朝食はテレビを消して話しながらとる。 「朝の食卓」の話題は近所の中島公園、健康、そして札幌シニアネット(SSN)、カラオケ、歩こう会など。
所属している札幌シニアネットでカラオケと歩こう会を楽しんでいる。カラオケの場合は歌を静かに聴いているのが一番いい。音楽の中で話をしていてもよく聞こえないのだ。いちいち聞き返しても悪いので分からないまま肯いている。相手の人が謙遜している時が一番怖い。聞き返してもいけないし肯いてもダメなのだ。

「これこれしかじか。下手だから恥ずかしいのですよ」
「うんうん、なるほど」
「ホニャララホニャララ。私の歌なんか聞きたくないでしょ」
「そうですね。全くその通りです」

これでは楽しい会話もぶち壊しだ。私は耳が遠くてまともな会話が出来ない癖に話したがる。大人しく聴いて楽しんでいれば好いものを、自分で話しかけていながら心配している。そして不本意ながら肯いている。

今日は楽しい札幌シニアネットの「歩こう会」。歩きながら、いろいろ話が出来るので楽しい。サハリン生まれで終戦の混乱の中で敗戦後3年も難民生活を送った苦労話も聞いた。今、こうしてハイキングが出来ることをしみじみと幸せに思った。子供の頃を思い起こせば年寄でハイキングを楽しめる人は、お金持ちに限られていた。

半世紀前に遡れば上流階級に属する人でなければ出来なかったことを、今は当たり前と思っている。「イッツ・ア・ワンダフル・ライフ」と思ってもいいはずなのに……。そう言えば『」素晴らしき哉、人生!』という映画があった。その映画のように、天使が私に幸せな人生を歩んでいることを教えてくれているのかも知れない。

歩きながら話をすると、アルト・サックスや体操をやっていた人の話も聞けた。アルトと言えばジャズのチャーリー・パーカーやアートペッパーを思い出す。体操競技と言えばコマネチか。競技や舞台での経験のある人の話は面白い。思わず引き込まれてしまい。質問攻めにしたら逃げられた。歩きながらの場合は逃げるのも自然にできる。スピードを落としたり、風景に誘われてちょっと横道にそれるだけでいい。

とても嬉しいことがあった。集合場所が偶然にも40年前くらいから7年くらい住んでいた集合住宅のど真ん前の公園だった。その頃息子は6歳、所々に小さな桜の木が植えられていた。それが大木になり花をいっぱい咲かせているではないか。驚くやら嬉しいやらで心の中では大変な騒ぎだ。

さっそく傍にいた人に話した。次々と三人くらいに話した。それでも満足しないで、ハンドマイク付メガフォンを使って約50人の歩こう会メンバーに向かって「そこに建っているアパートは私が7年間住んでいた所です」と知らせた。もちろん花見をしている沢山の人々にも聞こえたと思う。ところが、ハ~とかフ~とか微かに聞こえたような気もしたが、何の反応もなかった。

私はどうも勘違いをしていたようだ。リンカーンは丸太小屋からホワイトハウスへと言われ、生家が名所となっている。しかし私はただの人、共同住宅の一室には何の意味もない。心の中で静かに懐かしむべきだった。後で考えると、はしゃぎ過ぎて恥ずかしい。昔なら深く傷つくところだが今はボケたかなと呟くだけ。

小さな幸せをいっぱいもらったが、不幸せもホンの少し頂いた。それも、うどんにかける唐辛子程度の役目をしてくれた。お陰様で楽しい楽しい歩こう会だった。歌って歩いているだけでは申し訳ないので社会貢献にも力を注いでいる。微力ではあるが人の為になることもしてみたいのだ。

FC2blog テーマ:エッセイ - ジャンル:小説・文学

【2016/05/14 00:00】 | 札幌シニアネットssn
トラックバック(0) |
困ったことに正直に言えないこともある。頭脳明晰、スポーツ万能、囲碁将棋麻雀等あらゆるゲームに精通とか、こんなことは言い難い。それが自慢と思われるのが怖いのだ。気が小さいのが唯一の欠点かもしれない。

「オマケに容姿端麗。まったく羨ましいよ」
「止めてください。実物を見られて恥をかくのは私です」
「歌も凄く上手い」
「何を言うんですか! 全部ウソだとバレちゃうじゃあないですか」
今日はエイプリルフールだ。スマートに嘘をついて日頃の鬱憤を晴らそうと思っていたのに無粋な先輩にぶち壊された。哀れな私を慰めたつもりだろうか?

