所属している札幌シニアネットでカラオケと歩こう会を楽しんでいる。カラオケの場合は歌を静かに聴いているのが一番いい。音楽の中で話をしていてもよく聞こえないのだ。いちいち聞き返しても悪いので分からないまま肯いている。相手の人が謙遜している時が一番怖い。聞き返してもいけないし肯いてもダメなのだ。
「これこれしかじか。下手だから恥ずかしいのですよ」
「うんうん、なるほど」
「ホニャララホニャララ。私の歌なんか聞きたくないでしょ」
「そうですね。全くその通りです」
これでは楽しい会話もぶち壊しだ。私は耳が遠くてまともな会話が出来ない癖に話したがる。大人しく聴いて楽しんでいれば好いものを、自分で話しかけていながら心配している。そして不本意ながら肯いている。
今日は楽しい札幌シニアネットの「歩こう会」。歩きながら、いろいろ話が出来るので楽しい。サハリン生まれで終戦の混乱の中で敗戦後3年も難民生活を送った苦労話も聞いた。今、こうしてハイキングが出来ることをしみじみと幸せに思った。子供の頃を思い起こせば年寄でハイキングを楽しめる人は、お金持ちに限られていた。
半世紀前に遡れば上流階級に属する人でなければ出来なかったことを、今は当たり前と思っている。「イッツ・ア・ワンダフル・ライフ」と思ってもいいはずなのに……。そう言えば『」素晴らしき哉、人生!』という映画があった。その映画のように、天使が私に幸せな人生を歩んでいることを教えてくれているのかも知れない。
歩きながら話をすると、アルト・サックスや体操をやっていた人の話も聞けた。アルトと言えばジャズのチャーリー・パーカーやアートペッパーを思い出す。体操競技と言えばコマネチか。競技や舞台での経験のある人の話は面白い。思わず引き込まれてしまい。質問攻めにしたら逃げられた。歩きながらの場合は逃げるのも自然にできる。スピードを落としたり、風景に誘われてちょっと横道にそれるだけでいい。
とても嬉しいことがあった。集合場所が偶然にも40年前くらいから7年くらい住んでいた集合住宅のど真ん前の公園だった。その頃息子は6歳、所々に小さな桜の木が植えられていた。それが大木になり花をいっぱい咲かせているではないか。驚くやら嬉しいやらで心の中では大変な騒ぎだ。
さっそく傍にいた人に話した。次々と三人くらいに話した。それでも満足しないで、ハンドマイク付メガフォンを使って約50人の歩こう会メンバーに向かって「そこに建っているアパートは私が7年間住んでいた所です」と知らせた。もちろん花見をしている沢山の人々にも聞こえたと思う。ところが、ハ~とかフ~とか微かに聞こえたような気もしたが、何の反応もなかった。
私はどうも勘違いをしていたようだ。リンカーンは丸太小屋からホワイトハウスへと言われ、生家が名所となっている。しかし私はただの人、共同住宅の一室には何の意味もない。心の中で静かに懐かしむべきだった。後で考えると、はしゃぎ過ぎて恥ずかしい。昔なら深く傷つくところだが今はボケたかなと呟くだけ。
小さな幸せをいっぱいもらったが、不幸せもホンの少し頂いた。それも、うどんにかける唐辛子程度の役目をしてくれた。お陰様で楽しい楽しい歩こう会だった。歌って歩いているだけでは申し訳ないので社会貢献にも力を注いでいる。微力ではあるが人の為になることもしてみたいのだ。
「これこれしかじか。下手だから恥ずかしいのですよ」
「うんうん、なるほど」
「ホニャララホニャララ。私の歌なんか聞きたくないでしょ」
「そうですね。全くその通りです」
これでは楽しい会話もぶち壊しだ。私は耳が遠くてまともな会話が出来ない癖に話したがる。大人しく聴いて楽しんでいれば好いものを、自分で話しかけていながら心配している。そして不本意ながら肯いている。
今日は楽しい札幌シニアネットの「歩こう会」。歩きながら、いろいろ話が出来るので楽しい。サハリン生まれで終戦の混乱の中で敗戦後3年も難民生活を送った苦労話も聞いた。今、こうしてハイキングが出来ることをしみじみと幸せに思った。子供の頃を思い起こせば年寄でハイキングを楽しめる人は、お金持ちに限られていた。
半世紀前に遡れば上流階級に属する人でなければ出来なかったことを、今は当たり前と思っている。「イッツ・ア・ワンダフル・ライフ」と思ってもいいはずなのに……。そう言えば『」素晴らしき哉、人生!』という映画があった。その映画のように、天使が私に幸せな人生を歩んでいることを教えてくれているのかも知れない。
歩きながら話をすると、アルト・サックスや体操をやっていた人の話も聞けた。アルトと言えばジャズのチャーリー・パーカーやアートペッパーを思い出す。体操競技と言えばコマネチか。競技や舞台での経験のある人の話は面白い。思わず引き込まれてしまい。質問攻めにしたら逃げられた。歩きながらの場合は逃げるのも自然にできる。スピードを落としたり、風景に誘われてちょっと横道にそれるだけでいい。
とても嬉しいことがあった。集合場所が偶然にも40年前くらいから7年くらい住んでいた集合住宅のど真ん前の公園だった。その頃息子は6歳、所々に小さな桜の木が植えられていた。それが大木になり花をいっぱい咲かせているではないか。驚くやら嬉しいやらで心の中では大変な騒ぎだ。
さっそく傍にいた人に話した。次々と三人くらいに話した。それでも満足しないで、ハンドマイク付メガフォンを使って約50人の歩こう会メンバーに向かって「そこに建っているアパートは私が7年間住んでいた所です」と知らせた。もちろん花見をしている沢山の人々にも聞こえたと思う。ところが、ハ~とかフ~とか微かに聞こえたような気もしたが、何の反応もなかった。
私はどうも勘違いをしていたようだ。リンカーンは丸太小屋からホワイトハウスへと言われ、生家が名所となっている。しかし私はただの人、共同住宅の一室には何の意味もない。心の中で静かに懐かしむべきだった。後で考えると、はしゃぎ過ぎて恥ずかしい。昔なら深く傷つくところだが今はボケたかなと呟くだけ。
小さな幸せをいっぱいもらったが、不幸せもホンの少し頂いた。それも、うどんにかける唐辛子程度の役目をしてくれた。お陰様で楽しい楽しい歩こう会だった。歌って歩いているだけでは申し訳ないので社会貢献にも力を注いでいる。微力ではあるが人の為になることもしてみたいのだ。
困ったことに正直に言えないこともある。頭脳明晰、スポーツ万能、囲碁将棋麻雀等あらゆるゲームに精通とか、こんなことは言い難い。それが自慢と思われるのが怖いのだ。気が小さいのが唯一の欠点かもしれない。
「オマケに容姿端麗。まったく羨ましいよ」
「止めてください。実物を見られて恥をかくのは私です」
「歌も凄く上手い」
「何を言うんですか! 全部ウソだとバレちゃうじゃあないですか」
今日はエイプリルフールだ。スマートに嘘をついて日頃の鬱憤を晴らそうと思っていたのに無粋な先輩にぶち壊された。哀れな私を慰めたつもりだろうか?
総合的な意味で人間力が弱いから何をやってもダメなのだ。せめて勝ち負けの付かない歌ぐらいは楽しみたい。趣味と言えるものは何もない。その代り自由時間がたっぷりある。歌を一つ覚えるのに人の百倍もかかったとしても何の痛痒も感じない。苦労して覚えれば楽しさも百倍になるかも知れない。
マイ・ボニー or マイ・バニー
「先輩は英語が得意ですよね」
「進駐軍で働いていたからな」
「『火を貸して下さい』は英語でなんて言うのですか?」
と聞きながら煙草を吸う仕草をする。
「サンバリライトだ」
「有難うございました」
「ナレロ」
「何ですか、そのナ・レ・ロと言うのは?」
「英語でドウイタシマシテと言ったんだ」
先輩に聞きたいことがあったので、それとなく実力を探った。私の知らないことを沢山知っているのだから英語が得意に違いない。質問と言っても大したことではないが、私にとっては重大な問題だ。私は今、進むべきか退くべきかの岐路に立っている。
「マイ・ボニーという歌あるでしょう。カラオケの画面ではボニーとカナを振ってあるのですが、ミッチ・ミラー合唱団が歌うのを聴くとバニーとしか聞こえないのです。どっちが本当ですか?」
「そんなことドッチでもいいじゃないか」
「よくありません。ボニーと12回も出てくるのです」
「それがどうした?」
「私が間違えるたびに皆笑うのです。12回も笑われたら歌えません」
「歌わなければいいだろう」
「それは言わないルールです。先輩なら分かるでしょう」
「答える前にやってもらうことが一つある」
「はいはい、何でもやりますよ」
「先ず耳鼻科に行って診てもらえ」
札幌シニアネット:カラオケクラブの洋楽カラオケに参加
早いもので札幌シニアネットのカラオケクラブで開いてくれる洋楽カラオケに参加して半年近くたった。そこでは外国語で歌うことになっている。私のように英語で歌いたいけれど歌えない人にとっては、とても有難い決まりだ。どっちでもいいよと言われたら心ならずも和訳で歌うことになる。しかし、それではつまらない。
カラオケを始めたのは65歳のときだった。それまではカラオケ嫌いと思われていたし、自分でもそう信じていた。音楽は好きだが、そのことを人には言えない。知識と実技のアンバランスが思わぬ災いをもたらすことがあるからだ。例えばカラオケに誘われても行かれない。恥ずかしながら隠れ音楽ファンだった。そんな私が殻を破ってカラオケを始めたのは、絶好の機会に恵まれたからである。
「下手な人だけでカラオケやらない」と気心の知れた間柄のAさんに誘われた。
「どうして?」 ハッキリした理由が分からないと怖いのだ。
「カラオケ会に行くのに、練習したいんだけど一人で行くのは嫌でしょ。もう一人誘ったからね。Bさんだよ、貴方知ってるでしょう。下手同士で気楽にやろう」
Bさんと聞いて安心した。音痴は充分承知の上で選ばれたのだ。そういうことならやってみたい。もともと歌うのは大好きだ。オマケに秘密にしようと言うのだから有難い。誰にも知られることなく伸び伸びと楽しく歌えそうだ。
あれから10年たったが依然として音痴のままだ。難病のように原因が分からないので治療法が確立されていない。治らないし克服もできない。楽しく付き合って行くべきものと理解している。
「テレビでね。家のワンちゃんは歌が上手とか自慢している奥様がいたのですよ」
「そうかい」
「どうと言うことなかったですね。ウ~とかア~うなっているだけですよ」
「自分の方がよっぽど上手いと言いたいのか」
「人間に生まれて好かったです」
隠し事が多くて恐縮だが歌謡曲よりジャズが好きだ。ついでに白状すると、英語で何か歌いたいと密かに夢を抱いていた。それで……、
「洋楽カラオケを始めました」
「お前が? 無理だよ。なんで俺に相談しないで決めるんだ」
「一人で聴いているより、皆さんの前で歌った方が楽しいですからね」
「ろくに歌えないのに大丈夫か?」
「恥ずかしいです」
「そうだろう。だから心配なんだよ」
「楽しさと恥ずかしさを天秤にかけたら、楽しさが重すぎて恥ずかしさが吹っ飛んでしまいました。上の方にポーンとね。どこに行ったのでしょうか」
このブログは毎週土曜の更新。次回は4月9日です。よろしくお願い致します。
「オマケに容姿端麗。まったく羨ましいよ」
「止めてください。実物を見られて恥をかくのは私です」
「歌も凄く上手い」
「何を言うんですか! 全部ウソだとバレちゃうじゃあないですか」
今日はエイプリルフールだ。スマートに嘘をついて日頃の鬱憤を晴らそうと思っていたのに無粋な先輩にぶち壊された。哀れな私を慰めたつもりだろうか?
総合的な意味で人間力が弱いから何をやってもダメなのだ。せめて勝ち負けの付かない歌ぐらいは楽しみたい。趣味と言えるものは何もない。その代り自由時間がたっぷりある。歌を一つ覚えるのに人の百倍もかかったとしても何の痛痒も感じない。苦労して覚えれば楽しさも百倍になるかも知れない。
マイ・ボニー or マイ・バニー
「先輩は英語が得意ですよね」
「進駐軍で働いていたからな」
「『火を貸して下さい』は英語でなんて言うのですか?」
と聞きながら煙草を吸う仕草をする。
「サンバリライトだ」
「有難うございました」
「ナレロ」
「何ですか、そのナ・レ・ロと言うのは?」
「英語でドウイタシマシテと言ったんだ」
先輩に聞きたいことがあったので、それとなく実力を探った。私の知らないことを沢山知っているのだから英語が得意に違いない。質問と言っても大したことではないが、私にとっては重大な問題だ。私は今、進むべきか退くべきかの岐路に立っている。
「マイ・ボニーという歌あるでしょう。カラオケの画面ではボニーとカナを振ってあるのですが、ミッチ・ミラー合唱団が歌うのを聴くとバニーとしか聞こえないのです。どっちが本当ですか?」
「そんなことドッチでもいいじゃないか」
「よくありません。ボニーと12回も出てくるのです」
「それがどうした?」
「私が間違えるたびに皆笑うのです。12回も笑われたら歌えません」
「歌わなければいいだろう」
「それは言わないルールです。先輩なら分かるでしょう」
「答える前にやってもらうことが一つある」
「はいはい、何でもやりますよ」
「先ず耳鼻科に行って診てもらえ」
札幌シニアネット:カラオケクラブの洋楽カラオケに参加
早いもので札幌シニアネットのカラオケクラブで開いてくれる洋楽カラオケに参加して半年近くたった。そこでは外国語で歌うことになっている。私のように英語で歌いたいけれど歌えない人にとっては、とても有難い決まりだ。どっちでもいいよと言われたら心ならずも和訳で歌うことになる。しかし、それではつまらない。
カラオケを始めたのは65歳のときだった。それまではカラオケ嫌いと思われていたし、自分でもそう信じていた。音楽は好きだが、そのことを人には言えない。知識と実技のアンバランスが思わぬ災いをもたらすことがあるからだ。例えばカラオケに誘われても行かれない。恥ずかしながら隠れ音楽ファンだった。そんな私が殻を破ってカラオケを始めたのは、絶好の機会に恵まれたからである。
「下手な人だけでカラオケやらない」と気心の知れた間柄のAさんに誘われた。
「どうして?」 ハッキリした理由が分からないと怖いのだ。
「カラオケ会に行くのに、練習したいんだけど一人で行くのは嫌でしょ。もう一人誘ったからね。Bさんだよ、貴方知ってるでしょう。下手同士で気楽にやろう」
Bさんと聞いて安心した。音痴は充分承知の上で選ばれたのだ。そういうことならやってみたい。もともと歌うのは大好きだ。オマケに秘密にしようと言うのだから有難い。誰にも知られることなく伸び伸びと楽しく歌えそうだ。
あれから10年たったが依然として音痴のままだ。難病のように原因が分からないので治療法が確立されていない。治らないし克服もできない。楽しく付き合って行くべきものと理解している。
「テレビでね。家のワンちゃんは歌が上手とか自慢している奥様がいたのですよ」
「そうかい」
「どうと言うことなかったですね。ウ~とかア~うなっているだけですよ」
「自分の方がよっぽど上手いと言いたいのか」
「人間に生まれて好かったです」
隠し事が多くて恐縮だが歌謡曲よりジャズが好きだ。ついでに白状すると、英語で何か歌いたいと密かに夢を抱いていた。それで……、
「洋楽カラオケを始めました」
「お前が? 無理だよ。なんで俺に相談しないで決めるんだ」
「一人で聴いているより、皆さんの前で歌った方が楽しいですからね」
「ろくに歌えないのに大丈夫か?」
「恥ずかしいです」
「そうだろう。だから心配なんだよ」
「楽しさと恥ずかしさを天秤にかけたら、楽しさが重すぎて恥ずかしさが吹っ飛んでしまいました。上の方にポーンとね。どこに行ったのでしょうか」
このブログは毎週土曜の更新。次回は4月9日です。よろしくお願い致します。
私は出来もしないことを夢想する、ろくでもない人だ。しかし、それが惨めで情けない人生における唯一の救いだとしたら仕方がないだろう。それに知力・体力、金力なしで出来るのだから有難い。
「仮にタイムマシンに乗って11年前に戻ったとしたら、その時の私は1年後にカラオケを始め、その10年後に洋楽カラオケを始めることを知らない。だとすれば10年後は思いもよらぬ幸せに恵まれているかも知れない。そしてその10年後も……」
昨日より今日、今日より明日は、自分なりに上達したいと思いながら練習をしている。これを20年も続けていれば「スター誕生」も夢ではないとか空想をして楽しんでいた。突然QPに声をかけられてビックリした。
「アンタ、カラオケ習いに行ったら」
「アレッ、聞こえているのですか」
私が腹の中で思っていることが分かるのかな。油断も隙もありはしない。これじゃあストレスが溜まる一方だ。
「トイレに行ったとき聞こえたんだよ。自己流で練習したって上手くなれないよ」
トイレは私の部屋の真ん前だから聞こえて当然だが、秘密の練習がバレてしまった。居間のドアを閉め、廊下の奥の部屋を閉め切っているので、居間や台所に居るQPに聞こえる筈がないと思っていたのだが。
QPは私が何を練習しているか知らないから、習えとか言うのだ。カラオケでは伴奏に合わせて歌えるように文字に色を付けてくれる。それなのに合わせられないから繰り返し練習しているのだ。こんなことを教えてくれる教室はないと思う。何をやってもハンディが大きくて楽じゃない。
母は歌が上手で詩吟の先生もしていた。私にもその血が流れている。だから生まれた時は歌が上手かったはずだ。しかし、度重なる「音楽事故」が原因で音感を損傷し、意識が戻った時には音痴になっていた。現在はリハビリに励んでいる。持って生まれた機能を回復すれば私は素晴らしい歌い手になるだろう。多分。
しかし現状は厳しい、なかなか伴奏に合わせて歌えない。前回のカラオケ会では、伴奏に遅れて困ったので、一生懸命練習したら、今度は早すぎて伴奏の方が追い付かなくなってしまった。
歌っていると、なにやら会場がざわつき出した。笑い声も聞こえる。私は一生懸命だが周りはそうでもないようだ。この光景はどこかで見た様な気がする。そうだ、映画「男はつらいよ」の寅さんだ。 皆に笑ってもらえる人気者として長いあいだ憧れていたのにガッカリした。なんだ、寅さんって、こんなもんだったのか。
「20年後が楽しみですね」
「生きていたとしてもヨボヨボだよ」
「千里の道も一歩から。塵も積もれば山となる。凄く上手くなっていますよね」
「どうでもいいけど人様には迷惑かけないでね。アタシが恥ずかしいから」
「流暢な英語で滑らかに歌うのです」
「不器用なんだから無理しない方がいいよ」
「女性たちがキャーキャー・モグモグ」
「モグモグってなんだよ?」
「入れ歯を忘れてモグモグ・クチャクチャ。みんな年上、100とか150」
65でカラオケを始め、75で洋楽カラオケを始めて悪戦苦闘中だが、輝かしい未来を夢見ている。85で何とかなるだろう。それから10年たてば95歳。老人ホームのステージに立つのも夢ではない。遅咲きの「スター誕生」。これが私の20ヶ年計画である。
「95歳までピンピンしているつもりかい」
「そんなこと言ってませんよ」
「20年計画とか言ってたでしょ」
「将来計画がないと今やることが決まらないのです」
「もっと気楽に生きられないの」
「これが一番気楽なんです」
「なんで?」
「全ては時が解決してくれますから、私は漂っているだけでいいのですよ」
「ホントだ」
「そうでしょう」
「ウチの中でも漂っているだけ。ご飯だよと呼べば直ぐ来るけどね」
「仮にタイムマシンに乗って11年前に戻ったとしたら、その時の私は1年後にカラオケを始め、その10年後に洋楽カラオケを始めることを知らない。だとすれば10年後は思いもよらぬ幸せに恵まれているかも知れない。そしてその10年後も……」
昨日より今日、今日より明日は、自分なりに上達したいと思いながら練習をしている。これを20年も続けていれば「スター誕生」も夢ではないとか空想をして楽しんでいた。突然QPに声をかけられてビックリした。
「アンタ、カラオケ習いに行ったら」
「アレッ、聞こえているのですか」
私が腹の中で思っていることが分かるのかな。油断も隙もありはしない。これじゃあストレスが溜まる一方だ。
「トイレに行ったとき聞こえたんだよ。自己流で練習したって上手くなれないよ」
トイレは私の部屋の真ん前だから聞こえて当然だが、秘密の練習がバレてしまった。居間のドアを閉め、廊下の奥の部屋を閉め切っているので、居間や台所に居るQPに聞こえる筈がないと思っていたのだが。
QPは私が何を練習しているか知らないから、習えとか言うのだ。カラオケでは伴奏に合わせて歌えるように文字に色を付けてくれる。それなのに合わせられないから繰り返し練習しているのだ。こんなことを教えてくれる教室はないと思う。何をやってもハンディが大きくて楽じゃない。
母は歌が上手で詩吟の先生もしていた。私にもその血が流れている。だから生まれた時は歌が上手かったはずだ。しかし、度重なる「音楽事故」が原因で音感を損傷し、意識が戻った時には音痴になっていた。現在はリハビリに励んでいる。持って生まれた機能を回復すれば私は素晴らしい歌い手になるだろう。多分。
しかし現状は厳しい、なかなか伴奏に合わせて歌えない。前回のカラオケ会では、伴奏に遅れて困ったので、一生懸命練習したら、今度は早すぎて伴奏の方が追い付かなくなってしまった。
歌っていると、なにやら会場がざわつき出した。笑い声も聞こえる。私は一生懸命だが周りはそうでもないようだ。この光景はどこかで見た様な気がする。そうだ、映画「男はつらいよ」の寅さんだ。 皆に笑ってもらえる人気者として長いあいだ憧れていたのにガッカリした。なんだ、寅さんって、こんなもんだったのか。
「20年後が楽しみですね」
「生きていたとしてもヨボヨボだよ」
「千里の道も一歩から。塵も積もれば山となる。凄く上手くなっていますよね」
「どうでもいいけど人様には迷惑かけないでね。アタシが恥ずかしいから」
「流暢な英語で滑らかに歌うのです」
「不器用なんだから無理しない方がいいよ」
「女性たちがキャーキャー・モグモグ」
「モグモグってなんだよ?」
「入れ歯を忘れてモグモグ・クチャクチャ。みんな年上、100とか150」
65でカラオケを始め、75で洋楽カラオケを始めて悪戦苦闘中だが、輝かしい未来を夢見ている。85で何とかなるだろう。それから10年たてば95歳。老人ホームのステージに立つのも夢ではない。遅咲きの「スター誕生」。これが私の20ヶ年計画である。
「95歳までピンピンしているつもりかい」
「そんなこと言ってませんよ」
「20年計画とか言ってたでしょ」
「将来計画がないと今やることが決まらないのです」
「もっと気楽に生きられないの」
「これが一番気楽なんです」
「なんで?」
「全ては時が解決してくれますから、私は漂っているだけでいいのですよ」
「ホントだ」
「そうでしょう」
「ウチの中でも漂っているだけ。ご飯だよと呼べば直ぐ来るけどね」
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くじけないで
路傍の石
練習の成果出ましたね。
伴奏が追い付かないほどに、歌えるようになるなんて。
拍手! 拍手!!
遅咲きの「スター誕生」だって夢ではありません(^^♪。
「くじけないで」・・・101歳の詩人「柴田トヨさん」のようにネ。
盛大な拍手を有難うございます
PP 盛大な拍手を有難うございます。
そうなんですよ。柴田トヨさんには励まされました。
惜しい人を失いました。もっと活躍してほしかったですね。
私もこの10年間はかなり運が付いたような気がします。
有難いことですね。
路傍の石
練習の成果出ましたね。
伴奏が追い付かないほどに、歌えるようになるなんて。
拍手! 拍手!!
遅咲きの「スター誕生」だって夢ではありません(^^♪。
「くじけないで」・・・101歳の詩人「柴田トヨさん」のようにネ。
盛大な拍手を有難うございます
PP 盛大な拍手を有難うございます。
そうなんですよ。柴田トヨさんには励まされました。
惜しい人を失いました。もっと活躍してほしかったですね。
私もこの10年間はかなり運が付いたような気がします。
有難いことですね。
新年にあたり今年の抱負を語りたい。後期高齢者(略してコーキ)の1年目だから、それに相応しいことがいいと思う。結論から言うと英語の歌を覚えたい。
習うのではなく、自分で勝手に練習して適当に歌うだけ。それには理由がある。音痴で英語力も無い、オマケに口が回らない。ここを直せば好くなるとか言われても直せないのだ。居直りではなく、現実を認めつつ楽しみたいと思っている。
その様な悪条件下でも英語で歌いたいのは若い時、英語が大好きだったからだ。ただ好きなだけで学校で習ったわけでもない。洋画を観て、このセリフは格好いいとか思って、一人でつぶやいているだけだった。憧れと言うか、そんな感じである。
有難いことに私が所属している札幌シニアネットのカラオケクラブでYowKaraもやってくれることになった。「洋楽カラオケ」の略だそうだ。こんな機会は一生に一度しか回って来ないので一生懸命やりたいと思う。英語の歌と言うのは格好いいセリフの塊だから歌えれば気分がいいだろう。多分。
歌に関しては辛い思いが2回あった。ひとつは小学校の学芸会の合唱で、口だけ動かして声を出すなと先生に言われたとき。いわゆる口パクの強制である。もう一つは40歳くらのとき、同僚から「歌えと言われても歌うな。断れ」と言われたとき。皆が歌っているのに私だけが断ったら場の雰囲気を悪くするとか考えたのが間違いのようだった。逆だと言うのだから嫌になる。涙がホロり。
「そんな思いをしたのに、よく歌う気になるな」
「根が好きなもんですから」
「そうかい。そりゃあ御気の毒様」
「私の音痴を知っている人が、下手同士3人でカラオケやろうと誘ってくれました」
「下手でも好きな人って居るもんだな」
「歌うのが嫌いな人なんていませんよ」
「カラオケ嫌いなんて掃いて捨てるほどいるぞ」
「周囲の人たちが寄ってたかって嫌いにさせただけです」
「なるほど、何でも人のせいにすれば気は楽だ」
「退職してからですが、シニアネットを含めて4回も好い機会に恵まれました」
ところが最高のチャンスがやって来た。去年の秋、Yowkaraの案内メールが流された。そこには「洋楽に興味のある方なら、どなたでも大歓迎」と書いてあるではないか。あるある大いにある。さっそく遠慮なく参加させてもらったが、やはり歌うのは難しかった。それなのに何故か歌いたい想いが募って来た。
思い返せば半世紀も前のことだが、英語も多少関連する職に就くと、大好きだったのが次第に嫌いになり、5年もたつと大嫌いになった。研修中は出来る人だったのに実務に就くと、いつの間にか一番出来ない人になっていた。向いていなかったのだ。結局一人で洋画のセリフをつぶやいていた時が一番楽しかった。しかし、それでは飯が食えない。首にならない為に必死に頑張っていたら更に嫌いになった。
「音痴な人は英語もダメなんですね」
「そりゃそうだ。それなのに何で? 今更英語の歌なんか……」
「心の片隅にあった若気の心に火が点いたのです」
「そりゃあ危ない」
「若いとき一人でつぶやいていた英語のセリフを今度は皆のまえで歌いたく……」
「ちょっと待った、音痴の上に英語を重ねるのか。それじゃあ恥の上塗りになるぞ」
「点いた火を消すのは容易なことではありません」
「だから水を差して上げたんだよ」
65歳になってカラオケを始めた。社会的にも高齢者と認められる年になったからだ。若い時は下手な歌を歌えば恥をかくだけだが、高齢者になると健康にいいから大いにやりなさいと言ってくれる人もいる。好きだから歌っているだけだが、その流れにはシッカリと乗せてもらっている。ひょっとして健康にいいかも知れない?
あれから10年、恐れ多くもYowKaraに挑戦。普通ならリングに上がった途端にバタッと倒れノックアウトだが、私はコーキ。何をやっても「ジイサンだからしょうがない」と周りが諦めてくれる。高齢化の流れがグイグイ私の背中を押してくれるのだ。
カラオケクラブでは新曲を聴くことがよくある。歌える人が羨ましいとは思うけれど音痴だから覚えられない。昔の歌だけで精いっぱいだ。
「その点、ヨウカラはいいですね。米国懐メロ一覧と言う感じです」
「英語で歌えるのか?」
「カタカナも一緒に出てきますよ」
「自己満足だな」
「いえいえそれは違います。もっと上のレベルです」
「なんだと?」
「自己解放ですよ」
高齢者と呼ばれる65歳の時、カラオケを始めた、そしてコーキになってYowKaraを始めようとしている。この間、10年、さて次の10年後、85歳になったら何を始めているだろうか。未来を予測する為には歴史を知らなければならない。
仮にタイムマシンに乗って11年前に戻っとしたら、その時の私は1年後にカラオケを始めて、その10年後にYowKaraを始めることを予想できない。だとすれば、今から10年後には思いもよらない楽しいことが待っているに違いない。
私のお勉強「トム・ドゥーリー」
勉強と言っても歌詞とその背景を知りたいだけのこと。例えばキングストン・トリオの「トム・ドゥーリー」が私の耳に心地よく響く。しかし、ヘダント・ヘッタン・ドゥーリー、ヘダント・ヘーアン・クライとしか聞こえない。歌詞を読むとこうだ。Hang down your head, Tom Dooley Hang down your head and cry 何となく不気味だ。
訳詞を読むと、トムは縛り首(絞首刑)にされて明日は死ぬ身と書いてある。フィアンセを殺した罪で刑が執行されるのだ。このような歌詞が、あの美しいメロディーに乗せて淡々と流れる。曲のヒットがきっかけで、ノースカロライナにあるトムの墓は新しく建て直されたそうだ。トムは元南軍の兵士だが、フィアンセの他に恋人も居た。
トムは裁判で自分の犯行を否定したものの、「自分は罰を受けるに値する」として、自ら進んで首を差し出した。これは1886年に起きた殺人事件である。多くの謎を残したまま忘れ去られそうになったが、曲のヒットでよみがえる。真犯人はトムのもう一人の恋人だったという説もある。何となく肯ける。
想うことはいろいろあるが、このような残虐且つ不可解で痛ましい事件が美しいメロデーに乗せて淡々と歌われていることが凄いと思った。少なくともこの種の日本歌謡曲を聞いたことがない。だからYowKaraは面白い。歌えても歌えなくても。
昔は何も知らずに心の中でヘダント・ヘッタン・ドゥーリーとつぶやいていた。美しいメロデーが半世紀以上にわたり私の心にひびいている。それなのに歌えないから不思議だ。ヘタデモイイカラ・ドゥーリー、ウタッテミタイヨ・クラーイ♪
習うのではなく、自分で勝手に練習して適当に歌うだけ。それには理由がある。音痴で英語力も無い、オマケに口が回らない。ここを直せば好くなるとか言われても直せないのだ。居直りではなく、現実を認めつつ楽しみたいと思っている。
その様な悪条件下でも英語で歌いたいのは若い時、英語が大好きだったからだ。ただ好きなだけで学校で習ったわけでもない。洋画を観て、このセリフは格好いいとか思って、一人でつぶやいているだけだった。憧れと言うか、そんな感じである。
有難いことに私が所属している札幌シニアネットのカラオケクラブでYowKaraもやってくれることになった。「洋楽カラオケ」の略だそうだ。こんな機会は一生に一度しか回って来ないので一生懸命やりたいと思う。英語の歌と言うのは格好いいセリフの塊だから歌えれば気分がいいだろう。多分。
歌に関しては辛い思いが2回あった。ひとつは小学校の学芸会の合唱で、口だけ動かして声を出すなと先生に言われたとき。いわゆる口パクの強制である。もう一つは40歳くらのとき、同僚から「歌えと言われても歌うな。断れ」と言われたとき。皆が歌っているのに私だけが断ったら場の雰囲気を悪くするとか考えたのが間違いのようだった。逆だと言うのだから嫌になる。涙がホロり。
「そんな思いをしたのに、よく歌う気になるな」
「根が好きなもんですから」
「そうかい。そりゃあ御気の毒様」
「私の音痴を知っている人が、下手同士3人でカラオケやろうと誘ってくれました」
「下手でも好きな人って居るもんだな」
「歌うのが嫌いな人なんていませんよ」
「カラオケ嫌いなんて掃いて捨てるほどいるぞ」
「周囲の人たちが寄ってたかって嫌いにさせただけです」
「なるほど、何でも人のせいにすれば気は楽だ」
「退職してからですが、シニアネットを含めて4回も好い機会に恵まれました」
ところが最高のチャンスがやって来た。去年の秋、Yowkaraの案内メールが流された。そこには「洋楽に興味のある方なら、どなたでも大歓迎」と書いてあるではないか。あるある大いにある。さっそく遠慮なく参加させてもらったが、やはり歌うのは難しかった。それなのに何故か歌いたい想いが募って来た。
思い返せば半世紀も前のことだが、英語も多少関連する職に就くと、大好きだったのが次第に嫌いになり、5年もたつと大嫌いになった。研修中は出来る人だったのに実務に就くと、いつの間にか一番出来ない人になっていた。向いていなかったのだ。結局一人で洋画のセリフをつぶやいていた時が一番楽しかった。しかし、それでは飯が食えない。首にならない為に必死に頑張っていたら更に嫌いになった。
「音痴な人は英語もダメなんですね」
「そりゃそうだ。それなのに何で? 今更英語の歌なんか……」
「心の片隅にあった若気の心に火が点いたのです」
「そりゃあ危ない」
「若いとき一人でつぶやいていた英語のセリフを今度は皆のまえで歌いたく……」
「ちょっと待った、音痴の上に英語を重ねるのか。それじゃあ恥の上塗りになるぞ」
「点いた火を消すのは容易なことではありません」
「だから水を差して上げたんだよ」
65歳になってカラオケを始めた。社会的にも高齢者と認められる年になったからだ。若い時は下手な歌を歌えば恥をかくだけだが、高齢者になると健康にいいから大いにやりなさいと言ってくれる人もいる。好きだから歌っているだけだが、その流れにはシッカリと乗せてもらっている。ひょっとして健康にいいかも知れない?
あれから10年、恐れ多くもYowKaraに挑戦。普通ならリングに上がった途端にバタッと倒れノックアウトだが、私はコーキ。何をやっても「ジイサンだからしょうがない」と周りが諦めてくれる。高齢化の流れがグイグイ私の背中を押してくれるのだ。
カラオケクラブでは新曲を聴くことがよくある。歌える人が羨ましいとは思うけれど音痴だから覚えられない。昔の歌だけで精いっぱいだ。
「その点、ヨウカラはいいですね。米国懐メロ一覧と言う感じです」
「英語で歌えるのか?」
「カタカナも一緒に出てきますよ」
「自己満足だな」
「いえいえそれは違います。もっと上のレベルです」
「なんだと?」
「自己解放ですよ」
高齢者と呼ばれる65歳の時、カラオケを始めた、そしてコーキになってYowKaraを始めようとしている。この間、10年、さて次の10年後、85歳になったら何を始めているだろうか。未来を予測する為には歴史を知らなければならない。
仮にタイムマシンに乗って11年前に戻っとしたら、その時の私は1年後にカラオケを始めて、その10年後にYowKaraを始めることを予想できない。だとすれば、今から10年後には思いもよらない楽しいことが待っているに違いない。
私のお勉強「トム・ドゥーリー」
勉強と言っても歌詞とその背景を知りたいだけのこと。例えばキングストン・トリオの「トム・ドゥーリー」が私の耳に心地よく響く。しかし、ヘダント・ヘッタン・ドゥーリー、ヘダント・ヘーアン・クライとしか聞こえない。歌詞を読むとこうだ。Hang down your head, Tom Dooley Hang down your head and cry 何となく不気味だ。
訳詞を読むと、トムは縛り首(絞首刑)にされて明日は死ぬ身と書いてある。フィアンセを殺した罪で刑が執行されるのだ。このような歌詞が、あの美しいメロディーに乗せて淡々と流れる。曲のヒットがきっかけで、ノースカロライナにあるトムの墓は新しく建て直されたそうだ。トムは元南軍の兵士だが、フィアンセの他に恋人も居た。
トムは裁判で自分の犯行を否定したものの、「自分は罰を受けるに値する」として、自ら進んで首を差し出した。これは1886年に起きた殺人事件である。多くの謎を残したまま忘れ去られそうになったが、曲のヒットでよみがえる。真犯人はトムのもう一人の恋人だったという説もある。何となく肯ける。
想うことはいろいろあるが、このような残虐且つ不可解で痛ましい事件が美しいメロデーに乗せて淡々と歌われていることが凄いと思った。少なくともこの種の日本歌謡曲を聞いたことがない。だからYowKaraは面白い。歌えても歌えなくても。
昔は何も知らずに心の中でヘダント・ヘッタン・ドゥーリーとつぶやいていた。美しいメロデーが半世紀以上にわたり私の心にひびいている。それなのに歌えないから不思議だ。ヘタデモイイカラ・ドゥーリー、ウタッテミタイヨ・クラーイ♪
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今年も楽しいエッセイを。
路傍の石
新年おめでとうございます。
今年も笑えるオチ、楽しみにしています。
「現実を認めつつ楽しみたい」→清々しい言葉ですね。
PPさんの素直さが表れているみたい。
歌えても歌えなくても、出来ても出来なくても、
チャレンジすることは大切だし、楽しい。
♪ヘタデモイイカラ、PPサン・ウタッテチョウダイ、ヘ~イ♪
(ごめんなさい、本当は上手なんでしょ、PPさんは。)
ウタッテチョウダイ、ヘ~イ
PP 新年おめでとうございます。
一度でいいからウタッテチョウダイ、ヘ~イ♪
と言って欲しい。という願いが早々と叶いました。
有難うございます。
歌うのは健康にいいそうです。
そう言われると堂々と歌えるので助かります。
路傍の石
新年おめでとうございます。
今年も笑えるオチ、楽しみにしています。
「現実を認めつつ楽しみたい」→清々しい言葉ですね。
PPさんの素直さが表れているみたい。
歌えても歌えなくても、出来ても出来なくても、
チャレンジすることは大切だし、楽しい。
♪ヘタデモイイカラ、PPサン・ウタッテチョウダイ、ヘ~イ♪
(ごめんなさい、本当は上手なんでしょ、PPさんは。)
ウタッテチョウダイ、ヘ~イ
PP 新年おめでとうございます。
一度でいいからウタッテチョウダイ、ヘ~イ♪
と言って欲しい。という願いが早々と叶いました。
有難うございます。
歌うのは健康にいいそうです。
そう言われると堂々と歌えるので助かります。
「オレオレ」と言われて何故か嬉しかった。私は居るのか居ないのか分からない人。ハナちゃん、タロちゃんの世界でも私だけはPPさんと呼ばれ、他人行儀だ。念の為に申し添えるがPPはハンドルネーム。そこに佐藤とか実名をあてはめて読むと寂しい状況が見えて来ると思う。多分面白味がないから親しめないのだろう。
ところで、なぜオレオレかと言うと、カラオケで偶然「俺は待ってるぜ」と「霧笛が俺を読んでいる」を歌ったからだ。寂しさを胸に抱いていた私は嬉しくなり、つい調子に乗って「俺は寂しいんだ」もやってしまった。しかし、ここまではイントロの部分、本当に歌いたいのは「俺はお前に弱いんだ」。いつの日か札幌シニアネットのカラオケクラブで歌ってみたいと思っている。
「なんでシニアネットのカラオケクラブなんだ」
「そこが私にとって最高の舞台だからです」
「他にも行っているのか?」
「行ってますよ。福住だけどね。そこでは私が一番若いのです」
「なんだ、周りは年寄ばかりか」
「そうなんですよ。自然減が寂しいですね」
「しぜんげん?」
「はい、最近お亡くなりになった方も居られます」
ともかくカラオケクラブで「俺はお前に弱いんだ」を歌い、あの名セリフを言ってみたいのだ。「しょうがない娘だな甘えてばかりいて…」とかね。この考えを先輩に話すと、
「いいじゃないか。ちょっとふざけて言えば笑いが取れるかも」と、のたもうた。
「お言葉ですが、このセリフは心を込めて語りたいのです。愛しているから不幸にしたくない。こんな想いを表現できればと思っています」
歌が下手だから笑って楽しんでもらおうと言う発想は先輩も私も同じだが、アプローチの仕方がぜんぜん違う。それに私は大勢の前でふざけたり出来ない性格だ。例えば、映画「男はつらいよ」の寅さんは大真面目で恋を語り愛を語ったり、似合わないことをして観客の笑いを誘っている。私の狙いはそこにあるのだ。
自慢じゃないが寅さんよりモットモットみったくない。その私が格好つけて、「しょうがない娘だな甘えてばかりいて…」とか、キザなセリフを言えば、それだけで笑いの渦が巻き起こり、場が盛り上がるのではないか。愚かな私はそう考えた。
「それで…、実行したのか?」
「慎重かつ前向きに検討しているところです。笑いを取るのは簡単ではありません」
「まだやってないんだな。そりゃ良かった」
「はい、頑張ります」
「ダメダメ止めときな」と、先輩は私の名案にいつも水を差す。
「はぁ? なんでですか」
「シーンと静まり返ったらどうするんだ」
笑いの嵐でも感動による静粛でも、どちらでも良いではないか。肝心なのは感動を与えることである。仮に心から感動して胸をときめかせた方が居たとしても、私はそれでいいと思う。笑い・泣き・胸をときめかせてこその人生ではないか。
「なぁお前、自分より下手な歌を聴いたことあるのか?」
「全然ありません! みんな凄く上手いのですよ」
「それが何を意味するか良く考えるんだな」
先輩から言われて良く考えたら分かった。何ということもない。私が一番下手なのだ。しかし分かるまでの道のりは長かった。自分が経験しないことを、想像だけで理解することは難しい。
「分かりました。何もセリフなんかで工夫する必要はないですね。今のままでもかなり可笑しいのに誰も笑いません」
「そこが肝心だ。寒気がして笑えないんだよ」
下手な歌を聴くことはかなりシンドイことらしい。むさくるしい爺さんが幼児のように真剣に歌っている姿が目に浮んだ。こんな感じだろうか。聞いている方は笑うどころか、恥ずかしくなるかも知れない。先ほど考えた裕次郎のセリフなどを入れたら大変だ。我慢の限界を超えて爆発するかも知れない。おお怖い。怖い怖い。
そう言えば30年前ぐらい前に爆発した人が居た。私は反省して20年間カラオケを止めた。やはり私にはカラオケゲームでも退場ルールが必要だ。
「下手くそ止めろと3回言われたら退場することにしました」
「そんなこと腹で思っても口には出さないよ」
「顔に出るでしょう」とは言ったものの判定が難しい。
何の遊びも出来ない私だが、かような状況の中で何とか楽しませてもらっている。人様に迷惑をかけるのが心苦しいけれど仕方がない。私だってたまには歌って笑って楽しく過ごしたい。今は無職。仕事から解放されたのだから、真面目なフリも、出来るフリもしなくていいのだ。
「自分の楽しみのために人に迷惑をかけるのは良くないよ」
「気分転換のつもりですが」
「ダメなものはダメ」
「私の歌が大好きで聴くのを楽しみにしている方も居るかも知れませんよ」
「無い! 絶対に居ない。第一、自分で歌はダメと言ってたじゃあないか」
「私は『かも知れない話』をしているのです。その反対も有りでしょう」
「なんだと?」
「発想の転換をしただけです。何か問題でも?」
「………」
ところで、なぜオレオレかと言うと、カラオケで偶然「俺は待ってるぜ」と「霧笛が俺を読んでいる」を歌ったからだ。寂しさを胸に抱いていた私は嬉しくなり、つい調子に乗って「俺は寂しいんだ」もやってしまった。しかし、ここまではイントロの部分、本当に歌いたいのは「俺はお前に弱いんだ」。いつの日か札幌シニアネットのカラオケクラブで歌ってみたいと思っている。
「なんでシニアネットのカラオケクラブなんだ」
「そこが私にとって最高の舞台だからです」
「他にも行っているのか?」
「行ってますよ。福住だけどね。そこでは私が一番若いのです」
「なんだ、周りは年寄ばかりか」
「そうなんですよ。自然減が寂しいですね」
「しぜんげん?」
「はい、最近お亡くなりになった方も居られます」
ともかくカラオケクラブで「俺はお前に弱いんだ」を歌い、あの名セリフを言ってみたいのだ。「しょうがない娘だな甘えてばかりいて…」とかね。この考えを先輩に話すと、
「いいじゃないか。ちょっとふざけて言えば笑いが取れるかも」と、のたもうた。
「お言葉ですが、このセリフは心を込めて語りたいのです。愛しているから不幸にしたくない。こんな想いを表現できればと思っています」
歌が下手だから笑って楽しんでもらおうと言う発想は先輩も私も同じだが、アプローチの仕方がぜんぜん違う。それに私は大勢の前でふざけたり出来ない性格だ。例えば、映画「男はつらいよ」の寅さんは大真面目で恋を語り愛を語ったり、似合わないことをして観客の笑いを誘っている。私の狙いはそこにあるのだ。
自慢じゃないが寅さんよりモットモットみったくない。その私が格好つけて、「しょうがない娘だな甘えてばかりいて…」とか、キザなセリフを言えば、それだけで笑いの渦が巻き起こり、場が盛り上がるのではないか。愚かな私はそう考えた。
「それで…、実行したのか?」
「慎重かつ前向きに検討しているところです。笑いを取るのは簡単ではありません」
「まだやってないんだな。そりゃ良かった」
「はい、頑張ります」
「ダメダメ止めときな」と、先輩は私の名案にいつも水を差す。
「はぁ? なんでですか」
「シーンと静まり返ったらどうするんだ」
笑いの嵐でも感動による静粛でも、どちらでも良いではないか。肝心なのは感動を与えることである。仮に心から感動して胸をときめかせた方が居たとしても、私はそれでいいと思う。笑い・泣き・胸をときめかせてこその人生ではないか。
「なぁお前、自分より下手な歌を聴いたことあるのか?」
「全然ありません! みんな凄く上手いのですよ」
「それが何を意味するか良く考えるんだな」
先輩から言われて良く考えたら分かった。何ということもない。私が一番下手なのだ。しかし分かるまでの道のりは長かった。自分が経験しないことを、想像だけで理解することは難しい。
「分かりました。何もセリフなんかで工夫する必要はないですね。今のままでもかなり可笑しいのに誰も笑いません」
「そこが肝心だ。寒気がして笑えないんだよ」
下手な歌を聴くことはかなりシンドイことらしい。むさくるしい爺さんが幼児のように真剣に歌っている姿が目に浮んだ。こんな感じだろうか。聞いている方は笑うどころか、恥ずかしくなるかも知れない。先ほど考えた裕次郎のセリフなどを入れたら大変だ。我慢の限界を超えて爆発するかも知れない。おお怖い。怖い怖い。
そう言えば30年前ぐらい前に爆発した人が居た。私は反省して20年間カラオケを止めた。やはり私にはカラオケゲームでも退場ルールが必要だ。
「下手くそ止めろと3回言われたら退場することにしました」
「そんなこと腹で思っても口には出さないよ」
「顔に出るでしょう」とは言ったものの判定が難しい。
何の遊びも出来ない私だが、かような状況の中で何とか楽しませてもらっている。人様に迷惑をかけるのが心苦しいけれど仕方がない。私だってたまには歌って笑って楽しく過ごしたい。今は無職。仕事から解放されたのだから、真面目なフリも、出来るフリもしなくていいのだ。
「自分の楽しみのために人に迷惑をかけるのは良くないよ」
「気分転換のつもりですが」
「ダメなものはダメ」
「私の歌が大好きで聴くのを楽しみにしている方も居るかも知れませんよ」
「無い! 絶対に居ない。第一、自分で歌はダメと言ってたじゃあないか」
「私は『かも知れない話』をしているのです。その反対も有りでしょう」
「なんだと?」
「発想の転換をしただけです。何か問題でも?」
「………」
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歌えば楽し!
花筏
「オレオレ」に続く言葉はてっきり詐欺と思いましたが、
カラオケの世界にも「オレオレ」があるんですね。
待ってるぜ、霧笛が呼んでいる、淋しいんだ、お前に弱いんだ・・・・・
並べてみると、ロマンティックな言葉が多いです。
PPさん自身が夢みる紳士なのでしょうね、きっと。
夢を見るのは大好きです
PP 紳士ではないけれど、夢を見るのは大好きです。
いろいろ空想して楽しんでいます。
いろいろな人から夢や空想の話も聞きいてみたいです。
あまり話してもらえないので代わりにドラマをみています。
花筏
「オレオレ」に続く言葉はてっきり詐欺と思いましたが、
カラオケの世界にも「オレオレ」があるんですね。
待ってるぜ、霧笛が呼んでいる、淋しいんだ、お前に弱いんだ・・・・・
並べてみると、ロマンティックな言葉が多いです。
PPさん自身が夢みる紳士なのでしょうね、きっと。
夢を見るのは大好きです
PP 紳士ではないけれど、夢を見るのは大好きです。
いろいろ空想して楽しんでいます。
いろいろな人から夢や空想の話も聞きいてみたいです。
あまり話してもらえないので代わりにドラマをみています。
待ちに待った五天山公園への「歩こう会」は好天に恵まれた。地下鉄発寒南駅からバスに搭乗。しばらくすると目的地に近づいたようで、41名の会員が次々と降りだした。私は前の方に座っていたが皆さんが降りるのを座ったまま待っていた。

