」
「何やかんやは~……。なんやかんやは~。 ナンヤカンヤだー ! 」
毎月第二及び第四土曜は「小説モドキ」の更新です。
次は2月14日(土)です。よろしくお願い致します。
乗務員を降ろすために搭乗ゲートに戻るには、理由を付けて管制の許可を求めなければならないと思う。搭乗ゲートに戻る「ランプリターン」の理由を何と言ったのだろうか。新聞を一紙しか読まない私にはさっぱり分からない。ワイドショーを観れば分かるかもしれないが私は観ない。
聞いた話だが、ランプリターンとは、天候上の理由、機体トラブル、航空機の整備、持ち主のいない荷物の存在、乗客の安全に問題が生じた場合、滑走路へ向かっている航空機が管制官の許可を受けて、途中からランプ(航空機駐機区域)に引き返すことを言うそうだ。
航空保安法上の航空機航路変更の罪が問われているのに操縦するパイロットのことが、何も書いてない。不思議で仕方がないのでネットを覗いてみたら少しだけ書いてあった。「航空機内の指揮権は機長にあり、副社長とはいえ越権行為だ」と非難されると、副社長は引き返しは機長がやったと答えたそうだ。懲りない彼女の責任転嫁と思うが事実には違いない。
副社長は散々叩かれて最早副社長ではなく容疑者に過ぎない。不思議なのはやはり機長だ。言いたいことはないのだろうか? まさか唯唯諾諾と「命令」に従った訳ではあるまい。動き出している航空機の運航に関しては副社長が指示する余地はないと思うのだが如何なものだろうか?
「勤務中の乗務員を降ろす為のランプリターンは出来ません。ただ機内での暴言暴行等の事実があれば、安全に関わることですから加害者を降ろす為に戻ることは可能です。先ず加害者を確認するので協力してください」と言えば済むことだと思う。
いかに我儘な人としても仮にも副社長、機長の対応にイチャモンをつけることは出来ないだろう。しかしそれでは何も無かったことになってしまうし、航空機を降りた後が怖い。だから裏があるような気がしてならないのだ。
「裏とはなんだ」
「何やかんやですよ。いろいろあるでしょ」
「ナンヤカンヤとはなんだ?」
「何やかんやは~……。なんやかんやは~。 ナンヤカンヤだー ! 」
毎月第二及び第四土曜は「小説モドキ」の更新です。
次は2月14日(土)です。よろしくお願い致します。
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花筏 小説、読ませていただきました。
自分自身を過大評価できる人の神経って、
どんな構造になっているのか不思議です。
人体の構造は、万人皆同じ筈なんですけれど。
どこの世界にもいるんですよね、自分は何を言っても
許されると 勘違いしている憐れな人が。
肩書きを外したあとにも、
尊敬される人でありたいものです。
コメントありがとうございます。
PP そうですね。
副社長とか肩書がなくても尊敬できる人は沢山いますね。
私も、そのような尊敬できる友達がいてくれて幸せです。
会って嬉しく、話して楽しく、黙っていても心温まるのです。
私の思い込みで、独り善がりかも知れません。
それでも尊敬できる人がいることは幸せですね。
新聞を読みテレビを観ても分からないことがある。その一つが捕鯨問題である。海賊との戦いまでして鯨を獲る理由が分からない。悪いのは海賊に決まっているが調査捕鯨を続ける理由が分からないのだ。
「海賊ってなにさ」
「海軍でないから海賊です」
「なんで?」
「暴力で船を襲うのは海軍と海賊以外、世界中何処にもいないでしょう」
「捕鯨というと、南極あたりで出るんだね」
「怖いから名指しは出来ませんが、ドクロの海賊旗を掲げて襲ってきます」
「ああ! テレビで観たよ、シーシェ……」
「シーッ! 声が高い」
環境保護団体と名乗ってはいるが、船を使って組織的に暴力を振るうから海賊と思う。ターゲットとする船に積んだ金銀財宝や鯨を奪っている訳ではないが、暴力を使い結果として収入を得ている以上は海賊といえよう。アメリカ連邦高裁から海賊の認定を受けているそうだ。
「鯨の肉を食べたことありますか」
「覚えてないよ」
「私は大キライでした。タンパク質が必要だといって無理やり食べさせられたのです」
「なんで嫌い? 子供の頃は腹が減って何でも食べたと言ってたでしょう」
「変な臭いがするのです。食べたくないけど我慢して食べましたよ。そして大キライになったのです」
肉も魚も満足に買えない時代だから、安くて栄養になると言われると、子供の私は嫌とは言えない。おそらく食通の方々が美味しいと言って食べているものとは別物と思う。この記憶は美味しい鯨肉を食べるまでは続くだろう。
ところで、4月19日付け北海道新聞読者の声欄に「大嫌いな鯨肉 苦い記憶」との投書があってホッとした。私だけではないのだ。無理やり鯨肉を食わされた苦しい記憶が書いてあった。同感、同感!
私は大嫌い、QPは無関心で食べた記憶もない。周囲で美味しい鯨が話題になったこともない。日本の食文化だそうだが一人平均、年に45グラム程度しか食べていないそうだ。とてもじゃないけど日本全体の文化とはいい難い。
「今朝の新聞を読んでやっと謎が解けました」
「そんなことに頭を悩ますなんてヒマだね~」
「新聞も隅々まで読めば謎も解けるのです」
「アンタの屁理屈なんて聞きたくないよ。ご飯不味くなるから」
毎度同じことだが、それは関係団体の既得権益を守る為。今回の場合も、やはりというか天下りが関係している「捕鯨サークル」である。新聞には次の様に書いてあった。
「…最近は反捕鯨国に屈しないという姿勢を強調して国民の共感を集めようとしていますが、そのために年5億円もの補助金を出している。……捕鯨が本当に必要ならば、調査捕鯨から撤退し、反捕鯨国と友好関係を築く努力をして商業捕鯨の再開を目指すべきです(東北大准教授の石井敦さん)」
「科学的に頭数が減らない範囲に限ることを条件に、日本沿岸での商業捕鯨を認めてもよいという雰囲気が反捕鯨国の間にもありました」とも書いてある。つまり釧路や長崎など鯨肉に親しんでいる地域の文化を守る道は外にある。天下りの「捕鯨サークル」に巨額の補助金を出す理由はないとのことだった。
「やっと謎が解けました」
「それは石井准教授さん個人の見解じゃない」
「私と一致しています」
「分かったぞ~」
「何がですか?」
「石井さんも鯨が大嫌いなんだ!」
[私の広告]2014年5月25日 丘珠空港で産直市、コンサート、中島公園の話も

関連のチラシはこちらをクリック! → 5月25日は札幌丘珠空港へ
「海賊ってなにさ」
「海軍でないから海賊です」
「なんで?」
「暴力で船を襲うのは海軍と海賊以外、世界中何処にもいないでしょう」
「捕鯨というと、南極あたりで出るんだね」
「怖いから名指しは出来ませんが、ドクロの海賊旗を掲げて襲ってきます」
「ああ! テレビで観たよ、シーシェ……」
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環境保護団体と名乗ってはいるが、船を使って組織的に暴力を振るうから海賊と思う。ターゲットとする船に積んだ金銀財宝や鯨を奪っている訳ではないが、暴力を使い結果として収入を得ている以上は海賊といえよう。アメリカ連邦高裁から海賊の認定を受けているそうだ。
「鯨の肉を食べたことありますか」
「覚えてないよ」
「私は大キライでした。タンパク質が必要だといって無理やり食べさせられたのです」
「なんで嫌い? 子供の頃は腹が減って何でも食べたと言ってたでしょう」
「変な臭いがするのです。食べたくないけど我慢して食べましたよ。そして大キライになったのです」
肉も魚も満足に買えない時代だから、安くて栄養になると言われると、子供の私は嫌とは言えない。おそらく食通の方々が美味しいと言って食べているものとは別物と思う。この記憶は美味しい鯨肉を食べるまでは続くだろう。
ところで、4月19日付け北海道新聞読者の声欄に「大嫌いな鯨肉 苦い記憶」との投書があってホッとした。私だけではないのだ。無理やり鯨肉を食わされた苦しい記憶が書いてあった。同感、同感!
私は大嫌い、QPは無関心で食べた記憶もない。周囲で美味しい鯨が話題になったこともない。日本の食文化だそうだが一人平均、年に45グラム程度しか食べていないそうだ。とてもじゃないけど日本全体の文化とはいい難い。
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毎度同じことだが、それは関係団体の既得権益を守る為。今回の場合も、やはりというか天下りが関係している「捕鯨サークル」である。新聞には次の様に書いてあった。
「…最近は反捕鯨国に屈しないという姿勢を強調して国民の共感を集めようとしていますが、そのために年5億円もの補助金を出している。……捕鯨が本当に必要ならば、調査捕鯨から撤退し、反捕鯨国と友好関係を築く努力をして商業捕鯨の再開を目指すべきです(東北大准教授の石井敦さん)」
「科学的に頭数が減らない範囲に限ることを条件に、日本沿岸での商業捕鯨を認めてもよいという雰囲気が反捕鯨国の間にもありました」とも書いてある。つまり釧路や長崎など鯨肉に親しんでいる地域の文化を守る道は外にある。天下りの「捕鯨サークル」に巨額の補助金を出す理由はないとのことだった。
「やっと謎が解けました」
「それは石井准教授さん個人の見解じゃない」
「私と一致しています」
「分かったぞ~」
「何がですか?」
「石井さんも鯨が大嫌いなんだ!」
[私の広告]2014年5月25日 丘珠空港で産直市、コンサート、中島公園の話も

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懐かしい母の味
カスミ草 鯨肉・・・懐かしいですね~。
子供の頃はよく食卓に上っていました。
フライパンに薄く油を注ぎ、甘辛く味付けされた鯨肉を
焼いてくれていた母の姿を想い出しました。
懐かしい母の後ろ姿です。
私が子供の頃は、いたって庶民的な肉だったように記憶しています。
貧乏な我が家が食べていたのですから、高価な肉でないことだけは確かです。
私は、母の味につながるあの鯨肉、もう一度食べたいです。
お母様が残してくれた宝
pp カスミ草さんにとっては鯨肉は懐かしい思い出なのですね。
それはとても良いことだと思います。
お母様が料理上手で、食べやすいように作ってくれたのだと思います。
コメントを読んで家族を愛するお母様の気持ちが伝わってきました。
いい思いでは宝のようなものです。お母様が残してくれた宝ですね。
のん子 鯨肉、私も子どもの頃に食べた、かすかな記憶しか残っていませんが、美味しくはなかったような?(^^ゞ
でも日本文化がなくなるとか言われてますね?
捕鯨反対は動物愛護が一番の理由なんでしょうか?
命ある者を大事にって解かりますが、余り極端なのはどうかと思いますね。
分からないこと多いですね
pp のん子さんも「美味しくはなかったような?」ですか。
まだ、好きだという人は現れていません。
とにかく、日本人は平均、年に45グラムしか食べないそうですから。
動物愛護といっても皆食べてますから、何を食べて悪いとか決められません。
腹を壊さなければいいのではないでしょうか(笑)。
可愛いと思ったら食べなければいいだけ、他人様にとやかく言うことはありません。
一人45グラム平均では資源問題とはまったく関係ありません。
なぜ鯨獲るなと暴力まで使うのでしょうか? 私には理解できない世界の話です。
カスミ草 鯨肉・・・懐かしいですね~。
子供の頃はよく食卓に上っていました。
フライパンに薄く油を注ぎ、甘辛く味付けされた鯨肉を
焼いてくれていた母の姿を想い出しました。
懐かしい母の後ろ姿です。
私が子供の頃は、いたって庶民的な肉だったように記憶しています。
貧乏な我が家が食べていたのですから、高価な肉でないことだけは確かです。
私は、母の味につながるあの鯨肉、もう一度食べたいです。
お母様が残してくれた宝
pp カスミ草さんにとっては鯨肉は懐かしい思い出なのですね。
それはとても良いことだと思います。
お母様が料理上手で、食べやすいように作ってくれたのだと思います。
コメントを読んで家族を愛するお母様の気持ちが伝わってきました。
いい思いでは宝のようなものです。お母様が残してくれた宝ですね。
のん子 鯨肉、私も子どもの頃に食べた、かすかな記憶しか残っていませんが、美味しくはなかったような?(^^ゞ
でも日本文化がなくなるとか言われてますね?
捕鯨反対は動物愛護が一番の理由なんでしょうか?
命ある者を大事にって解かりますが、余り極端なのはどうかと思いますね。
分からないこと多いですね
pp のん子さんも「美味しくはなかったような?」ですか。
まだ、好きだという人は現れていません。
とにかく、日本人は平均、年に45グラムしか食べないそうですから。
動物愛護といっても皆食べてますから、何を食べて悪いとか決められません。
腹を壊さなければいいのではないでしょうか(笑)。
可愛いと思ったら食べなければいいだけ、他人様にとやかく言うことはありません。
一人45グラム平均では資源問題とはまったく関係ありません。
なぜ鯨獲るなと暴力まで使うのでしょうか? 私には理解できない世界の話です。
朝食はテレビを消して話しながら食べている。今朝の話題は新聞を賑わしたサッカーの話。浦和対鳥栖戦の試合中、浦和のサポーターが会場内に「JAPANESE ONLY」の横断幕を揚げた出来事。
「横断幕ぐらいで何で騒ぐんだろうね」とQP。
「日本人以外お断りという意味ですよ」
「そんなこと分かってるよ。大騒ぎしなくてもいいのに」
日本に人種差別は無いと信じているQPは「日本人以外お断り」と聞いても人種差別とは思わない。 一方、新聞は国際サッカー連盟(FIFA)の「反人種差別・差別撲滅に関する決議」や「人種差別撤廃条約」についての記事を大きく載せていた。人種差別があっていいわけない。
「幕の文字が人種差別を表しているのです」
「そんなこと分からないサポーターだっているでしょう」
「いるかも知れませんね」
「主催者が注意しなけりゃダメでしょう」
QPの言うとおりだ。主催者はFIFA決議の重さを充分に承知しているはずだ。サポーターの間違いを正す立場なのに、試合終了までそのままにして置いたとは信じられない。
「さすがですね。ニュースに明るい貴女のいう通りと思いますよ」
「キタラ(札幌コンサートホール)だったら、席にコート掛けただけで直ぐ注意されるからね」
「その話とはちょっと違うんですが」
「同じでしょ。どっちも主催者の仕事だよ」
「そうですね」
「こんなこと直ぐ分からなくちゃあダメなんだよ」
人種差別は「人種差別撤廃条約」に反すること、席にコートはマナーの問題と思う。しかし、これを言ったら話しは長引く。挙句の果てに喧嘩になり私が負けてお仕舞いとなる。「よく我慢した」と自分で自分を褒めてやりたいが止めて置こう。全ては家の中で楽チンに暮らすためである。
話し変わるが(まるっきり変わるわけでもない)、「ハゲ」が差別用語であるかどうかはギリギリのところにあるらしい。当事者である私には正しい情報が入って来ないので正確には分からない。
7年前、ある所で若い女性に対して「髪の薄い男性は好き?」というアンケート調査を行ったところ、好きと答えた女性は一人も居なかったそうだ。一流会社が行ったビジネスに関連する真面目な調査だから、対象人数も多数と思う。
「ハゲが好き」と答える人も少しは居てもよさそうなものだが、現実はそれほど甘くはなかった。何故ゼロなのだろう。これは一体なにを意味するか。一種の差別ではないだろうか。しかも作られた差別?
例えば、世界中の恋愛映画やテレビドラマの主役、あるいはファッション雑誌のモデルを全部、ハゲの人にする。そして3年後にに同じ設問でアンケートをとる。果たして「好き」の回答はゼロだろうか。流行という現象がある限り結果は変わるはずだ。そうでなければ現在の流行を説明できない。
「…と言うことで、薄毛が嫌われるのは一つの流行と思うのです」
「気にしなくていいの。父も禿げてたよ。アタシ、大好きだった」
「ハゲがですか」
「父に決まってるでしょ」
「毛がない方が清潔に感じるでしょう」
「そんなことないよ」
「髪ぼうぼうじゃあ暑苦しそうですよ」
「そんなことは絶対にない!」
「それがあるんですよ」
「ある訳ないじゃない。しつっこいんだから」
「さかやきって知ってますか」
「知らないよ。興味ない!」
チョンマゲに詳しい人に聞いた話だが、前頭部から頭頂部にかけて剃り上げ、後部の髪でマゲを結うような髪型を「月代(さかやき)」と呼ぶそうだ。暑苦しくなく清潔な印象が好いということで、その後、武士の一般的なヘアスタイルになったらしい。これも一種の流行ではないか。
「和食がユネスコの無形文化遺産に登録されましたね」
「嬉しいけど、無形文化と言うとどんな味?」
「清潔で暑苦しくない、爽やかな味」
「まだ、チョンマゲに拘っているね」
「和食のように世界に普及するといいですね」
「するわけないよ」
「潜在的需要はあると思いますよ」
「チョンマゲが?」
「チョンマゲなら剃り上げてしまうから、誰が薄いか分からなくなるでしょ」
「それで?」
「ある調査によると髪の薄い男性は、日本26%に対して欧米は40%です」
「だからどうしたの?」
「流行ですよ。フランスでチョンマゲが流行れば世界中で流行るでしょ。 (v^ー°) ヤッタネ 」
「横断幕ぐらいで何で騒ぐんだろうね」とQP。
「日本人以外お断りという意味ですよ」
「そんなこと分かってるよ。大騒ぎしなくてもいいのに」
日本に人種差別は無いと信じているQPは「日本人以外お断り」と聞いても人種差別とは思わない。 一方、新聞は国際サッカー連盟(FIFA)の「反人種差別・差別撲滅に関する決議」や「人種差別撤廃条約」についての記事を大きく載せていた。人種差別があっていいわけない。
「幕の文字が人種差別を表しているのです」
「そんなこと分からないサポーターだっているでしょう」
「いるかも知れませんね」
「主催者が注意しなけりゃダメでしょう」
QPの言うとおりだ。主催者はFIFA決議の重さを充分に承知しているはずだ。サポーターの間違いを正す立場なのに、試合終了までそのままにして置いたとは信じられない。
「さすがですね。ニュースに明るい貴女のいう通りと思いますよ」
「キタラ(札幌コンサートホール)だったら、席にコート掛けただけで直ぐ注意されるからね」
「その話とはちょっと違うんですが」
「同じでしょ。どっちも主催者の仕事だよ」
「そうですね」
「こんなこと直ぐ分からなくちゃあダメなんだよ」
人種差別は「人種差別撤廃条約」に反すること、席にコートはマナーの問題と思う。しかし、これを言ったら話しは長引く。挙句の果てに喧嘩になり私が負けてお仕舞いとなる。「よく我慢した」と自分で自分を褒めてやりたいが止めて置こう。全ては家の中で楽チンに暮らすためである。
話し変わるが(まるっきり変わるわけでもない)、「ハゲ」が差別用語であるかどうかはギリギリのところにあるらしい。当事者である私には正しい情報が入って来ないので正確には分からない。
7年前、ある所で若い女性に対して「髪の薄い男性は好き?」というアンケート調査を行ったところ、好きと答えた女性は一人も居なかったそうだ。一流会社が行ったビジネスに関連する真面目な調査だから、対象人数も多数と思う。
「ハゲが好き」と答える人も少しは居てもよさそうなものだが、現実はそれほど甘くはなかった。何故ゼロなのだろう。これは一体なにを意味するか。一種の差別ではないだろうか。しかも作られた差別?
例えば、世界中の恋愛映画やテレビドラマの主役、あるいはファッション雑誌のモデルを全部、ハゲの人にする。そして3年後にに同じ設問でアンケートをとる。果たして「好き」の回答はゼロだろうか。流行という現象がある限り結果は変わるはずだ。そうでなければ現在の流行を説明できない。
「…と言うことで、薄毛が嫌われるのは一つの流行と思うのです」
「気にしなくていいの。父も禿げてたよ。アタシ、大好きだった」
「ハゲがですか」
「父に決まってるでしょ」
「毛がない方が清潔に感じるでしょう」
「そんなことないよ」
「髪ぼうぼうじゃあ暑苦しそうですよ」
「そんなことは絶対にない!」
「それがあるんですよ」
「ある訳ないじゃない。しつっこいんだから」
「さかやきって知ってますか」
「知らないよ。興味ない!」
チョンマゲに詳しい人に聞いた話だが、前頭部から頭頂部にかけて剃り上げ、後部の髪でマゲを結うような髪型を「月代(さかやき)」と呼ぶそうだ。暑苦しくなく清潔な印象が好いということで、その後、武士の一般的なヘアスタイルになったらしい。これも一種の流行ではないか。
「和食がユネスコの無形文化遺産に登録されましたね」
「嬉しいけど、無形文化と言うとどんな味?」
「清潔で暑苦しくない、爽やかな味」
「まだ、チョンマゲに拘っているね」
「和食のように世界に普及するといいですね」
「するわけないよ」
「潜在的需要はあると思いますよ」
「チョンマゲが?」
「チョンマゲなら剃り上げてしまうから、誰が薄いか分からなくなるでしょ」
「それで?」
「ある調査によると髪の薄い男性は、日本26%に対して欧米は40%です」
「だからどうしたの?」
「流行ですよ。フランスでチョンマゲが流行れば世界中で流行るでしょ。 (v^ー°) ヤッタネ 」
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人種差別は悲しい
カスミ草 人種差別と言えば、最近「アンネの日記」に関する本が多数傷つけられる事件がありましたね。自分では絶対に選ぶことができない人種。
命は皆同じ重さの尊いもの。差別は絶対あってはいけませんね。
ハゲが差別用語がどうか?やはり差別用語のような気がします。
確たる自信はありませんが・・・・・
これだって、自分が好むと好まざるとに拘わらず・・・の現象ですものね。
頭は中身が勝負!見た目が薄くたってどうって事ないでしょ!!
アンネの日記
PP 「アンネの日記」に関する本が多数傷つけられたことは、とても悲しいことですね。
全く罪のない人が、人種差別で迫害され亡くなり、その後も傷つけられるなんて、
決してあってはならないことです。
上辺だけでなく、差別を心から憎む文化が必要ですね。
もう一方の方はとか、思わずボカしてしまいますが、本人の心も持ちようです。
めげずに頑張りましょう。自分の罪ではないのですから。
親を恨んでもいけません(笑)。大したことではないのです。
最近の傾向
はるママ PPさま、ニュースで、若い女性の中で薄毛の男性の人気が高いというのをやっていました。
http://girlschannel.net/topics/62445/
時代は変わっていますー。
ブルース・ウィリスあたりがターニングポイントだったらしいです。
でもその前にもかっこいい人がいましたよね?映画俳優で。
・・・名前が出なくなりました(中身が風化しています・・・)
でも、当事者が思うほど周りは気づいていないのでは?
記事読みましたが?
pp 貴重な情報有り難うございます。
URLをクリックしてみましたが、やはり、各々のご意見は厳しいですね。
予想通りですが…。
もっとも若いときは大変ですが、年をとると慣れてきます。
今なら当事者の私も、さほど気にしていません。
ほとんど忘れています。なにぶん自分のアタマは見えないですから。
カスミ草 人種差別と言えば、最近「アンネの日記」に関する本が多数傷つけられる事件がありましたね。自分では絶対に選ぶことができない人種。
命は皆同じ重さの尊いもの。差別は絶対あってはいけませんね。
ハゲが差別用語がどうか?やはり差別用語のような気がします。
確たる自信はありませんが・・・・・
これだって、自分が好むと好まざるとに拘わらず・・・の現象ですものね。
頭は中身が勝負!見た目が薄くたってどうって事ないでしょ!!
アンネの日記
PP 「アンネの日記」に関する本が多数傷つけられたことは、とても悲しいことですね。
全く罪のない人が、人種差別で迫害され亡くなり、その後も傷つけられるなんて、
決してあってはならないことです。
上辺だけでなく、差別を心から憎む文化が必要ですね。
もう一方の方はとか、思わずボカしてしまいますが、本人の心も持ちようです。
めげずに頑張りましょう。自分の罪ではないのですから。
親を恨んでもいけません(笑)。大したことではないのです。
最近の傾向
はるママ PPさま、ニュースで、若い女性の中で薄毛の男性の人気が高いというのをやっていました。
http://girlschannel.net/topics/62445/
時代は変わっていますー。
ブルース・ウィリスあたりがターニングポイントだったらしいです。
でもその前にもかっこいい人がいましたよね?映画俳優で。
・・・名前が出なくなりました(中身が風化しています・・・)
でも、当事者が思うほど周りは気づいていないのでは?
記事読みましたが?
pp 貴重な情報有り難うございます。
URLをクリックしてみましたが、やはり、各々のご意見は厳しいですね。
予想通りですが…。
もっとも若いときは大変ですが、年をとると慣れてきます。
今なら当事者の私も、さほど気にしていません。
ほとんど忘れています。なにぶん自分のアタマは見えないですから。
2008年頃ブログを始めて、約1年間毎日更新した。しばらくするとこれはシンドイと思い1週間に一度にした。それでもシンドイので1ヶ月に一度にしたが、一向に楽になったような気がしない。
ようやく、好きでやっていることに決め事を作る愚かさに気が付いた。好きでやるなら徹底的に自由にやらなければならない。実はこの「ねばならない」もダメ。
いろいろ反省して自由に書くことにした。更新も自由、内容も自由だから「これ前に書いたよな」とかいちいち考えない。内容が重複していることが分かったら、新設した「当サイト用ゴミ箱」カテゴリに入れることにした。そんな訳で自由に書いたら、こんな風にになってしまった。
地球に優しく
人間が「地球に優しく」しようと、しまいと地球は50億年はもつそうだ。
そうなんですか。私なら長くて後50年、123歳までが限界です。
地球は氷河期も、火山の噴火で溶岩だらけになっても生き続けて来たそうだ。
まったくそうですね。
温暖化で地球の海が倍になっても、全部海になっても地球はビクともしないで、太陽の周りを回っているそうだ。
地球のことは分かりましたが、私はどうなるのでしょうか?
温暖化は人類滅亡の危機であっても、地球存在の危機ではないそうだ。
それじゃあ困るんです。私の危機だ!
「地球に優しく」と言うと、何だか地球のためにに良いことをやって上げているような気がして気持よくないか?
そうですね。とても気持ちいい~。地球を助けているようで気持ちいい~。
「地球に優しく」とは、人にとって優しい言葉。しかし、地球にとってはどうでもいい言葉。もし、地球に人と同じ耳と口があるのなら「俺は別にいいよ」と言うだろう。
ようやく、好きでやっていることに決め事を作る愚かさに気が付いた。好きでやるなら徹底的に自由にやらなければならない。実はこの「ねばならない」もダメ。
いろいろ反省して自由に書くことにした。更新も自由、内容も自由だから「これ前に書いたよな」とかいちいち考えない。内容が重複していることが分かったら、新設した「当サイト用ゴミ箱」カテゴリに入れることにした。そんな訳で自由に書いたら、こんな風にになってしまった。
地球に優しく
人間が「地球に優しく」しようと、しまいと地球は50億年はもつそうだ。
そうなんですか。私なら長くて後50年、123歳までが限界です。
地球は氷河期も、火山の噴火で溶岩だらけになっても生き続けて来たそうだ。
まったくそうですね。
温暖化で地球の海が倍になっても、全部海になっても地球はビクともしないで、太陽の周りを回っているそうだ。
地球のことは分かりましたが、私はどうなるのでしょうか?
温暖化は人類滅亡の危機であっても、地球存在の危機ではないそうだ。
それじゃあ困るんです。私の危機だ!
「地球に優しく」と言うと、何だか地球のためにに良いことをやって上げているような気がして気持よくないか?
そうですね。とても気持ちいい~。地球を助けているようで気持ちいい~。
「地球に優しく」とは、人にとって優しい言葉。しかし、地球にとってはどうでもいい言葉。もし、地球に人と同じ耳と口があるのなら「俺は別にいいよ」と言うだろう。
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テスト書き込み
nakapa このコメントは管理人がテストの為に書き込みました。
朱庵 アップルサポートでなんとか半分解決。自分では理解がまだ足りないのですが、ご心配かけました。いろいろと納得いく事もあり、パソコン次第で色々すね。ブラウザの自動更新で、閲覧仕様が大きく変わりました。らしいです・・・。
腑に落ちない説明でしたが、自分の勉強不足と考えると妥当^^;
試しに入力してみますね。
感想から外れて申し訳ありません。
私も苦労しています
nakapa なかなか大変ですね。
パソコンも複雑になり、苦労が多くなりました。
私も分からないことだらけで困っています。
そろそろ簡単操作を売り物にするパソコンが出てこないでしょうか。
期待していますが、反対に複雑になるばかりです。
これは退歩ですね。わざとかもしれませんが。
momo 私も最初の頃はホームページも頑張りましたが 今は気楽に好きな時だけ更新してます。
私のHPなので・・
趣味の世界ですからね 苦労するのは止めようと・・
(地球に人と同じ耳と口があるのなら「俺は別にいいよ」と言うだろう。)気に入りました(*^-^*)
楽しんでやることには変わりありません
nakapa >momoさん
「地球」のこと気に入ってくれて有難うございます。
もともとズボラなものですから、1週間でも1ヶ月でも期限があった方が、
いいかなと思っていました。
ズボラなら、それも無い方がいいかと思いまして…(笑)。
どっちにしても楽しんでやることには変わりありません。
これからもよろしくお願いいたします。
地球を大切に
piroko 地球に住まわせていただいて自然を楽しませていただいて地球に感謝です。地球を大切にします。
自然を大切にしたいと思います
nakapa 私も地球を大切にします。自然を大切にと同じ様に考えています。
先ず、草木、虫など命あるもの全てを大切にしたいと思っています。
nakapa このコメントは管理人がテストの為に書き込みました。
朱庵 アップルサポートでなんとか半分解決。自分では理解がまだ足りないのですが、ご心配かけました。いろいろと納得いく事もあり、パソコン次第で色々すね。ブラウザの自動更新で、閲覧仕様が大きく変わりました。らしいです・・・。
腑に落ちない説明でしたが、自分の勉強不足と考えると妥当^^;
試しに入力してみますね。
感想から外れて申し訳ありません。
私も苦労しています
nakapa なかなか大変ですね。
パソコンも複雑になり、苦労が多くなりました。
私も分からないことだらけで困っています。
そろそろ簡単操作を売り物にするパソコンが出てこないでしょうか。
期待していますが、反対に複雑になるばかりです。
これは退歩ですね。わざとかもしれませんが。
momo 私も最初の頃はホームページも頑張りましたが 今は気楽に好きな時だけ更新してます。
私のHPなので・・
趣味の世界ですからね 苦労するのは止めようと・・
(地球に人と同じ耳と口があるのなら「俺は別にいいよ」と言うだろう。)気に入りました(*^-^*)
楽しんでやることには変わりありません
nakapa >momoさん
「地球」のこと気に入ってくれて有難うございます。
もともとズボラなものですから、1週間でも1ヶ月でも期限があった方が、
いいかなと思っていました。
ズボラなら、それも無い方がいいかと思いまして…(笑)。
どっちにしても楽しんでやることには変わりありません。
これからもよろしくお願いいたします。
地球を大切に
piroko 地球に住まわせていただいて自然を楽しませていただいて地球に感謝です。地球を大切にします。
自然を大切にしたいと思います
nakapa 私も地球を大切にします。自然を大切にと同じ様に考えています。
先ず、草木、虫など命あるもの全てを大切にしたいと思っています。
それを聞いてガッカリした。今度は人の本性が読める人が出るそうだ。
NHK朝のドラマ「純と愛」の前評判を聞いたときのことである。
なんとなく奇をてらった胡散臭いドラマと思ったのだ。
嫌なら観なけりゃいいと思うかも知れないが、そうも行かない。
私は朝ドラ中毒なのだ。薬が切れたらどうしよう。心配だ。
自慢じゃないけど「おはなはん」以来46年間欠かさず観続けているのだ。
ところで私は、映画・テレビドラマ鑑賞歴ナント62年。 そんな私も脱帽!
みて驚いた。こんな面白い朝ドラは初めてだ。
荒唐無稽な筋書きに、何とかリアリティをもたせているところが素晴らしい。
ドラマの面白さはトンデモナイ嘘を本当らしく思わせることだろうか?
純は何時も純粋で前向き一生懸命だ。全知全能を使って行動する。
つまり神のみぞ知る世界、即ち人間がたどりつけない領域に挑戦しているのだ。
それだから、やることなすこと全てメチャクチャで笑いを誘う。
ひねくれ者だからドラマで俳優が泣き続けたりするとしらける。
ヘンテコな表情でで大笑いしたりすると嫌悪感を抱いてしまう。
泣きで泣きをとろうとしたり、笑いで笑いを取ろうとする演出は苦手だ。
俳優が一生懸命泣いているだけでは悲しくならない。
早く次の場面に変わって欲しい、と思ってしまうのだ。
ドタバタ演技で役者が大笑いしているシーンを見せられると逃げ出したくなる。
しかし、テレビドラマも商品だ。売れなければ作るはずがない。
世間には、人が笑っていると笑い、人が泣いていると泣く人が沢山いるのだろう。笑いも泣きも感染症の様に伝わって行くのだと思う。
しかし、ひねくれ者の私には伝染しない。
どうやら私には泣きや笑いに対する耐性が出来てしまったようだ。
ドラマの観すぎかな?
「泣きも笑いもしないで、何が面白くて観てるんだ」
「ドラマは大好きです。人一倍泣いて笑っていますよ」
「ほう人並みに感動してるんだ」
「泣くのをこらえている笑顔が、私の涙腺を緩めるのです」
「ほう」
「ダメなのは自分のクセに、真剣に説教しているオヤジも笑えますね」
「ほ~う」
「分かって頂けたでしょうか」
「分かったよ。アンタはホントにひねくれ者だねぇ」
「そういうのも笑えますね」
「なんだと!」
「私が自分をひねくれ者と言ったから、そう思ったのでしょう。素直ですねぇ」
「ああ言えばこう言う。ひねくれ者につける薬はないね」
「ネットで調べたのですが、ひねったものを伸ばすのは手術しかないそうです」
「もういい! ……」
話を合わせているつもりなのに何でこうなるの? (´_`。)グスン
NHK朝のドラマ「純と愛」の前評判を聞いたときのことである。
なんとなく奇をてらった胡散臭いドラマと思ったのだ。
嫌なら観なけりゃいいと思うかも知れないが、そうも行かない。
私は朝ドラ中毒なのだ。薬が切れたらどうしよう。心配だ。
自慢じゃないけど「おはなはん」以来46年間欠かさず観続けているのだ。
ところで私は、映画・テレビドラマ鑑賞歴ナント62年。 そんな私も脱帽!
みて驚いた。こんな面白い朝ドラは初めてだ。
荒唐無稽な筋書きに、何とかリアリティをもたせているところが素晴らしい。
ドラマの面白さはトンデモナイ嘘を本当らしく思わせることだろうか?
純は何時も純粋で前向き一生懸命だ。全知全能を使って行動する。
つまり神のみぞ知る世界、即ち人間がたどりつけない領域に挑戦しているのだ。
それだから、やることなすこと全てメチャクチャで笑いを誘う。
ひねくれ者だからドラマで俳優が泣き続けたりするとしらける。
ヘンテコな表情でで大笑いしたりすると嫌悪感を抱いてしまう。
泣きで泣きをとろうとしたり、笑いで笑いを取ろうとする演出は苦手だ。
俳優が一生懸命泣いているだけでは悲しくならない。
早く次の場面に変わって欲しい、と思ってしまうのだ。
ドタバタ演技で役者が大笑いしているシーンを見せられると逃げ出したくなる。
しかし、テレビドラマも商品だ。売れなければ作るはずがない。
世間には、人が笑っていると笑い、人が泣いていると泣く人が沢山いるのだろう。笑いも泣きも感染症の様に伝わって行くのだと思う。
しかし、ひねくれ者の私には伝染しない。
どうやら私には泣きや笑いに対する耐性が出来てしまったようだ。
ドラマの観すぎかな?
「泣きも笑いもしないで、何が面白くて観てるんだ」
「ドラマは大好きです。人一倍泣いて笑っていますよ」
「ほう人並みに感動してるんだ」
「泣くのをこらえている笑顔が、私の涙腺を緩めるのです」
「ほう」
「ダメなのは自分のクセに、真剣に説教しているオヤジも笑えますね」
「ほ~う」
「分かって頂けたでしょうか」
「分かったよ。アンタはホントにひねくれ者だねぇ」
「そういうのも笑えますね」
「なんだと!」
「私が自分をひねくれ者と言ったから、そう思ったのでしょう。素直ですねぇ」
「ああ言えばこう言う。ひねくれ者につける薬はないね」
「ネットで調べたのですが、ひねったものを伸ばすのは手術しかないそうです」
「もういい! ……」
話を合わせているつもりなのに何でこうなるの? (´_`。)グスン
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今年もよろしくお願いいたします
朱庵 毎月愉しみにしているここへのご訪問、今年も新年早々笑わせていただきました!
「こいつぁ春から縁起がいいなぁ」!
お話を読んでいて、まだこの番組は観たことはありませんが、ナカパさんお薦め!
ということで、とても観たくなりましたよ!
>話を合わせているつもりなのに何でこうなるの? (´_`。)グスン
もうお正月早々うふふ・・あはは・・・! 愉しいです!
46年にわたる朝ドラ・ファンです
nakapa > 朱庵さん
実は、この番組嫌われているようです。残念ながら視聴率も低いとか…。
私は46年にわたる朝ドラ・ファンですから無条件に応援しています。
今まで一度も朝ドラを詰まらないと思ったことのない人です。
気に入って頂ければありがたいですが、こんな側面があります。
空見 遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。
NHKの朝ドラマにも面白いのと面白くないのがありますのに、ずっと見続けているというのは信望強いですねnakapaさん(笑)
奥さんに気兼ねしてその場から逃げられないとか?だいたい朝食の時間でしょうか(爆)
ちなみに私はほとんど見ませんので、面白さも分らないのですね(汗)
そちらは雪の中ですか~?外は寒いでしょうね、マンションの中は寒くないけど。・・私も北国の冬を思い出しております {{{{(+_+)}}}}
毎朝欠かさず朝のドラマ
nakapa >空見さん
恥ずかしながら、朝ドラは毎日欠かさず観ています。
正直言って全部面白いです。しかし、一回見たものは全く興味ないです。
「川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」
朝ドラは絶えずしてもとの朝ドラにあらずです。
私の人生の中で朝ドラが流れて行くのです。決して振り返りません。
「振り返っても、そこにはただ風が吹いているだけ」です。
ウチの朝食は7時で、しかもテレビは消して見ません。
変わっているでしょう。ひねくれ者ですからごめんなさい(笑)。
ちゃちゃ nakapa さん、
新年おめでとうございます
今年もよろしくお願いします
第一土曜日のブログ
楽しみにしています
私は朝のドラマを観る習慣がないので
何ともコメントしかねますねえ!
それぞれの楽しみ方があってよいのでは…
朝ドラ誰も観てないようです
nakapa >ちゃちゃさん
明けましておめでとうございます。
こちらこそよろしくお願いいたします。
コメント、メールなどによると朝ドラを観ているのは私だけです。
ご丁寧に46年も見続けているのですから、
我ながら変わり者と思っています。
それも欠かさず。さすがに1日も欠かさずとは行きませんが(笑)。
こんな私ですが、今年もよろしく。
明けまして、おめでとうございます
のん子 そうそう、これ面白くないって何方かがブログに書いていたので観たことがあります。
確かに元気が良すぎるって言うか、こんな子、居る?って感じでした(笑)
そんな役柄なんですね。
それよりも私は愛って不思議な男の子の方に興味が湧きましたがセットになっての筋書きになっているんでしょうか?
この時間帯、ドラマを観る気分ではないのですが、私も観るなら現実離れしている物語の方が好きです。
純と愛は夫婦です
nakapa >のん子さん
面白くないってブログに書いてあったから観たとは流石です。
どのくらい面白くないか確認する必要を感じたのでしょうか(笑)。
ともかく、コメント4人目でやっと観た人が現れました。有難うございます。
ドタバタしてますから嫌う人は嫌うと思います。
私は登場人物が真剣ならドタバタしても好ましく感じてしまいます。
逆にドタバタふざけるのは見たくないのです。人様々ですね。
純と愛はセットです。今は夫婦です。
私も大好き「純と愛」
コマクサ nakapaさん 明けましておめでとうございます。
今年も楽しいブログ見せて頂きますのでよろしくね。
泣きや笑いに対する耐性が無い?その様な事ありませんよ、nakapaさんはあると思います。
私は毎朝続けて観ています。若い人を見て私の子供、孫と接するヒントが得られる様に思っています。
見れない時には録画して必ず見ます。
やっと大好きな人が現れました
nakapa >コマクサさん
やっと大好きな人が現れてホッとしました。
凄く面白いのに、意外にも不人気でした。
これから人気が出るのかも知れませんね。
しかし、純と愛のコンピは面白いです。
純はオヤジギャル、愛は夫にとって理想の奥様です。
朱庵 毎月愉しみにしているここへのご訪問、今年も新年早々笑わせていただきました!
「こいつぁ春から縁起がいいなぁ」!
お話を読んでいて、まだこの番組は観たことはありませんが、ナカパさんお薦め!
ということで、とても観たくなりましたよ!
>話を合わせているつもりなのに何でこうなるの? (´_`。)グスン
もうお正月早々うふふ・・あはは・・・! 愉しいです!
46年にわたる朝ドラ・ファンです
nakapa > 朱庵さん
実は、この番組嫌われているようです。残念ながら視聴率も低いとか…。
私は46年にわたる朝ドラ・ファンですから無条件に応援しています。
今まで一度も朝ドラを詰まらないと思ったことのない人です。
気に入って頂ければありがたいですが、こんな側面があります。
空見 遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。
NHKの朝ドラマにも面白いのと面白くないのがありますのに、ずっと見続けているというのは信望強いですねnakapaさん(笑)
奥さんに気兼ねしてその場から逃げられないとか?だいたい朝食の時間でしょうか(爆)
ちなみに私はほとんど見ませんので、面白さも分らないのですね(汗)
そちらは雪の中ですか~?外は寒いでしょうね、マンションの中は寒くないけど。・・私も北国の冬を思い出しております {{{{(+_+)}}}}
毎朝欠かさず朝のドラマ
nakapa >空見さん
恥ずかしながら、朝ドラは毎日欠かさず観ています。
正直言って全部面白いです。しかし、一回見たものは全く興味ないです。
「川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」
朝ドラは絶えずしてもとの朝ドラにあらずです。
私の人生の中で朝ドラが流れて行くのです。決して振り返りません。
「振り返っても、そこにはただ風が吹いているだけ」です。
ウチの朝食は7時で、しかもテレビは消して見ません。
変わっているでしょう。ひねくれ者ですからごめんなさい(笑)。
ちゃちゃ nakapa さん、
新年おめでとうございます
今年もよろしくお願いします
第一土曜日のブログ
楽しみにしています
私は朝のドラマを観る習慣がないので
何ともコメントしかねますねえ!
それぞれの楽しみ方があってよいのでは…
朝ドラ誰も観てないようです
nakapa >ちゃちゃさん
明けましておめでとうございます。
こちらこそよろしくお願いいたします。
コメント、メールなどによると朝ドラを観ているのは私だけです。
ご丁寧に46年も見続けているのですから、
我ながら変わり者と思っています。
それも欠かさず。さすがに1日も欠かさずとは行きませんが(笑)。
こんな私ですが、今年もよろしく。
明けまして、おめでとうございます
のん子 そうそう、これ面白くないって何方かがブログに書いていたので観たことがあります。
確かに元気が良すぎるって言うか、こんな子、居る?って感じでした(笑)
そんな役柄なんですね。
それよりも私は愛って不思議な男の子の方に興味が湧きましたがセットになっての筋書きになっているんでしょうか?
この時間帯、ドラマを観る気分ではないのですが、私も観るなら現実離れしている物語の方が好きです。
純と愛は夫婦です
nakapa >のん子さん
面白くないってブログに書いてあったから観たとは流石です。
どのくらい面白くないか確認する必要を感じたのでしょうか(笑)。
ともかく、コメント4人目でやっと観た人が現れました。有難うございます。
ドタバタしてますから嫌う人は嫌うと思います。
私は登場人物が真剣ならドタバタしても好ましく感じてしまいます。
逆にドタバタふざけるのは見たくないのです。人様々ですね。
純と愛はセットです。今は夫婦です。
私も大好き「純と愛」
コマクサ nakapaさん 明けましておめでとうございます。
今年も楽しいブログ見せて頂きますのでよろしくね。
泣きや笑いに対する耐性が無い?その様な事ありませんよ、nakapaさんはあると思います。
私は毎朝続けて観ています。若い人を見て私の子供、孫と接するヒントが得られる様に思っています。
見れない時には録画して必ず見ます。
やっと大好きな人が現れました
nakapa >コマクサさん
やっと大好きな人が現れてホッとしました。
凄く面白いのに、意外にも不人気でした。
これから人気が出るのかも知れませんね。
しかし、純と愛のコンピは面白いです。
純はオヤジギャル、愛は夫にとって理想の奥様です。
商店街を歩いているとき、自転車に当て逃げされた。
痛みを堪えて、ようやく起き上がると自転車ははるか彼方だ。
しばらくして我に返るとじわじわと悔しさがこみ上げた来た。
「後の祭り」にしては、とても寂しい。 15年前の出来事である。
「アンタ、のろまだからね。なんで避けないのよ!」
「後ろから来たんですよ」
「私だったら空気で分かるよ」
「悔しいから道交法を勉強しました。
自転車は軽車両で車道を走れと書いてありましたよ」
「悔しいと勉強するの?」
「そうです。武士は刀、現代人は知識で人を斬るのです」
「お~ こわっ、車道じゃ危ないときもあるじゃない」
「例外的に歩道通行が認められているけど、歩行者優先ですからね」
「そ~ぉ、勉強したらそんなこと分かったんだ。エライね」
こんなことを知って喜んでいるわけではない。私にとって不都合な真実だ!
自転車はほとんど歩道で乗っているのに、
歩道では自転車の優先権が全くないことを知ってしまった。
しかも「歩道での自転車危険走行が常態化」しているのが現実だ。
歩いているときはヒヤヒヤものだし、自転車のときは歩行者を避けたり、
止まったりで、スムースな走行など夢の夢だ。
歩行者優先の決まりなど知らなければ好かった。知ればいろいろ支障をきたす。
そんな風なわだかまりを持っていた時にこの記事を読んだ。
およそ2年半前のことである。
「前方の歩道を年配女性三人が並んで歩いていました。
後ろから来た自転車のお母さんがチリンと軽くベルを鳴らした瞬間です。
女性の一人が振り向き『偉そうにならすんじゃない!
車道を走んなさいよ』とすごいけんまく。
車道は交通量が多く自転車では危険でした。
少しだけ寄ってもらいたかったようです。
(北海道新聞2009年5月18日夕刊はいはい道新より抜粋)」
年配女性のけんまくには恐れ入るが、筋は通っている。
しかし、この記事は彼女の非常識ばかりが取りざたされていて、
肝心な道交法の規定については、完全に無視している。
「危ないから、ベルをならしたんじゃない!」
「危ないと思ったら自転車が止まる。これが道交法の決りです」
「横一列に並んで歩いたら迷惑でしょう」
「それはマナーの問題。ルールが優先します。道交法では……」
「ドーコーホー、ドーコーホーって煩いわね!
ちょっと勉強したくらいでなにさ!!」
法よりマナーを優先する姿勢に違和感を感じ、一言書きたくなった。
(全文を読む=次のURLをクリック! → 歩道の自転車走は)

