朝食はテレビを消して話しながらとる。 「朝の食卓」の話題は近所の中島公園、健康、そして札幌シニアネット(SSN)、カラオケ、歩こう会など。
行方不明の小学2年生が無事に見つかり快復し退院した。その姿を見て胸がいっぱいになった。とても嬉しい。テレビニュースでこれほど感動したことはない。食料を持っていなかったと言うことなので、ギリギリのところで助かったのだ。

まさに天の助けと思う。たまたま用事でA君が迷い込んだ小屋に来た自衛隊員に発見された。この偶然がもっと早く来れば苦しみも少なかったはず。全ては運だと思う。なぜ6日間も見つからなかったか深く考えさせられた出来事だった。

この件に関する私の知識は、テレビと新聞で得た情報だけだった。しかし「躾」という大切な言葉が軽々しく、しかも言い訳として使われていることに違和感を覚えた。

事実関係を掴んでいないので、あくまでも「そうだとすると」と言う仮定の上の話だが、親が山菜取りと嘘をついたと聞いて驚いた。捜索のために最も重要な位置情報に関わることが嘘では困る。捜索範囲が大幅に変わってくるではないか。つまり一人っきりの小学2年生が行きそうもない場所を重点的に探すことになる。結果として、家族が捜索活動をかく乱し、妨害をしたことになるだろう。

「だだいまから行方不明のA君の捜索を行う。捜索範囲は山菜の採れそうな森の中」
と隊長が臨時編成の捜索隊員に命令を下す。
「小学生が一人で山菜取りですか?」と隊員の一人。
「家族と一緒に行ってはぐれたんだ。行った場所は家族から聞いている」
「その辺りを大声をだしながら、探せば簡単に見つかりますね」
「大声を出すだけじゃだめだ。子供が応える声に耳を傾けることが大切だ」

しばらくして隊員から報告、「隊長、山菜を採った跡が見つかりません」。
隊長は家族に訪ねた。「採った山菜を見せて下さい」。
「採ろうとしてアチコチ歩いている内に子供が居ないことに気づきました」
「足跡が手掛かりになるでしょう。安心してください。直ぐ見つけます」
以上は想像だが、これからも想像だ。なにぶん分からないことばかりなので。

一人残された小学生は、どう考えるだろうか。家族に会いたいと思うに決まっている。家族は車で移動している。道路以外の所に行くはずがない。森に入ることは考えられないのだ。人気のない森は小学生でも大人でも怖い。好んで入る場所ではない(山菜取りなら話は別だが)。

自分が放置されたらどうするか想像してみた。とにかく人気のある場所に行きたい。絶対に森の中などに行きたくない。真っ暗になる前に人に会いたい。自分が何処にいるか分からなくなったら人に聞くより助かる道がない。都会育ちだからそう思った。

隊長は再び家族に訪ねる。
「足跡も見つからないし何の手掛かりも無いのです。場所を間違えていませんか?」
「実は、……山菜取りは嘘でした」
「嘘をつかれたら見つけることはできません。どこで行方不明になったのですか」
「道路です?」
「なぜ?」
「しつけです」
「しつけ? 捜索の為には正しい情報が必要です」
「車から降ろして道路に置き去りにしました」
「なぜそのことを最初に言わないのです」
「言えばDV(家庭内暴力)と思われるでしょう」
「子供さんを見つけることと、自分が悪く思われないこととドッチが大切ですか」
「子供の命です」
「では何で嘘をつくのですか!」
「両方とも上手く行くと思ったんですよ」

フィクションです。最近起こった児童行方不明事件とは全く関係がありません。

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【2016/06/11 00:00】 | 私が思うこと
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そよ風
今回のニュース、めでたしめでたしで終わって良かったですね。 
父親の記者会見を見て涙が出ました。
最初に嘘をついた事は確かに悪いと思いますが、直ぐに見つかると思っていたのでしょう。

子供を置き去りにして5分後には現地に戻っています。
子供が車や人様に対して石を投げたので躾として車から降ろしたと言ってましたが、その事で世間を騒がせるなんて父親としては思ってもいなかったでしょうね。
海外のメディアまで広がったんですもの…

子供が悪い事をしたら躾も大事ですが、今回はちょっと行き過ぎましたね。
父親も深く反省していたので許してあげましょうよ。
私は父親に対して、そんなに悪印象は持っていません。


