テレビは食と医の番組で溢れている。両方とも生きる上で大切なことだがテレビで学ぶ気はない。医者の言うことをよく聞いているし、食は好き嫌いなく何でも楽しく食べている。それにこの種のテレビを観ているQPは何時もこれ等の問題で悩まされているように見える。私は悩みたくない。
70歳を過ぎて悪い習慣が身についてしまった。健康に悪いと言われてもいろいろ効用もあるので止める気がしない。これをやると頭がスッキリし爽快な気分にもなる。元気をもらって集中力も増すのだから止められない。
ところで番長と呼ばれた元野球選手の裁判の結果は、大方の予想通り執行猶予がついた。彼の場合は問題となったのが非合法の覚醒剤だった。ネットで調べると「使用すると、頭にあったモヤモヤが一気に消え去り、爽快な気分になります。体に力がみなぎるような錯覚をして、途轍もない集中力を発揮します」と書いてある。
そうなのか。「番長」さんに教えて上げればよかった。頭のモヤモヤを消し、集中力を発揮したいのなら良い薬がある。否、方法だ。 それは睡眠。何だそんなことかと思わないでほしい。効き目は抜群、経験がないから比較は出来ないが、覚醒剤なんかに負けないぞ! 合法的ではあるが怠け者と疑われるので内緒だが。
規則正しい生活が健康の元と信じていたが、ある人を見て考えを改めた。その人はQPのお母様、私の義母である。遠方で長男家族と一緒に暮らして居るが、よく遊びにくる。だいたい1週間から1ヶ月の滞在。休養に来ているのかな?
朝から晩までテレビを見るか寝ているだけ。当初は観光などに連れ出したが嫌がっている様なので止めた。彼女が最初に我が家に来たのは46年前だった。息子が生まれた年である。その時も産後のQPだけが動き回り義母様はお客様に徹していた。控えめだが言われなければ何もしない人だった。
98歳で亡くなったが、認知症にもならずに、しっかりと生きて来た。そのユッタリとした生き方を見て、私の生きる道はこれだと思った。健康法も人それぞれ。ひたすら休養することも健康法の一つと考え方を変えたのだ。
朝・昼・夕寝、眠たくなったら直ぐにベットに入り本格的に寝ている。短ければ10分、一番長いときは6時間、普通は30分前後で目が覚める。眠気に襲われるのは大抵は食後とかパソコンに向かっている最中である。まさに襲われると言う感じだ。そのまま居眠りしたり、ボーっとして頭が回らない状態におちいるのだ。寝れば5分でも快復する。眠れなくても30分間横になるだけで頭がスッキリする。
なにも覚醒剤などに頼らなくても眠るだけでスッキするのだ。だが待てよ、このスッキリとあのスッキリは違うのだろうか? 覚醒剤をやった時のように「途轍もない集中力を発揮」してみたいものだ。
危ない危ない、眠たい時に眠れるだけで幸せではないか。しかしこれも覚醒剤同様習慣性があるから要注意。物事何でも加減が大切だ。しかし、いい加減なところで止めてしまったら113番元素ニホニウムの発見はあり得ない。悩んだ私は、寝ながら幸せをつかみ、偉大な人々の偉業を見物して楽しむことにした。
70歳を過ぎて悪い習慣が身についてしまった。健康に悪いと言われてもいろいろ効用もあるので止める気がしない。これをやると頭がスッキリし爽快な気分にもなる。元気をもらって集中力も増すのだから止められない。
ところで番長と呼ばれた元野球選手の裁判の結果は、大方の予想通り執行猶予がついた。彼の場合は問題となったのが非合法の覚醒剤だった。ネットで調べると「使用すると、頭にあったモヤモヤが一気に消え去り、爽快な気分になります。体に力がみなぎるような錯覚をして、途轍もない集中力を発揮します」と書いてある。
そうなのか。「番長」さんに教えて上げればよかった。頭のモヤモヤを消し、集中力を発揮したいのなら良い薬がある。否、方法だ。 それは睡眠。何だそんなことかと思わないでほしい。効き目は抜群、経験がないから比較は出来ないが、覚醒剤なんかに負けないぞ! 合法的ではあるが怠け者と疑われるので内緒だが。
規則正しい生活が健康の元と信じていたが、ある人を見て考えを改めた。その人はQPのお母様、私の義母である。遠方で長男家族と一緒に暮らして居るが、よく遊びにくる。だいたい1週間から1ヶ月の滞在。休養に来ているのかな?
朝から晩までテレビを見るか寝ているだけ。当初は観光などに連れ出したが嫌がっている様なので止めた。彼女が最初に我が家に来たのは46年前だった。息子が生まれた年である。その時も産後のQPだけが動き回り義母様はお客様に徹していた。控えめだが言われなければ何もしない人だった。
98歳で亡くなったが、認知症にもならずに、しっかりと生きて来た。そのユッタリとした生き方を見て、私の生きる道はこれだと思った。健康法も人それぞれ。ひたすら休養することも健康法の一つと考え方を変えたのだ。
朝・昼・夕寝、眠たくなったら直ぐにベットに入り本格的に寝ている。短ければ10分、一番長いときは6時間、普通は30分前後で目が覚める。眠気に襲われるのは大抵は食後とかパソコンに向かっている最中である。まさに襲われると言う感じだ。そのまま居眠りしたり、ボーっとして頭が回らない状態におちいるのだ。寝れば5分でも快復する。眠れなくても30分間横になるだけで頭がスッキリする。
なにも覚醒剤などに頼らなくても眠るだけでスッキするのだ。だが待てよ、このスッキリとあのスッキリは違うのだろうか? 覚醒剤をやった時のように「途轍もない集中力を発揮」してみたいものだ。
危ない危ない、眠たい時に眠れるだけで幸せではないか。しかしこれも覚醒剤同様習慣性があるから要注意。物事何でも加減が大切だ。しかし、いい加減なところで止めてしまったら113番元素ニホニウムの発見はあり得ない。悩んだ私は、寝ながら幸せをつかみ、偉大な人々の偉業を見物して楽しむことにした。
トラックバック(0)
路傍の石 お義母様の「ユッタリ」した生き方も良い人生ですね。
多趣味の私は、お義母様のように
「ユッタリした時間]をあまり持ちませんでしたが、
これからは少しノンビリ暮らしたいと思います。
昼寝の効用は私も多いに活用しています。
昼寝後のスッキリ感には感謝したくなります。
大切なのは運と寿命
PP 考えて見れば健康状態は一人ひとり違うのです。
だから対応もいろいろあって当たり前かもしれません。
エライ人の訃報が次々と報道されますが、60代とか年下の人が多いですね。
一流のお医者さんにかかっていても寿命がくれば終わるのです。
大切なのは運と寿命、両方とも天が授けれくれもの。
この年まで生きてこれたことに感謝しています。
気が小さいので心配の種が尽きない。私はストレス不足ではないかと心配している。人が生きる為には適度なストレスが必要だと聞いている。ノンビリ幸せに生きているけれど大丈夫だろうか。
QPは「アンタがストレス」と言う。以前は「私の方がもっともっとストレスだ」と思い、腹が立ったが、今はそう聞くと安心する。大したストレスもないのだろう。しかも、私が唯一のストレス供給源であるとしたら素晴らしいことではないか。
ひょっとして私は命の恩人かも知れない。生きるのに必要不可欠なストレスを与えているからだ。一事が万事、何時もこんな風に考えるので何を言われても大丈夫なのだ。ひょとしてボケが頂点に達しているのかも知れない。やっぱり心配だ。
この3年くらいQPの悩んでいる顔など見たことがない。もっとも、文句を言いながら怒っている顔なら毎日のように見ている。それでも今の私は全く腹が立たない。「はい、分かりました」「気を付けましょう」「それは大変ですね」と笑顔で応えられる。人間が出来て来たのか。あるいは厳しい躾けですっかり調教されたのか?
都合のいいことに、笑顔は伝染する。そのせいでQPは怒ったり笑ったりして忙しい。一方、「それもそうですね」と肯いてばかりの私は暇だ。いつもニコニコ笑顔で対応すれば、悪口雑言の類は私の身体を通り抜け何処かへ消えて行く。
怠け者の私だが我家に平和をもたらしているのだ。ノーヘル平和賞とかもらっていい様な気がする。誰か推薦してくれないだろうか。スウェーデンでもブータンでも個人でもいいから。
「夫婦喧嘩しないくらいで、ノーベル賞とは図々しい奴だな」
「最近、感受性が鈍くなっている様な気がするのです」
「だから、なかなか怒れない? なるほど」
「脳が退化しているのではないでしょうか」
「脳が減る。なるほど、それでノーヘル賞」
「寂しいですよね」
「うんうん」
「賞とか何とか言って格好つけないと、やるせないでしょう」
「分かった分かった。俺がやるよ」
「何をですか?」
「ノーヘル賞だよ。欲しいって言ってたろう」
「賞金も下さい。少しでいいですよ」
ノーベル賞の賞金額は、基本的に1千万スウェーデンクローナ、日本円になおすと約1億5千万円だそうだ。
QPは「アンタがストレス」と言う。以前は「私の方がもっともっとストレスだ」と思い、腹が立ったが、今はそう聞くと安心する。大したストレスもないのだろう。しかも、私が唯一のストレス供給源であるとしたら素晴らしいことではないか。
ひょっとして私は命の恩人かも知れない。生きるのに必要不可欠なストレスを与えているからだ。一事が万事、何時もこんな風に考えるので何を言われても大丈夫なのだ。ひょとしてボケが頂点に達しているのかも知れない。やっぱり心配だ。
この3年くらいQPの悩んでいる顔など見たことがない。もっとも、文句を言いながら怒っている顔なら毎日のように見ている。それでも今の私は全く腹が立たない。「はい、分かりました」「気を付けましょう」「それは大変ですね」と笑顔で応えられる。人間が出来て来たのか。あるいは厳しい躾けですっかり調教されたのか?
都合のいいことに、笑顔は伝染する。そのせいでQPは怒ったり笑ったりして忙しい。一方、「それもそうですね」と肯いてばかりの私は暇だ。いつもニコニコ笑顔で対応すれば、悪口雑言の類は私の身体を通り抜け何処かへ消えて行く。
怠け者の私だが我家に平和をもたらしているのだ。ノーヘル平和賞とかもらっていい様な気がする。誰か推薦してくれないだろうか。スウェーデンでもブータンでも個人でもいいから。
「夫婦喧嘩しないくらいで、ノーベル賞とは図々しい奴だな」
「最近、感受性が鈍くなっている様な気がするのです」
「だから、なかなか怒れない? なるほど」
「脳が退化しているのではないでしょうか」
「脳が減る。なるほど、それでノーヘル賞」
「寂しいですよね」
「うんうん」
「賞とか何とか言って格好つけないと、やるせないでしょう」
「分かった分かった。俺がやるよ」
「何をですか?」
「ノーヘル賞だよ。欲しいって言ってたろう」
「賞金も下さい。少しでいいですよ」
ノーベル賞の賞金額は、基本的に1千万スウェーデンクローナ、日本円になおすと約1億5千万円だそうだ。
トラックバック(0)
ノーヘル賞は欲しくない
路傍の石 ストレスが少ないことに、ストレスを感じているとは、
何と幸せなPPさん。
>笑顔は伝染する。
しあわせな光景を彷彿とさせ、読み手まで幸せを感じる言葉。
さすがPPさんです。
現実をしっかり把握できるPPさんに「ノーヘル賞」は
まだまだ無理ではないでしょうか。
正しくはノーヘル症でした
PP 最近かなりボケが進んでいるようです。
認知症というのでしょうか。
物忘れが激しくなっています。
脳が減ってノーヘル賞は苦しいですね。
正しくはノーヘル症でしょう。
残念ながら治らないらしいです。
路傍の石 ストレスが少ないことに、ストレスを感じているとは、
何と幸せなPPさん。
>笑顔は伝染する。
しあわせな光景を彷彿とさせ、読み手まで幸せを感じる言葉。
さすがPPさんです。
現実をしっかり把握できるPPさんに「ノーヘル賞」は
まだまだ無理ではないでしょうか。
正しくはノーヘル症でした
PP 最近かなりボケが進んでいるようです。
認知症というのでしょうか。
物忘れが激しくなっています。
脳が減ってノーヘル賞は苦しいですね。
正しくはノーヘル症でしょう。
残念ながら治らないらしいです。
作らないで食べるだけの人が居る。存在意義があるのだろうか? 40年くらい前のことだが「私作る人、僕食べる人」というキャッチコピーがテレビに流れた。とんでもない性差別コマーシャルと言われて2か月ほどで放映中止に追い込まれた。
しかし我が家では、その「とんでもない性差別」が未だに放置されている。QPは相変わらず作る人のままだし、私は依然として食べる人である。高齢になると毎日の食事作りも楽じゃない。虫のいい話だがこの状態が永遠に続くことを願っている。
願うだけでは駄目だから何をすべきか考えてみた。先ずは立派な「食べ手」になることだろう。食べることは作ることと同じように立派な仕事であるという自覚が必要だ。そうだ、食べることに誇りをもとう! 立派な食べ手は決して不味いとは言わない。辛いとも甘いとも言わない。言っていいのは「美味しいですね」だけである。
次に食べ手としての作法だが、「頂きます」「ご馳走様」を言うのはもとより、「よし」のコマンドがない限り箸をつけてはいけない。ただし「先に食べてよし」のコマンドもある。QPは何故か食事前にトイレに行くことが多い。そんな時に使われる。
料理は決して残さない。以前はこれを忠実に守り、食べ過ぎて腹を壊したり、塩気が多すぎて血圧が上がったりした。立派な食べ手として、この問題をいかに解決するか徹底的に考えた。そして「これ美味しいから後で食べます」と言ってラップをかけて冷蔵庫にしまうことにした。もちろん後でレンジでチンして食べることは忘れない。
「不味くて食えない物はコッソリ捨てれるんだろう」と、先輩得意の下衆の勘繰り。
「腹が減れば必ず美味しく感じるようになります」
「それでも不味かったら」
「ノー・コメント」
少なくとも、このくらいことをしなければ立派な食べ手とは言えない。そうでなければ、「アナタ作る人、ワタシ食べるだけの人」とは行かない。作る人か後片付けをする人か、どちらかになってしまうだろう。私はどちらにもなりたくないから頑張っている。
「そこまでして、三食作ってほしいのか」
「ほしいです」
「作らないと言ったらどうする」
「困ります」
「作れと言われたらどうする?」
「作ります。だけど言われません」
「なぜ断言できる」
「経師屋に左官屋をさせたら家は建ちません」
「なんだと?」
「外壁に紙を貼ったら雨降ってオジャンです」
「訳の分からんことを言うんじゃないよ」
「私は食べる専門家でQPは作る専門家なのです」
「そんな都合のいい話があるか!」
「あります」
「不公平じゃないか」
「私は50年かけて技を磨き、立派な食べ手になったのです。その間、QPは食事を作り続けています。それぞれが食べる職人であり、作る職人なのですよ。お互いに50年もかけて技を磨いてきたのです。認め合わなければいけません。その役割を無視して安易に入れ替えたりしたら我家は崩壊してバラバラになり……」
「分かった分かった。食べるも喋るも大したもんだよ。お前は立派な口の職人だ」
しかし我が家では、その「とんでもない性差別」が未だに放置されている。QPは相変わらず作る人のままだし、私は依然として食べる人である。高齢になると毎日の食事作りも楽じゃない。虫のいい話だがこの状態が永遠に続くことを願っている。
願うだけでは駄目だから何をすべきか考えてみた。先ずは立派な「食べ手」になることだろう。食べることは作ることと同じように立派な仕事であるという自覚が必要だ。そうだ、食べることに誇りをもとう! 立派な食べ手は決して不味いとは言わない。辛いとも甘いとも言わない。言っていいのは「美味しいですね」だけである。
次に食べ手としての作法だが、「頂きます」「ご馳走様」を言うのはもとより、「よし」のコマンドがない限り箸をつけてはいけない。ただし「先に食べてよし」のコマンドもある。QPは何故か食事前にトイレに行くことが多い。そんな時に使われる。
料理は決して残さない。以前はこれを忠実に守り、食べ過ぎて腹を壊したり、塩気が多すぎて血圧が上がったりした。立派な食べ手として、この問題をいかに解決するか徹底的に考えた。そして「これ美味しいから後で食べます」と言ってラップをかけて冷蔵庫にしまうことにした。もちろん後でレンジでチンして食べることは忘れない。
「不味くて食えない物はコッソリ捨てれるんだろう」と、先輩得意の下衆の勘繰り。
「腹が減れば必ず美味しく感じるようになります」
「それでも不味かったら」
「ノー・コメント」
少なくとも、このくらいことをしなければ立派な食べ手とは言えない。そうでなければ、「アナタ作る人、ワタシ食べるだけの人」とは行かない。作る人か後片付けをする人か、どちらかになってしまうだろう。私はどちらにもなりたくないから頑張っている。
「そこまでして、三食作ってほしいのか」
「ほしいです」
「作らないと言ったらどうする」
「困ります」
「作れと言われたらどうする?」
「作ります。だけど言われません」
「なぜ断言できる」
「経師屋に左官屋をさせたら家は建ちません」
「なんだと?」
「外壁に紙を貼ったら雨降ってオジャンです」
「訳の分からんことを言うんじゃないよ」
「私は食べる専門家でQPは作る専門家なのです」
「そんな都合のいい話があるか!」
「あります」
「不公平じゃないか」
「私は50年かけて技を磨き、立派な食べ手になったのです。その間、QPは食事を作り続けています。それぞれが食べる職人であり、作る職人なのですよ。お互いに50年もかけて技を磨いてきたのです。認め合わなければいけません。その役割を無視して安易に入れ替えたりしたら我家は崩壊してバラバラになり……」
「分かった分かった。食べるも喋るも大したもんだよ。お前は立派な口の職人だ」
トラックバック(0)
口の職人さんには理想の生活?
路傍の石 食べるのも立派な仕事なら、作るのはもっともっと立派な仕事だと思います。
三食昼寝つき、掃除洗濯全てQPさん任せ。
これじゃQPさんに城を占領されても余り文句は言えないかも・・・・・
自分の好きな事だけしていれば良いPPさんが羨ましい!!
「口の職人さん」 敵(?)と闘いながら手に入れた
今の生活、「遂にやったぞ~!!」の心境でしょうか。
反省し感謝しています
PP 「遂にやったぞ~」と言うよりも、いろいろ反省することばかりです。
身近な人、遠くの人、それぞれの皆様に感謝しながら暮らして居ます。
QPが家事全般をやってくれるので、私は日々の暮らしの中で、
小さな幸せ作りにに励んでいます。
路傍の石 食べるのも立派な仕事なら、作るのはもっともっと立派な仕事だと思います。
三食昼寝つき、掃除洗濯全てQPさん任せ。
これじゃQPさんに城を占領されても余り文句は言えないかも・・・・・
自分の好きな事だけしていれば良いPPさんが羨ましい!!
「口の職人さん」 敵(?)と闘いながら手に入れた
今の生活、「遂にやったぞ~!!」の心境でしょうか。
反省し感謝しています
PP 「遂にやったぞ~」と言うよりも、いろいろ反省することばかりです。
身近な人、遠くの人、それぞれの皆様に感謝しながら暮らして居ます。
QPが家事全般をやってくれるので、私は日々の暮らしの中で、
小さな幸せ作りにに励んでいます。
人生とは不思議なものだ。耐えるだけの人生が突然、幸せな毎日に変わる。楽しくて忍耐を忘れそうだ。こんな暮らしが何時までも続くのだろうか。ところで朝食はテレビを消して話しながら食べている。テレビを見る為、お互いにそっぽを見ながら食べるよりも楽しいからだ。何よりも日頃のご無沙汰の埋め合わせのつもりだ。
「ヒマなのにご無沙汰?」
「自室にこもるのが好きなのですよ」
「いい年して引きこもりか」
「つい居心地が良くて…」

「ずいぶん狭いな。息がつまりそうだよ。足の踏み場が無いじゃないか」
「歩けますよ。テレビもステレオもあって、好きな時にベッドで眠れるのが何よりも嬉しいのです。これで風呂とトイレがあれば、まるでドラマの世界の社長室ですね」
「なんで社長室に風呂場が要るんだ」
「お金持ちの世界は知りませんが、そういうの映画で見ました」
私は篭るのが好き、QPは家の中で自由に振舞うのが好き。私が居間にいては邪魔なのだ。お互いに好きなようにしていたら、こうなった。ところで半世紀も一緒に暮らしているのに、QPに褒められたことがない。私も褒めたことはない。お世辞のない家庭は暮らしやすいが味気ない。何とかしようと思った。改革断行だ。
改革は挨拶から始めた。10年くらい前から日常の挨拶だけはキチンとするようにしている。日々の暮らしに潤いをもたせたくなったのだ。おはよう、おやすみ、頂きます、美味しいですね、ご馳走さま、ご免なさい、有難う等は、毎日言っている。
労力も費用もかからない潤滑油だね。これが切れるとギスギスするから欠かせない。挨拶の励行は家の中で何とか楽ちんに暮らせる手段として嫌々始めたのだ。ところがある日その効果を感じた。それ以来、挨拶するのが楽しくなった。不思議なことに横柄で無口で不愛想なQPが進んで挨拶をしてくれるようになったのだ。
3年ばかりかかったが、図らずもQP改造計画は成功した。二の矢も挨拶、三の矢も挨拶だ。これさえキチンとやっていれば、後はご飯だよと呼ばれたら食いに行き。掃除するよと言われれば部屋の外に出るだけでいい。憧れの楽ちん生活の始まりだ。
もともと自分勝手でろくでなしの私が、今よりもっと楽をしようという魂胆で始めた改革である。それが今では、ごく自然に挨拶を交わす仲良夫婦になってしまった。失敗ばかりの人生の中で唯一の成功談。申し訳ないが書かずにはいられない。
「表面だけで幸せごっこをやっていても、いざとなったら役に立たんぞ」
「いざと申しますと」
「病気で倒れたらどうなる」
「なるほど、挨拶だけではどうにもなりませんね」
「困難な時にこそ支え合えなければダメだ」
「重病とか大事故の経験がないのですが…」
「介護もしたことがないんだな」
「どうしたら良いのでしょうか」
「机の上にズラリと並べたお前の電脳に聞いてみな」
「パソコンのことですか」
「飾りじゃないんだろう」
「れっきとした実用品ですよ」
「なるほど」
「4台のノートとデスクトップが一台」
「それで…」
「一つひとつ形が違います」
「だから」
「形を見れば何時の何のデータが入っているか分かるのです」
「ほ~、形でねぇ?」
「手触りも違いますよ」
形とか手触りとか訳の分からないことを書いていますが、デジタル時代について行けない私にとっては大切なこと。これについては後日取り上げたいと考えています。
「ヒマなのにご無沙汰?」
「自室にこもるのが好きなのですよ」
「いい年して引きこもりか」
「つい居心地が良くて…」

「ずいぶん狭いな。息がつまりそうだよ。足の踏み場が無いじゃないか」
「歩けますよ。テレビもステレオもあって、好きな時にベッドで眠れるのが何よりも嬉しいのです。これで風呂とトイレがあれば、まるでドラマの世界の社長室ですね」
「なんで社長室に風呂場が要るんだ」
「お金持ちの世界は知りませんが、そういうの映画で見ました」
私は篭るのが好き、QPは家の中で自由に振舞うのが好き。私が居間にいては邪魔なのだ。お互いに好きなようにしていたら、こうなった。ところで半世紀も一緒に暮らしているのに、QPに褒められたことがない。私も褒めたことはない。お世辞のない家庭は暮らしやすいが味気ない。何とかしようと思った。改革断行だ。
改革は挨拶から始めた。10年くらい前から日常の挨拶だけはキチンとするようにしている。日々の暮らしに潤いをもたせたくなったのだ。おはよう、おやすみ、頂きます、美味しいですね、ご馳走さま、ご免なさい、有難う等は、毎日言っている。
労力も費用もかからない潤滑油だね。これが切れるとギスギスするから欠かせない。挨拶の励行は家の中で何とか楽ちんに暮らせる手段として嫌々始めたのだ。ところがある日その効果を感じた。それ以来、挨拶するのが楽しくなった。不思議なことに横柄で無口で不愛想なQPが進んで挨拶をしてくれるようになったのだ。
3年ばかりかかったが、図らずもQP改造計画は成功した。二の矢も挨拶、三の矢も挨拶だ。これさえキチンとやっていれば、後はご飯だよと呼ばれたら食いに行き。掃除するよと言われれば部屋の外に出るだけでいい。憧れの楽ちん生活の始まりだ。
もともと自分勝手でろくでなしの私が、今よりもっと楽をしようという魂胆で始めた改革である。それが今では、ごく自然に挨拶を交わす仲良夫婦になってしまった。失敗ばかりの人生の中で唯一の成功談。申し訳ないが書かずにはいられない。
「表面だけで幸せごっこをやっていても、いざとなったら役に立たんぞ」
「いざと申しますと」
「病気で倒れたらどうなる」
「なるほど、挨拶だけではどうにもなりませんね」
「困難な時にこそ支え合えなければダメだ」
「重病とか大事故の経験がないのですが…」
「介護もしたことがないんだな」
「どうしたら良いのでしょうか」
「机の上にズラリと並べたお前の電脳に聞いてみな」
「パソコンのことですか」
「飾りじゃないんだろう」
「れっきとした実用品ですよ」
「なるほど」
「4台のノートとデスクトップが一台」
「それで…」
「一つひとつ形が違います」
「だから」
「形を見れば何時の何のデータが入っているか分かるのです」
「ほ~、形でねぇ?」
「手触りも違いますよ」
形とか手触りとか訳の分からないことを書いていますが、デジタル時代について行けない私にとっては大切なこと。これについては後日取り上げたいと考えています。
トラックバック(0)
改革成功オメデトウ!
路傍の石 一日の幸せは
「笑顔のオハヨー」 から始まりますね。
まさに言葉は生活の潤滑油。
改革に成功したPPさんに敬意を表します。
PPさんは5台のPCを全て使い分けているんですか?
凄いですね。
PC初心者の私には、考えられない世界です。
ハードデスク代わりです
PP パソコンは面倒になったので、買い足しにしました。
データを移動しないで、そのまま置いておきます。
何もしなくていいので楽です。
ハードデスク代わりに置いてあるだけです。
けっこうデータが見つけ易くていいですよ。
路傍の石 一日の幸せは
「笑顔のオハヨー」 から始まりますね。
まさに言葉は生活の潤滑油。
改革に成功したPPさんに敬意を表します。
PPさんは5台のPCを全て使い分けているんですか?
凄いですね。
PC初心者の私には、考えられない世界です。
ハードデスク代わりです
PP パソコンは面倒になったので、買い足しにしました。
データを移動しないで、そのまま置いておきます。
何もしなくていいので楽です。
ハードデスク代わりに置いてあるだけです。
けっこうデータが見つけ易くていいですよ。
私の部屋はなぜ、あのように乱雑になってしまったのだろうか。そこらじゅうに物が置いてあって、足の踏み場もない。その原因を簡単に言うと逆転の発想かな。中途半端な整理をするくらいなら、全くしない方がマシであると悟ったからだ。
最近、益々物忘れがひどくなった。部屋の整理をすると、今まで簡単に見つけられていたものが、何処にあるのか分からなくなるのだ。年がら年中、カードがない爪切りがないとか言って、部屋中探し回っている。だから整理をするのが怖くなってしまった。しかし整理はしなければならないとの思いもあってウジウジしていた。
ところで、全く整理をしない人の家に行ったことがある。玄関を開けると、靴とか履物が乱雑に置き放されていた。一瞬、入るのを躊躇していると迎えに出た奥さんがパパパッと履物を寄せ、「どうぞ」と言ってくれた。家の中は廊下から階段まで物が乱雑に置かれ、一人ずつ歩くのが精いっぱいだった。
室内も同様でテーブルの上にはあらゆる物が山の様に積み上げられていた。そんな状態の中でビックリしたことがある。奥さんが「あなたアレ何処?」と言ったら、積み上げられた物の中から「この辺かな」と言うが早いか、サッと抜き取った。整理しない方が探し易いのだ。未整理の達人を見て考えが変わった。
その時思ったことは中途半端な整理は絶対にダメ。何もしないか徹底的にするか、どちらかだ。私は達人みたいな芸当はできないから、徹底的に整理する方法を選んだ。しかし部屋は8.7畳しかないのにベットからパソコン、テレビその他使うものが全部入っている。先ず整理した物を収納するスペースを作らなければならなかった。
それには押入れから物を出さなければならない。たちまち部屋の中は足の踏み場を確保するのが精いっぱいになった。そんな時に持病の腰痛が出てきたので、整理は押入れの中にスペースを作るだけで終った。

困難にぶち当たり作戦を変更した。徹底的断捨離の第一歩は腰痛を克服することから始めることにした。腰痛の原因は千差万別だから人によって対応の仕方が異なる。私の腰痛は一瞬も立てない状態でも三日寝ていれば治ることが分かった。しかし、三日間も横になっていることは思ったより大変だった。特にトイレに不自由した。尿瓶が必需品となる。ああゆうものは嫌いなのだ。自分で捨てに行けないのも辛い。
私は立てなくなるのが嫌だから。腰痛が始まると三日間休養することにした。これで腰痛を悪化させることは避けられるが、寝たり起きたりの生活になってしまう。整理どころか徹底的な運動不足になり、ちょっと動けば腰痛、そして休養の悪循環に入ってしまった。
こんなことを繰り返していたら断捨離どころか私自身が切り捨てられてしまう。この悪循環から逃れるため医師と相談してリハビリをすることにした。そのせいかどうがは分からないが、結果として腰痛発症を必要以上には恐れなくなり、屈んで作業する整理も積極的に出来るようになった。
断捨離の極意は捨てることにある。そうすれば整理しやすくなり最終的に必要最小限の物があれば快適に暮らせるようになる。それは分かるが捨てられない私には工夫が必要だ。その第一歩が腰痛管理だった。これからも工夫は続く何処までも。
「断捨離はどうしたんだ」
「先ず、身体が動くようになってからですね」
「この間はケチ病が治ったらやるとか言ってたな」
「ケチの断捨離のことですか」
「そうだよ。これではいつまでたっても始まらないじゃないか」
大丈夫。既に断捨離は順調に進んでいる。従来の断捨離論を進化させて「捨てられない人の為の断捨離論」を構築した。そしてリハビリして作業に必要な身体作りに成功したのである。
「第一の矢は理論、第二の矢は身体、二本の矢を的にピタリと当てました」
「三本目はどうした」
「分かりません」
「知らんでどうする」
「どうにかなるでしょ」
「どうにかとはなんだ!」
「胴は首から下ですが……」
最近、益々物忘れがひどくなった。部屋の整理をすると、今まで簡単に見つけられていたものが、何処にあるのか分からなくなるのだ。年がら年中、カードがない爪切りがないとか言って、部屋中探し回っている。だから整理をするのが怖くなってしまった。しかし整理はしなければならないとの思いもあってウジウジしていた。
ところで、全く整理をしない人の家に行ったことがある。玄関を開けると、靴とか履物が乱雑に置き放されていた。一瞬、入るのを躊躇していると迎えに出た奥さんがパパパッと履物を寄せ、「どうぞ」と言ってくれた。家の中は廊下から階段まで物が乱雑に置かれ、一人ずつ歩くのが精いっぱいだった。
室内も同様でテーブルの上にはあらゆる物が山の様に積み上げられていた。そんな状態の中でビックリしたことがある。奥さんが「あなたアレ何処?」と言ったら、積み上げられた物の中から「この辺かな」と言うが早いか、サッと抜き取った。整理しない方が探し易いのだ。未整理の達人を見て考えが変わった。
その時思ったことは中途半端な整理は絶対にダメ。何もしないか徹底的にするか、どちらかだ。私は達人みたいな芸当はできないから、徹底的に整理する方法を選んだ。しかし部屋は8.7畳しかないのにベットからパソコン、テレビその他使うものが全部入っている。先ず整理した物を収納するスペースを作らなければならなかった。
それには押入れから物を出さなければならない。たちまち部屋の中は足の踏み場を確保するのが精いっぱいになった。そんな時に持病の腰痛が出てきたので、整理は押入れの中にスペースを作るだけで終った。

困難にぶち当たり作戦を変更した。徹底的断捨離の第一歩は腰痛を克服することから始めることにした。腰痛の原因は千差万別だから人によって対応の仕方が異なる。私の腰痛は一瞬も立てない状態でも三日寝ていれば治ることが分かった。しかし、三日間も横になっていることは思ったより大変だった。特にトイレに不自由した。尿瓶が必需品となる。ああゆうものは嫌いなのだ。自分で捨てに行けないのも辛い。
私は立てなくなるのが嫌だから。腰痛が始まると三日間休養することにした。これで腰痛を悪化させることは避けられるが、寝たり起きたりの生活になってしまう。整理どころか徹底的な運動不足になり、ちょっと動けば腰痛、そして休養の悪循環に入ってしまった。
こんなことを繰り返していたら断捨離どころか私自身が切り捨てられてしまう。この悪循環から逃れるため医師と相談してリハビリをすることにした。そのせいかどうがは分からないが、結果として腰痛発症を必要以上には恐れなくなり、屈んで作業する整理も積極的に出来るようになった。
断捨離の極意は捨てることにある。そうすれば整理しやすくなり最終的に必要最小限の物があれば快適に暮らせるようになる。それは分かるが捨てられない私には工夫が必要だ。その第一歩が腰痛管理だった。これからも工夫は続く何処までも。
「断捨離はどうしたんだ」
「先ず、身体が動くようになってからですね」
「この間はケチ病が治ったらやるとか言ってたな」
「ケチの断捨離のことですか」
「そうだよ。これではいつまでたっても始まらないじゃないか」
大丈夫。既に断捨離は順調に進んでいる。従来の断捨離論を進化させて「捨てられない人の為の断捨離論」を構築した。そしてリハビリして作業に必要な身体作りに成功したのである。
「第一の矢は理論、第二の矢は身体、二本の矢を的にピタリと当てました」
「三本目はどうした」
「分かりません」
「知らんでどうする」
「どうにかなるでしょ」
「どうにかとはなんだ!」
「胴は首から下ですが……」
トラックバック(0)
断捨離出来たらいいですね。
路傍の石 樺太からの引き揚げ経験者である友人が、
自叙伝を出版した。
読んで欲しいと先日私の元に届いた。
死の恐怖と隣り合わせ、食べ物さえ底をつく。
その時代と現代を比べるのは無理があるのは分かっているが、
やはり今は物で溢れている。
PPさん、意を決して断捨離に挑戦しよう!
断捨離で首と胴が離ればなれになる時代ではないのだから。
かく言う私も,なかなか断捨離出来ないでいる。
偉そうなこと言って 「ゴメン!!」
毎日少しずつやっています
PP ご友人が樺太からの引き揚げ経験を書いて、自叙伝を出版したのですか。
大変な経験ですね。私も読んでみたいです。
断捨離はゆっくりと確実にやりたいと思います。
今でも毎日少しずつやっていますよ。
腰痛のリハビリは上手く行っているし、私なりの断捨離方法も考えました。
路傍の石 樺太からの引き揚げ経験者である友人が、
自叙伝を出版した。
読んで欲しいと先日私の元に届いた。
死の恐怖と隣り合わせ、食べ物さえ底をつく。
その時代と現代を比べるのは無理があるのは分かっているが、
やはり今は物で溢れている。
PPさん、意を決して断捨離に挑戦しよう!
断捨離で首と胴が離ればなれになる時代ではないのだから。
かく言う私も,なかなか断捨離出来ないでいる。
偉そうなこと言って 「ゴメン!!」
毎日少しずつやっています
PP ご友人が樺太からの引き揚げ経験を書いて、自叙伝を出版したのですか。
大変な経験ですね。私も読んでみたいです。
断捨離はゆっくりと確実にやりたいと思います。
今でも毎日少しずつやっていますよ。
腰痛のリハビリは上手く行っているし、私なりの断捨離方法も考えました。
私はケチな人が嫌い。だからケチとは思われたくない。しかし自分が人と比べてケチかどうかは分からない。困ったことにある日突然、自分が世界一のケチであることに気づいてしまった。
「世界一とは大げさだよ」
「断捨離をしようとして世界一のケチと分かったのです」
「結局、何も捨てられなかったんだ」
「そうなんです。世界に人が何十億いようともゼロはゼロですね」
「ホントだ。捨てる物がゼロなら世界一。それより下はないのだから」
断捨離と言う言葉が流行りだしたころ、時流に乗せられ易い私は、「捨てる技術」とかいう本を買って、徹底的断捨離に挑んだ。その結果、自分は何一つ捨てられない人であることが分かった。よく己を知れとか言うけれど、こんなことは知らなない方が好かった。自分をケチと思ったら人生がつまらないではないか。
役に立たない本は直ぐに捨てれば好いのだがが、それが出来ないから何時までもケチのままなのだ。捨てる代わりに「大変役に立つ本です」とか言って友人Aに差し上げた。Aも又捨てられない人なのだ。長年の夢を果たして豪邸を建てたのはいいのだが、古い家具を全部持ち込み、それに加えて新しい家具を買い揃えたものから立派な居間が台無しだ。中古・新品両方扱う家具屋みたいになってしまったのだ。
「Aさんは転勤しないから物を捨てたことがないんだよ」
「新築祝いに無理して買って贈った絵が、かすんでいましたね」
「だから観葉植物がいいといったのに」
「ダメです。置く所がありません。古い家具はウチにくれればいいのです」
「そうだね。古くても立派だよ。あれさえ無ければ広くて見栄えがするのにね」
「『捨てる技術』の本を上げたのですが効き目あるでしょうか?」
「バカだね。捨てられちゃったら勿体ないでしょ」
「贈った絵を見て私のことを思い出して欲しいのです」
こんな姑息な企みが成功するはずがない。絵は家具に囲まれ、かろうじて壁に張り付いていた。どこから見ても、せいぜい半分くらいしか見えない。ところで問題は私の断捨離だ。始めたのは3年前だが、整理は腰を使うので三日目で腰痛になり途中で中止した。治ってから何度か試みたが、その度に腰痛が出て中止した。そんなことを繰り返している内に三年たってしまった。
断捨離を試みて、自分が捨てられない人であることが分かったので方針を変えた。先ず不用品の仕分けをする、分けたら不用品を押入れの奥に仕舞い、将来の断捨離に備える。つまり処分の先延ばしである。長年患っているケチ病が治ってから捨てても遅くはない。こう考えたら気持ちがスッキリしたが部屋の中はグタグタだ。

「何だ、どこが片付いているのだ」
「押入れです。やっとカラにしました」
「一体どこを歩いているんだ」
「歩くほど広くはないのですが、あえて言えばベッドの上です」
「こんな状態でパソコンは使えるのか?」
「床に置くものは軽いものだけですから足で簡単に寄せられます。それに、椅子にはキャスターも付いているのですよ」
「いちいち面倒だな」
「大丈夫です。ベッドの上でタブレットも使えます」
今回は押入れを空っぽにしたところでおしまい。整理は何時まで続くやら。
「世界一とは大げさだよ」
「断捨離をしようとして世界一のケチと分かったのです」
「結局、何も捨てられなかったんだ」
「そうなんです。世界に人が何十億いようともゼロはゼロですね」
「ホントだ。捨てる物がゼロなら世界一。それより下はないのだから」
断捨離と言う言葉が流行りだしたころ、時流に乗せられ易い私は、「捨てる技術」とかいう本を買って、徹底的断捨離に挑んだ。その結果、自分は何一つ捨てられない人であることが分かった。よく己を知れとか言うけれど、こんなことは知らなない方が好かった。自分をケチと思ったら人生がつまらないではないか。
役に立たない本は直ぐに捨てれば好いのだがが、それが出来ないから何時までもケチのままなのだ。捨てる代わりに「大変役に立つ本です」とか言って友人Aに差し上げた。Aも又捨てられない人なのだ。長年の夢を果たして豪邸を建てたのはいいのだが、古い家具を全部持ち込み、それに加えて新しい家具を買い揃えたものから立派な居間が台無しだ。中古・新品両方扱う家具屋みたいになってしまったのだ。
「Aさんは転勤しないから物を捨てたことがないんだよ」
「新築祝いに無理して買って贈った絵が、かすんでいましたね」
「だから観葉植物がいいといったのに」
「ダメです。置く所がありません。古い家具はウチにくれればいいのです」
「そうだね。古くても立派だよ。あれさえ無ければ広くて見栄えがするのにね」
「『捨てる技術』の本を上げたのですが効き目あるでしょうか?」
「バカだね。捨てられちゃったら勿体ないでしょ」
「贈った絵を見て私のことを思い出して欲しいのです」
こんな姑息な企みが成功するはずがない。絵は家具に囲まれ、かろうじて壁に張り付いていた。どこから見ても、せいぜい半分くらいしか見えない。ところで問題は私の断捨離だ。始めたのは3年前だが、整理は腰を使うので三日目で腰痛になり途中で中止した。治ってから何度か試みたが、その度に腰痛が出て中止した。そんなことを繰り返している内に三年たってしまった。
断捨離を試みて、自分が捨てられない人であることが分かったので方針を変えた。先ず不用品の仕分けをする、分けたら不用品を押入れの奥に仕舞い、将来の断捨離に備える。つまり処分の先延ばしである。長年患っているケチ病が治ってから捨てても遅くはない。こう考えたら気持ちがスッキリしたが部屋の中はグタグタだ。