大正時代に植えられた中島公園北側のイチョウ並木。2011.10.31撮影
最近になってようやく、警察庁からの指示で自転車の車道走行と歩道通行の例外を徹底する動きが出てきた。 ようやく法令と実態とが合致するようになるのかと一安心した。
ところが、11月2日の北海道新聞を見てビックリした。 この動きにブレーキをかけるような記事が載っていたのだ。 試しに見出しだけを拾ってみた。
「雪の車道」「自転車走る」「『原則徹底』利用者や道警 悩み積もる」「冬は(車道が)狭~く」「柔軟性を」。
「雪が積って車が渋滞しているのに自転車が車道を走ったら危険でしょう」
「そうですね」
「道内での自転車と歩行者の事故は減っているそうだよ」
「それは好かったですね」
「冬場は車道通行を徹底させると事故が増えるんじゃない」
「そういう面もありますね」
「気象条件や道路状況が違うのに全国一律は無理でしょ」
「そうですね」
「じゃあ、何をビックリしているのよ」
車道の問題ばかり書いてあって、一番大切な部分が抜けている。
「歩道での自転車危険走行が常態化」していることが問題なのだ。
冬場であっても、天候や除雪状態は地域によって違う。
同じ地域でも場所によっても違うし、歩道の除雪などは千差万別だ。
冬でも自転車は歩道を走っているので、歩行者対自転車の問題は存在する。
それなのに、すっぽり抜けているのは何故だろうか?
「自転車対歩行者の問題を考えるときは、歩道と車道の問題をセットで捉える必要があるのです」
「アンタが自転車のときは、歩行者の邪魔になりそうなら、いつも止まるのかい」
「そりゃそうですよ。ルールですからね」
「急に雨が降ってきたらどうするの? 止まったらズブ濡れだよ」
「そりゃ、まあ。風邪引いたら困るからね」
「遅刻しそうになっても、いちいち止まるのかい」
「皆を待たせたら悪いですよ」
「ルールはマナーより優先なんでしょ」
「場所柄をわきまえないとね」
「なにそれ?」
「時と場合です」
「いい加減なんだね」
「いい加減ですよ。
い~い湯だな♪ ババンババンバンバン♪」
11月7日追記
自転車が歩道を走ってはいけないのは世界共通のルールで、日本でもいけないことになっていた。
「自転車の歩道通行が『例外処置』として認められたのは1970年。急増する交通事故対策として一時的な措置だったはずだが、いつしか歩道走行が一般化してしまった(北海道新聞11月6日社説)」
同時に、歩道の段差が無くなって行った。 一応バリアフリーと言うことで、車椅子の方や高齢者には朗報のはずだったが、これによって自転車が猛スピードで歩道を走れるようになった。
その結果、彼らはスピード自転車におびえ、ビクビクしながら歩道を利用することになった。 もともと交通事故対策の一時的措置だったのだから、出来るだけ早く自転車専用道路を整備し、例外規定を改定し元に戻すべきだった。
それが出来なかったのは何故だろう? 私はこう考える……。
一応、私なりの見解はあるが、法の問題、経済の問題、社会の問題、いろいろ複雑に絡み合ってのことなので、ここには書けない。
一時的な「例外処置」が40年以上も定着してしまう問題。 不思議だ。それで殆どの人が納得してしまう不思議。 そうでなければ「チン」と鳴らして、歩行者にどいてもらおうという考えは出て来ないだろう。
誤解を恐れずに言うと「自転車は車道、歩道走行は例外的な処置」ということを知らなかったのだろう。 知る機会もなかったのだ。 法律で例外規定を設けたら、法を執行する立場にある行政が周知しなければならないと思うが、いかがだろうか?
痛みを堪えて、ようやく起き上がると自転車ははるか彼方だ。
しばらくして我に返るとじわじわと悔しさがこみ上げた来た。
「後の祭り」にしては、とても寂しい。 15年前の出来事である。
「アンタ、のろまだからね。なんで避けないのよ!」
「後ろから来たんですよ」
「私だったら空気で分かるよ」
「悔しいから道交法を勉強しました。
自転車は軽車両で車道を走れと書いてありましたよ」
「悔しいと勉強するの?」
「そうです。武士は刀、現代人は知識で人を斬るのです」
「お~ こわっ、車道じゃ危ないときもあるじゃない」
「例外的に歩道通行が認められているけど、歩行者優先ですからね」
「そ~ぉ、勉強したらそんなこと分かったんだ。エライね」
こんなことを知って喜んでいるわけではない。私にとって不都合な真実だ!
自転車はほとんど歩道で乗っているのに、
歩道では自転車の優先権が全くないことを知ってしまった。
しかも「歩道での自転車危険走行が常態化」しているのが現実だ。
歩いているときはヒヤヒヤものだし、自転車のときは歩行者を避けたり、
止まったりで、スムースな走行など夢の夢だ。
歩行者優先の決まりなど知らなければ好かった。知ればいろいろ支障をきたす。
そんな風なわだかまりを持っていた時にこの記事を読んだ。
およそ2年半前のことである。
「前方の歩道を年配女性三人が並んで歩いていました。
後ろから来た自転車のお母さんがチリンと軽くベルを鳴らした瞬間です。
女性の一人が振り向き『偉そうにならすんじゃない!
車道を走んなさいよ』とすごいけんまく。
車道は交通量が多く自転車では危険でした。
少しだけ寄ってもらいたかったようです。
(北海道新聞2009年5月18日夕刊はいはい道新より抜粋)」
年配女性のけんまくには恐れ入るが、筋は通っている。
しかし、この記事は彼女の非常識ばかりが取りざたされていて、
肝心な道交法の規定については、完全に無視している。
「危ないから、ベルをならしたんじゃない!」
「危ないと思ったら自転車が止まる。これが道交法の決りです」
「横一列に並んで歩いたら迷惑でしょう」
「それはマナーの問題。ルールが優先します。道交法では……」
「ドーコーホー、ドーコーホーって煩いわね!
ちょっと勉強したくらいでなにさ!!」
法よりマナーを優先する姿勢に違和感を感じ、一言書きたくなった。
(全文を読む=次のURLをクリック! → 歩道の自転車走は)

大正時代に植えられた中島公園北側のイチョウ並木。2011.10.31撮影
最近になってようやく、警察庁からの指示で自転車の車道走行と歩道通行の例外を徹底する動きが出てきた。 ようやく法令と実態とが合致するようになるのかと一安心した。
ところが、11月2日の北海道新聞を見てビックリした。 この動きにブレーキをかけるような記事が載っていたのだ。 試しに見出しだけを拾ってみた。
「雪の車道」「自転車走る」「『原則徹底』利用者や道警 悩み積もる」「冬は(車道が)狭~く」「柔軟性を」。
「雪が積って車が渋滞しているのに自転車が車道を走ったら危険でしょう」
「そうですね」
「道内での自転車と歩行者の事故は減っているそうだよ」
「それは好かったですね」
「冬場は車道通行を徹底させると事故が増えるんじゃない」
「そういう面もありますね」
「気象条件や道路状況が違うのに全国一律は無理でしょ」
「そうですね」
「じゃあ、何をビックリしているのよ」
車道の問題ばかり書いてあって、一番大切な部分が抜けている。
「歩道での自転車危険走行が常態化」していることが問題なのだ。
冬場であっても、天候や除雪状態は地域によって違う。
同じ地域でも場所によっても違うし、歩道の除雪などは千差万別だ。
冬でも自転車は歩道を走っているので、歩行者対自転車の問題は存在する。
それなのに、すっぽり抜けているのは何故だろうか?
「自転車対歩行者の問題を考えるときは、歩道と車道の問題をセットで捉える必要があるのです」
「アンタが自転車のときは、歩行者の邪魔になりそうなら、いつも止まるのかい」
「そりゃそうですよ。ルールですからね」
「急に雨が降ってきたらどうするの? 止まったらズブ濡れだよ」
「そりゃ、まあ。風邪引いたら困るからね」
「遅刻しそうになっても、いちいち止まるのかい」
「皆を待たせたら悪いですよ」
「ルールはマナーより優先なんでしょ」
「場所柄をわきまえないとね」
「なにそれ?」
「時と場合です」
「いい加減なんだね」
「いい加減ですよ。
い~い湯だな♪ ババンババンバンバン♪」
11月7日追記
自転車が歩道を走ってはいけないのは世界共通のルールで、日本でもいけないことになっていた。
「自転車の歩道通行が『例外処置』として認められたのは1970年。急増する交通事故対策として一時的な措置だったはずだが、いつしか歩道走行が一般化してしまった(北海道新聞11月6日社説)」
同時に、歩道の段差が無くなって行った。 一応バリアフリーと言うことで、車椅子の方や高齢者には朗報のはずだったが、これによって自転車が猛スピードで歩道を走れるようになった。
その結果、彼らはスピード自転車におびえ、ビクビクしながら歩道を利用することになった。 もともと交通事故対策の一時的措置だったのだから、出来るだけ早く自転車専用道路を整備し、例外規定を改定し元に戻すべきだった。
それが出来なかったのは何故だろう? 私はこう考える……。
一応、私なりの見解はあるが、法の問題、経済の問題、社会の問題、いろいろ複雑に絡み合ってのことなので、ここには書けない。
一時的な「例外処置」が40年以上も定着してしまう問題。 不思議だ。それで殆どの人が納得してしまう不思議。 そうでなければ「チン」と鳴らして、歩行者にどいてもらおうという考えは出て来ないだろう。
誤解を恐れずに言うと「自転車は車道、歩道走行は例外的な処置」ということを知らなかったのだろう。 知る機会もなかったのだ。 法律で例外規定を設けたら、法を執行する立場にある行政が周知しなければならないと思うが、いかがだろうか?
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nonko-mn 自転車は本当怖いですね。
こっちが起き上った時にはもう遥か向こうの方へ行ってしまってるし・・・。
私も数年前に横並びに来た高校生にペダルで思い切りグリッと…やられその痛いこと・・・。思わず怒鳴りつけたけど震えている子を見て仏心が出てそのまま許してしまったの。
後で娘に叱られちゃった、悪いものは悪いのだから学校名。電話番後、名前は聞くものだと・・・
後から痛みが来て一か月半も辛かった。
この話も後ろから来た自転車です。見えない処から来るのは怖いですよね。
自転車ならまだまだあるわ。
nonko-mnさんへ
nakapa 私もそうですが、自転車が起因する事故は、被害者が、殆ど黙っています。
実際の事故は凄く多いと思いますよ。
あれだけ、乱暴に走っていれば、たまには失敗してぶつかるのは当たり前です。
困ったことですが、ようやく警察も動き出すようです。
段差がなくてスピードを出せることが問題ですが、
段差があると車椅子の人などが困るし、高齢者もドッコイショです。
やはり、自転車道が必要ですね。
フラダン 誰でも1・2度自転車の怖い経験があるのですね、
勿論私もあります道路状況で難しいかも知れ
ませんが、歩道の他に自転車道もあると良いのですが、、
ルールだからって車道を走って自転車も
何だか引っかけそうで、運転してる側から見ると
凄く怖いです、歩道も車道も、その時々の個人の
モラルの問題かなぁ~?
フラダンさん
nakapa 車を運転する側からみると、
フラフラと無秩序で走る自転車は怖いですね。
歩道を走ってもらったほうが安心です。
歩道を走るときは、自転車は強者なのですから、
弱者をいたわって欲しいです。
ノンビリした気持ちで、ゆっくりと走ったらいいと思います。
それでも歩くよりは早いし、
座りながら走れるのですから快適じゃないですか。
いつの間にか、自転車へ語りかけてしまいました。
のん子 私も何度か危ない目に遭ったことがあります。
それからは真っすぐ歩くようにしてます(笑)
方向を変える時は必ず後を確かめてからにしてます。
ベルを鳴らすのは違反だそうですが、私は鳴らして貰っても一向に構わないのですが?
その時に頭を下げるか「すみません」と言って頂ければ良いです。
ちゃちゃ 千葉にいたころ、自転車は車道を走っていましたが、東京に来たら、
「そこの自転車、歩道に上がるように…」と注意されました。
後ろからベルを聞くと、じっとしています。
なまじ動いたら危ないからです。
私は還暦を機に自転車乗りを止めました。
孫は、「おばあちゃんは自転車に乗れない」と思っています。
自転車道あると良いね
コマクサ ほとんどの人が歩道歩いて自転車で怖い思いをしていると思う。
自転車は車道通行と知っていましたが、怖くて歩道通行しています。
チンと鳴らして「すみません」と声かけますが、良いのは
自転車道あると事故も少なく安心しますね。
しかし今の財政では無理でしょう!
のん子さん
nakapa ルールがどうであっても、人を思いやる気持ちがあればいいと思います。
マナーが良ければルールを持ち出す必要もないでしょう。
しかし、暴走自転車は困ります。人を障害物のように避けて行きます。
たまには失敗することもあると思います。そう思うと怖いです。
歩道は安心して歩きたいです。 どうしたらいいでしょうね。
思い余って、道交法を守れとか言ってしまいました。
困った時の法頼みです。
ちゃちゃさんへ
nakapa 確かに警察は自転車は歩道を走れと指導していましたね。
今になって車道を走れと言われても納得行かないところもあると思います。
痛い目に遭いたくないから、歩道は端っこを真っ直ぐ歩いていますが、
猛スピードで、直ぐ横を走られると怖いです。
困ったことですが、こうなってしまったら、道交法が頼りです。
コマクサさんへ
nakapa やはり自転車道を整備するのが一番です。
今になってしまえば、お金がないかもしれません。
しかし、歩道の段差を無くして、自転車を歩道に上げたのは、
40年も前から始めています。バブル景気の時代もありました。
やろうと思えば出来たでしょう。
バブルの時は要らないものいっぱい造って、
その後、維持できないで壊しています。
もったいないことしましたね。
いつの間にか、私は古い人間になってしまった。 歳をとったとは思わないが、昔の若者のままで古くなってしまったのだ。
最近のテレビドラマで旧海軍などの制服姿など見ると違和感を覚えることが多くなった。 例えば、室内に入っても制帽を被ったままだ。
廊下を歩いているときならともかく、小学校の職員室に入っても被ったままだ。 しかも、帽子を被ったままお辞儀をするし、脱いだままで挙手の敬礼をしたりする。 そんなことは、ありえないと思って気になるのだ。
ひどいときは、海軍士官が制帽を被ったまま、高級レストランでお茶を飲んでいるシーンまであった。 こんなことは絶対にありえないと思う。
帽子といえば、朝ドラ『おひさま』の茂樹は、下士官の制服に士官の制帽を被っていた。 これはいくらなんでもやり過ぎだ。 悲しいシーンが一転してしらけてしまった。 しかし、こんなことでしらけるのは私だけかもしれない。
細かいことだが、もう一つ言わしてもらうと、帽子を被ったまま深々とお辞儀をする場面があるが、凄く不自然に感じる。 あの時代は、お辞儀をするなら帽子をとってからするのが常識だった。
略式としては帽子に手をやりながらお辞儀をすることはある。しかし、礼儀正しい人が帽子を被ったまま深々とお辞儀をする姿は、極めて不自然なことだ。
朝ドラは40年間以上欠かさず観ているが、こんな風に感じたのは初めてだ。
しかも、ほとんど毎回違和感を覚えるシーンがあるのだから驚く。
こんなことを言う私は、ふる~い人間なのでしょうか?
時代は変わったのだ。 ドラマの製作者は、こんなことを気にしないで作るようになってしまった。私は完全に古い人間になったのだ。 長生きしすぎたのだと思う。
国が違えば礼も違う。米国映画を観れば、昔から無帽で挙手の礼をしている。 日本の場合は、室内は無帽で15度の礼だ。受礼者に向って姿勢を正し、注目した後、体の上部を約15度前に傾ける。これが室内の敬礼とおもっている。
時代と共に、ドラマを作る人も観る人も変わる。従ってドラマも変わる。私は古くなり過ぎたに違いない。 現にピカピカの時代劇を観ても何んとも思わない。 違和感など全然ない。
時代考証を正確にやったら、地味でつまらないドラマになるかもしれない。
とにかく私は20世紀のドラマをいっぱい観ているのだから、千年前を忠実に表したドラマなど退屈かもしれない。
製作者としては、今作ったら今の人に観てもらわなくてはならない。 今の人が観て共感できれば、それで良いのだ。 昔の人がグダグダ言うのを気にしていたら、面白いドラマは作れないかも知れない。
「私のような人は、現代人にはどう見えるのでしょうか?」
「そりゃあ、オジイサンに決まっているじゃないか」
「おっとドッコイ! ところがそれは仮の姿」
「ほ~ぉ!」
「実は私、時空を超えてタイムスリップして来たのです」
冗談ではなく本気でそう思う。 二十歳過ぎたら猛スピードでここまで来てしまった。余りにも速いので、気分は未だに若いまま、半世紀前の若者のままである。
現代人とは1世紀ぐらいズレているかも知れない。
6月9日追記
朝ドラ「おひさま」で、初めて蕎麦屋の息子さんが、帽子をとってお辞儀をしてくれました。うれしいです。
まさか、このブログを読んでくれて、と言うことないと思うので、どなたかに言われて気がついたのでしょうね。
今後の推移を見て行きたいとおもいます。 1回くらいじゃ、単なる偶然かもしれません。
<タイムスリップ >
SF用語。時空を超えて、未来・過去など、他の時間・時代に移動すること。
最近のテレビドラマで旧海軍などの制服姿など見ると違和感を覚えることが多くなった。 例えば、室内に入っても制帽を被ったままだ。
廊下を歩いているときならともかく、小学校の職員室に入っても被ったままだ。 しかも、帽子を被ったままお辞儀をするし、脱いだままで挙手の敬礼をしたりする。 そんなことは、ありえないと思って気になるのだ。
ひどいときは、海軍士官が制帽を被ったまま、高級レストランでお茶を飲んでいるシーンまであった。 こんなことは絶対にありえないと思う。
帽子といえば、朝ドラ『おひさま』の茂樹は、下士官の制服に士官の制帽を被っていた。 これはいくらなんでもやり過ぎだ。 悲しいシーンが一転してしらけてしまった。 しかし、こんなことでしらけるのは私だけかもしれない。
細かいことだが、もう一つ言わしてもらうと、帽子を被ったまま深々とお辞儀をする場面があるが、凄く不自然に感じる。 あの時代は、お辞儀をするなら帽子をとってからするのが常識だった。
略式としては帽子に手をやりながらお辞儀をすることはある。しかし、礼儀正しい人が帽子を被ったまま深々とお辞儀をする姿は、極めて不自然なことだ。
朝ドラは40年間以上欠かさず観ているが、こんな風に感じたのは初めてだ。
しかも、ほとんど毎回違和感を覚えるシーンがあるのだから驚く。
こんなことを言う私は、ふる~い人間なのでしょうか?
時代は変わったのだ。 ドラマの製作者は、こんなことを気にしないで作るようになってしまった。私は完全に古い人間になったのだ。 長生きしすぎたのだと思う。
国が違えば礼も違う。米国映画を観れば、昔から無帽で挙手の礼をしている。 日本の場合は、室内は無帽で15度の礼だ。受礼者に向って姿勢を正し、注目した後、体の上部を約15度前に傾ける。これが室内の敬礼とおもっている。
時代と共に、ドラマを作る人も観る人も変わる。従ってドラマも変わる。私は古くなり過ぎたに違いない。 現にピカピカの時代劇を観ても何んとも思わない。 違和感など全然ない。
時代考証を正確にやったら、地味でつまらないドラマになるかもしれない。
とにかく私は20世紀のドラマをいっぱい観ているのだから、千年前を忠実に表したドラマなど退屈かもしれない。
製作者としては、今作ったら今の人に観てもらわなくてはならない。 今の人が観て共感できれば、それで良いのだ。 昔の人がグダグダ言うのを気にしていたら、面白いドラマは作れないかも知れない。
「私のような人は、現代人にはどう見えるのでしょうか?」
「そりゃあ、オジイサンに決まっているじゃないか」
「おっとドッコイ! ところがそれは仮の姿」
「ほ~ぉ!」
「実は私、時空を超えてタイムスリップして来たのです」
冗談ではなく本気でそう思う。 二十歳過ぎたら猛スピードでここまで来てしまった。余りにも速いので、気分は未だに若いまま、半世紀前の若者のままである。
現代人とは1世紀ぐらいズレているかも知れない。
6月9日追記
朝ドラ「おひさま」で、初めて蕎麦屋の息子さんが、帽子をとってお辞儀をしてくれました。うれしいです。
まさか、このブログを読んでくれて、と言うことないと思うので、どなたかに言われて気がついたのでしょうね。
今後の推移を見て行きたいとおもいます。 1回くらいじゃ、単なる偶然かもしれません。
<タイムスリップ >
SF用語。時空を超えて、未来・過去など、他の時間・時代に移動すること。
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のん子 帽子の常識、知りませんでした(汗)
朝ドラも見ていないのですが、先日、佐世保で海軍時の制帽、制服を観て格好良いと胸が高鳴りました(^_-)-☆
多分、制作担当の監督?プロデューサー?若い人で知らなかったのか女性の視聴率稼ぎかと思います(^_^;
私がテレビドラマで気になるのは関西弁の余りに違うアクセントです。もうそれだけで観る気がしなくなります。
どうしても直せないなら俳優を変えて欲しいとさえ思ってしまいますが他地区の方は気にならないんでしょうね?(笑)
のん子さんへ(テレビの不思議)
nakap 関西弁の余りに違うアクセントに違和感をもつ気持ち、分かります。
しかし、私は関西で生活したことがないので、関西弁の正確なアクセントを知りません。
関西人役をしている俳優が話しているのが関西弁と思ってしまいます。
テレビは毎日のように観ます。知らない私は、それが関西弁と思ってしまいます。
不思議ですね。事実と違っていても、事実と思ってしまうのですから。
フラダン 自分の知ってる事は、「うっ!何か変?」と
感じる事はありますが、それ以外はあまり気付かずに
居りました。でも人様にご挨拶する時と、食事する
時は今も昔も、帽子は取るのが礼儀と思って
居りますが、タイムスリップして来て、気分は
若いままだなんて、羨ましいです!私なんかは、
日々自分の老いを感じて居ります。
おかしなことだらけ・・
朱庵 うなずきながら読んでしまいました!
全くもって・・・今の時代は・・・と口にこそ出しませんが、心中は???だらけですね。
先日も茶室に入る武士が、こともあろうに脇差を腰にしたまま・・・いくらなんでもこんなことありえないよ!
床の掛け軸やお花・・めちゃくちゃです。今の人が書いたと丸見えの下手な書の掛け軸や、季節関係なし・・の茶花、枚挙に暇ありません。
ぁ~私もnakapa さんと同じだ~~!
上記の帽子のごとく、あきれ果てました。
よくあることですが、こういう小さな(私には小さいとは思えませんが)ことが積み重なる昔の映画は、品格に溢れていましたね。
監督の拘りではなくて、常識だったからですよね。
今はその常識の基本がなんなのかさえ定かでありません。
今の子供達はかわいそうですね。
アララ・・嬉しい同感に、鬱憤晴らししてしまいました♪
おゆるしを!
更新楽しみでした。(お約束通り!)
フラダン さんへ
nakapa そうなんです。 知っていることは気になるのですが、
知らないことは気になりません。
もっとも、気付かないのですから、気にかけようもありませんが…。
身体は衰えるばかりですが、頭が古いまま固定してしまい、
時代について行けなくなりました。
自分で自分のことを哀れんでも仕方ないので、タイムスリップで誤魔化しました。
思考が古いまま固定しているのですから同じことかと思いまして(笑)。
朱庵さんへ
nakapa NHKの朝ドラは、無批判に40年以上観ていましたが、
今回のように違和感を覚えたのは初めてです。
不自然な作法や仕草が、毎日のように続いたからです。
ドラマの制作者は、昔の映画は観ないのでしょうか? ここが不思議です。
ニュース映画、その他、いろいろな映像を残したのが昭和時代です。
時代考証に詳しい人も沢山います。それなのになぜ? と感じました。
それとも、正確性は無視して製作者自身の感性を大切にしているのでしょうか。
当時の礼儀作法を確かめる気がありば、方法はいくらでもあります。
空見 こんにちは。
は~TVは雰囲気で見ていますから、それほど気になりませんでしたが^^;
でもnakapaさんの仰るのが正しいのだと思います。
映画「劔岳・点の記」を思い浮かべると、軍人たちは確かに、nakapaさんの言われるとおりの所作でした。
ご近所の80歳くらいの方も、道でたまたま私と話すときは、被っている帽子を脱いで手に持ちます。
話が終ると、必ず一礼をしてから帽子を被ります。
それがたぶん美しい日本人の所作だろうと感じますね。え?私はずっと帽子を被ったままですが。。(笑)
空見さんへ
nakapa コメントありがとうございます。
いつの時代にも、礼儀正しい人。そうでもない人。いろいろあります。
私が観ている朝ドラの場合は、模範的と言うべき礼儀の正しい人が、
礼儀作法から大きく外れたことをするので違和感を覚えます。
真面目な役を演じていて、そこだけおかしいから不自然に感じます。
不思議に思ったのは、小説を書く人は、普通、小説を読みますよね。
ドラマを作るひとは、ドラマを観ないのだろうかという疑問です。
大昔と違って、昭和は映像を沢山残しているのに不思議です。
私も戦前のことなど知りません。映画で覚えただけです。
こまどり そう、そう、私もなかぱさんと、同じ古い人間です。
このドラマみてませんが、同じ心境です。
ドラマ制作者にこのことしらせてやりたいですね。
戦争映画みていて違和感を感じるのは、みなふくよかに
栄養満点の顔と、体つき、の男性には、臨場感がつたわりません。なかぱさんのブログ面白いので楽しみに拝見していますからね、復帰待ってます。
こまどりさんへ
nakapa そうですね。食い物もろくろく無くて3人に一人は栄養失調の時代です。
栄養たっぷりの顔つきではリアリティーがありません。
俳優に節食して役作りする気概はないのでしょうか。
もうひとつ違和感を覚えるのは衣装です。真っ白なシャツもおかしいです。
誰もが、薄汚れていました。洗濯してもおちない色です。
ところで、復帰のことですが、HPリニューアルにメドがついたらと思っています。
ついに、終戦以来の大惨事になってしまった。 今は被災者救援と原発の汚染物質対策が急務で、国民が一丸となって支えなければならない時期と思う。
批判する段階でないことはよく分かるが、どうしても疑問に思うことがある。
例えば、過大な電流が流れれば、ブレーカーが落ちて電気は止まる。
しかし、それが原因で火事になったりはしない。
何がなんでも大丈夫というような原発を造れるわけがない。
東日本大震災で原発が止まって電気が供給できなくなることは理解できる。
大災害だから仕方がない。
だけど、何で壊れたのに燃料が高熱を発し続けるのだだろう。
理由は冷却水で燃料を冷やす機能を喪失したからだという。
事故の為に備えた非常用電源が津波で使えなくなったそうだ。釈然としない。
以前私が働いていた職場は、原発みたいに大きな施設ではないが、必要なバックアップ電源はあった。 停電になったら、違う発電所に切り替える。
2ヶ所の発電所がダメなら、自家発電装置、それがダメならバッテリーを使うことになっていた。 地下室のワンフロアー全体がバッテリーで埋まっていた。
非常時に壊れてしまう非常用電源とはなんだろうか?
それしか出来なかったとは思えない。方法はいろいろある。
経済的な理由で、真剣に検討されなかったのだと思う。みせかけの安全。
「炉心熔融」については昨年5月原子力安全・保安院長が「あり得ること」と国会答弁している。 学者はもちろん東電、保安院、そして国会答弁なので政治家も覚えているはずだ。
最初から「炉心溶融」を前提とした対策を立てれば、被害も最小限に抑えられたと思う。 私は迂闊にも、ホースで水をかけて冷やせば一安心と思っていた。 情報をテレビと新聞に頼っていたので分からなかったのだ。
東電では、大震災から4日もたった3月15日に「大きな音が発生して建屋の屋根が損傷し火が出た。詳しいことは分からない」と言っている。
私たち素人はこの言葉から、「炉心溶融」とい言う、世界を揺るがす大事故が発生したことを認識出来ない。 だから、消防や自衛隊が水をかけて冷やせば一安心と思っていたのだ。
もちろん、11日の地震発生と同時に、東電、学者、保安院は予想できたはず。国会に係わる政治家も予想できた筈だが、それに応じた行動はとらなかった。
ものごとには、100%の安全はないのと同様に、100%の危険もないだろう。
10%の運に任せたのだろうか。運さえ良ければ大きなミスは無かったことになる。
ところで去年の5月、保安院長が「炉心溶融もありうる」と国会答弁した。
マスコミがことの重大性を伝えていれば、国民の多くも知っていたはずである。
去年の暮、「海老蔵さん殴打事件」の報道は凄かった。
せめてこの10分の1くらいでも、マスコミで取り上げてくれていれば……。
東電、学者、行政等「原発村」の村民はともかく、政治家は世論を気にする。
世論をバックに政治家が指導性を発揮すれば、ことの成り行きも変わったかもしれない。 もうじき選挙、肝に銘じておきたいと思う。
批判する段階でないことはよく分かるが、どうしても疑問に思うことがある。
例えば、過大な電流が流れれば、ブレーカーが落ちて電気は止まる。
しかし、それが原因で火事になったりはしない。
何がなんでも大丈夫というような原発を造れるわけがない。
東日本大震災で原発が止まって電気が供給できなくなることは理解できる。
大災害だから仕方がない。
だけど、何で壊れたのに燃料が高熱を発し続けるのだだろう。
理由は冷却水で燃料を冷やす機能を喪失したからだという。
事故の為に備えた非常用電源が津波で使えなくなったそうだ。釈然としない。
以前私が働いていた職場は、原発みたいに大きな施設ではないが、必要なバックアップ電源はあった。 停電になったら、違う発電所に切り替える。
2ヶ所の発電所がダメなら、自家発電装置、それがダメならバッテリーを使うことになっていた。 地下室のワンフロアー全体がバッテリーで埋まっていた。
非常時に壊れてしまう非常用電源とはなんだろうか?
それしか出来なかったとは思えない。方法はいろいろある。
経済的な理由で、真剣に検討されなかったのだと思う。みせかけの安全。
「炉心熔融」については昨年5月原子力安全・保安院長が「あり得ること」と国会答弁している。 学者はもちろん東電、保安院、そして国会答弁なので政治家も覚えているはずだ。
最初から「炉心溶融」を前提とした対策を立てれば、被害も最小限に抑えられたと思う。 私は迂闊にも、ホースで水をかけて冷やせば一安心と思っていた。 情報をテレビと新聞に頼っていたので分からなかったのだ。
東電では、大震災から4日もたった3月15日に「大きな音が発生して建屋の屋根が損傷し火が出た。詳しいことは分からない」と言っている。
私たち素人はこの言葉から、「炉心溶融」とい言う、世界を揺るがす大事故が発生したことを認識出来ない。 だから、消防や自衛隊が水をかけて冷やせば一安心と思っていたのだ。
もちろん、11日の地震発生と同時に、東電、学者、保安院は予想できたはず。国会に係わる政治家も予想できた筈だが、それに応じた行動はとらなかった。
ものごとには、100%の安全はないのと同様に、100%の危険もないだろう。
10%の運に任せたのだろうか。運さえ良ければ大きなミスは無かったことになる。
ところで去年の5月、保安院長が「炉心溶融もありうる」と国会答弁した。
マスコミがことの重大性を伝えていれば、国民の多くも知っていたはずである。
去年の暮、「海老蔵さん殴打事件」の報道は凄かった。
せめてこの10分の1くらいでも、マスコミで取り上げてくれていれば……。
東電、学者、行政等「原発村」の村民はともかく、政治家は世論を気にする。
世論をバックに政治家が指導性を発揮すれば、ことの成り行きも変わったかもしれない。 もうじき選挙、肝に銘じておきたいと思う。
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のん子 原子炉のことはさっぱり解りません。
壊れた原子炉を修理して再度使うつもりが長引いた原因って何処かに書いて有ったような?
どっちにしろ人災には違いないでしょう。
東電の社長はコストカットの名人だったそうです。
のん子さんへ
nakapa そうなんですか。東電の社長はコストカットの名人。
安全装置はお金がかかるからカットされたのですね。
そう考えれば、なんでこんなことが起こるのか、辻褄が合います。
これで、非常時に役に立たない非常用電源の謎が解けました。
ありがとうございます。
あってはならない メルトダウン
朱庵 誰もがチェルノブイリの事故を思い出していますよね・・・。
12日にメルトダウンではなかった・・・という談話を発表しているのです・・・国は・・・。
極力、メルトダウンという言葉さえも使うことをしない慎重さでね・・・。
専門家と各国が一番心配したのもこのことでしょう。放射能汚染に敏感な海外メディアに報道されるとこぞって海外へ引き上げる・・・。
今はもう被災地の方たちの辛さやご心痛を思うと、何もいえないです。
朱庵さんへ
nakapa そうですね。被災者のことを思うと胸が痛みます。
未だに現地で亡くなる人が後を絶ちません。
今回の原発事故の特徴は、事故があってから発表し、事実を認める。
それの繰り返す中で、事態がエスカレートする。
対策が何もないし、やれば外れて、それ以上の悪い結果が待っている。
半世紀以上前の日本の状態に似ているのが気になります。
空見 こんにちは。
「安全神話」はウソだったことが分りました。
’安全’には膨大なコストがかかります。一企業がそんな経費をかけるでしょうか。
定年後の世帯をターゲットに、「オール電化」の勧誘攻勢が激しさを増していた矢先です。
わが家はまだ定年前なので、郵便受けにチラシを入れられるくらいでしたが、近くの70歳代夫婦のお宅では、東電の執拗な電話勧誘に困り果てていました。
やはり面倒で手間がかかっても、全てのリスクは分散させる、が良いでしょう。
今回の事故で
コマクサ 原発とは?知っている人は造る事に猛反対していた。
私は詳しく知りませんでしたので、反対も賛成もしてない。
しかし秘密が多すぎて理解していない人がたくさんいると思う。
こんな危険な物をどうして正確に説明しないのか、
不思議でならない。
中止する事も壊す事も出来ない物体これから日本は
どうなるのでしょう?これから建設予定のところが
たくさんあると言うが絶対反対します、恐ろしい!
今回の事故で目に見えない放射能汚染対処は出来るのでしょうか?
隠して居た事が次々と分かると不信感で心が痛む。
空見さんへ
nakapa 「オール電化」の勧誘攻勢ですか。まるで電気の押し売りですね。
安全にはコストがかかるのに、電気を沢山つくって押し売りとは問題です。
空見さんが仰るように、安全を優先させるなら分散しかないですね。
水力でも小規模なら環境破壊にもならないそうです。
とにかく、自分で制御できないものは作ってはいけないと思います。
おまけに「安全神話」と隠蔽体質ではどうにもなりません。
コマクサさんへ
nakapa 電力会社、行政、原発推進学者が「原発村」を作っていて、
反対する人は村八分にされていたそうですね。
仰るように秘密が多すぎるのです。
100%安全がないのと同様に、100%危険はないので、
隠そうとおもったのでしょう。
正直に言って、何事も無かったら損だと思ったのでしょうね。
これを隠蔽体質といいます。困ったことに隠蔽は成功する場合が多いのです。
だから、大事故が起こっても隠蔽のクセが出てしまいます。
原発は絶対に反対しなければならないことと思います。危険ですから。
地震・津波の被災者救援が原発事故の為に遅れています。
ホントにそう
アツガーリン 安く原子炉をつくるために、あちこち手を抜いた
のは歴然としてますね。コスト計算の元は何か聞いたところ、東電で嘗て財務をやっていた人の話では「火力発電」を比較しての原子炉製作だったようです。1号機など縦屋など狭くて東芝は苦労したようです。すべて「経済優先」で一方「安全」を唱えていたのですから国民を欺いたわけです。西日本JRの「宝塚線」のようなものです。
昨年5月だかの国会の答弁は「確かにその危険はあるが、これからも安全策をこうじていきたい」式のお役所答弁で、仰るとおりマスコミの責任重大です。大体今のマスコミは半分くらいしか信じない方が良いと思うものです。
アツガーリン さんへ
nakapa コスト計算の元は、「火力発電」と比較しての原子炉製作だったのですか。
そうすると、「安全神話」は反対論を封じる為、目先の利益の為ですね。
マスコミは企業や政治の影響を受けるので、構造的な問題を抱えています。
ネットに期待したのですが、玉石混合で正しい情報を見極めれるのが大変です。
結局、必要以上の豊かさ便利さを求めた結果とも言えます。
生きるために必要なものは何かから、考え直した方がいいと思います。
新聞記事読んで、ここにも奥さんが怖い人が居ると知ってホッとしました。
奥さんが恐くて強盗事件を自作自演した二児のパパがいたのです。
仮にその男性をAさんとします。 Aさんは多分真面目なサラリーマンでしょう。
奥さんが外出から帰ると、玄関先にAさんが倒れていました。
ほとんど虫の息の感じです。
「パパ、どうしたの!」
「ウゥゥゥ~、イテテ~。強盗だ~。3万円盗られたぁ」
奥さんは迷わず110番通報。なんたって3万円ですからね。 救急車を当てにしていたAさんは、ガッカリしました。苦しみを訴える迫真の演技も水の泡です。
Aさんは、子供達へのクリスマス・プレゼントを買うために、奥さんから3万円持たされて出かけたました。 それなのにパチンコですられてしまったのです。
こんなことを、モンスター妻として恐れている奥さんに言える訳がありません。
手ぶらで家には入れないので、玄関先に倒れていたのです。 Aさんは救急隊員を当てにしていたのかも知れません。気の毒なことに、刑事が来てしまいました。
「どうしました」
「頭が痛いのです。救急車はまだですか~」
「強盗にどこを殴られたのですか?」
「頭の後ろの方です」
結局、頭には傷が無いし、マンションの防犯カメラには不審者が写っていないので、作り話と分かってしまいました。
報道によると、二人の子供が学校から帰ると家の前は報道陣でいっぱいだったそうです。さぞかしビックリしたことでしょう。
Aさんは「こんな大ごとになるとは思ってもいなかった」とぼやいていたそうです。 なぜ、大ごとになったのでしょうか。 恐らく、面白そうな作り話にメディアが興味をもったからでしょう。
なぜ、奥さんは警察に通報したのでしょうか?
警察は報道陣にリークしたのでしょうか?
この事件の不思議は「二人の子供が学校から帰ると家の前は報道陣でいっぱだった」ことです。 押しかけた報道陣は、どこから情報を入手したのでしょうか?
極めて奇妙な事件と思いました。 家庭での痴話喧嘩のようなものに、警察の捜査が入り、マスコミが押しかけて大ごとになったように感じたからです。
奥さんが恐くて強盗事件を自作自演した二児のパパがいたのです。
仮にその男性をAさんとします。 Aさんは多分真面目なサラリーマンでしょう。
奥さんが外出から帰ると、玄関先にAさんが倒れていました。
ほとんど虫の息の感じです。
「パパ、どうしたの!」
「ウゥゥゥ~、イテテ~。強盗だ~。3万円盗られたぁ」
奥さんは迷わず110番通報。なんたって3万円ですからね。 救急車を当てにしていたAさんは、ガッカリしました。苦しみを訴える迫真の演技も水の泡です。
Aさんは、子供達へのクリスマス・プレゼントを買うために、奥さんから3万円持たされて出かけたました。 それなのにパチンコですられてしまったのです。
こんなことを、モンスター妻として恐れている奥さんに言える訳がありません。
手ぶらで家には入れないので、玄関先に倒れていたのです。 Aさんは救急隊員を当てにしていたのかも知れません。気の毒なことに、刑事が来てしまいました。
「どうしました」
「頭が痛いのです。救急車はまだですか~」
「強盗にどこを殴られたのですか?」
「頭の後ろの方です」
結局、頭には傷が無いし、マンションの防犯カメラには不審者が写っていないので、作り話と分かってしまいました。
報道によると、二人の子供が学校から帰ると家の前は報道陣でいっぱいだったそうです。さぞかしビックリしたことでしょう。
Aさんは「こんな大ごとになるとは思ってもいなかった」とぼやいていたそうです。 なぜ、大ごとになったのでしょうか。 恐らく、面白そうな作り話にメディアが興味をもったからでしょう。
なぜ、奥さんは警察に通報したのでしょうか?
警察は報道陣にリークしたのでしょうか?
この事件の不思議は「二人の子供が学校から帰ると家の前は報道陣でいっぱだった」ことです。 押しかけた報道陣は、どこから情報を入手したのでしょうか?
極めて奇妙な事件と思いました。 家庭での痴話喧嘩のようなものに、警察の捜査が入り、マスコミが押しかけて大ごとになったように感じたからです。
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のん子 Aさん、そりゃ詰めが甘いとしか(笑)
偽演技、奥さんに完全に見破られて、懲らしめの為に警察呼ばれたんじゃないですか?
奥さんも普段の行いを見てたら、そんなことになるかも?って気付かなかったのなら3万は勉強と思って諦めましょう。
お正月は私も含めてヒマな人が多かったんじゃ?
テレビの海老蔵や麻木さんの不倫よりも現実の事件の方に興味が有ったんじゃ?
でも夫婦どちらに同情が集まったんでしょうね?
フラダン なんとも粗末な事件ですね、、、こんな馬鹿げた
演技で事を上手くすり抜けようとするご主人
此処まで恐妻家に追い込んでしまう奥様
私にはどっちもどっちと思ってしまいます。
のん子さんへ
nakapa そうですね。Aさんは奥さんに懲らしめられたのかも知れませんね。
クリスマス・プレゼントのお金を、パチンコで使っちゃって作り話で逃げようたって、
甘い、甘い、大甘ですね。世の中も家庭の中も、そんなに甘くはないと思います。
海老蔵事件は飽きるほど観てしまいました。反省します。
フラダンさんへ
nakapa まったくお粗末な夫婦です。
ウチと少し似たところがあるのが気がかりです。
私も、ときには名演技ですり抜けようとします。
成功か失敗か、結果はここには書きません。
演技者の・・・
朱庵 演技者の資質?
年寄りの狂言ではなく、二児のパパ・・・というのがなんとも淋しいですね。
短絡的な思考はあちこちに根を張り出しているのかしら?
>リークは何処から?
興味ありますねぇ~、ミーハー的にですが(笑)
朱庵さんへ
nakapa 私も、後から報道されたのではなく、
「子供達が学校から帰ると玄関前に報道陣がいっぱい」
このひと言に、強い興味を覚えました。
捜査が進行中なのにメディア側に情報が伝わっていたことです。
しかし、これもガサネタかもしれません。そうだとすると?
”騙されたのは私です”
空見 nakapaさん、遅くなりましたが~新年明けましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いします~♪♪
妻が怖い・・いずこも同じ空模様?
そういいえば、あのビートたけしでさえ奥さんが怖くて、しばしば詐病するそうですよ(笑)
空見さんへ
nakapa おめでとうございます。こちらこそよろしくお願いします。
タケシさんは、陰でいろいろ悪いことしているから怖いのです。
私が、子どものプレゼント代金3万円使ってしまったら、やはり怖いですね。
体温計こすって、熱だして病気のフリして寝てしまいます。
どうも腰の調子が好くならない、普段なら三日も安静にすれば痛みは無くなるのだが、1ヶ月以上続いている。ちょっと痛いだけだが油断は出来ない。 そのまんま立てなくなってしまったことがあるのだ。 三日間トイレにも行けなかった。
「ダルがアメリカに行けないのは、奥さんが英語できないからだって」
いつもならウンウンと言って聞き流すのだが、調子が悪いからWFのヘンテコな話に付き合う余裕はない。
「そんな訳ないでしょう」
「本当だよ。離婚するって言ってたもん」
「バカなこと言わんでください」
「バカってなによ! 野球選手の奥さんは、陰で夫を支えてやらなきゃいけないんだよ」
「そんなもんですか」。 この話は打ち切りたかった。
「英語できないと陰で支えられないんだよ」
陰で陰でとやかましい。陰で支えたことなどないくせに…。
だが待てよ陰でだから、私は気がつかなかったのかも知れない。
ともかく、この話は全く納得できない。
「そんな理由で離婚する訳ないでしょう」
「選手の奥さんは、アナウンサーとかで皆、英語できるんだよ」
なんで、決め付けるのだろう。 英語の先生でも喋れない人いるのに、野球選手の奥さんが喋れなくてもいいではないか。 まして離婚の理由になるはずがない!
「ダルは高給取りですよ、必要なら個人レッスンを受ければ好いのです。お金持ちは話せるようになるのです」
「大学でてないとダメだよ」
「日常会話はレッスンさえ受ければ、誰でも出来るようになるものです」
「アンタなんか習いに行っても喋れないじゃない」
「無料の老人福祉センターですからね」
「英会話じゃないの?」
「先生の教育方針は、一に健康、二に楽しく、三四はなくて五に英会話です」
日常生活が出来ているなら、レッスンさえ受ければ誰でも日常会話は出来るようになると思う。 アメリカに行くのなら先生はアメリカ人がいい。生徒が男性なら美人で優しい先生がいいだろう。 もちろん、個人レッスン。
教え方が上手で、少し出来たら沢山褒めてくれる先生がいい。
「そんな先生いるの?」
「もちろん! 需要のあるところ供給ありです」
「習えばいいじゃない」
「問題は金ですね。高いですよ~」
WFの口癖は「女は金をかければ、いくらでも奇麗になれる」だ。
よくもそんなこと言えるもんだと思うけど、反駁はしない。
『沈黙は金』
「ダルがアメリカに行けないのは、奥さんが英語できないからだって」
いつもならウンウンと言って聞き流すのだが、調子が悪いからWFのヘンテコな話に付き合う余裕はない。
「そんな訳ないでしょう」
「本当だよ。離婚するって言ってたもん」
「バカなこと言わんでください」
「バカってなによ! 野球選手の奥さんは、陰で夫を支えてやらなきゃいけないんだよ」
「そんなもんですか」。 この話は打ち切りたかった。
「英語できないと陰で支えられないんだよ」
陰で陰でとやかましい。陰で支えたことなどないくせに…。
だが待てよ陰でだから、私は気がつかなかったのかも知れない。
ともかく、この話は全く納得できない。
「そんな理由で離婚する訳ないでしょう」
「選手の奥さんは、アナウンサーとかで皆、英語できるんだよ」
なんで、決め付けるのだろう。 英語の先生でも喋れない人いるのに、野球選手の奥さんが喋れなくてもいいではないか。 まして離婚の理由になるはずがない!
「ダルは高給取りですよ、必要なら個人レッスンを受ければ好いのです。お金持ちは話せるようになるのです」
「大学でてないとダメだよ」
「日常会話はレッスンさえ受ければ、誰でも出来るようになるものです」
「アンタなんか習いに行っても喋れないじゃない」
「無料の老人福祉センターですからね」
「英会話じゃないの?」
「先生の教育方針は、一に健康、二に楽しく、三四はなくて五に英会話です」
日常生活が出来ているなら、レッスンさえ受ければ誰でも日常会話は出来るようになると思う。 アメリカに行くのなら先生はアメリカ人がいい。生徒が男性なら美人で優しい先生がいいだろう。 もちろん、個人レッスン。
教え方が上手で、少し出来たら沢山褒めてくれる先生がいい。
「そんな先生いるの?」
「もちろん! 需要のあるところ供給ありです」
「習えばいいじゃない」
「問題は金ですね。高いですよ~」
WFの口癖は「女は金をかければ、いくらでも奇麗になれる」だ。
よくもそんなこと言えるもんだと思うけど、反駁はしない。
『沈黙は金』
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ちゃちゃ 私見ですが…。自分以外は全部が英語人という環境に陥ってしまえば、誰でも英語を話さざるをえないでしょう。もちろん、耳からの習得です。
友人たちとの日本語でのコミュニケーションが不得手の人は、どんなに分厚い英語の本を読みこなせても、話すことはできません。
身振り手振りと顔の表情、一番大事なのは「合いの手」だと聞きました。
例の、「Aha!」、「Is that so?」、「Really?」の類です。お試しあ~れ!
ちゃちゃさんへ
nakapa 「Aha!」、「Is that so?」、「Really?」ですね。
試してみたいのは、やまやまですが相手がいません。
日本人でもいいから、言ってみようかと思います。
反応が楽しみですね(笑)。
名無しさん 其処の国の言葉を話せなければ暮らしていけない
環境に置かれれば必然的に何処の国の言葉も
話せる様になるのでは、、いくら習っても、
それを使える環境に無ければ、直ぐに忘れちゃうね
お金をかけたからって、磨ける物でも無いしね
意欲の問題は多少あるとは思うけど、、、
名無し様へ
nakapa はじめまして。コメントありがとうございます。
まったく同感です。その通りと思います。
環境と、多少の意欲ですね。
「必要は発明の母」といいますが、何ごとも必要に迫られれば、
出来るようになるのではないでしょうか。
のん子 今日は奥さんの味方しちゃおうかな?(笑)
ダルさんの離婚の原因は詳しくないんですが、そうなの?って私なら話が続きそうです。アメリカで暮らすにしても奥さんがペラペラなら楽そう~でもそれが目的なら英会話出来る人を結婚条件に入れそうだし?
ダルは金持ちだけどケチだったと言う方が有ってるような?(爆)
だって奥さんにとっては旦那さんの年収より自分がどれだけお金を自由に使わせて貰えるかって方が大事ですもん!
それとお金かければ女は確かにきれいになりますよ~。
元の素材が良ければ、ますます引き立ちますし、うちは貧乏だから諦めてますけど、服、バッグ、靴とか、やはり高級品は違うそうですよ。
いや、お金第一とは思っていませんし夫におねだりするのもキライなんですけどね。
腰、お大事になさって下さいね。
のん子さんへ
nakapa >ダルは金持ちだけどケチだったと……。
↑
知りませんでした。マル秘情報ありがとうございました。今後の参考にします。
>それとお金かければ女は確かにきれいになりますよ~。
↑
森さん、八千草さん、草笛さんもかかっているのでしょうね。
のん子さんも宝くじでも当たるかも知れないので、諦めずに頑張って下さい。
空見 こんばんは。
結婚してみなくちゃ分らないことってありますよね~うんうん(笑)
腰痛いのですか?大事にしてくださいね、誰かのお世話にならないようにシッカリと(笑)
「沈黙は金」・・人にもよりますね、私は自分があまり喋らないから、話題提供してくれる人は歓迎です(時間限定で)(+ii+)タラ~
空見さんへ
nakapa ありがとうございます。ちょっと痛いだけです。
そうですね。結婚してみなければ分からないこともあるし、
退職してみないと分からないこともありました。
寝たきりになってみないと分からないこともあると思います。
健康に気をつけてシッカリと生きて生きたいと思います。
「沈黙は金」とは言うものの、それも退屈ですね。
空見 nakapaさんこんにちは♪
風邪に気をつけてくださいね。
寝たきりになったら人生終りですから、シニアライフは無理せずに楽しんでください。
私も気をつけます(笑)
空見さんへ
nakapa ありがとうございます。風邪は罹り易い方なので気をつけます。
虚弱でも日常生活が出来れば、楽しいかどうかは、
気分次第でどにでもなれます。
起きて生活できれば、それで充分です。
私は、イギリスの思想家トマス・モアの『ユートピア』を読んだことがない。
だから、ここに書いていることは、私が想像する理想的な世界である。
外国に行ったことのない私が、世界のことを書いても仕方ないと思う。
それで、日本のユートピア化について想像してみた。
日本をユートピアにするには、先ず、医療費を無料にすることだ。 命が惜しくない人はいないと思う。 皆がお医者さんの世話になるなら、皆で医療費をだして、皆で使えばよい。
問題は費用だが、どんなシステムにしても、税金で収めるか、病院に直接払うかの違いしかないと思う。
財政の問題は、もう一つある。 費用対効果のことだが、突き詰めれば、立法と行政の問題にに行き着く。
私の想像するユートピアは、徹底した民主主義が前提だ。 そのような体制の中では、国民の為の行政サービスは当然のこととして行われる。
つまり、国民の選んだ議員が国民(=自分でもある)の為になる医療制度を考え、行政機関が実行する。 国民である議員が決め、国民である公務員が決めたことを実施するのだ。
もう一つは、あらゆる教育は無料にすべきだ。 一番大切なのは教育。 それを無料にすることにより、勉強したい人は、その人の能力に応じて、どんな教育も受けられる様にする。
そうすれば、人材が埋もれることもなくなり、愚かな人が社会的に重要な地位につくこともなくなる。 国が豊かになること確実である。
どんな人にも向き不向きがある。 あらゆる人が自分にあった教育を受け、自分の長所を伸ばすことが出来れば、社会におちこぼれがいなくなる。
教育は若い人の為だけではない。あらゆる年齢層で必要でだ。 社会は変化しているから、新しく必要になる職業もあるし、不必要になる職業もある。 このような社会を維持するためには、失業中の職業教育は欠かせない。
もちろん、必要な教育はそれだけではない、あらゆる状況に対応する教育が必要である。 そして、教育の成果は必ず社会に帰ってくる。
逆に、教育しない結果も社会に悪影響として帰って来くる。 それが余計な負担を社会に強いることになるのだ。
右でもない左でもない極めて単純な話だ。 誰もが必要なものは、誰にも負担してもらい、誰もが受けられるシステムが構築されている社会。
私が夢見るユートピアとは、こんな社会だ。
ユートピア(utopia、理想郷)は、イギリスの思想家トマス・モアが1516年にラテン語で出版した著作、また同書に出てくる国家の名前。「無何有郷」とも。
ユートピアは現実には決して存在しない理想的な社会として描かれ、その意図は現実の社会と対峙させることによって、現実への批判をおこなうことであった。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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だから、ここに書いていることは、私が想像する理想的な世界である。
外国に行ったことのない私が、世界のことを書いても仕方ないと思う。
それで、日本のユートピア化について想像してみた。
日本をユートピアにするには、先ず、医療費を無料にすることだ。 命が惜しくない人はいないと思う。 皆がお医者さんの世話になるなら、皆で医療費をだして、皆で使えばよい。
問題は費用だが、どんなシステムにしても、税金で収めるか、病院に直接払うかの違いしかないと思う。
財政の問題は、もう一つある。 費用対効果のことだが、突き詰めれば、立法と行政の問題にに行き着く。
私の想像するユートピアは、徹底した民主主義が前提だ。 そのような体制の中では、国民の為の行政サービスは当然のこととして行われる。
つまり、国民の選んだ議員が国民(=自分でもある)の為になる医療制度を考え、行政機関が実行する。 国民である議員が決め、国民である公務員が決めたことを実施するのだ。
もう一つは、あらゆる教育は無料にすべきだ。 一番大切なのは教育。 それを無料にすることにより、勉強したい人は、その人の能力に応じて、どんな教育も受けられる様にする。
そうすれば、人材が埋もれることもなくなり、愚かな人が社会的に重要な地位につくこともなくなる。 国が豊かになること確実である。
どんな人にも向き不向きがある。 あらゆる人が自分にあった教育を受け、自分の長所を伸ばすことが出来れば、社会におちこぼれがいなくなる。
教育は若い人の為だけではない。あらゆる年齢層で必要でだ。 社会は変化しているから、新しく必要になる職業もあるし、不必要になる職業もある。 このような社会を維持するためには、失業中の職業教育は欠かせない。
もちろん、必要な教育はそれだけではない、あらゆる状況に対応する教育が必要である。 そして、教育の成果は必ず社会に帰ってくる。
逆に、教育しない結果も社会に悪影響として帰って来くる。 それが余計な負担を社会に強いることになるのだ。
右でもない左でもない極めて単純な話だ。 誰もが必要なものは、誰にも負担してもらい、誰もが受けられるシステムが構築されている社会。
私が夢見るユートピアとは、こんな社会だ。
ユートピア(utopia、理想郷)は、イギリスの思想家トマス・モアが1516年にラテン語で出版した著作、また同書に出てくる国家の名前。「無何有郷」とも。
ユートピアは現実には決して存在しない理想的な社会として描かれ、その意図は現実の社会と対峙させることによって、現実への批判をおこなうことであった。
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料理は芸術かどうかはさておき、食べることは芸術鑑賞とは違う。 グルメよりも、何でも美味しく食べられる人の方が幸せと思うが、どうだろうか。
体調に異常を感じたので、いつも通っている病院で検査を受けた。 診察室にはお医者さんと看護師さん二人がいた。 相変わらず、××値の数値が高い。薬を1日2回飲んでいるのに、許容値ギリギリだ。
「美味しいものを、よく食べているでしょう」
と、パソコン上のデータを見ながら医師は言った。
「美味しいものしか、食べていませんが…」
と答えたら、お医者さんは、こちらを向いて困ったような顔をした。 看護師さん二人が顔を見合わせてクスクス笑いだした。 何かおかしな事を言っただろうか。
医師の質問には正確に答えたつもりだ。 言葉のミスマッチだ。 彼らが描いた「美味しいもの」とは、少し贅沢な世間で美味しいと評価されている食べ物。
一方、私の「美味しいもの」とは、普段食べているもの。 大人は誰もが、美味しいと感じるものだけを食べて生きている。 当たり前のことを言ったまでだ。
こんな場合は、世間でよく言われている美味しいものを思い浮かべて、
「そんなことないのですが…」とか言うのが世慣れた人だが、私は違う。
診察室での医師との受け答えは正確でなければならない。
命を懸けた真剣勝負ではないか!
家に帰って、一部始終をQPに話した。
「アンタ、大袈裟だね~。世間話なんだから適当に答えればいいんだよ」
「世間話などトンデモナイ。診察中ですよ」
「薬をもらいに行っただけじゃない。重病人みたいなこと言うんじゃないよ」
「薬だけ下さいと言ったら断られました」
「だから診察は形式。 世間話でいいの!」