総合的な意味で人間力が弱いから何をやってもダメなのだ。せめて勝ち負けの付かない歌ぐらいは楽しみたい。趣味と言えるものは何もない。その代り自由時間がたっぷりある。歌を一つ覚えるのに人の百倍もかかったとしても何の痛痒も感じない。苦労して覚えれば楽しさも百倍になるかも知れない。

マイ・ボニー or マイ・バニー
「先輩は英語が得意ですよね」
「進駐軍で働いていたからな」
「『火を貸して下さい』は英語でなんて言うのですか?」
と聞きながら煙草を吸う仕草をする。
「サンバリライトだ」
「有難うございました」
「ナレロ」
「何ですか、そのナ・レ・ロと言うのは?」
「英語でドウイタシマシテと言ったんだ」

先輩に聞きたいことがあったので、それとなく実力を探った。私の知らないことを沢山知っているのだから英語が得意に違いない。質問と言っても大したことではないが、私にとっては重大な問題だ。私は今、進むべきか退くべきかの岐路に立っている。

「マイ・ボニーという歌あるでしょう。カラオケの画面ではボニーとカナを振ってあるのですが、ミッチ・ミラー合唱団が歌うのを聴くとバニーとしか聞こえないのです。どっちが本当ですか?」
「そんなことドッチでもいいじゃないか」
「よくありません。ボニーと12回も出てくるのです」
「それがどうした?」
「私が間違えるたびに皆笑うのです。12回も笑われたら歌えません」
「歌わなければいいだろう」
「それは言わないルールです。先輩なら分かるでしょう」
「答える前にやってもらうことが一つある」
「はいはい、何でもやりますよ」
「先ず耳鼻科に行って診てもらえ」

札幌シニアネット:カラオケクラブの洋楽カラオケに参加
早いもので札幌シニアネットのカラオケクラブで開いてくれる洋楽カラオケに参加して半年近くたった。そこでは外国語で歌うことになっている。私のように英語で歌いたいけれど歌えない人にとっては、とても有難い決まりだ。どっちでもいいよと言われたら心ならずも和訳で歌うことになる。しかし、それではつまらない。

カラオケを始めたのは65歳のときだった。それまではカラオケ嫌いと思われていたし、自分でもそう信じていた。音楽は好きだが、そのことを人には言えない。知識と実技のアンバランスが思わぬ災いをもたらすことがあるからだ。例えばカラオケに誘われても行かれない。恥ずかしながら隠れ音楽ファンだった。そんな私が殻を破ってカラオケを始めたのは、絶好の機会に恵まれたからである。

「下手な人だけでカラオケやらない」と気心の知れた間柄のAさんに誘われた。
「どうして?」 ハッキリした理由が分からないと怖いのだ。
「カラオケ会に行くのに、練習したいんだけど一人で行くのは嫌でしょ。もう一人誘ったからね。Bさんだよ、貴方知ってるでしょう。下手同士で気楽にやろう」

Bさんと聞いて安心した。音痴は充分承知の上で選ばれたのだ。そういうことならやってみたい。もともと歌うのは大好きだ。オマケに秘密にしようと言うのだから有難い。誰にも知られることなく伸び伸びと楽しく歌えそうだ。

あれから10年たったが依然として音痴のままだ。難病のように原因が分からないので治療法が確立されていない。治らないし克服もできない。楽しく付き合って行くべきものと理解している。

「テレビでね。家のワンちゃんは歌が上手とか自慢している奥様がいたのですよ」
「そうかい」
「どうと言うことなかったですね。ウ~とかア~うなっているだけですよ」
「自分の方がよっぽど上手いと言いたいのか」
「人間に生まれて好かったです」