「何だ、どこが片付いているのだ」
「押入れです。やっとカラにしました」
「一体どこを歩いているんだ」
「歩くほど広くはないのですが、あえて言えばベッドの上です」
「こんな状態でパソコンは使えるのか?」
「床に置くものは軽いものだけですから足で簡単に寄せられます。それに、椅子にはキャスターも付いているのですよ」
「いちいち面倒だな」
「大丈夫です。ベッドの上でタブレットも使えます」
今回は押入れを空っぽにしたところでおしまい。整理は何時まで続くやら。
トラックバック(0)
捨てる勇気を持って!
花筏 捨てる事は結構な決断力が必要な事は分かります。
自分の手元から離れていくのでも、
誰かに貰ってもらい、そこで役に立つと思えば、
なんの未練もなく手放せられるのですがね。
♪線路は続くよどこまでも~♪という歌がありますが、
♪整理は続くよどこまでも~♪にしたくはありませんネ。
治るまで断捨離を楽しむ
PP 残念ながら整理は何処まで行っても続きそうです。
しかし楽しみながらやっています。
決断力がないから捨てられないでいますが、
ケチは病気ですから治ったらバンバン捨てます。
だけど治るまでは断捨離を楽しませてください。
よく言うでしょ。治らない病気なら楽しみなさいと。
花筏 捨てる事は結構な決断力が必要な事は分かります。
自分の手元から離れていくのでも、
誰かに貰ってもらい、そこで役に立つと思えば、
なんの未練もなく手放せられるのですがね。
♪線路は続くよどこまでも~♪という歌がありますが、
♪整理は続くよどこまでも~♪にしたくはありませんネ。
治るまで断捨離を楽しむ
PP 残念ながら整理は何処まで行っても続きそうです。
しかし楽しみながらやっています。
決断力がないから捨てられないでいますが、
ケチは病気ですから治ったらバンバン捨てます。
だけど治るまでは断捨離を楽しませてください。
よく言うでしょ。治らない病気なら楽しみなさいと。
長生きの達人とは私のこと。このことを自ら証明するのが使命と考えている。
「この年(74)まで生きられたのは、あなたが作ってくれた食事のお蔭です」
これが私の殺し文句。QPの心の池にポチャンと落ちて波紋が広がり、笑顔になって帰って来るから嬉しい。
しかし同じことを3年前に言ったとしたらどうだろう。「いったい何時まで飯炊きさせるんだよ!」と腹を立てると思う。食事の支度は私に押し付けたいのはやまやまだが、食生活が貧しくなるのを恐れて任せられなかったのだ。同じ言葉でも人間関係が悪いときに使えば逆効果しかない。
定年後の二人暮らしを戦争に例えるならば、最初の3年がケンカを伴う熱い戦争で、次の5年は心の中で闘う冷たい戦争、その後の3年が偽りの平和。長い戦争に飽き飽きして嘘でもいいから平和が欲しくなったのだ。
偽りの平和は私の戦略的我慢により維持された。そして3年たったら戦争と偽りの人生が終っていることに気がついた。いつの間にかQPは私のして欲しいことを先回りして、してくれるようになっていたのだ。それ以来私は、何の要求もしないのに、のんびりと快適に暮らせるようになった。
不思議なことに、状況は徐々に変わっていた筈なのに全く気付かない。そしてある日突然、様変わりしていることに気がついた。地獄と思っていた我家は天国だったのだ。愚者の楽園と言われればその通りかも知れないが、幸せを感じながらのんびり暮らせることが何よりも有難い。
だけど世の中、何だか変だ。正直に生きようとしたら苦労ばかりなのに、嘘つきになったら、たった3年で幸せになれた。まあ、あまり深く考えないことにしよう。いずれ病気になり苦しみながらあの世に行かなければならない。執行猶予中の身なのだから素直に楽しめばいいだろう。
「執行猶予って何だ?」と、几帳面な先輩は言葉の綾にいちいちこだわる。
「私は執行猶予中の死刑囚です」
「その死刑囚がなんで、こんな所をウロウロしているんだ」
「執行猶予18年ですから」
「だから執行猶予って何なんだ」
「分かりました。例え話は止めましょう。私は2年前の72歳の時、あと20年生きることを決めました。これが私の20年計画の始まりです。あと18年残っています。それが余命です。いずれこの世とオサラバしますね。それまでの期間が執行猶予。つまり、絶命は決まっているけれど執行は18年後です」
「なんで18年と分かるんだ」
「分からなくてもいいのです。ある国は5ヵ年計画を立てて、早くも5ヵ月後に滅びました。国も個人も存在を永久に保障されるものではありません。将来計画は今の為にあります。目標達成を18年後と定めた結果、今やることが決まるのです」
「なるほど、それで今は何をやっているんだ」
「昼寝です」
「何だとぉ? ふざけんじゃないよ!」
「休養は残りの18年で計画を達成する為の最重要事項なのです」
「計画って何だい?」
「その件につきましては……」
「だから何だよ」
「う~ん、……鋭意検討中です」
「ああ、そうかい。お前は長生きするよ。俺が保証する」
「ありがとうございます」
先輩が保証してくれた。とても嬉しい。私は長生きの達人なのだ!
「この年(74)まで生きられたのは、あなたが作ってくれた食事のお蔭です」
これが私の殺し文句。QPの心の池にポチャンと落ちて波紋が広がり、笑顔になって帰って来るから嬉しい。
しかし同じことを3年前に言ったとしたらどうだろう。「いったい何時まで飯炊きさせるんだよ!」と腹を立てると思う。食事の支度は私に押し付けたいのはやまやまだが、食生活が貧しくなるのを恐れて任せられなかったのだ。同じ言葉でも人間関係が悪いときに使えば逆効果しかない。
定年後の二人暮らしを戦争に例えるならば、最初の3年がケンカを伴う熱い戦争で、次の5年は心の中で闘う冷たい戦争、その後の3年が偽りの平和。長い戦争に飽き飽きして嘘でもいいから平和が欲しくなったのだ。
偽りの平和は私の戦略的我慢により維持された。そして3年たったら戦争と偽りの人生が終っていることに気がついた。いつの間にかQPは私のして欲しいことを先回りして、してくれるようになっていたのだ。それ以来私は、何の要求もしないのに、のんびりと快適に暮らせるようになった。
不思議なことに、状況は徐々に変わっていた筈なのに全く気付かない。そしてある日突然、様変わりしていることに気がついた。地獄と思っていた我家は天国だったのだ。愚者の楽園と言われればその通りかも知れないが、幸せを感じながらのんびり暮らせることが何よりも有難い。
だけど世の中、何だか変だ。正直に生きようとしたら苦労ばかりなのに、嘘つきになったら、たった3年で幸せになれた。まあ、あまり深く考えないことにしよう。いずれ病気になり苦しみながらあの世に行かなければならない。執行猶予中の身なのだから素直に楽しめばいいだろう。
「執行猶予って何だ?」と、几帳面な先輩は言葉の綾にいちいちこだわる。
「私は執行猶予中の死刑囚です」
「その死刑囚がなんで、こんな所をウロウロしているんだ」
「執行猶予18年ですから」
「だから執行猶予って何なんだ」
「分かりました。例え話は止めましょう。私は2年前の72歳の時、あと20年生きることを決めました。これが私の20年計画の始まりです。あと18年残っています。それが余命です。いずれこの世とオサラバしますね。それまでの期間が執行猶予。つまり、絶命は決まっているけれど執行は18年後です」
「なんで18年と分かるんだ」
「分からなくてもいいのです。ある国は5ヵ年計画を立てて、早くも5ヵ月後に滅びました。国も個人も存在を永久に保障されるものではありません。将来計画は今の為にあります。目標達成を18年後と定めた結果、今やることが決まるのです」
「なるほど、それで今は何をやっているんだ」
「昼寝です」
「何だとぉ? ふざけんじゃないよ!」
「休養は残りの18年で計画を達成する為の最重要事項なのです」
「計画って何だい?」
「その件につきましては……」
「だから何だよ」
「う~ん、……鋭意検討中です」
「ああ、そうかい。お前は長生きするよ。俺が保証する」
「ありがとうございます」
先輩が保証してくれた。とても嬉しい。私は長生きの達人なのだ!
トラックバック(0)
笑いの達人
路傍の石
私は笑いの達人と、自分では思っている。
そりゃあ生きていく上で、嫌な事に出会うことはある。
自分が悪かったと思えば素直に謝り、
相手に非があると思えば、翌日には忘れてしまう。
いつまでもクヨクヨしない。
人生楽しんで生きなくちゃ~。
これが意外と長生きにつながるかも・・・。
人生楽しんで生きなくちゃ
PP なるほど、人生楽しんで生きれば長生きできるのですね。
私はその考えに到達するのに70年以上かかりました。
気付くのに遅すぎることはないですね。
終わったことは自然に忘れます。
私はノロマなので何をするにも人の2倍かかります。
寿命の方も人の2倍にして欲しいです(笑)。
これでも一人前にやりたいことあるのですよ。時間が足りません。
含蓄
hanasoco 人生の先輩のお言葉に清々しささえ覚えます。
その考えになかなか到達できないでいます・・
感謝しています
PP 清々しいなんて、ありがたいお言葉に恐縮しています。
自分勝手で愚か者、おまけに怠け者ですが、
優しいコメントに感謝しています。
路傍の石
私は笑いの達人と、自分では思っている。
そりゃあ生きていく上で、嫌な事に出会うことはある。
自分が悪かったと思えば素直に謝り、
相手に非があると思えば、翌日には忘れてしまう。
いつまでもクヨクヨしない。
人生楽しんで生きなくちゃ~。
これが意外と長生きにつながるかも・・・。
人生楽しんで生きなくちゃ
PP なるほど、人生楽しんで生きれば長生きできるのですね。
私はその考えに到達するのに70年以上かかりました。
気付くのに遅すぎることはないですね。
終わったことは自然に忘れます。
私はノロマなので何をするにも人の2倍かかります。
寿命の方も人の2倍にして欲しいです(笑)。
これでも一人前にやりたいことあるのですよ。時間が足りません。
含蓄
hanasoco 人生の先輩のお言葉に清々しささえ覚えます。
その考えになかなか到達できないでいます・・
感謝しています
PP 清々しいなんて、ありがたいお言葉に恐縮しています。
自分勝手で愚か者、おまけに怠け者ですが、
優しいコメントに感謝しています。
毎朝テレビを消して話しながら朝食をとる。今朝の話題はプロ野球。
「今度はソフトバンクと2連戦だよ」
QPは毎晩欠かさず、ラジオで「ファイターズDEナイト」を聴いているから、球団の動きはよく知っている。しかし野球のルールはご存じないようだ。それでも楽しんでいるのだから不思議だ。
「どこでやるのですか」
「え~と、ナンとか言う……、島でやるんだよ」
「島でやるとは珍しいですね。どこの島ですか?」
「う~ん、何だったかな? えーと、カゴシマ」
「島じゃないでしょう」
「シマだよ。カゴシマって言うんだから」
「そうですね」
鹿児島は遠い。QPは根室生まれだから知らなくて当然かもしれない。とりあえず同意しておいた。服従と誤魔化しの世界は心地よい。反抗したり正直に生きようとしたこともあるが、疲れるばかりで得るものは何もなかった。
何でもハイハイと言うこと聞いていればQPの機嫌はすこぶるいい。そして私は誤魔化しに成功すれば、何故か優しくなれる。お互いに暮らしを潤す潤滑油がドクドクと出てくるのだ。いつの間にか我家は、私という怠け者の天国になってしまった。
独り善がりのオタクだから、やりたいことが山ほどある。しかし無職だからやらなければならないことは特にない。それなのに憧れの三食昼寝付の暮らしができている。QPがこの不公平に気付けば一巻の終わりだが、その気配もない。
誤魔化しのテクニックの第一は服従の姿勢を示すこと。頼まれたことは絶対に断らない。しかし頼まれない為の努力は惜しまない。例えば嫌なことを頼まれれば必ず失敗するようにする。簡単なようで難しい。能無しと言われても挫けない精神力が必要だ。簡単なことでも繰り返し失敗することが肝心である。継続こそ力なのだ!
ところで鹿児島での野球だが、ファイターズはホークス相手に4対2で負けてしまった。敗因は近藤と中田のエラーだが、新聞に載った写真が余りにも素晴らしい。何回見ても厭きないので切り取っておいた。
中田の表情が特にいい。強面なのに泣きそうな顔をしている。近藤は無念の表情、マウンドを降りる若い上沢の後ろ姿が老人の様に曲がっていた。三人三様の敗者の姿にドラマを感じた。二人のエラーがなければ違った展開になっていただろう。
やはり大切なのは守備だ。QPは攻撃力はあるが守備に弱い。私は相手を攻撃しないで守備に専念する。だから強いのだ。エラーの多いチームは勝てない。我家の暮らしでエラーとはなにか? QPを怒らすことである。今年は、「ノーエラーのロケット・スタート」だ。優勝間違いなし。ただし観客も居ない二人の世界でのことだが。
「今度はソフトバンクと2連戦だよ」
QPは毎晩欠かさず、ラジオで「ファイターズDEナイト」を聴いているから、球団の動きはよく知っている。しかし野球のルールはご存じないようだ。それでも楽しんでいるのだから不思議だ。
「どこでやるのですか」
「え~と、ナンとか言う……、島でやるんだよ」
「島でやるとは珍しいですね。どこの島ですか?」
「う~ん、何だったかな? えーと、カゴシマ」
「島じゃないでしょう」
「シマだよ。カゴシマって言うんだから」
「そうですね」
鹿児島は遠い。QPは根室生まれだから知らなくて当然かもしれない。とりあえず同意しておいた。服従と誤魔化しの世界は心地よい。反抗したり正直に生きようとしたこともあるが、疲れるばかりで得るものは何もなかった。
何でもハイハイと言うこと聞いていればQPの機嫌はすこぶるいい。そして私は誤魔化しに成功すれば、何故か優しくなれる。お互いに暮らしを潤す潤滑油がドクドクと出てくるのだ。いつの間にか我家は、私という怠け者の天国になってしまった。
独り善がりのオタクだから、やりたいことが山ほどある。しかし無職だからやらなければならないことは特にない。それなのに憧れの三食昼寝付の暮らしができている。QPがこの不公平に気付けば一巻の終わりだが、その気配もない。
誤魔化しのテクニックの第一は服従の姿勢を示すこと。頼まれたことは絶対に断らない。しかし頼まれない為の努力は惜しまない。例えば嫌なことを頼まれれば必ず失敗するようにする。簡単なようで難しい。能無しと言われても挫けない精神力が必要だ。簡単なことでも繰り返し失敗することが肝心である。継続こそ力なのだ!
ところで鹿児島での野球だが、ファイターズはホークス相手に4対2で負けてしまった。敗因は近藤と中田のエラーだが、新聞に載った写真が余りにも素晴らしい。何回見ても厭きないので切り取っておいた。
中田の表情が特にいい。強面なのに泣きそうな顔をしている。近藤は無念の表情、マウンドを降りる若い上沢の後ろ姿が老人の様に曲がっていた。三人三様の敗者の姿にドラマを感じた。二人のエラーがなければ違った展開になっていただろう。
やはり大切なのは守備だ。QPは攻撃力はあるが守備に弱い。私は相手を攻撃しないで守備に専念する。だから強いのだ。エラーの多いチームは勝てない。我家の暮らしでエラーとはなにか? QPを怒らすことである。今年は、「ノーエラーのロケット・スタート」だ。優勝間違いなし。ただし観客も居ない二人の世界でのことだが。
トラックバック(0)
継続は力なり・・・ですね!
路傍の石
能無しを演ずるのに、精神力と継続が必要とは・・・
考えてみると確かにそうかもしれません。
>二人のエラーがなければ違った展開になっていただろう。
↓
プロだからエラーは極力ゼロに近づけなければいけない。
でも人間だからネ~。
PPさんの 「ノーエラー」 を、蔭ながらお祈りしています。
ノーエラーを目標に
PP 生まれつき能無しですから演じる必要がないのですが、
見栄っ張りですから恰好つけてしまいました。
野球は何となく運が好い方が勝つような気がします。
丸いボールを丸いバットで打つのですから、どこに飛ぶのか分かりません。
ノーエラーを目標に頑張ります。QPのふくれっ面なんか見たくないです(笑)。
路傍の石
能無しを演ずるのに、精神力と継続が必要とは・・・
考えてみると確かにそうかもしれません。
>二人のエラーがなければ違った展開になっていただろう。
↓
プロだからエラーは極力ゼロに近づけなければいけない。
でも人間だからネ~。
PPさんの 「ノーエラー」 を、蔭ながらお祈りしています。
ノーエラーを目標に
PP 生まれつき能無しですから演じる必要がないのですが、
見栄っ張りですから恰好つけてしまいました。
野球は何となく運が好い方が勝つような気がします。
丸いボールを丸いバットで打つのですから、どこに飛ぶのか分かりません。
ノーエラーを目標に頑張ります。QPのふくれっ面なんか見たくないです(笑)。
朝食はテレビを消して話しながら食べている。QPと一緒に行動することは滅多にないのだから朝食ぐらいは話しながらと思っている。それに、その日の予定の確認なども必要だ。大したことではないが、昼食は外で食べるとか、帰りは遅くなるとか我家の生活に影響を及ぼすことは伝えて置きたい。
もちろん、無駄話もいっぱいする。QPがよく口にするのは「あんた、ケチだからね」だ。確かに私はケチだが、バレないように気をつかっている。しかし40年以上も一緒に暮らしていたら隠し通せるわけがない。無職なのに家事もしないで、ろくでもないことばかりしているのだから言われても仕方ない。ガス抜きになれば幸いだ。
前言を翻すようだが、本当はケチでない。ケチな人はお金とか好きだと思うが私は興味がない。金の勘定など面倒くさくて仕方がない。私がケチと思われているのはお金を使わないからだ。しかし、小遣いをもっとくれとかアレが欲しいとか言ったこともない。貰うのも使うのも面倒くさいのだ。
ケチがばれないように気をつかっていたのは在職中のことである。退職を目前にした同僚たちが辞めたら生活が大変だ。年金なんかでは食えないとか盛んに言うので、それを真に受けて凄く心配した。私にとって「食えない」と言う言葉は極めて恐ろしいことなのだ。次に心配なのはケチと思われることである。
食えなくなるのが心配だから、車を止めた、酒もタバコも旅行も止めた。その他、金のかかることは全部止めた。止めなかったのは冠婚葬祭、宴会の類だけ。これを止めるとケチがばれてしまう。皆で出し合うカンパなどは全部参加した。今よりもっとバカだったので、こんなことで気前がいいフリが出来ると思っていたのだ。
個人的な趣味趣向では金を使わなかった。別に我慢をしていた訳ではない。正確に言えば使いたくなくなってしまったのだ。全てを犠牲にしても食えなくなるのだけは御免だ。それでもケチと思われるのは嫌なので交際費的なものは削らなかった。簡単に言えば一番大切なのは食うこと、二番目が見栄をはることである。
QPが私をケチと思うのは当然だが、職場の仲間にどう思われていたのだろうか? 爪に火を点すようにして交際費を捻出していたのに、ケチと思われていたとしたら浮かばれない。徹底的に隠したが隠蔽は成功しただろか。折角の努力が水の泡なんて耐えられない。これもケチな考えかも知れない。
ところで在職中は、お金の勘定が大好きだった。エクセルも一生懸命勉強した。表を作っては、今年はこれだけ貯まった、来年はこれくらいになるとか思いを巡らし楽しんでいた。全ては退職したら食えなくなると言う心配を払拭するためだ。
退職しても食えることが分かってからは急に金勘定が面倒くさくなった。老後の為に備えていたのに老後が来てしまったのだ。今、一番自由に感じて幸せに思っているのは、お金から解放されたからだろう。稼ぎも使いもせずに生きることは素晴らしい。まるで理想郷の住人になったような気分である。
もちろん、無駄話もいっぱいする。QPがよく口にするのは「あんた、ケチだからね」だ。確かに私はケチだが、バレないように気をつかっている。しかし40年以上も一緒に暮らしていたら隠し通せるわけがない。無職なのに家事もしないで、ろくでもないことばかりしているのだから言われても仕方ない。ガス抜きになれば幸いだ。
前言を翻すようだが、本当はケチでない。ケチな人はお金とか好きだと思うが私は興味がない。金の勘定など面倒くさくて仕方がない。私がケチと思われているのはお金を使わないからだ。しかし、小遣いをもっとくれとかアレが欲しいとか言ったこともない。貰うのも使うのも面倒くさいのだ。
ケチがばれないように気をつかっていたのは在職中のことである。退職を目前にした同僚たちが辞めたら生活が大変だ。年金なんかでは食えないとか盛んに言うので、それを真に受けて凄く心配した。私にとって「食えない」と言う言葉は極めて恐ろしいことなのだ。次に心配なのはケチと思われることである。
食えなくなるのが心配だから、車を止めた、酒もタバコも旅行も止めた。その他、金のかかることは全部止めた。止めなかったのは冠婚葬祭、宴会の類だけ。これを止めるとケチがばれてしまう。皆で出し合うカンパなどは全部参加した。今よりもっとバカだったので、こんなことで気前がいいフリが出来ると思っていたのだ。
個人的な趣味趣向では金を使わなかった。別に我慢をしていた訳ではない。正確に言えば使いたくなくなってしまったのだ。全てを犠牲にしても食えなくなるのだけは御免だ。それでもケチと思われるのは嫌なので交際費的なものは削らなかった。簡単に言えば一番大切なのは食うこと、二番目が見栄をはることである。
QPが私をケチと思うのは当然だが、職場の仲間にどう思われていたのだろうか? 爪に火を点すようにして交際費を捻出していたのに、ケチと思われていたとしたら浮かばれない。徹底的に隠したが隠蔽は成功しただろか。折角の努力が水の泡なんて耐えられない。これもケチな考えかも知れない。
ところで在職中は、お金の勘定が大好きだった。エクセルも一生懸命勉強した。表を作っては、今年はこれだけ貯まった、来年はこれくらいになるとか思いを巡らし楽しんでいた。全ては退職したら食えなくなると言う心配を払拭するためだ。
退職しても食えることが分かってからは急に金勘定が面倒くさくなった。老後の為に備えていたのに老後が来てしまったのだ。今、一番自由に感じて幸せに思っているのは、お金から解放されたからだろう。稼ぎも使いもせずに生きることは素晴らしい。まるで理想郷の住人になったような気分である。
ドラマが大好きだ。現れるヒーローは背が高くて恰好いい。強いのに正直で優しい。オマケに女に持てて自分より彼女を大切にする。何から何まで私とは正反対である。ドラマを観ていると自分がヒーローになったような気がするから不思議だ。
現実には気が小さくて小ずるい奴もいる。まともに向き合わないで騙したり逃げたりすることばかり考えているのだ。それでも勝てる自信がないので、バレた場合の対応策まで用意している。実に卑劣だ。どこの誰とは言いたくないが私に似ている。
家の中ではQPに苛められっぱなしだ。こんなことでは終わりたくはない。「退職したら家でのんびり」は私の長年の夢。何人も私の人生をぶち壊す権利はない。と言ってもQPは強敵だ。さてどうするか?
セオリー通り失敗から学ぶことにした。QPは「あんたは間違っている。悪いのはアンタ」の一点張りである。それに対して私は丁寧に説明して理解を求めた。これじゃあ勝てるわけがない。QPは人の話など全く聞いていない。ただケンカに勝ちたいだけなのだ。審判役不在の喧嘩は私が負けるまで延々と続くのである。
そもそも空っぽ頭のQPに説明と説得で対応したのが間違いだった。ちょっと知恵を働かせれば、これほど扱い易い人はいない。敵を知れば勝つのは時間の問題だが、ちょっと手こずり三年もかかってしまった。強敵QPを甘く見過ぎたようだ。
小説と名乗るものを書いたのは初めてだが、早くも書く身の辛さを味わった。つまり私が絶対に知られたくないことを書かなければ、この小説は完結しないのだ。どうしても書かなければならないのなら敗軍の将のように格好をつけて書こう。
私はこの作戦を「オペレーション・NONBIRI」と命名した。目標は「ノンビリ人生の奪還」、戦闘はセオリー通り情報収集から始めた。QPの言うことには何でも「はいはい」と言って服従する作戦だ。これを1年も続けると、彼我の情報量に格段の差が生じる。情報こそ作戦の要。情報戦は成功裏に終了したことは言うまでもない。
具体的に言うとQPは「ああでもない、こうでもない」と言い立てる。私は「はいはい、それもそうですね」と同意したフリをする。その結果、私はQPが心に思っていることを、情報として百パーセント得られるのに対し、QPが私から取れる情報は「それもそうですね」だけだからゼロに等しい。
これだけ情報量に差があって、しかもQPは「アンタはケチで自分勝手」とか、本来秘密にすべき情報を喋りまくるのだから有難い。口から唾を飛ばし嵐のように喋り続けるのに対し、私はただ肯くだけ。せいぜい「ごめんなさい」「そうですね」とつぶやく程度だ。喧嘩をしても消耗するエネルギーに大差が生じる。もはや勝敗の帰趨は明らかだ。三年たったら立場は逆転していた。
いつの間にか、QPがすっかり変わってしまった。何の要求もしない私になり代わって、自分であれこれ考え、私が暮らし易いように環境を整えてくれる。人を変えようと思ったら難しい。しかし自分が変われば相手は勝手に変わってくれる。例えそれが芝居であっても作戦であっても、はたまた嘘だとしても変わればいいのだ。QPは鏡に映る自分の様なものだと納得した。しかし、3年は長かった。
もし私がノロマの航空管制官でなかったら途中で挫けていたと思う。ノロマの管制官は努力しても頑張ってもどうにもならない。注意されても言い訳は一切できない。ただ我慢して耐えるだけだ。しかしそれで仕事が上手くなる訳でもない。不毛な努力を積み重ねているうちに辛抱する習慣だけは身についてしまった。それが今になって役に立つのだから人生は面白い。
時の流れは早いものだ。以前と違って諍いがあっても後に引かない。瞬く間に快復する。人生はカレンダー、壁に貼ってあるような四角ではなく一本の長い線。天から下る絆という細い糸。要所に年月日や祝祭日の印が付いている。人は皆、か細い糸にしがみつき天に向かってよじ登っている。これが私の思うカレンダー。蔑称QPはいつの間にか愛称に変わり、欺瞞にまみれたセーフティーネットも不要となった。
現実には気が小さくて小ずるい奴もいる。まともに向き合わないで騙したり逃げたりすることばかり考えているのだ。それでも勝てる自信がないので、バレた場合の対応策まで用意している。実に卑劣だ。どこの誰とは言いたくないが私に似ている。
家の中ではQPに苛められっぱなしだ。こんなことでは終わりたくはない。「退職したら家でのんびり」は私の長年の夢。何人も私の人生をぶち壊す権利はない。と言ってもQPは強敵だ。さてどうするか?
セオリー通り失敗から学ぶことにした。QPは「あんたは間違っている。悪いのはアンタ」の一点張りである。それに対して私は丁寧に説明して理解を求めた。これじゃあ勝てるわけがない。QPは人の話など全く聞いていない。ただケンカに勝ちたいだけなのだ。審判役不在の喧嘩は私が負けるまで延々と続くのである。
そもそも空っぽ頭のQPに説明と説得で対応したのが間違いだった。ちょっと知恵を働かせれば、これほど扱い易い人はいない。敵を知れば勝つのは時間の問題だが、ちょっと手こずり三年もかかってしまった。強敵QPを甘く見過ぎたようだ。
小説と名乗るものを書いたのは初めてだが、早くも書く身の辛さを味わった。つまり私が絶対に知られたくないことを書かなければ、この小説は完結しないのだ。どうしても書かなければならないのなら敗軍の将のように格好をつけて書こう。
私はこの作戦を「オペレーション・NONBIRI」と命名した。目標は「ノンビリ人生の奪還」、戦闘はセオリー通り情報収集から始めた。QPの言うことには何でも「はいはい」と言って服従する作戦だ。これを1年も続けると、彼我の情報量に格段の差が生じる。情報こそ作戦の要。情報戦は成功裏に終了したことは言うまでもない。
具体的に言うとQPは「ああでもない、こうでもない」と言い立てる。私は「はいはい、それもそうですね」と同意したフリをする。その結果、私はQPが心に思っていることを、情報として百パーセント得られるのに対し、QPが私から取れる情報は「それもそうですね」だけだからゼロに等しい。
これだけ情報量に差があって、しかもQPは「アンタはケチで自分勝手」とか、本来秘密にすべき情報を喋りまくるのだから有難い。口から唾を飛ばし嵐のように喋り続けるのに対し、私はただ肯くだけ。せいぜい「ごめんなさい」「そうですね」とつぶやく程度だ。喧嘩をしても消耗するエネルギーに大差が生じる。もはや勝敗の帰趨は明らかだ。三年たったら立場は逆転していた。
いつの間にか、QPがすっかり変わってしまった。何の要求もしない私になり代わって、自分であれこれ考え、私が暮らし易いように環境を整えてくれる。人を変えようと思ったら難しい。しかし自分が変われば相手は勝手に変わってくれる。例えそれが芝居であっても作戦であっても、はたまた嘘だとしても変わればいいのだ。QPは鏡に映る自分の様なものだと納得した。しかし、3年は長かった。
もし私がノロマの航空管制官でなかったら途中で挫けていたと思う。ノロマの管制官は努力しても頑張ってもどうにもならない。注意されても言い訳は一切できない。ただ我慢して耐えるだけだ。しかしそれで仕事が上手くなる訳でもない。不毛な努力を積み重ねているうちに辛抱する習慣だけは身についてしまった。それが今になって役に立つのだから人生は面白い。
時の流れは早いものだ。以前と違って諍いがあっても後に引かない。瞬く間に快復する。人生はカレンダー、壁に貼ってあるような四角ではなく一本の長い線。天から下る絆という細い糸。要所に年月日や祝祭日の印が付いている。人は皆、か細い糸にしがみつき天に向かってよじ登っている。これが私の思うカレンダー。蔑称QPはいつの間にか愛称に変わり、欺瞞にまみれたセーフティーネットも不要となった。
「朝の食卓」を読んで下さり、ありがとうございます。
一方的な都合で申し訳ありませんが、3ヶ月間休ませて頂きます。きっかけになったのはラジオの放送を聞いたことです。「長生きしたかったら、こうしなさい」というような話でした。
なるほどと思うと同時に、「私は全てやってるな」とも思いました。しかし二つのことをやっていないことに気づきました。それは「字を書くこと」と「筋力をつけること」です。この30年間、ほとんど字を書かないで暮らしていましたが健康によくないそうです。
エライ先生が言っていたからと鵜呑みにするわけではありません。3ヶ月だけ試したいと思います。それで、ブログを休んで、代わりに字を書くことにしました。健康になるとの結論を得るのには短すぎますが、面白いかどうかは分かります。
面白いことが分かり、やる気が出れば長続きすると思います。それが長生きへの道に繋がると思うのです。長生きは目標ではありません。目標を達成するための手段です。私にはやり遂げたいことがあります。それには20年程度の時間が必要と思っています。それで字を書く練習をすることにしました。
もう一つは「筋トレ」ですが、難しいですね。何とか工夫してみます。これをやるのは苦しみが伴います。苦しまなくても出来る方法をいろいろ考えています。このような独り善がりの理由ですが、3ヶ月間休ませて頂きます。長い間読んでくれて有難うございました。お陰様で楽しく書くことができました。心からお礼申し上げます。
一方的な都合で申し訳ありませんが、3ヶ月間休ませて頂きます。きっかけになったのはラジオの放送を聞いたことです。「長生きしたかったら、こうしなさい」というような話でした。
なるほどと思うと同時に、「私は全てやってるな」とも思いました。しかし二つのことをやっていないことに気づきました。それは「字を書くこと」と「筋力をつけること」です。この30年間、ほとんど字を書かないで暮らしていましたが健康によくないそうです。
エライ先生が言っていたからと鵜呑みにするわけではありません。3ヶ月だけ試したいと思います。それで、ブログを休んで、代わりに字を書くことにしました。健康になるとの結論を得るのには短すぎますが、面白いかどうかは分かります。
面白いことが分かり、やる気が出れば長続きすると思います。それが長生きへの道に繋がると思うのです。長生きは目標ではありません。目標を達成するための手段です。私にはやり遂げたいことがあります。それには20年程度の時間が必要と思っています。それで字を書く練習をすることにしました。
もう一つは「筋トレ」ですが、難しいですね。何とか工夫してみます。これをやるのは苦しみが伴います。苦しまなくても出来る方法をいろいろ考えています。このような独り善がりの理由ですが、3ヶ月間休ませて頂きます。長い間読んでくれて有難うございました。お陰様で楽しく書くことができました。心からお礼申し上げます。
トラックバック(0) |
3か月間の修業、楽しんで!
カスミ草
普段パソコンを使用している人は、殆どの人が文字を書く生活には、
縁遠いと思います。
かく言う私もその中の一人です。
3か月間文字を書く生活に慣れ親しんだ結果、
PPさんはどのように変わるのでしょう。
3か月後には、またこのブログ再開されるのでしょう?
ユーモアを含んでいて、必ずどこかで「クスッ」と笑わせてくれる
「朝の食卓」に会える日を待っています。
3か月の文字書き就業に行ってらっしゃ~い。
3ヶ月後には「おかえりなさい」と、お出迎えしたいです。
行ってきま~す
pp カスミ草さん、ありがとう。
こういうことになろうとは思ってもみなかったのです。
原稿用紙と辞書持って来いと言われたときは、
道を間違えたなと思いました。
こうなったら全力で字を書くより仕方ないです。
「曲がり角を曲がったら、きっと良いことがある」
と思うことにします。
止めるという手もありますが、それは行ってからですね。
とりあえず、行ってきま~す。
のん子 あら、寂しいではありませんか?!
でもppさんが決心されたことですので、大人しくお待ちしております。
字を書くのって確かに、名前、住所位ですもんね(^^ゞ
筋トレは、大勢の中での方が続きそうに思えますが?
筋トレ
pp のん子さん長い間、訪問とコメント有難うございます。
字を書くのは怖いような楽しいような複雑な心境です。
仰るように、筋トレは大勢の中の方がいいような気がします。
近所の体育センターに通ってみようとか考えていますが、どうなることやら。
何分、身体を使うことで続いたものは何もないのです。
気が早いですが来年もよろしくお願いします。
カスミ草
普段パソコンを使用している人は、殆どの人が文字を書く生活には、
縁遠いと思います。
かく言う私もその中の一人です。
3か月間文字を書く生活に慣れ親しんだ結果、
PPさんはどのように変わるのでしょう。
3か月後には、またこのブログ再開されるのでしょう?
ユーモアを含んでいて、必ずどこかで「クスッ」と笑わせてくれる
「朝の食卓」に会える日を待っています。
3か月の文字書き就業に行ってらっしゃ~い。
3ヶ月後には「おかえりなさい」と、お出迎えしたいです。
行ってきま~す
pp カスミ草さん、ありがとう。
こういうことになろうとは思ってもみなかったのです。
原稿用紙と辞書持って来いと言われたときは、
道を間違えたなと思いました。
こうなったら全力で字を書くより仕方ないです。
「曲がり角を曲がったら、きっと良いことがある」
と思うことにします。
止めるという手もありますが、それは行ってからですね。
とりあえず、行ってきま~す。
のん子 あら、寂しいではありませんか?!
でもppさんが決心されたことですので、大人しくお待ちしております。
字を書くのって確かに、名前、住所位ですもんね(^^ゞ
筋トレは、大勢の中での方が続きそうに思えますが?
筋トレ
pp のん子さん長い間、訪問とコメント有難うございます。
字を書くのは怖いような楽しいような複雑な心境です。
仰るように、筋トレは大勢の中の方がいいような気がします。
近所の体育センターに通ってみようとか考えていますが、どうなることやら。
何分、身体を使うことで続いたものは何もないのです。
気が早いですが来年もよろしくお願いします。
私はQPとは議論とかケンカをしない。何でもハイハイと同意するが、言われたとおりに実行するわけでもない。心配なときはQPの主張が正しいかどうかを密かに調査する。ごく稀にだがQPの言う事はもっともだと思うこともある。そう思ったら即実行だ。
相変わらずの二人暮らしだが、ときには理不尽な要求を突きつけられることがある。しかし、大したことではないので「はいはい分かりました」と一応は同意するが、内容については忘れてしまう。どうでもいいことなのだから。
2回3回と同じことを言われるが、やはり「はいはい」と言って忘れてしまう。だいたいこんなことを繰り返している内にうやむやに終わるのだが、今度ばかりはQPの対応が違った。実行しなかったら罰金百円を取るというのだ。
「アンタは私の言うことなんか屁とも思っていいないでしょ」と言って怒っている。罰金百円と言われても、はいそうですかと思うだけ。千円なら記憶に残るだろう。一万なら議論になりケンカへと進み。結局は私が負けることになる。ケンカはいつも私の負けで終わることになっているのだ。
私は二人暮らしのコツは、いちいち反発しないで何でも「はいはい」言うことと心得ているので、QPへの返事はいつも「はいはい分かりました」に決めている。ただ理不尽だと思えば実行しない、と言うか忘れてしまうのだ。それでも「はいはい」と同意するのが私の悪いところかも知れない。
今回の要求は、スリッパを玄関より3メートル以上離して置けということだ。つまり靴を履く場所の3メートル前からにスリッパを脱いで歩けと言うこと。理不尽な要求と思ったが大したことでもない。
「はいはい分かりました」
「何回も言っているのにやらないでしょう」
「そうだったんですか。忘れたようですね」
「私の言うことを屁とも思っていないから忘れるんだよ」
「そんなことありません」
「廊下に線を引くからね。それを越えたらダメだよ」

「線ですね。分かりました」
「今度から忘れたら百円取るからね。罰金だよ」
「罰金ですか。厳しいですね」
翌日、「又忘れたでしょ。百円取ったからね」と言われても、小銭を勘定していないので取られたかどうか分からない。やっぱり分かった方がいいので、小銭入れに百円玉を10個入れておいた。これで「罰金」を取られたら直ぐ分かる。我ながら名案だ。
「罰金刑」とは異例の対応なので真摯に受け止めることにした。そこまでするからには何らかの理由があるはずだ。それを知りたい。すっかり事故調査官の様な気分になり、現場を詳細に調べて写真を撮りパソコンに入力して、事故原因を追求。なんだか刑事の様な気分になってきて楽しい。捜査に没頭。
その結果、間取りに問題があることが分かった。玄関の前にスリッパを置くと台所、物置、両方のドアの開け閉めに支障をきたすのだ。スリッパをいろいろな場所にを置いてドアを開閉して検証した。更にQPの家事を真似て台所と物置を行ったり来たりして実況見分。これで捜査は万全だ。

左が物置のドアで右が台所のドア。開閉する度ににスリッパが邪魔。
台所が狭いので台所用品の一部は、物置に置いてあるし、掃除用具、棄てる予定のゴミなども入っている。QPは家事のために二つのドアを頻繁に開閉するのだ。それで怒っている。怒りの罰金にしては百円とは安すぎる。しかし、罰金が引き金になって調査をする気になったのだから効果覿面だ。QPは思ったより賢かった。

台所のドア、物置のドア、それぞれば開けるときスリッパが邪魔になる。
QPは常に自分が正しいと主張し私の意見は全く聞かない。退職したばかりの頃は話し合えば理解しあえると思っていたが、無駄であることが分かった。ケンカをするのも時間の無駄なので私は何でも同意する。
時には何も分からなくても分かったと言う。今回はそれが裏目に出た。しかし何でも「はいはい分かりました」と言うことは止めない。どちらかといえば賢い対応だからだ。もちろん静かな生活を守る為である。この言葉に効力が無いなんて想定外だ!
「何考えているの?」とQP。
「想定外について…」
「何が?」
「はいはい、分かりました」
「まだ何も言ってないよ」
相変わらずの二人暮らしだが、ときには理不尽な要求を突きつけられることがある。しかし、大したことではないので「はいはい分かりました」と一応は同意するが、内容については忘れてしまう。どうでもいいことなのだから。
2回3回と同じことを言われるが、やはり「はいはい」と言って忘れてしまう。だいたいこんなことを繰り返している内にうやむやに終わるのだが、今度ばかりはQPの対応が違った。実行しなかったら罰金百円を取るというのだ。
「アンタは私の言うことなんか屁とも思っていいないでしょ」と言って怒っている。罰金百円と言われても、はいそうですかと思うだけ。千円なら記憶に残るだろう。一万なら議論になりケンカへと進み。結局は私が負けることになる。ケンカはいつも私の負けで終わることになっているのだ。
私は二人暮らしのコツは、いちいち反発しないで何でも「はいはい」言うことと心得ているので、QPへの返事はいつも「はいはい分かりました」に決めている。ただ理不尽だと思えば実行しない、と言うか忘れてしまうのだ。それでも「はいはい」と同意するのが私の悪いところかも知れない。
今回の要求は、スリッパを玄関より3メートル以上離して置けということだ。つまり靴を履く場所の3メートル前からにスリッパを脱いで歩けと言うこと。理不尽な要求と思ったが大したことでもない。
「はいはい分かりました」
「何回も言っているのにやらないでしょう」
「そうだったんですか。忘れたようですね」
「私の言うことを屁とも思っていないから忘れるんだよ」
「そんなことありません」
「廊下に線を引くからね。それを越えたらダメだよ」