お父様も大変でしたね
PP
本当に助かって好かったです。
テレビでですが無事な姿を見て我がことのように嬉しかったです。
人が水だけで生きるのは7日くらいと聞いていました。
やつれてはいましたが、意外に元気そうだったのでホッとしました。
6昼夜一人で空腹をかかえて過ごすのは想像を絶する苦しみです。
小学2年生がテレビ写りでは平静に見えたので感動しました。
お父様も大変でしたね。皆様の幸せを祈っています。

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子供の頃は貧乏だったのでお金持ちに憧れた。別世界と感じていたので自分がなれるとも、なりたいとも思わない。単なる夢の世界として憧れていた。しかし、今は富豪になりたくないし憧れてもいない。富豪になったら今より幸せになれるとも思っていない。今のお金持ちは大変だと思うのだ。

富豪になったつもりで将来を考えてみた。そこに見えたのは人類滅亡へのシナリオだった。現在の世界は「62人=36億人」の世界だそうだ。新聞にそう書いてあった。10年後には「2人=36億人」という試算もある。その概略は次のとおり。

「世界の最も豊かな層のたった62人が所有する総資産が、世界の貧しい方50%の36億人が所有する総資産と同じ、という意味だ」そうだ。そして、
「2010年では貧しい方50%の総資産が388人の富豪の総資産に相当していた」。
更に、「このままの趨勢が続くと次の5年で10人、さらに10年先には2人となってしまう!」と続く。1人になる日も近い。1人=36億人。さてその後は?
括弧内は5月14日付け道新(総合研究大学院大名誉教授池内了氏執筆)より抜粋。

日本を含む世界中で格差が進み、このままの趨勢が続けば、遠からず世界経済は破綻する。私の想像では、「パナマ文書」問題が明るみに出たのは、富豪筋のリークによるものである。もちろん、この経済破綻を避ける方策の一つとしてだ。

富豪たちが各界の有力者を動かして自分達だけが儲かる仕組みを作ったものの、あまりにも上手く行き過ぎて恐ろしくなったのだと思う。富豪とはいえ我々と同じ人間だから、度が過ぎるほど極端な格差拡大に危機感を抱いている人もいるだろう。

仮に自分が富豪と思って考えてみた。そうしたら死ぬほど恐ろしくなった。世界中が飢餓寸前の貧乏人で埋め尽くされて居るのに自分だけが超大金持ち。これは一種の地獄ではないか。昔そのような絵を見た様な気がする。

今から数年前の2010年では世界の富の半分を握るのは388人だった。もし私がその中の一人だったら、何とかして財産を減らせないかと考える。それなのに儲かる仕組みが出来上がっているから、不本意ながら資産はどんどん増えて行ってしまう。

これは凄く怖いことだ。戦争、テロ、強盗の標的にされてしまう。富豪の人たちは今より財産が集中しても心配の種が増えるばかりだ。どうしたもんだろうかと悩んでいるに違いない。

この悩みを世界の人々に知ってもらう必要がある。その為に国際協力団体のNGO、オックスファムの力を借りて、極端過ぎる経済格差を調査して世界中に知らせているのだと思う。このような背景の中で「62人=36億人」が公表されたのだろう。

ところが世界の人々は大した関心も示さない。「大金持ちはもっと貧乏人に金をよこせ」という声が世界中の至る所から盛り上がって来るかと思ったのに当てが外れた。困った富豪たちは最後の賭けに出た。これが「パナマ文書」リークだと考える。

今度こそは国際世論を動かせるだろうと富豪たちは期待している。そうでなければ、10年後は二人で世界の富の半分を持つことになってしまう。あるいは二人の中に入れない。いずれにしても大変なことで生きた心地がしないだろう。

一体この格差拡大は何時まで続くのだろう。世界経済が破綻するまで続くのだろうか。こんなことは世界総資産の2分の1を持つ富豪でさえ望まないと思う。金持ちがもっと金持ちになる仕組みが暴走しているのだ。

一旦できた仕組みは、作った人の意図に反して独り歩きする。制限なしの集金ロボットの登場だ。その先はもっと恐ろしい。独りぼっちの大富豪、まさに孤独の極限だ。どんな人でも財産を捨てて一般人の仲間入りをしたくなるだろう。

今、富豪たちは恐れ慄いているのではないだろうか。パナマ文書は匿名者からの流出だそうだ。匿名者とは富豪の内部通報者、これが私の推理だが証明する力がない。世界の貧しい方50%の36億人の中の一人である私はこう考えた。62人の富豪の話も聞きたい。幸せですか? 怖くないですか? 仲良くしてますか?