隠し事が多くて恐縮だが歌謡曲よりジャズが好きだ。ついでに白状すると、英語で何か歌いたいと密かに夢を抱いていた。それで……、

「洋楽カラオケを始めました」
「お前が? 無理だよ。なんで俺に相談しないで決めるんだ」
「一人で聴いているより、皆さんの前で歌った方が楽しいですからね」
「ろくに歌えないのに大丈夫か?」
「恥ずかしいです」
「そうだろう。だから心配なんだよ」
「楽しさと恥ずかしさを天秤にかけたら、楽しさが重すぎて恥ずかしさが吹っ飛んでしまいました。上の方にポーンとね。どこに行ったのでしょうか」

このブログは毎週土曜の更新。次回は4月9日です。よろしくお願い致します。

FC2blog テーマ:エッセイ - ジャンル:小説・文学

【2016/04/01 00:00】 | 札幌シニアネットssn
トラックバック(0) |
私は出来もしないことを夢想する、ろくでもない人だ。しかし、それが惨めで情けない人生における唯一の救いだとしたら仕方がないだろう。それに知力・体力、金力なしで出来るのだから有難い。

「仮にタイムマシンに乗って11年前に戻ったとしたら、その時の私は1年後にカラオケを始め、その10年後に洋楽カラオケを始めることを知らない。だとすれば10年後は思いもよらぬ幸せに恵まれているかも知れない。そしてその10年後も……」

昨日より今日、今日より明日は、自分なりに上達したいと思いながら練習をしている。これを20年も続けていれば「スター誕生」も夢ではないとか空想をして楽しんでいた。突然QPに声をかけられてビックリした。

「アンタ、カラオケ習いに行ったら」
「アレッ、聞こえているのですか」
私が腹の中で思っていることが分かるのかな。油断も隙もありはしない。これじゃあストレスが溜まる一方だ。

「トイレに行ったとき聞こえたんだよ。自己流で練習したって上手くなれないよ」
トイレは私の部屋の真ん前だから聞こえて当然だが、秘密の練習がバレてしまった。居間のドアを閉め、廊下の奥の部屋を閉め切っているので、居間や台所に居るQPに聞こえる筈がないと思っていたのだが。

QPは私が何を練習しているか知らないから、習えとか言うのだ。カラオケでは伴奏に合わせて歌えるように文字に色を付けてくれる。それなのに合わせられないから繰り返し練習しているのだ。こんなことを教えてくれる教室はないと思う。何をやってもハンディが大きくて楽じゃない。

母は歌が上手で詩吟の先生もしていた。私にもその血が流れている。だから生まれた時は歌が上手かったはずだ。しかし、度重なる「音楽事故」が原因で音感を損傷し、意識が戻った時には音痴になっていた。現在はリハビリに励んでいる。持って生まれた機能を回復すれば私は素晴らしい歌い手になるだろう。多分。

しかし現状は厳しい、なかなか伴奏に合わせて歌えない。前回のカラオケ会では、伴奏に遅れて困ったので、一生懸命練習したら、今度は早すぎて伴奏の方が追い付かなくなってしまった。

歌っていると、なにやら会場がざわつき出した。笑い声も聞こえる。私は一生懸命だが周りはそうでもないようだ。この光景はどこかで見た様な気がする。そうだ、映画「男はつらいよ」の寅さんだ。 皆に笑ってもらえる人気者として長いあいだ憧れていたのにガッカリした。なんだ、寅さんって、こんなもんだったのか

「20年後が楽しみですね」
「生きていたとしてもヨボヨボだよ」
「千里の道も一歩から。塵も積もれば山となる。凄く上手くなっていますよね」
「どうでもいいけど人様には迷惑かけないでね。アタシが恥ずかしいから」
「流暢な英語で滑らかに歌うのです」
「不器用なんだから無理しない方がいいよ」
「女性たちがキャーキャー・モグモグ」
「モグモグってなんだよ?」
「入れ歯を忘れてモグモグ・クチャクチャ。みんな年上、100とか150」

65でカラオケを始め、75で洋楽カラオケを始めて悪戦苦闘中だが、輝かしい未来を夢見ている。85で何とかなるだろう。それから10年たてば95歳。老人ホームのステージに立つのも夢ではない。遅咲きの「スター誕生」。これが私の20ヶ年計画である。

「95歳までピンピンしているつもりかい」
「そんなこと言ってませんよ」
「20年計画とか言ってたでしょ」
「将来計画がないと今やることが決まらないのです」
「もっと気楽に生きられないの」
「これが一番気楽なんです」
「なんで?」
「全ては時が解決してくれますから、私は漂っているだけでいいのですよ」
「ホントだ」
「そうでしょう」
「ウチの中でも漂っているだけ。ご飯だよと呼べば直ぐ来るけどね」

FC2blog テーマ:エッセイ - ジャンル:小説・文学

【2016/01/23 00:00】 | 札幌シニアネットssn
トラックバック(0) |

くじけないで
路傍の石

練習の成果出ましたね。
伴奏が追い付かないほどに、歌えるようになるなんて。
拍手! 拍手!!