あの有名な鹿鳴館より古い豊平館。ウルトラマリンブルーが美しい。
数人のランチ会で、私より年上の奥様がこう言った。
「男って可哀想だね。女房の出すもの黙って食ってさ、自分の好きなもの食えないんだからね」
そうでない男も多いとは思うが、私にはピッタリと当てはまる話だ。
皆さんは、こんな私を哀れに思うかもしれない。 しかし、いいこともあるのだ。
こんな暮らしを43年も続けていると、好き嫌いがなくなり、何でも美味しく食べられるようになる。 これは健康の為にとても良いことなのだ。
グルメと言われる人よりも、何でも美味しく食べられる私の方が、幸せな人生を送っているのではないだろうか。
「アンタ。 それはちょっと違うよ」。 グルメとは思えないQPが口を挟む。
「何でも、美味しく感じる人の方が幸せと思います」
「本物の味も知らないで、何が幸せなもんですか」
まったく何ていうことを言うんだ。 私と同じものを食べているくせに!
「私は満足しています」
「満足せる豚だね」
「自分を卑下してはいけません」
「アンタみたいにペコペコしてないよ」
豚と豚のエサを作る人とどっちがエライかと言えば、やはり、後者だ。
「すみません。私が間違っていました」
食べることは芸術鑑賞とは違う。 グルメよりも、何でも美味しく食べられる私たちの方が幸せと思うが、どうだろうか。
料理は芸術か?
質問:「料理は芸術」という声をきく。
たかが料理ごときに「芸術」なんぞおこがましくないか?
回答:Yahoo!知恵袋でのベストアンサーはこちらです。
chiebukuro_omoiさん
食べることに楽しみを持てる国は豊かな国なのです。
現在、世界最高峰といわれるのはフレンチか中華です。
中華にしても王宮料理でもなければ高級なものはありません。
フレンチも元をたどればイタリア王室料理です。
お金のある人が突き詰めたものですので芸術と言う名がふさわしいと思います。
朝鮮料理のように芸術とはとてもいえないような料理を見れば
日本料理がいかに美しいかもわかります。
ちなみに、私達のグルメ度水準は以下の程度だ。
「クロマグロなんか食べたことないよね」
「この間、食べたでしょう」
「いつ?」
「黒いのもあったでしょう」
「あれは鰹のタタキですよ」
「マグロもカツオも一緒だよ!」
念の為申し添えるが、ジョークではない。実話である。
美味しいと幸せなブタ満足す 君たちグルメは文句たらたら
体調に異常を感じたので、いつも通っている病院で検査を受けた。 診察室にはお医者さんと看護師さん二人がいた。 相変わらず、××値の数値が高い。薬を1日2回飲んでいるのに、許容値ギリギリだ。
「美味しいものを、よく食べているでしょう」
と、パソコン上のデータを見ながら医師は言った。
「美味しいものしか、食べていませんが…」
と答えたら、お医者さんは、こちらを向いて困ったような顔をした。 看護師さん二人が顔を見合わせてクスクス笑いだした。 何かおかしな事を言っただろうか。
医師の質問には正確に答えたつもりだ。 言葉のミスマッチだ。 彼らが描いた「美味しいもの」とは、少し贅沢な世間で美味しいと評価されている食べ物。
一方、私の「美味しいもの」とは、普段食べているもの。 大人は誰もが、美味しいと感じるものだけを食べて生きている。 当たり前のことを言ったまでだ。
こんな場合は、世間でよく言われている美味しいものを思い浮かべて、
「そんなことないのですが…」とか言うのが世慣れた人だが、私は違う。
診察室での医師との受け答えは正確でなければならない。
命を懸けた真剣勝負ではないか!
家に帰って、一部始終をQPに話した。
「アンタ、大袈裟だね~。世間話なんだから適当に答えればいいんだよ」
「世間話などトンデモナイ。診察中ですよ」
「薬をもらいに行っただけじゃない。重病人みたいなこと言うんじゃないよ」
「薬だけ下さいと言ったら断られました」
「だから診察は形式。 世間話でいいの!」

あの有名な鹿鳴館より古い豊平館。ウルトラマリンブルーが美しい。
数人のランチ会で、私より年上の奥様がこう言った。
「男って可哀想だね。女房の出すもの黙って食ってさ、自分の好きなもの食えないんだからね」
そうでない男も多いとは思うが、私にはピッタリと当てはまる話だ。
皆さんは、こんな私を哀れに思うかもしれない。 しかし、いいこともあるのだ。
こんな暮らしを43年も続けていると、好き嫌いがなくなり、何でも美味しく食べられるようになる。 これは健康の為にとても良いことなのだ。
グルメと言われる人よりも、何でも美味しく食べられる私の方が、幸せな人生を送っているのではないだろうか。
「アンタ。 それはちょっと違うよ」。 グルメとは思えないQPが口を挟む。
「何でも、美味しく感じる人の方が幸せと思います」
「本物の味も知らないで、何が幸せなもんですか」
まったく何ていうことを言うんだ。 私と同じものを食べているくせに!
「私は満足しています」
「満足せる豚だね」
「自分を卑下してはいけません」
「アンタみたいにペコペコしてないよ」
豚と豚のエサを作る人とどっちがエライかと言えば、やはり、後者だ。
「すみません。私が間違っていました」
食べることは芸術鑑賞とは違う。 グルメよりも、何でも美味しく食べられる私たちの方が幸せと思うが、どうだろうか。
料理は芸術か?
質問:「料理は芸術」という声をきく。
たかが料理ごときに「芸術」なんぞおこがましくないか?
回答:Yahoo!知恵袋でのベストアンサーはこちらです。
chiebukuro_omoiさん
食べることに楽しみを持てる国は豊かな国なのです。
現在、世界最高峰といわれるのはフレンチか中華です。
中華にしても王宮料理でもなければ高級なものはありません。
フレンチも元をたどればイタリア王室料理です。
お金のある人が突き詰めたものですので芸術と言う名がふさわしいと思います。
朝鮮料理のように芸術とはとてもいえないような料理を見れば
日本料理がいかに美しいかもわかります。
ちなみに、私達のグルメ度水準は以下の程度だ。
「クロマグロなんか食べたことないよね」
「この間、食べたでしょう」
「いつ?」
「黒いのもあったでしょう」
「あれは鰹のタタキですよ」
「マグロもカツオも一緒だよ!」
念の為申し添えるが、ジョークではない。実話である。
美味しいと幸せなブタ満足す 君たちグルメは文句たらたら
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フラダン ナカパさんのブラックジョーク再来と言う所ですね、笑っちゃったわ、
食べようと思えばだいたいの物は食する事が、出来る私達は、
この上なく幸せ者です、どんな高級料理だって自分の口に合わない
物より美味しく頂ける何時もの食事の方が、私にとってグルメです。
美味しいと感じる手料理を作ってくれるQPさんは、最高のシェフですね、(^o^)丿
朝の食卓「歴史散歩」も最高でした。
こまどり いつもながら 漫才のボケと突っ込みの掛け合いのようで会話が面白いですねー。
料理、食い物、グルメ、美味しいもの、う~~ん、
いろいろあるけれど、美味しいmonoはたまに食べればいいですね。 なんと言っても普段食べている
家庭料理が一番おいしい!
nakapaさんの美味しい物ばかり食べています、も
普段の家庭料理のことなんですよねー、フフフ。
のん子 その検査値はコレステロールではないでしょうか?(^_^;
動物性蛋白、脂肪に多いですから、やはり俗に言われている美味しいものでしょう。
でも言われた医者も困ったでしょうね?(爆)
私も若い頃はその手の物が好きでしたが健康上、避けている内に余り食べたくなくなりました。
私がグルメって思うのは、その土地で採れた新鮮な素材をいかした料理だと思っています。
でも健康を害しては食べたい物も美味しく感じられませんので当分は所謂美味しい物も少な目、運動多目に頑張って下さいませ(^^)/
フラダンさんへ
nakapa いつもコメント有難うございます。
フランス料理から日本料理まで、一流レストランから、コンビニまで、
いろいろな所に、いろいろな料理があります。
この中から自分の好きなものを選ぶのは簡単なことです。
いつも、腹が減ってから食べるので美味しいのです。
たまに外で食べすぎたときは、家では食べません。食べても美味しくないからです。
と、言うわけで美味しいものしか食べていません(笑)。
こまどりさんへ
nakapa 粗衣粗食は昔からですが、退職してからは、まわりの皆さんの影響で、
少しだけお洒落になりました。
長い間、粗衣に馴染んでしまったので、似合わないとは思いますが…。
高級料理は食べたことがないので、食べたいとも思いません。
美味しいラーメンが食べたいです。
もちろん、家庭料理も美味しく頂いています。
のん子さんへ
nakapa 卵、タラコ、筋子など大好きです。ひかえてはいますが…。
幸い他のものも好きです。嫌いなものは無いです。
実は、不味いと思ったものはあったのですが、後で考えると鮮度の問題でした。
そうですね。その土地で採れた新鮮な素材をいかした料理が何よりです。
病気で入院する前のことですが、何を食べても味がしないので困りました。
本当に柔らかい「砂をかむような」な感じでした。 美味しく食べるには健康第一ですね。
コマクサ ある日突然頭痛がおきた、病院に行き診察順番迄待合室で座っている事も出来ず
椅子に横になる。
やっと順番が来た、医者は「10回毎日注射するとよくなりますから辛抱してください」と
痛い注射2本もされ帰宅するが全く食欲は無しそのまま休んだ。
翌日も注射に行くと看護師さんの話し「昨日と随分違う顔ですね」と、この日から私は
消化の良いものであるが美味しく食事が出来る様になりました。
健康であれば何を食べても美味しく感じる様に人間の身体はなっています。
病気になり健康が一番で何でも食出来る事が幸せとnakapaさんの言う通りです。
イチゴとリンゴの館 最後に実話ですと念をしして入るのがnakapa
らしくて面白いですよ・・・
私も美味しいものは食べてないのに数値が高くて
苦労してます。
高齢になると代謝が悪くなるんですよね~
医師に何時も言われてますよ「美味しいもの食べすぎ」って(*^。^*)
コマクサさんへ
nakapa 大変な目に遭いましたね。病気になると食欲がなくなります。
それを思うと、健康で何でも味わえることは幸せです。
私も病気のときは、味が何にもないのに苦労しました。
薄いお粥を飲んで梅干だけの食事にしました。他のものは喉をとおりません。
そうなると、グルメかどうかなど、どうでもよくなりますね。
イチゴとリンゴの館さんへ
nakapa ホントにホントですよ。私もビックリです。
今更、マグロとカツオが一緒だといわれてもね。ただ、驚くだけですよ。
しかも、黒いからクロマグと言われても、何もいえません。
残念ながら、話題のクロマグロ食べたことありません。みんな赤です。
ラジオを聴いていたらこんなことを言っていた。
「シニア年齢になったら、今までやったことのないことをやった方がよい」
新しいことは脳を刺激すると言うのだ。 なるほどと思った。
だが、刺激になったかどうかは、私には分からない。 3年ほど前から駄文を書いてはブログに発表している。 これは私にとって初めての経験。
確かに刺激にはなったが、脳までは行ってないようだ。
相変わらず脳はそのままジッとしていて、さっぱり回転しない。
思い起こしてみれば、引越しの時もそうだった。
「ボケッと座ってないで運んでよ」。 相変わらずQPはやかましい。
「何を捨てるか考えているのです」
「下手な考え休むに似たり。 働かなきゃダメ!」
「あなたは何も考えないで、私の大切なネガを捨てましたね」
「あんなの写真のカスじゃない!」
引越しと文章を書くことは、似たところがある。 捨てたくないものを捨てなければならないし、私の意志に反して勝手に捨てられるものもある。 新聞社に送った原稿も「デスクする」と称して、捨てられる部分もある。
引越しのときは大型テレビを捨てたり、好きな本を捨てたり、ホントに辛い思いをした。 文章もそうだ。 読んでもらおうと思うなら、こまめに、あるいはバッサリと捨てなければならない。
「捨てることは本当に難しいですね」
「簡単でしょう。燃やせるゴミ、燃やせないゴミ…」
「文章のことですよ」
「文書は『雑がみ』だよ。まだ覚えてないの!」

中島公園菖蒲池。パークホテル11階なだ万から5月5日撮影。
新聞、テレビ等のマスメディアの場合は、一体どういう基準で捨てているのだろうか。 記事になるニュースより捨てるニュースの方が圧倒的に多いはずだ。
「最低でも県外移設と言ってましたが、ダメなようですね」
「勉強したら分かったんだって。 『愚か者でした』と言ってたよ」
米軍普天間飛行場の移設先についての鳩山首相の発言は、信じ難いほどフラフラしている。 こんなときはいつも思う。 迷走に見えるけれど本当だろうか。
報道されていることが事実なら、ただのボンクラではないか。
そんなことは信じられない。 日本国の最高指導者だから、優秀な人しかなれないはずだ。鳩山ブレーンだっているだろう。 それらを全部ひっくるめてボンクラとは信じ難い。 幻の腹案もあったに違いない。
しかし、マスメディアの報道から判断すると、鳩山首相が選挙だけしか考えないボンクラに見えてくる。 首相非難一色で肝心な普天間移設問題が雲散霧消している。 鳩山案がダメなのは分かったが、代案が一向に見えてこない。
善意に解釈すれば、鳩山さんは苦難の道を歩んだ沖縄の人たちの為に、何かしたかったのだろう。 しかし、何も出来ず指導力の無さだけが浮き彫りにされた。
「沖縄戦では10万人以上の沖縄県民が犠牲になりました。 もし、そこに日本の軍隊がいなかったら、どうでしょう?」
「そんな昔のことを言ったって始まらないよ」
「それでは、戦後の話ですが、砂川闘争、内灘闘争など日本国内の基地反対運動がありましたね」
「うん、子供のころだけど覚えているよ」
「日本の基地反対運動は一定の成果を収めましたが、撤収した基地はどこへ行ったと思いますか?」
「そんなこと関係ないよ」
「沖縄に行ってしまったとしたら、どう思いますか?」
「そんな昔のこと知らないよ」
日本国内の基地を失ったアメリカは、当時占領下にあった沖縄の土地を接収したと聞いている。 その結果、在日米軍専用施設面積の約75%が沖縄に集中することになったと言う人もいる。
これは本当だろうか? もし本当だとすると、本土の基地反対闘争が沖縄の基地を増やしたことになる。
流されるニュースはほんの僅かで、捨てられるニュースの方が圧倒的に多い。
取捨選択となれば選ぶ人の恣意が入るかも知れない。
不都合なニュースだけでなく、不都合な歴史も捨てられて行く。
私のような情報を新聞、テレビ等のマスメディアだけに頼っている人は、一体どうやって本当のことを知ればよいのだろうか。
私にとっての大発見!
私が運営するホームページ「中島パフェ」のことですが、
Yahoo!検索で「中島」の検索結果が、なんと1億2千7百万件の内、9位に!
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ただし、2010年5月9日の順位です。いずれ下がるでしょう。
「シニア年齢になったら、今までやったことのないことをやった方がよい」
新しいことは脳を刺激すると言うのだ。 なるほどと思った。
だが、刺激になったかどうかは、私には分からない。 3年ほど前から駄文を書いてはブログに発表している。 これは私にとって初めての経験。
確かに刺激にはなったが、脳までは行ってないようだ。
相変わらず脳はそのままジッとしていて、さっぱり回転しない。
思い起こしてみれば、引越しの時もそうだった。
「ボケッと座ってないで運んでよ」。 相変わらずQPはやかましい。
「何を捨てるか考えているのです」
「下手な考え休むに似たり。 働かなきゃダメ!」
「あなたは何も考えないで、私の大切なネガを捨てましたね」
「あんなの写真のカスじゃない!」
引越しと文章を書くことは、似たところがある。 捨てたくないものを捨てなければならないし、私の意志に反して勝手に捨てられるものもある。 新聞社に送った原稿も「デスクする」と称して、捨てられる部分もある。
引越しのときは大型テレビを捨てたり、好きな本を捨てたり、ホントに辛い思いをした。 文章もそうだ。 読んでもらおうと思うなら、こまめに、あるいはバッサリと捨てなければならない。
「捨てることは本当に難しいですね」
「簡単でしょう。燃やせるゴミ、燃やせないゴミ…」
「文章のことですよ」
「文書は『雑がみ』だよ。まだ覚えてないの!」

中島公園菖蒲池。パークホテル11階なだ万から5月5日撮影。
新聞、テレビ等のマスメディアの場合は、一体どういう基準で捨てているのだろうか。 記事になるニュースより捨てるニュースの方が圧倒的に多いはずだ。
「最低でも県外移設と言ってましたが、ダメなようですね」
「勉強したら分かったんだって。 『愚か者でした』と言ってたよ」
米軍普天間飛行場の移設先についての鳩山首相の発言は、信じ難いほどフラフラしている。 こんなときはいつも思う。 迷走に見えるけれど本当だろうか。
報道されていることが事実なら、ただのボンクラではないか。
そんなことは信じられない。 日本国の最高指導者だから、優秀な人しかなれないはずだ。鳩山ブレーンだっているだろう。 それらを全部ひっくるめてボンクラとは信じ難い。 幻の腹案もあったに違いない。
しかし、マスメディアの報道から判断すると、鳩山首相が選挙だけしか考えないボンクラに見えてくる。 首相非難一色で肝心な普天間移設問題が雲散霧消している。 鳩山案がダメなのは分かったが、代案が一向に見えてこない。
善意に解釈すれば、鳩山さんは苦難の道を歩んだ沖縄の人たちの為に、何かしたかったのだろう。 しかし、何も出来ず指導力の無さだけが浮き彫りにされた。
「沖縄戦では10万人以上の沖縄県民が犠牲になりました。 もし、そこに日本の軍隊がいなかったら、どうでしょう?」
「そんな昔のことを言ったって始まらないよ」
「それでは、戦後の話ですが、砂川闘争、内灘闘争など日本国内の基地反対運動がありましたね」
「うん、子供のころだけど覚えているよ」
「日本の基地反対運動は一定の成果を収めましたが、撤収した基地はどこへ行ったと思いますか?」
「そんなこと関係ないよ」
「沖縄に行ってしまったとしたら、どう思いますか?」
「そんな昔のこと知らないよ」
日本国内の基地を失ったアメリカは、当時占領下にあった沖縄の土地を接収したと聞いている。 その結果、在日米軍専用施設面積の約75%が沖縄に集中することになったと言う人もいる。
これは本当だろうか? もし本当だとすると、本土の基地反対闘争が沖縄の基地を増やしたことになる。
流されるニュースはほんの僅かで、捨てられるニュースの方が圧倒的に多い。
取捨選択となれば選ぶ人の恣意が入るかも知れない。
不都合なニュースだけでなく、不都合な歴史も捨てられて行く。
私のような情報を新聞、テレビ等のマスメディアだけに頼っている人は、一体どうやって本当のことを知ればよいのだろうか。
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ただし、2010年5月9日の順位です。いずれ下がるでしょう。
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フラダン ナカパさん家のゴミ問題には笑えました。
「文書は『雑がみ』だよ。まだ覚えてないの!」には(笑)
でも深刻な今話題の問題に、笑っていられませんね、
情報を新聞やテレビ等のマスメディアだけに頼っているのは、
ナカパさんだけではありません、殆どの方がきっとそうだと思うわ
それだけに何が真実なのか、、、?なんだか怖い物を感じますネ、
沖縄の普天間基地問題
匿名希望のH 昨日の「報道特集」をご覧になった方も多いと思います。久間元防衛庁長官が、徳之島の土地を先行取得していた事、小沢民主党幹事長が、平成17年、辺野古から9Kmの所に1,500坪(推定5,500万円)の土地を取得していた事。
普天間の移転先情報を入手した上での投機目的で購入したとしか考えられません。ここにきて実現の可否は不透明ですが・・・。
(アメリカの後悔)
旧ソビエトは千島列島を日本に返還しなかった。アメリカも戦利品の沖縄を日本に返還したのが間違いだった!と思ってる米軍高官もいる事でしょう。
のん子 元々は日米安保は必要ありやなしやから考えなければ解決は難しいのでは?
で、必要有りなら結局現行のままと言うことに。
言い方は悪いですが寝た子を起こしたと言うことに?
必要なしなら、憲法改正、自衛隊を強化して自衛しないとヤバイでしょう(北朝鮮の体制が崩壊しない限り)
国のリーダーは性格の良い?八方美人の必要は有りません。
小憎たらしい位自分の意見(日本のためになる)を持っている人、マスコミをも牛耳る人・・・じゃ誰?と言われても迷いますが(^_^;
ドル札使用
holoholom 沖縄がアメリカ領地の頃基地内の仕事で10日ほど滞在しました
当然街中でもドル札を使用します
後に返還されましたが、基地があるために生活が出来た人がほとんどでしょう
今でも、大なり小なりその様な人がいる事は確かです
どんな心境でこの問題を受け取っているやら
「あちらを立てれば、こちらが立たず」
よくあることですね
フラダン さんへ
nakapa 新しいゴミの分別には、苦労しました。CD、DVDが燃やせるコミですからね。
燃えるとは思いますが、燃やしたことも、燃やしたいと思ったこともありません。
カツラも財布、雛人形も燃やせるゴミですね。
アイスクリームのカップ、紙皿なども、洗ってきれいにすれば雑がみで無料ですが、
徹底し難いので有料の「燃やせるゴミ」にした方がいいと思います。
いろいろ問題ありますが、身近な問題が気になります。
匿名希望のHさんへ
nakapa 人が苦しんでいることを、投機で儲けようとは呆れてしまいますね。
一体、どうゆうつもりなのでしょうか。話を聞いて唖然としました。
冷戦時代の戦略は、対ソ連が中心でした。北海道も戦略上の重要拠点で、
稚内、当別、千歳、津軽海峡と、更に本州、九州、沖縄までの線でした。
冷戦後に事情が変わり、北朝鮮、台湾海峡、はるか遠くの中東へと、
米軍の戦略が変わってしまいました。
アメリカも後悔。 日本もそろそろ、アメリカ離れする時期ではないでしょうか。
のん子さんへ
nakapa >元々は日米安保は必要ありやなしやから考えなければ解決は難しいのでは?
↑
全く同感。その通りと思います。そのへんの議論なしに解決は出来ないと思います。
日米安保問題を横に置いて何かを決定しても、問題の先送りになるだけです。
先にやるべきことが、何もなされていません。議論も、一部でなされているだけ、
それも、相互に批判しあっているだけで、国民的議論に達していません。
どうしで、こうなったのでしょうね? 最重要課題が置き去りです。
holoholom さんへ
nakapa 施政権が返還される前の沖縄に行ったのですか。
基地内はきれいで夢の世界ですね。多分。
民間管制の仕事も、最初は米軍から引き継いだので、
基地には馴染みがあります。
ブールの水がきれいで、大きな図書館がきれい、
芝生のグリーンが印象的、
安月給の私からみれば、夢の世界のようでした。
基地で働く日本人は収入もよかったです。
イチゴとリンゴの館 文書は「雑紙」・・・う~ん必要の無い人にとって見ればなるほど~そうですよね~^^分かります。
昨今の基地移転の問題は何処に移転しても何処か
犠牲になる。鳩山さんも大変だわ・・・
旅子 やったことのないことを
そういわれてもね~(笑い)
一番やりたいこと、それはマンション暮らしです。
でも、今は無理。
次には・・・・ちょっと思いつきません。
普天間の問題は皆さんが仰るようにばば抜きと同じで最後のばばはどこに???
テレビを観ていたら、「ガラス拭き日本一」の人が出ていた。 高層ビルのガラスを拭いている姿が映っている。 世界大会もあるらしい。
「あなたの日本一は何ですか?」
「あるわけないでしょ」
「身近なことでもいいのですよ」
「うーん、あった。 同じメンバーで麻雀を40年!」
「ダメです。50年の人もいるかもしれません」
「アンタこそ何にもないでしょ」
「ありますよ。あなたと話した量が日本一です」
「そんなこと言ったらいくらでもあるよ。アンタに食べさせたご飯の量日本一。
してあげた洗濯日本一。掃除でもアイロンかけでも、アンタの面倒なら何でも日本一、ありすぎて勘定できないよ」
「そうですね。長い間お世話になりました」
「家出するの? 気にしなくていいんだよ」
「ちょっと、トイレです」

中島公園、菖蒲池越しに観えるのは、札幌の父なる藻岩山、3月2日撮影。
私は一人ひとりが、日本一であり、世界一と思っている。
「ナンバーワンよりオンリーワン」と言われるけれど、真実は全ての人がナンバーワンということだ。
「それじゃあ、船頭が多すぎて、何もできないよ」
「ですから、一人一票で、『この国の舵取り』を選んでいるのです」
小学校の社会科みたいのことを、「何を今更」と思うかも知れない。
しかし現実は、国民自身が主権者であることを、忘れているようにも見える。
外出する時の財布、あるいは友人との約束を忘れない人が、なぜ「主権者」であることを、いとも簡単に忘れるのだろうか?
誰もが不思議に思うことの裏には、必ずタネも仕掛けもあるものだ。
私のように情報収集のほとんどを新聞とテレビに頼っている人は多いと思う。
考えようによっては、出来上がった芝居を観客席から観ているようなものだ。
なぜかというと、事実そのものを観てはいない。 マスメディアにより、取捨選択し整理されたものを観ているだけだ。
民主主義国日本では、一人ひとりが思想的にはナンバーワンの筈だ。
しかし、現在は情報社会。情報的にはどうだろうか。
「情報はホンノ一部の支配者に握られています」
「支配者ってだれ?」
「王様は居ないし、首相かな? 複雑過ぎて分かりません」
「誰が知ってるの?」
「支配者の一部でしょう」
「一部?」
「支配者の中にも戦いがあるから全部は分かりません。秘密もあります」
「戦い?」
「戦いに勝つためには『風を吹かすか』とか言って、マスメディアに情報を流すことがあります。それがリークです」
「支配者」は情報を握り、選択し、ときには情報を操作するので、ホントのことが、ますます分かり難くなっている。
情報としての記事そのものも大切と思うが、何とか行間を読んで、書かれなかった事実を、推察してみることも大切と思う。
「清き一票ですから、有効に使いましょう」
「もちろんよ」
「それには、日頃から、どのようにニュースに接するかを、考えることも必要です」
「私は毎日、新聞読んでいるし、テレビのニュースも必ず観てるよ」
「誰がどんな目的でニュースを流しているか、考える必要もありますね」
「誰がって言うことないでしょ。新聞社やテレビ局に決まっているじゃない」
「新聞社やテレビ局って誰ですか?」
「真実を報道する人たちだよ。 皆で協力して報道しているんだから、誰でもないの!」
「そのニュースによって、誰が得するかを考える必要もありますね」
「アンタ、推理小説の読みすぎじゃない。マスコミは中立なんだよ」
「あなたの日本一は何ですか?」
「あるわけないでしょ」
「身近なことでもいいのですよ」
「うーん、あった。 同じメンバーで麻雀を40年!」
「ダメです。50年の人もいるかもしれません」
「アンタこそ何にもないでしょ」
「ありますよ。あなたと話した量が日本一です」
「そんなこと言ったらいくらでもあるよ。アンタに食べさせたご飯の量日本一。
してあげた洗濯日本一。掃除でもアイロンかけでも、アンタの面倒なら何でも日本一、ありすぎて勘定できないよ」
「そうですね。長い間お世話になりました」
「家出するの? 気にしなくていいんだよ」
「ちょっと、トイレです」

中島公園、菖蒲池越しに観えるのは、札幌の父なる藻岩山、3月2日撮影。
私は一人ひとりが、日本一であり、世界一と思っている。
「ナンバーワンよりオンリーワン」と言われるけれど、真実は全ての人がナンバーワンということだ。
「それじゃあ、船頭が多すぎて、何もできないよ」
「ですから、一人一票で、『この国の舵取り』を選んでいるのです」
小学校の社会科みたいのことを、「何を今更」と思うかも知れない。
しかし現実は、国民自身が主権者であることを、忘れているようにも見える。
外出する時の財布、あるいは友人との約束を忘れない人が、なぜ「主権者」であることを、いとも簡単に忘れるのだろうか?
誰もが不思議に思うことの裏には、必ずタネも仕掛けもあるものだ。
私のように情報収集のほとんどを新聞とテレビに頼っている人は多いと思う。
考えようによっては、出来上がった芝居を観客席から観ているようなものだ。
なぜかというと、事実そのものを観てはいない。 マスメディアにより、取捨選択し整理されたものを観ているだけだ。
民主主義国日本では、一人ひとりが思想的にはナンバーワンの筈だ。
しかし、現在は情報社会。情報的にはどうだろうか。
「情報はホンノ一部の支配者に握られています」
「支配者ってだれ?」
「王様は居ないし、首相かな? 複雑過ぎて分かりません」
「誰が知ってるの?」
「支配者の一部でしょう」
「一部?」
「支配者の中にも戦いがあるから全部は分かりません。秘密もあります」
「戦い?」
「戦いに勝つためには『風を吹かすか』とか言って、マスメディアに情報を流すことがあります。それがリークです」
「支配者」は情報を握り、選択し、ときには情報を操作するので、ホントのことが、ますます分かり難くなっている。
情報としての記事そのものも大切と思うが、何とか行間を読んで、書かれなかった事実を、推察してみることも大切と思う。
「清き一票ですから、有効に使いましょう」
「もちろんよ」
「それには、日頃から、どのようにニュースに接するかを、考えることも必要です」
「私は毎日、新聞読んでいるし、テレビのニュースも必ず観てるよ」
「誰がどんな目的でニュースを流しているか、考える必要もありますね」
「誰がって言うことないでしょ。新聞社やテレビ局に決まっているじゃない」
「新聞社やテレビ局って誰ですか?」
「真実を報道する人たちだよ。 皆で協力して報道しているんだから、誰でもないの!」
「そのニュースによって、誰が得するかを考える必要もありますね」
「アンタ、推理小説の読みすぎじゃない。マスコミは中立なんだよ」
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ちゃちゃ nakapa さん、
夫婦二人がお互いにとっての「ナンバーワン」であり、「オンリーワン」でもある。いいですね。
一人ひとりの存在はそれだけで、「ナンバーワン」であり、「オンリーワン」であるっていうことでしょうかねえ。
いつも読んでいます
はるママ 今日の映画はグラジュエーターでした。消そうとしたらコロセウムの場面で、150日もこんな試合が続いている、「国民の目をそらせば、自由を盗んでも気がつかない」と言っていました。
盗まれたら、ナンバーワンから転げ落ちるのでしょうか?
ちゃちゃさんへ
nakapa そうです、そうです。
後ろの方ですが…、 一人ひとりの存在がナンバーワンと思っています。
走るのが一番という意味でなく、人間としてナンバーワンと思っています。
はるママ さんへ
nakapa グラジュエーターは、私も好きな映画です。
「国民の目をそらせば、自由を盗んでも気がつかない」
まさに、その通りでしょうね。国を治めるのも楽じゃないです。
>盗まれたら、ナンバーワンから転げ落ちるのでしょうか?
盗まれたと思わせないのが、最高のテクニックと思います。
転げ落ちたと思った人は、這い上がって来ます。それを押さえるのは大変な仕事です。
歴史ものの映画などから教わることは多いですね。
現代がどんな時代か分かったころには、私達の方が人生劇場から退場しています。
のん子 私も以前はQPさんと全く同じ考えでした
最近、やっとマスコミは視聴率に踊らされて報道してるって。
地味な面白くないことは報道しないって解りました
民主ももう目新しいことでなくなって第3の勢力に
光を当てようとしています
でも良さそうかも?と思ってしまう私がいます(笑)
イチゴとリンゴの館 「そうですね。長い間お世話になりました」
「家出するの? 気にしなくていいんだよ」
「ちょっと、トイレです」
この会話 とても印象に残りました(^○^)
ナンバーワンにオンリーワンですか・・・
面白い会話でした
のん子さんへ
nakapa そうですね。政治状況は混沌としています。
楽観的に考えると、小党乱立でも、連立、連立で、何とかやってくれると思います。
そうでなければ、おしまいですからね。
マスコミはスポンサーと読者のバランスを取るのが大変と思います。
どちらに向けるかは、読者の力と前向きに捉えています。
イチゴとリンゴの館さんへ
nakapa よくぞ、会話に注目して下さいました。
QPの優しさに、ちょっとだけ触れさせてもらいました。
日頃の罪滅ぼしのつもりです。
ちょっとだけ、肩の荷が下りました。 有難うございます。
mitchi-jul 確かに日常の情報収集は、マス・メディァに頼っていますね。
そのマス・メディァも常に読者&視聴者の反応に左右されながら
校正しているのでしょうか?
mitchi-julさんへ
nakapa そうですね。新聞なら購読者の反応は大いに気になると思います。
それと、もう一つは広告主(スポンサー)ですね。
経営は苦しくなっているので、記事を載せるときでも意識しざるを得ないと思います。
私達、購読者が良い反応を示すことで、新聞を育てることが大切と思っています。
「猿、犬、豚が屁をたれた。 どれが一番臭いか?」
トンチで答えろと言われたが分からない。 答えは猿だという。
「猿のはくせえ」→「猿の惑星」。 当時ヒットした映画のタイトルだ。 この映画のユニークな点は、猿が支配する世界があり、人間は猿の奴隷という設定である。
映画を観ていると、だんだん猿が普通に見えてきて、人間が動物のように見えてくるから不思議だ。
美人だの、いい男とか言っているが、結局は「慣れの問題」かなと思わせてくれる作品だ。 私にとっては、とても有難い映画である。
ところで、全亭協(全国亭主関白協会)「愛の三原則」をご存知だろうか。
・「ありがとう」をためらわずに言おう
・「ごめんなさい」を恐れずに言おう
・「愛してる」を照れずに言おう
私は既に、「ありがとう」と「ごめんなさい」はクリアした。 問題は「愛してる」だ。 言おうと思えば簡単に言えるが、QPが許さない。
「どうして、愛してると言ってはいけないのですか」
「そういうことをアンタが言っても似合わないの」
「全亭協の調べでは、奥様が一番聞きたい言葉だそうですよ」
「アタシャ聞きたくないね。アンタ聞きたいの?」
「そうでもないですね」
珍しく意見が一致した。しかし、こんなことで一致しても悲しい。 やはり、ドラマの世界は美しい。「愛してる」とか言っても似合う人が演じているからだ。
「また、変なこと考えているんだね」
「分かりますか」
「まさか『愛してる』と言っても似合う人に、どうしたらなれるかとか…」
「実はそうなのです。 『猿の惑星』がヒントになりました」
「臭い話は、もうたくさんだよ」
映画『猿の惑星』の中では「愛してる」とか「君を抱きしめたい」とか言っているのは猿だった。 人間は檻のなかで「ウォー」とか叫んでいるだけだ。
こんな映画を観て1時間もたつと、自分が猿になったような気がしてきた。
そして、人間が動物の一種に見えてきたのだ。

おいおい、そこは立入禁止だぞ! ニャンとか言え!! (中島公園菖蒲池)
「文化とは模倣、もの真似こそ創造性の源と思うのです」
「また、屁理屈言って。恥かくのは自分なんだよ」
「私たちは欧米文化の真似をしているだけではないでしょうか」
「欧米文化なんてあるの」
「ワカリマセン。あるといいですね。ひと纏めにして…」
終戦直後、東京の焼跡で育った私にとって欧米、特にアメリカは夢の世界。 洋画を観るのが大好きだった。 邦画は貧乏臭いと思って敬遠した。
その後、洋画の影響を強く受けている日活アクション路線に切替えた。
石原裕次郎の、「夜霧よ今夜も有難う」は「カサブランカ」の邦画版。
小林旭の「渡り鳥シリーズ」は「シェーン」。
赤木圭一郎の「霧笛が俺を呼んでいる」は「第三の男」にそっくりだ。
繰り返しになるが、こうゆう状況の中で、「愛してる」と言って似合う人のイメージが、私の頭の中で固まってきたのだ。
だから、私たち二人が、お互いに「愛してる」と抵抗なく言えるようになるには、 条件整備が必要だ。
例えば、QPをヒロインにして、私がヒーローになる恋愛映画を作って、3年くらい大ヒットさせる。
そうすれば、数え切れないほどの人々が、私たちが演ずるラブシーンを観ることになる。 そして、慣れてしまえば、それが恋愛シーンのスタンダードとなるだろう。 「猿の惑星」を観て、私はこう確信した。
「アンタとラブシーンなんて嫌だよ。皆に笑われるから」
「気味が悪いかもしれませんね。まあ、それはそれとして…」
「…別にならないよ!」
「…照れずに愛してると言えるようになれるんですよ」
「バカバカしい」
「それだけじゃないですよ。服装や歩き方、髪型も真似されるんです。私たちは人気スターなんですから」
「ヘアースタイルなんか、真似できるわけないじゃない」
「いいですか。その時の私は、世界の大スターなのですよ」
「へ~、そりゃよござんしたね」
「そうなれば、流行も作れるのです!」
「一体なにを流行らせたいの」
「日本古来の伝統的な髪型です」
「チョンマゲね~。そこまで思いつめてんだ。アタシなんとも思ってないからね」
トンチで答えろと言われたが分からない。 答えは猿だという。
「猿のはくせえ」→「猿の惑星」。 当時ヒットした映画のタイトルだ。 この映画のユニークな点は、猿が支配する世界があり、人間は猿の奴隷という設定である。
映画を観ていると、だんだん猿が普通に見えてきて、人間が動物のように見えてくるから不思議だ。
美人だの、いい男とか言っているが、結局は「慣れの問題」かなと思わせてくれる作品だ。 私にとっては、とても有難い映画である。
ところで、全亭協(全国亭主関白協会)「愛の三原則」をご存知だろうか。
・「ありがとう」をためらわずに言おう
・「ごめんなさい」を恐れずに言おう
・「愛してる」を照れずに言おう
私は既に、「ありがとう」と「ごめんなさい」はクリアした。 問題は「愛してる」だ。 言おうと思えば簡単に言えるが、QPが許さない。
「どうして、愛してると言ってはいけないのですか」
「そういうことをアンタが言っても似合わないの」
「全亭協の調べでは、奥様が一番聞きたい言葉だそうですよ」
「アタシャ聞きたくないね。アンタ聞きたいの?」
「そうでもないですね」
珍しく意見が一致した。しかし、こんなことで一致しても悲しい。 やはり、ドラマの世界は美しい。「愛してる」とか言っても似合う人が演じているからだ。
「また、変なこと考えているんだね」
「分かりますか」
「まさか『愛してる』と言っても似合う人に、どうしたらなれるかとか…」
「実はそうなのです。 『猿の惑星』がヒントになりました」
「臭い話は、もうたくさんだよ」
映画『猿の惑星』の中では「愛してる」とか「君を抱きしめたい」とか言っているのは猿だった。 人間は檻のなかで「ウォー」とか叫んでいるだけだ。
こんな映画を観て1時間もたつと、自分が猿になったような気がしてきた。
そして、人間が動物の一種に見えてきたのだ。