そのとき後ろに座っている見知らぬお爺さんから声をかけられた。
「お連れさんは皆降りてるよ、お爺さんは降りなくていいのかい」
「(爺とは)私ですか? 大勢ですから最後に降ります」
「そうかい。どこに行くのかね」
「五天山公園です」
「五天山は終点だよ。ここで降りたらダメだよ」
「みんな降りていますから……」
「ここじゃないよ。オレは近所だからよく知っているんだ」
「有難うございます。やっぱり降ります」
「どうして降りるんだよ」
「分かりません」
「降りる所はオレが教えてあげるから座っていなさい」
「それでは失礼します」
「降りるのか、強情だな~。だから年寄は嫌われるんだよ」
「そうですね。ごめんなさい」
と言って急いで降りた。行き先など分からなくても皆さんと一緒に歩いていれば楽しいものだ。こんな気持ち、お爺さんには分かるまい。オキノドクサマ。
”それを言っちゃあ、おしまいだよ”。草葉の陰から寅さんの声。

バスを降りたら皆さんの後に付いて歩く。絶景だ、素晴らしい。なるほど、ここを歩く為にかなり手前で降りたのだ。感謝! 発寒川と左股川の合流点から左股川沿いに上流に向かって歩いた。五天山公園まで約3km、適度な腹ごなしとなった。だんだんバーベキューが楽しみになって来た。

心地よい汗とともに五天山公園正門に着く。ここで集合写真を撮影。

7人ずつ、6組にわかれてバーベキューが始まった。私にとっては初めてのことであり、とても楽しかった。

炭で肉や野菜を焼いていると、思いがけず戦後の焼け跡を思い出した。終戦後5年もたち渋谷の街も復興していたが、我が家だけは相変わらずのバラック住まいだ。空襲で家を失った人たちは焼け跡で拾った焼けトタンと、焼け焦げた廃材で仮住まいを組み立てた。風雨を避ける為だけの粗末な家をバラックと呼んでいた。
焼け跡で拾った壊れかけた釜をまだ使っていた。飯炊きは10歳の私の担当だ。カマド代わりに一斗缶の下の方をくり抜いて、そこから薪をくべた。薪は魚屋からもらった。使用済みの木箱をナタで叩いて適当な大きさにして使ったのだ。魚の油が染み込んでいるのでよく燃えた。
バラックは狭いので外でやるしかない。それで私が飯を炊かされたのだ。この仕事は渋谷区が仮設住宅を建ててくれるまで続いた。家で出来るようになると母が炊くようになった。キャンプでは当たり前のことも街中の道路でやると何故か恥ずかしい。当時の大人はみっともない仕事は子供に押し付けた。
隣の魚屋では売れ残った魚を中学生の息子に売らせていた。リヤカーを引きながら泣いている姿をよく見かけたものだ。昨日買った魚が腐っているとか、客から文句を付けられ返金を迫られるのだ。彼はけっして金を返さない。ただ下を向いて泣くだけ。父親の方がもっと怖いからだ。
比べれば私の方がマシだが道路で飯炊きは恥ずかしい。やっているのは私だけだ。65年前とは言え東京のど真ん中渋谷二丁目だ。青山通りから外れた横丁の道路でも自転車は通るし人通りはある。もちろん知人も同級生も通る。「こんなとこで飯炊くな」と言われても、「お手伝い、偉いね」と言われても恥ずかしい。

炭が沢山残っていてもったいない。消壺は何処にあるのか探してみたが見当たらない。昔は炭が残っていれば消壺に入れて消す。そして再利用するのが常識だった。灰になるまでトコトン使った。
私が炭とか薪を使わなくなって60年たった。その間に使い方が大きく変わった。炭は1回しか使わないのだが、放っては置けないから直ちに消してゴミとして処分するのかな? 経験のない私には分からない。
世の中は変わっているのに、私の経験は60年前に途切れ、今になって突然つながった。前世紀の人間が時空を超えて五天山公園に舞い降りたようなものだ。炭を再利用する手順がないのなら消壺は必要ない。初めてのバーベキューで又、新たな発見をしてしまった。
「誰でも知っていることを発見とか言わないでよ」
「私としての発見と言い換えましょう」
「どうでもいいから口から出さないでね」
「Poot!」
「何だよそれ」
「英語です」
「くさ~い」
「ごめんなさい、口から出せないので尻から出しました」

昼食後は、「もっと歩きたい30人」が平和地区までの3kmを歩いた。途中の遊歩道は萩が咲き、甘酸っぱい実がなる木があったが名は知らない。ともかく美味しかったので沢山食べた。
「小さくてブドウの様な味で酸っぱかったです」
「なんだか分からないもの食べてお腹を壊したらどうするの」
「それより、近所の人に叱られないか心配です」
「なんで?」
「片側は川ですが、反対側は住宅街なのです」
「小さいブドウは何方かの持ち物?」
「もしそうだとすると、実が大きくなるのを待っていたのかも知れませんね」
「それじゃあ、ドロボーじゃなないの。アタシは知らないよ」
「私も知りません。警察も知りたくないと思います」
「だからどうなの?」
「自首しません」

そのとき後ろに座っている見知らぬお爺さんから声をかけられた。
「お連れさんは皆降りてるよ、お爺さんは降りなくていいのかい」
「(爺とは)私ですか? 大勢ですから最後に降ります」
「そうかい。どこに行くのかね」
「五天山公園です」
「五天山は終点だよ。ここで降りたらダメだよ」
「みんな降りていますから……」
「ここじゃないよ。オレは近所だからよく知っているんだ」
「有難うございます。やっぱり降ります」
「どうして降りるんだよ」
「分かりません」
「降りる所はオレが教えてあげるから座っていなさい」
「それでは失礼します」
「降りるのか、強情だな~。だから年寄は嫌われるんだよ」
「そうですね。ごめんなさい」
と言って急いで降りた。行き先など分からなくても皆さんと一緒に歩いていれば楽しいものだ。こんな気持ち、お爺さんには分かるまい。オキノドクサマ。
”それを言っちゃあ、おしまいだよ”。草葉の陰から寅さんの声。

バスを降りたら皆さんの後に付いて歩く。絶景だ、素晴らしい。なるほど、ここを歩く為にかなり手前で降りたのだ。感謝! 発寒川と左股川の合流点から左股川沿いに上流に向かって歩いた。五天山公園まで約3km、適度な腹ごなしとなった。だんだんバーベキューが楽しみになって来た。

心地よい汗とともに五天山公園正門に着く。ここで集合写真を撮影。

7人ずつ、6組にわかれてバーベキューが始まった。私にとっては初めてのことであり、とても楽しかった。

炭で肉や野菜を焼いていると、思いがけず戦後の焼け跡を思い出した。終戦後5年もたち渋谷の街も復興していたが、我が家だけは相変わらずのバラック住まいだ。空襲で家を失った人たちは焼け跡で拾った焼けトタンと、焼け焦げた廃材で仮住まいを組み立てた。風雨を避ける為だけの粗末な家をバラックと呼んでいた。
焼け跡で拾った壊れかけた釜をまだ使っていた。飯炊きは10歳の私の担当だ。カマド代わりに一斗缶の下の方をくり抜いて、そこから薪をくべた。薪は魚屋からもらった。使用済みの木箱をナタで叩いて適当な大きさにして使ったのだ。魚の油が染み込んでいるのでよく燃えた。
バラックは狭いので外でやるしかない。それで私が飯を炊かされたのだ。この仕事は渋谷区が仮設住宅を建ててくれるまで続いた。家で出来るようになると母が炊くようになった。キャンプでは当たり前のことも街中の道路でやると何故か恥ずかしい。当時の大人はみっともない仕事は子供に押し付けた。
隣の魚屋では売れ残った魚を中学生の息子に売らせていた。リヤカーを引きながら泣いている姿をよく見かけたものだ。昨日買った魚が腐っているとか、客から文句を付けられ返金を迫られるのだ。彼はけっして金を返さない。ただ下を向いて泣くだけ。父親の方がもっと怖いからだ。
比べれば私の方がマシだが道路で飯炊きは恥ずかしい。やっているのは私だけだ。65年前とは言え東京のど真ん中渋谷二丁目だ。青山通りから外れた横丁の道路でも自転車は通るし人通りはある。もちろん知人も同級生も通る。「こんなとこで飯炊くな」と言われても、「お手伝い、偉いね」と言われても恥ずかしい。

炭が沢山残っていてもったいない。消壺は何処にあるのか探してみたが見当たらない。昔は炭が残っていれば消壺に入れて消す。そして再利用するのが常識だった。灰になるまでトコトン使った。
私が炭とか薪を使わなくなって60年たった。その間に使い方が大きく変わった。炭は1回しか使わないのだが、放っては置けないから直ちに消してゴミとして処分するのかな? 経験のない私には分からない。
世の中は変わっているのに、私の経験は60年前に途切れ、今になって突然つながった。前世紀の人間が時空を超えて五天山公園に舞い降りたようなものだ。炭を再利用する手順がないのなら消壺は必要ない。初めてのバーベキューで又、新たな発見をしてしまった。
「誰でも知っていることを発見とか言わないでよ」
「私としての発見と言い換えましょう」
「どうでもいいから口から出さないでね」
「Poot!」
「何だよそれ」
「英語です」
「くさ~い」
「ごめんなさい、口から出せないので尻から出しました」