遅咲きの「スター誕生」だって夢ではありません(^^♪。

「くじけないで」・・・101歳の詩人「柴田トヨさん」のようにネ。

盛大な拍手を有難うございます
PP
盛大な拍手を有難うございます。
そうなんですよ。柴田トヨさんには励まされました。
惜しい人を失いました。もっと活躍してほしかったですね。
私もこの10年間はかなり運が付いたような気がします。
有難いことですね。

コメントを閉じる▲
新年にあたり今年の抱負を語りたい。後期高齢者(略してコーキ)の1年目だから、それに相応しいことがいいと思う。結論から言うと英語の歌を覚えたい。

習うのではなく、自分で勝手に練習して適当に歌うだけ。それには理由がある。音痴で英語力も無い、オマケに口が回らない。ここを直せば好くなるとか言われても直せないのだ。居直りではなく、現実を認めつつ楽しみたいと思っている。

その様な悪条件下でも英語で歌いたいのは若い時、英語が大好きだったからだ。ただ好きなだけで学校で習ったわけでもない。洋画を観て、このセリフは格好いいとか思って、一人でつぶやいているだけだった。憧れと言うか、そんな感じである。

有難いことに私が所属している札幌シニアネットのカラオケクラブでYowKaraもやってくれることになった。「洋楽カラオケ」の略だそうだ。こんな機会は一生に一度しか回って来ないので一生懸命やりたいと思う。英語の歌と言うのは格好いいセリフの塊だから歌えれば気分がいいだろう。多分。

歌に関しては辛い思いが2回あった。ひとつは小学校の学芸会の合唱で、口だけ動かして声を出すなと先生に言われたとき。いわゆる口パクの強制である。もう一つは40歳くらのとき、同僚から「歌えと言われても歌うな。断れ」と言われたとき。皆が歌っているのに私だけが断ったら場の雰囲気を悪くするとか考えたのが間違いのようだった。逆だと言うのだから嫌になる。涙がホロり。

「そんな思いをしたのに、よく歌う気になるな」
「根が好きなもんですから」
「そうかい。そりゃあ御気の毒様」
「私の音痴を知っている人が、下手同士3人でカラオケやろうと誘ってくれました」
「下手でも好きな人って居るもんだな」
「歌うのが嫌いな人なんていませんよ」
「カラオケ嫌いなんて掃いて捨てるほどいるぞ」
「周囲の人たちが寄ってたかって嫌いにさせただけです」
「なるほど、何でも人のせいにすれば気は楽だ」
「退職してからですが、シニアネットを含めて4回も好い機会に恵まれました」

ところが最高のチャンスがやって来た。去年の秋、Yowkaraの案内メールが流された。そこには「洋楽に興味のある方なら、どなたでも大歓迎」と書いてあるではないか。あるある大いにある。さっそく遠慮なく参加させてもらったが、やはり歌うのは難しかった。それなのに何故か歌いたい想いが募って来た。

思い返せば半世紀も前のことだが、英語も多少関連する職に就くと、大好きだったのが次第に嫌いになり、5年もたつと大嫌いになった。研修中は出来る人だったのに実務に就くと、いつの間にか一番出来ない人になっていた。向いていなかったのだ。結局一人で洋画のセリフをつぶやいていた時が一番楽しかった。しかし、それでは飯が食えない。首にならない為に必死に頑張っていたら更に嫌いになった。

「音痴な人は英語もダメなんですね」
「そりゃそうだ。それなのに何で? 今更英語の歌なんか……」
「心の片隅にあった若気の心に火が点いたのです」
「そりゃあ危ない」
「若いとき一人でつぶやいていた英語のセリフを今度は皆のまえで歌いたく……」
「ちょっと待った、音痴の上に英語を重ねるのか。それじゃあ恥の上塗りになるぞ」
「点いた火を消すのは容易なことではありません」
「だから水を差して上げたんだよ」

65歳になってカラオケを始めた。社会的にも高齢者と認められる年になったからだ。若い時は下手な歌を歌えば恥をかくだけだが、高齢者になると健康にいいから大いにやりなさいと言ってくれる人もいる。好きだから歌っているだけだが、その流れにはシッカリと乗せてもらっている。ひょっとして健康にいいかも知れない?

