時々私は、嘘ばかりついている悪い人間だと思うことがある。だが正直だった時はどうだっただろうか。思い返せば争いごとの絶えない地獄だった。正義と正義はは対立する。そして言い争いになり、嫌になった方が黙るまで続く。しかし、黙った方も負けたとは思わない。話を聞かない人に何を言っても無駄と思っただけだ。
だから争いの種はそのまま残り、時間だけが浪費される。よくもこんな無駄で不毛で劣悪なバカバカしいことを長年して来たものだ。負けた形の私は屈辱感というオマケまで付くのだだから嫌になる。
二人暮しは仲裁役が居ないから争い事を起こしたら延々と続き厄介だ。その代り裁判官もいないから嘘もつき放題。このメリット・デメリットがハッキリと分かったのは数年前のことと思う。それから3年くらいで偽りの人生術を身に付けた。
不完全な私は常に完全を求めている。正義を主張するなら完全に主張し遂げたい。偽りの人生なら完全に偽りたくなる。困ったことに正義の戦いには完敗だったが、ズルイ戦いでは連戦連勝になってしまった。私は生まれつきズルいのかも知れない。
戦法は面従腹背、虐げられた民が強欲で乱暴な支配者に対処してきた古典的な方法だ。これだけはやりたくないと思っていたが、やってみたら実に面白い。QPには面従だけが見えて腹背が見えない。つまり物事や人間の裏側を見られない人なのだ。私が服従するのは自分の説得が効いたからだと誤解している。
人は喧嘩をして理解が深まるというが、私の場合は従うフリをして理解が深まった。黙って服従してきた結果、QPが表裏のない正直な人と、心から思えるようになった。良い面を理解できて好かったと思っている。
しかし困難な事態に遭遇した時にどうなるかは見当もつかない。ケンカは止めたけれど本当に理解し合ったわけではない。本来なら休戦と言うべきだが、先が短いので、もう一度開戦する気にもなれない。
もうケンカは止めよう。QP対策は面従腹背だけで充分だ。負け過ぎてはいけないが勝ち過ぎてもいけない。その辺りの手加減は私に任されている。つまり面従は変わらないが、腹背については自由自在に調整可能なのである。
例えば、具合が悪いとか言って自室に引きこもる。そこは私専用の娯楽室の様なものだから、あらゆる遊び道具と隠匿菓子で溢れている。気が済むまで遊んで気分転換したら「ご迷惑おかけしました」とか言って姿を現せばよい。
正義の戦争より偽りの平和の方がいい。正義は国、宗教、立場により違いがあってややっこしい。その点、平和は分かり易い。ズバリ戦争のない状態である。屁理屈も嘘も国の都合も入る余地がない。しかし平和平和と言っても平和は来ない。ではどうするか? ケンカは止めよう。どんな小さなケンカでも。
だから争いの種はそのまま残り、時間だけが浪費される。よくもこんな無駄で不毛で劣悪なバカバカしいことを長年して来たものだ。負けた形の私は屈辱感というオマケまで付くのだだから嫌になる。
二人暮しは仲裁役が居ないから争い事を起こしたら延々と続き厄介だ。その代り裁判官もいないから嘘もつき放題。このメリット・デメリットがハッキリと分かったのは数年前のことと思う。それから3年くらいで偽りの人生術を身に付けた。
不完全な私は常に完全を求めている。正義を主張するなら完全に主張し遂げたい。偽りの人生なら完全に偽りたくなる。困ったことに正義の戦いには完敗だったが、ズルイ戦いでは連戦連勝になってしまった。私は生まれつきズルいのかも知れない。
戦法は面従腹背、虐げられた民が強欲で乱暴な支配者に対処してきた古典的な方法だ。これだけはやりたくないと思っていたが、やってみたら実に面白い。QPには面従だけが見えて腹背が見えない。つまり物事や人間の裏側を見られない人なのだ。私が服従するのは自分の説得が効いたからだと誤解している。
人は喧嘩をして理解が深まるというが、私の場合は従うフリをして理解が深まった。黙って服従してきた結果、QPが表裏のない正直な人と、心から思えるようになった。良い面を理解できて好かったと思っている。
しかし困難な事態に遭遇した時にどうなるかは見当もつかない。ケンカは止めたけれど本当に理解し合ったわけではない。本来なら休戦と言うべきだが、先が短いので、もう一度開戦する気にもなれない。
もうケンカは止めよう。QP対策は面従腹背だけで充分だ。負け過ぎてはいけないが勝ち過ぎてもいけない。その辺りの手加減は私に任されている。つまり面従は変わらないが、腹背については自由自在に調整可能なのである。
例えば、具合が悪いとか言って自室に引きこもる。そこは私専用の娯楽室の様なものだから、あらゆる遊び道具と隠匿菓子で溢れている。気が済むまで遊んで気分転換したら「ご迷惑おかけしました」とか言って姿を現せばよい。
正義の戦争より偽りの平和の方がいい。正義は国、宗教、立場により違いがあってややっこしい。その点、平和は分かり易い。ズバリ戦争のない状態である。屁理屈も嘘も国の都合も入る余地がない。しかし平和平和と言っても平和は来ない。ではどうするか? ケンカは止めよう。どんな小さなケンカでも。
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大きな器になりたいけれど・・・
路傍の石 こんな内容のコマーシャルがあります。
「瀬戸物と瀬戸物がぶつかると壊れてしまうけれど、
片方が柔らかいと壊れない」
確かにどちらかが柔らかければよいのでしょうが、
私はそんな大きな器は一生持てそうにありません。
でもPPさんは、QPさんの長所 「裏表のない正直な人」 に
気付いたのですから、ケンカも満更ではないかもしれません。
「 ケンカするほど仲が良い」とも言いますから!
のんびり暮らしています
PP やわらかいこころをもちましょう
のCMはいいですね。
私はケンカすると必ず負けるから嫌です。
勝つ自信があれば別ですが、ダメでしょうね。
のんびり暮らしたいです。
気持ちいいですから。
路傍の石 こんな内容のコマーシャルがあります。
「瀬戸物と瀬戸物がぶつかると壊れてしまうけれど、
片方が柔らかいと壊れない」
確かにどちらかが柔らかければよいのでしょうが、
私はそんな大きな器は一生持てそうにありません。
でもPPさんは、QPさんの長所 「裏表のない正直な人」 に
気付いたのですから、ケンカも満更ではないかもしれません。
「 ケンカするほど仲が良い」とも言いますから!
のんびり暮らしています
PP やわらかいこころをもちましょう
のCMはいいですね。
私はケンカすると必ず負けるから嫌です。
勝つ自信があれば別ですが、ダメでしょうね。
のんびり暮らしたいです。
気持ちいいですから。
最近は朝が爽やかで毎朝起きるのが楽しみだ。何か気分が良くなるような薬が脳に注入されている様な気がする。薬だか何らかの分泌物だかよく分からないが、いい気分にさせてくれるので良い薬、ここではE薬と呼ぶことにする。
定年退職して3年くらいしてから徐々にE薬が流れ出し、最近はドクドク流れている感じだ。念のため申し添えるが麻薬も覚醒剤も大麻もやっていないし煙草も吸わない。酒も月に2,3回飲む程度だ。しかも極めて少量。
昔はバレるのではないかとか心配しながら嘘をつき、深い屈辱を感じながら謝った。しかし、今は面白半分で嘘をつき、楽しみながら軽く謝っている。QPをなだめる特効薬として便利に使っているのだ。私かQPかどちらかが病気で倒れるまでの期限付きではあるが、悩みもなく何も考えずに気楽に暮らして居る。
QPが3泊4日で根室の実家に行き、帰って来た。荷物が多いから玄関まで迎えに来てくれと電話があった、直ぐに行けるようにインターフォンのある居間で待っていた。
時間になってもなかなか来ないので、どうしたのかなと思っていたら玄関の方からゴソゴソ音がする。誰かが入って来たようだ。行ってみると荷物が5個くらい置いてあって、ヘトヘトになったQPがカンカンになって怒っている。連絡したのに留守にしたと誤解したらしい。
「居たの? ピンポン鳴らしてるのに何で出ないの!」
「ごめんなさい。聞こえませんでした」
「自分の部屋に閉じこもっているから聞こえないんだよ。人の苦労なんか屁とも思っていないんだから」
インターフォンは居間にあるので私の部屋とは二つのドアで遮られている。だから呼出音のピンポンは聞こえない。そう思って居間で待っていたのだ。しかし聞こえなかった。何故だろう。故障かな?
押したと言っているのに聞こえなかったと言い張れば、私が嘘をついてると思い、益々腹を立てるだろう。ともかく故障かどうか確認したい。QPは怒っているのだから、なだめなければならない。熱いものは冷まさないと食べられないのだ。
「ごめんなさい。お腹すいたでしょう。コンビニで何か買ってきますね」
二人暮しの約束事だが出かける時は近くでも鍵を持って行くことにしている。お互いにインターフォンでの開錠を頼まない習慣なのだ。だから15年間も住んでいるのに、自分でインターフォンを使って開錠させたことはない。この辺に手掛かりがあるような気がした。使ってみれば何か分かるかも知れない。
コンビニから帰るとき初めてインターフォンを使った。先ず数字ボタン押す。部屋番号がモニターに表示される。そのときマンションの住人が入って来たので「どうぞ」と言って鍵で開けて通した。そして押し直そうとした時「呼出」ボタンの存在に気がついた。なるほど、原因はこれだなと思った。なかなか出ないので再び呼出した。
「鍵持ってないの?」と不機嫌な声。
「ピンポンの実験です。2回聞こえましたか」
「トイレに入っていたんだよ」
QPは決して自分の間違いを認めない。私の質問に答えないのは自分の間違いに気付いたからに違いない。「呼出」ボタンは押されなかったのだ。これでは聞こえる訳がない。疑問は解けて一件落着したので、これで良しとした。
最近は何もかも上手く行く。出所不明のE薬は何にでも効く万能薬、私の心を広くしてくれる。お蔭でどんなことにも柔軟に対応できる。無料で毎朝ドクドク出て来るのだから、これほど有難いものはない。
こんな物質が体内を駆け巡っているとは気付かなかった。E薬はあまりにも素晴らしいので一人で使うのは勿体ない。皆に分けて上げたいが体内に留まっていて出すことが出来ない。体外に取り出す方法を発見すればノーベル賞に値すると思う。世界中の人々が寛容になって戦争が無くなるのだからノーベル平和賞。
追伸、私どもも他所の住居を訪ねるのにオートロックで入るときは、ちゃんと「呼出」ボタンを押している。初めて自室の数字ボタンを押したら馴染みのある室番号が表示された。それを見て通じたように錯覚した。慣れが錯覚を誘うのだ。知り合い同士なら顔を見てツーカーということもあるが、機械は手順の省略を許してくれない。
定年退職して3年くらいしてから徐々にE薬が流れ出し、最近はドクドク流れている感じだ。念のため申し添えるが麻薬も覚醒剤も大麻もやっていないし煙草も吸わない。酒も月に2,3回飲む程度だ。しかも極めて少量。
昔はバレるのではないかとか心配しながら嘘をつき、深い屈辱を感じながら謝った。しかし、今は面白半分で嘘をつき、楽しみながら軽く謝っている。QPをなだめる特効薬として便利に使っているのだ。私かQPかどちらかが病気で倒れるまでの期限付きではあるが、悩みもなく何も考えずに気楽に暮らして居る。
QPが3泊4日で根室の実家に行き、帰って来た。荷物が多いから玄関まで迎えに来てくれと電話があった、直ぐに行けるようにインターフォンのある居間で待っていた。
時間になってもなかなか来ないので、どうしたのかなと思っていたら玄関の方からゴソゴソ音がする。誰かが入って来たようだ。行ってみると荷物が5個くらい置いてあって、ヘトヘトになったQPがカンカンになって怒っている。連絡したのに留守にしたと誤解したらしい。
「居たの? ピンポン鳴らしてるのに何で出ないの!」
「ごめんなさい。聞こえませんでした」
「自分の部屋に閉じこもっているから聞こえないんだよ。人の苦労なんか屁とも思っていないんだから」
インターフォンは居間にあるので私の部屋とは二つのドアで遮られている。だから呼出音のピンポンは聞こえない。そう思って居間で待っていたのだ。しかし聞こえなかった。何故だろう。故障かな?
押したと言っているのに聞こえなかったと言い張れば、私が嘘をついてると思い、益々腹を立てるだろう。ともかく故障かどうか確認したい。QPは怒っているのだから、なだめなければならない。熱いものは冷まさないと食べられないのだ。
「ごめんなさい。お腹すいたでしょう。コンビニで何か買ってきますね」
二人暮しの約束事だが出かける時は近くでも鍵を持って行くことにしている。お互いにインターフォンでの開錠を頼まない習慣なのだ。だから15年間も住んでいるのに、自分でインターフォンを使って開錠させたことはない。この辺に手掛かりがあるような気がした。使ってみれば何か分かるかも知れない。
コンビニから帰るとき初めてインターフォンを使った。先ず数字ボタン押す。部屋番号がモニターに表示される。そのときマンションの住人が入って来たので「どうぞ」と言って鍵で開けて通した。そして押し直そうとした時「呼出」ボタンの存在に気がついた。なるほど、原因はこれだなと思った。なかなか出ないので再び呼出した。
「鍵持ってないの?」と不機嫌な声。
「ピンポンの実験です。2回聞こえましたか」
「トイレに入っていたんだよ」
QPは決して自分の間違いを認めない。私の質問に答えないのは自分の間違いに気付いたからに違いない。「呼出」ボタンは押されなかったのだ。これでは聞こえる訳がない。疑問は解けて一件落着したので、これで良しとした。
最近は何もかも上手く行く。出所不明のE薬は何にでも効く万能薬、私の心を広くしてくれる。お蔭でどんなことにも柔軟に対応できる。無料で毎朝ドクドク出て来るのだから、これほど有難いものはない。
こんな物質が体内を駆け巡っているとは気付かなかった。E薬はあまりにも素晴らしいので一人で使うのは勿体ない。皆に分けて上げたいが体内に留まっていて出すことが出来ない。体外に取り出す方法を発見すればノーベル賞に値すると思う。世界中の人々が寛容になって戦争が無くなるのだからノーベル平和賞。
追伸、私どもも他所の住居を訪ねるのにオートロックで入るときは、ちゃんと「呼出」ボタンを押している。初めて自室の数字ボタンを押したら馴染みのある室番号が表示された。それを見て通じたように錯覚した。慣れが錯覚を誘うのだ。知り合い同士なら顔を見てツーカーということもあるが、機械は手順の省略を許してくれない。
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不思議なE薬ですね。
路傍の石 E薬ですか~、いいですね~。
私も欲しいです。
「PPさん、ノーベル平和賞受賞!!」
こんな記事が新聞紙面を賑やかす日が
訪れてほしいものです。
>機械は手順の省略を許してくれない。
↓
毎日身に染みています。
パソコンも手順を省くと、辿り着きたい結果は
得られません。
しばらく地べたで暮らします
PP 私にノーベル賞ですか。なぜか実感がわきません。
わいたら大変ですね。有頂天になって天に昇ります。
そして2度と帰って来れないでしょう。
ドクドク出て来たE薬ともお別れしなければなりません。
もうしばらく地べたで暮らします。
路傍の石 E薬ですか~、いいですね~。
私も欲しいです。
「PPさん、ノーベル平和賞受賞!!」
こんな記事が新聞紙面を賑やかす日が
訪れてほしいものです。
>機械は手順の省略を許してくれない。
↓
毎日身に染みています。
パソコンも手順を省くと、辿り着きたい結果は
得られません。
しばらく地べたで暮らします
PP 私にノーベル賞ですか。なぜか実感がわきません。
わいたら大変ですね。有頂天になって天に昇ります。
そして2度と帰って来れないでしょう。
ドクドク出て来たE薬ともお別れしなければなりません。
もうしばらく地べたで暮らします。
簡単に謝る人は信頼されないと言われているが、私は簡単に謝って喜ばれている。二人暮しとは言え一つの社会には違いない。夫々に一定の役割がある。QPは家事全般、そして私は「楽しい暮らし係」だ。謝るのも最も重要な仕事の一つである。
ところで我が家のトイレは窓が無い。暗室の様に照明を点けなければ何も見えない。先日、トイレに入ろうとして照明のスイッチを押してドアを開けてビックリした。暗闇にQPが座っているのだ。廊下から当たる灯りがが顔の辺りを照らしている。
まるで首が宙に浮いているように見える。思わず「ビックリしたな~、もう」と叫んだ。そして直ぐに自分のミスに気付き「ごめんなさい」と付け加えた。照明を点けるつもりでスイッチを押して消してしまったのだ。自室に戻りしばらくするとQPが来て何事もなかったような顔で「オシッコでしょ。もういいよ」と言った。
実は以前にも同じようなことがあったが、その時は立場が逆だった。私が入っているのにQPが開けたのだ。もちろん照明を消したのはQPだ。その時は「なんで電気を点けないんだよ!」と怒鳴られた。貴女が消したのでしょうと言う間もなくパタンとドアを閉められ何も言えず悔しい思いをした。1年以上前のことだが何とか思い出して欲しいと思い話しかけた。ミスはお互いさまではないか。
「ビックりしたでしょう。ごめんなさい」
「オシッコのことばかり考えているからダメなんだよ」
「前にもこんなことありましたね」
「そうかなぁ?」
「私が入っているのに開けたことあるでしょう」
「絶対にないよ。あったって後ろ向きに立っているんだからいいじゃない」
「前向きですよ」
「前でも後ろでもどっちでもいいでしょ」
う~ん、完全に忘れている。私だって前を向いて座って居たのだ。あんな悔しい思いをしたことないのでブログに書いた。タイトルは「心の中で大騒ぎ」だったかな。
二人で暮らしている限り悪いのはいつも私だ。ムッとすることがあるが、我慢して謝るとQPは単純に喜ぶ。私だったら表面だけの謝罪など受け入れられない。裏も表も右も左も、オマケに上も下もある複雑な人間だ。
QPが単純な人で好かった。ワザとらしくてもアホらしくても謝りさえすれば素直に喜ぶのだ。お蔭で謝るのが大好きになった。手放しで喜ばれれば私だって嬉しい。恨みもどこかに吹っ飛んで行く。
逆にQPは謝らせるのが大好きだ。ひょっとして謝るのが嫌いだった私を悪役、つまり謝り役に作り変えたのかも知れない。裏の裏を読んでいる様で心苦しいのだが、ヒトの脳細胞の数は140億もあると言う。単純な人などいないだろう。
油断大敵だが疑ってはいけない。謝るのは私の仕事。疑えば仕事の質が落ちる。上手く出来なければ「楽しい暮らし係」失格だ。役割が無くなったら寂しいので頑張っている。一生懸命謝って。いつの日かドラマで観るような土下座もやってみたい。
ところで我が家のトイレは窓が無い。暗室の様に照明を点けなければ何も見えない。先日、トイレに入ろうとして照明のスイッチを押してドアを開けてビックリした。暗闇にQPが座っているのだ。廊下から当たる灯りがが顔の辺りを照らしている。
まるで首が宙に浮いているように見える。思わず「ビックリしたな~、もう」と叫んだ。そして直ぐに自分のミスに気付き「ごめんなさい」と付け加えた。照明を点けるつもりでスイッチを押して消してしまったのだ。自室に戻りしばらくするとQPが来て何事もなかったような顔で「オシッコでしょ。もういいよ」と言った。
実は以前にも同じようなことがあったが、その時は立場が逆だった。私が入っているのにQPが開けたのだ。もちろん照明を消したのはQPだ。その時は「なんで電気を点けないんだよ!」と怒鳴られた。貴女が消したのでしょうと言う間もなくパタンとドアを閉められ何も言えず悔しい思いをした。1年以上前のことだが何とか思い出して欲しいと思い話しかけた。ミスはお互いさまではないか。
「ビックりしたでしょう。ごめんなさい」
「オシッコのことばかり考えているからダメなんだよ」
「前にもこんなことありましたね」
「そうかなぁ?」
「私が入っているのに開けたことあるでしょう」
「絶対にないよ。あったって後ろ向きに立っているんだからいいじゃない」
「前向きですよ」
「前でも後ろでもどっちでもいいでしょ」
う~ん、完全に忘れている。私だって前を向いて座って居たのだ。あんな悔しい思いをしたことないのでブログに書いた。タイトルは「心の中で大騒ぎ」だったかな。
二人で暮らしている限り悪いのはいつも私だ。ムッとすることがあるが、我慢して謝るとQPは単純に喜ぶ。私だったら表面だけの謝罪など受け入れられない。裏も表も右も左も、オマケに上も下もある複雑な人間だ。
QPが単純な人で好かった。ワザとらしくてもアホらしくても謝りさえすれば素直に喜ぶのだ。お蔭で謝るのが大好きになった。手放しで喜ばれれば私だって嬉しい。恨みもどこかに吹っ飛んで行く。
逆にQPは謝らせるのが大好きだ。ひょっとして謝るのが嫌いだった私を悪役、つまり謝り役に作り変えたのかも知れない。裏の裏を読んでいる様で心苦しいのだが、ヒトの脳細胞の数は140億もあると言う。単純な人などいないだろう。
油断大敵だが疑ってはいけない。謝るのは私の仕事。疑えば仕事の質が落ちる。上手く出来なければ「楽しい暮らし係」失格だ。役割が無くなったら寂しいので頑張っている。一生懸命謝って。いつの日かドラマで観るような土下座もやってみたい。
穏やかで幸せな人生を送っているが、100%とは行かない。たまには心労を感じることもある。朝食はテレビを消して話しながら食べている。QPの話題はマスコミから得た医療・芸能・ファイターズ情報が多い。ときには知り合ったばかりの知人についても話してくれる。私は訳の分からないまま話を合わせている。
「Aさん知ってるでしょう」
「ええ、一緒に習字習っている人ですね」
「息子さんがね。高校卒業して消防署に勤めたんだって」
「それは好かったですね」
「勤めて5年したら結婚したの」
紅茶を一口飲んでる間に、就職から一気に5年後の結婚までへと話は飛んだ。爽やかな朝に相応しい話題だがテンポが早すぎる。一体どんな人と一緒になったのだろう。息子さんの年は幾つなのだろう。何もかも分からないまま肯いていた。
「10年後に離婚しちゃったの」
おやおや、途端にドロドロしてきた。興味津々となる。この話、あっという間に終らせては勿体ない。高卒5年後に結婚し10年たって33歳と、まだ若い。ようやく話が面白くなり、よせばいいのに一言付け加えた。
「そうですか。10年後に離婚したいうことは、どちらかが浮気をしたのですね」
「性格の違いとかいろいろあるでしょう」
「お子さんは奥さんが連れて行ったのですか」
「居なかったようだよ」
複雑で一番難しい問題が無い。これで私の結論は決まった。
「浮気と言うより本気ですね。新しい愛が芽生えたのでしょう」
石の上にも3年と言うではないか。嫌いな人と一緒に暮らせるのは、せいぜい3年だ。10年たって離婚するなんて、どちらかに好きな人が出来たに決まっている。私は紅茶を飲みながら野菜と肉の炒め物を食べていた。次はパン、そしてリンゴのヨーグルトあえを食べる。これが順番。まだまだ時間はある。先が楽しみだ。
「アンタのそういう考え方が嫌いなんだよ」
「と言いますと?」
「すぐ女とかに結び付ける……」
「あるいは酒におぼれるとか、賭け事に凝るとか」
「そんなことはどうでもいいの!」
どうでもいいとは何事だ。QPが離婚の話を持ち出すから付き合って上げているのだ。勝手に打ち切られてたまるか。ここは私の一言で締めくくらなければならない。
「子供も居ない二人暮しでしょう。酒乱やギャンブル狂いになったのでもない。10年もたって離婚するなんて浮気、それ以外にあり得ません!」
「アンタも分からない人だねぇ」
「はぁ? 私の話,聞いているのですか」
「だから、そんな話してるんじゃないって言ってるんだよ」
これだから嫌になる。自分が何を話したかすっかり忘れている。離婚話なんかどこ吹く風。誰がしたんだと言う顔だ。最早なんの興味もないことだけは確かである。置いてきぼりを食った私は我慢するしかない。涙を飲んで耐えるだけだ。
「最近再婚したんだって子供一人いる女性とね」
「今は幸せな三人家族ですね」
「お嫁さんがいい人で、よくAさんの家に遊びに来てくれるんだって」
「それは好かったですね」
「Aさんはお嫁さんが帰る時、果物、お菓子とか何でも上げちゃうんだって。夕飯のオカズの煮物まで上げちゃうんだって。やり過ぎだよね」
一体なんと言うことだ。この話は「Aさんの息子さんが再婚した」から始めればいいのに、なぜ10年以上も遡るのだ。そのせいで要らぬ文句まで言われてしまったではないか。こんな時は皮肉の一つも言ってやりたくなる。
「それはアナタも一緒じゃないですか」
「アタシはそんなバカなことしないよ」
「やってるでしょう。最近、正ちゃん(息子)はリュック背負って来てますよ」
QPも同じことをしている。私にはティッシュを使い過ぎるとかケチなことを言うくせに、息子夫婦が帰る時は気前よく何でも持たせる。まるで別人のようだ。最近私は恐怖さえ感じている。息子は本当に大きなリュックを背負って来るようになったのだ。帰った後には楽しみにしていた食後のデザートさえ無いありさまだ。
「Aさんとこはね。それどころじゃないんだよ」
「はぁ?」
「お嫁さんに全部上げちゃって自分たちが食べる物が無くなっちゃうんだって」
「それは大変です」
「晩御飯まで上げちゃったんだよ。可笑しいよね」
ぜんぜん可笑しくない。Aさんの旦那は「煮物だけは残せ。俺の好物だ」と心の中で叫んでいたに違いない。ところで、朝食ももうじき終わり、後は歯を磨き、洗面、薬を飲んでからパソコンと言う生活パタンが決まっている。そろそろ話を切り上げなくてはならない。QPの機嫌を損じない様に切り上げるにはどうしたら良いか考えていた。
「なんで黙っているの」
突然聞かれても考えは纏まっていない。思っていることをそのまま口にした。
「煮物もなくて旦那さんのご飯どうなったのでしょうか?」
「アンタって話しづらい人だね。みんなに嫌われているでしょ」
「そう言えば、そんな感じも……」
「Aさんの話をしているんだからご主人のご飯も息子さんの離婚も関係ないの」
「そうですね」
「やっと分かったみたいだね。 …… Aさんたら可笑しいでしょ」
「(o ̄ー ̄o) ムフフ」
笑ったつもりだが、顔文字で表現すればこんな感じかも知れない。ご飯も作らないし、掃除もしないし、洗濯もしない。私が天から与え仕事は楽しい家庭を創ること。虚弱体質だから力は出せない。使えるのは口先だけだが少しは心労もある。
「Aさん知ってるでしょう」
「ええ、一緒に習字習っている人ですね」
「息子さんがね。高校卒業して消防署に勤めたんだって」
「それは好かったですね」
「勤めて5年したら結婚したの」
紅茶を一口飲んでる間に、就職から一気に5年後の結婚までへと話は飛んだ。爽やかな朝に相応しい話題だがテンポが早すぎる。一体どんな人と一緒になったのだろう。息子さんの年は幾つなのだろう。何もかも分からないまま肯いていた。
「10年後に離婚しちゃったの」
おやおや、途端にドロドロしてきた。興味津々となる。この話、あっという間に終らせては勿体ない。高卒5年後に結婚し10年たって33歳と、まだ若い。ようやく話が面白くなり、よせばいいのに一言付け加えた。
「そうですか。10年後に離婚したいうことは、どちらかが浮気をしたのですね」
「性格の違いとかいろいろあるでしょう」
「お子さんは奥さんが連れて行ったのですか」
「居なかったようだよ」
複雑で一番難しい問題が無い。これで私の結論は決まった。
「浮気と言うより本気ですね。新しい愛が芽生えたのでしょう」
石の上にも3年と言うではないか。嫌いな人と一緒に暮らせるのは、せいぜい3年だ。10年たって離婚するなんて、どちらかに好きな人が出来たに決まっている。私は紅茶を飲みながら野菜と肉の炒め物を食べていた。次はパン、そしてリンゴのヨーグルトあえを食べる。これが順番。まだまだ時間はある。先が楽しみだ。
「アンタのそういう考え方が嫌いなんだよ」
「と言いますと?」
「すぐ女とかに結び付ける……」
「あるいは酒におぼれるとか、賭け事に凝るとか」
「そんなことはどうでもいいの!」
どうでもいいとは何事だ。QPが離婚の話を持ち出すから付き合って上げているのだ。勝手に打ち切られてたまるか。ここは私の一言で締めくくらなければならない。
「子供も居ない二人暮しでしょう。酒乱やギャンブル狂いになったのでもない。10年もたって離婚するなんて浮気、それ以外にあり得ません!」
「アンタも分からない人だねぇ」
「はぁ? 私の話,聞いているのですか」
「だから、そんな話してるんじゃないって言ってるんだよ」
これだから嫌になる。自分が何を話したかすっかり忘れている。離婚話なんかどこ吹く風。誰がしたんだと言う顔だ。最早なんの興味もないことだけは確かである。置いてきぼりを食った私は我慢するしかない。涙を飲んで耐えるだけだ。
「最近再婚したんだって子供一人いる女性とね」
「今は幸せな三人家族ですね」
「お嫁さんがいい人で、よくAさんの家に遊びに来てくれるんだって」
「それは好かったですね」
「Aさんはお嫁さんが帰る時、果物、お菓子とか何でも上げちゃうんだって。夕飯のオカズの煮物まで上げちゃうんだって。やり過ぎだよね」
一体なんと言うことだ。この話は「Aさんの息子さんが再婚した」から始めればいいのに、なぜ10年以上も遡るのだ。そのせいで要らぬ文句まで言われてしまったではないか。こんな時は皮肉の一つも言ってやりたくなる。
「それはアナタも一緒じゃないですか」
「アタシはそんなバカなことしないよ」
「やってるでしょう。最近、正ちゃん(息子)はリュック背負って来てますよ」
QPも同じことをしている。私にはティッシュを使い過ぎるとかケチなことを言うくせに、息子夫婦が帰る時は気前よく何でも持たせる。まるで別人のようだ。最近私は恐怖さえ感じている。息子は本当に大きなリュックを背負って来るようになったのだ。帰った後には楽しみにしていた食後のデザートさえ無いありさまだ。
「Aさんとこはね。それどころじゃないんだよ」
「はぁ?」
「お嫁さんに全部上げちゃって自分たちが食べる物が無くなっちゃうんだって」
「それは大変です」
「晩御飯まで上げちゃったんだよ。可笑しいよね」
ぜんぜん可笑しくない。Aさんの旦那は「煮物だけは残せ。俺の好物だ」と心の中で叫んでいたに違いない。ところで、朝食ももうじき終わり、後は歯を磨き、洗面、薬を飲んでからパソコンと言う生活パタンが決まっている。そろそろ話を切り上げなくてはならない。QPの機嫌を損じない様に切り上げるにはどうしたら良いか考えていた。
「なんで黙っているの」
突然聞かれても考えは纏まっていない。思っていることをそのまま口にした。
「煮物もなくて旦那さんのご飯どうなったのでしょうか?」
「アンタって話しづらい人だね。みんなに嫌われているでしょ」
「そう言えば、そんな感じも……」
「Aさんの話をしているんだからご主人のご飯も息子さんの離婚も関係ないの」
「そうですね」
「やっと分かったみたいだね。 …… Aさんたら可笑しいでしょ」
「(o ̄ー ̄o) ムフフ」
笑ったつもりだが、顔文字で表現すればこんな感じかも知れない。ご飯も作らないし、掃除もしないし、洗濯もしない。私が天から与え仕事は楽しい家庭を創ること。虚弱体質だから力は出せない。使えるのは口先だけだが少しは心労もある。
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楽しい会話ですね
花筏 「(o ̄ー ̄o) ムフフ」
↓
話の流れから言って、PPさんのこの笑いの気持ち
分からないでもないです。
でもお嫁さんに惜しげもなくいろんな物を上げられるのは、
嫁姑の関係が極めて良好な証し。
PPさん宅もAさん宅も幸せですね。
アッそれから、人間多少のストレスは有ったほうが長生きできるとか。
どこかで耳にした事があったような気がします。
ストレスがある方が長生きできる
PP >分からないでもないです。
↑
ということは分かって頂けたのですね。有難うございます。
愚痴をこぼす相手が居ないものですから、
申し訳ないのですが、ここに書いています。
ご理解いただき有難うございます。
ストレスがある方が長生きできるとは良いことを聞きました。
私の長生き計画も安泰ですね。92歳まで生きるつもりです。
長寿社会では遠慮ぎみの計画ですが。
花筏 「(o ̄ー ̄o) ムフフ」
↓
話の流れから言って、PPさんのこの笑いの気持ち
分からないでもないです。
でもお嫁さんに惜しげもなくいろんな物を上げられるのは、
嫁姑の関係が極めて良好な証し。
PPさん宅もAさん宅も幸せですね。
アッそれから、人間多少のストレスは有ったほうが長生きできるとか。
どこかで耳にした事があったような気がします。
ストレスがある方が長生きできる
PP >分からないでもないです。
↑
ということは分かって頂けたのですね。有難うございます。
愚痴をこぼす相手が居ないものですから、
申し訳ないのですが、ここに書いています。
ご理解いただき有難うございます。
ストレスがある方が長生きできるとは良いことを聞きました。
私の長生き計画も安泰ですね。92歳まで生きるつもりです。
長寿社会では遠慮ぎみの計画ですが。
購読している新聞のコラムに、ある奥様からの投稿があった。その結びの言葉が気になり、感想を書きたくなった。そんな訳で「断捨離シリーズ」は一時中断して話題を変えることにした。一度道を踏み外したら戻れるかどうかは分からないが自由気ままに書いている。
その結びとは、「ささいなことだと笑い過ごすのか、深刻に受け止めるのか……。迷うところです」ということだ。私同様、定年後の二人暮らしのようだから気になる。夫がなんやかやと妻の家事にケチをつけるらしい。「あの寛容な気持ちはどこに行ってしまったのでしょう」とこぼしている。月日の流れがパートナーの心を変えたと思い込んでいるようだ。
以前は優しかった夫が退職後二人暮らしになり、小うるさいお年寄りになったのかも知れない。アル中でもギャンブル狂でもなく、これだけの話なら普通の高齢男性と言える。私同様、家事一切を在職時代と同じように妻に任せているらしい。
深刻に受け止めるべきかどうかと奥様は迷っているようだが、ささいなことだと笑い過ごすことなど絶対に出来ない。そう出来るようなら迷うはずがないのだ。あえて言わせてもらうが深刻に受け止めるべきである。
事態は深刻だが対策は極めて簡単だ。キーワードは普通人、脅しや暴力に弱いのだから一喝してやればいい。「キャベツの千切りが太くて硬い」と言われたら、「うるさい!食べるな!!」と怒鳴りつければいいのだ。夫はもともと寛容の人だったのだから暴力をふるったりはしない。安心して一喝しよう。
奥様の力と強さを知らないだけなのだ。一喝されれば目を覚ますに決まっている。決して反抗などはしない。仮にか弱い反抗をするようなら、もう一喝、それで足りなければ二喝でも三喝でも大人しくなるまでやればいい。
「おいおい無責任なことを言うなよ。大喧嘩になったら大変だぞ」
「そうはなりません。夫は必ず改心します」
「男にはプライドと言うものがあるからヤバいぞ」
「絶対に大丈夫です」
「ダンナにも言い分があるだろう」
「一喝すれば、そんなもの吹っ飛んで行きます」
「なぜ断言できるのだ!」
「私が身を持って体験したことですから」
「何だ自分のことか」
「人様の心の内など私に分かるはずないでしょう」
その結びとは、「ささいなことだと笑い過ごすのか、深刻に受け止めるのか……。迷うところです」ということだ。私同様、定年後の二人暮らしのようだから気になる。夫がなんやかやと妻の家事にケチをつけるらしい。「あの寛容な気持ちはどこに行ってしまったのでしょう」とこぼしている。月日の流れがパートナーの心を変えたと思い込んでいるようだ。
以前は優しかった夫が退職後二人暮らしになり、小うるさいお年寄りになったのかも知れない。アル中でもギャンブル狂でもなく、これだけの話なら普通の高齢男性と言える。私同様、家事一切を在職時代と同じように妻に任せているらしい。
深刻に受け止めるべきかどうかと奥様は迷っているようだが、ささいなことだと笑い過ごすことなど絶対に出来ない。そう出来るようなら迷うはずがないのだ。あえて言わせてもらうが深刻に受け止めるべきである。
事態は深刻だが対策は極めて簡単だ。キーワードは普通人、脅しや暴力に弱いのだから一喝してやればいい。「キャベツの千切りが太くて硬い」と言われたら、「うるさい!食べるな!!」と怒鳴りつければいいのだ。夫はもともと寛容の人だったのだから暴力をふるったりはしない。安心して一喝しよう。
奥様の力と強さを知らないだけなのだ。一喝されれば目を覚ますに決まっている。決して反抗などはしない。仮にか弱い反抗をするようなら、もう一喝、それで足りなければ二喝でも三喝でも大人しくなるまでやればいい。
「おいおい無責任なことを言うなよ。大喧嘩になったら大変だぞ」
「そうはなりません。夫は必ず改心します」
「男にはプライドと言うものがあるからヤバいぞ」
「絶対に大丈夫です」
「ダンナにも言い分があるだろう」
「一喝すれば、そんなもの吹っ飛んで行きます」
「なぜ断言できるのだ!」
「私が身を持って体験したことですから」
「何だ自分のことか」
「人様の心の内など私に分かるはずないでしょう」
QPがトイレが汚いと言って騒いでいる。そんな筈はないのに文句を言っている。
「汚していませんよ」
「アンタは掃除しないから分からないんだよ」
「汚しちゃった時はキレイにしてますからね」
「あたしが掃除したんだよ」
「覚えがないですね。大ですか小ですか?」
「水だよ。みず! あちこちにバラ撒いて汚いよ」
そしてQPは私が手を洗う真似をする。やたらに手を振り回して、最後にシャッシャと水を切るような仕草をする。まるでパントマイムだ。私はそんな可笑しな恰好して手を洗ったことはない。もっとも無意識に洗っているから自信はないが。
「タオルで拭きますからシャッシャとか水切りはやりません」
「そこらじゅう水だらけじゃない。それが何よりの証拠なんだよ」
「そうでしたか。恐れ入りました。注意します」
QPが証拠と言う限りは否定しても無駄だ。しかし、私にも次のような言い分はある。証拠は既にQPが自分の手で消したのに、証拠があると主張するのは間違っている。私がトイレで手を洗う姿は見たことがないのに、身振り手振りで真似出来るはずがない。水は放って置いても乾くのではないか。その他諸々だが謝る。こうしないと話が終わらないのだ。
以前は、QPの無茶苦茶な話に悩み、怒り、反論したが、今はどちらかと言うと楽しんでいる。むしろ面白いと思うのだ。QPが物事を理路整然と話す人でなくて好かったと思う。それに、面白くなければ謝れば終わるのだから、話の主導権さえ私が握っているようなものである。何の不満もない。
もしQPが知的で理路整然と説明する人だったら大変だ。私の逃げ場はなくなりノイローゼになるかも知れない。世間では何も出来ない役立たずの私だが、家の中では理論派と思い込んでいる。QPはアバウトで忘れっぽいから有難い。割れ鍋に綴じ蓋とは良く言ったものだ。
念のためネットで検索したら、「割れ鍋に綴じ蓋とは、割れた鍋でもそれに似合った破れを修繕した蓋があるという意味で、どんなにブサイクで役立たずの男であっても、物好きで相性の合う女性が広い世の中には必ずいるものだということわざ」と書いてあった。
QPが「物好きで相性の合う女性」かどうかは分からないが、私が「ブサイクで役立たずの男」であることは確かだ。若い時は食うために多種多様な仕事をしてきたが、上手く出来たものは一つもなかった。だから役立たずであることは間違いない。
一通り文句を言った後、QPは晴れがましい顔になる。そしてよく笑うようになる。相性がいいといっても、気が合う訳でも意見が一致するわけでもない。二人暮しでは善悪も勝敗も関係ない。あえて言えば笑わした方が勝ちかな。全てにおいてノロマの私はそれに気付くのに何十年もかかってしまった。
「汚していませんよ」
「アンタは掃除しないから分からないんだよ」
「汚しちゃった時はキレイにしてますからね」
「あたしが掃除したんだよ」
「覚えがないですね。大ですか小ですか?」
「水だよ。みず! あちこちにバラ撒いて汚いよ」
そしてQPは私が手を洗う真似をする。やたらに手を振り回して、最後にシャッシャと水を切るような仕草をする。まるでパントマイムだ。私はそんな可笑しな恰好して手を洗ったことはない。もっとも無意識に洗っているから自信はないが。
「タオルで拭きますからシャッシャとか水切りはやりません」
「そこらじゅう水だらけじゃない。それが何よりの証拠なんだよ」
「そうでしたか。恐れ入りました。注意します」
QPが証拠と言う限りは否定しても無駄だ。しかし、私にも次のような言い分はある。証拠は既にQPが自分の手で消したのに、証拠があると主張するのは間違っている。私がトイレで手を洗う姿は見たことがないのに、身振り手振りで真似出来るはずがない。水は放って置いても乾くのではないか。その他諸々だが謝る。こうしないと話が終わらないのだ。
以前は、QPの無茶苦茶な話に悩み、怒り、反論したが、今はどちらかと言うと楽しんでいる。むしろ面白いと思うのだ。QPが物事を理路整然と話す人でなくて好かったと思う。それに、面白くなければ謝れば終わるのだから、話の主導権さえ私が握っているようなものである。何の不満もない。
もしQPが知的で理路整然と説明する人だったら大変だ。私の逃げ場はなくなりノイローゼになるかも知れない。世間では何も出来ない役立たずの私だが、家の中では理論派と思い込んでいる。QPはアバウトで忘れっぽいから有難い。割れ鍋に綴じ蓋とは良く言ったものだ。
念のためネットで検索したら、「割れ鍋に綴じ蓋とは、割れた鍋でもそれに似合った破れを修繕した蓋があるという意味で、どんなにブサイクで役立たずの男であっても、物好きで相性の合う女性が広い世の中には必ずいるものだということわざ」と書いてあった。
QPが「物好きで相性の合う女性」かどうかは分からないが、私が「ブサイクで役立たずの男」であることは確かだ。若い時は食うために多種多様な仕事をしてきたが、上手く出来たものは一つもなかった。だから役立たずであることは間違いない。
一通り文句を言った後、QPは晴れがましい顔になる。そしてよく笑うようになる。相性がいいといっても、気が合う訳でも意見が一致するわけでもない。二人暮しでは善悪も勝敗も関係ない。あえて言えば笑わした方が勝ちかな。全てにおいてノロマの私はそれに気付くのに何十年もかかってしまった。
今日は珍しくQPと二人でお出かけだ。チェックが厳しいので緊張する。出かける寸前になって、そんなもの着て行くのかとイチャモンを付けられるかも知れない。一緒に出掛けるのは、あらゆる意味で面倒だ。出来れば行きたくない。どうせ自分の行きたい所には行けないのだ。いわゆる御供みたいなものである。
それでも1年に何回かは御供しなければならない。と言うよりも三食昼寝付の身としては断れないのだ。私はぐうたら人間だが、QPにとっても良い点が一つある。それは絶対服従ということだ。これなくして私の価値はない。少なくとも家の中では。
別に70年以上もぐうたら人生を歩んできたわけではない。むしろ人生の大部分を真面目に生きてきたと思う。本格的なぐうたらになったのは、この3年くらいのことである。それでも家庭内の平和は守らなければならない。そこが難しいところだ。
解決策は待っていてもやって来ない。その為に猛勉強をした。目的は楽ちん生活の構築。ぐうたらしていてもQPに文句を言われない方法とか、実用的なものだけに絞って勉強した。もちろん「二人暮し学」なんか小学校でも大学でも教えてくれない。年寄の自学自習だ。科目としては歴史、社会学、心理学などを選んだ。
先ず歴史だが、二人の歴史は平穏無事で、痛切に反省することも、お詫びすることもない。定期便のように定時に出発し、定時に帰る生活だから波乱の起きようがない。私が外で働き、QPが家庭を守ると言う分業が成り立っていたのである。しかし、退職後15年間の歴史は全く違う。QPは40年かけて私の城に根を、深く広く張ってしまったのだ。だから不満をぶちまけて騒いだとしてもビクともしない。
次に社会学だが、これについてはかなりの勉強をした。組織の運営で学んだ話し合い、説得し、それでも一致を見ない時は妥協点を探る、という手法は二人暮らしの中では全く機能しないことが分かった。QPは「アンタが悪い」の一点張りだから敵わない。QP流喧嘩は勝つことだけが目的だから私が負けない限り終わらない。
ヒトもイヌと同じように集団の動物である。ならば主従関係を明確にしなければならない。便宜的にQPに主の役割を負わし、私が従にまわることにした。試してみると成功した。QPは具体的なものは何も求めていない。ただ逆らわなければいいだけだ。これが分かったのも勉強の成果である。上手く行った。
心理学は大好きだ。これを利用してQPの心を自由に操り、かなりの成果を挙げた。私は子供の頃から楽をするのが最大の夢だった。今は憧れの楽ちん生活を送っている。基本は面従腹背で機会あるごとに歯の浮くようなお世辞を振りまいた。愛の言葉の様なもので、二人暮しならちっとも恥ずかしくない。上手く行き過ぎて怖い。
毎日を心穏やかに過ごすため挨拶を励行。口先一つで済むことだからマメに実行した。「おはようございます」「いただきます」「ごちそうさま」「ありがとうございます」「おやすみなさい」が潤滑油の役目を果たしてくれた。これも上手く行った。
「そんなことは自慢にならんぞ」
先輩は気に入らないようだ。私も言い過ぎたかも知れない。何となく悪い予感。
「どこが上手く行ったんだ。尻に敷かれただけじゃないか!」
「そうでしょうか」
「それで……、尻に敷かれた気分はどうなんだ」
「温かいです」
それでも1年に何回かは御供しなければならない。と言うよりも三食昼寝付の身としては断れないのだ。私はぐうたら人間だが、QPにとっても良い点が一つある。それは絶対服従ということだ。これなくして私の価値はない。少なくとも家の中では。
別に70年以上もぐうたら人生を歩んできたわけではない。むしろ人生の大部分を真面目に生きてきたと思う。本格的なぐうたらになったのは、この3年くらいのことである。それでも家庭内の平和は守らなければならない。そこが難しいところだ。
解決策は待っていてもやって来ない。その為に猛勉強をした。目的は楽ちん生活の構築。ぐうたらしていてもQPに文句を言われない方法とか、実用的なものだけに絞って勉強した。もちろん「二人暮し学」なんか小学校でも大学でも教えてくれない。年寄の自学自習だ。科目としては歴史、社会学、心理学などを選んだ。
先ず歴史だが、二人の歴史は平穏無事で、痛切に反省することも、お詫びすることもない。定期便のように定時に出発し、定時に帰る生活だから波乱の起きようがない。私が外で働き、QPが家庭を守ると言う分業が成り立っていたのである。しかし、退職後15年間の歴史は全く違う。QPは40年かけて私の城に根を、深く広く張ってしまったのだ。だから不満をぶちまけて騒いだとしてもビクともしない。
次に社会学だが、これについてはかなりの勉強をした。組織の運営で学んだ話し合い、説得し、それでも一致を見ない時は妥協点を探る、という手法は二人暮らしの中では全く機能しないことが分かった。QPは「アンタが悪い」の一点張りだから敵わない。QP流喧嘩は勝つことだけが目的だから私が負けない限り終わらない。
ヒトもイヌと同じように集団の動物である。ならば主従関係を明確にしなければならない。便宜的にQPに主の役割を負わし、私が従にまわることにした。試してみると成功した。QPは具体的なものは何も求めていない。ただ逆らわなければいいだけだ。これが分かったのも勉強の成果である。上手く行った。
心理学は大好きだ。これを利用してQPの心を自由に操り、かなりの成果を挙げた。私は子供の頃から楽をするのが最大の夢だった。今は憧れの楽ちん生活を送っている。基本は面従腹背で機会あるごとに歯の浮くようなお世辞を振りまいた。愛の言葉の様なもので、二人暮しならちっとも恥ずかしくない。上手く行き過ぎて怖い。
毎日を心穏やかに過ごすため挨拶を励行。口先一つで済むことだからマメに実行した。「おはようございます」「いただきます」「ごちそうさま」「ありがとうございます」「おやすみなさい」が潤滑油の役目を果たしてくれた。これも上手く行った。
「そんなことは自慢にならんぞ」
先輩は気に入らないようだ。私も言い過ぎたかも知れない。何となく悪い予感。
「どこが上手く行ったんだ。尻に敷かれただけじゃないか!」
「そうでしょうか」
「それで……、尻に敷かれた気分はどうなんだ」
「温かいです」
悔しくて仕方がない。モチを買って来いというからモチを買って帰ったら、このモチではないと言われた。これは苛めだ。世の中には多種多様なモチがある。私が何を買ってこようと、QPは「このモチではない」と言うことが出来る。だから苛めだ。
いつもならここで諦めて黙ってしまう。なぜならQPを説得しようというのは、老朽化したガタガタ車に少々油を注入して新車に変えようとする様なものだ。だから、この3年間苛めや暴言に耐え抜いて来たのだ。しかし今度ばかりは我慢も限界に達し、ズタズタに切れてしまった。思わず「うるさい!」と怒鳴りつけた。
「出てってやる!」と下駄を履いたのはいいのだが、悲しいことに我家は集合住宅。エレベーターに乗って出て行く姿は様にならない。かと言って直ぐに帰るのも憚れる。逡巡した挙句ベランダに出た。とにかく同じ屋根の下には居たくない。同じ空気を吸いたくないのだ。
こともあろうにQPは、鍵をかけて私を締め出した。トントンと叩いても開けてくれない。春の夕暮にシャツとセーターでベランダでは寒くて仕方がない。とりあえず身体を温めるために歩き回った。しばらくしてトントン叩いてもまだ開けようとしない。こうなったら最後の手段だ。近所迷惑も顧みず大きな音が出るようにバンバン叩いた。その時、もうQPとはやって行けない、という思いが込み上げてきた。
私が一部始終を語り終えると先輩は、瞑想する僧侶のように目を瞑りポツリと一言、「別れる必要はない」。
「はぁ?」
「お前は既に別れている。今更法律的に別れて何の益がある」
「別居を勧めるのですか?」
「別居? お金がかかるよ。あるのかい?」
「それじゃあ、家の中を二つに分けるとか……」
「バカなことを言うんじゃないよ。小さな家を半分にしたら不便になるだけだ」
「じゃあ、どうしたらいいのですか」
「だから、今のままでいいんだよ」
「それが最悪だから、相談に来たのです。もう帰ります。来るんじゃなかった」
「ちょっと待ったぁ! 最後まで聞きなさい」
「はいはい、ダメでもともと。拝聴しましょう」
「QPさんは買物とかサークルなど、よく外出するだろう。その間お前は一人。 お前が外出すればお前は一人。書斎にこもればお前は一人。寝ているときもお前は一人。まさか一緒に寝たりしていないだろうね?」
「いえいえ、とんでもない」
「しっかりと別れているじゃあないか」
「トイレに行くのも私は一人(笑)、な~んちゃって」
「出すのも一人」
「拭くのも一人」
「あの世に行くのも一人ずつ」
「…………」
「どうした?」
「なんか寂しいですね」
「そんなもんだよ。人生は」
いつもならここで諦めて黙ってしまう。なぜならQPを説得しようというのは、老朽化したガタガタ車に少々油を注入して新車に変えようとする様なものだ。だから、この3年間苛めや暴言に耐え抜いて来たのだ。しかし今度ばかりは我慢も限界に達し、ズタズタに切れてしまった。思わず「うるさい!」と怒鳴りつけた。
「出てってやる!」と下駄を履いたのはいいのだが、悲しいことに我家は集合住宅。エレベーターに乗って出て行く姿は様にならない。かと言って直ぐに帰るのも憚れる。逡巡した挙句ベランダに出た。とにかく同じ屋根の下には居たくない。同じ空気を吸いたくないのだ。
こともあろうにQPは、鍵をかけて私を締め出した。トントンと叩いても開けてくれない。春の夕暮にシャツとセーターでベランダでは寒くて仕方がない。とりあえず身体を温めるために歩き回った。しばらくしてトントン叩いてもまだ開けようとしない。こうなったら最後の手段だ。近所迷惑も顧みず大きな音が出るようにバンバン叩いた。その時、もうQPとはやって行けない、という思いが込み上げてきた。
私が一部始終を語り終えると先輩は、瞑想する僧侶のように目を瞑りポツリと一言、「別れる必要はない」。
「はぁ?」
「お前は既に別れている。今更法律的に別れて何の益がある」
「別居を勧めるのですか?」
「別居? お金がかかるよ。あるのかい?」
「それじゃあ、家の中を二つに分けるとか……」
「バカなことを言うんじゃないよ。小さな家を半分にしたら不便になるだけだ」
「じゃあ、どうしたらいいのですか」
「だから、今のままでいいんだよ」
「それが最悪だから、相談に来たのです。もう帰ります。来るんじゃなかった」
「ちょっと待ったぁ! 最後まで聞きなさい」
「はいはい、ダメでもともと。拝聴しましょう」
「QPさんは買物とかサークルなど、よく外出するだろう。その間お前は一人。 お前が外出すればお前は一人。書斎にこもればお前は一人。寝ているときもお前は一人。まさか一緒に寝たりしていないだろうね?」
「いえいえ、とんでもない」
「しっかりと別れているじゃあないか」
「トイレに行くのも私は一人(笑)、な~んちゃって」
「出すのも一人」
「拭くのも一人」
「あの世に行くのも一人ずつ」
「…………」
「どうした?」
「なんか寂しいですね」
「そんなもんだよ。人生は」
QPに「お湯を沸かさせて下さい」と言えなくて悩んでいる。情けないな~、と笑うのは勝手だが、これでも亭主関白のつもりだ。掃除洗濯は全てQP、三度の食事も「ご飯できたよ」「ありがとう」と言うような感じだ。もちろん、食後の後片付けなんかしない。
しかし、朝の紅茶だけは私が淹れている。お湯を沸かすところからやりたいのだが、食事を含む家事一切はQPの管轄下にあるので言えない。「私にお湯を沸かさせて」と言えずに困っている。こんな小さなことでも大きくこじれることもあるものだ。
以前にも何回も私にお湯を沸かせてと頼んだが、なぜかQPは自分でお湯を沸かす。朝の食事の用意は他にいろいろやることがあるのに何故だろう。長い間の習慣から抜け出せないのかも知れない。
紅茶係としてはお湯を沸かすところからやらしてもらわなければ困るのだ。QPが沸かせば、先ずお湯の量が一回一回違う。自分で淹れないのだから多いか少ないか分からない。それなのに何故? 私にとっては迷惑至極。
水の量はいつも違うし、何時お湯を沸かすのかも分からない。時にはお湯を沸かすのを忘れることもある。料理が全部出来上がってから、お湯を沸かすので、テーブルの上の料理は冷めてしまう。
それでも私にお湯を沸かさせてくれない。ヤカンにお湯を入れてIH調理器の上に置いてスイッチを入れないことも何回もある。この日もそうだった。料理は全部出来ているのにヤカンを触ると冷たかった。ついに私も切れてしまった。
「ヤカンをIHにのせたらスイッチを入れてください」
「なんにもやらないのに指図しないでよ!」
「紅茶淹れてるでしょ」
「それがどうしたの?」
「水じゃあ淹れられないでしょ」
「沸かせばいいでしょ」
「今から沸かしたって10分もかかるでしょ。料理が冷めてしまいますよ」
「だからどうしたの!」
「IHにヤカンを乗せたらスイッチも入れてください」
「ウルサイこと言うんなら淹れなくていいよ!」
「………」
私は沈黙。QPは勝ち誇る。
QPは温かいものは温かい内に食べるという考えはない。水から紅茶を作るのに沸かして3分お湯を入れて3分、なんやかやでテーブルの乗るのに10分近くかかる時もある。これではテーブルに並べてある料理が冷めてしまう。
これについては全く無頓着。紅茶が入るまで悠然と新聞を読んでいて冷めるのを気にする風も無い。私は料理が温かい内に食べたい気持ちが強い。このあたりが気の合わないところだ。
ケンカは一定の成果を上げた。次の日からQPは最初にお湯を沸かした。これまで私が何回もお願いしていても聞いてもらえなかったことである。 一歩前進ではないか。ケンカもたまにはするべきと理解した。
しかし、QPに分かってもらう為にはケンカに負ける必要がある。決して勝ってはいけない。 家の切り盛りを何十年もしてきた誇りがある。しかも今でも家事一切を任されている。つまり現役の誇りもあるのだ。この誇りに傷をつけてはいけない。これがQP操縦法の極意である。
しかし、「お湯を私に沸かさせて下さい」については、まだ許可をもらっていない。そうすれば電気代も水道料も、オマケに時間まで減らすことができるのだが、その為にはQPとケンカして負けなければならないのだ。なにもあせることはない。私には必勝法があるが、伝家の宝刀だから滅多に抜いてはいけない。一歩前進で充分だ。
紅茶を淹れる人がお湯を沸かせば、適量の水しか沸かさないので、電気、水道、時間等を倹約できる。これをQPに理解してもらうことは宿題として残して置くことにした。ボクシングだったら1ラウンド戦ったら1分は休むのだが、QPとの戦いの疲れをとるには1ヶ月の休養が必要だ。
しかし、朝の紅茶だけは私が淹れている。お湯を沸かすところからやりたいのだが、食事を含む家事一切はQPの管轄下にあるので言えない。「私にお湯を沸かさせて」と言えずに困っている。こんな小さなことでも大きくこじれることもあるものだ。
以前にも何回も私にお湯を沸かせてと頼んだが、なぜかQPは自分でお湯を沸かす。朝の食事の用意は他にいろいろやることがあるのに何故だろう。長い間の習慣から抜け出せないのかも知れない。
紅茶係としてはお湯を沸かすところからやらしてもらわなければ困るのだ。QPが沸かせば、先ずお湯の量が一回一回違う。自分で淹れないのだから多いか少ないか分からない。それなのに何故? 私にとっては迷惑至極。
水の量はいつも違うし、何時お湯を沸かすのかも分からない。時にはお湯を沸かすのを忘れることもある。料理が全部出来上がってから、お湯を沸かすので、テーブルの上の料理は冷めてしまう。
それでも私にお湯を沸かさせてくれない。ヤカンにお湯を入れてIH調理器の上に置いてスイッチを入れないことも何回もある。この日もそうだった。料理は全部出来ているのにヤカンを触ると冷たかった。ついに私も切れてしまった。
「ヤカンをIHにのせたらスイッチを入れてください」
「なんにもやらないのに指図しないでよ!」
「紅茶淹れてるでしょ」
「それがどうしたの?」
「水じゃあ淹れられないでしょ」
「沸かせばいいでしょ」
「今から沸かしたって10分もかかるでしょ。料理が冷めてしまいますよ」
「だからどうしたの!」
「IHにヤカンを乗せたらスイッチも入れてください」
「ウルサイこと言うんなら淹れなくていいよ!」
「………」
私は沈黙。QPは勝ち誇る。
QPは温かいものは温かい内に食べるという考えはない。水から紅茶を作るのに沸かして3分お湯を入れて3分、なんやかやでテーブルの乗るのに10分近くかかる時もある。これではテーブルに並べてある料理が冷めてしまう。
これについては全く無頓着。紅茶が入るまで悠然と新聞を読んでいて冷めるのを気にする風も無い。私は料理が温かい内に食べたい気持ちが強い。このあたりが気の合わないところだ。
ケンカは一定の成果を上げた。次の日からQPは最初にお湯を沸かした。これまで私が何回もお願いしていても聞いてもらえなかったことである。 一歩前進ではないか。ケンカもたまにはするべきと理解した。
しかし、QPに分かってもらう為にはケンカに負ける必要がある。決して勝ってはいけない。 家の切り盛りを何十年もしてきた誇りがある。しかも今でも家事一切を任されている。つまり現役の誇りもあるのだ。この誇りに傷をつけてはいけない。これがQP操縦法の極意である。
しかし、「お湯を私に沸かさせて下さい」については、まだ許可をもらっていない。そうすれば電気代も水道料も、オマケに時間まで減らすことができるのだが、その為にはQPとケンカして負けなければならないのだ。なにもあせることはない。私には必勝法があるが、伝家の宝刀だから滅多に抜いてはいけない。一歩前進で充分だ。
紅茶を淹れる人がお湯を沸かせば、適量の水しか沸かさないので、電気、水道、時間等を倹約できる。これをQPに理解してもらうことは宿題として残して置くことにした。ボクシングだったら1ラウンド戦ったら1分は休むのだが、QPとの戦いの疲れをとるには1ヶ月の休養が必要だ。
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カスミ草
温かいものは温かく、冷たいものは冷たいうちに。
おいしく頂くには、これは絶対条件だと、私も思います
でもこの頃は、「お腹が満たされればそれで良いか」と、かなり情けない考えになっています。
これじゃいけませんね。
PPさんの食に対する考えを私も実践しなければ。
突然ですが)
ハァァァ~
最終行に思わずため息が・・・
たったこれだけの戦いに(失礼)、1か月の休養が必要なのですか。
かなり気の長~い宿題ですね。
油断大敵
pp カスミ草さん、こんばんは。
小さなことでも大きくこじれることは、よくあることです。
少なくとも私たちは、その連続でした。油断大敵です。
休養といっても大したことではありません。
何でもかんでも、ハイハイと言っていればすむことです。
休んでいるときは何も考えません。ハイハイだけです。
なんと言ったって休んでいるのですからね(笑)。
のん子 夫婦も長年やってますと、これだけは譲れないとかってありますからね~。
うちの夫も一旦、機嫌を損ねると厄介ですから、なるべく逆らわないようにはしています。
が、時々は切れます(笑)
夫婦だから、余計に難しいってこともありますものね。
1カ月後に又、前進出来ますように、十分休養をお取り下さいませ。
ノンビリと生きたい
pp 私ものん子さん同様。機嫌を損ねると厄介と感じています。
機嫌を損なわないようにして、自己主張したいのです。
急いてはことを仕損じるといいますがホントですね。
ゆっくり一つずつ積み上げて行く方が近道と思います。
これからの人生は争いごとは避けてノンビリと生きたいです。
有り難うございます。
鬼藤千春の小説 「鬼藤千春の小説」のブログへ訪問いただきまして、有り難うございます。今後ともよろしくお願い致します。
どういたしまして
pp 「広島土砂災害」や「平和の鐘」など読みました。
いずれも大切な問題で考えさせられます。
「神田川」は懐かしい世界ですね。
今の方が幸せな暮らしですが何となく不安です。
湯沸かし器はだめですか?
はるママ 私は住分け派ですから、コンロはお任せすべきだと思います!
でも沸かしたてのお湯で紅茶を入れたい私としては、湯沸かし器を買いたい。それも駄目なの?
湯沸かし器
pp はるママさん、こんにちは
ナルホドなるほど、湯沸かし器という手があるのですね。
納得しました。コンロを二人で使うのが、そもそも間違い。
というか、問題を複雑にしますね。熱いものは気もつかいますから…。
とても参考になりました。
「コーヒーにしてって言ったでしょ」
「聞いてませんよ」
特にリクエスト無いときは紅茶にするのが我が家のルール。
「人の言うことは何も聞いてないんだから」
「いつも『はいコーヒー』と返事してるでしょ。私の返事を聞きましたか?」
「言ったらやらなきゃダメじゃない!」
もう一度「返事聞いたか」と問えば聞かないと言うに決まっている。今までに一度も自分の思い違いを訂正したことはないのだから。
かといって、黙って引き下がるのは悔しい。しかし変に反発して戦争になるのも怖い。そうなればいつも負けるんだから何としても避けたい。
私はこんなことを一瞬の内に考える頭脳を持っている。引き算も満足にできないのに不思議なもんだ。そこで飛び出したのが……、
「ママなんて大キライだ!」
「プッ、……」
これにて一件落着。攻撃は最大の防御なり。
攻撃しても倍返しの反撃に遭えば負けるに決まっている。こんなことになるのならば耐えて耐えて耐え抜いた方がましだ。攻撃は最大の防御というならば、反撃を受けない攻撃をしなければいけない。
「それが『ママなんて大キライだ』か?」
「大声で怒鳴りつけてやったら胸がす~っとしましたよ」
「ヨボヨボのアンタがね~。ママとか言っちゃって」
「恐れ入ったでしょう。初めてママと言いました」
「似合わないね~。ジョークにしか思えないよ」
「私は本気。きっと私の剣幕に恐れをなしたのです」
「聞いてませんよ」
特にリクエスト無いときは紅茶にするのが我が家のルール。
「人の言うことは何も聞いてないんだから」
「いつも『はいコーヒー』と返事してるでしょ。私の返事を聞きましたか?」
「言ったらやらなきゃダメじゃない!」
もう一度「返事聞いたか」と問えば聞かないと言うに決まっている。今までに一度も自分の思い違いを訂正したことはないのだから。
かといって、黙って引き下がるのは悔しい。しかし変に反発して戦争になるのも怖い。そうなればいつも負けるんだから何としても避けたい。
私はこんなことを一瞬の内に考える頭脳を持っている。引き算も満足にできないのに不思議なもんだ。そこで飛び出したのが……、
「ママなんて大キライだ!」
「プッ、……」
これにて一件落着。攻撃は最大の防御なり。
攻撃しても倍返しの反撃に遭えば負けるに決まっている。こんなことになるのならば耐えて耐えて耐え抜いた方がましだ。攻撃は最大の防御というならば、反撃を受けない攻撃をしなければいけない。
「それが『ママなんて大キライだ』か?」
「大声で怒鳴りつけてやったら胸がす~っとしましたよ」
「ヨボヨボのアンタがね~。ママとか言っちゃって」
「恐れ入ったでしょう。初めてママと言いました」
「似合わないね~。ジョークにしか思えないよ」
「私は本気。きっと私の剣幕に恐れをなしたのです」
このブログに、こんなコメントがあった。
「表面的には負けたように見えて、カンペキに勝者の気分を味わいたいものです。この戦法についてnakapaさん、今度考えてみてださいませんか。
もしも思いついたら教えてくださいね」
「思いつきました」と私。
「それでは教えて下さい」。質問者になったつもりの、もう一人の私
「問題は一つずつ解決しましょう」
「お任せします」
「負ければいいのです。表面的にも負けたように見えますよ」
「そりゃ、そうですが……」
「これで半分、一挙に解決です。 残りは勝者の気分だけになりました」
最初のコメントを再読して頂きたい。残りの問題を解決する糸口がある。
そこには「カンペキに勝者の気分を味わいたい」と書いてある。
「気分を味わいたい」だけなのだ。それなら簡単だ。
負けても勝った気分になればいいのだから。
「負けたら勝った気分になれませんが……」
「ケンカと思うから勝ちたがるのです。情報収集と思えばいいのです」
「情報収集?」
「それが明日の勝ちに繋がるのです」