昼食後は、「もっと歩きたい30人」が平和地区までの3kmを歩いた。途中の遊歩道は萩が咲き、甘酸っぱい実がなる木があったが名は知らない。ともかく美味しかったので沢山食べた。
「小さくてブドウの様な味で酸っぱかったです」
「なんだか分からないもの食べてお腹を壊したらどうするの」
「それより、近所の人に叱られないか心配です」
「なんで?」
「片側は川ですが、反対側は住宅街なのです」
「小さいブドウは何方かの持ち物?」
「もしそうだとすると、実が大きくなるのを待っていたのかも知れませんね」
「それじゃあ、ドロボーじゃなないの。アタシは知らないよ」
「私も知りません。警察も知りたくないと思います」
「だからどうなの?」
「自首しません」
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バーベキューは楽し!
路傍の石
ご無沙汰してました。
PPさん、人生初めてのバーベキューですか?
好天の下、大勢の仲間と談笑しながらのバーベキュー、
楽しく又美味しかった事でしょう。
それが突然消壺に繋がっていく件は切ないですね。
先ずはバーベキューデビュー、おめでとうございます。
幸せな今を感謝しています
PP 有難うございます。バーベキューは楽しいですね。
昔を思い出すと、現在の幸せを何倍にも感じることができます。
時々思い出しては、しみじみと幸せな今を感謝しています。
精神的に凄くいいですね。
路傍の石
ご無沙汰してました。
PPさん、人生初めてのバーベキューですか?
好天の下、大勢の仲間と談笑しながらのバーベキュー、
楽しく又美味しかった事でしょう。
それが突然消壺に繋がっていく件は切ないですね。
先ずはバーベキューデビュー、おめでとうございます。
幸せな今を感謝しています
PP 有難うございます。バーベキューは楽しいですね。
昔を思い出すと、現在の幸せを何倍にも感じることができます。
時々思い出しては、しみじみと幸せな今を感謝しています。
精神的に凄くいいですね。
ここは続編、前編はこちらをクリック! → 札幌シニアネット秋の交流会1
飲んで飲んで嘘をつく
札幌シニアネット(SSN)の「わいわい炊事遠足の最中だが、水を飲みたくて仕方がなくなった。何故だろう? ジャガイモなどの野菜は美味しく味付けされていた。豚汁やあら汁も美味しくて食べ過ぎた。鶏焼きは絶品、大きな肉片を三つも食べてしまった。そのせいで喉が渇いたのだろう。ふと、用意したスペシャルドリンクを思い出し、とりあえず飲んだ。
飲食タイムも終わり広場ではイベントが始まっていた。ゲームを見ながらスペシャル・ドリンクと称する薄いウイスキーの水割りを飲んだ。喉がかわいていたのでチビチビ飲むつもりがグイグイになってしまった。バスの待ち時間も話しながら飲んだ。バスの中でも飲んだ。最初は喉を潤す為だったが、次第に美味しくなって来た。そして心地よくなってしまった。
約20人が真駒内駅から地下鉄で帰るために貸切バスを降りた。一緒に歩いている友人から「顔が赤いね」と言われ、これはシマッタしくじったと思い、「少し遅れて歩きますね」と言って離れようとすると腕を取られた。
気持ちは有難いが、顔が赤い以上はグループからは離れなければいけない。お仲間が酔っ払いでは、さぞかし恥ずかしかろうと、ほろ酔い加減の私は考えた。「バスで行きます」と言って皆さんとは反対方向に歩いて離れることにした。
しばらくベンチに座って時間をつぶした。もういいだろうと思って地下鉄のホームに行くと、まだ発車していない。とっさに柱の陰に隠れて次の地下鉄を待つことにした。嘘をついたり隠れたり、いろいろ気を使って心の底まで乾いて来た。座席について又飲んだ。緊張すると何故か飲みたくなる。
近頃の若い者は地下鉄の中で化粧をしたり物を食べたり周りの目を全く気にしない。公共の場所を何と心得ているのか、とか新聞で読むとフムフムとか肯いていたが、今の私に周りは見えない。どうでもいいやと思って又飲んだ。
こんな私を若者が見たらどう思うのだろうかとか考えていると、突然50年前にタイムスリップした。若い時にそんな高齢者を見たような気がする。「軽蔑すべき哀れなジジイ」と思い批判する気さえ起きなかった。”無視”、私だけでなく皆で無視した。
車内の人は私に無関心のようなフリをしているが心の中で軽蔑すべきジジイと思っているに違いない。急に恥ずかしくなり、穴があったら入りたいと思ったら突然暗くなった。「次は~、ひらぎし~、平岸」。高架を走る地下鉄はここから地下に潜る。
我が家の最寄り駅に着いた頃はフラフラしたのでエレベーターで地上まで上がった。10分ほどヨタヨタ歩くと住処の共同住宅が見えてきた。玄関の前でこちらを窺っている人が居る。近づくと出かけるときにお会いした愛想のいい奥様だ。
「お疲れ様。お孫さんのお世話は大変でしょう」
逆光線だから私の赤い顔までは見えないようだ。
「有難うございます。大変でもないですよ」
お孫ささんって何だろう? と思ったが、今朝会っただけの人に質問はできない。
「そうですか。足がフラフラしていたものですから」
思い出した。朝の出かけに”お孫さんと楽しんでください”と言ってくれた人だ。
「孫は来てよし帰ってよしですね」
とか、思わず何処かで聞いたようなセリフを口にした。孫も居ないくせに話を合わせている。なんだかんだと朝から晩まで嘘ばかりついていたような気がする。そのせいか家に着くとどっと疲れが出た。
炊事遠足の前半は食べてばかり、後半は飲んでばかり、振り返ってみると人様の為になることは何一つしなかった。一日中ろくでもないことばかりしていたのに、札幌シニアネットの人も、近所の奥様も親切にしてくれた。図らずも小さな幸せをもらってしまったのだ。神様は不公平だ。御心にかなわない行いばかりしている私に、好いことばかり授けて下さる。素晴らしき哉、人生! 密かに感謝。
「喜んでいる場合じゃないよ」
「なんでですか?」
「今に罰が当たるからね」
「どうして?」
「人生山あり谷あり、楽あれば苦あり、幸不幸は同じ量だけやってくる、幸福と不幸せは背中合わせ、神は全てお見通し、もっと言って欲しいかい」
「………」
「なんで黙ってんの!」
「沈黙は金」
「ふん」
「よどみなく話せることも大事ですが、黙るべきときを知ることは、もっと大事です」
飲んで飲んで嘘をつく
札幌シニアネット(SSN)の「わいわい炊事遠足の最中だが、水を飲みたくて仕方がなくなった。何故だろう? ジャガイモなどの野菜は美味しく味付けされていた。豚汁やあら汁も美味しくて食べ過ぎた。鶏焼きは絶品、大きな肉片を三つも食べてしまった。そのせいで喉が渇いたのだろう。ふと、用意したスペシャルドリンクを思い出し、とりあえず飲んだ。
飲食タイムも終わり広場ではイベントが始まっていた。ゲームを見ながらスペシャル・ドリンクと称する薄いウイスキーの水割りを飲んだ。喉がかわいていたのでチビチビ飲むつもりがグイグイになってしまった。バスの待ち時間も話しながら飲んだ。バスの中でも飲んだ。最初は喉を潤す為だったが、次第に美味しくなって来た。そして心地よくなってしまった。
約20人が真駒内駅から地下鉄で帰るために貸切バスを降りた。一緒に歩いている友人から「顔が赤いね」と言われ、これはシマッタしくじったと思い、「少し遅れて歩きますね」と言って離れようとすると腕を取られた。
気持ちは有難いが、顔が赤い以上はグループからは離れなければいけない。お仲間が酔っ払いでは、さぞかし恥ずかしかろうと、ほろ酔い加減の私は考えた。「バスで行きます」と言って皆さんとは反対方向に歩いて離れることにした。
しばらくベンチに座って時間をつぶした。もういいだろうと思って地下鉄のホームに行くと、まだ発車していない。とっさに柱の陰に隠れて次の地下鉄を待つことにした。嘘をついたり隠れたり、いろいろ気を使って心の底まで乾いて来た。座席について又飲んだ。緊張すると何故か飲みたくなる。
近頃の若い者は地下鉄の中で化粧をしたり物を食べたり周りの目を全く気にしない。公共の場所を何と心得ているのか、とか新聞で読むとフムフムとか肯いていたが、今の私に周りは見えない。どうでもいいやと思って又飲んだ。
こんな私を若者が見たらどう思うのだろうかとか考えていると、突然50年前にタイムスリップした。若い時にそんな高齢者を見たような気がする。「軽蔑すべき哀れなジジイ」と思い批判する気さえ起きなかった。”無視”、私だけでなく皆で無視した。
車内の人は私に無関心のようなフリをしているが心の中で軽蔑すべきジジイと思っているに違いない。急に恥ずかしくなり、穴があったら入りたいと思ったら突然暗くなった。「次は~、ひらぎし~、平岸」。高架を走る地下鉄はここから地下に潜る。
我が家の最寄り駅に着いた頃はフラフラしたのでエレベーターで地上まで上がった。10分ほどヨタヨタ歩くと住処の共同住宅が見えてきた。玄関の前でこちらを窺っている人が居る。近づくと出かけるときにお会いした愛想のいい奥様だ。
「お疲れ様。お孫さんのお世話は大変でしょう」
逆光線だから私の赤い顔までは見えないようだ。
「有難うございます。大変でもないですよ」
お孫ささんって何だろう? と思ったが、今朝会っただけの人に質問はできない。
「そうですか。足がフラフラしていたものですから」
思い出した。朝の出かけに”お孫さんと楽しんでください”と言ってくれた人だ。
「孫は来てよし帰ってよしですね」
とか、思わず何処かで聞いたようなセリフを口にした。孫も居ないくせに話を合わせている。なんだかんだと朝から晩まで嘘ばかりついていたような気がする。そのせいか家に着くとどっと疲れが出た。
炊事遠足の前半は食べてばかり、後半は飲んでばかり、振り返ってみると人様の為になることは何一つしなかった。一日中ろくでもないことばかりしていたのに、札幌シニアネットの人も、近所の奥様も親切にしてくれた。図らずも小さな幸せをもらってしまったのだ。神様は不公平だ。御心にかなわない行いばかりしている私に、好いことばかり授けて下さる。素晴らしき哉、人生! 密かに感謝。
「喜んでいる場合じゃないよ」
「なんでですか?」
「今に罰が当たるからね」
「どうして?」
「人生山あり谷あり、楽あれば苦あり、幸不幸は同じ量だけやってくる、幸福と不幸せは背中合わせ、神は全てお見通し、もっと言って欲しいかい」
「………」
「なんで黙ってんの!」
「沈黙は金」
「ふん」
「よどみなく話せることも大事ですが、黙るべきときを知ることは、もっと大事です」
9月3日は「札幌シニアネット(SSN)秋の交流会」の日である。テーマは「わいわい炊事遠足」、天気も上々、楽しい一日だった。ところで、居住している共同住宅には約200人が住んでいる。居住者同士は知人でなくても挨拶をする習慣がある。
「おはようございます。ハイキングですか」
愛想のいい人は挨拶に一言加えてくれるから有難い。
「わいわい炊事遠足なんですよ」
「晴れて好かったですね。お孫さんと楽しんでください」
明らかに誤解しているが、ともかく長話は禁物だ。軽く受け流すことにした。
「有難うございます。行ってまいります」
考えてみれば、「子供がワイワイ」と「老人がわいわい」とで、どちらがピンと来るかと言えば、やはり子供だ。自分の思い込みだけで受け答えしてはいけない。もう少し社交性を身に付けるべきだ。
炊事遠足に初めて参加して感じたことだが、札幌シニアネットの組織運営能力は素晴らしい。今回のイベントは新鮮な作物の収穫から始まり、炊事に必要なあらゆる物品を用意して130人余りに給食すると言う壮大なものだ。火を起こすことから始まり、火を消して完璧に後片付けをすることにより終了する。
書けば簡単だが設営から撤収まで火、熱湯、包丁等の危険物を扱いながら無事故で終わらせるのは容易ではない。しかも美味しくなければならないのだから極めて困難だ。数人なら出来ることでも百数十人となると難しい。人・物運搬、配置、天候対策等いろいろな課題に直面する。これらをボランティアの力で楽しげにこなしている姿を見て、SSN組織の実力を再認識した。
「豚汁」「あら汁」「鶏焼き」「ゆでジャガ」「焼とうきび」、それぞれの素材の味が活かされていて、とても美味しかった。中でも美味しかったのがジャガイモだ。これは私の好物。残念ながら「チャンチャン焼」は食い損ねた。ジャガイモに気を取られて忘れてしまったのだ。
このような野外行事には初めて参加するのでSSNで配信するメールは注意深く読んだ。そして二つのキーワードが頭に残った。「わいわい炊事遠足」「アルコール類持込み自由」である。本当はもっと大切なことがあるのだが、愚かな私は現地に行くまで気づかなかった。
今までのSSN交流会との違いは、新たに付け加えられた「わいわい」の4文字だが、森の中で食べて飲むとことは分かる。謎は「わいわい」にある。「わいわい食べる」では何となくしっくりしない。「わいわい騒ぐ」から連想できるのは、やはり「わいわい飲む」だろう。
熟慮の末、わいわい飲むことと判断した。しかし、私は酒に弱いのに好きだから困る。どちらかと言うと他人様が困るのだ。弱いくせに飲んで酔っ払い周りに迷惑をかけるタイプだ。そんなことではいけないと反省はしている。
必要に迫られて開発したのが私専用のスペシャル・ドリンクだ。作り方は簡単、50㏄のウイスキーを450㏄の水で薄め、更に冷やして携帯用魔法瓶に入れて完成する。肝心なのは魔法瓶に入れること。飲むのが遅いのでビールなら泡が消えて気が抜ける。水割りでも氷が融けてぬるくなってしまうのだ。これでは美味くない。
炊事遠足に行くのに、こんな枝葉末節、どうでもいいことに思いを巡らせていた。終ってから分かったことだが炊事遠足はSSN組織の団結力を強化する大切な行事。一人ひとりの持てる力を合わせて大きなイベントを成し遂げることに意義があるのだ。
家に閉じこもり、アレコレ考えた成果が自分専用のスペシャル・ドリンクとは我ながら情けない。歳を取っても相変わらず自己中心的だ。目玉が顔から飛び出してドローンのように空中に浮かんでくれれば、自分を客観的に見つめられるのだが。
「おはようございます。ハイキングですか」
愛想のいい人は挨拶に一言加えてくれるから有難い。
「わいわい炊事遠足なんですよ」
「晴れて好かったですね。お孫さんと楽しんでください」
明らかに誤解しているが、ともかく長話は禁物だ。軽く受け流すことにした。
「有難うございます。行ってまいります」
考えてみれば、「子供がワイワイ」と「老人がわいわい」とで、どちらがピンと来るかと言えば、やはり子供だ。自分の思い込みだけで受け答えしてはいけない。もう少し社交性を身に付けるべきだ。
炊事遠足に初めて参加して感じたことだが、札幌シニアネットの組織運営能力は素晴らしい。今回のイベントは新鮮な作物の収穫から始まり、炊事に必要なあらゆる物品を用意して130人余りに給食すると言う壮大なものだ。火を起こすことから始まり、火を消して完璧に後片付けをすることにより終了する。
書けば簡単だが設営から撤収まで火、熱湯、包丁等の危険物を扱いながら無事故で終わらせるのは容易ではない。しかも美味しくなければならないのだから極めて困難だ。数人なら出来ることでも百数十人となると難しい。人・物運搬、配置、天候対策等いろいろな課題に直面する。これらをボランティアの力で楽しげにこなしている姿を見て、SSN組織の実力を再認識した。
「豚汁」「あら汁」「鶏焼き」「ゆでジャガ」「焼とうきび」、それぞれの素材の味が活かされていて、とても美味しかった。中でも美味しかったのがジャガイモだ。これは私の好物。残念ながら「チャンチャン焼」は食い損ねた。ジャガイモに気を取られて忘れてしまったのだ。
このような野外行事には初めて参加するのでSSNで配信するメールは注意深く読んだ。そして二つのキーワードが頭に残った。「わいわい炊事遠足」「アルコール類持込み自由」である。本当はもっと大切なことがあるのだが、愚かな私は現地に行くまで気づかなかった。
今までのSSN交流会との違いは、新たに付け加えられた「わいわい」の4文字だが、森の中で食べて飲むとことは分かる。謎は「わいわい」にある。「わいわい食べる」では何となくしっくりしない。「わいわい騒ぐ」から連想できるのは、やはり「わいわい飲む」だろう。
熟慮の末、わいわい飲むことと判断した。しかし、私は酒に弱いのに好きだから困る。どちらかと言うと他人様が困るのだ。弱いくせに飲んで酔っ払い周りに迷惑をかけるタイプだ。そんなことではいけないと反省はしている。
必要に迫られて開発したのが私専用のスペシャル・ドリンクだ。作り方は簡単、50㏄のウイスキーを450㏄の水で薄め、更に冷やして携帯用魔法瓶に入れて完成する。肝心なのは魔法瓶に入れること。飲むのが遅いのでビールなら泡が消えて気が抜ける。水割りでも氷が融けてぬるくなってしまうのだ。これでは美味くない。
炊事遠足に行くのに、こんな枝葉末節、どうでもいいことに思いを巡らせていた。終ってから分かったことだが炊事遠足はSSN組織の団結力を強化する大切な行事。一人ひとりの持てる力を合わせて大きなイベントを成し遂げることに意義があるのだ。
家に閉じこもり、アレコレ考えた成果が自分専用のスペシャル・ドリンクとは我ながら情けない。歳を取っても相変わらず自己中心的だ。目玉が顔から飛び出してドローンのように空中に浮かんでくれれば、自分を客観的に見つめられるのだが。
札幌シニアネット(SSN)の「歩こう会」でハイキングに行くのがとても楽しみだ。青空の下で仲間と話しながら弁当を食べるのも楽しい。だけど日向で食べるのは苦手だ。日陰を探してウロウロしている内に一人になってしまった。
ところで我が家の朝食について、こんなことを考えた。食事は楽しく話しながらとる方がいい、と言われているが本当だろうか。売り言葉に買い言葉、言葉は喧嘩の種である。間違いなく楽しく食べたいのなら黙って食べるのが一番だ。そう思うのだが、私の口は喋りたくてうずうずしている。朝からドーパミンがドクドク流れてハシャギ状態にあるのだ。聞いた話だが「ドーパミンを分泌させることは快感を得ること」だそうだ。
「気持ちいい朝ですね。豚肉がとても美味しいです」
「食べるだけの人はいいねぇ。作る方は大変なんだよ」
「豚肉作っているのですか?」
「いいから黙って食べなさい」
「昨日はシニアネットの歩こう会に行って来ました。楽しかったですよ」
「そりゃ、よかったね。わたしゃ朝から掃除だよ」
QPは私が外出しようとすると「何時に出かけるの」と聞く。そして「アンタが出かけたら掃除するからね」と付け加える。本当にしているのだろうか。私の部屋は汚れてはいないと思うのだが。
「歩こう会ではとても好いことがあったのですよ」
「飴玉でももらったのかい」
「ブログを読んでいると言ってくれた方がいたのです」
「ジイサンはお世辞が上手いからね。本気にするんじゃないよ」
「男性ではありません。感想も言ってくれましたよ」
「バアサン?」
「素敵な女性です。読むのが楽しみと言ってくれました」
「……」
新聞から「老人」とか「老婆」が消えて久しい。今や「おじいさん・おばあさん」は家族関係を表す言葉としか使われていない。QPだって知らないはずはない。黙り込んだのは機嫌を損ねたと思うのは私の考え過ぎだろうか。
疑いを感じた時は安全策を取るに限る。こうして我家の危機を切り抜けてきたのだ。相手を変えようと思う時は、先ず自分が変わること。このケースでは、幸せな自分から不幸な自分へと素早く切り替えなければいけない。
「実は歩こう会の昼ご飯は、とても寂しかったのですよ」
「また、ハゲをからかわれたのかい」
「一人で黙々と食べたのです」
「大勢で行ったんじゃあないの?」
「それなのに私は一人……」
「アンタはねぇ。自分勝手で人の輪に入れないからダメなんだよ」
説教は延々と続くのだが、ダメダメと言う割には目つきが優しいし口元がほころびている。これでいいのだろうか?
「うん、これでいいのだ!」と、思わず独り言を発した。
”不憫な私”を演じて成功したのだ。これでいいに決まっている。
「何がいいんだよ。全部ダメじゃない」
QPは私の名演技を知らずに素直に反応してくれた。
「そうですね。全部ダメでした。反省していますよ」
『この世は舞台、ひとはみな役者』。私の役は少しでも楽をしたいがために、パートナーの心を操る小ずるい人。QPは無意識に正直で勤勉な人の役を演じている。本当の心は言わぬが花だし、聞かぬも花だ。
ところで我が家の朝食について、こんなことを考えた。食事は楽しく話しながらとる方がいい、と言われているが本当だろうか。売り言葉に買い言葉、言葉は喧嘩の種である。間違いなく楽しく食べたいのなら黙って食べるのが一番だ。そう思うのだが、私の口は喋りたくてうずうずしている。朝からドーパミンがドクドク流れてハシャギ状態にあるのだ。聞いた話だが「ドーパミンを分泌させることは快感を得ること」だそうだ。
「気持ちいい朝ですね。豚肉がとても美味しいです」
「食べるだけの人はいいねぇ。作る方は大変なんだよ」
「豚肉作っているのですか?」
「いいから黙って食べなさい」
「昨日はシニアネットの歩こう会に行って来ました。楽しかったですよ」
「そりゃ、よかったね。わたしゃ朝から掃除だよ」
QPは私が外出しようとすると「何時に出かけるの」と聞く。そして「アンタが出かけたら掃除するからね」と付け加える。本当にしているのだろうか。私の部屋は汚れてはいないと思うのだが。
「歩こう会ではとても好いことがあったのですよ」
「飴玉でももらったのかい」
「ブログを読んでいると言ってくれた方がいたのです」
「ジイサンはお世辞が上手いからね。本気にするんじゃないよ」
「男性ではありません。感想も言ってくれましたよ」
「バアサン?」
「素敵な女性です。読むのが楽しみと言ってくれました」
「……」
新聞から「老人」とか「老婆」が消えて久しい。今や「おじいさん・おばあさん」は家族関係を表す言葉としか使われていない。QPだって知らないはずはない。黙り込んだのは機嫌を損ねたと思うのは私の考え過ぎだろうか。
疑いを感じた時は安全策を取るに限る。こうして我家の危機を切り抜けてきたのだ。相手を変えようと思う時は、先ず自分が変わること。このケースでは、幸せな自分から不幸な自分へと素早く切り替えなければいけない。
「実は歩こう会の昼ご飯は、とても寂しかったのですよ」
「また、ハゲをからかわれたのかい」
「一人で黙々と食べたのです」
「大勢で行ったんじゃあないの?」
「それなのに私は一人……」
「アンタはねぇ。自分勝手で人の輪に入れないからダメなんだよ」
説教は延々と続くのだが、ダメダメと言う割には目つきが優しいし口元がほころびている。これでいいのだろうか?
「うん、これでいいのだ!」と、思わず独り言を発した。
”不憫な私”を演じて成功したのだ。これでいいに決まっている。
「何がいいんだよ。全部ダメじゃない」
QPは私の名演技を知らずに素直に反応してくれた。
「そうですね。全部ダメでした。反省していますよ」
『この世は舞台、ひとはみな役者』。私の役は少しでも楽をしたいがために、パートナーの心を操る小ずるい人。QPは無意識に正直で勤勉な人の役を演じている。本当の心は言わぬが花だし、聞かぬも花だ。
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路傍の石
>「素敵な女性です。読むのが楽しみと言ってくれました」
>「……」
これはきっと、QPさんのヤキモチじゃないですか。
QPさんににヤキモチを妬かれるPPさんはは幸せです。
とは言いながら、
>本当の心は言わぬが花だし、聞かぬも花だ。
このクダリにも思わず共感です。
見栄を張りました
PP 頭はハゲているし。手足も短くちんちくりんです。
妬かれるほどモテないことは確かです。
しかし、それでは余りにも寂しいので、
ちょっとだけ見栄を張りました。すみません。
いつも楽しい事を考えて楽しく生きたいのです。
札幌シニアネット(SSN)カラオケクラブの皆様、いつもお世話になり有難うございます。会場では皆様の歌に引き込まれご挨拶も出来ず失礼しています。代わりにはなりませんが、カラオケにまつわる思い出話をさせて頂きました。
お爺さん3人でカラオケに行った。50年来の付き合いだから気楽なもんだ。音程など気にしないで好きなように楽しんでいる。それで面白いかというと何とも言えないが、ゆったりとした気分でのんびり過ごした。
そもそもこの三人は、カラオケとか遊ぶことには全く縁がなかった「片隅の仲間」だ。スポーツと遊びが盛んな職場では、三人とも真面目一方で目立たない存在だった。ひょっとして、面白くない人として密かに目立っていたのかも知れない。
A君とB君は根っから真面目で、仕事も普通に出来る人。一方私は真面目なフリをしている、ろくでもない人間だった。どんな職場でも不真面目で仕事の出来ない人間の居場所はない。向いていない仕事についてしまった私は、不本意ながら真面目にしていた。
根がろくでなしの私には信じ難いことだが、生まれつき真面目な人もいる。A君は真面目以外を全く認めない人だった。偽物の私から見れば面白くない人だ。そのかわり面倒見が好くて信頼できる人。B君も同じようなタイプだが、たまに隠れて悪いこともする。他人の土地に無断で駐車するとか。
A君はその真面目さが認められて20人の部下を持つ身に昇進した。あの真面目一方で遊び知らずのA君がカラオケをやり始めたと聞いて驚いた。管理職になったらカラオケくらい付き合えなければと、真面目に考えて一生懸命練習したようだ。
と言うことで片隅の三人カラオケでも微妙な格差が生じた。1番A君、2番私、3番B君という序列ができたのだ。B君は歌手の名も曲名もほとんど知らない。 「泣けた泣けたとか言うのあったよな」とか聞くので、私が「別れの一本杉」と入れて上げる。つまり、実技は音痴の私よりマシだが歌やカラオケについての知識が全くないのだ。
A君はとても楽しそうに歌う。妙に鼻にかけた声を出したり、ゼスチャーもオーバーでマイクも激しく動いている。真面目な人柄とのギャップが大き過ぎて可笑しかった。軽い違和感を覚えたけれど、三人で楽しんだことに比べれば取るに足らないことだった。それなのに何故覚えているかと言うと、35年前の「事件」を思い出したからだ。
カラオケとは不公平なものだ。自分が愉快になり身振り手振りを入れて楽しく歌えば周りも楽しくなり盛り上がる。ただし、これは格好良くて上手い人の場合。音痴でユデダコのような顔をした私がやるとどうだろう。悲しくなるので書くのも嫌だ。どうして私が愉快になり、それを声と体で表現しては悪いのだ。余りにも不公平ではないか!
「ねぇ、そう思うでしょう」
「絶対に思わない。迷惑だ。気味が悪いから見たくもないし聞きたくもない」
「順番だから歌えと言われたんですよ」
「変に恰好つけないで、真面目に素直に歌えばいいんだよ」
こんな話なら分からないこともないが、ある人に「お前みたいな奴は歌ってはダメだ。順番でもダメだ。頼まれても歌うな」と繰り返し言われた。こう非難するのは、全国各地からの寄り合い所帯の職場の中で、ただ一人地元出身の同僚だった。故郷の合唱グループにも入っていたらしい。
酒に酔ってのことだが、何でこんなに激しく非難するのか訳が分からなかった。とは言え、長生きはするものだ、あれから35年たった今、その謎がやっと解けたのだ。申し訳ないことだが熱唱するA君の姿を見て分かったのだ。本当にカラオケは辛いよ。すれ違いが怖い。
自分がいい気持ちで幸せの絶頂にあるときが顰蹙を買う時なのだ。淋しいではないか。いつも「楽しんで歌えばいいんだよ」と言うから、真に受けて心の底から楽しんじゃったら叱られた。衆人環視の中でそれをやってしまった私がバカだった。
「夜霧」と言う名のキャバレー風の飲み屋でのことだった。舞台もある、100人も入れそうな大きな店だ。人口3万の町では一番大きな夜の社交場である。ホステスは当時40歳くらいだった我々よりも、相当年上の農家の女性とか。農閑期のアルバイトのようだ。酔った私は、こともあろうに舞台に上がって音痴なのに大熱唱。さぞかし驚いたことと今なら分かる。
考えてみれば周りの人たちは私にとっては知らない人だが、地元出身の同僚にとっては知人友人も多い。合唱仲間も居たかも知れない。顔から火が出るほど恥ずかしかったに違いない。私の恥を自分の恥と捉えてくれたのだ。関係ないのにね。ホントにいい人だ。
歌うなと言われて以来、大反省して30年はカラオケに行かなかった。しかし、この話には裏がある。同僚は私に歌うなと繰り返して、3時間以上も文句を言い続けたことを全く覚えていない。「事件」から半年もたってから、ベロンベロンに酔って言い立てたことだ。心の底から出た無意識の叫びだった。これじゃあ尚更つらいよね。
このブログは毎週土曜の更新。来週もよろしくお願い致します。
お爺さん3人でカラオケに行った。50年来の付き合いだから気楽なもんだ。音程など気にしないで好きなように楽しんでいる。それで面白いかというと何とも言えないが、ゆったりとした気分でのんびり過ごした。
そもそもこの三人は、カラオケとか遊ぶことには全く縁がなかった「片隅の仲間」だ。スポーツと遊びが盛んな職場では、三人とも真面目一方で目立たない存在だった。ひょっとして、面白くない人として密かに目立っていたのかも知れない。
A君とB君は根っから真面目で、仕事も普通に出来る人。一方私は真面目なフリをしている、ろくでもない人間だった。どんな職場でも不真面目で仕事の出来ない人間の居場所はない。向いていない仕事についてしまった私は、不本意ながら真面目にしていた。
根がろくでなしの私には信じ難いことだが、生まれつき真面目な人もいる。A君は真面目以外を全く認めない人だった。偽物の私から見れば面白くない人だ。そのかわり面倒見が好くて信頼できる人。B君も同じようなタイプだが、たまに隠れて悪いこともする。他人の土地に無断で駐車するとか。
A君はその真面目さが認められて20人の部下を持つ身に昇進した。あの真面目一方で遊び知らずのA君がカラオケをやり始めたと聞いて驚いた。管理職になったらカラオケくらい付き合えなければと、真面目に考えて一生懸命練習したようだ。
と言うことで片隅の三人カラオケでも微妙な格差が生じた。1番A君、2番私、3番B君という序列ができたのだ。B君は歌手の名も曲名もほとんど知らない。 「泣けた泣けたとか言うのあったよな」とか聞くので、私が「別れの一本杉」と入れて上げる。つまり、実技は音痴の私よりマシだが歌やカラオケについての知識が全くないのだ。
A君はとても楽しそうに歌う。妙に鼻にかけた声を出したり、ゼスチャーもオーバーでマイクも激しく動いている。真面目な人柄とのギャップが大き過ぎて可笑しかった。軽い違和感を覚えたけれど、三人で楽しんだことに比べれば取るに足らないことだった。それなのに何故覚えているかと言うと、35年前の「事件」を思い出したからだ。
カラオケとは不公平なものだ。自分が愉快になり身振り手振りを入れて楽しく歌えば周りも楽しくなり盛り上がる。ただし、これは格好良くて上手い人の場合。音痴でユデダコのような顔をした私がやるとどうだろう。悲しくなるので書くのも嫌だ。どうして私が愉快になり、それを声と体で表現しては悪いのだ。余りにも不公平ではないか!
「ねぇ、そう思うでしょう」
「絶対に思わない。迷惑だ。気味が悪いから見たくもないし聞きたくもない」
「順番だから歌えと言われたんですよ」
「変に恰好つけないで、真面目に素直に歌えばいいんだよ」
こんな話なら分からないこともないが、ある人に「お前みたいな奴は歌ってはダメだ。順番でもダメだ。頼まれても歌うな」と繰り返し言われた。こう非難するのは、全国各地からの寄り合い所帯の職場の中で、ただ一人地元出身の同僚だった。故郷の合唱グループにも入っていたらしい。
酒に酔ってのことだが、何でこんなに激しく非難するのか訳が分からなかった。とは言え、長生きはするものだ、あれから35年たった今、その謎がやっと解けたのだ。申し訳ないことだが熱唱するA君の姿を見て分かったのだ。本当にカラオケは辛いよ。すれ違いが怖い。
自分がいい気持ちで幸せの絶頂にあるときが顰蹙を買う時なのだ。淋しいではないか。いつも「楽しんで歌えばいいんだよ」と言うから、真に受けて心の底から楽しんじゃったら叱られた。衆人環視の中でそれをやってしまった私がバカだった。
「夜霧」と言う名のキャバレー風の飲み屋でのことだった。舞台もある、100人も入れそうな大きな店だ。人口3万の町では一番大きな夜の社交場である。ホステスは当時40歳くらいだった我々よりも、相当年上の農家の女性とか。農閑期のアルバイトのようだ。酔った私は、こともあろうに舞台に上がって音痴なのに大熱唱。さぞかし驚いたことと今なら分かる。
考えてみれば周りの人たちは私にとっては知らない人だが、地元出身の同僚にとっては知人友人も多い。合唱仲間も居たかも知れない。顔から火が出るほど恥ずかしかったに違いない。私の恥を自分の恥と捉えてくれたのだ。関係ないのにね。ホントにいい人だ。
歌うなと言われて以来、大反省して30年はカラオケに行かなかった。しかし、この話には裏がある。同僚は私に歌うなと繰り返して、3時間以上も文句を言い続けたことを全く覚えていない。「事件」から半年もたってから、ベロンベロンに酔って言い立てたことだ。心の底から出た無意識の叫びだった。これじゃあ尚更つらいよね。
このブログは毎週土曜の更新。来週もよろしくお願い致します。
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思わず “クスリ!“
路傍の石
>ひょっとして、面白くない人として密かに
>目立っていた のかも知れない。
これには 「ハハハ」 と笑ってしまいました。
平凡な事でもユーモアに変えてしまう。
流石PPさんの文章力は凄い!!
ジョークが大好
PP コメント有難うございます。
ジョークが大好きなのですが、
ノロマだから、口で言えないのです。
それで書いています。
これからもよろしくお願いいたします。
路傍の石
>ひょっとして、面白くない人として密かに
>目立っていた のかも知れない。
これには 「ハハハ」 と笑ってしまいました。
平凡な事でもユーモアに変えてしまう。
流石PPさんの文章力は凄い!!
ジョークが大好
PP コメント有難うございます。
ジョークが大好きなのですが、
ノロマだから、口で言えないのです。
それで書いています。
これからもよろしくお願いいたします。
私が所属している札幌シニアネット(SSN)が、「けん玉のイベント」を開いてくれた。子どもの頃あそんだ記憶がよみがえり懐かしい。会場のシニアネットサロンでは先生一人で大勢の会員に教えていた。とても忙しそうだ。
それでも一人ひとりに「Sさん、その調子」「Aさん、あと一息」とか声をかけて励ましてくれる。ところが、私の側に来ると「おじさん、もっと手前で引いて」。おやおや何で私だけオジサン? と思ったが直ぐに気が付いた。私だけが名札を付けていないのだ。
SSNのイベントでは参加者が名札を付ける決まりだが忘れてしまった。流石は先生、臨機応変と感心した。私はいつも名札を付けていない人の対応に苦慮している。顔を覚えていても名前が思い出せなくて、当人を前にしてもがいていることがよくある。
「初対面の方なら聞けるのですが、何回も会って居る人には聞きにくいですよね」
「アンタも先生を見習って、おじさん・オバサンと言えばいいじゃない」
「それはちょっと失礼じゃぁありませんか」
「何回も会っているのに忘れている方が、よっぽど失礼だよ」
ところで、けん玉の方は「飛行機」がなかなか出来なくて苦労した。これは玉の穴に本体を飛行機が飛ぶ様に振って剣先を入れる技。極めて簡単と言われているが私にとっては難しかった。それには訳がある。