あれから10年、恐れ多くもYowKaraに挑戦。普通ならリングに上がった途端にバタッと倒れノックアウトだが、私はコーキ。何をやっても「ジイサンだからしょうがない」と周りが諦めてくれる。高齢化の流れがグイグイ私の背中を押してくれるのだ。

カラオケクラブでは新曲を聴くことがよくある。歌える人が羨ましいとは思うけれど音痴だから覚えられない。昔の歌だけで精いっぱいだ。

「その点、ヨウカラはいいですね。米国懐メロ一覧と言う感じです」
「英語で歌えるのか?」
「カタカナも一緒に出てきますよ」
「自己満足だな」
「いえいえそれは違います。もっと上のレベルです」
「なんだと?」
「自己解放ですよ」

高齢者と呼ばれる65歳の時、カラオケを始めた、そしてコーキになってYowKaraを始めようとしている。この間、10年、さて次の10年後、85歳になったら何を始めているだろうか。未来を予測する為には歴史を知らなければならない。

仮にタイムマシンに乗って11年前に戻っとしたら、その時の私は1年後にカラオケを始めて、その10年後にYowKaraを始めることを予想できない。だとすれば、今から10年後には思いもよらない楽しいことが待っているに違いない。

私のお勉強「トム・ドゥーリー」
勉強と言っても歌詞とその背景を知りたいだけのこと。例えばキングストン・トリオの「トム・ドゥーリー」が私の耳に心地よく響く。しかし、ヘダント・ヘッタン・ドゥーリー、ヘダント・ヘーアン・クライとしか聞こえない。歌詞を読むとこうだ。Hang down your head, Tom Dooley Hang down your head and cry 何となく不気味だ。

訳詞を読むと、トムは縛り首(絞首刑)にされて明日は死ぬ身と書いてある。フィアンセを殺した罪で刑が執行されるのだ。このような歌詞が、あの美しいメロディーに乗せて淡々と流れる。曲のヒットがきっかけで、ノースカロライナにあるトムの墓は新しく建て直されたそうだ。トムは元南軍の兵士だが、フィアンセの他に恋人も居た。

トムは裁判で自分の犯行を否定したものの、「自分は罰を受けるに値する」として、自ら進んで首を差し出した。これは1886年に起きた殺人事件である。多くの謎を残したまま忘れ去られそうになったが、曲のヒットでよみがえる。真犯人はトムのもう一人の恋人だったという説もある。何となく肯ける。

想うことはいろいろあるが、このような残虐且つ不可解で痛ましい事件が美しいメロデーに乗せて淡々と歌われていることが凄いと思った。少なくともこの種の日本歌謡曲を聞いたことがない。だからYowKaraは面白い。歌えても歌えなくても。

昔は何も知らずに心の中でヘダント・ヘッタン・ドゥーリーとつぶやいていた。美しいメロデーが半世紀以上にわたり私の心にひびいている。それなのに歌えないから不思議だ。ヘタデモイイカラ・ドゥーリー、ウタッテミタイヨ・クラーイ♪

FC2blog テーマ:エッセイ - ジャンル:小説・文学

【2016/01/02 00:00】 | 札幌シニアネットssn
トラックバック(0) |

今年も楽しいエッセイを。
路傍の石

新年おめでとうございます。
今年も笑えるオチ、楽しみにしています。

「現実を認めつつ楽しみたい」→清々しい言葉ですね。
PPさんの素直さが表れているみたい。

歌えても歌えなくても、出来ても出来なくても、
チャレンジすることは大切だし、楽しい。

♪ヘタデモイイカラ、PPサン・ウタッテチョウダイ、ヘ~イ♪
 (ごめんなさい、本当は上手なんでしょ、PPさんは。)