中島公園菖蒲池。北日本最大の歓楽街、薄野から徒歩5分でこの景観。
『敵を知り、己を知らば、百戦危うからず』と、昔から言われているではないか。 戦うなら、先ず敵に関する正確な情報を得なければならない。
「亭主の情報のこと?」
「そうです」
「留守の時、ポケット探ったり引き出し開けたりして?」
「面と向って、口から取るのです」
「……?」
情報が欲しければ相手に本音を喋らせること。そのためにケンカを仕掛けるのだから、自分がペラペラ喋ったら何にもならない。聴くことに徹することが肝心だ。
脅かして黙らせるなんて愚の骨頂だ。滅びに至る道でしかない。
情報を取った方が勝ち、取られた方の負け。
これほど勝敗がハッキリしていることはないのだ。
ガミガミ言われている姿を見れば、いかにもケンカに負けているように見える。
実際、ガミガミに耐えるのは辛い。
だから、『栄光の陰に涙あり』と思って耐えてほしい。
勝利は目前に迫っているのだ。 あと一息である。
これこそ
「表面的には負けたように見えて、カンペキに勝者の気分を味わう戦法」
である。
敵から情報を盗って勝つ。 言うのは簡単だが、実行となると難しい。
先手必勝! ケンカは自ら仕掛けることが肝心だ。これを奇襲攻撃と言う。
これさえ守れば『百戦危うからず』である。
「大切なのはタイミングです。 ケンカは自分から仕掛けるのです」
「なんで?」
「スポーツと同じです。体調を整え万全の態勢のときでなければ、ガミガミに耐えながら、情報収集をすることはできません。 楽して勝つ方法などないのです」
「仕掛けるって、どうやって?」
「これも簡単です。
『道路を歩いていたら、躓いて転んじゃったよ』
と甘えて言ってきたら、
『私のせいじゃあないよ』
と突き放せばいいのです。
何事もこの調子で頑張ってください。 幸運を祈ります!」
「表面的には負けたように見えて、カンペキに勝者の気分を味わいたいものです。この戦法についてnakapaさん、今度考えてみてださいませんか。
もしも思いついたら教えてくださいね」
「思いつきました」と私。
「それでは教えて下さい」。質問者になったつもりの、もう一人の私
「問題は一つずつ解決しましょう」
「お任せします」
「負ければいいのです。表面的にも負けたように見えますよ」
「そりゃ、そうですが……」
「これで半分、一挙に解決です。 残りは勝者の気分だけになりました」
最初のコメントを再読して頂きたい。残りの問題を解決する糸口がある。
そこには「カンペキに勝者の気分を味わいたい」と書いてある。
「気分を味わいたい」だけなのだ。それなら簡単だ。
負けても勝った気分になればいいのだから。
「負けたら勝った気分になれませんが……」
「ケンカと思うから勝ちたがるのです。情報収集と思えばいいのです」
「情報収集?」
「それが明日の勝ちに繋がるのです」