「飛行機」とは玉を手に持ち、けん玉本体を振り回して剣先を玉の穴に入れる技。
私は「飛行機」をやったことがない。けん玉をしていたのは60年以上前の話。その時はやっていたローカルルールは、糸を外したけん玉を使うことだった。糸のないけん玉では飛行機などできない。私にとっては初めての体験だった。
糸を使わないメリットは、糸が絡まないので軽快な感じがする。経験のない人には分かり難いと思うが、同じことを繰り返す「もしかめ」という技がある。これを50回も繰り返すと必ず糸が捩れてくる。100回、200回と繰り返すととても気になるものだ。
その他のメリットとしては玉を地面に落とした方が負けだからルールが簡単。それに間違ったら落ちてしまうと言う緊張感もゲームを面白くする。こんな理由で近所で遊ぶ子供達(小学生)の間で糸なしのけん玉が流行っていた。
イベントの終わりに先生が東区民センターの「けん玉教室」について紹介してくれた。数日後、さっそく行ってみたら参加者は7人程度で丁寧に教えてもらうことが出来た。
私の観たところでは、一番上手いのが小学6年生のA君、次は若者のBさん、この二人は、その日の内に検定を受け1級を取った。A君とBさんの「飛行機」は軽く小さく回して百発百中。失敗の気配が全く無い。外の5人はドングリの背比べ。これは、ものを習うには理想的なメンバー構成だ。
上級者二人で初心者が5人のグループは快適だ。ドングリばかりでは詰まらないし、出来る人が多すぎても居心地が悪い。私はこの程度のバランスが大好きだ。次回もぜひ行ってみたいと思っている。
「人生は夢へのチャレンジです」
「アンタの夢は『ノンビリ暮らすこと』、もう叶えたんでしょ」
「新しい夢はけん玉一級!」
「その上に段もあるんだよ」
「そうダンですか~」
「知らなかったの?」
「段を上るのはキライ! 心臓が弱いので階段は苦手なんですよ」
「単に自信がないだけでしょ」
「人生いろいろ夢もいろいろです」
「なんでも自分の身の丈に合わせるんだね。夢までもね~」
「先が短いですから早く叶えて、新たな夢に挑戦!」
「そうゆうのフツウ夢とか言わないよ」
「はぁ、何ですかそれ?」
「た・い・く・つ・し・の・ぎ。分かった!」

私のマスコット「ゆきちゃん」は太陽の光を浴びると喜んでダンスをする。
2014年5月25日 札幌丘珠空港の地域歴史講座で中島公園の話をします
当ブログの管理人が僭越ながら丘珠空港で中島公園の歴史について語ります。引き受けたものの、お客さんが誰も来ないのではないかと心配しています。ノンビリ生きているように見えても悩みの種は尽きないのです。
「無料ですよ~」。当たり前だ! とか言わないで時間と人情のある方はぜひ来てください。楽しいコンサートや、稚内・利尻直送の産直市もあるんですよ。おまけに「スカイショップおかだま」はこの日に限り5%Off! 空港レストラン・丘珠キッチンでも、この日に限り特別メニュー提供中!
詳細はこちらをクリック! → 5月25日(日)は札幌丘珠空港へ
それでも一人ひとりに「Sさん、その調子」「Aさん、あと一息」とか声をかけて励ましてくれる。ところが、私の側に来ると「おじさん、もっと手前で引いて」。おやおや何で私だけオジサン? と思ったが直ぐに気が付いた。私だけが名札を付けていないのだ。
SSNのイベントでは参加者が名札を付ける決まりだが忘れてしまった。流石は先生、臨機応変と感心した。私はいつも名札を付けていない人の対応に苦慮している。顔を覚えていても名前が思い出せなくて、当人を前にしてもがいていることがよくある。
「初対面の方なら聞けるのですが、何回も会って居る人には聞きにくいですよね」
「アンタも先生を見習って、おじさん・オバサンと言えばいいじゃない」
「それはちょっと失礼じゃぁありませんか」
「何回も会っているのに忘れている方が、よっぽど失礼だよ」
ところで、けん玉の方は「飛行機」がなかなか出来なくて苦労した。これは玉の穴に本体を飛行機が飛ぶ様に振って剣先を入れる技。極めて簡単と言われているが私にとっては難しかった。それには訳がある。

「飛行機」とは玉を手に持ち、けん玉本体を振り回して剣先を玉の穴に入れる技。
私は「飛行機」をやったことがない。けん玉をしていたのは60年以上前の話。その時はやっていたローカルルールは、糸を外したけん玉を使うことだった。糸のないけん玉では飛行機などできない。私にとっては初めての体験だった。
糸を使わないメリットは、糸が絡まないので軽快な感じがする。経験のない人には分かり難いと思うが、同じことを繰り返す「もしかめ」という技がある。これを50回も繰り返すと必ず糸が捩れてくる。100回、200回と繰り返すととても気になるものだ。
その他のメリットとしては玉を地面に落とした方が負けだからルールが簡単。それに間違ったら落ちてしまうと言う緊張感もゲームを面白くする。こんな理由で近所で遊ぶ子供達(小学生)の間で糸なしのけん玉が流行っていた。
イベントの終わりに先生が東区民センターの「けん玉教室」について紹介してくれた。数日後、さっそく行ってみたら参加者は7人程度で丁寧に教えてもらうことが出来た。
私の観たところでは、一番上手いのが小学6年生のA君、次は若者のBさん、この二人は、その日の内に検定を受け1級を取った。A君とBさんの「飛行機」は軽く小さく回して百発百中。失敗の気配が全く無い。外の5人はドングリの背比べ。これは、ものを習うには理想的なメンバー構成だ。
上級者二人で初心者が5人のグループは快適だ。ドングリばかりでは詰まらないし、出来る人が多すぎても居心地が悪い。私はこの程度のバランスが大好きだ。次回もぜひ行ってみたいと思っている。
「人生は夢へのチャレンジです」
「アンタの夢は『ノンビリ暮らすこと』、もう叶えたんでしょ」
「新しい夢はけん玉一級!」
「その上に段もあるんだよ」
「そうダンですか~」
「知らなかったの?」
「段を上るのはキライ! 心臓が弱いので階段は苦手なんですよ」
「単に自信がないだけでしょ」
「人生いろいろ夢もいろいろです」
「なんでも自分の身の丈に合わせるんだね。夢までもね~」
「先が短いですから早く叶えて、新たな夢に挑戦!」
「そうゆうのフツウ夢とか言わないよ」
「はぁ、何ですかそれ?」
「た・い・く・つ・し・の・ぎ。分かった!」

私のマスコット「ゆきちゃん」は太陽の光を浴びると喜んでダンスをする。
2014年5月25日 札幌丘珠空港の地域歴史講座で中島公園の話をします
当ブログの管理人が僭越ながら丘珠空港で中島公園の歴史について語ります。引き受けたものの、お客さんが誰も来ないのではないかと心配しています。ノンビリ生きているように見えても悩みの種は尽きないのです。
「無料ですよ~」。当たり前だ! とか言わないで時間と人情のある方はぜひ来てください。楽しいコンサートや、稚内・利尻直送の産直市もあるんですよ。おまけに「スカイショップおかだま」はこの日に限り5%Off! 空港レストラン・丘珠キッチンでも、この日に限り特別メニュー提供中!
詳細はこちらをクリック! → 5月25日(日)は札幌丘珠空港へ
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わぁ〜行きたいな(丘珠空港)
蝦夷地の人 ホッケの燻製スティックのうまさは食べなければ分からない!
羅臼のも美味しいけれど、稚内のもめっちゃ美味しいんですよ。
いきなり食べ物の事で申し訳ない、なにせ食いしん坊なので。
勿論、肝心のPPさんの講演もお聴きしたいんですよ、ホントですって。
けん玉病み付きになりそうですね。ウフフ・・・。
検定の目標ができるともっと熱が入って、当分はやめられない感じですね♫
航空管制官だった方の「飛行機」! 既にご成功していますね!きっと。
今度技の色々ご披露してくださいね。楽しみです。
丘珠空港、来てもらえれば嬉しいです
pp ホッケの燻製スティック食べたことありません。ぜひ食べてみようと思います。
「飛行機」は目下練習中。運動神経が鈍いから新しく覚えるのは難しいです。
子供の頃にやった事しか出来ません。
しかも、昔できたことまで出来なくなっています。
1級の「灯台」は紐を使うのでやったことありません。
これはてこずると思いますが頑張ります。
継続は力なり
カスミ草 目覚めたのですね、PPさん、けん玉に。
子供の頃を思い出し、段位目指して練習されている事でしょう。
5人の中で誰が先に抜きんでるか。
応援していますよ、PPさん。
マスコットの「ゆきちゃん」可愛い。
太陽さんを浴びると、融けるどころかダンスを踊りだすとは。
夏の暑い日、ゆきちゃんのダンスはチョッピリでも
涼を運んでくれるでしょうか。
3級目指しています
pp 応援有り難う。3級目指して練習しています。
いつでも一人で手軽に出来るところがいいですね。
「ゆきちゃん」とか「とらちゃん」「パンダちゃん」など、
五つ買っておきました。消費税上がる前にね。
全員そろって踊る姿は壮観ですよ。百円商品です。
蝦夷地の人 ホッケの燻製スティックのうまさは食べなければ分からない!
羅臼のも美味しいけれど、稚内のもめっちゃ美味しいんですよ。
いきなり食べ物の事で申し訳ない、なにせ食いしん坊なので。
勿論、肝心のPPさんの講演もお聴きしたいんですよ、ホントですって。
けん玉病み付きになりそうですね。ウフフ・・・。
検定の目標ができるともっと熱が入って、当分はやめられない感じですね♫
航空管制官だった方の「飛行機」! 既にご成功していますね!きっと。
今度技の色々ご披露してくださいね。楽しみです。
丘珠空港、来てもらえれば嬉しいです
pp ホッケの燻製スティック食べたことありません。ぜひ食べてみようと思います。
「飛行機」は目下練習中。運動神経が鈍いから新しく覚えるのは難しいです。
子供の頃にやった事しか出来ません。
しかも、昔できたことまで出来なくなっています。
1級の「灯台」は紐を使うのでやったことありません。
これはてこずると思いますが頑張ります。
継続は力なり
カスミ草 目覚めたのですね、PPさん、けん玉に。
子供の頃を思い出し、段位目指して練習されている事でしょう。
5人の中で誰が先に抜きんでるか。
応援していますよ、PPさん。
マスコットの「ゆきちゃん」可愛い。
太陽さんを浴びると、融けるどころかダンスを踊りだすとは。
夏の暑い日、ゆきちゃんのダンスはチョッピリでも
涼を運んでくれるでしょうか。
3級目指しています
pp 応援有り難う。3級目指して練習しています。
いつでも一人で手軽に出来るところがいいですね。
「ゆきちゃん」とか「とらちゃん」「パンダちゃん」など、
五つ買っておきました。消費税上がる前にね。
全員そろって踊る姿は壮観ですよ。百円商品です。
いつも訪問ありがとうございます。
更新は毎月1回第一土曜日(今月は7日)です。
よろしくお願いいたします。(ブログの管理人nakapa)
小学生の頃だが学芸会でクラス全員で合唱をすることになった。その時先生から声を出さないで口だけ開くように指示された。いわゆる「口パク」である。合唱が苦手な私は先生の温情を有り難く思った。
約30年前のことだが職場の宴会でカラオケをやったら、酔っ払いに「お前は下手だから歌えと言われても絶対に歌うな」と絡まれた。それ以来カラオケは絶対にやらないことに決めた。この辺の経緯は以前ブログに書いたことがあるので省略する。(興味のある方はこちらをクリック!→カラオケは辛いよ)

それがひょんなことで歌うことになった。正確に言えば、ひょん、ひょん、ひょん、ひょん、ひょんなことでカラオケを始めたのである。
60代半ばでのことだった。この中の一つの「ひょん」でも欠けたら、再び人前で歌うことはなかったと断言できる。だからタイトルは「運命のSSNカラオケ」。決して大げさではない。事実のみを淡々と語るのが私のポリシーである。
「今だって歌うのは恥ずかしいのですよ」
「そりゃそうだろう。オンチだからな」
「分かってください。この気持ち」
「何のために?」
「少しでも居心地を良くしたいのですよ」
「カラオケ会でか?」
「ちょっと聞いて下さい。カラオケを楽しむ為の第三の矢を考えました」
「第三の矢?」←← これには説明が必要だろう。
楽しむ為の第一の矢は、自分の歌を録音して聞かないこと。聞いたら自分が嫌になる。気分よく歌いたいなら己を知らないことが第一だ
第二の矢はカラオケを習わないこと。ここを直せばもっと良くなると言われても、それが出来ないから下手なままなのだ。それでいろいろ工夫している。私が皆様の為に出来ることは、人様の歌を心から楽しんで聴くこと。それに挨拶と拍手くらいだ。
第一と第二の矢は自分ひとりで出来ることなので既に実施済み。問題は第三の矢だ、こればかりはどうしても一人で出来ない。皆様の協力が必要である。
「実はアナタにお願いしたいことがあります」
「言ってみろ。金とボランティア以外なら何でも聞いてやるぞ」
「私が歌った後で、上手いとか下手とか言わないで下さい」
「上手いなんて言えるわけないだろう。下手は俺の腹にグッと飲み込んでやる」
「有難うございます。評価を受けないことが第三の矢。アナタの協力がなければ出来ないのです」
「分かった分かった。何も言わないから心配するな」
「拍手はしてもいいですよ」
「じぇ!じぇ!じぇ!じぇ!」
下手とは思うけど改めて言われると歌う気がしなくなる。それに99%ダメと思っていても、1%の可能性を信じたい気持ちが心の片隅にある。だから止めを刺して欲しくない。1%の効用を生かして楽しく歌いたい。
その点拍手はいい、自分で勝手に解釈できる。手を叩く方は「あ~ぁ、やっと終わったか」と思いながら拍手しても、私には「ガンバッタネー。前よりマシだよ」と、優しい励ましに聞こえる。
改めて整理すると、「自分の歌を聞かない」「カラオケを習わない」「評価されない」これが私の成長戦略「三本の矢」である。
「そんなことで何が成長するんだ」
「気分です。歌うっていいな~。という気持ちがどんどん成長するんです」
「運命のSSNカラオケはどうなった?」
「実の所、幾つかの偶然が私をカラオケの世界に導いたのです」
「そうかい。格好つけずに普通にしゃべれよ」
「分かりました。それでは事実だけを伝えます」
<Aさんが私を6年前にカラオケに誘った>
2007年、老人福祉センターの「やさしい英会話」で一緒だったAさんから誘われた。3人の初心者が交替で歌うだけのカラオケ会。Aさんは私がオンチなことをよく知っているので安心して誘いを受けることが出来た。
<地元のラジオ「山鼻、あしたもいい天気!」>
コミュニティFMラジオ局の番組放送委員会から中島公園の話を頼まれ2ヶ月に1回1時間の番組を担当していた。中島公園だけでは物足りないので毎回ゲストに来てもらった。そのとき元プロ歌手のBさんにゲスト出演のお願いをした。
<SSNカラオケクラブ>
当時Bさんが会長だったカラオケクラブの例会に、放送の参考にしようと思って見学に行った。しかし会員にとっては私はただの参加者。歌いたいから来たと誤解され半強制的にステージに連れて行かれた。
伴奏が始まり歌ったのは私の意志。例の「銀恋」でお相手も決まっていたので急に歌いたくなった。「3人カラオケ」を始めて半年くらいたっていたので、その気になったのだと思う。
今でも不思議に思っているが、列記されたこの文章には、10以上の偶然の出来事が書いてある。その内の一つでも欠けていたら、今のようにカラオケを楽しんでいることはないと思う。
偶然出会った小さな出来事の連続が私の人生を左右していることに気付いて不思議に思っている。それでテーマは「運命のSSNカラオケ」とした。
小さくて軽くてありふれていても、これが私の運命だ。若いころの私を知る人なら「あのnakapaがカラオケを? これは事件だ!」というに違いない。
更新は毎月1回第一土曜日(今月は7日)です。
よろしくお願いいたします。(ブログの管理人nakapa)
小学生の頃だが学芸会でクラス全員で合唱をすることになった。その時先生から声を出さないで口だけ開くように指示された。いわゆる「口パク」である。合唱が苦手な私は先生の温情を有り難く思った。
約30年前のことだが職場の宴会でカラオケをやったら、酔っ払いに「お前は下手だから歌えと言われても絶対に歌うな」と絡まれた。それ以来カラオケは絶対にやらないことに決めた。この辺の経緯は以前ブログに書いたことがあるので省略する。(興味のある方はこちらをクリック!→カラオケは辛いよ)

それがひょんなことで歌うことになった。正確に言えば、ひょん、ひょん、ひょん、ひょん、ひょんなことでカラオケを始めたのである。
60代半ばでのことだった。この中の一つの「ひょん」でも欠けたら、再び人前で歌うことはなかったと断言できる。だからタイトルは「運命のSSNカラオケ」。決して大げさではない。事実のみを淡々と語るのが私のポリシーである。
「今だって歌うのは恥ずかしいのですよ」
「そりゃそうだろう。オンチだからな」
「分かってください。この気持ち」
「何のために?」
「少しでも居心地を良くしたいのですよ」
「カラオケ会でか?」
「ちょっと聞いて下さい。カラオケを楽しむ為の第三の矢を考えました」
「第三の矢?」←← これには説明が必要だろう。
楽しむ為の第一の矢は、自分の歌を録音して聞かないこと。聞いたら自分が嫌になる。気分よく歌いたいなら己を知らないことが第一だ
第二の矢はカラオケを習わないこと。ここを直せばもっと良くなると言われても、それが出来ないから下手なままなのだ。それでいろいろ工夫している。私が皆様の為に出来ることは、人様の歌を心から楽しんで聴くこと。それに挨拶と拍手くらいだ。
第一と第二の矢は自分ひとりで出来ることなので既に実施済み。問題は第三の矢だ、こればかりはどうしても一人で出来ない。皆様の協力が必要である。
「実はアナタにお願いしたいことがあります」
「言ってみろ。金とボランティア以外なら何でも聞いてやるぞ」
「私が歌った後で、上手いとか下手とか言わないで下さい」
「上手いなんて言えるわけないだろう。下手は俺の腹にグッと飲み込んでやる」
「有難うございます。評価を受けないことが第三の矢。アナタの協力がなければ出来ないのです」
「分かった分かった。何も言わないから心配するな」
「拍手はしてもいいですよ」
「じぇ!じぇ!じぇ!じぇ!」
下手とは思うけど改めて言われると歌う気がしなくなる。それに99%ダメと思っていても、1%の可能性を信じたい気持ちが心の片隅にある。だから止めを刺して欲しくない。1%の効用を生かして楽しく歌いたい。
その点拍手はいい、自分で勝手に解釈できる。手を叩く方は「あ~ぁ、やっと終わったか」と思いながら拍手しても、私には「ガンバッタネー。前よりマシだよ」と、優しい励ましに聞こえる。
改めて整理すると、「自分の歌を聞かない」「カラオケを習わない」「評価されない」これが私の成長戦略「三本の矢」である。
「そんなことで何が成長するんだ」
「気分です。歌うっていいな~。という気持ちがどんどん成長するんです」
「運命のSSNカラオケはどうなった?」
「実の所、幾つかの偶然が私をカラオケの世界に導いたのです」
「そうかい。格好つけずに普通にしゃべれよ」
「分かりました。それでは事実だけを伝えます」
<Aさんが私を6年前にカラオケに誘った>
2007年、老人福祉センターの「やさしい英会話」で一緒だったAさんから誘われた。3人の初心者が交替で歌うだけのカラオケ会。Aさんは私がオンチなことをよく知っているので安心して誘いを受けることが出来た。
<地元のラジオ「山鼻、あしたもいい天気!」>
コミュニティFMラジオ局の番組放送委員会から中島公園の話を頼まれ2ヶ月に1回1時間の番組を担当していた。中島公園だけでは物足りないので毎回ゲストに来てもらった。そのとき元プロ歌手のBさんにゲスト出演のお願いをした。
<SSNカラオケクラブ>
当時Bさんが会長だったカラオケクラブの例会に、放送の参考にしようと思って見学に行った。しかし会員にとっては私はただの参加者。歌いたいから来たと誤解され半強制的にステージに連れて行かれた。
伴奏が始まり歌ったのは私の意志。例の「銀恋」でお相手も決まっていたので急に歌いたくなった。「3人カラオケ」を始めて半年くらいたっていたので、その気になったのだと思う。
今でも不思議に思っているが、列記されたこの文章には、10以上の偶然の出来事が書いてある。その内の一つでも欠けていたら、今のようにカラオケを楽しんでいることはないと思う。
偶然出会った小さな出来事の連続が私の人生を左右していることに気付いて不思議に思っている。それでテーマは「運命のSSNカラオケ」とした。
小さくて軽くてありふれていても、これが私の運命だ。若いころの私を知る人なら「あのnakapaがカラオケを? これは事件だ!」というに違いない。
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必然だった小さな偶然!
朱庵 きっとその積み重なった小さな偶然は、ナカパさんにとっては必然だったのだと思います。
それと声を出して歌う!これはとっても体にも良いことだと、聞いていますよ。
益々ご健康で歌声を響かせてくださいね!
楽しいことはいいことだっ!
メンタルヘルス
nakapa >朱庵さん
そうですね。後から考えれば必然でした。
無趣味な私はおお助かりです。
オマケに健康にもいいのでしたら言うことなし。
メンタルヘルスに良いことは間違いないと感じています。
但し、下手だの上手いだの評価が入ったら逆効果です。
下手なまま克服する方法をを考えています(笑)。
momo nakapaさんは本当に音痴ですか?
私の周りでは「私は音痴だから・・」と言われる方が結構お上手に歌われます。
謙遜だったようです。
因みに私は音痴だと知らなかったですが 娘に半音下がっていると指摘されて 初めて知りました。
友人は優しいので 指摘してくれなかったのです。
さぞ聞き苦しかったでしょうにね。
以後人前で歌えなくなりました。
歌は健康にもストレス解消にも良いのに残念です。
どうぞカラオケ続けて下さいね。
好きになったひと~♪
nakapa >momoさん
確かに上手に歌う方で音痴だと言う人が居ます。
多分比較の対象が違うのだと思います。私はホンモノです。
中学校の音楽評価は最低でしたが私は気にしていなかったです。
むしろ、通信簿に1~5まであるのが自慢でした。
「音痴の人は居ない。聞き方が足りないのだ」と言ってくれた人がいます。
それを信じて一生懸命聞いてカラオケは続けるつもりです。
好きになった人です(笑)。 さようならはしませんが…。
コマクサ 私は滅多に歌いませんが、酔うとなぜか歌いたくなる時があります。
皆の歌を聴いていると歌わなきゃ損?そんな思いなんです。
それも、ど演歌一曲しか歌えない私の持ち歌となってます。
勤務していた上司に「カラオケも出来ないやつは使い物にならない」と無理やり教えてもらい覚えたのです。
それが最初で最後に覚えた私の持ち歌です。
練習してもnakapaさんの様に上手く歌えませんので
カラオケ苦手の現状ですが一曲だけでも歌えるようになって
上司に感謝です。
妹がカラオケと聞いてビックリ
nakapa >コマクサさん
同じ様な話はあるものですね。
実は私の妹は歌が苦手で歌うのを聞いたことがありません。
それが40過ぎてからですが仕事の接待のときはカラオケやっている
と聞いてビックリしました。
「何回も歌えば何とかなるものよ」とか言ってました。
しかし、チャンスがなく未だに妹の歌は聞いたことがありません。
聴いたら血は争えないと思うかも知れません(笑)。
空見 こんにちは~
音痴をまわりの人が認めてくれれば、それはそれで皆さんの潤滑剤に役立っています、と思います。
歌手でもオンチの人がいるらしいですから、プロでもなけりゃそんなにうまくなくたって、関係ありません、と思います(笑)
ワタシは性格が曲っていますが、歌は(意外に)素直だと言われました(要するに全然うまくはないってこと)(;^_^A アセアセ・・
潤滑油
nakapa >空見さん
自信のない人を励ます役割は果たしていると思いますよ。
なんとなく優越感を与えて上げているような感じですから
潤滑油になっていると思います。
思い上がりというのも変ですが何ともうしましょうか。分かりません。
朱庵 きっとその積み重なった小さな偶然は、ナカパさんにとっては必然だったのだと思います。
それと声を出して歌う!これはとっても体にも良いことだと、聞いていますよ。
益々ご健康で歌声を響かせてくださいね!
楽しいことはいいことだっ!
メンタルヘルス
nakapa >朱庵さん
そうですね。後から考えれば必然でした。
無趣味な私はおお助かりです。
オマケに健康にもいいのでしたら言うことなし。
メンタルヘルスに良いことは間違いないと感じています。
但し、下手だの上手いだの評価が入ったら逆効果です。
下手なまま克服する方法をを考えています(笑)。
momo nakapaさんは本当に音痴ですか?
私の周りでは「私は音痴だから・・」と言われる方が結構お上手に歌われます。
謙遜だったようです。
因みに私は音痴だと知らなかったですが 娘に半音下がっていると指摘されて 初めて知りました。
友人は優しいので 指摘してくれなかったのです。
さぞ聞き苦しかったでしょうにね。
以後人前で歌えなくなりました。
歌は健康にもストレス解消にも良いのに残念です。
どうぞカラオケ続けて下さいね。
好きになったひと~♪
nakapa >momoさん
確かに上手に歌う方で音痴だと言う人が居ます。
多分比較の対象が違うのだと思います。私はホンモノです。
中学校の音楽評価は最低でしたが私は気にしていなかったです。
むしろ、通信簿に1~5まであるのが自慢でした。
「音痴の人は居ない。聞き方が足りないのだ」と言ってくれた人がいます。
それを信じて一生懸命聞いてカラオケは続けるつもりです。
好きになった人です(笑)。 さようならはしませんが…。
コマクサ 私は滅多に歌いませんが、酔うとなぜか歌いたくなる時があります。
皆の歌を聴いていると歌わなきゃ損?そんな思いなんです。
それも、ど演歌一曲しか歌えない私の持ち歌となってます。
勤務していた上司に「カラオケも出来ないやつは使い物にならない」と無理やり教えてもらい覚えたのです。
それが最初で最後に覚えた私の持ち歌です。
練習してもnakapaさんの様に上手く歌えませんので
カラオケ苦手の現状ですが一曲だけでも歌えるようになって
上司に感謝です。
妹がカラオケと聞いてビックリ
nakapa >コマクサさん
同じ様な話はあるものですね。
実は私の妹は歌が苦手で歌うのを聞いたことがありません。
それが40過ぎてからですが仕事の接待のときはカラオケやっている
と聞いてビックリしました。
「何回も歌えば何とかなるものよ」とか言ってました。
しかし、チャンスがなく未だに妹の歌は聞いたことがありません。
聴いたら血は争えないと思うかも知れません(笑)。
空見 こんにちは~
音痴をまわりの人が認めてくれれば、それはそれで皆さんの潤滑剤に役立っています、と思います。
歌手でもオンチの人がいるらしいですから、プロでもなけりゃそんなにうまくなくたって、関係ありません、と思います(笑)
ワタシは性格が曲っていますが、歌は(意外に)素直だと言われました(要するに全然うまくはないってこと)(;^_^A アセアセ・・
潤滑油
nakapa >空見さん
自信のない人を励ます役割は果たしていると思いますよ。
なんとなく優越感を与えて上げているような感じですから
潤滑油になっていると思います。
思い上がりというのも変ですが何ともうしましょうか。分かりません。
中島公園にこだわって生活に支障が出るほど熱中している。
だから私は中島公園マニア、と勝手に思っていたが……
現実に直面してみると、そうでもないことが分かった。
およそ2年前、札幌シニアネット(SSN)を含む全ての活動を中止し、
HP「中島パフェ」の運営に専念した。
しかし、マニアでもオタクでもない私は、寂しさに耐えかねてSSNに再入会。
情けない気もするが、以前の仲間に会えばヤッパリ楽しい。
「SSNに戻って一体何をしたんだい」
「はい、ハイキングです」
「どこに行ったんだ?」
「食堂でご飯食べましたよ」
食べたいものをドンドンお盆にのせて、最後に会計するシステム。
キャファテリア方式と言うそうだ。コロッケ、豆腐、煮野菜と小ライスで251円。
間違いかなと思ったが、言われるままに払った。
「ずいぶん安上がりな昼飯だな。それでどこに行ったんだ」
「看板には北食堂と書いてありました」
グループは総勢45名の大所帯なので、
一度に入って大丈夫かなと、心配したが杞憂だった。
何百人も入れそうな凄く広い食堂だ。
お茶を飲みたいので給茶器を探しに行ったら迷子になりそうになった。
やっとの思いでお茶を手に入れた。
そしたら今度は、置いてきたお盆の行方が分からなくなってしまったが、
めでたくお盆に載った昼食に再会。苦労した後の食事はとても美味しかった。
「それで、アンタは一体どこへ行ったんだ」
「博物館とかポプラ並木。銀杏並木も観てきましたよ」
一番興味深く感じたのは延々と続く散歩道だが、道の下はトンネルだそうだ。
足元ではSLがモクモクと煙をはいて走っているかも知れない。不思議な感じ。
博物館は展示品も多く面白そうだが、時間がなくて急ぎ足で通過。
ポプラ並木は背が高く勢いは感じたが、思ったより木が少ない。
イチョウ並木は黄金色に輝き息を呑む美しさ。写真を撮る人で溢れていた。
「SLが走っているわけないだろう。自動車のトンネルだよ」
「やっぱりそうでしたか。変だと思っていました」
「ところで何処に行ったんだ」
「北大です」
「アンタはいつも肝心なことを先に言わないんだな」
「聞かれなかったものですからね」
「それが悪いんだよ。SSNに再入会しても、頼まれなかったとか言って何もしないつもりだろう。この会のモットーを知ってるか」
「はい、支えあい助け合いです。ちゃんと知ってますよ」
「分かっているなら何かやんな」
「それが、いろいろ事情がございまして」
「事情なら誰にだってあるよ」
「今は動けません。おおっぴらに活動できない状態なんです」
「なんだと!」
う~ん、怒っている。言いたくないのだが、気持ちを静めるためには仕方がない。思い切って白状しよう。
「誰にも言わないでくださいよ。バレたら大変なことになるのです」
「うんうん大丈夫だよ。オレが口が固いの知ってるだろ」
「実は私、秘密会員なんです」
「なんだと~、ふざけんじゃないよ!」
怒ってる、喋るかも知れない? だから言いたくなかったのだ。
だが待てよ? 喋ったところで我が家の事情を知らない人には分からない。
それに、私一人でガマンするのもバカバカしい。
思い切って言っちゃおう。恥ずかしいが仕方がない。
所詮ものごとを正直に話さないで理解してもらおうと思うのが間違い。反省。
『男は黙って我慢する』。 それができない私はしゃべる。何でも喋る。
「2年前SSNを辞めるように強く言われ、泣くなく辞めました」
「奥さんに言われて辞めてはみたものの、寂しくなって内緒で再入会かよ」
「かような状況で秘密会員に身をやつしているのです」
「おいおい、それは違うぞ。 それを言うなら恐妻会員だよな。エッヘヘ~」
「えっ! そんなのがあるんですか? ぜひ入会したいです」
「なんだと??」
「共済とは簡単に言うと相互扶助でしょ。助け合い支え合いですよ」
「分かっているなら何かやんな」
これを言ったら会話が永遠に続く。25行上に戻ってしまうのだ。
そして意味のない会話が繰り返される。この状態を「無限ループ」というらしい。
この無限ループから脱出するには特別なキーワードが必要だ。
例えば「やりましょう! 何が出来るか真剣に考えたいと思います」と答えれば、
「分かった。頑張れよ」で話は終わり、無限ループから脱出できるのだ。
答えには「できる」「考えたい」「思う」という重要なキーワードが含まれている。
「できる」→ 検討の結果できるものが見つからなかった。
「考えたい」→ 一生懸命考えたが何も思い浮かばなかった。
「思う」→ そう思ったが、それば間違いであることが分かった。
「なんじゃこりゃ!?」
「セーフティネット、つまり安全網ですよ」
「なんだと?」
「無限ループから脱出できても、転んで怪我でもしたら何にもならないでしょう」
SSN「歩こう会」2012年11月8日 北海道大学構内散歩