ウタッテチョウダイ、ヘ~イ
PP
新年おめでとうございます。
一度でいいからウタッテチョウダイ、ヘ~イ♪
と言って欲しい。という願いが早々と叶いました。
有難うございます。
歌うのは健康にいいそうです。
そう言われると堂々と歌えるので助かります。

コメントを閉じる▲
「オレオレ」と言われて何故か嬉しかった。私は居るのか居ないのか分からない人。ハナちゃん、タロちゃんの世界でも私だけはPPさんと呼ばれ、他人行儀だ。念の為に申し添えるがPPはハンドルネーム。そこに佐藤とか実名をあてはめて読むと寂しい状況が見えて来ると思う。多分面白味がないから親しめないのだろう。

ところで、なぜオレオレかと言うと、カラオケで偶然「俺は待ってるぜ」と「霧笛が俺を読んでいる」を歌ったからだ。寂しさを胸に抱いていた私は嬉しくなり、つい調子に乗って「俺は寂しいんだ」もやってしまった。しかし、ここまではイントロの部分、本当に歌いたいのは「俺はお前に弱いんだ」。いつの日か札幌シニアネットのカラオケクラブで歌ってみたいと思っている。

「なんでシニアネットのカラオケクラブなんだ」
「そこが私にとって最高の舞台だからです」
「他にも行っているのか?」
「行ってますよ。福住だけどね。そこでは私が一番若いのです」
「なんだ、周りは年寄ばかりか」
「そうなんですよ。自然減が寂しいですね」
「しぜんげん?」
「はい、最近お亡くなりになった方も居られます」

ともかくカラオケクラブで「俺はお前に弱いんだ」を歌い、あの名セリフを言ってみたいのだ。「しょうがない娘だな甘えてばかりいて…」とかね。この考えを先輩に話すと、
「いいじゃないか。ちょっとふざけて言えば笑いが取れるかも」と、のたもうた。
「お言葉ですが、このセリフは心を込めて語りたいのです。愛しているから不幸にしたくない。こんな想いを表現できればと思っています」

歌が下手だから笑って楽しんでもらおうと言う発想は先輩も私も同じだが、アプローチの仕方がぜんぜん違う。それに私は大勢の前でふざけたり出来ない性格だ。例えば、映画「男はつらいよ」の寅さんは大真面目で恋を語り愛を語ったり、似合わないことをして観客の笑いを誘っている。私の狙いはそこにあるのだ。

自慢じゃないが寅さんよりモットモットみったくない。その私が格好つけて、「しょうがない娘だな甘えてばかりいて…」とか、キザなセリフを言えば、それだけで笑いの渦が巻き起こり、場が盛り上がるのではないか。愚かな私はそう考えた。

「それで…、実行したのか?」
「慎重かつ前向きに検討しているところです。笑いを取るのは簡単ではありません」
「まだやってないんだな。そりゃ良かった」
「はい、頑張ります」
「ダメダメ止めときな」と、先輩は私の名案にいつも水を差す。
「はぁ? なんでですか」
「シーンと静まり返ったらどうするんだ」

笑いの嵐でも感動による静粛でも、どちらでも良いではないか。肝心なのは感動を与えることである。仮に心から感動して胸をときめかせた方が居たとしても、私はそれでいいと思う。笑い・泣き・胸をときめかせてこその人生ではないか。

「なぁお前、自分より下手な歌を聴いたことあるのか?」
「全然ありません! みんな凄く上手いのですよ」
「それが何を意味するか良く考えるんだな」

先輩から言われて良く考えたら分かった。何ということもない。私が一番下手なのだ。しかし分かるまでの道のりは長かった。自分が経験しないことを、想像だけで理解することは難しい。
「分かりました。何もセリフなんかで工夫する必要はないですね。今のままでもかなり可笑しいのに誰も笑いません」
「そこが肝心だ。寒気がして笑えないんだよ」

下手な歌を聴くことはかなりシンドイことらしい。むさくるしい爺さんが幼児のように真剣に歌っている姿が目に浮んだ。こんな感じだろうか。聞いている方は笑うどころか、恥ずかしくなるかも知れない。先ほど考えた裕次郎のセリフなどを入れたら大変だ。我慢の限界を超えて爆発するかも知れない。おお怖い。怖い怖い。