中島公園菖蒲池。北日本最大の歓楽街、薄野から徒歩5分でこの景観。
『敵を知り、己を知らば、百戦危うからず』と、昔から言われているではないか。 戦うなら、先ず敵に関する正確な情報を得なければならない。
「亭主の情報のこと?」
「そうです」
「留守の時、ポケット探ったり引き出し開けたりして?」
「面と向って、口から取るのです」
「……?」
情報が欲しければ相手に本音を喋らせること。そのためにケンカを仕掛けるのだから、自分がペラペラ喋ったら何にもならない。聴くことに徹することが肝心だ。
脅かして黙らせるなんて愚の骨頂だ。滅びに至る道でしかない。
情報を取った方が勝ち、取られた方の負け。
これほど勝敗がハッキリしていることはないのだ。
ガミガミ言われている姿を見れば、いかにもケンカに負けているように見える。
実際、ガミガミに耐えるのは辛い。
だから、『栄光の陰に涙あり』と思って耐えてほしい。
勝利は目前に迫っているのだ。 あと一息である。
これこそ
「表面的には負けたように見えて、カンペキに勝者の気分を味わう戦法」
である。
敵から情報を盗って勝つ。 言うのは簡単だが、実行となると難しい。
先手必勝! ケンカは自ら仕掛けることが肝心だ。これを奇襲攻撃と言う。
これさえ守れば『百戦危うからず』である。
「大切なのはタイミングです。 ケンカは自分から仕掛けるのです」
「なんで?」
「スポーツと同じです。体調を整え万全の態勢のときでなければ、ガミガミに耐えながら、情報収集をすることはできません。 楽して勝つ方法などないのです」
「仕掛けるって、どうやって?」
「これも簡単です。
『道路を歩いていたら、躓いて転んじゃったよ』
と甘えて言ってきたら、
『私のせいじゃあないよ』
と突き放せばいいのです。
何事もこの調子で頑張ってください。 幸運を祈ります!」
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フラダン ナカパさん喧嘩の奨励はいけません!(笑い)
「躓いて転んじやった」と云ったら、ナカパさんなら
きっと「大丈夫でしたか?」と聞いてる筈です、、
「面と向かって口から吸い取る」には、ドッキと
しましたが笑えました、「負けるが勝ち」で
心は勝者です。
文芸の世界
賢爺 文芸の世界には勝ち負けはないと思います。
川柳を少し経験して、最近感じたのですが、
川柳の句会では、参集者ごとの「競吟」になります。
この場合、内容の勝負ではなく、
選者や参集者の判定による順位付けになります。
喧嘩とは全く違う、スポーツのようなものです。
フラダン さんへ
nakapa >「躓いて転んじやった」と云ったら、ナカパさんなら
>きっと「大丈夫でしたか?」と聞いてる筈です、、
↑
それが、そうじゃあないのです。
「どこで躓いた。どんな靴を履いていた。その時の天候は?」
とか根掘り葉掘り聴くので嫌われています。
私としては、転ばない為の安全対策をアドバイスしようと思っているのですが…。
私も「負けるが勝ち」ですね。今回は質問に答えるために、「戦法」を考えてみました。
賢爺さんへ
nakapa >選者や参集者の判定による順位付けになります。
↑
全員、公平に一票とすると、とても良いやり方とおもいます。
自由で公平な順位付けと思います。
「川柳は人の上に人を造らず 人の下に人を造らず」と感じました。
どんなグループでも社会と思います。 自由で公平な社会はいいですね。
のん子 私も勝気な方なので負けるのは嫌いです(笑)
で、察するにこの質問者は男性なのではありませんか?負けたくないのは女性に対してではないですか?
私は社会生活で嫌ほど身に沁みました。
まともに勝てば大変なことになります。
味方になってくれるのは自分より数段優れた男性です。
何かを成し遂げようとした時に必要なのは仰るように情報です。
そして反対者の性格、弱点を見極めなければなりません。
自分が表には出ず、素直に話を聞ける相手を探し、だんだんと外堀を埋めるしか有りません。
夫婦間の話なら褒め殺しが一番かも?
しっかりとした奥さまなら自分程幸せな者はいないと常に周りの方に吹聴していれば、奥様はそんな立場にしてあげようとされるのでは?(笑)
のん子さんへ
nakapa 社会生活での闘いは大変ですね。お察しします。
私は二人暮らしの単純なケンカについて考えてみました。
いろいろ屁理屈を並べてみましたが、のん子さんの「褒め殺し」には敵いません。
勝と思うな思えば負ける。勝負しないで褒め殺せ。
これが一番ですね。 恐れ入りました。
名無しさん 「ケンカと思うから勝ちたがるのです。情報収集と思えばいいのです」
この文章に「さすが~^^冷静」と感じましたよ。
言葉って言い方でどうにでもなりますね~
ストレートの言い方も悪くない時もありますが、結構反感を買う事が多いですよね~
「面と向かって口から吸い取る」には)私もどっきとしましたね(*^。^*)
名無しさん へ
nakapa コメント有難うございます。
確かに言葉は言いようです。
なるべく人様を刺激しない様に気をつけています。
読み返してみると、よくない表現があるので2文字削除しました。
「吸い取る」から吸いを取り、「取る」だけにしました。
書いた後で直して、皆様に申し訳ないと思っています。
戦法などありません
ひよどり 戦法などはありません。
むしろあってはならないものではないかと思います。
きっと二人とも健康だから言えることなのでしょう。
どちらかが病気だったり、どちらも病気だったりしたら、戦略も戦術もありません。
ずっと病弱な私は、カミさんに負担を掛けています。
逆に、カミさんが病いに倒れたら、私も何とか頑張ります。
わが家は出来損ないのじゃが芋同士です。
「割れ鍋に綴じ蓋」と言うより、「不揃いの手袋」とでも言いましょうか。
戦略や戦術を言っていられるのは、それだけで幸せだと思います。
ジョークなのであれば、さらに幸せなことですね。
こんにちは
空見 いろいろと戦術を考えてくださってありがとうございます・・でも、あまりにも詰らない事でガミガミ言われっぱなしは・・「嫌な情報収集術」ですね(笑)
ブログは何かと「ホメ殺し」が横行していますよね(それが礼儀なのかな?)、あまりに褒めるのはオカシイですけど、ホメラレテル人は気分が良さそうですので、これは○なのでしょう。
慇懃無礼もたび重なるとウザイし、って、文句ばかりのワタクシ^^;
「怒られてナンボ」ってね、新入社員はそうココロしたものですが!でも腹が立つものは立つ(笑)まぁね、思い遣りの心がないとすべてはうまく行きませんようで・・。
nakapaさん、自分に負い目がないと相手に優しくなれないこともあります。たとえば外に恋人でも作ったら、QPさんとの夫婦仲は円満になるかも?
アハハ、過激発言をしてしまいました。どうぞスルーしてください~変態的妄想癖有りのタワゴトでした┐( -""-)┌
何気ない「専門家」のひとことで、私達の食卓は、ダイニングスペースと称する、狭いフロアに閉じ込められることになった。後1年で閉じ込められて10年になる。
前々回の「静かな生活」では、ケンカをして黙々と朝食を食べる、私達二人について書いた。 寄せられたコメントの中には「食事は横並びに座った方がよい」という意見も少なくなかった。
私たちは向かい合って座っている。 私は窓から見える山々を観ながら食べる。 目の前が食器棚のQPは、じっと皿を見つめながら食べている。 お互いに何となく居心地が悪い。
習慣とは恐ろしいものだ。食事を一緒にしないと更にこじれるような気がして、別々に食べる気がしないのだ。
私は窓から景色が観れるから少しはマシだが、QPは気の毒にも食器棚と憎たらしい私の顔しか見えないのだ。
テレビをつければいいのに、何故つけないのだろう? つければ私も観れるのに、相変わらず融通の利かない人だ。

4人のブログ訪問者から、食事は対面でなく横座りがよいとのコメントがあった。 写真を見て「こんな狭い所で食べているの?」と、ビックリしているに違いない。
とにかく、QPが外出している間に、横並びに座れるように椅子の配置を変えておいた。 ご覧のとおり椅子を引いて座ると、人が通れるスペースが無い。
QPが帰って来てダイニングの異変に気付いたようだ。 椅子が横並びのテーブルと、私の顔を交互に見ているだけで相変わらず黙っている。
「外側には私が座ります。あなたは食事が終わるまで立つ必要はありません。
御用があれば、私が立ちます」
と言うとQPは黙ってに肯いた。やはり、私と対面で食べるのは苦痛らしい。
しかし、夕食のときに文句を言った。
「テレビが観にくいじゃない」
朝食のときはテレビを消しているが、夕食は観ながら食べている。
私が身体をズラすことで解決した。 QPも何とかテレビが観れるようになった。
私と皿とが離れてしまい食べ難くなったが、言いだしっぺだから仕方がない。
食事が終わり立とうとしたので、注意をした。
「頭に気をつけてください!」
「なんで?」
「電気の傘が頭に当たりますよ」
「こんな危ない所で食べるのやだよ!」
これで、万事休す。元の対面式に戻すことになった。

若い人はともかく、ネットを利用するシニアの生活水準は高いようだ。
皆様はご自分の居住環境を基準に、ご意見を仰っているような気がする。
やってみて分かったが、皆様の常識は、我家では通用しない。
大きな丸いテーブルなど、私達がダイニングと呼んでいる、あの狭いスペースには入らないだろう。
決してひがんでいるのではない。 自分達が貧乏だとも思っていない。
バブル時代に中流になり、今でもその意識はある。
問題は考え方。QPの考えは余りにも狭いのだ。 夢に描いた憧れのマンションは食堂と居間は別々でなければならないと固く信じて、いささかも疑わない。
しかし、ことの発端は住宅営業マンのセールストークにある。

カタログにはあの狭いスペースにダイニング、そして隣のスペースがリビングと書いてある。 引越し前にカタログを見ながら、家具の配置を考えていたときは、かなり広く感じていた。 問題のダイニングも、何故か図面で見ると大きく見えるのだ。
マンションの完成前に、私たち二人は営業マンと話したことがある。
「居間と食堂が一緒になっているのですね」と私。
「こっちがリビングで、ここがダイニングだよ」とQP。
意見が対立すると、QPは営業マンに確認した。
「ここがダイニングでしょ」
「ダイニングです。はい。 お二人ならゆったりと食事ができますよ」
QPは営業マンを専門家と思っている。 シロウトの私の意見など問題にしない。 「専門家」の発言が原因で我家の食卓は、あの狭いスペースに閉じ込められることになった。 後1年で10年になる。
前々回の「静かな生活」では、ケンカをして黙々と朝食を食べる、私達二人について書いた。 寄せられたコメントの中には「食事は横並びに座った方がよい」という意見も少なくなかった。
私たちは向かい合って座っている。 私は窓から見える山々を観ながら食べる。 目の前が食器棚のQPは、じっと皿を見つめながら食べている。 お互いに何となく居心地が悪い。
習慣とは恐ろしいものだ。食事を一緒にしないと更にこじれるような気がして、別々に食べる気がしないのだ。
私は窓から景色が観れるから少しはマシだが、QPは気の毒にも食器棚と憎たらしい私の顔しか見えないのだ。
テレビをつければいいのに、何故つけないのだろう? つければ私も観れるのに、相変わらず融通の利かない人だ。

4人のブログ訪問者から、食事は対面でなく横座りがよいとのコメントがあった。 写真を見て「こんな狭い所で食べているの?」と、ビックリしているに違いない。
とにかく、QPが外出している間に、横並びに座れるように椅子の配置を変えておいた。 ご覧のとおり椅子を引いて座ると、人が通れるスペースが無い。
QPが帰って来てダイニングの異変に気付いたようだ。 椅子が横並びのテーブルと、私の顔を交互に見ているだけで相変わらず黙っている。
「外側には私が座ります。あなたは食事が終わるまで立つ必要はありません。
御用があれば、私が立ちます」
と言うとQPは黙ってに肯いた。やはり、私と対面で食べるのは苦痛らしい。
しかし、夕食のときに文句を言った。
「テレビが観にくいじゃない」
朝食のときはテレビを消しているが、夕食は観ながら食べている。
私が身体をズラすことで解決した。 QPも何とかテレビが観れるようになった。
私と皿とが離れてしまい食べ難くなったが、言いだしっぺだから仕方がない。
食事が終わり立とうとしたので、注意をした。
「頭に気をつけてください!」
「なんで?」
「電気の傘が頭に当たりますよ」
「こんな危ない所で食べるのやだよ!」
これで、万事休す。元の対面式に戻すことになった。

若い人はともかく、ネットを利用するシニアの生活水準は高いようだ。
皆様はご自分の居住環境を基準に、ご意見を仰っているような気がする。
やってみて分かったが、皆様の常識は、我家では通用しない。
大きな丸いテーブルなど、私達がダイニングと呼んでいる、あの狭いスペースには入らないだろう。
決してひがんでいるのではない。 自分達が貧乏だとも思っていない。
バブル時代に中流になり、今でもその意識はある。
問題は考え方。QPの考えは余りにも狭いのだ。 夢に描いた憧れのマンションは食堂と居間は別々でなければならないと固く信じて、いささかも疑わない。
しかし、ことの発端は住宅営業マンのセールストークにある。

カタログにはあの狭いスペースにダイニング、そして隣のスペースがリビングと書いてある。 引越し前にカタログを見ながら、家具の配置を考えていたときは、かなり広く感じていた。 問題のダイニングも、何故か図面で見ると大きく見えるのだ。
マンションの完成前に、私たち二人は営業マンと話したことがある。
「居間と食堂が一緒になっているのですね」と私。
「こっちがリビングで、ここがダイニングだよ」とQP。
意見が対立すると、QPは営業マンに確認した。
「ここがダイニングでしょ」
「ダイニングです。はい。 お二人ならゆったりと食事ができますよ」
QPは営業マンを専門家と思っている。 シロウトの私の意見など問題にしない。 「専門家」の発言が原因で我家の食卓は、あの狭いスペースに閉じ込められることになった。 後1年で10年になる。
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フラダン 写真で見る限り確かにダイニング少し狭い様ですね
でも考えようです、それだけ夫婦の密度が濃いと思えば、、、
それに狭くたってキチンと整理されて気持ちが良さそうです、
ナカパさんのおっしゃる様にダイニングに拘らなければ、
少し手前の空いてるスペースにテーブルを移動しては
どうかしらなんて勝手な事思ってます、10年も経てば
慣れた方が落ち着くのでは、、、
ちゃちゃ nakapa さん、おはようございます。
では、コの字に座られたらいかがでしょう。お二人が外を眺めての楽しい食卓となるのでは。(友人と二人での外食はたいていコの字座りです。その方が会話が弾みます)
子どもたちが巣立った後の生活に既成概念は不要です。リビングに食卓があってもいいですし、ベッドを置いたっていいと思います。外来者よりその家に住む人が、いかに快適に暮らすことができるかが、一番です。毎月、季節ごとに、テーブルの配置を変えてみるのもいいでしょう。いかがでしょう。
フラダンさんへ
nakapa そうですね。密度が濃いです。仲良しのときはいいですが、
そうでないときは、鬱陶しさが、4倍~16倍くらいにアップします。
広い場所を有効に使うのがいいですね。
時間をかけて説得しようと思います。
ちゃちゃさんへ
nakapa コの字、いいですね。二人で藻岩山を観ながら食事です。
リビングに食卓があるのも広々としていいですね。
ベッドは最高ですね。寝ながらテレビ観られます。
アドバイス、有難うございます。さっそく相談してみます。
悪戦苦闘していますね(笑)
holoholom 我が家もnakapaさん宅と一緒で藻岩山が見えます
藻岩山と言えばあのレストランのカウンターでの食事は嫌でも並んで食べますが景色を見ながらなので味がどうだったか忘れています
でも、食事に集中するよりよいと思います
のん子 私もこの座り位置では息が詰まりそうです(^_^;
いろいろ変化の有る生活の方が脳の活性化に良いとか嘘を付いて(笑)毎日変えてみられては?
コの字や対角線、食卓の場所替え、テレビを観ながら、音楽を聴きながらとか・・・
因みにうちは夫がテレビを観ながら食卓(4人用)で。
私はソファー用のテーブルの上に置いてあるpcを観ながら別々にです(笑)
同じリビング内では有るのですが他人さんが見たら家庭内別居って思うかと?
まぁ似たようなもんですが(爆)
夫から文句が出ないのは向かい合っていると、野菜を残したりすると私がくどくどと文句を言うからです。
holoholomさんへ
nakapa 藻岩山の山頂レストランはよく行くのですが、
いつもグループ行動なので、テーブルばかりです。
一度カウンターに座ってゆっくり景色を観ながら
食事をしてみたいです。夏になったら夜景もいいですね。
のん子さんへ
nakapa なるほど、QPは身体に良いといえば言うこと聞くかもしれません。
脳の活性化に良いと言えば、賛成するかも知れませんね。
とにかく部屋は、まだまだ活用の余地は残っています。
問題はQPを説得できるか、どうかにかかっています。
アドバイス有難うございます。
イチゴ おはよう御座います。
写真で見る限りでは狭そうに感じますね!
皆さん色々なご意見がありますね~
まったく別な発想してみては?
テーブルの位置を変えてみては・・・
窓を背中にして座って、向かい合わせはどうでしょう(*^_^*)
模様換えは楽しいんですよ~気分も変わるしね!
イチゴさんへ
nakapa なるほど。模様替えは楽しいのですね。 それでは、さっそくQPに相談してみます。
退職したばかりの頃は家でノンビリと思いました。
現実は、QPがお局さんで、私は新入社員みたいなものです。
家の中の模様替えというような重要事項は、私の判断では難しいですね。
珍しいことがあるものだ。 今日で五日目の「沈黙の朝食」である。
こんなことは、実に7年ぶりだ。 もちろん、テレビはつけないで食べている。
フォークが皿に当たるカチカチという音がかすかに響いている。
静かな朝食も悪くない。
ビルの合い間から、少しだけ頭を出している藻岩山連峰を観ながら食べている。 頭の中では、これをブログに書いたら結構面白いかも知れないとか考えている。

QPは皿を見ながら食べている。 前を向いても、見たくもない私の顔と食器棚があるだけだ。 一体なにを考えているのだろう。
ことの起こりは、QPが「その話は聞いたよ」と、言ったことにある。
これにはカチン! と来た。 私は話しかけることを拒否されたように感じたのだ。
もう必要なことしか話さない。 そう決めたら、なんと会話が少ないことか。
わが家の会話の99%が無駄話で成り立っていることが分かった。
「言ったか言わないか、いちいち覚えていられません」
「私は覚えているよ」と、QPは強気だ。
「そんな訳ないでしょ」
「だから、話す前に『これ言ったかな』と聞いているじゃない」
それが一番困るのだ。 この無駄話の世界で何を聞いたか、いちいち覚えているはずがない。 聞いたか聞かないか分からないから困るのだ。
「それも聞かないで下さい。覚えてないのですから……」
「人の言うことをいい加減に聞いているから分からないんだよ」
”無駄話はいい加減に聞くものですよ”←これは本音だから言わない。
「ごめんなさい。 私は同じことを何回も言ってしまう忘れっぽい人です」
「………」
QPは首を捻ったり上を向いたりして、しばらく考え込んでいたが、何かひらめいたようだ。 「いいこと考えた!」
エライことになった! 「QPのいいこと」には絶対に逆らえない。 いくら、良いことでないと、理由を付けて説明しても無駄だ。
「それは良いことですね」と、私が認めるまで終わらないのだ。
面倒だから最初から賛成することにした。
QPは、頭を絞って双方の顔を立てる折衷案を考えついたようだ。
厳かに発表した。
「私はね、『これ言ったかな?』と聞かないから、アンタはね、同じことを2回言ったらダメだよ。 これならいいでしょう」
「賛成! それは良いことですね」と言って、この話を打ち切った。
口で言うのは簡単だが、会話を持とうと思えば、これは守れない。
こんな訳で、二人とも黙りこくってしまった。
決してケンカをしているわけではないが、会話は一挙に百分の一となった。
静かな生活もいいものだ。
天からの質問
なぜ静かな生活になってしまったのですか?
QPの答え
あの人、凝り性なの。 私が「笑いが長生きの秘訣」と教えたのが悪かったわ。
それからは、人を笑わそうと必死なの。 いい加減にしてほしいわ。
nakapaの答え
「暮らしに笑いを」とガンパッテ来たのに、もう限界です。
リセットして、ムッツリnaka兵衛 に戻ります。
静かな生活はいいものですね。
こんなことは、実に7年ぶりだ。 もちろん、テレビはつけないで食べている。
フォークが皿に当たるカチカチという音がかすかに響いている。
静かな朝食も悪くない。
ビルの合い間から、少しだけ頭を出している藻岩山連峰を観ながら食べている。 頭の中では、これをブログに書いたら結構面白いかも知れないとか考えている。

QPは皿を見ながら食べている。 前を向いても、見たくもない私の顔と食器棚があるだけだ。 一体なにを考えているのだろう。
ことの起こりは、QPが「その話は聞いたよ」と、言ったことにある。
これにはカチン! と来た。 私は話しかけることを拒否されたように感じたのだ。
もう必要なことしか話さない。 そう決めたら、なんと会話が少ないことか。
わが家の会話の99%が無駄話で成り立っていることが分かった。
「言ったか言わないか、いちいち覚えていられません」
「私は覚えているよ」と、QPは強気だ。
「そんな訳ないでしょ」
「だから、話す前に『これ言ったかな』と聞いているじゃない」
それが一番困るのだ。 この無駄話の世界で何を聞いたか、いちいち覚えているはずがない。 聞いたか聞かないか分からないから困るのだ。
「それも聞かないで下さい。覚えてないのですから……」
「人の言うことをいい加減に聞いているから分からないんだよ」
”無駄話はいい加減に聞くものですよ”←これは本音だから言わない。
「ごめんなさい。 私は同じことを何回も言ってしまう忘れっぽい人です」
「………」
QPは首を捻ったり上を向いたりして、しばらく考え込んでいたが、何かひらめいたようだ。 「いいこと考えた!」
エライことになった! 「QPのいいこと」には絶対に逆らえない。 いくら、良いことでないと、理由を付けて説明しても無駄だ。
「それは良いことですね」と、私が認めるまで終わらないのだ。
面倒だから最初から賛成することにした。
QPは、頭を絞って双方の顔を立てる折衷案を考えついたようだ。
厳かに発表した。
「私はね、『これ言ったかな?』と聞かないから、アンタはね、同じことを2回言ったらダメだよ。 これならいいでしょう」
「賛成! それは良いことですね」と言って、この話を打ち切った。
口で言うのは簡単だが、会話を持とうと思えば、これは守れない。
こんな訳で、二人とも黙りこくってしまった。
決してケンカをしているわけではないが、会話は一挙に百分の一となった。
静かな生活もいいものだ。
天からの質問
なぜ静かな生活になってしまったのですか?
QPの答え
あの人、凝り性なの。 私が「笑いが長生きの秘訣」と教えたのが悪かったわ。
それからは、人を笑わそうと必死なの。 いい加減にしてほしいわ。
nakapaの答え
「暮らしに笑いを」とガンパッテ来たのに、もう限界です。
リセットして、ムッツリnaka兵衛 に戻ります。
静かな生活はいいものですね。
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ちゃちゃ むっつりnaka兵衛さま、おはようございます。
楽しい食卓を囲みながらの心の中だけのエッセイでしょうか。対面で食事をすることに少しばかりあきてきたご夫婦の話ですね。時には横並びでテーブルにつかれたらいかがでしょう。同じ目線で物事が見えるようになるかもしれません。藻岩山の高さも同じに見えるでしょう!
のん子 高齢者の何%位が食事中に歓談されているのでしょうか?(^_^;
うちなんて、てんでばらばら、テレビはついてるし、夫は新聞読みながら、私はpc見ながらなんて、しょっちゅうで、私が話しかけても返事は有る方が珍しく、私も慣れてしまって、同じことを言ったか言わなかったなんて、お互いに気にかけることもなく(笑)そんなものだと思ってました。
nakapaさんは夫婦の会話を如何に大事にしていらっしゃるかが良く解ります。
でもQPさんは却ってそれが重荷なのかも?とも思えますが私とは性格が違うので解りかねますが(^_^;
雪が残っている山が見えるなんて良いですね~♪
エッセイとして
holoholom 何処までが真実なのか分かりませんが
あくまで一つのエッセイとして拝見します
この20年ほどは食事の時は無駄?話はしません
子供のいない我が家では特に話題がありません
最近は、お互いPCの方が忙しくなって食後は即お互いのPCへ・・・
それが日常になりました。
そういえば、このエッセイの文頭にフォークの音とありましたが、朝から洋食ですか?
家では朝は勿論夕食でもフォークナイフは使いません
せめてスパゲティの時くらいです
最後に、よいか悪いか分かりませんが、ことわざに「沈黙は金」と言うのが有りますが今後もそれを実行してゆきたく思っています。
名無しさん nalapaさん おはようございます。
何処の家庭でもあるお話ですね。
問題は、相手の話を拒否するような話し方に問題がありますね。
たとえば、以前に聞いた事を再度話された場合には最後まで
きちんと話を聞いてから「○○は以前に聞いていたけれどもね・・
○○は・・・」と会話を続ける。
話す前に『これ言ったかな』といちいち聞かなくともお互いに言葉使いに
気をつけると嫌な問題は解決するように思いますが、如何でしょう!
又食卓は向かい合わせでは無く、隣に座る食事はが良いでしょう!
何方か言ってましたが、私はその様にしています。
明るい笑いのある食卓は理想ですが、そうも行かないです。
コマクサ ↑コメント私の名前が入りませんでした。
どうしたのでしょうか?もう一度入れてみますね。
名無しさん 藻岩山連峰を眺めながらのお食事ですから、心が大らかになれるのでは?・・横並びが良いですね。
お二人は、正直過ぎるのでしょう。表現は違っても似たもの夫婦で相手が見え過ぎるのでは?・・。
名無しさん mitchi-julですが、私も名前が入りませんでした。
もう1度、送信してみます。
ちゃちゃさんへ
nakapa アドバイスありがとうございます。
さっそく、横並びにしました。残念ながら我家は狭すぎました。
先ず「テレビが見え難い」と言われました。昼、夕はテレビを観ながらとってます。
次は立ち上がるときです。私が「電気が頭に当たるから注意して立って」と言ったら、
「いちいち注意しながら席を立つのは面倒だ」と言われてしまいました。
昼食後、直ぐに元に戻しました。すみません。
のん子さんへ
nakapa どうも、面と向って話しながら食事をとる方が少数派ですね。特に高齢者は…。
わが家も、徐々に世間並みになって行くようです。
皆さん、私が今、遭っているようなことを既に経験しているのですね。
遅まきながら、わが家もその方向に進行中です。
ほんのチョッピリですが、山が観えるのは気に入っています。
holoholom さんへ
nakapa フォークとナイフは私だけが使っています。
大きなものが食べ難いので、ナイフで切りながら食べています。
小さく切ると、見違えるように食べ易くなるので、同じものでも美味しく感じます。
そうですね。「沈黙は金」です。ようやく気がつきました。
私は勇者。 争わないから勇者なのだ。 立派な本を沢山書いている全亭協(全国亭主関白協会)の会長さんが言うのだから本当だ。
全亭協に出会え、考えが変わった。 争わないのは弱虫と思っていたが、違うというのだから有難い。 全亭協には、大ワザと誇る「非勝三原則」がある。
「勝たない、勝てない、勝ちたくない」だ。 しかし、それをそのまま解説してしまったら「楽しい食卓、朝の食卓」ではなくなってしまう。恐れながら、別な視点から書かせてもらった。
<状況設定>
身体剛健とヨボヨボとではケンカにならない。 次のような前提が必要だ。
二人暮らしで、両者とも普通に暮らせる環境にいる。
<勝たない(全亭協「非勝三原則」にあらず)>
運動会で勝てば賞品がもらえる。
しかし、ケンカに勝ってもらえるのは恨みだけ。
これでは勝つ気にはなれない。
二人暮らしでケンカをするなら、審判が必要だ。
勝ち負けを判定する第三者がいなければ、勝負にならない。
だから、勝たないことにしている。
それでも勝ちたい人は、勝って、賞品の「恨み」を沢山もらえばよい。
私は勝たない。 賞品もほしくない。
<勝てない(全亭協「非勝三原則」にあらず)>
私は自分の正しさを証明するため、理由をつけて説明する。
しかし、QPは理屈抜きで、「アンタは間違っている」といって、一歩も引かない。
別の角度から説明しても、答えは同じ「アンタは間違っている」。
私が100語使って説明しても、答えは2語だけ「アンタは、間違っている」。
私は頭をフル回転させて理由を考えているのに、この間QPの頭はゼロ回転。
これでは勝てない。 ケンカで消費するエネルギー量が全然違うのだ。
ケンカは私が負けるまで続くので、絶対に勝てない。
<勝ちたくない(全亭協「非勝三原則」にあらず)>
私はいつも負けているが、納得はしていない。
だから反省もしない。 いつの間にか、本音も言わなくなってしまった。
しかし、私は本音で話さない人とは暮らしたくない。
だから、勝ちたくない。
もしQPがケンカで負け続ければ、都合の悪いことは隠すようになる。
本音で話をしないようになるだろう。 それでは困る。
今のように正直でいてほしい。 だから、私は勝ちたくない。
全亭協(全国亭主関白協会)非勝三原則との違いを明確にしたつもりだ。
いかがだろうか?