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【2016/05/21 00:00】 | 私が思うこと
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「運動音痴のお前がな~。野球を書くとはビックリポンだよ。暇つぶしのテレビ観戦で分かったと思ったら大間違だぞ」
「カラオケもやってますよ」
「それがどうした」
「スーパー音痴です」
「なるほど。音痴でも歌う。無知蒙昧でも書ける」
「そうなんですよ。あなたには読まない自由があるのです」
「今更ナンダ! タイトルに騙されてクリックしちゃったぞ」

断捨離シリーズのはずだったが、寄り道3回になってしまった。気になることがあると、どうしても書きたくなるのだ。少し古いニュースだが、世界野球「プレミア12」の準決勝で日本が、韓国に3対4で逆転負けしたことが今でも気になっている。9回の表に4点も取られたのだから情けない。訳の分からない投手交代で負けてしまった。

大谷が7回まで1安打11奪三振零封。押さえられて意気消沈していた韓国チームは思わぬプレゼントをもらって勢いづいた。敵から塩をもらった様なもの。彼らはこれで行けるぞとばかりに大喜び。なんでこんなことになるのだろう?

プレゼントとは85球を投げて余力を残している大谷を交代させたこと。意外な投手交代にテレビの前で唖然とした。随分気前のいい人だ。ど素人の私などには理解できない深い訳があったに違いない。あの日は愛ちゃんの誕生日とか何やかやと。

ひょっとして調子の好い大谷の力を決勝戦の為に残して置きたかったのだろうか。言うまでもなく決勝戦を確実に勝ち世界一になる為だ。しかし、それは無いと思う。準決勝に勝たなければ決勝戦には絶対に進めないのだから。

多分、小久保監督は大谷でなくても残りの投手陣で絶対に勝てると確信したから交代させたのだ。その確信こそ間違いだと考える。五戦全勝には運よく勝ちを拾った試合も含くまれている。勝って兜の緒を締めよ。

目標は世界一と言ったはずだ。負ければ反省する機会が与えられるが勝ち続けたのが運の尽きだった。野球は球体であるボールを丸いバットで打つ。同じ力でも少しでもズレれば、ホームランと思っても内野フライになってしまう。極めて運が左右するゲームと思う。絶対はあり得ないのでミスする確率は少しでも下げなければならない。好投している投手を替えればミスの確率は高まるだろう。

グループB五戦の内、メキシコ戦とベネズエラ戦は5対6の僅差で、どちらが勝ってもおかしくはなかった。両方とも勝ってしまったので根拠のない確信をもったとすれば、お粗末な話だ。監督は采配ミスを認めたものの独り善がりの勝ちパターンに拘り、臨機応変の処置が取れなかった。新聞に載った監督のコメントからそう感じた。

「なんでナンデと疑問を持つのはお前の悪い癖だよ」
「勝ち過ぎがいけなかったでしょうか?」
「実力7分運3分」
「運が良すぎたのでしょうか?」
「肝心なときに見放されたな。運は何人にも平等に与えられる」
「そうですね。運だけはお金で買えませんから公平です」

勝ちが続けばどうしても驕りが出てしまう。その驕りが準決勝の時に変な余裕を与えてしまったようだ。だから試合中に、あるかないか分からない東京ドームでの決勝戦のことまで考えてしまうのだ。

一つ先のことに気を取られれば無意識に今の戦いが疎かになる。何だか監督自身が長い間戦って来たリーグ戦の癖が出た様な気がする。ど素人のわたしはそう考えた。ゲームに絶対は無いが交代は大谷が危なくなってからにして欲しかった。絶対に勝たなければならない試合では好投している投手を替えてはいけない。

2015年12月13日(予定)中島公園 都会の野鳥観察会
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午前8時から90分程度、参加費無料、定員12名(先着順) 
申し込み等詳細 → 中島公園都会の野鳥観察会

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【2015/12/05 00:00】 | 私が思うこと
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選手交代のタイミングは大切
路傍の石
リーグ戦でもたまに今回のような例がありますね。
応援しているチームが0封されていて、
8~9回辺りで好投の相手投手が突然交代。
ヤッタ~! これで打つチャンスが訪れそう!!
結果、応援チームの勝利。

