朝食はテレビを消して話しながらとる。 「朝の食卓」の話題は近所の中島公園、健康、そして札幌シニアネット(SSN)、カラオケ、歩こう会など。
テレビは食と医の番組で溢れている。両方とも生きる上で大切なことだがテレビで学ぶ気はない。医者の言うことをよく聞いているし、食は好き嫌いなく何でも楽しく食べている。それにこの種のテレビを観ているQPは何時もこれ等の問題で悩まされているように見える。私は悩みたくない。

70歳を過ぎて悪い習慣が身についてしまった。健康に悪いと言われてもいろいろ効用もあるので止める気がしない。これをやると頭がスッキリし爽快な気分にもなる。元気をもらって集中力も増すのだから止められない。

ところで番長と呼ばれた元野球選手の裁判の結果は、大方の予想通り執行猶予がついた。彼の場合は問題となったのが非合法の覚醒剤だった。ネットで調べると「使用すると、頭にあったモヤモヤが一気に消え去り、爽快な気分になります。体に力がみなぎるような錯覚をして、途轍もない集中力を発揮します」と書いてある。

そうなのか。「番長」さんに教えて上げればよかった。頭のモヤモヤを消し、集中力を発揮したいのなら良い薬がある。否、方法だ。 それは睡眠。何だそんなことかと思わないでほしい。効き目は抜群、経験がないから比較は出来ないが、覚醒剤なんかに負けないぞ! 合法的ではあるが怠け者と疑われるので内緒だが。

規則正しい生活が健康の元と信じていたが、ある人を見て考えを改めた。その人はQPのお母様、私の義母である。遠方で長男家族と一緒に暮らして居るが、よく遊びにくる。だいたい1週間から1ヶ月の滞在。休養に来ているのかな?

朝から晩までテレビを見るか寝ているだけ。当初は観光などに連れ出したが嫌がっている様なので止めた。彼女が最初に我が家に来たのは46年前だった。息子が生まれた年である。その時も産後のQPだけが動き回り義母様はお客様に徹していた。控えめだが言われなければ何もしない人だった。

98歳で亡くなったが、認知症にもならずに、しっかりと生きて来た。そのユッタリとした生き方を見て、私の生きる道はこれだと思った。健康法も人それぞれ。ひたすら休養することも健康法の一つと考え方を変えたのだ。

朝・昼・夕寝、眠たくなったら直ぐにベットに入り本格的に寝ている。短ければ10分、一番長いときは6時間、普通は30分前後で目が覚める。眠気に襲われるのは大抵は食後とかパソコンに向かっている最中である。まさに襲われると言う感じだ。そのまま居眠りしたり、ボーっとして頭が回らない状態におちいるのだ。寝れば5分でも快復する。眠れなくても30分間横になるだけで頭がスッキリする。

なにも覚醒剤などに頼らなくても眠るだけでスッキするのだ。だが待てよ、このスッキリとあのスッキリは違うのだろうか? 覚醒剤をやった時のように「途轍もない集中力を発揮」してみたいものだ。

危ない危ない、眠たい時に眠れるだけで幸せではないか。しかしこれも覚醒剤同様習慣性があるから要注意。物事何でも加減が大切だ。しかし、いい加減なところで止めてしまったら113番元素ニホニウムの発見はあり得ない。悩んだ私は、寝ながら幸せをつかみ、偉大な人々の偉業を見物して楽しむことにした。

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【2016/06/18 00:00】 | 生きる知恵
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路傍の石
お義母様の「ユッタリ」した生き方も良い人生ですね。

多趣味の私は、お義母様のように
「ユッタリした時間]をあまり持ちませんでしたが、
これからは少しノンビリ暮らしたいと思います。

昼寝の効用は私も多いに活用しています。
昼寝後のスッキリ感には感謝したくなります。

大切なのは運と寿命
PP
考えて見れば健康状態は一人ひとり違うのです。
だから対応もいろいろあって当たり前かもしれません。
エライ人の訃報が次々と報道されますが、60代とか年下の人が多いですね。
一流のお医者さんにかかっていても寿命がくれば終わるのです。
大切なのは運と寿命、両方とも天が授けれくれもの。
この年まで生きてこれたことに感謝しています。