札幌コンサートホール・キタラに向って歩く人々。2月11日撮影。
<結論 - 二人暮らしではケンカにならない>
現実はこんなものなのに、なぜQPはケンカで勝ちたがるのだろう。不思議でならない。 オリンピックの影響かもしれない。
勝者に栄光というか、そんなものが欲しいのかも知れない。 考えてみれば、外の世界で勝者になったことがないのだ。 私も同じだが……。
二人暮らしの家の中には、敗者も勝者も居ないのだ。まして、勝者を讃える人などいるわけがない。 それなのに何故、勝ちたがるのだろ。
意味の無い勝利。敗者の居ない幻の勝利が、そんなに大切か。 ケンカも成立しない二人暮らしだが、あえて言えば「負けるが勝」。
実質的な勝利は、敗者にしかない。 勝ったところで納得も反省も、させられない。 本音も聞けず、隠し事をされるようになる。 オマケに恨みまで買う。
ところで、これは私の考え。 読みながら反発を覚える方もおられると思う。
一人ひとり考えは違う。だから人生は面白いし、書くことを止められない。
<フィナーレ>
「見上げたもんだよ!屋根やの褌」
これは「男はつらいよ」のフーテンの寅さんのセリフ。
「困ったもんだよ!屁理屈オヤジ」
まさか! 私のことでは ・・・(゚_゚i)タラー・・・
「喋っていたって、片付かないんだよ」
さて、どなた様かな?
クッス。。
当ブログ管理人が勝手に応援 → 全国亭主関白協会(全亭協)
全亭協に出会え、考えが変わった。 争わないのは弱虫と思っていたが、違うというのだから有難い。 全亭協には、大ワザと誇る「非勝三原則」がある。
「勝たない、勝てない、勝ちたくない」だ。 しかし、それをそのまま解説してしまったら「楽しい食卓、朝の食卓」ではなくなってしまう。恐れながら、別な視点から書かせてもらった。
<状況設定>
身体剛健とヨボヨボとではケンカにならない。 次のような前提が必要だ。
二人暮らしで、両者とも普通に暮らせる環境にいる。
<勝たない(全亭協「非勝三原則」にあらず)>
運動会で勝てば賞品がもらえる。
しかし、ケンカに勝ってもらえるのは恨みだけ。
これでは勝つ気にはなれない。
二人暮らしでケンカをするなら、審判が必要だ。
勝ち負けを判定する第三者がいなければ、勝負にならない。
だから、勝たないことにしている。
それでも勝ちたい人は、勝って、賞品の「恨み」を沢山もらえばよい。
私は勝たない。 賞品もほしくない。
<勝てない(全亭協「非勝三原則」にあらず)>
私は自分の正しさを証明するため、理由をつけて説明する。
しかし、QPは理屈抜きで、「アンタは間違っている」といって、一歩も引かない。
別の角度から説明しても、答えは同じ「アンタは間違っている」。
私が100語使って説明しても、答えは2語だけ「アンタは、間違っている」。
私は頭をフル回転させて理由を考えているのに、この間QPの頭はゼロ回転。
これでは勝てない。 ケンカで消費するエネルギー量が全然違うのだ。
ケンカは私が負けるまで続くので、絶対に勝てない。
<勝ちたくない(全亭協「非勝三原則」にあらず)>
私はいつも負けているが、納得はしていない。
だから反省もしない。 いつの間にか、本音も言わなくなってしまった。
しかし、私は本音で話さない人とは暮らしたくない。
だから、勝ちたくない。
もしQPがケンカで負け続ければ、都合の悪いことは隠すようになる。
本音で話をしないようになるだろう。 それでは困る。
今のように正直でいてほしい。 だから、私は勝ちたくない。
全亭協(全国亭主関白協会)非勝三原則との違いを明確にしたつもりだ。
いかがだろうか?

札幌コンサートホール・キタラに向って歩く人々。2月11日撮影。
<結論 - 二人暮らしではケンカにならない>
現実はこんなものなのに、なぜQPはケンカで勝ちたがるのだろう。不思議でならない。 オリンピックの影響かもしれない。
勝者に栄光というか、そんなものが欲しいのかも知れない。 考えてみれば、外の世界で勝者になったことがないのだ。 私も同じだが……。
二人暮らしの家の中には、敗者も勝者も居ないのだ。まして、勝者を讃える人などいるわけがない。 それなのに何故、勝ちたがるのだろ。
意味の無い勝利。敗者の居ない幻の勝利が、そんなに大切か。 ケンカも成立しない二人暮らしだが、あえて言えば「負けるが勝」。
実質的な勝利は、敗者にしかない。 勝ったところで納得も反省も、させられない。 本音も聞けず、隠し事をされるようになる。 オマケに恨みまで買う。
ところで、これは私の考え。 読みながら反発を覚える方もおられると思う。
一人ひとり考えは違う。だから人生は面白いし、書くことを止められない。
<フィナーレ>
「見上げたもんだよ!屋根やの褌」
これは「男はつらいよ」のフーテンの寅さんのセリフ。
「困ったもんだよ!屁理屈オヤジ」
まさか! 私のことでは ・・・(゚_゚i)タラー・・・
「喋っていたって、片付かないんだよ」
さて、どなた様かな?
クッス。。
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フラダン ナカパさん流「三原則」もっともです!共鳴し読ませて頂きました(笑い)
QPさんが、ケンカで勝ちたがるのは、オリンピックの影響かもしれないなんて、
そんな大げさな、笑ちゃいました、たとえ夫婦喧嘩でも
勝っても負けても後味が悪い物です、勿論「犬も食わない」ですから
フィナーレ飾ってください、(クッス。。)
イチゴとリンゴの館 全国亭主関白協会」こんなのがあるんですか(^○^)
なかぱさんのQPさん可愛いですね・・・
こんなに沢山話題を提供してくれる家庭滅多にない
ですよ~^^
あやかりたいわ~(#^.^#)
のん子 良く書いていると思いますが、うちの夫婦は反対なんです
夫はその日の気分で言動が違いますので、まともに相手をしていると、こちらの精神が可笑しくなりそうです(^^ゞ
やはり離婚する程でもなければ、なんとか波の立たないようにとは考えます
しかし敵も定パターンは有るわけで、なるべく怒らさずに、しかし此処だけはと言う時は理詰めで押さえてしまいます
後のフォローが大変では有るのですが・・・
夫が夫と思うから不平不満が出るわけで、私は幼稚園児(頭は光っていますが)と一緒に暮らしていると思っています
世の中のことも解って頭の良い子です(笑)
なかぱさんも、我儘なお嬢さんを育てていると思えば家事も出来るなんてスゴイって思いますよ(^_^)v
コマクサ 先月のもありましたが「全国亭主関白協会」天野周一
さんは面白くて凄い人です。
まだ本は読んでいませんが、そのうちに是非・・・
nakapa さんのエッセイ読み我が家に置き換えてみると考えてしまいます。
人それぞれに個性がありますが私は何時も負けています。
勝ちたいとは思って居ませんからそれで夫は満足している。
天野周一の本でも読んでほしいわ~
フラダンさんへ
nakapa そうですね。勝っても負けても後味が悪いのがケンカです。
どなたか、勝ってスッキリする。爽やかなケンカのやり方を教えてくれるといいのですが…。
全亭協の三原則は有名ですが、私の三原則にも共鳴して頂き有難うございます。
これを守れば家内安全、いいことありますよ。
イチゴとリンゴの館さんへ
nakapa あるんですよ。こんなものが。
略称が、全亭協です。会長さんは本も出している人気者です。
私も、その人気にあやかれないかと思って、全亭協の記事を書いているのですが、今の所、効果はないですね。
QPは話題は提供してくれますが、私の話題提供は、嫌がっています。
だから、私は聞くだけです。
のん子さんへ
nakapa 人生いろいろで、人も十人十色と申しますから、家族もいろいろと思います。
しかし、みんな一緒というのも怖いですが、それはそれでいいと思います。
問題は、程度と思います。普通の人同士なら波風たてない程度にやって行けると思います。
やはり、ここはと思うときには説得しなければなりませんね。ここが辛い所です。
私もそう思うことにしますよ。そして「家事ができる。凄い」と思うようにしまず。
コマクサさんへ
nakapa 天野周一さんは、ホントに面白くてユニークな人ですね。
ご主人に、ぜひ読ませて下さい。
「全国亭主関白協会」ですから、亭主関白と書いてありますから、目に付く所に置いておけば、直ぐ読んでくれると思いますよ。
同感!
ひよどり 論理で勝っても意味がないですね。
相手が敗けを認め、行動を修正しない限り、こちらの気分がいいだけです。
ところが、カミさんとの議論に関しては、論議に勝っても気分がよくなりません。
敗けを認めないどころか、ふくれっ面になるだけです。
だから、私は戦わない。
そのほうがトクです。
ひよどりさんへ
nakapa 家の中は、お互い遠慮のない世界ですから、いろいろ我ままも出ると思います。
しかし、ひよどりさんも、私も長続きしているのが、なによりの証拠です。
なんの証拠かと申しますと、言わぬが花ですね(笑)。
今朝ほど腹が立ったことはない。 「ヤカンに返事をしてるんだ」と言われても信じられるわけがない。 そもそもヤカンと話が出来るはずがないのだ。
5時30分起床、新聞を読む。6時30分、QPとラジオ体操。 6時40分フライパンで餅を焼く、ヤカンがピーと鳴る、お湯が沸いた知らせなのでスイッチを切る。 6時41分、QPがやらなくてもいいのに、お湯を沸かすスイッチを入れる。
「お湯、沸いてますよ」と私は静かに言った。
「なんで、知らせてくれないの!」
QPは私の隣でホウレン草を洗っていた。ヤカン(笛吹きケトル)の沸騰音は大きな音だから、気がつかないはずがない。 まったく朝から気分が悪い。
「ピーッと鳴ったのに聞こえなかったのですか」
「返事しなかったじゃない。 聞こえたら返事するわよ。 返事がないのは聞こえてない証拠!」
あんな大きな音が聞こえないはずがない。 どうも怪しい。 聞こえたら返事をすると言うが、一体誰に返事をするつもりだ。 まさか「ピー」と鳴ったヤカンに返事するつもりではあるまい。

フリーマーケットでお馴染みの自由広場。ビルはノボテル札幌。1月7日撮影。
美味しい中島パフェ~冬スタート→ ノボテル札幌 ラウンジ「カフェ・セゾン」
「一体だれに返事をするつもりだったんですか」
「ヤカンが知らせてくれたのだから、ヤカンに決まっているじゃない」
二人暮らしの我が家には、第三者が居ない。 だから、こんな理不尽な強弁でもまかり通るのだ。 何回もこんな目に遭わされれば、黙っている訳には行かない。 今日という今日は絶対に許さない。 こんな屁理屈を通してたまるか!
「ヤカンに話が分かる訳ないでしょう。誤魔化してもダメですよ」
「アンタは聞こるでしょ」。 なんと! 私に振ってきた。
「だから、どうしたというのです」
「黙って消したら分からないじゃない、何で知らせてくれないの!」
再び「聞こえていると思っていた」と言えば堂々巡りになる。 こうして無限ループに入れば私の負けだ。 どっちかが負けない限り、この無限に回るムダ話の輪から脱出できないのだ。
「無限ループ(infinite loop)とは、コンピュータ・プログラムの一連の命令が無限に繰り返されることである。 ループとは、特定の条件が満たされるまで一連の命令を繰り返すことである」と、フリー百科事典には書いてある。
この場合の特定の条件とは勝負がつくこと。 西洋人なら「貴方の勝だ」と相手を讃えてお仕舞にするだろう。 日本人の私としては、悔しさをこらえて「俺の負けだ」と言わなければならないのだ。
QPは絶対に負けを認めないから私が負けるより外に、この無限ループから脱出する道はない。 「負けるが勝ち」とか言うけれど、なんとも虚しいことだ。
私はつらいよ。ホントに辛い。
QPは強い。へんなところに強くて、変なところに優しい。
洗濯機がピーピー鳴れば「分かった分かった、今行くからね~」と猫撫ぜ声。
電子レンジがチンと言えば「ご苦労さん。頂きますよ~」と嬉しそう。
そして、ヤカンが鳴れば「ありがとう~、熱かったでしょう」と優しげだ。
「これはね。アンタへの気配りなんだよ」。QPはしゃあしゃあとして言う。
「関係ないでしょう」
「私が返事しないと、アンタがやらなければならないと思って、気になるでしょ」
「別に気にしませんが」
「アンタのそういうところが、冷たいとこなんだよ」
どうして、QPが洗濯機のスイッチを入れたからと言って、私が気にしなければならないのだ。 終われば自動的に止まるではないか。
ああ言えばこう言う。 こんな話にいつまでも、付き合ってはいられない。
QPの屁理屈にはもう耐えられない! もう限界だ。私もついに切れてしまった!
「ヤカンに言ったってヤカンに耳はないでしょ。ヤカンには脳もないし、ヤカン……」
「ヤカン、ヤカンって、うるさいわね! アンタだってヤカン……、アッ!」
「……、ハッ?」 思わず頭に手をやる。
落語「薬缶なめ」(あらすじ [編集])
向島の梅が見ごろだと聴き、お供を連れて見物に来たある大家の奥様。言問橋のたもとまで来た所で、持病の【シャク】が起きてしまった。
七転八倒する奥様を前に、オロオロするお供の目に…あるものが飛び込んできた。
「お待ちください!」
お供が声をかけたのは、たまたま通りかかった二人連れの江戸っ子…八五郎と源兵衛だった。
「奥様が今、持病のシャクで苦しんでおります。癪には銅をなめるのが一番。しかし、このへんにはなく、難渋していたところです」
「で、それと…俺たちに、いったい何の関係があるんです?」
首をかしげる源兵衛の頭を、お供はまっすぐに指差した。
「貴方の頭を、奥様になめさせてください」
実は源兵衛、まだ四十なのにもう頭がピカピカ。用は、源兵衛のヤカン頭を本当の薬缶に見立て、奥様になめさせる事でシャクを鎮めようという訳。
唖然となった源兵衛だが、人の命には代えられない。不承不承、ヤカン頭を差し出すと、奥様は遠慮なくその頭をベロベロ…。
そのうち…急に発作が起きたと見え、頭を思いっきりガブリ。
「御免なさい! どこかに、お傷がついてはおりませんか」
「なーに、傷はつきましたが、漏ってはいません」
元々は『茶瓶ねずり』という上方落語で、主な演者に2代目桂小文治や10代目柳家小三治などがいる。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
5時30分起床、新聞を読む。6時30分、QPとラジオ体操。 6時40分フライパンで餅を焼く、ヤカンがピーと鳴る、お湯が沸いた知らせなのでスイッチを切る。 6時41分、QPがやらなくてもいいのに、お湯を沸かすスイッチを入れる。
「お湯、沸いてますよ」と私は静かに言った。
「なんで、知らせてくれないの!」
QPは私の隣でホウレン草を洗っていた。ヤカン(笛吹きケトル)の沸騰音は大きな音だから、気がつかないはずがない。 まったく朝から気分が悪い。
「ピーッと鳴ったのに聞こえなかったのですか」
「返事しなかったじゃない。 聞こえたら返事するわよ。 返事がないのは聞こえてない証拠!」
あんな大きな音が聞こえないはずがない。 どうも怪しい。 聞こえたら返事をすると言うが、一体誰に返事をするつもりだ。 まさか「ピー」と鳴ったヤカンに返事するつもりではあるまい。

フリーマーケットでお馴染みの自由広場。ビルはノボテル札幌。1月7日撮影。
美味しい中島パフェ~冬スタート→ ノボテル札幌 ラウンジ「カフェ・セゾン」
「一体だれに返事をするつもりだったんですか」
「ヤカンが知らせてくれたのだから、ヤカンに決まっているじゃない」
二人暮らしの我が家には、第三者が居ない。 だから、こんな理不尽な強弁でもまかり通るのだ。 何回もこんな目に遭わされれば、黙っている訳には行かない。 今日という今日は絶対に許さない。 こんな屁理屈を通してたまるか!
「ヤカンに話が分かる訳ないでしょう。誤魔化してもダメですよ」
「アンタは聞こるでしょ」。 なんと! 私に振ってきた。
「だから、どうしたというのです」
「黙って消したら分からないじゃない、何で知らせてくれないの!」
再び「聞こえていると思っていた」と言えば堂々巡りになる。 こうして無限ループに入れば私の負けだ。 どっちかが負けない限り、この無限に回るムダ話の輪から脱出できないのだ。
「無限ループ(infinite loop)とは、コンピュータ・プログラムの一連の命令が無限に繰り返されることである。 ループとは、特定の条件が満たされるまで一連の命令を繰り返すことである」と、フリー百科事典には書いてある。
この場合の特定の条件とは勝負がつくこと。 西洋人なら「貴方の勝だ」と相手を讃えてお仕舞にするだろう。 日本人の私としては、悔しさをこらえて「俺の負けだ」と言わなければならないのだ。
QPは絶対に負けを認めないから私が負けるより外に、この無限ループから脱出する道はない。 「負けるが勝ち」とか言うけれど、なんとも虚しいことだ。
私はつらいよ。ホントに辛い。
QPは強い。へんなところに強くて、変なところに優しい。
洗濯機がピーピー鳴れば「分かった分かった、今行くからね~」と猫撫ぜ声。
電子レンジがチンと言えば「ご苦労さん。頂きますよ~」と嬉しそう。
そして、ヤカンが鳴れば「ありがとう~、熱かったでしょう」と優しげだ。
「これはね。アンタへの気配りなんだよ」。QPはしゃあしゃあとして言う。
「関係ないでしょう」
「私が返事しないと、アンタがやらなければならないと思って、気になるでしょ」
「別に気にしませんが」
「アンタのそういうところが、冷たいとこなんだよ」
どうして、QPが洗濯機のスイッチを入れたからと言って、私が気にしなければならないのだ。 終われば自動的に止まるではないか。
ああ言えばこう言う。 こんな話にいつまでも、付き合ってはいられない。
QPの屁理屈にはもう耐えられない! もう限界だ。私もついに切れてしまった!
「ヤカンに言ったってヤカンに耳はないでしょ。ヤカンには脳もないし、ヤカン……」
「ヤカン、ヤカンって、うるさいわね! アンタだってヤカン……、アッ!」
「……、ハッ?」 思わず頭に手をやる。
落語「薬缶なめ」(あらすじ [編集])
向島の梅が見ごろだと聴き、お供を連れて見物に来たある大家の奥様。言問橋のたもとまで来た所で、持病の【シャク】が起きてしまった。
七転八倒する奥様を前に、オロオロするお供の目に…あるものが飛び込んできた。
「お待ちください!」
お供が声をかけたのは、たまたま通りかかった二人連れの江戸っ子…八五郎と源兵衛だった。
「奥様が今、持病のシャクで苦しんでおります。癪には銅をなめるのが一番。しかし、このへんにはなく、難渋していたところです」
「で、それと…俺たちに、いったい何の関係があるんです?」
首をかしげる源兵衛の頭を、お供はまっすぐに指差した。
「貴方の頭を、奥様になめさせてください」
実は源兵衛、まだ四十なのにもう頭がピカピカ。用は、源兵衛のヤカン頭を本当の薬缶に見立て、奥様になめさせる事でシャクを鎮めようという訳。
唖然となった源兵衛だが、人の命には代えられない。不承不承、ヤカン頭を差し出すと、奥様は遠慮なくその頭をベロベロ…。
そのうち…急に発作が起きたと見え、頭を思いっきりガブリ。
「御免なさい! どこかに、お傷がついてはおりませんか」
「なーに、傷はつきましたが、漏ってはいません」
元々は『茶瓶ねずり』という上方落語で、主な演者に2代目桂小文治や10代目柳家小三治などがいる。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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こまどり ワッハッハッハ、やかんの最後の落ちがおかしくて、おかしくて。頭に手をやったというところ!
また、こう言う落語があるんですねー。nakapaさんとQPさんのやりとりも まさに落語の域でおかしいんです。
のん子 アハハ(笑)
結局、女の方がお喋りなんでしょうかね?
私も何かがピーと鳴るとハイハイ!って返事しますよ(^-^ )
うちはお風呂が沸きましたよ!って喋ってくれるんですが、私が夫に再度言わないと入りません
聞こえてなかったのかと聞けば言ってたって・・・
私は夫の気持ちが解りません(^^ゞ
イチゴとリンゴの館 いや~おかしかったですよ~^^
ヤカン一つでこんなに退屈しないで、朝を賑わすんですね・・・
QPさんは頭の回転が良いんですね~
最後の落ちが際立って面白かったよ~失礼(^_-)-☆)
コマクサ アッハハ・・・ヤカンが返事するわけ無いですよね。本当に面白い書き方に感心。
落語、>>そのうち…急に発作が起きたと見え、頭を思いっきりガブリ・・・<<
これに、またまた笑ってしまう「笑う門には福来る」
今年は笑いの多い一年で明るく行きましょう!
フラダン ナカパさん家(ち)のバトルは楽しいですね~
深刻なナカパさん(そうでもないスか)に対して
QPさんは何時もマイペースで、お知らせサインの
音に私も良く「ハイ、ハイ。。」と返事しますよ
最後の落語も面白かったわ~頭をガブリで傷は
付いたが漏ってないと云うオチが、、、
旅子

会話が少なくなった夫婦よりもこうして他愛のないことで盛り上がるのは大変よいことです♪
QPさんの「ヤカン……、アッ!」に即座に落語を思い出すあたり、nakapaさんもかなり落語好きとお見受けしました(^◇^)
露湖ボーイ よくある話ですよね
今は何でもかんでも、音で知らせたり時にはしゃべったり
これって多忙人間用でしょうか
ある意味バリアフリーでもありますよね
最後の落ちが又・・・今度かつら被って会話しましょう。お後がよろしいようで
こまどりさんへ
nakapa オチで笑ってもらえば、こんな嬉しいことはありません。
実は大人になってから、ほとんど聞いてないのです。落語は中学生の時、
学校内で流行っていました。私も一生懸命覚えました。
学校で成績一番の人が落語が大好きだったので、みんな真似したのです。
のん子さんへ
nakapa わが家の男は、かなりおしゃべりですが、女の方がおしゃべりかもしれません。
私はヤカンと会話しませんから。お風呂も洗濯機も電子レンジも、
みんなQPの友だちです。
家では「お風呂がわきました」とお風呂が言うと、さっさとQPが入ります。
長年の習慣です。
イチゴとリンゴの館さんへ
nakapa お陰さまで平和で静かな余生を送っています。
電気の付けっ放しでも、ヤカンの沸騰でも、私たちにとっては大事件です。
オチで笑ってもらえば一番嬉しいのですが、自分の頭をネタにするようでは、
アイディア枯渇しているようで、恥ずかしいですね。少し反省しています。
「私はいい人だが、悪いところも少しはある」。 普通の人ならこう思う。 しかし、世の中には自分は正しいと信じて疑わない人もいる。
「ケンカしない主義」の私でも我慢ならないことがある。 QPが、ちょっと来いと言うから、行ってみると「トイレの電灯がつけっ放しだ」と言って、トイレを開けて見せるのだ。子供じゃないのだ。放っといてほしい。
そんなことはお互い様、黙って消せばすむことだ。私はいつもそうしている。 三度も言われれば、「はいはい」とばかり言っていられない。 「仏の顔も三度」である。
「あなたがつけっ放しのときは私が消しているのですよ」
「アタシは気をつけているから忘れないよ」
「気がつかないだけですよ。いつも私が消してるんですから…」
「アタシは忘れてないからね」
三度も同じことをやられれば、私も黙ってはいない。 我慢もほどほどがよい。 「過ぎたるは及ばざるの如し」と言うではないか。

ノボテル札幌ロビー。 オブジェは中島公園彫刻清掃仲間;Aさんの作品。
自分は正しいと信じて疑わないQPに、注意をしても効き目がないことは分かっている。 ウップンを晴らすだけだ。いわゆるガス抜きである。
こんなときは、QPに何も言わせないのがコツ。 自分の言い分を一気に喋りまくり、終わったら素早く自室にこもり鍵をかける。 そして、「ご飯だよ」と声がかかるまでは、絶対に部屋から出ない。
こんなことを繰り返しているうちに、いつの間にか自分の城ができてしまった。 鍵一つで私の部屋が城になるのだ。 こんな便利なことはない。
籠城中でも、時間がくれば「ご飯だよ」と、お呼びがかかるからありがたい。
習慣ほど強いものはない。一定時刻に一定人数(今は二人)で食事をとるのは、長年の習慣になっている。ちょっとケンカしたぐらいで、崩れることはない。
この快適な「鍵かけ作戦」は、どんどんエスカレートすることになり、1年もすると、毎晩、鍵をかけて寝るようになった。
そのキッカケはこうだ。ある夜中の2時ごろ、パソコンをしていると、音もなくドアが開き、QPが後ろに立っているのでビックリした。 多分、トイレに起きたのだろう。 私の部屋の明かりが外に漏れていたから、電灯の消し忘れチェックの為に入って来たのだと思う。
「パソコンばかりしてるから、目を悪くするんだよ」。 作業に集中しているときに、突然話しかけられビックリして、思わず睨みつけた。
この「事件」の後は毎晩、私の寝室に鍵をかけているが、QPは何も文句を言わない。 不思議なことがあるものだと思っていたら、3年後に異変が起こった。
「アンタ、鍵をかけてるでしょ」とQPが言った。
「孤独死しても知らないよ。年なんだから、いつ何があるか分からないんだよ」
恫喝に近い響きがある。この問題に対するQPの気弱さは、既に消えていた。
「同居人がいたら、孤独死じゃないのですよ」
QPの豹変に、こう応じたものの、内心ビクビクしていた。
「アタシ知らないよ。アンタが鍵をかけたんだからね」
「鍵は10円玉で開きますが…」
「そんなこと知らないよ」
と、言われてドアの外側を見たら、いつも見慣れている風呂場のとは違う。寝室のドアは、一見して開きそうもない。どこに10円玉を当ててよいか分からない。

左は10円玉を当てる所が直ぐ分かるが、右の寝室のドアは分かりづらい。
あまり目立たないけれどよく見たら、10円玉で開けるようになっていた。 しかし、今は鍵が開くかどうかの問題ではない。
寝室は開放することにしたが、大丈夫だろうか。 パソコンに集中しているときに、後ろから「目に悪いから、もう寝なさい」とは言われたくないのだ。子供じゃあるまいし。
ふと、こんなことを考えた。 3年前の夜中、QPが私の部屋に突然侵入したときのことだ。私はどんな顔ををしていたのだろう? 多分、不意を突かれた私は、まさに「悪鬼の如き形相」をしていたに違いない。
怖い顔の威力は凄いのだ! その効力は3年も続いた。 もう一回やってみたいが…、二番煎じでは、効果が薄いだろうなぁ。
仏の顔も三度
お釈迦さまとカーサラ国王のやり取りを由来として「仏の顔も三度」という諺ができたそうです。 今日、「仏の顔も三度」といったら、どんなに優しい人でも、失礼なことをしても笑って許してくれるのは、3度までという意味で使われます。そのためか「仏の顔も三度まで」と間違って覚えている方もいます。
(ことば こころのはな 仏の顔も三度より抜粋)
「ケンカしない主義」の私でも我慢ならないことがある。 QPが、ちょっと来いと言うから、行ってみると「トイレの電灯がつけっ放しだ」と言って、トイレを開けて見せるのだ。子供じゃないのだ。放っといてほしい。
そんなことはお互い様、黙って消せばすむことだ。私はいつもそうしている。 三度も言われれば、「はいはい」とばかり言っていられない。 「仏の顔も三度」である。
「あなたがつけっ放しのときは私が消しているのですよ」
「アタシは気をつけているから忘れないよ」
「気がつかないだけですよ。いつも私が消してるんですから…」
「アタシは忘れてないからね」
三度も同じことをやられれば、私も黙ってはいない。 我慢もほどほどがよい。 「過ぎたるは及ばざるの如し」と言うではないか。

ノボテル札幌ロビー。 オブジェは中島公園彫刻清掃仲間;Aさんの作品。
自分は正しいと信じて疑わないQPに、注意をしても効き目がないことは分かっている。 ウップンを晴らすだけだ。いわゆるガス抜きである。
こんなときは、QPに何も言わせないのがコツ。 自分の言い分を一気に喋りまくり、終わったら素早く自室にこもり鍵をかける。 そして、「ご飯だよ」と声がかかるまでは、絶対に部屋から出ない。
こんなことを繰り返しているうちに、いつの間にか自分の城ができてしまった。 鍵一つで私の部屋が城になるのだ。 こんな便利なことはない。
籠城中でも、時間がくれば「ご飯だよ」と、お呼びがかかるからありがたい。
習慣ほど強いものはない。一定時刻に一定人数(今は二人)で食事をとるのは、長年の習慣になっている。ちょっとケンカしたぐらいで、崩れることはない。
この快適な「鍵かけ作戦」は、どんどんエスカレートすることになり、1年もすると、毎晩、鍵をかけて寝るようになった。
そのキッカケはこうだ。ある夜中の2時ごろ、パソコンをしていると、音もなくドアが開き、QPが後ろに立っているのでビックリした。 多分、トイレに起きたのだろう。 私の部屋の明かりが外に漏れていたから、電灯の消し忘れチェックの為に入って来たのだと思う。
「パソコンばかりしてるから、目を悪くするんだよ」。 作業に集中しているときに、突然話しかけられビックリして、思わず睨みつけた。
この「事件」の後は毎晩、私の寝室に鍵をかけているが、QPは何も文句を言わない。 不思議なことがあるものだと思っていたら、3年後に異変が起こった。
「アンタ、鍵をかけてるでしょ」とQPが言った。
「孤独死しても知らないよ。年なんだから、いつ何があるか分からないんだよ」
恫喝に近い響きがある。この問題に対するQPの気弱さは、既に消えていた。
「同居人がいたら、孤独死じゃないのですよ」
QPの豹変に、こう応じたものの、内心ビクビクしていた。
「アタシ知らないよ。アンタが鍵をかけたんだからね」
「鍵は10円玉で開きますが…」
「そんなこと知らないよ」
と、言われてドアの外側を見たら、いつも見慣れている風呂場のとは違う。寝室のドアは、一見して開きそうもない。どこに10円玉を当ててよいか分からない。

左は10円玉を当てる所が直ぐ分かるが、右の寝室のドアは分かりづらい。
あまり目立たないけれどよく見たら、10円玉で開けるようになっていた。 しかし、今は鍵が開くかどうかの問題ではない。
寝室は開放することにしたが、大丈夫だろうか。 パソコンに集中しているときに、後ろから「目に悪いから、もう寝なさい」とは言われたくないのだ。子供じゃあるまいし。
ふと、こんなことを考えた。 3年前の夜中、QPが私の部屋に突然侵入したときのことだ。私はどんな顔ををしていたのだろう? 多分、不意を突かれた私は、まさに「悪鬼の如き形相」をしていたに違いない。
怖い顔の威力は凄いのだ! その効力は3年も続いた。 もう一回やってみたいが…、二番煎じでは、効果が薄いだろうなぁ。
仏の顔も三度
お釈迦さまとカーサラ国王のやり取りを由来として「仏の顔も三度」という諺ができたそうです。 今日、「仏の顔も三度」といったら、どんなに優しい人でも、失礼なことをしても笑って許してくれるのは、3度までという意味で使われます。そのためか「仏の顔も三度まで」と間違って覚えている方もいます。
(ことば こころのはな 仏の顔も三度より抜粋)
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ちゃちゃ なかぱさん、
家に中に「恐い顔」が存在するということはありがたいことです。多分にフィクションなのでしょうが、一人暮らしの私は羨ましく思いながら読みました。そういえば、当方、玄関のドアには鍵がかかりますが、トイレ以外の他の部屋にはどこにも鍵がありません。そういう暮しの私なのです。
のん子 うちの夫婦に当てはめて見ると
消し忘れは私も言います、でも消し忘れてたよ~って優しく言って(笑)返事は要求しません
勿論、自分が忘れたと感づいた時も正直に申告します
何故なら夫は寡黙(良く言えば)なので、認知の出始めを見逃す可能性が(汗)
鍵付けは絶対反対です
徹底的に理由を聞いてpcを見られるのがイヤなら絶対に見ないようにします
或いはドアの正面と自分の顔が向き合う位置に変えるとか、開けた時に鈴が鳴るとか?(^^ゞ
ちゃちゃさんへ
nakapa この話、ある人に話したら、「くらいね~、暗いね~」と言われて
大笑いされたのですが、文章になると笑えませんね。もちろん笑われたのは私です。
フィクションとした方がいいですね。そう思ってくれて有難うございます。
のん子さんへ
nakapa コメント有難うございました。
家の中で鍵をかけるのは良くないです。反省して止めましたが、遅すぎますね。
私は人並みはずれて我侭だと思います。鍵をかけられた人の気持ちも
考えなければいけません。 自分勝手を反省しています。
人に話したときは大笑いになったので、ジョークのつもりで書いたのですが、
読み返してみると笑えません。 今度は書き手としての反省ですが、
もうちょっとハッキリと「私」の愚かさを表現した方がいいと思いました。
フラダン 電気消し忘れ、我が家でも良くあります。私は夫の方が
忘れてるの多いと思ってるのですが、夫からすると私のほうが多いと
思ってるかも知れませんね、でも注意されたらお互いに
「アッ!ゴメン~」で済んでます、トイレはお客も入るので鍵は
つけてますが、家族では殆どかけた事がありません
嗜めるのもQPさんの愛情のうちです、
お互い心の鍵は開けっ放しでしょう~
イチゴとリンゴの館 何処の家にもある話しに思わず笑ってしまいました
我が家も同じで10回入って8回は消し忘れしてくれます。
部屋も同じで消してない!
諦めてますが、時どきは堪忍袋が割れてしまいます
私もあるので・・・出きるだけ黙認です。
いずこも同じで安心しました(^○^)
おーりーおばさん 電気の消し忘れは我が家もしょっちゅうです。
わたしは消す係りです。黙って消せばいいのに
ひとこと言うのが私の人間ができていない証拠。
鍵をかけるのはあんまり考えたことがありませんでした。鍵はやはりさみしい気がします。
フラダンさんへ
nakapa 電気つけ忘れ、それぞれの家庭でいろいろな対応をなさっていますね。
その中で最低なのがnakapa家ですね。醜い非難合戦です。
反省して二人とも真人間になりましたからご安心下さい。
もう、家の中に独立国を作るようなバカな真似はしません。
食糧支援を受けているようでは、どうしようもないですから。
イチゴとリンゴの館さんへ
nakapa いずこもおなじですか。笑って頂いてホッとしました。
ケンカはともかく、鍵をかけて閉じこもるのは、いけないと思います。
大いに反省して、今はよそ様並みに、全部屋解放しました。
過去にはこんなこともありましたとの意味で、書きました。
おーりーおばさんへ
nakapa そうですね。鍵をかけるのは寂しいです。反省して止めました。
電気のつけ忘れは、これからも続くでしょうね。肝心なことは
許しあうことですね。元々大したことではないでのですから。
これが火の消し忘れでしたら大変ですね。
QPの想像力も侮れない、私につり銭を払う為に、「歯医者の奥さんが、銀行に一走りして一万円札を両替してくれる」と言うのだ。
朝7時から診療の歯医者に通院しているが、ことの次第はこうである。 ある日、私はいつものように、朝一番で予約した歯医者に行こうとしていた。
「一万円札ですか?」と私。僅かな診察料で沢山のお釣りは気が引ける。
「細かいのが無いから歯医者で崩してほしいのよ」
「朝一番ですよ」
「だから、お釣りを沢山用意して待っているんじゃない」
「今日は千円くらいですよ。そのくらい家にあるでしょう」
歯科医師を含めて3人しかいない小さな歯医者だ。もし、料金が1010円なら、お釣りは8,990円だ。朝一番に、せっかく用意したお釣りをごそっと持っていかれて、気分がいい筈ないと思う。
「2000円しか無いのよ。足りなくなったら困るでしょう」とQP。
「充分です。もし足りなければ、この次一緒に払います」
「アタシはね。そういう考えが大嫌いなの」
「それでは12,000円持って行きます」
「ダメだよ。スーパーに買物に行くんだから」
歯医者では、歯科衛生士さんが会計など窓口業務をを兼務している。手提げ金庫の中は、こちら側から丸見えだ。
チンと鳴らして小さな手提げ金庫を開けると、お札を金種ごとに分けて並べてあるのが、よく見える。用意されているつり銭は少ない。多くもらうのは気の毒だ。
QPは相手の立場になって、ものを考えることが苦手。 これは良いことでも悪いことでもない。世の中には相手の立場になって考えることに長けていて、悪事を働く人もいる。
例えば、「オレオレ詐欺」はどうだろう。 相手の気持を推し量り、動揺に乗じて即断を求め、目的を果たす最悪の輩だ。私はそう思う。