おいおい、そこは立入禁止だぞ! ニャンとか言え!! (中島公園菖蒲池)
「文化とは模倣、もの真似こそ創造性の源と思うのです」
「また、屁理屈言って。恥かくのは自分なんだよ」
「私たちは欧米文化の真似をしているだけではないでしょうか」
「欧米文化なんてあるの」
「ワカリマセン。あるといいですね。ひと纏めにして…」
終戦直後、東京の焼跡で育った私にとって欧米、特にアメリカは夢の世界。 洋画を観るのが大好きだった。 邦画は貧乏臭いと思って敬遠した。
その後、洋画の影響を強く受けている日活アクション路線に切替えた。
石原裕次郎の、「夜霧よ今夜も有難う」は「カサブランカ」の邦画版。
小林旭の「渡り鳥シリーズ」は「シェーン」。
赤木圭一郎の「霧笛が俺を呼んでいる」は「第三の男」にそっくりだ。
繰り返しになるが、こうゆう状況の中で、「愛してる」と言って似合う人のイメージが、私の頭の中で固まってきたのだ。
だから、私たち二人が、お互いに「愛してる」と抵抗なく言えるようになるには、 条件整備が必要だ。
例えば、QPをヒロインにして、私がヒーローになる恋愛映画を作って、3年くらい大ヒットさせる。
そうすれば、数え切れないほどの人々が、私たちが演ずるラブシーンを観ることになる。 そして、慣れてしまえば、それが恋愛シーンのスタンダードとなるだろう。 「猿の惑星」を観て、私はこう確信した。
「アンタとラブシーンなんて嫌だよ。皆に笑われるから」
「気味が悪いかもしれませんね。まあ、それはそれとして…」
「…別にならないよ!」
「…照れずに愛してると言えるようになれるんですよ」
「バカバカしい」
「それだけじゃないですよ。服装や歩き方、髪型も真似されるんです。私たちは人気スターなんですから」
「ヘアースタイルなんか、真似できるわけないじゃない」
「いいですか。その時の私は、世界の大スターなのですよ」
「へ~、そりゃよござんしたね」
「そうなれば、流行も作れるのです!」
「一体なにを流行らせたいの」
「日本古来の伝統的な髪型です」
「チョンマゲね~。そこまで思いつめてんだ。アタシなんとも思ってないからね」
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ちゃちゃ なかぱさま、
「猿の惑星」のラスト・シーンは衝撃的でした。そのときのことはよく覚えています。
「愛してる」なんて長いこと囁かれたことがありません。もしかしたら、長いことじゃなくて、一度もないかもしれません。
そして、本当にアメリカは憧れの国でした。FENを聴いてはどんな音楽が流行っているのかと友達同士で情報交換などしていました。今でも憧れているのかもしれません。1弗が360円から98円になっても、私にとってはアメリカは憧れの国です。
イチゴとリンゴの館 愛してる~^^ですか~
夫婦間ではちょっと無理でしょうね・・・
でも外国映画みたいに毎日言われも飽きてきますよ
ね~
せめてテレビが映画の世界で充分ですね(^_-)-☆
のん子 大阪人としては愛してるは男女共言えないと思います(^^ゞ
せいぜい、好きやで~位でしょうか?
アメリカの女性優先に憧れていたのですが、実際は夫が財布の実権を握っていると解ってがっかりしたことがあります
言動では優しくなくても心の中での優しさが解れば良いかな?(^_-)-☆
コマクサ 「愛の三原則」私なら毎日でも言ってほしいですね。
三原則の中で一つも言ってくれない人もいるのですよ。
nakapa さんは残り一つ「愛してるよ」クリアしてください。
しかしタイミングがありますから、考えてね。
今日も面白いエッセイに笑ってしまいました、ありがとう!
フラダン ナカパさんの発想が面白くて笑ってしまいました、
愛は感じるものです!チョット臭いね!(笑い)
でも、、どんなに素敵な言葉を並べられても、感じる物が
無ければ、伝わりませんね、、、
こまどり ・・・「人間は檻のなかで「ウォー」とか叫んでいるだけだ。」 この映画は観てないので、なんだかわからないけれど、ぜーんぶ可笑しくておかして。
ほんと、我々は叫んでいるだけみたい。
QPさんとの会話おもしろいねー。
愛の表現ね、う~ん、みんな照れくさくて言えないんだよねー。
今朝も海老ぞうさんと真央さんのラブラブ婚約会見みていて、新鮮でとてもいい感じがしました。でも
夫婦も何十年たつとこれが私たちのようになるんですよねー。
ちゃちゃさんへ
nakapa ホントに衝撃的なラストシーンでした。今でも覚えています。
はい、アメリカは夢の国でした。日本人でもFENを聞いている人は多かったですね。
私は英語もろくろく分からないのに聞いていました。
今なら笑い話ですが、far east network が、どうしてもfar east ナポリとしか
聞こえないのです。 ナポリからみて極東かと思っていました。
イチゴとリンゴの館さんへ
nakapa そうですね。飽きるでしょうね。
あななに好きな たい焼きでも5つ目には飽きました。
一つくらい、実現不可能なものを入れて、「愛の三原則」の値打ちを高めようと、
しているのだと思います。
mitchi-jul QPさんは、軽々しく「愛しているょ!」は云わないでほしい・・のでしょう。
でも「愛の三原則」は否定なさらないのでは・・。
「親しき仲にも礼儀あり。」が念頭にありますと
失敗も少なく過ごせるように思います。
のん子さんへ
nakapa 札幌人は大阪人と同じです。少なくとも同年輩では。 若人はどうなのでしょう。
憧れのアメリカ人は、財布を握って離さない人ですか。夢やぶれますね。
やはり、仰るように言葉より心です。
私は貧乏だったが、高度成長のお陰で、憧れの中流になれた。
しかし、「貧乏症」は不治の病、いまだに完治していない。
これを治す一番いい薬は「お金持ち気分」である。
よく「病気は気から」というではないか。
「今日からは、お金持ちの気分で生きたいと思います」
「気分だけだよ。 お金、使っちゃあ絶対ダメだからね」
おやっ? QPも貧乏症に罹っている。貧乏はうつると聞いていたが本当だ。
「それはさておき、高福祉高負担についてどう思いますか?」
「いいじゃない、老後を安心して暮らせるんだから」
「私はお金持ちですから、高負担に反対です」
「お金持ちでも、福祉は受けられるんだよ」
「そんなものいりません」
「そうだね。お金持ちなら保険だって好きなだけ入れるしね」
「せっかく、努力してお金持ちになったのに、税金とか言って貧乏人に盗られちゃうのは嫌です。 小さな政府が大好きです」
福祉を自前で出来るお金持ちにとって、高福祉・高負担とは単なる高負担。 反対するのは当たり前だと思う。
博愛主義、人類皆兄弟、鳩山首相なら「友愛」等の気持ちもあるだろう。
いずれにしろ、お金持ちにとって福祉とは、与えるだけのものであって、受けるものは何もない。
一方、貧乏人にとっての「高福祉・高負担」はどうだろう。
負担は殆どゼロで、質の高い福祉を受けられるのだから、こんないい話はない。
しかし、現実はそのように受け取られていないのは、なぜだろう?

ノボテル札幌24階「和乃八窓庵」より望む中島公園、1月16日撮影。
ところで、QPに買物を頼まれたので、行ってきた。
「パン買って来ました。これお釣りです」
「少ないじゃない。何でつり銭ごまかすのよ!」
「お駄賃です」
「アンタ、お金持ちでしょ」
「あれはもう止めました。気分だけでは虚しいですから」
この世に「貧乏党」と「金持ち党」があって、選挙をしたとする。 圧倒的多数で貧乏党が勝つだろう。しかし、現実は違う。
もちろん、その公約は、高福祉・高負担の実施。 財源はお金持ちの稼ぎと財産にかける税金である。
「そんなことしたら、優良企業や優秀な人材が海外に逃げちゃうよ」とQP。
「大丈夫ですよ。エライ人は愛国心がありますから」
「愛国心があるって誰が言ったの?」
「エライ人です」
「そう…? 国内で頑張っても、お金も財産も減ってジリ貧になるだけだよ」
「その代わり、食えない人は食えるようになります」
「食い潰されたらお仕舞じゃない。国も滅びちゃうよ」
スウェーデンでは、よく「平和に勝る福祉なし、戦争に勝る環境破壊なし」と言われているが、まったく同感だ。
叉、生活者優先社会のモデルにもなっている。 いち早く高齢化社会が進み、約40年前のスウェーデンは、今の日本と状況が似ていたらしい。
200年近くも戦争がない。人口は日本の14分の1など、大きな違いもある。
しかし、貧しい農業国家から工業国になったこと、高齢化率など、似ている点も少なくない。
消費税は25%、所得税は日本の約3倍と高負担だが、国民はそれに見合った福祉を受けていると聞いている。
「福祉国家スウェーデンは、そろそろ滅びるのですか?」
「そんな失礼なこと言ったらダメだよ」とQPがたしなめる。
「あなたがさっき言った言葉ですよ」
「私が言ったんじゃあないの。テレビで評論家が言ったんだよ」
それなら、私も同じことだ。テレビの代わりにインターネットになっただけの話。
「高福祉」で検索したら、683万件も表示された。 日本でも福祉について相当、研究されているようだ。
しかし、テレビ、新聞などのマスメディアでは多くを取り上げていない。生活優先社会を目指すなら、もっと頻繁に議論があって当たり前だろう。
たまに議論されても「税金高いよ。嫌でしょ」で終わってしまい、さっぱり議論が深まらない。 大切な話なのに、全国民をを含めた議論に広がらないのは、
なぜだろう。
「さっき、高福祉高負担でも老後を安心して暮らせると言ったでしょう」
「安心して暮らしているじゃない」と、QPは落ち着いたものだ。
「はぁ?」
「今が、老後でしょ」と、動じる気配もない。
「高福祉高負担はこれからの話ですよ。 まったくノー天気ですね」
「あれを見な!」と指をさす。
ここは私の部屋。指差す方向に張り紙があり、こう書いてある。
・すべて良くなる。
・困ったことは起こらない。
・嫌なことは考えない。
世の中を変えるには、巨大なエネルギーが必要だが、
自分の気持ちを納得させるには、???の3行で充分である。
しかし、「貧乏症」は不治の病、いまだに完治していない。
これを治す一番いい薬は「お金持ち気分」である。
よく「病気は気から」というではないか。
「今日からは、お金持ちの気分で生きたいと思います」
「気分だけだよ。 お金、使っちゃあ絶対ダメだからね」
おやっ? QPも貧乏症に罹っている。貧乏はうつると聞いていたが本当だ。
「それはさておき、高福祉高負担についてどう思いますか?」
「いいじゃない、老後を安心して暮らせるんだから」
「私はお金持ちですから、高負担に反対です」
「お金持ちでも、福祉は受けられるんだよ」
「そんなものいりません」
「そうだね。お金持ちなら保険だって好きなだけ入れるしね」
「せっかく、努力してお金持ちになったのに、税金とか言って貧乏人に盗られちゃうのは嫌です。 小さな政府が大好きです」
福祉を自前で出来るお金持ちにとって、高福祉・高負担とは単なる高負担。 反対するのは当たり前だと思う。
博愛主義、人類皆兄弟、鳩山首相なら「友愛」等の気持ちもあるだろう。
いずれにしろ、お金持ちにとって福祉とは、与えるだけのものであって、受けるものは何もない。
一方、貧乏人にとっての「高福祉・高負担」はどうだろう。
負担は殆どゼロで、質の高い福祉を受けられるのだから、こんないい話はない。
しかし、現実はそのように受け取られていないのは、なぜだろう?

ノボテル札幌24階「和乃八窓庵」より望む中島公園、1月16日撮影。
ところで、QPに買物を頼まれたので、行ってきた。
「パン買って来ました。これお釣りです」
「少ないじゃない。何でつり銭ごまかすのよ!」
「お駄賃です」
「アンタ、お金持ちでしょ」
「あれはもう止めました。気分だけでは虚しいですから」
この世に「貧乏党」と「金持ち党」があって、選挙をしたとする。 圧倒的多数で貧乏党が勝つだろう。しかし、現実は違う。
もちろん、その公約は、高福祉・高負担の実施。 財源はお金持ちの稼ぎと財産にかける税金である。
「そんなことしたら、優良企業や優秀な人材が海外に逃げちゃうよ」とQP。
「大丈夫ですよ。エライ人は愛国心がありますから」
「愛国心があるって誰が言ったの?」
「エライ人です」
「そう…? 国内で頑張っても、お金も財産も減ってジリ貧になるだけだよ」
「その代わり、食えない人は食えるようになります」
「食い潰されたらお仕舞じゃない。国も滅びちゃうよ」
スウェーデンでは、よく「平和に勝る福祉なし、戦争に勝る環境破壊なし」と言われているが、まったく同感だ。
叉、生活者優先社会のモデルにもなっている。 いち早く高齢化社会が進み、約40年前のスウェーデンは、今の日本と状況が似ていたらしい。
200年近くも戦争がない。人口は日本の14分の1など、大きな違いもある。
しかし、貧しい農業国家から工業国になったこと、高齢化率など、似ている点も少なくない。
消費税は25%、所得税は日本の約3倍と高負担だが、国民はそれに見合った福祉を受けていると聞いている。
「福祉国家スウェーデンは、そろそろ滅びるのですか?」
「そんな失礼なこと言ったらダメだよ」とQPがたしなめる。
「あなたがさっき言った言葉ですよ」
「私が言ったんじゃあないの。テレビで評論家が言ったんだよ」
それなら、私も同じことだ。テレビの代わりにインターネットになっただけの話。
「高福祉」で検索したら、683万件も表示された。 日本でも福祉について相当、研究されているようだ。
しかし、テレビ、新聞などのマスメディアでは多くを取り上げていない。生活優先社会を目指すなら、もっと頻繁に議論があって当たり前だろう。
たまに議論されても「税金高いよ。嫌でしょ」で終わってしまい、さっぱり議論が深まらない。 大切な話なのに、全国民をを含めた議論に広がらないのは、
なぜだろう。
「さっき、高福祉高負担でも老後を安心して暮らせると言ったでしょう」
「安心して暮らしているじゃない」と、QPは落ち着いたものだ。
「はぁ?」
「今が、老後でしょ」と、動じる気配もない。
「高福祉高負担はこれからの話ですよ。 まったくノー天気ですね」
「あれを見な!」と指をさす。
ここは私の部屋。指差す方向に張り紙があり、こう書いてある。
・すべて良くなる。
・困ったことは起こらない。
・嫌なことは考えない。
世の中を変えるには、巨大なエネルギーが必要だが、
自分の気持ちを納得させるには、???の3行で充分である。
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ちゃちゃ なかぱさま、
三行のお言葉、正に私の生き方!これぞB型の処世訓!
私の嫌いな言葉は「がんばる!」私はがんばらない。川の流れに浮いているように、どうにかなるさの人生。目の上には青い空が広がり、。何とかなるさのB型気質。大好きである。
それにしても雪の中島公園の景色、いいですねえ。
中流です
賢爺 nakapa様
久しぶりに訪問しました。福祉論の文章を拝読して、お元気そうな様子が伺えます。
年金生活で蓄えもありませんが、趣味に明け暮れ、中流生活を楽しんでおります。
少子高齢化時代における福祉行政の一層の充実を期待しております。
のん子 解りやすい文章です(^_^)v
全くその通りだと思います
ほんとに、どうして高福祉、高負担にならないんでしょう?
アメリカも黒人の貧困医療を改革しようとしたら金持ち白人が反対したような形になりましたね(><)
一旦制度が確立してしまえば、そんなものだと思ってしまうんでしょうが、その端境期が難しいんでしょうね?
金持ちが反対するのは解るとして(腹立だしいですが)大多数の貧乏人の意識ですね?
一番解りやすいのは消費税ですが、例えば食料品は無税に贅沢品と思われる物に高利率なら考えるのでは?
計算が大変そうですが、実施してる国も有りますよね?
民主党はやってくれそうでしょうか??
イチゴとリンゴの館 おはよう御座います。
今日も楽しく読ませて頂きました。
QPさんは退屈のしない方ですね(^_-)-☆
なるほどと納得しながら、「私はお金持ち」と思う事にしました。
その方が楽しいからね~^^
ちゃちゃさんへ
nakapa そうですか。私も若いとき頑張れ頑張れと、頑張っているのに言われすぎ、
その言葉が嫌いになりました。
「頑張れ」さんには罪がないのに、お気の毒です。
頑張ることは本来いいことなのですが、出来ないときに言われても困るばかりです。
中島公園はいつも地面を歩いているので、高い所に上ると、奇麗だなと思って
撮りたくなります。
賢爺さんへ
nakapa お陰さまで元気です。ほどほどですが年相応ですね。
そうですね。自分のことですが、ご飯が食べられれば中流と感じます。
楽しみは自分で見つけて楽しく生きています。
川柳も楽しいですね。私は読むだけですが。
1/24付道新「朝の食卓」
隠れ「ナカパファン」 2010.1.24.北海道新聞の朝刊に「禍を転じて福となす」が掲載されましたね。
最後の一行、「定年後の暮らしは思いのほか充実している」、同感!
ブログの話題に関しては、「何故お金持ちになる必要があるの?」、もし、それが幸福のためなら、お金がなくても、楽しく充実した日々を送る事が出来ればいいんですよね?
一番大事な事は、「健康」ですよね。
のん子さんへ
nakapa 賛同して頂き有難うございます。
どうして高福祉にならないのでしょうね。やはり、高負担がネックでしょうか。
受ける福祉より、大きな負担をするのは誰でも嫌でしょうね。
仰るように、制度が確立するまでが大変ですね。
高福祉・高負担と言われると、低所得者までが、税金が高くなる。
これ以上払えない、ギリギリの生活だと言います。どうしてでしょうか。
いまだに理解できないのですが…。
イチゴとリンゴの館さんへ
nakapa QPも私も退屈しません。退屈したら、必ずケンカになりますから。
何事も心の持ちようですね。スカンピンか病気でない限りですが。
私も常に「すべてよくなる」「困ったことは起こらない」と考えるようにしています。
隠れ「ナカパファン」さんへ
nakapa 「朝の食卓」読んでくれて有難うございます。
「定年後の暮らしは思いのほか充実している」に共感してくれて有難うございます。
そうなんです。多分、自由になったから精神が開放されたのだと思います。
仰るとおり一番大切なのは健康です。これが続く限りは幸せな人生です。
陽動作戦「温暖化」。 …真の敵はあらぬ方向にいることに漸く気がついた。
30年前、これからはパソコンの時代だと考えてMZ80-K2(写真)を買った。
そして、その通りになったが、私自身は進化に追い着けず、パソコン落伍者になってしまった。

ところで、これからの問題は「食料危機」と予想している。 多分その通りになるだろう。しかし、そのときが来れば、私は真っ先に飢えるに違いない。
いつだってそうなのだ。 いろいろと将来を予想して対策を立てるのが好きだが、それが役に立ったためしはない。 所詮私は考える人。実行力はゼロなのだ。
先日、スーパーで買物したら、レジ袋代を2円とられた。 新品の袋だから当然だろう。 しかし、エコとか言われると「それは違うな」と思う。
車や飛行機の方がCO2をよほど多く出す。 マイバックでエコというより、
「レジ袋1年分で自動車3日分という試算」の方が説得力がある。
12月22日の地球温暖化に関する新聞記事を読んだ。「COP15 広がる批判、失望」「先進国・途上国 深い溝残す」などの見出しが躍る。
COP15(コペンハーゲンの気候変動枠組み条約第十五回締約国会議)
深い溝があるのは当然と思う。人口約70億人の地球上で、10億人が飢餓状態にあり、そのほとんどは発展途上国に住んでいる。
今、飢えている人に将来の危機を語っても「馬の耳に念仏」だ。 食えない人は食えるようになるまでは、食べることしか考えないものだ。
会議に出席している代表は、お金持かもしれない。 しかし、飢えている国民のことを考えなくては為政者としての責任は果たせない。 負担を押し付けられればNOと言うしかない。
終戦後間もない頃だが、父親が肺病で倒れ職を失った。 医者代もかかるし、とたんに飢餓状態になった。 飯を食うためには何でもやった。子供の私も例外ではない。
そういう状態にある人に、数年後に地球が…、と言ったところで聞いてもらえるわけがない。 順序が間違っている。先ずは食糧問題、次に温暖化だ。
「急がば回れ」と言うではないか。
先進国が世界の飢餓克服に本気になって取組めば、途上国側も温暖化問題を考えるようになるだろう。 飯が食えるようになれば、次の心配は将来のことだ。
食糧問題と温暖化問題は車の両輪である。 片方(温暖化)だけ大きくては前に進むことはできない。 COP15で途上国側の不満が根強いのも当然と思う。
それとも、現在の地球温暖化騒ぎは、「満腹している先進国国民」を食糧問題に目を向けさせるための、陽動作戦なのだろうか。
それならば納得できる。私も温暖化に関するマスメディア報道の影響を受けているからだ。報道がキッカケで世界の食糧問題に目を向けるようになったのだ。
「この手もあったのだな」と、うがった見方をしている。 地球温暖化について騒ぎたて、国際会議等での対立を煽り、わざと目立つような行動をする。
なぜならば、温暖化について議論を深めれば、必ず世界食料危機問題に行き着くからだ。 目前の敵「食糧問題」は余りにも巨大。 正面から向っても到底太刀打ちできない。それで温暖化? 深謀遠慮ではないか。 --完--

陸揚げされたボートを塒(ねぐら)にする中島公園地域猫?? 12月23日撮影
食料問題に関する資料はこちらです。
「フォーラム 地球の危機管理(抜粋)」
世界がかかえる食糧問題
食糧不足の要因には、人口の増加、食生活の高度化、農業生産性の低下、そして異常気象などの現象があげられるが、それぞれの要因について簡単に説明を加えていきます。
医療技術の進歩で人口増加が急激に進む
人口が増加すると、疫病や飢餓の大量発生などの要因が働いて、人口抑制の方向へコントロールが働いてきました。ところが、このコントロールのたががゆるんだのは、第二次大戦後です。乳幼児の死亡率の低下、医療技術の進歩による高齢化などが進んで、人口増加が急激に進みました。
肉食が増え作物の生産量を圧迫
人間が穀物のまま、食べるのであれば、生産量イコール消費量になりますが、家畜を通した場合、牛の場合8~10倍、ぶた5倍、にわとり2~3倍の穀物を消費するのです。食生活の高度化が、作物の生産量を圧迫しているのです。
砂漠化や土壌の劣化が進んでいる
これまで農地だった土壌が劣化してきて、砂漠化や土壌の劣化(塩害、地下水位の低下、表土風食)などが進み、世界では1年間に500~600万ヘクタール(日本の農地面積とほぼ同じ)もの農地が砂漠化しています。
水不足が農業を圧迫している
しかしもっと深刻なのが、水資源の問題です。農産物の価格は工業製品にくらべると、割にあわないのです。同じ1トンの水を使うのにも、農業用水として使うよりも工業用水として用いるほうが、ずっと生産性が高い。競合がおこった場合、ほとんどの場合、農業が競争に負けてしまうのです。
地球温暖化による異常気象の影響
しかも地球温暖化による異常気象の影響で必要なところに雨がふらず、沿岸部や島嶼部に豪雨が降るような現象がおこっています。
アメリカは、食糧危機をよしとしている
アメリカには、食糧危機をよしとするような風潮も見られます。なぜか。アメリカは自国の食糧さえ供給できれば、あとはマーケットで値をつりあげて売ればいいのです。つまり食糧の供給量が減って価格があがれば、もうかるのです。
単位面積あたりの収穫量が頭打ち
農業技術の貢献、化学肥料や農薬を使うことによって単収(単位面積あたりの収穫量)を増やしてきたわけですが、単収の伸びが先進国では止まってしまいました。他の産業に比べて経済的にもペイしない、ということで農業生産は現在、1つの壁にぶつかっている状態です。
以上、「フォーラム 地球の危機管理」
世界がかかえる食糧問題、日本がかかえる食糧問題
より抜粋。
nakapaの感想:私はこれを読んで、飢餓問題の解決は、人口抑制とセットでなければならないと思いました。「人口爆発」は更に怖いです。 仕分け人nakapaは優先順位をつけました。 食料危機→ 温暖化→ 人口抑制。
30年前、これからはパソコンの時代だと考えてMZ80-K2(写真)を買った。
そして、その通りになったが、私自身は進化に追い着けず、パソコン落伍者になってしまった。

ところで、これからの問題は「食料危機」と予想している。 多分その通りになるだろう。しかし、そのときが来れば、私は真っ先に飢えるに違いない。
いつだってそうなのだ。 いろいろと将来を予想して対策を立てるのが好きだが、それが役に立ったためしはない。 所詮私は考える人。実行力はゼロなのだ。
先日、スーパーで買物したら、レジ袋代を2円とられた。 新品の袋だから当然だろう。 しかし、エコとか言われると「それは違うな」と思う。
車や飛行機の方がCO2をよほど多く出す。 マイバックでエコというより、
「レジ袋1年分で自動車3日分という試算」の方が説得力がある。
12月22日の地球温暖化に関する新聞記事を読んだ。「COP15 広がる批判、失望」「先進国・途上国 深い溝残す」などの見出しが躍る。
COP15(コペンハーゲンの気候変動枠組み条約第十五回締約国会議)
深い溝があるのは当然と思う。人口約70億人の地球上で、10億人が飢餓状態にあり、そのほとんどは発展途上国に住んでいる。
今、飢えている人に将来の危機を語っても「馬の耳に念仏」だ。 食えない人は食えるようになるまでは、食べることしか考えないものだ。
会議に出席している代表は、お金持かもしれない。 しかし、飢えている国民のことを考えなくては為政者としての責任は果たせない。 負担を押し付けられればNOと言うしかない。
終戦後間もない頃だが、父親が肺病で倒れ職を失った。 医者代もかかるし、とたんに飢餓状態になった。 飯を食うためには何でもやった。子供の私も例外ではない。
そういう状態にある人に、数年後に地球が…、と言ったところで聞いてもらえるわけがない。 順序が間違っている。先ずは食糧問題、次に温暖化だ。
「急がば回れ」と言うではないか。
先進国が世界の飢餓克服に本気になって取組めば、途上国側も温暖化問題を考えるようになるだろう。 飯が食えるようになれば、次の心配は将来のことだ。
食糧問題と温暖化問題は車の両輪である。 片方(温暖化)だけ大きくては前に進むことはできない。 COP15で途上国側の不満が根強いのも当然と思う。
それとも、現在の地球温暖化騒ぎは、「満腹している先進国国民」を食糧問題に目を向けさせるための、陽動作戦なのだろうか。
それならば納得できる。私も温暖化に関するマスメディア報道の影響を受けているからだ。報道がキッカケで世界の食糧問題に目を向けるようになったのだ。
「この手もあったのだな」と、うがった見方をしている。 地球温暖化について騒ぎたて、国際会議等での対立を煽り、わざと目立つような行動をする。
なぜならば、温暖化について議論を深めれば、必ず世界食料危機問題に行き着くからだ。 目前の敵「食糧問題」は余りにも巨大。 正面から向っても到底太刀打ちできない。それで温暖化? 深謀遠慮ではないか。 --完--

陸揚げされたボートを塒(ねぐら)にする中島公園地域猫?? 12月23日撮影
食料問題に関する資料はこちらです。
「フォーラム 地球の危機管理(抜粋)」
世界がかかえる食糧問題
食糧不足の要因には、人口の増加、食生活の高度化、農業生産性の低下、そして異常気象などの現象があげられるが、それぞれの要因について簡単に説明を加えていきます。
医療技術の進歩で人口増加が急激に進む
人口が増加すると、疫病や飢餓の大量発生などの要因が働いて、人口抑制の方向へコントロールが働いてきました。ところが、このコントロールのたががゆるんだのは、第二次大戦後です。乳幼児の死亡率の低下、医療技術の進歩による高齢化などが進んで、人口増加が急激に進みました。
肉食が増え作物の生産量を圧迫
人間が穀物のまま、食べるのであれば、生産量イコール消費量になりますが、家畜を通した場合、牛の場合8~10倍、ぶた5倍、にわとり2~3倍の穀物を消費するのです。食生活の高度化が、作物の生産量を圧迫しているのです。
砂漠化や土壌の劣化が進んでいる
これまで農地だった土壌が劣化してきて、砂漠化や土壌の劣化(塩害、地下水位の低下、表土風食)などが進み、世界では1年間に500~600万ヘクタール(日本の農地面積とほぼ同じ)もの農地が砂漠化しています。
水不足が農業を圧迫している
しかしもっと深刻なのが、水資源の問題です。農産物の価格は工業製品にくらべると、割にあわないのです。同じ1トンの水を使うのにも、農業用水として使うよりも工業用水として用いるほうが、ずっと生産性が高い。競合がおこった場合、ほとんどの場合、農業が競争に負けてしまうのです。
地球温暖化による異常気象の影響
しかも地球温暖化による異常気象の影響で必要なところに雨がふらず、沿岸部や島嶼部に豪雨が降るような現象がおこっています。
アメリカは、食糧危機をよしとしている
アメリカには、食糧危機をよしとするような風潮も見られます。なぜか。アメリカは自国の食糧さえ供給できれば、あとはマーケットで値をつりあげて売ればいいのです。つまり食糧の供給量が減って価格があがれば、もうかるのです。
単位面積あたりの収穫量が頭打ち
農業技術の貢献、化学肥料や農薬を使うことによって単収(単位面積あたりの収穫量)を増やしてきたわけですが、単収の伸びが先進国では止まってしまいました。他の産業に比べて経済的にもペイしない、ということで農業生産は現在、1つの壁にぶつかっている状態です。
以上、「フォーラム 地球の危機管理」
世界がかかえる食糧問題、日本がかかえる食糧問題
より抜粋。
nakapaの感想:私はこれを読んで、飢餓問題の解決は、人口抑制とセットでなければならないと思いました。「人口爆発」は更に怖いです。 仕分け人nakapaは優先順位をつけました。 食料危機→ 温暖化→ 人口抑制。
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ちゃちゃ なかぱさん、おはようございます。
9時半過ぎなのにコメント第一号とは驚いています。年末は皆さんPCどころではないのでしょうか。
当方駅の周りに三つのスーパーがあります。「西友」は袋不要宣言で2円引き。「いなげや」はスタンプを押してくれて、20個で100円分に使用。スタンプ一つで5円也。もう一つの、「大丸ピーコック」はたぶん、プラスのポイント付与かな?
いずれにしろ、買い物にはメインの袋と、予備の袋を持って出かけます。それ以上の買い物をすると、重たくて持って歩くのが嫌になります。
のん子 命は一番大切ですもんねって人に指摘されなくても飢餓に対しては誰もが第一に対処するでしょう
次に住でしょうか?
自分の身の安心を確保してからでないと周りは見えないと思います
人間にはエゴが有りますから、余程法規制でも科さないと自分さえ良ければって思ってしまいます
これを救うのは宗教かと思ったことも有りますが、これも他宗教は排除ですからね~(><)
世界中の心有る人々が、マスコミが、根気強く アピールして行くことでしょうか?
ちゃちゃさんへ
nakapa そうですね。 皆さん年末で忙しいでしょうね。
私は年末年始はヒマです。皆さんが忙しいから、
どこからも、お誘いがかからないからです。
そうゆう生活を何年も続けていると、
年末にしか、つまり、纏まったヒマがないと
出来ないことがあります。 それをやるようになりますね。
のん子さんへ
nakapa 私も常識がないと言うよりも、情報源をマスメディアに頼りすぎているので、
世界の飢餓人口が10億とは、温暖化が騒がれるまで、知りませんでした。
ただ、ビックリしています。おっしゃるように、どうしていいか全く、
分かりません。なにぶん私の周りに飢えている人など一人もいないし、
皆、太るの気にしています。ただ、これはエライことだと思いました。
ぬるま湯暮らし
はぐれ雲 昨夜のアップ直後から読んでおりましたが、重いテーマにコメント入れること躊躇ってしまいました。
この世の中の溢れるばかりの情報は、流れがありそれに沿って発信されていることを、感じますね。
対極にある情報の見え隠れに底知れぬ恐怖を感じるのは私だけではありますまい。なんて話し合ったことありましたね。
あっ、これは「うがった見方!」ですよ。
ランチ・バイキングで、子供どころか親たちが自分でお皿にとってきた料理を食べきれずに残す・・・こんなばかげた飽食の日本、目にしたとき恥ずかしくなりました。
食べるということ、命をつなぐという一番大事なところが、すっぽ抜けになっている今、考えさせられることでした。
自分に出来ることから・・・、缶類のプル、集め続けて4年になりますが、(車椅子のために)自宅分だけではどうにもならない少ない数です。でも捨てられなくて、ついつい缶をあけると取り外して袋に入れる私です。
>肉食が増え作物の生産量を圧迫
なんて簡単な要因の説明、と書かれてしまうと、悲しくなります。極端な例えですよね、
想像を絶する飢餓に苦しむ国の人々は肉なんて食べることも、見たこともないのではないかしら?
そんなことも考えさせてくれたナカパさんの今日の内容、ぬるま湯暮らしの恥ずかしさを気づかせてくれてありがとうです。
地球の必然
ひよどり 私はいい加減なのかもしれません。
しかし、エコ、エコの叫び声には欺瞞を感じます。
欺瞞が言い過ぎであれば、単なる「べき論」です。
果たしてできるのでしょうか。
もともと地球は燃えていました。
どんどん冷めて生物が生まれ、温度が上昇して生物も進化し、今があります。
これから気温が上がり、進化しながら次の生物世代へと引き継がれて行く。
そんな考えは、やはり退嬰的かもしれませんね。
お久し振りにお邪魔します。
匿名希望のH 私は、日本政府の人口対策には大いに異議を唱える一人です。もう、30年も昔、ローマで開催された「世界賢人会議」で、「人口は抑制すべき!」との結論が発表されたと記憶しています。食糧もエネルギーも不足するに決まってます。日本は、年金を支えるために「少子化対策」などと言って、将来の労働人口を増やそうとしているらしいが、愚策です。
次に、オーストラリアやニュージーランドでは、「流しのタクシー」は見かけないはずです。エネルギーのムダ使い、ムダな労働、交通渋滞。GPSを備えたタクシーは、電話一本で数分で目的地に到着します。国土交通省にも提言してますが具体的回答はありません。関係部署に配信します、の一言です。
コマクサ 子供の頃食糧難で栄養不足、今は美食でメタボ予備軍である(恥ずかしながら)
人間は生きて行く為には第一に食糧問題です。
次に心配する事は老後を迎える将来の事で、それには
幾つかの課題があり温暖化も一つでしょうか。
はぐれ雲さんへ
nakapa 重いテーマに丁寧なコメントを有難うございます。
確かにマスメディア情報は流れに沿って発信されていると思います。
情報の価値を評価して、バランスよく発信してくれることを望んでいます。
私も恐ろしさを感じます。明らかに情報が偏っているから、操作を感じるのです。
食品を単なる商品として取り扱うことを、そろそろ止めた方がいいと思います。
普通の人として社会生活をするには、ある程度流れに沿って動く必要があります。
やはり、政治に期待したいと思います。 緩やかな改革でよいとおもいます。
私もぬるま湯の中に住んでいますが、その中でも意見は発表した方が
よ「いと思っています。 今回のような話の輪が広がると意義を感じます。
はぐれ雲さんのコメントからいろいろなことを学びました。有難うございます。
これからもよろしくお願いします。
ひよどりさんへ
nakapa 私もエコ、エコの叫び声にはうんざりしています。
おっしゃるように、地球は暑くなったり寒くなったりしています。
その環境に適応したものが生き残り、できないものは死滅したりします。
「地球に優しい」という言葉にも違和感を感じます。人類が生存するための
方策を、地球に何かやってあげるような言い回しに違和感を覚えます。
何事も、格好つけないで、分かり易い、考え方や表現がいいと思います。
「そんなものよ」と言われれば、分からないまま肯いてしまう。 私は人間のことをよく知らない。心と心が触れ合う、人としての会話をしたことがないからだ。
「いつも話し相手になって上げてるじゃない」と、QPは不満顔。
「赤だけを知っていても、色を知っていることにはならないのです」
「私が赤だというの。バカだと言いたいんじゃない」
「いえいえ、あなたは立派な人です」
「何だか皮肉みたいだね」
「とんでもない、『堂々としているさま』の女性と言いたいだけです」
「褒めてんの、けなしてんの。どっちよ!」
どちらでもない。辞書には立派とは「堂々としているさま」と書いてある。 QPは他所ではともかく、家の中では堂々としているから、立派なものである。
ところで、退職してからはサークルなどで、女性と話す機会が増え、ときには無駄話をすることもある。 初めてのことなので新鮮で、興味深く感じた。
普通の人にとっては何でもないことでも、私にとっては「未知との遭遇」。 珍しくもあり、面白くもある。しかも、人生勉強にもなるのだ。

中島公園菖蒲池は12月になると凍結し、鴨もいなくなる。11月24日撮影。
こんなこともあった。10人程度で、ある会の懇親会を開いたときのことである。 珍しい人が参加した。元会員のAさんだ。
実に3年ぶりの再会である。 いつまでも若さを保っているのは、趣味のダンスのせいかも知れない。 しかしなぜ、3年ぶりに参加する気になったのだろう。
話の輪に入るのも楽しいが、新しい発見は女性同士の会話の中にある。 宴もたけなわのころ。「私、貴女にね。叱られたのよ」と、AさんがBさんに言った。
「えっ! そんなことないでしょう。貴女のことは大好きなんだから」
Bさんは、グループのリーダー格で、はきはきものを言うタイプだが、このときばかりは、少しうろたえている感じだ。
「みんなで一泊旅行に行ったとき、私が貴女の意見に反対したら、『そんなこと言うんなら、あんた一人で帰りなさい!』って言ったでしょう。旅先でよ。ちょっと、ひどいんじゃない(笑)」
「あらぁ、そ~お。全然覚えていないの~。ごめんなさ~い(笑)」
話は続くが、終始にこやかに楽しそうだ。 3年ぶりに再会して1時間もたたないのに、過去の諍いを蒸し返すような話が出来る。 しかも、楽しそうに…。
私にとっては驚きである。 それだけではない。意外な展開が待っていた。 Cさんと帰る方向が同じなので話しながら歩いた。
「Bさんもビックリしたでしょうね。 3年前のことを、今更いわれてもね~、面食らってましたね」
「えっ? 何の話」
「聞いていたでしょう。旅行中のケンカですよ。突然言われて、さすがのBさんも、うろたえていたでしょ。 気がつきませんでした」
「あっ、あれね。トボケちゃってね。Bさんはちゃんと覚えているのよ。前から『あの人くるの?』と言って気にしていたんだから…」
「何ですかそれ? 貴女だって驚いたような顔していたでしょう」
「そうするもんよ」
思わず、どんなものだか分からないまま肯いてしまった。
3年ぶりに参加した元会員Aさんは、一体なんのつもりだろうか。 非難されてもトボケテ笑っているリーダー格のBさんは、果たして、どんな気持ちだったのだろう。
友人であるAさんを誘った懇親会幹事のCさんは、親切なのか策士なのか?
一体どこに真(まこと)があるのだろう。 私にはさっぱり分からない。
常々「この世は舞台、人は皆役者」と思っている。 例えば、ニューギニア高地人の舞台はニューギニア奥地、中央部の山岳地帯である。
もし、彼らが都市に働きに出れば、舞台は都市に変わり、セリフ(言語)を覚え、役(仕事)をこなさなければならない。
日本人は、日本語を話し、共同体の一員としての役割を果たしている。 世界中、何処に行っても同じこと、それぞれの場面で必要なセリフがあり役がある。
この世は舞台、それぞれの人生がある。 観ていて楽しい人生劇場である。
私自身も、そこそこに演じているつもりだ。
しかし、退職後に出合った多くの人たちと比べてみれば、私は遠く及ばない。
やはり役者が違うんだなぁ。
「いつも話し相手になって上げてるじゃない」と、QPは不満顔。
「赤だけを知っていても、色を知っていることにはならないのです」
「私が赤だというの。バカだと言いたいんじゃない」
「いえいえ、あなたは立派な人です」
「何だか皮肉みたいだね」
「とんでもない、『堂々としているさま』の女性と言いたいだけです」
「褒めてんの、けなしてんの。どっちよ!」
どちらでもない。辞書には立派とは「堂々としているさま」と書いてある。 QPは他所ではともかく、家の中では堂々としているから、立派なものである。
ところで、退職してからはサークルなどで、女性と話す機会が増え、ときには無駄話をすることもある。 初めてのことなので新鮮で、興味深く感じた。
普通の人にとっては何でもないことでも、私にとっては「未知との遭遇」。 珍しくもあり、面白くもある。しかも、人生勉強にもなるのだ。

中島公園菖蒲池は12月になると凍結し、鴨もいなくなる。11月24日撮影。
こんなこともあった。10人程度で、ある会の懇親会を開いたときのことである。 珍しい人が参加した。元会員のAさんだ。
実に3年ぶりの再会である。 いつまでも若さを保っているのは、趣味のダンスのせいかも知れない。 しかしなぜ、3年ぶりに参加する気になったのだろう。
話の輪に入るのも楽しいが、新しい発見は女性同士の会話の中にある。 宴もたけなわのころ。「私、貴女にね。叱られたのよ」と、AさんがBさんに言った。
「えっ! そんなことないでしょう。貴女のことは大好きなんだから」
Bさんは、グループのリーダー格で、はきはきものを言うタイプだが、このときばかりは、少しうろたえている感じだ。
「みんなで一泊旅行に行ったとき、私が貴女の意見に反対したら、『そんなこと言うんなら、あんた一人で帰りなさい!』って言ったでしょう。旅先でよ。ちょっと、ひどいんじゃない(笑)」
「あらぁ、そ~お。全然覚えていないの~。ごめんなさ~い(笑)」
話は続くが、終始にこやかに楽しそうだ。 3年ぶりに再会して1時間もたたないのに、過去の諍いを蒸し返すような話が出来る。 しかも、楽しそうに…。
私にとっては驚きである。 それだけではない。意外な展開が待っていた。 Cさんと帰る方向が同じなので話しながら歩いた。
「Bさんもビックリしたでしょうね。 3年前のことを、今更いわれてもね~、面食らってましたね」
「えっ? 何の話」
「聞いていたでしょう。旅行中のケンカですよ。突然言われて、さすがのBさんも、うろたえていたでしょ。 気がつきませんでした」
「あっ、あれね。トボケちゃってね。Bさんはちゃんと覚えているのよ。前から『あの人くるの?』と言って気にしていたんだから…」
「何ですかそれ? 貴女だって驚いたような顔していたでしょう」
「そうするもんよ」
思わず、どんなものだか分からないまま肯いてしまった。
3年ぶりに参加した元会員Aさんは、一体なんのつもりだろうか。 非難されてもトボケテ笑っているリーダー格のBさんは、果たして、どんな気持ちだったのだろう。
友人であるAさんを誘った懇親会幹事のCさんは、親切なのか策士なのか?
一体どこに真(まこと)があるのだろう。 私にはさっぱり分からない。
常々「この世は舞台、人は皆役者」と思っている。 例えば、ニューギニア高地人の舞台はニューギニア奥地、中央部の山岳地帯である。
もし、彼らが都市に働きに出れば、舞台は都市に変わり、セリフ(言語)を覚え、役(仕事)をこなさなければならない。
日本人は、日本語を話し、共同体の一員としての役割を果たしている。 世界中、何処に行っても同じこと、それぞれの場面で必要なセリフがあり役がある。
この世は舞台、それぞれの人生がある。 観ていて楽しい人生劇場である。
私自身も、そこそこに演じているつもりだ。
しかし、退職後に出合った多くの人たちと比べてみれば、私は遠く及ばない。
やはり役者が違うんだなぁ。
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ちゃちゃ なかぱさん、
バード・ウォッチングならぬ、マン・ウォッチング!私も大好きです。電車の中や、駅で人を待っていう時など、通り過ぎる人たちを観察します。着ているもの、手の組み方、ファッション、特に途切れ途切れに聞こえてくる会話には興味津々です。全く知らない人たちの息吹の中に、人生が見えてくるような気がします。人生の大劇場、ここにあり!ですかな?
こまどり そう、この世は人生劇場としてみるとおもしろいですよねー。いろんな役があって。nakapaさんの役はQPさんの主役があるから名脇役で引き立っているんですねー。おもしろい、お芝居ですよー。
きょうの女性たちは うわ手のそのまたうわ手がいることに驚く芝居でした。nakapaさん芝居を見る目が深いですね。
朝のブログ
賢爺 おはようございます。 役者が違うお話を拝読しました。 色々な方とお付き合いしていると、役者が一枚も二枚も上に抜きん出ている方が多い。 こちらは何時も負けそうな気になります。
ところで、ブログの中にニューギニア高知人とありますが、高地?耕地?後置?
ちゃちゃさんへ
nakapa 私もウォッチングは大好きです。近所の中島公園のウォッチングもやっています。
もちろん、人のいる所、必ずウォッチングです。鴨やカラスのウォッチングもします。
ちゃちゃさんが仰るように、この世はウォッチングの大劇場ですね。
こまどりさんへ
nakapa そうです。私は脇役、外でももちろん脇役。むしろエキストラのようなものです。
見られるより観る方が好きです。映画とかDVDとかですね。
もともと男社会にいたので、女性を画一的に捉えていたのでしょうね。無意識に…。
人間は全て、個性があって魅力的と再認識した次第です。
賢爺さんへ
nakapa おはようございます。読んで頂いて有難うございます。
すみません。間違えました。これではニューギニアに住む高知県人会みたいですね。
ご指摘の通り「高地人」です。半世紀前まで、石器時代の暮らしをしていました。
若い頃、朝日新聞、本田勝一記者の連載を読み、大変興味深く感じました。
のん子 女性でも?プライドの高い人って多いですからね~
Bさんは謝るきっかけを失ってしまったんだと。
Cさんは両方から話を聞いていて、仲直りの場を設定したのではありませんか?
A,B,Cさん、私の周りでも思い浮かびますよ(^^ゞ
フラダン う~ん、、いつものナカパさんの笑える話題とは
チョット違って考えちゃいました。(苦笑)
この歳まで生きていたら、役者も観客も目が肥えて
来ます、それでも許しあって、生きていく事が
一番楽と思います、完璧な人はおりませんから、、
のん子さんへ
nakapa さすが! これで謎が解けました。これなら、仲良く話しているわけも分かります。
私は、出入り自由の会なのに、何故これっきりと不思議に思っていましたが、
Aさんが来た、謎も解けました。 そして、CさんがAさんを呼んだ謎も解けたのです。
私はCさんが両方の人と仲良しなのを思い出しました。
懸案の謎が解けるとホントに気持ちいいですね。有難うございました。
おーりーおばさん 女性のほうが男性より役者としては上手ですから。
年とともに演技もうまくなってくるし。
最近「気にしない」というようなタイトルの本が
あるようですが、気にしないで生きていくのが
この世を楽しく生きていく術のように思います。
『第三の男』と同じストーリーの日本映画がある。 赤木圭一郎主演の『霧笛が俺を呼んでいる』だ。 これを観ると恥ずかしくなるという、映画ファンも少なくない。 しかし、私は大好きだ。 何回も観ると比較する楽しみがわいてくる。
ところで、歌うのは楽しいが、楽しく聴いてもらうのは至難の業。 私には不可能だ。 昔はアレコレ言われ、挙句の果てに「お前は歌うな」と禁止されてしまった。
今、参加しているカラオケクラブでは、そんな気配は感じないので、気持ちよく歌わせてもらっている。 もっとも、気持ちがいいのは私だけだが…。
最近欲が出て、もっと気持ちよく歌うには、どうしたらいいか考えた。 そうだ! 映画のヒーローになりきることだ。 そう思って『霧笛が俺を呼んでいる』のDVDを借りてきた。
「映画なんか観たって上手くなるわけないでしょ」
「気分だけでも出そうと思いまして…」
「そういうのが、一番迷惑なんだよ」
「それじゃ、止めましょう」
「おやっ、珍しく あっさりしているね」
「実は、もっと面白いこと、見つけたのです」
映画ファンなら『第三の男』を観たことがあると思う。 『霧笛が俺を呼んでいる』は、この名画をなぞったように作られている。 ストーリーがほとんど同じなのだ。
ホリイは旧友ハリーを尋ねてウィーンに来た。 ハリーは死んだと聞かされたが、何か変だ。 実は生きていて、死体は別人だったのだ。 ハリーはペニシリンの闇で大儲けしていることがバレて、官憲の手を逃れるため、死んだフリをしていたのだ。