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気が小さいので心配の種が尽きない。私はストレス不足ではないかと心配している。人が生きる為には適度なストレスが必要だと聞いている。ノンビリ幸せに生きているけれど大丈夫だろうか。

QPは「アンタがストレス」と言う。以前は「私の方がもっともっとストレスだ」と思い、腹が立ったが、今はそう聞くと安心する。大したストレスもないのだろう。しかも、私が唯一のストレス供給源であるとしたら素晴らしいことではないか。

ひょっとして私は命の恩人かも知れない。生きるのに必要不可欠なストレスを与えているからだ。一事が万事、何時もこんな風に考えるので何を言われても大丈夫なのだ。ひょとしてボケが頂点に達しているのかも知れない。やっぱり心配だ。

この3年くらいQPの悩んでいる顔など見たことがない。もっとも、文句を言いながら怒っている顔なら毎日のように見ている。それでも今の私は全く腹が立たない。「はい、分かりました」「気を付けましょう」「それは大変ですね」と笑顔で応えられる。人間が出来て来たのか。あるいは厳しい躾けですっかり調教されたのか?

都合のいいことに、笑顔は伝染する。そのせいでQPは怒ったり笑ったりして忙しい。一方、「それもそうですね」と肯いてばかりの私は暇だ。いつもニコニコ笑顔で対応すれば、悪口雑言の類は私の身体を通り抜け何処かへ消えて行く。

怠け者の私だが我家に平和をもたらしているのだ。ノーヘル平和賞とかもらっていい様な気がする。誰か推薦してくれないだろうか。スウェーデンでもブータンでも個人でもいいから。

「夫婦喧嘩しないくらいで、ノーベル賞とは図々しい奴だな」
「最近、感受性が鈍くなっている様な気がするのです」
「だから、なかなか怒れない? なるほど」
「脳が退化しているのではないでしょうか」
「脳が減る。なるほど、それでノーヘル賞」
「寂しいですよね」
「うんうん」
「賞とか何とか言って格好つけないと、やるせないでしょう」
「分かった分かった。俺がやるよ」
「何をですか?」
「ノーヘル賞だよ。欲しいって言ってたろう」
「賞金も下さい。少しでいいですよ」

ノーベル賞の賞金額は、基本的に1千万スウェーデンクローナ、日本円になおすと約1億5千万円だそうだ。

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【2016/03/05 00:00】 | 生きる知恵
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ノーヘル賞は欲しくない
路傍の石
ストレスが少ないことに、ストレスを感じているとは、
何と幸せなPPさん。

>笑顔は伝染する。
しあわせな光景を彷彿とさせ、読み手まで幸せを感じる言葉。
さすがPPさんです。

現実をしっかり把握できるPPさんに「ノーヘル賞」は
まだまだ無理ではないでしょうか。

正しくはノーヘル症でした
PP
最近かなりボケが進んでいるようです。
認知症というのでしょうか。
物忘れが激しくなっています。
脳が減ってノーヘル賞は苦しいですね。
正しくはノーヘル症でしょう。
残念ながら治らないらしいです。

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作らないで食べるだけの人が居る。存在意義があるのだろうか? 40年くらい前のことだが「私作る人、僕食べる人」というキャッチコピーがテレビに流れた。とんでもない性差別コマーシャルと言われて2か月ほどで放映中止に追い込まれた。

しかし我が家では、その「とんでもない性差別」が未だに放置されている。QPは相変わらず作る人のままだし、私は依然として食べる人である。高齢になると毎日の食事作りも楽じゃない。虫のいい話だがこの状態が永遠に続くことを願っている。

願うだけでは駄目だから何をすべきか考えてみた。先ずは立派な「食べ手」になることだろう。食べることは作ることと同じように立派な仕事であるという自覚が必要だ。そうだ、食べることに誇りをもとう! 立派な食べ手は決して不味いとは言わない。辛いとも甘いとも言わない。言っていいのは「美味しいですね」だけである。