札幌コンサートホール・キタラ中庭のイルミネーション 2009年12月2日撮影
あれから1年もたつが、QPは歯医者の一件を、未だにこだわっているようだ。
「アタシはお金が足りなくなったりするのが嫌だから、大きいの持たすんだよ」
「小さいのも一緒に持たせて下さい」
「大きいのがあれば、小さいのはいらないの!」
「だから、お釣りが……」
「お釣りは、いっぱいあるの」
「朝はありませんよ。私は金庫の中を見たんですからね」
「えっ! そんなこと止めてよ。私が恥ずかしいから」
別に覗き込んでいるわけではない。 私は立っているのに、会計する人は座っている。手提げ金庫を開ければ、見えてしまうのだ。
ともかく、QPは一端、口にした以上、絶対に後には引かない。 自分が悪いとは口が裂けても言わない。 このことに気付いたのは、愚かにも定年後のことだ。
いろいろ遭ったが最終的には、この性格を尊重することにした。 言うまでもないことだが見返りが大きいからだ。 これさえ認めて上げれば、三食昼寝つきで好きなことを、やり放題。 しかも、和気藹々と暮らせるのだ。
「歯医者さんの奥さん、働いてないのよ」
「診察室と同じビルに住んでいるのですね」
ようやく世間話に戻ったと思いホッとしたが、そうではない。
「お釣りがなければ、奥さんが銀行にいって崩してくればいいのよ。近いんだから」
私たちは奥さんと面識はないし、いるかどうかさえも分からない。
すべては想像だから何とでもいえる。ここはQPに調子を合わせておこう。
「そうですよ。奥さんはヒマなんですからね」
繰り返しになるが、私が歯医者に行くのは朝7時。簡単な治療なので終わるのが7時30分くらいだ。銀行が開いているはずがない。しかし、これでいいのだ!
なぜなら、決して負けを認めないQPの、降伏宣言がこれなのだ。 どうやら、朝一番に、沢山お釣りをもらうのは、マナーに反すると思い直したようだ。
私たちは悪くない。悪いのは、皆が忙しく働いているのに、のんびりとテレビを見ている歯医者の奥さんなのだ。 こんな風に想像力を働かせて納得してしまった。
自分の非は絶対に認めない人と一緒に暮らすのは、さぞかし大変と思うかも知れない。 しかし、安心してほしい。 抜け道はいくらでもあるものだ。
朝7時から診療の歯医者に通院しているが、ことの次第はこうである。 ある日、私はいつものように、朝一番で予約した歯医者に行こうとしていた。
「一万円札ですか?」と私。僅かな診察料で沢山のお釣りは気が引ける。
「細かいのが無いから歯医者で崩してほしいのよ」
「朝一番ですよ」
「だから、お釣りを沢山用意して待っているんじゃない」
「今日は千円くらいですよ。そのくらい家にあるでしょう」
歯科医師を含めて3人しかいない小さな歯医者だ。もし、料金が1010円なら、お釣りは8,990円だ。朝一番に、せっかく用意したお釣りをごそっと持っていかれて、気分がいい筈ないと思う。
「2000円しか無いのよ。足りなくなったら困るでしょう」とQP。
「充分です。もし足りなければ、この次一緒に払います」
「アタシはね。そういう考えが大嫌いなの」
「それでは12,000円持って行きます」
「ダメだよ。スーパーに買物に行くんだから」
歯医者では、歯科衛生士さんが会計など窓口業務をを兼務している。手提げ金庫の中は、こちら側から丸見えだ。
チンと鳴らして小さな手提げ金庫を開けると、お札を金種ごとに分けて並べてあるのが、よく見える。用意されているつり銭は少ない。多くもらうのは気の毒だ。
QPは相手の立場になって、ものを考えることが苦手。 これは良いことでも悪いことでもない。世の中には相手の立場になって考えることに長けていて、悪事を働く人もいる。
例えば、「オレオレ詐欺」はどうだろう。 相手の気持を推し量り、動揺に乗じて即断を求め、目的を果たす最悪の輩だ。私はそう思う。

札幌コンサートホール・キタラ中庭のイルミネーション 2009年12月2日撮影
あれから1年もたつが、QPは歯医者の一件を、未だにこだわっているようだ。
「アタシはお金が足りなくなったりするのが嫌だから、大きいの持たすんだよ」
「小さいのも一緒に持たせて下さい」
「大きいのがあれば、小さいのはいらないの!」
「だから、お釣りが……」
「お釣りは、いっぱいあるの」
「朝はありませんよ。私は金庫の中を見たんですからね」
「えっ! そんなこと止めてよ。私が恥ずかしいから」
別に覗き込んでいるわけではない。 私は立っているのに、会計する人は座っている。手提げ金庫を開ければ、見えてしまうのだ。
ともかく、QPは一端、口にした以上、絶対に後には引かない。 自分が悪いとは口が裂けても言わない。 このことに気付いたのは、愚かにも定年後のことだ。
いろいろ遭ったが最終的には、この性格を尊重することにした。 言うまでもないことだが見返りが大きいからだ。 これさえ認めて上げれば、三食昼寝つきで好きなことを、やり放題。 しかも、和気藹々と暮らせるのだ。
「歯医者さんの奥さん、働いてないのよ」
「診察室と同じビルに住んでいるのですね」
ようやく世間話に戻ったと思いホッとしたが、そうではない。
「お釣りがなければ、奥さんが銀行にいって崩してくればいいのよ。近いんだから」
私たちは奥さんと面識はないし、いるかどうかさえも分からない。
すべては想像だから何とでもいえる。ここはQPに調子を合わせておこう。
「そうですよ。奥さんはヒマなんですからね」
繰り返しになるが、私が歯医者に行くのは朝7時。簡単な治療なので終わるのが7時30分くらいだ。銀行が開いているはずがない。しかし、これでいいのだ!
なぜなら、決して負けを認めないQPの、降伏宣言がこれなのだ。 どうやら、朝一番に、沢山お釣りをもらうのは、マナーに反すると思い直したようだ。
私たちは悪くない。悪いのは、皆が忙しく働いているのに、のんびりとテレビを見ている歯医者の奥さんなのだ。 こんな風に想像力を働かせて納得してしまった。
自分の非は絶対に認めない人と一緒に暮らすのは、さぞかし大変と思うかも知れない。 しかし、安心してほしい。 抜け道はいくらでもあるものだ。
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フラダン 「私達は悪くない!」確かに悪くはないと思うけど少しの料金で
大きなお金を出すのにはやっぱり、気が引けますネ、
そんな経験良くあります、だいたい、お客であるこちらの方が
恐縮してしまいますね、発想が見えぬ相手に(歯医者の奥さん)
いくのが,QPさんらしくて面白いわ、ナカパさんは、抜け道を
知ってるらしいけど、QPさんは、近道を知ってるのかもよ、、、(^o^)丿
キタラのイルミネーション綺麗ね!
イチゴとリンゴの館 「朝の食卓」読みましたよ・・・
彫刻の大掃除ですか~良い事をしてますね!
文章がすっきりしていて良いですね~
何時ものQPさんとの会話、楽しませて戴きました。
大きなお金だけ持って出かけるのは・・・?
ちょっと時差ボケで頭がすっきりしません。
おーりーおばさん うちは夫婦で自分の非を認めないからたいへんです。バトルの日々です(笑)
紙幣の両替はけっこう気を使います。
銀行での両替はむかしは簡単でしたが、今は面倒
なので、大型店で買い物するときが両替のチャンス
です。
イルミネーション美しいです。札幌らしい色彩ですね。12月はやっぱりイルミネーションです♪
mitchi-jul おめでとうございます!!道新「朝の食卓」を拝見しました。
nakapaさんのボランテァ精神に頭が下がります。
QPさんも、お喜びでしょう。
これらもテーマにしていただけたら、更に楽しい”ブログ朝の食卓”に
なりますでしょうね。
ところで、歯医者の支払いが1.100円位なら
nakapaさんのポケットにあるのでは?・・・
10.000を持って、歯医者の帰路に両替なさっ
ては如何ですか?・・但し、そのままQPさんに
渡さないよう、ご注意を・・。
のん子 今日は、なかぱさんの意見と同じですね
医者関係へは前日迄に細かいお金を用意しておきます
大きいお金は早めにスーパーで崩すようにしています
私事ですが、ブログ再開しました
良ければ、お遊びにいらして下さい
わが家も同様
ひよどり わが家も同じようなものです。
途中で自分のミスに気づき、経緯上で突っ張っているという感じではありませんね。
あくまでも自分には非がないと言いつのります。
それでいて、外面はすこぶるいいのです。
女性特有なのではないかと思っています。
これは正直な気持ちです。
ひまわり いつも、楽しいお話ですね!
私も、あなたの考えに同感です。
QPさんは男性的、あなたは女性的なのですね でも空気を読む事は生きていくには大切です。
私も事前に、用意するほうです。
習い事の月謝に平気で一万円出し
お釣り貰う人、理解できません。
私の場合、銀行で両替して別の袋に、つねに用意し、使ったら補充しておきます。例えば、食事会の会費は、事前に判るので、おつりを貰う人、K、Y だと思います。
サロンでも、百円と判っているのに千円出す人、KYだなーと思いますよ。係りの人にお釣り用意しておけよ あたりまえだ、と思っているのと同じですよ 相手の事を考えるのが、優しさです。
あなたは優しい人です。
キタラのツリー綺麗ですね
フラダンさんへ
nakapa QPに「歯医者の奥さんが銀行へ崩しにいけばいいのよ」と言われたときは、
可笑しくて可笑しくってのぞけってしまいました。真顔で言うんですからね。
しかし、書くとなると難しいですね。残念ながら、その可笑しさの半分も
表現できていないと思います。
イチゴとリンゴの館さんへ
nakapa 「朝の食卓」、読んでくれて有難うございます。
確かに良いこととは思うのですが、私はと言えば、
雑巾持って彫刻の周りをうろうろしているだけです。
私もスッキリしません。大きなお札はスーパーとか、
コンビニで使いたいです。あるいは大きな買物とかですね。
おーりーおばさんへ
nakapa それは大変ですね。負けないようにガンバって下さい。
「雨降って地固まる」と申しますから、真剣に議論するのが筋だと思います。
写真はピンボケで情けないのですが、中庭でこんなことしています
という意味で載せました。それでも「美しい」と言って頂ければ嬉しいですね。
「嘘つきは泥棒の始まり」と信じているQP。「嘘をつかねば仏になれぬ 」と思っている私……。 ところが、二人の立場が逆転するような「事件」が起きた。
QPが嘘をつき、私がホトケでなくなったのだ!
宅配便で本が届いたが、頼んだ覚えがない。 私宛なので開けてみると
「ガス・おなら恐怖症からの脱出」というタイトルの本だ。
「こんな本が届いたのですが、心当たりがないので返品……」話途中で、
「ちょっと、待って」と、QPが遮った。
「なんですか?」
「それ…、アタシが頼んだの」
「私宛ですよ」
「まあ、いいじゃない。代金はアタシが郵便局に振込みに行くから」
なるほど、「おならの本」を通信販売で買うのが体裁が悪いものだから、私の名を語ったのだ。そういうことなら、私にも考えがある。
「そうですか。仕方ないですね」
「そうなの、仕方ないのよ」
「おならする女性は、貴女だけですから、さぞかし恥ずかしいでしょうね」
「そんなことないよ。みんなするんだから」
「え~と、女性のは聞いたことも、嗅いだこともありません。 そして私は…」
「…体験したことでないと信じないと言うんでしょ。耳にタコだよ」
「プーと来て、臭さ~いと感じるまでは信じません」
「私だって、人前ではしないよ」
「つまり、しないフリしているのですね」
「いいじゃない、皆そうなんだから」

紅葉もこの日がピーク。札幌護国神社社務所前。11月15日撮影。
いつも人のことを嘘つき呼ばわりしているくせに、自分ではしゃあしゃと嘘をつく。 こんなことが許されていいのだろうか。
人の名を語って「おならの本」を取り寄せるとは、何たることだ。徹底的に苛めて、今度こそはQPも、私と同じ嘘つきであることを証明してみせる。
「よその奥様も、夫の名を使って『おならの本』を買っていると言うのですか」
「そんなこと言ってないよ」
「いいえ、確かに『皆そうなんだから』と言いました」
「そんな意味じゃないんだよ」
意味くらい私だって分かる。 しかし、分かって上げては苛めにならない。 QPはまれにみる正直者。このチャンスを逃したら、もう苛めることができない。 ここぞとばかりに、言葉尻を捉えて攻め立てた。
「どんな意味ですか。具体的に言って下さい」
「……」
黙ってしまった。嵐の前の静けさか。 QPを追い詰めると、あらぬ方向から、二の矢、三の矢が飛んでくるから恐ろしい。
「アンタが家にいるから悪いんだよ」
「はあ?」
「大事な用事があるから、出かけるって言ってたでしょ」
「それが、キャンセルになりまして…」
「嘘ばっかし! 私と一緒に行くのが嫌だったのでしょ」
自分は嘘をつくくせに、私の嘘は許さない。勝手なもんだ。 QPの親類の家なんかに行ったって、気を使うばかりで、何も面白くない。
しばらく前に行ったときは、孫のビデオを5時間も見せられた。 「可愛いですね」とか、ご愛想も言わなきゃならないし、楽じゃなかったよ。
こんなことを考えている内に、「おならの本」のことはスッカリ忘れ、QPのペースにシッカリとはまってしまった。
「そんなことないですよ。いつも一緒に行ってるじゃないですか」
「ホントは行きたくないんでしょ」
と、QPは疑り深い。 こうなると私は、防戦一方だ。
「とんでもないです。Aさんの家に行くのは、いつも楽しみにしているのですよ。奥様の手料理は美味しいし。赤ちゃんのビデオを見るのはホントに楽しいですね。心が和みます」
気が付いてみると、言わなくていいことまで言っている。 今度こそは、QPが嘘つきであることを証明してやろうと意気込んでいたのに、どうしてこうなるのだろう。
木の実ナナさんの「あばずれ」という歌の一節を思い出した。
こうなのさ~ こうなのさ~ いつだってこうなのさ~♪
「あばずれ」とレッテルをはられ、そこから抜けられない少女の苦悩が分かるような気がする。 私も同じだ、一体いつになったら、QPの尻の下から脱出できるのだろうか。
ところで、「ガス・おなら恐怖症からの脱出」の本は、お役目を果たし、今は私の手元にある。 お悩みの方は、そっと、耳打ちして頂ければお貸しするつもりだ。
秘密厳守、ご安心あれ。
QPが嘘をつき、私がホトケでなくなったのだ!
宅配便で本が届いたが、頼んだ覚えがない。 私宛なので開けてみると
「ガス・おなら恐怖症からの脱出」というタイトルの本だ。
「こんな本が届いたのですが、心当たりがないので返品……」話途中で、
「ちょっと、待って」と、QPが遮った。
「なんですか?」
「それ…、アタシが頼んだの」
「私宛ですよ」
「まあ、いいじゃない。代金はアタシが郵便局に振込みに行くから」
なるほど、「おならの本」を通信販売で買うのが体裁が悪いものだから、私の名を語ったのだ。そういうことなら、私にも考えがある。
「そうですか。仕方ないですね」
「そうなの、仕方ないのよ」
「おならする女性は、貴女だけですから、さぞかし恥ずかしいでしょうね」
「そんなことないよ。みんなするんだから」
「え~と、女性のは聞いたことも、嗅いだこともありません。 そして私は…」
「…体験したことでないと信じないと言うんでしょ。耳にタコだよ」
「プーと来て、臭さ~いと感じるまでは信じません」
「私だって、人前ではしないよ」
「つまり、しないフリしているのですね」
「いいじゃない、皆そうなんだから」

紅葉もこの日がピーク。札幌護国神社社務所前。11月15日撮影。
いつも人のことを嘘つき呼ばわりしているくせに、自分ではしゃあしゃと嘘をつく。 こんなことが許されていいのだろうか。
人の名を語って「おならの本」を取り寄せるとは、何たることだ。徹底的に苛めて、今度こそはQPも、私と同じ嘘つきであることを証明してみせる。
「よその奥様も、夫の名を使って『おならの本』を買っていると言うのですか」
「そんなこと言ってないよ」
「いいえ、確かに『皆そうなんだから』と言いました」
「そんな意味じゃないんだよ」
意味くらい私だって分かる。 しかし、分かって上げては苛めにならない。 QPはまれにみる正直者。このチャンスを逃したら、もう苛めることができない。 ここぞとばかりに、言葉尻を捉えて攻め立てた。
「どんな意味ですか。具体的に言って下さい」
「……」
黙ってしまった。嵐の前の静けさか。 QPを追い詰めると、あらぬ方向から、二の矢、三の矢が飛んでくるから恐ろしい。
「アンタが家にいるから悪いんだよ」
「はあ?」
「大事な用事があるから、出かけるって言ってたでしょ」
「それが、キャンセルになりまして…」
「嘘ばっかし! 私と一緒に行くのが嫌だったのでしょ」
自分は嘘をつくくせに、私の嘘は許さない。勝手なもんだ。 QPの親類の家なんかに行ったって、気を使うばかりで、何も面白くない。
しばらく前に行ったときは、孫のビデオを5時間も見せられた。 「可愛いですね」とか、ご愛想も言わなきゃならないし、楽じゃなかったよ。
こんなことを考えている内に、「おならの本」のことはスッカリ忘れ、QPのペースにシッカリとはまってしまった。
「そんなことないですよ。いつも一緒に行ってるじゃないですか」
「ホントは行きたくないんでしょ」
と、QPは疑り深い。 こうなると私は、防戦一方だ。
「とんでもないです。Aさんの家に行くのは、いつも楽しみにしているのですよ。奥様の手料理は美味しいし。赤ちゃんのビデオを見るのはホントに楽しいですね。心が和みます」
気が付いてみると、言わなくていいことまで言っている。 今度こそは、QPが嘘つきであることを証明してやろうと意気込んでいたのに、どうしてこうなるのだろう。
木の実ナナさんの「あばずれ」という歌の一節を思い出した。
こうなのさ~ こうなのさ~ いつだってこうなのさ~♪
「あばずれ」とレッテルをはられ、そこから抜けられない少女の苦悩が分かるような気がする。 私も同じだ、一体いつになったら、QPの尻の下から脱出できるのだろうか。
ところで、「ガス・おなら恐怖症からの脱出」の本は、お役目を果たし、今は私の手元にある。 お悩みの方は、そっと、耳打ちして頂ければお貸しするつもりだ。
秘密厳守、ご安心あれ。
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こまどり ぷぅ~~、可笑しい話だね。夫の名前でその本を取り寄せた、というところがいじらしいですね~。
おならの会話がおかしくて、おかしくて、ふきだしてしまいました。いつのまにか話が摩り替わっていて、夫はまたも一本とられたのですね。
おもしろかったです。
カギコメさんへ
nakapa あなたはコメント第一号と同時に、「おなら本」貸し出し申込み第一号になりました。
こまどりさんへ
nakapa 温かい、コメント有難う。みんな仲良く穏やかに暮らしたいと思っています。
この目的以外には嘘を言いません。(心がけているだけです)
あ、もう一つありました。 笑ってもらうために嘘を言ったり書いたり
することも、少しあります。 笑顔があふれているといいですね。
ちゃちゃ なかぱさん、おはようございます。
甥の結婚式のためにきている沖縄からで~す。沖縄から北海道まで瞬時にしてコメントが届くのですから、世の中進んだものです。
ところで、私の21日のブログに「顔ダニ」のこと少し書きました。その際、なかぱさんのブログ「毎朝洗顔しています」を読んだことを書きました。不都合のようでしたらその部分を削除しますので、お知らせくださいませ。
ちゃちゃさんへ
nakapa 沖縄からですか。遠いとこ、有難うございます。
「顔ダニ」のことも書いてくれて有難うございます。話題が広がって行くのは
楽しいことです。 不都合なことなど、まったくありません。
お気使いには感謝します。
イチゴとリンゴの館 前回 私のコメント届きませんでしたか???
おならの話~面白い・・・あれは自然現象だから
仕方がないよ~~~
可愛いQPさんですね!夫の名前で注文するなんて!
朝から面白く読ませて頂きました(^_-)-☆
イチゴとリンゴの館さんえh
nakapa 残念ながら、前回のコメントは届いていません。申し訳ありませんが、
原因不明です。 他の人から同様の問合せがありましたが、
最近は少なくなりました。 FC2に問い合わせてみたいと思います。
エッセイの感想有難うございます。これからもよろしくお願いします。
フラダン 可笑しかった!いくら自然現象といっても、やっぱりね。。。努力してるQPさんの気持ち判るわ、
お互い「嘘も方便」って事ね、、、「♪“トムとジェリィー仲良く喧嘩しな”♪」
トムは、やっぱりジェリィーには勝てないのよ(笑)
フラダンさんへ
nakapa いろいろブログ読みました。福島のハワイは天国ですね。 すごく楽しそうです。
映画「フラガール」思い出しました。炭鉱閉山にもめげず頑張る姿に感動しました。
それに引き換え、我家はとても静かで退屈なので、ときどき小さな波風を立てています。
nonko-mn QPさん可愛い!!
私なら差し詰め自分でオナラを出してるかも・・・。二人でしてしまえばいいんですよね。
柳亭痴楽のように・・・「あなたがプ~なら私はピ~」・・・ナンテネ。
品がなくてゴメンナサイ。
飛行機が遅れてもテクニカル・リーズン。公演の中止もテクニカル・リーズン。 今ではQPまでが、テクニカル・リーズンを口にして、私を煙に巻こうとする。
欧州では、何もかも纏めて「テクニカル・リーズン」と言う傾向があるので、本当の理由は分からないそうだ。
ところで、世の中とは理不尽なものだ。 「のりピー劇場」のせいで、私が食事の支度をする羽目になってしまった。(のりピー = 酒井法子さん)
朝食はテレビを消して、その日の予定などを話しながら食べる。 一方、夕食はテレビを観ながら食べるのが、私たち二人の習慣だ。
夕ご飯を食べようとするとテレビで、叉のりピーの話だ。 「のりピー劇場」は1か月以上も続いている。 もう飽き飽きを通り越してうんざりだ。
しかし、チャンネル権は、QPに握られている。 私が口をはさむ余地はない。
テレビで何をやっていようと、気にしないようにしている
それでも、我慢できないものが三つある。 一つは殺人などの残酷シーン。 もう一つは「大食い、早食い番組」。 そして、更に腹立たしいのがワイドショー的な、「長期たれ流し放送」である。
これが始まると、私は「殺人は苦手です」とか「のりピーさんは、もう沢山です」とか、軽く理由を言って席を外すことにしている。

9月16日の札幌市・中島公園・菖蒲池
この日は、不幸にも食事中。 否が応でも見えてしまう。 目をそらしても音が聞こえてくる。 楽しい食事が台無しである。
私が、この種の番組が嫌いなことは、よく知っているはずなので、黙ってチャネルを「水戸黄門」に切り変えた。 断るまでもないことと思っていたが、甘かった。
「黄門様を観たかったら、アッチで観ればよいでしょう」
「下らないワイドショーを観たくないのです」
「ワイドショーじゃないよ」
「そんなことは、どうでもいいのです」
「ワイドショーは、こんな時間にやってないんだよ。もう、常識ないんだから……」
「うるさい! 黙ってたべろ!!」
「…… ……」 ← 沈黙
嫌いな番組を観ながら食べるのはゴメンだ。せっかくの食事が不味くなる。 困ったものだ。 しかし、あの沈黙はなんだろう。少し気になる。
テレビ局にとって視聴率は命、大勢の人が観るから放送するのだ。 QPが多くの人が好む番組をみるとしても、それは仕方がないこと。
ただし、食事中は別だろう。 少しは同席する人のことも考えてほしい。 変なものを見せられたら、食べる気も失せるし、栄養にもならないだろう。
いずれにしろ、あの沈黙は不気味だ。 理由がどうであれ、QPが居候と思っている私の反抗を許すはずがない。 後で何らかの沙汰があるだろう。
結果として私は、「食事の支度・後始末、二日間の刑」を言い渡された。 執行は二日後だから、大人しく受け入れることにした。
その間に、ほとぼりが冷めて執行猶予が付くに決まっているのだ。 いつだってそうなのだ。
翌日の朝になれば、全ては忘れられると思っていたが甘かった。 「おはようございます」と挨拶をしてもブスっとしている。 一体どうしたというのだ。
しかし、刑の執行は翌日だ。 なんの心配もない。 案の定、その日が来ても、いつものようにQPはご飯を作り、後片付けをしている。
全ては、予想どおりに進んでいる。 この話はなかったことになってしまうだろう。 ところが、予想は見事に外れた。 こんなことは初めてだ。

その翌日のことだが…。
「分かってるよね。今日のご飯は、あんたが作るんだよ。後片付けもね」
突然、言い渡さたのでビックリして「はい、分かりました」
と、反射的に答えたが、納得が行かない。
「私が作るのは昨日のはずでしょ。何で今日なのですか?」
と、精一杯の抗議をした。
「テクニカル・リーズンよ」
聞きかじりのカタカナ語を使っている。 一体どうゆうつもりだ。
「ちゃんと答えて下さい」
「あんた、知らないの。 技術的な理由っていうことよ」
「だから、どうして?」
「材料が余ったから作ってあげたの。使わなくちゃ、もったいないでしょ」
欧州では、何もかも纏めて「テクニカル・リーズン」と言う傾向があるので、本当の理由は分からないそうだ。
ところで、世の中とは理不尽なものだ。 「のりピー劇場」のせいで、私が食事の支度をする羽目になってしまった。(のりピー = 酒井法子さん)
朝食はテレビを消して、その日の予定などを話しながら食べる。 一方、夕食はテレビを観ながら食べるのが、私たち二人の習慣だ。
夕ご飯を食べようとするとテレビで、叉のりピーの話だ。 「のりピー劇場」は1か月以上も続いている。 もう飽き飽きを通り越してうんざりだ。
しかし、チャンネル権は、QPに握られている。 私が口をはさむ余地はない。
テレビで何をやっていようと、気にしないようにしている
それでも、我慢できないものが三つある。 一つは殺人などの残酷シーン。 もう一つは「大食い、早食い番組」。 そして、更に腹立たしいのがワイドショー的な、「長期たれ流し放送」である。
これが始まると、私は「殺人は苦手です」とか「のりピーさんは、もう沢山です」とか、軽く理由を言って席を外すことにしている。

9月16日の札幌市・中島公園・菖蒲池
この日は、不幸にも食事中。 否が応でも見えてしまう。 目をそらしても音が聞こえてくる。 楽しい食事が台無しである。
私が、この種の番組が嫌いなことは、よく知っているはずなので、黙ってチャネルを「水戸黄門」に切り変えた。 断るまでもないことと思っていたが、甘かった。
「黄門様を観たかったら、アッチで観ればよいでしょう」
「下らないワイドショーを観たくないのです」
「ワイドショーじゃないよ」
「そんなことは、どうでもいいのです」
「ワイドショーは、こんな時間にやってないんだよ。もう、常識ないんだから……」
「うるさい! 黙ってたべろ!!」
「…… ……」 ← 沈黙
嫌いな番組を観ながら食べるのはゴメンだ。せっかくの食事が不味くなる。 困ったものだ。 しかし、あの沈黙はなんだろう。少し気になる。
テレビ局にとって視聴率は命、大勢の人が観るから放送するのだ。 QPが多くの人が好む番組をみるとしても、それは仕方がないこと。
ただし、食事中は別だろう。 少しは同席する人のことも考えてほしい。 変なものを見せられたら、食べる気も失せるし、栄養にもならないだろう。
いずれにしろ、あの沈黙は不気味だ。 理由がどうであれ、QPが居候と思っている私の反抗を許すはずがない。 後で何らかの沙汰があるだろう。
結果として私は、「食事の支度・後始末、二日間の刑」を言い渡された。 執行は二日後だから、大人しく受け入れることにした。
その間に、ほとぼりが冷めて執行猶予が付くに決まっているのだ。 いつだってそうなのだ。
翌日の朝になれば、全ては忘れられると思っていたが甘かった。 「おはようございます」と挨拶をしてもブスっとしている。 一体どうしたというのだ。
しかし、刑の執行は翌日だ。 なんの心配もない。 案の定、その日が来ても、いつものようにQPはご飯を作り、後片付けをしている。
全ては、予想どおりに進んでいる。 この話はなかったことになってしまうだろう。 ところが、予想は見事に外れた。 こんなことは初めてだ。