「線ですね。分かりました」
「今度から忘れたら百円取るからね。罰金だよ」
「罰金ですか。厳しいですね」
翌日、「又忘れたでしょ。百円取ったからね」と言われても、小銭を勘定していないので取られたかどうか分からない。やっぱり分かった方がいいので、小銭入れに百円玉を10個入れておいた。これで「罰金」を取られたら直ぐ分かる。我ながら名案だ。
「罰金刑」とは異例の対応なので真摯に受け止めることにした。そこまでするからには何らかの理由があるはずだ。それを知りたい。すっかり事故調査官の様な気分になり、現場を詳細に調べて写真を撮りパソコンに入力して、事故原因を追求。なんだか刑事の様な気分になってきて楽しい。捜査に没頭。
その結果、間取りに問題があることが分かった。玄関の前にスリッパを置くと台所、物置、両方のドアの開け閉めに支障をきたすのだ。スリッパをいろいろな場所にを置いてドアを開閉して検証した。更にQPの家事を真似て台所と物置を行ったり来たりして実況見分。これで捜査は万全だ。

左が物置のドアで右が台所のドア。開閉する度ににスリッパが邪魔。
台所が狭いので台所用品の一部は、物置に置いてあるし、掃除用具、棄てる予定のゴミなども入っている。QPは家事のために二つのドアを頻繁に開閉するのだ。それで怒っている。怒りの罰金にしては百円とは安すぎる。しかし、罰金が引き金になって調査をする気になったのだから効果覿面だ。QPは思ったより賢かった。

台所のドア、物置のドア、それぞれば開けるときスリッパが邪魔になる。
QPは常に自分が正しいと主張し私の意見は全く聞かない。退職したばかりの頃は話し合えば理解しあえると思っていたが、無駄であることが分かった。ケンカをするのも時間の無駄なので私は何でも同意する。
時には何も分からなくても分かったと言う。今回はそれが裏目に出た。しかし何でも「はいはい分かりました」と言うことは止めない。どちらかといえば賢い対応だからだ。もちろん静かな生活を守る為である。この言葉に効力が無いなんて想定外だ!
「何考えているの?」とQP。
「想定外について…」
「何が?」
「はいはい、分かりました」
「まだ何も言ってないよ」
トラックバック(0) |
面白い、拍手です
コマクサ nakapaさん、現場を詳細に調べて写真を撮りパソコンに入力して、事故原因を追求とは・・・ユニーク、そして刑事の様な気分になってきたとはさらに面白いですね。
どうしてこのような面白いエッセイが書けるのでしょう?
読んで想像力が湧き素晴らしい拍手です。
拍手ありがとうございます
pp コマクサさん、こんばんは。拍手ありがとうございます。
訳の分からないことを言われると腹も立つのですが、
こんな作業をしていると気持ちが紛れます。暇人ですね(笑)。
今回は調べた結果QPが嫌がるのももっともだと思いました。
怪我の功名です。
のん子 私も何でスリッパを離すのか解りませんでした。
写真付きで了解出来ましたが(^^ゞ
でもQPさんは、どうしてその理由を口で仰らないんでしょうか?
一番初めに言われた時に聞き流してしまったと言うことはないんですか?
うちは言った、言わない。聞いた、聞かなかったってしょっちゅうなんで。
部屋の仕切りはうちもドアーなんですが、高齢者用には引き戸が良いらしいですよ。
珍しいことなので書きました
pp のん子さん、こんばんは
理由は言ってました。ドアを開けるとき邪魔だというのです。
何となく邪魔なような気もするけれど大したことでないと思っていました。
実際これはチョッとメンドウだと思ったのは、実際にスリッパを置いて、
ドアを開閉したり、台所と物置を行ったり来たりして実験してからです。
しかし、こんなことは珍しいことです。
私が実験したことも、QPが正しかったこともです(笑)。
カスミ草 心に余裕があるから没頭できるんですね
刑事ごっこはどうやら、QPさんに軍配が上がったようですね。
検証の結果、QPさんの気持ちが理解できたPPさん。
素直ですね!
罰金百円というのが、なんとも微笑ましい。
因みに我が家はスリッパ無しの生活です。
スリッパ無しでも、特別不便は感じません。
但しキッチンだけはスリッパ使用。
雑な性格の私はよく水をこぼすので、スリッパなしでは
靴下がいつも濡れてしまうからです。
スリッパ要らないかも知れません
pp カスミ草さん、こんばんは。
いつもは、ハイハイ言っておけば、そのうちウヤムヤになるのです。
かなりシツッコイし罰金まで取られたので、何かまともな理由があると思いました。
いろいろ調べて発見したので棄てるのはもったいなくてブログに書きました。
考えてみればスリッパは要らないですね。
30年くらい前のことですが、踵を痛めまして履くようになりました。
この20年くらい踵を痛めたことないので、もう要らないと思います。
今となっては癖みたいなものです。
コマクサ nakapaさん、現場を詳細に調べて写真を撮りパソコンに入力して、事故原因を追求とは・・・ユニーク、そして刑事の様な気分になってきたとはさらに面白いですね。
どうしてこのような面白いエッセイが書けるのでしょう?
読んで想像力が湧き素晴らしい拍手です。
拍手ありがとうございます
pp コマクサさん、こんばんは。拍手ありがとうございます。
訳の分からないことを言われると腹も立つのですが、
こんな作業をしていると気持ちが紛れます。暇人ですね(笑)。
今回は調べた結果QPが嫌がるのももっともだと思いました。
怪我の功名です。
のん子 私も何でスリッパを離すのか解りませんでした。
写真付きで了解出来ましたが(^^ゞ
でもQPさんは、どうしてその理由を口で仰らないんでしょうか?
一番初めに言われた時に聞き流してしまったと言うことはないんですか?
うちは言った、言わない。聞いた、聞かなかったってしょっちゅうなんで。
部屋の仕切りはうちもドアーなんですが、高齢者用には引き戸が良いらしいですよ。
珍しいことなので書きました
pp のん子さん、こんばんは
理由は言ってました。ドアを開けるとき邪魔だというのです。
何となく邪魔なような気もするけれど大したことでないと思っていました。
実際これはチョッとメンドウだと思ったのは、実際にスリッパを置いて、
ドアを開閉したり、台所と物置を行ったり来たりして実験してからです。
しかし、こんなことは珍しいことです。
私が実験したことも、QPが正しかったこともです(笑)。
カスミ草 心に余裕があるから没頭できるんですね
刑事ごっこはどうやら、QPさんに軍配が上がったようですね。
検証の結果、QPさんの気持ちが理解できたPPさん。
素直ですね!
罰金百円というのが、なんとも微笑ましい。
因みに我が家はスリッパ無しの生活です。
スリッパ無しでも、特別不便は感じません。
但しキッチンだけはスリッパ使用。
雑な性格の私はよく水をこぼすので、スリッパなしでは
靴下がいつも濡れてしまうからです。
スリッパ要らないかも知れません
pp カスミ草さん、こんばんは。
いつもは、ハイハイ言っておけば、そのうちウヤムヤになるのです。
かなりシツッコイし罰金まで取られたので、何かまともな理由があると思いました。
いろいろ調べて発見したので棄てるのはもったいなくてブログに書きました。
考えてみればスリッパは要らないですね。
30年くらい前のことですが、踵を痛めまして履くようになりました。
この20年くらい踵を痛めたことないので、もう要らないと思います。
今となっては癖みたいなものです。
前回の続きだが言いたいことも言えないでいる。「私が紅茶を淹れるのだから、お湯も沸かしたい」と未だに言えないのだ。何だこんなことかとか思うかもしれない。これには深い訳がある。家庭の事情と言ってしまえばそれまでだが…。
ものごとの大小と問題解決の難易度は比例しない。よく観るドラマでは実際に起こりそうもないトンデモナイ試練を夫婦二人で力を合わせて乗り越えている。大きな問題でも対応次第では解決できるのだ。
それと比べて我が家の現実は、小さな問題でも大きくコジれてお互いにいがみ合う。こんなことを2,3回繰り返せば、その話題はタブーとなる。例えば、朝の紅茶は私が淹れているが湯はQPが沸かしている。量が多かったり少なかったり一定しない。これが問題だが、淹れる人が湯を沸かせば簡単に解決できる。しかし、そうは行かない。
「紅茶のお湯は私が沸かします」
「ついでだからやって上げるんだよ。人の好意を無にするんじゃないよ」
「多かったり少なかったりするでしょう」
「男のくせに細かいこと言うんじゃないの」
「もったいないでしょ」
「そんなこと言うなら、もう淹れなくていい!」
いつもこんな風に終わる。こんなことでは言うだけ損だ。
朝っぱらから何とも気まずいことよ。下を向いたり横を見たり、顔を見ないようにして黙々と食べる。味も素っ気もありゃしない。こんなに苦労をするのなら、お湯なんて誰が沸かしてもいい。勝手にしやがれ!
気が付けば今日は、かねてから予約していた北海道電力のアンペア変更工事の日だ。契約アンペアを50Aから40Aに下げた場合、基本料金が年間4,020円安くなるだけではないのである。ブレーカーが落ちないように配慮することが、節電を促すので万単位の効果があるかも知れないのだ。
それはともかく北電さんが来る。これは問題解決のチャンスだ。QPは私の言うことは聞かない。特に台所に関しては絶対に聞かない。しかし外部の人には全幅の信頼を寄せる。身近な私を全く信用しなのに何故だろう。ともかく他人様がやってくる。
これはチャンスだ。北電さんに話してもらおう。彼に調理用のヒーター(IHヒーター)について質問をする。その答えをQPと一緒に聞けばいい。電気関係の技術者の言うことならQPは聞く。私が同じことを話しても絶対に聞かないが…。
北電さんにどんな質問をするか一生懸命考えた。回りくどいかもしれないが、今の状態では私が「お湯」と言えば、QPは間髪いれずに「ダメ!」と言うだろう。不本意ながら、この問題はすでにコジれている。話し合いの余地など全くない。行き詰った国家間の外交交渉のように駆け引きも陰謀も必要な段階に入っている。
北電さんは意外に早くやって来た。簡単な挨拶の後、予め用意した質問をする。もちろん私は答えを知っている。北電さんの答えをQPに聞かせるための質問である。
「ヒーターの上に書いてある数字は何ですか?」
「3キロワット、2キロワット、1・2キロワットです」
「3キロと2キロ、それにレンジを同時使ったら…」
「目一杯使えばブレーカーが落ちるかも知れません。しかし……」
「お忙しいのに余計な質問などしてすみません。どうぞ作業をお願いします」
全部言ってもらっては困る。ブレーカーが落ちると言った瞬間にQPは心配そうな顔をした。これで充分だ。詳しく言えばいろいろあるが、私にとっては「言わぬが花」の部分もあるのだ。
紅茶を料理が出来上がるタイミングで淹れるのは難しい。これをQPに理解してもらうのは無理だから、とりあえず湯を沸かさせてほしかった。この交渉は失敗の連続だったが北電さんのお陰で別なアプローチが可能になった。これにて一件落着だ。
「年に4,000円以上の節電になるのですから、1.2キロも使いましょうね」
「使いにくいから使ってないんだよ」
「それでは私が使いましょう」
北電さんのお陰で年初来の懸念事項が簡単に片付いてしまった。明日の朝から私は紅茶用の湯を沸かすことが出来るのだ。そうすればタイミングよく紅茶を淹れることができる。料理が冷めない内に紅茶を用意できるのが嬉しい。因みにQPはできた順番に並べるだけで冷めることなど全く気にしない。
実は、1.2キロとはラジエントヒーターというもので、いろいろ使い道はあるが、エネルギー効率がやや劣る欠点がある。節電の目的を無にするようなことはしたくない。
しばらく使ったら他のIHヒーターを使うつもりだ。大切なことは古い習慣を止めさせて新しい習慣を作ることである。こうして我が家の改革は忍者のような忍び足で音もなく進む。私は忍者、忍び耐える人に憧れている。
自説を通すのにこれだけの回り道をする。それでもケンカをするよりはましだ。ケンカほど膨大な時間の浪費はない。私に残された時間は少ない。できるだけ有効に使いたい。生きている時間が長いだけではつまらない。
急がば回れ、どんなことでも解決したい意思さえ持ち続ければ、チャンスの方が勝手にやって来る。
「あきれたもんだよ恐妻亭主。オレだったら、一喝して即解決だ」
「QPは倍返し。二喝、返ってきますよ」
「女房はちゃんと躾けてあるから大丈夫!」
「お願いがあります」
「言ってみろ」
「取り替えてくれませんか」
「おい! 何を言う。 お前には常識というものが……」
「心を入れ替えたいのです」
「……やっぱり、ないんだな」
ものごとの大小と問題解決の難易度は比例しない。よく観るドラマでは実際に起こりそうもないトンデモナイ試練を夫婦二人で力を合わせて乗り越えている。大きな問題でも対応次第では解決できるのだ。
それと比べて我が家の現実は、小さな問題でも大きくコジれてお互いにいがみ合う。こんなことを2,3回繰り返せば、その話題はタブーとなる。例えば、朝の紅茶は私が淹れているが湯はQPが沸かしている。量が多かったり少なかったり一定しない。これが問題だが、淹れる人が湯を沸かせば簡単に解決できる。しかし、そうは行かない。
「紅茶のお湯は私が沸かします」
「ついでだからやって上げるんだよ。人の好意を無にするんじゃないよ」
「多かったり少なかったりするでしょう」
「男のくせに細かいこと言うんじゃないの」
「もったいないでしょ」
「そんなこと言うなら、もう淹れなくていい!」
いつもこんな風に終わる。こんなことでは言うだけ損だ。
朝っぱらから何とも気まずいことよ。下を向いたり横を見たり、顔を見ないようにして黙々と食べる。味も素っ気もありゃしない。こんなに苦労をするのなら、お湯なんて誰が沸かしてもいい。勝手にしやがれ!
気が付けば今日は、かねてから予約していた北海道電力のアンペア変更工事の日だ。契約アンペアを50Aから40Aに下げた場合、基本料金が年間4,020円安くなるだけではないのである。ブレーカーが落ちないように配慮することが、節電を促すので万単位の効果があるかも知れないのだ。
それはともかく北電さんが来る。これは問題解決のチャンスだ。QPは私の言うことは聞かない。特に台所に関しては絶対に聞かない。しかし外部の人には全幅の信頼を寄せる。身近な私を全く信用しなのに何故だろう。ともかく他人様がやってくる。
これはチャンスだ。北電さんに話してもらおう。彼に調理用のヒーター(IHヒーター)について質問をする。その答えをQPと一緒に聞けばいい。電気関係の技術者の言うことならQPは聞く。私が同じことを話しても絶対に聞かないが…。
北電さんにどんな質問をするか一生懸命考えた。回りくどいかもしれないが、今の状態では私が「お湯」と言えば、QPは間髪いれずに「ダメ!」と言うだろう。不本意ながら、この問題はすでにコジれている。話し合いの余地など全くない。行き詰った国家間の外交交渉のように駆け引きも陰謀も必要な段階に入っている。
北電さんは意外に早くやって来た。簡単な挨拶の後、予め用意した質問をする。もちろん私は答えを知っている。北電さんの答えをQPに聞かせるための質問である。
「ヒーターの上に書いてある数字は何ですか?」
「3キロワット、2キロワット、1・2キロワットです」
「3キロと2キロ、それにレンジを同時使ったら…」
「目一杯使えばブレーカーが落ちるかも知れません。しかし……」
「お忙しいのに余計な質問などしてすみません。どうぞ作業をお願いします」
全部言ってもらっては困る。ブレーカーが落ちると言った瞬間にQPは心配そうな顔をした。これで充分だ。詳しく言えばいろいろあるが、私にとっては「言わぬが花」の部分もあるのだ。
紅茶を料理が出来上がるタイミングで淹れるのは難しい。これをQPに理解してもらうのは無理だから、とりあえず湯を沸かさせてほしかった。この交渉は失敗の連続だったが北電さんのお陰で別なアプローチが可能になった。これにて一件落着だ。
「年に4,000円以上の節電になるのですから、1.2キロも使いましょうね」
「使いにくいから使ってないんだよ」
「それでは私が使いましょう」
北電さんのお陰で年初来の懸念事項が簡単に片付いてしまった。明日の朝から私は紅茶用の湯を沸かすことが出来るのだ。そうすればタイミングよく紅茶を淹れることができる。料理が冷めない内に紅茶を用意できるのが嬉しい。因みにQPはできた順番に並べるだけで冷めることなど全く気にしない。
実は、1.2キロとはラジエントヒーターというもので、いろいろ使い道はあるが、エネルギー効率がやや劣る欠点がある。節電の目的を無にするようなことはしたくない。
しばらく使ったら他のIHヒーターを使うつもりだ。大切なことは古い習慣を止めさせて新しい習慣を作ることである。こうして我が家の改革は忍者のような忍び足で音もなく進む。私は忍者、忍び耐える人に憧れている。
自説を通すのにこれだけの回り道をする。それでもケンカをするよりはましだ。ケンカほど膨大な時間の浪費はない。私に残された時間は少ない。できるだけ有効に使いたい。生きている時間が長いだけではつまらない。
急がば回れ、どんなことでも解決したい意思さえ持ち続ければ、チャンスの方が勝手にやって来る。
「あきれたもんだよ恐妻亭主。オレだったら、一喝して即解決だ」
「QPは倍返し。二喝、返ってきますよ」
「女房はちゃんと躾けてあるから大丈夫!」
「お願いがあります」
「言ってみろ」
「取り替えてくれませんか」
「おい! 何を言う。 お前には常識というものが……」
「心を入れ替えたいのです」
「……やっぱり、ないんだな」
トラックバック(0) |
カスミ草
数年前、我が家も60Aから50Aにしました。
それでもこの数年間にブレーカーが落ちたのは2度位。
炊飯器、レンジ等 一緒に使える限度が分かってくると、さほど不便は感じません。
「あ~あ今まで 無駄な基本料金払っていたな~」と思ったものでした。
ラジエントヒーターは余熱が結構続きます。
カレーを作る時など、ひと煮立ちしたらスイッチを切ってルーも入れ、そのままにしておくと、ヒーターが冷める頃には食べ頃の柔らかさになっていますよ。
(でも1・2キロでカレーにはちょっと熱量不足かもしれませんが)
明朝から紅茶を淹れるのが楽しみでしょうね。
いろいろ勉強になりました
pp 60アンペアというとオール電化でしょうか。
今日遊びに言ってこの話したら、
戸建ての大きな家なのに10アンペアだそうです。
料理はガスだから大丈夫とか言ってました。
暖房はもちろん灯油。それにしても……。
ラジエントヒーターは、いろいろ使い道があるそうですが、
全然使ってないので私が使うことにしました。
マニュアルにはIH作ったものを
コトコト煮詰めるのにいいと書いてありました。
料理はしないけれど、いろいろ勉強になりました。
のん子 それ、良い方法ですね。
私の(亡)舅がそんな所があって、私が言うことには反対するのですが、それを権威のある人が言ってた風に言うと素直になるので、多いに利用させて頂きました。
国の例え話に、海に飛び込ます方法で、日本人には、「皆さんも飛びこまれましたよ」が面白かったです。
押してもダメなら引いてみよ、とか褒め殺しとかもありますね(^^ゞ
負けるが勝ちですね
PP のん子さんもいろいろ工夫なさっていますね。
働いているときは仕事とか、いわゆる社会が複雑で、
打つ手がないように感じていました。
ところが退職して二人ぐらいになるとテキは一人
しかいないので、すごく単純な社会になるのです。
打つ手がどんどん当たって楽しいです。
相手が一人というのは対応が易しいです。
一言でいえば負けるが勝ちですね。
ホントに勝っちゃうのですから不思議です(笑)。
「おごれる平家は久しからず」。自戒します。
朝食はテレビを消して話しながらとるが、食べるのが遅い私。先に食べ終えたQPは新聞を読みながら喋る。どうやら「きょうの運勢」を読んでいるらしい。
「私の運勢はね積極的に提案をだって、皆を楽しませる工夫が肝要と書いてあるよ」
「そうですか。皆さんにいろんな提案をしているとは知りませんでした」
「いつもしてるじゃない」
「はぁ?」
「ランチだって映画だっていつも私が提案してるでしょ」
なんだ、あの年に数回のお付き合いのことか。確かにその通りだ。私から誘ったことは一度もない。確かにQPが提案をしているが皆にではなく私一人にだ。納得はしないが大筋において事実だから反駁もしない。
QPと私は仲良しでもないし理解しあってもいない。しかし私の希望で「仲良し風」に暮らしている。私はケンカが大キライだから絶対にしないと決めている。QPはケンカが好きかもしれない。恐ろしい事に勝つ快感に酔っているかも知れないのだ。
だから静かでノンビリ暮らすには仕掛けが必要だ。その一つが朝ドラを毎回一緒に観ること。今は「ハナとアン」だったかな。実は番組名もよく覚えてはいないのだ。内容よりも一緒に観る習慣が大切と思っている。もう一つが朝の食事。テレビを消して話しながらとる。
私は自由が大好きだから家では下宿人のように暮らしている。原則として大家さん(QP)とは別行動。食事の時だけ顔を合わせる。もちろん、「いただきます」「ごちそうさま」「美味しいですね」とか作った人への感謝の言葉は欠かさない。
時々「何が美味しかった?」とか聞かれ、返答に困りうろたえたりする。何が美味しいとか、そんな深いことまで考えない。腹が減っていて雰囲気がよければ何を食べても美味いものだ。食事のしたくはQP、私の担当は雰囲気作りである。
私のように家事はしないで「おんぶに抱っこ」で暮らしている人には、守るべきルールがある。それは毎朝その日の予定をQPに知らせること。朝の食卓で予定を話すのは静かな暮らしを守る為の基本中の基本。なぜなら私の行動はQPの家事に影響を与えるからである。
在職中は家族の生活を支えるため基本給として月給、特別給としてボーナスがあった。今は支払い側だが静かな暮らしを守る為に「朝ドラ」と「朝の食卓」がある。これは基本給のようなもの。そして「QPの提案へのお付き合い」、即ち映画とランチについて行くのがボーナスのようなものである。
「そんなこと本気で思っているのか!」
「時は金なりというでしょう。時間はお金と同様に貴重なものです」
「それがどうした」
「朝ドラと食卓で毎日1時間、映画とランチの付き合いが年に35時間でしょう。これが私が支払える時間の限界です」
「1年を時間に直すと8,760時間、朝ドラ・食卓・付き合いの時間を引いても8,360時間もあるぞ。そんな膨大な時間をいったい何に使うというんだ」
「事業です。研究というか暇つぶしというか、とにかく私の夢を実現させたいのです」
「夢って何だ?」
「何でしょうね~。なぜか夢がだんだん増えて来て風船みたいに膨らんで行くのです」
「危ない危ない。後一息でパーンと破裂…」
「シャボン玉のように消えてしまいそうな、はかない夢ですね」

七色の虹を見て中島公園に行く。今日もまた何時もの様に消えてなくなる。
5月25日丘珠空港で中島公園の歴史についてのお話 → 第16回地域歴史講座
「私の運勢はね積極的に提案をだって、皆を楽しませる工夫が肝要と書いてあるよ」
「そうですか。皆さんにいろんな提案をしているとは知りませんでした」
「いつもしてるじゃない」
「はぁ?」
「ランチだって映画だっていつも私が提案してるでしょ」
なんだ、あの年に数回のお付き合いのことか。確かにその通りだ。私から誘ったことは一度もない。確かにQPが提案をしているが皆にではなく私一人にだ。納得はしないが大筋において事実だから反駁もしない。
QPと私は仲良しでもないし理解しあってもいない。しかし私の希望で「仲良し風」に暮らしている。私はケンカが大キライだから絶対にしないと決めている。QPはケンカが好きかもしれない。恐ろしい事に勝つ快感に酔っているかも知れないのだ。
だから静かでノンビリ暮らすには仕掛けが必要だ。その一つが朝ドラを毎回一緒に観ること。今は「ハナとアン」だったかな。実は番組名もよく覚えてはいないのだ。内容よりも一緒に観る習慣が大切と思っている。もう一つが朝の食事。テレビを消して話しながらとる。
私は自由が大好きだから家では下宿人のように暮らしている。原則として大家さん(QP)とは別行動。食事の時だけ顔を合わせる。もちろん、「いただきます」「ごちそうさま」「美味しいですね」とか作った人への感謝の言葉は欠かさない。
時々「何が美味しかった?」とか聞かれ、返答に困りうろたえたりする。何が美味しいとか、そんな深いことまで考えない。腹が減っていて雰囲気がよければ何を食べても美味いものだ。食事のしたくはQP、私の担当は雰囲気作りである。
私のように家事はしないで「おんぶに抱っこ」で暮らしている人には、守るべきルールがある。それは毎朝その日の予定をQPに知らせること。朝の食卓で予定を話すのは静かな暮らしを守る為の基本中の基本。なぜなら私の行動はQPの家事に影響を与えるからである。
在職中は家族の生活を支えるため基本給として月給、特別給としてボーナスがあった。今は支払い側だが静かな暮らしを守る為に「朝ドラ」と「朝の食卓」がある。これは基本給のようなもの。そして「QPの提案へのお付き合い」、即ち映画とランチについて行くのがボーナスのようなものである。
「そんなこと本気で思っているのか!」
「時は金なりというでしょう。時間はお金と同様に貴重なものです」
「それがどうした」
「朝ドラと食卓で毎日1時間、映画とランチの付き合いが年に35時間でしょう。これが私が支払える時間の限界です」
「1年を時間に直すと8,760時間、朝ドラ・食卓・付き合いの時間を引いても8,360時間もあるぞ。そんな膨大な時間をいったい何に使うというんだ」
「事業です。研究というか暇つぶしというか、とにかく私の夢を実現させたいのです」
「夢って何だ?」
「何でしょうね~。なぜか夢がだんだん増えて来て風船みたいに膨らんで行くのです」
「危ない危ない。後一息でパーンと破裂…」
「シャボン玉のように消えてしまいそうな、はかない夢ですね」

七色の虹を見て中島公園に行く。今日もまた何時もの様に消えてなくなる。
5月25日丘珠空港で中島公園の歴史についてのお話 → 第16回地域歴史講座
トラックバック(0) |
のん子 うちも私が攻撃的で夫はじっと嵐が過ぎ去るのを待つタイプです(笑)
テレビは居間にあり、BGM替わりに点いています。
夫が寝てる時は消すのですが、消すと目を開けるのは何ででしょうか?
リモコンはそれぞれが持っていて、見たい時は勝手に変えます。
二人が気持ちを一つにして見てるのは阪神の応援です。
現在3位です(^^)/
日ハムも一緒でしたっけ?
限りなく5位に近い3位
pp 私も不思議に思っているのです。QPがテレビを前にして寝ているので、
テレビを消すと起きてしまうのです。何故でしょうね。分かりません。
阪神と違って日ハムの3位は日替わりでして限りなく5位に近い3位です。
大谷選手の活躍が唯一の見せ場みたいですね。
私は望みどおり静かにノンビリと暮らしている。これは欲しいものを手に入れる為に、全力をもって闘った成果である。ジッと待っていれば、こんな暮らしが天から降ってくると思ったら大間違いだ。
在職中は「私は仕事QPは家事」という明確な分業が成り立っていた。そうこうしている内に待ちに待った定年退職の日がやって来た。「ハッピーリタイアメント、さあノンビリするぞ!」と喜んだのはつかの間。厳しい現実が待っていた。
予期に反して何だかんだと居心地が悪い。しばらくすると自分の立場に気付いて愕然とした。我家はいつの間にかQPの支配下にあり、私の立場は何も知らない新入社員並みになっていた。今頃気付いても手遅れだ。どうしよう?
しかし、こんなことで負けてはいられない「家でノンビリ」は長年の夢。どうしても譲れない一線だ。創意と工夫でこの難局を打開しようと決心した。たかがQPの尻の下から脱出するくらいで、難局だの決心だの大袈裟と思うかもしれない。しかし、物事は踏み出しが肝心だ。全ての作戦の失敗は敵を甘くみることから始まっている。
ノンビリした暮らしが簡単に手にできるなら、皆やっている。しかし現実は違う。憎みあい、疑いあい、睨みあい、喧嘩をする。ノンビリ出来る時間などほとんど無い。他人様はいざ知らず、少なくとも私の場合はそんな状況だった。
仕事と家事の分業時代が終ったのだ。希望としては「私はノンビリ、QPは家事」だが、余りにも一方的で無理かも知れない。しかし諦めてもいない。無理を通すには、それなりの知恵が必要。それを私は作戦と呼ぶ。
半年もすると、二人暮らしのコツも身についてきた。「嫌・駄目・出来ない、はご法度」。何も一生懸命やることはない。とりあえずは「うんうん、それもいいね」と言っておけば、万事OKだ。
「仕事を止めたんだから、家事は半々にしようね」と言われてもビックリすることはない。「うんうん、それもいいね」と言って置けばいいのだ。
別に、何時からと言われた訳ではない。「うんうん、いいね」で充分である。しかし、「明日からやってよ」と言われたら、少々知恵を絞らなければならない。戦略的思考が必要となってくる。私は長い時間をかけて人を騙す方法を戦略と呼んでいる。
「うんうん、いいね」は決まり文句だから、そのままで良い。難しいのは後半だ。間違っても「出来ない」とは言ってはいけない。そんなこと言ったら最後、厳しい訓練が待っている。QPは決して甘くはないのだ。
「明日、あさっては予定があるので3日後からやります」と、とりあえずは先送りする。3日後に同じことを言ってくることはない。QPは忘れっぽいのだ。敵の弱点は充分研究してある。あえて明かさないが自分の弱点も心得ている。
「己を知り、相手を知れば百戦危うからず」。ごぞんじ孫子の兵法。
QPの事を知り自分を知っている私は、負けることは無い。たとえ相手を知らなくても自分を知っているので、悪くても引き分けに持ち込むことは出来る。
可哀想にQPは自分を知らない。それに何時も自分の主張を押し通すから私が何を考えているかも分からない。これでは勝てるわけがないが、自業自得である。
ところで、不思議なことが一つある。負けているはずのQPは、いつも機嫌よく幸せそうに暮らしている。私よりよく喋り、よく笑うのだ。何が楽しくて笑うのかサッパリ分からない。知っているのは電話の相手だけである。
私は闘いに勝ち、ノンビリした生活を手に入れた。目的を達成したのに何となく物足りない。「負けるが勝ち」かな? いったいドッチが勝ったのだ!
そもそも闘う目的が間違っていたのか? 新たな疑問がわいてきて悶々としている。
2014年5月25日 札幌丘珠空港の地域歴史講座で中島公園の話をします
当ブログの管理人が僭越ながら丘珠空港で中島公園の歴史について語ります。引き受けたものの、お客さんが誰も来ないのではないかと心配しています。ノンビリ生きているように見えても悩みの種は尽きないのです。
「無料ですよ~」。 当たり前だ! とか言わないで時間と人情のある方は、ぜひ来てください。楽しいコンサートや、稚内・利尻直送の産直市もあるんですよ。おまけに「スカイショップおかだま」はこの日に限り5%Off! 空港レストラン・丘珠キッチンでも、この日に限り特別メニュー提供中!
詳細はこちらをクリック! → 5月25日(日)は札幌丘珠空港へ
在職中は「私は仕事QPは家事」という明確な分業が成り立っていた。そうこうしている内に待ちに待った定年退職の日がやって来た。「ハッピーリタイアメント、さあノンビリするぞ!」と喜んだのはつかの間。厳しい現実が待っていた。
予期に反して何だかんだと居心地が悪い。しばらくすると自分の立場に気付いて愕然とした。我家はいつの間にかQPの支配下にあり、私の立場は何も知らない新入社員並みになっていた。今頃気付いても手遅れだ。どうしよう?
しかし、こんなことで負けてはいられない「家でノンビリ」は長年の夢。どうしても譲れない一線だ。創意と工夫でこの難局を打開しようと決心した。たかがQPの尻の下から脱出するくらいで、難局だの決心だの大袈裟と思うかもしれない。しかし、物事は踏み出しが肝心だ。全ての作戦の失敗は敵を甘くみることから始まっている。
ノンビリした暮らしが簡単に手にできるなら、皆やっている。しかし現実は違う。憎みあい、疑いあい、睨みあい、喧嘩をする。ノンビリ出来る時間などほとんど無い。他人様はいざ知らず、少なくとも私の場合はそんな状況だった。
仕事と家事の分業時代が終ったのだ。希望としては「私はノンビリ、QPは家事」だが、余りにも一方的で無理かも知れない。しかし諦めてもいない。無理を通すには、それなりの知恵が必要。それを私は作戦と呼ぶ。
半年もすると、二人暮らしのコツも身についてきた。「嫌・駄目・出来ない、はご法度」。何も一生懸命やることはない。とりあえずは「うんうん、それもいいね」と言っておけば、万事OKだ。
「仕事を止めたんだから、家事は半々にしようね」と言われてもビックリすることはない。「うんうん、それもいいね」と言って置けばいいのだ。
別に、何時からと言われた訳ではない。「うんうん、いいね」で充分である。しかし、「明日からやってよ」と言われたら、少々知恵を絞らなければならない。戦略的思考が必要となってくる。私は長い時間をかけて人を騙す方法を戦略と呼んでいる。
「うんうん、いいね」は決まり文句だから、そのままで良い。難しいのは後半だ。間違っても「出来ない」とは言ってはいけない。そんなこと言ったら最後、厳しい訓練が待っている。QPは決して甘くはないのだ。
「明日、あさっては予定があるので3日後からやります」と、とりあえずは先送りする。3日後に同じことを言ってくることはない。QPは忘れっぽいのだ。敵の弱点は充分研究してある。あえて明かさないが自分の弱点も心得ている。
「己を知り、相手を知れば百戦危うからず」。ごぞんじ孫子の兵法。
QPの事を知り自分を知っている私は、負けることは無い。たとえ相手を知らなくても自分を知っているので、悪くても引き分けに持ち込むことは出来る。
可哀想にQPは自分を知らない。それに何時も自分の主張を押し通すから私が何を考えているかも分からない。これでは勝てるわけがないが、自業自得である。
ところで、不思議なことが一つある。負けているはずのQPは、いつも機嫌よく幸せそうに暮らしている。私よりよく喋り、よく笑うのだ。何が楽しくて笑うのかサッパリ分からない。知っているのは電話の相手だけである。
私は闘いに勝ち、ノンビリした生活を手に入れた。目的を達成したのに何となく物足りない。「負けるが勝ち」かな? いったいドッチが勝ったのだ!
そもそも闘う目的が間違っていたのか? 新たな疑問がわいてきて悶々としている。
2014年5月25日 札幌丘珠空港の地域歴史講座で中島公園の話をします
当ブログの管理人が僭越ながら丘珠空港で中島公園の歴史について語ります。引き受けたものの、お客さんが誰も来ないのではないかと心配しています。ノンビリ生きているように見えても悩みの種は尽きないのです。
「無料ですよ~」。 当たり前だ! とか言わないで時間と人情のある方は、ぜひ来てください。楽しいコンサートや、稚内・利尻直送の産直市もあるんですよ。おまけに「スカイショップおかだま」はこの日に限り5%Off! 空港レストラン・丘珠キッチンでも、この日に限り特別メニュー提供中!
詳細はこちらをクリック! → 5月25日(日)は札幌丘珠空港へ
トラックバック(0) |
のん子 定年後の夫婦像って千差万別なんでしょうけど、よそ様のお話を伺うのは興味があります(^^)
皆さん、それぞれに小競り合いを繰り返しながら、その家に合った方法で収まっているようですね。
男性でも偶には料理好きだったり、掃除好きだったりの方もおられるようですが、大体は家事には向いてませんね~。
うちも結局、買い物に一緒に行く位で、もう諦めました。
その代わり、家事に文句は言いませんので、超簡単手抜き家事にしてしまいました。
夫婦間では会話は少ないのですが、老人会の間ではラブラブ夫婦で通っているらしいので苦笑しております。
ppさんご夫婦もラブラブに見えますよ(^_-)-☆
よそ様の家庭内事情に興味津々
pp 私もよそ様の家庭内事情には興味津々ですが、誰も話してくれません。
呼び水として、いろいろ書いていますが、何の反応もありません。
ちょっとだけですが内情を知らせてくれて、有り難うございます。
ラブラブ夫婦とは羨ましいような大変のようないろいろ難しいですね(笑)。
最近、いわゆる「良妻賢母」を心から尊敬するようになった。複雑怪奇な「家族舟」を長きにわたって巧みに操る技は尊敬に値する。二人だけの夫婦舟でさえ大過なく操るのは難しい。経験して初めて知った。
定年退職後の二人暮らしは最悪だった。試行錯誤を重ねた上で絶対服従と決めた。これが唯一の解決法と悟ったからだ。成功間違いなしと確信して始めたことだが苦しい。なかなか成果が見えないから苦しいのだ。
2年間の我慢の結果、私の仮説は正しいことが証明された。望み通り静かでノンビリした暮らしを獲得することが出来たのである。この間、何回もくじけそうになった。そのとき助けになったのが、ラジオで聴いたことしかないAさんの存在だった。
Aさんは70代の女性理論物理学者。アモルファス研究の第一人者として世界的に活躍している。そのような立派な方でも、家庭では苦労していた時期があったと言う。結婚して3人の子宝に恵まれたが、夫は家事・育児の一切をやらない。当然言い争いになるが、彼女は屈服(したふりを)して家事・育児の全て引き受けながら研究を続け偉大な物理学者になった。
その時、Aさんが悟ったことは「家の中で喧嘩をしていたら研究する時間がなくなる」ということ。Aさんは、自分が一番したいことは研究だから喧嘩は何としても避けなければならないと考えた。
ところで、私が一番にしたいことは何か。いうまでもなく「静かでノンビリした暮らし」である。それが活動の源泉となり生きる目標を生み出してくれる。外で苦労をするのはいいが家の中では穏やかに暮らすべきだろう。私にとって家庭とは休養して英気を養う場所である。決して闘う場所ではない。
よく世の中は理屈どおりには行かないと言われるが、私は先ず理屈を試したい。たとえ我慢と忍従の日々が続くとしても試してみたかった。2年間は過ぎてみれば短いが、そこに至る道のりは思ったより険しかった。 しかし、私は幸せ者。静かな暮らしなど一生縁のない人が五万と居るだろう。

のんびり暮らしていると、ちょっとしたことでも幸せを感じる。久しぶりに遠くの友人に会うので、少しいい格好をして出かけた。電車に乗ったが席がないので立って居たら、若者が席を譲ってくれた。
こりゃ有り難いとは思ったが、二人がけシートの窓際には若い女性が座っている。一瞬躊躇したが彼女は笑顔で座るように促してくれた。今日もまた見知らぬ二人に幸せをもらってしまった。生かされていることに感謝する日々が続いている。
幸せだからと言って、すべての疑問まで消え去る訳ではない。その疑問とは?
私は出来るだけ良い格好をし、帽子を目深にかぶりマスクをしていた。目だけしか見えないはずだ。だから、空港行きの快速「エアポート」の車中では、出張中のビジネスマンに見えてもいいはずではないか。
それなのになぜ?
定年退職後の二人暮らしは最悪だった。試行錯誤を重ねた上で絶対服従と決めた。これが唯一の解決法と悟ったからだ。成功間違いなしと確信して始めたことだが苦しい。なかなか成果が見えないから苦しいのだ。
2年間の我慢の結果、私の仮説は正しいことが証明された。望み通り静かでノンビリした暮らしを獲得することが出来たのである。この間、何回もくじけそうになった。そのとき助けになったのが、ラジオで聴いたことしかないAさんの存在だった。
Aさんは70代の女性理論物理学者。アモルファス研究の第一人者として世界的に活躍している。そのような立派な方でも、家庭では苦労していた時期があったと言う。結婚して3人の子宝に恵まれたが、夫は家事・育児の一切をやらない。当然言い争いになるが、彼女は屈服(したふりを)して家事・育児の全て引き受けながら研究を続け偉大な物理学者になった。
その時、Aさんが悟ったことは「家の中で喧嘩をしていたら研究する時間がなくなる」ということ。Aさんは、自分が一番したいことは研究だから喧嘩は何としても避けなければならないと考えた。
ところで、私が一番にしたいことは何か。いうまでもなく「静かでノンビリした暮らし」である。それが活動の源泉となり生きる目標を生み出してくれる。外で苦労をするのはいいが家の中では穏やかに暮らすべきだろう。私にとって家庭とは休養して英気を養う場所である。決して闘う場所ではない。
よく世の中は理屈どおりには行かないと言われるが、私は先ず理屈を試したい。たとえ我慢と忍従の日々が続くとしても試してみたかった。2年間は過ぎてみれば短いが、そこに至る道のりは思ったより険しかった。 しかし、私は幸せ者。静かな暮らしなど一生縁のない人が五万と居るだろう。