次に食べ手としての作法だが、「頂きます」「ご馳走様」を言うのはもとより、「よし」のコマンドがない限り箸をつけてはいけない。ただし「先に食べてよし」のコマンドもある。QPは何故か食事前にトイレに行くことが多い。そんな時に使われる。

料理は決して残さない。以前はこれを忠実に守り、食べ過ぎて腹を壊したり、塩気が多すぎて血圧が上がったりした。立派な食べ手として、この問題をいかに解決するか徹底的に考えた。そして「これ美味しいから後で食べます」と言ってラップをかけて冷蔵庫にしまうことにした。もちろん後でレンジでチンして食べることは忘れない。

「不味くて食えない物はコッソリ捨てれるんだろう」と、先輩得意の下衆の勘繰り。
「腹が減れば必ず美味しく感じるようになります」
「それでも不味かったら」
「ノー・コメント」

少なくとも、このくらいことをしなければ立派な食べ手とは言えない。そうでなければ、「アナタ作る人、ワタシ食べるだけの人」とは行かない。作る人か後片付けをする人か、どちらかになってしまうだろう。私はどちらにもなりたくないから頑張っている。

「そこまでして、三食作ってほしいのか」
「ほしいです」
「作らないと言ったらどうする」
「困ります」
「作れと言われたらどうする?」
「作ります。だけど言われません」
「なぜ断言できる」
「経師屋に左官屋をさせたら家は建ちません」
「なんだと?」
「外壁に紙を貼ったら雨降ってオジャンです」

「訳の分からんことを言うんじゃないよ」
「私は食べる専門家でQPは作る専門家なのです」
「そんな都合のいい話があるか!」
「あります」
「不公平じゃないか」
「私は50年かけて技を磨き、立派な食べ手になったのです。その間、QPは食事を作り続けています。それぞれが食べる職人であり、作る職人なのですよ。お互いに50年もかけて技を磨いてきたのです。認め合わなければいけません。その役割を無視して安易に入れ替えたりしたら我家は崩壊してバラバラになり……」
「分かった分かった。食べるも喋るも大したもんだよ。お前は立派な口の職人だ」

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【2016/02/20 00:00】 | 生きる知恵
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口の職人さんには理想の生活?
路傍の石
食べるのも立派な仕事なら、作るのはもっともっと立派な仕事だと思います。
三食昼寝つき、掃除洗濯全てQPさん任せ。
これじゃQPさんに城を占領されても余り文句は言えないかも・・・・・

自分の好きな事だけしていれば良いPPさんが羨ましい!!
「口の職人さん」 敵(?)と闘いながら手に入れた
今の生活、「遂にやったぞ~!!」の心境でしょうか。

反省し感謝しています
PP
「遂にやったぞ~」と言うよりも、いろいろ反省することばかりです。
身近な人、遠くの人、それぞれの皆様に感謝しながら暮らして居ます。
QPが家事全般をやってくれるので、私は日々の暮らしの中で、
小さな幸せ作りにに励んでいます。

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人生とは不思議なものだ。耐えるだけの人生が突然、幸せな毎日に変わる。楽しくて忍耐を忘れそうだ。こんな暮らしが何時までも続くのだろうか。ところで朝食はテレビを消して話しながら食べている。テレビを見る為、お互いにそっぽを見ながら食べるよりも楽しいからだ。何よりも日頃のご無沙汰の埋め合わせのつもりだ。

「ヒマなのにご無沙汰?」
「自室にこもるのが好きなのですよ」
「いい年して引きこもりか」
「つい居心地が良くて…」
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「ずいぶん狭いな。息がつまりそうだよ。足の踏み場が無いじゃないか」
「歩けますよ。テレビもステレオもあって、好きな時にベッドで眠れるのが何よりも嬉しいのです。これで風呂とトイレがあれば、まるでドラマの世界の社長室ですね」
「なんで社長室に風呂場が要るんだ」
「お金持ちの世界は知りませんが、そういうの映画で見ました」