『第三の男』の下水道の追跡シーンは有名だが、これも似ている。
「あらすじなんか聞かされても、退屈だよ」
「下水道での銃撃戦などもソックリです。 『霧笛…』では地下通路ですが」
「見てないから、ソックリと言われても分からないんだよ」
セリフまで、同じなのだから驚きだ。 ここまでやってしまっていいのかと思う。
ホリイは旧友ハリーの闇商売により引き起こされた、薬害被害の惨状を見せられる。 そして、ハリー逮捕のため囮になる決心をする。
捜査を担当しているキャロウェー少佐に説得されたときの、ホリイのセリフはこうだ。
「OK.キャロウェー.ユウ・ウイン」
同じような状況で赤木圭一郎は、刑事の西村晃にこう言う。「俺の負けだ」。
セリフまでソックリだが、英語では「貴方の勝」となる。日英の表現の違いが対照的で面白い。
分かり易いように、噛み砕いて話しているつもりだが、QPは退屈なようだ。
「そんな話は、オタク同士でやってよ」
「そうですね。一つだけ、とっておきの話があるのです」
「もういいよ」
「石原裕次郎が、タフガイ。小林旭がマイトガイ、そして…」
「ちょっと、まって! 赤木圭一郎がアカガイ」
「人が真面目に話しているときは、ふざけないで下さい」
「だったら、まともに話してよ」
「裕次郎、旭に続く男、赤木圭一郎は、『日活第三の男』なのです」
「それがどうしたの」
素人映画評論家を気取っている私だが、この事実には気が付かなかった。
日活第三の男を売り込むために、名画『第三の男』を全面的に利用するとは、大胆にして安直。 何人も、遊び心抜きで、この事実を素直に受け入れることは出来ないだろう。
『霧笛が俺を呼んでいる』は、映画人が遊び心で作ったのではないだろうか。 「ハリーの恋人アンナは芦川いずみ」とか、比較しながら観ていると、実に楽しい。
ストーリーが『第三の男』にソックリだ。叉、似たシーンも多い。例えば、下水道の追跡劇、悪者と猫、目撃者の死など、数え上げればきりが無い。
「『第三の男』が好きなら、決して『霧笛が俺を呼んでいる』を観てはいけない」という人がいる。 「恥ずかしくなる」そうだ。 その気持ちも分かるような気がする。
恥ずかしくてカラオケで「霧笛が~俺を~呼んでいる~~♪」と、歌えなくなると言う人もいる。 どうしてだろう。 私は歌っているが、大丈夫のような気がする。これがホントの気のせいか?
「『第三の男』の好きな人に『霧笛』が好きか聞いてみたいのですが」
「無駄だから、やめなさい」
「なぜです?」
「『第三の男』が好きな人は、『霧笛』なんか観てないよ。
そんなこと分からないの!」
「分かりたくないですね。 二本とも観た人いないか探してみます」
さがしあぐねて 渚にたてば~♪ 霧笛が~俺を~呼んでいる~~♪
ところで、歌うのは楽しいが、楽しく聴いてもらうのは至難の業。 私には不可能だ。 昔はアレコレ言われ、挙句の果てに「お前は歌うな」と禁止されてしまった。
今、参加しているカラオケクラブでは、そんな気配は感じないので、気持ちよく歌わせてもらっている。 もっとも、気持ちがいいのは私だけだが…。
最近欲が出て、もっと気持ちよく歌うには、どうしたらいいか考えた。 そうだ! 映画のヒーローになりきることだ。 そう思って『霧笛が俺を呼んでいる』のDVDを借りてきた。
「映画なんか観たって上手くなるわけないでしょ」
「気分だけでも出そうと思いまして…」
「そういうのが、一番迷惑なんだよ」
「それじゃ、止めましょう」
「おやっ、珍しく あっさりしているね」
「実は、もっと面白いこと、見つけたのです」
映画ファンなら『第三の男』を観たことがあると思う。 『霧笛が俺を呼んでいる』は、この名画をなぞったように作られている。 ストーリーがほとんど同じなのだ。
ホリイは旧友ハリーを尋ねてウィーンに来た。 ハリーは死んだと聞かされたが、何か変だ。 実は生きていて、死体は別人だったのだ。 ハリーはペニシリンの闇で大儲けしていることがバレて、官憲の手を逃れるため、死んだフリをしていたのだ。

『第三の男』の下水道の追跡シーンは有名だが、これも似ている。
「あらすじなんか聞かされても、退屈だよ」
「下水道での銃撃戦などもソックリです。 『霧笛…』では地下通路ですが」
「見てないから、ソックリと言われても分からないんだよ」
セリフまで、同じなのだから驚きだ。 ここまでやってしまっていいのかと思う。
ホリイは旧友ハリーの闇商売により引き起こされた、薬害被害の惨状を見せられる。 そして、ハリー逮捕のため囮になる決心をする。
捜査を担当しているキャロウェー少佐に説得されたときの、ホリイのセリフはこうだ。
「OK.キャロウェー.ユウ・ウイン」
同じような状況で赤木圭一郎は、刑事の西村晃にこう言う。「俺の負けだ」。
セリフまでソックリだが、英語では「貴方の勝」となる。日英の表現の違いが対照的で面白い。
分かり易いように、噛み砕いて話しているつもりだが、QPは退屈なようだ。
「そんな話は、オタク同士でやってよ」
「そうですね。一つだけ、とっておきの話があるのです」
「もういいよ」
「石原裕次郎が、タフガイ。小林旭がマイトガイ、そして…」
「ちょっと、まって! 赤木圭一郎がアカガイ」
「人が真面目に話しているときは、ふざけないで下さい」
「だったら、まともに話してよ」
「裕次郎、旭に続く男、赤木圭一郎は、『日活第三の男』なのです」
「それがどうしたの」
素人映画評論家を気取っている私だが、この事実には気が付かなかった。
日活第三の男を売り込むために、名画『第三の男』を全面的に利用するとは、大胆にして安直。 何人も、遊び心抜きで、この事実を素直に受け入れることは出来ないだろう。
『霧笛が俺を呼んでいる』は、映画人が遊び心で作ったのではないだろうか。 「ハリーの恋人アンナは芦川いずみ」とか、比較しながら観ていると、実に楽しい。
ストーリーが『第三の男』にソックリだ。叉、似たシーンも多い。例えば、下水道の追跡劇、悪者と猫、目撃者の死など、数え上げればきりが無い。
「『第三の男』が好きなら、決して『霧笛が俺を呼んでいる』を観てはいけない」という人がいる。 「恥ずかしくなる」そうだ。 その気持ちも分かるような気がする。
恥ずかしくてカラオケで「霧笛が~俺を~呼んでいる~~♪」と、歌えなくなると言う人もいる。 どうしてだろう。 私は歌っているが、大丈夫のような気がする。これがホントの気のせいか?
「『第三の男』の好きな人に『霧笛』が好きか聞いてみたいのですが」
「無駄だから、やめなさい」
「なぜです?」
「『第三の男』が好きな人は、『霧笛』なんか観てないよ。
そんなこと分からないの!」
「分かりたくないですね。 二本とも観た人いないか探してみます」
さがしあぐねて 渚にたてば~♪ 霧笛が~俺を~呼んでいる~~♪
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フラダン ウフフ。。。一番乗りだわ!
「第三の男」映画見ましたよ、ズート昔に、、、でもこの映画のテーマソングが
エビスビールのコマシャルソングで流れてた時はチョット驚いたわ、赤木圭一郎の
ファンだったけど「霧笛が俺を呼んでる」は見て無かった、そう云えばナカパさんが
カラオケでこの歌、歌ってるの聞いた事あります、なかなか上手でしたよ、DVD で
研究してるので、きっともっと上手になってるわね、今度聴くのが楽しみだわ!(^o^)丿♪
鶴子 「これを観ると恥ずかしくなる」と冒頭にあったので、いったい何が恥ずかしいのだろうと、
要らぬ想像をしてしまいました。
映画は、両方とも観ていません。
赤木圭一郎は、亡くなってからTVで取り上げられる
ものを見ただけで、活躍していた頃は知りません。
フラダンさんへ
nakapa 一番乗り有難うございます。
エビスビールのコマシャルソングのことは覚えています。
「海よ怒るな霧笛が泣くぜ ! 俺の心がさかまくぜ !
颯爽、海の男赤木圭一郎、大暴れ !」これが『霧笛……』のキャッチコピーです。
DVD借りたくなりましたか?私と正反対のヒーローが出てくる映画が好きです。
鶴子さんへ
nakapa 多分、名画との比較でB級映画的な「霧笛…」を恥ずかしいと思うのでしょう。
本来、B級映画とは短期間撮影の低予算で製作された映画のことですが、
質の悪い映画と誤解する人もいます。両映画に共通しているのは「作りの良さ」。
ヒーローとヒロインの間に恋愛感情があるのか無いのか分からないような
上品な映画です。自信を持ってお薦めできる二本です。
聴きたいわ ナカパさんの第三の男・・じゃなくて・・・
うふふの小母はん いつも楽しいお話読ませていただいています。
そうだったのですか!このお話読むまで知りませんでした。
七人の侍が荒野の7人になるように、映画のリメイクは堂々としていますから、夜霧・・は観てはいませんが、興味がわいてきました。
ナカパさんの楽しくも鋭い映画の解説、これからもお願いします。
夜霧・・の監督はもしかして、熱烈キャロル・リードの崇拝者だったのかもしれませんね。なんて解釈は成り立ちませんか?もしくは、脚本にゾッコンだとか。
でもセリフの解釈!楽しいですね。
ナカパさんの歌う夜霧・・お聴き出来る日を楽しみにお待ちしています。
実はオーソン・ウェルズ、市民ケーン以来のフアンです。って、歳がバレバレね(爆)
ちゃちゃ なかぱさん、おはようございます。
マドロス・パイプ片手に、夜の港に立つなかぱさん、霧の向こうをみつめ、静かに歌いだす。いいなあ。その歌声がCDになったら、一枚欲しいで~す。その際はご連絡くださいませ。
「第三の男」のテーマ曲、大好きです…。
ちょごり はじめまして
たぶん、赤木圭一郎をご存知だと言う事は、同じ時代を生きて来たのでしょうか、それとも、お若い方でしたらごめんなさい!
もちろん、第三の男も何度か見ています・・・
かなり昔ですが・・・
つい懐かしくなり、お邪魔させて頂きました。
又、お邪魔させて下さい
どうぞよろしくお願いします。
うふふの小母さまへ
nakapa 七人の侍は、あの時代には珍しく、アメリカが真似をしました。
日活のアクション映画はよく洋画の真似をしました。『夜霧よ今夜もありがとう』
などもそうですね。これはカサブランカですね。
実は、映画全般に詳しくありません。観た映画だけに詳しいのです。
PCに対する姿勢と同じです。興味あることを掘り下げるのは好きですが、
横には広がらないのです。
エライ人みたいに「個別の案件には、お答えできません」とか言えると
いいのですが、私が言ったら可笑しいでしょう(笑)。
ちゃちゃさんへ
nakapa そうですね。船乗りの格好して波止場に立ってみたいですね。
出航したら、とたんに船酔いですが…。
「霧の向こうをみつめ、静かに歌いだす。いいなあ」
私の心を見透かさないで下さい(笑)。
一枚なんて遠慮しないで下さい。百万枚上げますよ。
実現することは絶対に無いので何とでも言えます。失礼しました。
ちょごりさんへ
nakapa はじめまして、訪問有難うございます。
多分私の方が年上と思います。「霧笛」が上映されたころは
成人式を挙げていましたから。
10代のファンが多い中で、年寄りの方でした。
日活無国籍アクションが大好きでした。
もっとも「霧笛」の場合は、横浜で登場するバンドホテルも実在のホテル。
ハッキリと日本国籍でした。 これからもよろしくお願いします。
私は夢を見た。 なんと、この私が温暖化問題を解決して、地球を救うヒーローになってしまうのだ。 夢は宝くじで3億円を当てたときから始まった。
貧乏な私は金の使い方を知らない。思い悩んだ末、いいことを思いついた。
この金を使って地球を救うのだ。
地球が危ないと騒いでいる人たちがいる。 地球温暖化を防ぐため
「レジ袋は止めよう!」と言うのだ。
「困りましたね~。スーパーでレジ袋くれないんですよ」
「温暖化防止よ! 知らないの。レジ袋は作るときも燃やすときも炭酸ガスを出すんだよ。 環境に悪いの! 今はマイバックが常識だよ」
「レジ袋をカバンの中に入れとくと、何かもらったときに便利なんですよ」
「少しは世の中の為になること考えなさい」

家の窓から見た2009年10月6日の空
そうなのだ。私には当たりクジ3億円で、地球を救う夢がある。 先ず、3億円全額を賞金に使ってしまおう。例の新素材を開発した人に上げるのだ。 そして、製品化は大企業に任せればよい。
例の素材とは、とんでもなく丈夫な、超軽量炭素繊維のこと。これがあれば南極の氷山を曳航して、水を必要とする場所まで運搬することが出来る。
「氷山なんか、運んでいる内に融けちゃうよ」
「多少融けても、海水と混ざらない様にしなければなりません。 そのためには、氷山を包む、とんでもなく丈夫な超軽量繊維が必要なのです」
「氷山を包む大風呂敷かい」
「そうなんです。実現の鍵は素材ですね」
「包めるわけないしょ」
「その素材は、限りなく強く、限りなく軽い。そして、しなやか」
「その名は、オオブロシキ~」
「違いま~す。"カーボン・ナノチューブ"です」
「それって、何?」
「分かりません。 分からない方が夢が膨らんでワクワクするでしょ」
「うん、分かる分かる」
分からないと気がすまない方はこちら→ 驚異の新素材カーボンナノチューブ
地球温暖化の影響で海面が上がり、太平洋の小さな島など無くなってしまうという。 つまり、住む所が無くなってしまうのだ。
ならば、新たに住む所を作ればよい。 昔から人間は水のある所に住んでいる。言い換えれば、居住に適さない場所でも水を与えれば住みよい場所に変わるのだ。
「南極の氷山で水不足を解消するなんて、いいアイディアだよ。 あんたにしては上出来じゃない」
「氷山運搬の件ですが、実は連載小説『氷山の南』から拝借しました」
「やっぱしね。 夢を見たなんて、ウソなんでしょ」
「宝くじのことはホントですよ」
「えっ! 当たったの? アタシ欲しい物あるんだ~。札幌駅直結の高層マンション最上階を買おうよ。残ったら老後の為に貯金しよう」
「ごめんなさい。その嘘ほんとうナノです」
「えっ なんナノよ!」
ナノとは、単位の接頭辞で、10億分の1を表す。カーボン・ナノチューブとは. しなやかで軽い夢の素材である。
私はその存在を初めて知り、人類の未来に明るい希望を見い出した。 無知とは有難い。 知らぬが故に希望が湯水のようにわいてくる。

母と子の絆がしっかりと結ばれている印象を受けた、2004年8月中島公園
いつの日か、カーボン・ナノチュープのオオブロシキが、南極の氷山を包んで砂漠に水をプレゼントするかもしれない。 飢える人はいなくなり、戦争は減る。 平和への階段を一歩一歩上れるかもしれない。
地球温暖化による犠牲者が、現在どのくらいいるか私には分からない。 一方、世界で10億人が飢餓状態にあることは、誰もが分かる統計上の事実。
しかも、そのほとんどは紛争地域にある。
参考:北海道新聞朝刊の連載小説『氷山の南(池澤夏樹)』
美味しい「中島パフェ」秋バージョン登場。 クリック→美味しいパフェ・リンク
貧乏な私は金の使い方を知らない。思い悩んだ末、いいことを思いついた。
この金を使って地球を救うのだ。
地球が危ないと騒いでいる人たちがいる。 地球温暖化を防ぐため
「レジ袋は止めよう!」と言うのだ。
「困りましたね~。スーパーでレジ袋くれないんですよ」
「温暖化防止よ! 知らないの。レジ袋は作るときも燃やすときも炭酸ガスを出すんだよ。 環境に悪いの! 今はマイバックが常識だよ」
「レジ袋をカバンの中に入れとくと、何かもらったときに便利なんですよ」
「少しは世の中の為になること考えなさい」

家の窓から見た2009年10月6日の空
そうなのだ。私には当たりクジ3億円で、地球を救う夢がある。 先ず、3億円全額を賞金に使ってしまおう。例の新素材を開発した人に上げるのだ。 そして、製品化は大企業に任せればよい。
例の素材とは、とんでもなく丈夫な、超軽量炭素繊維のこと。これがあれば南極の氷山を曳航して、水を必要とする場所まで運搬することが出来る。
「氷山なんか、運んでいる内に融けちゃうよ」
「多少融けても、海水と混ざらない様にしなければなりません。 そのためには、氷山を包む、とんでもなく丈夫な超軽量繊維が必要なのです」
「氷山を包む大風呂敷かい」
「そうなんです。実現の鍵は素材ですね」
「包めるわけないしょ」
「その素材は、限りなく強く、限りなく軽い。そして、しなやか」
「その名は、オオブロシキ~」
「違いま~す。"カーボン・ナノチューブ"です」
「それって、何?」
「分かりません。 分からない方が夢が膨らんでワクワクするでしょ」
「うん、分かる分かる」

地球温暖化の影響で海面が上がり、太平洋の小さな島など無くなってしまうという。 つまり、住む所が無くなってしまうのだ。
ならば、新たに住む所を作ればよい。 昔から人間は水のある所に住んでいる。言い換えれば、居住に適さない場所でも水を与えれば住みよい場所に変わるのだ。
「南極の氷山で水不足を解消するなんて、いいアイディアだよ。 あんたにしては上出来じゃない」
「氷山運搬の件ですが、実は連載小説『氷山の南』から拝借しました」
「やっぱしね。 夢を見たなんて、ウソなんでしょ」
「宝くじのことはホントですよ」
「えっ! 当たったの? アタシ欲しい物あるんだ~。札幌駅直結の高層マンション最上階を買おうよ。残ったら老後の為に貯金しよう」
「ごめんなさい。その嘘ほんとうナノです」
「えっ なんナノよ!」
ナノとは、単位の接頭辞で、10億分の1を表す。カーボン・ナノチューブとは. しなやかで軽い夢の素材である。
私はその存在を初めて知り、人類の未来に明るい希望を見い出した。 無知とは有難い。 知らぬが故に希望が湯水のようにわいてくる。

母と子の絆がしっかりと結ばれている印象を受けた、2004年8月中島公園
いつの日か、カーボン・ナノチュープのオオブロシキが、南極の氷山を包んで砂漠に水をプレゼントするかもしれない。 飢える人はいなくなり、戦争は減る。 平和への階段を一歩一歩上れるかもしれない。
地球温暖化による犠牲者が、現在どのくらいいるか私には分からない。 一方、世界で10億人が飢餓状態にあることは、誰もが分かる統計上の事実。
しかも、そのほとんどは紛争地域にある。
参考:北海道新聞朝刊の連載小説『氷山の南(池澤夏樹)』
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nonko-mn 当たったのですかぁ~~それだけでも凄い事だよ。
その上広げましたかカーボン・ナノチューブなど言うものを。
これ以上どうやって広げれば良いのって言うくらい大きな風呂敷を・・・。
氷山を一生懸命包んでいるnakapaさんにお目にかかった時は
”アラ・・・ほんとに当たったのね”手を叩きます(拍手ぅ・・・ってネ)
あまり大変なものには当たらないで下さいね(*^ー°v。
3億円の夢
賢爺 地球を救うヒーローと3億円、面白い夢ですね!
しかし、ひとつの国で何兆何億円もの予算をつぎ込み、世界中の国が歩調を合わせないと、地球温暖化の問題は解決しません。
nonko-mn さんへ
nakapa 氷山は巨大です。見えている部分は約1割。大部分は水面下です。
これを包んで船で曳航すると言うのですから、凄いですね。先端技術の総動員です。
面白いですね。道新の連載小説『氷山の南』。もし、読んでなかったら、
ぜひ読んで下さい。宝くじで3億円当たっても、全てを投げ出して、
この巨大プロジェクトを実現したいと、思う様になります。
面白いですよ~。この小説。 今では読んでいることを後悔しています。
宝くじ当たったら本当に寄付してしまうかもしれません。怖いですね~。
やはり、読まないほうがいいでしょう。
賢爺さんへ
nakapa 地球温暖化については太陽活動説、宇宙線説、地球内部説など、いろいろあり、
CO2説は現在、最有力です。 現実はインド洋で沈みそうな島があります。
太平洋の島もそれに続きそうです。 根本的な解決法と平行して緊急避難も
必要と思います。その点では南極の氷山で砂漠を潤し緑地に変える話は
夢があっていいですね。 道新の連載小説です。
イチゴとリンゴの館 3億円ってどれだけの重さなの???
見た事ないからね~(*^。^*)
いやはや大変な夢を見ましたね~^^
そして夢がでっかいね~氷山の氷を何とやらの風呂敷に包んでね~
オヨネさんも仲間に入れてね(^_-)-☆
夢 本当に楽しかったよ・・・ありがとう!!!
おーりーおばさん わたしに3億円が当たったら1億円は夢の実現の
ために使います。
2億円は寄付します。どこに寄付しようかなと
考えているだけで楽しくなってきます♪
札幌の空はやっぱりきれいです!
空と雲は大好きで写真を撮りだめしています。
ちゃちゃ ヤッター!ヤッター!ナカパマン!
いいですねえ、三億円。私にも想像がつきません。三億円が当たると銀行が精神安定のための本をくれるとか。我が娘はその本を欲しがっています。
それにしても幅2mも窓ガラス、すごいですね。思わず私も測ってみました。一番広い窓で1mでした。なかぱさんの勝ち~い!
のん子 いやいや、科学の進歩ってスゴイですからね~
全くの夢物語でもないような気もして来ました(^-^ )
温暖化はほんと地球滅亡に向かってるかもです(><)
集中豪雨とかの余分な雨を水の足りない地域に回す方法もないのかって何時も思っています
イチゴとリンゴの館さんへ
nakapa 3億円は、けっこう重いですよ。持ったことありませんが、多分重いです。
大変な夢というか、私が見たくて見た夢ですから…。
真面目に読んでくれて有難うございます。カーボン・ナノチューブ
に氷山を包み船で曳航します。
>オヨネさんも仲間に入れてね(^_-)-☆
大歓迎です。先ず宝くじを買って下さい。あとはホンノ気持ちでけっこうです。
おーりーおばさん へ
nakapa そうなんです。考えるだけで楽しくなるのです。
現実問題となると、いろいろ大変です。間違っても
当たりはしないと思っているから楽しいのです。
空とか雪の写真は私も好きです。そらは変化が
大きいからいいですね。
私が所属するホームページクラブのバス旅行で旭山動物園に行った。 家に着くと、いつものようにQPが尋ねた。 「楽しかったかい?」
「帰りのバスの中らか見た夕焼けが、とても奇麗でした」
「夕焼けだったら、家から見えたよ」
「バスの窓から見る、壮大な夕焼けは、ホントに素晴らしいですよ」
「窓だったら、家の方がずーっと大きいよ。幅が2mの一枚ガラスなんだから」
雄大な景観を口で説明するのはホントに難しい。

幅2mの一枚ガラス。家の窓を通して観える夕焼けも絶景かな。
「動物園楽しかったですよ。今度一緒に行きませんか」
「アザラシ見た?」
「地下で水中のアザラシを見ようとしたのですが……」
せっかちなQPは、最後まで言わせてくれない。
「混雑してて見れなかったんでしょ」
「私一人でしたよ」
「あんた、ノロマのクセに運だけはいいんだね」
テレビで丸いガラス管みたいな円筒型水槽を泳ぐアザラシを見て感動した。 ぜひ、これを見てやろうと地下の水槽の前で頑張っていた。
しかし、円筒型はおろか、一般水槽の中には一頭も見えない。アナウンスがあったので、その内来るだろうと待っていたが、何も来なかった。
上の方が、なにやら騒がしいので上がってみると、黒山の人だかりで何も見えない。 どうやら、アザラシに餌をやっているらしい。下には来ないはずだ。
「じゃあ、いったい何が面白かったの?」
「カラスかな…」
「家のそばに、いくらでもいるでしょ」
「檻に入っているから近くで見えるのです」
「気持ちわる~い」
「カラスは賢く、知能は幼児や犬より高いのです」
「わる賢いだけでしょ」
「人はカラスより賢いのですから、率先して環境を奇麗にしなければいけません」
「カラスなんか、ゴミを散らかしたり、汚してばかりいるじゃない」
「死体を食べて、自然環境を掃除したり、チゴハヤブサに巣を提供しています。 カラスは生態系に欠かせない動物です」
「面白かったか聞いているのに、屁理屈多いんだね~、まったく~」
「真面目に聞いて下さい。自然環境の為に大切なことです!」
「なによ、エラそうに。掃除もろくにしないで。 家の環境はどうなっちゃうの!」

鴨と遊ぶ、中島公園菖蒲池のカラス
「地球にやさしい」という言葉に違和感を覚える。 地球に住む人に優しい。 あるいは動植物に優しいというなら、話は分かる。
地球は氷河期になろうと、火山の噴火で溶岩だらけになろうと生きてきた。 たとえ、温暖化で海が倍になったとしても、鉄やニッケルが主体の中心部はビクともしない。
「地球の温暖化は、人類滅亡の危機であっても、決して地球存亡の危機ではないのです」
「だから、どうしたのさ」
「地球にやさしくしようとか言うのは、人間の思い上がりです」
「地球の表面は水と緑が大切なの! 中心部なんか人が住めないじゃない」
「分かりました。地球のお肌にやさしい、にしましょう。 これでいいですね」
みやげ話 可哀想なお土産
バス旅行中、最初に入った公衆トイレが、気に入らなかったので、次の休憩では、お店のを借りることに決めていた。
店に入ると、売り場があり、その奥がトイレになっている。いつものように心ばかりのお土産を買って、ついでのフリをして、トイレに入った。 QPへのお土産は出来たし、まさに一石二鳥である。
「ただいま! これ、お土産です」
「また、余計なもの買ってきて……」
長年連れ添ったQPだから、私の行動パタンを知っている。
「また、とはご挨拶ですね。分かるんですか?」
「トイレに入ったお土産なんか有難くないね。 まったく気が小さいんだから」
「帰りのバスの中らか見た夕焼けが、とても奇麗でした」
「夕焼けだったら、家から見えたよ」
「バスの窓から見る、壮大な夕焼けは、ホントに素晴らしいですよ」
「窓だったら、家の方がずーっと大きいよ。幅が2mの一枚ガラスなんだから」
雄大な景観を口で説明するのはホントに難しい。

幅2mの一枚ガラス。家の窓を通して観える夕焼けも絶景かな。
「動物園楽しかったですよ。今度一緒に行きませんか」
「アザラシ見た?」
「地下で水中のアザラシを見ようとしたのですが……」
せっかちなQPは、最後まで言わせてくれない。
「混雑してて見れなかったんでしょ」
「私一人でしたよ」
「あんた、ノロマのクセに運だけはいいんだね」
テレビで丸いガラス管みたいな円筒型水槽を泳ぐアザラシを見て感動した。 ぜひ、これを見てやろうと地下の水槽の前で頑張っていた。
しかし、円筒型はおろか、一般水槽の中には一頭も見えない。アナウンスがあったので、その内来るだろうと待っていたが、何も来なかった。
上の方が、なにやら騒がしいので上がってみると、黒山の人だかりで何も見えない。 どうやら、アザラシに餌をやっているらしい。下には来ないはずだ。
「じゃあ、いったい何が面白かったの?」
「カラスかな…」
「家のそばに、いくらでもいるでしょ」
「檻に入っているから近くで見えるのです」
「気持ちわる~い」
「カラスは賢く、知能は幼児や犬より高いのです」
「わる賢いだけでしょ」
「人はカラスより賢いのですから、率先して環境を奇麗にしなければいけません」
「カラスなんか、ゴミを散らかしたり、汚してばかりいるじゃない」
「死体を食べて、自然環境を掃除したり、チゴハヤブサに巣を提供しています。 カラスは生態系に欠かせない動物です」
「面白かったか聞いているのに、屁理屈多いんだね~、まったく~」
「真面目に聞いて下さい。自然環境の為に大切なことです!」
「なによ、エラそうに。掃除もろくにしないで。 家の環境はどうなっちゃうの!」

鴨と遊ぶ、中島公園菖蒲池のカラス
「地球にやさしい」という言葉に違和感を覚える。 地球に住む人に優しい。 あるいは動植物に優しいというなら、話は分かる。
地球は氷河期になろうと、火山の噴火で溶岩だらけになろうと生きてきた。 たとえ、温暖化で海が倍になったとしても、鉄やニッケルが主体の中心部はビクともしない。
「地球の温暖化は、人類滅亡の危機であっても、決して地球存亡の危機ではないのです」
「だから、どうしたのさ」
「地球にやさしくしようとか言うのは、人間の思い上がりです」
「地球の表面は水と緑が大切なの! 中心部なんか人が住めないじゃない」
「分かりました。地球のお肌にやさしい、にしましょう。 これでいいですね」

バス旅行中、最初に入った公衆トイレが、気に入らなかったので、次の休憩では、お店のを借りることに決めていた。
店に入ると、売り場があり、その奥がトイレになっている。いつものように心ばかりのお土産を買って、ついでのフリをして、トイレに入った。 QPへのお土産は出来たし、まさに一石二鳥である。
「ただいま! これ、お土産です」
「また、余計なもの買ってきて……」
長年連れ添ったQPだから、私の行動パタンを知っている。
「また、とはご挨拶ですね。分かるんですか?」
「トイレに入ったお土産なんか有難くないね。 まったく気が小さいんだから」
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鶴子 聞き慣れましたが、最初「地球にやさしい」というキャッチコピーを聞いた時、
私も違和感を覚えました。 地球にやさしいって?
ところで、QPさんへのお土産は何を買われたのでしょうか。
こまどり ほんとですね、地球に優しいって、漠然としていますよね。人に優しいがいいですね。
わたしも、動物園にカラスが檻のなかにいたので
不思議に思って眺めてきました。
わたし、カラス面白いので 好きではないけれど、関心あります。
鶴さんとおなじく、お土産はなにを買ったのかな?
おーりーおばさん 旭山動物園はすっかり有名になりましたね。
テレビにもひんぱんに取り上げられています。
QPさんはすっかりお見通しなんですね(笑)
2メートルの1枚ガラスから見える夕日は
本当にすばらしいです。
のん子 今日もお二人の会話は絶好調ですね(^-^ )
理想と現実、結果と経過、本音と建前
とても面白かったです(笑)
トイレへ入るために買ったお土産って正直に仰ったのですか?(^^ゞ
ちゃちゃ なかぱさん、おはようございます。
旭山動物園には行ってみたいのですが、昨今の混雑振りを聞くと、一日滞在しなくては見たいものが見られないかと恐れています。やっはり、そうなのですね。
「地球の肌にやさしい」、いいですね。「私の肌」にやさしいものは「地球の肌」にもやさしいのだって、わかりやすいですよね。
鶴子さんへ
nakapa グーグルで「地球にやさしい」検索すると。掃除用品ショップが一番上に出ています。
キャンペーンで意図的に一方向に世論をもって行くと、もっと大切なことが
忘れられる恐れがあります。例えば世界規模での食料・水不足などです。
お土産は「行者にんにく味噌」でした。
こまどりさんへ
nakapa 私も好きではないですが、カラスの好きな人の気持ちは分かります。
なつくみたいですね。行者にんにくです。熱いご飯にかけて食べると
美味しいのですが、形状や臭いが、トイレを連想させるものがありますね。
おーりーおばさん へ
nakapa 長年一緒に暮らしているので、私の行動パタンは、だいたい把握しています。
しかし、どちらかと言うと私の方が、より多くQPのことを知っています。
大きな一枚ガラスは視界が広く感じて気分はいいですが、壊れたら大変みたいです。
業者さんが、先ずクレーン車が必要と言っていました。ガラスは小さい方が安心ですね。
のん子さんへ
nakapa 有難うございます。面白いと言ってもらえると、とても嬉しいです。
過去に言ったことがあります。ホテルでお土産買って奇麗なトイレを使った話を…。
そのときは、なるほどと、感心してくれたような気がします。
ちゃちゃさんへ
nakapa おはようございます。
その日は駐車場などを見ても混雑している様子は無かったのですが、
人気のスポットが混んでいて見にくかったです。
そうなんですよ。今、地球にやさしい、と言っているのは、地表のことですね。
そう考えて納得が行きました。私たちの生存範囲の話と思います。
ある人から質問があったので、夫婦円満の秘訣を披露したが、笑い飛ばされてしまった。「仲良くするために卑屈になるのはゴメンだ」と言うのだ。
卑屈になんかなっていない。そんな屈折したものではない。 これでも人生一直線、真っ直ぐに歩んできたつもりだ。
「今日は誕生日ですね。 お祝いに面白い芸をして笑わせてあげましょう」
「そんな気分じゃないの。また年とっちゃったんだから」
「それでは散歩にでも、お付き合いしましょうか」
「なにを言ってんのよ。自分が行きたいくせに」
「そんなことありません。お互いの健康のためです」
「誕生日のお祝いじゃあなかったの」
「まあ、いいじゃあないですか」
QPは、あと2年で古希だ。 「人生を70年も生きる人は、古くから稀である」と、言われていたが、それは昔のこと。今の70歳は、若くてピンピンしている。
それでも、人生でいえば秋、限りなく冬に近い秋だ。 癒しも慰めも必要だろう。 「そうだ! QPのために秋を撮りに行こう」。 そう思って、中島公園をうろついていると、キタラの前で小さな秋をみつけた。

「花の命は短くて」と言うけれど、QPも長生きしたものだ。 省みれば、花のない人生だった。 花に例えるのは、もともと無理だが、あえて言えば秋明菊。
花の季節の最後まで、しつっこく咲いている。 花言葉は「忍耐」「薄れゆく愛」「多感なとき」 だそうだ。
「忍耐」しているのは私の方だし、「薄れゆく愛」は微妙だから、ノーコメント。 「多感なとき」とは、どんなときかな。 多分プンプン怒っているときだろう。

青い空は私。 白いけれど真っ白でない雲はQP。 青い私の家は、ほとんど雲に占拠され、覆い尽くされそうだ。
私の家の名義は「空」だが、ほとんど「雲」に乗っ取られている。 私が専有する青い部分はホンの僅かだ。 そこにベッドからパソコンまで詰め込んである。本や雑品でギュウギュウだ。
「みんな長生きしてるじゃない」
「そうですね。弥生時代の寿命は30歳くらい江戸時代では42歳くらいかな。それが今は80を超えています」
「大昔は爺さんが居なかったんだね」
「野生の動物には爺さんも婆さんもいません。
石器時代には老人は存在しなかったはずです」
「どうして」
「人も、野生動物と同じ立場でした」
「それで…」
「例えばライオンの時速が60km、エサになるシマウマの時速が45kmとすると。年をとって走るのが遅くなったライオンは餌が獲れないので生きていけません」
「15キロも差があるのに」
「シマウマは遠くにいるライオンの存在を感知して、直ちに逃げる習性があります」
「追い着くスピードが必要なのね。 爺さんじゃ無理、案外辛いもんだね」
「お婆さんも同じですよ。給食も医療も介護もなかったら、長生きはできません」
「今だって、怠け者しか長生きできないんだよ」
「ナマケモノの寿命は知りません」
「あんたの寿命でいいんだよ。怠け者なんだから」
ご主人様と散歩。 リードは長く、ポチは自由だ。
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卑屈になんかなっていない。そんな屈折したものではない。 これでも人生一直線、真っ直ぐに歩んできたつもりだ。
「今日は誕生日ですね。 お祝いに面白い芸をして笑わせてあげましょう」
「そんな気分じゃないの。また年とっちゃったんだから」
「それでは散歩にでも、お付き合いしましょうか」
「なにを言ってんのよ。自分が行きたいくせに」
「そんなことありません。お互いの健康のためです」
「誕生日のお祝いじゃあなかったの」
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QPは、あと2年で古希だ。 「人生を70年も生きる人は、古くから稀である」と、言われていたが、それは昔のこと。今の70歳は、若くてピンピンしている。
それでも、人生でいえば秋、限りなく冬に近い秋だ。 癒しも慰めも必要だろう。 「そうだ! QPのために秋を撮りに行こう」。 そう思って、中島公園をうろついていると、キタラの前で小さな秋をみつけた。

「花の命は短くて」と言うけれど、QPも長生きしたものだ。 省みれば、花のない人生だった。 花に例えるのは、もともと無理だが、あえて言えば秋明菊。
花の季節の最後まで、しつっこく咲いている。 花言葉は「忍耐」「薄れゆく愛」「多感なとき」 だそうだ。
「忍耐」しているのは私の方だし、「薄れゆく愛」は微妙だから、ノーコメント。 「多感なとき」とは、どんなときかな。 多分プンプン怒っているときだろう。

青い空は私。 白いけれど真っ白でない雲はQP。 青い私の家は、ほとんど雲に占拠され、覆い尽くされそうだ。
私の家の名義は「空」だが、ほとんど「雲」に乗っ取られている。 私が専有する青い部分はホンの僅かだ。 そこにベッドからパソコンまで詰め込んである。本や雑品でギュウギュウだ。
「みんな長生きしてるじゃない」
「そうですね。弥生時代の寿命は30歳くらい江戸時代では42歳くらいかな。それが今は80を超えています」
「大昔は爺さんが居なかったんだね」
「野生の動物には爺さんも婆さんもいません。
石器時代には老人は存在しなかったはずです」
「どうして」
「人も、野生動物と同じ立場でした」
「それで…」
「例えばライオンの時速が60km、エサになるシマウマの時速が45kmとすると。年をとって走るのが遅くなったライオンは餌が獲れないので生きていけません」
「15キロも差があるのに」
「シマウマは遠くにいるライオンの存在を感知して、直ちに逃げる習性があります」
「追い着くスピードが必要なのね。 爺さんじゃ無理、案外辛いもんだね」
「お婆さんも同じですよ。給食も医療も介護もなかったら、長生きはできません」
「今だって、怠け者しか長生きできないんだよ」
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フラダン QPさんの為に秋を撮りに行こうには、ナンテお優しいのだろうと思ったけど、
「秋明菊」にちなんだウンチクには、笑えたわ~~
「青い空は私。 白いけれど真っ白でない雲はQP」なんて、なんて事云うのよ!
ご自分の都合の良い様に(笑い)「大昔は爺さんが居なかったんだね」にも
笑っちゃったけど妙に納得!動物もおじいさんいるでしょ。。??
中島公園の写真綺麗ですネ
ちゃちゃ 日付が変わり、日曜日になると、ああ、そこはもう大好きな「なかぱ・ワールド」。私も一週間生きのびたのだと実感します。
それにしても「中島パフェ」、クリックするたびによだれがでてきて困ります。早く食べに行かないと冬になっちゃうよ!でも、きっと冬バージョンできるよね。
中島公園も秋ですね。大きく広がる青い空になかぱさんの寛大さを感じます。QPさんは幸せですね。
OSS025 > 省みれば、花のない人生だった。花に例えるのは、もともと無理だが、あえて言えば秋明菊。
ご本人ではなく、nakapaさんが言うのはこれ如何に?
>花言葉は「忍耐」「薄れゆく愛」「多感なとき」 だそうだ。
この「忍耐」と「薄れゆく愛」というのが、連想ゲームのように日ごろのQPさんとの掛け合いを
イメージして、あまりにもぴったりで笑えました。
ご主人様と散歩の写真は、これも中島公園でしょうか?
先を行くポチは嬉しそうですが、ご主人様はかなりの大股で引っ張られて面白い光景ですね。
こまどり いつも会話がおもしろいですねー。言葉づかいの落差がまた個性的でおもしろいんですよね。
うん、二人を空と雲に例えたところなど 文学的ですね。いつもおもうのですが 楽しいコメデイタッチのドラマをみせていただいているかんじなんです。そう、そう、QPさんとこまどり同じ誕生日だったこと以前にききましたものね。
こまどりもQPさんと同じ★のもとだから似ているかもしれないよ。
フラダンさんへ
nakapa いつも楽しいコメント有難うございます。お陰さまで気分爽快です。
QPをダシに使って書かせてもらっているので、たまにはサービス
をしたいと思いまして、秋を見つけに行きました。
空想の世界では、自分の都合のいいように、していられるから
書くのが好きです。ペットなら動物のお爺さんもいると思いますが、
野生では生きられないのではないでしょうか。見たことないの分かりませんが。
なにぶん中島公園だけの「井の中の蛙」です。
私の唯一の写真;中島公園を褒めてくれて有難うございます。
ちゃちゃさんへ
nakapa >大好きな「なかぱ・ワールド」
有難うございます。このワンフレーズで励まされ、もりもり書く気がわいてきました。
どうもすみません。「中島パフェ」の写真ばかりデカデカと載せてしまって。
英断をもって製作販売してくれたホテルに感謝の気持ちでPRまがいのことをしています。
QPは幸せですよ。今朝は食事の支度から後片付けまでさせられました。
あごで使える人が、そばにいることは幸せなことと思います(笑)。
nonno67 おはよう御座います。
nakapaワールドは健在ですね。
>>「ナマケモノの寿命は知りません」
「あんたの寿命でいいんだよ。怠け者なんだから」<<笑っちゃいました。まぁ人間も野生だったら・・・って考えると。私なんぞ30歳いも無理だなぁ・・・ナンテ考えちゃう。
プレゼントには散歩だけなの???
イチゴとリンゴの館 半分冗談と思っても、少しは本音・・・脚色して
「ストーリーになる夫婦]なんだから面白いね~
結構漫才っぽいので、短編小説して売り出しら(*^。^*)
OSS025さんへ
nakapa > ご本人ではなく、nakapaさんが言うのはこれ如何に?
そうですね。考えてみれば、これマズイですね。内緒にしてください(笑)。
秋明菊の花言葉はとても共感を覚えました。なぜか他人事のように思えません。
ご主人様と犬は中島公園で撮りました。これが書くキッカケになりました。
最初の緑字の会話はご主人様と犬のつもりでしたが、分かり難かったかも知れません。
こまどりさんへ
nakapa 有難うございます。面白いといわれると、とても嬉しいです。
「文学的」とは、恐れ多いですが、素直に肯くことにしました。
文学とは、全ての人が心の中にもっているもの、外に向って発信するか、
どうかは別として、皆の心の中にあるような気がします。
そういえば、こまどりさん、とQPは誕生日が同じ。これも何かの縁ですね。
よろしくお願いします。
ホームページ「中島パフェ」の掲示板に次のような書き込みがありました。
「なかぱさんは、いい加減な人です。 親友なのか同居人なのか連れ合いか分からないQPさんを登場させてみたり、……」
ごもっともな、ご意見です。 説明の必要を痛感しました。 釈明します。
私はある人を恐れている。 このブログを読まれたら、叱られるのではないかと戦々恐々になりつつある。 だからQPという仮名(かめい)にしている。 決していい加減な気持ちではない。
QPはパソコンに触らないし、興味も示さないから、安心して何でも書くことができる。 しかし、ものごとに「絶対」はない。 そのための安全対策の第一が、QPという仮名である。
更に念を入れて、二重の安全対策を講じている。 QPの言葉遣いを実際とかけ離れた話し方にしているのだ。
こうして置けば万一QPが、このブログを読んだとしても自分のこととは思わないだろう。 これが私の「リスクマネジメント」である。
リスクマネジメントとは、これから起きるかもしれない危険に対して、事前に対応しておこうという行動である。 個人でもこの程度の安全対策はとっている。 しかるに日ハム球団は…。