監督の考えやチーム事情など、いろいろあるのでしょう。
でもプロは勝って幾らの世界ですから、
目の前の勝ちを逃すのは、惜しいですね。




もっと早く増井投手を
PP
そうですね。応援チームが打ちあぐれているときに投手が交代すると嬉しいです。
リーグ戦なら戦力温存も分かるのですが勝たなくては次が無いトーナメントです。
9回にノーアウトで塁に二人目を出したときが、肝と思いました。
負ける可能性が出たときの判断に誤りがあったと思っています。
あの場面は増井投手と交代させればよかったのにと今でも思っています。
ヨタヨタと危なげな時でも4点は取られないのが増井投手です。

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フィクション恐怖の歩道
ここは日本警察七曲署殺人課、ボスがゴリさんに命令を下す。
「ゴリ、ご苦労だが内閣府最高交通安全会議に行ってくれ」
当時の東京は交通事故数がうなぎ上り、一方殺人事件は七曲署の猛者が悪者を全部退治してしまったので仕事は何もない。こうした状況でゴリさんの出番となった。

1970年当時の課題は増え続ける交通事故の減少だった。そしてやり玉に挙がったのが車道の自転車である。道路交通法の決まり通りの車道走行だが何故か問題になっていた。第1回最高会議は1970年4月開催。委員は豊日自動車副社長と警察のゴリさんを含め約5名。

「予想外の交通事故急増で車が売れなくなり困っています。なんとかしてください」
と豊日自動車の副社長が口火を切った。
「殺人事件をゼロにしました。交通事故も任せてください」とゴリさんは頼もしい。
「車椅子で移動し易いように歩道の段差を解消してバリアフリーにしたいのです」
「賛成!優しい気持ちで交通事故を減らしましょう」
と、気が優しくて力持ちのゴリさんはもろ手を挙げて大賛成。てな感じで第一回会議は和やかな雰囲気を残して終了。

「ゴリ、会議はどうだった」と、煙草をくわえコーヒーカップを片手にボスが聞く。
「心洗われる思いです。コロシ(殺人)はもう沢山。 命をかけて交通安全!」

あれから1年後、最高会議で副社長が新たな提案。
「車道をフラフラ走って危険だから自転車の歩道走行を認めてほしい」
「ダメです。段差がなくなったから自転車が暴走して、歩道が危険になります。障がい者の為のバリアフリーなのに車椅子に乗るのが怖くなる。絶対に認められません」

ゴリさんは、例外的に自転車の歩道走行を認めるのならば、自転車専用道路が出来までとか期限を決めること。それまでの間は歩道走行取締体制を強化することを強く要求し続けた。そして1年たったら委員を首になった。

代わって登場したのが警察のエライさん。早速記者会見を開いた。
先ずA新聞のB記者が質問。
「暴走自転車が横行して歩道を歩いていても恐怖を感じることがあります。自転車には歩行者を守る為、徐行や一時停止の義務がありますが守られていません。なぜしっかりと取り締まらないのですか?」
「えーと、取り締まりを強化すれば新たな暴力団の資金源になる恐れがあります」
と、警察のエライさんは小さな声で言い難そうに答えた。
「なんですかそれ?」

「自転車への当たり屋です。つまり自転車にわざとぶつかって怪我をしたふりをして『訴えるぞ』と脅して金品を要求するのです。車の当たり屋に比べて安全に稼げるので、これから流行ると思います」
「そうなんですか」
「分かりましたか」
「全然分かりません。本当は取り締まりを強化すると自転車が車道に戻ってしまうからでしょう。それが嫌なんじゃないですか。車の邪魔ですからね」
「そんなことありません」

「自転車に車道を走って欲しくない人が居るんでしょう」
「事故を心配する人は多いです。ドライバーは嫌がるでしょうね。」
「車の売り上げに影響しますね」
「売上より人の命が大切です」
「1970年頃に20%程度だった自家用車の世帯普及率は1990年頃には80%に達しています。この間にほとんどの歩道から段差が消えました。歩道の段差解消が進むにしたがって車の売り上げが急上昇しています。この事実をどう考えますか?」
「たまたまでしょう」