私は篭るのが好き、QPは家の中で自由に振舞うのが好き。私が居間にいては邪魔なのだ。お互いに好きなようにしていたら、こうなった。ところで半世紀も一緒に暮らしているのに、QPに褒められたことがない。私も褒めたことはない。お世辞のない家庭は暮らしやすいが味気ない。何とかしようと思った。改革断行だ。

改革は挨拶から始めた。10年くらい前から日常の挨拶だけはキチンとするようにしている。日々の暮らしに潤いをもたせたくなったのだ。おはよう、おやすみ、頂きます、美味しいですね、ご馳走さま、ご免なさい、有難う等は、毎日言っている。

労力も費用もかからない潤滑油だね。これが切れるとギスギスするから欠かせない。挨拶の励行は家の中で何とか楽ちんに暮らせる手段として嫌々始めたのだ。ところがある日その効果を感じた。それ以来、挨拶するのが楽しくなった。不思議なことに横柄で無口で不愛想なQPが進んで挨拶をしてくれるようになったのだ。

3年ばかりかかったが、図らずもQP改造計画は成功した。二の矢も挨拶、三の矢も挨拶だ。これさえキチンとやっていれば、後はご飯だよと呼ばれたら食いに行き。掃除するよと言われれば部屋の外に出るだけでいい。憧れの楽ちん生活の始まりだ。

もともと自分勝手でろくでなしの私が、今よりもっと楽をしようという魂胆で始めた改革である。それが今では、ごく自然に挨拶を交わす仲良夫婦になってしまった。失敗ばかりの人生の中で唯一の成功談。申し訳ないが書かずにはいられない。

「表面だけで幸せごっこをやっていても、いざとなったら役に立たんぞ」
「いざと申しますと」
「病気で倒れたらどうなる」
「なるほど、挨拶だけではどうにもなりませんね」
「困難な時にこそ支え合えなければダメだ」
「重病とか大事故の経験がないのですが…」
「介護もしたことがないんだな」
「どうしたら良いのでしょうか」
「机の上にズラリと並べたお前の電脳に聞いてみな」

「パソコンのことですか」
「飾りじゃないんだろう」
「れっきとした実用品ですよ」
「なるほど」
「4台のノートとデスクトップが一台」
「それで…」
「一つひとつ形が違います」
「だから」
「形を見れば何時の何のデータが入っているか分かるのです」
「ほ~、形でねぇ?」
「手触りも違いますよ」

形とか手触りとか訳の分からないことを書いていますが、デジタル時代について行けない私にとっては大切なこと。これについては後日取り上げたいと考えています。

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【2016/01/30 00:00】 | 生きる知恵
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改革成功オメデトウ!
路傍の石
一日の幸せは
「笑顔のオハヨー」 から始まりますね。
まさに言葉は生活の潤滑油。
改革に成功したPPさんに敬意を表します。

PPさんは5台のPCを全て使い分けているんですか?
凄いですね。
PC初心者の私には、考えられない世界です。



ハードデスク代わりです
PP
パソコンは面倒になったので、買い足しにしました。
データを移動しないで、そのまま置いておきます。
何もしなくていいので楽です。
ハードデスク代わりに置いてあるだけです。
けっこうデータが見つけ易くていいですよ。

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私の部屋はなぜ、あのように乱雑になってしまったのだろうか。そこらじゅうに物が置いてあって、足の踏み場もない。その原因を簡単に言うと逆転の発想かな。中途半端な整理をするくらいなら、全くしない方がマシであると悟ったからだ。

最近、益々物忘れがひどくなった。部屋の整理をすると、今まで簡単に見つけられていたものが、何処にあるのか分からなくなるのだ。年がら年中、カードがない爪切りがないとか言って、部屋中探し回っている。だから整理をするのが怖くなってしまった。しかし整理はしなければならないとの思いもあってウジウジしていた。

ところで、全く整理をしない人の家に行ったことがある。玄関を開けると、靴とか履物が乱雑に置き放されていた。一瞬、入るのを躊躇していると迎えに出た奥さんがパパパッと履物を寄せ、「どうぞ」と言ってくれた。家の中は廊下から階段まで物が乱雑に置かれ、一人ずつ歩くのが精いっぱいだった。