中島公園菖蒲池 ボート乗場 2009年8月11日撮影
8月16日の日曜日は札幌ドームで野球観戦をしていた。 1年に一度しか行かないのに、面白いゲームに出会えた。 日ハムは延長10回2死満塁からベイリスの暴投でラッキーなサヨナラ勝ちをした。
インフルエンザの大野に代わって、出場したベテラン中嶋(40歳)が激走、サヨナラのホームを踏んだのだ。
中嶋は仲間から逃げたがつかまり、もみくちゃにされた。手荒い祝福を受けたものだ。 皆で押し倒して重なるなんて手荒すぎる。 これを濃厚な接触と言わないで何というだろうか?
「ドームのトイレに消毒液が置いてなかったですね」
「そんなことどうでもいいじゃない」
「大野選手がインフルエンザで欠場しましたが」
「代わりに中嶋が活躍したからいいじゃない。何でもケチ付けるんだね」
球団側はリスクマネジメントへの関心が薄いように思う。 遠征を繰り返す野球選手は、新型インフルエンザに感染しやすい環境に置かれている。 しっかりした予防対策を日頃から考えて置くべきだ。
「大野選手が欠場したとき、新型も視野に入れるべきでしたね」
「ただのインフルエンザかも知れないじゃない」
「消毒液ぐらい置けるでしょう。言葉で注意ぐらいできますね」
「言葉で何を?」
「例えば、濃厚な接触は止めろとか」
「感動のサヨナラの場面でもモミクチャにするなと言うの?」
「飛び上がって、バンザイなんかどうでしょうか」
球団側の措置は遅すぎる。 少なくとも大野選手がインフルエンザに罹ったときに「新型」と疑い、必要な措置をとるべきだと思う。
(翌日新型インフルエンザと判明)
たった、一日の違いではないかと、思うかも知れない。 しかし、感染症の場合一日の違いが大きく影響する場合がある。 根拠のある判断なら1分でも早い方がよいと思う。
インフルエンザ患者数(大半が新型)は8月第2週(10日~16日)は11万人、その前週は6万人。 8月入ってからは急拡大傾向をハッキリと示している。
しかし、8月中ごろまでのマスコミ報道は選挙とのりピー(酒井法子)ばかりだ。 視聴率でなく、重要度を判断して報道してほしい。 マスコミにとって報道の公共性は「表向きの方針」なのだろうか。
「起きてからでは遅いのです。リスクマネジメントが大切ですね。」
「転ばぬ先の杖ということかい」
「そのとおりです。雨が降ると思えば傘を持って行くのです」
「それで、あんたは出かける前に、雨降るかと何回も聞くんだね」
「あなたの予報は、よく当たりますよ」
「聞かれる方は、たまったもんじゃないよ!」
「そうですか」
「たまには、ずぶ濡れになって帰ってきな!」
「なかぱさんは、いい加減な人です。 親友なのか同居人なのか連れ合いか分からないQPさんを登場させてみたり、……」
ごもっともな、ご意見です。 説明の必要を痛感しました。 釈明します。
私はある人を恐れている。 このブログを読まれたら、叱られるのではないかと戦々恐々になりつつある。 だからQPという仮名(かめい)にしている。 決していい加減な気持ちではない。
QPはパソコンに触らないし、興味も示さないから、安心して何でも書くことができる。 しかし、ものごとに「絶対」はない。 そのための安全対策の第一が、QPという仮名である。
更に念を入れて、二重の安全対策を講じている。 QPの言葉遣いを実際とかけ離れた話し方にしているのだ。
こうして置けば万一QPが、このブログを読んだとしても自分のこととは思わないだろう。 これが私の「リスクマネジメント」である。
リスクマネジメントとは、これから起きるかもしれない危険に対して、事前に対応しておこうという行動である。 個人でもこの程度の安全対策はとっている。 しかるに日ハム球団は…。

中島公園菖蒲池 ボート乗場 2009年8月11日撮影
8月16日の日曜日は札幌ドームで野球観戦をしていた。 1年に一度しか行かないのに、面白いゲームに出会えた。 日ハムは延長10回2死満塁からベイリスの暴投でラッキーなサヨナラ勝ちをした。
インフルエンザの大野に代わって、出場したベテラン中嶋(40歳)が激走、サヨナラのホームを踏んだのだ。
中嶋は仲間から逃げたがつかまり、もみくちゃにされた。手荒い祝福を受けたものだ。 皆で押し倒して重なるなんて手荒すぎる。 これを濃厚な接触と言わないで何というだろうか?
「ドームのトイレに消毒液が置いてなかったですね」
「そんなことどうでもいいじゃない」
「大野選手がインフルエンザで欠場しましたが」
「代わりに中嶋が活躍したからいいじゃない。何でもケチ付けるんだね」
球団側はリスクマネジメントへの関心が薄いように思う。 遠征を繰り返す野球選手は、新型インフルエンザに感染しやすい環境に置かれている。 しっかりした予防対策を日頃から考えて置くべきだ。
「大野選手が欠場したとき、新型も視野に入れるべきでしたね」
「ただのインフルエンザかも知れないじゃない」
「消毒液ぐらい置けるでしょう。言葉で注意ぐらいできますね」
「言葉で何を?」
「例えば、濃厚な接触は止めろとか」
「感動のサヨナラの場面でもモミクチャにするなと言うの?」
「飛び上がって、バンザイなんかどうでしょうか」
球団側の措置は遅すぎる。 少なくとも大野選手がインフルエンザに罹ったときに「新型」と疑い、必要な措置をとるべきだと思う。
(翌日新型インフルエンザと判明)
たった、一日の違いではないかと、思うかも知れない。 しかし、感染症の場合一日の違いが大きく影響する場合がある。 根拠のある判断なら1分でも早い方がよいと思う。
インフルエンザ患者数(大半が新型)は8月第2週(10日~16日)は11万人、その前週は6万人。 8月入ってからは急拡大傾向をハッキリと示している。
しかし、8月中ごろまでのマスコミ報道は選挙とのりピー(酒井法子)ばかりだ。 視聴率でなく、重要度を判断して報道してほしい。 マスコミにとって報道の公共性は「表向きの方針」なのだろうか。
「起きてからでは遅いのです。リスクマネジメントが大切ですね。」
「転ばぬ先の杖ということかい」
「そのとおりです。雨が降ると思えば傘を持って行くのです」
「それで、あんたは出かける前に、雨降るかと何回も聞くんだね」
「あなたの予報は、よく当たりますよ」
「聞かれる方は、たまったもんじゃないよ!」
「そうですか」
「たまには、ずぶ濡れになって帰ってきな!」
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フラダン 夜更かししたお蔭で一番のりです、、、そして今日一番のお笑いです(^o^)丿
掲示板の書き込みはもしかして、恐れてる方では??リスクマネジメントしたつもりが、
結構スリリングな事ネ、、日ハムもホント、、リスクマネジメント必要だったと思うわ、
ナカパさんはずぶ濡れになってしまうタイプではないわね、、、私なら何時もずぶ濡れよ(笑い)
中島公園菖蒲池の写真が素敵です。
ちゃちゃ nakapa さん、おはようございます。
早起きしたおかげで、二番手となれました。
ブログを読んでくれている友人の中に、書いてあることの100%が真実だと思っている人がいます。「ああ書いてあったでしょ!」とか「あのブログにはこうあったでしょ!」とか事細かに覚えていてもくれるのです。私は「あることないことのブログだから…」と強調するのですが、未だにわかってくれません。「あることないこと」、これが私のブログへのリスクマネジメントかもしれません。
QPさまのことにしたって、事実ばかり書かれたら、たぶん、人の家庭を覗いているようなつまらなさを感じて、読むのをやめてしまうでしょう。なかぱさんのはエッセイなのでしょうし、多少の脚色があっていいのだと思いま~す。どんどんQPさまを登場させてくださいませ。楽しみに待っています。
nonko-mn おやおやそれでは3番手ですなぁ(^_^)v(*^ー°v
リスクマネジメントねぇ・・・・(>y<)
私も何もやっていないわ~~~~~(ノ≧ロ)ノ
せめて手洗いとうがい位しなきゃね。
コマクサ 人生折り返し線がとうに過ぎた今では、経験を考慮し
これからの生活する上では何事も「リスクマネジメント」は
何時も考えておく事が必要と思っています。
今流行ってきたインフレンザの事も勿論です。
何か起きてからよりも「リスクマネジメント」の
方が簡単に済みますからね。
おーりーおばさん リスクマネジメントけっこう考えるほうでもあるし
いい加減なほうでもあるし、自分でもわかりません。
QPさんには親しみを感じて、お友達(?)に
なった気分です(^・^)
フラダンさんへ
nakapa 一番乗り有難うございます。けっこう勇気いりますよね。
私の恐れている人はただ一人、書き込みどころかパソコンも触りません。
せっかく独走していた日ハムが、インフルエンザで4連敗とは情けないです。
自慢じゃないけど、私はずぶ濡れになって家に帰ったことありません。
私の自慢の写真を褒めてくれてありがとうございます。
今日の自慢は「レトロなボート乗場」。 いまどきこんな波止場はありません。
ちゃちゃさんへ
nakapa おはようございます。
100%事実は書くのも困難だし、そうゆうものを読むのも面倒ですね。
元々、4次元の世界を書いて、正確に表現することは不可能と思います。
仰るように「あることないことのブログだから…」と、言うことです。
ですから、書き手の誠意、事実とは違っても真実を語る姿勢が大切と思います。
>どんどんQPさまを登場させてくださいませ。楽しみに待っています。
有難うございます。実は、QPには退場を願うつもりでしたが、気が変わりました。
退場に際しての釈明と思いましたが、しばらく、働いてもらいます。
nonko-mn さんへ
nakapa はい、3番手です。銅メタルを差し上げます。
手洗いとうがいをすれば充分です。後は、お医者さんにお願いしましょう。
餅は餅屋です。
チグハグなリスクマネジメント
ひよどり リスクマネジメントはあらゆる場合に必要ですね。
ところがそれが難しい。
私は神経質に考え、マネジメントをしているようで、肝腎なことが抜けていたりします。
雨がふるかも知れないと思って、カメラの雨対策をしながら、自分の傘を忘れたりします。
笑っちゃいますね。
新型インフルエンザについては、まさに手抜きそのものだったと思います。
タミフルは不足、ワクチンも不足。
選挙に気をとられ、国民の健康リスクについては考えていませんでした。
「日本の官僚は優秀」という神話は、いつからなくなっていたのでしょうか。
コマクサさんへ
nakapa そうですね。何か起きる前のリスクマネジメントの方が、簡単に対応できます。
新型インフルエンザについて考えている内に、「危機管理」「フェイルセーフ」
「フェイルソフト」などいろいろな言葉を思い起こし最後に「リスクマネジメント」
にたどり着きました。 しかし、考えてみると「転ばぬ先の杖」という古来からの
似たような、言葉がありました。
亡くなって初めて、その名を知った人がいる。 忌野 清志郎。 遅まきながら、たいした人だと思った。
捕まって初めて、「のりピー語」なるものを覚えた。 酒井法子さんが流行らしたそうだ。 「いただきマンモス」「うれピー」。思わず口にしたくなるノリの好さ。
夕食に大好きなカレーライスが出た。
「美味しそー。 うれピー。 いただきマンモス」
「なにそれ?」
「知らないんですか。のりピー語ですよ」
「今さら何よと、言ってんの!」
夢を売るのが芸能人と言われているが、私の所には、かなり遅れて売りに来た。 「うれピー」も「いただきマンモス」も、初めて聞いた私には、とても新鮮に感じた。 もし、酒井さんが捕まらなかったら、私は一生、「のりピー語」に出会えなかったのかも知れない。
酒井法子さんは「麻薬・覚せい剤乱用防止センター」のキャンペーンをしていたと言う。 まさか自分が捕まるとは思わなかったのだろう。 あるいは、仕事は仕事、中身のことまで考えないのかも知れない。
役者にとっては全ては演技か? そこには、セリフと動作があるだけなのか。 裁判員制度のPR映画にも主婦の裁判員役で出ていたと言うではないか。 心を亡くすほど忙しかったのだろうか。
「覚せい剤やっているから、出られませんって言えばいいのにね」
「そんなこと言える訳ないでしょ」
「それじゃ、なんと言って断ればいいのですか?」
「忙しいって言えばいいじゃない」
それにしても、不思議なことがあるものだ。20年間も酒井法子なる人物を知らなかった私が、最近10日間で全てを知ってしまった。 「のりピー語」まで覚えてしまうほどだ。

コミュニティFM局ラジオカロスサッポロのスタジオ、時々ここで話しています。
水害も地震もあった。 政権交代を目前に控えているマニフェスト選挙もある。 中近東・北朝鮮問題が解決した訳でもない。 地球規模の大問題として、世界人口爆発・食料危機、地球温暖化、核兵器廃棄問題もある。
しかし、最近覚えたのは「のりピー語」だけだ。
「テレビはなんで、『のりピー』ばかりやるのでしょうね」
「そんなことテレビの勝手でしょ」
「電波は放送局が独占的に使うので公共性が求められているのです。放送局は排他的…」
「はいはい、今忙しいから後にしてね」
しからば、皆さんに聞いて頂きたい。 電波は、有限の資源だ。 免許を受けた放送事業者だけが排他的に使用できる。 いわば電波という国民の共有財産を特権的に利用しているのである。
それに放送による社会的影響力も大きい。 たとえ民放でも公共性を求められるのは当然ではないか。
テレビを観ているとコメンテーターが、したり顔でこんなことを言っている。
「酒井容疑者は、さわやかな清純派のイメージがウリですね。自分に寄せられる期待を自覚しなくてはいけません。こんな事件を起こすのは自覚が足りないからですよ」
世界中には砂の数ほどの情報がある。 それを取捨選択して流すのは、テレビ局だ。 酒井さんに関する報道を大量に流せば、その陰では大量の重要情報がカットされる。 テレビ局こそ自覚すべきと思う。
番組を作っているのは酒井法子さんではない!
今、ケイサツにいるんですよ。
捕まって初めて、「のりピー語」なるものを覚えた。 酒井法子さんが流行らしたそうだ。 「いただきマンモス」「うれピー」。思わず口にしたくなるノリの好さ。
夕食に大好きなカレーライスが出た。
「美味しそー。 うれピー。 いただきマンモス」
「なにそれ?」
「知らないんですか。のりピー語ですよ」
「今さら何よと、言ってんの!」
夢を売るのが芸能人と言われているが、私の所には、かなり遅れて売りに来た。 「うれピー」も「いただきマンモス」も、初めて聞いた私には、とても新鮮に感じた。 もし、酒井さんが捕まらなかったら、私は一生、「のりピー語」に出会えなかったのかも知れない。
酒井法子さんは「麻薬・覚せい剤乱用防止センター」のキャンペーンをしていたと言う。 まさか自分が捕まるとは思わなかったのだろう。 あるいは、仕事は仕事、中身のことまで考えないのかも知れない。
役者にとっては全ては演技か? そこには、セリフと動作があるだけなのか。 裁判員制度のPR映画にも主婦の裁判員役で出ていたと言うではないか。 心を亡くすほど忙しかったのだろうか。
「覚せい剤やっているから、出られませんって言えばいいのにね」
「そんなこと言える訳ないでしょ」
「それじゃ、なんと言って断ればいいのですか?」
「忙しいって言えばいいじゃない」
それにしても、不思議なことがあるものだ。20年間も酒井法子なる人物を知らなかった私が、最近10日間で全てを知ってしまった。 「のりピー語」まで覚えてしまうほどだ。

コミュニティFM局ラジオカロスサッポロのスタジオ、時々ここで話しています。
水害も地震もあった。 政権交代を目前に控えているマニフェスト選挙もある。 中近東・北朝鮮問題が解決した訳でもない。 地球規模の大問題として、世界人口爆発・食料危機、地球温暖化、核兵器廃棄問題もある。
しかし、最近覚えたのは「のりピー語」だけだ。
「テレビはなんで、『のりピー』ばかりやるのでしょうね」
「そんなことテレビの勝手でしょ」
「電波は放送局が独占的に使うので公共性が求められているのです。放送局は排他的…」
「はいはい、今忙しいから後にしてね」
しからば、皆さんに聞いて頂きたい。 電波は、有限の資源だ。 免許を受けた放送事業者だけが排他的に使用できる。 いわば電波という国民の共有財産を特権的に利用しているのである。
それに放送による社会的影響力も大きい。 たとえ民放でも公共性を求められるのは当然ではないか。
テレビを観ているとコメンテーターが、したり顔でこんなことを言っている。
「酒井容疑者は、さわやかな清純派のイメージがウリですね。自分に寄せられる期待を自覚しなくてはいけません。こんな事件を起こすのは自覚が足りないからですよ」
世界中には砂の数ほどの情報がある。 それを取捨選択して流すのは、テレビ局だ。 酒井さんに関する報道を大量に流せば、その陰では大量の重要情報がカットされる。 テレビ局こそ自覚すべきと思う。
番組を作っているのは酒井法子さんではない!
今、ケイサツにいるんですよ。
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ちゃちゃ nakapa さん、こんばんは!
新型インフルエンザ発生の時もそうでしたが、マスコミは騒ぎ過ぎです。報道する権利もあるでしょうが、報道しない義務もあると思います。
通称「よりP」を名乗る友人が「よりQ」にしようかと言っていました。もしかしたら、このQはあのQでしょうか。
ちゃちゃ nakapa さん、こんばんは!②
先を越されました!なかぱさんのブログにコメント書いてから、自分のを開けてみましたら、「あれ!」恐れ入ります。今週は私の負けです!
鶴子 酒井法子のことは、もちろん知っていましたが、
それほど強烈な印象のあるタレントではないように
思います。
nakapaさんが知らなくて当然(?)かも。
これがきっかけで、彼女に関連する商品に高値が
付いているとか。 えっ~!?です。
まさか、nakapaさんはオークションに参加してい
ませんよね。(笑)
nonko-mn おはよう御座います
女のお子さんが居なかったら知らないかもしれませんよ。ノリピー語なんて・・・
失ったものの大きさに今頃泣いているかも知れないね。
我が子と同じ年なんだぁと思いへ~~ッと思ったり。
忌野清志朗の方が驚いたわ私。ロックを聴かないからなんだろうけれど・・・
今30代半ば位からのロックフアンには神様のような存在なんですって。
清志朗フアンの姪からの受け売りです(^◇^)
こまどり nakapaさんの発想は ほんとに優しくて善意なこころから生まれてますね。
こまどりなど 単純で意地が悪いから ただ酒井法子は 覚せい剤を使って、逃げて、悪い人ときめつけているんですよ。
でも、サスペンス映画を見ているようで ちょっとおもしろくは ありませんか。
“人の不幸は密の味”なんていいますよね。
のん子 ほんと、見事どの局(NHK以外)も同じ内容でしたね(笑)
やはり視聴率の影響なんでしょうか?
民放も経費削減で情報共有してるのかと思いましたよ(^^ゞ
イチゴとリンゴの館 結局視聴率の問題なんでしょう・・・
話題には持って来いですよね~誰もがあのノりピーが思いますよ!
人間 顔・姿ではないんですよ・・・
あら~オヨネさん凄く偉そうな事」を言ってしまったね(^_-)-☆
大変失礼しました。
フラダン 忌野清志朗さんはチョッと田舎くさい、ロック歌手で又名前が良くないなぁ~なんて思って居た
程度です、亡くなって、はじめて結構偉大なロッカーだったんだと知りました。
我が家では男の孫は一人だけで、女系家族なので、「ノリピー」の事は自然に良く知って居りました。
マスコミは、報道も番組も質が落ちたと、最近は特にそう感じて居りますが、、、
コマクサ nakapaさん こんばんわぁヾ(*^▽^*)〃
先日のラジオカロスサッポロ聴くの忘れてしまいました。
予定表に書いていながら・・残念です。
忌野 清志郎も酒井法子も恥ずかしながら
nakapaさんと同じく知りませんでした。
テレビニュース見て可哀そう!と思いましたが
同じ内容のニュースは見る気がしませんでした。
本当に騒ぎ過ぎだと思います。
使ったほうもひどい
ひよどり 酒井法子について、私は綺麗な若い主婦的タレントと思っていました。
ところがとんでもない話だったので、とてもビックリしました。
私はビックリで済む話ですが、広報に使った警察や法務省は、それでは済まない話です。
クスリを使っていた人を、クスリ撲滅運動のキャンペーンに使うなんて、まさに言語同断です。
いわゆる「身体検査」はしなかったのでしょうか。
彼女の弟がヤクザだったというのですから、とても使える代物ではなかったはずではないかと思います。
やはり税金を使う人たちの感覚がおかしいのでしょうか。
イヤになります。
私は屁理屈をこねるのが大好きです。 それでブログをやっています。 しかし、屁理屈書いても、誰も読んでくれないし、嫌われてしまうのです。
「分かっちゃいるけど止められない」。 ホントに困ったものですね。 こんど生まれ変わったら、歌って踊れて屁理屈言わない、明るい人になりたいです。
未だに「主人」という言葉がピンと来ません。 「主人」と聞くと反作用として奴隷をを連想してしまいます。
私は常々、二人暮らしでも平等では、うまく行かないと思っています。 我家が何とか持ちこたえているのは、私が率先して「奴隷役」を引き受けているからです。
だからと言って、卑屈になっているわけではありません。 家の中には卑屈になる状況などないのです。 しかし、人間は群れで行動する動物だから、主従の関係は必要と思います。
不謹慎かもしれませんが、「この世は舞台。人生は芝居」と思っています。 「主・従の、どちらの役が好きですか?」と聞かれれば、やはり、主人の役(以下、主役)がいいと思います。
しかし、QPが奴隷の役(以下、従役)になりたがらないので、私が従役を引き受けているのです。 別に、いやいやという訳ではありません。 メリットもあるのです。
確かに主役の方が格好良く見えるかもしれません。 しかし、主役を引き立ててドラマを面白くしているのは脇役です。 いずれにしろ、強い方が弱い方を支配することには変わりはありません。

中島公園内を流れる鴨々川に架かる白鶴橋 7月27日撮影
「正しいものは勝つ、正直こそ宝」と信じているQPは、工夫が出来ないのです。 世の中と同様、家の中にも正邪で区別できないことが、いっぱいあります。 ですから、正直一筋で対応することはできません。
二人の世界では、自分が正しいと思ったことが、それぞれの正義です。 私は、QPの「正しさ」にグイグイ押されて、いつも負けています。 表面的にはですが…。
工夫のできないQPに勝ち目はありません。 私はホンのちょっと工夫するだけで、我家を実行支配することになりました。
そうは言っても従役はつらいものです。 QPの言うことは何でも聞かなければならないし、何を言われても、聞き流さなくてはなりません。
「だから、主従の関係ではなく、平等になればいいのだ」と思うかもしれません。しかし双方が平等に感じることは、ありえないでしょう。 少なくとも我家ではありえません。
もし、客観的に平等な状態があるとすれば、二人とも「自分は損している」と思うに決まっています。 ですから、主従の関係は必要不可欠なのです。
一見、主役であるQPの方が有利に思えますが、違います。 現代社会では情報がなによりも大切です。 良質な情報を握った者の勝ちになります。
QPは、命令したり指示したり常に情報を発信しています。 一方、従役の私は「ハイハイ」と聞くばかりです。 こうして、二人の世界では情報格差が生じるのです。
私が圧倒的多数の「QP情報」を握ることになります。 QPは何でもハイハイで、本音を口にしない私から、情報を得ることは出来ません。
主従の役割は、主役になるQPが自分の主張だけをして、私の言うことを聞かないことから始まりました。 実は、この時点で勝負は決まっているのです。
二人暮らしでも社会です。そこには主従の関係が必要です。
平等はありえないのです。 あなたも従役になって、主役の情報を握り、
あなたの家を実効支配してみませんか。楽しいですよ。
以上は、二人暮らしの屁理屈ですが、
国家レベルの屁理屈は「9条は押し付けでない」に書きました。
この記事のアクセス数(読んでくれた人の数)は最低でした。
コメントもゼロです。 しかし私は、こんなことが書きたくて、ブログを始めたました。 白状するのは早すぎたかも知れませんが、もう破れかぶれです。
「おぼしき事言はぬは腹ふくるるわざ」。 どなたか言ってましたね。
<お詫びと訂正>
不適切な表現がありました。筆者の知識不足によるもので他意はありません。お詫びします。そして、次の部分を削除しました。
「例えば、QPが「島を返せ!」と叫んでいるニッポンとすれば、 私は島(家)を実行支配しているロシアのようなものです。 利益が相反する交渉事では筋よりも力や工夫がものを言うのです」
「分かっちゃいるけど止められない」。 ホントに困ったものですね。 こんど生まれ変わったら、歌って踊れて屁理屈言わない、明るい人になりたいです。
未だに「主人」という言葉がピンと来ません。 「主人」と聞くと反作用として奴隷をを連想してしまいます。
私は常々、二人暮らしでも平等では、うまく行かないと思っています。 我家が何とか持ちこたえているのは、私が率先して「奴隷役」を引き受けているからです。
だからと言って、卑屈になっているわけではありません。 家の中には卑屈になる状況などないのです。 しかし、人間は群れで行動する動物だから、主従の関係は必要と思います。
不謹慎かもしれませんが、「この世は舞台。人生は芝居」と思っています。 「主・従の、どちらの役が好きですか?」と聞かれれば、やはり、主人の役(以下、主役)がいいと思います。
しかし、QPが奴隷の役(以下、従役)になりたがらないので、私が従役を引き受けているのです。 別に、いやいやという訳ではありません。 メリットもあるのです。
確かに主役の方が格好良く見えるかもしれません。 しかし、主役を引き立ててドラマを面白くしているのは脇役です。 いずれにしろ、強い方が弱い方を支配することには変わりはありません。

中島公園内を流れる鴨々川に架かる白鶴橋 7月27日撮影
「正しいものは勝つ、正直こそ宝」と信じているQPは、工夫が出来ないのです。 世の中と同様、家の中にも正邪で区別できないことが、いっぱいあります。 ですから、正直一筋で対応することはできません。
二人の世界では、自分が正しいと思ったことが、それぞれの正義です。 私は、QPの「正しさ」にグイグイ押されて、いつも負けています。 表面的にはですが…。
工夫のできないQPに勝ち目はありません。 私はホンのちょっと工夫するだけで、我家を実行支配することになりました。
そうは言っても従役はつらいものです。 QPの言うことは何でも聞かなければならないし、何を言われても、聞き流さなくてはなりません。
「だから、主従の関係ではなく、平等になればいいのだ」と思うかもしれません。しかし双方が平等に感じることは、ありえないでしょう。 少なくとも我家ではありえません。
もし、客観的に平等な状態があるとすれば、二人とも「自分は損している」と思うに決まっています。 ですから、主従の関係は必要不可欠なのです。
一見、主役であるQPの方が有利に思えますが、違います。 現代社会では情報がなによりも大切です。 良質な情報を握った者の勝ちになります。
QPは、命令したり指示したり常に情報を発信しています。 一方、従役の私は「ハイハイ」と聞くばかりです。 こうして、二人の世界では情報格差が生じるのです。
私が圧倒的多数の「QP情報」を握ることになります。 QPは何でもハイハイで、本音を口にしない私から、情報を得ることは出来ません。
主従の役割は、主役になるQPが自分の主張だけをして、私の言うことを聞かないことから始まりました。 実は、この時点で勝負は決まっているのです。
二人暮らしでも社会です。そこには主従の関係が必要です。
平等はありえないのです。 あなたも従役になって、主役の情報を握り、
あなたの家を実効支配してみませんか。楽しいですよ。
以上は、二人暮らしの屁理屈ですが、
国家レベルの屁理屈は「9条は押し付けでない」に書きました。
この記事のアクセス数(読んでくれた人の数)は最低でした。
コメントもゼロです。 しかし私は、こんなことが書きたくて、ブログを始めたました。 白状するのは早すぎたかも知れませんが、もう破れかぶれです。
「おぼしき事言はぬは腹ふくるるわざ」。 どなたか言ってましたね。
<お詫びと訂正>
不適切な表現がありました。筆者の知識不足によるもので他意はありません。お詫びします。そして、次の部分を削除しました。
「例えば、QPが「島を返せ!」と叫んでいるニッポンとすれば、 私は島(家)を実行支配しているロシアのようなものです。 利益が相反する交渉事では筋よりも力や工夫がものを言うのです」
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読む愉しみが次々と・・・
ウフフの小母はん 愉しいですね♪ なかぱさん!
読みすすむと、くすくす・・ウフフ・・あはは・・・!たのしい連続です。書きながらなかぱさんがニヤリとしているご様子までが目に浮かびます。
「この世は舞台。人生は芝居」いいですね~、いいですね~!いかにもいかにも!
>私はホンのちょっと工夫するだけで、我家を実行支配することになりました。
喜色満面♪いやいや、得意満面?のなかぱさん!
見倣わなくっちゃ~。
憲法9条・・今拝読。われわれの年代はみな危惧感を持ちますね。なんて簡単に同調されると、つまんないでしょ!うふふふ・・・
ちゃちゃ なかぱさん、おはようございます。
私は屁理屈大好き女です。ですから今日のブログには大きな拍手!痛快!です。B型の私は基本的に従者の役が大好きで、おっしゃるようにハイハイ立場が楽だと思っています。が、そこには、「実権は我にあり!」という思いが潜んでいるのも確かです。
「この世は舞台。人生は芝居」思想は不謹慎ではありません。昔、恩師の講義で同じようなことを教わりました。特に女性は、「自分の役をわきまえて、それを演じなさい」というようなことを。私は少々、良い妻を演じすぎて、壊れました。今、還暦を過ぎ、やっと素の自分を演じることが出来ているような気がします。
ちなみに、自分のパートナーのことを「うちの主人」という人がいますが、あれは間違いです。そういうのは女性だけで、男性からはその言葉を聞いたことがありません。ちなみに私の友人たちには「うちの主人が」派はほとんどいません。
目覚めになかぱさんのブログを読ませていただき、今日一日の活力が出ました。この手のもの、今後も期待いたしま~す。ありがとさん!
おーりーおばさん 私は感覚派なので理屈は苦手です。ものごとを
うまく説明できません。
我が家は両者とも従になりたがりません。
というか主も従もないというか。
単にもうバトルに疲れて好きなように生きているだけかも・・・・・
フラダン ハイ!従役になって私もしっかり家を実効支配して居ると思って居ります、結構心地良いですよ(笑)
「9条は押し付けではない」以前に最もと思いながら拝読しております、
政治的な事には色んな意見がありますので、コメントを控えさせて頂いた様に思います、
「屁理屈書いても、誰も読んでくれないし、嫌われてしまうのです」そうかしら、、??
ナカパさん謙遜です!その証拠にこんなに沢山の方が訪れて居るではありませんか?
この何とも軽妙でコミカルな他人の舞台見学に、、、(^o^)丿
イチゴとリンゴの館 なかぱさん 相変わらず楽しんでますね~
こんな事をすらすらと書けるなんて・・・
様はどっちでが主役でも良いと思いますよ\(^o^)/
その時々に応じて変わりますよね~
朝から楽しませて頂きましたよ。
のん子 うちと良く似てます(^-^)
私はA型気質で細かいことまで気になり頑固なものでB型気質の自由発想的な夫は従に(^^ゞ
でも、それでバランスが取れてるので良いんではありませんか?
大事な時には夫を頼りにしてますから。
私も以前ブログを持っていた時、政治色の強い話題にはコメント入りませんでした(笑)
友達からはメールで右翼、左翼から攻撃されて炎上したらって心配されました(汗)
ではコメント書きに行ってきます
OSS025 要するに負けるが勝ちということですね。
でも「言うは易く行なうは難し」です。
それをいとも簡単に実行しているnakapaさんは凄いと思います。
よく相手を観察し、常に冷静に対応していますね。
努力賞ものです。\(^o^)/パチパチパチ
ウフフの小母様へ
nakapa 楽しいと言ってもらうと、とても嬉しく思います。
「この世は舞台。人生は芝居」。日本人とニューギニア高地人等との違いを
考えると、どうしても、それぞれの舞台で芝居をしているようにしか思えないのです。
「9条」まで読んでくれてありがとうございます。ほとんど読まれないので再掲しました。
ちゃちゃさんへ
nakapa 屁理屈大好きですか。貴重な方です。末永くよろしくお願いします。
私もB型だから、従の役で満足しているのだと思います。
私も「実権は我にあり!」と思っています。
昔の女性教育は厳しかったですね。 厳しすぎていたような気がします。
それが還暦まで持続したのですね。いろいろ問題もありますが、自由が一番です。
私も、主人=夫 の意味で使わない方がいいと思います。
しかし、適当な言葉がないですね。この方が問題です。
こちらこそ、ありがとさんです。
おーりーおばさんへ
nakapa やはり、理屈より実行です。 理屈では針一本拾えません。
お互いに主体性をもって、真剣に向き合うことが大切と思います。
我家では「私の何処が一番嫌いですか?」と聞くと、
「ゴタゴタ屁理屈を言うこと」とちゃんと答えてくれます。
私はちゃんと答えられません。叱られますから(笑)。
ウフフの小母はん 愉しいですね♪ なかぱさん!
読みすすむと、くすくす・・ウフフ・・あはは・・・!たのしい連続です。書きながらなかぱさんがニヤリとしているご様子までが目に浮かびます。
「この世は舞台。人生は芝居」いいですね~、いいですね~!いかにもいかにも!
>私はホンのちょっと工夫するだけで、我家を実行支配することになりました。
喜色満面♪いやいや、得意満面?のなかぱさん!
見倣わなくっちゃ~。
憲法9条・・今拝読。われわれの年代はみな危惧感を持ちますね。なんて簡単に同調されると、つまんないでしょ!うふふふ・・・
ちゃちゃ なかぱさん、おはようございます。
私は屁理屈大好き女です。ですから今日のブログには大きな拍手!痛快!です。B型の私は基本的に従者の役が大好きで、おっしゃるようにハイハイ立場が楽だと思っています。が、そこには、「実権は我にあり!」という思いが潜んでいるのも確かです。
「この世は舞台。人生は芝居」思想は不謹慎ではありません。昔、恩師の講義で同じようなことを教わりました。特に女性は、「自分の役をわきまえて、それを演じなさい」というようなことを。私は少々、良い妻を演じすぎて、壊れました。今、還暦を過ぎ、やっと素の自分を演じることが出来ているような気がします。
ちなみに、自分のパートナーのことを「うちの主人」という人がいますが、あれは間違いです。そういうのは女性だけで、男性からはその言葉を聞いたことがありません。ちなみに私の友人たちには「うちの主人が」派はほとんどいません。
目覚めになかぱさんのブログを読ませていただき、今日一日の活力が出ました。この手のもの、今後も期待いたしま~す。ありがとさん!
おーりーおばさん 私は感覚派なので理屈は苦手です。ものごとを
うまく説明できません。
我が家は両者とも従になりたがりません。
というか主も従もないというか。
単にもうバトルに疲れて好きなように生きているだけかも・・・・・
フラダン ハイ!従役になって私もしっかり家を実効支配して居ると思って居ります、結構心地良いですよ(笑)
「9条は押し付けではない」以前に最もと思いながら拝読しております、
政治的な事には色んな意見がありますので、コメントを控えさせて頂いた様に思います、
「屁理屈書いても、誰も読んでくれないし、嫌われてしまうのです」そうかしら、、??
ナカパさん謙遜です!その証拠にこんなに沢山の方が訪れて居るではありませんか?
この何とも軽妙でコミカルな他人の舞台見学に、、、(^o^)丿
イチゴとリンゴの館 なかぱさん 相変わらず楽しんでますね~
こんな事をすらすらと書けるなんて・・・
様はどっちでが主役でも良いと思いますよ\(^o^)/
その時々に応じて変わりますよね~
朝から楽しませて頂きましたよ。
のん子 うちと良く似てます(^-^)
私はA型気質で細かいことまで気になり頑固なものでB型気質の自由発想的な夫は従に(^^ゞ
でも、それでバランスが取れてるので良いんではありませんか?
大事な時には夫を頼りにしてますから。
私も以前ブログを持っていた時、政治色の強い話題にはコメント入りませんでした(笑)
友達からはメールで右翼、左翼から攻撃されて炎上したらって心配されました(汗)
ではコメント書きに行ってきます
OSS025 要するに負けるが勝ちということですね。
でも「言うは易く行なうは難し」です。
それをいとも簡単に実行しているnakapaさんは凄いと思います。
よく相手を観察し、常に冷静に対応していますね。
努力賞ものです。\(^o^)/パチパチパチ
ウフフの小母様へ
nakapa 楽しいと言ってもらうと、とても嬉しく思います。
「この世は舞台。人生は芝居」。日本人とニューギニア高地人等との違いを
考えると、どうしても、それぞれの舞台で芝居をしているようにしか思えないのです。
「9条」まで読んでくれてありがとうございます。ほとんど読まれないので再掲しました。
ちゃちゃさんへ
nakapa 屁理屈大好きですか。貴重な方です。末永くよろしくお願いします。
私もB型だから、従の役で満足しているのだと思います。
私も「実権は我にあり!」と思っています。
昔の女性教育は厳しかったですね。 厳しすぎていたような気がします。
それが還暦まで持続したのですね。いろいろ問題もありますが、自由が一番です。
私も、主人=夫 の意味で使わない方がいいと思います。
しかし、適当な言葉がないですね。この方が問題です。
こちらこそ、ありがとさんです。
おーりーおばさんへ
nakapa やはり、理屈より実行です。 理屈では針一本拾えません。
お互いに主体性をもって、真剣に向き合うことが大切と思います。
我家では「私の何処が一番嫌いですか?」と聞くと、
「ゴタゴタ屁理屈を言うこと」とちゃんと答えてくれます。
私はちゃんと答えられません。叱られますから(笑)。
三食昼寝付きの私は、家に居るときはパソコンの前に座っているか、昼寝をしているか、どちらかである。 かかあ天下なのに、これで通るのはなぜだろう?
その秘密は……。
二つのことをキチンと守っているからだ。一つは、QPには絶対服従。 もう一つは、QPが私の部屋に入って来たら、キーボードから手を離して真正面に向き合うこと。 これが肝心だ!
いつものように部屋にこもって、2時間くらいするとQPがコップを片手に入って来た。 「喉かわいちゃった」とか言いながら水を飲んでいる。
もう一方の手で、私に新聞を差し出して話しかけてきた。
「困ったオバサンがいるのよ~。 ちょっと読んでみない」
パソコン作業の真っ最中だが言われちゃったら仕方がない。
無視すると後が怖いのだ。
新聞を見ると、怒り狂っているオバサンと自転車に乗って困った顔をしている女性のイラストが描いてある。 とりあえず、その記事を読んでみた。
「前方の歩道を年配女性三人が並んで歩いていました。 後ろから来た自転車のお母さんがチリンと軽くベルを鳴らした瞬間です。
女性の一人が振り向き『偉そうにならすんじゃない! 車道を走んなさいよ』とすごいけんまく。 車道は交通量が多く自転車では危険でした。 少しだけ寄ってもらいたかったようです。(北海道新聞5月18日夕刊はいはい道新より抜粋)」

札幌市中島公園菖蒲池 2009年5月21日撮影
「ひどいでしょう。逆切れしてんのよ。歩道いっぱいに並んで、迷惑だよね~」
と、QPが怒っている。
「そうですね。そんな言い方しなくてもいいのにね」
「言い方の問題じゃないでしょ! 常識がないのよ」
「歩道では、自転車が止まるのが常識ですが…」と、遠慮気味に言う。
「なに言ってんのよ。そんな法律どこにあるの!」
それがあるから困る。 ここに、こう書いてあると言ってもQPが納得するはずがない。 それどころか万事休すと思ったときは、態勢を整えて、あらぬ方向から攻撃してくるので怖い。
「道路交通法では自転車が止まらなければいけないのですよ」と、私。
「そんなこと言ったって、みんな走ってるよ」
「みんなが走っていてもダメです。法には、こう書いてあります」
『自転車が歩道を通行する場合、(中略)歩行者の通行を妨げるような場合は一時停止しなければならない(道路交通法の一部を抜粋)』
この条項を指し示すと、QPは一瞬押し黙るが、突然反撃を開始した。
「アンタなんか、一人で、コソコソ X X X X (←悪いこと)するでしょ。
私が知らないと思ったら大間違いだよ」
ほらね、こうなるに決まっている。 だから私は何も言いたくないのだ。
口答えできない私は、逆切れしたオバサンに同情する気持ちがわいてきた。
新聞記事とは違って上品で教養のある奥様かもしれない。
なにしろ、道路交通法をを覚えているのだから大したものだ。 自分なりに彼女の心の中を思い描いてみたくなった。
お友だちと歩道を歩いていると、突然「チリン」と自転車のベルが鳴りました。 驚いて振り返えりますと、自転車に乗った女性が怖い顔して、私たちをにらみつけているのです。
ベルは危険が迫っていることを知らせる警笛のようなものですね。 人が歩く為の歩道で、自転車に乗ったまま「邪魔だからどきなさい」と、ベルを鳴らすのは失礼ではないでしょうか。
道を譲って欲しいのなら、声をかければ良いと思います。 失礼な仕打ちに、我を忘れて大きな声を出してしまいました。
「いきなりベルで脅かさないで! ここは歩道です。自転車は車道でしょ」
私は、このような場合は一旦停止します。 その上で「すみません」と声をかけると、どなたも気持ちよく道を譲ってくれます。
一旦停止は道路交通法上の義務。 声かけは、道を譲ってもらう場合のマナー。 これが嫌なら、原則通りに車道を走るしかないだろう。 自転車は道路交通法では車両である。
ところで、QPとの会話は、まだ続いている。
「歩道の暴走自転車を怖いと思ったことはないですか?」
「アンタはずるいよ。 都合が悪くなると、すぐ話を変えるんだから」
話なんか変えていない。 両方とも「歩道は歩行者の為にある」という認識を欠いているから起こるトラブルだ。 このようなトラブルが増えたのは歩道の段差がなくなってからだと思う。
障がい者の為のバリアフリーだが、段差が無くなると、自転車が歩道を我が物顔で走るようになってしまった。
この時点で、歩道は歩行者が絶対優先であることを徹底すべきだったが、あえてしなかった。 なぜだろう?
これには深い訳がありそうだ。 複雑な利害が絡み合っていて、ここには とても書ききれない。
ふと、心に思ったことを、そのまま書いてみると、このように長くなる。 こんなことを一瞬の内に考えられる人間の頭脳は素晴らしいと思う。
ところで、QPとの会話は依然として続いているのだ。
「並んで歩いて通行の邪魔をしたり、口汚く罵ったり、困ったオバサンたちですね」。 心の中の思いに反して、QPに面と向かうと、つい迎合するような言葉が、口から出てしまうのだ。
「やっと分かったの。 私なんか読むのも、分かるのも早いよ」と、QPが自慢。
「美味しいご飯を作るのも早いですね。私も見習いたいです」。 ヨイショ!
謎をかけたら、やっと台所に行ってくれた。 気分を変えて再びパソコンに向った。 しばらくすれば「ご飯だよ」と、お呼びがかかるだろう。 それまでにやってしまおう!
その秘密は……。
二つのことをキチンと守っているからだ。一つは、QPには絶対服従。 もう一つは、QPが私の部屋に入って来たら、キーボードから手を離して真正面に向き合うこと。 これが肝心だ!
いつものように部屋にこもって、2時間くらいするとQPがコップを片手に入って来た。 「喉かわいちゃった」とか言いながら水を飲んでいる。
もう一方の手で、私に新聞を差し出して話しかけてきた。
「困ったオバサンがいるのよ~。 ちょっと読んでみない」
パソコン作業の真っ最中だが言われちゃったら仕方がない。
無視すると後が怖いのだ。
新聞を見ると、怒り狂っているオバサンと自転車に乗って困った顔をしている女性のイラストが描いてある。 とりあえず、その記事を読んでみた。
「前方の歩道を年配女性三人が並んで歩いていました。 後ろから来た自転車のお母さんがチリンと軽くベルを鳴らした瞬間です。
女性の一人が振り向き『偉そうにならすんじゃない! 車道を走んなさいよ』とすごいけんまく。 車道は交通量が多く自転車では危険でした。 少しだけ寄ってもらいたかったようです。(北海道新聞5月18日夕刊はいはい道新より抜粋)」