そう言えば30年前ぐらい前に爆発した人が居た。私は反省して20年間カラオケを止めた。やはり私にはカラオケゲームでも退場ルールが必要だ。
「下手くそ止めろと3回言われたら退場することにしました」
「そんなこと腹で思っても口には出さないよ」
「顔に出るでしょう」とは言ったものの判定が難しい。

何の遊びも出来ない私だが、かような状況の中で何とか楽しませてもらっている。人様に迷惑をかけるのが心苦しいけれど仕方がない。私だってたまには歌って笑って楽しく過ごしたい。今は無職。仕事から解放されたのだから、真面目なフリも、出来るフリもしなくていいのだ。

「自分の楽しみのために人に迷惑をかけるのは良くないよ」
「気分転換のつもりですが」
「ダメなものはダメ」
「私の歌が大好きで聴くのを楽しみにしている方も居るかも知れませんよ」
「無い! 絶対に居ない。第一、自分で歌はダメと言ってたじゃあないか」
「私は『かも知れない話』をしているのです。その反対も有りでしょう」
「なんだと?」
「発想の転換をしただけです。何か問題でも?」
「………」

FC2blog テーマ:エッセイ - ジャンル:小説・文学

【2015/12/26 00:00】 | 札幌シニアネットssn
トラックバック(0) |

歌えば楽し!
花筏

「オレオレ」に続く言葉はてっきり詐欺と思いましたが、
カラオケの世界にも「オレオレ」があるんですね。

待ってるぜ、霧笛が呼んでいる、淋しいんだ、お前に弱いんだ・・・・・
並べてみると、ロマンティックな言葉が多いです。

PPさん自身が夢みる紳士なのでしょうね、きっと。

夢を見るのは大好きです
PP
紳士ではないけれど、夢を見るのは大好きです。
いろいろ空想して楽しんでいます。
いろいろな人から夢や空想の話も聞きいてみたいです。
あまり話してもらえないので代わりにドラマをみています。

コメントを閉じる▲
待ちに待った五天山公園への「歩こう会」は好天に恵まれた。地下鉄発寒南駅からバスに搭乗。しばらくすると目的地に近づいたようで、41名の会員が次々と降りだした。私は前の方に座っていたが皆さんが降りるのを座ったまま待っていた。
150925basu.jpg
そのとき後ろに座っている見知らぬお爺さんから声をかけられた。

「お連れさんは皆降りてるよ、お爺さんは降りなくていいのかい」
「(爺とは)私ですか? 大勢ですから最後に降ります」
「そうかい。どこに行くのかね」
「五天山公園です」
「五天山は終点だよ。ここで降りたらダメだよ」
「みんな降りていますから……」
「ここじゃないよ。オレは近所だからよく知っているんだ」
「有難うございます。やっぱり降ります」
「どうして降りるんだよ」
「分かりません」
「降りる所はオレが教えてあげるから座っていなさい」
「それでは失礼します」
「降りるのか、強情だな~。だから年寄は嫌われるんだよ」
「そうですね。ごめんなさい」

と言って急いで降りた。行き先など分からなくても皆さんと一緒に歩いていれば楽しいものだ。こんな気持ち、お爺さんには分かるまい。オキノドクサマ。
”それを言っちゃあ、おしまいだよ”。草葉の陰から寅さんの声。

150925hidarimata.jpg
バスを降りたら皆さんの後に付いて歩く。絶景だ、素晴らしい。なるほど、ここを歩く為にかなり手前で降りたのだ。感謝! 発寒川と左股川の合流点から左股川沿いに上流に向かって歩いた。五天山公園まで約3km、適度な腹ごなしとなった。だんだんバーベキューが楽しみになって来た。

150925gotenzan.jpg
心地よい汗とともに五天山公園正門に着く。ここで集合写真を撮影。

150925babekyu.jpg
7人ずつ、6組にわかれてバーベキューが始まった。私にとっては初めてのことであり、とても楽しかった。

150925babekyu2.jpg
炭で肉や野菜を焼いていると、思いがけず戦後の焼け跡を思い出した。終戦後5年もたち渋谷の街も復興していたが、我が家だけは相変わらずのバラック住まいだ。空襲で家を失った人たちは焼け跡で拾った焼けトタンと、焼け焦げた廃材で仮住まいを組み立てた。風雨を避ける為だけの粗末な家をバラックと呼んでいた。