雨などの悪天が続いていたが、この日だけは晴天に恵まれた。

総合博物館には多数の貴重な資料が展示されている。又行ってみたい。

ポプラは天空を突くように立っている。勢いを感じさせる木だ。
よい年をお迎えください。来年もよろしくお願い致します。2012年12月31日
だから私は中島公園マニア、と勝手に思っていたが……
現実に直面してみると、そうでもないことが分かった。
およそ2年前、札幌シニアネット(SSN)を含む全ての活動を中止し、
HP「中島パフェ」の運営に専念した。
しかし、マニアでもオタクでもない私は、寂しさに耐えかねてSSNに再入会。
情けない気もするが、以前の仲間に会えばヤッパリ楽しい。
「SSNに戻って一体何をしたんだい」
「はい、ハイキングです」
「どこに行ったんだ?」
「食堂でご飯食べましたよ」
食べたいものをドンドンお盆にのせて、最後に会計するシステム。
キャファテリア方式と言うそうだ。コロッケ、豆腐、煮野菜と小ライスで251円。
間違いかなと思ったが、言われるままに払った。
「ずいぶん安上がりな昼飯だな。それでどこに行ったんだ」
「看板には北食堂と書いてありました」
グループは総勢45名の大所帯なので、
一度に入って大丈夫かなと、心配したが杞憂だった。
何百人も入れそうな凄く広い食堂だ。
お茶を飲みたいので給茶器を探しに行ったら迷子になりそうになった。
やっとの思いでお茶を手に入れた。
そしたら今度は、置いてきたお盆の行方が分からなくなってしまったが、
めでたくお盆に載った昼食に再会。苦労した後の食事はとても美味しかった。
「それで、アンタは一体どこへ行ったんだ」
「博物館とかポプラ並木。銀杏並木も観てきましたよ」
一番興味深く感じたのは延々と続く散歩道だが、道の下はトンネルだそうだ。
足元ではSLがモクモクと煙をはいて走っているかも知れない。不思議な感じ。
博物館は展示品も多く面白そうだが、時間がなくて急ぎ足で通過。
ポプラ並木は背が高く勢いは感じたが、思ったより木が少ない。
イチョウ並木は黄金色に輝き息を呑む美しさ。写真を撮る人で溢れていた。
「SLが走っているわけないだろう。自動車のトンネルだよ」
「やっぱりそうでしたか。変だと思っていました」
「ところで何処に行ったんだ」
「北大です」
「アンタはいつも肝心なことを先に言わないんだな」
「聞かれなかったものですからね」
「それが悪いんだよ。SSNに再入会しても、頼まれなかったとか言って何もしないつもりだろう。この会のモットーを知ってるか」
「はい、支えあい助け合いです。ちゃんと知ってますよ」
「分かっているなら何かやんな」
「それが、いろいろ事情がございまして」
「事情なら誰にだってあるよ」
「今は動けません。おおっぴらに活動できない状態なんです」
「なんだと!」
う~ん、怒っている。言いたくないのだが、気持ちを静めるためには仕方がない。思い切って白状しよう。
「誰にも言わないでくださいよ。バレたら大変なことになるのです」
「うんうん大丈夫だよ。オレが口が固いの知ってるだろ」
「実は私、秘密会員なんです」
「なんだと~、ふざけんじゃないよ!」
怒ってる、喋るかも知れない? だから言いたくなかったのだ。
だが待てよ? 喋ったところで我が家の事情を知らない人には分からない。
それに、私一人でガマンするのもバカバカしい。
思い切って言っちゃおう。恥ずかしいが仕方がない。
所詮ものごとを正直に話さないで理解してもらおうと思うのが間違い。反省。
『男は黙って我慢する』。 それができない私はしゃべる。何でも喋る。
「2年前SSNを辞めるように強く言われ、泣くなく辞めました」
「奥さんに言われて辞めてはみたものの、寂しくなって内緒で再入会かよ」
「かような状況で秘密会員に身をやつしているのです」
「おいおい、それは違うぞ。 それを言うなら恐妻会員だよな。エッヘヘ~」
「えっ! そんなのがあるんですか? ぜひ入会したいです」
「なんだと??」
「共済とは簡単に言うと相互扶助でしょ。助け合い支え合いですよ」
「分かっているなら何かやんな」
これを言ったら会話が永遠に続く。25行上に戻ってしまうのだ。
そして意味のない会話が繰り返される。この状態を「無限ループ」というらしい。
この無限ループから脱出するには特別なキーワードが必要だ。
例えば「やりましょう! 何が出来るか真剣に考えたいと思います」と答えれば、
「分かった。頑張れよ」で話は終わり、無限ループから脱出できるのだ。
答えには「できる」「考えたい」「思う」という重要なキーワードが含まれている。
「できる」→ 検討の結果できるものが見つからなかった。
「考えたい」→ 一生懸命考えたが何も思い浮かばなかった。
「思う」→ そう思ったが、それば間違いであることが分かった。
「なんじゃこりゃ!?」
「セーフティネット、つまり安全網ですよ」
「なんだと?」
「無限ループから脱出できても、転んで怪我でもしたら何にもならないでしょう」
SSN「歩こう会」2012年11月8日 北海道大学構内散歩

雨などの悪天が続いていたが、この日だけは晴天に恵まれた。

総合博物館には多数の貴重な資料が展示されている。又行ってみたい。

ポプラは天空を突くように立っている。勢いを感じさせる木だ。
よい年をお迎えください。来年もよろしくお願い致します。2012年12月31日
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ちゃちゃ nakapa さん、こんばんは!
早いもので、もう師走!
師匠が走るのか、nakapa さんが走るのか…。
北大の学食、いいですね!
一般の人が入れるのもいい!
うらやましいで~す!
熱中!Webサイト運営人!
朱庵 おはようございます。師走になってしまいましたね。
仲間とのたのしい活動は一度味わってしまうと独り作業はさびしいかもです。でも独りだから出来るのでもありましょうけれど。
【中島パフェ】運営に日々を費やすnakapaさん、これぞ、マニヤ、オタク、でなくて何とお呼びすればいいのでしょうか?(爆)
立派なマニアでありオタクだと思っておりますよ♫ でなければあれほどのサイトを普通は一人で運営できる訳がありません。
生活に支障が出るほど熱中している! 某TV局の「熱中人・・」Webサイト運営人の特集があったら、是非推薦したいですよ!
益々楽しい「中島パフェ」これからもご活躍を!
札幌まちあるき博物館
nakapa >ちゃちゃさん
北大は札幌観光にも組み込まれています。
文化遺産を活かした観光振興・地域活性化事業として、
北大、苗穂、円山、そして中島公園が対象となっています。
「札幌まちあるき博物館」といい北大の先生を中心にやっています。
そんな関係もあって、北大生は観光客等、部外者には慣れっ子のようですね。
SSNの好いとこ取り
nakapa >朱庵さん
まさにそのとおりです。一人作業は寂しくて息抜きは必須です。
共同作業は、相手が同じ価値観を持っている必要があるので無理です。
申し訳ないですが、今のところは「SSNの好いとこ取り」です。
その内、ご恩を返せる時が来ると思っています。
しかし、「中島パフェ」の運営が軌道に乗ることが前提です。
応援有難うございます。孤独の作業にとって何よりもの励ましです。
のん子 うちの例の会(老人会)と似たようなものでしょうか?
ハイキング部の参加者は25名前後ですので少し少ないですが。
今も揉めてるように対人関係のギクシャクは何時も何処かで起こっているようです。
でも個人、夫婦では面白くないんですよね(笑)
私も良いとこ取りで楽しませて頂いたいますよ(^^ゞ
個人、夫婦では面白くない
nakapa >のん子さん
まさにその通りです。個人、夫婦では面白くないです。
私は行き当たりばったりですからトラブルはありません。
その代わり深い楽しみもなく、小さな幸せを感じて満足しています。
男性はそんな人が多いですね。
「歩こう会」は軽いウオーキングです。
頷きながら
コマクサ nakapaさん
ご無沙汰していました。久しぶりの訪問で楽しく
頷きながら読みましたよ。
SSN再入会されて嬉しいのですが中々お会い出来ませんね。
アッそうそう文化祭のエルプラザでお顔拝見しましたが
お話が出来ませんでしたので残念に思いましたよ。
やっぱり、いいなあと思いました
nakapa >コマクサさん
「恥ずかしながら帰ってまいりました」
とグアム島から日本に帰ったきた横井庄一さん。
状況はかなり違いますが、恥ずかしいところが似ています。
しかし、久しぶりに歩こう会で、皆さんと会って楽しかったです。
やっぱり、いいなあと思いました。
お会いすることもあるかと思いますが、
よろしくお願いします。
hama エッセイを読ませて頂いていて 途中で北大の学食だって思いましたよ。
学食は東京でも広くて安い!
味もまあまあで 子供達が学生時に時々利用しました。
北大は以前雪の季節に訪ねましたが 台風で折れてポプラ並木が淋しかったです。
回復したようで良かったですね。
懐かしいな・・もう一度札幌行きたいです。
シニアネットもシニアライフも楽しんで下さい。
一度しかない人生だもの・・と誰かのセリフですね。
分かっちゃいましたか
nakapa > hama さん
分かっちゃいましたか。途中まで内緒にして置きたかったのですが残念!
高齢者が45人もぞろぞろ、しかも慣れていないからウロウロしているのに、
学生が何事もないかの様に、ふるまっていたので感心しました。
「一度しかない人生だもの」どなたのセリフか忘れましたが、
年を重ねるごとに実感する言葉ですね。
「又、札幌シニアネット(SSN)に入っちゃいました。1年半ぶりです」
「再入会か? 情けないねぇ。
ホームページを完成させるまで一人で頑張ると言ったろう」
「武士でないから二言もありますよ~」
武士は信義を重んじるので、一旦口に出して言ったことは必ず守るそうだ。
英語では、Samurai warriors do not change their minds. とか。
どっちにしても厳しい。 ああ、武士でなくて好かった。
こんなこともあろうかと、日ごろから男らしい発言は一切しなかった。
しかし、この心がけ、こんなに早く役に立つとは夢にも思わなかった。
私だって人並みに見栄も張るし外聞も気になる。
「武士に二言なし」とか言ってみたいし、
又そのように行動する立派な人と思われたい。
「そんなことだから信頼を失うのだぞ」
「得るものもありましたよ」
「得るもの?」
「拍手してもらいました。嬉しかったですね」
歌って拍手してもらえるのだから、こんなに幸せなことはない。
嬉しくて仕方ないのだが、そんな素振りは見せない。
実は、有り難いと気づいたのはごく最近のことなのだ。
「拍手ってどこでだ?」
「SSNカラオケクラブの例会で歌ったときです」
「ほ~、拍手されて嬉しかったのかい」
「そりゃあ、嬉しいに決まっているでしょ」
「そうかい、分かった分かった」
よく下手だから歌わないと言う人がいるが、私の場合はそれ以前の問題が立ちはだかっていた。 オンチだから伴奏に合わせて歌えないのだ。
リズムもとれないので、一生懸命画面に映る色の変化に合わせて歌う。
誰でも歌えるように、画面の文字色で指示してくれるのだからありがたい。
しかし、音程が合っているかどうかは分からない。これが問題だ。
伴奏から外れた歌は聞き苦しいかも知れないが、歌っている私はもっと苦しい。
止めてしまいたいくらいなのに、歯を食いしばって頑張っているのだ。
「……だのになぜ歯をくいしばり~♪ 君は行くのか~ そんなにしてまで♪」
「おやっ 上手ですね。さすが先輩!」
せめて自分だけでも楽しく歌いたいと思っていたら、そのときがついに来た。
気のせいかもしれないが、ある日突然声が伴奏に乗ったように感じたのだ。
とても気分がいいものだ。 「前より好くなったね」と言われ、嬉しさ倍増。
「拍手がそんなに嬉しいかい」
「ええ、この1年半は歌っても拍手が全然なかったですからね」
「どこで?」
「カラオケボックス」
「なんで?」
「自分で拍手しても仕方ないでしょう」
「ヒトカラかい」
SSNを辞めるとき唯一の気がかりはカラオケに行けないことだった。
しかし、よく考えてみれば、一人で歌っても同じことだ。
どうせ誰も聴いていないのだから……。
マシンの操作さえ分かればそれで充分だ。
一人で歌えば誰にも迷惑をかけないし、
何も気にしないで楽しむことが出来る。
理屈はそのとおりだが何となくもの足りない。
「聞かせたいという想いが心の奥底にあったのでしょうか?」
「オレは聞きたくないよ」
「そうですよね」
「人の歌も聴かないとね」
「あっ! なるほど了解。足りないのは聴くことでした」
「それだけじゃないだろう」
「はいはい、拍手です。毎度ありがとうございます」
「やれやれ催促か。 拍手くらい幾らでもしてやるよ」
「無理しなくていいですよ」
「したいからするんだ!」
「ホントですか?」
「武士に二言はない」
「再入会か? 情けないねぇ。
ホームページを完成させるまで一人で頑張ると言ったろう」
「武士でないから二言もありますよ~」
武士は信義を重んじるので、一旦口に出して言ったことは必ず守るそうだ。
英語では、Samurai warriors do not change their minds. とか。
どっちにしても厳しい。 ああ、武士でなくて好かった。
こんなこともあろうかと、日ごろから男らしい発言は一切しなかった。
しかし、この心がけ、こんなに早く役に立つとは夢にも思わなかった。
私だって人並みに見栄も張るし外聞も気になる。
「武士に二言なし」とか言ってみたいし、
又そのように行動する立派な人と思われたい。
「そんなことだから信頼を失うのだぞ」
「得るものもありましたよ」
「得るもの?」
「拍手してもらいました。嬉しかったですね」
歌って拍手してもらえるのだから、こんなに幸せなことはない。
嬉しくて仕方ないのだが、そんな素振りは見せない。
実は、有り難いと気づいたのはごく最近のことなのだ。
「拍手ってどこでだ?」
「SSNカラオケクラブの例会で歌ったときです」
「ほ~、拍手されて嬉しかったのかい」
「そりゃあ、嬉しいに決まっているでしょ」
「そうかい、分かった分かった」
よく下手だから歌わないと言う人がいるが、私の場合はそれ以前の問題が立ちはだかっていた。 オンチだから伴奏に合わせて歌えないのだ。
リズムもとれないので、一生懸命画面に映る色の変化に合わせて歌う。
誰でも歌えるように、画面の文字色で指示してくれるのだからありがたい。
しかし、音程が合っているかどうかは分からない。これが問題だ。
伴奏から外れた歌は聞き苦しいかも知れないが、歌っている私はもっと苦しい。
止めてしまいたいくらいなのに、歯を食いしばって頑張っているのだ。
「……だのになぜ歯をくいしばり~♪ 君は行くのか~ そんなにしてまで♪」
「おやっ 上手ですね。さすが先輩!」
せめて自分だけでも楽しく歌いたいと思っていたら、そのときがついに来た。
気のせいかもしれないが、ある日突然声が伴奏に乗ったように感じたのだ。
とても気分がいいものだ。 「前より好くなったね」と言われ、嬉しさ倍増。
「拍手がそんなに嬉しいかい」
「ええ、この1年半は歌っても拍手が全然なかったですからね」
「どこで?」
「カラオケボックス」
「なんで?」
「自分で拍手しても仕方ないでしょう」
「ヒトカラかい」
SSNを辞めるとき唯一の気がかりはカラオケに行けないことだった。
しかし、よく考えてみれば、一人で歌っても同じことだ。
どうせ誰も聴いていないのだから……。
マシンの操作さえ分かればそれで充分だ。
一人で歌えば誰にも迷惑をかけないし、
何も気にしないで楽しむことが出来る。
理屈はそのとおりだが何となくもの足りない。
「聞かせたいという想いが心の奥底にあったのでしょうか?」
「オレは聞きたくないよ」
「そうですよね」
「人の歌も聴かないとね」
「あっ! なるほど了解。足りないのは聴くことでした」
「それだけじゃないだろう」
「はいはい、拍手です。毎度ありがとうございます」
「やれやれ催促か。 拍手くらい幾らでもしてやるよ」
「無理しなくていいですよ」
「したいからするんだ!」
「ホントですか?」
「武士に二言はない」
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朱庵 お好きなことを愉しまれることは何よりですね!
「ヒトカラ」という言葉は既に市民権を得ているようで(笑)以前どなたからかお聞きしたことがあります。
「武士に二言・・・」カラオケとの取り合わせ、いかにもnakapaさんらしく、楽しませていただきました。
恥ずかしながら帰って参りました
nakapa > 朱庵さん
仰る様に「ヒトカラ」も普通になりつつあり、
抵抗はないのですが、もの足りないですね。
一人でハイキングも気分転換になりますが、
やはり、もの足りないです。
一人でホームページ「中島パフェ」の
リニューアルに専念していますが、
気分転換をしないと、やって行けません。
再び、シニアネットのお世話になることにしました。
「恥ずかしながら帰って参りました」
という横井庄一さんの言葉を思い出しています。
これは確か1972年の流行語になりました。
フラダン nakapaさん武士では無いのですから、二言位
どうって事無いですよ!まあ~三言も四言も
平気で言う人も居りますから、そういう人は大体
ご自分の云われた事に責任を持ちませんから、
ヒトカラ云われないと気が付かないようです、
面白い! ざぶとん3枚です
nakapa >ご自分の云われた事に責任を持ちませんから、
>ヒトカラ云われないと気が付かないようです、
↑
冴えていますね。面白いですよ。座布団三枚です。
やらなければならないことは無いのに、やりたいことが山ほどあります。
全部一人作業ばかりなので、たまに人の輪に入りたくなりました。
恥ずかしながらの再入会です。
フラダン あら~恥ずかしながら私の寒いジョーク解って
くださったのですね、一人カラオケ?とは
大分意味が違いますが、ナカパさんのダジャレに
刺激されました、座布団3枚いただき、ました!
hama ホームページも完成して落ち着かれましたね。
又クラブも入られて楽しまれて何よりです。
ヒトリカラオケは今されてる方が多いみたいですね。
私向きかも・・
音痴だし何も気にせず好きなだけ歌えますものね。
皆と行くとリモコン係りです。
私より年配の方はリモコン苦手で私任せですがそれでも時々皆で楽しんでます。
笑って暮らせばラッキーカムカム
nakapa >フラダンさん
ダジャレ大好きです。「笑う門には福来る」といいますからね。
英語でいうと「笑って暮らせばラッキーカムカム」。
失礼しました。「笠置シヅ子」の「ヘイヘイブギー」でした。
リモコン入力は難しい
nakapa >hamaさん
8年間シニアネットに居て1年半退会していて再入会しました。
一人じゃ、寂しいですからね。
リモコンも自分のは簡単ですが、人の歌の入力は大変ですね。
カラオケ会で見ていてそう思いました。
ちゃちゃ nakapa さん、
ほんとうにオンチですか?
そうだとしたら、うれしいな!
何故って、私もそうだから…。
同盟作りましょう!
nakapa さんが会長で、
私は雑務係り…。
こんな夢を見ています
nakapa >ちゃちゃさん
本当にオンチですから喜んでください。同盟ですか。いいですね。
会長というと、雑務係がセットした会場に歌いに行けばいいのですね。
拍手も雑務係の仕事にしましょう。
こんな夢を見ています。
ヒントをありがとうございました。
1年前の5月7日、このブログに次のように書いた。
「……(ホームページ・リニューアルが)片付いたら、楽しいエッセイを書きたいと思っている。 楽しく読んでもらえる自信はないが、書いている私が楽しいことは確かだ。 しかし、今はホームページをどう再構築するかを考えるのが楽しい。
私の心はいろいろ変わるが、いつも愉しく暮らしている」
1年たったが、状況はまったく変わらない。ホームページ(HP)はリニューアル途上だし、体調はいまひとつだ。 それでも何時も楽しく暮らしていることだけは確か。
これが幸せというものだろう。
私は札幌シニアネット(SSN)と言う、とても楽しい会に入っていた。
会員の皆さんが私を幸せにしてくれていたので8年も居ついてしまった。
人を苦しめるのは人。幸せにするのも人。
人は周りの人によって幸せにも不幸にもなる。これが私の結論。
よい人たちに囲まれている暮らしは、とても心地よく抜け出し難いものである。
SSNを辞める3年前から、ライフワークとして運営しているHP「中島パフェ」が、ガタガタになっていた。 1年間休んでHPに集中することにした。
「1年たったらシニアネットに復帰すると言っていたのに、まだ出来ないのか」
「リニューアルしてないページが半分ほど残っているんですよ」
「相変わらずノロマだね~。 ところで、今は幸せかい?」
「ええ、まあ」
「アンタ、人を幸せにするのは人だと言ってたな」
「ええ、まあ」
「今は誰が幸せにしてくれるのかな?」
「まあ、何んと申しましょうか……」
「QPさんかい?」
「とんでもない」
「じゃあ誰だね」
「人類です。世界中の人たちに感謝しています」
「嘘いうんじゃないよ。地獄に落ちるぞ」
「人を不幸にするのも人ですね。あなたのことですよ」
「誤魔化さないで質問に答えな」
「神です。天使かも知れません」
「アンタ、意外にしぶといね。言えといったら言え!」
「コンフィデンシャル! イフユウノウ、アイマストキルユー」
「分ったよ。 よ~く分った」
「ホント?」
「もちろん本当さ」
「アンビリーバブル!」
「おい、もう止せよ」
「セイアゲン」
「おかしなカタカナは止めろ!」
ディック・ミネの「雨の酒場」はいいですね。大好きです。
…「おい、もう止せよ」飲んだとて~ 悩みが消えるわけじゃなし♪…
思い出しながら書きました。歌ってホントに楽しいですね。
ところで「*コンフィデンシャル」ですが、映画「トップガン」の中で、トム・クルーズが使っていたような気がします。 記憶違いかも知れませんが……。
しかし、映画っていいですね。
*コンフィデンシャル: 公開しないこと。内密で あること。また、そのさま。
「……(ホームページ・リニューアルが)片付いたら、楽しいエッセイを書きたいと思っている。 楽しく読んでもらえる自信はないが、書いている私が楽しいことは確かだ。 しかし、今はホームページをどう再構築するかを考えるのが楽しい。
私の心はいろいろ変わるが、いつも愉しく暮らしている」
1年たったが、状況はまったく変わらない。ホームページ(HP)はリニューアル途上だし、体調はいまひとつだ。 それでも何時も楽しく暮らしていることだけは確か。
これが幸せというものだろう。
私は札幌シニアネット(SSN)と言う、とても楽しい会に入っていた。
会員の皆さんが私を幸せにしてくれていたので8年も居ついてしまった。
人を苦しめるのは人。幸せにするのも人。
人は周りの人によって幸せにも不幸にもなる。これが私の結論。
よい人たちに囲まれている暮らしは、とても心地よく抜け出し難いものである。
SSNを辞める3年前から、ライフワークとして運営しているHP「中島パフェ」が、ガタガタになっていた。 1年間休んでHPに集中することにした。
「1年たったらシニアネットに復帰すると言っていたのに、まだ出来ないのか」
「リニューアルしてないページが半分ほど残っているんですよ」
「相変わらずノロマだね~。 ところで、今は幸せかい?」
「ええ、まあ」
「アンタ、人を幸せにするのは人だと言ってたな」
「ええ、まあ」
「今は誰が幸せにしてくれるのかな?」
「まあ、何んと申しましょうか……」
「QPさんかい?」
「とんでもない」
「じゃあ誰だね」
「人類です。世界中の人たちに感謝しています」
「嘘いうんじゃないよ。地獄に落ちるぞ」
「人を不幸にするのも人ですね。あなたのことですよ」
「誤魔化さないで質問に答えな」
「神です。天使かも知れません」
「アンタ、意外にしぶといね。言えといったら言え!」
「コンフィデンシャル! イフユウノウ、アイマストキルユー」
「分ったよ。 よ~く分った」
「ホント?」
「もちろん本当さ」
「アンビリーバブル!」
「おい、もう止せよ」
「セイアゲン」
「おかしなカタカナは止めろ!」
ディック・ミネの「雨の酒場」はいいですね。大好きです。
…「おい、もう止せよ」飲んだとて~ 悩みが消えるわけじゃなし♪…
思い出しながら書きました。歌ってホントに楽しいですね。
ところで「*コンフィデンシャル」ですが、映画「トップガン」の中で、トム・クルーズが使っていたような気がします。 記憶違いかも知れませんが……。
しかし、映画っていいですね。
*コンフィデンシャル: 公開しないこと。内密で あること。また、そのさま。
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蜜柑 英語はパスさせて頂いて(^^ゞ
幸せは自分で見つけ開拓して行くもんだと思っています。
幸せの感じ方も千差万別ですしね~。
思わず笑声が・・・!
朱庵 楽しいですね!
声を出して笑いました!
なんともnakapaさんらしいやり取りに、始めニヤニヤと、そのうち声が出ました。
いいですね、楽しくさせてくださる文章は何度も読んでしまいます。
日々小さな出来事が重なりますが、いつもこのように楽しい思いにするといいのですね。
少し重めだった色々な事柄に潰れそうな気もしていますが、うふふ・・・
元気になりました。nakapaさんありがとう。
たくさん出ましたねカタカナ文字
コマクサ nakapaさん 楽しい生活は誰しも望んでいますので何よりと思います。
人が人を幸せにする、勿論その通りでしょうが幸せと
思うのはそれぞれに違いがあって自分の考え方だと
思われますが、どうでしょうか?
コンフィデンシャルとはその意味ですか、カタカナ
文字がたくさん出ましたね、解りません。
蜜柑さんへ
nakapa 書いている本人が言うのもはばかれますが、おっしゃるとおりです。
幸せは自分で見つけ開拓して行くものと思います。
私は幸せについて考えるのが好きですが、勉強不足ですね(笑)。
朱庵さんへ
nakapa 笑ってくれてありがとうございます。
ついでにテレビや雑誌に氾濫しているカタカナも笑ってやって下さい。
「あなた方が使っているカタカナは極端に言えばこんなものです」
と言いたいのです。 ない知恵を絞って書きました。
正直に言うと、オチが上手く決まらないのでカタカナで誤魔化したつもりです。
テレビで話す先生方は、何を誤魔化すつもりなんでしょうね。
コマクサさんへ
nakapa >幸せと 思うのはそれぞれに違いがあって自分の考え方だと
>思われますが、どうでしょうか?
↑
まさにそのとおりと思います。99%はそのとおりです。
しかし、原発がメルトダウンして居住地を追われた人がいます。
原発は災害はでなく人が作りました。
親が子どもを虐待します。
子どもは親を恐れるだけで、自分を不幸と思えないほど不幸です。
これこそ極限の不幸とおもいます。
カタカナの氾濫については私自身呆れています。
特に官庁の使うカタカナに抵抗を感じるのです。
読んで笑い飛ばして欲しかったのですがむりでしたね(笑)。ごめんなさい。
「おかしなカタカナは止めろ!」これが私の言いたいことです。
フラダン まったっくです!政治や官庁の使う言葉もテレビ
番組も私の様な能無しには理解できない、
カタカナが多すぎます、コンフィデンシャル??
結局、誤魔化されてるのね、、5/6護国神社の
お花見で、フラを、HP中嶋公園「サクラ開花情報」に、
サンキュウです。「あの人に会いたい」面白かった!
フラダンさんへ
nakapa 「サクラ開花情報」「あの人に会いたい」を読んでくれて有難うございます。
仰るように官庁や政治でカタカナを使いすぎます。
理解してもらうつもりがないのでしょうね。
もっと言えば、騙そうとしているのではないでしょうか。
カタカナを見たら何を誤魔化そうとしているか考えることにしています。
それでも分からないときは、あなたバカよね~ オバカさんよね~♪
って歌っちゃうといいですよ。気が晴れます。
ちゃちゃ nakapa さん、
楽しことにかかわりましょう。
楽しくしていれば、
周りの人も楽しくなります。
笑顔を優しく投げかければ、
周りの人も笑顔になります。
nakapa …のブログは、ねえ、
元気をくれますよ!、
ちゃちゃさんへ
nakapa そうですね。笑顔には笑顔が返ってきます。
うんと楽しいことに関わって、毎日楽しく暮らします。
残り少ない人生ですから。
おっといけない。また楽しくないこと言ってしまった。
反省、反省。これもいけない。楽しく楽しくですよ。
考えてみると「いけない」もいけない(笑)。
「札幌シニアネット(SSN)」に8年間在籍していますが、4月に退会することになりました。 このブログをお借りして、SSNの皆様にご挨拶をすることをお許し下さい(管理人nakapa)。
SSNの皆様
421石川です。このブログではnakapaと名乗っています。
事情がありまして退会しますが、私としては「お休み」のつもりです。 SSNサロンの移転もあり大変な時期に退会することになり、大変申し訳なく思っています。
2003年に高齢者の為の「やさしい英会話」教室に入りました。 そこでホームページ(HP)「ジョイフルクラブ」を、教室のお仲間と一緒に開設しました。
お仲間のお陰で上々の出だしでしたが、私が担当したホームページデザインについては、はなはだ評判が悪く悩んでいました。 そのときSSNの存在をテレビで知り、HP作成を勉強する目的で入会しました。
お陰さまで、HP「ジョイフルクラブ」を改善することができました。 それと同時に中島公園のHP「中島パフェ」を開設しました。 HP開設の際は、HPクラブ及び学習部の皆様には大変お世話になり、有難うございました。 皆様には、開設から運営、更にPRに至るまでお世話になり、心から感謝しています。
SSNの世話役の皆様には、学習会、フォーラム、オープンサロン、文化祭など、いろいろな機会にお世話になり、感謝の言葉もありません。
叉、「HPクラブ」「源氏物語の会」「絵本を楽しむ会」「歩こう会」等のクラブでは、いろいろな機会にお付き合いさせて頂き、豊かなシニアライフを満喫することができました。
「そうぞう画クラブ」では画像処理の勉強で大変お世話になりましたが、アートは苦手なので、中途脱落してしまいました。しかし、教わったことはHPで活用することができ、とても有難く思っています。
音痴なのにカラオケを楽しめたのは「カラオケクラブ」の皆様の温かい、おもてなしのお陰です。 やはりボランティアや勉強ばかりでは疲れます。 カラオケが一番の息抜きになりました。
楽しませてもらったお陰でパワーをもらいました。 歌も少しだけ上手になったような気がしますが、これは気のせいでしょう。 しかし、この歳になれば気分は一番大切と思っています。
短期間ですが「自作パソコン」と「将棋クラブ」でも、お世話になりましたが、能力がなく途中退部してしまい失礼しました。 この他にもいろいろ覗いて、それぞれの雰囲気を楽しむことができました。 改めて御礼申し上げます。
SSNの皆様には、感謝の言葉も尽きません。 退会しても皆様から受けたご恩は忘れずに、機会があれば協力させて頂きたいと思っています。
ただ、「HPなら皆、活動をしながらリニューアルしているじゃないか」との疑問には、一言で答えさせて頂きます。 それは私の性格によるものです。
「オタク型人間」ですから、一点集中でないと人並みの力を発揮することができません。 本当にごめんなさい。
生まれ変わるまでに、この性格を治すつもりです。そんな先のことでもありません。古希です。 「人生七十古来稀なり」といわれています。ですから……
なお、退会理由は、このブログの中の「HPRNシリーズ」に詳しく書きました。
余りにも詳しすぎて、お読み下さいとは言えません。
しかし、一部の方は知りたいかも知れないと、愚考しました。
シリーズ、頭の部分についてURLを掲載させて頂きます。
「HPRN1今年の目標はホームページ・リニューアル」というタイトルです。
http://nakapa0.blog54.fc2.com/blog-entry-291.html
SSNの皆様
421石川です。このブログではnakapaと名乗っています。
事情がありまして退会しますが、私としては「お休み」のつもりです。 SSNサロンの移転もあり大変な時期に退会することになり、大変申し訳なく思っています。
2003年に高齢者の為の「やさしい英会話」教室に入りました。 そこでホームページ(HP)「ジョイフルクラブ」を、教室のお仲間と一緒に開設しました。
お仲間のお陰で上々の出だしでしたが、私が担当したホームページデザインについては、はなはだ評判が悪く悩んでいました。 そのときSSNの存在をテレビで知り、HP作成を勉強する目的で入会しました。
お陰さまで、HP「ジョイフルクラブ」を改善することができました。 それと同時に中島公園のHP「中島パフェ」を開設しました。 HP開設の際は、HPクラブ及び学習部の皆様には大変お世話になり、有難うございました。 皆様には、開設から運営、更にPRに至るまでお世話になり、心から感謝しています。
SSNの世話役の皆様には、学習会、フォーラム、オープンサロン、文化祭など、いろいろな機会にお世話になり、感謝の言葉もありません。
叉、「HPクラブ」「源氏物語の会」「絵本を楽しむ会」「歩こう会」等のクラブでは、いろいろな機会にお付き合いさせて頂き、豊かなシニアライフを満喫することができました。
「そうぞう画クラブ」では画像処理の勉強で大変お世話になりましたが、アートは苦手なので、中途脱落してしまいました。しかし、教わったことはHPで活用することができ、とても有難く思っています。
音痴なのにカラオケを楽しめたのは「カラオケクラブ」の皆様の温かい、おもてなしのお陰です。 やはりボランティアや勉強ばかりでは疲れます。 カラオケが一番の息抜きになりました。
楽しませてもらったお陰でパワーをもらいました。 歌も少しだけ上手になったような気がしますが、これは気のせいでしょう。 しかし、この歳になれば気分は一番大切と思っています。
短期間ですが「自作パソコン」と「将棋クラブ」でも、お世話になりましたが、能力がなく途中退部してしまい失礼しました。 この他にもいろいろ覗いて、それぞれの雰囲気を楽しむことができました。 改めて御礼申し上げます。
SSNの皆様には、感謝の言葉も尽きません。 退会しても皆様から受けたご恩は忘れずに、機会があれば協力させて頂きたいと思っています。
ただ、「HPなら皆、活動をしながらリニューアルしているじゃないか」との疑問には、一言で答えさせて頂きます。 それは私の性格によるものです。
「オタク型人間」ですから、一点集中でないと人並みの力を発揮することができません。 本当にごめんなさい。
生まれ変わるまでに、この性格を治すつもりです。そんな先のことでもありません。古希です。 「人生七十古来稀なり」といわれています。ですから……
なお、退会理由は、このブログの中の「HPRNシリーズ」に詳しく書きました。
余りにも詳しすぎて、お読み下さいとは言えません。
しかし、一部の方は知りたいかも知れないと、愚考しました。
シリーズ、頭の部分についてURLを掲載させて頂きます。
「HPRN1今年の目標はホームページ・リニューアル」というタイトルです。
http://nakapa0.blog54.fc2.com/blog-entry-291.html
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残念ですが!
コマクサ おはようございます。
人生思い残すことなく目標に向かって進むnakapaさん
素晴らしい方と思っています。
お会い出来ない事は残念ですが、HP.ブログと訪問
させていただき楽しませて頂きます。
古希とはお若いです、これからが楽しい人生でしょう! どうぞお元気でね。
フラダン SSNには、8年間の在籍でしたか? 存在感があるので、
もう少し長いと思っておりました、ナカパさんとは、
サロン活動部の広報担当でいつも助けて頂きました、
もう逢えないと思うと、何だかとてもサビシ。。。(-_-)zzz
でもご自分の好きな事に専念する為にキッパリ決断する所も
何だか羨ましい、、手ぶらですが、又遊びに来ます、お元気でね、、、
ホテルの中島パフェ・・・
朱庵 そろそろ新しい装いになる頃でしょうか?
桜ヴァージョン?とか!
こちらも私はかなり楽しみなのです。
またご一緒にまいりましょう。
人生須らく ”終わりは始まり” で回っているように思えます。
nakapaさんの新しい始まり!いよいよスタートですね!
コマクサさんへ
nakapa 褒められてしまって、穴があったら入りたい心境です。
私は能力が低いので、我まま言って専念させてもらっているだけです。
ブログやHPで、お付き合いできれば、願ったり叶ったりです。有難うございます。
そうですね、平均年齢も伸びたので古希でもOKですね。
フラダン さんへ
nakapa こちらこそ、MLでいろいろPRしてくださり助けてもらいました。感謝しています。
どちらかというと私の方が寂しいと思いますが、修行のつもりです(笑)。
いつもコメント有難うございます。 こちらこそよろしくお願いします。
朱庵さんへ
nakapa ノボテル札幌の「中島パフェ」は3月から春バージョンになっています。
一緒に行きたいですね。写真見ると美味しそうです。
そうですね。まさにその通りです。終わりが始まりとなりました。
新しいスタートです。今年は頑張ってみたいと思います。
nonko-mn nakapaさん
人生の始まりにおめでとうと言わなきゃダメでしょうね。
でも寂しいわHPでは私は脱落者のようなものですが・・・私から見るとあれで充分とも思えるのですが駄目ですか???
カラオケとてもお上手になっていますよ~それは恥ずかしがらずに堂々と歌うようになったから声が伸びて来てるの!!と言う事はもともとお上手だったんです。
照れ屋でシャイなnakapaさんが平気で照れずに歌うようになったから良くなった様に思えるんでしょうね。
とうとうデュットはしないでしまいましたね。
再入会した時まで取っておきますよ~~。
nonko-mn さんへ
nakapa お久しぶりです。私のホームページはダメですね。
情報が整理されていません。
8年前に開設して、継ぎ足し継ぎ足ししたので、そうなってしまいました。
3年目くらいにリニューアルすべきだったと思います。
情報の整理ですから、全面的に再構築する必要があります。
デュエット1回しましたよ。あっさり忘れないで下さいね(笑)。
コマクサ おはようございます。
人生思い残すことなく目標に向かって進むnakapaさん
素晴らしい方と思っています。
お会い出来ない事は残念ですが、HP.ブログと訪問
させていただき楽しませて頂きます。
古希とはお若いです、これからが楽しい人生でしょう! どうぞお元気でね。
フラダン SSNには、8年間の在籍でしたか? 存在感があるので、
もう少し長いと思っておりました、ナカパさんとは、
サロン活動部の広報担当でいつも助けて頂きました、
もう逢えないと思うと、何だかとてもサビシ。。。(-_-)zzz
でもご自分の好きな事に専念する為にキッパリ決断する所も
何だか羨ましい、、手ぶらですが、又遊びに来ます、お元気でね、、、
ホテルの中島パフェ・・・
朱庵 そろそろ新しい装いになる頃でしょうか?
桜ヴァージョン?とか!
こちらも私はかなり楽しみなのです。
またご一緒にまいりましょう。
人生須らく ”終わりは始まり” で回っているように思えます。
nakapaさんの新しい始まり!いよいよスタートですね!
コマクサさんへ
nakapa 褒められてしまって、穴があったら入りたい心境です。
私は能力が低いので、我まま言って専念させてもらっているだけです。
ブログやHPで、お付き合いできれば、願ったり叶ったりです。有難うございます。
そうですね、平均年齢も伸びたので古希でもOKですね。
フラダン さんへ
nakapa こちらこそ、MLでいろいろPRしてくださり助けてもらいました。感謝しています。
どちらかというと私の方が寂しいと思いますが、修行のつもりです(笑)。
いつもコメント有難うございます。 こちらこそよろしくお願いします。
朱庵さんへ
nakapa ノボテル札幌の「中島パフェ」は3月から春バージョンになっています。
一緒に行きたいですね。写真見ると美味しそうです。
そうですね。まさにその通りです。終わりが始まりとなりました。
新しいスタートです。今年は頑張ってみたいと思います。
nonko-mn nakapaさん
人生の始まりにおめでとうと言わなきゃダメでしょうね。
でも寂しいわHPでは私は脱落者のようなものですが・・・私から見るとあれで充分とも思えるのですが駄目ですか???
カラオケとてもお上手になっていますよ~それは恥ずかしがらずに堂々と歌うようになったから声が伸びて来てるの!!と言う事はもともとお上手だったんです。
照れ屋でシャイなnakapaさんが平気で照れずに歌うようになったから良くなった様に思えるんでしょうね。
とうとうデュットはしないでしまいましたね。
再入会した時まで取っておきますよ~~。
nonko-mn さんへ
nakapa お久しぶりです。私のホームページはダメですね。
情報が整理されていません。
8年前に開設して、継ぎ足し継ぎ足ししたので、そうなってしまいました。
3年目くらいにリニューアルすべきだったと思います。
情報の整理ですから、全面的に再構築する必要があります。
デュエット1回しましたよ。あっさり忘れないで下さいね(笑)。
夏だ! ビールだ! 大通ビアガーデンだ!!
このビアガーデンにも異変が起きている。 営業終了時刻が昨年より30分早い午後9時となり、隣接芝生が立ち入り禁止になったのだ。
芝生の出入自由が大通公園のウリなのだが、再生できないほど傷むのだから、放っては置けないだろう。
しかし、私の所属するシニアネットのビアパーティーは、終了時刻は午後7時だし芝生に入る人もいない。 例年と変わらず真夏のビールをを楽しんだ。
異変と言えば、予想より多めに用意した席を更に上回る、85名参加の大盛況だったことだ。 盛況は結構だが、予期せぬ事態に遭遇し、戸惑うこともあった。
ご注意! クリックしても画像は大きくなりません。