その翌日のことだが…。
「分かってるよね。今日のご飯は、あんたが作るんだよ。後片付けもね」
突然、言い渡さたのでビックリして「はい、分かりました」
と、反射的に答えたが、納得が行かない。
「私が作るのは昨日のはずでしょ。何で今日なのですか?」
と、精一杯の抗議をした。
「テクニカル・リーズンよ」
聞きかじりのカタカナ語を使っている。 一体どうゆうつもりだ。
「ちゃんと答えて下さい」
「あんた、知らないの。 技術的な理由っていうことよ」
「だから、どうして?」
「材料が余ったから作ってあげたの。使わなくちゃ、もったいないでしょ」
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夕鶴 う~ん、ちょっと考えてしまいました。
二人用の小さなテーブル。 記事の中段には「楽しい食事がまずくなる」と書かれています。
嫌いな番組でなければ、楽しい食事なのですね。
はい、ご馳走さまでした。
イチゴとリンゴの館 きつい会話に思ったんだだけど・・・???
これはお惚気にも?
いずれにしても深刻な問題ではなさそうね(^○^)
処で本当に食事の支度するんですか・・・?
羨ましい~やっぱりお惚気なんだね・・・
フラダン う~ん、、、やっぱりやられましたか。。。。
QPさんの方が技術的に上でしたね、
「材料が余ったから作ってあげたの。使わなくちゃ、もったいないでしょ」
しかもこれはかなりの超技術者です、こうなったら、
「長いものには、まかれろ」主義で、解き離される迄ジーと耐えるしかありません、
穏やかな日々が、続くよう願って居ります、(笑い)
のん子 夫婦はパートナーでは有りますが喧嘩の種でも有ります(笑)
うちは朝刊のテレビ欄で是非観たいのが有れば、赤印を
映画でもそうですが大体交代交代になるように。
そう主張出来ない雰囲気なのですか?(^^ゞ
で、観たくないのであれば私ならpcの前に夕食を移動、夫は食事さっさと済ませて自室のテレビで。
個食には拘りません(^_^)
で、黙れと言われたら理由如何に拘らずその言葉にカチンと来ます(関西人にとってはですが)
夫は家事が出来ないので違う仕返しを考えるでしょう(^^ゞ
ノリピーでも違う観点から観察すると面白いことも?
何処に興味が有るのか聞いてみられたら女性心理に一層詳しくなられるかと・・・
テレビにも困った
ひよどり テレビにも困ったものです。
ノリピーを見せられるのは、世間の多くの人が見たいのでしょうから仕方がないでしょう。
しかし、それは報道としての範囲のこと。
「あーあ、やっぱりノリピーもやっていたのね」
「へーえ、あの人の実弟も捕まっていたんだ」
こんな程度なら、事実を知るためには、それなりに機能しています。
しかし、プロダクションがかかわって、しっかり化粧したノリピーが反省の弁を述べ涙を流すとなると、これは報道の域を超えています。
宣伝番組を見せられていることになります。
とても不愉快になりますね。
とは言っても、そこのところが難しい。
はっきり言えることは、「何度も何度も見せられてはたまらない」ということですね。
夕鶴さんへ
nakapa 「ご馳走さまでした」の受け答えは、はやり「お粗末様でした」でしょうね。
まさに、その通りになってしまいました。小さな食卓ですが楽しく食べています。
9%楽しく笑いながら食べて、90%はただ黙々と食事を楽しんでいます。
諍いは残りの1%程度です。すみませんが、99%は読物にならないのです。
イチゴとリンゴの館さんへ
nakapa はい、深刻な問題はありません。トラブルと言えば、
せいぜいテレビとご飯の支度くらいです。今までは上手く逃げている
つもりでしたが、今回は捕まりました。本当にやりますよ。
私の得意はカップ麺とお粥です。それにコンビニにも精通しています。
それに中食には詳しいのです。
フラダン さんへ
nakapa はい、上手く逃げているつもりでしたが、8年目に捕まりました。
1回捕まると、逃げるのが難しくなります。生きる技術の習得と
前向きに捉えたいと思います。 二人そろってケチですから、
「もったいない」は錦の御旗です。これには逆らえません。
のん子さんへ
nakapa テレビ欄に印をつけるのはいいアイディアですね。
うちは時間分割です。午後9時からが私のテレビ時間です。
映画はQPの好みのに、私がお供します。私が観たい映画は一人で行きます。
QPはテレビを観たくないなら、アッチに行けといいますが、私は行きません。
ケンカしながら二人で食べています。滅多にないことですが。
本当は「すこし、黙ってもらえませんか」と言いました。脚色です。すみません。
私の得意料理はお粥とカップ麺です。デパートの中食やコンビニにも詳しいです。
はい、のりピーについては聞いてみたいとおもいます。
女性心理に詳しくなりたいです。アドバイス有難うござ言います。
ひよどりさんへ
nakapa そうなのです。一言で言うと、「何度も見せられてはたまらない」ということです。
1か月以上、毎日のように報道されました。特にテレビの場合は、電波を独占
しているので公共性を問われるのは当然と思います。
今回の「のりピー劇場」のようなたれ流し放送は、例えて言えば、
「私の土地を何に使かおうと私の勝手だ」と言って、自分の土地に
ゴミを山積みにする「ごみ御殿」のようなものです。
監督官庁が何も言わないのが不思議です。固い話で恐縮です。
諍いの余韻が残っているようです(笑)。
クイズです。次のうちに「燃やせるごみ」でないものが、いくつあるでしょうか?
インクリボン、残飯、卵の殻、カセットテープ、野菜のくず、乾燥剤、DVD、カツラ(付け毛)。 正解は文末にあります。
「叉、こんな所に捨ててぇ、飴の袋はプラスチックなんだよ」。 小さな飴玉1個の袋だ。どうでもいいではないか。 丸めれば小豆、1個の大きさである。
今更、分別としろと言われても、魚の骨やハラワタにまみれて、汚いし臭い。 困ったものだ。 QPも昔は真面目で優しい人だったが、いつから、こうなってしまったのだろう。
実は、この飴袋、隠すつもりでここに棄てたのだ。 まさか見つかるとは思わなかった。 QPは甘いものは身体に悪いとか言って、小さな飴玉一つにまで、目を光らせている。 だったら、私にも言わせて欲しい。
「あなたが捨てた、油にまみれたビニール袋こそ、分別すべきでしょう。 あれの方が百倍も大きいですよ」
「十倍ぐらいだよ」
「そうゆう問題じゃないのです」
「仕方がないじゃない。 酢豚が入っていたんだから」
過去に何が入っていたかで差別されてはたまらない。 今度ばかりは、ハッキリと言ってやろう。 QPの間違いを証明してみせるのだ
素早く、書類箱から札幌市発行の『ごみ分けガイド』を持ってきた。「ここに書いてあるでしょ。 製品ブラスチックも、ビニール製品も、燃やせるごみですよ」。
QPは、しばらく黙り込んだ後、突然言い放った。「あ~、腹が立つ」。
なんだか怪しげな雲行きになってきた。逆切れの前触れかもしれない。 ここは慎重に対応しよう。
「何か気に触るようなこと言いましたか?」
「のりピーの逃走は覚せい剤を抜くためだって。 許せないね~。まったく」
(のりピー=酒井法子)
私の言ったことには何も答えないで、勝手に話題を変えている。 これが、自分の非を絶対に認めないQP流の降伏宣言である。 これでも私の勝なのだ。
そう思うと、反省する余裕も出てくる。 『ごみ分けガイド』には、製品ブラスチックも、ビニール製品も、燃やせるごみと書いてある。
しかし、なにか釈然としない。 一つひとつ包んでいる飴袋が、果たして製品プラスチックと言えるだろうか?
念のため、更に詳しく書いてある『分別辞典』で調べてみたら、飴・キャラメルなどの個包装(プラ製)は、「容器包装プラスチックに分別される」と明記されていた。

中島公園 豊平館前の池 鵜と烏 8月24日撮影
私は間違っていた。 しかし、黙っていることにした。 これは解決済みの案件で、今更蒸し返しても意味がない。 とは言え、QPにも正確な分別方法を知ってもらう必要がある。
熟慮した結果、毎朝、予定をチェックするカレンダーの横に『ゴミ分別辞典』を、それとなく置いた。 これなら安心だ。読むのは翌朝になるだろう。
なんで明日まで読まないと決め付けるの? と、疑問に思うかもしれない。 これはQPを知り尽くした私にしかできない芸当。
日常の生活習慣をしっかりと把握していればこそ出来る、人間操縦術の真髄である。 QPは一晩寝れば記憶も恨みもリセットされる淡白な人だ。 私はいつもこの性格に救われている。
どんなことがあっても、 全てを忘れて、「おはよう!」という明るい声と共に爽やかな朝がやって来るのだ。
と、思っていたが甘かった。
「あんた! 飴袋はプラでしょ。 ここにちゃんと書いてあるよ」
手にはゴミの法典、『札幌市ごみ分別辞典』を持っている。
なぜ見つかったのだ? チェックは明日の朝のはずだ。 しかし、こんなことではうろたえない。 これでも家の中では無敵なのだ。
仕方がない、第二案で行こう。 正面から向かい合っては敵わないから、オトボケ作戦の開始だ。 なんとか横に反らせてやろう。
「分別で大切なことは総合的な考え方です」
「飴袋はプラスチックでしょ。燃やせるゴミじゃあないよ」
「何の為の分別か、しっかりと考えることが重要なのです」
「飴袋はプラでしょ」。 私の思惑に反して、正面からグイグイ押してくる。
「プラでもいいし、燃やせるごみでもいいのです」
「それじゃあ、分別にならないじゃない!」
こんなことではへこたれないぞ! 私には二の矢三の矢がある。 最後のよりどころは屁理屈だ。
「分別の目的は資源をリサイクルして有効に活用することにあります。 プラスチック、紙、ペットボトル、缶などを、資源として活用するために分別するのです」
「だから、キチンと分けなきゃ、ダメなのよ~」
「しかし、燃やせるゴミは資源としての活用は二の次です。 プラスチックやビニールが、少しくらい混ざってもいいのです」
「ダメ! プラは無料だけど、燃やせるごみは有料なんだからね」
「有料と言っても、飴袋は、丸めれば米粒くらいですよ」
「もっと大きいよ。チリと比べれば、うんと大きいじゃない」
「チリ?」
「うんと大きいの」
「そんなに?」
「山みたいに大きいの」
「まさか?」
「チリも積れば山となる」
迷ったら 見る見るしよう ゴミ辞典 nakapa苦し紛れの川柳
クイズの正解はゼロ。 インクリボン、残飯、卵の殻、カセットテープ、野菜のくず、乾燥剤、DVD、カツラ(付け毛)。
いずれも「燃やせるごみ」です。 『札幌市新ごみ分けガイド・分別辞典』で調べました。
インクリボン、残飯、卵の殻、カセットテープ、野菜のくず、乾燥剤、DVD、カツラ(付け毛)。 正解は文末にあります。
「叉、こんな所に捨ててぇ、飴の袋はプラスチックなんだよ」。 小さな飴玉1個の袋だ。どうでもいいではないか。 丸めれば小豆、1個の大きさである。
今更、分別としろと言われても、魚の骨やハラワタにまみれて、汚いし臭い。 困ったものだ。 QPも昔は真面目で優しい人だったが、いつから、こうなってしまったのだろう。
実は、この飴袋、隠すつもりでここに棄てたのだ。 まさか見つかるとは思わなかった。 QPは甘いものは身体に悪いとか言って、小さな飴玉一つにまで、目を光らせている。 だったら、私にも言わせて欲しい。
「あなたが捨てた、油にまみれたビニール袋こそ、分別すべきでしょう。 あれの方が百倍も大きいですよ」
「十倍ぐらいだよ」
「そうゆう問題じゃないのです」
「仕方がないじゃない。 酢豚が入っていたんだから」
過去に何が入っていたかで差別されてはたまらない。 今度ばかりは、ハッキリと言ってやろう。 QPの間違いを証明してみせるのだ
素早く、書類箱から札幌市発行の『ごみ分けガイド』を持ってきた。「ここに書いてあるでしょ。 製品ブラスチックも、ビニール製品も、燃やせるごみですよ」。
QPは、しばらく黙り込んだ後、突然言い放った。「あ~、腹が立つ」。
なんだか怪しげな雲行きになってきた。逆切れの前触れかもしれない。 ここは慎重に対応しよう。
「何か気に触るようなこと言いましたか?」
「のりピーの逃走は覚せい剤を抜くためだって。 許せないね~。まったく」
(のりピー=酒井法子)
私の言ったことには何も答えないで、勝手に話題を変えている。 これが、自分の非を絶対に認めないQP流の降伏宣言である。 これでも私の勝なのだ。
そう思うと、反省する余裕も出てくる。 『ごみ分けガイド』には、製品ブラスチックも、ビニール製品も、燃やせるごみと書いてある。
しかし、なにか釈然としない。 一つひとつ包んでいる飴袋が、果たして製品プラスチックと言えるだろうか?
念のため、更に詳しく書いてある『分別辞典』で調べてみたら、飴・キャラメルなどの個包装(プラ製)は、「容器包装プラスチックに分別される」と明記されていた。

中島公園 豊平館前の池 鵜と烏 8月24日撮影
私は間違っていた。 しかし、黙っていることにした。 これは解決済みの案件で、今更蒸し返しても意味がない。 とは言え、QPにも正確な分別方法を知ってもらう必要がある。
熟慮した結果、毎朝、予定をチェックするカレンダーの横に『ゴミ分別辞典』を、それとなく置いた。 これなら安心だ。読むのは翌朝になるだろう。
なんで明日まで読まないと決め付けるの? と、疑問に思うかもしれない。 これはQPを知り尽くした私にしかできない芸当。
日常の生活習慣をしっかりと把握していればこそ出来る、人間操縦術の真髄である。 QPは一晩寝れば記憶も恨みもリセットされる淡白な人だ。 私はいつもこの性格に救われている。
どんなことがあっても、 全てを忘れて、「おはよう!」という明るい声と共に爽やかな朝がやって来るのだ。
と、思っていたが甘かった。
「あんた! 飴袋はプラでしょ。 ここにちゃんと書いてあるよ」
手にはゴミの法典、『札幌市ごみ分別辞典』を持っている。
なぜ見つかったのだ? チェックは明日の朝のはずだ。 しかし、こんなことではうろたえない。 これでも家の中では無敵なのだ。
仕方がない、第二案で行こう。 正面から向かい合っては敵わないから、オトボケ作戦の開始だ。 なんとか横に反らせてやろう。
「分別で大切なことは総合的な考え方です」
「飴袋はプラスチックでしょ。燃やせるゴミじゃあないよ」
「何の為の分別か、しっかりと考えることが重要なのです」
「飴袋はプラでしょ」。 私の思惑に反して、正面からグイグイ押してくる。
「プラでもいいし、燃やせるごみでもいいのです」
「それじゃあ、分別にならないじゃない!」
こんなことではへこたれないぞ! 私には二の矢三の矢がある。 最後のよりどころは屁理屈だ。
「分別の目的は資源をリサイクルして有効に活用することにあります。 プラスチック、紙、ペットボトル、缶などを、資源として活用するために分別するのです」
「だから、キチンと分けなきゃ、ダメなのよ~」
「しかし、燃やせるゴミは資源としての活用は二の次です。 プラスチックやビニールが、少しくらい混ざってもいいのです」
「ダメ! プラは無料だけど、燃やせるごみは有料なんだからね」
「有料と言っても、飴袋は、丸めれば米粒くらいですよ」
「もっと大きいよ。チリと比べれば、うんと大きいじゃない」
「チリ?」
「うんと大きいの」
「そんなに?」
「山みたいに大きいの」
「まさか?」
「チリも積れば山となる」
迷ったら 見る見るしよう ゴミ辞典 nakapa苦し紛れの川柳
クイズの正解はゼロ。 インクリボン、残飯、卵の殻、カセットテープ、野菜のくず、乾燥剤、DVD、カツラ(付け毛)。
いずれも「燃やせるごみ」です。 『札幌市新ごみ分けガイド・分別辞典』で調べました。
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のん子 大変ですねって私も奥様と似た所が有るのでチョット反省(^^ゞ
でも口喧しく言ってるわりには怒ってるわけではなくて、それ位言っておかないと私が先に逝ったら困るだろうしみたいな?
夫は最初は右から左、2,3度同じこと繰り返してやっと改善なので、こちらも慣れてしまいましたが(笑)
イチゴとリンゴの館 何だか朝から漫才を聴いている様で、楽しかった~(*^。^*)
何て退屈しないご夫婦なんでしょう・・・
平和で結構です!ご馳走様\(^o^)/
のん子さんへ
nakapa 幾つになっても、お互いに注意しあうことは大切ですね。
年をとればとるほど、大切になってくると思います。
旦那さんも口に出さなくても感謝していると思います。
ホントに夫は手がかかりますね。世の中の夫を代表してお詫びします。
イチゴとリンゴの館さんへ
nakapa そうですね。家の中に笑いがあるのが好きです。
漫才になれば、いいのですが、私が我家の
笑わせ役です。 外に出れば真面目人間ですが…。
nonko-mn 夫婦喧嘩の出来る幸せって所かな(=^ε^= )
此方に越す前に済んでいた頃お隣の奥さんが「nonkoちゃんは良いね家の父さんときたら・・・・」始めはウンウンと聞いていた私「じゃぁお父さん貸してよ」って言ったら、「何すんのさ家の父さんにぃ」と目を吊り上げてきた。
「ウン私そのム~~ッとすることやって見たいのさ」って言ったら「やらしぃっ」って怒ってそれから愚痴言わなくなったわ(* ^)3<―_‐;)。
私の所はnakapaさんの所と逆だったわ。
私もQPさんみたいにしてみた~い。
アハ無いもの強請りです。(ねだりって読めないわねこれなら)
nonko-mn さんへ
nakapa 確かに幸せなことだと思います。他所の人とケンカできませんから。
>「何すんのさ家の父さんにぃ」と目を吊り上げてきた。
「そんなに大事なご亭主なら、鍵かけてしまって置きな」とか言わないのですか。
怖いですね。ウッカリ冗談言えませんね。
引越して、今は近所じゃない。好かったです。
判断基準が間違っていた。
ひよどり 「燃やせるか燃やせないか」と、「リサイクルできるかできないか」を、私は間違っていました。
たとえば、インクリボンは燃やせないから分別するのではなく、リサイクルするために分別するということなのですね。
私はこの種の考えが甘く、常にカミさんの考えで動いております。
「あれ、○×はどうするんだっけ?」
「△■は資源ゴミ・・?」
万事この調子なので、私の整理学は一向に向上しません。
これもまた、困ったわが家の現実です。
ひよどりさんへ
nakapa 札幌市は、この7月でゴミの有料化が始まりました。
今までのやり方と大きく変わったのです。
それで、ゴミ問題を取り上げてみました。私もごみのことには、
無関心でしたが、有料になって初めて関心をもった次第です。
「新ごみ分けガイド・分別辞典」なるものを初めて読みました。
今晩は~♪
空見 ゴミが有料化に?進んでいますね、札幌!
そうすると、こちらはアバウトな分別でも許されておりますです(^^ゞ
とにかくあまりゴミを出さない、省エネ・エコ生活が宜しいようで。。
わが家は細かいことを言っても覚えてくれないので、何でも後で私が(黙って)分別しています。
お写真は河鵜ですね、翼を広げて乾かしているのですね、とても可愛いですね。私もたまに見ている光景です。カラスがバカ~にして見ているのかな?^^
>迷ったら 見る見るしよう ゴミ辞典 nakapa苦し紛れの川柳
なかぱさん、今度うちの方にも投稿してください(またいつか募集しますよ~)( ̄∀ ̄*)イヒッ
mitchi-jul コメントが遅れてしまいました。
『札幌市新ごみ分けガイド・分別辞典』で調べました。
プリンタ交換で、古いプリンタの処理は
まだでした。 有料ですね。
「迷ったら 見る見るしよう ゴミ辞典 nakapa苦し紛れの川柳」
これからは、nakapaさんの川柳を思い出すで
しょう。
有難うございます。
選挙に注目で、遅くなりました。
二人暮らしは本当に難しい。原告と被告だけで裁判官がいないのだから…。 裁判員制度も発足したことだし、家の中にも裁判員がほしい。どなたかなってくれないかな~。
QPには訛りがある。「ひ」のつもりで「し」と言うのだ。 例えば東区は「しがしく」。 東京の人は飛行機のことを「しこうき」と言うそうだが、そんなものではない。 なんでも「し」にしてしまうのだ。
朝の食事はテレビを消して話しながらとる。 私は食べるのが遅いので、QPは食べ終わると、食卓に新聞をもって来て読む。 それでもおしゃべりは止めない。 私は食べながら、QPは読みながら。 愉しいおしゃべりだが、ときには諍いの元になる。
「暗い道を一人で歩くから、しがいにあうんだよ」
「暗い道で死骸に遭ったら、ビックリしたでしょうね」
「”しがい” じゃないの。”しがい” だよ。 引ったくりされたんだよ」
本人は「ひ」と「し」と区別しているつもりだから、私の聞き方が悪いと怒るのだ。
引ったくりと、最初に言ってくれれば、私にも分かるのだ。 もちろん、そんな配慮はない。 本人は被害と死骸を区別して話していると信じて疑わない。悪いのは、いつも私だ。
「被害ですね。ごめんなさい。 そうですね。ちょっと不注意かも知れませんね」
長い付き合いだから、判別できてもいいはずだ。 90%は分かるのだが、100%は難しい。 状況に足をひっぱられるのだ。 このときは新聞を読みながら言った。 それが誤解の元だった。
よく言われることだが、「犬が人を噛んでもニュースにならないが、人が犬を噛めばニュースになる 」。 私に言わせれば「暗闇で死骸に躓けばニュースだが、暗闇で引ったくりに遭ってもニュースではない」
新聞を読みながら話しかける以上、「珍しい話に違いない」という、先入観があった。 こんな当たり前のことを話題にするなと言いたい。 私はもっと面白い話をしたくてウズウズしているのだ。

「幸せの卵」札幌コンサートホール・キタラ前広場 8月6日撮影
ところで、二人の予定表を居間のカレンダーに書き込むことにしている。 それを見て、その日の予定を確認するのが毎朝の習慣だ。
「しげ10時って、なんですか?」
「10時に顔を剃りに行くんだよ」と、QP。
「それでしたら『ひげ』でしょう。 なまってますよ」
「私は しょうじゅんご! あんたの耳が悪いんだよ」
「だけど、ここに『しげ』と書いてあります」
「『カットハウスしげ』に行くの。お店の名前だよ」
「そうですか。分かりました」
「あんた目も耳も悪いね。病院行った方がいいんじゃない」
「目、耳、鼻、口、頭などの部品が顔をつくっているのですよ」
「なに?」
「部品が悪いから、顔が悪いんですよ」
「叉、そんなこと行ってぇ。 しがむんじゃないよ!」
「……?」
ひょっとして、悪いのは私の耳だろうか?
QPには訛りがある。「ひ」のつもりで「し」と言うのだ。 例えば東区は「しがしく」。 東京の人は飛行機のことを「しこうき」と言うそうだが、そんなものではない。 なんでも「し」にしてしまうのだ。
朝の食事はテレビを消して話しながらとる。 私は食べるのが遅いので、QPは食べ終わると、食卓に新聞をもって来て読む。 それでもおしゃべりは止めない。 私は食べながら、QPは読みながら。 愉しいおしゃべりだが、ときには諍いの元になる。
「暗い道を一人で歩くから、しがいにあうんだよ」
「暗い道で死骸に遭ったら、ビックリしたでしょうね」
「”しがい” じゃないの。”しがい” だよ。 引ったくりされたんだよ」
本人は「ひ」と「し」と区別しているつもりだから、私の聞き方が悪いと怒るのだ。
引ったくりと、最初に言ってくれれば、私にも分かるのだ。 もちろん、そんな配慮はない。 本人は被害と死骸を区別して話していると信じて疑わない。悪いのは、いつも私だ。
「被害ですね。ごめんなさい。 そうですね。ちょっと不注意かも知れませんね」
長い付き合いだから、判別できてもいいはずだ。 90%は分かるのだが、100%は難しい。 状況に足をひっぱられるのだ。 このときは新聞を読みながら言った。 それが誤解の元だった。
よく言われることだが、「犬が人を噛んでもニュースにならないが、人が犬を噛めばニュースになる 」。 私に言わせれば「暗闇で死骸に躓けばニュースだが、暗闇で引ったくりに遭ってもニュースではない」
新聞を読みながら話しかける以上、「珍しい話に違いない」という、先入観があった。 こんな当たり前のことを話題にするなと言いたい。 私はもっと面白い話をしたくてウズウズしているのだ。

「幸せの卵」札幌コンサートホール・キタラ前広場 8月6日撮影
ところで、二人の予定表を居間のカレンダーに書き込むことにしている。 それを見て、その日の予定を確認するのが毎朝の習慣だ。
「しげ10時って、なんですか?」
「10時に顔を剃りに行くんだよ」と、QP。
「それでしたら『ひげ』でしょう。 なまってますよ」
「私は しょうじゅんご! あんたの耳が悪いんだよ」
「だけど、ここに『しげ』と書いてあります」
「『カットハウスしげ』に行くの。お店の名前だよ」
「そうですか。分かりました」
「あんた目も耳も悪いね。病院行った方がいいんじゃない」
「目、耳、鼻、口、頭などの部品が顔をつくっているのですよ」
「なに?」
「部品が悪いから、顔が悪いんですよ」
「叉、そんなこと行ってぇ。 しがむんじゃないよ!」
「……?」
ひょっとして、悪いのは私の耳だろうか?
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フラダン ナカパさん、可笑しくって、可笑しくって!!
夜中に一人で笑ってしまいました。
QPさんの「ひ」と「し」が同じなの、、それ良く
判ります。私もそうだからです、「さしすせそ」
「はひふへほ」が特に弱いです、でも此れって
QPさんが悪いのでは無く育った所(故郷)が悪いのよ^~(爆笑)
こまどり nakapaさん、ほんとおかしい!!
きょうもまた、映画のワンカットを見ている感じで。西田敏行と希木キリンの会話きいてるみたい。
nonko-mn 笑えるねぇ~~可笑しくて可笑しくて
泣きました。笑っても涙って出ますねぇ。
江戸っ子と蝦夷っ子の会話でもそうなりますかぁ~アァ可笑しい。
裁判員さんがnakapa家に居たら悩むんじゃないかしら・・・(*^ー°v
ちゃちゃ なかぱさん、おはようございます。
私も一つだけなまります。「潮干狩り」を「ひおしがり」と言ってしまうのです。子どものころからのようで、これだけは未だに直りません。今年は久々に「潮干狩り」に行く予定があったので、この「ひおしがり」を連発し、友人に「またあ~」と何度も指摘されました。ちなみに私は東京の郡部育ちです。
おーりーおばさん 朝からおもしろいエッセイをありがとうございます。なまりですか。多分わたしもあると思います。
本人が気がついてないだけで・・・
「幸せの卵」いいですね♪
のん子 奥様の問いにちゃんと、お返事されるってスゴイです!
うちも私が一方的に喋りますが返事は殆どありません、が、何時ものことなんで気にもしません(笑)
きっと独り言言ってると思ってるんでしょうね?
でも大事なことは返事を催促しますが(後で言った、聞かなかったの押し問答になりますので)
反対の立場なら辞書を片手に徹底的に追求してしまいそうですが(^^ゞ
なかぱさん、優しいです~♪
OSS025 私たち夫婦は夫が鹿児島で、私は道産子です。
時々変だなぁと思うことがありますよ。
でもあまり指摘するのも、揚げ足を取るようでよくないですし、聞いている側は気になるでしょうし、困りますね。
でもnakapaさんとQPさんの会話、皆さんに受けてますね。
ほんと!笑ってしまいますよね~。
フラダンさんは
nakapa 可笑しかったですか。 夜中まで笑ってくれて有難うございました。
QPは、浜育ちですから、なまりがあります。
しかし、昔と違って方言と呼ばれる地方言語は文化として尊重されています。
それに標準語という言葉は無くなりましたね。 今は共通語です。
共通理解に便利な言葉のイメージしかありません。
それに比べて方言は温かさがあっていいですね。
こまどりさんへ
nakapa 映画のワンカットのようですか。そう言えば映画は、
子供のころから大好きでした。
よく、現実の延長線上で空想を広げていました。
その先に映画があったような気がします。
過分なコメント有難うございました。
nonko-mn さんへ
nakapa 「泣きました」とは、初めてのコメントです。
コロンブスの卵のようなものです。たいしたものですよ。
裁判員は間違いでした。レフリーが必要ですね。
二人暮らしの口喧嘩はエンドレスですから…。
もし、あなたの奥様(旦那様)が「散歩がてらにパンを買いに行きましょう」とおっしゃったら、あなたはどう答えるでしょうか? 多分「いいよ」とか、いい加減な返事をするでしょう。
それではいけない! 散歩に行くのか、パン屋に行くのか、ハッキリさせなければいけないのだ。 この曖昧な誘いを確かめもしないで、QPと一緒に出かけてエライ目に遭った。
その日は友人の家に遊びに行く約束だったが、先方の都合でキャンセルすることになった。 電話でのやりとりが、QPにも聞こえたようだ。
「振られちゃったのね。 一緒に散歩にでも行こうか」
「ありがとう。 でも、気にかけてくれなくてもいいですよ」
家にいたってやることはいっぱいある。できれば散歩などには行きたくない。 旅行でも散歩でもQPと一緒に歩けば、ろくなことにはならない。私は懲りているのだ。
「美味しいパン屋さんがあるんだって。散歩がてらに、のぞいてみない」
「そうですか。いいですね」
「パンを買って、お昼に食べよぅ」
二人暮らしを快適にするには、付き合いも大切だ。 運動不足の解消にもなるし、パンを買えば昼食作りの手も抜ける。 断れば角が立つだろう。
「往復1時間くらいかかるから、いい運動になると思うよ」
そのくらいの散歩ならたいしたことは起こらないだろう。 パンを買うというハッキリした目的があるのだから安心してもいいだろう。
30分程度のウォーキングで目的の住所に着いたが、QPは辺りをキョロキョロしだした。 パン屋の場所を知らないようだ。 なんと! 自分のカンで歩き出してしまったではないか。 これではついて行く方はたまらない。
「知らないのですか? 言ってくれればインターネットで調べてあげたのに」
「そんなこと、行く前に言わなくちゃあダメじゃない」
「知ってると思ったのですよ」
「そんなこと言ってないでしょ。 私が探すからいいの!」
探すといってもQPは闇雲に歩き回るだけだから、いつ見つかるか分かりゃしない。 仕方がないので私が探すことにした。 「住所とパン屋の名前を教えて下さい」。
先ずは人に聞くことにしたが、なかなか見つからない。やっと一人、中年の女性が通りかかったので聞いてみたが、「分からない」という。どうも目立つ所にはないらしい。 メインストリートではなく脇道にあると見当をつけた。
順々に脇道を見て歩き、ようやく店らしい建物を見つけた。
「あそこまで行ってみましょう」
「パン屋さんらしくないよ」
「ともかく、行ってみましょう。 他に店らしい格好をしている家はないのですから」
近づいてみると、建物の横には店名らしい4文字のアルファベットが書いてある。 店構えは階段を少し上がると真ん中に大きな扉。中ほどに「OPEN」と書いてある。 両側には小さな窓が一つずつあるが、中は暗くてよく見えない。
窓には「コーラスの練習案内」の張り紙が貼ってあった。 パン屋を表すような文字や絵は、一切見当たらない。 扉は大きくて重そうだ。開けるには少し勇気がいる。
しかし、目をこらしてよく見ると、皿のようなものが見える。 それにQPが言った店名が、この建物に書いてあるアルファベットに似ている。 どうも、ここがお目当てのパン屋らしい。
「どうやら、ここらしいですね。 入りましょう」
「いいよ。帰ろう」
「さんざん探して、やっと見つけたのですよ!」
「扉が閉まっているし、休みだよ」
「開いてますよ。ここに書いてあるでしょ」。 OPENと書いてある。
「散歩だって言ったでしょ! 帰るよ」
大きな重いドアを開けてみると。 クロワッサンなどのパンが山積みになっているのが見えた。
「ほら、パン屋でしょ。 入りましょう」
「散歩に来たんだから入らなくていいの!」
QPは、さっさと歩き始めた。 こんなとき、勝手な行動をとると後が怖い。 不本意ながら、黙々とついて行った。
行きがけに「今日のお昼はパンにしようね」と言っていたが、昼食はどうなるんだろう。 歩き方が凄く早い。 ついて行くのが精一杯だ。
家に着くとクタクタになった。 ベッドに横たわると、そのまま寝込んでしまった。 目が覚めると誰もいない。 QPは出かけたらしい。 腹減ったなと思って台所に行くと、「赤いキツネ」が一つ置いてあった。

札幌市中島公園、鴨々川水遊び場 2009年5月2日
あれから半月もたった朝の食卓で…、
「このクロワッサンあまりおいしくないですね」と、私。
「この間、ケンカしたパン屋のなら美味しかったのよ。 なんで入らなかったの?」
「入ろうといったのに、あなたが帰ろうと言ったでしょう」
「なによ!インターネットがナンタラカンタラ言ったくせに道を間違えて、人をアチコチ連れまわしてさ」
”ああ、やんなっちゃうな”半月の間にQPの頭の中では、なにもかもが あべこべになってしまっている。 自分の都合のいい方に記憶が自動的に修正されていくのだ。
私も欲しい! 自分の都合のいい方向に、記憶を自動修正できる能力を…。
あなたも欲しいですか? ほしい人は手を挙げて下さい(笑)。
お金持ちや良家の奥様の為に説明します。 「赤いキツネ」は安くて人気のあるカップ麺です。 お腹ペコペコのとき食べると、とても美味しいですよ。
それではいけない! 散歩に行くのか、パン屋に行くのか、ハッキリさせなければいけないのだ。 この曖昧な誘いを確かめもしないで、QPと一緒に出かけてエライ目に遭った。
その日は友人の家に遊びに行く約束だったが、先方の都合でキャンセルすることになった。 電話でのやりとりが、QPにも聞こえたようだ。
「振られちゃったのね。 一緒に散歩にでも行こうか」
「ありがとう。 でも、気にかけてくれなくてもいいですよ」
家にいたってやることはいっぱいある。できれば散歩などには行きたくない。 旅行でも散歩でもQPと一緒に歩けば、ろくなことにはならない。私は懲りているのだ。
「美味しいパン屋さんがあるんだって。散歩がてらに、のぞいてみない」
「そうですか。いいですね」
「パンを買って、お昼に食べよぅ」
二人暮らしを快適にするには、付き合いも大切だ。 運動不足の解消にもなるし、パンを買えば昼食作りの手も抜ける。 断れば角が立つだろう。
「往復1時間くらいかかるから、いい運動になると思うよ」
そのくらいの散歩ならたいしたことは起こらないだろう。 パンを買うというハッキリした目的があるのだから安心してもいいだろう。
30分程度のウォーキングで目的の住所に着いたが、QPは辺りをキョロキョロしだした。 パン屋の場所を知らないようだ。 なんと! 自分のカンで歩き出してしまったではないか。 これではついて行く方はたまらない。
「知らないのですか? 言ってくれればインターネットで調べてあげたのに」
「そんなこと、行く前に言わなくちゃあダメじゃない」
「知ってると思ったのですよ」
「そんなこと言ってないでしょ。 私が探すからいいの!」
探すといってもQPは闇雲に歩き回るだけだから、いつ見つかるか分かりゃしない。 仕方がないので私が探すことにした。 「住所とパン屋の名前を教えて下さい」。
先ずは人に聞くことにしたが、なかなか見つからない。やっと一人、中年の女性が通りかかったので聞いてみたが、「分からない」という。どうも目立つ所にはないらしい。 メインストリートではなく脇道にあると見当をつけた。
順々に脇道を見て歩き、ようやく店らしい建物を見つけた。
「あそこまで行ってみましょう」
「パン屋さんらしくないよ」
「ともかく、行ってみましょう。 他に店らしい格好をしている家はないのですから」
近づいてみると、建物の横には店名らしい4文字のアルファベットが書いてある。 店構えは階段を少し上がると真ん中に大きな扉。中ほどに「OPEN」と書いてある。 両側には小さな窓が一つずつあるが、中は暗くてよく見えない。
窓には「コーラスの練習案内」の張り紙が貼ってあった。 パン屋を表すような文字や絵は、一切見当たらない。 扉は大きくて重そうだ。開けるには少し勇気がいる。
しかし、目をこらしてよく見ると、皿のようなものが見える。 それにQPが言った店名が、この建物に書いてあるアルファベットに似ている。 どうも、ここがお目当てのパン屋らしい。
「どうやら、ここらしいですね。 入りましょう」
「いいよ。帰ろう」
「さんざん探して、やっと見つけたのですよ!」
「扉が閉まっているし、休みだよ」
「開いてますよ。ここに書いてあるでしょ」。 OPENと書いてある。
「散歩だって言ったでしょ! 帰るよ」
大きな重いドアを開けてみると。 クロワッサンなどのパンが山積みになっているのが見えた。
「ほら、パン屋でしょ。 入りましょう」
「散歩に来たんだから入らなくていいの!」
QPは、さっさと歩き始めた。 こんなとき、勝手な行動をとると後が怖い。 不本意ながら、黙々とついて行った。
行きがけに「今日のお昼はパンにしようね」と言っていたが、昼食はどうなるんだろう。 歩き方が凄く早い。 ついて行くのが精一杯だ。
家に着くとクタクタになった。 ベッドに横たわると、そのまま寝込んでしまった。 目が覚めると誰もいない。 QPは出かけたらしい。 腹減ったなと思って台所に行くと、「赤いキツネ」が一つ置いてあった。