札幌市中島公園菖蒲池 2009年5月21日撮影
「ひどいでしょう。逆切れしてんのよ。歩道いっぱいに並んで、迷惑だよね~」
と、QPが怒っている。
「そうですね。そんな言い方しなくてもいいのにね」
「言い方の問題じゃないでしょ! 常識がないのよ」
「歩道では、自転車が止まるのが常識ですが…」と、遠慮気味に言う。
「なに言ってんのよ。そんな法律どこにあるの!」
それがあるから困る。 ここに、こう書いてあると言ってもQPが納得するはずがない。 それどころか万事休すと思ったときは、態勢を整えて、あらぬ方向から攻撃してくるので怖い。
「道路交通法では自転車が止まらなければいけないのですよ」と、私。
「そんなこと言ったって、みんな走ってるよ」
「みんなが走っていてもダメです。法には、こう書いてあります」
『自転車が歩道を通行する場合、(中略)歩行者の通行を妨げるような場合は一時停止しなければならない(道路交通法の一部を抜粋)』
この条項を指し示すと、QPは一瞬押し黙るが、突然反撃を開始した。
「アンタなんか、一人で、コソコソ X X X X (←悪いこと)するでしょ。
私が知らないと思ったら大間違いだよ」
ほらね、こうなるに決まっている。 だから私は何も言いたくないのだ。
口答えできない私は、逆切れしたオバサンに同情する気持ちがわいてきた。
新聞記事とは違って上品で教養のある奥様かもしれない。
なにしろ、道路交通法をを覚えているのだから大したものだ。 自分なりに彼女の心の中を思い描いてみたくなった。
お友だちと歩道を歩いていると、突然「チリン」と自転車のベルが鳴りました。 驚いて振り返えりますと、自転車に乗った女性が怖い顔して、私たちをにらみつけているのです。
ベルは危険が迫っていることを知らせる警笛のようなものですね。 人が歩く為の歩道で、自転車に乗ったまま「邪魔だからどきなさい」と、ベルを鳴らすのは失礼ではないでしょうか。
道を譲って欲しいのなら、声をかければ良いと思います。 失礼な仕打ちに、我を忘れて大きな声を出してしまいました。
「いきなりベルで脅かさないで! ここは歩道です。自転車は車道でしょ」
私は、このような場合は一旦停止します。 その上で「すみません」と声をかけると、どなたも気持ちよく道を譲ってくれます。
一旦停止は道路交通法上の義務。 声かけは、道を譲ってもらう場合のマナー。 これが嫌なら、原則通りに車道を走るしかないだろう。 自転車は道路交通法では車両である。
ところで、QPとの会話は、まだ続いている。
「歩道の暴走自転車を怖いと思ったことはないですか?」
「アンタはずるいよ。 都合が悪くなると、すぐ話を変えるんだから」
話なんか変えていない。 両方とも「歩道は歩行者の為にある」という認識を欠いているから起こるトラブルだ。 このようなトラブルが増えたのは歩道の段差がなくなってからだと思う。
障がい者の為のバリアフリーだが、段差が無くなると、自転車が歩道を我が物顔で走るようになってしまった。
この時点で、歩道は歩行者が絶対優先であることを徹底すべきだったが、あえてしなかった。 なぜだろう?
これには深い訳がありそうだ。 複雑な利害が絡み合っていて、ここには とても書ききれない。
ふと、心に思ったことを、そのまま書いてみると、このように長くなる。 こんなことを一瞬の内に考えられる人間の頭脳は素晴らしいと思う。
ところで、QPとの会話は依然として続いているのだ。
「並んで歩いて通行の邪魔をしたり、口汚く罵ったり、困ったオバサンたちですね」。 心の中の思いに反して、QPに面と向かうと、つい迎合するような言葉が、口から出てしまうのだ。
「やっと分かったの。 私なんか読むのも、分かるのも早いよ」と、QPが自慢。
「美味しいご飯を作るのも早いですね。私も見習いたいです」。 ヨイショ!
謎をかけたら、やっと台所に行ってくれた。 気分を変えて再びパソコンに向った。 しばらくすれば「ご飯だよ」と、お呼びがかかるだろう。 それまでにやってしまおう!
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ちゃちゃ 千葉にいる頃、自転車は車道でした。東京都に戻り、車道を走っていたら、後ろから「ピッ!ピッ!」「そこの自転車、歩道を走りなさい!」との交通警察官のからのご注意。二度ほど経験しました。
還暦を過ぎ、自転車に乗ることを止めた私ですが、一番恐いのは、歩道を歩いる私を音もなく後ろから追い越していく自転車!その数の多いこと!「チリン!チリン!」とベルを鳴らしてくれるのは、同年輩のオバサンたち!そうだよね、それって日本の常識ですよね!
難しい問題ですね。
鶴子 狭い歩道を自転車で走っていて、歩行者の脇を通るときはスピードを落としてベルを鳴らします。
ベルは「よけて!」という意味ではなく、歩行者が突然進路を変えては危ないので、自転車が通りますよ、という注意のつもりです。
でも、受け取る人によって「邪魔だからよけて!」とか「突然のベルでビックリさせないで」と思われているなら、それも考えものですね。
歩道に限らず、自転車に乗るには「免許」を必要とすべきだと思っています。
横断歩道を渡るとき、自転車からおりて押して渡ることになっていますが、知らない人も多いようですから。
ちゃちゃ 鶴子さま そうですね、難しいです。私はベルの音を聞こえると、立ち止まることにしています。年々、瞬間行動力が落ちていってます。これで耳が遠くなったらどうしようかと思ってしまいます。ああ、恐ろしや、アラ還世代!
こまどり もう、ほんとにnakapaさんの エッセーはおもしろい。自転車のことはさておいて、いつもいうんですが映画の1場面をみているようなんです。これが常識的な会話だったらおもしろくないんですよね。QPさんの個性がおもしろいんです。
夫婦の光景がユーモラスな映像になって 浮かんできます。
露湖ボーイ 私も、週に4日は自転車を利用しますが
背後からベルを鳴らしたことはありません
むしろ、対向歩行者が夢中で話しながら歩いてくる時に、鳴らします(少し腹立てながら)(笑)
ちゃちゃさんへ
なかぱ そうですか。東京では自転車で車道を走るとお巡りさんに叱られるのですか。
それは失礼しました。 二度も注意されて大変な思いをしましたね。
暴走自転車は怖いです。私も何べんも怖いめに遭いました。
チリンとも鳴らしません。まさに間一髪の所を走り抜けていくのです。
チリンと鳴らしてゆっくり通り抜けてくれれば安心ですね。
鶴子さんへ
なかぱ 歩行者の脇を通るときはスピードを落としてベルを鳴らすのが
歩行者にとって一番安心です。ベルは自転車の存在を歩行者に
知らせる役目がありますね。受け取る側は、そう受け止めていると思います。
「邪魔だからよけて!」と感じる人は、ごく稀だと思います。
私が書いてしまったのですね。ごめんなさい。
横断歩道は押し渡る人が滅多にいません。知らない人も多いと思います。
私も自転車免許は必要と思います。
フラダン 猛スピードで走って来る自転車に怖い思いをした事は何度もあります、でも大体そういう方は学生か若い人が多いです、歩道一杯に広がって話をしながら歩いてるのも大体おばさんが多いです、自分も
含めて、どちらもモラルの問題です、それに、こういう場合、大抵自分の方が正しいと、相手を思い遣る気配りが無いからトラブルのですよね、、、ナカパさんご夫妻の日常がユーモラスに描かれてて
愉快な短編小説を読んでるみたい、、、(^^ゞ
こまどりさんへ
なかぱ いつも励ましのお言葉をありがとうございます。書く気がモリモリ沸いてきます。
長い間パソコンを触ってきましたが、つくずく向いていないと思っています。
ようやく、パソコンを使って書く趣味ができたと、喜んでいます。
自転車の件は、道路交通法と現状の乖離について、問題提起のつもりで
書きました。 皆様のご批判を仰ぎたいと思っています。
露湖ボーイ さんへ
なかぱ そうですね。前から横一列に並んで自転車を
無視するように歩いてきたら腹立ちますね。
歩道などの公共の場所では、マナーが大切
と思います。 相手のことを少し思いやる
心が必要です。 一種の余裕かも知れません。
小学校では「不審者に気をつけて」と教えているそうだ。 子どもたちは不審者をどう見分けるのだろうか? 不思議に思っていたが、答えは新聞に書いてあった。
小学生の回答によると「サングラスをかけたり、マスクをしたり、黒い帽子を被っている人」だそうだ。 ところで私は、そんな格好していないのに子どもたちから不審者と思われてしまった。
薄野から中島公園に向って歩いていると、楽しそうに歩く子どもたちに追いついてしまった。 女の子二人に、男の子ひとりだ。ピカピカの一年生かもしれない。 夕方なので急いで家に帰ればいいのに、ふざけあって遊びながら歩いている。
可愛いなと思ったけれど、知らない子どもに声をかけたりしたら、それこそ不審者と思われてしまう。 そんなことを考えていると、あることを思い出した。 およそ10年前の福岡市郊外での珍事である。
満員のバスから降りたとたん、今まで我慢していたものが出そうになった。 降りて直ぐ出すのもはしたないし、子どもたちが私に続いてゾロゾロ降りてきているのだ。 教育上よくないと思い更に我慢をした。
ついに我慢も限界に達した。 それでも出すまいとして頑張ったら、歩調に合わせて、テンポよく出てしまった。 プッ、プッ、プッ、プッ、プゥープッ。 背後から押し殺すような子どもたちの笑い声が聞こえた。
振り返ると、私を指さして笑っている子どもたちがいた。 つられて笑うと、こんどは大爆笑となった。 無邪気に笑い転げる小学生たちのメンコイこと。 私も一躍、人気者になったような気がした。
あの笑い転げる子どもたちの、可愛い姿が忘れられない。 夢よもう一度と思ったが、そう都合よく出てくれるものではない。
なんとか子どもたちの気を引きたい。 しかし、いきなり面白い おじさんには、なれないものだ。 仕方がないので変なおじさんのフリをしようとしたが、これが案外難しい。
やりすぎると怪しいおじさんになってしまう。 正真正銘の不審者となってしまうのだ。 中には携帯を持っている子もいるかもしれない。110番通報されたらどうしよう。
あれこれ考えたあげく、歌うことにした。 そう思うといつもの歌が自然に口から出た。 ♪い~つも お前は~ 笑ったあと~で~ ……♪
子どもたちは直ぐに反応した。 立ち止まってこちらを見て笑い出す。そして、急に走り出して距離をとると、叉振り返って笑う。そして走り出す。 何回も繰り返す、その仕草の可愛いこと。 メンコイ、メンコイ。
しばらくすると交差点が見えてきた。 車が頻繁に行き来している。 こんどは、私が立ち止まって距離をとった。 振り向いて笑って、走ったりされては大変だ。 怪我でもされたら冗談ではすまない。残念だがゲームオーバーだ。
中島公園に入ったところで、子供たちが児童会館方面に歩いて行くのが見えた。 これ以上か関わりあってはいけないと思い、わざわざ違う道を通った。 しかし、しばらくすると叉合流してしまった。
子どもたちは私を見ると、笑って走り出した。 振り返って、笑っては走り出す。 何回か繰り返すと、立ち止まってこちらを見て笑っている。 そして、子ども同士で話し合っていた。
通りがかりに、聞くともなしに聞いてしまった。 「悪い人ではなさそうだよ」とか言っている。 私についての品定めをしているようだ。 聞いてしまったのだから仕方がない。 ちゃんと自己紹介をすることにした。 「近所に住んでいます。中島公園が好きなので写真を撮っています。怪しい者ではありません」
子どもたちは、顔を見合わせては笑っている。 本当に愉しそうだそうだ。 最初は私を不審者と思ったようだ。 学校で不審者に気をつけるように言われたのだろう。
しかし、さっきの態度は何だろう。 不審者に追い掛けられる気分を、楽しんでいるようにしか見えなかった。 不審者と思っているときも、悪い人ではないと分かった後も、愉しそうな笑い顔がまったく変わらないのだ。

札幌市・中島公園、地下鉄幌平橋駅前広場のクロッカス、4月14日撮影
「駅前通で急に歌い出しちゃあダメだよ」
「これには深いわけがありまして…。 聞きたいですか?」
「もったい付けずに、さっさと言いな」
「教育効果の検証です」
「そうかい」
「学校のスローガンは『不審者に気をつけて』ですね。私の場合は『みんな仲良く元気よく』です」
「それで…」
「私の勝。というよりも子供たちの勝!」
「なんで?」
「3人仲良く、元気に笑って走りましたね」
「うん、不審者が付け入る余地はないな」
「もし一人だったら、もし不審者に気をつけようと、緊張したら…」
「なるほど、しかし後講釈だな。 子どもにチョッカイ出したかっただけだろう」
「ご想像にお任せします」
子どもに「不審者に気をつけて」と教えると、誰も信用できなくなる。 見た目では誰が犯罪者か分からないからだ。 犯罪者も普段は普通の人。 往来で急に歌いだす私の方がよほど異常に見えるだろう。
報道によると、子どもを交通事故から守ろうとした「知らない人」が、母親に通報されて、逮捕された事件があった。
多分、この人は幼児が一人で道路を横断するのを危険と思い、手助けのつもりで、手を引いたのだろう。 それを遠くで見ていた母親が110番をしたようだ。 なぜ近寄って声をかけなかったのだろうか? 知らない人を信じられない母親は怖かったのかも知れない。
ここに、2種類の人が登場する。 一人は、人を信じて小さな子どもを交通事故から守ろうとした「知らない人」。 もう一人は知らない人を不審者と疑って警察に通報した母親である。
母親が悪いとは言いきれない。 自分なりの方法で、わが子を守ろうとしただけだ。 しかし、子どもを交通事故から守ろうとした人は、誤解をされて大変な目に遭った。 「これからは誰も信じないことにしよう」と思ったとしても不思議ではない。
こうした事実が積み重なって、人を信じない社会が徐々に形成されていく。 人を信じない社会は一人ひとりが孤立した社会だ。 犯罪をやり易い犯罪者が大好きな社会である。
「不審者に気をつけて」と教えることは、知らない人は信用するなと言うのと同じこと。 実際には、見知らぬ人の99%は善意に溢れた普通の人。いわゆる善人だろう。
犯罪社会学の専門家の話では「不審者」という言葉を使っているのは、日本だけだそうだ。 なぜなら、この言葉を使って論理的な文章を成立させることはできないからだと思う。
私はこう考えますが、皆さんはどう思いますか?
このブログ「楽しい食卓、朝の食卓」は週一回、日曜日更新ですが、都合により今回は土曜日更新です。
小学生の回答によると「サングラスをかけたり、マスクをしたり、黒い帽子を被っている人」だそうだ。 ところで私は、そんな格好していないのに子どもたちから不審者と思われてしまった。
薄野から中島公園に向って歩いていると、楽しそうに歩く子どもたちに追いついてしまった。 女の子二人に、男の子ひとりだ。ピカピカの一年生かもしれない。 夕方なので急いで家に帰ればいいのに、ふざけあって遊びながら歩いている。
可愛いなと思ったけれど、知らない子どもに声をかけたりしたら、それこそ不審者と思われてしまう。 そんなことを考えていると、あることを思い出した。 およそ10年前の福岡市郊外での珍事である。
満員のバスから降りたとたん、今まで我慢していたものが出そうになった。 降りて直ぐ出すのもはしたないし、子どもたちが私に続いてゾロゾロ降りてきているのだ。 教育上よくないと思い更に我慢をした。
ついに我慢も限界に達した。 それでも出すまいとして頑張ったら、歩調に合わせて、テンポよく出てしまった。 プッ、プッ、プッ、プッ、プゥープッ。 背後から押し殺すような子どもたちの笑い声が聞こえた。
振り返ると、私を指さして笑っている子どもたちがいた。 つられて笑うと、こんどは大爆笑となった。 無邪気に笑い転げる小学生たちのメンコイこと。 私も一躍、人気者になったような気がした。
あの笑い転げる子どもたちの、可愛い姿が忘れられない。 夢よもう一度と思ったが、そう都合よく出てくれるものではない。
なんとか子どもたちの気を引きたい。 しかし、いきなり面白い おじさんには、なれないものだ。 仕方がないので変なおじさんのフリをしようとしたが、これが案外難しい。
やりすぎると怪しいおじさんになってしまう。 正真正銘の不審者となってしまうのだ。 中には携帯を持っている子もいるかもしれない。110番通報されたらどうしよう。
あれこれ考えたあげく、歌うことにした。 そう思うといつもの歌が自然に口から出た。 ♪い~つも お前は~ 笑ったあと~で~ ……♪
子どもたちは直ぐに反応した。 立ち止まってこちらを見て笑い出す。そして、急に走り出して距離をとると、叉振り返って笑う。そして走り出す。 何回も繰り返す、その仕草の可愛いこと。 メンコイ、メンコイ。
しばらくすると交差点が見えてきた。 車が頻繁に行き来している。 こんどは、私が立ち止まって距離をとった。 振り向いて笑って、走ったりされては大変だ。 怪我でもされたら冗談ではすまない。残念だがゲームオーバーだ。
中島公園に入ったところで、子供たちが児童会館方面に歩いて行くのが見えた。 これ以上か関わりあってはいけないと思い、わざわざ違う道を通った。 しかし、しばらくすると叉合流してしまった。
子どもたちは私を見ると、笑って走り出した。 振り返って、笑っては走り出す。 何回か繰り返すと、立ち止まってこちらを見て笑っている。 そして、子ども同士で話し合っていた。
通りがかりに、聞くともなしに聞いてしまった。 「悪い人ではなさそうだよ」とか言っている。 私についての品定めをしているようだ。 聞いてしまったのだから仕方がない。 ちゃんと自己紹介をすることにした。 「近所に住んでいます。中島公園が好きなので写真を撮っています。怪しい者ではありません」
子どもたちは、顔を見合わせては笑っている。 本当に愉しそうだそうだ。 最初は私を不審者と思ったようだ。 学校で不審者に気をつけるように言われたのだろう。
しかし、さっきの態度は何だろう。 不審者に追い掛けられる気分を、楽しんでいるようにしか見えなかった。 不審者と思っているときも、悪い人ではないと分かった後も、愉しそうな笑い顔がまったく変わらないのだ。

札幌市・中島公園、地下鉄幌平橋駅前広場のクロッカス、4月14日撮影
「駅前通で急に歌い出しちゃあダメだよ」
「これには深いわけがありまして…。 聞きたいですか?」
「もったい付けずに、さっさと言いな」
「教育効果の検証です」
「そうかい」
「学校のスローガンは『不審者に気をつけて』ですね。私の場合は『みんな仲良く元気よく』です」
「それで…」
「私の勝。というよりも子供たちの勝!」
「なんで?」
「3人仲良く、元気に笑って走りましたね」
「うん、不審者が付け入る余地はないな」
「もし一人だったら、もし不審者に気をつけようと、緊張したら…」
「なるほど、しかし後講釈だな。 子どもにチョッカイ出したかっただけだろう」
「ご想像にお任せします」
子どもに「不審者に気をつけて」と教えると、誰も信用できなくなる。 見た目では誰が犯罪者か分からないからだ。 犯罪者も普段は普通の人。 往来で急に歌いだす私の方がよほど異常に見えるだろう。
報道によると、子どもを交通事故から守ろうとした「知らない人」が、母親に通報されて、逮捕された事件があった。
多分、この人は幼児が一人で道路を横断するのを危険と思い、手助けのつもりで、手を引いたのだろう。 それを遠くで見ていた母親が110番をしたようだ。 なぜ近寄って声をかけなかったのだろうか? 知らない人を信じられない母親は怖かったのかも知れない。
ここに、2種類の人が登場する。 一人は、人を信じて小さな子どもを交通事故から守ろうとした「知らない人」。 もう一人は知らない人を不審者と疑って警察に通報した母親である。
母親が悪いとは言いきれない。 自分なりの方法で、わが子を守ろうとしただけだ。 しかし、子どもを交通事故から守ろうとした人は、誤解をされて大変な目に遭った。 「これからは誰も信じないことにしよう」と思ったとしても不思議ではない。
こうした事実が積み重なって、人を信じない社会が徐々に形成されていく。 人を信じない社会は一人ひとりが孤立した社会だ。 犯罪をやり易い犯罪者が大好きな社会である。
「不審者に気をつけて」と教えることは、知らない人は信用するなと言うのと同じこと。 実際には、見知らぬ人の99%は善意に溢れた普通の人。いわゆる善人だろう。
犯罪社会学の専門家の話では「不審者」という言葉を使っているのは、日本だけだそうだ。 なぜなら、この言葉を使って論理的な文章を成立させることはできないからだと思う。
私はこう考えますが、皆さんはどう思いますか?
このブログ「楽しい食卓、朝の食卓」は週一回、日曜日更新ですが、都合により今回は土曜日更新です。
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不審者っぽい普通の人 普通の人っぽい不審者
ウフフの小母はん どうしてこんな世の中になっちまったんだろうか?と、ウフフの小母はんは考え込んでしまう。
プップッ~~の楽しい時代から、不審者なんて子供が使う言葉でないことを植え付けてしまう大人の都合。
日本語にはたくさん、もっと子供らしい、楽しい、美しい言葉があるはずなのに、それを教える前に、不審者!なんて悲しすぎるよ!
一体この言葉の定義は?
不審者っぽい普通の人、普通の人っぽい不審者!
どうして見分けるの?
教えて!不審者でないおじさん!
nonko-mn おはよう御座います
実は昨夜読んでいたのですが、あまりにも可笑しく(プププッのところ)笑い過ぎてしまい書き込み止めてしまいました。
本当に今は子供に限らず声を掛け難い時代になりましたよね。昔は知らない小父さんや小母さんが声を掛けて来ましたよね。私は汽車通でしたから良く注意を受けたものです。友人と汽車の中でコーラスを始めたりしてね・・・。
フラフラダンサ〜 可笑しくって!可笑しくって大笑いです!実は、桜旅行中に似た様な事があったのです
温泉で体を洗っていたら「ブッフ~~」となんか変な音がしたの、何の音だろう~?と
思っていたら、急に凄い臭い匂いがして来てお隣のご婦人の出物だと判ったの
そしたら、もう可笑しくって!可笑しくって、、笑うの堪えるのに大変だった!(^^)!
今もね、、真面目にコメントしょうとしてもその時のナカパさんが頭に浮かんで来て、爆笑です!
悪人はホンの一部の人なのに、子供の頃から人間不信にさせる、世の中は嫌ですね、、(=_=)
こんな愉快なおじさんも居るのにねぇ~ウフッ^_^;
mitchi-jul 可愛い子供を見ると「こんにちは♪」と声をかけて
しまう私。ほどほどに、立ち去ることが肝心なのでしょうね。
「知らない人に、付いていったらダメよ。」
このくらいは、わが子に云っていたようにも
思います。
次回、小1の孫娘に「面白い小父さんに出会ったら
どうする?の」と聞いてみましょう!!
ウフフの小母はん へ
なかぱ どうしてこんな世の中になったのでしょう。
プップップ~の小父さんも考え込んでしまいました。
僭越ですが「仲良く、元気に」で不審者問題を含む
全てが解決できます。 しかし、難しいです。
「仲良くしろ」「元気出せ」といって、そうなれば、
いいのですが、そうは行きません。
低学年教育の最大の目標として取組んでほしいです。
nonko-mn さんへ
なかぱ 半分は笑ってもらうために書いてます。笑ってもらえば励みになります。
そうですね。「声かけ」は大切ですね。特に世代が違うと
コミュニケーションがとり難いです。
今ほど世代間の交流がない時代はないような気がします。
学生が汽車の中でコーラスなんか、青春映画の
一シーンのようです。楽しい時代がありましたね。
フラフラダンサ〜さんへ
なかぱ 温泉でですか。それは凄い一撃ですね。
普通、湿度が高いところでは匂いは薄まるものです。
こちらも大笑いです。エライしゅう撃に遭ったものですね。
子供たちには仲良くしてもらいました。薄野から
中島公園豊平館前までの長い付き合いでしたから
打ち解けた感じありました。
mitchi-jul さんへ
なかぱ 小1のお孫さん、可愛い盛りですね。ぜひ、聞いてみて下さい。
多分学校で「不審者に気をつけて」と言われていると思います。
不審者とは小学生でなくても難しい言葉ですね。
しかも、意味不明です。私も不審者と思われてしまいました。
しかし、子供たちの協議の結果、「悪い人でない」と判定されました。
有難かったですね。
こんばんは
non_non 難しい問題だとは思いますが これだけ色々な事件が起こると
やはり自分の身を守るということを 一番に考えなければ
ならないのではないか と私は考えます
私にも 小4の孫娘がいますが 「知らない人に声をかけれたら
口を聞いたり ついて行ったりしてはいけませんよ」と教えています
最近のニュースを聞いていますと どうしてこんな事をするのだろうと
思うような人間が多すぎます
皆 なかぱ様のような善意の人ばかりだと良いのですが・・・
non_non さんへ
なかぱ 本当に難しい問題ですね。 なんといっても子どもたちの
安全が第一です。「知らない人について行かない。寄り道しない」
など、具体的な注意は大切です。このような子どもたちが分かる言葉で
注意してほしいと思いました。
新聞に「学校で、不審者に気をつけて、と教えている」と書いて
あったものですから、老婆心ながら、「小学生にわかるのかな?」
と心配になってしまいました。
ウフフの小母はん どうしてこんな世の中になっちまったんだろうか?と、ウフフの小母はんは考え込んでしまう。
プップッ~~の楽しい時代から、不審者なんて子供が使う言葉でないことを植え付けてしまう大人の都合。
日本語にはたくさん、もっと子供らしい、楽しい、美しい言葉があるはずなのに、それを教える前に、不審者!なんて悲しすぎるよ!
一体この言葉の定義は?
不審者っぽい普通の人、普通の人っぽい不審者!
どうして見分けるの?
教えて!不審者でないおじさん!
nonko-mn おはよう御座います
実は昨夜読んでいたのですが、あまりにも可笑しく(プププッのところ)笑い過ぎてしまい書き込み止めてしまいました。
本当に今は子供に限らず声を掛け難い時代になりましたよね。昔は知らない小父さんや小母さんが声を掛けて来ましたよね。私は汽車通でしたから良く注意を受けたものです。友人と汽車の中でコーラスを始めたりしてね・・・。
フラフラダンサ〜 可笑しくって!可笑しくって大笑いです!実は、桜旅行中に似た様な事があったのです
温泉で体を洗っていたら「ブッフ~~」となんか変な音がしたの、何の音だろう~?と
思っていたら、急に凄い臭い匂いがして来てお隣のご婦人の出物だと判ったの
そしたら、もう可笑しくって!可笑しくって、、笑うの堪えるのに大変だった!(^^)!
今もね、、真面目にコメントしょうとしてもその時のナカパさんが頭に浮かんで来て、爆笑です!
悪人はホンの一部の人なのに、子供の頃から人間不信にさせる、世の中は嫌ですね、、(=_=)
こんな愉快なおじさんも居るのにねぇ~ウフッ^_^;
mitchi-jul 可愛い子供を見ると「こんにちは♪」と声をかけて
しまう私。ほどほどに、立ち去ることが肝心なのでしょうね。
「知らない人に、付いていったらダメよ。」
このくらいは、わが子に云っていたようにも
思います。
次回、小1の孫娘に「面白い小父さんに出会ったら
どうする?の」と聞いてみましょう!!
ウフフの小母はん へ
なかぱ どうしてこんな世の中になったのでしょう。
プップップ~の小父さんも考え込んでしまいました。
僭越ですが「仲良く、元気に」で不審者問題を含む
全てが解決できます。 しかし、難しいです。
「仲良くしろ」「元気出せ」といって、そうなれば、
いいのですが、そうは行きません。
低学年教育の最大の目標として取組んでほしいです。
nonko-mn さんへ
なかぱ 半分は笑ってもらうために書いてます。笑ってもらえば励みになります。
そうですね。「声かけ」は大切ですね。特に世代が違うと
コミュニケーションがとり難いです。
今ほど世代間の交流がない時代はないような気がします。
学生が汽車の中でコーラスなんか、青春映画の
一シーンのようです。楽しい時代がありましたね。
フラフラダンサ〜さんへ
なかぱ 温泉でですか。それは凄い一撃ですね。
普通、湿度が高いところでは匂いは薄まるものです。
こちらも大笑いです。エライしゅう撃に遭ったものですね。
子供たちには仲良くしてもらいました。薄野から
中島公園豊平館前までの長い付き合いでしたから
打ち解けた感じありました。
mitchi-jul さんへ
なかぱ 小1のお孫さん、可愛い盛りですね。ぜひ、聞いてみて下さい。
多分学校で「不審者に気をつけて」と言われていると思います。
不審者とは小学生でなくても難しい言葉ですね。
しかも、意味不明です。私も不審者と思われてしまいました。
しかし、子供たちの協議の結果、「悪い人でない」と判定されました。
有難かったですね。
こんばんは
non_non 難しい問題だとは思いますが これだけ色々な事件が起こると
やはり自分の身を守るということを 一番に考えなければ
ならないのではないか と私は考えます
私にも 小4の孫娘がいますが 「知らない人に声をかけれたら
口を聞いたり ついて行ったりしてはいけませんよ」と教えています
最近のニュースを聞いていますと どうしてこんな事をするのだろうと
思うような人間が多すぎます
皆 なかぱ様のような善意の人ばかりだと良いのですが・・・
non_non さんへ
なかぱ 本当に難しい問題ですね。 なんといっても子どもたちの
安全が第一です。「知らない人について行かない。寄り道しない」
など、具体的な注意は大切です。このような子どもたちが分かる言葉で
注意してほしいと思いました。
新聞に「学校で、不審者に気をつけて、と教えている」と書いて
あったものですから、老婆心ながら、「小学生にわかるのかな?」
と心配になってしまいました。
「楽しい食卓、朝の食卓」は毎週、日曜日更新ですが、今回はとても嬉しかったので号外です。 と、言ったところで結果は既にご存知と思うので、「号外感想」です。
WBCで、日本が世界一になって、とても嬉しいです。 野球ファンとは言い難い私ですが、それでも、息詰まる決勝戦からは目を離すことができませんでした。
試合前の原監督のコメントがとても好かったので、この一戦には特に注目していました。
「……韓国に対しては尊敬の念がある。 世紀の一戦という形で、堂々と胸を突き合わせた勝負をしたい」
野球史に残してもよい、素晴らしいコメントですね。 野球知らずが野球の歴史にまで口を出すのですから、あきれている方もいると思います。 感激して口ならぬ、キーボードをたたく手をが滑りました。
「韓国に対しては尊敬の念がある」。と言い切ったスポーツの監督は初めてではないでしょうか? 違っているかもしれません。 いずれにしろ私にとっては、とても新鮮な印象です。
北京オリンピックに行くときに「金以外いらん!」と言って惨敗し、帰ってきたら「審判が悪い」と言った監督もいました。 こんな監督に勝ってもらうと、後が怖いですからね。 北京では負けて好かったと思います。
お陰で原監督が誕生し、すがすがしい勝利に繋がりました。 後味がとても好い勝利になりました。 韓国の監督コメントも素晴らしいですね。 こう言ってます。
「ベストを尽くしたし、何の不満もない」。 先発投手のコメントが更にいいです。「人生最高の一戦だった。 日韓が世界でもベストの2チームだと思う」
もし、日本が負けたら原監督は、こう言ったと思います。
「尊敬している韓国チームと堂々と戦った。何の悔いもない」
WBCで、日本が世界一になって、とても嬉しいです。 野球ファンとは言い難い私ですが、それでも、息詰まる決勝戦からは目を離すことができませんでした。
試合前の原監督のコメントがとても好かったので、この一戦には特に注目していました。
「……韓国に対しては尊敬の念がある。 世紀の一戦という形で、堂々と胸を突き合わせた勝負をしたい」
野球史に残してもよい、素晴らしいコメントですね。 野球知らずが野球の歴史にまで口を出すのですから、あきれている方もいると思います。 感激して口ならぬ、キーボードをたたく手をが滑りました。
「韓国に対しては尊敬の念がある」。と言い切ったスポーツの監督は初めてではないでしょうか? 違っているかもしれません。 いずれにしろ私にとっては、とても新鮮な印象です。
北京オリンピックに行くときに「金以外いらん!」と言って惨敗し、帰ってきたら「審判が悪い」と言った監督もいました。 こんな監督に勝ってもらうと、後が怖いですからね。 北京では負けて好かったと思います。
お陰で原監督が誕生し、すがすがしい勝利に繋がりました。 後味がとても好い勝利になりました。 韓国の監督コメントも素晴らしいですね。 こう言ってます。
「ベストを尽くしたし、何の不満もない」。 先発投手のコメントが更にいいです。「人生最高の一戦だった。 日韓が世界でもベストの2チームだと思う」
もし、日本が負けたら原監督は、こう言ったと思います。
「尊敬している韓国チームと堂々と戦った。何の悔いもない」
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フラフラダンサ~ ホントですネ。原監督はとても大人だと
思いました、日本の選手のコメントも爽やかで
好印象でした、だからチームワークの良さで優勝
出来たのですね!。しばらく感じた事が無かった
熱いエナジーが湧き上がった、素晴らしい
試合でしたね、
暦 野球にあまり興味のない私ですが、
原監督の言葉、いいですねえ。
感動、と言うという余韻があります。
こんばんは~♪
空見 うろ覚えですが、確か原さんは、結婚相手を選んだ時も’純粋・純情’な方でした。
ああいう人には、まっすぐな人生を歩んでもらいたいと思いました。
’尊敬’は大事ですよね、(='m')ウフ
フラフラダンサーさんへ
なかぱ 久しぶりにいい試合を観させてもらいました。
チームワークの好さも感じました。
9回に追いつかれた後のイチローのタイムリー
のときはコーフンしましたね。
試合直後の監督、選手のコメントが
爽やかなのが印象的でした。
暦さんへ
なかぱ 野球はときどきテレビで観るくらいですが、
WBCの決勝戦はホントに面白かったです。
原監督の態度が紳士的で、感動という
余韻につながったと思いました。
試合前も、試合後も爽やかだったと思います。
空見さんへ
なかぱ そうなのですか、結婚相手も純粋、純情な方ですか。
原さんらしいですね。 とか言ってますが、私は、
原監督のことは、よく知らなかったのです。
今回の監督ぶりを見て、尊敬すべき人と思いました。
これからも真っ直ぐの人生を歩んでくれると思います。
そうゆう人柄と思います。
おはようございます
non_non サムライJAPANの WBC優勝には 久し振りに興奮と感動で 気持ちが浮き立ちました
nakapa様のお書きになった事は おっしゃる通りで 全く同感です
原監督の態度は 最後まで控えめで 爽やかでした
「韓国に対しては尊敬の念がある」と言ったことは ホンネだと思います
私も 韓国チームも素晴らしかったと思います
一昔前は 韓国のプロ野球は二流というイメージだったのでは ないでしょうか
大リーガーの選手が多いベネズエラに大差で勝ったのは 賞賛すべきだと思います
今や 日本にとって最大のライバルになりましたね
日本も韓国もよく戦い そして後味の良い結果が残りました
non_non さんへ
なかぱ 試合そのものがドラマティックで感動的でしたね。
決勝戦に相応しい緊迫した試合でした。
原監督は選手に「審判には紳士的に対応しろ」と指示したそうですが、
賢い人だと思いました。短期戦では大切なことと思います。
同感です!
ひよどり 原監督の姿勢には、謙虚さと覚悟が見えましたね。
今まではあまり評価していなかったのですが、WBC監督としての彼には、まったく頭が下がる思いがしました。
「金メダル以外は要らない!」とうそぶいた傲岸な方と比べ、なんと謙虚で誇り高いか。
大言壮語は矜持ではありません。
原辰徳氏の人間的成長に大拍手です。
彼によって、日本の野球を通して、日本人の姿を世界に知らしめてくれたと思います。
特に、韓国にはよかったのではないでしょうか。
勝負は勝たなければなりませんが、他方、勝てばいいだけのものでもありませんね。
ひよどりさんへ
なかぱ 私もそう思いました。 原監督は人間的に成長しましたね。
以前は何となく頼りない坊ちゃんの感じでしたが、
今は違います。紳士的な真っ当な監督の風格があります。
私は野球のことは詳しくないので人間としての感想です。
大人とは何か? 1940年生まれの私にも分からない。 第一、自分が大人になった意識がないのだから困る。 しかし、若いお母さんから「私、まだ大人になりきれないの」とか言われると「おいおい、しっかりしてくれなきゃ困るよ。お母さんなんだから」と言いたくなる。
そう思っている私は、当のお母さんの父親より年上だ。 それなのに大人になりきれない。 もし「大人なのだからしっかりせい!」と、言われたら戸惑うだろう。 迷ったら、先ずネットに相談だ。何とか答えれくれるだろう。
「Hatena::Question」を覗いてみたら、いろいろな意見が出ていた。
・廻りからとやかく言われなくなったら大人。
・身体的に大人、法律的に大人、社会的に大人等、定義。
・思慮分別があり、社会的な責任を負えること。
・真の定義は存在しない。されど尺度は存在する、その他。
↑
「けっきょく、分からない」ということかな。
「年をとっていても人間として成熟していなければ大人とは呼べない」というのもあった。 これなら分かる。私にピッタリだ。
考えてみれば子供のときは、こんな問題で悩まなかった。 答えは明快。大人は頼りになる。 そして自分も大きくなったら大人になれる。 大人は怖い。これも一方の事実として感じている。
ようするに、子どもにしてみれば、疑問の余地もなく、大人ははっきり見えるのだ。 しかし、子ども達から大人と断定されている私からは、大人は見えない。 なぜだろう?
大人とは 子等が見られる 幻か
そう思っている私は、当のお母さんの父親より年上だ。 それなのに大人になりきれない。 もし「大人なのだからしっかりせい!」と、言われたら戸惑うだろう。 迷ったら、先ずネットに相談だ。何とか答えれくれるだろう。
「Hatena::Question」を覗いてみたら、いろいろな意見が出ていた。
・廻りからとやかく言われなくなったら大人。
・身体的に大人、法律的に大人、社会的に大人等、定義。
・思慮分別があり、社会的な責任を負えること。
・真の定義は存在しない。されど尺度は存在する、その他。
↑
「けっきょく、分からない」ということかな。
「年をとっていても人間として成熟していなければ大人とは呼べない」というのもあった。 これなら分かる。私にピッタリだ。
考えてみれば子供のときは、こんな問題で悩まなかった。 答えは明快。大人は頼りになる。 そして自分も大きくなったら大人になれる。 大人は怖い。これも一方の事実として感じている。
ようするに、子どもにしてみれば、疑問の余地もなく、大人ははっきり見えるのだ。 しかし、子ども達から大人と断定されている私からは、大人は見えない。 なぜだろう?
大人とは 子等が見られる 幻か
温暖化しているかどうかは私には分かりません。 ただ、北海道が温かくなっていることは、肌で感じています。
24歳のころ、東京から帯広に転勤し、厳しい寒さにしばれました。「しばれる」とは体験しなければわからない超極寒気温を表す方言です。 帯広市郊外は市内より10度も低く、マイナス30度以下になる日も珍しくはありませんでした。
あれから43年たちました。札幌市中央区に住んでいますが、「しばれる」という方言も忘れそうです。寒さで苦労することなど滅多にないのです。 地域、環境も変わりましたが、個人的にはだんだん温かくなったと感じています。
「客観的にはどうなっているのだろうか」と、思っていたらタイミングよく北海道新聞に、気象予報士菅井貴子さんの話しが載っていました。
「札幌は100年間で平均気温が2.3度上がっている。学者の計算では100年後の北海道は、年間平均気温で3度から4度、オホーツク海側では5度上がる」そうです。
北海道の気温が、今の東北地方の気温になると言うのです。 28年前、札幌から仙台に転勤したころのことを思い出しました。 リンゴとイチゴが特段に美味しかったのです。これにはビックリしました。
ところで、日本の食糧自給率は39%と言われていますが、北海道は200%です。 100年後は、今の東北の気候になるそうです。 そのときリンゴとイチゴを作ったらどうなるでしょう。さぞかし美味しいでしょうね。
温かい北海道は海産物に加えて、美味しい果物の産地にもなります。 オマケに自給率200%。 北海道の未来は、まさにバラ色ですね。
温暖化は防がなければならない。しかし、明るい部分はないかと、自分なりに、身近なことを参考に考えてみました。
夢ですね。 素晴らしい夢です。しかし、捨て難いですね。
「みなさん、北海道に移住しましょう! 人口が2倍になっても、ご飯食べられます」とか、言ってみたいです。
これも夢です。 1945年にみた夢と同じです。
24歳のころ、東京から帯広に転勤し、厳しい寒さにしばれました。「しばれる」とは体験しなければわからない超極寒気温を表す方言です。 帯広市郊外は市内より10度も低く、マイナス30度以下になる日も珍しくはありませんでした。
あれから43年たちました。札幌市中央区に住んでいますが、「しばれる」という方言も忘れそうです。寒さで苦労することなど滅多にないのです。 地域、環境も変わりましたが、個人的にはだんだん温かくなったと感じています。
「客観的にはどうなっているのだろうか」と、思っていたらタイミングよく北海道新聞に、気象予報士菅井貴子さんの話しが載っていました。
「札幌は100年間で平均気温が2.3度上がっている。学者の計算では100年後の北海道は、年間平均気温で3度から4度、オホーツク海側では5度上がる」そうです。
北海道の気温が、今の東北地方の気温になると言うのです。 28年前、札幌から仙台に転勤したころのことを思い出しました。 リンゴとイチゴが特段に美味しかったのです。これにはビックリしました。
ところで、日本の食糧自給率は39%と言われていますが、北海道は200%です。 100年後は、今の東北の気候になるそうです。 そのときリンゴとイチゴを作ったらどうなるでしょう。さぞかし美味しいでしょうね。
温かい北海道は海産物に加えて、美味しい果物の産地にもなります。 オマケに自給率200%。 北海道の未来は、まさにバラ色ですね。
温暖化は防がなければならない。しかし、明るい部分はないかと、自分なりに、身近なことを参考に考えてみました。
夢ですね。 素晴らしい夢です。しかし、捨て難いですね。
「みなさん、北海道に移住しましょう! 人口が2倍になっても、ご飯食べられます」とか、言ってみたいです。
これも夢です。 1945年にみた夢と同じです。
麻生首相は「中福祉中負担」というが、中福祉とはなんだろうか。意味不明である。 一方、中負担の意味ならすぐ分かる。今は小負担だから税金を上げよという意味だろう。
田中首相の「日本列島改造論」や池田首相の「所得倍増論」は分かり易いスローガンである。功罪はともかく当時の国民に夢を持たせた。
「中福祉中負担」では夢も希望も感じない。 むしろ「高福祉高負担」の方が夢や希望がもてる。 なんといったって「高福祉」というバラ色の夢が入っているのだ。
人は老いる。自分の世話が自分でできなくなる。寝たきりになり、糞まみれになり、腹が減り、痛みに苦しんで死ぬ。 しかし、高福祉ならこれらをやわらげることができる。
あるいは、障がいがあっても、それを援助する社会的なシステムがある。 子どもを安心して生み育てることができる。 憲法で保障された文化的生活を誰もができる。
夢と希望がある素晴らしい社会と思う。 しかし、問題もある。言うまでもなく高負担のことである。 国民一人ひとりが負担に耐えられるかどうかが問題だ。
世の中にはお金持ちも、貧乏人もいる。 その中間の人も沢山いる。 その中で高負担に耐えられる人は、お金持ち及び、それに近い人たちである。
ところが、高負担に耐えられる人は、そもそも高福祉など不要な人たちだ。 高額な保険をかけたりして、個人的に高福祉を実現できる人。 彼らにとって高福祉+高負担=高負担に過ぎない。
言うまでもなく、貧乏人及び、それに近い人にとっては、高福祉+高負担=高福祉 となる。 私はこれを「非算術算術」とと呼んでいる(笑)。
このように「高福祉高負担」と言っても、立場によっては意味が正反対になる。 「中福祉中負担」にすれば大岡裁きの
「三方一両損」になるのだろうか?
Google検索で"非算術算術"と入力しても何もでません。 非算術演算あるいは、非算術加減法ならあります。そもそも計算式自体が怪しげですね。
「三方一両損」といっても、誰と誰と誰が三方か、この記事では明確でありません。
ものごとを正確に書こうとすると、ドンドン長くなり、だんだんつまらなくなります。この問題でいつも悩んでいます。
あいまいを 笑ってごまかす 苦笑です nakapa心の川柳
田中首相の「日本列島改造論」や池田首相の「所得倍増論」は分かり易いスローガンである。功罪はともかく当時の国民に夢を持たせた。
「中福祉中負担」では夢も希望も感じない。 むしろ「高福祉高負担」の方が夢や希望がもてる。 なんといったって「高福祉」というバラ色の夢が入っているのだ。
人は老いる。自分の世話が自分でできなくなる。寝たきりになり、糞まみれになり、腹が減り、痛みに苦しんで死ぬ。 しかし、高福祉ならこれらをやわらげることができる。
あるいは、障がいがあっても、それを援助する社会的なシステムがある。 子どもを安心して生み育てることができる。 憲法で保障された文化的生活を誰もができる。
夢と希望がある素晴らしい社会と思う。 しかし、問題もある。言うまでもなく高負担のことである。 国民一人ひとりが負担に耐えられるかどうかが問題だ。
世の中にはお金持ちも、貧乏人もいる。 その中間の人も沢山いる。 その中で高負担に耐えられる人は、お金持ち及び、それに近い人たちである。
ところが、高負担に耐えられる人は、そもそも高福祉など不要な人たちだ。 高額な保険をかけたりして、個人的に高福祉を実現できる人。 彼らにとって高福祉+高負担=高負担に過ぎない。
言うまでもなく、貧乏人及び、それに近い人にとっては、高福祉+高負担=高福祉 となる。 私はこれを「非算術算術」とと呼んでいる(笑)。
このように「高福祉高負担」と言っても、立場によっては意味が正反対になる。 「中福祉中負担」にすれば大岡裁きの
「三方一両損」になるのだろうか?
Google検索で"非算術算術"と入力しても何もでません。 非算術演算あるいは、非算術加減法ならあります。そもそも計算式自体が怪しげですね。
「三方一両損」といっても、誰と誰と誰が三方か、この記事では明確でありません。
ものごとを正確に書こうとすると、ドンドン長くなり、だんだんつまらなくなります。この問題でいつも悩んでいます。
あいまいを 笑ってごまかす 苦笑です nakapa心の川柳
今日(1月17日)の北海道新聞朝刊に素晴らしいニュース。次の様な見出しが躍っていた。「全員無事ハドソン川の奇跡」
「NY旅客機不時着」「機長 神業の着水」。
写真には次の様な説明がついていた。「15日、ニューヨークのハドソン川に旅客機が不時着し、翼の上で救出を待つ乗客」。
サレンバーガー機長の顔写真もついていた。 英雄的行為に相応しいプロフェショナルの顔である。
離陸から着陸までの恐怖の5分間。職責を全うした機長に敬意を表したい。と言うよりも腹の底から感動してしまった。
大惨事を紙一重のところで切り抜けた機長については、いくら賞賛しても、しすぎることはない。
空港に向ってもダメ。着水に失敗してもダメ。パニックが起こってもダメ。この寒空で水に入ってもダメ。 もちろん、飛行コースや着水角度が少しでも狂ったらダメ。
素人の私が思いつくだけでもこれだけの「ダメ」を避けたのだから驚きだ。 強調したいのは「船がいなかったのは運がよかったね」と、言った人がいるからだ。
「断じて行えば鬼神もこれを避く」という言葉がある。機長が自分の職務を断じて行ったから鬼神が避けたのではないだろうか。
鬼でもない、神でもない船などは避けるに決まっているではないか。と、思いたくなるような偉業だ。 船一隻でこの大偉業の全てが水泡に期されてはたまらない。
素晴らしい記事をよんでいい気持になっていたのに、水をさされてしまった様な気分になった。
たとえハドソン川に船が一隻もいなかったとしても、着水角度や方向がが少しでも狂っていたら「ハドソン川の奇跡」は起こらなかったのである。 考えてみて欲しい。 操縦しているのは壊れた飛行機なのだ。 しかも、ニューヨークのど真ん中、障害物に囲まれた中での着水だ。
大切なことは機長が無数の「ダメ」を操縦技術と胆力で切り抜けてきたことだ。 運がいくら良くても一つの「ダメ」で万事休す。155人の命は救われなかっただろう。
いつ沈むか分からないのに、機長は機内に残った人がいないか確認する為、通路を二回も行き来したと言うではないか。
危機に直面してマニュアルどおりに行動できる人は滅多にいない。素晴らしい機長に感動して、感情の赴くままに書いてしまった。
「NY旅客機不時着」「機長 神業の着水」。
写真には次の様な説明がついていた。「15日、ニューヨークのハドソン川に旅客機が不時着し、翼の上で救出を待つ乗客」。
サレンバーガー機長の顔写真もついていた。 英雄的行為に相応しいプロフェショナルの顔である。
離陸から着陸までの恐怖の5分間。職責を全うした機長に敬意を表したい。と言うよりも腹の底から感動してしまった。
大惨事を紙一重のところで切り抜けた機長については、いくら賞賛しても、しすぎることはない。
空港に向ってもダメ。着水に失敗してもダメ。パニックが起こってもダメ。この寒空で水に入ってもダメ。 もちろん、飛行コースや着水角度が少しでも狂ったらダメ。
素人の私が思いつくだけでもこれだけの「ダメ」を避けたのだから驚きだ。 強調したいのは「船がいなかったのは運がよかったね」と、言った人がいるからだ。
「断じて行えば鬼神もこれを避く」という言葉がある。機長が自分の職務を断じて行ったから鬼神が避けたのではないだろうか。
鬼でもない、神でもない船などは避けるに決まっているではないか。と、思いたくなるような偉業だ。 船一隻でこの大偉業の全てが水泡に期されてはたまらない。
素晴らしい記事をよんでいい気持になっていたのに、水をさされてしまった様な気分になった。
たとえハドソン川に船が一隻もいなかったとしても、着水角度や方向がが少しでも狂っていたら「ハドソン川の奇跡」は起こらなかったのである。 考えてみて欲しい。 操縦しているのは壊れた飛行機なのだ。 しかも、ニューヨークのど真ん中、障害物に囲まれた中での着水だ。
大切なことは機長が無数の「ダメ」を操縦技術と胆力で切り抜けてきたことだ。 運がいくら良くても一つの「ダメ」で万事休す。155人の命は救われなかっただろう。
いつ沈むか分からないのに、機長は機内に残った人がいないか確認する為、通路を二回も行き来したと言うではないか。
危機に直面してマニュアルどおりに行動できる人は滅多にいない。素晴らしい機長に感動して、感情の赴くままに書いてしまった。
今年も元気で楽しく金かけず、
人様のお役に立てれば幸せと思います。