のんびり暮らしていると、ちょっとしたことでも幸せを感じる。久しぶりに遠くの友人に会うので、少しいい格好をして出かけた。電車に乗ったが席がないので立って居たら、若者が席を譲ってくれた。
こりゃ有り難いとは思ったが、二人がけシートの窓際には若い女性が座っている。一瞬躊躇したが彼女は笑顔で座るように促してくれた。今日もまた見知らぬ二人に幸せをもらってしまった。生かされていることに感謝する日々が続いている。
幸せだからと言って、すべての疑問まで消え去る訳ではない。その疑問とは?
私は出来るだけ良い格好をし、帽子を目深にかぶりマスクをしていた。目だけしか見えないはずだ。だから、空港行きの快速「エアポート」の車中では、出張中のビジネスマンに見えてもいいはずではないか。
それなのになぜ?
トラックバック(0) |
良妻賢母の心の内は?
カスミ草 「良妻賢母」と言われる人って、やはり存在するのでしょうね。
私なら良妻賢母と言われなくても良いから、一度だけの人生、自分の地を出して生きて行きたいです。
2年間ものPPさんの頑張り(?)は尊敬しちゃいます。
私にはとても真似できませんから。
出張中のビジネスマンを装っても、若者に「席を譲らなければ」という何がしかのオーラを、PPさんが発していたのかしらね~。
座りたいオーラ
pp ケンカすれば必ず負ける弱い人間です。
尊敬されると言われると恥ずかしい限りです。
勝てるとも思えないけれど、勝ちたくもありません。
だけど負けたくありません。仕方ないでしょ(笑)。
人に親切にされると嬉しいですね。
だけど少し離れて格好好く立っていたつもりです。
分かるんでしょうね。
「座りたいオーラ」が身体全体から猛烈に発散
されていたかも知れません。
自律神経でしょうね。
No title
空見 こんばんは。
顔が隠れていたとしても、体全体の雰囲気で、若いかそうでないかは分りますね、不思議ですけど。
やはり筋肉の感じですかね、歩き方とかもね、うちの近所は軒並み70才~80才ですが、やはり65才を過ぎた頃からめっきりとお爺さん、お婆さんに見えます。
おそらく自分が思っているよりも、他人の眼から見たら10才くらいは年上に思われているかもしれません。
PPさん、望みどおりの穏やかな生活は良いですが、筋肉が衰えないようにがんばってください。
人を観る目は凄いです!
pp そう言えば、いつも会っている70代の男性ですが、待ち合わせの時、
街中で姿を見たとき、まさに老人でしたね。20歳くらい老けて見えました。
近くで見て話し出すと元に戻るから不思議です。
人を観る人間の目って凄いですね。一瞬で見抜くのです。
筋肉ももちろんありますが、その時は冬で着膨れ状態でした。
姿勢と動作もあるのでしょうね。あ~、嫌だイヤだ(笑)。
巧みに操る夫婦船
piroko PP さんおはようございます。
夫婦船は何が起ころうと二人そろっているからこそですよね。新しく衣替えしたブログ読みやすくなりました、一人では何も起きない一人暮らし、程よい刺激を与えてくださいまして有難うございます。
読み易いとは嬉しいです
pp piroko さんおはようございます。
訪問ありがとうございます。
読みやすくなったと言われると嬉しいですね。
100以上のテンプレートをチェックして、
その中で一番読みやすいのを選びました。
カスミ草 「良妻賢母」と言われる人って、やはり存在するのでしょうね。
私なら良妻賢母と言われなくても良いから、一度だけの人生、自分の地を出して生きて行きたいです。
2年間ものPPさんの頑張り(?)は尊敬しちゃいます。
私にはとても真似できませんから。
出張中のビジネスマンを装っても、若者に「席を譲らなければ」という何がしかのオーラを、PPさんが発していたのかしらね~。
座りたいオーラ
pp ケンカすれば必ず負ける弱い人間です。
尊敬されると言われると恥ずかしい限りです。
勝てるとも思えないけれど、勝ちたくもありません。
だけど負けたくありません。仕方ないでしょ(笑)。
人に親切にされると嬉しいですね。
だけど少し離れて格好好く立っていたつもりです。
分かるんでしょうね。
「座りたいオーラ」が身体全体から猛烈に発散
されていたかも知れません。
自律神経でしょうね。
No title
空見 こんばんは。
顔が隠れていたとしても、体全体の雰囲気で、若いかそうでないかは分りますね、不思議ですけど。
やはり筋肉の感じですかね、歩き方とかもね、うちの近所は軒並み70才~80才ですが、やはり65才を過ぎた頃からめっきりとお爺さん、お婆さんに見えます。
おそらく自分が思っているよりも、他人の眼から見たら10才くらいは年上に思われているかもしれません。
PPさん、望みどおりの穏やかな生活は良いですが、筋肉が衰えないようにがんばってください。
人を観る目は凄いです!
pp そう言えば、いつも会っている70代の男性ですが、待ち合わせの時、
街中で姿を見たとき、まさに老人でしたね。20歳くらい老けて見えました。
近くで見て話し出すと元に戻るから不思議です。
人を観る人間の目って凄いですね。一瞬で見抜くのです。
筋肉ももちろんありますが、その時は冬で着膨れ状態でした。
姿勢と動作もあるのでしょうね。あ~、嫌だイヤだ(笑)。
巧みに操る夫婦船
piroko PP さんおはようございます。
夫婦船は何が起ころうと二人そろっているからこそですよね。新しく衣替えしたブログ読みやすくなりました、一人では何も起きない一人暮らし、程よい刺激を与えてくださいまして有難うございます。
読み易いとは嬉しいです
pp piroko さんおはようございます。
訪問ありがとうございます。
読みやすくなったと言われると嬉しいですね。
100以上のテンプレートをチェックして、
その中で一番読みやすいのを選びました。
私は素人役者の真似事をしている。実は家の中で一人芝居をやっているのだ。観客はQPだけだが彼女は私が芝居をしていることに気付いていない。だから完全なる一人芝居だ。バカみたいと思われるかも知れないが、楽しくて止められない。私は船長、夫婦舟の安全運航に責任を負っているのだから悪いとは思わない。
「この川がどこへ流れてゆこうとも 岸を離れた夫婦舟♪ (作詞:荒川利夫)」
で、始まる「夫婦舟」は三笠優子さんが歌っている。歌詞を読んで共感できる部分は、"どこへ流れてゆこうとも岸を離れた夫婦舟"。一方、本当かなと思うのは"涙をふき合う貴方がいるわ"のフレーズである。こんなことは一度もなかった。いつも一人で泣いていた。
愛しあって夫婦になる人は少ないと思う。結婚したい人がそこに居たから一緒になったのだ。これはお互い様である。当時は20代後半までに結婚するのが当たり前だった。「一人口は食えぬが二人口は食える」と言われていたし「永久就職」という言葉もあった。それほど普通で当たり前のことだったのだ
結婚すれば家族手当ももらえるし、今と違って住宅難の時代に社宅等の住居まで与えられた。しかも、子供がいないと老後の暮らしが心配な社会情勢だった。福祉の代わりに子供を頼りにする時代、「子無しなら野垂れ死を覚悟しろ」と脅かす人さえ居た。
こんな時代に私たちの夫婦舟は出航して、社会という大海原を漂うことになった。やがて子が生まれ家族舟、そして子は独立し再び夫婦舟となる。岸を離れた夫婦舟はどこに流れて行こうとも一緒に乗って行くより仕方がない。運命共同体ではあるが愛し合っているわけでもない。ただ何となく二人暮らし。
古くなった夫婦舟はオイルが切れてガタが来ている。かなり乗り心地が悪いけれど行くべき港もなく何処となく彷徨う。いっそう海にでも飛び込むかと、悶々としながら航海を続ける哀れなPP、多分QPも。そんな時に私は肺炎に罹り入院する羽目になった。2ヶ月間の入院生活は私にじっくり考える時間を与えてくれた。
法的なこと、経済や健康上のこと、あらゆる面から検討したが、夫婦舟からの脱出はリスクが大きすぎるとの結論に至った。残された道はただ一つ、乗り心地を好くする事である。詳細については前々回の「今は幸せかい」に書いたので省略する。
結論として言えることは、高齢になったら自分も相手も変えられない。しかし、変わったように見せかけることは出来る。つまり演じることはできるのだ。ならば相手に気に入られるように演じればよい。そうすれば腹の中はともかく、うわべだけは仲良しになり静かな暮らしができる。
肝心なのは目的である。それを忘れたら演じている内に別人になってしまう。それでは何の為に生きているか分からない。人は皆、ある目的をもって生きている。生きると言うことは決して演じることではない。手段の為に目的を忘れてはいけないと自戒している。

札幌市中島公園菖蒲池 2012年6月28日撮影
「ほ~ぉ、自戒しているのかい」
「なんだか詐欺師になったような気がするのです」
「違う自分を信じさせているんだから立派な詐欺だよ」
「嫌ですね~」
「嫌なら止めればいいだろう」
「いつの間にか役者の気分になっちゃったのです」
「だから、その気分を変えろと言ってるんだよ」
「ところが、そうは行かないのです」
「なんで?」
「役者は3日やったら辞められないと言うでしょ」
「この川がどこへ流れてゆこうとも 岸を離れた夫婦舟♪ (作詞:荒川利夫)」
で、始まる「夫婦舟」は三笠優子さんが歌っている。歌詞を読んで共感できる部分は、"どこへ流れてゆこうとも岸を離れた夫婦舟"。一方、本当かなと思うのは"涙をふき合う貴方がいるわ"のフレーズである。こんなことは一度もなかった。いつも一人で泣いていた。
愛しあって夫婦になる人は少ないと思う。結婚したい人がそこに居たから一緒になったのだ。これはお互い様である。当時は20代後半までに結婚するのが当たり前だった。「一人口は食えぬが二人口は食える」と言われていたし「永久就職」という言葉もあった。それほど普通で当たり前のことだったのだ
結婚すれば家族手当ももらえるし、今と違って住宅難の時代に社宅等の住居まで与えられた。しかも、子供がいないと老後の暮らしが心配な社会情勢だった。福祉の代わりに子供を頼りにする時代、「子無しなら野垂れ死を覚悟しろ」と脅かす人さえ居た。
こんな時代に私たちの夫婦舟は出航して、社会という大海原を漂うことになった。やがて子が生まれ家族舟、そして子は独立し再び夫婦舟となる。岸を離れた夫婦舟はどこに流れて行こうとも一緒に乗って行くより仕方がない。運命共同体ではあるが愛し合っているわけでもない。ただ何となく二人暮らし。
古くなった夫婦舟はオイルが切れてガタが来ている。かなり乗り心地が悪いけれど行くべき港もなく何処となく彷徨う。いっそう海にでも飛び込むかと、悶々としながら航海を続ける哀れなPP、多分QPも。そんな時に私は肺炎に罹り入院する羽目になった。2ヶ月間の入院生活は私にじっくり考える時間を与えてくれた。
法的なこと、経済や健康上のこと、あらゆる面から検討したが、夫婦舟からの脱出はリスクが大きすぎるとの結論に至った。残された道はただ一つ、乗り心地を好くする事である。詳細については前々回の「今は幸せかい」に書いたので省略する。
結論として言えることは、高齢になったら自分も相手も変えられない。しかし、変わったように見せかけることは出来る。つまり演じることはできるのだ。ならば相手に気に入られるように演じればよい。そうすれば腹の中はともかく、うわべだけは仲良しになり静かな暮らしができる。
肝心なのは目的である。それを忘れたら演じている内に別人になってしまう。それでは何の為に生きているか分からない。人は皆、ある目的をもって生きている。生きると言うことは決して演じることではない。手段の為に目的を忘れてはいけないと自戒している。

札幌市中島公園菖蒲池 2012年6月28日撮影
「ほ~ぉ、自戒しているのかい」
「なんだか詐欺師になったような気がするのです」
「違う自分を信じさせているんだから立派な詐欺だよ」
「嫌ですね~」
「嫌なら止めればいいだろう」
「いつの間にか役者の気分になっちゃったのです」
「だから、その気分を変えろと言ってるんだよ」
「ところが、そうは行かないのです」
「なんで?」
「役者は3日やったら辞められないと言うでしょ」
トラックバック(0) |
船長 がんばって!
カスミ草 PPさんが安全運航の責任を自覚しているのですもの、QPさんは安心して
夫婦船に乗っていらっしゃる事でしょう。
それにしてもPPさんはいつも笑わせてくれます。
「いつも一人で男泣き」には笑っちゃいました。
今の時代は子供に頼らず、何とか自力で生きていこうと考える人が
大半なのでしょうね。
私もそうしたいと思っている一人です。
オイルが切れガタがきているのは我々の身体も同じ。
自分の心身の健康にも気を配って、安全運航ガンバッテ~。
安全運航に頑張ります
PP 応援ありがとう。安全運航に頑張ります。
一人で泣いているのは私だけじゃあないから普通に泣いています(笑)。
読んで笑ってもらえれば嬉しいですね。
そうですね。私も子供に面倒掛けないように色々準備しています。
身体についてはお互いに気をつけて長生きしましょう。
カスミ草 PPさんが安全運航の責任を自覚しているのですもの、QPさんは安心して
夫婦船に乗っていらっしゃる事でしょう。
それにしてもPPさんはいつも笑わせてくれます。
「いつも一人で男泣き」には笑っちゃいました。
今の時代は子供に頼らず、何とか自力で生きていこうと考える人が
大半なのでしょうね。
私もそうしたいと思っている一人です。
オイルが切れガタがきているのは我々の身体も同じ。
自分の心身の健康にも気を配って、安全運航ガンバッテ~。
安全運航に頑張ります
PP 応援ありがとう。安全運航に頑張ります。
一人で泣いているのは私だけじゃあないから普通に泣いています(笑)。
読んで笑ってもらえれば嬉しいですね。
そうですね。私も子供に面倒掛けないように色々準備しています。
身体についてはお互いに気をつけて長生きしましょう。
「許さない間は相手の支配下にある。自由になるために『思いを断ち切ること』が大切」。ノートルダム清心学園理事長、渡辺和子さんの言葉である。なぜか人格者の言葉は利己主義者である私の考えに一致するところがある。まことにまことに小さな話で恐縮だが、私がいかにしてQPの支配から脱出して自由になったかを振り返りたいと思う。
去年結婚した息子は新妻にこう言った。
「私の両親のような夫婦になりたいと思う」
QPが息子の妻から聞いたとか言って、とても喜んでいた。私はもっともっと喜んだ。
この世は舞台のようなものだと思っている。そして人は皆役者、その中で私は優しく思いやりのある人を演じているつもりだ。その演技が息子という観客に認められたのだからこんな嬉しいことはない。
QPを理解して優しい人になろうと努力をしていた時期もあった。意見が対立しても優しく丁寧に説明すれば分かってもらえると信じていたが、ことごとく失敗した。定年後一緒に暮らして初めて分かったのだが、QPは人の話を全く聞かずに自己主張する人だった。
すべての努力は水泡に帰した。押してもダメだったから引いてみることにした。ホンモノの優しく思いやりのある人になることには諦めたが、まだ打つ手はある。それは「優しい人」を演じることである。 その目的はQPの支配下から脱出して自由になることである。
遅まきながら世の中の見方を変えた。この世は舞台私は役者と思うことにした。自分の性格では強い人は無理なので、それほど好きでもない優しい人を選んだ。何となく演じ易いような気がしたからだ。
最初は、なかなか上手く行かない。今までより更に優しく丁寧に説明しようと思っても、「アンタは間違っている」のひと言でさえぎられてしまう。口先だけの演技ではダメだと悟った。
成長の可能性も更生の見込みの無い二人が、ケンカをし続けても何も得るものはなく失うばかりだ。これに気付いたのはおよそ4年前、今度こそは身体全体で演技して優しい人間のように思い込ませようと決心した。
肝心なのは自分が優しい人になることではなく優しい人と思わせることだ。やるべきことが分かれば後は簡単。計画を立てて、予定通り実行し、成果を確認すればよい。先ず具体的に実行すべきことを決めた。
1.我慢する。
聞く耳を持たないQPに丁寧に説明するのはムダ。我慢しなければ優しい人は演じられない。
2.QPには何も期待しない。
期待は不満の元でありケンカの原因にもなる。期待できない人に期待する過ちを犯さない。
3.挨拶をする。
言葉抜きで優しい人を演じることは不可能。一番簡単な言葉は挨拶と思う。短くて効果的。
ひたすら自分の幸せだけを考えて、上の3項目を唱えつつ実行した。もう一つ付け加えるなら、相手の幸せを考えると自分が不幸になる場合が多い。そもそも自分が不幸なのに相手の幸せを考えるなど間違っている。
我慢する、期待しない、挨拶する、と言っても毎日確実に実行するとなるとかなり苦しい。一日に何回も挫折しそうになる。しかも効果が見えてきたのは実行後6ヶ月もたってからだ。何とか「優しい人」を演じきれたと確信したのは2年もたった頃である。まさに茨の道だがやり抜けば極楽が待っている。
挫折したときに唱えたのは三つの呪文。「すべて良くなる」「困ったことは起こらない」「嫌なことは考えない」。良くないことも困ったことも必ず起こる。しかし起こる前から心配していたら、一生心配しながら生きなければならない。
しかも良くないことも困ったことも千差万別、対応法も無限にある。起きてから考えるのが最良の対処方法と思う。転ばぬ先の杖とはいうけれど程度の問題である。心配の範囲を無限大に広げてどうしようというのだ。「百害あって一利なし」ではないか。
ところで、人命を失い経済を破壊する戦争は絶対に避けなければならない。またまた小さい話で恐縮だが二人暮らしならケンカは絶対に避けなければならない。新聞に書いてあるような悲惨な結果を招くこともあるし、それほどではなくても時間と金を限りなく浪費する無駄の極致とも言える。
QPとのケンカに勝ちたいという思いを断ち切って3年。半年で効果が見え2年で自由を獲得した。以後静かに楽しく暮らしている。砂上の楼閣と言われてもいい。今が幸せならそれで充分だ。過去も現在も存在しない。今生きているだけである。なぜならば、万物は一秒前に戻れないし一秒先にも進めない。
去年結婚した息子は新妻にこう言った。
「私の両親のような夫婦になりたいと思う」
QPが息子の妻から聞いたとか言って、とても喜んでいた。私はもっともっと喜んだ。
この世は舞台のようなものだと思っている。そして人は皆役者、その中で私は優しく思いやりのある人を演じているつもりだ。その演技が息子という観客に認められたのだからこんな嬉しいことはない。
QPを理解して優しい人になろうと努力をしていた時期もあった。意見が対立しても優しく丁寧に説明すれば分かってもらえると信じていたが、ことごとく失敗した。定年後一緒に暮らして初めて分かったのだが、QPは人の話を全く聞かずに自己主張する人だった。
すべての努力は水泡に帰した。押してもダメだったから引いてみることにした。ホンモノの優しく思いやりのある人になることには諦めたが、まだ打つ手はある。それは「優しい人」を演じることである。 その目的はQPの支配下から脱出して自由になることである。
遅まきながら世の中の見方を変えた。この世は舞台私は役者と思うことにした。自分の性格では強い人は無理なので、それほど好きでもない優しい人を選んだ。何となく演じ易いような気がしたからだ。
最初は、なかなか上手く行かない。今までより更に優しく丁寧に説明しようと思っても、「アンタは間違っている」のひと言でさえぎられてしまう。口先だけの演技ではダメだと悟った。
成長の可能性も更生の見込みの無い二人が、ケンカをし続けても何も得るものはなく失うばかりだ。これに気付いたのはおよそ4年前、今度こそは身体全体で演技して優しい人間のように思い込ませようと決心した。
肝心なのは自分が優しい人になることではなく優しい人と思わせることだ。やるべきことが分かれば後は簡単。計画を立てて、予定通り実行し、成果を確認すればよい。先ず具体的に実行すべきことを決めた。
1.我慢する。
聞く耳を持たないQPに丁寧に説明するのはムダ。我慢しなければ優しい人は演じられない。
2.QPには何も期待しない。
期待は不満の元でありケンカの原因にもなる。期待できない人に期待する過ちを犯さない。
3.挨拶をする。
言葉抜きで優しい人を演じることは不可能。一番簡単な言葉は挨拶と思う。短くて効果的。
ひたすら自分の幸せだけを考えて、上の3項目を唱えつつ実行した。もう一つ付け加えるなら、相手の幸せを考えると自分が不幸になる場合が多い。そもそも自分が不幸なのに相手の幸せを考えるなど間違っている。
我慢する、期待しない、挨拶する、と言っても毎日確実に実行するとなるとかなり苦しい。一日に何回も挫折しそうになる。しかも効果が見えてきたのは実行後6ヶ月もたってからだ。何とか「優しい人」を演じきれたと確信したのは2年もたった頃である。まさに茨の道だがやり抜けば極楽が待っている。
挫折したときに唱えたのは三つの呪文。「すべて良くなる」「困ったことは起こらない」「嫌なことは考えない」。良くないことも困ったことも必ず起こる。しかし起こる前から心配していたら、一生心配しながら生きなければならない。
しかも良くないことも困ったことも千差万別、対応法も無限にある。起きてから考えるのが最良の対処方法と思う。転ばぬ先の杖とはいうけれど程度の問題である。心配の範囲を無限大に広げてどうしようというのだ。「百害あって一利なし」ではないか。
ところで、人命を失い経済を破壊する戦争は絶対に避けなければならない。またまた小さい話で恐縮だが二人暮らしならケンカは絶対に避けなければならない。新聞に書いてあるような悲惨な結果を招くこともあるし、それほどではなくても時間と金を限りなく浪費する無駄の極致とも言える。
QPとのケンカに勝ちたいという思いを断ち切って3年。半年で効果が見え2年で自由を獲得した。以後静かに楽しく暮らしている。砂上の楼閣と言われてもいい。今が幸せならそれで充分だ。過去も現在も存在しない。今生きているだけである。なぜならば、万物は一秒前に戻れないし一秒先にも進めない。
トラックバック(0) |
No title
カスミ草 >「私の両親のような夫婦になりたいと思う」
息子さんからこのように言ってもらえる PP&QPさんはとても幸せなご夫婦ですね。
いつものPPさんの愚痴は、裏を返せば「オノロケ」だったりして!(^^)!。
明けない夜はない
PP オノロケなんてとんでもございません。
これでも、いろいろ苦労しているのです。
毎夜、「明けない夜はない」とつぶやいています。
カスミ草 >「私の両親のような夫婦になりたいと思う」
息子さんからこのように言ってもらえる PP&QPさんはとても幸せなご夫婦ですね。
いつものPPさんの愚痴は、裏を返せば「オノロケ」だったりして!(^^)!。
明けない夜はない
PP オノロケなんてとんでもございません。
これでも、いろいろ苦労しているのです。
毎夜、「明けない夜はない」とつぶやいています。
二人暮らしは揉め事が多い。たった二人だから話し合えば分かると思ったら大間違い。二人だからこそ纏まらないのだ。そこには自分と、自分の敵だけが居て公正な第三者は存在しない。どちらかが自分の意見を引っ込めない限り喧嘩は延々と続く。つまり、一方が我慢しなければ収まらないのである。
在職時代はQPが我慢していたようだ。しかし、退職後の数年間は両方とも我慢しないからバトルの連続だった。そして、その度に私が負けていた。
「こんなことではいけないと思い、一念発起しました」
「堪忍袋の緒が切れて、おっとり刀で逆襲かぁ」
先輩の言うことは何時もからかい半分だから気に触る。
「喧嘩しないため、何でも我慢することにしました」
「なんだと?」
「言ったでしょう。どちらかが我慢しなければ喧嘩は収まらないのです」
「そんなに卑屈になることないじゃないか」と薄ら笑い。
「ドンデモナイ! 一つの役を選んだだけです」
「なに?」
「ドラマでも主役悪役決まっているでしょ。同じ役者が両方やる訳に行かないのです」
2年間の忍従時代を経て今は平穏だ。特に我慢することもなく静かに暮らしている。QPは、ある日突然私が逆らわなくなったので勝ったと思っている。一方私は、たった2年の我慢で、お望みの結果を得ることが出来たのである。三食昼寝付きで家事もせず文句も言われず静かに暮らしているのだから有り難い。
これこそウインウインの関係。理想の人間関係である。退職したら家でノンビリ暮らすのが私の夢だった。それがたった2年の我慢で手に入ったのだ。振り返ってみればQPは37年も我慢したのに私はたった2年。それで夢を叶えたのだから勝利としか言いようがない。
「こう見えても新婚のときは亭主関白だったんですよ」
「そうかい」
「小遣い5千円ですからね」
「それっぽちかい」
「15万の人なら5万とっても10万残りますが、1万5千円の安月給ですよ」
「なるほど、QPさんは1万円でヤリクリか。そりゃ大変。そりゃあカンパクだ」
その頃の職場は独身の若者で溢れていた。仕事が終わると集まって一杯飲むのだが、話題は若くして結婚した者の悪口ばかりだ。もちろん理由はある。結婚した途端に付き合いを止めるからだ。
「まさかお前までそうは、ならんだろうな」
独身の先輩たちから次々と言われると、つい「私は大丈夫です」とか言ってしまう。
「男に二言はないぞ!」とか強く念を押されると、気の弱い私は万事休すだ。
てな訳で我が家の財政はスタートから火の車。全ては私のせいだ。気が弱いから誘われると行きたくなくても断れない。こんな状態は退職するまで続いた。月給が15万になると小遣いも5万になっていたが、好きでもない飲み会で使ってしまう。もったいないが、これも浮世の義理と諦めた。
そのときはQPが何も言わないから、それで良いのだと思っていた。つまり私が外で働き、QPは家で働く、単なる分業と思って何の疑問も抱かなかった。もちろん嫌いな飲み会など仕事としか考えられなかった。
後で分かったことだが私が在職中の37年は、QPにとって我慢の時代だったのだ。自分自身が我慢の生活をしてやっと分かったことである。在職中のケンカは何時もQPの沈黙で終わった。実はこれが問題なのだ。
その時はやっと分かってもらえたと思ったが、実際は納得しないで我慢をしていたにすぎない。自分が我慢する立場になってよく分かった。延々と続くケンカを止めたければ黙るしかない。 こうして37年分のマグマがQPの腹の中に溜まったのである。
その恐ろしさをタップリと思い知らされたのは退職後だった。家でノンビリ暮らそうと思っていたが大間違い。我が家は完全にQPに占拠されていて私の居場所はなかった。たった7.8畳の一間を除いて…。

足の踏み場もない穴倉モドキの自室。片隅に見えるベッドと布団が侘しい。毎日ここで寝ているのだ。
退職後の数年間は言い争いばかりしていたが、外出を多くしてケンカの数を少しずつ減らした。しかし会えば直ぐケンカになるので減ったような気がしない。ケンカは私が黙ることで終わる。不本意ながら私の負けだ。
いろいろ事情があって3年前にケンカをしないことに決めた。理由を問わず無条件で我慢することにしたのだ。やってみると思ったよりしんどい。しかし何とか克服した。この辺の事情は既に書いたので省略する。
「私の夢は家でノンビリ暮らすこと。退職後10年で夢が叶いました」
「ちっぽけな夢だな」と先輩。
「2年間の我慢は辛いですよ。『艱難汝を玉にす』とはホントですね」
「苦労を乗り越えて立派な人間に成長したというのかねぇ」
「QPは37年間我慢して、私の退職後は家庭内バトルですから割りに合わないですよ」
「その代わりQPさんは、2年間でアンタを屈服させてバトルを終わらせたんだろう」
「終わった後がよくないですね」
「なんで?」
「独裁者になっちゃったのですよ」
「いいじゃないか!」
「掃除、洗濯、食事の支度と皿洗い、全部独裁。お陰で私はノンビリです」
「なんだと! そんなことは国民のアンタがすることだ」
「カンベンしてくださいよ。私はか弱い文化人です」
在職時代はQPが我慢していたようだ。しかし、退職後の数年間は両方とも我慢しないからバトルの連続だった。そして、その度に私が負けていた。
「こんなことではいけないと思い、一念発起しました」
「堪忍袋の緒が切れて、おっとり刀で逆襲かぁ」
先輩の言うことは何時もからかい半分だから気に触る。
「喧嘩しないため、何でも我慢することにしました」
「なんだと?」
「言ったでしょう。どちらかが我慢しなければ喧嘩は収まらないのです」
「そんなに卑屈になることないじゃないか」と薄ら笑い。
「ドンデモナイ! 一つの役を選んだだけです」
「なに?」
「ドラマでも主役悪役決まっているでしょ。同じ役者が両方やる訳に行かないのです」
2年間の忍従時代を経て今は平穏だ。特に我慢することもなく静かに暮らしている。QPは、ある日突然私が逆らわなくなったので勝ったと思っている。一方私は、たった2年の我慢で、お望みの結果を得ることが出来たのである。三食昼寝付きで家事もせず文句も言われず静かに暮らしているのだから有り難い。
これこそウインウインの関係。理想の人間関係である。退職したら家でノンビリ暮らすのが私の夢だった。それがたった2年の我慢で手に入ったのだ。振り返ってみればQPは37年も我慢したのに私はたった2年。それで夢を叶えたのだから勝利としか言いようがない。
「こう見えても新婚のときは亭主関白だったんですよ」
「そうかい」
「小遣い5千円ですからね」
「それっぽちかい」
「15万の人なら5万とっても10万残りますが、1万5千円の安月給ですよ」
「なるほど、QPさんは1万円でヤリクリか。そりゃ大変。そりゃあカンパクだ」
その頃の職場は独身の若者で溢れていた。仕事が終わると集まって一杯飲むのだが、話題は若くして結婚した者の悪口ばかりだ。もちろん理由はある。結婚した途端に付き合いを止めるからだ。
「まさかお前までそうは、ならんだろうな」
独身の先輩たちから次々と言われると、つい「私は大丈夫です」とか言ってしまう。
「男に二言はないぞ!」とか強く念を押されると、気の弱い私は万事休すだ。
てな訳で我が家の財政はスタートから火の車。全ては私のせいだ。気が弱いから誘われると行きたくなくても断れない。こんな状態は退職するまで続いた。月給が15万になると小遣いも5万になっていたが、好きでもない飲み会で使ってしまう。もったいないが、これも浮世の義理と諦めた。
そのときはQPが何も言わないから、それで良いのだと思っていた。つまり私が外で働き、QPは家で働く、単なる分業と思って何の疑問も抱かなかった。もちろん嫌いな飲み会など仕事としか考えられなかった。
後で分かったことだが私が在職中の37年は、QPにとって我慢の時代だったのだ。自分自身が我慢の生活をしてやっと分かったことである。在職中のケンカは何時もQPの沈黙で終わった。実はこれが問題なのだ。
その時はやっと分かってもらえたと思ったが、実際は納得しないで我慢をしていたにすぎない。自分が我慢する立場になってよく分かった。延々と続くケンカを止めたければ黙るしかない。 こうして37年分のマグマがQPの腹の中に溜まったのである。
その恐ろしさをタップリと思い知らされたのは退職後だった。家でノンビリ暮らそうと思っていたが大間違い。我が家は完全にQPに占拠されていて私の居場所はなかった。たった7.8畳の一間を除いて…。

足の踏み場もない穴倉モドキの自室。片隅に見えるベッドと布団が侘しい。毎日ここで寝ているのだ。
退職後の数年間は言い争いばかりしていたが、外出を多くしてケンカの数を少しずつ減らした。しかし会えば直ぐケンカになるので減ったような気がしない。ケンカは私が黙ることで終わる。不本意ながら私の負けだ。
いろいろ事情があって3年前にケンカをしないことに決めた。理由を問わず無条件で我慢することにしたのだ。やってみると思ったよりしんどい。しかし何とか克服した。この辺の事情は既に書いたので省略する。
「私の夢は家でノンビリ暮らすこと。退職後10年で夢が叶いました」
「ちっぽけな夢だな」と先輩。
「2年間の我慢は辛いですよ。『艱難汝を玉にす』とはホントですね」
「苦労を乗り越えて立派な人間に成長したというのかねぇ」
「QPは37年間我慢して、私の退職後は家庭内バトルですから割りに合わないですよ」
「その代わりQPさんは、2年間でアンタを屈服させてバトルを終わらせたんだろう」
「終わった後がよくないですね」
「なんで?」
「独裁者になっちゃったのですよ」
「いいじゃないか!」
「掃除、洗濯、食事の支度と皿洗い、全部独裁。お陰で私はノンビリです」
「なんだと! そんなことは国民のアンタがすることだ」
「カンベンしてくださいよ。私はか弱い文化人です」
トラックバック(0) |
No title
カスミ草 掃除 洗濯 食事の用意 全てQPさんがしてくれて、
PPさんはノンビリ、ゆったり。
これじゃ やはりQPさんに従わざるを得ませんね!
幸せな人生じゃないですか。
在職中は自分が思うままの家庭で、
退職後は数年の我慢の時間があったとはいえ、
「♪ いいじゃないの~、今が良ければ~ ♪」
PPさんの部屋、パソコンに占領されていますね。ビックリ!!
すべて良くなる
PP 確かに幸せな人生です。しかし砂上の楼閣、いつ崩れるかわかりません。
それで毎日「すべて良くなる。困ったことは起こらない」と唱えています。
これが結構効き目がありまして、未だに幸せが続いています(笑)。
いいじゃないの~ 幸せならば~♪
お言葉ですがパソコンは部屋を占領したりしません。慰めてくれているのです。
我が家がQPに占領されてしまいました。
ひとさまの書斎の様子
蝦夷地の人 むか〜し。さる週刊誌の最後に、著名人達の書斎探訪のページがあり、これを見たさに時々購入した事を思い出しています。
夫の書斎はあるけれど私は未だに持っていませんが、居間の片隅の小さなデスク周辺が私のエリア。お互い不可侵条約の不文律が結婚以来守られていて、これだけは共通項。後はまるで正反対の真逆を生き抜いて半世紀(大袈裟!)になります。
読むほどにやはり私はQPさんの大フアン! なんと可愛い人でしょう。このPPさんの書斎の大公開を拝見して益々QPさん好きになりました!
理由なんていわずもがな、ウフフフ・・・です。ニヤニヤ。
ありがとうございます
PP そうなんですか。蝦夷地の人さんの書斎は居間の片隅ですか。
私の場合は自分の寝室に何でも置いてあるだけですから書斎とはいえません。
一方、和室も居間も、QPの寝室は勿論、その他何処でもQP専用です。
私が自由に使えるのは風呂とトイレくらいです。
QPのファンとはとても嬉しいです。有り難うございます。
その事をQPに伝えたいのですが、内緒で書いているので伝えられません。ごめんなさい。
カスミ草 掃除 洗濯 食事の用意 全てQPさんがしてくれて、
PPさんはノンビリ、ゆったり。
これじゃ やはりQPさんに従わざるを得ませんね!
幸せな人生じゃないですか。
在職中は自分が思うままの家庭で、
退職後は数年の我慢の時間があったとはいえ、
「♪ いいじゃないの~、今が良ければ~ ♪」
PPさんの部屋、パソコンに占領されていますね。ビックリ!!
すべて良くなる
PP 確かに幸せな人生です。しかし砂上の楼閣、いつ崩れるかわかりません。
それで毎日「すべて良くなる。困ったことは起こらない」と唱えています。
これが結構効き目がありまして、未だに幸せが続いています(笑)。
いいじゃないの~ 幸せならば~♪
お言葉ですがパソコンは部屋を占領したりしません。慰めてくれているのです。
我が家がQPに占領されてしまいました。
ひとさまの書斎の様子
蝦夷地の人 むか〜し。さる週刊誌の最後に、著名人達の書斎探訪のページがあり、これを見たさに時々購入した事を思い出しています。
夫の書斎はあるけれど私は未だに持っていませんが、居間の片隅の小さなデスク周辺が私のエリア。お互い不可侵条約の不文律が結婚以来守られていて、これだけは共通項。後はまるで正反対の真逆を生き抜いて半世紀(大袈裟!)になります。
読むほどにやはり私はQPさんの大フアン! なんと可愛い人でしょう。このPPさんの書斎の大公開を拝見して益々QPさん好きになりました!
理由なんていわずもがな、ウフフフ・・・です。ニヤニヤ。
ありがとうございます
PP そうなんですか。蝦夷地の人さんの書斎は居間の片隅ですか。
私の場合は自分の寝室に何でも置いてあるだけですから書斎とはいえません。
一方、和室も居間も、QPの寝室は勿論、その他何処でもQP専用です。
私が自由に使えるのは風呂とトイレくらいです。
QPのファンとはとても嬉しいです。有り難うございます。
その事をQPに伝えたいのですが、内緒で書いているので伝えられません。ごめんなさい。
朝の紅茶は私がいれている。何故かというとベストドロップを頂くためだ。人様に聞いた話だが、「美味しい紅茶をいれるには、最後の一滴をきちんと注ぎきることが大切。その一滴に紅茶の美味しさの全てが含まれている。 これをベストドロップと言う」そうだ。
私は余生を静かに送りたいと思っている。それだけでいいのだ。実生活では愛とか誠実とか抽象的なことは役に立たない。それどころか、自分の行動をしばったりして平穏な暮らしの邪魔になることさえある。
もちろん愛も恋も要らないわけではない。それは夢の世界のことだからドラマに任せている。餅は餅屋に任せて置けばよい。愛の形も恋の物語も手を変え品を変えいろいろ作ってくれる。
お陰で私は愛にも恋にも不自由したことがない。ドラマを観て泣き、笑い、心が癒されている。「おいおいそれは違うぞ」と思うかも知れないが、現実の恋愛も限りなくリスクを減らせば、どうなることやら?
それにドラマを観ていると真実の愛を全うする難しさが分かってしまう。あんな風に激しく生きていたら命がいくらあっても足りやしない。あれが真の愛なのだ。生身の人間に出来ることではない。
愛のない二人暮らしでは些細なことが気になるものだ。紅茶のベストドロップは獲得したものの、歯磨きチューブの最後の一押しについては、未だに係争中である。
歯磨き粉(練り歯磨き)を最後の一滴まで使うのは難しい。QPは歯磨き粉を使い終わらない内に新しい歯磨き粉(チューブ)を置く。
「何で歯磨き粉を使い切っていないのに新しいのを出すのですか?」
「あんた、ケチだから捨てると怒るでしょう」
「チューブを絞れば、まだ出ると言っただけですよ」
「だから使えばいいでしょう。私は新しいの使うよ」
何か言えば必ず自分に返ってくる。不本意ながら歯磨き粉を最後まで使い切ることは私の「仕事」になってしまった。ちょっと工夫すれば5回も10回も使えるときもある。入っていないように見えてもチューブを逆さにして左右に数回振れば幾らでも出てくるのだ。
こんなことを1年もやっていたらバカらしくなって来た。しかし私が望んでいるのは静かな生活。争いの種になるようなことは避けている。特に口は災いの元。だからと言って素直に従うわけでもない。
なんとかして「歯磨き粉を始末する係」から解放されないかと、方法について毎日考えていた。そして、ようやくチャンスがやってきた。金属チューブがラミネートチューブに変わったのだ。
「それがどうした」と、いつの間にかやって来た先輩。
「ラミネートチューブは空気が容器内に逆流しやすいのです」
「だからどうしたと言ってるんだよ」
「私も新しい歯磨き粉を使えるようになりました」
「なんで」
「使っても空気を入れて膨らませればチューブは新品同様の形になるのです」
「ちょっと、せこいんじゃないか」
「今までのように古い方を使っているフリが出来るようになったのです」
「嬉しそうだな」
いったい古いのは誰が使うのだろう。私は使わない。QPも使わない、誰も使わない殆ど空のチューブが新しいチューブの前に立っているのは邪魔じゃあないか? まるで係争中のシンボルのように…。

QPはほぼ使い切った歯磨き粉を前に置く。私が使うことを期待しているに違いない。しかし、その手には乗らない。後ろから新しいのを取ればすむことだ。私も使った新しい歯磨き粉は後ろに置く。
果たして空チューブは何時すてられるのか?
私は静かな生活を得るために誤解や暴言に対しては我慢で対応した。今はその成果として獲得した静かな生活を享受している。時々この様な工夫をしながら…。
ちょっとだけだが、静かな暮らしの心得について考えてみた。愛は余りにも高尚だから邪魔にならないように横に置き、誠実は口先までに止めるのがいいだろう。
追加説明