焼け跡で拾った壊れかけた釜をまだ使っていた。飯炊きは10歳の私の担当だ。カマド代わりに一斗缶の下の方をくり抜いて、そこから薪をくべた。薪は魚屋からもらった。使用済みの木箱をナタで叩いて適当な大きさにして使ったのだ。魚の油が染み込んでいるのでよく燃えた。

バラックは狭いので外でやるしかない。それで私が飯を炊かされたのだ。この仕事は渋谷区が仮設住宅を建ててくれるまで続いた。家で出来るようになると母が炊くようになった。キャンプでは当たり前のことも街中の道路でやると何故か恥ずかしい。当時の大人はみっともない仕事は子供に押し付けた。

隣の魚屋では売れ残った魚を中学生の息子に売らせていた。リヤカーを引きながら泣いている姿をよく見かけたものだ。昨日買った魚が腐っているとか、客から文句を付けられ返金を迫られるのだ。彼はけっして金を返さない。ただ下を向いて泣くだけ。父親の方がもっと怖いからだ。

比べれば私の方がマシだが道路で飯炊きは恥ずかしい。やっているのは私だけだ。65年前とは言え東京のど真ん中渋谷二丁目だ。青山通りから外れた横丁の道路でも自転車は通るし人通りはある。もちろん知人も同級生も通る。「こんなとこで飯炊くな」と言われても、「お手伝い、偉いね」と言われても恥ずかしい。

150925babekyu3.jpg
炭が沢山残っていてもったいない。消壺は何処にあるのか探してみたが見当たらない。昔は炭が残っていれば消壺に入れて消す。そして再利用するのが常識だった。灰になるまでトコトン使った。

私が炭とか薪を使わなくなって60年たった。その間に使い方が大きく変わった。炭は1回しか使わないのだが、放っては置けないから直ちに消してゴミとして処分するのかな? 経験のない私には分からない。

世の中は変わっているのに、私の経験は60年前に途切れ、今になって突然つながった。前世紀の人間が時空を超えて五天山公園に舞い降りたようなものだ。炭を再利用する手順がないのなら消壺は必要ない。初めてのバーベキューで又、新たな発見をしてしまった。

「誰でも知っていることを発見とか言わないでよ」
「私としての発見と言い換えましょう」
「どうでもいいから口から出さないでね」
「Poot!」
「何だよそれ」
「英語です」
「くさ~い」
「ごめんなさい、口から出せないので尻から出しました」

150925hagi.jpg
昼食後は、「もっと歩きたい30人」が平和地区までの3kmを歩いた。途中の遊歩道は萩が咲き、甘酸っぱい実がなる木があったが名は知らない。ともかく美味しかったので沢山食べた。

「小さくてブドウの様な味で酸っぱかったです」
「なんだか分からないもの食べてお腹を壊したらどうするの」
「それより、近所の人に叱られないか心配です」
「なんで?」
「片側は川ですが、反対側は住宅街なのです」
「小さいブドウは何方かの持ち物?」
「もしそうだとすると、実が大きくなるのを待っていたのかも知れませんね」
「それじゃあ、ドロボーじゃなないの。アタシは知らないよ」
「私も知りません。警察も知りたくないと思います」
「だからどうなの?」
「自首しません」

FC2blog テーマ:エッセイ - ジャンル:小説・文学

【2015/10/03 00:00】 | 札幌シニアネットssn
トラックバック(0) |

バーベキューは楽し!
路傍の石

ご無沙汰してました。

PPさん、人生初めてのバーベキューですか?
好天の下、大勢の仲間と談笑しながらのバーベキュー、
楽しく又美味しかった事でしょう。

それが突然消壺に繋がっていく件は切ないですね。

先ずはバーベキューデビュー、おめでとうございます。



幸せな今を感謝しています
PP
有難うございます。バーベキューは楽しいですね。
昔を思い出すと、現在の幸せを何倍にも感じることができます。
時々思い出しては、しみじみと幸せな今を感謝しています。
精神的に凄くいいですね。

コメントを閉じる▲