「歩道に暴走自転車が増えたのは段差を解消したからでしょう」
「そうですね。段差あっては走れません」
「なぜ取り締まらないのですか?」
「……。えーと、自転車の人は歩行者でもあるので何とか譲り合い……」
「ホントのところは自転車が車道にもどると交通事故が増えるからでしょ」
「それも一理あります」
「交通事故が増えれば車が売れなくなりますね」
「それはまだ検証されていません」
「癒着しているんではないですか?」

私が癒着を感じたのは、福岡市で遭った当て逃げ事件がきっかけだった。歩いていいると後ろから何かがぶつかり路上に倒れた。痛みを堪えて起き上がると、自転車が猛スピードで逃げていくのが見えた。悔しいから道路交通法を読むと歩道では歩行者に絶対的な優先権があることが分かった。

その頃私は、自転車を便利に使っていた。もちろん歩道走行に何の疑問も抱いていなかった。しかし道交法の歩行者保護優先規定を知ってしまったので、守らなければならないと思うようになった。被害者の私としては踏んだり蹴ったりだ。

自転車に乗っている時、これほど不便な決まりはない。歩行者を抜く時は徐行しなければならないし、歩行者が邪魔で通れなければ一時停止しなければならない。これでは自転車に乗っていても走れないから、乗るのを止めた。

歩道の段差が無くなって走り易くなったと思ったら、私の心の中に心理的な段差ができて走れない。「知らぬが仏」というけれど、記憶力が好くて、知らない状態には戻れなかった。忘れっぽくなりたいな~と思ったら、望みは叶ったが嬉しくもない。もう自転車に乗らなくなって10年以上になる。

私説(社説の真似事) 
ところで前回「悪質自転車に講習義務化」(北海道新聞2009年5月18日夕刊はいはい道新より抜粋)」の以下略の部分には次の様に書いてある。「……。以来怖くて自分が自転車で歩行者のそばを通る時は降り、ベルを鳴らしません。互いに少しの譲り合いの心があれば、と思いました」

そしてこの記事のタイトルは「気になる」だった。これを読んでとても気になってしまった。歩行者用道路での徐行違反、歩道での歩行者妨害等の行為が法律でなく心の問題にすり替わってしまっているのだ。

このことは、当局が自転車の歩道走行を例外的に認めた時に、国民にたいする広報をまったくしていなかったことを意味している。そして30年以上も放置すれば法律を無視した常識が形成されても不思議ではない。癒着の悪影響は恐ろしい。

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【2015/06/13 00:00】 | 私が思うこと
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皆様の多くは「ナッツ事件」についてはご存知のことと思う。それに私自身も前々回のブログに「大韓航空ナッツリターン」というタイトルで書いている。そんな訳で経緯は省略、ついでにもう一つ省略したいのは前副社長の「前」の字。お許しを。

航空機を操縦する資格も権限もない大韓航空副社長が航空保安法上の航空機航路変更の罪で懲役1年を言い渡された。運航妨害、衝突の危険があったからだと言う。航空機の運航に関しては機長に権限と責任があると思っていた私はビックリした。

日本のマスコミ報道では、「副社長に権限がある」というような雰囲気が漂っていた。疑問はあったが裁判になれば話は別だろうと予想していた。機内では副社長が機長に命令できる立場ではないと思っていたからだ。

第一、客室サービス責任者を降ろして、どうするつもりなのだろう。一旦緊急事態が生じれば最も重要な役目を果たす保安要員の一人ではないか。しかし、暴言を吐き暴行の疑いのある副社長なら機から降ろす権限は機長にある。その上、航空機の運航にも差支えがない。

この事件の一番の謎は機長は何故客室サービス責任者を降ろす為に搭乗ゲートに戻ったのか。次なる疑問は管制塔には戻る理由を何といったのか。更なる疑問は副社長に法律違反だから戻れないとか説明しなかったのかである。

操縦しているのはパイロットだから副社長が何と言おうと、機長に戻る意思がなければ戻れない。その意思が謎なのだ。裁判の中でどう扱われたのだろうか? 情報をマスコミだけに頼っている私には分からない。

副社長は罰せられて当然と思うが、実際に航空機を動かした機長がお咎めなしとは驚きだ。まさかとは思うが、こんなことを考えた。副社長が魔術を使って機長を思いのままに操り航路を変更させた。つまり一時的に責任能力を喪失させたのだ。魔術を使った罪で懲役1年かもしれない。