タンクからビールを注ぎ、ビールを運び、片付ける世話役さん。お疲れ様。
「腕章を付けて、座ってビールを飲んでいるのは誰だ?」
「誰だって、いいじゃないですか」
「ジョッキをカラにして、顔が赤いぞ」
「細かいとこまで、よく見てますね。 本人は虚弱体質と言ってます」
「なーるほど、ヒト科ナマケモノ属ダメ人間種だな。どこにも居るよ」

世話役さんはこんな腕章をつけている。

屋根があるので雨には強いが、西日が射す時間は扇子が重宝する。

お天気にも恵まれ楽しいビアガーデンだったが、反省点もある。 実は私も
世話役の一人だが右往左往するばかりで、あまり役には立てなかった。
「例えば、ビールを運んでも、人が多いので誰に頼まれたのか忘れちゃうのですよ」
「誰が頼んだか聞けばいいじゃないか」
「もちろん、聞きましたよ」
「それで?」
「いいからそこに座れといわれて座り、飲めと言われ飲んでしまいました」
「自分の胃袋に運んじゃダメだよ」
「少し疲れて座りたくなりました。すみません」
「そうか虚弱体質とは、アンタのことか?」
「しらざーいって、きかせやしょ~ ……」
「それを言っちゃーおしまいよ」

トイレまで適当に近い便利な席。 写真提供のMさん(青シャツ)と、私。
今回は、Mさんから写真提供を受け、私が画像処理を行い駄文をつけました。
ここに掲載した画像は、私に著作権はないのでコピーを禁じます。
念のため申し添えます。
私に著作権がある画像はコピーしても差し支えありません。(管理人nakapa)
8月14日豊平館で無料コンサート 詳細は→ 豊平館サマーコンサート
このビアガーデンにも異変が起きている。 営業終了時刻が昨年より30分早い午後9時となり、隣接芝生が立ち入り禁止になったのだ。
芝生の出入自由が大通公園のウリなのだが、再生できないほど傷むのだから、放っては置けないだろう。
しかし、私の所属するシニアネットのビアパーティーは、終了時刻は午後7時だし芝生に入る人もいない。 例年と変わらず真夏のビールをを楽しんだ。
異変と言えば、予想より多めに用意した席を更に上回る、85名参加の大盛況だったことだ。 盛況は結構だが、予期せぬ事態に遭遇し、戸惑うこともあった。
ご注意! クリックしても画像は大きくなりません。

タンクからビールを注ぎ、ビールを運び、片付ける世話役さん。お疲れ様。
「腕章を付けて、座ってビールを飲んでいるのは誰だ?」
「誰だって、いいじゃないですか」
「ジョッキをカラにして、顔が赤いぞ」
「細かいとこまで、よく見てますね。 本人は虚弱体質と言ってます」
「なーるほど、ヒト科ナマケモノ属ダメ人間種だな。どこにも居るよ」

世話役さんはこんな腕章をつけている。

屋根があるので雨には強いが、西日が射す時間は扇子が重宝する。

お天気にも恵まれ楽しいビアガーデンだったが、反省点もある。 実は私も
世話役の一人だが右往左往するばかりで、あまり役には立てなかった。
「例えば、ビールを運んでも、人が多いので誰に頼まれたのか忘れちゃうのですよ」
「誰が頼んだか聞けばいいじゃないか」
「もちろん、聞きましたよ」
「それで?」
「いいからそこに座れといわれて座り、飲めと言われ飲んでしまいました」
「自分の胃袋に運んじゃダメだよ」
「少し疲れて座りたくなりました。すみません」
「そうか虚弱体質とは、アンタのことか?」
「しらざーいって、きかせやしょ~ ……」
「それを言っちゃーおしまいよ」

トイレまで適当に近い便利な席。 写真提供のMさん(青シャツ)と、私。
今回は、Mさんから写真提供を受け、私が画像処理を行い駄文をつけました。
ここに掲載した画像は、私に著作権はないのでコピーを禁じます。
念のため申し添えます。
私に著作権がある画像はコピーしても差し支えありません。(管理人nakapa)
8月14日豊平館で無料コンサート 詳細は→ 豊平館サマーコンサート
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空見 こんにちは。
おお!素敵な催しでございました、けっこう暑そうですね。
私はかわいいニャンコ以外は(絶対)コピーしませんので、どうぞお気遣いなく(笑)(*o☆)\バキッ!
空見さんへ
nakapa 今年は札幌も暑いです。今日は31度なので家で涼んでいます。
大通公園のビアガーデンは、騒音が大きいと苦情があるので、
音楽などもボリュームを絞っています。
最近はここにもマンションが建ち住民が居るようになりました。
残念無念 参加できず・・・
朱庵 毎年欠かしたことが無かっただけに、今年はいかんともしがたく・・・。
お写真からも楽しい様子!賑わいを感じます~♪
この日この時間は、ベランダの戸をあけて幽かに伝ってきたような錯覚を覚えましたよ。
皆さんの賑やかなざわめきの声!いきたいな~♪でした。
お世話役ご苦労様でした。
そして色々とありがとうございます。宜しくです。
朱庵さんへ
nakapa そうですね。毎年大通ビアガーデンではお会いしていました。
お忙しいのかなと思っていました。
有り難う御座いました
holoholom まずは掲示板の宣伝有り難う御座いました
先日は、ないことにビール3杯も飲んでしまいました。しかも2次会まで参加して、ちょっと飲みすぎ
二日酔いで反省しています(何時まで続くか)(笑)
holoholomさんへ
nakapa 私も2杯飲みました。いつもは一杯ですから、これでも充分酔っ払います。
それで二次会はパスです。いつものことなので誘われることもありませんが。
ちゃちゃ 皆さま、とても楽しそうですね。
札幌はとても暑い夏のようです。
飲みすぎ、食べすぎ、騒ぎすぎにはご注意を!
でも、楽しいイベントの時は、
思いっきり楽しまなくっちゃ!
踊らにゃ、損、損…です。
ちゃちゃばあばも踊りますぞ!
ちゃちゃさんへ
nakapa そうですね。今年は特別暑いような気がします。
ビアガーデンは毎年参加していますが、今年は初めての世話役です。
つい、例年のクセがでます。座り込んで話し込むクセです。
のん子 ビアパーティ楽しそうですね(^_^)
私はお酒が飲めないのですが、皆さん飲める方ばかりなのですか?
おつまみって言うか料理っぽい物?は手作りなんでしょうか?
女性の方も多いですね(^_-)-☆
世話役、お疲れ様でした。後片づけとかもされるんですよね?(^_^;
のん子さんへ
nakapa はい、大通公園で飲むビールは美味しいです。
2割程度は飲めない人で、お喋りに来ています。料理もビールも買います。
ビールはタンクごと買い、空ジョッキを頼んで、私たち世話役が注ぎます。
後片付けはお店がやりますが、飲んでる最中の片付けは私たちがやります。
基本的に私たちはお客さんですが、
混雑しているので、頼んでもいつ来るか分かりません。
もう街中には雪が全く無い。運動と倹約の為に中島公園付近の我家から札幌駅まで歩いて行った。チラシなどを配る人が街角に立っているが無視して歩く。
しかし、ティッシュだけは、つい手が伸びてしまう。
なんと! ポケットティッシュを7個ももらってしまった。
往復歩けば14個もらえたかもしれない。
「ティッシュこんなに沢山もらいました」と言って、テーブルに置いた。
「邪魔だから載せないでよ。ワタシャ使わないからね」と言われてしまった。
「いいですよ。私が使いますから」
仕方がないから、一人で使ってみたが、これが案外使いにくい。
両手を使わないと、袋から引っ張り出せないし、出しても複雑なたたみ方をしているので、直ぐには広がらない。
やはり、箱に入っていて簡単に摘み出せるティッシュペーパーは使いやすい。
食事のときテーブルに置くには、箱入りに限る。
箱入りティッシュの欠点は、持ち歩くには大きすぎることだ。
その点では、ポケットティッシュの方が便利だ。 しかし使いにくい。
アチラを立てればコチラが立たずの感じである。
ところで、耳寄りの話がある。 ポケットに入り、箱入りティッシュのように使える、携帯ティッシュケースがあるのだ。

手作りだが、これはなかなかの優れもの。
ミシンがないとかなり手間がかかるらしい。 偶然テレビで「ハローキティミシン」の通信販売を観た。 何でも縫えて10500円と安価だが、超人気で商品が届くのに3週間はかかるという。
これでティッシュケースが縫えると思うので、初めての裁縫にも挑戦してみたい。
退職後はホームページ作成からカラオケまで、初めてのことをいろいろやってみた。 中には挫折したものもあるが、やらない方が好かったと思ったことは一度もない。
ところで、ティッシュケースは箱入りティッシュから、必要な分だけ詰め替えて持ち歩けばいい。 つまり、箱での使用と互換性があるのだ。

この形で使う 財布に札を入れる様に開いて入れる
このティッシュケースの優れている点は、箱入りティッシュと違い、布製だから、形をいろいろ変えられることにある。
沢山入れても、二つ折りにしてハンドバックにも入る。
量を抑えれば三つ折にしてポケットにも入るが、この場合は薄い生地を選ぶ必要がある。 初心者には無理かも知れない。
デザインの奇麗な生地を選べば、お洒落な小物として持ち歩くのが楽しい。
外出時に携帯する必須のアイテムになるだろう。

二つ折り 三つ折 ホックで開け閉めできる
「これはエコです。いくつかの森林が救われるでしょう」
「なんで?」
「箱入りティッシュの箱の一部が要らなくなるからです」
「そんな訳ないでしょう。箱から詰め替えているのだから」
「このティッシュケースが流行れば詰め替え用ティッシュが販売されます」
「それで?」
「例えば5個の箱入りティッシュをビニールの袋に入れて売っていますね。
ビニール袋に直接ティッシュを入れれば、5個の箱が不要になります」
「それだけ?」
「箱の分だけ軽くなるし、圧縮すれば小さくなるので、輸送効率が上がり、その結果二酸化炭素が減ります」
「エコだね」
「物が小さくなると、あらゆる輸送手段や倉庫の容積が小さくてすむのです」
「ふ~ん、影響大きいね」
「そうです。物流革命に繋がるのです」
「ふ~ん、お財布型ティッシュケースがね~。 物流革命か~。凄いね~」
「そうなんです。 世の中、財布が全てです」
「ウン、分かる分かる。財布がアンタの全てだよ」
しかし、ティッシュだけは、つい手が伸びてしまう。
なんと! ポケットティッシュを7個ももらってしまった。
往復歩けば14個もらえたかもしれない。
「ティッシュこんなに沢山もらいました」と言って、テーブルに置いた。
「邪魔だから載せないでよ。ワタシャ使わないからね」と言われてしまった。
「いいですよ。私が使いますから」
仕方がないから、一人で使ってみたが、これが案外使いにくい。
両手を使わないと、袋から引っ張り出せないし、出しても複雑なたたみ方をしているので、直ぐには広がらない。
やはり、箱に入っていて簡単に摘み出せるティッシュペーパーは使いやすい。
食事のときテーブルに置くには、箱入りに限る。
箱入りティッシュの欠点は、持ち歩くには大きすぎることだ。
その点では、ポケットティッシュの方が便利だ。 しかし使いにくい。
アチラを立てればコチラが立たずの感じである。
ところで、耳寄りの話がある。 ポケットに入り、箱入りティッシュのように使える、携帯ティッシュケースがあるのだ。

手作りだが、これはなかなかの優れもの。
ミシンがないとかなり手間がかかるらしい。 偶然テレビで「ハローキティミシン」の通信販売を観た。 何でも縫えて10500円と安価だが、超人気で商品が届くのに3週間はかかるという。
これでティッシュケースが縫えると思うので、初めての裁縫にも挑戦してみたい。
退職後はホームページ作成からカラオケまで、初めてのことをいろいろやってみた。 中には挫折したものもあるが、やらない方が好かったと思ったことは一度もない。
ところで、ティッシュケースは箱入りティッシュから、必要な分だけ詰め替えて持ち歩けばいい。 つまり、箱での使用と互換性があるのだ。

この形で使う 財布に札を入れる様に開いて入れる
このティッシュケースの優れている点は、箱入りティッシュと違い、布製だから、形をいろいろ変えられることにある。
沢山入れても、二つ折りにしてハンドバックにも入る。
量を抑えれば三つ折にしてポケットにも入るが、この場合は薄い生地を選ぶ必要がある。 初心者には無理かも知れない。
デザインの奇麗な生地を選べば、お洒落な小物として持ち歩くのが楽しい。
外出時に携帯する必須のアイテムになるだろう。