冬でも、元気にジョギングしている姿を、札幌コンサートホール・キタラの中から楽して撮りました。 外は寒風が吹いていますが、ホールの中は暖房がしてあります。
ジョギングも只、キタラもホールまでなら只、ここまで歩いて来たのでお金はかかっていません。
nakapaの三省
元気に欠けるなかりしか?
まわりの方々にも恵まれ、気分的には極めて元気に過ごしました。 しかし、1年前には過労で3週間ばかり入院してしまいました。原因ははしゃぎすぎです。 これを反省し、大人しくします。
楽に亘るなかりしか?
ほぼ99%の「楽」と1%の「汗」でした。深く反省します。
入院したことを大袈裟に考え、振り子が「楽」の方に大きく振れすぎてしまいました。今年の目標は20%の汗としたいと思います。
お金に憾みなかりしか?
何年ぶりか忘れましたが、東北旅行に行ってしまいました。とても楽しかったけれど、これも反省。なぜなら、QPと旅行したのは14年前の沖縄旅行が最後でした。
毎年、「行こう行こう」と、矢の催促ですが、「はいはい」と言いながら行ったことがありません。
この件についてはQPにも反省してほしいと思います。 一緒に旅行すると、その間、私の自由がなくなってしまうのです。
「左に行こう」というと、「行かない」と言い、無視して左に行くと、そのまま立ち止まっているのだから、どうしようもありません。
仕方なくQPの後をついて歩くことになります。これでは楽しくありません。
反省するつもりが、QPを反省させる話になってしまい申し訳ありません。 これも今年の反省に追加します。
そうです。「金かけず」の反省でした。 まあ、少しくらい使ってもいいじゃあないですか。
反省って難しいですね。 書いている内に息切れがしてくるのです。 来年こそ、しっかりと反省できる人になりたいと思います。 かなり、先の話ですが…。
大反省
「人様のお役に」を忘れていました。何か役立ったことをしたような気がします。多分? 自信はありません。
ドクタークラブ五省(「ドクタークラブ便り」より抜粋)
姿勢に歪みなかりしか
言語にもつれなかりしか
記憶に欠くるなかりしか
監督に恨みなかりしか
不精の出腹なかりしか
参考 海軍五省
至誠に悖(もと)るなかりしか
言行に恥じるなかりしか
気力に欠くるなかりしか
努力に憾(うら)みなかりしか
無精に亘(わた)るなかりしか
人様のお役に立てれば幸せと思います。

冬でも、元気にジョギングしている姿を、札幌コンサートホール・キタラの中から楽して撮りました。 外は寒風が吹いていますが、ホールの中は暖房がしてあります。
ジョギングも只、キタラもホールまでなら只、ここまで歩いて来たのでお金はかかっていません。
nakapaの三省
元気に欠けるなかりしか?
まわりの方々にも恵まれ、気分的には極めて元気に過ごしました。 しかし、1年前には過労で3週間ばかり入院してしまいました。原因ははしゃぎすぎです。 これを反省し、大人しくします。
楽に亘るなかりしか?
ほぼ99%の「楽」と1%の「汗」でした。深く反省します。
入院したことを大袈裟に考え、振り子が「楽」の方に大きく振れすぎてしまいました。今年の目標は20%の汗としたいと思います。
お金に憾みなかりしか?
何年ぶりか忘れましたが、東北旅行に行ってしまいました。とても楽しかったけれど、これも反省。なぜなら、QPと旅行したのは14年前の沖縄旅行が最後でした。
毎年、「行こう行こう」と、矢の催促ですが、「はいはい」と言いながら行ったことがありません。
この件についてはQPにも反省してほしいと思います。 一緒に旅行すると、その間、私の自由がなくなってしまうのです。
「左に行こう」というと、「行かない」と言い、無視して左に行くと、そのまま立ち止まっているのだから、どうしようもありません。
仕方なくQPの後をついて歩くことになります。これでは楽しくありません。
反省するつもりが、QPを反省させる話になってしまい申し訳ありません。 これも今年の反省に追加します。
そうです。「金かけず」の反省でした。 まあ、少しくらい使ってもいいじゃあないですか。
反省って難しいですね。 書いている内に息切れがしてくるのです。 来年こそ、しっかりと反省できる人になりたいと思います。 かなり、先の話ですが…。
大反省
「人様のお役に」を忘れていました。何か役立ったことをしたような気がします。多分? 自信はありません。
ドクタークラブ五省(「ドクタークラブ便り」より抜粋)
姿勢に歪みなかりしか
言語にもつれなかりしか
記憶に欠くるなかりしか
監督に恨みなかりしか
不精の出腹なかりしか
参考 海軍五省
至誠に悖(もと)るなかりしか
言行に恥じるなかりしか
気力に欠くるなかりしか
努力に憾(うら)みなかりしか
無精に亘(わた)るなかりしか
NHKのアナウンサーが、だんだん美しくなり、最近は美男・美女ばかりになってしまった。 言うまでもなく、NHKは公共放送である。
もっと普通の人が出演すべきと思う。 アナウンサーはボランティアでもいいと思う。 マスコミ関係を目指している人で、その方面に就職できない人は沢山いるのではないだろうか。
アナウンスに万全を期することはないと思う。 NHKが全国民に対して国語教育をする必要はないとは言わないが、しなくてもいいと思う。教育機関はあるのだから。
日本各地の普通の人が、地方なまりで、その地方のニュースなどを読み上げれば、かえって臨場感があるのではないだろうか。
それから、市町村単位で地方の番組をボランティアで作ってもらい、ビデオで送ってもらったらいいと思う。 このような番組が全体の半分くらいあっても、いいのではないか。
これだけビデオが普及したのだから、お金をかけて番組を作る必要は薄くなっていると思う。 素人のボランティアといっても、ビデオ作成に習熟した人が増えている。
ビデオの出来の細かいことに拘る必要はないと思う。 ある程度の水準になって、伝えたいことが伝わるようになったらそれでいいのではないか。重要なのはコンテンツ。
こう思うのはインターネットから得る、膨大な無料情報に比べて、NHKの受信料が余りにも高いからだ。 受信料を下げる方法はいろいろあるに違いない。
受信料が、美しい映像を作るため、技術開発のため、優秀な人材を、大量に採用するために使われては勿体ない。 公共放送なのだから、いかに安くという視点も大切である。
最強の映像は民間放送に任せればいいと思う。 NHKはひたすら、全国民の意見をくみ上げて、全国民に地味に放送すればいいと思う。それが公共放送の味になる。
公共放送なのだから、視聴率競争などに参加する必要はない。 ニュースは毎日頻繁に放送され、視聴者との接点になるものである。
美男・美女の反対側の人も出てくれなくては困る。 芸術でもなければ、芸能ショーでもない。 普通の人、白髪の人も禿頭症の人も、その他の人も、出てもらわなければ困る。
視聴者による視聴者のための放送であることを忘れてはならない。公共放送の原点に帰ってほしいのだ。
人間は誰でも平等であることを、放送で毎日、毎時間、知らせるべきである。 そうすれば、誰もが、いろいろな顔があっていいと思うようになる。 いろいろな顔に慣れてくる。
それに普通のひとをボランティアで出せば費用だって安くつく、受信料の大幅値下げにつながると思うが、いかかだろうか?
もっと普通の人が出演すべきと思う。 アナウンサーはボランティアでもいいと思う。 マスコミ関係を目指している人で、その方面に就職できない人は沢山いるのではないだろうか。
アナウンスに万全を期することはないと思う。 NHKが全国民に対して国語教育をする必要はないとは言わないが、しなくてもいいと思う。教育機関はあるのだから。
日本各地の普通の人が、地方なまりで、その地方のニュースなどを読み上げれば、かえって臨場感があるのではないだろうか。
それから、市町村単位で地方の番組をボランティアで作ってもらい、ビデオで送ってもらったらいいと思う。 このような番組が全体の半分くらいあっても、いいのではないか。
これだけビデオが普及したのだから、お金をかけて番組を作る必要は薄くなっていると思う。 素人のボランティアといっても、ビデオ作成に習熟した人が増えている。
ビデオの出来の細かいことに拘る必要はないと思う。 ある程度の水準になって、伝えたいことが伝わるようになったらそれでいいのではないか。重要なのはコンテンツ。
こう思うのはインターネットから得る、膨大な無料情報に比べて、NHKの受信料が余りにも高いからだ。 受信料を下げる方法はいろいろあるに違いない。
受信料が、美しい映像を作るため、技術開発のため、優秀な人材を、大量に採用するために使われては勿体ない。 公共放送なのだから、いかに安くという視点も大切である。
最強の映像は民間放送に任せればいいと思う。 NHKはひたすら、全国民の意見をくみ上げて、全国民に地味に放送すればいいと思う。それが公共放送の味になる。
公共放送なのだから、視聴率競争などに参加する必要はない。 ニュースは毎日頻繁に放送され、視聴者との接点になるものである。
美男・美女の反対側の人も出てくれなくては困る。 芸術でもなければ、芸能ショーでもない。 普通の人、白髪の人も禿頭症の人も、その他の人も、出てもらわなければ困る。
視聴者による視聴者のための放送であることを忘れてはならない。公共放送の原点に帰ってほしいのだ。
人間は誰でも平等であることを、放送で毎日、毎時間、知らせるべきである。 そうすれば、誰もが、いろいろな顔があっていいと思うようになる。 いろいろな顔に慣れてくる。
それに普通のひとをボランティアで出せば費用だって安くつく、受信料の大幅値下げにつながると思うが、いかかだろうか?
今朝のラジオ深夜便(NHK)で、とてもいい話を聴きました。 雑草は大切なのですね。 知らなかったです。
雑草は「氷河期の後に出現、荒れた地に生えて地球を修復する」とか言っていたようです。 午前4時の放送ですから、少し眠りながら聞いているので、記憶の程は定かではありません。
そんなあやふやなことを書くなと言われれば返す言葉もありませんが、いい話だったので書きたくなりました。
「生物はすべて地球の必要の為にある」と言うのです。 例えば、蚊の話もしていました。 蚊が役に立つことを証明するために実験をしたそうです。
蚊がいっぱいいる所で10人くらいの人かな? 裸で寝かして誰がどのくらい刺されたか調べたそうです。 何の為の調査か忘れました。 時々寝ていました。
とにかく感動しました。 私たちは知らないけれど、「あらゆる生き物は地球にとって巨大な意義をもっている」そうです。 要らないものなど地球上に存在しないのです。
ヘクソカズラをご存知ですか? 屁屎葛と書くそうです。 葉や茎に悪臭があることから、こんな名前を付けられたのです。 名付け親は人間ですよ。
失礼ですね。 私たち人間が他のだれかにこんな名前を付けられたら面白くないですね。 ヘクソカズラは雑草の一種です。
その雑草が可哀想ですね。 「雑草とは、人間の生活範囲に、人間の意図に反して繁殖する植物のことである」とウィキペディアに書いてありました。人間の意図が問題ですね。
ところで、この雑草が重要な働きをしているのです。 私たちの知らないところでです。 縁の下の力持ちなのに、要らないと言われています。
とにかく、地球上にあるものは地球にとって全部必要です。 要らないものといったら人間が造った核兵器、毒ガス、細菌くらいです。
半分眠りながら聞いていたので、あやふやですが、印象としていい話でした。 雑草が大切だということだけは分かったような気がします。
雑草は「氷河期の後に出現、荒れた地に生えて地球を修復する」とか言っていたようです。 午前4時の放送ですから、少し眠りながら聞いているので、記憶の程は定かではありません。
そんなあやふやなことを書くなと言われれば返す言葉もありませんが、いい話だったので書きたくなりました。
「生物はすべて地球の必要の為にある」と言うのです。 例えば、蚊の話もしていました。 蚊が役に立つことを証明するために実験をしたそうです。
蚊がいっぱいいる所で10人くらいの人かな? 裸で寝かして誰がどのくらい刺されたか調べたそうです。 何の為の調査か忘れました。 時々寝ていました。
とにかく感動しました。 私たちは知らないけれど、「あらゆる生き物は地球にとって巨大な意義をもっている」そうです。 要らないものなど地球上に存在しないのです。
ヘクソカズラをご存知ですか? 屁屎葛と書くそうです。 葉や茎に悪臭があることから、こんな名前を付けられたのです。 名付け親は人間ですよ。
失礼ですね。 私たち人間が他のだれかにこんな名前を付けられたら面白くないですね。 ヘクソカズラは雑草の一種です。
その雑草が可哀想ですね。 「雑草とは、人間の生活範囲に、人間の意図に反して繁殖する植物のことである」とウィキペディアに書いてありました。人間の意図が問題ですね。
ところで、この雑草が重要な働きをしているのです。 私たちの知らないところでです。 縁の下の力持ちなのに、要らないと言われています。
とにかく、地球上にあるものは地球にとって全部必要です。 要らないものといったら人間が造った核兵器、毒ガス、細菌くらいです。
半分眠りながら聞いていたので、あやふやですが、印象としていい話でした。 雑草が大切だということだけは分かったような気がします。
昨日の昼食は素晴らしかった。 せっかく、一人なのだから食べたいものを自由に選ぶことにした。
何を食べたいか胃袋にきいてみると「ごはん」と言った。 やはり、お腹がすいた時に一番欲しくなるのはお米のご飯だ。
お米といえば、おにぎり。 「おむすび せんごくや」に行くと、カウンターで食べているのは女性ばかり。 女性は実によく美味しいものを知っている。
牛丼の「吉野家」などは男性が圧倒的に多い。 牛丼のご飯とおむすびのご飯とでは、天と地ほどの差があることを、男性はご存じないのだろうか。
「せんごくや」で明太子のおむすびと豚汁を食べる。費用368円なり。 ここの豚汁は実に美味い。
食後には甘味が欲しくなるが、幸い隣はアンコの美味しい「サザエ」だ。 サザエのたい焼きは最高。 ただし、家に持って帰ると皮が柔らかくなり、味は半減する。
たい焼きはパリパリ感がなくては食べる気がしない。 近くのベンチを利用する。 お茶は「せんごくや」から紙コップに入れて持ってきてある。
3メートルほどしか離れていないし、ゴミ箱も近いので紙コップを棄てるにも便利だ。 費用115円。
ベンチなどで食べたくないが、食べるところがないのだから仕方がない。 誰か知っている人が前を通ったら嫌だなと思ったが、食べ始めたら忘れてしまった。
最後はスターバックスのショート・ドリップ・コーヒー、費用290円。 ここは全店内禁煙なので安心して入ることが出来る。 しかも、一人で来ている人が多いので、なんとなく落ち着く。
これが私のデラックス・リレー・ランチ・スペシャル。 費用合計773円。 サザエのたい焼きについては少し要望がある。
なんとかカウンターくらい付けてもらえないだろうか。 お茶とセットで200円くらいにすれば十分採算はとれると思う。
「たい焼き緑茶セット」200円として費用を試算すると858円。少し贅沢な感じだが、これで1時間楽しめるのだから、満足の行くランチセットと思う。
何を食べたいか胃袋にきいてみると「ごはん」と言った。 やはり、お腹がすいた時に一番欲しくなるのはお米のご飯だ。
お米といえば、おにぎり。 「おむすび せんごくや」に行くと、カウンターで食べているのは女性ばかり。 女性は実によく美味しいものを知っている。
牛丼の「吉野家」などは男性が圧倒的に多い。 牛丼のご飯とおむすびのご飯とでは、天と地ほどの差があることを、男性はご存じないのだろうか。
「せんごくや」で明太子のおむすびと豚汁を食べる。費用368円なり。 ここの豚汁は実に美味い。
食後には甘味が欲しくなるが、幸い隣はアンコの美味しい「サザエ」だ。 サザエのたい焼きは最高。 ただし、家に持って帰ると皮が柔らかくなり、味は半減する。
たい焼きはパリパリ感がなくては食べる気がしない。 近くのベンチを利用する。 お茶は「せんごくや」から紙コップに入れて持ってきてある。
3メートルほどしか離れていないし、ゴミ箱も近いので紙コップを棄てるにも便利だ。 費用115円。
ベンチなどで食べたくないが、食べるところがないのだから仕方がない。 誰か知っている人が前を通ったら嫌だなと思ったが、食べ始めたら忘れてしまった。
最後はスターバックスのショート・ドリップ・コーヒー、費用290円。 ここは全店内禁煙なので安心して入ることが出来る。 しかも、一人で来ている人が多いので、なんとなく落ち着く。
これが私のデラックス・リレー・ランチ・スペシャル。 費用合計773円。 サザエのたい焼きについては少し要望がある。
なんとかカウンターくらい付けてもらえないだろうか。 お茶とセットで200円くらいにすれば十分採算はとれると思う。
「たい焼き緑茶セット」200円として費用を試算すると858円。少し贅沢な感じだが、これで1時間楽しめるのだから、満足の行くランチセットと思う。
田中耕一さんを覚えているでしょうか。 2002年にノーベル化学賞を受賞した会社員の田中さんです。 今は白髪が増えイメージが変わったそうです。
NHKから紅白歌合戦の審査員を頼まれたとき、辞退しました。その時の理由が いかにも田中さんらしく好感が持てました。
「私は芸能人でも博士でもありません」というものです。 知らなかったのですが、田中さんは博士でも修士でもなかったのです。
テレビでみると天才らしからぬ風采をしています。聞いた話ですが、田中さんの業績を見つけて、その才能を認めたのは外国人だそうです。
残念ながら日本では埋もれた人材の発掘は難しいようです。何故かというと、その道を極めたエライ人が、必ずしもその道の達人ではないからです。
実は世渡りの達人だったりするのです。そのエライ人に認められ、引き上げられる人も又、世渡りの達人ではないでしょうか。
ところで、凡人の意味ですが、三省堂国語辞典には「自らを高める努力を怠ったり功名心を持ち合わせなかったりして、他に対する影響力が皆無のまま一生を終える人」とあります。
これは凡人としては納得し難いところです。努力はしたし、人並みの功名心もあったが、不本意ながら凡人のまま。その結果、影響力が皆無のまま一生を終えるのではないでしょうか。
日本には埋もれた才能を発掘する仕組みが無いようです。 埋もれたままの人材が日本中に溢れています。これを読んでいるあなたもきっとそのような方だと思いますよ。
NHKから紅白歌合戦の審査員を頼まれたとき、辞退しました。その時の理由が いかにも田中さんらしく好感が持てました。
「私は芸能人でも博士でもありません」というものです。 知らなかったのですが、田中さんは博士でも修士でもなかったのです。
テレビでみると天才らしからぬ風采をしています。聞いた話ですが、田中さんの業績を見つけて、その才能を認めたのは外国人だそうです。
残念ながら日本では埋もれた人材の発掘は難しいようです。何故かというと、その道を極めたエライ人が、必ずしもその道の達人ではないからです。
実は世渡りの達人だったりするのです。そのエライ人に認められ、引き上げられる人も又、世渡りの達人ではないでしょうか。
ところで、凡人の意味ですが、三省堂国語辞典には「自らを高める努力を怠ったり功名心を持ち合わせなかったりして、他に対する影響力が皆無のまま一生を終える人」とあります。
これは凡人としては納得し難いところです。努力はしたし、人並みの功名心もあったが、不本意ながら凡人のまま。その結果、影響力が皆無のまま一生を終えるのではないでしょうか。
日本には埋もれた才能を発掘する仕組みが無いようです。 埋もれたままの人材が日本中に溢れています。これを読んでいるあなたもきっとそのような方だと思いますよ。
星野監督は 「金」以外いらん! と言ったそうです。 ホントですか?
本当だとしたら、監督失格ですね。 野球のことはよく分からないのですが、そう思います。
金以外要らないということは、金を取る自信があると言うことだと思います。 監督ですから相手の力、と自チームを力を知った上での発言と思います。
国際試合のストライクゾーンの苦しんだという説もありますが、初めての国際試合ではあるまいし対応策は研究しなかったのでしょうか。
結果を見た限り、何も知らなかったことになります。 もし実情を把握していれば「金を取るためにがんばる」というはずです。
星野監督は準決勝で韓国に負けたとき「俺の責任」といいましたが、その通りだと思います。
野球の戦術的なことは知りませんが、 チーム力について、しっかり把握していなかった言うのはあまりにもお粗末です。 任命した人も、みる目がないですね。
「金」以外いらん! と言ったそうです。 ホントですか?
どうしても本当と思えないのです。 ウソかもしれませんね。 信じがたい事です。
野球でも、他のスポーツと同じように彼我の戦力の比較はやると思いますよ。 そんなこと言うはずないじゃないですか。
「星野監督は有言実行の立派な人です」
「なにを言ってるのだ、あのザマだよ」
「自分の言ったことは必ず実行する人です」
「金どころか銅も取れなかったじゃないか」
「監督は金メダル以外はいらないのです」
本当だとしたら、監督失格ですね。 野球のことはよく分からないのですが、そう思います。
金以外要らないということは、金を取る自信があると言うことだと思います。 監督ですから相手の力、と自チームを力を知った上での発言と思います。
国際試合のストライクゾーンの苦しんだという説もありますが、初めての国際試合ではあるまいし対応策は研究しなかったのでしょうか。
結果を見た限り、何も知らなかったことになります。 もし実情を把握していれば「金を取るためにがんばる」というはずです。
星野監督は準決勝で韓国に負けたとき「俺の責任」といいましたが、その通りだと思います。
野球の戦術的なことは知りませんが、 チーム力について、しっかり把握していなかった言うのはあまりにもお粗末です。 任命した人も、みる目がないですね。
「金」以外いらん! と言ったそうです。 ホントですか?
どうしても本当と思えないのです。 ウソかもしれませんね。 信じがたい事です。
野球でも、他のスポーツと同じように彼我の戦力の比較はやると思いますよ。 そんなこと言うはずないじゃないですか。
「星野監督は有言実行の立派な人です」
「なにを言ってるのだ、あのザマだよ」
「自分の言ったことは必ず実行する人です」
「金どころか銅も取れなかったじゃないか」
「監督は金メダル以外はいらないのです」
「さっぽろ雪まつり」のことは、多分ご存知と思います。 2005年までは、大通・薄野・真駒内会場で開催されました。 それが2006年には第二会場が、真駒内から「さとらんど会場」に変わりました。
変更に先立ち「市民ワークショップ」が開かれ、私も市民委員として参加し、中島公園を雪まつり第二会場として推薦しました。 第一会場は皆様お馴染みの大通会場です。

冬の中島公園菖蒲池、点にみえるのはマガモ
議論の結果、第二会場は「さとらんど」と決まりました。 個人的には無理ではないかと思いました。 吹雪のとき道路が閉鎖される恐れがあるからです。
それに、交通の便の悪さです。 雪まつりのような大イベントで、バスの輸送では無理です。 これには3000台収容の特大駐車場で対応したのでビックリしました。
10万人も来れば御の字と思っていたのに、3年目には約26万にも来てしまいました。その大半が自家用車で来たのです。 車で「雪まつり」は札幌市民の夢ですから。
駐車場の警備員の人件費でたちまち、赤字になり、周辺道路は大渋滞となりました。2009年には、ついに「さとらんど」を断念。
地下鉄駅より徒歩10分の場所にある、札幌市スポーツ交流施設「つどーむ」に変更することになりました。
実は、この「つどーむ」は丘珠飛行場に隣接しています。 「雪まつり」に一番必要なものは何でしょうか? もちろん雪です。
雪を遠くからトラックで運んでいたのですが、飛行場こそキレイな雪の産地なのです。 これこそ地産地消ですね。 燃料節約のエコですよ。
しかも、お隣さんは、いつも雪の輸送に協力してくれる「陸上自衛隊丘珠駐屯地」なのです。 ここまでくると、なんだか「おねだり」しているようで気がひけるのでは…?
変更に先立ち「市民ワークショップ」が開かれ、私も市民委員として参加し、中島公園を雪まつり第二会場として推薦しました。 第一会場は皆様お馴染みの大通会場です。

冬の中島公園菖蒲池、点にみえるのはマガモ
議論の結果、第二会場は「さとらんど」と決まりました。 個人的には無理ではないかと思いました。 吹雪のとき道路が閉鎖される恐れがあるからです。
それに、交通の便の悪さです。 雪まつりのような大イベントで、バスの輸送では無理です。 これには3000台収容の特大駐車場で対応したのでビックリしました。
10万人も来れば御の字と思っていたのに、3年目には約26万にも来てしまいました。その大半が自家用車で来たのです。 車で「雪まつり」は札幌市民の夢ですから。
駐車場の警備員の人件費でたちまち、赤字になり、周辺道路は大渋滞となりました。2009年には、ついに「さとらんど」を断念。
地下鉄駅より徒歩10分の場所にある、札幌市スポーツ交流施設「つどーむ」に変更することになりました。
実は、この「つどーむ」は丘珠飛行場に隣接しています。 「雪まつり」に一番必要なものは何でしょうか? もちろん雪です。
雪を遠くからトラックで運んでいたのですが、飛行場こそキレイな雪の産地なのです。 これこそ地産地消ですね。 燃料節約のエコですよ。
しかも、お隣さんは、いつも雪の輸送に協力してくれる「陸上自衛隊丘珠駐屯地」なのです。 ここまでくると、なんだか「おねだり」しているようで気がひけるのでは…?
一体どうなっているのでしょうね。世の中分からないことばかりです。 小学校では、生徒に「不審者に気をつけて」と教えているそうです。 小学生は困っているのではないでしょうか。
不審者? どんな人。 マスクしている人、サングラスかけている人。それとも黒い帽子被っているの? 「教えて下さい。どんな人」。子供たちの困惑した顔が浮かんできます。 しかし、ぜんぜん困らないで、誰でも不審者と決め付ける小学生も怖いですね。
不審者から身を守れと言われたら、知らない人は信じないこと。 これしか方法がありません。 しかし、将来ある小学生に人を信じない教育などしていいのでしょうか。
報道によると、子供を交通事故から守ろうとした「知らない人」が、母親に通報されて、逮捕された事件がありました。 ここに、2種類の人が登場します。 一人は、人を信じて小さな子供を守ろうとした「知らない人」。 もう一人は知らない人を疑って警察に通報した母親です。
どちらが正しいとも言えません。 知らない人を信じない母親が、わが子を守ろうとしただけです。 人を信じて子供を交通事故から守ろうとした人は、誤解をされて大変な目に遭いました。 「これからは人を信じないことにしよう」と思ったかもしれません。
こんなことが繰り返されて、人を信じない人がだんだん増えてきます。 人を信じない社会は一人ひとりが孤立した社会です。 犯罪をやり易い、犯罪者が大好きな社会です。 早く次の事実に気がついて欲しいと思います。 「不審者に気をつけて」の教育は、「知らない人は信じるな」の教育と同じです。 なぜなら誰が不審者か見分けるのが難しいからです。大人でも難しいことを子供に要求しても無理です。
「知らない人は信じるな以外」の方法で犯罪から身を守る方法はあるでしょうか。 3月8日、札幌市中央区で開かれた『安全のまちづくりシンポジウム』(立正大犯罪社会学、小宮信夫教授)から」で、一つの方法が紹介されました。 瞬間的に危険な場所に気づく「危険予測能力」を育てることが大切だそうです。
犯罪から身をまもるのに一番重要なのは「予測」です。 不審者を見分けるより、危険な場所を瞬時に気づく危険予測能力を身につける方が、はるかに簡単で、実用的と思いますが、いかがでしょうか?
不審者? どんな人。 マスクしている人、サングラスかけている人。それとも黒い帽子被っているの? 「教えて下さい。どんな人」。子供たちの困惑した顔が浮かんできます。 しかし、ぜんぜん困らないで、誰でも不審者と決め付ける小学生も怖いですね。
不審者から身を守れと言われたら、知らない人は信じないこと。 これしか方法がありません。 しかし、将来ある小学生に人を信じない教育などしていいのでしょうか。
報道によると、子供を交通事故から守ろうとした「知らない人」が、母親に通報されて、逮捕された事件がありました。 ここに、2種類の人が登場します。 一人は、人を信じて小さな子供を守ろうとした「知らない人」。 もう一人は知らない人を疑って警察に通報した母親です。
どちらが正しいとも言えません。 知らない人を信じない母親が、わが子を守ろうとしただけです。 人を信じて子供を交通事故から守ろうとした人は、誤解をされて大変な目に遭いました。 「これからは人を信じないことにしよう」と思ったかもしれません。
こんなことが繰り返されて、人を信じない人がだんだん増えてきます。 人を信じない社会は一人ひとりが孤立した社会です。 犯罪をやり易い、犯罪者が大好きな社会です。 早く次の事実に気がついて欲しいと思います。 「不審者に気をつけて」の教育は、「知らない人は信じるな」の教育と同じです。 なぜなら誰が不審者か見分けるのが難しいからです。大人でも難しいことを子供に要求しても無理です。
「知らない人は信じるな以外」の方法で犯罪から身を守る方法はあるでしょうか。 3月8日、札幌市中央区で開かれた『安全のまちづくりシンポジウム』(立正大犯罪社会学、小宮信夫教授)から」で、一つの方法が紹介されました。 瞬間的に危険な場所に気づく「危険予測能力」を育てることが大切だそうです。
犯罪から身をまもるのに一番重要なのは「予測」です。 不審者を見分けるより、危険な場所を瞬時に気づく危険予測能力を身につける方が、はるかに簡単で、実用的と思いますが、いかがでしょうか?
一般にマスコミで活躍するような識者と言われる人たちは、趣味やスポーツに長けています。見てくれもよく、人気者でもあります。 一方、疲れた感じの定年退職者はどうでしょう。 その反対ですね。
識者と言われる人でも、その発言は自分の経験に基づいていることが、多々あります。 彼らにとって人の輪に入ることなど、朝飯前です。 ですから、輪に入らない人は、その意思がないものと思い込んでるようです。「人の輪に入りなさい」とか、極めて難しいことを簡単に言うのは、そのせだと思います。
私にとっては新しい人間関係を築くことは至難の業でした。 輪に近づいては弾かれる、近づいては弾かれる。これの繰り返しです。
例えばこんな具合にです。
「始めまして、よろしく」と挨拶すると、同年輩の小父さんはニコニコして応じてくれます。
「こちらこそ、どうぞよろしく。さっそくですが、山登りの予定があるのですよ。ご一緒しませんか」
「山は、ちょっと…」。 虚弱体質なので登れないのです。
「ゴルフもあるんですよ」
「すみません。できないのです」
「それでは挨拶代わりに、指しますか?」と、将棋の手つき。
囲碁将棋、麻雀もカラオケもできないことが分かると、小父さんは言葉を失ってしまいます。 文字通り、黙り込んでしまうのです。 もう、こうなるといけません。こちらから話しかけても生返事です。
しかし、同年輩でも女性はちょっと違います。「…ひとつくらい出来ることあるでしょう」とズケズケ言います。「パソコンを少々…」と小さな声で答えると「ホームページ作ろう!」と、話が一挙にジャンプしてしまいます。
初めてのホームページ作成が、キッカケになり、その後「中島パフェ」を開設し、それから、6年もたち、その間に多くの出会いがありました。
一つの出会いから、趣味を生かしてホームページ作成が始まり、趣味のホームページから多くの出会いが生まれました。
北海道新聞「朝の食卓」との出会いも、その一つです。 これが私にとって一番大きな出会いとなりました。 「中島パフェ」及び、このブログへの訪問者のお陰です。 心から感謝しています。
識者と言われる人でも、その発言は自分の経験に基づいていることが、多々あります。 彼らにとって人の輪に入ることなど、朝飯前です。 ですから、輪に入らない人は、その意思がないものと思い込んでるようです。「人の輪に入りなさい」とか、極めて難しいことを簡単に言うのは、そのせだと思います。
私にとっては新しい人間関係を築くことは至難の業でした。 輪に近づいては弾かれる、近づいては弾かれる。これの繰り返しです。
例えばこんな具合にです。
「始めまして、よろしく」と挨拶すると、同年輩の小父さんはニコニコして応じてくれます。
「こちらこそ、どうぞよろしく。さっそくですが、山登りの予定があるのですよ。ご一緒しませんか」
「山は、ちょっと…」。 虚弱体質なので登れないのです。
「ゴルフもあるんですよ」
「すみません。できないのです」
「それでは挨拶代わりに、指しますか?」と、将棋の手つき。
囲碁将棋、麻雀もカラオケもできないことが分かると、小父さんは言葉を失ってしまいます。 文字通り、黙り込んでしまうのです。 もう、こうなるといけません。こちらから話しかけても生返事です。
しかし、同年輩でも女性はちょっと違います。「…ひとつくらい出来ることあるでしょう」とズケズケ言います。「パソコンを少々…」と小さな声で答えると「ホームページ作ろう!」と、話が一挙にジャンプしてしまいます。
初めてのホームページ作成が、キッカケになり、その後「中島パフェ」を開設し、それから、6年もたち、その間に多くの出会いがありました。
一つの出会いから、趣味を生かしてホームページ作成が始まり、趣味のホームページから多くの出会いが生まれました。
北海道新聞「朝の食卓」との出会いも、その一つです。 これが私にとって一番大きな出会いとなりました。 「中島パフェ」及び、このブログへの訪問者のお陰です。 心から感謝しています。
堅い話で恐縮だが、政治も経済も混沌としている。 一体どうしてこんなことになったのだろうか。
私が働き盛りのころだが、「高賃金、福祉の破綻。企業も人材も海外に逃げてしまう。このままでは日本は空洞化して取り残されてしまう」とか、言われていた。
国際標準とか言って進めて行ったのが、日本のアメリカ化。アメリカの真似したのだから、働く貧乏人(ワーキングプア)、格差社会など、アメリカと同じようになるのは自明のことだった。
もう一つの道も残されていたが、選択はしなかった。北欧を中心とする福祉中心の政策である。 「税金が所得の50%も取られるのだぞ」とか言って見向きもしなかった。
大企業、大銀行、官庁などは、少々痛みはあったかも知れないが、ほぼそのままの形で残った。 しかし、貧困層が激増した。 とくに働く貧乏人(ワーキングプア)の増加が著しいことは、将来に陰を落としている。
働いても生活保護以下の収入しか得られないなど、あってはならないことである。 マルクスの亡霊が出てくるような気配すら感じる。 今なら間に合う、正常な方向に舵を切ってほしい。
政治は船の舵のようにゆっくりとしか利かないのだ。 「あれよあれよ」と言っている内にぶつかってしまう。 革命なら即効性もあると思うが血なまぐさいのはゴメンだ。 民主制度の中でしっかりと針路を変えて欲しいと思う。
私が働き盛りのころだが、「高賃金、福祉の破綻。企業も人材も海外に逃げてしまう。このままでは日本は空洞化して取り残されてしまう」とか、言われていた。
国際標準とか言って進めて行ったのが、日本のアメリカ化。アメリカの真似したのだから、働く貧乏人(ワーキングプア)、格差社会など、アメリカと同じようになるのは自明のことだった。
もう一つの道も残されていたが、選択はしなかった。北欧を中心とする福祉中心の政策である。 「税金が所得の50%も取られるのだぞ」とか言って見向きもしなかった。
大企業、大銀行、官庁などは、少々痛みはあったかも知れないが、ほぼそのままの形で残った。 しかし、貧困層が激増した。 とくに働く貧乏人(ワーキングプア)の増加が著しいことは、将来に陰を落としている。
働いても生活保護以下の収入しか得られないなど、あってはならないことである。 マルクスの亡霊が出てくるような気配すら感じる。 今なら間に合う、正常な方向に舵を切ってほしい。
政治は船の舵のようにゆっくりとしか利かないのだ。 「あれよあれよ」と言っている内にぶつかってしまう。 革命なら即効性もあると思うが血なまぐさいのはゴメンだ。 民主制度の中でしっかりと針路を変えて欲しいと思う。
今朝の新聞によると、国会議事堂内で自衛官の自殺未遂騒ぎがあったそうだ。20歳の制服姿の陸士長が短刀を使い腹を数回刺したが軽傷だったそうだ。
「武士の情けだ、死なせてくれ」と口走ったという。軽傷でも腹を刺したら痛いだろう、何回も刺して、挙句の果てにこのセリフ。立派なものだと感心した。
私だったら、死のうとしたことなどスッカリ忘れて「痛い痛いよ~。助けてくれ~」とか言うだろう。 …と思うには理由がある。
もし、自分が病気で寝たきりになったら、どうしよう。 毎日が苦しいだけだったら、どうしよう。 ちょっと想像しただけで足がすくんできた。ソファーに座っていながらである。 苦しくも、痛くもない方法をいろいろ考えていたら、高層ビルから飛び降りる自分の姿が見えてきたのだ。

在職中は老後のことが心配で、出来るだけ無駄遣いはしないで貯金をしたが、いつの間にか老後になってしまった。 もう貯金をする必要がない。 貯金するほどの収入もないが…。
病気に備えるといっても、あらゆる病気に備えることなどできない。 こんなことをくどくど言っていたら、Aさんが明快な答えを出してくれた。
「病気になったら、いくら必要なの。1000万、1億。 いくら貯めたって最後は全部、医者にに取られちゃうよ」
確かに命は惜しいから、治るかも知れないと思ったら使ってしまうと思う。 最後は全財産を医者に差し出すことになるだろう。 いつも、ノンビリ楽しく暮らしているが、たまにはこんなことも考える。
「武士の情けだ、死なせてくれ」と口走ったという。軽傷でも腹を刺したら痛いだろう、何回も刺して、挙句の果てにこのセリフ。立派なものだと感心した。
私だったら、死のうとしたことなどスッカリ忘れて「痛い痛いよ~。助けてくれ~」とか言うだろう。 …と思うには理由がある。
もし、自分が病気で寝たきりになったら、どうしよう。 毎日が苦しいだけだったら、どうしよう。 ちょっと想像しただけで足がすくんできた。ソファーに座っていながらである。 苦しくも、痛くもない方法をいろいろ考えていたら、高層ビルから飛び降りる自分の姿が見えてきたのだ。

在職中は老後のことが心配で、出来るだけ無駄遣いはしないで貯金をしたが、いつの間にか老後になってしまった。 もう貯金をする必要がない。 貯金するほどの収入もないが…。
病気に備えるといっても、あらゆる病気に備えることなどできない。 こんなことをくどくど言っていたら、Aさんが明快な答えを出してくれた。
「病気になったら、いくら必要なの。1000万、1億。 いくら貯めたって最後は全部、医者にに取られちゃうよ」
確かに命は惜しいから、治るかも知れないと思ったら使ってしまうと思う。 最後は全財産を医者に差し出すことになるだろう。 いつも、ノンビリ楽しく暮らしているが、たまにはこんなことも考える。
新聞を切り抜こうと思って、居間に行くと、QPがテレビを観ている。「何だ、また殺人か。好きだね~」と、つい口に出た。 私は殺人は嫌いだ。ニュースを見ているときは、チャネルを切り替えるし、好きなドラマで殺人シーンがあると、目をそむける。
QPに「殺人好きだね~」と行って、自室に引きこもりパソコンに向った。 しばらくするとドアがいきなり開いて、QPの怒鳴り声が入ってきた
「あんただって、戦争映画観るでしょう!」バタンと閉まる音。 えらい剣幕だ。
そういえば「プライベート・ライアン」のノルマンディ上陸作戦の悲惨なシーンは、ドラマの殺人シーンをはるかに超えている。
しかし、私は目をそむけることなく、感動しながら観ている。 なぜだろう? ワイドショーの殺人とどう違うのだろうか、考えてみた。 答えは直ぐに出た。 テレビのワイドショーには、勇敢な人が出てこない。 命を懸けて仲間を守る人もいないし、愛する人の為に命を捧げる人もいない。
ワイドショーには愛と正義を貫く人など出て来ないのだ。 悪い奴と情けない奴ばかり、しゃしゃり出る。 バカとアホウの絡み合いだ。 感動できるわけがない。
「そうでしょう。 感動できないから面白くないのですよ」
「QPさんに、そういってやったらいいじゃないか」
「後が怖いですよ。メシ作らないとか…」
「正義を貫け! 好きなんだろう」
「ドラマならね~。普通の人は、そうは行きません」
「ワイドショーだって、普通の人は出てこないよ」
「なんだか話がかみ合いませんね。この辺でお開きにしましょう」
QPに「殺人好きだね~」と行って、自室に引きこもりパソコンに向った。 しばらくするとドアがいきなり開いて、QPの怒鳴り声が入ってきた
「あんただって、戦争映画観るでしょう!」バタンと閉まる音。 えらい剣幕だ。
そういえば「プライベート・ライアン」のノルマンディ上陸作戦の悲惨なシーンは、ドラマの殺人シーンをはるかに超えている。
しかし、私は目をそむけることなく、感動しながら観ている。 なぜだろう? ワイドショーの殺人とどう違うのだろうか、考えてみた。 答えは直ぐに出た。 テレビのワイドショーには、勇敢な人が出てこない。 命を懸けて仲間を守る人もいないし、愛する人の為に命を捧げる人もいない。
ワイドショーには愛と正義を貫く人など出て来ないのだ。 悪い奴と情けない奴ばかり、しゃしゃり出る。 バカとアホウの絡み合いだ。 感動できるわけがない。
「そうでしょう。 感動できないから面白くないのですよ」
「QPさんに、そういってやったらいいじゃないか」
「後が怖いですよ。メシ作らないとか…」
「正義を貫け! 好きなんだろう」
「ドラマならね~。普通の人は、そうは行きません」
「ワイドショーだって、普通の人は出てこないよ」
「なんだか話がかみ合いませんね。この辺でお開きにしましょう」
このブログでは、何でも好きなことを書いています。 ユーモアを大切にしていると言いながら、二つも堅苦しい話題が続けてしまいました。 ジョークのかけらもなくて、すみません。
今日こそ柔い話題をと思っていたのに、ビッグニュースが入ってしまいました。今朝の新聞に「戦争放棄条項を初判断、判決確定の見通し」との見出しが躍っていました。
日頃、笑って暮せるのも、平和のお陰と思っています。戦争放棄条項について初めて司法判断が示されたのです。硬い話で恐縮ですが、お付き合い下さい。
4月17日、名古屋高裁は自衛隊のイラク派遣指し止め訴訟で「武力行使を禁じたイラク特措法や憲法9条に違反する活動を含んでいる」と結論付けました。
平和の為に一歩前進とは思いますが、これで安心とはまいりません。 「だから、九条は改正しなければいけない」という声が必ず上がってきます。 民主国家で議論は自由ですがウソはいけません。 「憲法九条は米国の押し付け」というのは巧妙なウソだと思います。
米国が深く関与したことは事実としても、「押し付け」とは言えません。 米国の意図はともかく、「これからは戦争しなくてよい」と思ってみんな喜んでいたのです。 人の嫌がることをするのが「押し付け」ではないでしょうか。 人の喜ぶことでは押し付けにはなりません。 当時の日本人は心から喜んでいたのです。
少し想像力を働かせれば分かることです。 戦争で苦しめられて、家族・友人の命まで奪われて、挙句の果ての敗戦です。 戦争放棄条項を読んで「戦争をしない国になれた」ことを知り、国民は喜ばずにはいられません。 たとえ、米国の方針だとしても、押し付けられたと感じる人がいる訳がありません。
しかし、いつの世にも例外的な人達はいます。 戦争のお陰でいい思いをした人、敗戦によって利権を失った人。 日本を戦争に導いた人達等です。 敗戦にも関わらず、東西冷戦の影響で、彼らの勢力が温存されてしまいました。後に総理大臣になった人もいるほどです。
憲法九条を歓迎する中でも0.1%以下の、ごく少数の人たちは、再び戦争の出来る国にすることを望み、九条の制定を苦々しく思っていました。
0.1%と言っても、侮れません。 金と権力のある10万人です。1万人かも知れません。いずれにしろ、ごく少数です。 今回、名古屋高裁により戦争放棄条項に初めて判断が示されました。このリアクションとして「だから、九条は改正しなければいけない」という声が大きくなってくると思います。
更に「憲法九条は米国の押し付け」との意見がマスコミを賑わすことになると思います。 しかし、事実でないのでキチンと証明されることはありません。だからこそ、ネガティブ・キャンペーンが検証されることなく垂れ流されるのです。
憲法論争はこれからが本番です。 今までは右だろうと、左だろうと、戦争の苦痛を味わった人達が世論をリードしていました。「最後の一線は踏み越えないだろう」という安心感がありました。
しかし、今の指導者は戦争をまったく知りません。悲惨さを体験したことがないので、外交やビジネスの延長のように考えています。 戦争の本質が恐怖、悲惨、裏切り、殺戮であることを実感していないから、戦争を自分の死と関連付けて考えられないのです。
敗戦後の非戦の誓いを、前世代より引き継いで、一人ひとりの心の中でもっていなければならなりません。 戦争放棄を押し付けなどと感じた人はいなかったのです。これだけは事実です。一握りの権力者は別として。
今日こそ柔い話題をと思っていたのに、ビッグニュースが入ってしまいました。今朝の新聞に「戦争放棄条項を初判断、判決確定の見通し」との見出しが躍っていました。
日頃、笑って暮せるのも、平和のお陰と思っています。戦争放棄条項について初めて司法判断が示されたのです。硬い話で恐縮ですが、お付き合い下さい。
4月17日、名古屋高裁は自衛隊のイラク派遣指し止め訴訟で「武力行使を禁じたイラク特措法や憲法9条に違反する活動を含んでいる」と結論付けました。
平和の為に一歩前進とは思いますが、これで安心とはまいりません。 「だから、九条は改正しなければいけない」という声が必ず上がってきます。 民主国家で議論は自由ですがウソはいけません。 「憲法九条は米国の押し付け」というのは巧妙なウソだと思います。
米国が深く関与したことは事実としても、「押し付け」とは言えません。 米国の意図はともかく、「これからは戦争しなくてよい」と思ってみんな喜んでいたのです。 人の嫌がることをするのが「押し付け」ではないでしょうか。 人の喜ぶことでは押し付けにはなりません。 当時の日本人は心から喜んでいたのです。
少し想像力を働かせれば分かることです。 戦争で苦しめられて、家族・友人の命まで奪われて、挙句の果ての敗戦です。 戦争放棄条項を読んで「戦争をしない国になれた」ことを知り、国民は喜ばずにはいられません。 たとえ、米国の方針だとしても、押し付けられたと感じる人がいる訳がありません。
しかし、いつの世にも例外的な人達はいます。 戦争のお陰でいい思いをした人、敗戦によって利権を失った人。 日本を戦争に導いた人達等です。 敗戦にも関わらず、東西冷戦の影響で、彼らの勢力が温存されてしまいました。後に総理大臣になった人もいるほどです。
憲法九条を歓迎する中でも0.1%以下の、ごく少数の人たちは、再び戦争の出来る国にすることを望み、九条の制定を苦々しく思っていました。
0.1%と言っても、侮れません。 金と権力のある10万人です。1万人かも知れません。いずれにしろ、ごく少数です。 今回、名古屋高裁により戦争放棄条項に初めて判断が示されました。このリアクションとして「だから、九条は改正しなければいけない」という声が大きくなってくると思います。
更に「憲法九条は米国の押し付け」との意見がマスコミを賑わすことになると思います。 しかし、事実でないのでキチンと証明されることはありません。だからこそ、ネガティブ・キャンペーンが検証されることなく垂れ流されるのです。
憲法論争はこれからが本番です。 今までは右だろうと、左だろうと、戦争の苦痛を味わった人達が世論をリードしていました。「最後の一線は踏み越えないだろう」という安心感がありました。
しかし、今の指導者は戦争をまったく知りません。悲惨さを体験したことがないので、外交やビジネスの延長のように考えています。 戦争の本質が恐怖、悲惨、裏切り、殺戮であることを実感していないから、戦争を自分の死と関連付けて考えられないのです。
敗戦後の非戦の誓いを、前世代より引き継いで、一人ひとりの心の中でもっていなければならなりません。 戦争放棄を押し付けなどと感じた人はいなかったのです。これだけは事実です。一握りの権力者は別として。
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のん子 戦争放棄・・・全世界の国の法律がそうなって欲しいものです
戦争ほど愚かなものはありません
犠牲者は(軍人は別にして)殆どが一般市民になります
只、戦争放棄にすると他国から理不尽に先制攻撃を受けた時はって心配が・・・
防衛外交が重要になって来るんでしょうね?
のん子さんへ
nakapa コメント有難うございます。
そうですね、理不尽に攻められたら大変です。
そんなときの為の防衛は大切と思います。
もっと、大切なのはそうならない為の話し合いです。
口で言うのは簡単ですが、難しい問題です。
難しいから、一生懸命考えなければ解決しないと思います。
庶民レベルでできることは、一人一人が平和を願うこと。
政府がやるべきことは情報公開と思います。