世にも不思議な物語を聞かせれて唖然とした。もともとゲートに戻らなければ、この事件は単に副社長が激怒しただけの話。なんでこんなに大きくなったのだろうか。あまりにも疑問が多すぎる。なにが何だか分からなくて戸惑っている。

「本当に戸惑っているのか?」
「う~ん。……」
「喜んでいるようにしか見えないぞ」
「興味深いですね」
「疑問が多いからか」
「隠れた事実がいっぱいあるような気がするのです」
「やっぱり、喜んでいるじゃあないか」
「これから謎が一つ一つ解けて行くと思うのです」
「人の不幸を楽しむもんじゃないよ」
「皆には幸せになって欲しいです」
「いったい何を考えているんだ!」
「副社長と客室サービス責任者が抱き合って涙を流すシーンを見たいのです」
「ふ~ん」
「泣けますよ。絶対感動しますね」

毎月第二及び第四土曜は「小説モドキ」の更新です。
次は2月28日(土)です。よろしくお願い致します。

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【2015/02/21 00:00】 | 私が思うこと
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客室乗務員のナッツの出し方が悪いと怒った副社長が居た。乗務員を罵倒し、暴行の疑いもあるという。いわゆる「大韓航空ナッツ事件」。マスコミ報道もいろいろあったと思うが機長がどういう対応をしたかは、寡聞にして私の耳目に入らない。

乗務員を降ろすために搭乗ゲートに戻るには、理由を付けて管制の許可を求めなければならないと思う。搭乗ゲートに戻る「ランプリターン」の理由を何と言ったのだろうか。新聞を一紙しか読まない私にはさっぱり分からない。ワイドショーを観れば分かるかもしれないが私は観ない。

聞いた話だが、ランプリターンとは、天候上の理由、機体トラブル、航空機の整備、持ち主のいない荷物の存在、乗客の安全に問題が生じた場合、滑走路へ向かっている航空機が管制官の許可を受けて、途中からランプ(航空機駐機区域)に引き返すことを言うそうだ。

航空保安法上の航空機航路変更の罪が問われているのに操縦するパイロットのことが、何も書いてない。不思議で仕方がないのでネットを覗いてみたら少しだけ書いてあった。「航空機内の指揮権は機長にあり、副社長とはいえ越権行為だ」と非難されると、副社長は引き返しは機長がやったと答えたそうだ。懲りない彼女の責任転嫁と思うが事実には違いない。

副社長は散々叩かれて最早副社長ではなく容疑者に過ぎない。不思議なのはやはり機長だ。言いたいことはないのだろうか? まさか唯唯諾諾と「命令」に従った訳ではあるまい。動き出している航空機の運航に関しては副社長が指示する余地はないと思うのだが如何なものだろうか?

「勤務中の乗務員を降ろす為のランプリターンは出来ません。ただ機内での暴言暴行等の事実があれば、安全に関わることですから加害者を降ろす為に戻ることは可能です。先ず加害者を確認するので協力してください」と言えば済むことだと思う。

いかに我儘な人としても仮にも副社長、機長の対応にイチャモンをつけることは出来ないだろう。しかしそれでは何も無かったことになってしまうし、航空機を降りた後が怖い。だから裏があるような気がしてならないのだ。

「裏とはなんだ」
「何やかんやですよ。いろいろあるでしょ」
「ナンヤカンヤとはなんだ?」
何やかんやは~……。なんやかんやは~。 ナンヤカンヤだー ! 」 

毎月第二及び第四土曜は「小説モドキ」の更新です。
次は2月14日(土)です。よろしくお願い致します。

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【2015/02/07 00:00】 | 私が思うこと
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花筏
小説、読ませていただきました。

自分自身を過大評価できる人の神経って、
どんな構造になっているのか不思議です。
人体の構造は、万人皆同じ筈なんですけれど。

どこの世界にもいるんですよね、自分は何を言っても
許されると 勘違いしている憐れな人が。

肩書きを外したあとにも、
尊敬される人でありたいものです。




コメントありがとうございます。
PP
そうですね。
副社長とか肩書がなくても尊敬できる人は沢山いますね。
私も、そのような尊敬できる友達がいてくれて幸せです。
会って嬉しく、話して楽しく、黙っていても心温まるのです。
私の思い込みで、独り善がりかも知れません。
それでも尊敬できる人がいることは幸せですね。



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