室内も同様でテーブルの上にはあらゆる物が山の様に積み上げられていた。そんな状態の中でビックリしたことがある。奥さんが「あなたアレ何処?」と言ったら、積み上げられた物の中から「この辺かな」と言うが早いか、サッと抜き取った。整理しない方が探し易いのだ。未整理の達人を見て考えが変わった。

その時思ったことは中途半端な整理は絶対にダメ。何もしないか徹底的にするか、どちらかだ。私は達人みたいな芸当はできないから、徹底的に整理する方法を選んだ。しかし部屋は8.7畳しかないのにベットからパソコン、テレビその他使うものが全部入っている。先ず整理した物を収納するスペースを作らなければならなかった。

それには押入れから物を出さなければならない。たちまち部屋の中は足の踏み場を確保するのが精いっぱいになった。そんな時に持病の腰痛が出てきたので、整理は押入れの中にスペースを作るだけで終った。
121107osiire.jpg

困難にぶち当たり作戦を変更した。徹底的断捨離の第一歩は腰痛を克服することから始めることにした。腰痛の原因は千差万別だから人によって対応の仕方が異なる。私の腰痛は一瞬も立てない状態でも三日寝ていれば治ることが分かった。しかし、三日間も横になっていることは思ったより大変だった。特にトイレに不自由した。尿瓶が必需品となる。ああゆうものは嫌いなのだ。自分で捨てに行けないのも辛い。

私は立てなくなるのが嫌だから。腰痛が始まると三日間休養することにした。これで腰痛を悪化させることは避けられるが、寝たり起きたりの生活になってしまう。整理どころか徹底的な運動不足になり、ちょっと動けば腰痛、そして休養の悪循環に入ってしまった。

こんなことを繰り返していたら断捨離どころか私自身が切り捨てられてしまう。この悪循環から逃れるため医師と相談してリハビリをすることにした。そのせいかどうがは分からないが、結果として腰痛発症を必要以上には恐れなくなり、屈んで作業する整理も積極的に出来るようになった。

断捨離の極意は捨てることにある。そうすれば整理しやすくなり最終的に必要最小限の物があれば快適に暮らせるようになる。それは分かるが捨てられない私には工夫が必要だ。その第一歩が腰痛管理だった。これからも工夫は続く何処までも。

「断捨離はどうしたんだ」
「先ず、身体が動くようになってからですね」
「この間はケチ病が治ったらやるとか言ってたな」
ケチの断捨離のことですか」
「そうだよ。これではいつまでたっても始まらないじゃないか」

大丈夫。既に断捨離は順調に進んでいる。従来の断捨離論を進化させて「捨てられない人の為の断捨離論」を構築した。そしてリハビリして作業に必要な身体作りに成功したのである。

「第一の矢は理論、第二の矢は身体、二本の矢を的にピタリと当てました」
「三本目はどうした」
「分かりません」
「知らんでどうする」
「どうにかなるでしょ」
「どうにかとはなんだ!
「胴は首から下ですが……」

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【2015/11/07 00:00】 | 生きる知恵
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断捨離出来たらいいですね。
路傍の石
樺太からの引き揚げ経験者である友人が、
自叙伝を出版した。
読んで欲しいと先日私の元に届いた。

死の恐怖と隣り合わせ、食べ物さえ底をつく。

その時代と現代を比べるのは無理があるのは分かっているが、
やはり今は物で溢れている。

PPさん、意を決して断捨離に挑戦しよう!
断捨離で首と胴が離ればなれになる時代ではないのだから。

かく言う私も,なかなか断捨離出来ないでいる。
偉そうなこと言って 「ゴメン!!」






毎日少しずつやっています
PP
ご友人が樺太からの引き揚げ経験を書いて、自叙伝を出版したのですか。
大変な経験ですね。私も読んでみたいです。
断捨離はゆっくりと確実にやりたいと思います。
今でも毎日少しずつやっていますよ。
腰痛のリハビリは上手く行っているし、私なりの断捨離方法も考えました。