上の画像では新旧が分かり難いので、横から撮ってみた。
私は余生を静かに送りたいと思っている。それだけでいいのだ。実生活では愛とか誠実とか抽象的なことは役に立たない。それどころか、自分の行動をしばったりして平穏な暮らしの邪魔になることさえある。
もちろん愛も恋も要らないわけではない。それは夢の世界のことだからドラマに任せている。餅は餅屋に任せて置けばよい。愛の形も恋の物語も手を変え品を変えいろいろ作ってくれる。
お陰で私は愛にも恋にも不自由したことがない。ドラマを観て泣き、笑い、心が癒されている。「おいおいそれは違うぞ」と思うかも知れないが、現実の恋愛も限りなくリスクを減らせば、どうなることやら?
それにドラマを観ていると真実の愛を全うする難しさが分かってしまう。あんな風に激しく生きていたら命がいくらあっても足りやしない。あれが真の愛なのだ。生身の人間に出来ることではない。
愛のない二人暮らしでは些細なことが気になるものだ。紅茶のベストドロップは獲得したものの、歯磨きチューブの最後の一押しについては、未だに係争中である。
歯磨き粉(練り歯磨き)を最後の一滴まで使うのは難しい。QPは歯磨き粉を使い終わらない内に新しい歯磨き粉(チューブ)を置く。
「何で歯磨き粉を使い切っていないのに新しいのを出すのですか?」
「あんた、ケチだから捨てると怒るでしょう」
「チューブを絞れば、まだ出ると言っただけですよ」
「だから使えばいいでしょう。私は新しいの使うよ」
何か言えば必ず自分に返ってくる。不本意ながら歯磨き粉を最後まで使い切ることは私の「仕事」になってしまった。ちょっと工夫すれば5回も10回も使えるときもある。入っていないように見えてもチューブを逆さにして左右に数回振れば幾らでも出てくるのだ。
こんなことを1年もやっていたらバカらしくなって来た。しかし私が望んでいるのは静かな生活。争いの種になるようなことは避けている。特に口は災いの元。だからと言って素直に従うわけでもない。
なんとかして「歯磨き粉を始末する係」から解放されないかと、方法について毎日考えていた。そして、ようやくチャンスがやってきた。金属チューブがラミネートチューブに変わったのだ。
「それがどうした」と、いつの間にかやって来た先輩。
「ラミネートチューブは空気が容器内に逆流しやすいのです」
「だからどうしたと言ってるんだよ」
「私も新しい歯磨き粉を使えるようになりました」
「なんで」
「使っても空気を入れて膨らませればチューブは新品同様の形になるのです」
「ちょっと、せこいんじゃないか」
「今までのように古い方を使っているフリが出来るようになったのです」
「嬉しそうだな」
いったい古いのは誰が使うのだろう。私は使わない。QPも使わない、誰も使わない殆ど空のチューブが新しいチューブの前に立っているのは邪魔じゃあないか? まるで係争中のシンボルのように…。

QPはほぼ使い切った歯磨き粉を前に置く。私が使うことを期待しているに違いない。しかし、その手には乗らない。後ろから新しいのを取ればすむことだ。私も使った新しい歯磨き粉は後ろに置く。
果たして空チューブは何時すてられるのか?
私は静かな生活を得るために誤解や暴言に対しては我慢で対応した。今はその成果として獲得した静かな生活を享受している。時々この様な工夫をしながら…。
ちょっとだけだが、静かな暮らしの心得について考えてみた。愛は余りにも高尚だから邪魔にならないように横に置き、誠実は口先までに止めるのがいいだろう。
追加説明

上の画像では新旧が分かり難いので、横から撮ってみた。
トラックバック(0) |
No title
カスミ草
煎茶を入れる時、最後の一滴に 味、香り、成分が凝縮されているのは
知っていましたが、紅茶も同じなのですね。それを「ベストドロップ」と言う事、初めて知りました。物知りですね、PPさんは。
静かな中にも、笑いのある暮らしが出来たらいいですね。
二本目の歯磨き粉チューブが空状態になった時、今度はチューブが三本並ぶ?まさか、ネ~。
ベスト・ドロップ
PP ベスト・ドロップという言葉は知らなかったのですが、そんな話を聞いたような気がしました。
それでネットで「紅茶の入れ方」で検索すると、ベスト・ドロップが出ていました。便利な世の中ですね。
知らなくても物知り風になってしまうネットの世界は面白いです。
チューブは新しいのが出て10日くらいすると捨てられます。その時中身があるかどうかは分かりませんが(笑)。
No title
空見 こんばんは、毎回楽しく読ませて頂いています。
チューブ、同じのを使っているのですね。うちは歯ブラシが別々なように、昔から歯磨きチューブも(じつはその他ほとんどのものに関しても)別々です。座布団も、お茶碗も箸も、あ、それは当り前かぁ(笑)
ご飯は一緒に食べますが、特に私だけが食べたい食品は別に、あとで一人で愉しく食べるために、家人には目の毒になるので内緒にして隠しておきます、エヘヘ~酷いカミサンでしょ?でも家人も、私が一度も食べたことの無いような高い料理を、外でさんざん食べてますからね、おあいこよね。
ご飯と歯磨き粉は一緒
PP 空見さん、毎回読んでくれて有り難うございます。
チューブは別々にすれば好かったのですね。これからそうしたいと思います。
歯ブラシとか茶碗とかは別なのですが、歯磨き粉とかご飯とかは一緒でした。
同じ釜からよそる。同じチューブから出して使う。このことには何の疑問も抱きませんでした。
不思議ですね。服でも布団でも何でも別なのに、何故か歯磨き粉とご飯だけ一緒でした。
私も自分だけ食べたいものはパソコン机の引き出しに入れてあります。主にチョコなどの菓子類です。
No title
空見 PPさん、同じ釜の飯を食う、のは誰と一緒でも問題ないですが。
歯磨きチューブは、それぞれの歯の状態や歯茎の状態、また好みも違いますので、マイチューブをお奨めします。
ただ、「波風を立てない」が優先しましょうから、変革案を言い出すことも難しいかもしれません。リスクもともないますからね。
自分好みのチューブを黙って買ってきて、黙ってそれをなし崩しに使いなつつ、相手の出方、様子を見、対抗策を考えるという慎重さも必要になるかも。
ありがとうございます
PP 空見さん、ありがとうございます。さっそくチューブは自分用を買って来ようと思います。
QPは私が勝手に買って使う分には寛大と言うか、無関心です。歯磨き粉が減らないから喜ぶかもしれません。
居間に花瓶を置きたいとか言うと大騒ぎになりますが(笑)。好みがある様ですね。
テーブルの上に鉛筆一本置いただけでもうるさいです。置き放しが気になるのだと思います。
カスミ草
煎茶を入れる時、最後の一滴に 味、香り、成分が凝縮されているのは
知っていましたが、紅茶も同じなのですね。それを「ベストドロップ」と言う事、初めて知りました。物知りですね、PPさんは。
静かな中にも、笑いのある暮らしが出来たらいいですね。
二本目の歯磨き粉チューブが空状態になった時、今度はチューブが三本並ぶ?まさか、ネ~。
ベスト・ドロップ
PP ベスト・ドロップという言葉は知らなかったのですが、そんな話を聞いたような気がしました。
それでネットで「紅茶の入れ方」で検索すると、ベスト・ドロップが出ていました。便利な世の中ですね。
知らなくても物知り風になってしまうネットの世界は面白いです。
チューブは新しいのが出て10日くらいすると捨てられます。その時中身があるかどうかは分かりませんが(笑)。
No title
空見 こんばんは、毎回楽しく読ませて頂いています。
チューブ、同じのを使っているのですね。うちは歯ブラシが別々なように、昔から歯磨きチューブも(じつはその他ほとんどのものに関しても)別々です。座布団も、お茶碗も箸も、あ、それは当り前かぁ(笑)
ご飯は一緒に食べますが、特に私だけが食べたい食品は別に、あとで一人で愉しく食べるために、家人には目の毒になるので内緒にして隠しておきます、エヘヘ~酷いカミサンでしょ?でも家人も、私が一度も食べたことの無いような高い料理を、外でさんざん食べてますからね、おあいこよね。
ご飯と歯磨き粉は一緒
PP 空見さん、毎回読んでくれて有り難うございます。
チューブは別々にすれば好かったのですね。これからそうしたいと思います。
歯ブラシとか茶碗とかは別なのですが、歯磨き粉とかご飯とかは一緒でした。
同じ釜からよそる。同じチューブから出して使う。このことには何の疑問も抱きませんでした。
不思議ですね。服でも布団でも何でも別なのに、何故か歯磨き粉とご飯だけ一緒でした。
私も自分だけ食べたいものはパソコン机の引き出しに入れてあります。主にチョコなどの菓子類です。
No title
空見 PPさん、同じ釜の飯を食う、のは誰と一緒でも問題ないですが。
歯磨きチューブは、それぞれの歯の状態や歯茎の状態、また好みも違いますので、マイチューブをお奨めします。
ただ、「波風を立てない」が優先しましょうから、変革案を言い出すことも難しいかもしれません。リスクもともないますからね。
自分好みのチューブを黙って買ってきて、黙ってそれをなし崩しに使いなつつ、相手の出方、様子を見、対抗策を考えるという慎重さも必要になるかも。
ありがとうございます
PP 空見さん、ありがとうございます。さっそくチューブは自分用を買って来ようと思います。
QPは私が勝手に買って使う分には寛大と言うか、無関心です。歯磨き粉が減らないから喜ぶかもしれません。
居間に花瓶を置きたいとか言うと大騒ぎになりますが(笑)。好みがある様ですね。
テーブルの上に鉛筆一本置いただけでもうるさいです。置き放しが気になるのだと思います。
ピーピー(PP)とは、私の新しいハンドルネーム(HN)。変えるには深いわけがある。
「こんなことを書いて、QPさんに知られたら怖くはないのですか」と、
心配してくれる人がいた。QPは怖いけれど知られる恐れは全くない。それに、もしこのブログを読んだとしても、私と結びつけることは出来ないだろう。ここには幾つかの「ばれない仕掛け」が隠されている。
知人が小説を書いている。本人と思われる主人公の人生に思いを馳せ「山あり谷ありの人生に感動しました」と感想を語ると、「小説だから嘘っぱちよ」とのことだった。
「なるほどと思いましたね。小説なら嘘でもいいんですよ」
「嘘を書いたら小説と思ったら大間違いだぞ」と先輩は相変わらず小うるさい。
「それはどうでもいいのです。私にとって大切なのは自分自身を守ることです」
「何じゃそりゃ?」
私は静かな生活が続くことを望んでいる。このブログをQPに読まれ、事実を知られたら万事休すだ。2年間の苦労も水の泡。我慢に我慢を重ねて獲得した「穏やかな暮らし」も木っ端微塵に砕け散るだろう。
「バレた時の言い訳が『小説ですから嘘ですよ』ですむんですから有り難いですね」
「なんだと?」
「小説だから嘘、これは切り札として使えますよねっ!」
「そうは問屋が卸さない」
トランプで言う切り札とは、最後に出す強い札、つまりゲームのキリとなる札の意味。もちろん切り札1枚ではゲームにならない。その前に沢山の札を用意して置く必要がある。
とりあえず用意したのは「PC札」「PP札」「WORD札」。当面は3枚もあれば足りるだろう。なんといったって、最後には小説という強力な切り札が控えているのだ。用意周到とはこのことである。
「PC札」とはパソコンのこと。QPはパソコンが大キライ。触るのも見るのも嫌いだから、私が何を書いても見られる心配はない。私の書いたものなど特に嫌いだからブログもホームページも見たことがない。こんな具合だから「PC札」は切り札に次ぐ強力な札となる。
「アンタね~、パソコンなんかやってるから字が書けないんだよ」とQP。
「それは誤解です」
実は、パソコンをやる前から字は書けないのだ。30年前ワープロが職場に導入された時は、天の助けとばかりに飛びついた。職場で一番の悪筆だったが、一挙に盛り返した快感は忘れられない。
「パソコンばかりやってると目が悪くなるよ」
そんなことはない。老眼が進んでいることは分かっているくせに、何でもパソコンのせいにする。だからQPが嫌いなのだ。
「パソコン触ったら手を洗って来てよ。ウイルスついているんだからね」
これは断じて違う、不特定多数が読む図書館の本と勘違いしている。あるいはパソコンが嫌いだから嫌がらせをしているのかも知れない。
「よく考えてみると本気かもしれませんね」
「まさか?」と先輩は首を傾げる。
「QPはモノをズバリと言うタイプなんです。持って回った言い方はしません」
「だとすると~、パソコンに触るとウイルスに感染すると信じてる?」
「そうらしいですね。その証拠にパソコンには決して触りません。きっと感染を恐れているんですよ」
「なるほど、つじつまが合っている」
次に「PP札」。ブログのリニューアルにあたり、いろいろ策を練った。その一つはハンドルネーム(HN)の変更。こともあろうにピーピー(PP)とした。
「こんな名前は大キライです。もし子供が生まれても絶対にこんな名は付けません」
「作る気か?」と先輩。ジョークの分からない人は嫌だねぇ。
「だから、もしもと言ってるでしょう」
「PPか~、なんか変だよ。アンタらしくないハンドルネームだな」
「そこが狙いです。らしくない方が絶好の隠れ蓑になるんですよ」
「なるほどQPさんは、PPと言ってもアンタを連想できない。だからアンタが書いてるとも思わない」
そして三番目の対策は「WORD札」。ワードとは言葉、PPの話し方が、私が家の中で話している言葉と全く違う。言い方がバカ丁寧なのだ。こうすると別人になった気分で書きやすい。しかし本来の目的は、万一QPがこのブログを読んでもPPが私と思わせないこと。これに尽きる。
そして切り札は、テーマをオリジナル小説と決めたことである。私に小説など書けるわけがない。イザというときに「嘘ですよ。小説ですから」と言うためだ。これで準備万端、「ばれない仕掛け」の完成だ。
「これで完璧です」
「ごくろうさん」
「ありがとうございます」
「書かなきゃいいのに、ごくろうさん」
「どういたしまして、お礼にコレを差し上げます」
「おやっ! 珍しいな。なんだこりゃ?」
「焼かなきゃ食えない、お疲れサンマ!」
「こんなことを書いて、QPさんに知られたら怖くはないのですか」と、
心配してくれる人がいた。QPは怖いけれど知られる恐れは全くない。それに、もしこのブログを読んだとしても、私と結びつけることは出来ないだろう。ここには幾つかの「ばれない仕掛け」が隠されている。
知人が小説を書いている。本人と思われる主人公の人生に思いを馳せ「山あり谷ありの人生に感動しました」と感想を語ると、「小説だから嘘っぱちよ」とのことだった。
「なるほどと思いましたね。小説なら嘘でもいいんですよ」
「嘘を書いたら小説と思ったら大間違いだぞ」と先輩は相変わらず小うるさい。
「それはどうでもいいのです。私にとって大切なのは自分自身を守ることです」
「何じゃそりゃ?」
私は静かな生活が続くことを望んでいる。このブログをQPに読まれ、事実を知られたら万事休すだ。2年間の苦労も水の泡。我慢に我慢を重ねて獲得した「穏やかな暮らし」も木っ端微塵に砕け散るだろう。
「バレた時の言い訳が『小説ですから嘘ですよ』ですむんですから有り難いですね」
「なんだと?」
「小説だから嘘、これは切り札として使えますよねっ!」
「そうは問屋が卸さない」
トランプで言う切り札とは、最後に出す強い札、つまりゲームのキリとなる札の意味。もちろん切り札1枚ではゲームにならない。その前に沢山の札を用意して置く必要がある。
とりあえず用意したのは「PC札」「PP札」「WORD札」。当面は3枚もあれば足りるだろう。なんといったって、最後には小説という強力な切り札が控えているのだ。用意周到とはこのことである。
「PC札」とはパソコンのこと。QPはパソコンが大キライ。触るのも見るのも嫌いだから、私が何を書いても見られる心配はない。私の書いたものなど特に嫌いだからブログもホームページも見たことがない。こんな具合だから「PC札」は切り札に次ぐ強力な札となる。
「アンタね~、パソコンなんかやってるから字が書けないんだよ」とQP。
「それは誤解です」
実は、パソコンをやる前から字は書けないのだ。30年前ワープロが職場に導入された時は、天の助けとばかりに飛びついた。職場で一番の悪筆だったが、一挙に盛り返した快感は忘れられない。
「パソコンばかりやってると目が悪くなるよ」
そんなことはない。老眼が進んでいることは分かっているくせに、何でもパソコンのせいにする。だからQPが嫌いなのだ。
「パソコン触ったら手を洗って来てよ。ウイルスついているんだからね」
これは断じて違う、不特定多数が読む図書館の本と勘違いしている。あるいはパソコンが嫌いだから嫌がらせをしているのかも知れない。
「よく考えてみると本気かもしれませんね」
「まさか?」と先輩は首を傾げる。
「QPはモノをズバリと言うタイプなんです。持って回った言い方はしません」
「だとすると~、パソコンに触るとウイルスに感染すると信じてる?」
「そうらしいですね。その証拠にパソコンには決して触りません。きっと感染を恐れているんですよ」
「なるほど、つじつまが合っている」
次に「PP札」。ブログのリニューアルにあたり、いろいろ策を練った。その一つはハンドルネーム(HN)の変更。こともあろうにピーピー(PP)とした。
「こんな名前は大キライです。もし子供が生まれても絶対にこんな名は付けません」
「作る気か?」と先輩。ジョークの分からない人は嫌だねぇ。
「だから、もしもと言ってるでしょう」
「PPか~、なんか変だよ。アンタらしくないハンドルネームだな」
「そこが狙いです。らしくない方が絶好の隠れ蓑になるんですよ」
「なるほどQPさんは、PPと言ってもアンタを連想できない。だからアンタが書いてるとも思わない」
そして三番目の対策は「WORD札」。ワードとは言葉、PPの話し方が、私が家の中で話している言葉と全く違う。言い方がバカ丁寧なのだ。こうすると別人になった気分で書きやすい。しかし本来の目的は、万一QPがこのブログを読んでもPPが私と思わせないこと。これに尽きる。
そして切り札は、テーマをオリジナル小説と決めたことである。私に小説など書けるわけがない。イザというときに「嘘ですよ。小説ですから」と言うためだ。これで準備万端、「ばれない仕掛け」の完成だ。
「これで完璧です」
「ごくろうさん」
「ありがとうございます」
「書かなきゃいいのに、ごくろうさん」
「どういたしまして、お礼にコレを差し上げます」
「おやっ! 珍しいな。なんだこりゃ?」
「焼かなきゃ食えない、お疲れサンマ!」
トラックバック(0) |
No title
カスミ草 PPさん、完全犯罪(?)を狙っていても、もしも、もしかして、
QPさんが偶然に、たまたま このページを読むことがあったら、苦心の策も水の泡・・・になりませんか。(そのようなことがありませんように、不肖カスミ草もお祈りしておりますが)
>「作る気か?」と先輩。ジョークの分からない人は嫌だねぇ。
ワッハハ~。ホント、PPさんの先輩は野暮天ですね!
大丈夫です
PP 真面目に答えますが、QPはパソコンを見ません。万一読んだとしても私が書いたとは思いません。
私はカスミ草さんが考えているより、ずーっと気が小さいのです。ノミの心臓ですよ。
読まれると思ったら、手が震えて書けません。これホント、そんな恐ろしいこと考えたこともありません。
カスミ草 PPさん、完全犯罪(?)を狙っていても、もしも、もしかして、
QPさんが偶然に、たまたま このページを読むことがあったら、苦心の策も水の泡・・・になりませんか。(そのようなことがありませんように、不肖カスミ草もお祈りしておりますが)
>「作る気か?」と先輩。ジョークの分からない人は嫌だねぇ。
ワッハハ~。ホント、PPさんの先輩は野暮天ですね!
大丈夫です
PP 真面目に答えますが、QPはパソコンを見ません。万一読んだとしても私が書いたとは思いません。
私はカスミ草さんが考えているより、ずーっと気が小さいのです。ノミの心臓ですよ。
読まれると思ったら、手が震えて書けません。これホント、そんな恐ろしいこと考えたこともありません。
「最近ストレスが全然たまりません」
「ワタシはたまるよ」とQP。
「そうですか。私が解消してあげましょう」
「出来るわけないじゃない」
「大丈夫です」
「アンタ、なんで私がストレスたまるか分かってんの」
二人暮らしでストレスがたまるとしたら、原因は私にあるに決まっている。何が原因かも分かっている。家事をまったくやらないことだ。無職のくせになぜ何もしないのだと腹を立てイライラしているのだろう。
「貴女のストレスの原因は私ですね」
「分かってるじゃない。それなら、……」と言いかけたQPは、次なる言葉を飲み込んだ。
間髪いれずに「私が食事の支度をしましょう!」と、心にもないことを言ってみた。
「いいよ。アンタの作ったものなんか不味くて食えないから」
「不器用でごめんなさい。私に出来ることがあったら何でも言ってくださいね」
在職時代は、言われないと何もしない人を(部下として)押し付けられて苦労した。結局自分で何もかもする羽目になった。今度は私が「命ぜられないと動かない人」になろう。結末は見えている。QPは指示しないと何もしない人間が、いかにメンドクサイ存在か、いずれ知ることになるだろう。
ところで、一度拒否されたくらいで前言を翻してはいけない。それでは、心にもないことを言ったことがバレてしまう。念には念をいれよう。人間はずるいだけじゃあダメだ。ずる賢くなければいけない。
「食べるだけじゃあ申し訳ないです。私にもやらせてください。今度こそ勉強して美味しいものを作ります」
「料理って言うのはねセンスがいるの。アンタはいいよ」
「センスがいいなんて…、褒めないでください。それほどでもないのです」と誤解したフリ。
「やらなくてもいいの。分かった!」 う~ん、イライラしている…。
「そんなこと言わないで、今度こそちゃんとやりますから」 これがダメ押しのひと言。
「ダメなものはダメ!」
おやおや、ついに料理も禁止にされてしまった。褒美をもらったくらい嬉しい。掃除も禁止、させると腰が痛いと言って寝込む。お使いも禁止、頼むと違う物買ってくる。禁止がだんだん増えて来た。
その結果どうなったかと言うと私が「社長」でQPは「秘書兼雑用兼賄い」の様になってしまった。もっと分かり易くいうと、QPがお母さんで私はお子様。
「ご飯だよ」「ごちそうさん(朝の連続テレビドラマ)始まるよ」「掃除するからどいて」「薬飲んでないよ」「風呂わいたよ」と、頼みもしないのに私の予定を知らせてくれたりする。
お陰で私は、一日中「勉強部屋」に閉じこもり呼びかけに応じて食事をし、テレビを観て、風呂に入り、薬を飲む。これ、どう考えても母子ではないか? そうだよねっ。
自由時間が増えるのは嬉しい。私には物事を器用にこなす能力がない。スポーツもできないし歌も下手糞だ。しかし、私には重箱の隅を何時までも突っつく癖がある。これを何とか能力と認めてほしいのだが…。
「重箱の隅? 細かいことをいちいち突っついたら嫌われるよ」と先輩。
「例えていえば、真ん中のご馳走は人様に差し上げて、隅っこを突っつきたいのです」
「なるほど、競争は諦めて隅っこに逃げる。アンタらしいな」
「隅を調べるのは意外に大変なんですよ。特殊な能力だって要るんです!」と言って胸を張る。
「なんで?」
「これも例え話ですが、そのためには隅を突っつく道具が要るでしょう。もしそれが重箱だとすると、つついて取った物を観る顕微鏡も必要ですね。観えたものが何かを知るには、深い知識も要るのです。分からなければ文献を調べなければならないし、もしそれが新発見なら、既に誰かが公表していないか調べ……」
「分かった分かった。もういい! 結局なにが言いたいんだ」
「私には膨大な時間が必要なのです」
「時間ならいくらでもあるだろう。無職なんだから」
「時間は有限。二人暮らしでケンカをしたら瞬く間につぶれます」
「半日くらい簡単につぶれるな」
「そんなものではすみません。喧嘩は後を引くから最低三日、長ければ一生です」
「しつっこいね。それでどうした」
「QPには我が家の主権を上げたフリをして、全ての時間を奪うつもりなんです。未だ道半ば…」
命とは時間と思う。自分が自由に使える時間が大切だ。それが命と考える。私の時間は着実に増えている。 こうして私の命もだんだん増えていく。
『幸せだなぁ。僕は君といるときが一番幸せなんだ。僕は死ぬまで君を離さないぞ、いいだろう(*^。^)』
1・8・4
「ワタシはたまるよ」とQP。
「そうですか。私が解消してあげましょう」
「出来るわけないじゃない」
「大丈夫です」
「アンタ、なんで私がストレスたまるか分かってんの」
二人暮らしでストレスがたまるとしたら、原因は私にあるに決まっている。何が原因かも分かっている。家事をまったくやらないことだ。無職のくせになぜ何もしないのだと腹を立てイライラしているのだろう。
「貴女のストレスの原因は私ですね」
「分かってるじゃない。それなら、……」と言いかけたQPは、次なる言葉を飲み込んだ。
間髪いれずに「私が食事の支度をしましょう!」と、心にもないことを言ってみた。
「いいよ。アンタの作ったものなんか不味くて食えないから」
「不器用でごめんなさい。私に出来ることがあったら何でも言ってくださいね」
在職時代は、言われないと何もしない人を(部下として)押し付けられて苦労した。結局自分で何もかもする羽目になった。今度は私が「命ぜられないと動かない人」になろう。結末は見えている。QPは指示しないと何もしない人間が、いかにメンドクサイ存在か、いずれ知ることになるだろう。
ところで、一度拒否されたくらいで前言を翻してはいけない。それでは、心にもないことを言ったことがバレてしまう。念には念をいれよう。人間はずるいだけじゃあダメだ。ずる賢くなければいけない。
「食べるだけじゃあ申し訳ないです。私にもやらせてください。今度こそ勉強して美味しいものを作ります」
「料理って言うのはねセンスがいるの。アンタはいいよ」
「センスがいいなんて…、褒めないでください。それほどでもないのです」と誤解したフリ。
「やらなくてもいいの。分かった!」 う~ん、イライラしている…。
「そんなこと言わないで、今度こそちゃんとやりますから」 これがダメ押しのひと言。
「ダメなものはダメ!」
おやおや、ついに料理も禁止にされてしまった。褒美をもらったくらい嬉しい。掃除も禁止、させると腰が痛いと言って寝込む。お使いも禁止、頼むと違う物買ってくる。禁止がだんだん増えて来た。
その結果どうなったかと言うと私が「社長」でQPは「秘書兼雑用兼賄い」の様になってしまった。もっと分かり易くいうと、QPがお母さんで私はお子様。
「ご飯だよ」「ごちそうさん(朝の連続テレビドラマ)始まるよ」「掃除するからどいて」「薬飲んでないよ」「風呂わいたよ」と、頼みもしないのに私の予定を知らせてくれたりする。
お陰で私は、一日中「勉強部屋」に閉じこもり呼びかけに応じて食事をし、テレビを観て、風呂に入り、薬を飲む。これ、どう考えても母子ではないか? そうだよねっ。
自由時間が増えるのは嬉しい。私には物事を器用にこなす能力がない。スポーツもできないし歌も下手糞だ。しかし、私には重箱の隅を何時までも突っつく癖がある。これを何とか能力と認めてほしいのだが…。
「重箱の隅? 細かいことをいちいち突っついたら嫌われるよ」と先輩。
「例えていえば、真ん中のご馳走は人様に差し上げて、隅っこを突っつきたいのです」
「なるほど、競争は諦めて隅っこに逃げる。アンタらしいな」
「隅を調べるのは意外に大変なんですよ。特殊な能力だって要るんです!」と言って胸を張る。
「なんで?」
「これも例え話ですが、そのためには隅を突っつく道具が要るでしょう。もしそれが重箱だとすると、つついて取った物を観る顕微鏡も必要ですね。観えたものが何かを知るには、深い知識も要るのです。分からなければ文献を調べなければならないし、もしそれが新発見なら、既に誰かが公表していないか調べ……」
「分かった分かった。もういい! 結局なにが言いたいんだ」
「私には膨大な時間が必要なのです」
「時間ならいくらでもあるだろう。無職なんだから」
「時間は有限。二人暮らしでケンカをしたら瞬く間につぶれます」
「半日くらい簡単につぶれるな」
「そんなものではすみません。喧嘩は後を引くから最低三日、長ければ一生です」
「しつっこいね。それでどうした」
「QPには我が家の主権を上げたフリをして、全ての時間を奪うつもりなんです。未だ道半ば…」
命とは時間と思う。自分が自由に使える時間が大切だ。それが命と考える。私の時間は着実に増えている。 こうして私の命もだんだん増えていく。
『幸せだなぁ。僕は君といるときが一番幸せなんだ。僕は死ぬまで君を離さないぞ、いいだろう(*^。^)』
1・8・4
トラックバック(0) |
No title
蝦夷地の人 >1・8・4
おぉ〜!
前回にも増してまいどまいど、「ごちそうさまです」っ!!!!!
うふふふ・・・
時には時間ドロボーにもご注意を。
殺し文句が上手
カスミ草 PPさん、今回も最後は殺し文句で締めましたね!
これじゃ、中島公園に来るオシドリ夫婦もPPさんにあてられて
長居は出来ませんよ。
命がだんだん増えていく→考え方ひとつで人生楽しいですね。
私が時間ドロボー
PP >蝦夷地の人さん
注意したいのはやまやまですが、私自身が時間ドロボーですから、
注意される方ですね。
何も出来ないので、「ありがとう」「いただきます」「美味しいですね」
「ごちそうさま」とか、口だけは働かせています。
ジョークのつもりでした
PP >カスミ草さん
最後の1行はジョークのつもりでした。表現が下手でごめんなさい。
QPの立場で考えれば、家事一切やらされて「死ぬまで君を離さないぞ、いいだろう」
とか言われたらガックリ来て、早く行ってくれと思うでしょうね。
そう思わないとしても「カンベンしてよ」の感じでしょう。
No title
空見 PPさんこんばんは。
うちは何もかもうまくいっていて幸せ夫婦、円満老後です、などと言う人が信じられないヒネクレ者の空見です^^;
だからPPさんの記事は好きだし、共感しますし、ウソがない、とも思います。
最後の加山雄三のセリフだけは勘弁してほしいけど~(笑)
やっぱり勘弁ですね。
PP >空見さん
やっぱり勘弁して欲しいですよね。
さんざん人に奉仕させて最後までシガミツクとは酷いですね。
「……いいだろう」の一言がすごく効いています。
将来のある若い人の言葉を、高齢者が使うとギャグになりますね。
蝦夷地の人 >1・8・4
おぉ〜!
前回にも増してまいどまいど、「ごちそうさまです」っ!!!!!
うふふふ・・・
時には時間ドロボーにもご注意を。
殺し文句が上手
カスミ草 PPさん、今回も最後は殺し文句で締めましたね!
これじゃ、中島公園に来るオシドリ夫婦もPPさんにあてられて
長居は出来ませんよ。
命がだんだん増えていく→考え方ひとつで人生楽しいですね。
私が時間ドロボー
PP >蝦夷地の人さん
注意したいのはやまやまですが、私自身が時間ドロボーですから、
注意される方ですね。
何も出来ないので、「ありがとう」「いただきます」「美味しいですね」
「ごちそうさま」とか、口だけは働かせています。
ジョークのつもりでした
PP >カスミ草さん
最後の1行はジョークのつもりでした。表現が下手でごめんなさい。
QPの立場で考えれば、家事一切やらされて「死ぬまで君を離さないぞ、いいだろう」
とか言われたらガックリ来て、早く行ってくれと思うでしょうね。
そう思わないとしても「カンベンしてよ」の感じでしょう。
No title
空見 PPさんこんばんは。
うちは何もかもうまくいっていて幸せ夫婦、円満老後です、などと言う人が信じられないヒネクレ者の空見です^^;
だからPPさんの記事は好きだし、共感しますし、ウソがない、とも思います。
最後の加山雄三のセリフだけは勘弁してほしいけど~(笑)
やっぱり勘弁ですね。
PP >空見さん
やっぱり勘弁して欲しいですよね。
さんざん人に奉仕させて最後までシガミツクとは酷いですね。
「……いいだろう」の一言がすごく効いています。
将来のある若い人の言葉を、高齢者が使うとギャグになりますね。
喧嘩の絶えない二人暮らしだが、私の我慢で平和を取り戻すことができた。しかし、それだけでは静かな生活は続かない。時には悪巧みも必要だ。どうやら不都合な真実も白状しなければならない時期が来たようだ。
「毎日が我慢ガマンでゴクロゥサン」と先輩は独りよがりの川柳モドキ。
「我慢の必要もなくなりました。あれからもう2年ですから」
「すっかり飼い慣らされたもんだな。情けないぞ!」
「とんでもない、変わったのはQPの方ですよ。私はそのまんまPP」
13年前に待ちに待った定年退職。これからは「温かい家庭でノンビリ暮らせるぞ」と思ったのが大間違い。 我が家と思っていたその場所は「家に根を張るQPの楽園」だった。自分の家なのに行動する自由がないし、くつろげるスペースもない。知らないうちに我が家はQPに占領されていたのだ。なんとかしようと努力はしたが全ては徒労に終わった。
人は皆平等、意見の相違は話し合いで解決できると信じていたが甘かった。そんな考えは「アンタが悪い」のひと言で粉砕されてしまう。厳しい現実に直面してうろたえた。ケンカには負けるが納得はしていないので小競り合いは続く。こちらは理由を長々と説明するが、あちらは「悪いのはアンタ」と、心臓めがけてズドンと一発。これでは勝てるわけがない。
「不毛の闘いにウンザリしました」
「ならぬ堪忍するが堪忍とは情けないね~」
「トンデモナイ! 我慢の為の我慢なんて出来るわけないでしょう」
「おやおや、ついに爆発か?」
「いやマア、そんな単純なものではないのですが…」
「おいおい、しっかりしろよ」
ところで事態は急変した。ある日突然、成し遂げたい「仕事」が出来た。これがキッカケとなり我慢がそれほど辛くはなくなった。目的達成の為には膨大な時間を投入しなければならない。最早ケンカして時間をつぶす余裕は無くなった。
「仕事」と言っても収入を得られることではない。常識的には趣味のカテゴリーに属することだ。 しかし、具体的な生きる目標が出来たことは確かだ。目標達成は遥か彼方だが、思わぬ副産物があった。
それは我慢が出来るようになったこと。しかし苦しい。だけど目標達成の為には膨大な時間が必要だ。後を引くケンカなどしてはいられない。それこそエネルギーと時間の無駄遣い。避けるべきことと割り切った。
それでもケンカは続く。理不尽なことを言うのはQPの癖だから治るわけがない。私も直感的に反発してしまう。しかし直ぐに我に返りガマンする。そんなときは「時間を作ったぞ。エライエライ!」と繰り返し自分を褒めて励ました。
こんなことを1年も繰り返せば喧嘩は徐々に減る。2年もたつと憎しみを伴う喧嘩はなくなった。不治の病と思っていたQPの病気も治ってしまったのだ。つまり理不尽なことを言わなくなった。たとえ言ったとしても、私の方で軽く受け流せるようになった。
かような訳で変わったのはQPであり、私は相変わらずの小ズルイ策略家、この程度の成功では満足していない。QPを更に優しい人間に改良するつもりだ。その為のニュー・テクノロジーは「殺し文句」。
「先輩は単身赴任が多かったですね」
「宮仕えの宿命さ。料理はそのとき覚えたんだ。今でも腕を振るってるぞ」
「よく飲みにも行きましたね」
「そりゃあそうさ、家で毎晩メシを食うようじゃ出世はできない」
「私は単身赴任をしたことがないし、夕食はほとんど家ですね」
「自慢できることじゃあないよ。仕事も付き合いも大事だぞ」
「それでも無事に定年を迎えました。ところで先輩は、奥さんに殺し文句言えませんよ」
「なんだと?」
「私は言えますよ」
「殺し文句? なんじゃそりゃ」
「私の身体は貴女の作った料理で出来ています。命をありがとう」
「毎日が我慢ガマンでゴクロゥサン」と先輩は独りよがりの川柳モドキ。
「我慢の必要もなくなりました。あれからもう2年ですから」
「すっかり飼い慣らされたもんだな。情けないぞ!」
「とんでもない、変わったのはQPの方ですよ。私はそのまんまPP」
13年前に待ちに待った定年退職。これからは「温かい家庭でノンビリ暮らせるぞ」と思ったのが大間違い。 我が家と思っていたその場所は「家に根を張るQPの楽園」だった。自分の家なのに行動する自由がないし、くつろげるスペースもない。知らないうちに我が家はQPに占領されていたのだ。なんとかしようと努力はしたが全ては徒労に終わった。
人は皆平等、意見の相違は話し合いで解決できると信じていたが甘かった。そんな考えは「アンタが悪い」のひと言で粉砕されてしまう。厳しい現実に直面してうろたえた。ケンカには負けるが納得はしていないので小競り合いは続く。こちらは理由を長々と説明するが、あちらは「悪いのはアンタ」と、心臓めがけてズドンと一発。これでは勝てるわけがない。
「不毛の闘いにウンザリしました」
「ならぬ堪忍するが堪忍とは情けないね~」
「トンデモナイ! 我慢の為の我慢なんて出来るわけないでしょう」
「おやおや、ついに爆発か?」
「いやマア、そんな単純なものではないのですが…」
「おいおい、しっかりしろよ」
ところで事態は急変した。ある日突然、成し遂げたい「仕事」が出来た。これがキッカケとなり我慢がそれほど辛くはなくなった。目的達成の為には膨大な時間を投入しなければならない。最早ケンカして時間をつぶす余裕は無くなった。
「仕事」と言っても収入を得られることではない。常識的には趣味のカテゴリーに属することだ。 しかし、具体的な生きる目標が出来たことは確かだ。目標達成は遥か彼方だが、思わぬ副産物があった。
それは我慢が出来るようになったこと。しかし苦しい。だけど目標達成の為には膨大な時間が必要だ。後を引くケンカなどしてはいられない。それこそエネルギーと時間の無駄遣い。避けるべきことと割り切った。
それでもケンカは続く。理不尽なことを言うのはQPの癖だから治るわけがない。私も直感的に反発してしまう。しかし直ぐに我に返りガマンする。そんなときは「時間を作ったぞ。エライエライ!」と繰り返し自分を褒めて励ました。
こんなことを1年も繰り返せば喧嘩は徐々に減る。2年もたつと憎しみを伴う喧嘩はなくなった。不治の病と思っていたQPの病気も治ってしまったのだ。つまり理不尽なことを言わなくなった。たとえ言ったとしても、私の方で軽く受け流せるようになった。
かような訳で変わったのはQPであり、私は相変わらずの小ズルイ策略家、この程度の成功では満足していない。QPを更に優しい人間に改良するつもりだ。その為のニュー・テクノロジーは「殺し文句」。
「先輩は単身赴任が多かったですね」
「宮仕えの宿命さ。料理はそのとき覚えたんだ。今でも腕を振るってるぞ」
「よく飲みにも行きましたね」
「そりゃあそうさ、家で毎晩メシを食うようじゃ出世はできない」
「私は単身赴任をしたことがないし、夕食はほとんど家ですね」
「自慢できることじゃあないよ。仕事も付き合いも大事だぞ」
「それでも無事に定年を迎えました。ところで先輩は、奥さんに殺し文句言えませんよ」
「なんだと?」
「私は言えますよ」
「殺し文句? なんじゃそりゃ」
「私の身体は貴女の作った料理で出来ています。命をありがとう」
トラックバック(0) |
No title
カスミ草 話し合いで双方納得できるのがベストですが、人間の感情は複雑ですものね。
「ならぬ堪忍するが堪忍」を実践するPPさんって、凄いと思います。
>「私の身体は貴女の作った料理で出来ています。命をありがとう」
これ、本当に殺し文句ですね! 読者の心にまでホロリと染み入る言葉です。
HPのことを書いて恐縮ですが・・・
キタキツネの上から4枚目の写真、タイミング バッチリですね。
よくこんな瞬間を撮れたものと、感心しました。
コメントありがとう
PP 貴重なコメントありがとう。嬉しいですね。
本当は「ならぬ堪忍するが堪忍」は苦手です。
このブログはズルいPPと生意気なQPで出来ています。
唯一コメントをくれるカスミ草さんには嘘はつけません。
秘密ですが、「殺し文句」は私の空想です。
キツネは偶然通りすがりに出会いました。
タイミングよかったですね。
PPのURLをクリックすると表示されます。
No title
空見 PPさん、素晴らしい悪知恵ですね、いや方便というべきかな?(笑)
よく今までQPさんに一発ギャフン!と言わせなかったなぁ、と感心しております。
なお最高の「殺し文句」ですが、イヤミの極致ととられて逆上を誘うかも・・と余計な心配も・・いやしかし、性格の素直な奥さんになら効くか(汗)
一発ギャフン!
PP 「一発ギャフン!」ですか。私ならそうしますがPPじゃあダメですね。気が小さいですから。
「イヤミの極致」で逆上は怖いです。それで僭越ながら軽い小説と言うことにしました。
もちろん小説など書けません。万一の逆上のための備えです。
「小説だから嘘ですよ」とか言い逃れたいと思いまして…。
カスミ草 話し合いで双方納得できるのがベストですが、人間の感情は複雑ですものね。
「ならぬ堪忍するが堪忍」を実践するPPさんって、凄いと思います。
>「私の身体は貴女の作った料理で出来ています。命をありがとう」
これ、本当に殺し文句ですね! 読者の心にまでホロリと染み入る言葉です。
HPのことを書いて恐縮ですが・・・
キタキツネの上から4枚目の写真、タイミング バッチリですね。
よくこんな瞬間を撮れたものと、感心しました。
コメントありがとう
PP 貴重なコメントありがとう。嬉しいですね。
本当は「ならぬ堪忍するが堪忍」は苦手です。
このブログはズルいPPと生意気なQPで出来ています。
唯一コメントをくれるカスミ草さんには嘘はつけません。
秘密ですが、「殺し文句」は私の空想です。
キツネは偶然通りすがりに出会いました。
タイミングよかったですね。
PPのURLをクリックすると表示されます。
No title
空見 PPさん、素晴らしい悪知恵ですね、いや方便というべきかな?(笑)
よく今までQPさんに一発ギャフン!と言わせなかったなぁ、と感心しております。
なお最高の「殺し文句」ですが、イヤミの極致ととられて逆上を誘うかも・・と余計な心配も・・いやしかし、性格の素直な奥さんになら効くか(汗)
一発ギャフン!
PP 「一発ギャフン!」ですか。私ならそうしますがPPじゃあダメですね。気が小さいですから。
「イヤミの極致」で逆上は怖いです。それで僭越ながら軽い小説と言うことにしました。
もちろん小説など書けません。万一の逆上のための備えです。
「小説だから嘘ですよ」とか言い逃れたいと思いまして…。
三食昼寝つきの優雅な暮らしにも終止符を打つときが来た。どうやらWFが気付いたようだ。家でゴロゴロしている宿六に三度三度メシを食わせる矛盾に…。「天災は忘れた頃にやってくる」と言われているが本当だな、やれやれ。
しかし私は弱い人間、WFに逆らうことはできない。だからと言って素直に従うわけでもない。
ムサシが言っていた「危機は切り抜ける為にある」。
切抜け作戦第1号:WFの命令に対してはノーと言ってはいけない。
「ヒマそうだね。料理でもしてみるかい」
「それは良い考えですね。さっそくやってみます」
何も知らないWFはニッコリ笑って「お願いね」と言った。
いきなり「ノー」と言う必要はない。一旦同意してからユックリと次の策を練ればいいのだ。ちょっと難しいが考えてみよう。そうだ!同意してもらえそうな条件をつけて、そこに罠を仕込んで置こう。巧妙な罠にWFが気付くはずがない。
切抜け作戦第2号:優しそうな条件に罠を仕掛ける。
「実は私からもお願いがあるのです」
「何でも教えて上げるから気楽に言ってちょうだい」
「教えてくれなくて結構ですよ。テレビでも観ながら、ごゆるりとお待ちください。一人で自由に作るのが好きですから」
「そぉ、好きなようにやってちょうだい」
思い起こして欲しい。私は危機的状況から逃れようとしているのである。食事の準備をしているのではなく罠を仕掛けようとしているのだ。
切抜け作戦第3号:罠は複雑で巧妙、しかも強力でなければならない。
「一生懸命作りますから、残さず食べてくださいね」
「もちろんよ~。上げ膳据え膳なんだから」
善は急げだ。さっそく、夕飯の用意をした。WFはテーブルを見たとたん…、
「何よこれ!」
「夕食です。お行儀悪いですね。食べるときは『いただきます』と言ってください」
「豆腐、丸ごと出して、どうやって食べるのよ!」
「柔らかいから箸でちぎれます。ネギもありますよ。唐辛子をかけるとビリッとして美味しくなります」
「ネギ、丸ごとじゃない」
「そこに鋏がありますね。必要な分だけ切って食べてください。小さく切った方が美味しいですよ」
WFの形相が変わった。いよいよ世界最終戦争である。これを勝ち抜かなければ、二人の世界に平和は訪れない。ここは徹底的に叩かなければならない。平和が欲しければ全力を挙げて戦うしかないのだ。しかも、宿命の対決は勝って終わらせなければならない。
切抜け作戦第4号:戦力の逐次投入をしてはいけない。一気に勝利!
毅然としてWFに立ち向かおう。ひと言も口を挟ませないことが肝心だ。
「私は先のことを考えながら食事の支度をしているのです。料理を作っている時には、既に後片付けのことを考えています」
「(ノД`)ハァ」
「オカズを豆腐にしたのは食器が水洗いですむからです。ネギをを丸ごと出せば、まな板を汚さないですむでしょ。そんなことが分からないのですか」
「バカーヾ(゚д゚)ノ゛」
「それだけではないですよ。必要な分だけ食べて、残りはそのままとって置くこともできるのです。名案じゃあないですか。材料と水とエネルギーの倹約にもなる。 今風に言えばエコですよ。分かりますか!」
「分かったよ」
「理解して頂けましたか。ありがとうございます。また仲良くしましょうね」
「アンタってホントにヒマだね。普通だったら『やりたくないよ』でお仕舞いだよ」
「だって、食事の支度をやれって言ってたでしょう」
「テレビでね。男の料理ってやってたの。ジイさんたち楽しそうだったよ」
しかし私は弱い人間、WFに逆らうことはできない。だからと言って素直に従うわけでもない。
ムサシが言っていた「危機は切り抜ける為にある」。
切抜け作戦第1号:WFの命令に対してはノーと言ってはいけない。
「ヒマそうだね。料理でもしてみるかい」
「それは良い考えですね。さっそくやってみます」
何も知らないWFはニッコリ笑って「お願いね」と言った。
いきなり「ノー」と言う必要はない。一旦同意してからユックリと次の策を練ればいいのだ。ちょっと難しいが考えてみよう。そうだ!同意してもらえそうな条件をつけて、そこに罠を仕込んで置こう。巧妙な罠にWFが気付くはずがない。
切抜け作戦第2号:優しそうな条件に罠を仕掛ける。
「実は私からもお願いがあるのです」
「何でも教えて上げるから気楽に言ってちょうだい」
「教えてくれなくて結構ですよ。テレビでも観ながら、ごゆるりとお待ちください。一人で自由に作るのが好きですから」
「そぉ、好きなようにやってちょうだい」
思い起こして欲しい。私は危機的状況から逃れようとしているのである。食事の準備をしているのではなく罠を仕掛けようとしているのだ。
切抜け作戦第3号:罠は複雑で巧妙、しかも強力でなければならない。
「一生懸命作りますから、残さず食べてくださいね」
「もちろんよ~。上げ膳据え膳なんだから」
善は急げだ。さっそく、夕飯の用意をした。WFはテーブルを見たとたん…、
「何よこれ!」
「夕食です。お行儀悪いですね。食べるときは『いただきます』と言ってください」
「豆腐、丸ごと出して、どうやって食べるのよ!」
「柔らかいから箸でちぎれます。ネギもありますよ。唐辛子をかけるとビリッとして美味しくなります」
「ネギ、丸ごとじゃない」
「そこに鋏がありますね。必要な分だけ切って食べてください。小さく切った方が美味しいですよ」
WFの形相が変わった。いよいよ世界最終戦争である。これを勝ち抜かなければ、二人の世界に平和は訪れない。ここは徹底的に叩かなければならない。平和が欲しければ全力を挙げて戦うしかないのだ。しかも、宿命の対決は勝って終わらせなければならない。
切抜け作戦第4号:戦力の逐次投入をしてはいけない。一気に勝利!
毅然としてWFに立ち向かおう。ひと言も口を挟ませないことが肝心だ。
「私は先のことを考えながら食事の支度をしているのです。料理を作っている時には、既に後片付けのことを考えています」
「(ノД`)ハァ」
「オカズを豆腐にしたのは食器が水洗いですむからです。ネギをを丸ごと出せば、まな板を汚さないですむでしょ。そんなことが分からないのですか」
「バカーヾ(゚д゚)ノ゛」
「それだけではないですよ。必要な分だけ食べて、残りはそのままとって置くこともできるのです。名案じゃあないですか。材料と水とエネルギーの倹約にもなる。 今風に言えばエコですよ。分かりますか!」
「分かったよ」
「理解して頂けましたか。ありがとうございます。また仲良くしましょうね」
「アンタってホントにヒマだね。普通だったら『やりたくないよ』でお仕舞いだよ」
「だって、食事の支度をやれって言ってたでしょう」
「テレビでね。男の料理ってやってたの。ジイさんたち楽しそうだったよ」
トラックバック(0) |
カスミ草 切り抜け作戦大成功? それとも・・・
食事つくり切り抜け作戦に、豆腐まるごと一丁デ~ンと食卓に。
特別大目にみてこれは許されても、ネギをチョキン、チョキンしながら
食するとは許しがたい・・・。
作戦は成功? それともケンカ?
平和主義のPPさんですから、ケンカになる前に丸く収められた事とは思いますが。
静かな生活が大好き
PP >カスミ草さん
仰るとおり丸く治めて平和です。
私が勝てば二人とも満足して平和です。
負ければ私が我慢して、やっぱり平和です。
私は静かな生活が大好きです。
「人生相談はじめました」
「何だと?」
「悩みを聞いてズバリと解決、これが私の生きがいです」
あれから5年、待ちに待った相談メールが来た。
「72歳の主婦です。同じ年の主人は酒は飲まないパチンコもしない真面目一方の人ですが、定年後の二人暮らしが辛いのです。ちょっとしたことで衝突してしまい緊張が絶えません。平穏な人間関係をどう築いたらいいでしょうか?」
日取りを決め某喫茶店で面談の運びとなる。
「ナニはありますか?」
「ありません」
「それでは、踏み台がないと届かないような高い所に棚を作ってください」
「はい、主人に作ってもらいます」
相談メールと短い会話で相談者Aさんの家庭環境を全て理解した。つまり、ごく普通の高齢者夫婦だ。平穏な人間関係は手の届くところにある。多分二人とも歳をとって懐から手を出すのも億劫になって来たのだろう。
しかし、突き放しては相談にならない。懇切丁寧に説明しなければいけない。
「先ず、愛とか誠実、真心などという難しいものは棚に上げてください。そおいうことは後回しにするのが整理のコツです」
「はい、見つかったら上げておきます」
「先ほど主人と言いましたね。貴女は召使なんですか」
「とんでもない! イコールパートナーです」
「イコールはいけません。衝突と緊張の元です」
「なに言ってんですか。民主主義でしょ。帰ります!」
困ったことになった。ここで帰られたら憧れの人生相談がフイになる。しかし二人の世界に平等も民主主義もありえないのは事実。1票対1票では完全なネジレ状態で何も決定できない。
そもそも民主主義の基本は多数決。一体どうやって二人の世界に適用することが出来るのだ。人間も集団生活をする動物だから主従の関係は大切だ。
民主主義とは多数が「主」となる人をを選んで決定権を与えることではないか。二人の場合はどうしたらいいんだ。だけど教えてほしいと言ってしまったら相談にもならない。困ったものだ。
「いっそう貴女が主人になればいいのです。老いたる夫など貴女が一喝すれば、縮こまって従うものですよ」
「主人は絶対にそんな人ではありません!」
これで奥様が「従」と決定だ。ただAさんは依然としてイコールの気持ちが強いので、何とか説得しなければならない。いよいよ腕の見せどころだ。
「国防軍とか最近いろいろ言われていますが、その道の専門家に言わせると、『国の防衛とは戦争を避けることに尽きる』そうです」
「そんなこと相談に関係ないでしょ」
「貴女は衝突を避けたいといいましたね」
「ええ」
「主人は絶対に『従』にならないとも言いました」
「はいはい分かりました。私が従になりますよ。その代わり効果が無かったらアンタの相談コーナーなんかぶち壊してやるからね!」
初めての人生相談は大成功で終わった。イコール・パートナーなんて幻想に過ぎない。どちらかが「従」に徹すれば緊張感は遅かれ早かれ消滅する。Aさんが相談の成果を自覚するのも時間の問題だ。
緊張感がなくなるとお互いの意思の疎通が軽やかになり、話し合いが気楽に出来るようになる。たとえ小さなケンカをしても後に引かない。棚上げにしていた「愛」「誠実」「真心」なども自然に降りて来る。だから愛もいらないし、無理して誠実になる必要もない。
「えっ!真心ですか? しばらく棚に上げときましょ。
せっかくご主人が作ったのですから」
「何だと?」
「悩みを聞いてズバリと解決、これが私の生きがいです」
あれから5年、待ちに待った相談メールが来た。
「72歳の主婦です。同じ年の主人は酒は飲まないパチンコもしない真面目一方の人ですが、定年後の二人暮らしが辛いのです。ちょっとしたことで衝突してしまい緊張が絶えません。平穏な人間関係をどう築いたらいいでしょうか?」
日取りを決め某喫茶店で面談の運びとなる。
「ナニはありますか?」
「ありません」
「それでは、踏み台がないと届かないような高い所に棚を作ってください」
「はい、主人に作ってもらいます」
相談メールと短い会話で相談者Aさんの家庭環境を全て理解した。つまり、ごく普通の高齢者夫婦だ。平穏な人間関係は手の届くところにある。多分二人とも歳をとって懐から手を出すのも億劫になって来たのだろう。
しかし、突き放しては相談にならない。懇切丁寧に説明しなければいけない。
「先ず、愛とか誠実、真心などという難しいものは棚に上げてください。そおいうことは後回しにするのが整理のコツです」
「はい、見つかったら上げておきます」
「先ほど主人と言いましたね。貴女は召使なんですか」
「とんでもない! イコールパートナーです」
「イコールはいけません。衝突と緊張の元です」
「なに言ってんですか。民主主義でしょ。帰ります!」
困ったことになった。ここで帰られたら憧れの人生相談がフイになる。しかし二人の世界に平等も民主主義もありえないのは事実。1票対1票では完全なネジレ状態で何も決定できない。
そもそも民主主義の基本は多数決。一体どうやって二人の世界に適用することが出来るのだ。人間も集団生活をする動物だから主従の関係は大切だ。
民主主義とは多数が「主」となる人をを選んで決定権を与えることではないか。二人の場合はどうしたらいいんだ。だけど教えてほしいと言ってしまったら相談にもならない。困ったものだ。
「いっそう貴女が主人になればいいのです。老いたる夫など貴女が一喝すれば、縮こまって従うものですよ」
「主人は絶対にそんな人ではありません!」
これで奥様が「従」と決定だ。ただAさんは依然としてイコールの気持ちが強いので、何とか説得しなければならない。いよいよ腕の見せどころだ。
「国防軍とか最近いろいろ言われていますが、その道の専門家に言わせると、『国の防衛とは戦争を避けることに尽きる』そうです」
「そんなこと相談に関係ないでしょ」
「貴女は衝突を避けたいといいましたね」
「ええ」
「主人は絶対に『従』にならないとも言いました」
「はいはい分かりました。私が従になりますよ。その代わり効果が無かったらアンタの相談コーナーなんかぶち壊してやるからね!」
初めての人生相談は大成功で終わった。イコール・パートナーなんて幻想に過ぎない。どちらかが「従」に徹すれば緊張感は遅かれ早かれ消滅する。Aさんが相談の成果を自覚するのも時間の問題だ。
緊張感がなくなるとお互いの意思の疎通が軽やかになり、話し合いが気楽に出来るようになる。たとえ小さなケンカをしても後に引かない。棚上げにしていた「愛」「誠実」「真心」なども自然に降りて来る。だから愛もいらないし、無理して誠実になる必要もない。
「えっ!真心ですか? しばらく棚に上げときましょ。
せっかくご主人が作ったのですから」
トラックバック(0) |
棚の上の真心
カスミ草 初めてメールさせていただきます。いつも楽しく読ませていただいております。1対1の民主主義は難しいけれど、お互いにチョッピリの思いやりと、チョッピリ広い心を思い出せると良いのにネ。でもそれがなかなか難しい・・・。棚に上げた「真心」、きっと誰の心の片隅にも宿っていると信じたいですね!
訪問ありがとうございます
nakapa >カスミ草さん
訪問ありがとうございます。
思いやりと広い心は大切ですね。
世の中難しいことが多いですが優しく楽しく過ごしましょう。
空見 nakapaさんこんばんは、いよいよ悟りの境地ですか?^^
とても面白い記事ばかりを見せていただきました、参考になります~♪
水に漂う浮き草
nakapa >空見さん
悟りというか、諦めの境地です。
これからは水と一緒に流れて行きま~す(笑)。
カスミ草 初めてメールさせていただきます。いつも楽しく読ませていただいております。1対1の民主主義は難しいけれど、お互いにチョッピリの思いやりと、チョッピリ広い心を思い出せると良いのにネ。でもそれがなかなか難しい・・・。棚に上げた「真心」、きっと誰の心の片隅にも宿っていると信じたいですね!
訪問ありがとうございます
nakapa >カスミ草さん
訪問ありがとうございます。
思いやりと広い心は大切ですね。
世の中難しいことが多いですが優しく楽しく過ごしましょう。
空見 nakapaさんこんばんは、いよいよ悟りの境地ですか?^^
とても面白い記事ばかりを見せていただきました、参考になります~♪
水に漂う浮き草
nakapa >空見さん
悟りというか、諦めの境地です。
これからは水と一緒に流れて行きま~す(笑)。
寂しくてつけたテレビの画面には女が男の首しめており
(俵万智『サラダ記念日』より)
私はこんな目には遭いたくない。テレビを観るのは好きだが何となく見るのは嫌い。つまり、テレビを観るときは明確な意図や目的をもって観る。これがテレビと向き合う私のスタンスである。
万智さんは何となくテレビをつけるから、よけい寂しい目に遭うのだ。私なら番組表をチェックする。「日ハム対ロッテ」とか書いてあれば女が男の首しめている画面など出てくるはずがない。
俵万智さんは才知あふれる人だから、何となくテレビをつけてもよい。しかし、私のような凡人は何となく見てはいけない。そんなことしたら知らないうちに脳を侵され、テレビの餌食になるかも知れない。
「ダラダラ見てたら電気代がもったいないのだろう。分かる分かる」
「泣いて笑って怒りながら一生懸命観るのです。1時間が限度ですね」
「そうかい。感動の嵐かい。テレビ局が聞いたら泣いて喜ぶぞ」
「嫌われてますよ。テレビは真剣に見る人を嫌います」
「なんで?」
「ワンフレーズで直感に訴えるメディアだから、何となく見ていて欲しいのでしょ」
酒好きが銘柄に拘るように番組に関する好き嫌いも極端だ。私には絶対に見たくないテレビ番組がある。それは大食い・早食い番組と残酷シーン。
それに、繰り返し放映される保険のコマーシャル。意味のない大笑いも目障りで耳障りだ。ホンの少しだけ見ても気分が悪くなる。他所の家でなら諦めるが我が家では我慢できない。
「見なけりゃいいじゃないか」
「WFがテレビをつけているから見えちゃうのです」
「見えない所に行けばいいだろう」
「食時中ですよ」
家ではWFが命令して私が従う習慣ができている。私自身納得していることだが食事だけは気分よくとりたい。勇気を振り絞ってお願いしたら、食事中のテレビは止めてくれた。
「思ったより簡単に言うこと聞いてもらえましたよ」
「そうかい。そりゃ良かったな」
「1回で聞いてくれたのですよ。とても嬉しかったです」
「そうかいそうかい。好かったな~」
感動して涙がホロリ。
「しっかりしろよ。オトコだろう」
「はぁ?」
「過ぎたるは、なお及ばざるが如し」
「何ですか?いきなり真面目な顔して」
「喜び過ぎてみっともないよ」
「喜んで何処が悪いんですか!」
「分かってないね~。すっかり尻に敷かれちゃって」
「トンデモナイ!例えていえば私はお釈迦様、WFは孫悟空なんですよ」
「つまり、あんたの手のひらの上で踊っているだけ?」
「全ては策略。私はWFを自由自在にコントロールしているのです」
「よっ! *見上げたもんだよ屋根屋の褌」
「ただの子供だまし。お恥ずかしい限りです」
「*たいしたもんだよ蛙のションベン」
「ほんの真似事でございます。日本の奥様なら皆、昔からやっています」
「ションベンを?」
「亭主を手のひらで踊らすことっ!」
<蛇足>以下は昔からある香具師(やし)の口上。
*見上げたもんだよ屋根屋の褌(ふんどし)
啖呵(たんか)売りの口上の一つ。お客たちが立派な人であると煽て上げて言う。啖呵とは香具師が品物を売るときの口上。
*たいしたもんだよ蛙のションベン
カエルは田んぼにいるので「田へした」もんだ、という駄洒落。
(俵万智『サラダ記念日』より)
私はこんな目には遭いたくない。テレビを観るのは好きだが何となく見るのは嫌い。つまり、テレビを観るときは明確な意図や目的をもって観る。これがテレビと向き合う私のスタンスである。
万智さんは何となくテレビをつけるから、よけい寂しい目に遭うのだ。私なら番組表をチェックする。「日ハム対ロッテ」とか書いてあれば女が男の首しめている画面など出てくるはずがない。
俵万智さんは才知あふれる人だから、何となくテレビをつけてもよい。しかし、私のような凡人は何となく見てはいけない。そんなことしたら知らないうちに脳を侵され、テレビの餌食になるかも知れない。
「ダラダラ見てたら電気代がもったいないのだろう。分かる分かる」
「泣いて笑って怒りながら一生懸命観るのです。1時間が限度ですね」
「そうかい。感動の嵐かい。テレビ局が聞いたら泣いて喜ぶぞ」
「嫌われてますよ。テレビは真剣に見る人を嫌います」
「なんで?」
「ワンフレーズで直感に訴えるメディアだから、何となく見ていて欲しいのでしょ」
酒好きが銘柄に拘るように番組に関する好き嫌いも極端だ。私には絶対に見たくないテレビ番組がある。それは大食い・早食い番組と残酷シーン。
それに、繰り返し放映される保険のコマーシャル。意味のない大笑いも目障りで耳障りだ。ホンの少しだけ見ても気分が悪くなる。他所の家でなら諦めるが我が家では我慢できない。
「見なけりゃいいじゃないか」
「WFがテレビをつけているから見えちゃうのです」
「見えない所に行けばいいだろう」
「食時中ですよ」
家ではWFが命令して私が従う習慣ができている。私自身納得していることだが食事だけは気分よくとりたい。勇気を振り絞ってお願いしたら、食事中のテレビは止めてくれた。
「思ったより簡単に言うこと聞いてもらえましたよ」
「そうかい。そりゃ良かったな」
「1回で聞いてくれたのですよ。とても嬉しかったです」
「そうかいそうかい。好かったな~」
感動して涙がホロリ。
「しっかりしろよ。オトコだろう」
「はぁ?」
「過ぎたるは、なお及ばざるが如し」
「何ですか?いきなり真面目な顔して」
「喜び過ぎてみっともないよ」
「喜んで何処が悪いんですか!」
「分かってないね~。すっかり尻に敷かれちゃって」
「トンデモナイ!例えていえば私はお釈迦様、WFは孫悟空なんですよ」
「つまり、あんたの手のひらの上で踊っているだけ?」
「全ては策略。私はWFを自由自在にコントロールしているのです」
「よっ! *見上げたもんだよ屋根屋の褌」
「ただの子供だまし。お恥ずかしい限りです」
「*たいしたもんだよ蛙のションベン」
「ほんの真似事でございます。日本の奥様なら皆、昔からやっています」
「ションベンを?」
「亭主を手のひらで踊らすことっ!」
<蛇足>以下は昔からある香具師(やし)の口上。
*見上げたもんだよ屋根屋の褌(ふんどし)
啖呵(たんか)売りの口上の一つ。お客たちが立派な人であると煽て上げて言う。啖呵とは香具師が品物を売るときの口上。
*たいしたもんだよ蛙のションベン
カエルは田んぼにいるので「田へした」もんだ、という駄洒落。
トラックバック(0) |
朱庵 楽しみお待ちしていた6日になりました。
もう楽しくって朝からニヤニヤしながら読みました。
ナカパさんは江戸っ子でしたよね!
落語を聞いている気分です。
朝から楽しい気分にさせていただいてありがとうございます。
今日は何かいいことありそうな・・予感します!
ほんとうにナカパさんのお話面白〜い!
ありがとうございます
nakapa >朱庵さん
面白いと言ってくれると、とても嬉しいです。
柄にもなくジョークが好きでたまりません。
本当はしゃべって笑ってもらえる人になりたのですが難しいです。
仕方がないから書いています。
これならノンビリと考えながらできますからね。
お粗末で失礼しました。
のん子 アハハ(笑)
うちは反対で、何げに点いてるテレビが多いですね。
食事中も点いてますよ。
コマーシャルになるとカチャカチャ回しますが、他もコマーシャルだったりします(笑)
夫とは好のみが違うのでチャンネル争いも多いです。
前のテレビのリモコンも効くので、一つづつ持っていて、お互いに相手が席を立った時に変えてしまいます(^^ゞ
一生懸命観ています(笑)
nakapa >のん子さん
私もCMのときは、一時的にチャネルを変えます。
CMと言っても4分くらいあるから、それなりに楽しめるますよ。
やはり、他もCMの時もあります。
それを避けるため裏はNHK関連から選ぶのです。
放送大学まで入れれば5チャンネルあります。
その中の一つを予め決めておくのです。
文字どおり一生懸命観ています。笑っちゃいますね。
空見 こんにちは~
また笑わせてもらいました、nakapaさんは本当にうまいですね人を笑わせるのが、ツボにはまりますよ。
TV観賞は連れ合いと好みが全く違うので、食事時に一緒に見るのはニュース番組だけです。
政治経済関係は意見が合いませんので、連れ合いはあれこれ文句を言いますが、当方と論点視点が180度違う。必ずケンカになるため私はできるだけ黙ることにしています。こんなつまらないことでもね、時にはストレスになるんですよ、あ~いやだ~ノ_・)ノ_・)ノ
精神的無口
nakapa > 空見さん、こんばんは。
テレビの好みが違っても、政治経済関係の意見が合わなくても、
何となくやって行けるものですね。
当方も全く同じ状態で半世紀たとうとしています。
口は災いの元。無口が一番と思うのですが難しいですね。
なにしろ喋りたい口を持っていますから。
苦肉の策として意味のないことだけ喋ることにしています。
精神的無口と言うのでしょうか、よく分かりませんが(笑)。
momo 以前は何となくテレビつけっ放しでしたが あの震災で電力不足と言われた頃から節電で見たいものだけになりました。
私も大食い早食い笑わせる為に頭を叩いたりは気分悪くて消してしまいます。
無理に笑わせようととする番組が多いですね。
芸人ってそれが芸なの?って思ってしまいます。
しみじみと実のあるドラマやドキュメンタリーや映像の美しさには感動しますね。
好きになると嫌いなことも…
nakapa >momoさん
テレビを見ないという人がいますが、もったいないですね。
私も忙しいときは全く観る気もしないし、観ませんでした。
そんな時は人が何をかけていようと気になりません。
しかし、テレビを観る余裕ができると一生懸命好きな番組を観ます。
いい番組がいっぱいあることが分かりました。
困ったことに嫌いな番組も出来てしまったのです(笑)。
好きになったら、嫌いなものが浮き上がってく来るものですね。
逃げ場を作って頑張らない。「だましだまし生きる」のも悪くない。
私がこう書いたらどうだろう。 反発を受けるのに決まっている。
しかし、こんなことを書いた香山リカ先生の本がバカ売れしている。
発売たちまち重版だそうだ。 全く世の中は不公平だ。
「WFが足が痛いから家事をやってくれというのですよ」
「手伝えばいいじゃないか。どうせヒマなんだろう」
「私のことを怠け者というんです」
「いつもブラブラしているからな」
「これでも、けっこう忙しいんですよ」
「無職なのに、何いってんだ」
「ホントに忙しいんですからね」
「なんで?」
「小説書いています」
「ほう~。それはご立派な…」
「立派なんてテレちゃうな。褒めすぎですよ」
「リッパな怠け者だよ!」
仕方がないから、私は昼食を受け持つことにした。 ただし、条件をつけた。
支度から後片付けまで、私一人でやるのでWFは食べるだけにすること。
簡単に言えば、いつも、私がしている様にして欲しいということだ。
できれば、「頂きます」「ご馳走様」はキチンといい、食事中は「美味しいですね」と一回以上言ってほしい。 これも私が何時もしていることだ。
そして、これが一番大切だが、残さないで全部食べること。
どうしても残したいのなら、ラップをかけてしまって、後で食べること。
これも私が必ず実行していることである。
「楽そうですが、これがなかなか大変なんです」
「ほ~、そうかい」
「誰もが出来ることではありません! 修行が必要ですね」
「修行ね~。 それでどうなった?」
「一週間もたなかったですね」
「アンタがか」
「私は自分の好きなものだけ作ればいいのだから、楽しかったですよ」
「いったい何が好きなんだ」
「卵かけご飯に梅干、それに豆腐の味噌汁ですね」
「ずいぶん簡単だな」
「後片付けも簡単ですよ」
「けっきょく、アンタはやらんでいいと言われたんだな」
「WFは"座って食べるだけ"に耐えられなかったようです」
「アンタの作ったメシは不味いしな…」
「残念ながら私の料理を好きになってもらえませんでした」
「なんやかや言っても、アンタは怠けたいだけなんだろう」
「香山リカ先生も仰ってたでしょ」
「なんて?」
「だましだまし生きるのも悪くない」
私がこう書いたらどうだろう。 反発を受けるのに決まっている。
しかし、こんなことを書いた香山リカ先生の本がバカ売れしている。
発売たちまち重版だそうだ。 全く世の中は不公平だ。
「WFが足が痛いから家事をやってくれというのですよ」
「手伝えばいいじゃないか。どうせヒマなんだろう」
「私のことを怠け者というんです」
「いつもブラブラしているからな」
「これでも、けっこう忙しいんですよ」
「無職なのに、何いってんだ」
「ホントに忙しいんですからね」
「なんで?」
「小説書いています」
「ほう~。それはご立派な…」
「立派なんてテレちゃうな。褒めすぎですよ」
「リッパな怠け者だよ!」
仕方がないから、私は昼食を受け持つことにした。 ただし、条件をつけた。
支度から後片付けまで、私一人でやるのでWFは食べるだけにすること。
簡単に言えば、いつも、私がしている様にして欲しいということだ。
できれば、「頂きます」「ご馳走様」はキチンといい、食事中は「美味しいですね」と一回以上言ってほしい。 これも私が何時もしていることだ。
そして、これが一番大切だが、残さないで全部食べること。
どうしても残したいのなら、ラップをかけてしまって、後で食べること。
これも私が必ず実行していることである。
「楽そうですが、これがなかなか大変なんです」
「ほ~、そうかい」
「誰もが出来ることではありません! 修行が必要ですね」
「修行ね~。 それでどうなった?」
「一週間もたなかったですね」
「アンタがか」
「私は自分の好きなものだけ作ればいいのだから、楽しかったですよ」
「いったい何が好きなんだ」
「卵かけご飯に梅干、それに豆腐の味噌汁ですね」
「ずいぶん簡単だな」
「後片付けも簡単ですよ」
「けっきょく、アンタはやらんでいいと言われたんだな」
「WFは"座って食べるだけ"に耐えられなかったようです」
「アンタの作ったメシは不味いしな…」
「残念ながら私の料理を好きになってもらえませんでした」
「なんやかや言っても、アンタは怠けたいだけなんだろう」
「香山リカ先生も仰ってたでしょ」
「なんて?」
「だましだまし生きるのも悪くない」
トラックバック(0) |
フラダン 「だましだまし生きる」そうかもね、、、
人間関係もそれで上手く行ってる様な物です
他人を傷つけないように騙し、又自分も騙して
円く行ってる様なものです、精神科医の
香山リカさんの記事はいつも道新で読んでます、
でもナカパさんの記事もなかなかインパクトが
ありますよ~面白さでは、負けてませんよ、、、
騙し騙され
朱庵 お早うございます、三文の徳にはなかなか当りませんが、早寝早起き励行中なのす。そういうトシになりました。
持ちつ持たれつ、
騙し騙され、
なんとも切なく響くご時勢です。が・・・
でも、でも、
ここでnakapaさんの小説、期待ますます昂ぶってきました。
ネタはつきませんね!
とっても楽しみです。ニコニコ!
フラダンさんへ
nakapa 有難うございます。
「負けてない」のですね。
本気にしてフラダンさんのパワーを頂きます。
簡単なようで難しいのが、「何が正しいか」のような気がします。
ですから「だましだまし」円く収めるのですね。
ましてや、誰が正しいなど全く分かりません。
結局、好きか嫌いかです。私が嫌いなのは自称「正義の味方」です。
他人様をかなり傷つけますね。
朱庵さんへ
nakapa おはようございます。
私は歳を取って「赤ちゃん寝」に戻りました。
朝昼晩、いつでも寝ます。もちろん夜中も3時間ごとに起きています。
ケンカは非生産的でエネルギーと時間の消費量が膨大です。
ですから、しない決心したのですが、早くも再開です。
入院したら少しは円くなって帰ってくるかと思いましたが、当てが外れました。
当分タネには困りそうもありません。 これも私の不徳の致すところです。
古希になった私は自他共に認める高齢者だ。 その日乗った地下鉄はやや混みあっていた。 なんとか「専用席」の空きを見つけて座り込んだ。
席に座ってホッとしたのもつかの間、次の駅で、明らかにヨボヨボなお婆さんが乗ってきて専用席の前に立った。 誰か立ってくれないかな~と、周囲を見渡したが誰も立たってくれない。
困ったことに、私の「座りたい尻」はとても重くて立ちにくいのだ。
迷っているうちに、お婆さんと目がピッタリ合ってしまった。
何と! お婆さんは、こちらを見てニッコリ笑ってくれたのだ。 つられて私もニッコリしたらしい。 お婆さんは満面に笑みを湛えた。仕方がないから立つことにした。
その笑顔の美しいこと。 嬉しくてわくわくしてきた。 ただ、これだけのことだ。
「どうぞ」とも言わないし、「ありがとう」とも言わない。
それなのに、小さな幸せもらったような気がして気分がよい。
よく新聞の投書欄などで「若者が専用席に座って、席を譲ってくれない」とか、
「お年寄りに席を譲ったが、礼も言わないで黙って座った」とか読むことがある。
私は、座りたい尻を持っているので、いつも虎視眈々と席を狙っている。
そうしていると、席を譲る人の姿もよく見かけるのだ。
ほとんどの人は、さりげなく立ち、席から少し離れて立つ。
そこには「どうぞ」とか「ありがとう」などの言葉の交換はない。 あたかも、
席は公共の場所、個人の所有物ではないと言っているようで好ましい。