札幌市中島公園、鴨々川水遊び場 2009年5月2日
あれから半月もたった朝の食卓で…、
「このクロワッサンあまりおいしくないですね」と、私。
「この間、ケンカしたパン屋のなら美味しかったのよ。 なんで入らなかったの?」
「入ろうといったのに、あなたが帰ろうと言ったでしょう」
「なによ!インターネットがナンタラカンタラ言ったくせに道を間違えて、人をアチコチ連れまわしてさ」
”ああ、やんなっちゃうな”半月の間にQPの頭の中では、なにもかもが あべこべになってしまっている。 自分の都合のいい方に記憶が自動的に修正されていくのだ。
私も欲しい! 自分の都合のいい方向に、記憶を自動修正できる能力を…。
あなたも欲しいですか? ほしい人は手を挙げて下さい(笑)。
お金持ちや良家の奥様の為に説明します。 「赤いキツネ」は安くて人気のあるカップ麺です。 お腹ペコペコのとき食べると、とても美味しいですよ。
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フラダン 読んでて可笑しくってニヤニヤしちゃった!
私も最近は記憶が曖昧で、自信がないのです、、、
それにしてもナカパさんは優しいのですね、
QPさんに敬語ですもの、我家だったら怒って
サッサと帰るのは夫かも知れないわ、、
カップヌードルはあまり食べないけど
お金持ちでも、良家の奥様でもないので
「赤いキツネ」は良く知ってるわよ(^^ゞ
ちゃちゃ は~い!私は両手をあげます!お二人の様子が目に見えるようで、一人暮らしをしている私にはほほえましくも、羨ましくも思えます。フィクション?ノンフィクション?どちらにしても今の時代の典型的な中高年夫婦のお話ですね。この後はどうなったのか、続きも楽しみです。
おーりーおばさん 楽しい生活ですねえ。
我が家も似たようなものです。
もちろんQPキャラはわたしです。
わたしもQPさんの能力バッチリ
持ってますよ(笑)
こまどり フフフフ・・・・。二人の光景が目にうかんできます。映画をみているように面白いです。QPさんの我がままなところが あるから ドラマになっておもしろいんですよね。あまりにできた女房だったら
面白くないでしょうねー。
我が家の老夫婦は 行く前に喧嘩になって 空中分解です。
フラダンさんへ
なかぱ いつもコメントありがとうございます。
記憶が曖昧というと、ひょっとして、自動修正能力をもっていらっしゃる(笑)。
結婚して10年くらいしたとき、「おまえ」と言ったら叱られたので
それ以来、言葉遣いには気をつけています。
カップヌードル、カップ麺、赤いきつねの区別がつかないフラダンさんは
やはり、上流家庭の方です(笑)。
「400円しませんよ」。このギャグが分からなければ首相夫人に格上げです。
ちゃちゃさんへ
なかぱ 両手をあげて頂き、ありがとうございます。
「ほほえましくも、羨ましくも」と善意に解釈して頂いて感謝します。
しかし、現実には悔しくて、鬱陶しく感じています。
自慢にはならないのですが、ノンフィクションです。
クロワッサンの話は三日前の朝食でのことです。
画像の前の部分は前からメモしていたものですが、
クロワッサンの話が出てブログに発表する気になりました。
おーりーおばさん へ
なかぱ そうですか。おーりーさんも楽しい生活ですね。
ご主人様も出来た お方です。 図らずも自画自賛になってしまいました。
この自動修正能力をもっていれば、明るくなれますから、
その結果は家庭の幸せにつながると思います。
私ももっているかも知れません。気がつかないだけで…。
こまどりさんへ
なかぱ 空中戦をやるなら、マクラや座布団でお願いします。
まちがっても、茶碗やお皿は使わないで下さい(笑)。
空中分解でしたか。失礼しました。同じようなものですね。
お陰さまで静かで穏やかな晩年です。ストレスと言ってもこのくらいです。
この程度のストレスがなくなったら、それこそ危ないですね。
何事も健康に役立っています。 趣味にもね。
フラダン 「400円しませんよ」にしばらく??でしたが私も並の主婦ですから、多分これらの
インスタント麺の合計金額ではと思っておりますが(ピンポン~)(・・?
残念ながら、首相夫人に格上げにはならなかった様ですが、気ままな夫と気ままな私が
この上なく幸せです、、、ナカパさんと一緒よ、、、(^_-)-☆
OSS025 なかぱさんの記事は、対話形式なのでリアリティーがあって面白いですね。
ところで奥様はこれを見ていらっしゃらないのですよね。
ご覧になったらクレームがつくのでは?
ちなみにうちの場合、夫が私のことを人様に話していることは、事実と違うことが多いのです。
>自分の都合のいい方に記憶が自動的に修正されていくのだ。
まさにそうなのです!
つまり我が家は、なかぱさんのお宅と逆ということになります。
退職して間もないA氏は私より7歳若い。長年連れ添った奥さんとうまく行ってないらしい。
私にも経験がある。 今では楽しく暮らしている私としては、いろいろ助言をしてあげたい。先ずは話を聞いてあげること、これが第一歩だ。
「皮肉なことに奴隷の僕は、主人と呼ばれているんですよ」
「いいじゃないですか。主人なんだから」
「二人だけの生活は、主人対奴隷の生活だということが、退職してやっと分かりました」
「と、言うと?」
「リーダーは一人じゃないとダメなのです」
「主人なんでしょ」
「主人になりそこなった私は、奴隷になるしか生きる道はないのです」
「そうですか! 思いつめない方がいいですよ」
「恋の奴隷と言う歌がありましたね。今なら意味が分かりますよ」
「分かるんですか。私には分かりませんが…」
「モテる人は得ですね。 本人が意識している以上に得ですよ。逆にモテない人は一生の損です。毎日が損の積み重ねなんですよ」
「ただの、ひがみじゃないですか。…恋の奴隷?」
「いえいえ、トンデモナイです。ただの奴隷です。ヒラです」
「会社辞めたんだから、ヒラとか上司とか、主人と奴隷とか言うの止めたほうがいいですよ」
「だからと言って諦めてはいません。損して得をとる手があるんですよ。 利口な奴隷が愚かな主人を操ることもできるのです」
「ずいぶんこだわりますね。勝手にしてください」
「柳で暮らせ と、いいますね」
「柳の下で、ホームレス?」
「風に逆らわずに受け流している柳が、強風にも折れないようにですね、堅苦しく考えたり抵抗したりしないで暮らすのがいいと思うのです。肩肘はらず、気楽に行こうと思っているのですよ」
「ムリしないでください。台風で一番よく倒れたのが柳ですよ」

2004年9月8日台風第18号が中島公園を襲う。
私にも経験がある。 今では楽しく暮らしている私としては、いろいろ助言をしてあげたい。先ずは話を聞いてあげること、これが第一歩だ。
「皮肉なことに奴隷の僕は、主人と呼ばれているんですよ」
「いいじゃないですか。主人なんだから」
「二人だけの生活は、主人対奴隷の生活だということが、退職してやっと分かりました」
「と、言うと?」
「リーダーは一人じゃないとダメなのです」
「主人なんでしょ」
「主人になりそこなった私は、奴隷になるしか生きる道はないのです」
「そうですか! 思いつめない方がいいですよ」
「恋の奴隷と言う歌がありましたね。今なら意味が分かりますよ」
「分かるんですか。私には分かりませんが…」
「モテる人は得ですね。 本人が意識している以上に得ですよ。逆にモテない人は一生の損です。毎日が損の積み重ねなんですよ」
「ただの、ひがみじゃないですか。…恋の奴隷?」
「いえいえ、トンデモナイです。ただの奴隷です。ヒラです」
「会社辞めたんだから、ヒラとか上司とか、主人と奴隷とか言うの止めたほうがいいですよ」
「だからと言って諦めてはいません。損して得をとる手があるんですよ。 利口な奴隷が愚かな主人を操ることもできるのです」
「ずいぶんこだわりますね。勝手にしてください」
「柳で暮らせ と、いいますね」
「柳の下で、ホームレス?」
「風に逆らわずに受け流している柳が、強風にも折れないようにですね、堅苦しく考えたり抵抗したりしないで暮らすのがいいと思うのです。肩肘はらず、気楽に行こうと思っているのですよ」
「ムリしないでください。台風で一番よく倒れたのが柳ですよ」

2004年9月8日台風第18号が中島公園を襲う。
ブログを書き始めてから1年たつ。 面白いと言ってもらえれば、とても嬉しい。 実は、もっと嬉しいことがあるのだ。 書き始めてから、ストレスの多い二人暮らしが徐々に穏やかになってきたのである。
以前は、QPとケンカして、負けて自室にこもり、うっぷんを晴らす為、よくブログを書いたものだ。 しかし、半年もたつとケンカが楽しくなってきた。 ブログのネタになることが分かったからだ。 ケンカが終わると、忘れないようにメモを書くようになった。
ネタも欲しいが、穏やかな暮らしも大切だ。 QPのいいところはパソコンに絶対触らないことだ。 だから自由に書ける。
他の人の場合はそうは行かない。 皆さん、パソコンを持っているしネットにも繋いでいる。 自由に書けるわけがない。 まるで言論統制下にあるような気分だ。
家庭の平和も痛し痒しだ。 ケンカもほとんどしなくなり、ブログを書くために7年前まで遡らなければならなくなってしまった。 こうして書いたのが「巧みに操る夫婦舟」である。 しかし、大波去っても小波は来る。
朝の食事はテレビを消して、二人で会話をしながら食べるのが習慣だ。 もう5年も続いている。 しかし、毎回が楽しい朝食というわけには行かない。未だに小競り合いはあるのだ。
「バカなタレントがいるのよ。九九が分からないんだって。アハハハハ~」
「タレントは才能とか、人材の意味です。バカなタレントなどいませんよ」
「テレビでみたんだもの。ホントだよ」
私の言うことよりテレビの方を信じるのだから嫌になってしまう。放送局には、視聴率を上げなければならない事情がある。 しかし、私には何の事情もない。常に正しい意見を主張できる立場にある。少なくとも家の中では…。
QPの間違った意見を聞くわけにも行かないが、私が正しいことを言えば、たちまちケンカになる。 たいていの場合は話題を変えて、その場を凌ぐ。
「そうですか。 このトマト美味しいですね」
「うん、甘いでしょ」
こうすれば直ぐに治まることは分かっているが、止められないときもある。
「タレントはカメラに向って自分の役を演じているのです」
「クイズ番組だよ」
「クイズでもインタビューでも同じです。 タレントは役を演じるものです」
「10問、全部はずれだよ」
「それこそ知識のある証拠です」
「…?」
「知識がなければ、全部外すことはできません」
QPはいかなる場合も、自分が言ったことは最後まで言い通す。 修正することは絶対にない。
「そんなことないよ。 知らないから全部外れるのに決まっているじゃない」
「今から、問題を10問だしますから、全部間違えてください」
「私、間違えるのは嫌いだよ」
「自分が言っていることが正しいと言うなら、やってみて下さい」
「そんなのダメだよ。ご飯を食べながら頭を使うと、食べたものが栄養にならないんだよ。 そんなことも知らないの」
ここがケンカになるか、ならぬかの分岐点、。 攻めるなら徹底的に攻めてギャフンと言わさなければならない。 しかし、それは無理。 昔だったらスーパーマンに来てもらうところだが、今はどなたにお願いすればいいんでしょうね。
はぁ、オトコはつらいな~。 やっぱしブログに書いちゃお!
2008/12/2
以前は、QPとケンカして、負けて自室にこもり、うっぷんを晴らす為、よくブログを書いたものだ。 しかし、半年もたつとケンカが楽しくなってきた。 ブログのネタになることが分かったからだ。 ケンカが終わると、忘れないようにメモを書くようになった。
ネタも欲しいが、穏やかな暮らしも大切だ。 QPのいいところはパソコンに絶対触らないことだ。 だから自由に書ける。
他の人の場合はそうは行かない。 皆さん、パソコンを持っているしネットにも繋いでいる。 自由に書けるわけがない。 まるで言論統制下にあるような気分だ。
家庭の平和も痛し痒しだ。 ケンカもほとんどしなくなり、ブログを書くために7年前まで遡らなければならなくなってしまった。 こうして書いたのが「巧みに操る夫婦舟」である。 しかし、大波去っても小波は来る。
朝の食事はテレビを消して、二人で会話をしながら食べるのが習慣だ。 もう5年も続いている。 しかし、毎回が楽しい朝食というわけには行かない。未だに小競り合いはあるのだ。
「バカなタレントがいるのよ。九九が分からないんだって。アハハハハ~」
「タレントは才能とか、人材の意味です。バカなタレントなどいませんよ」
「テレビでみたんだもの。ホントだよ」
私の言うことよりテレビの方を信じるのだから嫌になってしまう。放送局には、視聴率を上げなければならない事情がある。 しかし、私には何の事情もない。常に正しい意見を主張できる立場にある。少なくとも家の中では…。
QPの間違った意見を聞くわけにも行かないが、私が正しいことを言えば、たちまちケンカになる。 たいていの場合は話題を変えて、その場を凌ぐ。
「そうですか。 このトマト美味しいですね」
「うん、甘いでしょ」
こうすれば直ぐに治まることは分かっているが、止められないときもある。
「タレントはカメラに向って自分の役を演じているのです」
「クイズ番組だよ」
「クイズでもインタビューでも同じです。 タレントは役を演じるものです」
「10問、全部はずれだよ」
「それこそ知識のある証拠です」
「…?」
「知識がなければ、全部外すことはできません」
QPはいかなる場合も、自分が言ったことは最後まで言い通す。 修正することは絶対にない。
「そんなことないよ。 知らないから全部外れるのに決まっているじゃない」
「今から、問題を10問だしますから、全部間違えてください」
「私、間違えるのは嫌いだよ」
「自分が言っていることが正しいと言うなら、やってみて下さい」
「そんなのダメだよ。ご飯を食べながら頭を使うと、食べたものが栄養にならないんだよ。 そんなことも知らないの」
ここがケンカになるか、ならぬかの分岐点、。 攻めるなら徹底的に攻めてギャフンと言わさなければならない。 しかし、それは無理。 昔だったらスーパーマンに来てもらうところだが、今はどなたにお願いすればいいんでしょうね。
はぁ、オトコはつらいな~。 やっぱしブログに書いちゃお!
2008/12/2
又、サトさんがやって来た。 退職したばかりの人はよっぽどヒマなんだな。 私のように無職を7年もやっていると、けっこう忙しいものだ。
何かにつけ頼まれごとが多くなってくる。 ボランティアといっても約束した以上は守らないと、信用にかかわる。おろそかには出来ないのだ。
「人生相談は、もう止めたよ」
「違うんです。今日は女房の悪口を言いに来たんです」
「そんなこと言いに、わざわざ来たのか」
「奥さんとケンカするんじゃないよ。愚痴ぐらい聞いてやるから。と言ったでしょう」
確かに言ったかも知れない。 しかし、バスと地下鉄乗り継いで、ホントに来るとは思わなかった。 かいつまんで言うと、こんな話だった。
「風が強くて寒い日に買物を頼まれた。 買物を書いたメモ書きを渡されたが、いつものように、メモ書きは見ないで財布と一緒にポケットに入れた。
スーパーに着き、買物開始。メモ書きの中に 『かにもどき』と書いてあったが、そんな品物はない。
一生懸命に手がかりを考えると、サラダに使うと言っていたことを思い出した。
さんざん探した挙句、『サラダに合う』と表示してある『かに風味』をカゴに入れた。 他にいくら探しても『かにもどき』というものは見つからない。
無いことを確認するのは、ある物を探すのに比べ、数倍の手間がかかる。さんざん探した後で諦めたのだ。
『もどき』『風味』『らしき』と続けば、私だって頼まれたものとは違うのではないかとの不安はもっている。 なにか嫌な予感がした。
リンゴ、牛乳、ジュース、醤油など重いものをいっぱい持って、雨混じりの強風の中を歩き、やっと家に着いた。
『遅かったじゃない。寄り道でもしてたの』と言いながら女房が受け取った。
買物を頼まれるのは天気が悪いときか、重いものを買う必要があるときだ。 今日は両方重なって少々辛かった。
しかし、案の定『かに風味』を見ると嫌な顔をした。 こうゆう予想は当たれば当たるほど傷つくものだ。『これ違うじゃない』と聞くと更にガックリくる。
人に買い物を頼んでおきながら、『かにもどき』という、どこにも無いようないい加減な品名を書いたことには、何の反省もない。
自分のイメージしたものと違うという、極めて自分勝手な理由で不機嫌になる。 更に、頼んだ物と違うといって文句を言うのだ。
正確に品名を書かなくては通じないとは言ってみたものの『私だったら分かるよ』と言われて押し切られてしまった。後はケンカしかないでしょ」
彼の愚痴はやっと終わった。
私の役目も終わってホッとした。
「奥さんだったら分かるだろうね」
「先輩だったら分かりますか」
「分かるわけないだろう」
「男はつらいですね」
「分かるよ」
2008/10/23
何かにつけ頼まれごとが多くなってくる。 ボランティアといっても約束した以上は守らないと、信用にかかわる。おろそかには出来ないのだ。
「人生相談は、もう止めたよ」
「違うんです。今日は女房の悪口を言いに来たんです」
「そんなこと言いに、わざわざ来たのか」
「奥さんとケンカするんじゃないよ。愚痴ぐらい聞いてやるから。と言ったでしょう」
確かに言ったかも知れない。 しかし、バスと地下鉄乗り継いで、ホントに来るとは思わなかった。 かいつまんで言うと、こんな話だった。
「風が強くて寒い日に買物を頼まれた。 買物を書いたメモ書きを渡されたが、いつものように、メモ書きは見ないで財布と一緒にポケットに入れた。
スーパーに着き、買物開始。メモ書きの中に 『かにもどき』と書いてあったが、そんな品物はない。
一生懸命に手がかりを考えると、サラダに使うと言っていたことを思い出した。
さんざん探した挙句、『サラダに合う』と表示してある『かに風味』をカゴに入れた。 他にいくら探しても『かにもどき』というものは見つからない。
無いことを確認するのは、ある物を探すのに比べ、数倍の手間がかかる。さんざん探した後で諦めたのだ。
『もどき』『風味』『らしき』と続けば、私だって頼まれたものとは違うのではないかとの不安はもっている。 なにか嫌な予感がした。
リンゴ、牛乳、ジュース、醤油など重いものをいっぱい持って、雨混じりの強風の中を歩き、やっと家に着いた。
『遅かったじゃない。寄り道でもしてたの』と言いながら女房が受け取った。
買物を頼まれるのは天気が悪いときか、重いものを買う必要があるときだ。 今日は両方重なって少々辛かった。
しかし、案の定『かに風味』を見ると嫌な顔をした。 こうゆう予想は当たれば当たるほど傷つくものだ。『これ違うじゃない』と聞くと更にガックリくる。
人に買い物を頼んでおきながら、『かにもどき』という、どこにも無いようないい加減な品名を書いたことには、何の反省もない。
自分のイメージしたものと違うという、極めて自分勝手な理由で不機嫌になる。 更に、頼んだ物と違うといって文句を言うのだ。
正確に品名を書かなくては通じないとは言ってみたものの『私だったら分かるよ』と言われて押し切られてしまった。後はケンカしかないでしょ」
彼の愚痴はやっと終わった。
私の役目も終わってホッとした。
「奥さんだったら分かるだろうね」
「先輩だったら分かりますか」
「分かるわけないだろう」
「男はつらいですね」
「分かるよ」
2008/10/23
七つ下の定年男性から相談を受けた。人生相談は大好きなので張り切ってしまった。
「あなたは一番よい選択をしましたね。 私に相談すれば問題は速やかに解決されるでしょう」
「退職して二人暮らしを始めて女房の正体が分かったのです。もう別れたいですね」
「心配いりません。 あんたは既に別れています」
「はぁ?」
「生まれてから現在に至るまでズ~ッと別れているじゃあないですか。 今更法律的に別れる必要などありません!」
「家庭内別居を勧めるんですか?」
「別居はお金がかかりますよ。あるんですか」
「う~ん? 家の中を二つに分けるとか…」
「バカなことは止めてください。小さな家を半分にしてどうするんですか! 不便になるだけですよっ」
「じゃあ、どうしたらいいんですか」
「今のままでいいのです」
「それが最悪だから、相談に来たんです。もう帰ります。
来るんじゃなかった」
「ちょっと待った!
問題を解決したいのなら、最後まで聞きなさい!!」
「いいですよ。最初から期待していなかったんですから、
ダメでもともとです。拝聴しましょ」
「奥さんは買物、サークルなど、よく外出しますね。その間あんたは一人でしょ。 あんたが外出すればあんたは一人。 書斎にこもればあんたは一人…。寝ているときもあんたは一人でしょ。 まさか一緒に寝たりしていないでしょうね?」
「いえいえ、とんでもない!」
「しっかりと別れているじゃあないですか。それ以上別れたって、自分の生活が不便になるだけですよ」
「何だか、はぐらかされているみたいですね」
「アンタが私を騙しているのですよ」
「はぁ?」
「奥さんと仲良くしたいのに、なっついてくれないものだから、別れたいとか言っちゃって♪」
2008/10/16
「あなたは一番よい選択をしましたね。 私に相談すれば問題は速やかに解決されるでしょう」
「退職して二人暮らしを始めて女房の正体が分かったのです。もう別れたいですね」
「心配いりません。 あんたは既に別れています」
「はぁ?」
「生まれてから現在に至るまでズ~ッと別れているじゃあないですか。 今更法律的に別れる必要などありません!」
「家庭内別居を勧めるんですか?」
「別居はお金がかかりますよ。あるんですか」
「う~ん? 家の中を二つに分けるとか…」
「バカなことは止めてください。小さな家を半分にしてどうするんですか! 不便になるだけですよっ」
「じゃあ、どうしたらいいんですか」
「今のままでいいのです」
「それが最悪だから、相談に来たんです。もう帰ります。
来るんじゃなかった」
「ちょっと待った!
問題を解決したいのなら、最後まで聞きなさい!!」
「いいですよ。最初から期待していなかったんですから、
ダメでもともとです。拝聴しましょ」
「奥さんは買物、サークルなど、よく外出しますね。その間あんたは一人でしょ。 あんたが外出すればあんたは一人。 書斎にこもればあんたは一人…。寝ているときもあんたは一人でしょ。 まさか一緒に寝たりしていないでしょうね?」
「いえいえ、とんでもない!」
「しっかりと別れているじゃあないですか。それ以上別れたって、自分の生活が不便になるだけですよ」
「何だか、はぐらかされているみたいですね」
「アンタが私を騙しているのですよ」
「はぁ?」
「奥さんと仲良くしたいのに、なっついてくれないものだから、別れたいとか言っちゃって♪」
2008/10/16
我家の風呂は早い。夕食前に入るので17時過ぎには入り終えている。 その日はちょうど日ハム・オリックスをテレビ観戦していた。
この試合に勝てば西武との決勝戦である。とても目が離せる状態ではない。
それなのに「ちょっと、来てよ」とやかましい。 何回も呼ぶので嫌になってしまう。用事があれば、こっちに来ればいいのだ。
やっとチェンジになったので風呂場に行くと身体を洗っていた。 まるまる裸のQPがお湯が少ないと言って、血相変えて怒っているのだ。
「あんたが余計なことするから、お湯が減っちゃったじゃない! 湯船に半分しかないよ」
「ここを押せば増えるでしょ。 自分で押してください」
「あんたが減らしたから悪いんじゃない」

湯量の上の▲を押すと増え、▽で減る、簡単でしょう
どうやら湯量を調節した私に、全責任を押し付けないと気がすまないようだ。 所詮は誰が蛇口をひねるかの問題である。 風呂に入っている人がひねればいいのに、なぜ怒るのだろう。
ときどき、訳の分からないことを要求されて困っている。 『ひねるとジャー出る』がボタンになっただけで、何もかも分からなくなってしまうのだ。
お風呂は使い始めて7年たつが、「自動ボタン」以外触ったことがない。終われば「お風呂が沸きました」と報告までしてくれる。人間様は入るだけだ。
前の日にボイラー系統の点検があり、担当者が「どこか異常がありませんか?」と聞くと、QPが「お風呂のお湯が多すぎるので、もったいないのですが…」。
「ここを押すと湯量が増えて、こちらを押すと減ります」と、丁寧に説明してくれた。 なぜかQPはポッと顔を赤らめた。 湯量が多いのはお風呂の故障と思っていたに違いない。
減らしたのは確かに、私だがQPが担当者に教わっていて、「ええ、ええ」と返事をしていたのだ。 私は側で見ていただけ。 当然、QPは理解しているものと思っていた。
「少なかったらボタンを押して増やせばいいでしょ」
「あんたが減らしたんだから、増やしてくれなきゃダメ!」
「ボタンを押すだけですから簡単でしょう」
「簡単ならやってよ!」
相手が他人だと自分の間違いに気付いて、ポッと顔を赤らめるのに、このずうずうしさは一体なんだろう。 外に弱く内に強い。他人に優しく、身内に非情。 もっと公平にふるまえないものか? 同居人としてはとても辛い。分かって下さいこの気持。
2008/10/13
この試合に勝てば西武との決勝戦である。とても目が離せる状態ではない。
それなのに「ちょっと、来てよ」とやかましい。 何回も呼ぶので嫌になってしまう。用事があれば、こっちに来ればいいのだ。
やっとチェンジになったので風呂場に行くと身体を洗っていた。 まるまる裸のQPがお湯が少ないと言って、血相変えて怒っているのだ。
「あんたが余計なことするから、お湯が減っちゃったじゃない! 湯船に半分しかないよ」
「ここを押せば増えるでしょ。 自分で押してください」
「あんたが減らしたから悪いんじゃない」

湯量の上の▲を押すと増え、▽で減る、簡単でしょう
どうやら湯量を調節した私に、全責任を押し付けないと気がすまないようだ。 所詮は誰が蛇口をひねるかの問題である。 風呂に入っている人がひねればいいのに、なぜ怒るのだろう。
ときどき、訳の分からないことを要求されて困っている。 『ひねるとジャー出る』がボタンになっただけで、何もかも分からなくなってしまうのだ。
お風呂は使い始めて7年たつが、「自動ボタン」以外触ったことがない。終われば「お風呂が沸きました」と報告までしてくれる。人間様は入るだけだ。
前の日にボイラー系統の点検があり、担当者が「どこか異常がありませんか?」と聞くと、QPが「お風呂のお湯が多すぎるので、もったいないのですが…」。
「ここを押すと湯量が増えて、こちらを押すと減ります」と、丁寧に説明してくれた。 なぜかQPはポッと顔を赤らめた。 湯量が多いのはお風呂の故障と思っていたに違いない。
減らしたのは確かに、私だがQPが担当者に教わっていて、「ええ、ええ」と返事をしていたのだ。 私は側で見ていただけ。 当然、QPは理解しているものと思っていた。
「少なかったらボタンを押して増やせばいいでしょ」
「あんたが減らしたんだから、増やしてくれなきゃダメ!」
「ボタンを押すだけですから簡単でしょう」
「簡単ならやってよ!」
相手が他人だと自分の間違いに気付いて、ポッと顔を赤らめるのに、このずうずうしさは一体なんだろう。 外に弱く内に強い。他人に優しく、身内に非情。 もっと公平にふるまえないものか? 同居人としてはとても辛い。分かって下さいこの気持。
2008/10/13
二人暮らしでケンカをすれば、正しかろうと、間違っていようと、「押し通した方が勝つ」。
まるで、正義が通らないアウトローの世界だ。 だからと言って、心配することもないのだから不思議と思う。
今日は朝から自室に引きこもりウェブサイト「中島パフェ」の更新作業に没頭していた。一休みしに居間に行くと買物を頼まれてしまった。
「パソコンばかりやっていると、又肺炎になるからね。気晴らしに買物にでも行って来てちょうだい」。 私は滅多に家事はしないが、頼まれれば忙しくても断らない。
手渡された買物リストを読みもしないでポケットに入れスーパーSに行った。 牛乳、卵、リンゴ、ジャガイモ、玉ねぎ、人参と買物は順調にに進んだ。
最後に「モチ2コ」と書いてあるが、どこにあるか分からない。 店員に聞くと「こちらにどうぞ」と案内してくれ、「今はこれしかありません」と言った。
そこには袋に入った「佐藤の切り餅」が積んであった。 重そうだが引き受けてしまったのだから仕方がない。 何とかガンパッテ家まで運んだ。
いつも重いものばかり頼まれると、少々不満に思いながらも、家に着くと大任を果たした充実感もあった。
「ただいま! 重かったですよ」
ねぎらいの言葉を期待したが、返って来たのは厳しい文句。
「正月でもないのに、なによ、これ! 」
と、佐藤の切り餅を指差した。
「モチはこれしかなかったのですよ」
「何でこんなにいっぱい買ってくるのよ!」
「モチ2コと書いてありましたよ」
「スーパーSのモチと言えば、あのアン入りのモチに決まっているでしょ」
「大福と書いてくれれば分かったのですが…」
「言い方なんかどうでもいいの。 考えれば分かるはずよ!」
どうやら、QPはお茶を飲みながら大福を一つずづ食べるつもりだったようだ。
大福とモチの違いについて丁寧に説明したのだが、
「スーパーSでモチといえば、あのモチに決まってんの!!」
の一点張り。 こうなったら、もう私に勝ち目はない。
いくら正しい主張をしても、ここには裁判官の役目をする第三者はいないのだから、諦めるより仕方がない。
しかし、諦めようと思っても諦めきれず、再びパソコンの前に座り、これを書いている。

ここに幸あり、パソコンあり♪ パソコンができないQPは可哀想、好きなだけ文句を言わせてあげよう。 楽しみにしていた「大福タイム」がおじゃんになったのだから、怒るのも無理はない。
2008/9/24
まるで、正義が通らないアウトローの世界だ。 だからと言って、心配することもないのだから不思議と思う。
今日は朝から自室に引きこもりウェブサイト「中島パフェ」の更新作業に没頭していた。一休みしに居間に行くと買物を頼まれてしまった。
「パソコンばかりやっていると、又肺炎になるからね。気晴らしに買物にでも行って来てちょうだい」。 私は滅多に家事はしないが、頼まれれば忙しくても断らない。
手渡された買物リストを読みもしないでポケットに入れスーパーSに行った。 牛乳、卵、リンゴ、ジャガイモ、玉ねぎ、人参と買物は順調にに進んだ。
最後に「モチ2コ」と書いてあるが、どこにあるか分からない。 店員に聞くと「こちらにどうぞ」と案内してくれ、「今はこれしかありません」と言った。
そこには袋に入った「佐藤の切り餅」が積んであった。 重そうだが引き受けてしまったのだから仕方がない。 何とかガンパッテ家まで運んだ。
いつも重いものばかり頼まれると、少々不満に思いながらも、家に着くと大任を果たした充実感もあった。
「ただいま! 重かったですよ」
ねぎらいの言葉を期待したが、返って来たのは厳しい文句。
「正月でもないのに、なによ、これ! 」
と、佐藤の切り餅を指差した。
「モチはこれしかなかったのですよ」
「何でこんなにいっぱい買ってくるのよ!」
「モチ2コと書いてありましたよ」
「スーパーSのモチと言えば、あのアン入りのモチに決まっているでしょ」
「大福と書いてくれれば分かったのですが…」
「言い方なんかどうでもいいの。 考えれば分かるはずよ!」
どうやら、QPはお茶を飲みながら大福を一つずづ食べるつもりだったようだ。
大福とモチの違いについて丁寧に説明したのだが、
「スーパーSでモチといえば、あのモチに決まってんの!!」
の一点張り。 こうなったら、もう私に勝ち目はない。
いくら正しい主張をしても、ここには裁判官の役目をする第三者はいないのだから、諦めるより仕方がない。
しかし、諦めようと思っても諦めきれず、再びパソコンの前に座り、これを書いている。