二つ折り 三つ折 ホックで開け閉めできる
「これはエコです。いくつかの森林が救われるでしょう」
「なんで?」
「箱入りティッシュの箱の一部が要らなくなるからです」
「そんな訳ないでしょう。箱から詰め替えているのだから」
「このティッシュケースが流行れば詰め替え用ティッシュが販売されます」
「それで?」
「例えば5個の箱入りティッシュをビニールの袋に入れて売っていますね。
ビニール袋に直接ティッシュを入れれば、5個の箱が不要になります」
「それだけ?」
「箱の分だけ軽くなるし、圧縮すれば小さくなるので、輸送効率が上がり、その結果二酸化炭素が減ります」
「エコだね」
「物が小さくなると、あらゆる輸送手段や倉庫の容積が小さくてすむのです」
「ふ~ん、影響大きいね」
「そうです。物流革命に繋がるのです」
「ふ~ん、お財布型ティッシュケースがね~。 物流革命か~。凄いね~」
「そうなんです。 世の中、財布が全てです」
「ウン、分かる分かる。財布がアンタの全てだよ」
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ティシュ入れ便利ね
コマクサ 案内される前に訪問しましたので一番で~す。
エコは凄い感心しましたよ。
>「物が小さくなると、あらゆる輸送手段や倉庫の容積が
小さくてすむのです」 とありました。
此れは良いアイディアだと思いますね。
写真のティシュ入れはQPさんの製作でしょうか?
着物生地で素敵です、しかし驚きましたね~nakapaさん今度は
裁縫されるのですか・・・私の作ってくださいね。
生地はたくさん差し上げますよ。
ちゃちゃ nakapa さん、
私、今までにものすご~い数の小型のティッシュ入れを作ってきましたが、この大きさのは初めてです。まるで私に突きつけられた挑戦状のようです。もう、うずうずしています。箱入りティッシュ用の入れ物を私なりに作ってみましょう。乞う、ご期待!です。とてもいいヒントをありがとうございました。
鶴子 ボックス用ティッシュの詰め替え用は、すでに
売られていますよ。
エコではありますが、箱入りと比べ価格が変わら
ないのが不思議で、利用はしていません。
それより・・・箱入りの枚数が商品によってまち
まちですが、枚数を多くしたほうがエコになり
ますね。 私は必ず400枚入りを買うのですが、
少ないものは300枚入りです。
のん子 その手の情報は全く知りませんでした。
何となく不便だなぁと考えていることは誰かが考えて下さっているんですね!
人間万歳ですね(^_^)
使いやすいし、エコのいろいろになって言うことないですね。
うちはミシンを処分してしまったのでケースは100均で探してみます(^_^;
コマクサさんへ
nakapa 一番乗り有難う。眠かったので11日まで待たずにアップして寝てしまいました。
QPは裁縫が出来ません。私は、これから小さなミシンを買って作り方習うつもりです。
コマクサさんに作って上げたいのはやまやまですが、
買ったミシンが、なかなか届きそうもありません。超人気で発送まで3週間かかるそうです。
届いてから使い方を覚え、それから作り方を学ぶ予定です。果たしていつのことやら。
いつ作れるようになるのか、気のなが~い話です。
ちゃちゃさんへ
nakapa 名手、ちゃちゃさんに挑戦と思うと、他人事ながらコーフンして来ます。
はい、作り方を教えてくれる方がいるのです。
私は裁縫などしたことないし、ミシンもないし作れません。
いつもながらの読物です。恥ずかしながら、これからミシンを用意して勉強します。
ちゃちゃさんの作品には期待大ですね。
鶴子さんへ
nakapa 詰め替え用はすでにあったのですか!
知りませんでした。さすが鶴子さん、何でもご存知です。恐れ入りました。
箱入りと同じ値段なんですか。ガッカリですね。
多いのと少ないのとでは100枚も違うとすると、価格はともかくエコになりますね。
私も400枚入りを買うことにします。当面は、よく表示を見ることにします。
有益な情報をありがとうございました。
のん子さんへ
nakapa 私もポケットティッシュの折り方に、どうも馴染めません。
いろいろ考える人がいるものだと感心して、ここに書きました。
我家はミシンを持ったことが無いので、玩具のようなミシンを買ってみようと思いました。
すぐ飽きるか、最初から使えないか、どちらかと思いますが…。
代弁有り難う御座いました
holoholom ポケットティッシュは、絶対片手では無理ですよね。それとオープンする時、時としてビニールと共に中身まで破いてしまいます
このような不便さを、良く考えて考案すれば即、億万長者になるかも・・・(笑)
holoholom さんへ
nakapa そうなんです。ポケットティッシュは結構、使い方が難しいです。
このティッシュケースで億万長者が出ると良いですね(笑)。
コマクサ 案内される前に訪問しましたので一番で~す。
エコは凄い感心しましたよ。
>「物が小さくなると、あらゆる輸送手段や倉庫の容積が
小さくてすむのです」 とありました。
此れは良いアイディアだと思いますね。
写真のティシュ入れはQPさんの製作でしょうか?
着物生地で素敵です、しかし驚きましたね~nakapaさん今度は
裁縫されるのですか・・・私の作ってくださいね。
生地はたくさん差し上げますよ。
ちゃちゃ nakapa さん、
私、今までにものすご~い数の小型のティッシュ入れを作ってきましたが、この大きさのは初めてです。まるで私に突きつけられた挑戦状のようです。もう、うずうずしています。箱入りティッシュ用の入れ物を私なりに作ってみましょう。乞う、ご期待!です。とてもいいヒントをありがとうございました。
鶴子 ボックス用ティッシュの詰め替え用は、すでに
売られていますよ。
エコではありますが、箱入りと比べ価格が変わら
ないのが不思議で、利用はしていません。
それより・・・箱入りの枚数が商品によってまち
まちですが、枚数を多くしたほうがエコになり
ますね。 私は必ず400枚入りを買うのですが、
少ないものは300枚入りです。
のん子 その手の情報は全く知りませんでした。
何となく不便だなぁと考えていることは誰かが考えて下さっているんですね!
人間万歳ですね(^_^)
使いやすいし、エコのいろいろになって言うことないですね。
うちはミシンを処分してしまったのでケースは100均で探してみます(^_^;
コマクサさんへ
nakapa 一番乗り有難う。眠かったので11日まで待たずにアップして寝てしまいました。
QPは裁縫が出来ません。私は、これから小さなミシンを買って作り方習うつもりです。
コマクサさんに作って上げたいのはやまやまですが、
買ったミシンが、なかなか届きそうもありません。超人気で発送まで3週間かかるそうです。
届いてから使い方を覚え、それから作り方を学ぶ予定です。果たしていつのことやら。
いつ作れるようになるのか、気のなが~い話です。
ちゃちゃさんへ
nakapa 名手、ちゃちゃさんに挑戦と思うと、他人事ながらコーフンして来ます。
はい、作り方を教えてくれる方がいるのです。
私は裁縫などしたことないし、ミシンもないし作れません。
いつもながらの読物です。恥ずかしながら、これからミシンを用意して勉強します。
ちゃちゃさんの作品には期待大ですね。
鶴子さんへ
nakapa 詰め替え用はすでにあったのですか!
知りませんでした。さすが鶴子さん、何でもご存知です。恐れ入りました。
箱入りと同じ値段なんですか。ガッカリですね。
多いのと少ないのとでは100枚も違うとすると、価格はともかくエコになりますね。
私も400枚入りを買うことにします。当面は、よく表示を見ることにします。
有益な情報をありがとうございました。
のん子さんへ
nakapa 私もポケットティッシュの折り方に、どうも馴染めません。
いろいろ考える人がいるものだと感心して、ここに書きました。
我家はミシンを持ったことが無いので、玩具のようなミシンを買ってみようと思いました。
すぐ飽きるか、最初から使えないか、どちらかと思いますが…。
代弁有り難う御座いました
holoholom ポケットティッシュは、絶対片手では無理ですよね。それとオープンする時、時としてビニールと共に中身まで破いてしまいます
このような不便さを、良く考えて考案すれば即、億万長者になるかも・・・(笑)
holoholom さんへ
nakapa そうなんです。ポケットティッシュは結構、使い方が難しいです。
このティッシュケースで億万長者が出ると良いですね(笑)。
いつものことながら、朝食はテレビを消して、二人で話しながらとる。
この日の話題は前日のカラオケの話。私の所属するシニアネットのカラオケクラブ主宰だが、……なんと! カラオケ・ファンが30人も集まった。
もちろん、満席札止めである。
「カラオケ楽しかったですよ」
「下手なくせに何が楽しいのよ」
「まあ、なんとなく…」
「恥かきに行った様なもんでしょ」
「旅の恥はかき捨てと言いますから…」
「旅?」
「家から一歩出れば旅。だから短い旅なのです」
「何が楽しかった」だって? そんなこと正直に言えるわけがない。
言えばQPが腹を立てるに決まっているから、適当に誤魔化した。

菖蒲池西岸中央付近に新しく設置されたベンチ。 12月14日撮影
映画「男はつらいよ」の寅さんが大好きだ。 実は映画を観るのが好きなだけ。あんな人と友達になりたいとは思わない。 身近ににいれば、かなり迷惑だ。
寅さんが好きというよりも、彼を中心として繰り広げられる、様々なドラマが好きなのだ。 ふざけているときよりも、真面目で一生懸命なときの方が面白い。 演出がいいから思わず笑ってしまう。
寅さんとは…、
「身勝手な怠け者と、正直で生真面目な面を併せ持つキャラクター」である。
一方、私は…、
腹の中が黒いかどうかは別として、表面はいわゆる「真面目キャラ」だ。
共通点と言えば…、
空想好き。 これといって、いい思いもしていないので、映画やドラマの主人公になったつもりで空想する。憧ればかりが強くなり、いつも心は上の空。
「真面目キャラ」の私が、ふざけて笑わそうとしても、しらけるばかりだ。 だから、真面目に一生懸命歌う。 しかし、本音を言えば笑ってほしいのだ。
”更に夢を語れば感動してほしい。 ← 本気にしないで下さいね(笑)”
「面白くないのに笑えといっても無理だよ」
「一人では不可能ですが、座を盛り上げてくれる演出があれば話は別です」
「どうやって、盛り上げたのさ」
「それは秘密です」
「みんなの前で歌ったくせに、秘密もクソもないでしょ」
「女性は、その様な下品な言葉は使わない方がいいですよ」
形勢が悪くなったら、まともに答えてはいけない。 これはQPから学んだ唯一の処世術だ。 ともかく、内緒にしなければならない。 昨日の出来事を白状すれば、カラオケ禁止にされるだろう。
しかし、書かなくては、何のことだかサッパリ分からないだろう。 不本意だが、雰囲気だけでも伝えておくことにする。
クリスマス・パーテーだから、飾り物に加え、帽子、フラワーレイ、リボン、カツラ、仮面などいろいろ用意されている。
歌おうとすると、何のつもりかカツラをもって来てくれた人がいる。しかし、被せようとしてもなかなか、うまく行かない。 私の頭が大きすぎるのだ。
次から次へと「にわかスタイリスト」が現れて、直そうとしたり髪型を整えようとするのだが、どうもうまく行かない。
カツラが小さく、頭は滑るので難しいようだ。ともかく試行錯誤をしながらも格好良く見せようと、いろいろ努力を重ねる皆様に感謝する。 これに応えるために、一生懸命歌った。
♪…だ~から み~じかい 旅な~の~に~
さよなら~が さ~よならが 霧にむせぶ夜~ ♪
「アンタが歌たって誰も聞いてないでしょ」
「それが、意外に受けましてね」
「どうして?」
「カツラ被って歌ったんですよ」
”しまった! 言うてしもうた”
「だめだよ……、絶対ダメ!
もうカラオケなんて、ゼッタイ行かせないからね!」
「嘘をつくなと言うから、正直に…」
「ウソ、ついてるでしょ」
「ついてません」
「カツラで隠したでしょ。それも嘘だよ! 」
この日の話題は前日のカラオケの話。私の所属するシニアネットのカラオケクラブ主宰だが、……なんと! カラオケ・ファンが30人も集まった。
もちろん、満席札止めである。
「カラオケ楽しかったですよ」
「下手なくせに何が楽しいのよ」
「まあ、なんとなく…」
「恥かきに行った様なもんでしょ」
「旅の恥はかき捨てと言いますから…」
「旅?」
「家から一歩出れば旅。だから短い旅なのです」
「何が楽しかった」だって? そんなこと正直に言えるわけがない。
言えばQPが腹を立てるに決まっているから、適当に誤魔化した。

菖蒲池西岸中央付近に新しく設置されたベンチ。 12月14日撮影
映画「男はつらいよ」の寅さんが大好きだ。 実は映画を観るのが好きなだけ。あんな人と友達になりたいとは思わない。 身近ににいれば、かなり迷惑だ。
寅さんが好きというよりも、彼を中心として繰り広げられる、様々なドラマが好きなのだ。 ふざけているときよりも、真面目で一生懸命なときの方が面白い。 演出がいいから思わず笑ってしまう。
寅さんとは…、
「身勝手な怠け者と、正直で生真面目な面を併せ持つキャラクター」である。
一方、私は…、
腹の中が黒いかどうかは別として、表面はいわゆる「真面目キャラ」だ。
共通点と言えば…、
空想好き。 これといって、いい思いもしていないので、映画やドラマの主人公になったつもりで空想する。憧ればかりが強くなり、いつも心は上の空。
「真面目キャラ」の私が、ふざけて笑わそうとしても、しらけるばかりだ。 だから、真面目に一生懸命歌う。 しかし、本音を言えば笑ってほしいのだ。
”更に夢を語れば感動してほしい。 ← 本気にしないで下さいね(笑)”
「面白くないのに笑えといっても無理だよ」
「一人では不可能ですが、座を盛り上げてくれる演出があれば話は別です」
「どうやって、盛り上げたのさ」
「それは秘密です」
「みんなの前で歌ったくせに、秘密もクソもないでしょ」
「女性は、その様な下品な言葉は使わない方がいいですよ」
形勢が悪くなったら、まともに答えてはいけない。 これはQPから学んだ唯一の処世術だ。 ともかく、内緒にしなければならない。 昨日の出来事を白状すれば、カラオケ禁止にされるだろう。
しかし、書かなくては、何のことだかサッパリ分からないだろう。 不本意だが、雰囲気だけでも伝えておくことにする。
クリスマス・パーテーだから、飾り物に加え、帽子、フラワーレイ、リボン、カツラ、仮面などいろいろ用意されている。
歌おうとすると、何のつもりかカツラをもって来てくれた人がいる。しかし、被せようとしてもなかなか、うまく行かない。 私の頭が大きすぎるのだ。
次から次へと「にわかスタイリスト」が現れて、直そうとしたり髪型を整えようとするのだが、どうもうまく行かない。
カツラが小さく、頭は滑るので難しいようだ。ともかく試行錯誤をしながらも格好良く見せようと、いろいろ努力を重ねる皆様に感謝する。 これに応えるために、一生懸命歌った。
♪…だ~から み~じかい 旅な~の~に~
さよなら~が さ~よならが 霧にむせぶ夜~ ♪
「アンタが歌たって誰も聞いてないでしょ」
「それが、意外に受けましてね」
「どうして?」
「カツラ被って歌ったんですよ」
”しまった! 言うてしもうた”
「だめだよ……、絶対ダメ!
もうカラオケなんて、ゼッタイ行かせないからね!」
「嘘をつくなと言うから、正直に…」
「ウソ、ついてるでしょ」
「ついてません」
「カツラで隠したでしょ。それも嘘だよ! 」
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フラダン 可笑しくって、可笑しくって!
ナカパさん、歌もなかなか上手ですよ~
又、笑っちゃうよ~ごめん!
ホントね、寅さんのような人が傍に居たら
振り回されちゃうわね、映画だからいい具合に
人情味溢れるいい味出してるけど、、、
鶴子 あらぁ、グッドタイミングで「証拠写真」をお送りしてしまいましたね。
私のブログに載せることも可能です!!(脅し?)
あぁ、載せたくなっちゃいましたぁ。
mitchi-jul その写真をぜひ見せてください。
似合っているなら、良いと思いますが
QPさんは反対なのですか?
でも自然体で居て欲しいのが、QPさんの願いなら
うれしいことですね。
のん子 関西人は笑われてナンボってところがありますよ(^^ゞ
ボケと突っ込みが上手い人がイケメンと同じように人気者になれます(^_^)v
nonko-mn ゥフフ・・・QPさん可愛い。
良いですねぇそんなに関心を持ってもらえるご主人・・・シ・ア・ワ・セ・ですよ~~。
えっウルサイ?それは贅沢というものですよ~。
世の中全然関心を持ってもらえないご主人が沢山居るこの時代幸せなnakapaさんですよ~。
それにしても見たかった~~カツラ姿を・・・ね。
運営委員会と時間が重なってしまって・・・無理でした。
フラダンさんへ
nakapa 可笑しかったですか。 そう言ってもらえるとホッとします。
寅さんは惚れてしまった一人の人に対しては、優しく親切、
全力を尽くして守りますが、さくら、ひろし夫婦、おいちゃん、
おばちゃんには、迷惑ばかりかける困った人です。
欠点だらけな人でも、愛する人への気持ちは純粋と
言いたいのだと思いますが、どうなのでしょうか。
鶴子さんへ
nakapa 実にグッドタイミングです。写真掲載は歓迎します。つまらないモデルですが、どうぞ。
鶴子さんの写真の載せ方は、小さく載せて雰囲気だけを伝えるようになっています。
これは、とても、いいことと思います。
mitchi-julさんへ
nakapa 似合うのは、無理ですね。フィットしないです。 私に合わせて作った
ものでないですから(笑)。 QPはもちろん、大反対です。
言うつもりはなかったのですが、つい、ポロリと出ました。
私も自然体が好きです。
のん子さんへ
nakapa イケメンは生まれつきですから、楽でいいですね。
ボケも突っ込みも難しいです。 先ず、嫌われない「突っ込み」は至難の技です。
私がボケをやったら、本当にボケたと思い家族が心配します。見放されるかな?
nonko-mn さんへ
nakapa なんでもかんでもウルサイのは困りものです。 私が腰痛体操していると
「アゴ!」と言うから、何のことかと思ったら「あごを引け」ということでした。
ダメです。見せません。私が変装するのは密命を帯びて敵地に潜入するときだけです。
オムニバス:文化祭踊・文化祭取材・鮭遡上・故郷文化祭・中島パフェ
最近印象に残った5つの出来事です。一つでも読んで頂けたらと思っています。
1.文化祭踊 華麗なダンスと仮装盆踊り。私は「麦畑」の松っつあん。
楽しい二日間はアッと言う間に過ぎてしまいました。 私の所属するシニアネットの文化祭のことです。芸術的なもの、そうでもないもの、いろいろありました。
ダンスチームのフォーメーションは素晴らしかったですね。 「おや?Pさんは、こんなに素敵な方なんだ」とか、新鮮な驚きがありました。
「黒いオルフェ」のリズムにのった、優美な踊りに魅了され…
心がどきどき踊りました。
それでは私は何をしたかと申しますと、「麦畑の松っつあん」に仮装して、およねさんと盆踊りなのです。
「来年こそ、赤い蝶ネクタイして踊りたいな~。 およねさんだって、きれいなドレスの方が似合うと思いますよ。ねえ、およねさん……」
とか夢想していたら、「松っつあん、何しているの、およねさんが待っているよ!」という声で我に返り、慌てて輪の中に入りました。
「はあ~ ほかい名物 はあ ど~した どした♪」 とか、やるのですが、どうも踊りが合いません。 どうしたんでしょうね。
「なかぱさん、直ぐ分かったよ」と、お節介のAさん。
「仮装して、お面かぶっていたのですよ。分かるはずないでしょ」
「ワンテンポ遅れているからね~」
「そうですか…」
「ダンスもいいけれど、その前に盆踊り覚えてね!」

2.文化祭取材 文化祭の記事と私のコラムが北海道新聞に同時掲載。
文化祭初日は、北海道新聞の取材があり、翌日、写真入の記事が掲載されました。写真はなぜか、大きな二つのカボチャでした。
「兄弟カボチャと言うから、小さい方が弟だな」
「違います。巨大カボチャです。40キロもあるんですよ」
「新聞写真の お陰でお客さん、いっぱい来たな」
「文化祭どっと混む」… bunkasai.com
「古いギャグを言うんじゃないよ」
ところで、文化祭の新聞報道と同じ日に、私の書いたコラムが、同じ新聞に載りました。タイトルは「中島公園のサクラマス」です。
お陰様で、多くの方々が「コラム読みましたよ」と仰って下さいました。 とても嬉しかったですね。
「それなあ、朝青龍のガッツポーズと同じだよ。日本人は、もっと謙虚でなければいけない。ストレートに嬉しがっちゃあダメなんだよ」
「そうですか。それではお詫びの印ににサクラマス探してきます」
3.鮭遡上 中島公園隣接の幌平橋付近に鮭とサクラマスが遡上。
翌朝早く南22条橋からJR函館線の北まで探しましたが、見つかりりません。 家の方向にある幌平橋に戻る途中で、鮭の死骸を沢山見ました。
話に聞いた鮭の大量遡上は事実だったのです。 南から北へと、鮭を探して三千メートル、意外にも中島公園隣接の幌平橋の下で見つけました。 灯台下暗しですね。
幌平橋の上から下を見ると、数匹の鮭が泳いでいるのが見えました。写真を撮りましたが、残念ながらピンボケです。
下に降りると水面の反射のせいで見えないので、橋の上から撮ったのです。 一緒に見ていたオバサンが「産卵をするため、川底をほじくっているから、ときどき白く見えるのよ」と教えてくれました。

4.故郷文化祭 心のふるさと文化祭。 私の思いを会話体で表現。
「なに、インタビューだと?」
「私、これでもシニアネットの広報スタッフ。文化祭を取材する役目です」
「そうかい、何でも聞いてくれ、それで気がすむんなら」
「あなたにとって、文化祭とはなんですか」
「そうだな、鮭の遡上だ」
「心は?」
「ふるさとに帰る」
「故郷はそれぞれ違いますね」
「それでもね。そう感じるんだよ」
「ひとつのことを皆で楽しむとか」
「不思議に、気持ちが一致するんだ」
「故郷のお祭りのように…」
「心の ふるさと だな」
「そうなんです! 同感、同感!! 嬉しいですね。飲みましょうよ」
「あんた、記者なんだろう?」
「あっ、そうでした。 ご協力、有難うございました」

5.中島パフェ ノボルテ札幌のパフェについて、私からのの謝辞。
下の画像はオーストラリアから来られた、テニスプリンセス(HN)さんと、娘さんです。 プリンセスさんの故郷は札幌市の山鼻です。 つまり、中島公園は思い出の場所なのです。
旅行の予定があると伺ったので、「中島パフェ」食べませんかと、お誘いしました。 楽しい時間を共有できたことを感謝します。
右下の部分は、シニアネットの皆様です。「中島パフェ」を食べる会を開いてくれたこと、沢山の方々が食べて下さったことに対して、心から感謝しています。
そして、美味しいパフェ「中島パフェ」を作ってくれた、ノボテル札幌の関係者の皆様に感謝します。 皆様、有難うございました。(HP「中島パフェ」管理人)

9月30日、10月1日に開かれた「札幌シニアネット文化祭」について、私の気持ちを書きました。 文化祭についての本当の記事は下にリンクをはりました。
ウェブサイト「札幌シニアネット」は、こちらをクリック!→札幌シニアネット
(トップページに「文化祭ページ」へのリンクがあります)
「中島パフェ」秋バージョン登場 詳細はこちらです→美味しいパフェリンク
最近印象に残った5つの出来事です。一つでも読んで頂けたらと思っています。
1.文化祭踊 華麗なダンスと仮装盆踊り。私は「麦畑」の松っつあん。
楽しい二日間はアッと言う間に過ぎてしまいました。 私の所属するシニアネットの文化祭のことです。芸術的なもの、そうでもないもの、いろいろありました。
ダンスチームのフォーメーションは素晴らしかったですね。 「おや?Pさんは、こんなに素敵な方なんだ」とか、新鮮な驚きがありました。
「黒いオルフェ」のリズムにのった、優美な踊りに魅了され…
心がどきどき踊りました。
それでは私は何をしたかと申しますと、「麦畑の松っつあん」に仮装して、およねさんと盆踊りなのです。
「来年こそ、赤い蝶ネクタイして踊りたいな~。 およねさんだって、きれいなドレスの方が似合うと思いますよ。ねえ、およねさん……」
とか夢想していたら、「松っつあん、何しているの、およねさんが待っているよ!」という声で我に返り、慌てて輪の中に入りました。
「はあ~ ほかい名物 はあ ど~した どした♪」 とか、やるのですが、どうも踊りが合いません。 どうしたんでしょうね。
「なかぱさん、直ぐ分かったよ」と、お節介のAさん。
「仮装して、お面かぶっていたのですよ。分かるはずないでしょ」
「ワンテンポ遅れているからね~」
「そうですか…」
「ダンスもいいけれど、その前に盆踊り覚えてね!」

2.文化祭取材 文化祭の記事と私のコラムが北海道新聞に同時掲載。
文化祭初日は、北海道新聞の取材があり、翌日、写真入の記事が掲載されました。写真はなぜか、大きな二つのカボチャでした。
「兄弟カボチャと言うから、小さい方が弟だな」
「違います。巨大カボチャです。40キロもあるんですよ」
「新聞写真の お陰でお客さん、いっぱい来たな」
「文化祭どっと混む」… bunkasai.com
「古いギャグを言うんじゃないよ」
ところで、文化祭の新聞報道と同じ日に、私の書いたコラムが、同じ新聞に載りました。タイトルは「中島公園のサクラマス」です。
お陰様で、多くの方々が「コラム読みましたよ」と仰って下さいました。 とても嬉しかったですね。
「それなあ、朝青龍のガッツポーズと同じだよ。日本人は、もっと謙虚でなければいけない。ストレートに嬉しがっちゃあダメなんだよ」
「そうですか。それではお詫びの印ににサクラマス探してきます」
3.鮭遡上 中島公園隣接の幌平橋付近に鮭とサクラマスが遡上。
翌朝早く南22条橋からJR函館線の北まで探しましたが、見つかりりません。 家の方向にある幌平橋に戻る途中で、鮭の死骸を沢山見ました。
話に聞いた鮭の大量遡上は事実だったのです。 南から北へと、鮭を探して三千メートル、意外にも中島公園隣接の幌平橋の下で見つけました。 灯台下暗しですね。
幌平橋の上から下を見ると、数匹の鮭が泳いでいるのが見えました。写真を撮りましたが、残念ながらピンボケです。
下に降りると水面の反射のせいで見えないので、橋の上から撮ったのです。 一緒に見ていたオバサンが「産卵をするため、川底をほじくっているから、ときどき白く見えるのよ」と教えてくれました。

4.故郷文化祭 心のふるさと文化祭。 私の思いを会話体で表現。
「なに、インタビューだと?」
「私、これでもシニアネットの広報スタッフ。文化祭を取材する役目です」
「そうかい、何でも聞いてくれ、それで気がすむんなら」
「あなたにとって、文化祭とはなんですか」
「そうだな、鮭の遡上だ」
「心は?」
「ふるさとに帰る」
「故郷はそれぞれ違いますね」
「それでもね。そう感じるんだよ」
「ひとつのことを皆で楽しむとか」
「不思議に、気持ちが一致するんだ」
「故郷のお祭りのように…」
「心の ふるさと だな」
「そうなんです! 同感、同感!! 嬉しいですね。飲みましょうよ」
「あんた、記者なんだろう?」
「あっ、そうでした。 ご協力、有難うございました」

5.中島パフェ ノボルテ札幌のパフェについて、私からのの謝辞。
下の画像はオーストラリアから来られた、テニスプリンセス(HN)さんと、娘さんです。 プリンセスさんの故郷は札幌市の山鼻です。 つまり、中島公園は思い出の場所なのです。
旅行の予定があると伺ったので、「中島パフェ」食べませんかと、お誘いしました。 楽しい時間を共有できたことを感謝します。
右下の部分は、シニアネットの皆様です。「中島パフェ」を食べる会を開いてくれたこと、沢山の方々が食べて下さったことに対して、心から感謝しています。
そして、美味しいパフェ「中島パフェ」を作ってくれた、ノボテル札幌の関係者の皆様に感謝します。 皆様、有難うございました。(HP「中島パフェ」管理人)