右下に「専用席」の片隅が見える。緑色をしている。
「スッと立って、立ち去るのはいいが、元気な者に横取りされたらどうするのだ」
「人様の常識を信じることですね」
「それが信じられないから困るんだ」
「それなら、『座りますか?』と聞けばいいのです」
「それは失礼だぞ」
「勝手に、この人は座りたいと決め付ける方が失礼ですよ」
席に座ってホッとしたのもつかの間、次の駅で、明らかにヨボヨボなお婆さんが乗ってきて専用席の前に立った。 誰か立ってくれないかな~と、周囲を見渡したが誰も立たってくれない。
困ったことに、私の「座りたい尻」はとても重くて立ちにくいのだ。
迷っているうちに、お婆さんと目がピッタリ合ってしまった。
何と! お婆さんは、こちらを見てニッコリ笑ってくれたのだ。 つられて私もニッコリしたらしい。 お婆さんは満面に笑みを湛えた。仕方がないから立つことにした。
その笑顔の美しいこと。 嬉しくてわくわくしてきた。 ただ、これだけのことだ。
「どうぞ」とも言わないし、「ありがとう」とも言わない。
それなのに、小さな幸せもらったような気がして気分がよい。
よく新聞の投書欄などで「若者が専用席に座って、席を譲ってくれない」とか、
「お年寄りに席を譲ったが、礼も言わないで黙って座った」とか読むことがある。
私は、座りたい尻を持っているので、いつも虎視眈々と席を狙っている。
そうしていると、席を譲る人の姿もよく見かけるのだ。
ほとんどの人は、さりげなく立ち、席から少し離れて立つ。
そこには「どうぞ」とか「ありがとう」などの言葉の交換はない。 あたかも、
席は公共の場所、個人の所有物ではないと言っているようで好ましい。