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私はケチな人が嫌い。だからケチとは思われたくない。しかし自分が人と比べてケチかどうかは分からない。困ったことにある日突然、自分が世界一のケチであることに気づいてしまった。

「世界一とは大げさだよ」
「断捨離をしようとして世界一のケチと分かったのです」
「結局、何も捨てられなかったんだ」
「そうなんです。世界に人が何十億いようともゼロはゼロですね」
「ホントだ。捨てる物がゼロなら世界一。それより下はないのだから」

断捨離と言う言葉が流行りだしたころ、時流に乗せられ易い私は、「捨てる技術」とかいう本を買って、徹底的断捨離に挑んだ。その結果、自分は何一つ捨てられない人であることが分かった。よく己を知れとか言うけれど、こんなことは知らなない方が好かった。自分をケチと思ったら人生がつまらないではないか。

役に立たない本は直ぐに捨てれば好いのだがが、それが出来ないから何時までもケチのままなのだ。捨てる代わりに「大変役に立つ本です」とか言って友人Aに差し上げた。Aも又捨てられない人なのだ。長年の夢を果たして豪邸を建てたのはいいのだが、古い家具を全部持ち込み、それに加えて新しい家具を買い揃えたものから立派な居間が台無しだ。中古・新品両方扱う家具屋みたいになってしまったのだ。

「Aさんは転勤しないから物を捨てたことがないんだよ」
「新築祝いに無理して買って贈った絵が、かすんでいましたね」
「だから観葉植物がいいといったのに」
「ダメです。置く所がありません。古い家具はウチにくれればいいのです」
「そうだね。古くても立派だよ。あれさえ無ければ広くて見栄えがするのにね」
「『捨てる技術』の本を上げたのですが効き目あるでしょうか?」
「バカだね。捨てられちゃったら勿体ないでしょ」
「贈った絵を見て私のことを思い出して欲しいのです」

こんな姑息な企みが成功するはずがない。絵は家具に囲まれ、かろうじて壁に張り付いていた。どこから見ても、せいぜい半分くらいしか見えない。ところで問題は私の断捨離だ。始めたのは3年前だが、整理は腰を使うので三日目で腰痛になり途中で中止した。治ってから何度か試みたが、その度に腰痛が出て中止した。そんなことを繰り返している内に三年たってしまった。

断捨離を試みて、自分が捨てられない人であることが分かったので方針を変えた。先ず不用品の仕分けをする、分けたら不用品を押入れの奥に仕舞い、将来の断捨離に備える。つまり処分の先延ばしである。長年患っているケチ病が治ってから捨てても遅くはない。こう考えたら気持ちがスッキリしたが部屋の中はグタグタだ。
RIMG4401.jpg

「何だ、どこが片付いているのだ」
「押入れです。やっとカラにしました」
「一体どこを歩いているんだ」
「歩くほど広くはないのですが、あえて言えばベッドの上です」
「こんな状態でパソコンは使えるのか?」
「床に置くものは軽いものだけですから足で簡単に寄せられます。それに、椅子にはキャスターも付いているのですよ」
「いちいち面倒だな」
「大丈夫です。ベッドの上でタブレットも使えます」

今回は押入れを空っぽにしたところでおしまい。整理は何時まで続くやら。

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【2015/10/31 00:00】 | 生きる知恵
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捨てる勇気を持って!
花筏
捨てる事は結構な決断力が必要な事は分かります。

自分の手元から離れていくのでも、
誰かに貰ってもらい、そこで役に立つと思えば、
なんの未練もなく手放せられるのですがね。

♪線路は続くよどこまでも~♪という歌がありますが、
♪整理は続くよどこまでも~♪にしたくはありませんネ。




治るまで断捨離を楽しむ
PP
残念ながら整理は何処まで行っても続きそうです。
しかし楽しみながらやっています。
決断力がないから捨てられないでいますが、
ケチは病気ですから治ったらバンバン捨てます。
だけど治るまでは断捨離を楽しませてください。
よく言うでしょ。治らない病気なら楽しみなさいと。

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