9月30日、10月1日に開かれた「札幌シニアネット文化祭」について、私の気持ちを書きました。 文化祭についての本当の記事は下にリンクをはりました。
ウェブサイト「札幌シニアネット」は、こちらをクリック!→札幌シニアネット
(トップページに「文化祭ページ」へのリンクがあります)
「中島パフェ」秋バージョン登場 詳細はこちらです→美味しいパフェリンク
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ちゃちゃ nakapa さん、おはようございます。
すごいですねえ。「札幌シニアネット文化祭」の様子、大いに楽しませていただきました。nakapa さんらしき方の素顔の写真があったような、なかったような…。二日連続でイベントを行うということは、とても大変なことなのです。会員の皆様のパワーを感じます。これからも益々の発展を、東京の「小平シニアネットクラブ」の一会員として願っております。
おーりーおばさん 楽しい文化祭ですね♪ 同世代の方がこんなに
楽しくすごせる場があるのは幸せですね。
ますますパワフルな会になりますよう発展を
祈っています。
中島パフェは芸術品といいたい美しさです。
パフェは何年間も食べていません。
札幌、函館、小樽は大好きな街です。
いつか再び訪れたいと思っています。
nonko-mn お互いお疲れ様でした。
何をどうやっていたのか・・・あまり記憶に無い私です。盆踊りも支度をして出してあげるのが精一杯でした。だからまっつあんが何処に踊っていらしたかも・・・判らない。
一度何もしないでお客さんになってみて見たいです。間で家族の事で抜け出したりしたから尚の事だったのかも・・・。
ダンスは全く見れなくて残念でした。
フラダン
フラダン 松ちゃんお疲れ様でした。
「どっと混む」にはコケマシタ!
思わず吹き出しちゃった、流石PC通です、、、
朝の食卓「中島公園のサクラマス」も好評です!
打ち上げの飲み会も断って帰って来たのに
風邪がイマイチ、旅行を控えてるので、
超焦ってます、でも笑ったら何か元気出たわ、
mitchi-jul お疲れさまでした。
nakapaさんの仮装には、気が付かず残念でした。
でも、社交ダンスは、かなりのベテランと思いましたょ♪
来年の文化祭も楽しみです。
道新・朝の食卓「中島公園のサクラマス」も切り抜いて手元にあります。
拝読した私も環境問題を考えさせられました。
そして、nakapaさんの「静と動」の個性に、新鮮さを感じました。
ちゃちゃさんへ
nakapa こんにちは
「札幌シニアネット」文化祭の様子をみてくれて有難うございます。
私のような写真がありましたか? どうでしょうね。多分ないかと思います。
二日間のイベントは、練習を含めると、かなり大変ですね。
私も会員パワーには感心しています。とか言ってはいけませんね。私も会員です。
「小平シニアネットクラブ」のページも見せて頂きました。多彩な活動をなさっていますね。首都圏ですから、内容も充実していますね。
おーりーおばさん へ
nakapa 有難うございます。おっしゃるように幸せと思っています。
退職後の生活は思ったより、自由で思ったより、忙しいと思いました。
これもシニアネットのお陰と思っています。
私はパフェが好きで、ホームページのタイトルも
「中島パフェ」にしました。 パフェはフランス語で「完璧」を意味します。
中島公園完全ガイドのつもりで、このタイトルにしました。
よかったですね!
ひよどり 文化祭の盛会、おめでとうございました。
いろいろなメニューがあったのでしょうが、大変お疲れだったことと思います。
nakapaさんは巧みに素顔を出しておられないので、正直のところ、コメントもしにくいのです。
どこにブログのnakapaさんが、どんな様子でおられるのか、よく分かりません。
QPさんとの関わりの場合、すっきりするのですが、今日は正体が見えませんでした。
私の見方が甘いのかもしれません。
nonko-mn さんへ
nakapa お疲れ様でした。 何処にいるのか分からなくて結構です。
仮装してお面つけているのですから、分かったら困ります。
ところで、準備する方はいろいろ大変だったのですね。
本当にお疲れ様でした。 お陰様で楽しい文化祭でした。
イチゴとリンゴの館 二日間本当にお疲れさまでした。
エネルギーを使い果たしてクタクタでしたよ・・・
松っちゃんとオヨネさん良かったんですが・・・
元祖オヨネ(私)はどうなるんですか(^○^)?
私が退職したのは、今から8年前。 当時は「定年退職したら外に出て人の輪に入りましょう」とか、よく言われていた。 テレビでも新聞でも、識者と言われる人たちが口々に言う。 そんなご時勢だから、QPまでが「人の輪にはいらないとボケるよ」とか言いだす始末だ。
「定年後は家でノンビリ」するのが、私の夢だった。 しかし、待遇は次第に悪くなり、ノンビリどころではなくなってきた。 その上、QPが次々と高齢者向け講座、あるいはサークルなどのパンフを持ってきては「外に行け」とハッパをかける。
居心地も悪くなったので、講座・サークルなど、いろいろ行ってみたが一向に馴染めない。 川柳では、お題を与えられても言葉が浮かばない。 「優しいヨガ」では、おじいさんに背中をグイグイ押されて、骨が折れるかと思った。
たまに人と話すことがあっても、登山・麻雀・カラオケできない。 「温泉・旅行・ドライブ嫌い」と分かると、誰もが黙り込んでしまう。 人の輪なんか簡単に入れるものではない。 輪は既に出来上がっているのだ。
アチコチ歩いて分かったことは、私のような者が人の輪に入ることは容易なことではない。 創意も工夫も必要と思った。 しかも、それだけじゃあダメだ。 「お節介な人」に出会えることが、何よりも肝心だ。と言うことで柄にもなく、私もお節介をしてみたくなった。
「自由な人生は素晴らしいですね。何でもできるような気がします」
「金は稼げるか?」
「いえ、それはぜんぜん…」
「それじゃあ、俺はゴメンだね」
「こんど札幌シニアネット(SSN)の『談話コーナー』を担当することになりました」
「そうかい」
「会員の皆さんが楽しいシニアライフを送る為のお手伝いをしたいと思いまして…」
「皆さんって、だれ?」
「新会員とか、古い会員でもサロンから遠のいている方に来て頂たいと思います」
「来たら何かいいことあるのかい?」
「賢いSSNの利用法を伝授したいと思っています」
「なるほど、利用法だけはアンタも長けている」
「お褒めに預かり恐縮です」
「だれも褒めちゃいないよ。ズルイやつだ」
「ですから、お返しのつもりで…」
「分かった、わかった。 そう、むきになるな」
「SSNはボランティアによって運営されています。 『学び合い、支え合い、助け合って、豊かなシニアライフを!』これがSSNの理念です」
「それで…」
「せっかく会員になったのですから、有効にSSNを利用して、シニアライフをエンジョイしてほしいと思っています。 500人規模で、活動も盛んです。 クラブも20以上もあります。 楽しいSSNですが、複雑で分かりにくい面もあります」
「そうだな。古参の俺でさえ分からないことがある」
「新会員でも、クラブを立ち上げることができます。 有効に利用するためには、知ることが第一です。 談話コーナーで、皆さんの疑問に答えたい。 先ずは、そこから始めたいと思います」
「結局、何がいいたいんだ」
「はい、まとめます。
①SSNサロンで何をやっているのか分からない。
②知人がいないのでSSNサロンには入りにくい。
③行ったことはあるが、もう行きたくない。
④少人数で何かやってみたい。
この中の一つでも該当すると思った会員は、ぜひ「談話コーナー」に来てください。 一緒に話し合い、解決策を探り、愉しいシニアライフを切り開きましょう!」
「そうそう、開拓者になったつもりでね」
NPO法人「札幌シニアネット」のウェブサイトはこちらです。
参考:人の輪に入るための体験談は北海道新聞のコラムに書きました。
「定年後は家でノンビリ」するのが、私の夢だった。 しかし、待遇は次第に悪くなり、ノンビリどころではなくなってきた。 その上、QPが次々と高齢者向け講座、あるいはサークルなどのパンフを持ってきては「外に行け」とハッパをかける。
居心地も悪くなったので、講座・サークルなど、いろいろ行ってみたが一向に馴染めない。 川柳では、お題を与えられても言葉が浮かばない。 「優しいヨガ」では、おじいさんに背中をグイグイ押されて、骨が折れるかと思った。
たまに人と話すことがあっても、登山・麻雀・カラオケできない。 「温泉・旅行・ドライブ嫌い」と分かると、誰もが黙り込んでしまう。 人の輪なんか簡単に入れるものではない。 輪は既に出来上がっているのだ。
アチコチ歩いて分かったことは、私のような者が人の輪に入ることは容易なことではない。 創意も工夫も必要と思った。 しかも、それだけじゃあダメだ。 「お節介な人」に出会えることが、何よりも肝心だ。と言うことで柄にもなく、私もお節介をしてみたくなった。
「自由な人生は素晴らしいですね。何でもできるような気がします」
「金は稼げるか?」
「いえ、それはぜんぜん…」
「それじゃあ、俺はゴメンだね」
「こんど札幌シニアネット(SSN)の『談話コーナー』を担当することになりました」
「そうかい」
「会員の皆さんが楽しいシニアライフを送る為のお手伝いをしたいと思いまして…」
「皆さんって、だれ?」
「新会員とか、古い会員でもサロンから遠のいている方に来て頂たいと思います」
「来たら何かいいことあるのかい?」
「賢いSSNの利用法を伝授したいと思っています」
「なるほど、利用法だけはアンタも長けている」
「お褒めに預かり恐縮です」
「だれも褒めちゃいないよ。ズルイやつだ」
「ですから、お返しのつもりで…」
「分かった、わかった。 そう、むきになるな」
「SSNはボランティアによって運営されています。 『学び合い、支え合い、助け合って、豊かなシニアライフを!』これがSSNの理念です」
「それで…」
「せっかく会員になったのですから、有効にSSNを利用して、シニアライフをエンジョイしてほしいと思っています。 500人規模で、活動も盛んです。 クラブも20以上もあります。 楽しいSSNですが、複雑で分かりにくい面もあります」
「そうだな。古参の俺でさえ分からないことがある」
「新会員でも、クラブを立ち上げることができます。 有効に利用するためには、知ることが第一です。 談話コーナーで、皆さんの疑問に答えたい。 先ずは、そこから始めたいと思います」
「結局、何がいいたいんだ」
「はい、まとめます。
①SSNサロンで何をやっているのか分からない。
②知人がいないのでSSNサロンには入りにくい。
③行ったことはあるが、もう行きたくない。
④少人数で何かやってみたい。
この中の一つでも該当すると思った会員は、ぜひ「談話コーナー」に来てください。 一緒に話し合い、解決策を探り、愉しいシニアライフを切り開きましょう!」
「そうそう、開拓者になったつもりでね」
NPO法人「札幌シニアネット」のウェブサイトはこちらです。
参考:人の輪に入るための体験談は北海道新聞のコラムに書きました。
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nonko-mn おはよう御座いますって言うには早すぎたかな・・・まだ5時前。
今のなかぽさんだけしか知らない方はこの記事を読んだらキット
”うっそ”~って仰るかもしれません(*_*;ね
QPさんのお陰です(*^_^*)(*^_^*)
元々そう言う素質をお母様から頂いていたんですよ。
サラリーマンをやってるうちに
何処か胸の奥底に仕舞い込まされていただけなんだわキット・・・。
ねっこれ良い解釈でしょう(=^~^=)。
こまどり nakapaさん、素晴らしいアイディアですよー。
もし、私が新会員でしたら安心して参加しますよ。
この日は私も楽しみにして参加させていただきますからね。さすが~、我らのアイディアマンです。
潜在能力は泉のように湧いてくるものです。
nonko-mnさんへ
なかぱ おっしゃるとおりですよ。 抑えられていたものが、
あふれ出た感じです。 どこにいるのか分からないほど、
大人しいと言われていたのです。
本来の目立ちたがり屋の性格が、今頃になって出始めました。
「困ったものです」と、嘆いていても仕方がないので、
自分自身を放任しています。
こまどりさんへ
なかぱ 有難うございます。 励まされました。
新会員や、足が遠のいている会員の方々が、そう考えて
くれることを祈っています。
経験的には私がメールを流しても、応じてくれる確率は低いですが、
心の中では沢の会員が山参加してくれること祈っています。
こまどりさんが参加して頂けると助かります。 もし、沢山来てくれたら
一人じゃ対応できません。
まだまだ、ヒヨッコです
露湖ボーイ SSNに入会して約20ヶ月
やっと中身が見えてきた感じです
最初の頃は好奇心で何でも覗いてみましたが
性格的に寡黙なため自分から話すことは余りありませんでした
その当時に、なかぱさんの「相談コーナー」があったら、寄り道しないで済んだのにと思います
なお、今でも相談したい事山盛りです。

露湖ボーイ さんへ
なかぱ コメントありがとうございます。
初めてのことなので、心もとないのですが、なんとか
お役にたてることがあればと思っています。
「談話コーナー」と言うことで、お茶でも飲みながらSSNサロンの
雰囲気に慣れてもらうのが本来の趣旨です。
何かテーマがないと、人が集まらないと思い、
「賢いSSNの利用法」をテーマにしました。
看板倒れになってはいけませんね(笑)。
素敵なお誘い♪
ウフフの小母はん 「賢い利用法」!
なんと心誘われるフレーズ!是が非でも駆けつけねば!
入会の頃は、サロンがなかったので、今こんな素敵なお誘いに、吸い寄せられてしまうではありませんか!
古くもなく、新しくもない、中間層なのですが(笑)それでもよろしいのかしら?
ウフフの小母はん へ
なかぱ 大歓迎です。ウフッフ
あるときは相談する人、あるときは相談にのる人。
中間層、大歓迎です。ウフッフ ウフッフ。
なるほどなるほど・・・
ひよどり いちいちごもっともな展開ですね。
おそらく多くの方はそのような風になるのでしょう。
私も人後におちません。
シニアのサークルなどには入りません。
馴染めるか馴染めないか、実行していないので分からないのです。
ただ、家で邪魔者扱いにはされていないように思います。(本当のところは分かりません)
外出が多いし、家にいても「引きこもり」をしています。
つまり、勝手なことをしています。
それに、まだ定期的な出社があるせいかもしれませんね。
ひよどり さんへ
なかぱ 家で邪魔にされる理由は、定年後しばらくして
分かりました。 私が家にべったりいると、友達を
自由に呼べなくなるからです。
やはり付き合いは行ったり来りですから、呼ばない
わけにはいかないのです。
計画を立てるのに、何曜日は、出かけるからいない、
という事実は何よりも重要なのです。
何分私は、家の中で本を読んだり、ビデをを観たり
するのが好きですから。
「カラオケは嫌いだ」という人が沢山いる。 私ごときが好き嫌いを言うのも、おこがましいので「できません」と言っていた。
その「できません状態」は今でも続いている。 それなのに、ひょんなことからカラオケに参加させてもらうことになった。 案外、他の人よりも楽しんでいるかもしれない。 うまく歌えると気持がいいのだ。
私の「うまく歌える」基準は、世間標準とかけ離れた「自己満足基準」だ。
先ず、
①テンポは、歌詞の色変わりについて行けること。
②音程が大幅に外れないこと。
この2点さえ押さえておけば、うまく歌えたと感じて満足するのだ。
リズム感など元々ないから、とにかくモニターに流れる歌詞の色変わりに一生懸命ついて行くだけだ。 離されそうになったら追いかける。 追い越してしまったら、少し待つ。 音程の方は自分が外れてないと思ったら、それでよい。
「音程が外れていますか?」とは絶対に聞かない。 外れていると言われても、直せないから困るだけだ。 役にも立たないし、楽しくもない。 そんなことより、伴奏に合わせて歌えたと実感できることが、何よりも大切だ。
そもそも歌うのが嫌いな人などいないと思う。 周囲の人たちが寄ってたかって歌嫌いにさせてしまうのだ。 このことは、皆さんもよくご存知と思う。 もし、知らないとするならば、その人は歌の天才である。 あるいは、引きこもってしまった人かもしれない。 いずれにしろ、私たち凡人とは違う人生を歩んでいる方々だ。
私の知っている限り、少なくとも半分以上は人前で歌うのは嫌いだと言う。 私自身も、つい最近までは、そう思っていた。 歌うことが嫌いな人が、こんなに多いのは異常だ。 絶対に生まれつきではない、と断言できる。
ところで、この私でもNHKの全国放送で歌うことができるのだ。 冗談を言っているつもりはない。 本当にできるのだ。 ただし、百歳まで生きなければならない。 今なら90歳代でも出られるが、これからは百歳を超えなければダメだと思う。
既にお気付きとは思うが、NHK素人喉自慢のことである。 「おじいちゃん、お元気ですね。 何歳になりますか」という、アナウンサーの問に、胸を張って「お陰さまで百歳になりました」と答えれば、予選通過まちがいなし。 晴れて、全国に向けて私の歌を聞かせることができるのだ。
「皆さん、百まで歌って喉自慢に出ましょう!」
「なんだ、それは?」
「超シニアの方々に生きる希望を持って頂こうと思いまして、はい!」
「そんなこと、出来るわけないだろう」
「そうですね」
毎回NHK素人喉自慢を観ている人なら分かります。
少ないかも知れませんね。 ゴメンナサイ。
このブログ「楽しい食卓、朝の食卓」は週一回、日曜日更新です。
その「できません状態」は今でも続いている。 それなのに、ひょんなことからカラオケに参加させてもらうことになった。 案外、他の人よりも楽しんでいるかもしれない。 うまく歌えると気持がいいのだ。
私の「うまく歌える」基準は、世間標準とかけ離れた「自己満足基準」だ。
先ず、
①テンポは、歌詞の色変わりについて行けること。
②音程が大幅に外れないこと。
この2点さえ押さえておけば、うまく歌えたと感じて満足するのだ。
リズム感など元々ないから、とにかくモニターに流れる歌詞の色変わりに一生懸命ついて行くだけだ。 離されそうになったら追いかける。 追い越してしまったら、少し待つ。 音程の方は自分が外れてないと思ったら、それでよい。
「音程が外れていますか?」とは絶対に聞かない。 外れていると言われても、直せないから困るだけだ。 役にも立たないし、楽しくもない。 そんなことより、伴奏に合わせて歌えたと実感できることが、何よりも大切だ。
そもそも歌うのが嫌いな人などいないと思う。 周囲の人たちが寄ってたかって歌嫌いにさせてしまうのだ。 このことは、皆さんもよくご存知と思う。 もし、知らないとするならば、その人は歌の天才である。 あるいは、引きこもってしまった人かもしれない。 いずれにしろ、私たち凡人とは違う人生を歩んでいる方々だ。
私の知っている限り、少なくとも半分以上は人前で歌うのは嫌いだと言う。 私自身も、つい最近までは、そう思っていた。 歌うことが嫌いな人が、こんなに多いのは異常だ。 絶対に生まれつきではない、と断言できる。
ところで、この私でもNHKの全国放送で歌うことができるのだ。 冗談を言っているつもりはない。 本当にできるのだ。 ただし、百歳まで生きなければならない。 今なら90歳代でも出られるが、これからは百歳を超えなければダメだと思う。
既にお気付きとは思うが、NHK素人喉自慢のことである。 「おじいちゃん、お元気ですね。 何歳になりますか」という、アナウンサーの問に、胸を張って「お陰さまで百歳になりました」と答えれば、予選通過まちがいなし。 晴れて、全国に向けて私の歌を聞かせることができるのだ。
「皆さん、百まで歌って喉自慢に出ましょう!」
「なんだ、それは?」
「超シニアの方々に生きる希望を持って頂こうと思いまして、はい!」
「そんなこと、出来るわけないだろう」
「そうですね」
毎回NHK素人喉自慢を観ている人なら分かります。
少ないかも知れませんね。 ゴメンナサイ。
このブログ「楽しい食卓、朝の食卓」は週一回、日曜日更新です。
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hama 今丁度NHK素人喉自慢を見ています。
nakapaさんなら今でも出られるのでは?
私もカラオケは好きで歌うのも決して嫌いではないけれど下手なので困るんですよ。
色々趣味が広がって理想の人生を送られていますね。
私も見習わなくては・・
hamaさんへ
なかぱ あれだけ人気のあった喉自慢ですが、今では観る人も
少なくなりました。 hamaさんが見ていると聞いて
意外に思いました。 有難いことですが…。
最近、以前ほど人様から見てどう思うかとか、
あまり気にならなくなりました。
自由な立場は有難いと思っています。
カラオケが好き
ひよどり 私はカラオケが好きです。
上手下手は別問題とします。
声を思い切り出すには、カラオケがいいです。
しかし、「場所柄」があるので、そのわきまえはします。
順番を待ちます。
しかし、勧められると、乗ってしまう悪癖があるので、平均よりは曲数が多くなることもあります。
そんなとき、すぐに反省をします。
フラフラダンサ〜 ナカパさん歌上手いですよ!聞いた事あるけど、、
でも私の基準ですからあんまり嬉しくないよね、、
前は良く、喉自慢見てましたが、そういえば最近
あんまり見てないわ、でも確かに高齢者の方が
出て「お元気ですねぇ~」なんて云われてました。
生き生きしてましたね、歌の上手い方はいいよね、
憧れます、何たって感動させる、一つのドラマを
演じ切れるのですから、聞いてて惚れ惚れしますし
入り込んで涙が出る事があります、羨ましい~~
カラオケは苦手
コマクサ 私はカラオケが嫌い、それは歌わないから声が出ない。
「①テンポは、歌詞の色変わりについて行けると。
②音程が大幅に外れないこと。」・・ と
なかぱさんは言うが此れが上手く出来ないから困る。
昔の職場で彼女は惚れ惚れする様な上手い人が居て
私に「一曲でいいから覚えて練習しなさい」と言う
30年前その時に教えてもらった曲を今でも私の
持ち歌として指名されると歌っています。
その一曲しか歌えないから情けない。

nonko-mn なかぱさん大丈夫お上手ですよ。
だから現役時代のことは頭の隅から追い出して堂々と唄ってくださいよ。
中々なものですよ、声も前に出ているし・・・
最高ですパチパチ
ひよどりさんへ
なかぱ ひよどりさんは、ブログなどにカラオケのことは
何も書いてありませんが、いかにも上手なように
感じていました。
もっとも、他の方々もカラオケのことは書いて
いません。やはり、書くものでなく歌うものですね。
私は、出来ないものですから、すっかり「評論家?」
になってしまいました。
フラフラダンサ〜さんへ
なかぱ 喉自慢は何十年間も毎週見ていたのですが、
最近はときどきしか見ません。二人暮らしなのに、
私が喉自慢をかけると、連れ合いが出て行ってしまうのです。
こんなことを繰り返しているうちに、だんだん見ることが減りました。
出演者は上手ですが、お年寄りだけは年齢がものを言うようですね。
コマクサ さんへ
なかぱ 皆さん、私からみると凄く上手に感じるのですが、
ご自分ではまだまだと思っているようですね。
素晴らしいことと思います。
私もあんな風に、歌って語れればと思います。
nonko-mn さんへ
なかぱ 励ましてくれて有難うございます。
いろいろ楽しませてもらっていますが、自己満足のカラオケです。
自分で伴奏に合っていないと思ってしまったときは、歌うの止めたくなります。
ですから、数少ない知っている歌しか歌いません。
これなら、いくら外れていても自覚することはないから安心です。
海外旅行にしろ、道内日帰り旅行にしろ、旅行はほとんど行かないので、たまに出かけると、観るもの全て珍しく、とても楽しいです。
800kmのバス旅行です。 いろいろな場所にいったので、いつものように何処にいったか、分からなくなってしまいました。
それでも、ちゃんと定刻に札幌に帰ることが出来ることが、グループ旅行の有難いところです。 今日もいろいろまわりましたよ。

ここは洞爺湖です。このくらいは私でも分かります。 札幌コンサートホール・キタラで、すっかりお馴染みになった、安田侃の作品が展示してありました。

有珠山の噴火口跡だと思います。 肉眼で見ると水の色がとてもきれいです。 エメラルド・グリーンだそうです。 枯れ木が残っていて、寂しい光景ですね。

皆さん、カメラを構えています。 左側の男性は撮影していません。 どなたでしょうか? 正解はバスの運転手さんです。 流石は「デジカメ撮影」ツアーです。

まだ、噴火しています。 しかし、実によく撮りますね。 手ぶらでいるのが恥ずかしくなり、リュックサックの中にあるデジカメを取りに行きました。バスの中まで…。

白鳥大橋だそうです。 ここでも皆、撮っています。 今ほど世の中が写真であふれた時代はないですね。 これからどうなるのでしょうか。
私が1年間にブログやホームページでアップした画像が約300枚、5年で1500枚。 撮った写真は少なくとも、その20倍はあります。
なんと! 全部で3万枚。 その大部分は、自分でさえ二度と見ることないのですよ~。
800kmのバス旅行です。 いろいろな場所にいったので、いつものように何処にいったか、分からなくなってしまいました。
それでも、ちゃんと定刻に札幌に帰ることが出来ることが、グループ旅行の有難いところです。 今日もいろいろまわりましたよ。

ここは洞爺湖です。このくらいは私でも分かります。 札幌コンサートホール・キタラで、すっかりお馴染みになった、安田侃の作品が展示してありました。

有珠山の噴火口跡だと思います。 肉眼で見ると水の色がとてもきれいです。 エメラルド・グリーンだそうです。 枯れ木が残っていて、寂しい光景ですね。

皆さん、カメラを構えています。 左側の男性は撮影していません。 どなたでしょうか? 正解はバスの運転手さんです。 流石は「デジカメ撮影」ツアーです。

まだ、噴火しています。 しかし、実によく撮りますね。 手ぶらでいるのが恥ずかしくなり、リュックサックの中にあるデジカメを取りに行きました。バスの中まで…。

白鳥大橋だそうです。 ここでも皆、撮っています。 今ほど世の中が写真であふれた時代はないですね。 これからどうなるのでしょうか。
私が1年間にブログやホームページでアップした画像が約300枚、5年で1500枚。 撮った写真は少なくとも、その20倍はあります。
なんと! 全部で3万枚。 その大部分は、自分でさえ二度と見ることないのですよ~。
素晴らしい陸・海・空の旅でした。 東北から北関東にかけて空から、海から、陸から観ることが出来たのです。
空の旅は速いのですが、上から下を見る限りゆっくりと進んでいます。 いつも下から見上げている雲が、下にあるから不思議です。 雲が切れると大きな川が見えました。
ちょうど客室乗務員さん が通りかかったので、「あの川なんていう川ですか?」と聞くと、ニッコリ笑って地図を見せ、「この辺を飛んでいます」と、指をさしました。
小さな地図に細い糸くらいの太さで何本も川が書いてありました。 それを見ても分かるわけがありません。 しかし、新しい発見をしました。
~客室乗務員の辞書に 分からない という文字はない~
800キロのバスの旅でしたが、とても快適でした。 ガイドさんの方言が心地よく耳に響きました。 ここは東北…、しみじみと実感しました。
岩手県のどこか、と思いますが、立派な瓦屋根の豪邸が延々と続いていましました。 漁師の家と聞いてビックリしました。
つい先日、「燃料がこんなに上がっては漁師は食えない」とデモをしているのをテレビで観たばかりです。 漁師にもいろいろあるのだなと思いました。

帰りは茨城県の大洗港から大きな船に乗りました。 食事のとき、隣のテープルは男性一人に女性5人、楽しそうな笑い声が絶えません。
こちらは男性5人で黙々と食事をとり酒を飲みました。 何か話していたかもしれません。 ただ、隣のテーブルがとても楽しそうだったので、そう感じました。
2次会はミーティングルームです。 食事を終わった方は、そちらに行きはじめました。
隣のテープルも二人ばかり抜けましたが、相変わらず賑やかです。 「楽しそうですね」と声をかけると、「どうぞ」というので私も仲間に入れてもらい、賑やかな輪に入りました。
空の旅は速いのですが、上から下を見る限りゆっくりと進んでいます。 いつも下から見上げている雲が、下にあるから不思議です。 雲が切れると大きな川が見えました。
ちょうど客室乗務員さん が通りかかったので、「あの川なんていう川ですか?」と聞くと、ニッコリ笑って地図を見せ、「この辺を飛んでいます」と、指をさしました。
小さな地図に細い糸くらいの太さで何本も川が書いてありました。 それを見ても分かるわけがありません。 しかし、新しい発見をしました。
~客室乗務員の辞書に 分からない という文字はない~
800キロのバスの旅でしたが、とても快適でした。 ガイドさんの方言が心地よく耳に響きました。 ここは東北…、しみじみと実感しました。
岩手県のどこか、と思いますが、立派な瓦屋根の豪邸が延々と続いていましました。 漁師の家と聞いてビックリしました。
つい先日、「燃料がこんなに上がっては漁師は食えない」とデモをしているのをテレビで観たばかりです。 漁師にもいろいろあるのだなと思いました。

帰りは茨城県の大洗港から大きな船に乗りました。 食事のとき、隣のテープルは男性一人に女性5人、楽しそうな笑い声が絶えません。
こちらは男性5人で黙々と食事をとり酒を飲みました。 何か話していたかもしれません。 ただ、隣のテーブルがとても楽しそうだったので、そう感じました。
2次会はミーティングルームです。 食事を終わった方は、そちらに行きはじめました。
隣のテープルも二人ばかり抜けましたが、相変わらず賑やかです。 「楽しそうですね」と声をかけると、「どうぞ」というので私も仲間に入れてもらい、賑やかな輪に入りました。
「旅行大変楽しかったですよ。又行きたいですね」
「どこが楽しかったんだ」
「Aさんと話したり、Bさんと笑ったり、Cさんと美味しいもの食べたり、Dさんとお酒呑んだり、Eさんと散歩したり…」
「もういい! 何処に行ったのか聞いているんだよ」
「東北ですよ。楽しかったですね」
「あんたと話しているとホントにイライラするね。 東北のどこへ行ったんだ」
「それは難しい質問ですね。バスだけで800kmですよ。どこに行ったか覚えて置く事は至難の技です」

福島県のどこかの昔風な村
もともと私は、この旅行を行く先の分からないミステリー旅行として参加しました。 分かっているのはNHK前7時50分集合だけでした。
しかし、QPの為に印刷した旅行日程を置いて行きました。 彼女がそれを見て、「仙台に行くのね」と言ったので、それだけは予め知ってしまいました。
「QPが余計なこと言うから楽しみが一つ減ってしまいました」
「どうせ千歳空港に行けば分かることじゃないか」
「分かりません。 その為にアイポットを用意しました」
「なに?」
「イヤーフォーンで音楽を聴きながら前の人の背中を見ながら行けば目的地に着けるのです。 これが団体旅行のメリットです」
「そんなの俺はごめんだね」
「着陸して始めて、そこが仙台だと分かるのです。感動も10倍! 料金は一緒ですよ。 いい考えでしょう」
「長生きするよ」
「もうじき68になるんです。まだまで生きられますね」
「あんた、俺の会社だったら絶対に勤まらんな」
「お褒めにあずかり光栄です」
「なに!」
「ノーベル化学賞の下村さんも、同じこと言われたそうです」
「どこが楽しかったんだ」
「Aさんと話したり、Bさんと笑ったり、Cさんと美味しいもの食べたり、Dさんとお酒呑んだり、Eさんと散歩したり…」
「もういい! 何処に行ったのか聞いているんだよ」
「東北ですよ。楽しかったですね」
「あんたと話しているとホントにイライラするね。 東北のどこへ行ったんだ」
「それは難しい質問ですね。バスだけで800kmですよ。どこに行ったか覚えて置く事は至難の技です」

福島県のどこかの昔風な村
もともと私は、この旅行を行く先の分からないミステリー旅行として参加しました。 分かっているのはNHK前7時50分集合だけでした。
しかし、QPの為に印刷した旅行日程を置いて行きました。 彼女がそれを見て、「仙台に行くのね」と言ったので、それだけは予め知ってしまいました。
「QPが余計なこと言うから楽しみが一つ減ってしまいました」
「どうせ千歳空港に行けば分かることじゃないか」
「分かりません。 その為にアイポットを用意しました」
「なに?」
「イヤーフォーンで音楽を聴きながら前の人の背中を見ながら行けば目的地に着けるのです。 これが団体旅行のメリットです」
「そんなの俺はごめんだね」
「着陸して始めて、そこが仙台だと分かるのです。感動も10倍! 料金は一緒ですよ。 いい考えでしょう」
「長生きするよ」
「もうじき68になるんです。まだまで生きられますね」
「あんた、俺の会社だったら絶対に勤まらんな」
「お褒めにあずかり光栄です」
「なに!」
「ノーベル化学賞の下村さんも、同じこと言われたそうです」
「2008写真道展」に行ってきた。札幌シニアネットの方々が撮った作品もたくさん展示されていた。 確認したいことがあったので受付に行く。
「展示されている作品は、この写真集に全部載っていますか?」
「一つ残らず載っていますよ」
「そうですか。1冊ください」
「出展されているのですか?」
近くにある写真を指差して「はい、あそこにあるでしょ…」。
そこには第一部一席に選ばれた作品「遠くに見えるもの…」が展示されていた。
「あれですか?……あれは…」
それは私の所属するシニアネットの方の作品である。わが事のように喜んでいたので、つい「あそこにあるでしょ…」といってしまったのだ。
「いえ、違います」。少々うろたえて出た言葉が「友人の友人の作品でして…」。

友人の友人の作品は、一席文部科学大臣賞に輝いた。
この言葉とても便利ですね。「私の友人の友人がアルカイダでして…」と、発言した鳩山法相に感謝。この表現がないと難しいことがたくさんある。組織内の話をしても説明にならない。聞いている人も困るだろう。
結局、あいまいな「友人の友人」という言葉が、よそ様にとっては一番分かり易いのではないか。 使う方にとってもこんな便利な言葉はない。
例えば、
「友人の友人が医者でして」
「いい先生を紹介してくれないか?」
「友人に頼んでみましょう。 友人が友人の友人に頼んでくれるでしょう」。限りなくあいまいなこと、許されている。
「展示されている作品は、この写真集に全部載っていますか?」
「一つ残らず載っていますよ」
「そうですか。1冊ください」
「出展されているのですか?」
近くにある写真を指差して「はい、あそこにあるでしょ…」。
そこには第一部一席に選ばれた作品「遠くに見えるもの…」が展示されていた。
「あれですか?……あれは…」
それは私の所属するシニアネットの方の作品である。わが事のように喜んでいたので、つい「あそこにあるでしょ…」といってしまったのだ。
「いえ、違います」。少々うろたえて出た言葉が「友人の友人の作品でして…」。

友人の友人の作品は、一席文部科学大臣賞に輝いた。
この言葉とても便利ですね。「私の友人の友人がアルカイダでして…」と、発言した鳩山法相に感謝。この表現がないと難しいことがたくさんある。組織内の話をしても説明にならない。聞いている人も困るだろう。
結局、あいまいな「友人の友人」という言葉が、よそ様にとっては一番分かり易いのではないか。 使う方にとってもこんな便利な言葉はない。
例えば、
「友人の友人が医者でして」
「いい先生を紹介してくれないか?」
「友人に頼んでみましょう。 友人が友人の友人に頼んでくれるでしょう」。限りなくあいまいなこと、許されている。
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