ここに幸あり、パソコンあり♪ パソコンができないQPは可哀想、好きなだけ文句を言わせてあげよう。 楽しみにしていた「大福タイム」がおじゃんになったのだから、怒るのも無理はない。
2008/9/24
精神科医でもある作家のなだいなだ氏は「結婚してからの一日一日は、相手の欠点を一つ一つ発見していく一日である」と言いました。
しかし、私の友人、Aさんの場合は違っていました。 彼は次のように話していました。
「定年で無職になったとたん35年分の欠点を一週間で発見することになりました。話が分からない、強情、聞く耳を持たない、嫌なことは人に押し付ける、過干渉、すぐ人のせいにする、整理整頓ができない、経済観念がない、その他、数え切れないほどの欠点を発見しました」
在職中の私の役目は給料をもってくる事、妻は家事全般ということで特に問題もなかったのです。結婚してから、少しずつ欠点を発見した記憶などありません。気にも留めていなかったのだと思います。
退職したばかりの頃は、これはエライことになったなと思いましたが、まだ修羅場を踏んでいないから『話せば分かる』と楽観していました。実はこれが大間違い、話しても分からない、まったく聞く耳を持たないのです。
私には選択肢が三つありました。離婚する、暴力亭主になる、妻の子分になる。三日三晩考えた末、一番安全な道を選びました」
2008/8/27
しかし、私の友人、Aさんの場合は違っていました。 彼は次のように話していました。
「定年で無職になったとたん35年分の欠点を一週間で発見することになりました。話が分からない、強情、聞く耳を持たない、嫌なことは人に押し付ける、過干渉、すぐ人のせいにする、整理整頓ができない、経済観念がない、その他、数え切れないほどの欠点を発見しました」
在職中の私の役目は給料をもってくる事、妻は家事全般ということで特に問題もなかったのです。結婚してから、少しずつ欠点を発見した記憶などありません。気にも留めていなかったのだと思います。
退職したばかりの頃は、これはエライことになったなと思いましたが、まだ修羅場を踏んでいないから『話せば分かる』と楽観していました。実はこれが大間違い、話しても分からない、まったく聞く耳を持たないのです。
私には選択肢が三つありました。離婚する、暴力亭主になる、妻の子分になる。三日三晩考えた末、一番安全な道を選びました」
2008/8/27
「ならぬ堪忍するが堪忍」。出来ることなら丸く治めたいと思い、たいがいのことは我慢している。 二人暮らしが定めなら楽しく暮らそうと工夫もしている。 こんな私でも譲ることの出来ない一身の面目と名誉がある。 なさそうであるのが「男の一分」。
「亭主、おん出してやったわ」とAさんが、いきまいている。
「ホントですか」
「私が眠れないから、ラジオつけたり、本読んだりするでしょ」
「そうそう。私もそうしています」
「そしたら、あのろくでなし、眠れないとか、あーだーこ~だ~いうのよ。 眠れないのは私じゃあないの」
そろそろ爆発の予感。ここは黙って聞いておこう。
「るさいわねぇ! 部屋なんかいっぱいあるでしょ、好きなところに行って勝手に眠むんなさい!」
そういえばAさんの家は大きい。 広い居間の他、子ども部屋4室はすでに空き部屋、それに客間、応接間、書斎。グランドピアノを置いた音楽室まである。
「ご主人ビックリしたでしょう」
「出たっきり、帰ってこないのよ~」
「家の中で寝ているのなら、いいじゃないですか」
「淋しくなったら、いつ帰ってもいいのよ。と言ってあげているのに、まだ帰ってこないのよ~」
「優しいのですね。 私なんか、もう帰って来なくていいと言われてしまいました」
「どこから?」
「病院からです」
「そう、病院から帰らないとすると…、焼き場に直行かな?」
「もっともっと酷いところがあるのですよ。知ってますか」
つい先日のことである。朝、病院に行こうとすると、QPの「服装チェック」が始まった。毎度のことだが、もうウンザリだ。 出かけようとするとジロリと見てケチを付けるのだ。
「病院にいくときはズボン替えて行ってよ」。 今日は整形外科だから菌をもらってくる心配はないと思う。 こんなときにでもチェックが入るのだ。
あ~ぁ、叉か。と思いながらも、素直に「はいはい」と言っておく。 朝から揉め事はゴメンだ。 とりあえず、ズボンを脱いでステテコ姿でいた。
「何よ!その格好」
「ズボンを替える準備です。 このままでは外には行けないでしょう。 替え忘れる心配がないのですよ。いい考えでしょう」
「そんな、みっともない格好して、誰か来たらどうするの。 時間がないから出かけるからね」
「はいはい、行ってらっしゃい」。 続いて、小さな声で独り言 「せいせいするわい」。 これが聞こえてしまったようだ。 厳しい言葉が返ってきた。
「病院に行ったら、もう帰って来なくていいからね!」
簡単に言うけれど、病院に行ったきり帰れないとすると「焼き場」にも行けやしない。 大学医学部の地下にある「ホルマリンプール」行きが相場である。
私の抜け殻も人体解剖用にプールに沈められるらしい。 ひょんな調子で浮き上がると棒で突っつかれるそうだ。 打ち所が悪いとバラバラに壊れてしまうのだと…。ああ恐ろしい。
Aさんに呼ばれていたので、病院の帰りに寄ってみた。心に傷を負っているので慰めてもらいたい気持もあった。
「精神的虐待を受けているのです。これってドメスティック・バイオレンスじゃあないですか」
「そこまで想像するあんたが異常よ! 早くお家に帰りなさい」
「用事があると言うから、来て上げたのですよ…」
「草むしりでもしてもらおうと思ったのだけど、腰痛じゃあねぇ。 亭主は膝がガクガクだというし。まったく情けない男ばかりだねぇ」
「庭の草むしりぐらい自分でやって下さいよ」
「公園の草むしりよ。皆でやろうと言ったでしょ」
「アレッ! 今日でしたか?」
「ヒマができたときパッとやらないと、いつまでたってもできないでしょう」
体調不良ということで解放されたが、「帰って来なくていい」といわれているのに直ぐ帰るのも癪だ。 中島公園をブラブラして、腹が減ったら「狼スープ」にラーメンでも食べに行き、その後で帰ることにした。
昨日は二人仲良く映画「相棒」を観に行ったのに、今日は「悪妻は百年の不作」と思い、顔も見たくない気分だ。 本当に人の気持は移ろい易いものである。 しかし、41年一緒に暮らしていたら「仲良し」と言われても仕方がない。 なぜ、仲良しなのだろうと考えてみた。 答えは意外に簡単だった。二人ともケチだからだ。
「こんな家、出て行く!」と言っても、実家に帰るには旅費もいるし、手ぶらと言う訳にも行かないだろう。 家の近くのホテルに泊まるにしても帰るまで、毎日お金がかかるのだ。
マンガ「巨人の星」の星一徹のように「黙れ!」と言ってお膳ひっくり返したら、さぞかし気が晴れるだろう。 その代わり、一食分の全てを失った上、お茶碗が割れるかもしれない。
こんなことを考えているようではハデなケンカなど思いもよらない。ケチケチしている間に41年もたってしまった。 時の流れは早いものだ。最近は特に早い。
「それに私たちは絶滅危惧種なのです」
「なに?」
「もうそろそろ人生終盤ですからね」
「それなら危惧はいらんね。先がないから絶滅種だろう」
「それはちょっと酷すぎるのではないですか」
「それじゃあ、絶滅タネ!」
「なんか変ですね」
「あんたが変なこと言うからだ。よく考えてみろ」
それだけではない、名前までこの世から無くなろうとしているのだ。 約70年前モダンな名前として、颯爽と登場した「ひろし」と「ゆうこ」だが、今まさに滅びようとしている。 最近の名前をみても「ひろき」はあるけれど「ひろし」はない。 「ゆう」はあるけれど「ゆうこ」はない。
私たちの名前はは絶滅危惧名前なのだ。 「滅び行く名前の二人」がケンカなどしていて良いはずがない。 そう思って努力しているのは、私だけ。 QPはごく自然にあるがままの人生を送っている。 私だけが気をもんでガマンして、いろいろ工夫している。
不満は爆発する前に抜いてやらなければいけない。 ときどき意識的にガス抜きをする。これも工夫の一つだ。
「私に悪いところがあったら、遠慮なく言ってください」
QPはこんな質問に、ウッカリ返事をすると損だということを知らない。一生懸命考えてからこう言った。
「家の仕事より自分のやりたいことを優先するのが悪いよ」
「例えば、どんなことですか?」
この質問に答えれば、更に墓穴を掘ることを予想もしない。
「え~と、ゴミを直ぐに出さないことかなぁ」
「分かりました。 今月の目標は、ゴミを早く出すことにしましょう」
今月と言っても後5日しかない。 1回か2回ゴミを早く出せばいいだけの話。私の仕事は何も増えないのに不満だけは消滅する。こうして、我家の平和を守るため、日夜努力を重ねている。 自分で自分を褒めてあげたい。QPは決して、私を褒めないのだから。
「なんだ? 俺に相談って」
「実は、ケンカのできる普通の夫になりたいのですが…」
「ケンカすれば金がかかるよ。自分で言ってたろう」
「戦費のことは解決しました。 埋蔵金を取り崩す覚悟です」
「なんだ、そりゃ」
「特別会計です。QPの承認を得なくても自由に使うことが出来るのです」
「なんだ、ヘソクリか。真面目なフリして抜け目のない奴だ」
「もうガマンも限界です。工夫も尽きました」
「ケンカは度胸がいるぞ。あんたじゃ無理だ。QPさんの尻の下が一番安全なんだよ」
「核の傘の下に入れというのですか!」
「それしかないだろう」
「それでは男の一分が立たぬのです」
「オトコのいちぶだと?」
「いや」
「なんだ」
「面目が…」
「心配するな! 歳なんだよ。 実は俺も…」
<国語のお勉強>
「一分」の読みは、「いっぷん」「いちぶ」「いちぶん」少なくとも3通りある。
「いっぷん」は時間の単位。
「いちぶ」は普通、10分の1を指す。野球の打率等1割の10分の1をいうことも多い。ごくわずか。
「いちぶん」は譲ることの出来ない一身の面目、名誉。
2008/7/26
「亭主、おん出してやったわ」とAさんが、いきまいている。
「ホントですか」
「私が眠れないから、ラジオつけたり、本読んだりするでしょ」
「そうそう。私もそうしています」
「そしたら、あのろくでなし、眠れないとか、あーだーこ~だ~いうのよ。 眠れないのは私じゃあないの」
そろそろ爆発の予感。ここは黙って聞いておこう。
「るさいわねぇ! 部屋なんかいっぱいあるでしょ、好きなところに行って勝手に眠むんなさい!」
そういえばAさんの家は大きい。 広い居間の他、子ども部屋4室はすでに空き部屋、それに客間、応接間、書斎。グランドピアノを置いた音楽室まである。
「ご主人ビックリしたでしょう」
「出たっきり、帰ってこないのよ~」
「家の中で寝ているのなら、いいじゃないですか」
「淋しくなったら、いつ帰ってもいいのよ。と言ってあげているのに、まだ帰ってこないのよ~」
「優しいのですね。 私なんか、もう帰って来なくていいと言われてしまいました」
「どこから?」
「病院からです」
「そう、病院から帰らないとすると…、焼き場に直行かな?」
「もっともっと酷いところがあるのですよ。知ってますか」
つい先日のことである。朝、病院に行こうとすると、QPの「服装チェック」が始まった。毎度のことだが、もうウンザリだ。 出かけようとするとジロリと見てケチを付けるのだ。
「病院にいくときはズボン替えて行ってよ」。 今日は整形外科だから菌をもらってくる心配はないと思う。 こんなときにでもチェックが入るのだ。
あ~ぁ、叉か。と思いながらも、素直に「はいはい」と言っておく。 朝から揉め事はゴメンだ。 とりあえず、ズボンを脱いでステテコ姿でいた。
「何よ!その格好」
「ズボンを替える準備です。 このままでは外には行けないでしょう。 替え忘れる心配がないのですよ。いい考えでしょう」
「そんな、みっともない格好して、誰か来たらどうするの。 時間がないから出かけるからね」
「はいはい、行ってらっしゃい」。 続いて、小さな声で独り言 「せいせいするわい」。 これが聞こえてしまったようだ。 厳しい言葉が返ってきた。
「病院に行ったら、もう帰って来なくていいからね!」
簡単に言うけれど、病院に行ったきり帰れないとすると「焼き場」にも行けやしない。 大学医学部の地下にある「ホルマリンプール」行きが相場である。
私の抜け殻も人体解剖用にプールに沈められるらしい。 ひょんな調子で浮き上がると棒で突っつかれるそうだ。 打ち所が悪いとバラバラに壊れてしまうのだと…。ああ恐ろしい。
Aさんに呼ばれていたので、病院の帰りに寄ってみた。心に傷を負っているので慰めてもらいたい気持もあった。
「精神的虐待を受けているのです。これってドメスティック・バイオレンスじゃあないですか」
「そこまで想像するあんたが異常よ! 早くお家に帰りなさい」
「用事があると言うから、来て上げたのですよ…」
「草むしりでもしてもらおうと思ったのだけど、腰痛じゃあねぇ。 亭主は膝がガクガクだというし。まったく情けない男ばかりだねぇ」
「庭の草むしりぐらい自分でやって下さいよ」
「公園の草むしりよ。皆でやろうと言ったでしょ」
「アレッ! 今日でしたか?」
「ヒマができたときパッとやらないと、いつまでたってもできないでしょう」
体調不良ということで解放されたが、「帰って来なくていい」といわれているのに直ぐ帰るのも癪だ。 中島公園をブラブラして、腹が減ったら「狼スープ」にラーメンでも食べに行き、その後で帰ることにした。
昨日は二人仲良く映画「相棒」を観に行ったのに、今日は「悪妻は百年の不作」と思い、顔も見たくない気分だ。 本当に人の気持は移ろい易いものである。 しかし、41年一緒に暮らしていたら「仲良し」と言われても仕方がない。 なぜ、仲良しなのだろうと考えてみた。 答えは意外に簡単だった。二人ともケチだからだ。
「こんな家、出て行く!」と言っても、実家に帰るには旅費もいるし、手ぶらと言う訳にも行かないだろう。 家の近くのホテルに泊まるにしても帰るまで、毎日お金がかかるのだ。
マンガ「巨人の星」の星一徹のように「黙れ!」と言ってお膳ひっくり返したら、さぞかし気が晴れるだろう。 その代わり、一食分の全てを失った上、お茶碗が割れるかもしれない。
こんなことを考えているようではハデなケンカなど思いもよらない。ケチケチしている間に41年もたってしまった。 時の流れは早いものだ。最近は特に早い。
「それに私たちは絶滅危惧種なのです」
「なに?」
「もうそろそろ人生終盤ですからね」
「それなら危惧はいらんね。先がないから絶滅種だろう」
「それはちょっと酷すぎるのではないですか」
「それじゃあ、絶滅タネ!」
「なんか変ですね」
「あんたが変なこと言うからだ。よく考えてみろ」
それだけではない、名前までこの世から無くなろうとしているのだ。 約70年前モダンな名前として、颯爽と登場した「ひろし」と「ゆうこ」だが、今まさに滅びようとしている。 最近の名前をみても「ひろき」はあるけれど「ひろし」はない。 「ゆう」はあるけれど「ゆうこ」はない。
私たちの名前はは絶滅危惧名前なのだ。 「滅び行く名前の二人」がケンカなどしていて良いはずがない。 そう思って努力しているのは、私だけ。 QPはごく自然にあるがままの人生を送っている。 私だけが気をもんでガマンして、いろいろ工夫している。
不満は爆発する前に抜いてやらなければいけない。 ときどき意識的にガス抜きをする。これも工夫の一つだ。
「私に悪いところがあったら、遠慮なく言ってください」
QPはこんな質問に、ウッカリ返事をすると損だということを知らない。一生懸命考えてからこう言った。
「家の仕事より自分のやりたいことを優先するのが悪いよ」
「例えば、どんなことですか?」
この質問に答えれば、更に墓穴を掘ることを予想もしない。
「え~と、ゴミを直ぐに出さないことかなぁ」
「分かりました。 今月の目標は、ゴミを早く出すことにしましょう」
今月と言っても後5日しかない。 1回か2回ゴミを早く出せばいいだけの話。私の仕事は何も増えないのに不満だけは消滅する。こうして、我家の平和を守るため、日夜努力を重ねている。 自分で自分を褒めてあげたい。QPは決して、私を褒めないのだから。
「なんだ? 俺に相談って」
「実は、ケンカのできる普通の夫になりたいのですが…」
「ケンカすれば金がかかるよ。自分で言ってたろう」
「戦費のことは解決しました。 埋蔵金を取り崩す覚悟です」
「なんだ、そりゃ」
「特別会計です。QPの承認を得なくても自由に使うことが出来るのです」
「なんだ、ヘソクリか。真面目なフリして抜け目のない奴だ」
「もうガマンも限界です。工夫も尽きました」
「ケンカは度胸がいるぞ。あんたじゃ無理だ。QPさんの尻の下が一番安全なんだよ」
「核の傘の下に入れというのですか!」
「それしかないだろう」
「それでは男の一分が立たぬのです」
「オトコのいちぶだと?」
「いや」
「なんだ」
「面目が…」
「心配するな! 歳なんだよ。 実は俺も…」
<国語のお勉強>
「一分」の読みは、「いっぷん」「いちぶ」「いちぶん」少なくとも3通りある。
「いっぷん」は時間の単位。
「いちぶ」は普通、10分の1を指す。野球の打率等1割の10分の1をいうことも多い。ごくわずか。
「いちぶん」は譲ることの出来ない一身の面目、名誉。
2008/7/26
二人だけの朝食は、いつものようにテレビを消して話しながらとる。 消化によいといわれているが、逆の場合もある。
私は近所のアレコレや外で出合ったステキな人たちについて話すのが好きだが、QPは、事件や社会問題を話題にすることが多い。
「救急車で病院に連れて行かれても、帰りが大変だよね」
「そのまま入院でしょう。帰りの心配などいりませんよ」
「入院ができなかったら大変でしょ」
入院にならないなら結構な話と思うが、一体何が大変なのだろう。誤解しているように思えてきた。
「救急車は病院に行くときは必要でも、家に帰るときは必要ではないのです」
「病気なのよ。可哀そうでしょう」
「タクシーを呼べばすむ事です」
「夜中でタクシーは来ないのよ」
「そうですか。それはどこの話ですか? 私は薄野から夜中にタクシーに乗って何回も帰りましたよ」
タクシーが庶民の足ではなかった大昔のことだろうか。 札幌の話ではないのだろうか。
QPと話していると、言葉が足りないせいか何のことやらサッパリ分からないことがある。毎度のことだが、今朝は話題がシリアスなので気にかかる。
救急車の乱用が問題になっている。 救急車をタクシー代わりに使う人がいる。 酔っ払って動けないといって救急車を呼ぶ人もいる。
「救急車のサイレンがうるさくて近所迷惑だから、家に来るときは鳴らさないでくれ」と注文をつける人もいる。
人の命が危ないときに近所迷惑もないものだ。 一体どうゆう基準で救急出動を要請しているのだろうか。
一方では、夜間救急病院にトラックで運び込まれた重症患者もいる。 運んだ人も運ばれた人も命が縮む思いだったろう。 心中察して余りある。
救急車が到着するまで20分かかると言われて、仕方なくトラックを使ったという。 その日は風邪が流行っていて、熱を出して救急車を呼ぶ人が続出したそうだ。
救急車がなくて、ポンプ車に救急隊員を乗せて出動するのが日常茶飯事の消防署もあるという。 やはり、救急車を呼ぶのは救急救命に限るべきではないか。
何を言いたいのかサッパリ分からないので、思い切ってQPに聞いてみた。
「その話は、いつ、だれが、どこで話したことですか」
「そんなこと、どうでもいいじゃない。病院から帰れなくては困っている人がいるんだから」
「それは、テレビとかどこかで聞いた話ですか?」
「私が考えたのよ!」
「ずいぶん、おかしな考えですね。救急車は救命のためにあるのですよ。足(交通)がなくて困っている人の為にあるのではないのです」
「夜間救急病院に運ばれて、困った人が言ったのよ」
「お医者さんに診察してもらって、お帰りくださいと言われたなら仕方ないでしょ」
「病気をたくさんもっているお年寄りが困っているのよ!」
「それは福祉の問題です。救急車では解決できません」
「なによ!偉そうに。 もうペッタンコ、してやんない!」
何が気に入らないのか、もう貼り薬をはってくれないと言うのだ。 散々な朝ごはんになってしまった。

「肩にこれを貼ってくれませんか」。朝のことは忘れたフリをして頼んでみた。 どおせQPは、夜まで覚えてはいないだろうと軽く考えていた。
「貼って上げないっていったでしょ」
「おや、覚えている。意外に執念深いな」と思ったが、心配はない。 私には奥の手がある。「ハリハリ失敗作戦」だ。
自分で貼って、失敗するところを見せれば、テキはガマンができなくなって、口を出したり手を出したりしてくるに決まっている。 善は急げ、さっそく作戦開始だ。
「なにやってんのよ、あんた! (貼り薬が)もったいないじゃない」
「また失敗してしまいましたね。新しいのでやり直しましょう」
「いいわよ」
「なにがですか?」
こうして作戦は成功したが、貼り薬3枚の損害をこうむった。クチャクチャにくっついて、はがそうとしてもはがれないのだ。 不幸なことだが、戦いの陰には尊い犠牲がある。
2008/7/7
私は近所のアレコレや外で出合ったステキな人たちについて話すのが好きだが、QPは、事件や社会問題を話題にすることが多い。
「救急車で病院に連れて行かれても、帰りが大変だよね」
「そのまま入院でしょう。帰りの心配などいりませんよ」
「入院ができなかったら大変でしょ」
入院にならないなら結構な話と思うが、一体何が大変なのだろう。誤解しているように思えてきた。
「救急車は病院に行くときは必要でも、家に帰るときは必要ではないのです」
「病気なのよ。可哀そうでしょう」
「タクシーを呼べばすむ事です」
「夜中でタクシーは来ないのよ」
「そうですか。それはどこの話ですか? 私は薄野から夜中にタクシーに乗って何回も帰りましたよ」
タクシーが庶民の足ではなかった大昔のことだろうか。 札幌の話ではないのだろうか。
QPと話していると、言葉が足りないせいか何のことやらサッパリ分からないことがある。毎度のことだが、今朝は話題がシリアスなので気にかかる。
救急車の乱用が問題になっている。 救急車をタクシー代わりに使う人がいる。 酔っ払って動けないといって救急車を呼ぶ人もいる。
「救急車のサイレンがうるさくて近所迷惑だから、家に来るときは鳴らさないでくれ」と注文をつける人もいる。
人の命が危ないときに近所迷惑もないものだ。 一体どうゆう基準で救急出動を要請しているのだろうか。
一方では、夜間救急病院にトラックで運び込まれた重症患者もいる。 運んだ人も運ばれた人も命が縮む思いだったろう。 心中察して余りある。
救急車が到着するまで20分かかると言われて、仕方なくトラックを使ったという。 その日は風邪が流行っていて、熱を出して救急車を呼ぶ人が続出したそうだ。
救急車がなくて、ポンプ車に救急隊員を乗せて出動するのが日常茶飯事の消防署もあるという。 やはり、救急車を呼ぶのは救急救命に限るべきではないか。
何を言いたいのかサッパリ分からないので、思い切ってQPに聞いてみた。
「その話は、いつ、だれが、どこで話したことですか」
「そんなこと、どうでもいいじゃない。病院から帰れなくては困っている人がいるんだから」
「それは、テレビとかどこかで聞いた話ですか?」
「私が考えたのよ!」
「ずいぶん、おかしな考えですね。救急車は救命のためにあるのですよ。足(交通)がなくて困っている人の為にあるのではないのです」
「夜間救急病院に運ばれて、困った人が言ったのよ」
「お医者さんに診察してもらって、お帰りくださいと言われたなら仕方ないでしょ」
「病気をたくさんもっているお年寄りが困っているのよ!」
「それは福祉の問題です。救急車では解決できません」
「なによ!偉そうに。 もうペッタンコ、してやんない!」
何が気に入らないのか、もう貼り薬をはってくれないと言うのだ。 散々な朝ごはんになってしまった。

「肩にこれを貼ってくれませんか」。朝のことは忘れたフリをして頼んでみた。 どおせQPは、夜まで覚えてはいないだろうと軽く考えていた。
「貼って上げないっていったでしょ」
「おや、覚えている。意外に執念深いな」と思ったが、心配はない。 私には奥の手がある。「ハリハリ失敗作戦」だ。
自分で貼って、失敗するところを見せれば、テキはガマンができなくなって、口を出したり手を出したりしてくるに決まっている。 善は急げ、さっそく作戦開始だ。
「なにやってんのよ、あんた! (貼り薬が)もったいないじゃない」
「また失敗してしまいましたね。新しいのでやり直しましょう」
「いいわよ」
「なにがですか?」
こうして作戦は成功したが、貼り薬3枚の損害をこうむった。クチャクチャにくっついて、はがそうとしてもはがれないのだ。 不幸なことだが、戦いの陰には尊い犠牲がある。
2008/7/7
野球なら3割打てば好打者だ。 しかし、亭主はどうだろう。「いいところが3割もある」と喜ぶべきか? 「7割嫌われた」と悲しむべきか? これが問題だ。
毎朝、中島公園にラジオ体操に通っていた。健康のためにである。 しかし努力もおよばず、腰痛で入院する羽目になってしまった。3年前ことだった。

2004年9月8日台風18号によりラジオ体操場は立入禁止となってしまった。それでも体操は中止にならなかった。もとより自主的にやっていることだから、誰にも中止にすることはできない。しかし、立入禁止の場所には入ってはいけないと思う。
「台風・倒木なんのその!」その心意気はよしとするが…。
「立入禁止なんのその! ここは私の体操場」。 う~ん?
入院前は中島公園で力いっぱいラジオ体操をしていた。 だから、ダラダラとおしゃべりしながら体操する不真面目なシニアグループが目障りだった。
しかし、結果はどうだ。彼らはみんな、元気いっぱい休むことなく体操を続けている。けっきょく、力いっぱいまじめに体操していた私の方が、腰痛で入院してしまった。
このことを深く反省し、退院後はQPと一緒に、楽しくやるのが一番と思うようになった。
朝6時30分、ラジオからテーマミュージックが流れる。
「さあ!ラジオ体操だ」
私の体操準備はお世辞から始まる。 楽しいラジオ体操のためには必要な雰囲気作りのつもりだ。
「素晴らしいプロポーションですね。おなかもへこんでますよ」
「出てるわよ」とニッコリ。確かにポコッとでているが、キッパリと否定する。 これで楽しいラジオ体操の準備は完了だ。
目的はいうまでもなく健康の維持。 「成功のコツは成功者のまねをすることから始めよ」と聞いている。
中島公園の不真面目なシニアグループを見習い、QPと向かい合って話しながら体操をすることにした。
今朝の話題はニュースで聴いたばかりの死亡事故についてである。 小学生が天窓の上に乗ったら、ガラスが壊れ、落ちて死んだそうだ。 楽しい体操には相応しくない話題だが、QPが持ち出したのだから仕方がない。
「そんな所に乗る子が悪い」と、QPが得意の自己責任論。
「作るほうにも責任がありますよ」
体操をやりながらだから、イチ、ニイ、サン、シ、……、の合間に短い言葉でいわなければならない。 誤解の生じ易い状況である。
言いたいことは「建物を建てる以上、利用状況に応じた強度で造らなければならない。もし、不可能なら立入禁止など必要な制限をつけるべきだ」ということ。
しかし、QPは「作った人が悪い」と受け止めたらしい。それを自分の料理へと連想させ、いきなりかみ付いてきた。
「私が作った料理が多いと言って残すでしょ。 それなら自分で作ればいいのよ」
どうして、このような展開になるのか、理解できないが毎度のことだ。
「それとこれとは別でしょう」
「同じよ、あんたの兄弟はみんなそうなのよ。おにいさんも理屈っぽいしね!」
ケンカをしても相手の親類の悪口を言わないのがルールと思っていたが、簡単に侵してくる。それに、こんなに長々としゃぺっていては体操にならない。
「ホラホラ体操が音楽に合っていませんよ」
「後ろ向いてよ!」
今度はひと言だが厳しい注文だ。顔も見たくないということだろう。
「料理と事故は別でしょう」
「その話はもう終わったの!」
死亡事故の話はQPが持ち出したことだ。「小学生の自己責任」と言われても、「はい、そうですね」とは言いかねる。 造った者の責任も指導者の注意義務もあるのではないか。
これでは質問をしておいて、回答を遮るのと同じことではないか。 断じて許すわけには行かない! しかし、黙ってしまった。
何か言えば「しつっこいね!」と返されて、それでお仕舞いだ。
私が、後ろ向いたかどうかは別として、ラジオ体操は型どおり終了した。 勝ったQPは朝食の支度にかかった。
負けた私は、いつもの「紅茶サービス」をする気力も失い、自室にこもってしまった。
しばらくして、QPが呼びに来た。
「紅茶番いないから、コーヒーにしたよ」。 紅茶番とは私のことである。
「インスタントですね」
「当たり前よ。部屋で何していたの?」
「これからの人生について考えていました。この先二人でやっていけるのかとか…」
「どうして?」
「文句ばっかり言われているでしょう」
「そうかな~? だけど7割くらい嫌いだから、言ってるかもしれない。 いいところは、3割くらいしかないよ」
2008/6/26
毎朝、中島公園にラジオ体操に通っていた。健康のためにである。 しかし努力もおよばず、腰痛で入院する羽目になってしまった。3年前ことだった。

2004年9月8日台風18号によりラジオ体操場は立入禁止となってしまった。それでも体操は中止にならなかった。もとより自主的にやっていることだから、誰にも中止にすることはできない。しかし、立入禁止の場所には入ってはいけないと思う。
「台風・倒木なんのその!」その心意気はよしとするが…。
「立入禁止なんのその! ここは私の体操場」。 う~ん?
入院前は中島公園で力いっぱいラジオ体操をしていた。 だから、ダラダラとおしゃべりしながら体操する不真面目なシニアグループが目障りだった。
しかし、結果はどうだ。彼らはみんな、元気いっぱい休むことなく体操を続けている。けっきょく、力いっぱいまじめに体操していた私の方が、腰痛で入院してしまった。
このことを深く反省し、退院後はQPと一緒に、楽しくやるのが一番と思うようになった。
朝6時30分、ラジオからテーマミュージックが流れる。
「さあ!ラジオ体操だ」
私の体操準備はお世辞から始まる。 楽しいラジオ体操のためには必要な雰囲気作りのつもりだ。
「素晴らしいプロポーションですね。おなかもへこんでますよ」
「出てるわよ」とニッコリ。確かにポコッとでているが、キッパリと否定する。 これで楽しいラジオ体操の準備は完了だ。
目的はいうまでもなく健康の維持。 「成功のコツは成功者のまねをすることから始めよ」と聞いている。
中島公園の不真面目なシニアグループを見習い、QPと向かい合って話しながら体操をすることにした。
今朝の話題はニュースで聴いたばかりの死亡事故についてである。 小学生が天窓の上に乗ったら、ガラスが壊れ、落ちて死んだそうだ。 楽しい体操には相応しくない話題だが、QPが持ち出したのだから仕方がない。
「そんな所に乗る子が悪い」と、QPが得意の自己責任論。
「作るほうにも責任がありますよ」
体操をやりながらだから、イチ、ニイ、サン、シ、……、の合間に短い言葉でいわなければならない。 誤解の生じ易い状況である。
言いたいことは「建物を建てる以上、利用状況に応じた強度で造らなければならない。もし、不可能なら立入禁止など必要な制限をつけるべきだ」ということ。
しかし、QPは「作った人が悪い」と受け止めたらしい。それを自分の料理へと連想させ、いきなりかみ付いてきた。
「私が作った料理が多いと言って残すでしょ。 それなら自分で作ればいいのよ」
どうして、このような展開になるのか、理解できないが毎度のことだ。
「それとこれとは別でしょう」
「同じよ、あんたの兄弟はみんなそうなのよ。おにいさんも理屈っぽいしね!」
ケンカをしても相手の親類の悪口を言わないのがルールと思っていたが、簡単に侵してくる。それに、こんなに長々としゃぺっていては体操にならない。
「ホラホラ体操が音楽に合っていませんよ」
「後ろ向いてよ!」
今度はひと言だが厳しい注文だ。顔も見たくないということだろう。
「料理と事故は別でしょう」
「その話はもう終わったの!」
死亡事故の話はQPが持ち出したことだ。「小学生の自己責任」と言われても、「はい、そうですね」とは言いかねる。 造った者の責任も指導者の注意義務もあるのではないか。
これでは質問をしておいて、回答を遮るのと同じことではないか。 断じて許すわけには行かない! しかし、黙ってしまった。
何か言えば「しつっこいね!」と返されて、それでお仕舞いだ。
私が、後ろ向いたかどうかは別として、ラジオ体操は型どおり終了した。 勝ったQPは朝食の支度にかかった。
負けた私は、いつもの「紅茶サービス」をする気力も失い、自室にこもってしまった。
しばらくして、QPが呼びに来た。
「紅茶番いないから、コーヒーにしたよ」。 紅茶番とは私のことである。
「インスタントですね」
「当たり前よ。部屋で何していたの?」
「これからの人生について考えていました。この先二人でやっていけるのかとか…」
「どうして?」
「文句ばっかり言われているでしょう」
「そうかな~? だけど7割くらい嫌いだから、言ってるかもしれない。 いいところは、3割くらいしかないよ」
2008/6/26
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