右下に「専用席」の片隅が見える。緑色をしている。
「スッと立って、立ち去るのはいいが、元気な者に横取りされたらどうするのだ」
「人様の常識を信じることですね」
「それが信じられないから困るんだ」
「それなら、『座りますか?』と聞けばいいのです」
「それは失礼だぞ」
「勝手に、この人は座りたいと決め付ける方が失礼ですよ」
トラックバック(0) |
空見 nakapaさんこんばんは。
本気の骨折でしたか?あぁうっかり・・nakapa流以前のネタ話だと思っておりましたが、現時点のことなのでしたか、それは失礼しました<(_ _)>
足だけですから、口は達者でしょうね^^;しばらく入院されていますか。
う~ん、nakapaさんはちょっぴり独身気分~マンションでパラダイスかも ( ´艸`)
あ、席を譲る話でしたね。ニッコリは有効、私も今度狙いましょう、その時首を傾げるのは如何(笑)
男性はスマートに席を譲ると、男ぶりが5割増しになりますよね♪
空見さんへ
nakapa お久しぶりです。活動開始ですか。 お疲れ様でした。
ホントに足が折れました。初詣の帰りに滑って転んで折れました。
しかも、元旦の朝です。 お正月の食材ををいっぱい残しての入院です。
今、一生懸命自炊しています。腐らしたらもったいないです。
早く使い切って外食したいです。
ニッコリは効き目ありますよ。視線をそらしている人も多いですが…。
専用席
朱庵 黙って笑顔=黙って笑顔・・・いいですねぇ!
専用席、しばらくなんとなく恥ずかしいのと図々しいような気がして座れませんでした。
ところが子供達の話を聞いて、素直に座る気になれたのです。
「特に込み合っているのに専用席が空いていても座らないで、一般席に座っているのも、考え物よ。そんなことしていないでしょうね?」といわれました。
はっと気がついて以来素直に専用席に座っていますが、もっと年上の方がいらしたら、譲りますよ♪
その時、笑顔があれば嬉しいですね。
nakapaさんのお疲れもさりながら、なんとも優しい心持になるお話ですね♪
朱庵さんへ
nakapa 札幌の専用席マナーは良いようですね。若い人があまり座りません。
若い人だって座りたい人は多いと思います。
私は専用席愛用者です。
混みあっているときは、どなたが乗って来るか見ています。
しかし、ニッコリされたのは初めてでした。気分よく立てますね。
のん子 私はずっと座り続けたい時は寝たふりをします(笑)
元気な時は、相手の目を見て、どうぞ!と言って譲ります(座りたそうか、暫く観察して)
反対に譲られた時はお礼を言って座ります(内心、年寄りに見られたことに悔しさを感じながら^^)
関西人の方が意思表示がハッキリしてるかもです。
のん子さんへ
nakapa 確かに、自分の体調により対応は変わりますね。
要は知らない人にも爽やかな対応で、お互いに小さな幸せ感じましょう。
ということですから、地域の雰囲気によって、いろいろな対応があるでしょうね。
こまどり そう、そう、電車のなかではよくこんな光景みますね。
わたしも、古希なので優先席には安心して座らせてもらいます。札幌の若者はルールを守っているので感心してます。以前、関西弁を使う観光客親子は中学生ぐらいの子供たち、元気な3人を優先席に座らせてさわいでいたのをみかけました。わたし、やんわりと注意したらすぐたちあがりました。勇気いりました。
こまどりさんへ
nakapa こまどりさんは勇気ありますね。
私は言う気ありません。←ただの駄洒落です。
札幌の人のマナーはいいですね。お陰で助かっています。
私は、2,3回席を譲られたことがあります。
座りたくで仕方がないので、心から「有難うございます」と言えます。
自慢にはなりませんね(笑)。
フラダン 電車が動きだしても、専用席が空いたままの時は私は座ります、
でも次の駅に着いたときはどんな人が乗って来るか判りませんので、
直ぐに又立ちます、未だ席を譲られた事はありませんが、譲られたら
傍に私より高齢かと思われる人がいなければ、好意に甘えます、
勿論“ありがとう~”と云って、どんな事も人の好意が嬉しければ自然と
笑顔とお礼の言葉は出ます、当然とは思えません、席を譲って断られた事
ありますがそれはそれで良いと思います、本人にとって必要の
無い事なのですから、
フラダンさんへ
nakapa いかにもフラダンさんらしい気配りですね。
これなら、皆さんが気持ちよく地下鉄を利用できます。
まだ、席を譲られたことないのですか。当然でしょうね。
初体験は思わぬときにやって来ますよ。突然だからドキッとします。
「エッ、私が? なんで!?」てな感じです。
WFが骨折をして手術をすることになった。
手術室の前までついて行くと、看護師さんに廊下のソファで待つように言われた。
手術は少なくとも1時間はかかる。
時間つぶしにテレビを観に食堂に行くと、WFと同室のAさんに会った。
昨日が初対面だが、私と同じように話好きだから気が合う。
こんな話をしてくれた。
「目は二つあります。よく見るためです。耳も二つありますね。よく聞くためです。 鼻の穴も二つです。息が出来なければ死んじゃうからね。
それでは、口はなぜ一つなのでしょう。 分かりますか?」
”口は禍の元でしょう”と言おうと思ったが止めた。 これでは、楽しい会話の腰を折ってしまう。下手すると禍の元になってしまうかも知れない。
「そうですね。口だけが一つ…。不思議です」と知らないフリをする。
「わかんないでしょう! 口は禍の元なのよ~オホホホホ~」と嬉しそう。
私は自分が話すよりも聞く方が好きだ。 本当は話す方が好きなのだが、話し始めると最後には自慢話になり嫌われてしまうのだ。 これでは、次から話し相手になってもらえない。 仕方なく聞き上手のフリをしている。
Aさんは、長い間主婦業に徹していたが、子育てが終わった頃、
事情があって知人の飲食店の手伝いをすることになり、23年も勤めたそうだ。
「薄野のお店なんだけど、飲みにくる人の9割は嫌々来ているのよ。
仕事とか付き合いとか、いろいろあって好きじゃないけど来ているみたい…」
男性は気の毒だと言っていた。 自分も専業主婦のときはそうだったが、
奥さんから、飲んで遊んで楽しんでいると思われていると言うのだ。
お店に勤めだしてから、厳しい現実をたくさん見ることになったそうだ。
「だけどね。男性の方も主婦の苦労を分かってないことがあるのよ。
何だと思う?」
”子育てでしょう”と口から出かけたが止めて、また知らないフリをした。
「分からないでしょう。子育てなのよ~。昔と違って一人で育てなければならないのだから大変!」。実体験に基づく話なので、思わず力がこもる。
1時間も話しただろうか。
「そろそろ手術室の前に行こうと思います」と言って席を立つ。
「それがいいですよ。ず~っとソファで待っていた、愛情深いダンナ様のフリができますよ。 わたし黙っていてやるからね」
おやっ? …ということは、「私の知らないフリ」は全部バレていたのかな。
ようやく聞き上手になれたと思っていたが、Aさんは話し上手で聞き上手、数段上と思い知らされた。
考えてみれば当たり前、私が自分自身の人生を歩むようになったのは、定年退職後のたった10年だ。 次々と出会う、経験豊富な人生の達人からいろいろなことを学ばせてもらっている。 楽しい人生は今も続いている。
手術室の前までついて行くと、看護師さんに廊下のソファで待つように言われた。
手術は少なくとも1時間はかかる。
時間つぶしにテレビを観に食堂に行くと、WFと同室のAさんに会った。
昨日が初対面だが、私と同じように話好きだから気が合う。
こんな話をしてくれた。
「目は二つあります。よく見るためです。耳も二つありますね。よく聞くためです。 鼻の穴も二つです。息が出来なければ死んじゃうからね。
それでは、口はなぜ一つなのでしょう。 分かりますか?」
”口は禍の元でしょう”と言おうと思ったが止めた。 これでは、楽しい会話の腰を折ってしまう。下手すると禍の元になってしまうかも知れない。
「そうですね。口だけが一つ…。不思議です」と知らないフリをする。
「わかんないでしょう! 口は禍の元なのよ~オホホホホ~」と嬉しそう。
私は自分が話すよりも聞く方が好きだ。 本当は話す方が好きなのだが、話し始めると最後には自慢話になり嫌われてしまうのだ。 これでは、次から話し相手になってもらえない。 仕方なく聞き上手のフリをしている。
Aさんは、長い間主婦業に徹していたが、子育てが終わった頃、
事情があって知人の飲食店の手伝いをすることになり、23年も勤めたそうだ。
「薄野のお店なんだけど、飲みにくる人の9割は嫌々来ているのよ。
仕事とか付き合いとか、いろいろあって好きじゃないけど来ているみたい…」
男性は気の毒だと言っていた。 自分も専業主婦のときはそうだったが、
奥さんから、飲んで遊んで楽しんでいると思われていると言うのだ。
お店に勤めだしてから、厳しい現実をたくさん見ることになったそうだ。
「だけどね。男性の方も主婦の苦労を分かってないことがあるのよ。
何だと思う?」
”子育てでしょう”と口から出かけたが止めて、また知らないフリをした。
「分からないでしょう。子育てなのよ~。昔と違って一人で育てなければならないのだから大変!」。実体験に基づく話なので、思わず力がこもる。
1時間も話しただろうか。
「そろそろ手術室の前に行こうと思います」と言って席を立つ。
「それがいいですよ。ず~っとソファで待っていた、愛情深いダンナ様のフリができますよ。 わたし黙っていてやるからね」
おやっ? …ということは、「私の知らないフリ」は全部バレていたのかな。
ようやく聞き上手になれたと思っていたが、Aさんは話し上手で聞き上手、数段上と思い知らされた。
考えてみれば当たり前、私が自分自身の人生を歩むようになったのは、定年退職後のたった10年だ。 次々と出会う、経験豊富な人生の達人からいろいろなことを学ばせてもらっている。 楽しい人生は今も続いている。
トラックバック(0) |
のん子 あら~奥さんが骨折されたのですか?
大変じゃないですか!
何処を骨折されたんでしょう?
当分nakapaさんが家事ですよね?
大丈夫ですか?頑張って下さいね!
私は自分からは滅多に喋りませんので、相手の方はお喋りな方が気を遣わなくてすみます。
でも口は災いの元ってよく解ります。
相槌を打っただけなのに私が言いだしたみたいに言われて悔しい思いをしたことはあります。
以後、悪口めいた話には、そうなんですか?と疑問形にしています(笑)
親友同士では違いますが。
口は食べる用と喋る用と二つ欲しいです(^_^)
奥様、どうぞお大事になさって下さい。
のん子さんへ
nakapa この歳になると、いろいろな人から聞く話なので書いてしまいました。
足首の骨折ですから、時間がたてば普通の生活に戻れると思います。
家事はまったくやったことがないので、大変ですが、楽しい発見もあります。
>口は食べる用と喋る用と二つ欲しいです(^_^)
↑
そうですね、喋りながら食べると、噛んだ物が飛び出します(笑)。
お大事に、そして主夫業も楽しんで
朱庵 ご心配でしたね。外科は内科と違い目に見えて直ることを確認できるから、それだけでもほっとする部分ありますよ。奥様どうぞお大事に。
知らないふり、おやっ?ばれていた?
思わずウフフ・・です。
これからも楽しいお話になりそうですね。
この際、といってはなんですが、折角の機会ですから、主夫業・・も楽しんでくださいね。お料理の腕前上がりますね!
奥様をびっくりさせてあげてください!
朱庵さんへ
nakapa そうですね。治ることが確認できるので安心です。
私も最近、二回入院しましたが、病院には面白い人も入院していますね。
主夫業頑張るつもりですが、私のやり方は多分受け入れてはくれないと思いますよ(笑)。
今年もよろしく
アツガーリン 久しぶりで来ました。相変わらずのユーモアたっぷりの話し読ませて戴きました。
「骨折」はお困りでしょう。私も昨年「脊柱管狭窄症」で全身麻酔のオペを受け、腰痛の痛みは軽くなりましたが、未だ月一回の通院です。
加齢は骨にもろに来ますね。お大事に!
アツガーリンさんへ
nakapa お久しぶりですね。ありがとうございます。
手術は、いくらお医者さんが簡単と言っても気になりますね。
順調に行っても、その先があるから気になります。
「脊柱管狭窄症」とは、大変だったですね。 お大事にしてください。
報道によると、新宿歌舞伎町で客引きが通行人を殴ったとかで、エライ騒ぎになっていると言う。私もよく客引きに声をかけられるので他所事とは思えない。
ところで私は、山は怖いと思っている。 山の危険は直接は知らないのだが、
ニュースなどでよく聞くからそう思い込んでいるのだ。
山では断崖絶壁があったり、天候が急変したり、熊が出たりする。 しかし、好んで山に行く人は多い。 一人ひとりが自分なりの安全策をもっているのだと思う。
自然への敬意を持って登山をすることが、安全にもつながると言われている。
これは街についても言えること。 私は街育ちの人間だから街は好きだし、
街には敬意を払っている。

私の大好きな薄野の映画館は今年になって閉館。
具体的には、街で働く人たちに敬意を払っている。 私にとって街は遊び場、
用事と言ってもせいぜい買物をする程度だが、彼らにとっては生きるための職場だ。 客引きといっても例外ではない。
帰宅途中、客引きに声をかけられた。
「面白い所に案内しますよ」
「すみません。急いでいますから」
「そっちに行ってはダメですよ。危ないですよ」
「ありがとうございます。気をつけて行きます」
危ないと言われても、ちょっと困る。そこを通らなければ家に帰れない。
それに、まだ午後3時、危ない時間帯ではない。
私は街育ち、登山家が山の危険を察知する能力が高いように、
街の危ない場所に対する、鋭い嗅覚を持っているつもりだ。
ところで、軽妙な会話で人を笑わせる客引きもいる。
「面白い所、ありますよ~」
叉、面白い所か…。 なんで客引きは誰でも同じことを言うのだろう。
「買物にいくのです」と私にしては、そっけない。
「○○○買いませんか」
「牛乳買いに行くのです」
「ミルクも出ますよ」
思わず笑ってしまったが、余計な手間をかけさせたなと反省もした。 私は散歩がてら安い牛乳を買いに行く途中だが、案内を望まないのに話を引き伸ばさせてはいけない。 客引きに要らぬ期待を抱かせてしまうからだ。
「それでね。いい方法を考えたんですよ」
「ほう、なんだね」と友人Aさん。
「『すみません。近所の者です』と言うんですよ。 客引きは直ぐに諦めますね」
「なるほど」
「『ご苦労様です』と頭を下げられたこともあるんですよ」
「そりゃ好かったね」
「嬉しいですね。敬意をもって接すれば、彼らだって……」
「勘違いじゃないの?」
ところで私は、山は怖いと思っている。 山の危険は直接は知らないのだが、
ニュースなどでよく聞くからそう思い込んでいるのだ。
山では断崖絶壁があったり、天候が急変したり、熊が出たりする。 しかし、好んで山に行く人は多い。 一人ひとりが自分なりの安全策をもっているのだと思う。
自然への敬意を持って登山をすることが、安全にもつながると言われている。
これは街についても言えること。 私は街育ちの人間だから街は好きだし、
街には敬意を払っている。

私の大好きな薄野の映画館は今年になって閉館。
具体的には、街で働く人たちに敬意を払っている。 私にとって街は遊び場、
用事と言ってもせいぜい買物をする程度だが、彼らにとっては生きるための職場だ。 客引きといっても例外ではない。
帰宅途中、客引きに声をかけられた。
「面白い所に案内しますよ」
「すみません。急いでいますから」
「そっちに行ってはダメですよ。危ないですよ」
「ありがとうございます。気をつけて行きます」
危ないと言われても、ちょっと困る。そこを通らなければ家に帰れない。
それに、まだ午後3時、危ない時間帯ではない。
私は街育ち、登山家が山の危険を察知する能力が高いように、
街の危ない場所に対する、鋭い嗅覚を持っているつもりだ。
ところで、軽妙な会話で人を笑わせる客引きもいる。
「面白い所、ありますよ~」
叉、面白い所か…。 なんで客引きは誰でも同じことを言うのだろう。
「買物にいくのです」と私にしては、そっけない。
「○○○買いませんか」
「牛乳買いに行くのです」
「ミルクも出ますよ」
思わず笑ってしまったが、余計な手間をかけさせたなと反省もした。 私は散歩がてら安い牛乳を買いに行く途中だが、案内を望まないのに話を引き伸ばさせてはいけない。 客引きに要らぬ期待を抱かせてしまうからだ。
「それでね。いい方法を考えたんですよ」
「ほう、なんだね」と友人Aさん。
「『すみません。近所の者です』と言うんですよ。 客引きは直ぐに諦めますね」
「なるほど」
「『ご苦労様です』と頭を下げられたこともあるんですよ」
「そりゃ好かったね」
「嬉しいですね。敬意をもって接すれば、彼らだって……」
「勘違いじゃないの?」
トラックバック(0) |
ちゃちゃ 女性にはその手の声はかからないけれど、
歌舞伎町は不気味!
昼間だってその雰囲気は好きではない。
JR新宿駅から西武新宿駅へ行くには
歌舞伎町の脇を通らなければならない。
それが嫌な私は、好きではないけれど
地下街を抜ける事にしているのですが…。
ちゃちゃさんへ
nakapa 歌舞伎町は不気味ですか……。
私も若いとき新宿では怖い目に遭いました。
赤ら顔の小父さんに助けられて、危うく難を逃れました。
「坊や、こんな所に来るんじゃない!」と言われたことは覚えています。
二十歳過ぎていたので、坊やに違和感ありました。
ちゃちゃさんから不気味と聞いて半世紀前のことを思い出しました。
ああ・・懐かしい山鼻
shochan 私は山鼻で生まれ19年間過ごしたところ。東屯田通り、東本願寺、西創成小学校、曙小学校、中島中学校、南高校、中島公園通り、行啓通り、みな懐かしい。たまぁ〜に訪れると、なんとなくスラムのよう。中島公園は、我が遊びの庭。でも、もう球場もプールもスポーツセンターもない。鴨かも川の風情も変った。豊平川には、サムライ部落があった。豊平川沿いの高速道路様の車道は無く、そこは、石と土の土手だった。時は流れ、なんだか、別世界のよう。
訪問有難うございます
nakapa >shochanさん
はじめまして、訪問有難うございます。
昔の山鼻はとても好かったと、いろいろな方から伺っています。
残念ながら私は山鼻新住民、11年前に転居して来ました。
モータリゼーション時代になってから、
寂しくなって来た山鼻ですが、見直す動きもあります。
中島公園を含めて歴史的価値を掘り起こし見直そうという活動です。
~前回「毎朝洗顔しています」の続きです~
フィクションと断っていない限り、事実を書いているつもりだ。
しかし、この「つもり」がかなり怪しい。
例えば「私はこう思う」と言っても、間違って覚えていることもある。
「テレビでこう言っている」と言ったところで、商品の宣伝みたいな番組もある。
朝食はテレビを消して話しながら食べる。 これが私たち二人の習慣である。
一日の始まりは楽しい朝食からと思っているが、諍いの元になることもある。
その朝は先日観たテレビのことで、QPに確認したいことがあった。
「顔ダニが夜中にウンコする話ですが…」
「ご飯のとき、そんな話しないでよ!」
「ごめんなさい。 この間のテレビのことですが、顔ダニが身体のために良いとか、言ってませんでしたか?」
「良いわけないでしょ。顔にウンコたれるんだから」
「食事中ですが…」
「それがどうしたのよ」
顔ダニについて、いろいろ書いたが、そのテレビ番組は10分くらいしか観ていない。 家に居る時は、ほとんど自室でパソコンに向っている。 疲れると居間に行くが、そのとき偶然やっていたのが例の顔ダニの話。
住処の毛穴から出て、顔にウンコして、毛穴に帰ってくる顔ダニのアニメが、可愛くて面白かったので、しばらく観ていた。
CMのとき自室に帰ったので、その後は観ていない。 それでQPに確認したのだが、どうやら顔ダニの良い点は放送されていないらしい。
なぜ、顔ダニの良い点にこだわるかというと、前回の記事「毎朝洗顔しています」についてのコメントで、良い意味だが気になることがあった。
顔ダニはニキビダニというもので、どちらかというと益虫。 顔ダニ用の石鹸などで、洗いすぎてもいけないようだ。
子どもの頃から共存してきたものだから、神経質になる必要はない。洗いすぎて皮脂膜が剥がれることもあるそうだ。
要は何事も程ほどにすることが大切。視聴率第一のテレビの言うことは、話半分に聞いて、上手に顔ダニと付き合うのがいいらしい。

中島公園菖蒲池、冬になると凍結して鴨が去る。 11月2日撮影。
「顔ダニはどちらかと言うと益虫みたいですね」
「エキチュウ?」
「居ないより居た方が良いということです。顔ダニ用の石鹸などで、洗いすぎると良い菌も死んでしまうのです」
「いい菌なんか居るわけないじゃない。顔洗うのメンドウになったのでしょ。
まったく~、三日坊主なんだから」
「そんなことないですよ…」
”ブログにコメントがあったのです”と言おうとしたが、これはQPには内緒で書いている。口にするわけには行かない。思わず…、
「みんな言ってますよ」
「みんなって誰よ!」
さっそくチェックが入った。曖昧な言葉は許されない。ちょっと緊張したら、
また言わなくていいことを言ってしまった。
「え~と、識者です。評論家とか…」
「評論家なんて受けそうなことを言って、稼いでいるだけじゃない。借り物の意見なんか言うんじゃないよ!」
このセリフどこかで聞いたことがある。それもその筈、いつも私が口にしている言葉だ。 それがQPにまで飛んで行き、腹の中で反転して、私のところに戻って来たのである。
国会中継でお馴染みの、ブーメラン効果でトドメを刺された。 楽しくない朝の食卓になってしまった。 やはり食事はテレビを観ながらの方がいいかも知れない。
ブーメラン効果とは、物事の結果がブーメランの飛行軌道のようにその行為をした者に(主に負の)効果をもたらす現象のこと。 また、ブーメランのように、一度離れたはずの出発点に戻ってきてしまう現象のこと。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
フィクションと断っていない限り、事実を書いているつもりだ。
しかし、この「つもり」がかなり怪しい。
例えば「私はこう思う」と言っても、間違って覚えていることもある。
「テレビでこう言っている」と言ったところで、商品の宣伝みたいな番組もある。
朝食はテレビを消して話しながら食べる。 これが私たち二人の習慣である。
一日の始まりは楽しい朝食からと思っているが、諍いの元になることもある。
その朝は先日観たテレビのことで、QPに確認したいことがあった。
「顔ダニが夜中にウンコする話ですが…」
「ご飯のとき、そんな話しないでよ!」
「ごめんなさい。 この間のテレビのことですが、顔ダニが身体のために良いとか、言ってませんでしたか?」
「良いわけないでしょ。顔にウンコたれるんだから」
「食事中ですが…」
「それがどうしたのよ」
顔ダニについて、いろいろ書いたが、そのテレビ番組は10分くらいしか観ていない。 家に居る時は、ほとんど自室でパソコンに向っている。 疲れると居間に行くが、そのとき偶然やっていたのが例の顔ダニの話。
住処の毛穴から出て、顔にウンコして、毛穴に帰ってくる顔ダニのアニメが、可愛くて面白かったので、しばらく観ていた。
CMのとき自室に帰ったので、その後は観ていない。 それでQPに確認したのだが、どうやら顔ダニの良い点は放送されていないらしい。
なぜ、顔ダニの良い点にこだわるかというと、前回の記事「毎朝洗顔しています」についてのコメントで、良い意味だが気になることがあった。
顔ダニはニキビダニというもので、どちらかというと益虫。 顔ダニ用の石鹸などで、洗いすぎてもいけないようだ。
子どもの頃から共存してきたものだから、神経質になる必要はない。洗いすぎて皮脂膜が剥がれることもあるそうだ。
要は何事も程ほどにすることが大切。視聴率第一のテレビの言うことは、話半分に聞いて、上手に顔ダニと付き合うのがいいらしい。

中島公園菖蒲池、冬になると凍結して鴨が去る。 11月2日撮影。
「顔ダニはどちらかと言うと益虫みたいですね」
「エキチュウ?」
「居ないより居た方が良いということです。顔ダニ用の石鹸などで、洗いすぎると良い菌も死んでしまうのです」
「いい菌なんか居るわけないじゃない。顔洗うのメンドウになったのでしょ。
まったく~、三日坊主なんだから」
「そんなことないですよ…」
”ブログにコメントがあったのです”と言おうとしたが、これはQPには内緒で書いている。口にするわけには行かない。思わず…、
「みんな言ってますよ」
「みんなって誰よ!」
さっそくチェックが入った。曖昧な言葉は許されない。ちょっと緊張したら、
また言わなくていいことを言ってしまった。
「え~と、識者です。評論家とか…」
「評論家なんて受けそうなことを言って、稼いでいるだけじゃない。借り物の意見なんか言うんじゃないよ!」
このセリフどこかで聞いたことがある。それもその筈、いつも私が口にしている言葉だ。 それがQPにまで飛んで行き、腹の中で反転して、私のところに戻って来たのである。
国会中継でお馴染みの、ブーメラン効果でトドメを刺された。 楽しくない朝の食卓になってしまった。 やはり食事はテレビを観ながらの方がいいかも知れない。
ブーメラン効果とは、物事の結果がブーメランの飛行軌道のようにその行為をした者に(主に負の)効果をもたらす現象のこと。 また、ブーメランのように、一度離れたはずの出発点に戻ってきてしまう現象のこと。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
トラックバック(0) |
ちゃちゃ なかぱさん、おはようございます。
顔ダニのこと、知ったかぶりで周りの人たちに話しましたら、みんな知っていました。ああ、知らなかったのは私だけだったのかと、意気消沈。何年か前に、NHKの「ためしてガッテン」という番組でやっていたとか。でも、「顔ダニのウンコ」という言葉は強烈で、今まで以上に朝の洗顔をしっかりするようになりました。なかぱブログ効果です。ありがとう!
朝の豆知識
賢爺 nakapaさん
おはようございます。 顔ダニについては「初耳、初顔」でしたので、たいへん勉強になりました。
ブーメラン効果とドップラー効果の違いについて書け、という物理の問題を思い出しました。
朝から頭の体操で目が覚めました。
のん子 ブーメランなのかどうか、昔、私が内緒で話したことがオーバーな話になって戻って来たことがあります(^^ゞ
ちゃちゃさんへ親展(ファイターズ・ファンは読まないで)
nakapa おはようございます。
ジャイアンツ日本一おめでとうございます。
ここはファイターズファンが多いので、内緒でお祝い申し上げます。
阿部選手の活躍は素晴らしいですね。当然のMVPです。
彼のバットは顔ダニ以上に強烈でした。
賢爺さんへ
nakapa 「ブーメラン効果とドップラー効果の違いについて」ですが、物理の問題では、
難しくて、とても手が出ませんが、ドラマの問題なら馴染みがあります。
素晴らしい笑顔には、素敵な笑顔が帰ってくる。これがブーメラン効果。
ドップラー効果を応用した場面が一番多いのは潜水艦映画です。
「眼下の敵」など好かったですね。最近では「真夏のオリオン」。これも最高でした。
ソナーによる潜水艦探知に使われます。恐怖の反響音として効果的です。
のん子さんへ
nakapa それは、私も経験あります。ほとんどの皆さんが経験するところですね。
オーバーになったり、ときには反対になることもあります。
一種の「伝言ゲーム」ですが、そこに悪意や嫉妬が入ると凄いですね。
フラダン お二人の朝食風景が浮かんでくるようです(^_-)-☆ブーメラン効果でも何でも、
ご夫婦のコミュニケーションがしっかりなされてる効果ですね。
相手の会話をしっかり、インプットしてるのですから、しかも悪意も嫉妬もなく
そのもの、ずばりですから、、 エッ!「ラーメン効果」って?!寝ボケまなこで見て
一瞬勘違いしてしました、(笑い)
イチゴとリンゴの館 やっぱり~~~「ラーメン効果」私ばかりでなかった・・・(*^。^*)
一瞬「ラーメン効果」ってナンだろうと???
ブーメランでしたか!!!
楽しい朝の会話に座布団3枚ですね(^_-)-☆
mitchi-jul 云いなれた、聞きなれた言葉で会話する事の
大切さが、伝わりました。
でも、国際社会ですから聞きなれない言葉に
出合ったら、何を意味するか位の理解度は
持ちたいものですね。分らなければ調べる方法を
身に着けることが先決ですね。
フラダンさんへ
nakapa ときどき腹が立ちますが、すぐ忘れます。
忘れるのに書いているのは、おかしいではないかと思いませんか。
実はメモしているのです。もちろん席を離れたときですが。
メモするから、すぐ忘れるのではないかと思います。
腹が立てばたつほど、書くと笑い話になります。もっと言ってほしいです。
「ラーメン効果」ですか。なかなか面白そうです。どんな効果があるのか考えてみます。
「私は毎朝、顔を洗っています」と言ったところで、誰も褒めてくれやしない。
だから、自分で褒めてあげるのだ。
「洗顔の意義を正しく理解し、納得して洗っているアンタはエライ!」
新聞やテレビは実に面白い。先日は南極の氷山を砂漠に運んで緑地化しようという、壮大な話を新聞小説で読んだと思ったら、今度はテレビでミクロの話題。 なんと、毛穴の奥に潜んでいる顔ダニの登場である。
私の顔には顔ダニが住んでいるらしい。 ダニというと気持ちが悪いので、ここではカオキンと呼ばせてもらうことにした。顔ダニの愛称のつもりだ。
テレビのアニメで見ると、カオキンは目玉の大きいオタマジャクシのような、可愛いキャラである。 ところが、このカオキンは、顔の上で常識では考えられない悪さをする。
普段は毛穴の奥に潜んでいるが、気が向くと、毛穴から出て顔の上にウンコをする。 まさに、ツラ汚しである。 カオキンにとっては必要な生理現象だと思うが、私にとっては忍びがたい行為だ。
奇麗好きなカオキンにしてみれば、ひと間しかない毛穴の住居で用を足すわけには行くまい。外でしたい気持ちは、よく分かる。 しかし、私の顔の上では止めてほしい。
アニメを見ているとカオキンは毛穴の中でスヤスヤ寝ている。 目覚めると、可愛い お目々をパッチリあけて、毛穴からチョロチョロと這い上がり、顔に来るのだ。
その姿のメンコイこと。 しかし、顔の上でチョロチョロ動きながら黄色いウンコをアチコチにたれるのだから、たまらない。とんだ面汚しだ。
腹にたまっているものをはき出してスッキリすると、チョロチョロと寝床がある毛穴に帰る。 仕草を見ていると、絵本で見る幼虫のような可愛いカオキンである。

東京以北、最大の歓楽街、薄野より徒歩5分でこの景観、10月28日撮影
出すものを出せば気持ちがいい。 カオキンだって気分がいいだろう。 彼らに罪はないのだから、無駄な殺生はしたくない。
「自分の顔くらい毎日洗いなさいよ」と、QPは相変わらず小うるさい。
「外出するときは、洗ってヒゲ剃りますから、迷惑はかけてないと思いますよ」
「臭いんだよ。そばに寄らないで」
「加齢臭ですか」
「あんたの顔は、顔ダニのウンコがいっぱい付いてるの!」
「気のせいでしょう。私は臭いませんよ」
叉、QPに顔を洗わないと叱られた。
「あんたの顔なんかウンコだらけで汚いんだから近寄らないでよ」
ここまで言うのは、あんまりだと思っていたが、本当だから仕方がない。
テレビを観て、やっと分かった。 今では毎朝、きれいに顔を洗っている。洗い方も勉強した。 ゴシゴシこすってはダメ。軽くナゼナゼするのである。 石鹸もネットを使って充分泡立てると効果がある。
こうすると、毛穴の中のカオキンも全滅する。 もう、顔にウンコをたれられない。 きれいな顔になれるのだ。
しかし、自分がきれいになるために、ごく普通に暮らしているカオキンを駆除していいのだろうか。 それに、今まで共生していたカオキン(顔ダニ)が居なくなったら、副作用のような悪影響はないのだろか。 疑問は残る。
私自身は、毎日顔を洗うようになってから、まだ一週間に過ぎない。 顔の奇麗な方に伺いたいが、毎日顔を洗って、本当に大丈夫なのだろうか?
だから、自分で褒めてあげるのだ。
「洗顔の意義を正しく理解し、納得して洗っているアンタはエライ!」
新聞やテレビは実に面白い。先日は南極の氷山を砂漠に運んで緑地化しようという、壮大な話を新聞小説で読んだと思ったら、今度はテレビでミクロの話題。 なんと、毛穴の奥に潜んでいる顔ダニの登場である。
私の顔には顔ダニが住んでいるらしい。 ダニというと気持ちが悪いので、ここではカオキンと呼ばせてもらうことにした。顔ダニの愛称のつもりだ。
テレビのアニメで見ると、カオキンは目玉の大きいオタマジャクシのような、可愛いキャラである。 ところが、このカオキンは、顔の上で常識では考えられない悪さをする。
普段は毛穴の奥に潜んでいるが、気が向くと、毛穴から出て顔の上にウンコをする。 まさに、ツラ汚しである。 カオキンにとっては必要な生理現象だと思うが、私にとっては忍びがたい行為だ。
奇麗好きなカオキンにしてみれば、ひと間しかない毛穴の住居で用を足すわけには行くまい。外でしたい気持ちは、よく分かる。 しかし、私の顔の上では止めてほしい。
アニメを見ているとカオキンは毛穴の中でスヤスヤ寝ている。 目覚めると、可愛い お目々をパッチリあけて、毛穴からチョロチョロと這い上がり、顔に来るのだ。
その姿のメンコイこと。 しかし、顔の上でチョロチョロ動きながら黄色いウンコをアチコチにたれるのだから、たまらない。とんだ面汚しだ。
腹にたまっているものをはき出してスッキリすると、チョロチョロと寝床がある毛穴に帰る。 仕草を見ていると、絵本で見る幼虫のような可愛いカオキンである。

東京以北、最大の歓楽街、薄野より徒歩5分でこの景観、10月28日撮影
出すものを出せば気持ちがいい。 カオキンだって気分がいいだろう。 彼らに罪はないのだから、無駄な殺生はしたくない。
「自分の顔くらい毎日洗いなさいよ」と、QPは相変わらず小うるさい。
「外出するときは、洗ってヒゲ剃りますから、迷惑はかけてないと思いますよ」
「臭いんだよ。そばに寄らないで」
「加齢臭ですか」
「あんたの顔は、顔ダニのウンコがいっぱい付いてるの!」
「気のせいでしょう。私は臭いませんよ」
叉、QPに顔を洗わないと叱られた。
「あんたの顔なんかウンコだらけで汚いんだから近寄らないでよ」
ここまで言うのは、あんまりだと思っていたが、本当だから仕方がない。
テレビを観て、やっと分かった。 今では毎朝、きれいに顔を洗っている。洗い方も勉強した。 ゴシゴシこすってはダメ。軽くナゼナゼするのである。 石鹸もネットを使って充分泡立てると効果がある。
こうすると、毛穴の中のカオキンも全滅する。 もう、顔にウンコをたれられない。 きれいな顔になれるのだ。
しかし、自分がきれいになるために、ごく普通に暮らしているカオキンを駆除していいのだろうか。 それに、今まで共生していたカオキン(顔ダニ)が居なくなったら、副作用のような悪影響はないのだろか。 疑問は残る。
私自身は、毎日顔を洗うようになってから、まだ一週間に過ぎない。 顔の奇麗な方に伺いたいが、毎日顔を洗って、本当に大丈夫なのだろうか?
トラックバック(0) |
こまどり カオキンですか、この話、面白いけれど気持ちわる~~。私の顔にもカオキン居るの~。オ~~ブルブル。エッ、nakapaさん、毎日顔洗っていなかったの? それは不思議、不思議?
明日から綺麗に
コマクサ カオキンの話テレビで見て無いので、初めて知った。
女性は皆んな朝晩きちっと洗っているでしょうが、nakapa さんが石鹸で
泡たてネットで洗っている姿想像して可笑しいわ・・
主人見ていると、夜はお風呂で洗い、朝は水洗いで終わっています。
するとカオキンのウンコが一日中付いたままなのね?
明日から朝の洗顔念入りにしなくちゃ~~
ちゃちゃ なかぱさん、おはようございます。
カオキンさんのお話、我が身にもジ~ンときます。あれやこれやと顔にぬらない私は洗顔も適当です。
恐ろしくなりました。ので、これから洗面所に行って、しっかり顔を洗ってきます。顔ダニのことも調べてみましょう。
それにしても、紅葉の写真、きれいですね。いよいよ寒い冬がきますね。
のん子 このテレビ、私も観てました
しかし、これ民放でしたよね?
最近はテレビ=視聴率第一って思ってしまいますので、間違ってはいないんでしょうが話、半分位でよろしいかと?
でも朝、洗顔しない方には、この位言っておいて正解だったかとって言い過ぎたかしら?(^^ゞ
ちゃちゃ なかぱさん、
顔をしっかりと洗い、PCに戻り、yahoo! で検索しました。「ウイキペディア」の記載では、いわゆるニキビダニというもので、どちらかというと益虫の類に属するとか。顔ダニ用の石鹸なども出回っているようですが、洗いすぎてもいけないようですし、上手にカオキンさんと付きあへばいいような。おかげさまで、知識が一つ増えたかな?
こまどりさんへ
nakapa 事業仕分けって、今の政権でやろうとしていますね。
私も退職時に仕分けをやりました。その結果、洗顔は顔が汚れたときと、
外出するときに、やるような仕分けになりました。しかし、これは間違いでした。
汚れが内部からも来ることを知らなかったのです。 人生いくつになっても勉強ですね。
コマクサさんへ
nakapa 泡たてネットというのですか、あれを使うと面白いように泡が立ちますね。
顔をなぜていると、ねっとりしてきて気持ちいいです。
私は改心したら徹底的に洗いますよ。洗顔も前向きにやればメンドウに感じません。
ちゃちゃさんへ
nakapa おはようございます。
そうですね。気持ち悪いですね~。そんなことテレビを観るまで知りませんでした。
近所の中島公園は10月下旬が紅葉の真っ最中でした。もうじき冬ですね。
風邪引かないように注意しましょう。お互いに…。
のん子さんへ
nakapa 話半分ですか。そうかもしれません。石鹸メーカー等が後押ししている
場合もありますね。
ちっとも言いすぎではありません。 このくらい言って観せてくれないと
私には効き目ないです。 QPには年がら年中言われていましたが、
汚れてないのに洗う必要はないと突っぱねてきました。 反省しています。」
フラダン 「カオキン」可愛いネームを付けましたね、私は、夜はお化粧を落とす意味で丁寧に
洗顔しますが朝は石鹸を使わず素洗いだけでずーと来ました。
読んでてカオキンの存在を意識したら、チョットゾートしたけど、子供の頃から
ズート共存して来たと思うので、これからもそのつもりあまり神経質になり、
菌につけ込まれると、抵抗力がなくなるわよ~いつも素敵な写真も
見せていただきありがとうございます。
この世は舞台、人は皆役者かもしれない。 それぞれに与えられた役がある。 例えばQPは作る人、そして私は、一緒に楽しく食べる人だ。 この役を変えたら、ろくなことにはならない。
「誰でも料理ができて自立できなければダメだ!」と、断定する人も少なくない。 だが、果たしてそうだろうか? 私は疑問に思っている。
「食べ役」の私も、少しは食事の支度を手伝う。 受け持ちは朝食の紅茶。これは毎朝やっている。 それに、カップ麺にお湯をいれることかな? たまにだが。
そうそう、最近は、お粥(かゆ)も作っているぞ!
具合が悪くなって食べ物の味が無くなったのがキッカケだった。 そのとき、お粥と梅干で食べたら、とても美味しかった。 もちろん、お粥は自分で作った。
お粥は上等な米を使えば美味しく作れる。 梅干は酸っぱくて食べられないような高級梅干が合う。 水を多めに入れることが美味しいお粥を作るコツだ。
こうして私の料理のレパートリーにお粥が加わった。
「今日のお昼お粥にしない?」と、QPが言った。
「任せて下さい。美味しく作りますよ。少し薄甘い感じがいいですね」
「なんだか、ご飯の支度が面倒になっちゃった」
”メンドウ? なんだ、そんなことか、まぁ、いいや”と、独り言。

中島公園天文台側、ヤエザクラが満開、2009年5月11日撮影
私はQPに逆らわないし、頼まれたことは何でもする。 裏を返せば、頼まれない限り、指一本動かさない。 これは楽をする上で、とても大切なことだ。 全ての不幸は「気を利かす」ことから始まっている。
例えば、気を利かせて食後の皿洗いをする。 繰り返しているうちに皿洗いをする習慣ができてしまう。 その結果、皿を洗わないと叱られることになるのだ。
一方、皿洗いを頼まれたら、「はい!」と、気持ちよく返事をして洗う。そうすれば、ありがとうと感謝されるだろう。 同じことをしても、その結果には雲泥の差がある。 穏やかな暮らしをしたいなら、自ら不幸の種を蒔かないことだ。
いよいよ昼食だ。 さっそく、二人分の食事をテーブルに用意した。
「食事の用意ができました。どうぞお座り下さい」
「あらっ!梅干だけ?」
「そうです。お粥には梅干が一番合うのです。美味しいですよ」
QPは黙って立ち上がり、ふりかけをもって来て、お粥にかけた。 白くて美しいお粥が一瞬のうちに汚れてしまった。 まるでゴミを撒き散らしたようだ。
なんともいえない薄甘い感じが美味しいのに、これでは台無しだ。 更に、ワカサギの佃煮を入れて、ごった煮状態にしてしまった。 目の前で、上品で美しいお粥が汚されて行くのを見るのは悲しいものだ。
「料理は見た目も大切です。白いお粥の中では赤い梅干が一番美しいのです」
「これが料理? 水っぽくて食えないよ」
『塩分控えめ』とか言って、私が醤油を少しかけただけでも文句言うくせに、お粥には、ふりかけやワカサギの佃煮などをじゃんじゃん入れている。 なんとも気分の悪い昼食となってしまった。
この経験で分かったことが一つある。 人それぞれに適役がある。 私は「一緒に楽しく食べる役」がはまり役だ。 決して作ってはならないのだ。
「食べる役」は易しいようで難しい。 好き嫌いのないことはもちろんだが、多少の演技力も必要だ。 正直なQPには無理だろう。 この役は私が引き受けるしかないのだ。
「誰でも料理くらいできなければいけない。自立しなければ…」とか言われるが、もっと大切なものがある。 それは「他人が作ったものを楽しく食える能力」である。
人は誰もが年をとり衰える。 病院にしろ、有料老人ホームにしろ、最終的には他人の作ったものを食べて生きて行かなければならない。
そのような施設では、「どんなものでも美味しく楽しく食べられる能力」がものを言うだろう。 美食家は苦労すると思う。
何を隠そう! 私自身も美食家の一人である。 だから一生懸命「楽しく食べる」訓練をしている。 厳しい課題をを自らに課しているのである。
QPの作ったものならどんなものでも美味しそうに食べる。 先ず「頂きます」と言って箸をとり、食事中は楽しい会話を心がける。
話が途切れたときは「これ美味しいですね」と言う。 食べ終われば「ご馳走様でした」と、お礼の挨拶をする。
この世は舞台、人は皆役者である。 私もこの人生劇場で、自分に与えられた役を、楽しみながら精一杯演じている。
「ところで、先輩はどんな役が好きですか?」
「もし世界が100人の村だとして、『食べ役』が99人で『作り役』が1人なら99人はどうなる?」
「数学は苦手です」
「そうだったな。栄養学で説明して上げよう」
「分かり易くお願いしますよ」
「毎朝、紅茶飲んで、たまにカップ麺食って、美味しいものが食べたくなったら、
お粥と梅干と言ったな」
「そんなこと言いましたか?」
「とぼけるんじゃないよ。 それじゃあ生きて行けないだろう」
「ですから、病院とか老人ホームが……」
「ちょっと待った! 何もしないで、空からメシが降ってくると思うか!!」
「ダメですね」
「当たり前だ」
「屋根があるからダメですね」
「誰でも料理ができて自立できなければダメだ!」と、断定する人も少なくない。 だが、果たしてそうだろうか? 私は疑問に思っている。
「食べ役」の私も、少しは食事の支度を手伝う。 受け持ちは朝食の紅茶。これは毎朝やっている。 それに、カップ麺にお湯をいれることかな? たまにだが。
そうそう、最近は、お粥(かゆ)も作っているぞ!
具合が悪くなって食べ物の味が無くなったのがキッカケだった。 そのとき、お粥と梅干で食べたら、とても美味しかった。 もちろん、お粥は自分で作った。
お粥は上等な米を使えば美味しく作れる。 梅干は酸っぱくて食べられないような高級梅干が合う。 水を多めに入れることが美味しいお粥を作るコツだ。
こうして私の料理のレパートリーにお粥が加わった。
「今日のお昼お粥にしない?」と、QPが言った。
「任せて下さい。美味しく作りますよ。少し薄甘い感じがいいですね」
「なんだか、ご飯の支度が面倒になっちゃった」
”メンドウ? なんだ、そんなことか、まぁ、いいや”と、独り言。

中島公園天文台側、ヤエザクラが満開、2009年5月11日撮影
私はQPに逆らわないし、頼まれたことは何でもする。 裏を返せば、頼まれない限り、指一本動かさない。 これは楽をする上で、とても大切なことだ。 全ての不幸は「気を利かす」ことから始まっている。
例えば、気を利かせて食後の皿洗いをする。 繰り返しているうちに皿洗いをする習慣ができてしまう。 その結果、皿を洗わないと叱られることになるのだ。
一方、皿洗いを頼まれたら、「はい!」と、気持ちよく返事をして洗う。そうすれば、ありがとうと感謝されるだろう。 同じことをしても、その結果には雲泥の差がある。 穏やかな暮らしをしたいなら、自ら不幸の種を蒔かないことだ。
いよいよ昼食だ。 さっそく、二人分の食事をテーブルに用意した。
「食事の用意ができました。どうぞお座り下さい」
「あらっ!梅干だけ?」
「そうです。お粥には梅干が一番合うのです。美味しいですよ」
QPは黙って立ち上がり、ふりかけをもって来て、お粥にかけた。 白くて美しいお粥が一瞬のうちに汚れてしまった。 まるでゴミを撒き散らしたようだ。
なんともいえない薄甘い感じが美味しいのに、これでは台無しだ。 更に、ワカサギの佃煮を入れて、ごった煮状態にしてしまった。 目の前で、上品で美しいお粥が汚されて行くのを見るのは悲しいものだ。
「料理は見た目も大切です。白いお粥の中では赤い梅干が一番美しいのです」
「これが料理? 水っぽくて食えないよ」
『塩分控えめ』とか言って、私が醤油を少しかけただけでも文句言うくせに、お粥には、ふりかけやワカサギの佃煮などをじゃんじゃん入れている。 なんとも気分の悪い昼食となってしまった。
この経験で分かったことが一つある。 人それぞれに適役がある。 私は「一緒に楽しく食べる役」がはまり役だ。 決して作ってはならないのだ。
「食べる役」は易しいようで難しい。 好き嫌いのないことはもちろんだが、多少の演技力も必要だ。 正直なQPには無理だろう。 この役は私が引き受けるしかないのだ。
「誰でも料理くらいできなければいけない。自立しなければ…」とか言われるが、もっと大切なものがある。 それは「他人が作ったものを楽しく食える能力」である。
人は誰もが年をとり衰える。 病院にしろ、有料老人ホームにしろ、最終的には他人の作ったものを食べて生きて行かなければならない。
そのような施設では、「どんなものでも美味しく楽しく食べられる能力」がものを言うだろう。 美食家は苦労すると思う。
何を隠そう! 私自身も美食家の一人である。 だから一生懸命「楽しく食べる」訓練をしている。 厳しい課題をを自らに課しているのである。
QPの作ったものならどんなものでも美味しそうに食べる。 先ず「頂きます」と言って箸をとり、食事中は楽しい会話を心がける。
話が途切れたときは「これ美味しいですね」と言う。 食べ終われば「ご馳走様でした」と、お礼の挨拶をする。
この世は舞台、人は皆役者である。 私もこの人生劇場で、自分に与えられた役を、楽しみながら精一杯演じている。
「ところで、先輩はどんな役が好きですか?」
「もし世界が100人の村だとして、『食べ役』が99人で『作り役』が1人なら99人はどうなる?」
「数学は苦手です」
「そうだったな。栄養学で説明して上げよう」
「分かり易くお願いしますよ」
「毎朝、紅茶飲んで、たまにカップ麺食って、美味しいものが食べたくなったら、
お粥と梅干と言ったな」
「そんなこと言いましたか?」
「とぼけるんじゃないよ。 それじゃあ生きて行けないだろう」
「ですから、病院とか老人ホームが……」
「ちょっと待った! 何もしないで、空からメシが降ってくると思うか!!」
「ダメですね」
「当たり前だ」
「屋根があるからダメですね」
トラックバック(0) |
ちゃちゃ この世は舞台!人は皆役者!私も常にそう思って生きています。同じような考えの人がいるなんて嬉しい限りです。一回きりの人生だけど、夢舞台ではどんな役だって演じられる!ただ、今の私は全身、大根役者ですが。
今日は新国立劇場に「タトゥー」というお芝居を観に行ってきま~す。楽しみ~!
こまどり そう、そう、人生など舞台と思えばなんでも楽しく演じられますね。nakapaさんの「お粥」と言う出し物面白い、舞台の一場面切り取ってみせてくれまして。お粥に美的感覚をもって眺めているところが 個性的な役者演じていて わらえます。
匿名希望のH お久しぶりです。「匿名希望のH」です。
名前は「H」ですが、特に助平ではありません。
さて、私は「誰でも料理ができて自立できなければダメだ!」と言う意見の持ち主です。理由は、ワイフの血統は高血圧で両親とも早死にです。一方、私の両親はともに長生きで、もう少しで100歳になるところでした。ですから多分、私は一人で生きていかなければならないのです。お陰様で料理のレパートリーも随分多くなりました。でも、もし私が先に逝ったら「料理の好きないいお父さんでした」と言われるかも知れませんね。!(^^)!
コマクサ 私の父は今病院食の「お粥」です。
昼食を見ると梅干は一度も付いたことが無い。
味の無いお粥は「美味くない」と言いながら食べている。
自家製の梅干持って行くと「うまい」と食した。
お粥には梅干が一番合うのですから佃煮などは
「おかず」として食べれば良いんですよね。
それぞれの食べ方がありますから難しい!
納得談義
暦 「この世は舞台、人は皆役者である」・・・
う~ん、含蓄のある言葉です。
時々ですが、私も同じことを思います。
生きれるだけ生きたら、
舞台の上で、やすらかに美しく死にたいです。
ちゃちゃさんへ
なかぱ 観劇ですか。羨ましいですね。 ネットで調べると、
「閉ざされた家族の愛憎をめぐり、近代社会に潜む深層心理を描く話題作」
だそうです。 凄く面白そうです。
私も同じように思っている方からコメントをもらって喜んでいます。
大根役者、謙遜と思いますが。結構なことです。
私は勝負を挑まれて、いつも芝居で逃げています(笑)。
笑い事じゃあないですね。
フラダン 人生はすべて「夢芝居」です、時には演じる人、観る人、悲哀に満ちた大舞台です、
大根役者でも演じ切った者には大喝采の幕が下りるるでしょう、
いつも愉快な芝居を、特等席で観させていただき、笑いをありがとう~( ^^) _U~~
こまどりさんへ
なかぱ ありがとうございます。お粥は美味しいですよ。
もし私が役者なら、かなり下手な方ですね。役になりきれないのです。
自分が出てしまい、直ぐ怒るし、直ぐ笑います。シナリオにないのにです。
それでも、誰かが見ているかもしれないと思いながら、とる行動は芝居ですね。
役割分担論者
ひよどり 私も役割分担論者です。
女性差別でも女性蔑視でもありません。
炊事にしても同じです。
奇数日は夫、偶数日は妻という役割分担であればそのように割り切ります。
得意と不得意とを考えながら、お互いに緩やかに決めればいいことだと思っております。
わが家は食事はカミさんが作ります。
食材は一緒に買いに行きます。私が運搬担当です。
つまり、私は運転手です。
きっとカミさんには不満があるかもしれませんが、今のところ表面化していません。
その代わり、私は何を食べさせられても、不平を言うことはありません。
カミさんが寝込んだとき、私が食事を作ります。
nakapaさんと同じ、お粥が得意技なのです。
それに梅干し。
「美味しい!」
カミさんは文句を言いません。
たとえ味が良くなくても、作るよりはいいや!と思っているフシがあります。
Hさんへ
なかぱ お久しぶりのコメントありがとうございます。
おっしゃる通りと思います。料理に限らず自立していなければいけない
と思います。料理のレパートリーが多いということは、私には想像できないほど
豊かな暮らしと思います。 私も自分で作ったお粥を食べているときが、
一番幸せです。 文中に出てくる「私」という人間は困った人です。
屁理屈こねても、何の役にも立たないということを理解していないようです(笑)。
水泳、撞球、ボーリング、ピアノ、スケート、パソコンとか、苦手なことばかりやって、ずいぶん時間を無駄にしたものだ。 何一つ身につかなかった。
パソコンだけは道具として使い続けたが、いまだに何が何だかサッパリ分からない。 他のものは、道具にもならなかったので、とっくの昔に棄ててしまった。
しかし、世の中は捨てたものではない。 無駄なものなど一つもないのだ。 今までやってきたことは、何となく役に立ってしまった。
例えば撞球だが、押し球、引き球、捻り球、近球、マッセーなど、身についていなくても用語だけは記憶に残っている。 他についても同じ様なものだ。 これはオフレコだけど、出来なくても書けてしまうのだ。
何をやっても上手くできない。 こうして、趣味は次々と変わるから、経験も豊富になってしまう。 人生とは不思議なものだ。
もし、撞球が得意だったら、*ハスラーに憧れ、その結果ハスラーの餌食になり、今頃は路頭に迷っていたかも知れない。
「何をやっても下手くそだ」ということは、必ずしも不幸には結びつかない。 下手だから、その道にはまり込む事ができない。 その結果、幅広くいろいろな方面に目を向けることになる。
「どうして、面白く書けるの」とAさんに聞かれた。 私が一番喜ぶ質問を、ズバッと言ってくれたのだ。 実に頭のいい人だ。
お世辞なのだから、間違っても「こんなわけです」とか、まともに答えてはいけない。 これくらいのことは私だって心得ている。
とは思ったものの、「苦労したからです」と、思わず本音が出てしまった。 この一言に、何十年分もの思いが込められていたからだ。
しかし、他人様には与り知らぬこと。 まして、たまにしか会わないAさんに、「分かって下さい。この気持ち」と、言ったところで無理がある。

中島公園 中央は菖蒲池、手前は日本庭園、右はキタラと豊平館
もちろん書くと言っても自己満足。 コッソリと日記でもつけていればいいものを、「読んで笑ってほしい」と言うのだから押し付けがましい。 さぞかし迷惑なことだろう。
もともとオッチョコチョイと言われた、お調子者。 ふざけて周りの人が笑うのをみて、得意になる性分だった。
ところが、何の因果かノロマのくせに、特に敏捷性が求められる仕事についてしまった。 2年もすると真面目にしていなければ、やっていけないことが分かった。
ノロマの欠点は努力と真面目さでカバーしたが、一部の人は真面目なだけでは許してくれない。 当然のことだが、厳しい注文をつけられた。
しかし、不真面目にしていたらどうだろう。 全ての人から爪弾きにされるに違いない。 それだけはどうしても避けたい。 真面目なフリは本当につまらない。 明るくなんかなれるわけがない。
職を失ったら家族どころか、自分さえ食べて行けない。 虚弱体質だから肉体労働はできないのだ。 40年弱も猫をかぶって生きてきたが、退職してやっと解放された。 化けの皮は徐々にはがれ、いつの間にか元のお調子者に戻っていた。
生まれついてのオッチョコチョイだが、仕事のお陰で真面目に振舞うスキルは身についた。 表面だけだが、何かと役に立つものだ。 良かったな。
しかし、「馬鹿は死ななきゃ治らない」。 いつもジョークを飛ばして笑ってほしいと思っている。 これは笑欲か? 誰にも欲はある。小欲と思ってくれればいいのだが…。
*ハスラー (Hustler)
賭け事において実力を隠し相手から大金をせしめる者のこと。詐欺師。日本ではビリヤードを行う者すべてを指す場合もある。実際のビリヤードプレイヤーはハスラーという言葉を使わない。
(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
パソコンだけは道具として使い続けたが、いまだに何が何だかサッパリ分からない。 他のものは、道具にもならなかったので、とっくの昔に棄ててしまった。
しかし、世の中は捨てたものではない。 無駄なものなど一つもないのだ。 今までやってきたことは、何となく役に立ってしまった。
例えば撞球だが、押し球、引き球、捻り球、近球、マッセーなど、身についていなくても用語だけは記憶に残っている。 他についても同じ様なものだ。 これはオフレコだけど、出来なくても書けてしまうのだ。
何をやっても上手くできない。 こうして、趣味は次々と変わるから、経験も豊富になってしまう。 人生とは不思議なものだ。
もし、撞球が得意だったら、*ハスラーに憧れ、その結果ハスラーの餌食になり、今頃は路頭に迷っていたかも知れない。
「何をやっても下手くそだ」ということは、必ずしも不幸には結びつかない。 下手だから、その道にはまり込む事ができない。 その結果、幅広くいろいろな方面に目を向けることになる。
「どうして、面白く書けるの」とAさんに聞かれた。 私が一番喜ぶ質問を、ズバッと言ってくれたのだ。 実に頭のいい人だ。
お世辞なのだから、間違っても「こんなわけです」とか、まともに答えてはいけない。 これくらいのことは私だって心得ている。
とは思ったものの、「苦労したからです」と、思わず本音が出てしまった。 この一言に、何十年分もの思いが込められていたからだ。
しかし、他人様には与り知らぬこと。 まして、たまにしか会わないAさんに、「分かって下さい。この気持ち」と、言ったところで無理がある。

中島公園 中央は菖蒲池、手前は日本庭園、右はキタラと豊平館
もちろん書くと言っても自己満足。 コッソリと日記でもつけていればいいものを、「読んで笑ってほしい」と言うのだから押し付けがましい。 さぞかし迷惑なことだろう。
もともとオッチョコチョイと言われた、お調子者。 ふざけて周りの人が笑うのをみて、得意になる性分だった。
ところが、何の因果かノロマのくせに、特に敏捷性が求められる仕事についてしまった。 2年もすると真面目にしていなければ、やっていけないことが分かった。
ノロマの欠点は努力と真面目さでカバーしたが、一部の人は真面目なだけでは許してくれない。 当然のことだが、厳しい注文をつけられた。
しかし、不真面目にしていたらどうだろう。 全ての人から爪弾きにされるに違いない。 それだけはどうしても避けたい。 真面目なフリは本当につまらない。 明るくなんかなれるわけがない。
職を失ったら家族どころか、自分さえ食べて行けない。 虚弱体質だから肉体労働はできないのだ。 40年弱も猫をかぶって生きてきたが、退職してやっと解放された。 化けの皮は徐々にはがれ、いつの間にか元のお調子者に戻っていた。
生まれついてのオッチョコチョイだが、仕事のお陰で真面目に振舞うスキルは身についた。 表面だけだが、何かと役に立つものだ。 良かったな。
しかし、「馬鹿は死ななきゃ治らない」。 いつもジョークを飛ばして笑ってほしいと思っている。 これは笑欲か? 誰にも欲はある。小欲と思ってくれればいいのだが…。
*ハスラー (Hustler)
賭け事において実力を隠し相手から大金をせしめる者のこと。詐欺師。日本ではビリヤードを行う者すべてを指す場合もある。実際のビリヤードプレイヤーはハスラーという言葉を使わない。
(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
トラックバック(0) |
フラダン ナカパさんは、とても多趣味でビックリです!趣味の質が私の趣味とは大違い、
とてもセレブなのね、、、経験した物に無駄なものなど一つもないにも頷けました、
ナカパさんは、とても生真面目な方に思えましたので、文を読んだ時、そのギャップにも
笑えました、猫を被ってたなんて、何匹位?(^^ゞ、猫も開放したので、今では自由を
楽しんでるわね、ナカパさんと同じく、、、、もっと笑いに出逢えるかなぁ~なんて
時々やってくる私の方が大欲張りね!
ちゃちゃ なかばさんって、もしかしたらB型?私もいろいろなことに手を出しはするが、ものにはなりません。人が面白いということに興味を示し、ちょっ覗くと、「あ~、こんなものか」と納得してしまい、お終い!だから中途半端なものばかり!B型女の行く末です。
どさんこ おはようございます。
いつも自然体で、ひようひょうと、くすりと微笑んでしまう素敵な文章に感心しています。
僕も幸福な気持ちになりました。
イチゴとリンゴの館 何時もながら面白い(^○^)
エッセーを読んでいて、実に納得しました。
私も色々と気が多く、良く言えば幅が広いのだけれど、本当は何を遣っても中途半端で終わってしまう
典型的なB型タイプですね~
そして目立ちたがり屋(^○^)
ちゃちゃ イチゴとリンゴの館さま 初めまして!B型は楽でいいですよね。集団の中で一人でいても平気、よそ様のことはどうでもいい、だけど自分のことは主張できる。どこへだって、興味があれば入っていける。かつて、息子にいわれました。「母親がB型でよかった」って!
日曜日の朝は・・・
ウフフの小母はん 食卓・撞球・・そして、ハスラー!
昨夜ハドソン河のドキュメンタリーを見ながら、なかぱさんのお顔が浮かんできて、今朝はハスラーの言葉に、ドキッ!とさせられ・・・
猫さん?が去っていったのですね(ウフフ)
おかげで日曜日の朝は、こんなに楽しい時間を過ごさせていただいています♪
でも・・子猫一匹くらいはまだ被っていて欲しいわ、ウフフ。
フラダンさんへ
なかぱ 趣味といえるものは無いので、無趣味です。あえて言えば、
今やっていることが趣味です。
30代で、能力が無いことを悟りました。それまでは出来ないのは
努力が足りないと信じていました。
それからの趣味は鑑賞だけです。鑑賞趣味は感傷趣味に通じます。
いろいろな面でギャップは大きいですね。
ちゃちゃさんへ
なかぱ はい、B型です。「中途半端なものばかり」はB型の特徴ですか。
長年の謎が、やっと解けたような気がします。
私の場合は「中途半端マイナス」です。
なかなか、中途半端の水準まで届きません。
みんな同じ
ひよどり みんな同じですね。
もちろん才能のある人、運のいい人など、世の中には沢山いるでしょうが、大方は普通人。
いいところが3個に悪いところが7個。
いいところを見せようと努力し、悪いところを目立たないようにしてやっています。
運の良し悪しにも左右されながら、なんとかツジツマを合わせているような次第。
これが普通なのでしょうね。
どさんこさんへ
なかぱ はじめまして。コメントありがとうございます。
読んでくれて幸せになるとは、話半分に聞いても
とても有難いです。千分の一でも有難いです。
これからもよろしくお願いいたします。
在職中は解決できない苦しい場面も多々ありました。 しかし、無職の今は楽しくなるか、ならないかは自分の考え次第です。 生活の指針は「楽しく正しく金かけず」です。
とはいえ、外で楽しめることとなると散歩ぐらいしか思いつきません。7年前に散歩のし易い中島公園隣接地に転居しました。
それまでは、野幌森林公園の近くに住んでいましたが、私には広すぎました。 特に冬の散歩ではトイレに困りました。
私にとって「正しく」とは正義感からでたものでなく、生活の知恵にすぎません。
人に後ろ指刺されるようなことをするとなんとも落ち着かないのです。穏やかで楽しい暮らしを続けるには悪いことはしないことが第一です。
最後に「金かけず」ですが、収入に見合った生活をしたいと考えています。新聞を賑わしている、ほとんどの悲劇は収入以上の生活から始まっています。
年収200万円もあれば、40年前なら大金持ちです。 この収入でも、あれこれ悩んで病気さえしなければ余裕のある生活が出来るはずです。
とはいえ、外で楽しめることとなると散歩ぐらいしか思いつきません。7年前に散歩のし易い中島公園隣接地に転居しました。
それまでは、野幌森林公園の近くに住んでいましたが、私には広すぎました。 特に冬の散歩ではトイレに困りました。
私にとって「正しく」とは正義感からでたものでなく、生活の知恵にすぎません。
人に後ろ指刺されるようなことをするとなんとも落ち着かないのです。穏やかで楽しい暮らしを続けるには悪いことはしないことが第一です。
最後に「金かけず」ですが、収入に見合った生活をしたいと考えています。新聞を賑わしている、ほとんどの悲劇は収入以上の生活から始まっています。
年収200万円もあれば、40年前なら大金持ちです。 この収入でも、あれこれ悩んで病気さえしなければ余裕のある生活が出来るはずです。
私は家庭内における楽な生き方を発見した。人類における「火の発見」と同じように、もはや発見以前の状態には戻れない。 何事も逆らわなければ楽に暮らせるのだから「議論して正しい結論を出す」なんていう面倒くさいことはしたくなくなった。
何でも「はいはい」と言っておけば、後は好きなようにできるのだから、こんな楽なことはない。 しかし、たまには自己主張したいこともある。 カレーライスの肉がやけに大きい、ジャガイモや人参も大きい。 これでは食べ難くて仕方がない。
「もうちょっと、小さく切ってくれませんか」
「そんなこと言うんだったら、自分で好きのように作ればいいじゃない」
「そうですね。大きい方が美味しいですね」
一旦引いても、食べにくいという事実は、そのまま残っている。 日常生活で一番の楽しみは食事だから放置することは出来ない。 それで到達したのは、食事のときフォークとナイフを使うことだ。 これは便利、目からうろこが取れたような気がした。
何でも自分の口に入る大きさに切ってから食べらるのだから有難い。毎日レストランで食事をしているような気分である。
何でも「はいはい」と言っておけば、後は好きなようにできるのだから、こんな楽なことはない。 しかし、たまには自己主張したいこともある。 カレーライスの肉がやけに大きい、ジャガイモや人参も大きい。 これでは食べ難くて仕方がない。
「もうちょっと、小さく切ってくれませんか」
「そんなこと言うんだったら、自分で好きのように作ればいいじゃない」
「そうですね。大きい方が美味しいですね」
一旦引いても、食べにくいという事実は、そのまま残っている。 日常生活で一番の楽しみは食事だから放置することは出来ない。 それで到達したのは、食事のときフォークとナイフを使うことだ。 これは便利、目からうろこが取れたような気がした。
何でも自分の口に入る大きさに切ってから食べらるのだから有難い。毎日レストランで食事をしているような気分である。
私は悪意というものを全く持っていない。そんなこと当たり前だと言わずに、まぁ聞いて下さい。
それなのに、人様を怒らせてしまうことがある。原因は私の無知か相手の誤解である。そんなときは言い訳しないで、謝ることにしている。
目の前で火事が起これば消すか逃げるかどちらかである。火事を目の前にして、「この火事はなぜ起こったか」と議論する人はいないと思う。
それと同じで、目の前で怒っている人いれば謝って静めるか、距離をとるかどちらかだ。 距離をとっても何事もなかったことにはならない。
誤解はそのままだし、自分の失敗については無反省という結果になる場合もある。
こんなことは望まないので、ひたすら謝ることにしている。 自分の無知から出た失敗ならば、当然なことをしているだけ。 誤解ならば後で解けばよい。
怒っている最中に誤解を解こうとしてもなかなか難しい。 冷静になったときなら簡単だ。 私は常に簡単な方を選びたい。
別に頭を下げていれば、怒りは頭の上を通り抜けていくと思っているわけではない。誤解を解くチャンスを後に残しておきたいだけだ。
考え方はこうだが、実際は別な行動をとることもある。 しかし、最後は自分が謝ることで決着をつけたい。
そう思っていても、現実は相手に先に謝られてしまうことが多い。 そのときは「負けた!」と思う。 「謝り合戦」は先手必勝、あとから「私の方こそ申し訳ない」というようでは負けと同じだ。
特に人生経験豊富なシニアの世界で、「謝り合戦」に勝ち続けることは難しい。相手は百戦錬磨、こちらは初心者だ。 目標100勝、頑張るぞ!
それなのに、人様を怒らせてしまうことがある。原因は私の無知か相手の誤解である。そんなときは言い訳しないで、謝ることにしている。
目の前で火事が起これば消すか逃げるかどちらかである。火事を目の前にして、「この火事はなぜ起こったか」と議論する人はいないと思う。
それと同じで、目の前で怒っている人いれば謝って静めるか、距離をとるかどちらかだ。 距離をとっても何事もなかったことにはならない。
誤解はそのままだし、自分の失敗については無反省という結果になる場合もある。
こんなことは望まないので、ひたすら謝ることにしている。 自分の無知から出た失敗ならば、当然なことをしているだけ。 誤解ならば後で解けばよい。
怒っている最中に誤解を解こうとしてもなかなか難しい。 冷静になったときなら簡単だ。 私は常に簡単な方を選びたい。
別に頭を下げていれば、怒りは頭の上を通り抜けていくと思っているわけではない。誤解を解くチャンスを後に残しておきたいだけだ。
考え方はこうだが、実際は別な行動をとることもある。 しかし、最後は自分が謝ることで決着をつけたい。
そう思っていても、現実は相手に先に謝られてしまうことが多い。 そのときは「負けた!」と思う。 「謝り合戦」は先手必勝、あとから「私の方こそ申し訳ない」というようでは負けと同じだ。
特に人生経験豊富なシニアの世界で、「謝り合戦」に勝ち続けることは難しい。相手は百戦錬磨、こちらは初心者だ。 目標100勝、頑張るぞ!
皆様ご無沙汰しました。 2月13日に風邪が治らないので近所の病院に行ったところ、いろいろ検査をした結果、急性肺炎と気管支喘息ということで入院しました。
昨日退院して今日からブログを再開しました。お医者さんから注意されたことは「寒い日は外出は避けなさい」くらいです。天から授かった休養期間のように感じています。
ノンビリ休んでいられる無職の身をこんなに有難く思ったことはありません。ある意味では幸せを感じています。しかし、沢山の約束を破り、多くの方々に迷惑をかけたことだけは気になっています。
肺炎の予防注射があるそうですね。「打ったほうがいいよ」とアドバイスを受けたので看護師さんに聞いてみました。 そうしたら、「まだ、早い。予防注射は一回しか打てないので、タイミングをよく考えてから打ったほうがよい」と、言われました。
私は90歳くらいまで生きたいので「80歳くらいで打つかな」と考えました。そうすれば85歳まで肺炎に罹らない。あとの5年は何となく生きられるだろう。という判断です。 これで大まか且つ、簡単な人生計画が立ちました。今日から生まれ変わったつもりで、やって行こうと思っています。
「いったい何回生まれかわたんだ?」
「大きな意味で2回目です。1回目は定年で生まれ変わりました」
「それで、何をした?」
「70歳までに『何でも見てやろう』と思って入れるグループは、誘われるまま何でも入りました。勘定したら全部で17ありました」
「それでくたばったわけだな」
「反省しています。これからはマイペースで行きます」
「あんた、ノロマだからね。ヨボヨボになって何が出来るんだい」
「大丈夫ですよ。アタマを使います」
「頭ねぇ~。薄いっ! うすいねぇ~」
「何ですかっ!」
「期待薄だね~」
「そうですね」
昨日退院して今日からブログを再開しました。お医者さんから注意されたことは「寒い日は外出は避けなさい」くらいです。天から授かった休養期間のように感じています。
ノンビリ休んでいられる無職の身をこんなに有難く思ったことはありません。ある意味では幸せを感じています。しかし、沢山の約束を破り、多くの方々に迷惑をかけたことだけは気になっています。
肺炎の予防注射があるそうですね。「打ったほうがいいよ」とアドバイスを受けたので看護師さんに聞いてみました。 そうしたら、「まだ、早い。予防注射は一回しか打てないので、タイミングをよく考えてから打ったほうがよい」と、言われました。
私は90歳くらいまで生きたいので「80歳くらいで打つかな」と考えました。そうすれば85歳まで肺炎に罹らない。あとの5年は何となく生きられるだろう。という判断です。 これで大まか且つ、簡単な人生計画が立ちました。今日から生まれ変わったつもりで、やって行こうと思っています。
「いったい何回生まれかわたんだ?」
「大きな意味で2回目です。1回目は定年で生まれ変わりました」
「それで、何をした?」
「70歳までに『何でも見てやろう』と思って入れるグループは、誘われるまま何でも入りました。勘定したら全部で17ありました」
「それでくたばったわけだな」
「反省しています。これからはマイペースで行きます」
「あんた、ノロマだからね。ヨボヨボになって何が出来るんだい」
「大丈夫ですよ。アタマを使います」
「頭ねぇ~。薄いっ! うすいねぇ~」
「何ですかっ!」
「期待薄だね~」
「そうですね」
「私きょしょうなんです」
「巨匠??」
「いいえ、虚しい字の虚症です」
「そう言えば漢方では虚症、実症、中庸とか言いますね」
「私は虚症だから、体調に関するセンサーが鋭敏なのです」
「ほ~ぉ」
「熱が出る前に1時間後に熱が出ること分かるのですよ」
「本当ですか」
「だいたい17時に、これから熱が出そうだからと思って、体温計ったら36.5度の平熱です。1時間後は38度になっていましたよ」
「発熱予報が出来るのですね」
「そうなんです。事前に分かるので、最悪の事態が避けられるのです」
「いいですね。長生きできますよ」
「その代わり、普段は怠け者と思われます。疲れもすぐ感じ易いですから」
「巨匠??」
「いいえ、虚しい字の虚症です」
「そう言えば漢方では虚症、実症、中庸とか言いますね」
「私は虚症だから、体調に関するセンサーが鋭敏なのです」
「ほ~ぉ」
「熱が出る前に1時間後に熱が出ること分かるのですよ」
「本当ですか」
「だいたい17時に、これから熱が出そうだからと思って、体温計ったら36.5度の平熱です。1時間後は38度になっていましたよ」
「発熱予報が出来るのですね」
「そうなんです。事前に分かるので、最悪の事態が避けられるのです」
「いいですね。長生きできますよ」
「その代わり、普段は怠け者と思われます。疲れもすぐ感じ易いですから」
テレビ、ラジオの人生相談を聞いていて、歯がゆく思い人生相談始めたが、これでお仕舞とする。 私は間違っていない、しかし相談がない以上続けられない。
「けっきょく、従者になることにしました」と、サトさんは言った。
「ジュウシャって、何?」 もはや やる気は失せている。
「いやですねえ。二人暮らしはどちらかが従者になるしかない、と言ったでしょう!」
「あっ、そうだったね。奥さんにドンキホーテを押し付けたんだ。それは賢い」
「人の考えを理解する能力がないのだから説得は不可能です。 毎日ケンカも楽じゃないですからね。従者になって大人しく言うことを聞くことにしました」
「奥さんは優しいから、100%言うこと聞いてもヘトヘトになってつぶれる心配はないし、いいと思うよ」
二人で暮らしていると客観的にみる人がいない。どちらかが相手に尽くすか、我慢しないと毎日が喧嘩になる。 男でも女でも惚れられて結婚して、尽くされるのが一番楽だが、そんな人は少ない。ほとんどの人は何となく一緒になったのだから、尽くしも尽くされもしない。 後ろ向きの意味でイコール・パートナーである。
相手がガマンしてくれない以上、自分がガマンしなければならない。しかし、一方的な我慢はストレスがたまる。ストレスがたまっては楽しい生活ができない。 これでは何の為にガマンしているか分からない。 自分なりのストレス解消法が必要だ。 その極意を考えてみた。
<ストレス解消法、同居人=妻からみて夫、又はその逆>
その1
言うことを聞き、尽くすふりをして、同居人の機嫌をよくさせて働かせ、楽できる環境をつくる。
その2
同居人の外出時はなるべく家にいて、自由にやりたいことをやる。
その3
同居人が居るときはなるべく理由をつけて外出すか個室にこもる。
その4
話し相手が居ないからという理由で話しかけない。 最後に気分を悪くさせられるのは自分であることを忘れないこと。
ストレス解消法のつもりが、「べからず集」みたいになってしまった。 要は安全間隔を取ること。 車間距離のようなものである。 これさえ守れば事故はゼロ。
さっそくプリントアウトして、この極意をサトさんにプレゼントした。もう相談には乗れないから、これを読んで夫婦舟を巧みに操って欲しい。
「なんですか、これ?」
「ガマンの暮らしを支援する。ストレス解消の極意だよ」
「逃げ回っているだけでしょ」
「逃げるが勝ちよ」
「負けるが勝ちでしょ」
「そうとも言うな。 五十歩百歩だ」
「もうよしましょう」
歯がゆくて 人生相談 始めたが 相談ないから これでお仕舞
2008/10/21
「けっきょく、従者になることにしました」と、サトさんは言った。
「ジュウシャって、何?」 もはや やる気は失せている。
「いやですねえ。二人暮らしはどちらかが従者になるしかない、と言ったでしょう!」
「あっ、そうだったね。奥さんにドンキホーテを押し付けたんだ。それは賢い」
「人の考えを理解する能力がないのだから説得は不可能です。 毎日ケンカも楽じゃないですからね。従者になって大人しく言うことを聞くことにしました」
「奥さんは優しいから、100%言うこと聞いてもヘトヘトになってつぶれる心配はないし、いいと思うよ」
二人で暮らしていると客観的にみる人がいない。どちらかが相手に尽くすか、我慢しないと毎日が喧嘩になる。 男でも女でも惚れられて結婚して、尽くされるのが一番楽だが、そんな人は少ない。ほとんどの人は何となく一緒になったのだから、尽くしも尽くされもしない。 後ろ向きの意味でイコール・パートナーである。
相手がガマンしてくれない以上、自分がガマンしなければならない。しかし、一方的な我慢はストレスがたまる。ストレスがたまっては楽しい生活ができない。 これでは何の為にガマンしているか分からない。 自分なりのストレス解消法が必要だ。 その極意を考えてみた。
<ストレス解消法、同居人=妻からみて夫、又はその逆>
その1
言うことを聞き、尽くすふりをして、同居人の機嫌をよくさせて働かせ、楽できる環境をつくる。
その2
同居人の外出時はなるべく家にいて、自由にやりたいことをやる。
その3
同居人が居るときはなるべく理由をつけて外出すか個室にこもる。
その4
話し相手が居ないからという理由で話しかけない。 最後に気分を悪くさせられるのは自分であることを忘れないこと。
ストレス解消法のつもりが、「べからず集」みたいになってしまった。 要は安全間隔を取ること。 車間距離のようなものである。 これさえ守れば事故はゼロ。
さっそくプリントアウトして、この極意をサトさんにプレゼントした。もう相談には乗れないから、これを読んで夫婦舟を巧みに操って欲しい。
「なんですか、これ?」
「ガマンの暮らしを支援する。ストレス解消の極意だよ」
「逃げ回っているだけでしょ」
「逃げるが勝ちよ」
「負けるが勝ちでしょ」
「そうとも言うな。 五十歩百歩だ」
「もうよしましょう」
歯がゆくて 人生相談 始めたが 相談ないから これでお仕舞
2008/10/21
A氏は退職したばかりの古い友人。私より7歳若い。 慣れぬ妻との二人暮らしに悩んでいる。先輩として、いろいろアドバイズしたいと思っている。
世間の常識とは一味違った、「必勝法」である。 この通りにすれば、A氏は必ず幸せになれるとの、確信を持って助言したい。
A夫妻とは40年来の付き合い。奥様の性格もA氏の性格も家庭環境も、熟知した上でのアドバイスである。
先ず、やってはならない五箇条を伝授しようと思っている。
第一条 奥様の言うこと、やることに反対しない。
(奥様は反対されるのが嫌い)
第二条 何事も奥様に相談しない。
(相談して、反対されたら、何もできなくなる)
第三条 自分の部屋以外の家具配置を変えない。
(奥様の城をいじくるなど、もってのほか)
第四条 奥様を説得しない。 奥様には何も教えない。
(何を言っても聞かないのなら、何も教えないことが大切)
第五条 奥様と共同作業しない。
(分業を心がける)
第一に、他人と暮らしていることを忘れてはいけない。 何でも、ハイハイと、奥様の言うことを聞くことが大切。 聞き置くだけでよい。 実行については自分で最良の判断を…。
「ハイ」といったらやらなければならないと考えないこと。 家庭は会社と違って、実態よりも雰囲気が大切だ。
奥様に反対ならば、何も言わないか、「考えておく」と言う。 決して反対と言ってはいけない。 奥様は反対されるのは嫌いだが、実行を見届けるわけでもない。
さっそくA氏に助言をしてあげたが、浮かない顔をしている。 一体どこが気に入らないのだろうか。 本当に困っているなら喜んで受け入れるはずだ。
察するところ、夫婦間がちょっとギクシャクしたので愚痴を言ってみただけのようだ。 お互いに信じあう気持が強く残っているのである。
助言などするのではなかった。 「夫婦喧嘩は犬も食わない」というのは本当だなと思った。
2008/9/21
世間の常識とは一味違った、「必勝法」である。 この通りにすれば、A氏は必ず幸せになれるとの、確信を持って助言したい。
A夫妻とは40年来の付き合い。奥様の性格もA氏の性格も家庭環境も、熟知した上でのアドバイスである。
先ず、やってはならない五箇条を伝授しようと思っている。
第一条 奥様の言うこと、やることに反対しない。
(奥様は反対されるのが嫌い)
第二条 何事も奥様に相談しない。
(相談して、反対されたら、何もできなくなる)
第三条 自分の部屋以外の家具配置を変えない。
(奥様の城をいじくるなど、もってのほか)
第四条 奥様を説得しない。 奥様には何も教えない。
(何を言っても聞かないのなら、何も教えないことが大切)
第五条 奥様と共同作業しない。
(分業を心がける)
第一に、他人と暮らしていることを忘れてはいけない。 何でも、ハイハイと、奥様の言うことを聞くことが大切。 聞き置くだけでよい。 実行については自分で最良の判断を…。
「ハイ」といったらやらなければならないと考えないこと。 家庭は会社と違って、実態よりも雰囲気が大切だ。
奥様に反対ならば、何も言わないか、「考えておく」と言う。 決して反対と言ってはいけない。 奥様は反対されるのは嫌いだが、実行を見届けるわけでもない。
さっそくA氏に助言をしてあげたが、浮かない顔をしている。 一体どこが気に入らないのだろうか。 本当に困っているなら喜んで受け入れるはずだ。
察するところ、夫婦間がちょっとギクシャクしたので愚痴を言ってみただけのようだ。 お互いに信じあう気持が強く残っているのである。
助言などするのではなかった。 「夫婦喧嘩は犬も食わない」というのは本当だなと思った。
2008/9/21
退職当初は二人の間に、あらそいも摩擦もありましたが、それも3か月くらいで治まりました。
話し合いをした訳ではなく、誰かが仲裁に入ってくれた訳でもありません。私が問題を解決して楽しい家庭にしたのです。
反発を感じる方もいるかもしれません。 しかし、このエッセイは私が書いているのです。 QPが書けば別なものになるでしょう。
不機嫌な顔はあまり見たくないので、自室にこもり問題点を整理してみたら、一つのことが分かりました。それはQPは家庭という職場の大先輩で自分は新人だということです。
在職中はよく新人を見て「何も出来ないくせに理屈だけはいちにんまえだな」と苦々しく思ったことがあります。これと同じことを家の中でやっている自分に気が付いたのです。
そこで大先輩をたてる新人になる決心をしました。凝り性の私はその程度では満足せず、絶対服従の新兵になりました。
新兵だから自分の意見は言いません、命令を聞くだけです。その命令が実に少ないのです。何もない日もあるので、一日平均30分くらいです。
仕事チョッピリで自由時間がイッパイ、毎日好きなことして暮らしていて嬉しくないはずがありません。自然と顔もほころびます。私の笑顔はQPにも伝染しました。
家事のほとんどを笑って引き受けてくれるのだから有難く、自然と感謝の言葉も口から出ます。 そして、また笑顔の好循環です。穏やかで楽しい暮らしが続いています。
こんなことを続けていても、危機に直面したときに協力して乗り越えられるようになるとも思いませんが、楽しく暮らして行ける間は、そうしたいと思います。
せっかく、天が与えてくれた休息時間ですから、穏やかに楽しく過ごしたいと思っています。
2008/8/18
話し合いをした訳ではなく、誰かが仲裁に入ってくれた訳でもありません。私が問題を解決して楽しい家庭にしたのです。
反発を感じる方もいるかもしれません。 しかし、このエッセイは私が書いているのです。 QPが書けば別なものになるでしょう。
不機嫌な顔はあまり見たくないので、自室にこもり問題点を整理してみたら、一つのことが分かりました。それはQPは家庭という職場の大先輩で自分は新人だということです。
在職中はよく新人を見て「何も出来ないくせに理屈だけはいちにんまえだな」と苦々しく思ったことがあります。これと同じことを家の中でやっている自分に気が付いたのです。
そこで大先輩をたてる新人になる決心をしました。凝り性の私はその程度では満足せず、絶対服従の新兵になりました。
新兵だから自分の意見は言いません、命令を聞くだけです。その命令が実に少ないのです。何もない日もあるので、一日平均30分くらいです。
仕事チョッピリで自由時間がイッパイ、毎日好きなことして暮らしていて嬉しくないはずがありません。自然と顔もほころびます。私の笑顔はQPにも伝染しました。
家事のほとんどを笑って引き受けてくれるのだから有難く、自然と感謝の言葉も口から出ます。 そして、また笑顔の好循環です。穏やかで楽しい暮らしが続いています。
こんなことを続けていても、危機に直面したときに協力して乗り越えられるようになるとも思いませんが、楽しく暮らして行ける間は、そうしたいと思います。
せっかく、天が与えてくれた休息時間ですから、穏やかに楽しく過ごしたいと思っています。
2008/8/18
| ホーム |